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2009年5月23日 (土)

中山道9~13日間を終えて

5/11(月)に下諏訪宿を出発して、塩尻峠、鳥居峠、塩尻峠を越えて4日5泊、総行程130kmの街道歩きも無事に大井宿(恵那)に到着しました。今回の道程のほとんどは木曽路で、奈良井宿、妻籠宿、馬籠宿という中山道の花形宿を楽しみました。奈良井宿に宿泊した夜に降った雨も朝には上がっていて、雨の洗礼ならぬ青葉のシャワーと木曽川を吹き渡る薫風を思う存分味わいました。次回は5/25(月)から31(日)までの1週間の予定でゴールの京都を目指すことになりました。横川駅から一緒に歩き出したカミさんは、碓氷峠や和田峠を始めとする数々の峠にぶつぶつ言いながらも疲れも見せませんでした。当初は馬籠宿迄で終えたいと言っていたのですが、どうせなら京都にゴールしたいと言い出しました。もし私一人の単独行でしたら、草津から京都までは東海道五十三次で歩いていますので、草津で終わりにしようと思っていたのですが、京都まで付き合うことにしました。「牛に引かれて善光寺参り」ではなく「カミさんに引かれて京都詣で」となってしまいました・・・。

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2009年5月20日 (水)

中山道13日目(5/15)③中津川~(9.8km)~大井

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大宿に向かう道は、中津川市内からのどかな田園地帯に入り、陽射しは強いものの風は気持ちよく、地方都市のローカルな雰囲気を楽しみながらのんびりと歩ける道でした。

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中津川市から恵那市に入りました。山の中でもなく大きな街でもなく、この辺りもいかにも街道というイメージの道でした。

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「グループホーム中山道」という看板がありました。そういう名前のグループホームなのか、グループホームがありますという看板に中山道であるという表示をついでに書いたものなのか、この看板や建物を見わしたのですが、この文字しか確認できませんでした。ということはやはり「中山道」という名前のグループホームのようであり、そんなのあり???・・・でした。

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大井宿の入口にある甚平坂の碑です。広重の絵を碑に彫ったようです。ほっとして思わずVサインでした。

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朝7:00に馬籠宿を出発し、18.5kmを歩いて12:28に大井宿本陣に到着しましたので最後のVサインです。

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大井宿本陣から更に中山道を進み、恵那駅に向かう途中に大井橋があり、ここには中山道69次の絵がありました。下を流れる阿木川には鯉幟がたくさん翻っていました。

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13:08恵那駅発のセントラルライナーで名古屋に出て、名古屋から新幹線に乗り、夕方には帰宅しました。早朝馬籠宿を出発し18.5kmを歩いて、あっという間に夕食は自宅で食べているのが不思議な感覚でした。食卓には奈良井宿の酒屋杉の森で買った「杉の森」が登場しました。奈良井宿で買って、鳥居峠や馬籠峠を越えて100km近く行動を共にしたことになり、ありがたく美味しくいただきました。カミさんにはさんざん呆れられましたが・・・。

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中山道13日目(5/15)②落合~(3.9km)~中津川

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中津川宿の入口の高札場です。いわば役所の広報板です。日常生活の様々な注意事項が書かれていて当時の生活を知ることができますし、見ていると結構面白いものです。さすがに分別ゴミについての情報はありませんでした。

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中津川市内の中山道は、駅前の大きな目抜き通りを貫いていました。久しぶりに都会に出ましたのでお上りさんになったような気分でした。

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中津川は「栗きんとん」発祥の地です。特に「すや」さんは地元でも有名な和菓子の老舗です。300年くらい前に武士が「お酢」の醸造を始めたお店ですが、ここの栗菓子は遠方から買いに来る人も多い人気店だそうです。是非栗菓子を買いたかったのですが、残念なことに到着が早すぎて開店前でした。仕方なく駅前の観光案内所でお土産の栗菓子を買い求めました。

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中山道13日目(5/15)①馬籠~(4.8km)~落合

中山道通算13日目、今回の行程の最終日5日目のスタートは馬籠宿を出発して、落合宿、中津川宿、大井宿へ至りJR

恵那駅

から戻りました。

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馬籠宿を7時に出発してすぐに藤村の父親である島崎正樹の碑がありました。夜明け前の主人公青山半蔵は藤村の父親がモデルだったといわれています。

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落合宿への道は馬籠宿からの下りで、早朝の清々しい空気を吸いながら、遠くに木曽の山々を歩くこの道は快適でした。

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「これより北は木曽路です」という意味の碑がありました。今回の行程2日目に本山宿から贄川宿に向かう途中に「これより南は木曽路です」という碑がありました。これで4日間の木曽路歩きも終わりました。

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落合宿に「助け合い大釜」という大きな釜がありました。皇女和宮一行23,000人の炊事用に使われたとのことです。和田宿では和宮一行30,000人が宿泊したという記述がありましたが、大変な行列であったことは確かなようです。皇女和宮降嫁は中山道最大のイベントともいえます。

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2009年5月19日 (火)

中山道12日目(5/14)⑤島崎藤村

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宿場に到着後、閉館時間が迫っていましたので、汗を流す前に島崎藤村の生家跡・藤村記念館に入ってみました。

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島崎藤村とご対面しました。木曽義仲が木曽の英雄とすれば文豪藤村も木曽路の恩人かもしれません。

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馬籠本陣の建物も藤村の生家も明治28年の大火でほとんど焼失したそうです。藤村の童話をイメージした部屋が再現されていました。

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「木曽路はすべて山の中・・・」という「夜明け前」の書き出しの一文は、いわば木曽路のコンセプトになっている名文です。藤村は詩人でもあり小説家でもあり、今風にいえば有能なコピーライターということができます。

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ゆっくりと日が暮れつつある馬籠宿の藤村の生家跡で、藤村の詩集・若菜集の「初恋」 「まだあげそめし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と 思いけり ・・・」を久しぶりに目にして、ここ暫く思い浮かぶこともなかった青春という言葉を思い出し、柄にもなく感傷的になりました。

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中山道12日目(5/14)④馬籠宿へ

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碓氷峠を越えて軽井沢あたりから始まった長野県の街道歩きも8日間にわたり、この先は岐阜県となりました。

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峠を下るにつれて視界が開けてきました。

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真っ正面に恵那山を見ながら、ひたすら馬籠宿に向かって転がるようにグングンと下りました。

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馬籠宿は、奈良井宿や妻籠宿と異なって傾斜地にあり、ちょうど山の麓に抱かれたようなへばりついたような地形の宿場でした。この独特の地形に夕暮れが迫ってきて、何とはなくの哀愁を感じました。気温が急激に冷え込んできました。

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入浴後、カミさんはお土産物屋を覗きに出かけましたが、私は酒屋をリサーチして、無添加生絞りたてワインを発見しました。

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宿泊は馬籠茶屋に泊まりました。外見は昔ながらの宿というイメージですが、中は宿坊のような民宿のようなシンプルな部屋でした。布団挽きも含めて原則セルフサービスで素泊まりもOKでした。

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食事は通りを挟んで向かい側にある茶屋でいただきました。宿場の酒屋で仕込んだワインを食事の時に持ち込みたいという我が儘をきいてもらい、鮎の塩焼きや馬刺し、山菜と白ワインというのもおつなものでした。

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中山道12日目(5/14)③馬籠峠

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妻籠宿を抜けるとワラで作られた馬がありました。

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途中、大妻籠といわれる集落を通り過ぎ、とても心地よい古中山道を歩いていきますと男滝・女滝がありました。ここは吉川英治作の「宮本武蔵」の舞台にもなったところだそうです。

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馬籠峠の頂上までもう一息の地点には一石栃立場茶屋があり、もうそろそろ店じまいの時間でしたが時間を延長して接待を受けました。ここは無料の休憩所で、暫くご主人と話をしていると汗がすっとひきました。囲炉裏には火が焚かれていて、出していただいた温かいお茶も美味しくいただきました。

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ようやく馬籠峠頂上に到着しました。ここから馬籠宿まで一挙に下ることになります。

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中山道12日目(5/14)②妻籠宿

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何とかお昼時に妻籠宿本陣に到着しました。

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温泉宿で作ってもらった朝食用のお弁当は食べる時間がありませんでしたので、無料休憩所で休憩をとりながらいただきました。ゆっくりと休憩をとって馬籠峠越えに備えました。

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お土産物屋の店先を楽しみながら宿場をブラブラと馬籠峠に向かいました。

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中山道12日目(5/14)①須原~(7.5km)~野尻~(9.7km)~三留野~(5.9km)~妻籠

中山道通算12日目、今回の行程4日目のスタートは須原宿から野尻宿、三留野宿、妻籠宿を目指しました。この間の行程が23kmと長く、更に馬籠峠を越えて馬籠宿を最終目的地としたため30kmを歩くことになっていましたので、宿泊した温泉の支配人にお願いして、朝食はお弁当にしてもらい、朝早い時間に車でスタート地点の須原まで送ってもらいました。

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温泉の送迎車で須原宿まで送っていただき、7:00に須原を出発しました。須原では用水代わりに大木を舟のようにくりぬいた水船が何ヶ所も見られました。水船は宿場の大切な水くみ場ですが、旅人が一服するために設けられていた場所です。碑には正岡子規の歌が彫られていました。

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須原宿から妻籠宿への長い道は、ここまでの道のりと同じように19号線やJRと交差したり、木曽川の景観を楽しんだり、古道歩きという街道テクテクの面白さが鏤められていました。場所によっては手入れの行き届いた民家の庭先を縫うようにして歩く道もありました。

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木曽義仲のかぶと観音がある場所まで来ると妻籠宿もいよいよ近くなってきました。

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皇女和宮が使ったとされる風呂桶がありました。妻籠宿に近づくにつれ少しづつ江戸時代にタイムスリップしてゆくような感じがしました。

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天気は快晴で気温はぐんぐん上がっているようでしたが、鮮やかな緑のシャワーを浴びるような道は目を楽しませてくれましたし、木陰に入ると涼しいためにあまり疲れは感じませんでした。

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2009年5月18日 (月)

中山道11日目(5/13)④桟温泉

JR

の須原駅

から上松駅

に戻り、上松駅からバスで桟温泉という宿泊地に移動しました。

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木曽の桟(かけはし)といわれる場所です。中山道三大難所の一つといわれた「桟」が渡されていた場所です。桟とは橋と思っていたのですが、断崖絶壁が続く命がけの難所の壁面にへばりつくような場所に石垣を積んで通れるようにした場所で、橋ではないために対岸に渡らないと見えません。石垣が組まれた桟の上は舗装され大型ダンプが走っていました。

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午前中に歩いた国道迄JRとバスで戻り、橋を渡って木曽川を越えたところに桟温泉がありました。

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温泉宿が見えた時にはほっとしました。

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部屋からも温泉風呂からも木曽川や午前中歩いた国道を見ることができ、あの道を延々と歩いたんだと思い返し、感慨深いものがありました。青葉を見ながら木曽川を渡る風に吹かれていると一日の疲れが吹っ飛び、「風薫る」という言葉を体感することができました。

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中山道11日目(5/13)③寝覚の床(上松~(12.7km)~須原)

上松宿で早めの昼食をとり、須原宿を目指しましたが、途中「寝覚め床」という木曽川の奇勝地に立ち寄りました。

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東海道丸子宿にあるとろろ汁の「丁字屋」と同じくらい有名な「越前屋」は、「続膝栗毛」でも登場する「寿命そば」が評判を呼んだ蕎麦屋です。旧道には当時の姿のまま残っているのですが、現在は国道沿いの「寝覚の床」入口に店舗を構えています。

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越前屋の寿命そばを食した数々の有名人。昼食は済ませたばかりでしたので有名人の仲間入りができなくて残念でした。

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「寝覚の床」といわれる名所の景観は圧巻でした。特に木曽川の流れを阻むような大岩の迫力には圧倒されました。

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ここ「寝覚の床」には沢庵禅師、貝原益軒、松尾芭蕉、正岡子規なども訪れています。とても面白い話の浦島太郎伝説も残っています。浦島太郎にならないように気を引き締めました。

更に木曽川の景観や木曽古道といわれる静かな道を楽しんだり~宿泊地に戻るための数少ない電車のダイヤに間に合わせるために楽しむゆとりはありませんでしたが~国道19号線沿いを歩いたり、熱暑の中ヨレヨレになりながら須原というJRの駅にたどり着きました。

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中山道11日目(5/13)②福島~(10.0km)~上松

福島宿から上松宿への道は、国道やJRと交差したり、木曽川沿いを歩いたり、複雑な道の連続でした。

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木曽福島駅を過ぎてからの道は国道19号線を眼下に見たり、合流したり、トリッキーな道が続きました。

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先に中山道を歩いた高校時代の同級生の種村君から借りた詳細な地図があるにもかかわらず、JRの線路脇の道では戸惑ってしまいました。

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上松宿がそろそろ近くなった地点では、歩道のない国道を歩くことになりました。ちょうど工事中で、工事関係者に誘導されて車列を縫って歩きました。福島宿から暑いコンクリート道を歩いたためにかなり疲れました。

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中山道11日目(5/13)①宮ノ越~(7.5km)~福島

中山道通算11日目、今回の行程3日目のスタートは宮ノ越宿から福島宿を目指しました。天気はこの日も快晴で、暑いくらいでした。

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宮ノ越宿を早朝出発してほぼ30分くらい歩いて「中山道中間地点」に到着しました。日本橋からも京都からも268kmの地点です。日本橋をスタートして11日目です。

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中山道中間地点から少し歩いた地域は「七笑」という集落で、この地名は地酒としても有名です。そしてどういう訳か立派な土俵がありました。

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木曽義仲が元服したといわれる辺りに由来の松が残っている地域を通り過ぎました。

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福島宿の入口にある木曽福島関所跡です。ここを通り抜け、島崎藤村記念碑などを見て木曽福島駅前に出ました。

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今日の行程は長いので、木曽福島駅前の観光案内所で情報をもらって、すぐ傍にある御嶽神社にお参りをして、次の宿場上松を目指しました。

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2009年5月17日 (日)

中山道10日目(5/12)⑤奈良井宿

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JRで再び奈良井宿に戻りました。昼前に通過した時には観光客の姿も見られましたが、夕方近くともなるとまったくひっそりとしていました。

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何はともあれ、糖分の補給をしました。

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酒屋があり、立派な杉玉がありました。ここの杉の森というブランドの日本酒はさっぱりとして非常に美味しかったです。

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老舗の泊まってみたい旅籠が満室で予約できませんでしたので民宿「かとう」さんに泊まりました。しかし老舗の旅籠に人が泊まっている気配はありませんでした。

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間口は狭いのですが、奥行きはとても長く、裏手にJRが走っているのですが、その線路の向こうにも部屋がありびっくりしました。京都と同様、かつて税金は間口の広さに応じて徴収されていた名残でしょうか。

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入浴後、街道を見下ろす部屋で涼しい風に当たる一時は、街道歩きの楽しみの一つです。

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民宿「かとう」さんは、お父さんとおばちゃんが2人で切り盛りしていました。この日の宿泊客は私達だけで、美味しい手造り料理でもてなしていただきました。今回の行程では一番美味しかった食事でした。翌朝早く出発したいと言いましたら、朝食も早く準備していただきました。出発の時見送ってくれたおばちゃんありがとうございました。

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中山道10日目(5/12)④義仲館

鳥居峠を越え、藪原宿を過ぎて、宮ノ越宿に着くと、ここは木曽義仲の故郷であり、旗揚げの地でした。

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鳥居峠が分水嶺になっていて、奈良井宿方向には奈良井川が流れ、宮ノ越宿方向から先は木曽川が流れています。義仲橋で木曽川を渡った先に義仲館がありました。

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かつて奥の細道で倶利伽羅峠(富山県と石川県の県境)を越えた際、麓にやはり義仲館がありそれ以来の義仲との再会となりました。倶利伽羅峠では牛の角に松明をともし、平家を追い落とし劣勢を挽回したという史実がありました。

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1183年に平家を滅ぼし京都に入り征夷大将軍に任じられましたが翌年義経に討たれてしまいました。享年31歳という若さに驚かされました。

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義仲は義仲館の裏にある徳音時に眠っています。義経に滅ぼされ、その義経は頼朝に滅ぼされ、人の命の儚さを感じましたが、今日まで英雄として木曽の人々から祀られ慕われていることでほっとした気分にもなりました。

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義仲の隣に巴御前も寄り添うように眠っていました。しばし義仲ワールドに浸った後、JR

で奈良井駅

に戻りました。

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中山道10日目(5/12)③鳥居峠

難所といわれる鳥居峠を越えて、奈良井~(5.3km))~藪原~(7.5km)~宮ノ越のコースを歩きました。

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奈良井宿の外れから徐々に上り始め、道も険しい箇所も何ヵ所か有り、かつてはかなり厳しい峠だったと思われました。

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これから先、何ヶ所か熊除けの鐘がありました。「熊も人が怖いのです・・・」という但し書きがありました。ここで思い切り鐘を叩いたうえで、更に持参した鈴を装着しました。

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青葉がきれいで、風も涼しく、上りが厳しいわりに気分は快適でした。

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中山道10日目(5/12)②贄川~(7.2km)~奈良井

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贄川宿から旧道を歩いているとうまいと評判の蕎麦屋がありましたが、残念ながら昼飯には少し早いためにパスしました。

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奈良井宿が近くなった地域は街道沿いに漆器の店が並んでいました。朝が早く小腹が空いてきましたので「100%生粉自家製石臼蕎麦」という看板につられて早めの昼食をとることにしました。木曽路で初めて味わった蕎麦でしたが、朝採れの山菜天ぷら蕎麦を美味しく食べました。

お昼前に奈良井宿に到着しました。観光客がのんびりと歩いていました。

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これから難所の鳥居峠を越えるためあまりゆっくりできませんでした。水飲み場で新たに冷たい水を補給しました。

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中山道10日目(5/12)①本山~(7.8km)~贄川

中山道通算10日目、今回の行程2日目のスタートは本山宿から贄川宿を目指しました。いよいよ木曽路に入りました。天気はこの日も快晴でした。

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中山道通算10日目、今回の行程2日目のスタートは本山宿から贄川宿を目指しました。いよいよ木曽路に入りました。天気はこの日も快晴でした。

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これより南は木曽路という意味の碑があり、いよいよ木曽路に入りました。

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冷たく美味しそうな湧き水がありました。これから先随所にこのような水場がありましたので、水分補給の心配はほとんどしなくてすみました。どこの湧き水も柔らかく甘く美味しく感じました。

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これより先、国道19号線とJRと並行している道が続きました。時には国道沿いを歩くこともこのように国道やJRを見下ろす気分のいい道もありました。

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2009年5月16日 (土)

中山道9日目(5/11)②塩尻~(7.14km)~洗馬~(3.24km)~本山

中山道9日目の後半は、塩尻宿から洗馬宿を通って本山宿を目指しました。

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昭和電工の大きな工場の脇の道は真っ直ぐで、左側には田畑が広がっていましたが、陽射しが強く木陰がないために疲れがどっと出ました。

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洗馬宿近くの一帯は平出遺跡があり、そこから出土された銅鐸のモニュメントがありました。最北端にある銅鐸とのことです。この道はぶどうなどの収穫時期にはおみやげ屋が軒を連ねる地域ですが、今の時期は全て閉店していますし、国道沿いの道でまったく楽しみがありませんでした。

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洗馬宿から本山宿への道は道は全く平坦ですが、陽射しが強い上に風が向かい風で強く、道がずっとコンクリートのため足にもかなり負担がきて、疲労感が強くなりました。「本山そばの里」という有名な蕎麦屋がありましたが、時間は15時過ぎで食事には中途半端な時間でしたので、幟を横目に更に先を急ぎました。

本山宿は、特に旅籠やお店があるわけではなく、街道沿いに古い家が並んでいるだけですが、非常にほっとする街並みでした。本山宿を過ぎて、贄川宿に向かう途中の日出塩というJRの無人駅で電車に乗り塩尻駅に戻り、駅前のビジネスホテルに宿泊しました。ホテルでシャワーを浴びて、駅前のホルモン焼きの店でエネルギー補給をしました。

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中山道9日目(5/11)①下諏訪~(11.25km)~塩尻

連休明けの5/11(月)から4泊5日の中山道テクテクに出発しました。前回の終着地点下諏訪から大井宿(恵那駅)を目指しました。今回もカミさんが一緒でした。

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中山道通算9日目は下諏訪を9:30に出発し、塩尻峠を越えて塩尻宿を目指しました。下諏訪市内を抜けて、少しづつ上りにかかりました。上りが急になる頃に金明水と呼ばれている湧き水でノドを潤しポットに補給しました。明治天皇もお飲みになられたというありがたい水です。

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出発して1時間半ほどで塩尻峠の頂上に着きました。頂上からは諏訪湖や八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳や北岳などの南アルプスが見えました。反対側には雪化粧の乗鞍岳も見ることができました。

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塩尻峠から下りの山道を歩いていると、旅の無事を祈るためでしょうか、お地蔵様が見つめていました。

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塩尻宿には13時頃に到着し、次の宿場の洗馬宿に向かいました。

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2009年5月 6日 (水)

箱根~目に青葉

5/3(日)ゴールデンウィークの真っ只中、2ヶ月ぶりにカミさんと箱根に買い出しと新緑を見に行きました。

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連休で人出が多いことは予想していた通りで、いつもはひっそりしている石畳の旧道も多くの人に出会いました。皆さん石畳の道は慣れないせいかおっかなびっくり歩いていました。

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旧道の緑は色鮮やかで、またホトトギスなどの鳥たちも気分がいいのでしょうか頻りに囀っていました。「目に青葉 山不如帰 ・・・」という句そのものでした。

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甘酒茶屋の数十メートル手前にある「My別荘」です。目立たない場所にあり、いつも空いていますのでいつの間にかここで休憩をとったり、お茶したりする場所となり、勝手に「別荘」と呼ぶようになりましたが、所有権や領有権とは一切関係ありません。

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甘酒茶屋は箱根らしい雰囲気の人気スポットです。旧道を歩いてくるとノドの渇きを癒したいというちょうどいい場所にありますし、車で来てもちょっと一服したいという雰囲気にさせる茶屋です。ようやく昔の姿に復元して開店しましたので、多くの人で賑わっていました。

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小田原駅に戻りましたら「北条早雲祭り」の武者行列が始まるところでした。待ち疲れたかのような老武者に「見ていきなさいよ」と声をかけられました。

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箱根では腸詰屋のソーセージを仕入れてくるのですが、今回は芦ノ湖の土産物屋の店先で珍しいミカンも発見しました。柚子かと思ったのですが「ゴールデンオレンジ」というミカンで、収穫期間は一ヶ月だけという希少品種だそうです。小さいほど美味しいそうで、試食しましたら濃厚な甘酸っぱさで美味しかったので一袋(1,000円)買いました。

「目に青葉 山不如帰」とくれば「初鰹」ですので、小田原駅前の魚屋「魚国」で鰹を探したのですが入荷していませんでしたので、代わりの夕食用にアジの干物と石鯛の刺身を買いました。

帰りのリュックはいつものようにずっしりと重くなりましたが、足腰は快調ではありました。しかし箱根は慣れた道で疲れないようなペース配分などができますが、連休明けに出かける中山道の塩尻峠や鳥居峠などいくつかの峠では初めての山道ですのでどうなるかは多少心配でもあります。

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2009年5月 1日 (金)

富士山散策

5月の大型連休で高速道路が混む前に、早めの連休を楽しもうと2泊3日の日程で山中湖に行きました。目的は富士山に近づくことと見ること、山中湖周辺を歩くことで

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富士スバルラインは6:00にゲートが開きますので、5:30に山中湖を出発し、6:30に富士山五合目に到着しました。駐車場付近は雪かきがされていましたが、登山口への道は雪に閉ざされていて登山禁止の看板がありました。

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看板の脇から登山口に向かってしばらく歩き、上を振り向くと富士山の斜面が登山者を拒むようでした。中年の男性が「今年は雪が少ない」という言葉を残して一人斜面を登っていきました。日帰り登山をするとのことでした。

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私達もカンジキを装着して、足跡を頼りにしばらく歩いてみました。

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カミさんは恐怖で足がすくんでしまいましたので、これ以上登ることは危険でしたので戻ることにしました。

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本栖湖のわきでは芝桜が綺麗に咲いているということでしたので車で寄り道してみました。富士山を背景に芝桜が絨毯を敷き詰めたように咲き誇っていました。

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富士山ではほとんど歩く(登る)ことができませんでしたので石割山に登りました。12:00ちょうどに石割神社に到着しました。

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石割神社から15分くらいかなり急峻な上りを頑張りますと山頂に着きました。富士山には雲がかかっていました。一人で日帰り登山を目指した男性の人影でも見えないかと目を凝らしてみたのですが、もちろん見つけることはできませんでした。

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石割山から戻り、夕方まで未だ時間がありましたので花の都公園方向に歩いてみました。道端にブルーのネモフィラが咲いていました。ベイビーブルーアイズ(赤ちゃんの青い瞳)と呼ばれる種類で、青色が綺麗でした。

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また珍しい黄色のスミレも野生していました。

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たくさん歩いて満足して石割の湯に入って汗を流しました。いつもは紅富士の湯に行くのですが、火曜日は定休日のため何年ぶりかで石割の湯に行きました。紅富士の湯のようには露天風呂から富士山は見えませんが、こじんまりとしていて湯加減もちょうどよくかなり長湯をしてしまいました。山中湖村に住民税を払っているために二つの湯とも村民料金で入場できますのでできるだけ利用することにしています。

早朝の富士山散策、石割山登山、山中湖散策と一日中動いていましたので、心地よく疲れました。

4/29の早朝に、東名高速の下りが少しずつ渋滞する様子を脇目に帰宅しました。かくして我が家の連休は終わりました。

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