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2009年4月27日 (月)

中山道8日目(4/23)②下諏訪宿

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和田峠を越えてからは一般道を下諏訪に向かってダラダラと下りました。途中太い丸太の上に人間が乗って坂を下る「諏訪大社御柱(おんばしら)祭」の会場がありました。テレビではよく見たことがありましたが、実際の会場は思いの外狭いスペースでした。この御柱祭は七年に一度あるそうで、次回は平成22年だそうです。

http://onbashira.jp/

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14:55、下諏訪宿に到着しました。出発して8時間かかりました。

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下諏訪宿本陣には明治天皇が泊まったそうです。玉座を見学することができるそうですし、下諏訪には他にもいろいろ見所はあるのですが、予定より1時間くらい遅くなり、帰りの列車の時間がありましたので残念ながらゆっくりできませんでした。

今回の3日4泊の行程は12の宿場、3つの峠、距離88kmと強行軍で、体調も万全ではありませんでしたが、中山道の魅力を味わうことができました。

久しぶりの特急「あずさ号」の車窓からの景色は山々山でした。中山道は山の中と峠の街道であることが肯けました。

懲りることなく、次回はいよいよ妻籠宿などの木曽路を歩くことになり、連休明けに4泊5日くらいの日程で出かけたいなあと思っています。カミさんもすっかり張り切っています。

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中山道8日目① (4/23)和田峠~(21.5km)~下諏訪

中山道通算8日目、今回の日程の4日目、最終日は和田峠を越えて下諏訪を目指しました。朝食は7:00からなのですが、少しでも早く出発したかったので無理を言って6:30に準備していただきました。体調も90%まで回復し、天気もOKで、7:00に旅籠本亭さんを出発しました。

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8:23、いよいよ標高1550mの中山道最大の難所和田峠の入口です。天気はいいし、体調は9割まで回復した感じがしていますので何とかなると思います。

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峠を上り始めて間もなく三十三体観音がありました。これらは厳しい峠を行き来していた人馬などの霊を慰めるために建立されたそうです。

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箱根と同様に、石畳が敷き詰められた整備された道もありました。

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ところどころ、渓流を越えたり渓流沿いに上ったり、ほっと一息付けるような飽きない道ではありましたが、もし一人歩きだとしたらあまり寛いでもいられないかもしれません。

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3カ所の有料道路を横切りましたが、道路の下をくぐる道もありました。

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ちょっと油断すると崖下に落ちてしまうような難路も何カ所かありました。行き交う人は誰もなく一人歩きだったらかなり怖かっただろうと思いました。高校の同級生の種村君は一人で歩いたわけでその勇気は凄い。一人歩きでは時々後ろを振り返ったり歌を歌ったりしたそうですが・・・。何はともあれ無事に峠を越えることができました。

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中山道7日目 (4/22)④和田宿・旅籠本亭

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15:30、ようやく和田宿に入りました。

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和田宿の本陣です。皇女和宮が江戸に下る時に、東海道は往来が多く、危険も多いため中山道を通ったそうです。和宮はこの本陣に泊り、一行3万人が和田宿に泊まったという記録があるそうですが、どのようにしてそれだけの人数が泊まれたか疑問が残されています。

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和田宿で唯一宿泊できる本亭には16:00に到着しました。事前に予約の際、建物は古くトイレは水洗ではなく、それでもよければどうぞといわれましたが、昔の旅籠のイメージそのものでしたので泊まることにしました。宿のご夫婦はとても親切でいい方でした。

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旅籠から15分くらいの処に町営の温泉がありましたので、汗を流しに行きました。温泉場では全身マッサージ機の無料体験をしてすっかり疲れがとれました。帰りに糖分を補給し、翌日の中山道最大の難所和田峠越えに備えました。

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部屋は2Fで、街道を見下ろすことができました。江戸時代の旅籠屋投宿気分になりました。

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食事は1泊2食8,000円で、質・量とも十分でした。和田峠には食事処はないために300円のおにぎりを握ってもらいました。夕食時に、3人組のおじさん虚無僧と一緒になりました。私達とは逆に京都を出発して日本橋に向かっているとのことでした。和田峠越えはかなりバテたようです。

風邪は日々よくなっているようでしたが、3日間の疲れもたまってきていて、18.2kmという短い距離でしたが疲れました。この日も21:00には爆睡してしまいました。

望月宿~(4.8km)~芦田宿~(5.6km)~長久保宿~(7.8km)~和田宿=18.2km

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中山道7日目 (4/22)③長久保宿~(7.8km)~和田宿

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長久保宿を過ぎると、車が通る一般道となりました。歩道はなくなり畦道となりました。

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車道に白いラインが引かれただけの一番嫌いな道が続きました。

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14:00、青原というところでモニュメントが見えてきて、ここからは幹線道路から外れ、車が少なくほっとしました。

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萱葺き屋根のバス停に心が和みましたが、向かい風が強く、疲れも出てきていてとても長い道のりに感じました。

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中山道7日目 (4/22)②芦田宿~笠取峠~(5.6km)~長久保宿

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芦田宿から長久保宿の間には笠取峠がありました。事前の勉強不足でまた峠を越えるとは思いませんでしたが、松並木が素晴らしい道でした

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標高が高く、気温が低いせいでしょうか、桜が十二部咲きで、風が吹くたびに桜吹雪が舞っていました。

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松並木や桜吹雪ですっかりいい気分になっていたのですが、いよいよ本格的な上り坂となりました。

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長久保宿の常夜灯まで到着してほっとしました。

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歴史資料館となっている一福処濱屋は、無料休憩所となっていて、トイレも清潔でしばし休憩しました。

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中山道7日目 (4/22)①望月宿~(4.8km)~芦田宿

中山道通算7日目、今回の日程で3日目(4/22)は、芦田宿を通り、笠取峠を越え、長久保宿を経由して和田宿までの18.2kmの行程でした。体調も8割くらいまで復調し、天気は快晴でした。

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8:30、望月宿の旅籠山城屋さんを出発しました。望月宿の本陣は今は小児科医院になっていました。

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望月宿と次の宿場芦田宿の間に位置する茂田井間(あいだ)の宿は、清流が流れていて、街並みも風情のある街並みでした。若山牧水は何回もここを訪れ、旨い酒に出会い「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかにのむべかり」という歌碑が残されています。

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若山牧水の歌碑の前にある「大澤酒造」は江戸時代庄屋も務めていたそうです。現在の建物は元禄初期のものといわれ、300年以上のもので、古伊万里の焼き物に入れられていた元禄2年のお酒が昭和44年にNHKの番組で公開されたそうです。

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土壁がむき出しの蔵も街並みにとけこんでいました。

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9:56、のんびりと街道歩きを楽しみ芦田宿の本陣に着きました。

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2009年4月26日 (日)

中山道6日目 (4/21)④旅籠・山城屋さん

中山道を歩き始めて今まで高崎でビジネスホテル、中軽井沢ではペンションに泊まりました。四国遍路では宿坊にも泊まりましたが、昔ながらの旅籠に泊まるのは初めてでしたので興味津々でした。

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玄関を入るとまるで骨董品屋のようでした。鹿の剥製もありました。高校の同級生の種村君は碓氷峠で2匹の鹿に会ったそうですが、こんな処で出会うとは。

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内部はとても落ち着ける雰囲気で、早速ゆっくりと温泉に入って疲れがとれました。

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太い梁がいくつもあり、重厚な老舗旅館のようでした。部屋は畳ではなくベッド、エアコン完備、トイレはウォシュレットでびっくりしました。

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部屋は2Fで、格子からは街道を見下ろすことができました。旅籠の2Fから道行く人をぼんやりと眺めてみたいと思っていた夢が叶ったのですが、残念ながら道行く人はほとんどいませんでした。

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宿泊費は1泊2食付き8,000円でした。鯛の刺身、肉の陶板焼き、ヤマメのムニエル、海老フライ、山菜の天ぷら、焼きなすその他野沢菜などの漬け物で質・量共に十分でした。

風邪は少しよくなったようですが強行軍で疲れました。それでも初めての旅籠ですっかり寛ぐことができました。

沓掛宿~(4.3km)~追分宿~(5.0km)~小田井宿~(4.7km)~岩村田宿~(5.1km)~塩名田宿~(2.9km)~八幡宿~(3.5km)~望月宿=25.5km

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中山道6日目 (4/21)③塩名田宿~(6.4km)~望月宿

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15:05、千曲川が見えてきました。

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15:10、久しぶりの川の流れですので、千曲川を眺めて小休止しました。雨は相変わらずシトシトと降っていました。今日の目的地の望月宿を目指して中津橋を渡りました。

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15:21、中津橋を渡って10分ほど緩い坂を上りますと大日堂といわれる場所です。ここには大日如来座像があり、その像の後ろには芭蕉の句碑もありました。

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16:47、八幡宿を通過して、ようやく今日の最終目的地の望月宿の入口に到着しました。様々な石仏や石碑が出迎えてくれました。

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16:58、宿泊先の旅籠・山城屋さんに到着しました。風邪に悩まされ、雨の中8時間のウオーキングでさすがに疲れました。

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中山道6日目 (4/21)②追分宿~(14.8km)~塩名田宿

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11:40、追分宿から小田井宿の入口に到着しました。

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12:00、小田井宿は、小雨の中ひっそりとしていました。

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14:40、小田井宿から岩村田宿(佐久市)に入り昼食を済ませ、塩名田宿も近くになりました。雨は本降りになりましたが、桜が満開で目を楽しませてくれました。

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15:00、ようやく塩名田宿の入口に到着しました。

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中山道6日目 (4/21)①沓掛宿~(4.3km)~追分宿

通算6日目、今回の行程の2日目(4/21)は、追分宿~小田井宿~岩村田宿~塩名田宿~八幡宿~望月宿を目指しました。

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天気予報通り雨が降りそうでしたので、しっかりと雨具を身に着けてペンションを9:00に出発しました。

造り酒屋の軒下には大きな杉玉がぶら下がっていました。杉玉はこれから先しばしば目にしました。

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追分宿にはいると更に宿場町の雰囲気が漂ってきました。脇本陣だった油屋さんは現在は旅館になっています。昨日もう少し頑張って、ここに泊まってもよかったなあとちょっと後悔しました。

追分宿のはずれに「追分」発祥の地ともいわれる「分去れ(わかされ)」に出ます。ここにはいろいろな道標があり、芭蕉の石像もありました。左手が中山道、右手が北国街道(善光寺街道)で、善光寺を目指す人は北国街道を歩み、更に進めば新潟まで続いている道です。

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2009年4月25日 (土)

中山道5日目 (4/20)横川~沓掛宿

4/20(月)~23(木)、3泊4日の日程で中山道の続きに出かけました。4/16、17と立山黒部アルペンルートに出かけて風邪をひいてしまい、天気予報も雨模様でしたが、先に進まないとゴールに近づけませんので、18(土)、19(日)と点滴をしてもらって、風邪薬持参で4/20の早朝出発しました。今回からは中山道の美味しいどこどりでカミさんも同行しました。

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9:20に横川駅から歩き始めました。駅前の中山道をゆっくりと上っていきますと横川茶屋本陣跡や碓氷関所跡がありました。ここでは箱根の関所と同じように厳しい取り調べがあったそうです。

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横川駅から4kmくらい歩きますと坂本宿があり、坂本宿を過ぎるといよいよ碓氷峠にさしかかりました。荒れた狭い登り道が続きました。この道を参勤交代の行列や皇女和宮の大行列が通ったとのことです。

歩き始めて1時間半くらいで上りは更に厳しくなりました。風邪が抜けきれず、鼻水、タンの詰まり、咳でガス欠・酸欠状態でかなり辛く、カミさんには随分と後れを取りました。

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ようやく急な上りをクリアして、下界を眺める場所に出ましたが、どんよりとした天候で坂本宿が霞んで見えます。一茶は「坂本や峠の下の夕ひばり」という句を残しています。私は雲雀どころではなくゼイゼイと喘いでいました。とりあえず持参した大福とオレンジとイチゴを昼飯代わりに食べて一息つきました。

峠を越えて、軽井沢に向かって緩やかに下る道は軽井沢独特の靄に包まれ、先の見通しが全くきかなくなりましたが、道なりに下ればいいだけですから気が楽でした。雨に降られる前に碓氷峠を越えることができほっとしました。

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14:30、軽井沢銀座に出ました。人影は少なかったのですが、店はほとんど開いており何となく華やかな感じがしました。この近辺のビジネスホテルに泊まることも考えたのですが、翌日の行程を考えて沓掛宿(中軽井沢)まで、更に1時間半歩くことにしました。

沓掛宿にある1軒の旅籠が休業しているとのことで、観光協会の紹介でペンションに泊まることにしました。中山道のイメージに似合わないのですが、フルコースディナーで、ビールやワインなどたっぷりと水分補給、エネルギー補給をして21:00には爆睡してしまいました。

高校時代の同級生の種村君から碓氷峠の熊対策をアドバスされ、また鹿に2匹出会ったそうですが私たちは何事もありませんでした。一人歩きはかなり心細かったろうと思いました。

横川駅~(4.5km)~坂本宿~(12.0km)~軽井沢宿~(4.4km)~沓掛宿=20.9km

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2009年4月18日 (土)

立山黒部アルペンルート・雪の大谷ウオーク

カミさんが黒部に行きたいと言い出しました。黒部は一昨年の秋に行ったことがあり、おまけにバスツアーは気乗りしなかったのですが、立山黒部アルペンルートの開通のオープンに合わせて雪の回廊・大谷歩きができるということ、そのうち「夫婦が共に元気で出かけられることができなる時がくる」という殺し文句で同行することになりました。

4/16(木)AM7:00に横浜駅前を出発し、白馬村で一泊しました。翌日4/17(金)は立山からケーブルカー、高原バス、ロープウェイ、ケーブルカー、トロリーバスなどを乗り継いで美女平~室堂~黒部平~黒部ダム~扇沢を経由して21:00に横浜に戻りました。

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室堂は気温が1℃と寒く、一面の銀世界でした。

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立山黒部アルペンルートの開通で、雪の壁際をバスが走っていました。壁の高さは最も高いところで16mです。

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大谷といわれる雪の回廊を歩行者が歩いていました。今日がオープン日ということで大変な人混みでした。1時間ぐらい雪上の散策を楽しむことができました。

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室堂からトンネルバスで大観峰に出ますと、ぐるりと北アルプスの山々の煌めきを眺めることができました。

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大観峰からロープウェイで黒部平に出、黒部平からはケーブルカーで標高差373m、傾斜角度30°の急勾配を一挙に下り5分で黒部ダムに到着しました。

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黒部ダムは何回見ても壮観です。黒部ダムにせき止められている黒部湖の湖面はところどころ凍っていました。

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雪解け水がまだ湖に十分貯まっていませんので名物の放水シーンは6月までは見ることはできません。

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2009年4月13日 (月)

中山道4日目後半(4/12)安中宿~横川駅

安中宿を10:30に出発しました。次回以降の日程を考えますと何とか横川駅までたどり着き、峠の釜飯も食べたいと頑張り14:00に到着しました。

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安中宿は楽しく、歩きやすい道でした。こういう道ですと疲れは感じません。

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松井田宿近くに来るとそろそろお腹も空いてきましたが、食べるところはなく、また昼食をとっている時間がもったいないので道ばたの無人販売スタンドでトマトを買って、かじりながらのテクテクとなりました。しっかり路地トマトの味がして再び元気が出ました。

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中山道は東海道に比べても道標が少ないのですが、こういう道標を見ると励みになります。

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松井田宿を過ぎ、横川駅に向かう道は信越線や国道18号線と何回か交差しました。

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信越線の踏切当たりで道を探している横浜市の方と同行することになりました。聞けばリタイア後、四国八十八カ所を2回、東海道を終え、中山道と甲州街道を同時に歩いているそうです。こういう人が結構いるんですね。

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横川宿への道は中山道のイメージに近い道で、花見をしながら楽しく歩きました。同行の方に撮ってもらいました。

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何とか14:00に横川駅に着きました。遅めの昼食となりましたが、釜飯を美味しくいただき、帰路につきました。

安中宿~(9.6km)~松井田宿~(4km)~横川駅=13.6km

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中山道4日目前半(4/12)倉賀野宿~安中宿

昨晩は高崎駅前のビジネスホテルに泊まりました。今日も横川駅まで30km近く歩きたかったのでJR

で倉賀野駅

まで戻り、6:30に倉賀野宿を出発し、10:30に安中宿に到着しました。

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8:00高崎宿に着きました。今日も朝から強い陽射しでした。

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高崎から板鼻宿を過ぎて安中宿にはいると全く雰囲気が変わりました。中山道の宿というよりも安中市という街がしっとりとしていました。旧道より旧道らしい道に入ってみますとしだれ桜やソメイヨシノが満開の一角があり、敷地内に入ったら安中キリスト教教会でした。非常に立派で伝統を感じる教会でした。この町の出身の新島襄が関わった教会だそうです。

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新島襄が生まれ育った家に寄ってみるととても質素でした。坂ノ上の雲に出てくる秋山兄弟の自宅も質素であったことを思い出しました。

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便覧舎址という標識と古い建物がありました。おそらく新島襄が我が国の郵便制度を確立した当時の建物が保存されているのだろうと思います。

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とても分かり易い看板がありましたが、このお店の門をくぐる人がいるのだろうかと思ってしまいました。

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武家屋敷が保存されていました。安中市といえば「安中公害」で悪いイメージを背負っているのですが、そのイメージを払拭しようという努力と懐の深さを感じさせます。

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「安政遠足(あんせいとおあし)侍マラソン」というマラソン大会のポスターです。http://www.city.annaka.gunma.jp/news/tooashi.html

5/11に碓氷峠までの峠コース(30km)と関所コース(20km)があり、侍の仮装をした人達も走るそうです。安中市は面白い町です。

倉賀野宿~(6.0km)~高崎宿~(7.2km)~板鼻宿~(3.3km)~安中宿=16.5km

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中山道3日目(4/11)熊谷~倉賀野

中山道3日目は、熊谷宿から高崎宿を目指しました。行程は39.4kmと長距離ですので、早朝自宅を出発して頑張ったのですが、30℃近い夏日で高崎宿手前の倉賀野でギブアップしました。倉賀野駅からJRで高崎に行き宿泊しました。

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熊谷宿を8:15に出発し、あまり面白くない道をひたすらハイペースで歩き始め2時間半かかって深谷塾に着きました。深谷駅前には日本の近代実業家の第一人者の渋沢栄一の銅像がありました。渋沢栄一は一橋家の家臣になり、江戸幕府が終わった後500社に及ぶ事業の創立に関与した日本の産業・経済の草分けでした。

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既に中山道を歩き終えた高校の同窓生の種村君から「高崎までは面白くないよ」と言われていたので覚悟はしていましたが、中途半端な旧道が続きました。前方に若者が歩いていて、途中道を探している時に一緒になりました。千葉県柏市からきているサラリーマンでした。彼とは本庄宿まで一緒に歩きました。

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本庄宿あたりの橋で同行の若者に撮ってもらいました。この日は気温がぐんぐん上がりお昼には半袖でも暑いくらいでした。

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13:00を過ぎてそろそろ空腹も限界という頃、執念でカレー屋を見つけました。前回カレーを食べたいと思って探したのですが見つからず、天丼を食べて胸焼けをした苦い記憶がありましたのでリベンジしなければと思っていました。ユニークなカレー屋を見つけましたので飛び込みました。若者とはここで別れました。

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メニューは、赤いビーフ、緑のポーク、ミックスそれぞれ490円でしたのでミックスを食べました。念願叶って満足して元気が出ました。

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本庄宿、新町宿を過ぎて倉賀野宿では、中山道と日光例幣使街道とが交差していました。

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倉賀野宿の資料館がありましたが、既に17:00を過ぎていましたので閉館していました。これから先高崎まで行きたかったのですが、高崎までは6kmもあり、暑さと脚もバテてきましたのでここでギブアップして今晩の宿泊地の高崎駅にJRで移動しました。

熊谷宿~(9.8km)~深谷宿~(9.8km)~本庄宿~(7.9km)~新町宿~(5.9km)~倉賀野宿=33.4km

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2009年4月 9日 (木)

吉野の桜に酔いました

4/9(木)の読売新聞に「野性味あふれる聖地」というタイトルで吉野町の記事がありました。「吉野山は7世紀頃から「修験道」の中心地として栄えた。その祖である役行者が「蔵王権現」を体得、姿を桜の木に刻んだという故事から、吉野では桜が神木として尊ばれることになった。以後、参拝者が次々と桜を奉納し、手厚く保護され、現在ではシロヤマザクラを中心に3万本が植えられています。」とありました。

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人間は爛漫に咲いている花を見るとドーパミンが大量発生し、明るい気持ちになれるそうです。

2泊3日の行程で吉野の桜に酔いたい、亮潤さんの修行の道でもある熊野古道・大峯奥駆道を時間がある限り歩いてみたいという夢は叶えられました。きっと1年分のドーパミンが発生し今年一杯の元気をいただいたことと思います。

心配された天気は快晴、桜も見頃、歌藤さんのログハウスから見る夜桜に十分に酔わせていただきました。感謝です。

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歌藤さん2泊目(4/6)

4/6(月)熊野古道・大峯奥駈道を心ゆくまで歩いた後、宿に戻りました。2泊目も歌藤さんにお世話になりました。

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若女将の順子さんです。2月末に訪れた時にはお腹が大きかったのですが無事に可愛い女の子を出産し4児のママさんになっていました。

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ご主人は60代とは見えず、朝から晩まで元気で働いていらっしゃいました。いろいろな情報を教えていただけるので助かりました。

この暖炉の間で一杯やりながら寛ぐのが何よりの楽しみです。

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西行庵

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14:07西行庵と蔵王堂への戻り道の分岐に来ました。ここでカミさんと青木さんは一足先に宿に戻ることになり、私一人西行庵に向かいました。

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14:19苔清水に到着。1684(貞亨元)年には松尾芭蕉もここを訪れて「つゆとくとく心みに浮世すすがはや」と詠んだのですが、今でも清水が流れています。

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ここは2回目ですが、ここに来ると何となくホットします。紅葉のシーズンにもう一度来れるといいのですが。

西行庵を後にして、16:00宿に戻りました。往復7時間半の熊野古道でしたが大変満足しました。

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熊野古道・大峯奥駈道

4/6(月)いよいよ亮潤さんの千日回峰行修行の道を行けるところまで行ってみることにしました。この道は熊野古道・大峯奥駈道でもあります。前回は青根が峯まで行って引き返しましたが、今回は12時前後まで歩き、そこで昼食をとって戻ることにしました。幸い天気は快晴でした。

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宿を8:15に出発し中千本迄歩きました。中千本9:00発のケーブルバスに乗り、9:10奥千本口着、金峯神社にお参りして歩き始め、9:30山上ヶ辻(858m)に到着しました。ここから山道に入りました。

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前回の到着地点青根が峰を通過してしばらくすると登り道になりました。

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変化に富んだ道が続きましたので飽きませんでした。

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10:55心見茶屋跡を通過しました。

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11:16目的地の四寸岩山迄もう一息の地点まで来ました。

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11:39四寸岩山(1236m)に到着しました。

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山頂からは、東吉野村や大台ヶ原の方向の山々が霞んで見えました。

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暖かな陽を浴びて、ヒンヤリとした風を受けながら歌藤さんで作っていただいたお弁当をいただきました。本当に美味しく食べました。

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この道は亮潤さんの修行の道の折り返し地点である山上ヶ岳に通じています。もう少し先に進みたかったのですが、帰りの行程も楽ではありませんので12:00に下山を開始しました。

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歌藤さん1泊目(4/5)

4/5(日)の朝7時から花見、蔵王堂、脳天大神、吉水神社、如意輪寺、コウヤマキ群落などの見物で丸一日たっぷりと吉野山を散策し、夕方に「歌藤」さんに落ち着きました。若女将の順子さんに「お帰りなさい」と出迎えていただきました。

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歌藤さんに泊まるのは前回(2月末)に続いて2回目です。歌藤さんはロープウェイの山上駅のすぐ傍で、下千本の桜見物には絶好のポイントにあります。前回と同様ログハウスに泊まりました。ご自慢のしだれ桜がちょうど見頃でした。

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今回は、急の予約にもかかわらずログハウスの2階に部屋をとっていただきました。

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部屋からは桜を見ることができ、夜桜や朝カーテンを開けた時の目覚めの桜を堪能することができました。

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一日中歩きましたので、美味しい山の幸や手作りのお料理を腹一杯食べて、翌日の山歩きに備えて十分な水分とエネルギーの補給をしました。

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吉野朝~吉水神社

蔵王堂や脳天大神を訪ねた後、後醍醐天皇が行幸し南朝の行宮とした吉水(よしみず)神社を訪ねました。ここでは義経~南北朝~太閤秀吉の時代に思いを馳せることができました。何気なしの寄り道だったのですが、吉野山の歴史再発見でした。

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1594年に太閤秀吉が権勢を示すために盛大な花見の宴を催し、吉水神社を本陣として数日間滞在し、歌の会、お茶の会、お能の会を開いて豪遊した舞台です。境内には、中千本・上千本一帯を展望できる「見わたしのいとよき所」があります。

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1185年義経は兄頼朝の追っ手を逃れて静御前、弁慶と共に吉野に潜入し、しばらくここに亡命していたそうです。義経の鎧は小ぶりで、義経は小柄であったということがわかりました。奥の細道を歩いた際もあちこちで義経の足跡に巡り会いましたが、行動半径が広く、当時の人からも人気があったことがわかります。

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白拍子だった静御前は吉野で義経と永遠の別れの際、この衣装を着て舞を舞ったそうです。「吉野山 峯の白雪踏み分けて 入りに人の跡ぞ恋しき」という歌は哀れを誘います。

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俗に言われている弁慶の七つ道具で、これらを振り回すことができたということは怪力だったようです。やはり奥の細道で、福島県飯坂温泉近くの医王寺には弁慶の背負子を見たことが懐かしく思い出されます。

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後醍醐天皇が、1336年に吉野に逃れ、ここを行宮と定めた時の玉座です。この時から南北朝の対立が始まりました。

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後醍醐天皇が作った色紙。僻地に身を置いて、無聊を慰めるために和紙造りにも励んだのでしょうか。後醍醐天皇はここで病により最期を遂げたそうです。義経といい後醍醐天皇といい、どんな想いだったのでしょう。しばし感傷に浸ってしまいました。

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太閤秀吉が愛した金の屏風です。秀吉は絶頂期の1594年にここで花見の宴を開きました。屏風の他に茶釜などの遺品などもありました。義経、後醍醐天皇と異なり、秀吉はゴールド(金)がお好みのようで、キャラクターそのままに秀吉ワールドに触れますと明るい気持ちになります。

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2009年4月 8日 (水)

蔵王堂&脳天大神

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お花見やお土産屋散策の途中、蔵王堂にも寄りました。蔵王堂にも多くの人がいました。

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翌日(4/6)の早朝、「歌藤」さんの若ご主人に車で送っていただき、6時半の朝の勤行に参加させていただきました。冷たい空気を引き裂くようなホラ貝、太鼓、読経の声はいつ聞いてもいいものです。

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蔵王堂の近くの脳天大神さんにも脚を伸ばしました。長々と続く階段を降りていきますと本殿があり、護摩を焚いていました。

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脳天大神本殿の脇に修行場があります。

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修行場には山の水が流れていて、亮潤さんは身体を清めてから修行に出かけました。この日はいい天気で陽射しが差し込んでいましたが、深夜はさぞかし寒く冷たいものと思われます。

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吉野名物

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ロープウェイの山上駅前から蔵王堂、上千本のあたりまでお土産物屋や食べ物屋、修験道の道具屋、鮎の塩焼きや薫製のお店、吉野杉の俎板などを売っている店など様々なお店が軒を連ねていて目を楽しませてくれます。この日も多くの観光客で賑わっていました。カミさんと青木さんは何回も往復して少しも飽きなかったそうです。

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吉野の名物は吉野葛で、吉野葛を使ったいろいろな味が楽しめる葛湯がありました。

吉野葛をベースにしたいろいろのお土産が色とりどりで、お土産の選択に迷うほどです。前回食べた葛うどんが美味しく、葛ソーメンも美味しそうでしたのでお土産に買いました。

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吉野へ(4/5~4/7)

吉野の桜を見るために2泊3日の行程で吉野山に行きました。目的は吉野の桜見物方々吉野山一帯散策、蔵王堂の朝の勤行参加、亮潤さんの修行の道(熊野古道・大峯奥駆道)を歩くこと、ログハウスの館「歌藤」さんで夜桜見物等欲張ってみました。同行者はカミさんとスタッフの青木さんの3人道中でした。

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4/4(土)の真夜中12時に横浜を車で出発し、東名~伊勢湾岸道路~名阪国道を経由して4/5(日)の早朝6時に吉野山に到着しました。この時期、車の交通規制があるために規制がかかる前に吉野に到着し、宿泊先の「歌藤」さんに車を預けて、吉野山を散策することにしました。吉野の山々は未だ眠っていました。一日の始まりの合図のように雲海が立ち上る風景が好きです。

1時間ほど仮眠したり朝食をとったりしてから早速花見に出かけました。陽が昇ると共に観光客が続々と詰めかけてきました。

吉野には、下千本、中千本、上千本、奥千本と桜の見所があり「一目千本」と呼ばれていて3万本が植えられています。標高の違いにより開花の時期にはタイムラグがあります。ここ下千本周辺はほぼ満開でした。

吉野の桜は「シロヤマザクラ」といわれる種類で、花びらはやや白く小ぶりです。雪の結晶のようで清楚な感じでした。

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2009年4月 2日 (木)

吉野の桜に酔いたい

先月の2/27~3/2、奈良~吉野~伊勢に出かけました。吉野は未だ桜の時期には早く、シーズンオフの静かな時期に、塩沼亮潤阿闍梨様の修行の道(熊野古道大峯奥駆道の一部)を歩き、奥千本の西行庵も訪れたいと思い、その希いを叶えました。秋の紅葉シーズンにもう一度行きたいと思っていました。

吉野は初めてでした。下千本、中千本、上千本、奥千本という地名があり、その名の通り全山桜の木という印象でした。吉野と桜の縁は、開祖の役行者が吉野山にお堂を建てる時に、蔵王権現の姿を桜の木で彫刻してお祀りしたそうです。その桜は蔵王権現に対する信仰の対象と考えられています。

開花にはかなり早い時期でしたので蕾も確認できませんでしたが、亮潤さんが「四無行」で籠もった蔵王堂では桜の苗木の献花式典が行われ、また山のあちこちで桜の木を植えたり、手入れをしている人達を見かけました。

2日間吉野山を散策して大気をたっぷり吸い込み、その大気が各地の桜の開花宣言と共に体内で熟成されたのか、桜の精が呼んでいるのか、やはり吉野の桜を見てみたい、吉野の桜に酔ってみたいという強烈な希いに囚われてしまいました。

最盛期で宿泊が心配だったのですが、電話をしてみると前回お世話になった「歌藤」さんの予約もOKで、前回と同様カミさんと青木さんの三人道中で、4/4~6の日程で吉野の桜に酔いに行くことになりました。天気予報は雨模様でよくないのですが、桜に囲まれ、酒が飲めれば雨が降ろうと槍が降ろうと・・・いう気分です。

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2007年4月1日、東海道のテクテクで京都にゴールした時の桜です。高校の同級生の丸山君が先日東海道五十三次を歩き終え、無事に京都にゴールインし、奥方とお嬢さんの出迎えを受け両手に花だったそうです。種村君に続いて横須賀高校3年3組で3人目の快挙です。その種村君は中山道を完歩し、次は甲州街道とかで、すっかり街道歩きの先達になっているようです。私は先日から中山道を歩き始めたばかりで、あまり気持ちが燃えてこないのでどこまで歩けるかわからないのですが、中山道のゴールも同じ京都ですので、来年の桜を見るために中山道を歩くようなことになるかもしれません。やはり桜は人を酔わせるのかもしれません。

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