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2009年3月31日 (火)

中山道2日目(3/29)大宮~熊谷

中山道2日目は、大宮宿から熊谷宿を目指しました。行程は35.3kmと長距離ですので、早朝自宅を出発し、大宮まで湘南新宿ラインで移動しました。

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AM7:30に大宮を出発し、9:23に上尾宿に到着しました。天気は晴れですが、気温は10℃以下で、昨日よりも寒く感じ、向かい風も強く、歩くのにはあまりいいコンディションではありませんでした。

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上尾から桶川に向かう旧道は、日曜日の午前中のせいかひっそりとしていました。

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AM11:34、鴻巣市内に入りました。鴻巣市は人形の故郷といわれる町で、何軒かの大きなひな人形のお店が軒を連ねていました。

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「中山道間(あい)の宿」の道標がありました。この間の宿は鴻巣宿と熊谷宿の中間として発達し、大宮土木事務所が作ったものですが、中山道の道案内や方向の表示がなく、ここから先かなりわかりにくい道でした。地元の人に聞いても旧中山道について知っている人はほとんどいませんでした。

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行田駅手前の土手には、菜の花が見事に咲いていました。ここまでかなり歩きましたので、ほっとする瞬間でした。ゆっくりと花でも見てお弁当でも食べられるとよかったのですが、戻る時間も気になりますし、風も冷たく、お弁当を準備していませんでしたので、お花畑を横目にモクモクと歩くことにしました。

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行田市内をタウンウオッチングしたかったのですが、中山道は市内を通らず、熊谷宿の手前まで土手道でした。土地勘がなくわからないのですが、おそらく秩父連峰が遠くに見え、気持ちのいい道でした。しかし向かい風が強く、かなり脚にも疲労がたまって辛いテクテクでした。15:40に何とか熊谷に到着しました。帰りは行きと同じく湘南新宿ラインで戻りました。この路線が開通したことにより横浜からのアクセスは随分便利になり、利用客もかなりいました。

大宮宿~(7.9km)~上尾宿~(3.7km)~桶川宿~(7.2km)~鴻巣宿~(16.5km)~熊谷宿=35.3km

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2009年3月30日 (月)

中山道1日目(3/28)日本橋~大宮

東海道を歩いてから四国八十八カ所巡り、奥の細身を歩き、何となく中山道が頭の隅にありましたが、なかなかスタートを切ることができませんでした。いまいち燃えるものがなく、モチベーションがあがりませんでした。これは歳のせいか、情報不足のために中山道に魅力を感じないのか自問自答していました。あまりウジウジしているのもいやなのでゴールの京都まで完歩するかどうかは別にしてともかく3/28(土)、一歩踏み出してみました。

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AM7:17日本橋を出発しました。天気は晴れですが、気温は低く、冷たい北風が吹いていました。中山道は東海道と同じく日本橋を起点として京都がゴールですが、進路方向は東海道に背を向けて北上しますので、歩くたびにゴールの京都が遠くなるような錯覚を覚えました。

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東海道ですと京都まで503kmですが、中山道では526kmですのであまり違いがないことがわかりました。

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AM8:04、東大の赤門前を通過しました。今までまったく縁のなかった門です。どんな秀才がいるのかと学生の顔を見たかったのですが、春休み中の土曜日の早朝でしたのでひっそりとしていました。

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AM8:50、巣鴨のとげ抜き地蔵(高岩寺)前を通過しました。門前の巣鴨地蔵通り商店街は、かなり長い商店街でした。土曜日でしたので、どの商店も開店の準備に忙しく少しずつ活気が出てきていました。

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AM9:33、板橋宿(日本橋より10km)の仲宿商店街です。巣鴨の地蔵通りから板橋宿にかけては旧街道の雰囲気を少し味わうことができました。

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AM10:37、戸田橋(日本橋より16km)で荒川を渡って埼玉県に入りました。奥の細道で日光街道を北上した時と同じように冷たい向かい風に悩まされ、老人性鼻水と泪にも悩まされ、ティッシュを手放すことができませんでした。

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浦和駅、与野駅前を通過して、PM1:38、新都心駅に近づきました。途中カレーが食べたくなりカレー屋を探したのですがなかなか見つからず、空腹に耐えきれずに天ぷら屋で天丼を食べたのですが、慌てて食べたためすっかり胸焼けしてしまいました。

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PM1:57、大宮駅に到着しました。29.3kmを6時間40分で歩き、初日のためか張り切り過ぎてしまいました。地図で見ますと日本橋から大宮辺りまで来ますと、北上しつつも微妙に西の方角にカーブしており、京都に向かっていることがわかり少し安心しました。

日本橋~(9.8km)~板橋宿~(9.0km)~蕨宿~(5.5km)~浦和宿~(5.0km)~大宮宿=29.3km

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2009年3月20日 (金)

七面山からの富士山

奥の院からも富士山を望むことができましたが、黄砂の影響でしょうか墨絵のように霞んでいました。

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七面山からの富士山

奥の院からも富士山を望むことができましたが、黄砂の影響でしょうか墨絵のように霞んでいました。

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七面山リベンジ

山中湖に前泊して、3/19(木)七面山登山に登りました。前回は、雪のために滑って転んで途中下山しましたのでリベンジです。まだ雪が残っていましたので奥の院(1,710m)上り3時間30分、下り2時間30分、合計6時間の行程でした。天気は快晴。

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山中湖をAM4:45に出発し、6:20登山口に到着、6:30に登山を開始しました。

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登山口から奥の院までは途中3カ所の宿坊があり、休憩することもできます。

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登山道の脇に1丁目から奥の院まで45丁目の石灯籠がありますので距離やペース配分の目印になります。

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前回36丁目で雪に阻まれましたので、今回はアイゼンを用意しました。

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初めてアイゼンを使って緊張しましたが、雪を噛むザクッという音、ヒンヤリとした風を心地よく感じ快適でした。特に下りは、気温が上がってきて雪の表面が溶けてかなり滑りやすい状態でしたが、アイゼンのおかげですいすいと歩くことができました。

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山門あたりはまだかなり雪が残っていました。奥の院から山頂まではまだ280m(50分くらい)ありますが、更に雪が深そうですので奥の院・敬慎院から引き返すことにしました。

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2009年3月15日 (日)

赤うどん・白うどん

先日(3/10)川崎に行く途中、神奈川宿の先で「横浜新名物赤うどん・白うどん」の店で昼食をとり美味しかったので、片道3時間かけてうどんを食べに行きました。カミさんは友人3人とウオーキングに出かけましたので、会社スタッフの青木さんが同行しました。

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神奈川歴史の道を辿り、横浜駅近くの高島台という高台を歩きました。何という桜かはわかりませんが、陽を燦々と浴びて既に満開でした。

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私は前回同様白うどん(500円)をいただきましたが、青木さんは辛党なので赤うどん(550)を食べました。赤うどんの汁は、豆板醤に各種調味料をブレンドしたもので非常に美味しかったそうで、3時間かけて食べにくる価値はあるとのことです。ウオーキングの楽しみが一つ増えました。

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2009年3月14日 (土)

箱根芦ノ湖腸詰屋オープン

3/11(水)、この日も天気が良く、特に用もありませんでしたので、冬季休業が終わってオープンした箱根芦ノ湖の腸詰屋に買い出しに出かけました。同行者はカミさんがついてきました。

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箱根旧街道でお馴染みの石畳です。雨や雪の対策として徳川幕府が整備したものですが、一見しますと情緒はありそうですが、実際にはとても歩きにくいです。しかしウオーキングの専門家によれば、舗装されていない歩きにくいオフロードコースは、股関節や膝の強化、バランス感覚の養成などに効果的だそうです。石畳にくると嫌な顔をしていたカミさんに話したら張り切って歩いていました。

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多くの人が旧街道歩きの拠点としている畑宿には、たくさんのハイカーが集合していました。この日は、賑やかおばちゃんグループ、雑誌を手にしたカップル、熟年男性の一人歩きも見かけられました。春が待ちきれずに好天気に誘われて出かけてきているようです。春遠からずです。

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久しぶりにお勧めソーセージと生ベーコンをゲットしました。年末年始に調子に乗って食べ過ぎましたら、健康診断で黄色のシグナルが出ましたので、控えめにしました。

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小田原駅前の魚国で、今晩の食材を購入しました。小田原駅に戻るのは、いつも夕方近くになりますので、新鮮な地物の魚が割引で買えます。

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川崎新八十八カ所巡り

3/10(火)、天気が良かったので川崎に用があり、ついでに川崎大師脇にある新八十八カ所巡りに出かけました。

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自宅から歩き始めて、保土ヶ谷宿当たりで旧東海道と合流しました。久しぶりの旧東海道を上るかたちになりました。暫く歩くと「神奈川台関門跡の碑」がありました。

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更に、10分くらい歩くと神奈川本陣跡の手前に、フランス公使館跡(甚行寺)がありました。幕末の頃、イギリスは薩長を支援し、対抗してフランスは幕府を支援しましたが、横浜は1859年(安政6年)に開国・開港以来急速に発展し、今年150周年を迎えます。

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司馬遼太郎の「峠」(幕末の戊辰戦争で、越後・長岡藩を率いて新政府軍に徹底抗戦した河合継之助の物語)の中で、“横浜は、にわかにできあがった町である。開港するや、たちまち日本におけるもっとも商況のさかんな港市になった。横浜には関所が三カ所あり、町人に対しては寛大であるが、武士にはうるさい。攘夷志士が外人を襲うのを警戒したためである。この関所の内側の地域を関内という。その市街の中心地が、運上所なのである。現在、神奈川県庁になっている”とありました。

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神奈川本陣跡から先は、国道15号線(第一京浜)に沿っていて、片側3車線と広い道路ですので車が駐めやすく、つけ麺(元祖特製もりそば)で有名な大勝軒や家系ラーメンの家系総本山吉村屋などがあり、ラーメン屋などの激戦区になっています。昼時でお腹が空きましたので、「横浜新名物白うどん・赤うどん」の幟に惹かれて入ってみました。

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白うどん(450円)を注文しました。昆布と鳥のダシガラスープはコクがあってあっさりしていました。調味料の柚子胡椒を入れましたら更に美味しくいただけました。赤うどんはキムチ味で辛党にはお勧めのようです。面も太麺か細麺の選択ができますし、トッピングもいろいろあり、また楽しみな店を見つけました。

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川崎大師の横に、「新四国八十八カ所」があり、弘法大師が迎えてくれます。

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八十八カ所のお寺の名前が彫られた石碑があり、懐かしく思い出しながら一巡りするのに5分もかかりませんが、自宅からここまで24km、6時間の行程ですから、「ご接待」はなく食費は自腹ですが、四国遍路の疑似体験と運動不足の解消はできました。

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2009年3月 9日 (月)

第四日目~伊勢神宮

第4日目(3/2)、花の小宿重兵衛を8時に出発しました。伊勢神宮の内宮を目指しました。ここの市営駐車場(無料)は大変混むと聞いていましたので、外宮の参拝は昨日済ませ、できるだけ早く到着するようにしました。AM9:00には着いたのですが、月曜日というのに駐車場はかなり混んでいました。内宮の参拝を済ませ、帰る頃には駐車場には車の行列ができていました。

参道橋の掛け替え工事も始まっており、20年毎の式年遷都のムードも少しずつ高まってきているようでした。

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外宮は、3/1のPM3:00頃参拝しました。柔らかい光と深閑とした建物、澄んだ空気に身体がしゃきっとしました。

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内宮の参道です。月曜日の朝にもかかわらず、団体さんの行列が続いていました。

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高校生でしょうか、卒業式を行っていました。集団で二礼二拍一礼をしていました。こういう学校もあるということを知りました。きっと一生思い出に残る卒業式だったろうと思います。

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本宮前で。

伊勢神宮内宮参拝の後、おはらい町・おかげ横町をブラブラしてお土産などを買い込んで、AM11:00に帰途につきました。伊勢湾岸道路~名古屋~横浜町田インターと420kmの高速道路を快調に走り、ほぼ5時間で無事に帰宅しました。とても思い出に残る3泊4日の旅行でした。

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第三日目~伊勢・花の小宿重兵衛

第3日目(3/1)昼過ぎに吉野山を後にして、途中PM3:00頃伊勢神宮外宮に参拝して、伊勢志摩の「花の小宿重兵衛」に夕方到着しました。

http://www.ju-bei.com/

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館内に足を踏み入れたとたん、カミさんと青木さんの女性達が大変喜んでくれました。花だけではなく、階段の足元に、漁具のランプがあったり、時節柄おひな様が飾られていたり、至る所にさりげないおしゃれがありました。

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お風呂でさっぱりした後、恒例の乾杯です。

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昨日は山の幸、今日は海の幸で、ヒラメ、鯛、カンパチ、イカ、伊勢エビ、鮑、岩ガキなど食べきれないくらいのご馳走が並びました。朝食も食べきれないほどでした。

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重兵衛さんブランドのお酒も堪能しました。

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爆睡して目覚めたら、部屋から朝日を拝むことができました。

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女将さん、若女将さん、スタッフの方々に見送っていただき、すっかり寛いで、伊勢神宮に向かいました。伊勢志摩に行った時には、もう少し早くチェックインして近くの海を散歩したりゆっくりしたい宿でした。

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2009年3月 8日 (日)

第三日目吉野~大峯奥駈道

西行庵を訪ねた後、再び大峯奥駈道に戻り、吉野山の最高峰青根ヶ峰を目指しました。大峯奥駈道とは、奈良吉野山と熊野三山を結ぶ、もとは修験道の修行場として開かれた道で、熊野古道の中で最も険阻なルートといわれています。

この道を選んだのは、大峯奥駈道を歩きたいというより、亮潤さんの修行の道がどのような道だったのかを歩いてみたかったからです。

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西行庵からの道から大峯奥駈道に入ってすぐに、旧「女人結界」の石碑がありました。かつてはここから先、女性は入山できなかったそうです。地元の方の話では、女人結界については賛否両論あるようで、現在は大分規制緩和?も進んだようですが、山上ヶ岳に至る道には何カ所か残っています。それでも強行突破するおばちゃん達はいるそうです。きっとそういう怖いもの知らずのおばちゃんはいると思いました。どこにもいますから・・・。

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獣道とは云えないまでも何となくの細い道を登っていきました。木漏れ陽が気持ちよく感じられました。

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更に登っていきますと、俄にガスってきて急に視界が悪くなり、時間はAM10:30頃でしたが暗くなってきました。亮潤さんの「人生生涯小僧のこころ」では「本堂を出発して数百メートル歩きますと、そこから3時間も続く上り坂が待っております。本堂から4kmほど登っていったところに金峯神社がございます。この地点までは舗装道ですので足元は安心です。しかし、2kmも歩きますと民家はなくなり、そこから先は提灯の明かりのみが頼りです。・・・歩き始めて3時間ほどはきつい上り坂で・・・」と書かれています。おそらく亮潤さんはこの場所は夜中の1時頃に通過していると推測しているのですが、提灯を頼りに歩くことは大変だったろうと思います。

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西行庵から30分くらいで吉野山の最高峰青根ヶ峰(858m)に到着しました。蔵王堂から歩いてくれば、登山地図によると2時間半の距離です。亮潤さんはきっと1時間くらいでここまで到達したものと思われます。

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青根ヶ峰から山上ヶ岳までは、はるかに道は険しくなるようですし、登山地図によれば標高差960m、往路8時間、復路7時間20分です。蔵王堂から計算しますと標高差1300m、往復20時間ということになります。疾ぶように駈けなければとても日帰りは無理でしょうし、途中118カ所の神社や祠で般若心経を唱えるわけですから、神業としか思えません。多くの人が千日回峰行の予備試験ともいえる百日回峰行で挫折するということも肯けます。1泊2日でも難しいこの道を、亮潤さんは天候、体調に関係なく千日間歩いたのですから、改めてその偉業に驚きましたが、表現する言葉が見つかりません。

大峯奥駈道、亮潤さんの修行の道を、蚊が像を撫でるほどほんの少しかすめただけですが、身の程知らずのことは大けがの元であることがわかりました。せめて次回紅葉の頃、青根ヶ峰から山上ヶ岳迄の道を行けるところまで行って戻ることと、天川村から山上ヶ岳に登ってみたいと思いました。

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2009年3月 7日 (土)

第三日目吉野~西行庵

3/1(日)、金峯神社に参拝した後、是非行ってみたかった西行庵に向かいました。

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西行庵への道は険しい道で、金峯神社からは20分くらいの距離でしたが、吉野の麓から見るとかなりの山奥ということになります。

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西行庵は小さく何もない庵でした。西行はここで3年間過ごしたそうです。桜の時期、若葉の頃、紅葉の時期はいいかもしれませんが、寒い冬は想像を絶する生活だったと思います。ここの風景は紅葉の時期は最高とのことで、是非来てみたいと思いました。

http://www.st.rim.or.jp/~success/yosinoy_3.html

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憧れの西行さんとご対面しました。

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第三日目吉野~熊野古道

第3日目(3/1)は、いよいよ熊野古道・大峯奥駈道のほんの一部を歩きます。予定では、亮潤さんが千日回峰行でスタートした蔵王堂から修行の道を辿る予定でしたが、歌藤さんのご主人のアドバイスで奥千本口まではケーブルバスで行くことにしました。蔵王堂から奥の千本口まではケーブルバスで20分くらいでした。帰りはこの道を歩いてみますと、急な下りが続いていて、脚のふくらはぎが張ったり膝が笑いましたので、上りは大変だということがわかりました。

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蔵王堂の朝のお勤めに参加し、朝食を済ませていよいよウオーキングスタートです。昨晩の大雨があがり、天気が回復する兆候でしょうか、吉野の山々に雲海が湧いていました。

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ケーブルバスで、中千本、上千本を過ぎて、奥千本口で下車しました。金峯(きんぷ)神社までは蔵王堂から歩けば急な上り4kmの距離ですが、私たちはバスを降りて10分くらいで到着しました。亮潤さんもこの神社を含めて118カ所の神社や祠で般若心経を唱えたとのことです。

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金峯神社の脇を少し下ったところに「義経の隠塔」がありました。ここは役行者の修行場でもありました。義経ゆかりの場所や遺跡、事物が奥の細道を歩いた時も至る所にあり、ここにもありました。先頃司馬遼太郎の「義経」を読んだのですが、司馬さんの説によりますと、武士が始まり源平の戦いの頃まで幾多の武将がいた中で、唯一武略を持っていたNo1の天才的武将だったとのことです。

吉野山には義経のゆかりの地が多くあります。蔵王堂から少し山道を上った辺りに、勝手神社があり、ここで静御前は舞を舞い、義経と別れたそうです。ここには静御前の衣装などが残されていたのですが、平成16年に神社が消失してしまいました。歴史的な遺産はどうなったのでしょうか。

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2009年3月 6日 (金)

第二日目吉野~夕食

あちこち歩き回った第2日目(2/28)も、ようやく食事の時間になりました。温泉に入ってさっぱりした後、囲炉裏を囲みました。

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ビールで乾杯。久しぶりの鹿の刺身も美味しくいただきました。

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囲炉裏と鍋(かすみ鍋)を囲んで、山の幸に舌鼓を打ちました。最後にご飯は雑炊にしました。3回も汁をつぎ足していただき、お腹が一杯になりました。

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食後は、暖炉の前でナイトキャップを軽くいただきました。広い窓からの景色はライトアップされ幻想的でした。

部屋に戻ってからは、私は数分で爆睡してしまい、カミさんと青木さんはお菓子を食べながらお喋りしたようですが、間もなく3人ともぐっすり寝たようです。

翌朝若ご主人に、朝のお勤めに参加するために蔵王堂まで車で送っていただいた時に、昨晩はかなり激しい雨が降ったと聞かされましたが、私たちは全く気が付かずに爆睡たようです。木で囲まれたログハウスは空気が柔らかく身も心も癒されたようです。

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第二日目吉野~ログハウスの宿「歌藤(さん)」

第2日目(2/28)、吉野山の散策路でお土産物屋や食事処を覗いたり、蔵王堂、脳天大神などを散策し、夕方になりましたので今晩の宿、ログの館「歌藤」さんにチェックインしました。この宿はケーブルカーの吉野山駅から近く、またケーブルバスの出発点ですので、吉野山の観光拠点や山歩きの拠点としては大変便利でした。

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吉野山では和風の旅館が多い中でログハウスは珍しく、是非泊まってみたいと思っていました。歌藤さんは家族の皆さんでログハウスを造るのが夢だったそうです。1年間休業して家族総出で完成させたそうです。私たちが泊まった部屋も3人が雑魚寝しても十分な広さでしたし、広いガラス窓からの景色も素晴らしく、木の温もりですっかり寛ぎました。

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暖炉のあるリビングは、更に広く、暖炉やブランコがあり、視界が開けています。四季おりおり楽しめそうですし、特に雪景色はさぞかし素晴らしいことだろうと思いました。

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歌藤さんのご主人です。若女将の順子さんも元気で明るい方で、ご家族の皆さんとても温かい方達でした。 “「ただいま」と言って帰ってきて下さい” がこの宿のコンセプトのようですが、本当にその通りでした。

ご主人には、吉野山の歩き方や登山ルートなどについてもいろいろ教えていただき、亮潤さんのお話も聞かせていただきました。私たちが車で帰る時は、車が見えなくなるまで頭を下げて見送っていただきました。吉野山に自分の別荘ができたような気分で、紅葉は見に来ようと思っていますので、その時には “ただいま” と言おうと思っています。

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第二日目吉野~脳天大神

蔵王堂の脇に脳天大神(のうてんおおかみ)という変わった名前の道案内がありました。名前に惹かれて、興味半分で行ってみたのですが、後で考えますと導かれたような気がしました。

亮潤さんの著作「人生生涯小僧のこころ」の中に、真夜中の11:25に起きて、階段を降り、滝に打たれ、身を清め、身繕いしてから千日回峰行の48km往復に出かけたというくだりがありましたので、どういうところかと探していてなかなか見つかりませんでした。ところが脳天神社に向かって長い階段を下るうちに、探している場所はここではないかという確信が湧いてきました。

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暫く歩きますと修験道の祖「役行者(えんのぎょうじゃ)」の像がありました。役行者は幼名「役小角」といい、小さい頃から修行の道に入り、修験道を開き、吉野山を修行の場とした開祖です。

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役行者の像の先に階段がありました。500段の階段で、まるで滝壺か地獄に落ちてゆくような感じでした。この階段は「参道階段」でした。亮潤さんはこの階段を千日回峰行に出かける前に下り、身を清めて再び上り、それから往復48kmの修行に出かけたのですから、ただただ驚きです。私たちはこの階段の上り下りだけで一仕事したという気がしました。

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階段を下ると脳天大神の本殿がありました。脳天大神は頭から上の守護神だということでしたので、ボケ防止でお守りを買いました。このお守りは澄んだ音が出る鈴のようなものでしたので、四国遍路のような山奥を歩く時の熊よけにちょうどいいようです。

http://tencoo.fc2web.com/jinja/xnoten.htm

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本殿の下に回り込みますと、暗い石室があり滝から清冽な水が引かれ、水音が響いていました。亮潤さんは、きっとここで身を清めたのだろうと思いました。後ほど蔵王堂に戻り、通りかかった若い修行僧に訪ねますとやはりここで身体を清めたとのことでした。真夜中に起き、真っ暗闇の中、ここで一人水を打たれている姿を想像しただけで・・・絶句。

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身を清めた後、亮潤さんは「参籠所」で山伏姿に着替えて、500段の階段を上がり、蔵王堂に祈願して修行の道に出かけたのでしょう。亮潤さんを地元の方が生き仏と言っている理由の一端がわかりました。しばし感慨に耽った後、私たちも500段の階段を上って戻りましたが、不思議なことに少しも疲れは感じませんでした。

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2009年3月 5日 (木)

第二日目吉野~蔵王大権現堂

2日目の昼前に天川村を後にして吉野山に向かいました。吉野山は日本一の桜の名所ですが、この時期に訪れたのは、亮潤さんが入門・修行し、千日回峰行のスタート地とし、四無行(飲まず、食べず、横にならず、眠らず)で9日間籠もった金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王大権現堂を静かな時期に訪れてみたかったからです。天川村からは車が1台ようやく通れる山道を1時間くらい走って(この道の運転は疲れました)、ケーブルカーの吉野山駅近くにある今晩の宿「歌籐(かとう)」さんに到着しました。宿に車を預け、吉野山を散策がてら金峯山寺蔵王権現堂に向かいました。

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気持ちのいい天気の中、宿からぶらぶらと吉野の山々を眺めながらお土産物屋や食事処が並んでいる道を20分くらい歩くと金峯山寺に到着しました。どっしりとした山門で、修験道の総本山の趣がありました。

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蔵王大権現堂は、想像以上に堂々たるものでした。亮潤さんが籠もったというイメージがありましたので小さな祠のようなイメージを持っていたのですが全く異なりました。ここで9日間も飲まず食べず頑張ったシーンを想像すると胸が熱くなりました。

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この日は、吉野山に桜の苗木を寄付した人への感謝際が行われていました。多くの和尚さんの読経の声が響いていました。

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金峯山寺は修験道のお寺です。修験道は仏教、密教、神道、陰陽道が融合したものですので、どの宗教、どの宗派の人でもこのお寺では受け入れてくれます。翌日は、早起きして、朝食前に宿の車でお寺まで送っていただき、朝のお勤めに参加させてもらいました。吉野山の清々しい早朝の大気の中、ホラ貝、太鼓、読経が響き、他の信者さんにならって焼香し、最後は和尚さんの後について広いお堂を一周し、裏手にある普段見られない多くの仏様に手を合わせました。とても貴重な体験をさせていただきました。

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2009年3月 4日 (水)

第二日目吉野~天川村

2日目は、奈良のホテルを早朝に出発し、吉野郡天川村を目指しました。ルートはナビゲーター任せで、吉野山中の細い道や長く狭いトンネルなどを抜けて2時間半で天川村に到着しました。車を温泉センターにある村営駐車場に置いて村を散策しました。天気は昨日の雨模様が嘘のように晴れわたり、空気も美味しく感じられました。

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天川村は、吉野山信仰と大峯奥駆道のシンボルである大峯山(山上が岳)の登山口であり、修験者の聖地とされている村です。村の中心地は、行者の宿とか行者の湯など修験者が宿泊する旅館が軒を連ねていました。

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旅館街を抜けると、所々に修行場がありました。私はこういう雰囲気は好きなのですが、カミさんや青木さんなどの女性はあまり面白そうではありませんでした。

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駐車場から30分ほどで大峯山登山口に着きました。ここから大峯山(山上ヶ岳)までは、登山地図によると登り4時間、下り3時間くらいの行程です。途中、鐘掛岩という岩場や西ノ覗岩という修験者が身体にロープを巻き付けて断崖絶壁から身を乗り出す修行場などがあります。山上ヶ岳には大峯神社があり、亮潤さんが千日回峰行で蔵王大権現堂からそこまで往復48km歩いた折り返し点でもあります。標高1,719mでそれ程高い山ではなく、一度はチャレンジしてみたいと思っていますが、身のすくみ思いもします。

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午前中は天川村で過ごし、吉野山に向かう途中、同じ天川村にある天河大弁財天社に寄りました。この神社は広島県宮島大願寺、滋賀県竹生島(琵琶湖)宝厳寺などと共に日本三大弁財天の一つです。他に江ノ島の弁財天も加えるという説もあります。

http://blogs.yahoo.co.jp/f86fsabrejp/10704661.html

本殿には、三種の神器である鏡が祀られていて、菊の御紋があり、皇太子殿下も訪れたことがあるという碑もありました。皇室とゆかりがあるのでしょうか、とても立派な社でした。

天川村は神秘性や霊気が感じられ、期待通りの独特の雰囲気を持った別世界でした。

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2009年3月 3日 (火)

第一日目奈良~東大寺・興福寺

薬師寺・唐招提寺を見た後、午後からは宿泊先の奈良駅前のホテルに車を預け、夕方まで東大寺、興福寺、春日大社、奈良公園、市内を散策することにしました。

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奈良のシンボルは鹿ですが、奈良公園、春日大社のような広大な敷地のどこにでもいます。東大寺の山門では修学旅行の生徒が面白がって鹿煎餅をちらつかせるとわっーっと鹿が集まってきて生徒のお尻に噛みついたりしていましたが、中には要領がいいというか、群れるのが嫌いな鹿もいるようで、売店を覗き込んでいる鹿もいました。角はカットされていました。

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東大寺の大仏殿(金堂)。流石にスケールが大きく、木造でよくぞまあこれだけのものを造ったものです。2回の兵火でほとんどが消失し、江戸時代に2/3に縮小されて再建されたそうです。

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奈良の大仏(廬舎那仏)を見たいと思ったのは、奈良観光の目玉ということもありましたが、だいぶ以前に、大仏造りに関わった人足について書かれた帚木蓬生の「国銅」という本を読んだことがあり、どのようにして造られたかを知ったことと、読後感は非常に感動した記憶がありましたので、是非見たいと思いました。

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インターネットで、「国銅」の読後感が紹介されていました。ほとんどが私と同じような感想でしたので、ここに紹介します・・・。

感想1:教科書から嫌々、歴史を学んでいた学生時代に、出会えていたら、どんなに良かったろう。 銅を掘りだす。穴の中に入り、岩盤を砕く。奈良登りと言われるその場所。東大寺の大仏建立のため、銅は運ばれる。人も駆けつける。現在の山口県から奈良県まで。それは743年の物語。 主人公の国人は、いろいろな立場の人間から多くを学び、彼らを魅了する。なかでも、僧の景信が投げかける言葉には国人ならずとも、立ち止まり、考える。「水鳥が池を捨てるが如く、家を捨てよ。お前がお前の燈火だ。その燈火で足元を照らせ」読み終わっても、心から出て行かない。銅山跡でいいから見に行きたい。奈良の大仏も。

感想2:奈良・東大寺の大仏が、どのようにしてできたか、初めて知った。材料の棹銅の一本一本からして「死んだ人足、今も課役についている人足の生まれ代わりのようなもの」。予想をはるかに越えた、壮大な物語であった。主人公の長門周防の銅山人足・国人は、自ら文字を学ぶなど向学心旺盛で仕事熱心、しかも同僚思いで謙虚な22歳。奈良の都に大仏建立人足として引っ張られ、いつ帰郷できるかもわからぬまま、土砂運び、鋳込み、鍍金に働き続ける。人間の良心とはこういうもの、というような誠実な国人の生き方が、とても清々しく感じられる。また、下巻では、美しい詩が随所に織り込まれているのもいい。ふたりの衛士に触発され、詩の世界に足を踏み入れた国人の地道な学びが、最後にみごとな百字の句に結実するさまは感動的である。大仏は「天から降った物でも、地から湧いた物でもなく、人足が何千人と集まって作り上げた物」。かつてそこにいた人々の姿と思いが見えてくると、今までなんの興味もそそられなかったものが、俄然身近な存在に思えてくる。「ただの大仏」から、「あの『国銅』の大仏」へ。さぁ、東大寺に行こう。

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東大寺で大仏とご対面した後は、興福寺の国宝館にいる阿修羅像を見に行きました。興福寺は、東大寺からゆっくり歩いても数十分の距離です。阿修羅像は興福寺創建1300年記念で、3/31から東京国立博物館で展示されるそうです。国宝館には他にも立派な仏像がありましたが、阿修羅像の顔立ちは神々しく、厳しく、優しく何ともいえないものでした。比較するのがおかしいかもしれませんが、ルーブル博物館のモナリザやミロのビーナスより遙かに見応えがありました。きっと国立博物館には多くの人が見に行くのではないでしょうか。

東大寺、興福寺、春日大社、奈良公園、市内をブラブラ歩いているうちに夕方になりました。カミさんが持っていた歩数計は20,000歩でしたので、かなり歩いたことになります。お腹も空きましたので、地元のスーパーや土産物屋さんで柿の葉寿司や地元の食材、地酒を買い込んで、ホテルで宴会を行い、第1日目からしたたかに飲んでしまいました。

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第一日目奈良~薬師寺・唐招提寺

2/27(金)のAM5:00に車で、奈良、吉野、伊勢を巡る旅に出発し、ほぼ6時間で奈良市内に到着しました。奈良は高校時代に修学旅行で来て以来ですので、改めて代表的な仏像や建造物を眺めてみたいと思いました。この歳になって何を感じられるかが楽しみでした。

奈良の大仏や奈良公園周辺はゆっくり歩くこととして、中心部から離れた場所にある薬師寺と唐招提寺に行きました。奈良に都があった西暦750年頃はここが都の中心地でした。天候は霧雨が時々烟っていました。

薬師寺は、飛鳥の地で西暦680年に天武天皇によって発願され、平城遷都(710年)に伴って現在の地に移設された豪華絢爛たる寺院で、まるで唐の宮殿を想像されます。ここでは昨年東京国立博物館にお目見えしてきた日光菩薩、月光(がっこう)菩薩を見たいと思いました。

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薬師如来を中心として、右側が日光菩薩です。

薬師如来

左側が月光菩薩で、3つの仏像を総称して薬師三尊といいます。

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薬師寺から少し離れた唐招提寺に向かう小径には土壁を越えてしだれ梅が氷雨に濡れていました。急速に気温が下がってきました。

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唐招提寺は、750年頃建立されましたが、かつて井上靖が唐招提寺と鑑真和上について書いた「天平の甍」を読んだことがありましたので、是非訪れたいと思っていました。

境内はひっそりとしており、訪れる人もありませんでした。霧雨とモノトーンの世界は若い留学僧や鑑真和上の苦労を語るようでもありました。大講堂は大伽藍で、ここで鑑真和上が授戒し、多くの学僧が学問していた当時に思いを馳せることができました。

井上靖の「天平の甍」の書評欄を紹介しますと・・・・。天平の昔、荒れ狂う大海を越えて唐に留学した若い僧たちがあった。故国の便りもなく、無事な生還も期しがたい彼ら~在唐二十年、放浪の果て、高僧鑒真を伴って普照はただひとり故国の土を踏んだ……。鑒真来朝という日本古代史上の大きな事実をもとに、極限に挑み、木の葉のように翻弄される僧たちの運命を、永遠の相の下に鮮明なイメージとして定着させた画期的な歴史小説・・・。

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