2026年9月 8日 (火)

旅の記憶 スペイン紀行 バルセロナへ

2016年9/14(水) バルセロナへと向けて予定より1時間半遅れて出発しました。途中、レストランでの昼食をバス車内持ち込みに切り替えて、先を急ぎました。 

00map3_20260908070901

ツアー6日目、ツアーの最終目的地バルセロナへと向かいました。マドリッドから南下し、アンダルシア地方のマラガから折り返して再び北上し、総走行距離は2,000km、青森~鹿児島間の距離を移動しました。 

01dsc07653

長距離移動の日々で高速道路も随分走りましたが、バイクを見たのは初めてでした。ヨーロッパ大陸は地続きですのでもう少しバイクが多いのかなあと思っていましたので意外でした。 

02dsc07664

道路標識にバルセロナの文字が出てきました。私たちは、何はともあれグエル公園とサグラダ・ファミリアの予約時間に間に合うかどうかが気になっていました。 

03dsc07681

幸い、高速はガラガラでしたので、ドライバーさんもリラックスして程々のスピードで走っていました。 

05dsc07691

遠くに尾根がのこぎりの刃のようにギザギザなっている山が見えました。「モンセラット」という山で、「のこぎり山」と呼ばれる奇岩群の山だそうです。ガウディがサグラダ・ファミリアを造るときにヒントを得たといわれています。 

Montserratmonastery01

(インターネットより転載) ガウディがヒントを得たということもわかりますし、ここには修道院があり「黒いマリア像」が有名な所だそうです。 

06dsc07694

高速道路の料金所に来ました。料金を支払うシステムは、ドライバーさんがチケット(多分クレジットカード)を無人の機械に挿入すると自動的に徴収されるようでした。 

07dsc07696

ところが、何が悪いのか何回トライしても信号は赤のままで、仕方なく一度バックして隣のブースで試したのですがやはりダメで、結局係員を呼び出すということになり、私たちはその間、予約時間に間に合うかどうかが心配でハラハラしていました。 

08dsc07699

ようやく料金所を無事に通過してバルセロナ市内に入りました。 

11dsc07710

12dsc07716

13dsc07717

バルセロナは、首都マドリッドに次いで2番目に大きな都市です。人口は160万人(2014年)で、1992年に第25回夏季オリンピックが開催されました。当時中学二年生(14歳)の岩崎恭子さんが史上最年少で200m平泳ぎで金メダルを獲得し、スペイン人だけではなく世界中をビックリさせ「今まで生きてきた中で、一番幸せです」という名台詞をはいたのはバルセロナオリンピックでした。 

16dsc07729

17dsc07730

18dsc07731

市内の目抜き通りに入ると不思議なビルが見えました。地震で歪んでしまったのかと思えるような構造ですが、ガウディが手がけたカサ・パトリョなどで、いきなりガウディの世界、アートの世界に入り込んだような気になりました。

19dsc07736

他の都市でも見かけた大きなゴミ箱。小型自動車くらいの大きさのゴミ箱があちこちにあり、バルセロナでも環境の美化に力を入れているそうです。 

20dsc07737

15:39 最初に見学予定の「グエル公園」の駐車場に着きました。何時に予約したのかはわかりませんが、とにかく間に合いました。それにしても、駐車場一つにしても楽しくなるアートにしてしまう心意気が感じられました。

マドリッドからハラハラした5時間でしたが、滑り込みセーフでした。その間、逆に盛り上がったりもしました。そしてバルセロナ市内に入って見た不思議なビル、人が住んでいるということで再びビックリしました。「グエル公園」と「サグラダ・ファミリア」観光への期待が膨らみました。 

| | コメント (0)

2026年9月 5日 (土)

旅の記憶 スペイン紀行 トラブル

2016年9/14(水) バレンシアで一泊し、いよいよスペイン観光の最大の目玉、バルセロナのサグラダ・ファミリア観光に出かけることになったのですが。ドライバーさんの緊急入院という異常事態が発生してしまい、私たちは立ち往生してしまいました。

00map4_20260905072301

ツアー6日目、バレンシアからバルセロナまでの移動時間は5時間。 

01dsc07570

バレンシアで宿泊したホテルは、ローカルな場所にあるごく普通のビジネスホテルでした。 

02dsc07565

宿泊したホテルもベッドは一つで、これもごく普通。

03dsc07569

ホテルはバレンシア市内からかなり離れた郊外にあり、すぐ近くには日本と同じように郊外型のショッピングモールがありました。 

05dsc07561

バルセロナまでは5時間の移動ですので、朝食はカロリーの高そうなものをしっかりととりました。

06dsc07576

出発時間となって、バルセロナ観光に期待に胸を躍らせ、全員元気で張り切ってロビーに集結したのですが。ドライバーさんが緊急入院したとのことでビックリしました。 

Photo_20260905072601

9/11に撮影) ずーっと一人で運転して頑張ってくれたドライバーさんですが、長距離移動の日々で疲れたのでしょうか。 

07dsc07577

最大の問題は、バルセロナでのグエル公園とサグラダ・ファミリア観光は、予約制で予約時間に1秒でも遅れたら入園できないということでした。宿泊したホテルは郊外で、鉄道や飛行機を利用しようにも最寄り駅やターミナルへ24人が移動することができず立ち往生ということになりました。焦っても仕方がないと、ロビーでN氏と酒盛りということになりました。 

08dsc07579

結局、別のバス会社に手配がついて1時間半遅れの出発となりました。

09dsc07599

予約時間に間に合わないとグエル公園もサグラダ・ファミリアも入場できませんし、予定より1時間半遅れの出発でしたので、高速ではガンガン飛ばしてもいいよ! と祈るような気持ちでした。 

10dsc07603

11dsc07615

12dsc07617

5時間の長時間移動でしたので景色はいろいろ変わってゆくのですが、気もそぞろでした。 

14dsc07634

出発が遅れましたので昼食をレストランでとることを諦め、その代わりツアー会社からお詫び代として20ユーロ(2,500円くらい)支給されました。ドライブインで好きなものを買うことになりました。 

15dsc07636

16dsc07637

17dsc07638

18dsc07635

メニューがいろいろあり、何にするかかなり迷いました。

19dsc07639

飲み友のN氏と私は生ハムサンドとソーセージ(二人でシェア)にしました。

20dsc07642

それぞれ食材を仕入れてバスに戻ってみれば新しいドライバーさんはまだ現れず、私たちはバスの日陰で行儀よく並んで待っていました。修学旅行のような気分でした。レストランでお仕着せのメニューを食べるよりも好みのものを選べた方が良かったと、全員嬉しそうでした。 

21dsc07644

ドライバーさんがバスに戻り、私たちは車内昼食となりました。N氏はVIPシート(テーブル付き)に座っていましたので、二人で酒盛りをということになりました。

一時はどうなることかと思いましたが、全員で鉄道にとか飛行機とかいろいろ考えている間に別のバス会社が手配できました。トラブルのおかげでツアー仲間の団結力がさらに強まり、20ユーロ貰えましたし、さらにオマケが付いて、今晩の夕食にはワンドリンク無料というオマケが付きました。災い転じて福となりました。

| | コメント (0)

2026年9月 2日 (水)

旅の記憶 スペイン紀行 バレンシア・パエリア

2016年9/13(火) アルハンブラ宮殿を観光した後、バスでバレンシアへと向かいました。 

00map3_20260902072001

グラナダからバレンシアへは、地中海を右手に見て北上するルートでした。 

02dsc07398_20260902072001

アルハンブラ宮殿近くのホテルからバスにより、高速を走りました。

03dsc07371

グラナダを出発して、道々見えた街並みの上空には秋を思わせるような筋雲が流れていましたが、気温は30度以上でまだまだ暑い気候が続いていました。 

04dsc07411

大まかなルートは地中海と並行しているのですが、乾燥した丘陵地帯も走りました。 

05dsc07419

14:00過ぎに昼食となりました。メインはローストチキンでこれがとても美味しく、ツアーで食べた食事では一番美味しかったのでした。 

06dsc07420

飲み友4人組は同じテーブルに着くようになり、次第に酒量が増えました。ワインやビールの瓶がボーリングのピンのようになりました。 

07dsc07423

食事をしたドライブインのメニューを見ると、美味しかったローストチキンが5.8ユーロ(600700円くらい)でしたので安く感じました。 

08dsc07428

必ず目にする生ハムのブロック(プロシュート)を見る度に買って帰りたかったのですが、必ず羽田でストップがかかると思われ諦めました。 

09dsc07433

食事をしたドライブインから見たルービックキューブのような建物はホテル。色彩感覚豊かなこの国ならではです。

10dsc07493

時々、地中海が見えました。そして海に面してリゾートマンションなどが建ち並んでいました。

11dsc07523

バレンシア市内に入ると一気に大都会の景色になりました。 

12dsc07532

13dsc07535

バレンシアは、バレンシア州の州都で港湾都市です。人口は80万人で、マドリードとバルセロナに次いで3番目に大きな市です。

14dsc07545

19:20 レストランに到着しました。ガラス張りとなっている厨房を覗くと大きな鍋にパエリアが美味しそうに湯気を立てていました。パエリアは、米どころとして知られるバレンシア地方発祥の食べ物で、「パエリア」という言葉はバレンシア語で「フライパン」を意味するそうです。 

15dsc07547_20260902072701

前菜は普通のサラダでしたが、これがきちんと美味しかったです。

16dsc07549

ここでも飲み友4人組は同じテーブルにつきました。 

17dsc07552

私たちツアー仲間分のパエリアができあがりました。これで何人分あるでしょうか。

18dsc07553

自分の分は自分で大鍋から取り分けるのかと思っていましたら、店のスタッフが盛りつけてくれました。味は美味しく満足しました。

19dsc07554

私たちが食事をしている間、豪雨と雷にビックリしましたが、食事が終わる頃雨は止んでいました。表に出ると、落雷か強風か太い木の枝が折れていました。

20dsc07559

21:57 食後ホテルに戻った後、すぐ近くのスーパーに最後の買い物に行きました。

21dsc07558

やはり生ハムコーナーが人気で、私も生ハムを追加購入しました。

22dsc07560

最後の買い物の最後のレジは、余った現地通貨ユーロで支払い、不足分をカードで決済するとか、皆さんそれぞれ工夫していました。

初めて食べた本場パエリアは、サフランがたくさん使われているようでさすが本場と思いました。パエリアは日本のレストランで食べることもあり、また自分で作ることある食べ物ですが、スペインでも美味しく、日本でも美味しく、お米の味はあまり違いはありませんでした。要は、具にどれほどお金をかけるかによるという当たり前のことがわかりました。

 

 

| | コメント (0)

2026年8月30日 (日)

旅の記憶 スペイン紀行 アルハンブラ宮殿

2016年9/13(火) スペイン観光の目玉の一つ、アルハンブラ宮殿へと行きました。 

01dsc07243

前夜一緒にフラメンコショーを見に行った5人組張り切りレディのリーダーYumikoさんのリードで、朝食前、出発前の早朝体操で身体をほぐしました。前夜就寝は遅くなったと思うのですが、相変わらず元気でした。

02dsc07255

宿泊したホテルはアルハンブラ宮殿のすぐ傍でしたので、比較的ゆっくりとホテルを出発しました。ホテル街の緩やかな坂を下ったところがアルハンブラ宮殿です。 

03dsc07254

アルハンブラ宮殿の入口です。 

04dsc07273

この日も朝から青空が広がり、強烈な太陽が顔を出していました。 

05dsc07278

最初に向かったのはアルハンブラ宮殿に隣接している「ヘネラリーフェ庭園」でした。1931年頃から整備が始まって1951年に完了したという庭園はよく整備されていて、濃厚な緑の樹木がとても気持ちよかったです。 

06dsc07297

緑だけではなく、花の色も鮮やかで、スペインで初めて名にした花々でした。 

07dsc07300_20260830070501

庭園の中には別荘があり、別荘内の中には細長い池を囲むように花壇、噴水、柱廊が設けられていました。この中庭は、アンダルシア地方におけるイスラム建築において、最も保存状態が良いものの一つとのこと。 

08dsc07314

「ヘネラリーフェ庭園」を出てくるとアルハンブラ宮殿の鐘楼が見えました。 

11dsc07305

アルハンブラ宮殿は、イスラム王によって建築(1238年着工、1391年完成)され、250年間のイスラム政権によって改築、増築されました。その後15世紀にキリスト教連合軍がグラナダを奪還した後、16世紀にキリスト教徒によって建築された宮殿です。 

09dsc07324

アルハンブラ宮殿の中に「カルロス5世宮」があり、その内側は円形の石畳の中庭になっていました。 

10dsc07316

アルハンブラ宮殿内には、国営のホテルがあり、フランシスコ修道院を改造した人気のホテルだそうですが、豪華ホテル並みの料金だそうです。

12dsc07360

アルハンブラ宮殿は、アルハンブラ教会やカルロス5世宮などたくさんの建物があります。教会はモスクのあった所に建てられたものです。

13dsc07319

アルハンブラ宮殿は、イスラム政権からキリスト教政権へと政権の交代が行われたという運命をもっていて、その間流血があったりもしました。砂漠に住むイスラムの人々は、昔から過酷な環境を壁で遮断してその内側に楽園を造ったともいわれています。 

14dsc07327

人気の観光スポットですので、入場は厳しく、3ヵ所でのチケットのチェックがありました。

17dsc07340

「アラヤネスの中庭」は、南北35m、東西7mの長方形の池。背景の塔は「コマレスの塔」。 

15dsc07335

18dsc07344

19dsc07345

20dsc07347

21dsc07348

滅びゆく王国が造ったイスラム建築の最高峰ともいわれています。キリスト教に政権が移ってから、キリスト教様式のデザインが加えられ、独特の雰囲気を醸し出しています。イスラム教徒を異端視しつつも、中世のヨーロッパはイスラムから医学、数学、化学など多くの知識を学び、建築もその一つといわれています。 

22dsc07353

宮殿から見た街並みは、中世の城下町のようでした。アルハンブラ宮殿が辿ってきた運命に思いを馳せると、ギター独奏曲の名曲「アルハンブラ宮殿の思い出」が聞こえてくるようでした。

 アルハンブラ宮殿は、例えばベルサイユ宮殿に比べればその規模は遙かに小さく、ポタラ宮に比べれば華やかさは足下にも及ばないのですが、イスラム教様式とキリスト教様式の融合と悲しい歴史とが相まって「アルハンブラ宮殿の思い出」は生まれたのでしょうか。

 

| | コメント (0)

2026年8月27日 (木)

旅の記憶 スペイン紀行 フラメンコ

2016年9/12(月) ミハスからグラナダに到着し、ホテルに落ち着いて夕食後オプションのフラメンコを見に出かけました。 

01dsc07066

ホテルのロビーに21:00に集合し、車に乗って別のホテルの入口に到着しました。そこから日の暮れた夜道を歩き始めました。 

02dsc07068

さすがに夜の9時を過ぎると辺りは暗く、旧市街のような細い路地を歩きました。フラメンコ鑑賞はオプションで、私を含めて7人くらいが参加しました。

03dsc07073

しばらく歩くと、公園のような広場に出てそこでは多くの人たちが夕涼みしながら食事をしたりお酒を飲んだりしていました。 

04dsc07076

広場のような所を通り過ぎると、ボーッとライトアップされた建物が闇の中に浮かんでいました。アルハンブラ宮殿の夜景でした。とても得したような気分になりました。 

05dsc07074

さらに歩いて行くと建物が建ち並ぶ角地を取り囲むようにして人だかりがしていました。フラメンコの路上ライブでした。 

06dsc07084

07dsc07098

08dsc07099

ギターの音と手拍子と歌声に合わせて、情熱的な踊りが展開されていました。初めての本場のフラメンコでした。激しい女性の動きと激しく地面を叩きつけるステップ、哀切のあるギターの音色が夕闇に響いていました。ジプシーという言葉が浮かんできて、これほど相応しいシーンはないかもしれないと思ったりもしました。 

10dsc07120

フラメンコショーの開始時間は22:00からでしたのであまりゆっくりと道草を食っているわけにはいきませんので、現地ガイドと添乗員さんの後について歩いて行きました。この道の先には何があるのだろうとワクワクするような路地でした。 

11dsc07124

21:50 会場に着きました。ショーの開始10分前でした。 

12dsc07127

会場の片隅にバーがありました。ワンドリンク付きということでしたのでシャンパンをオーダーしました。今年2月にパタゴニアに行ったとき、アルゼンチンで見たタンゴショーの時はワンドリンク付きでしたが、実際には飲み放題でした。ここではキッチリとワンドリンクでした。

13dsc07128

舞台は、洞窟のようなトンネルのような先にありました。紫がかったライトの先にあり、別の世界への入口のような、アラビアンナイトのような妖しいムードでした。 

23dsc07239

このオプショナルツアーには、5人組張り切りレディのうち、リーダーのYumikoさんともう一人が参加していました。 

14dsc07135

ショーが始まり、舞台にフルメンバーが揃いました。

15dsc07143

16dsc07154

ギターと手拍子に合わせて歌と踊りが始まりました。こちらを睨みすえるような挑戦するような厳しい表情が印象的でした。ジプシーが辿ってきた厳しい道のりを表現しているようでもありました。 

18dsc07194

17dsc07190

フラメンコはスペイン南部のアンダルシア地方に伝わる芸能で、歌、踊り、ギターの伴奏が一体になっています。フラメンコの歴史と発展にはヒターノ(スペインジプシー)が重要な役割を果たしています。

19dsc07197

歌は歌、踊りは踊り、ギターはギター、それぞれが独立したものでもあるとのことで、ギターのソロもありました。

20dsc07210

フラメンコは18世紀頃発生したものといわれていますが、不明な点も多いといわれています。それはおそらく、社会の底辺で流れてきたヒターノ(スペインジプシー)の歴史的背景によるものとも思われ、目の前で展開されている激しい踊りを見ていると、悲しく響いてくるものがありました。 

21dsc07230

男性も踊るとは思いませんでした。激しく舞台を踏みならすタップダンスが主体の踊りで、その音の大きさは怒りを発散させているようでもありました。 

22dsc07238

23:09 1時間あまりのショーが終わりました。シンプルだったのですが、激しく響くものがあり、また何故だか悲しく切ないものでもありました。

24dsc07240

ショーの会場を出て、誰も歩いていない夜道を歩いて戻りました。衝撃的なショーの後、とても不思議な感覚にとらわれる石造りの道を歩いていると、夢の中を歩いているような気持ちになりました。

トルコやモロッコでのベリーダンス、アルゼンチンでのタンゴ、スペインでのフラメンコ、それぞれ比較しようのないものですが、フラメンコには土や汗のにおいがするようでした。舞台で展開される踊りや歌よりも、歴史や演じている踊り手やギタリストの人生を考えてしまいました。

| | コメント (0)

旅の記憶 スペイン紀行 フラメンコ

2016年9/12(月) ミハスからグラナダに到着し、ホテルに落ち着いて夕食後オプションのフラメンコを見に出かけました。 

01dsc07066

ホテルのロビーに21:00に集合し、車に乗って別のホテルの入口に到着しました。そこから日の暮れた夜道を歩き始めました。 

02dsc07068

さすがに夜の9時を過ぎると辺りは暗く、旧市街のような細い路地を歩きました。フラメンコ鑑賞はオプションで、私を含めて7人くらいが参加しました。

03dsc07073

しばらく歩くと、公園のような広場に出てそこでは多くの人たちが夕涼みしながら食事をしたりお酒を飲んだりしていました。 

04dsc07076

広場のような所を通り過ぎると、ボーッとライトアップされた建物が闇の中に浮かんでいました。アルハンブラ宮殿の夜景でした。とても得したような気分になりました。 

05dsc07074

さらに歩いて行くと建物が建ち並ぶ角地を取り囲むようにして人だかりがしていました。フラメンコの路上ライブでした。 

06dsc07084

07dsc07098

08dsc07099

ギターの音と手拍子と歌声に合わせて、情熱的な踊りが展開されていました。初めての本場のフラメンコでした。激しい女性の動きと激しく地面を叩きつけるステップ、哀切のあるギターの音色が夕闇に響いていました。ジプシーという言葉が浮かんできて、これほど相応しいシーンはないかもしれないと思ったりもしました。 

10dsc07120

フラメンコショーの開始時間は22:00からでしたのであまりゆっくりと道草を食っているわけにはいきませんので、現地ガイドと添乗員さんの後について歩いて行きました。この道の先には何があるのだろうとワクワクするような路地でした。 

11dsc07124

21:50 会場に着きました。ショーの開始10分前でした。 

12dsc07127

会場の片隅にバーがありました。ワンドリンク付きということでしたのでシャンパンをオーダーしました。今年2月にパタゴニアに行ったとき、アルゼンチンで見たタンゴショーの時はワンドリンク付きでしたが、実際には飲み放題でした。ここではキッチリとワンドリンクでした。

13dsc07128

舞台は、洞窟のようなトンネルのような先にありました。紫がかったライトの先にあり、別の世界への入口のような、アラビアンナイトのような妖しいムードでした。 

23dsc07239

このオプショナルツアーには、5人組張り切りレディのうち、リーダーのYumikoさんともう一人が参加していました。 

14dsc07135

ショーが始まり、舞台にフルメンバーが揃いました。

15dsc07143

16dsc07154

ギターと手拍子に合わせて歌と踊りが始まりました。こちらを睨みすえるような挑戦するような厳しい表情が印象的でした。ジプシーが辿ってきた厳しい道のりを表現しているようでもありました。 

18dsc07194

17dsc07190

フラメンコはスペイン南部のアンダルシア地方に伝わる芸能で、歌、踊り、ギターの伴奏が一体になっています。フラメンコの歴史と発展にはヒターノ(スペインジプシー)が重要な役割を果たしています。

19dsc07197

歌は歌、踊りは踊り、ギターはギター、それぞれが独立したものでもあるとのことで、ギターのソロもありました。

20dsc07210

フラメンコは18世紀頃発生したものといわれていますが、不明な点も多いといわれています。それはおそらく、社会の底辺で流れてきたヒターノ(スペインジプシー)の歴史的背景によるものとも思われ、目の前で展開されている激しい踊りを見ていると、悲しく響いてくるものがありました。 

21dsc07230

男性も踊るとは思いませんでした。激しく舞台を踏みならすタップダンスが主体の踊りで、その音の大きさは怒りを発散させているようでもありました。 

22dsc07238

23:09 1時間あまりのショーが終わりました。シンプルだったのですが、激しく響くものがあり、また何故だか悲しく切ないものでもありました。

24dsc07240

ショーの会場を出て、誰も歩いていない夜道を歩いて戻りました。衝撃的なショーの後、とても不思議な感覚にとらわれる石造りの道を歩いていると、夢の中を歩いているような気持ちになりました。

トルコやモロッコでのベリーダンス、アルゼンチンでのタンゴ、スペインでのフラメンコ、それぞれ比較しようのないものですが、フラメンコには土や汗のにおいがするようでした。舞台で展開される踊りや歌よりも、歴史や演じている踊り手やギタリストの人生を考えてしまいました。

| | コメント (0)

2026年8月24日 (月)

旅の記憶 スペイン紀行 グラナダへ

2016年9/12(月) ミハスでたっぷりと南スペインの太陽を浴びて優雅な時間を過ごし、この日の最終目的地グラナダを目指しました。

00map2

マラガ・ミハスからグラナダへはほぼ2時間の行程です。一部海沿いを走りその後は山間部も走るようです。

01dsc06964

16:30 まだまだ強い日射しが降り注いでいる中、白壁の街を後にしました。 

02dsc06971

山肌に、別荘マンションが並んでいました。きっと寒い冬になっても暖かい陽射しを浴びることができるのでしょう。

03dsc06986

バスの中からも地中海を眺めることができました。この地域は「コスタ・デル・ソル(太陽海岸)」と呼ばれ、スペインの観光にとって最も重要な地域といわれています。

04dsc06991

太陽海岸のエリアにはリゾート施設やマンション群が立ち並んでいました。アンダルシア観光の35%を占め、年間1,730万人の宿泊客があるそうです。 

05dsc07001

私たちのバスは、地中海沿いの道を離れて内陸部へと進みました。空は雲一つなく青く、緑もより濃く見えました。 

06dsc07007

内陸部にもいくつかの町が現れ、気候が温暖なこの地域はきっと過ごしやすいのだろうと思われました。 

07dsc07013

今まで見たこともない景色が現れました。どういう地域なのか聞きたかったのですが、添乗員さんをはじめツアー仲間たちも眠りこけていて、車内はシーンと静まりかえっていました。 

09dsc07028

山間部に入ると、町は現れるのですが、人口は少なく小さな町のようでした。 

10dsc07032

山間部をさらに進むと、なだらかな丘陵地帯に沿って家々が並んでいるのですが、今まで見たこともないような厚い雲がわいていました。この日の宿泊はアルハンブラ宮殿の近くと聞いていましたので、雨のアルハンブラ宮殿もいいかもしれないと思ったのですが。 

11dsc07037

18:48 この日宿泊するホテルに到着しました。

12dsc07040

8時にセビリアを出発して11時間後の到着でしたが、全員元気でした。 

13dsc07062

今までのホテルはコンドミニアムだったりベッドが3つもあったりでしたが、この日の部屋はとてもオーソドックスなツインでした。 

14dsc07057

この日のホテルはアルハンブラ宮殿の隣と聞いていたのですが、部屋の窓からは木立しか見えず、その先に宮殿はあるようでした。とても静かで落ち着ける場所でした。 

15dsc07053

食事時になり、何はなくてもとりあえずはビール、そして白ワイン。スペインの酒代は他のEU加盟国に比べて安く、この頃になると現地通貨(ユーロ)が余りつつありましたので、大胆にアルコールの注文をするようになりました。

16dsc07051

夕食はバイキングで、美味しいお酒が飲めればいいやと思っていましたら料理は二の次になってしまって何が何だかわからない盛りつけになってしまいました。 

17dsc07055cd

食事中に流しのお兄さん2人が歌い始めました。CDの販促活動をしていたのですが、芳しい成果は得られなかったようで、気の毒でもありましたが、あまり興味のない音楽でした。 

18dsc07059_2

食後、部屋から見たアルハンブラ宮殿の上空には青空が広がっていて、翌朝の観光は天気が良さそうでした。

この日は、夕食後に21:00からフラメンコ見物に行く予定になっていましたので、酒も食事もほどほどにしました。 

| | コメント (0)

2026年8月21日 (金)

旅の記憶 スペイン紀行 ミハス・ピカソ

2016年9/12(月) スペイン・アンダルシア地方の強い太陽を浴びながらミハスで昼食をとり、その後の自由時間を過ごしました。 

01dsc06903

ミハスは小高い山の麓に貼り付いたような街ですのでいたるところに坂道があります。その坂道に沿ってうまい具合に白い壁の家が建てられています。 

02dsc06901

MIJAS(ミハス)散策マップを片手にそれぞれ自由時間を過ごしました。 

03dsc06913

狭い立地条件の中、壁を立体的にうまく使って、花を飾って楽しく暮らそうという心意気がこちらにも伝わってくるようでした。

04dsc06914

緩やかな坂道や石段を少しずつ上ってゆくとミハスの街を上から見ることができました。

05dsc06918

5人組張り切りレディのリーダーYumikoさんと。Yumikoさんは、早朝体操のリーダーでもあり元気な人でした。 

06dsc06919

展望台から眺めると34階建てのアパート風の建物がびっしりと密集していました。当然のことですが、建物の色は統一され、看板や電線など景観を邪魔するものは一切ありません。 

07dsc06923

サンセバスチャン通りの入口には街の人たちの寄付による教会がありましたが、展望台にも教区教会(地域社会の拠点となる教会)がありました。この教会はイスラム時代の城跡に建てられたもので、ここでもキリスト教徒イスラム教のせめぎ合いがあったことがわかりました。 

08dsc06932

展望台からは見晴らしがよければ地中海やその先のアフリカ大陸(モロッコ)が見えるはずですが、残念ながら無風状態で霞がかかっていました。 

09dsc06936

展望台の近くに楕円形の、可愛いと噂の闘牛場がありました。闘牛は年中行われているわけではなく、大相撲のように全国を巡業しているそうです。 

Photo_20260821071501

(インターネットより転載) 有料で入場できるのですがパスしました。料金は日陰が高く、日陰でないところは安いそうですが、日陰はなさそうです。闘牛場が小さい分闘牛と観客席との距離は近く、闘牛は最後には殺されますので、凄い迫力でしょうし、その分残酷でもあります。添乗員さんによると、日本人女性は大抵涙を流すそうです。殺された闘牛はステーキとなり天寿?をまっとうするそうです。

10dsc06937

ピカソの通りに出ました。

11dsc06943

ピカソ美術館。ロゴマークが白壁にマッチしていました。 

13dsc06951

ピカソと並びましたら、ピカソ人形は意外に小さく可愛いものでした。

14dsc06948

ピカソはあちこちに居ました。 

15dsc06949

ピカソ美術館となっていますが、数枚のレプリカが飾られているだけで、実際にはアクセサリーなどが売られているだけでした。ピカソの生家や本物の美術館はマラガ市内にあります。 

16dsc06945

賑やかな通りだけではなく、静かな通りもあり、ノンビリとこんな道を歩くのもいいものでした。

17dsc06954

地元の押し花を使った可愛いアクセサリーが置いてあるという女性に人気のお店で、日本人スタッフが居ました。トイレを借りることもできました。 

18dsc06955

強烈な陽射しと青い空、白い壁と鮮やかな花と緑。地中海に面した都市ならではで、イタリア・ナポリのカプリ島にある街のようでした。 

19dsc06962

ここはトイレ。オシャレです。

20dsc06965

ミハスの自由観光を終え、バスに戻りました。バスのエアコンの気持ちよかったこと。

絶好の天候に恵まれたミハスは最高でした。唯一残念でしたのが、マラガにあるピカソの生家と美術館を訪れることができなかったことと、ピカソの本物の絵を見ることができなかったことでした。 

 

| | コメント (0)

2026年8月18日 (火)

旅の記憶 スペイン紀行 ミハス・白壁の家

2016年9/12(月) 午後2時近くにミハスに着きました。スペイン南部の観光の目玉ともいえるスポットです。

00map3_20260818071001

ミハスの人口は78,000人(2014年)の観光都市です。最初にわかりやすい地図を渡され、押さえた方がいいポイントには赤いマークが付けられていました。このくらいの広さであれば一人で歩いても迷う心配はなさそうでした。 

01dsc06844

ミハスは標高400m、山の裾野に沿って築かれた町です。

02dsc06848

駐車場からはエレベーターを使うかいくつかの石段を上るかして街中に入って行きました。先ずは全員で昼食のレストランへと向かいました。 

03dsc06839

ミハスには別荘代わりに住んでいるイギリス人が3割近くいるどうです。お金をたくさん落としてくれるので、ロンドン~マラガ間の航空運賃は往復1万円もしないそうです。 

04dsc06877

かつては日本人も住んでいたそうなのですが、食事が合わないとかで今はいないそうです。ここまで食べてきた食事はあまり手をかけない食材は美味しいと思ったのですが、フライや加工したものは味付けや調理がちょっと違うと思いました。それは世界中どこへ行っても同じことで、当たり前のことですが、やはりフライものが多いような気がしました。

05dsc06853

町の中心部にある小さな広場が憲法広場、道がわからなくなったらここへ戻るという目印の場所になりました。

06dsc06882

レストランへと向かう途中の街並みや辻にキョロキョロしてしまいました。白い壁には鉢植えの花が飾られていて白い壁によく映えていました。

07dsc06852

地中海に面していて、強い日射しが降り注ぐこの町は特にヨーロッパ人に人気があるそうです。陽射しを浴びながらお茶したり食事をしている光景がよく見られました。

08dsc06854

比較的広い通りもあり、車も乗り入れているようです。 

09dsc06866_20260818071001

白い町といわれるミハスは、建物の外壁は全て真っ白です。これは強い太陽の光を跳ね返すために白い壁にしたそうです。 

10dsc06874

この白く美しい教会は、町の人の寄付により17世紀に造られたものだそうです。

11dsc06889

昼食をとったレストランは、サンセバスチャン通りという小さな通りの角にあるこじんまりとした店構えでした。

12dsc06865

店内に入ると1階はタパスが美味しいといわれるバールになっていました。ここでの食事も魅力的でしたが。 

13dsc06863

私たち一行は2階のこじんまりとした部屋に通されました。私たち全員でほぼ満席になりました。 

14dsc06859

15dsc06858

生ビールをオーダーすると、どういうわけか長靴の形をしたビアジョッキーが出てきました。まあジョッキーがどうであれよく冷えたビールは旨かったです。 

16dsc06857

前菜は野菜のトマトケチャップ煮のようなものでした。

17dsc06860

メインは白身魚を揚げたものでつけ合わせのポテトが美味しかったです。

18dsc06861_20260818072201

デザートは、ヨーグルトアイス。 

19dsc06884

食後は自由行動でしたので、その前に写真を、5人組張り切りレディとHitomiさんたちと。

20dsc06893

ミハスが紹介されるときの代表的な白い壁の通り。白い壁に太陽の光が降り注いでいて、ミハス観光は強い日射しと青空の日に限ります。

スペインのアンダルシア地方の強い太陽光、白い壁の街を歩きながら、情熱の国スペインの雰囲気に浸りました。 

| | コメント (0)

2026年8月15日 (土)

旅の記憶 スペイン紀行 マラガ・ミハスへ

2016年9/12(月) セルビアのホテルを08:00に出発し、セビリア観光の後ミハスへと向かいました。 

00_20260815071301

目的地のミハスは、スペインの南端のアンダルシア地方・マラガ県にあります。 

01dsc06757

02dsc06765

03dsc06769

05dsc06774

セビリアからミハスまではほぼ3時間の行程でした。バスから眺めた光景は、どこへ行っても青空が広がっているのですが、青空の下の世界は少しずつ変わっていきました。

06dsc06786

12:11 出発してほぼ2時間、ドライバーさんの休憩とトイレ休憩を兼ねてドライブインに入りました。ドライブインは、日本のSAと同じように一定の距離間隔で設置されているようでした。

07dsc06777

ドライブインの内部は、日本でいえば規模の大きいSAと同じくらいのスペースで、かなり豪快なパンやハンバーグなどの食材が並べられていました。 

08dsc06781

どこでもオリーブオイルとパンを細かくカットしたものが置いてあって試食できました。種類によって味はかなり異なっていました。

09dsc06779

オリーブオイルと同様に生ハムも置いてありました。添乗員の橋本さんから、この生ハムもお勧めといわれましたのでお土産に買ってしまいました。日本に入国するときに羽田で警察犬がいないことを祈りつつ。 

10dsc06782

レジには、陽気なスペイン娘さんが客を捌いていました。北部に比べて南部の人の方が陽気そうに見えるのは気のせいでしょうか。

11dsc06785

買い物を済ませてバスに戻ってもドライバーさんはしっかりと休憩をとっていて、バスのドアが閉まっていることもしばしばでした。日射しは強いのですが、木陰に入るとスーッと涼しくなるのでした。

12dsc06806

マラガ県内に入ると小高い山が目立つようになりました。マラガにはマラガ山自然公園もあります。 

13dsc06811

山のなだらかな裾野に沿って白い壁の家が目立つようになりました。

14dsc06819

マラガには国際空港があり、この日も飛行機が飛び立っていました。これから向かうミハスにはイギリス人がたくさん住んでいて(ミハス人口の3割とか)、ロンドン~マラガ間の航空往復運賃が1万円もしないとか、激安です。 

15_20260815071601

(インターネットより転載) マラガには14,000人収容できるという「マラゲータ闘牛場」があります。今回闘牛は見ることができませんが、マドリッドでは若い人たちによる闘牛反対のデモが行われていました。

16_20260815071601

17_20260815071601

(インターネットより転載) 今回はマラガの観光はミハスだけで、最も残念だったのがピカソの作品を見ることができないことでした。(画像はピカソの生家の一部とピカソ美術館の内部) 

19dsc06833

バスはミハスの入口に到着しました。白い壁の家々がいきなり目に飛び込んできました。 

20dsc06838

13:39 セルビアからほぼ3時間でミハスの駐車場に着きました。ミハスは山肌にしがみつくように造られた街で、道も駐車場スペースも狭いのですが、何とか駐車することができました。 

スペイン南部のアンダルシア地方は、自分が描くスペインイメージにもっと近く、異国情緒を最も感じることができるエリアのようです。白い町ミハスがあるマラガは、スペイン第6位の都市で巨匠ピカソを輩出した地であり、フラメンコで最も重要な曲種マラゲーニヤの発祥の地でもあります。ここでの観光がミハスだけで、ピカソの生家や絵画を見ることができなかったのは残念でした。 

| | コメント (0)

«旅の記憶 スペイン紀行 セビリア散策