2026年10月11日 (日)

旅の記憶 ベトナム大縦断 クチ

2017年4/24(月) 地下トンネルで有名なクチは、かつてはベトナム戦争の戦跡地でベトコンの有力な拠点でしたが、今や一大観光地となっています。ここは前回訪れていましたし、愉快な場所ではありませんのであまり行きたくない場所でした。 

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ホーチミンシティの地図で見ると、クチはホーチミンから北へ約70kmの位置にあります。

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09:45 朝から観光バスが続々と詰めかけていました。怖いもの見たさというのでしょうか。

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入口は植物園のようでありのどかな風景ですので、この辺りでのんびりしていてもよかったのですが、ここまできたらやはり皆さんと行動を共にしました。 

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私は浮かない表情でしたが、現地ガイドのタァーオさんはこの日も元気でVサイン。 

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地下トンネルを中心とした戦跡地への道は地下道を通って入場券を渡した先にあります。いわばここは結界ともいえます。

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人が集まっている場所があり、軍人(=ここに勤めている公務員)の足下には40cm四方の四角い穴が開いていました。これが全長200kmにものぼるクチトンネルの入口です。 

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地下トンネルはアリの巣のようにはりめぐらされ、生活の全てが行えるように造られています。要するに地下都市です。 

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軍人が地下に潜ってみせるデモを行いました。

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枯葉にカモフラージュされ、地下トンネルの入口はまったくわからなくなりました。

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欧米人の観光客が穴潜りにトライしていました。この体格でどうかなあと思ったのですが、見事に潜伏しました。

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いわれなければ、何の変哲もない雑木林の下に地下トンネルがあるとは思いもしません。ここでの堅固な抵抗がベトナムに勝利をもたらした要因の一つといわれています。 

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戦利品が展示されていました。アメリカ製の戦車でボコボコにされていました。観光客にはアメリカ人もいそうでしたが、これを見てどんな気持ちになるのでしょうか。かつてダイビングでサイパンに行ったとき、日本軍の同じような戦車を見たときはとても嫌な気がしました。 

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ジャングルの中に仕掛けた様々な殺人用の罠が展示されていて担当の軍人がデモで見せてくれるのですが、初めての人は怖いもの見たさで興味深そうに見ていましたが、私は2回目ですのでほとんど見る気がしなくてパスしました。 

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生春巻きの生地を作っていました。地下トンネルの中でこのような作業が行われていたとのことです。炊事などの煮炊きの場合には地下トンエルから煙が出ますので、様々な工夫が凝らされていました。 

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ミシンを使っての縫い物も地下で行われていました。壁に架けられている銃は重量感をもっていました。

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アメリカ軍の車の古タイヤからゴムサンダルを作る作業も大事な作業だったようです。実に器用に作っていました。 

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古タイヤから作ったサンダルはお土産用としても実用品としても売られていました。95000ドン(ベトナム通貨)ですので、日本円では475円でベトナムの物価を考えるとかなり高いと思いました。 

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地下トンネル体験コースもありました。体力の自信度で、100m体験コースや数10メートルのコースもあり、私たちもトライしました。 

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数十メートルとはいえ狭くて低くて蒸し暑いトンネルの中を身体を折るように屈めて歩くこと数分、出口に辿り着いてホッとしました。 

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主な食事はタロイモで、蒸かして食べていたそうです。私たちもごま塩をつけて試食しましたが、結構美味しく出された分を完食しました。たまに食べるから美味しく感じるのでしょうが、これが毎日だったらきっと飽きてくると思われました。 

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これが戦士の盛装です。ゴムサンダルを履いていました。ハンモックも必須携帯品で、折りたたんで持ち歩いたそうです。 

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社会科見学でしょうか、高校生くらい(大人に見える人は付き添いか)の集団が見学に訪れていました。クチは、ベトナム解放勢力の英雄的象徴となっています。

あまり見たくないクチの観光が終わりホッとしました。 

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2026年10月 8日 (木)

旅の記憶 ベトナム大縦断 路上ウオッチング

2017年4/24(月) この日は、ホーチミンシティから北西に70km離れたクチ、地下トンネルで有名なベトナム戦争の戦跡地へと向かいました。 

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ベトナムは中国と国境を接していて、南北に細長い国です。スケールは違いますが南米のチリとよく似た形をしています。今回の「ベトナム大縦断」ではその細長い国土を成田→ホーチミン→フエ→ハノイ→成田と北上する旅です。 

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ベトナムでの第1夜が明けて、窓から外を眺めるとホテル内のシンプルで瀟洒な雰囲気とは一変して、いろいろな建物がモザイク模様に建ち並んでいました。 

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朝食はほとんどのホテルがそうであるようにビュッフェ形式で、先ず目をつけたのが好物のフォーでした。フォーのコーナーでは、若いコックが麺汁を煮立たせてその前には茹でたフォーが入った丼と何種類かの薬味とレモンが並べられていました。 

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このホテルのフォーは最もシンプルで、ホテルによってはトッピング用にパクチーなどの香草類をふんだんに置いてあるところもあるのですが。それでも味はシンプルで美味しく朝食用にはピッタリでした。 

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自宅での朝食はシンプルで少食なのですが、旅に出るとどうしても頑張って食べてしまいます。この日も頑張って盛りつけてしまいました。

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06:53(現地時間) 朝食をすませてホテルの外に出てみました。なかなかいいホテルでしたが、意外に小さなホテルでした。

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朝の通りに出てみました。高温多湿で暑く感じましたのでこの日からは半袖にしました。ベトナムは暑いために早朝から活動を開始するそうですが、さすがにまだこの時間は出勤するバイクの数は少ないようでした。 

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3人乗りのバイクが目の前を走っていきました。乗車人数制限はあるのですが子どもは乗車人数に入らないそうです。

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ベトナム人は早朝から活動を開始しますので、朝食を作る時間や燃料費を節約するためにほとんどが外食です。ホテル前の歩道には早々に軽食と飲み物のワゴンが店開きしていました。 

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ホテルに戻りますとベトナムも音楽が演奏されていました。バリ島などの観光地ではよく見る風景ですが、前回のベトナムツアーでは見なかった光景で珍しく感じました。ベトナムの音楽は哀調を帯びて気持ちが安らぐような印象でした。 

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朝食のレストランは人で一杯でした。やはり中国人が多いようでした。 

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ロビーにも出発準備の観光客が集まっていて朝から賑やかでした。最近はベトナムは治安の良さやテロの恐れがないことから観光先として人気が出ています。 

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ホテルを出発して間もなく鉄道のレールがありました。南北統一鉄道のレールで、ホーチミンシティとハノイ間1800kmを結んでいます。ガイドさんの話では36時間かかるそうで、一度乗ったら懲り懲りしたといっていました。 

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路上のあちこちで、朝食をとる姿が見られました。プラスチックケースを並べた簡易テーブルからしっかりとした食卓まで様々でした。 

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出勤する人たちの姿、ほとんどがバイクで、随分増えてきました。

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ほとんど信号がありませんので、お巡りさんとは思えないような交通整理のお兄さん達も出てきました。 

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このバイク軍団に取り囲まれた私たちが乗っている観光バスの運転手はかなりのストレスを感じていたそうです。バイク同士には隙間がないように思えるほどビッシリと並んでいるバイク、よく接触事故とか起こさないものと感心しました。バイクの事故を見たことはないのですが、実際にはかなりあるとのことでした。 

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ベトナムで最も信頼されて、最も売れているのはホンダのバイクだそうです。ベトナム人はバイクに何でも乗せて運ぶそうですが、水牛を運んだバイクもあったとか。ちょっと想像できませんが。 

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店頭にぶら下がったアヒルの丸焼きは、ベトナムではとてもポピュラーな食材です。水資源が豊富な国で、あちこちに水溜まりや池や沼があり、そこに動くような動かないような白い塊が見えました。それは養殖のアヒルでした。 

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市の中心部から1時間も走りますと、次第にローカルな雰囲気となってきました。

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さらにのどかな風景となり、日除けのビニールシートの下にはハンモックが吊されていました。簡易喫茶店で、ここでは飲み物とハンモックが提供されていて、冷たいものを飲みながらハンモックで休んだり眠ったりするそうです。ハンモックではベトナムでは非常に重要な寝具であり、休憩用のツールだそうです。ベトコン兵士も常に携帯していたそうです。 

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ゴム園が続いていました。ベトナムには大きな産業はありませんが、ゴムの生産は重要な輸出物資になっていて天然ゴムの生産量は1位タイ、2位インドネシアに次いで世界3位だそうです。しかしなかなか収益が上がらず、他の農作物に転作するケースが増えているそうです。

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ホテルを08:00に出発して09:41にクチに到着しました。70km、約1時間40分の行程でした。大型観光バスが集結していました。

ベトナムの路上風景は見ていても飽きることはありませんでした。それは食べるというとても大事な生活の一面が路上で展開されているからともいえます。

 

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2026年10月 5日 (月)

旅の記憶 ベトナム大縦断 ベトナム料理

2017年4/23(日) ホーチミンシティの一通りの市内観光の後、夕食をとりホテルへと向かいました。この日の夕食メニューはベトナム料理となっていました。 

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市内観光を終えて夕食のレストランに向かいました。ホーチミンシティの中心地を移動しましたのでバイクの量が相変わらず多く、大きな交差点では交通整理の人が出動していました。

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バスの窓からバスを取り囲むように集まっているバイク、よく見ているとバイクの運転がとても上手いのです。特に後ろに人を乗せている場合には運転が難しいと思うのですが、バイク同士ぶつかるでもなくまるで魔法使いみたいです。 

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3年前にはあまり見なかった光景です。バイクに乗っている人が通りかかった人に道を尋ねているシーンを度々見かけました。新しいバイカーが増えているのでしょうか。 

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もう驚かなくなった4人乗りのバイクですが、ドライバーが比較的若い女性で、全員が女性というのが凄いです。一番後ろがママかヤングおばあちゃんか、運転手はヤングママか娘か、どういう組み合わせなのでしょうか。 

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どの時間帯でもどんな場所に行っても必ず目に入ってくるのが食事シーンでした。どの時間帯でも何かを飲んでいるか食べています。ベトナムでは自炊は暑くて大変ですし光熱費もかかりますので、外食が基本だそうです。

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夕食のレストランに着いて、先ず飲み物のオーダーをしました。A夫人と初めての乾杯をしました。海外での乾杯は3年ぶりでした。ご主人にシャッターを押してもらいました。

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アルコール類の選択肢はほとんどビールに限定されました。銘柄は「333(バーバーバー)」や「サッポロビール(ベトナムで製造)」など何種類かありました。ツアー客の皆さんは「333」をオーダーしている人が多かったようです。私は「サッポロビール」(現地生産)にしました。味は、まあ普通でしたが、コクがないように感じました。 

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いきなりフォーが出てきました。私の好物でしたので美味しくいただきました。青いレモンを搾り、赤いチリソースのようなピリッと辛いもの(結構辛かったです)を入れて食べました。お米の麺はツルッとして喉ごしがよく、これだけでベトナムで暮らしていけそうです。

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定番の生春巻きなど、これらもほとんど日本で食べるのと同じような味でした。 

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イカと厚揚げと多分青梗菜(チンゲンサイ)。これも美味しい味付けでした。

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牛肉と多分空心菜。これもOK。 

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若いというかあどけないというかウェイトレスさんが、山盛りの葉っぱに何かを包み込んでくれました。これも美味しかったです。野菜の種類も量も多く、ベトナム料理は安心して食べられる健康食です。

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デザートは煮詰めたお汁粉のようなものにアイスクリームがのっていて、善哉のようでした。 

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19:34(現地時間:以降同じ) ホテルに着きました。食事をしてこの時間でしたので楽でした。 

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ホテルはシンプルで落ち着いていて、おまけに連泊でしたのでゆったり気分でした。

今回のツアーは、添乗員はいませんでしたし、また現地ガイドは自宅などに戻っているようでした。もちろん緊急の連絡先は聞いているのですが、ホテル宿泊の場合、冷水温水は出るか、シャワーは使えるか、トイレの水は流れるかは、エアコンや照明は大丈夫かなどを先ずチェックして不具合があればすぐにフロントに言わなければならないのですが、添乗員がいない場合はこういうときは困ります。ベトナムは観光に力を入れているためでしょうか、前回も今回もそういったトラブルはありませんでした。

 

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2026年10月 2日 (金)

旅の記憶 ベトナム大縦断 ペンタイン市場

2017年4/23(日) ホーチミンシティの市内観光で統一大会堂やサイゴン大教会などを巡った後、ペンタイン市場へと向かいました

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「ドンコイ通り」に向かってサイゴン大教会をグルッと回り込むように歩いてゆくと、ネオ・ゴシック様式の、歴史を経てもあるいは歴史を経るほど輝きを増す建造物の重みを感じるような気がしてきました。かつてはフランスの統治下にあった訳ですが、植民地化というのは決して悪いことばかりではないようにも思えました。パンもその一つで、フランスパンはとても美味しかったのでした。

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サイゴン大教会前の広場では信者さん達が、会合か記念写真を撮るためか集まっていました。子どもの多さが目につきました。 

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サイゴン(ホーチミンシティの旧名)のシャンゼリゼともいわれるドンコイ通り、日本でいえば銀座通りでしょうか、歩道のいたる所に大型バイクが駐車してありました。バイクはベトナム市民にとっては必需品ですが、買える人と買えない人、買える人でも中古しか買えない人と大型を買える人など、貧富の差はかなりはっきりしています。

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ドンコイ通りをガイドさんに付いて行くとお土産屋さんに案内されました。女性の皆さんはいろいろ物色していましたが私にとってはまったく興味はありませんでした。 

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買い物に興味のない人や飽きた人は2階に休憩所があり、お茶のおもてなしを受けました。お茶請けのドライフルーツはここで食べると美味しいのですが、お土産に買って帰るとあまり美味しくないのは何故でしょうか。 

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街角には日本のように自動販売機はなく、こういったお土産屋さんに冷蔵ケースがあります。水のペットボトルが4,000ドンとなっていて、ベトナムの通貨1ドンは日本円にすると0.005円です。ペットボトルは20円ということになります。ビール12,000ドンは60円、15,000ドンは75円で、最初は桁の多さにビックリして、次に物価の安さにビックリしました。ベトナムの物価は日本の1/8くらいといわれています。

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ベンタイン市場の近くの街角は、日曜日とあって賑わっていました。 

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ベンタイン市場は、トルコのグランドバザールやモロッコのメディナやフナ広場の市場と同じように人混みでごった返していましたが、それ以上に店の多いのには圧倒されました。 

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お店も多く、決して広くない店先には雑貨類が所狭しと並べられていて、いつ売れるのだろうと思ってしまいました。しかしここで商売している以上商売が成り立っているからでしょうし。 

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何かを干した乾物類でしょうか、得体が知れないものばかりです。ベトナムでは農作物は三毛作ですので、食材は豊富です。 

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フルーツもいかにも美味しそうですが、ガイドさんからは農薬がたっぷり使われているおそれがありますので買わないようにと釘を刺されていました。

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当然のごとくドライフルーツも種類も豊富でどっさりとありましたが、この市場ではほとんどの商品に値段がついていなくて、観光客はふっかけられるのであまり買わない方がいいともいわれました。

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ベトナムでは路上でもこういった市場でも飲食する場所はいくらでもありますが、ここでもガイドさんには食べない方がいいといわれました。かつてベトナムはひどく貧しくそのためにどんな物でも食べて免疫力ができているが、日本人には免疫力がないということはガイドさんから何度も言われました。 

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それにしても、慣れたらこの国には食材は豊富ですし安いので暮らしやすいのではないかと思いました。

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この国の食糧事情に慣れて、免疫力ができるまでにはかなり時間がかかりそうな気がしました。 

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市場の店や商品に圧倒されて疲れ、外に出ると相変わらずのバイクの多さにも圧倒されました。

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市場の外の歩道や車道にも、バイクの荷台に商品を積んだ物売りがあちこちに。 

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こちらは子連れの、いかにもコピー物とわかるライターや雑貨などの物売り。断られても断られても決してめげないのが凄いです。かつて中国やアメリカなどの大国と戦争して決して負けなかったDNAが息づいているのかもしれません。

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こちらは自転車の荷台に商品を積んでいました。売れそうなものは何でも売ろうとしています。ベトナム人特に女性は驚くほどの働き者です。

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交差点にはほとんど信号がありませんので、道路を横断するときはバイクを避けて歩くというより、泰然と歩くとバイクが避けていくようでした。私たちも後日ハノイでバイク軍団が走っている道路を横断しましたが、コツはゆっくり真っ直ぐ歩くことだそうです。

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バイクの2人乗り、3人乗りは当たり前ですが、ドライバーが若い女性で後ろに乗っているのも若い女性というのも当たり前で、日本では決して見られない光景です。あっという間に私の目の前を通り過ぎ、お顔を撮れなかったのが残念です。

どこへ行っても人とバイクの多さは3年前よりさらに加速しているような印象でした。ただ、例えば中国人の集団に出くわすととても煩いのですが、ベトナム人はとても静かで人懐っこいのです。 

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2026年9月29日 (火)

旅の記憶 ベトナム大縦断 ホーチミン市内観光

2017年4/23(日) 成田を朝出発し、高温多湿のベトナム南部のホーチミンシティに着きました。早速市内観光となりました。

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最初の観光地は定番の「統一会堂」でした。統一会堂の柵の前にちょっと派手なベトナムの民族衣装アオザイを着た若い女性が2人、立ち止まったり時々ブラブラと歩いたりしていました。

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統一会堂は、ベトナムを代表する建物であり、観光スポットになっています。最初の建物は、フランスの植民地であった1868年に建設に着手されたものですが、1962年のクーデターにより2機の戦闘機によって大破し、1966年に南ベトナムの建築家によって再建されました。 

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この日は日曜日でしたので、観光客よりもベトナム人のファミリーや若者の姿をたくさん見かけました。自分で自分の写真を撮る“中国・韓国発自撮り” は、前回(2014年)はあまり見なかった光景で、あっという間に世界中に広まっているようでした。 

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15:41(時差は-2時間、日本時間では17:41、以降は現地時間表示)写真を撮ってもらいました。あまりこういう所での記念写真は好きではないのですが、とりあえずベトナムに着いたという証拠写真です。 

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統一会堂の広い庭の片隅に2台の戦車が展示されています。今から42年前の1975年4月30日、ベトナム戦争の終結時に統一会堂(当時は南ベトナム大統領官邸)の正門に2台の戦車が突入し、サイゴンが陥落しました。2台の戦車は中国製とソ連(当時)製ので、いわばサイゴン陥落のシンボルであり、国宝に指定されています。 

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この統一会堂は、政情が不安定な時代に呼び名がたびたび変わりました。フランスが統治していた時代には「ノンドン宮殿」、1955年にベトナム共和国(南ベトナム)が成立した後には「独立宮殿」と改名されました。歴史の荒波に翻弄されてきました。 

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ベトナム戦争終結時まではベトナム共和国(南ベトナム)の大統領府及び官邸として使用されていました。現在は、当時の豪華な設備が再現されて観光資源となっています。 

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ベトナム戦争は雑駁にいえば南北ベトナムの争いで、ベトコン率いる北ベトナムが勝利し、南ベトナムの首都サイゴンは陥落し、現在はホーチミンシティとなっています。現地ガイドのタァーオさんは、旧サイゴン出身で、ホーチミンシティという都市名よりもサイゴンという都市名に愛着があるようでした。多くの人がサイゴンという名前に愛着を持っているとも言っていました。 

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統一会堂の屋上には南ベトナムの大統領が使用した脱出用ヘリコプターも展示されていました。南ベトナムを後押ししたアメリカの軍事顧問団はやはりヘリコプターで素早く米艦艇に脱出したとのことです。当時の様子はTV報道などでも見たことがあり、そう遠い歴史の彼方の話ではありませんので生々しく感じました。 

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統一会堂の正門に真っ直ぐと向かってくる道路は、かつては2台の戦車が突入してきた道ですが、現在は自動車やバイクが走っています。3年前に比べて乗用車が随分増えているように感じました。ベトナムでは車の対する関税は200%以上で、例えば日本で200万円の車はベトナムでは400万円以上するそうです。それだけ経済は成長し金持ちが増えているということで、それはまた貧富の差が拡大しているということもできます。 

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私たちは涼しい日本から来て、高温多湿(気温35℃、湿度90%)の重い空気の洗礼を受け、観光が終わると早足で冷房が効いている観光バスに逃げ込んだのですが、涼しいバスの中から見る緑はとても美しく見えました。 

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2つめの観光は「サイゴン大教会」でした。サイゴンが陥落しホーチミンシティという名前になりましたが、さすがに教会の名前までは改名できなかったということでしょうか。ベトナムの宗教事情は、人口の8割りが仏教徒で残りの2割がキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教だそうです。

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フランスの植民地時代に建設されたネオ・ゴシック様式の教会です。日曜日には熱心なカトリック教徒がミサに訪れるそうですが、観光スポットにもなっています。 

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サイゴン大教会のすぐ近くの中央郵便局を背景に記念写真。この中央郵便局もサイゴン中央郵便局と呼ばれています。この近くにはサイゴンのシャンゼリゼともいわれる「ドンコイ通り」があり、付近一帯が植民地時代の面影を残す観光地となっています。 

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ベトナムの歩道にはたくさんの店が出ていますが、その中であまり見かけなかったイカの干物で、1枚400円とかで後々考えるととてつもなく高いものでした。 

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ベトナムの路上はとても面白く、まったくヤル気のなさそうなおじさんがいました。路上の物売りは女性が多くしかも元気なのですが静かなおじさんでした。最初の暇そうな画像から3分経過後には若い2人連れの客がついていて結構商売になっているようでした。こんなおじさんの商売を見ている自分も随分暇だなあと思ってしまいました。

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小学生と思われるグループが歩いていました。この日は日曜日ですので社会見学かミニ遠足か。ベトナムでは若者が多く、また子どもが増えすぎて2人っ子政策がとられるともいっていました。ベトナムの人口構成は、年少人口(0~14歳)24.3%、生産年齢人口(15~24歳)17.8%、生産年齢人口(25~64歳)52.2%で、24歳以下の人口が4割も占めています。我が国と比較するのも嫌になります。

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どの道路もどんな小さな辻にもバイクが押し寄せていました。これぞベトナムの風景です。

3年ぶり2回目のベトナム・ホーチミンシティ訪問であり初めて訪れる国ではない安心感(反面新鮮な刺激には欠けますが)のせいか、ゆとりを持って風景を眺めることができました。訪れた観光地も定番の名所ですので感動は少なかったのですが、改めてベトナムの歴史や現状、これからのこの国のこと、それと比較しての日本のことなどを考えることができそうでした。 

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2026年9月26日 (土)

旅の記憶 ベトナム大縦断 ホーチミンシティへ

2017年4/23(日)~29(土)の1週間、「よくばりベトナム大縦断7日間」というツアーに参加しました。 

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集合場所は成田空港第1ターミナル4階北ウイング、集合時間は07:30でしたので、横浜駅のYCAT(Yokokohama City Air Terminal)05:30発のリムジンバスで出発しました。

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ツアーには私は1人参加でしたが、2014年5月に出かけたトルコツアー(10日間)で一緒になったAさんご夫妻も一緒に参加して3人で一つのチームという形で参加しました。成田に着いてすぐに、ツアー会社JTBのカウンターで手続きをしました。このツアーには添乗員はいませんでしたので、最初の目的地ホーチミンシティへは各自で向かいました。 

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07:40 まだ朝早いために出国手続きのためのセキュリティチェックが始まっていませんでしたので、長い行列ができていました。 

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出国手続きを終えて搭乗を待つ間に朝食をとりました。 

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搭乗予定の飛行機は、09:30発ホーチミンシティ行きでした。 

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ベトナムへ出かけるのは2回目で2014年9/3(水)~6(土)の4日間「てんこもりベトナム4日間」という凄いタイトルの激安ツアーでした。てんこ盛りとは謳っていましたが、実際にはホーチミン市内を2日間見てまわるというものでした。 

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搭乗口付近には乗客が集まってきていました。それほど混んでいる印象はありませんでしたが、搭乗手続きの際に、Aさんご夫妻と3人並ぶ席をリクエストしたのですが満席のために無理で、ご夫妻とは離れた席でしかも通路側でもなく窓側でもない真ん中の席でした。 

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搭乗が始まりました。私の席は真ん中でしたが、飛行時間は6時間ぐらいですので、パタゴニアへの飛行時間20時間に比べればどうということはないのでした。 

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成田空港を飛び立って1時間半過ぎた頃昼食が出ました。メインディッシュは金目鯛のムニエルで美味しかったです。 

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食事をしたり航路を見ていたりしているうちに時間はどんどん経過しました。ホーチミンシティへの航路は東シナ海や南シナ海の上空を南西の方向に真っ直ぐでした。 

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成田を飛び立って、朝鮮半島や東シナ海を右に見る位置に来ました。北朝鮮が日米韓に対してミサイル発射など挑発行為を繰り返している時期でもあり、朝鮮半島情勢や東シナ海・南シナ海の領海争いなどを思うと、こんな狭い領域で何をしているんだろうという気持ちにもなりました。 

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眼下にホーチミンシティが見えてきました。天気は曇りで気温は35℃、湿度90%という機内アナウンスがありうんざりしました。Aさんご夫妻が天気予報をチェックしたところ、ズーッと雨との予報でガックリきていました。 

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ホーチミンシティ国際空港に着陸しました。どんよりとした雲が空を覆っていて、暗い雰囲気でした。 

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気温が35℃と高く湿度も高く、おまけに東南アジア独特のムッとする空気感に圧倒されました。ここで現地ガイドさんや他のツアー参加者の皆さんと合流しました。ツアー参加者は総勢13人で、グループとしてはまとまりやすく集団行動しやすい人数でした。 

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現地ガイドのタァーオさん、ピンぼけになってしまいましたが日本人的な顔立ちをしていました。当然ですが日本語も流暢でした。

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専用バスに乗ってホーチミン市内を移動しました。早速ベトナム名物のバイクが目につきました。

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目についたのが濃い緑でした。

前回のベトナムはホーチミンシティ観光でしたので、2回目ということもあり街の景色は見慣れた印象でしたが、雨期の入口ということあり肌にまとわりつく高温多湿の重い空気に戸惑いました。何はともあれベトナム大縦断が始まりました。

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2026年9月23日 (水)

旅の記憶 スペイン紀行 帰国

2016年9/15(水) ツアー7日目、ミュンヘンでルフトハンザ機の羽田行きに乗り換え、帰国となりました。

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ミュンヘン発は9/15(木)の現地時間16:00(日本時間23:00)ですが、ミュンヘンを飛び立ってしばらくすると日本時間では9/16(金)0:49と日付が変わりました。 

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眼下には雲なのか氷なのかはっきりしない世界が広がっていました。ここ数年何回か海外に出かけたときに乗った飛行機ではほとんどが通路側のシート(ツアー会社指定)で、今回は窓際で久しぶりでした。多少窮屈だったのですが、その分景色を眺めることができました。

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往路の時もそうだったのですが、フライト情報が面白く、実際の窓からの景色と見比べるとより楽しめました。ミュンヘンから羽田までの飛行時間はロシアロシア領をまたいで11時間35分、やはりちょっと長いかなとは思ったのですが。 

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食前酒とつまみが出ました。食前酒は白ワイン。 

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18:29(日本時間01:29)に夕食となりました。メニューは、日本人シェフが監修したとのことで、季節のミックスサラダ、茶そば、ビーフシチューなどで美味しく、酒(白ワインや赤ワイン)なども進みました。 

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02:01(日本時間:以降同じ) 翼の先に満月に近い月がかかっていました。機上お月見は初めてでした。 

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07:46 夜が明けてきたようで、青空の下は氷原の世界でした。 

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0908 ハバロスクの上空にさしかかりました。流れている大河はアムール川と思われ、ここからオホーツク海に流れ出た冷たい水が流氷となって北海道・知床辺りに流れ着くといわれています。 

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09:25 日本列島にだいぶ近づきました。羽田着の予定時間(10:35)までもう少しの所まで来ました。気がついたらもうこんな所まで来ているかという、あっという間の感じでした。 

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窓の外は青い空と雲海でした。

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09:28 朝食が出ました。着陸まであまり時間がありませんし、帰宅してから美味しいお酒を飲みたいと思いましたのでアルコールはパスしました。 

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10:46 ちょっと遅れているようでした。日本列島上空を高度を下げていると、曇り空になりました。スペインにいた一週間はほとんど快晴状態でしたが、日本では梅雨のような気候だったとか。 

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11:17 予定より1時間近く遅れたようですが、この時間帯ですとその遅れはあまり気になりませんでした。結局12時間くらいのフライトでしたが、あまり疲れも感じず快適な空旅でした。 

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羽田空港からはリムジンバスに乗って横浜まで出ました。

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ベイブリッジを渡り、みなとみらい地区のランドマークタワーを目にすると、非日常生活から日常生活へと引き戻されるのでした。 

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途中、デパ地下で鮨ネタを買って、夕食は恒例の鮨でした。自分で握る不揃いの鮨です。この時のために機内での朝食とアルコールは控えめにしました。 

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スペイン土産に買った何種類かの生ハム、羽田空港で警察犬(麻薬犬でした)にも引っかからずに持ち帰ることができました。

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帰国した翌日は、早速スペイン直送の生ハムを食べてみました。とても美味しかったのでした。

今回のツアーは、観光旅行でありとても楽なものでした。その分物足りなさはあるものの、スペインが世界に誇るスポットを見ることができ、やはり一度は目にしてみたいと思っていたサグラダ・ファミリアなどは行っておいてよかったと思いました。残念だったのが、ピカソの生の絵を見ることができなかったこと、地中海の海の幸をもう少し味わいたかったこと、生ハムをもう少し多めに持ち帰ればよかったことなどありますが、素晴らしい飲み友とご一緒させていただき、それだけでも楽しい旅となりました。

スペインという国の成り立ちや歴史、南部と北部の違い、食べ物、感じたことはたくさんあるのですが、それはまたいずれかの機会に整理して記したいと思っています。

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2026年9月20日 (日)

旅の記憶 スペイン紀行 ミュンヘンへ

2016年9/15(水) ツアー7日目、帰国の途につく日となりました。先ずは、バルセロナから往路と同じ中継地のミュンヘンへと向かいました。 

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06:08 私たちをバルセロナ空港へと運んでくれるバスは夜明け前の暗い中、ホテル前で既に待機していました。 

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酒飲み4人組に加わっていただいたYさん。お母様と息子さんが共に酒豪で、楽しい飲み友になっていただきました。今まで何回か出かけたツアーで大抵一人くらいは飲み友ができるのですが、今回は4人となり、同じテーブルに着くことも多く、心置きなく遠慮することなくお酒を飲むことができ、感謝しています。二人で、 “折角ヒルトンに泊まっているのに滞在時間が短くて残念ですね” とぼやき合いました。 

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前夜は、サグラダ・ファミリアの夜間鑑賞に出かけ、出発の荷造りにも時間がかかり、多分睡眠時間は短かったと思うのですが、全員元気でロビーに集合しました。さすがに、この日は恒例になった早朝体操がなく、ちょっと物足りなくもありました。

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06:44 バルセロナの国際空港もまだ夜明け前でした。 

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バルセロナの空港は初めてですが、とても大きいという印象でした。

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搭乗手続きの間にすっかり夜が明け、気持ちのいい青空が広がっていました。スペインの青空の見納めでした。

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予定では09:10発のフライトだったのですが、1時間遅れとなりました。ミュンヘンでのトランジット時間は5時間近くでしたので慌てませんでした。昨年マチュピチュに行った帰り、ペルー・リマからの飛行機の出発が遅れてトランジットに間に合わずに、ロスで一泊したことを思い出しましたが、今回は時間はたっぷりとありました。

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ミュンヘンまではN氏と一緒に搭乗手続きしましたので、隣り合わせのシートになりました。ミュンヘンから羽田までのシートはツアー会社が既にシートを決めていました。 

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出発の遅れは1時間、乗ってしまえばもう後は運任せ、いや飛行機会社任せでした。 

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機体は、轟音の後フワリと浮き上がったような気がしましたが、うかつにも離陸の瞬間寝てしまい、気がついたら空の上で、眼下の地中海は真っ青でした。

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10:54 遅めの朝食が出ました。サンドイッチですが、赤ワイン付きで、隣のN使と共に朝からご機嫌でした。これだから旅は止められません。 

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いつの間にか、機体はヨーロッパの山脈の上を飛んでいました。山岳地帯の上空を飛ぶことはとても気分のいいものです。

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12:25 無事にミュンヘンに着きました。ミュンヘン発の羽田行きのフライトは16:00でしたので、まだまだ時間はたっぷりあり、余裕でした。 

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ミュンヘンで出国手続きを行いました。無事にパスして、撥ねるように出てきたHitomiさん。相変わらず元気でした。 

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次のフライトは16:00で、食事は離陸後2時間くらいですから夕食は18:00頃なるという計算でした。軽く食べておこうと物色しました。どれもこれも美味しそうだったのですが。

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ワインバーもありました。

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結局飲み友が集まって、やはりビールとソーセージということになりました。 

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15:54 搭乗の時間となり、随分たくさんの人が集まってきました。

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今回は飛行機は全てルフトハンザでした。

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機体は無事に離陸して、羽田まで11時間35分のフライトが始まりました。

サグラダ・ファミリア観光の朝、ドライバーさんが緊急入院というトラブルに見舞われましたが、それはそれで楽しい思い出ができ、無事観光もすることができました。入院したドライバーさんは無事に退院したという連絡がありました。たくさんの楽しい思い出と共に、スペインとミュンヘンを後にしました。

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2026年9月17日 (木)

旅の記憶 スペイン紀行 最後の晩餐

2016年9/14(水) グエル観光とサグラダ・ファミリア観光でガウディワールドにどっぷりと浸かった後、ツアー最後の夕食となりました。

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この日グエル公園とサグラダ・ファミリアを案内してくれた現地ガイドのカルロスさんとは夕食会場に向かう前にお別れしました。日本語ペラペラの陽気なガイドさんでした。 

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19:16 夕食の会場となるレストラン街に着きました。もう十分夕方ですが空は明るく、地元の人にとっては夕食時間にはまだ早く、私たち以外にはあまり人影は見られませんでした。 

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目の前は地中海で、ここは海辺のレストラン、スペインに来る前に思い描いていた場所でしたので期待で胸が膨らみました。 

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目指すレストランに行く途中、道の両側には魚介類が並べられていて、益々期待は高まったのですが。

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飲み友のN氏、Y母子さんと私の酒飲み4人組は同じテーブルについて早速ビールで乾杯しました。旅の楽しみの半分は旨い酒を飲んだり、美味しいものを食べたりすることですが、N氏とは羽田からのフライトで隣同士という縁もあり、楽しい飲み友になっていただきました。感謝です。

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前菜はサラダとアンチョビが入っていて、まあまあでした。 

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メイン料理はタパス料理(小皿料理)で何種類か出てきたのですが、中味がよくわからない、味もはっきりしない揚げ物で、ちょっと期待外れでした。 

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この日は、ドライバーさんの急病で出発が遅れましたので、そのお詫びとして20ユーロいただいた上にワンドリンクサービスがありましたので、ビールの後は白ワインを何杯も飲んでしまいました。

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私たちのテーブルを担当していたらしいフロアーマネージャらしい恰幅のいいおじさんは、最初は私たちが気前よくお酒のオーダーをしましたのでニコニコしていたのですが、あまりにも頻繁にオーダーしましたのでいい加減ウンザリしてきたようでした。 

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店先に並んでいた色とりどりの美味しそうな魚介類はどこへ行ったの? と思っていましたら、ようやくムール貝が出てきました。

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残ったのは、酒飲み4人組が飲んだワイングラス。各自清算にちょっと手間取りました。 

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食事を終えるとすっかり夜となり、あちこちに明かりが灯り、地元の人たちにとってはこれからが楽しい夕食になるようでした。 

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レストランからバスでホテルに戻った時、大雨と強風で大変な思いをしました。 

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ビッショリとなりながらロビーに集結しました。この日の宿は楽しみにしていたヒルトンホテルだったのですが。 

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ホテルに荷物を運び込んで一休みした後、サグラダ・ファミリアの夜景を見に出かけました。途中までバスに乗り、その後は歩きました。幸い雨は上がりました。

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ライトアップされたサグラダ・ファミリアは、夜空に浮かんでいるようでした。ちょっと白ワインを飲み過ぎて頭がも目もフラフラしていましたので、幻想的に見えました。

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サグラダ・ファミリアの夜景を見た後、夜のバルセロナ市内の目抜き通りを夜間散歩気分でブラブラと歩きました。バールが開いていて、私たちには眠りにつく時間(22:35)ですが、夜は長いまだまだこれからという雰囲気でした。

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途中、スーパーマーケットも開いていて、皆さんそれぞれ水やツマミなどちょっとした物を買っていました。 

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この日の宿ヒルトンは、ツアーで一番贅沢なホテルだったのですが、残念ながら滞在時間が一番短かったような気がしました。 

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室内も広く、ゆったりとしていたのですが、翌日は05:00起床、06:10出発でしたし、飛行場へ向かって帰国の途につきますので、荷造りもあり、ゆっくりとバスタブに浸かったりベッドで手足を伸ばしてという時間はあまりなく、寝た気がしませんでした。 

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スペイン最後の夜景でした。

この日は、グエル公園とサグラダ・ファミリアの観光で満足したのですが、最後の地中海に面した海辺のレストランの夕食はちょっとガッカリでした。自腹を切ってでもシーフードをもっと食べたかったのですが、その分ワインを飲んだからいいかなあとも思いましたが、やはり残念。食い物の恨みは何とかです。 

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2026年9月14日 (月)

旅の記憶 スペイン紀行 サグラダ・ファミリア

2016年9/14(水) マドリッド市内のグエル観光の後、スペイン観光のハイライト、サグラダ・ファミリアに向かいました。 

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サグラダ・ファミリア周辺は観光バスなどの駐車は禁止されているようで、私たちはバスを降りて歩きました。サグラダ・ファミリアは日本語に訳すと「聖家族贖罪教会」という意味になります。ガウディの建設群として2005年にユネスコ世界遺産に登録されました。 

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サグラダ・ファミリアは一際高い建物ですのでどこからでも見ることができました。サグラダ・ファミリアを建設した建築家のアントニ・ガウディは、バルセロナを中心に開花した19世紀末の芸術運動に活躍した人です。

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ここが、全景を眺めることができ、写真スポットとのこと。サグラダ・ファミリアは、1882年に着工され、以来130年が経過しても工事が続けられています。 

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4本の尖塔は、よじれながら天を目指す糸杉のようでもありました。

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遠くからは背の高い建物だなあと思ったのですが、近づけば近づくほど巨大になってきて、人間がとても小さく見えました。波打つような壁面や溶け落ちたような装飾は、ガウディという人の芸術的天才性が感じられるのですが、何と表現していいかわかりません。ガウディは “私は創るのではなく(自然を)写している” と行っているのですが、それにしてもガウディの頭の中は我々凡人には計り知ることはできません。 

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入場すると、誰もが上を見て、口を開けてしばらくは放心状態になり、やがて写真を構えるのですが、どこに焦点を合わせていいかわからないという動作を繰り返していました。 

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ガウディが19世紀末に活躍したモデルニスモという芸術活動は、有機的な曲線と華やかな装飾が特徴といわれています。中でもガウディの自然をモチーフにした奇抜なデザインは当時から注目されていました。 

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建物のどこに焦点を当てても何かしら意味のある、デザインやストーリーが刻まれていました。その造形のどれ一つとっても完成するのにどのくらい時間がかかったのだろうと思うと呆然としてしまうのです。

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入口には2匹の亀がいます。亀の甲羅の半球的形態は宇宙を表していて、サグラダ・ファミリア聖堂はその宇宙の上に聳え立っていて、“サグラダ・ファミリアを亀のようにゆっくりと、休まずに造り続けて行こう!” というガウディのメッセージが込められているそうです。

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入口の上にもいくつかのストーリーが語られていて、そのストーリーを想像するといくら時間があっても足りませんでした。ましてやそのストーリーが完成される歳月はどのくらいの時間がかかるのでしょうか。 

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様々なデザインやストーリーが刻まれている外壁を見ているだけでもかなりの時間がかかりました。しばらくしてふと気がついたように思い直して聖堂に入って行きました。 

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ガウディがこの教会の建築を任されたのは1883年からで、まだ無名の31歳の時でした。以来1926年に73歳で亡くなるまでライフワークとしてサグラダ・ファミリアの設計・建築に取り組んだそうです。ガウディは詳細な設計図を残さないで、大型模型や、紐と錘を用いた実験道具を使って、構造を検討したとされています。 

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1本の柱は上に伸びるにつれてより細い何本かの柱に分岐しています。ちょうど大木が育つにつれて何本かの枝に枝分かれるようになっていて、森をイメージしたともいわれています。 

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このステンドグラスに夕陽が射すと、見事に輝くということで楽しみにしていて、時間(17:23)はちょうどよかったのですが、生憎と夕陽は当たりませんでした。聖堂内は2010年に完成し、ステンドグラスはカタルーニャ出身の芸術家ジョアン・ヴィラ・グラウによるものだそうです。 

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ミサが行われるような檀と椅子がありました。ここに座って天井を眺め、ガウディのことや2026年に完成予定といわれていることなどいろいろ考えたのですが、気が遠くなるくらい果てしないことのように思われました。ガウディの亡骸は地下礼拝堂に埋葬されています。

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(インターネットより転載) 9代目設計責任者(ジョルディ・ファウリ)は、ガウディ没後100年にあたる2026年に完成予定と発表しました。インターネット上では2026年に完成するといわれている完成図を見ることができるのですが、工事中の実物を目にすると本当に今から10年で完成するのかなと思いました。 

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サグラダ・ファミリアの扉には聖書の一節が様々な言語で書かれていて、日本語の文字もあります。これは、ひょんな経緯でサグラダ・ファミリアの彫刻家であるブルーノという人から日本人の漫画家井上雄彦氏に依頼されたものとか。 

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再び外に出て見上げると、外壁のデザインは一つとして直線的なものはなく複雑です。ガウディは今から90年前の1926年に亡くなっていますので、存命中にこういう部分を仕上げていたのか、もし後世に受け継がれたといますと、ガウディは仔細な設計図を残していないわけですから、ガウディの意志を受け継ぐのは大変なことに思えます。

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観光客は続々と増えていました。 

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改めて見上げると、大きなクレーンが2本、細く頼りなげに見えました。サグラダ・ファミリアは、最初は全て個人の寄付に頼って建設される贖罪教会として計画されたために、財政的事情によって別々の箇所を同時に建設されることはできなかったのですが、1990年代以降は訪問者が増え、作品の評価が高まり財政状況が好転したために工事は捗ったということですが、果たして10年後に完成するのでしょうか。専門家は、技術革新によって予定通り完成するだろうといっています。 

昨年マチュピチュに行ったのですが、マチュピチュはTVや雑誌などで何回も目にしていて、新鮮みが感じられずあまり乗り気ではなかったのでした。しかし、やはり一度は実際に見てみたいと思い出かけました。行ってみて感じたことは現場で感じる臨場感や空気はそこに行かなければわからないということでした。サグラダ・ファミリアも全く同じでした。行かなければ感じられないことがたくさんありました。外壁の一つ一つの肉感や重量感は実物を見なければ感じることができないものでした。 

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