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2009年6月30日 (火)

剣岳 点の記

Tsurugidake

しっかりと梅雨空で、晴歩雨読ならぬ雨読雨読の日々です。富士山の山開きには未だ日があるし、それではせめて雄大な山岳シーンを目で楽しもうと「剣岳 点の記」を見に行きました。期待通り剣岳の雄姿や剣岳から見た北アルプスの峰々、富士山などの姿に心静まるどころかかえって火がついてしまい悶々としています。それにしても大変な苦労の末測量隊が初登頂と思われたのに、なんと山頂には1,000年以上も前のものと思われる行者の錫杖がありました。行者恐るべし。

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監督や俳優が語る撮影の苦労話を聞くまでもなく特撮や空撮を一切使わない自分たちの足だけによる撮影は大変だったろうと思いますし、その迫力が伝わってくるようでした。原作者・新田次郎の本は若かりし頃随分読みましたが、本屋の店頭にも文庫本がかなり並んでいました。早くも新田次郎ブームの予感です。この映画に刺激されて、富士山はもとより大学時代に登った奥穂高にも登ってみようといろいろ調べてみますと、上高地からは大行列で、涸沢ヒュッテには収容人数200人のところに800人くらい宿泊する日もあるとのことでした。この映画の主人公の観測隊の人々、富士山測候所の開設者、縁の下の力持ちの強力などの先人達にスポットが当てられるのはいいのですが、これ以上山が混雑するのは・・・。紅葉の頃、奥穂高岳に登ろうと思っていたのですが、きっとラッシュに失望すると思いますのであきらめることにしました。

映画は6/26(金)に見に行ったのですが、金曜日はレディスデーで通常料金1,800円が1,000円になるというのでカミさんと青木さんも一緒でした。私は通常料金を払いましたが、60歳以上は1,000円ということを後で知りました。そういえば今年見た「禅」や「おくりびと」も1,000円で見られたとのことです。後の後悔何とやらですが、まあいいか・・・。

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2009年6月29日 (月)

街道をゆく

東海道や中山道、奥の細道などを歩いて、どうしても気になっていたのが司馬遼太郎の「街道をゆく」でした。何冊か読んでみると、街道歩きの参考になるのではないか、あるいはこれから歩いてみたい街道情報が得られるのではないかという期待はやや裏切られました。このシリーズはある地点からある地点に辿るというものではなく、落下傘降下的・散文的にスポットが紹介されていますので、街道を辿る参考にはなりそうもありません。しかし紹介されているスポットの情報は失望を補って余りある面白い情報が一杯で、ますます街道歩きが楽しくなりそうです。

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司馬遼太郎の絶筆となった「街道をゆく43・濃尾参州記」で紹介されている桶狭間にある藤田保健衛生大学については、「尾張名古屋と三河は江戸時代から医者どころで・・・」などと書かれています。桶狭間は東海道五十三次の途上立ち寄りましたが、機会があれば近辺も含めて再訪したいと思いました。

また同書では蜂須賀小六についても書かれています。いうまでもなく野武士の頭領で世間では盗人とも言われていますが、蜂須賀家は明治維新のあと侯爵にもなり、のち東京府知事、文部大臣にもなりました。当時の当主が皇居に参内し、応接間で待っている間に紙巻きタバコが目につき、一本をポケットに入れたそうです。やがて明治天皇(大変な倹約家)が入室してきて、目ざとくタバコが減っていることに気がつき「蜂須賀先祖は争えんのう」と嬉しそうに言ったそうです。蜂須賀当主は大変にこたえて、高名な学者に先祖が泥棒だったのかどうか調べさせたそうです。後日、日吉丸(秀吉)と蜂須賀小六とが出会ったといわれる橋は江戸時代にできたものであり、一般的に知られている日吉丸の出世物語(作中蜂須賀小六は盗賊)で語られる話はかなりフィクションが多いということまではわかったそうですが、先祖が盗賊ではないという検証はできなかったそうです。また真偽のほどはともかく矢作川の橋近くの古い八丁味噌屋に蜂須賀小六と日吉丸が泥棒に入ったという話もあるそうです。こういう話を東海道(岡崎も歩きました)を歩いていた時に知っていたなら街道歩きはもっと楽しいものとなったと思います。

今年の4月に吉野に行ったとき、金峯神社の脇に「義経かくれ塔」がありました。ツアーで来ていたおばちゃんが「なんだただの小屋じゃない」といっていました。吉野は義経と静御前が最後の別れをした地であり、二人の想いや小さな小屋に身を潜めていた義経の心中を巡らせますと周りの風景が全く違って見えてきます。史跡について知っているかどうかで旅や街道歩きはまったく様相が異なります。これから「街道をいく」をテクテクの友とすることにしました。

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2009年6月19日 (金)

晴歩雨読

梅雨に入って雨模様の日は好きな本でも読んで、梅雨の晴れ間は得した気分になっていそいそとウオーキングに出かけています。日々リタイア生活にも馴染んできました。この時期、数日間にわたる旅行の計画は立てにくく、富士山の山開きはもう少しの辛抱ですし、じっと我慢の日々です。

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6/17(水)は晴れで、巳の日でしたので、2ヶ月ぶりに北鎌倉宇賀神神社(銭洗弁天)に出かけました。巳の日は洞窟の入口の提灯に灯がともります。自宅から3~4時間くらいで源氏山のハイキングコースを通る道は手頃な散歩コースです。巳の日毎(12日)に出かけるというのは、ちょうどいいインターバルです。巳の日であっても土、日、祭日、雨の日はパスします。週末は鎌倉観光の人が多く、マイペースで歩けないのでパスします。

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紫陽花は日本固有の花だそうです。最近はこの季節になると川沿いの道やちょっとした小径、あるいは普通のお宅の庭先にも様々な色で目を楽しませてくれます。この日も鎌倉には紫陽花見物の人が多く出ていて、明月院(紫陽花寺)や成就院に行くと素晴らしい紫陽花を見ることができると思います。それにしても花は何故これほど鮮やかな色合いになるのでしょうか。

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6/19(金)も晴れました。ここ数日夜間に雨が降り、夜明けと共に陽が射すというこの時期理想的な空模様です。2ヶ月ぶりに四季の森公園に行きました。夜間の雨に緑は一層濃くなっていて、早朝あまり人がいない時間帯は緑の空間を独り占めでした。いつものようにウェイトを足首に付けたりウェイトチョッキ(わからないように)を着たりして階段を上り下りしましたが、すぐに汗びっしょりとなり、以前の数分の一の時間で引き上げました。やはりウオーキングにとって暑さと湿度は大敵です。

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2009年6月13日 (土)

梅雨時の箱根路

今週関東地方も梅雨に入ったという発表がありましたが、6/12()は晴れるという天気予報でしたので久しぶりに箱根を歩きました。青木さんとカミさんが同行しました。始発電車に乗って、箱根湯本駅から7:00に歩き始めました。最近は箱根湯本駅から芦ノ湖往復というパターンになってきました。

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ここ数日の雨で緑は思いっきり深まり、箱根旧街道名物の石畳も苔に覆われ、緑一色でした。緑のドームに包まれたようでした。

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道端の葉も思いっきり育って道を塞いでいました。

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箱根湯本駅からの旧道は、須雲辺りの須雲自然歩道からは林の中の道、石畳、渓流沿いの道などいろいろ変化して楽しく歩くことができます。

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部分的には甘酒茶屋の手前辺り、車道脇の道もあります。車がエンジンをふかして喘ぎながら走っていました。

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この日は気温がグングン上がってきて、滴り落ちる汗を拭くのが面倒なのでバンダナをつけ、夏用登山パンツを履きました。このパンツは膝下と膝上の2段階切り離し可能ですが、足首にアンクルウェイトを巻き付けていて、膝上辺りから切り離すと涼しいのですが、恥ずかしいので実際には切り離すことはしませんでした。

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いつものように芦ノ湖では腸詰屋のハム・ソーセージを仕入れ、小田原駅前の魚屋では夕食の食材を仕入れました。生タコはカミソリで皮を切り剥ぎます。皮には吸盤もついてきますので、半生ぐらいに茹でて吸盤をとり、皮はコラーゲンたっぷりですので細かくカットします。白身はスライスしてお好みで生のままかしゃぶしゃぶで梅醤油などで食べます。

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この日の夕食は3人分でしたので、タコの他にヒラメとアジ、野菜などが食卓に上りました。スライスしたタコは自家製ドレッシングでカルパッチョでいただきました

以前の箱根歩きは、小田原駅から芦ノ湖往復し、夕方居酒屋で飲食して帰宅するというパターンでした。3人で居酒屋で飲み食いすると1万円くらいかかりますし、帰るのが億劫になりますので、小田原で食材を仕入れて自宅で食べるようになりました。手間はかかりますがハム・ソーセージや野菜はカットするだけですし、魚は捌くかカットするだけですのでそれ程時間はかかりません。費用も半分以下ですみますし、ビールでも日本酒でもワインでもお酒は飲み放題ですし・・・。小田原で仕入れた食材を美味しく食べるために箱根を歩くようなことになりました。

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2009年6月11日 (木)

中山道~グルメ事情

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長距離を継続して歩くためには、多少の足腰の強さや持続力と共に、体力を維持するための旺盛な食欲・消化力・腸整力も必要です。水分をとりすぎますと、胃液が薄まり食欲や消化力が落ちます。

街道を歩いていますと、いろいろな食べ物のお店や看板に出会います。風景や街並みなどをウオッチングしながら歩いていますとお腹が減ってきて、さて昼はどこで何を食べようかなとか今晩は何を食べようかなどとどうしても食い意地が張ってきます。

出会った食べ物屋や看板では、こだわりの蕎麦、栗きんとん発祥の店、日本一のイチゴ大福、地元で評判のラーメン屋、大辛カレーパン、近江牛のタタキ、日本一の鰻屋等々。口に入ったものも入らなかったものもありました。

栗きんとんのように季節があるものはあきらめざるを得ませんが、何としても味わってみたいというものもありました。愛知川宿の江戸時代から続く漬け物屋「マルマタ」の赤蕪漬けはどうしても食べてみたいと思った食材でした。インターネットでも取り寄せることができるということですので、シーズン(12~3月)到来が待たれます。

いろいろな食べ物との出会いも街道歩きの楽しみで、美味しいものは美味しく、そうでないものもそれなりに食べられたことに感謝です。

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中山道~宿泊事情

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20日間の行程で、14泊しました。内訳は旅籠・民宿5泊、ビジネスホテル7泊、ペンション1泊、温泉ホテル1泊でした。1日歩いてちょうどいい宿場に旅籠・民宿があるといいのですが、中山道の場合には旅籠・民宿が無い宿場も多く、あっても1軒だけという宿場もありました。しかし全て旅籠・民宿がいいかとなるとなかなかそうもいきません。食事メニューがほとんど同じようなものですし、選択肢もありませんので、やはり食べたいものが食べたくもなります。また利便性に欠けるのもやむを得ないことです。料金は1人1泊2食付きで7,5009,500円くらいですので、夫婦2人でビールやお酒を飲むと大体2万円前後になります。

そこで経費節減と選択の自由の二つの理由からビジネスホテルの利用が多くなりました。1泊1ルームで10,000円前後、食事は居酒屋や近くに市場や総菜が入手できるスーパーなどがあれば食べたいものを選択できますし、料金も2人で15,000円くらいに抑えることができます。

カミさんが合流した1泊目は、碓氷峠を越えて軽井沢泊まりでしたので、オーベルジュ・ペンションに泊まり、フランス料理のディナーコース(何年ぶりかでした)で、前途を祝し絵乾杯しました。長い旅程の中では、疲れをとるために温泉に浸かりたいとも思い木曽の桟温泉に泊まりました。

多少利便性に欠ける点はあっても、旅籠に泊まることは街道歩きの醍醐味でした。同時のそのままの旅籠泊まりはめったにできる体験ではありませんし、またアットホームな民宿は気持ちがとても温まりましたし、思い出に残っています。奈良井宿で泊まった民宿「かとう」さんは、おじさん・おばさんがとても親切で、長距離歩いて到着することを本当に心配して、お風呂も沸かして待っていてくれました。料理も普通の料理でしたが、丁寧な手造り料理でとても美味しくいただきました。奈良井宿で民宿「かとう」さんに泊り、鳥居峠を越えるというコースを含めて木曽路を歩くのもいいかもしれません。

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2009年6月10日 (水)

中山道~寄り道

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中山道の行程の中で、2ヵ所寄り道をしました。1ヵ所目は岐阜城・長良川で、岐阜市・関市は母の郷でもあり、岐阜城・長良川は小さい頃過ごした場所ですし、大学時代まで夏休みになると過ごした場所でした。母も昨年の9月に亡くなり、これから岐阜に行く機会もないだろうと思いましたので、寄り道をしました。

2ヵ所目は安土城跡でした。どうしても一度行きたいと思っていたのですが、場所が他の観光ルートとは離れた場所ですし、わざわざ出かけても城跡だけですからなかなか機会に恵まれませんでした。ですから中山道街道歩きが虫食い状態になっても立ち寄ってみたいと思っていました。

信長の天下統一のシンボルであった安土城も今は城跡のみで、早朝の冷たい風が石垣や茫々たる草を吹き撫でる様は、「夏草や兵どもの夢のあと」という平泉での芭蕉の句を思いだし、歴史や人の命の儚さを感じずにはいられませんでした。今年の9月には安土城を築城するという映画が上映されるそうです。スクリーンの上ですが、あの大地にどのような姿で安土城が姿を現すのか楽しみです。

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2009年6月 8日 (月)

中山道を歩き終えて

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今年の3/28に日本橋を出発して5/31に京都三条大橋にゴールしました。20日間の行程でした。1、2回数時間雨に降られたこと日もありましたが、ほとんど天候に恵まれ、トラブルもなく夫婦揃って(カミさんは横川・碓氷峠から同行)、ケンカをすることもなく~どちらかがよほど我慢強いか、よほど寛容なのか~ゴールインできました。足のあちこちが痛くなったりすることがあっても1日寝てしまえば翌朝は快適に歩き始めることができました。

東海道に始まって、四国巡礼、奥の細道などを歩いた後、中山道は頭にあったのですが、なかなかモチベーションがあがらずスタートが切れませんでした。中山道は自然の中というイメージで好きなタウンウォッチングの楽しみが少ないのではないかと思っていました。更に情報が少なく(自分の無精のためですが)、楽しさがイメージできませんでした。居酒屋・赤提灯も少なそうだし・・・。そんな折、高校時代の同級生(東海道も完歩)が中山道を歩き始めていてなかなか面白いよという話が伝わってきました。彼からは詳細な地図や情報を貰いました。

高崎辺りまでは面白くないよとも教えて貰いましたので、ともかく高崎まで歩いてみよう、面白くなければ止めればいいということで、ともかくスタートを切りました。歩き始めるとどんな道でも目標に向かってテクテク歩くこと自体が楽しいし、この道が京都まで続いていて、途中どんな道でどんな光景が目の前に現れてくるのかを想像するとワクワクしました。

実際歩いてみて想像を超えた面白さでした。目の前に次から次に現れてくる宿場や街の生活風景、歴史、峠道や清流、素晴らしい緑、美味しかった風と水など、今でも皮膚感覚で思い出すことができます。どうしても東海道と比較してしまいますが、中山道は山の中で峠が多く、宿泊施設やトイレ(女性には大変かも)などの施設面で不自由なことが多く、また現地と自宅との行き来(東海道は大体新幹線)も不便です。しかし苦労した分だけ達成感は高く、また街道歩きという点では中山道の方が楽しいかもしれません。

先入観だけで、出かけない理由を探しウジウジとスタートできなかったことを反省していますし、もし中山道を歩いていなかったらとても楽しい機会を失っていたわけで、ともかくチャレンジして良かったというのが実感です。

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2009年6月 6日 (土)

中山道20日目・最終日(5/31)②大津~京都三条

いよいよ最終の行程となりました。ようやくゴールという嬉しさ、もうこれで終わりという寂しさ、中山道の次はどうしようという気持ちが交差しつつついつい足は速まりました。

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京都市内に入り、ようやくゴールの三条大橋の交通標識が見えてきました。この辺りは蹴揚の清水跡があり、浄水場などがあります。南禅寺にも近く、桜の名所となっています。2年前の東海道五十三次の時には桜が満開で、花見見物の観光客で一杯でした。

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5/31、12:39に三条大橋にゴールインしました。関西地方はインフルエンザで感染者が出ているということでしたが、特にマスクをしている人はいませんでした。私は日々アルコール消毒をしてきましたので大丈夫だと思っていました。

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相変わらず弥次さん・喜多さんが三条大橋のたもとで待っていてくれました。07年4月1日12:40に会って以来2年と1ヶ月ぶりでした。

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2年前の4月1日にはちょうど桜が満開で、春の陽射しの中で桜の花が咲き誇り、高瀬川にその姿を写していましたが、この日は薄日が射してきて、青葉が映えていました。

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予定では昼頃京都にゴールインして、どこかで美味しいものでも食べて祝杯を挙げようと思っていたのですが、新幹線

の中でビールでも飲みながら駅

弁を食べながら歩いてきた中山道でも眺めようということになりました。京都駅に直行し、ビールと駅弁、1週間留守にしましたので隣近所の方や応援していただいた方へのお土産などを買って新幹線に飛び乗りました。

あっという間に夕方には戻りました。京都で買った「いづうの鯖姿寿司」で改めて中山道完歩と無事の帰宅を祝して乾杯しました。東海道は日本橋から歩いて京都の桜を見に行ったようなものでしたが、中山道歩きは、日本橋から京都までこの鯖姿寿司を買うために歩いたようなものかもしれません。

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中山道20日目・最終日(5/31)①草津宿~大津

中山道通算20日目、今回の行程7日目は中山道テクテクの最終日でもありました。草津宿から京都三条大橋のゴールまでは26kmですので6時間半くらいかかります。何とかお昼頃にゴールインしたいと思い、朝6時にホテルを出発しました。

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瀬戸の唐橋は、日本三名橋・日本三古橋の一つとされ、壬申の乱(671年)では大友皇子と大海人皇子の最後の決戦場になりました。日曜日の早朝、瀬田川にはボート部の練習生と釣り人しか見かけませんでした。何人かの釣り人が大騒ぎをしているので暫く見ていたら、体調70cm近くの鯉を釣り上げていてびっくりました。あの鯉はどうするのかなあとカミさんと暫く話しながら歩きました。

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東海道・中山道はJR

石山駅

内を通っています。駅前には芭蕉がいました、2回目のご対面でした。遠目にはそれ程でもなかったのですが、傍に立ってみると意外に大きく思わず見上げてしまいました。

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木曽義仲と芭蕉の墓のある義仲寺(ぎちゅうじ)です。巴御前が義仲を供養したことから巴寺、木曽寺とも呼ばれました。中山道・宮ノ越宿で義仲館を訪ねたことを思いだし、遠い日のことのような気がしました。

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芭蕉は大阪で亡くなったのですが、この寺を愛していましたので、遺言により義仲墓の横に葬られました。境内には芭蕉の句碑などもあり、芭蕉の弟子の「木曽殿と背中合わせの寒さかな」という句も有名です。早朝のため開門されていませんでしたので残念ながら境内にはいることはできませんでした。

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大津市内を抜けて逢坂関跡碑がある辺りから京都に向かって下る坂の雰囲気が好きです。緑の濃い小高い山の間を抜けるように進み、琵琶の名手蝉丸を祀った蝉丸神社などもあり、しっとりとした雰囲気です。天候も霞か霧が烟っているようで墨絵の世界を歩くようでした。

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更に、日本画家の別荘跡だった月心寺も逢坂の下りにあります。国道1号線沿いで車の往来が激しいのですが、ここだけは別世界のようでした。境内には芭蕉の句碑もあり、こんこんと清水が湧き出る走り井があります。

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今は尼僧であった時に交通事故で右手・右足を失ってしまった庵主さんの精進料理が有名となっています。予約がなかなか取れないようです。特に胡麻豆腐が絶品といわれていて、中を覗いてみますと、朝から仕込みをしているような活気が漂っていました。

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2009年6月 5日 (金)

中山道19日目(5/30)④守山宿~草津宿

守山宿から草津宿までは6kmくらいですが、6日間の疲れ、安土で張り切りすぎた疲労、強い陽射しと高温などで、カミさんもかなり参っていたようで、この行程はかなり長く感じました。

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草津市の標識が見えてきた時には正直ホッとしましたが、この先市街地にはいるまでも長い道のりでした。

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このトンネルでJRをくぐるとようやく市街地に入ることができました。

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中山道と東海道が分岐・合流する常夜灯で、東海道五十三次以来2回目です。二つのルートは日本橋で合流するのですが、かなり様相が異なる街道であることがわかりました。懐かしさとホッとした気持ちと早く宿に行ってシャワーを浴びたいという気持ちが強く、感慨に耽っているゆとりはありませんでした。

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草津宿本陣跡です。かなり疲れて、立っているのもやっとという感じでした。

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中山道歩きの最後は草津駅前のビジネスホテルでした。東海道五十三次の時にも草津に泊まり、居酒屋を探したのですが大外れで、今回も1軒目に入った居酒屋は大外れでした。このままでは終われないと河岸を変えた結果、ようやく駅前に納得のできる居酒屋を見つけました。30kmの歩行とゴール前夜祭を祝って、十分な水分とエネルギー補給をしました。

中山道歩きで最も辛かった一日でした。

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中山道19日目(5/30)③武佐宿~守山宿(2)

武佐宿から守山宿までは13.6kmと長い距離で、午後からは雲も切れてきて気温がグングン上がってきましたので疲労感が強まりました。

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この地には牛若丸伝説も多く残っていて、義経が宿泊した館や元服したといわれる池などがありました。

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道は野洲市に入りました。野洲市の卵「茜ちゃん」という美味しそうな看板が目につきました。鶏舎を覗いてみますと、大事に飼育されているような立派な鶏がいました。長距離歩いていて退屈になってくるとこんな看板でも興味が湧いてきました。

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野洲市の中心街に入りました。アスファルト道の連続で足底部に痛みを感じるようになりました。

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ようやく守山宿に着きました。午前中の安土城周辺を歩いたことがこの頃になって応えてきました。おまけにこの道には腰を下ろす場所がなくまいりました。

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中山道19日目(5/30)②武佐宿~守山宿(1)

再び中山道(老蘇)に戻り、武佐宿を目指しました。安土からの道のりは、結局愛知川宿から武佐宿まで歩いたのと同じ距離と時間となってしまいました。

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武佐宿は陣屋や本陣などを紹介する表示板が小学生が書いたもので、手作り感覚の微笑ましい宿場でした。

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武佐宿から守山宿への道には国道を歩く場所もありました。宿場から宿場への間の道にはどうしてもこういう道があります。

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国道から旧道に入ると遺跡が残されていました。法然上人の念仏人気が高まり宮廷の女官にも信者が現れ、あらぬ疑いから讃岐に流罪となりました。この付近の出身だった弟子の住蓮坊も連座してここで処刑され、ここの池で首が洗われたとのことです。このような遺跡を目にしてしばし昔に思いを馳せるのも街道歩きの楽しみです。

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高校時代の同級生に借りているガイドブックでは確かにこの道のはずですが、進入禁止になっていました。ガイドブックには彼のメモが書き込まれていましたのでこの道に入っていきましたら正解でほっとしました。

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やはりガイドブックで「地元で人気のラーメン店」が紹介されていました。ちょうど昼時に通りかかりましたのでここで昼食にしました。

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2人とも「純和風こだわり冷やしラーメン」を頼みました。麺が太めでそのためかスープも濃いめでした。私は細麺が好きなのでちょっと持てあましてしまいました。

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中山道19日目(5/30)①安土城跡

中山道通算19日目、今回の行程の6日目は、中山道から外れてどうしても行きたかった安土城跡を訪れました。天気は薄曇りで歩くには絶好の天候でした。

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早朝、前日宿泊した彦根から安土までJRで移動しました。駅前には信長が出迎えていました。安土城跡観光にはあまり歩いて廻る人はいないようで、通常は車かレンタサイクルだそうですが朝早すぎたためにレンタサイクル屋は未だ開いていませんでした。

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ようやく辿り着いた安土城跡です。安土駅前で貰った観光地図を頼りにここまで歩きましたが非常に時間がかかり、小1時間かかりました。更に城郭跡周辺の敷地もとてつもなく広く、大きなことが好きな信長らしく広大な城下町だったことがわかります。早朝のため城郭の中には入れず周辺の石垣しか見ることはできませんでしたが十分でした。

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散歩をしていた地元の人に信長の館にはどのくらいかかりますかと聞くとほんの10分ということで歩き出したのですが、かなり歩いてようやく表示板がありました。ここからもかなりの距離で、もしかして「車で10分ということ?」と愕然としました。結局信長の館に行くのはあきらめました。安土城とその周辺がいかに広大な敷地であったかがわかりました。馬でなければとてもお城と館の間を行き来はできなかったでしょうし、戦国武将はモンゴルの人と同様、乗馬の名人でなければ務まらなかったのもわかります。

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安土城跡散策でかなり時間がかかってしまいましたが、駅前の安土城資料館がオープンしていたので安土城の復元模型を見ることができました。お城を真っ二つに割って城内の構造やきらびやかな様子が見えるようになっていました。

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屏風絵で同時の様子がわかりますが、9月には安土城の城造りの映画(西田敏行主演)が全国上映されるそうです。どのような映像になるのか楽しみです。

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2009年6月 4日 (木)

中山道18日目(5/29)④高宮宿~愛知川宿

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高宮宿を過ぎて、陽射しは益々強くなりました。愛知川宿とのちょうど中間地点辺りに世界一の商社伊藤忠の創業者伊藤忠兵衛の屋敷跡がありました。この地域は家並みや門構え、建物の造りが立派で、何となく財政が豊かな感じがしました。伊藤忠兵衛をはじめ近江商人発祥の地で、商売に成功して財を成し、地元に学校や病院を寄付したとのことです。

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愛知川宿に入りますと、赤蕪の漬け物で有名な「マルマタ」という漬物屋さんがありました。赤カブは冬が旬ですので今はないということで残念でした。

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泊まってみたくなる旅籠がありました。「愛知川宿」は「恵智川宿」とも書かれていて宿はずれに流れていた川からその名が起こったそうです。

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愛知川宿を過ぎて、次の宿場の武佐宿に向かう途中の五個荘という町でこの近江鉄道に乗ってこの日の宿泊地の彦根に戻りました。1時間に1本の可愛いワンマンカーでした。

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前日頑張ってたくさん歩きましたので、その分この日は25kmと距離が短く、時間のゆとりがありましたので彦根城に行きました。彦根といえば彦根城と井伊直弼で、井伊直弼は昨年のNHK大河ドラマにも出ていましたが、立場により評価が大きく別れる人物です。評価はどうであれ歴史を動かした人物であることは間違いなく、もちろん地元では英雄です。

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この日は彦根駅前のビジネスホテルに宿泊しました。最近のビジネスホテルは朝食(結構美味しい)が無料、美味しいコーヒーが24時間飲み放題、インターネットが無料というところが多く、ウェブメールでメールのチェックができますので長期の旅でも便利です。

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中山道18日目(5/29)③鳥居本宿~高宮宿

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この辺りの道は新幹線と並行していたり新幹線の高架下をくぐったりしていて、何回も新幹線に出会いました。きっと東海道五十三次と同じように新幹線の車中から、歩いているこの道に思いを馳せると思います。

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高宮宿も落ち着いていて、歩いていることが楽しくなる街道でした。

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何と「日本一のイチゴ大福」の看板が、早速入ったのですが、今日は売り切れたとのことで残念でした!!! 誰が日本一と判定したのでしょう???

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そろそろ昼時でかなりお腹が空いていました。「大辛カレーパン」の文字にもう我慢の限界でした。

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高宮宿の外れに手頃な休憩所がありましたので、「大辛カレーパン」をいただきました。宣伝文句通り大辛でした。カレーパンの多くは揚げてありますが、このカレーパンは焼き上げてあり、とても美味しく、今まで食べたカレーパンの中ではNo.1かもしれません。

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中山道18日目(5/29)②番場宿~鳥居本宿

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番場宿からは神高速道路沿いの摺針峠を越えました。中山道の最後の峠でした。

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摺針峠を越えて旧道を下る時、昨晩の雨で滑りやすくなっているからと地元の方が道案内してくれました。

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米原市から彦根市(鳥居本宿)に入りました。

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鳥居本宿の入口は松並木になっていました。

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鳥居本宿の街並みは昔の風情がたくさん残っていました。腹痛のクスリとして昔から人気の高かった「赤玉神教丸」を今でも売っている有川家も昔のままの佇まいです。弥次さん喜多さん、皇女和宮、明治天皇もここに立ち寄ったそうです。

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中山道18日目(5/29)①醒井宿~番場宿

中山道通算18日目、今回の行程の5日目は、醒井宿を出発して番場宿~鳥居本宿~高宮宿~愛知川宿を目指しました。天気は快晴で歩くにはちょっと暑い陽気でした。

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早朝出発で、早くもお腹が空きそうな看板が目につきました。歩いていると嫌でも食べ物の看板が目に入ります。今晩は何を食べようか・・・。結局美味しそうな近江牛には縁がありませんでしたが・・・。

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番場宿に向かう街道には欅並木を始めノビノビと育った樹々が目を楽しませてくれました。

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強い陽射しの天候にもかかわらず朝早い木陰の道は涼しげで、青ガエルも涼しそうな顔をしていました。蛇、モグラ、カエルといろいろな生き物に出会いました。高校時代の同級生は猿の軍団や鹿に遭遇したとのことですが、私は小物にばかりお目にかかりました。

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番場宿は居心地のいい田舎といったイメージでした。瞼の母で有名な番場忠太郎地蔵尊がありましたが、予想通り番場忠太郎さんは架空の人物でした。

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2009年6月 3日 (水)

中山道17日目(5/28)③柏原宿~醒井宿

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柏原宿は当時の宿場がそのまま残されているとても雰囲気のある宿場でした。昔の屋号が掲げられていて、昔の仕事(診療所)がそのまま(医院)引き継がれている家もありました。ひっそりとはしていましたが思いもかけずいい宿場町で得した気分でした。

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柏原宿から醒井宿に行く途中、国道沿いと名神高速道路の間の道を歩きました。近畿圏に入ったということを実感しました。

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醒井宿もとてもいい宿場でした。よく環境保存されていて昔の雰囲気と現代の生活がうまくコラボレートされたような宿場でした。

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名水で知られる「居醒(いさめ)の清水」が湧き出て清流になっていました。静岡県の柿田川と遜色のないような清流が流れていました。

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醒井には古くから日本武尊伝説がたくさん残っているそうです。醒井という名も名水が湧き出る泉で日本武尊が「目を醒ました」ところから起こっていると言われています。

4日目の行程は33kmと長距離でしたが、関ヶ原の古戦場や壬申の乱の古戦場など歴史を感じることができましたし、昔と現代が同居しているようなしっとりとした宿場を歩いたせいか、また天気も薄曇りで暑くはなく疲れはあまり感じませんでした。醒井からはJR

で米原まで移動して駅

前のビジネスホテルに泊まりました。

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中山道17日目(5/28)②関ヶ原宿~今須宿~柏原宿

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大海人王子(天武天皇)の兜掛石・沓脱石という案内がありましたので見に行くと、民家の軒先の小さな畑の中に天武天皇が兜を置き、靴を脱いだという石が祀られていました。

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壬申の乱(672年)が勃発して、この付近を境にして東方の天武天皇と西方の弘文天皇が対峙してこの辺りで合戦が行われたそうです。勝利した天武天皇がここに「不破の関」を置いたそうです。この辺りはこの他にも壬申の乱で東西軍が睨み合った藤古川などがあり、関ヶ原より更に昔の古戦場だったことがわかります。歩いていてもシーンとした雰囲気の異空間という感じのする道でした。

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源頼朝・義経の母であった常磐御前は、東国に落ち延びた牛若(義経)を案じて後を追ってきてこの地で土賊に襲われ命を落としたそうです。哀れに思ったこの地域(山中)の人々がここに葬り塚を築いたとのことです。

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今須宿に入り柏原宿の手前に美濃路(岐阜県)と近江路(滋賀県)の県境がありました。私の短い足でも両県の地に両足をつけることができました。

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この地は、かつてこの細い溝を挟んで番所や旅籠があったそうで、寝ながら壁越しに話ができたので「寝物語の郷」とも言われています。

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中山道17日目(5/28)①美江寺宿~赤坂宿~垂井宿~関ヶ原宿

中山道通算17日目、今回の行程の4日目は、美江寺宿を出発して関ヶ原宿などを目指しました。天気は薄曇りで歩くには楽な天候です。

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赤坂宿に赤坂港跡がありました。こんな内陸部に港があるのが不思議なのですが、江戸時代には揖斐川を下り、伊勢湾を通って桑名まで物資を輸送していたそうです。

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垂井宿の一里塚です。中山道には多くの一里塚が残っていますが、垂井の一里塚のように塚が残っているのは珍しく国の史跡にも指定されているそうです。

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関ヶ原宿近くの松並木です。垂井宿や関ヶ原宿は、奥の細道を歩いた時敦賀半島を下り塩津街道で琵琶湖畔に出て、更に中山道を辿った時に通っていますので今回この道を歩くのは逆コースですが2回目です。ここでも一緒になりました。

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ちょうどお昼時でベンチもありましたのでコンビニで買ったお握りなどで昼食にしました。戸外で食べる食事はどんなものでも美味しく感じました。

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古戦場を偲ばせる幟などが見られました。関ヶ原の古戦場は奥の細道を歩いた時に半日歩きましたので今回はパスしました。

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中山道16日目(5/27)③加納宿~河渡宿~美江寺宿

岐阜駅に戻り、中山道歩きを再開しました。

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加納宿にある元旅籠だった二文字屋というウナギ屋です。日光東照宮の眠り猫を彫った名工左甚五郎も泊まったとのことです。ここで食事をとればよかったと後悔しました。

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河渡宿も昔は鵜飼いが行われ「河渡の鮎」も美味しいと評判だったそうです。

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美江寺宿への道は主に県道で、歩道がなく歩行者も滅多に歩かないような道ですので車が猛スピードで走り抜ける怖い道もありました。中山道全体を通じてもこういう道がところどころあるのは東海道も同じで仕方がないことです。

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美江寺宿の美江寺観音の入口では新しい表示板を一生懸命設置しているおじさん達がいました。美江寺は非常に質素な宿場で特に見所はありませんでしたが、何とか宿としての存在感を盛り上げようというおじさん達の気持ちが伝わってくるようでした。

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美江寺から、今晩の宿泊先の大垣市まで移動しました。大垣は芭蕉・奥の細道の結びの地で2回目の訪問です。この日は今回の行程3日目で、疲れが少したまっていましたので大浴場つきのホテルに宿泊して疲れを癒しました。

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中山道16日目(5/27)②岐阜城~金華山登山

長良橋の近くには岐阜城があり、長良川から金華山の頂上にある岐阜城を仰ぎ見ることができます。ここも久しぶりで、頂上にある岐阜城目指して登りました。登山ルートは4つあり、その中でよく通った最も登りやすい道を選びました。この道は、高校時代の文芸部の文集「洋青(あお)」に投稿した散文の舞台としたところです。今でも顔が真っ赤になるくらい恥ずかしい文章を書きました。

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岐阜城は以前は青葉山城といい斎藤道三の居城でした。信長が城主となってから岐阜城と改名し、安土城ができるまでの10年間は天下統一の拠点としました。

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岐阜城天守閣からは長良川や市内を360度俯瞰することができます。

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斎藤道三の娘で信長の正室濃姫の衣装です。NHKの大河ドラマでは実際に撮影に使われたそうです。吉野山で静御前の衣装を見ましたが、静御前の衣装はきらびやかな中に清楚な印象がありましたが濃姫の衣装は時代を反映したものでしょうか、きらびやかさの中にも質実剛健さを感じました。

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下山は4つのコースのうち最も厳しいコース「瞑想の小径」で戻りました。どうしてこういう名前が付いたのかと思うほど厳しい道です。「迷走の小径」とでも言いたい道でした。

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厳しい急坂と岩場の連続で瞑想しているととても危険ですが、地元の体力自慢の愛好家には人気のコースでこの日は多くの地元の人が上り下りしていました。

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信長の館跡です。結局お昼過ぎまで長良川と岐阜城で時間を使ってしまいました。

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中山道16日目(5/27)①長良川散策

中山道通算16日目、今回の行程の3日目は、本来であれば鵜沼宿を出発して加納宿までの16.7kmを歩くのですが、どうしても長良川に寄り道をしたく中山道から外れました。高校時代の同級生の先達から鵜沼宿からの道はあまり面白くないよと聞いていたのですが、どのような道なのかを見たいと思い各務原まで歩いてみました。ほぼ国道沿いの単調な道でしたので予定通り切り上げて各務ヶ原駅からJR

で岐阜駅

に移動しました。

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岐阜駅からバスで長良橋のたもとまで移動しました。長良川は鵜飼いで有名なところです。

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橋を渡ってこの付近を散策することにしました。長良川は母の郷で、小さい頃過ごしたところです。小学校に上がってからも大学を卒業するまで夏休みにはよく遊びに来ていました。母は5人の姉妹と2人の兄弟がいました。私にとっては7人の叔父や叔母がいましたし、従兄弟もたくさんいました。今でも何人かの従兄弟がこの近くに住んでいます。自分の庭のような処でとても懐かしい場所で、ここに来るのは数十年ぶりでした。

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鵜飼いは5月の母の日前後から10月中旬まで行われます。多くの鵜飼い船が夜の出動に備えて休息していました。

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この近辺には鵜匠の家がたくさんあります。

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小さい頃よく泳いだり潜ったりした場所です。前の晩にウナギを捕る仕掛けを水中に沈めておき早朝潜って仕掛けを上げるとたくさんのウナギが捕れました。天然ウナギや鮎もよく食べました。貧乏でしたが贅沢な時代でした。ここから従兄弟達と競って対岸までよく泳いだものです。新婚当時の夏にカミさんと訪れたこともあり、花火見物をしたことも懐かしく思い出しました。中山道から外れましたが大満足の一時でした。

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2009年6月 2日 (火)

中山道15日目(5/26)③日本ライン下り~鵜沼宿

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木曽川の流れの中で岩場が多く流れも急になる流域は日本ラインと呼ばれています。

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川の流れは岩が突き出ていたり起伏に富んでいて、対岸には小高い緑の山が連なり、楽しみながら歩くことができました。

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日本ライン沿いに並行している国道とJRの脇に岩屋観音がありました。その入り口である木の橋の上でかなり大きな蛇に出会いました。恐怖でシャッターを押すどころではありませんでした。

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岩屋観音はその名の通り岩壁をくりぬいた中にお堂が建てられていました。

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小さなトンネルで国道とJRの線路の下をくぐりました。トンネルの中を涼しい風が通り抜ける天然クーラーで暫く汗を拭って火照った身体を冷やすことができました。

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「うとう坂」と言われるちょっとした峠のような坂を越えると「中山道いこいの広場」に出てほっと一息つきました。ここから鵜沼宿までは街中の退屈な道が続きました。鵜沼宿からは名鉄で美濃太田駅に出て、駅前の美濃加茂ステーションホテルに宿泊しました。

木曽川・日本ライン沿いの楽しい道ではありましたが31kmの長い行程で、早朝出発の上に気温も体感温度30℃近くでさすがに歩き疲れた一日でした。

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中山道15日目(5/26)②御嵩宿~伏見宿~太田宿

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御嵩宿から伏見宿を経由して木曽川の渡し場に出ました。今は木曽川の日本ライン下りの出発地点として観光客で賑わっていました。ちょうど太田橋で木曽川を渡る時日本ライン下りの舟が出発し、見ていると凄いスピードでした。

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木曽川を渡って太田宿に入る手前の堤防沿いの道は遊歩道として整備されていました。川の流れを見ながら川風に吹かれながら歩くのはとても気持ちのいいものでした。こういう道は気持ちも広々としますので大好きです。

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太田宿の街並みには宿場町の風情がかなり残っていました。

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宿場町の蕎麦屋の「手打ちそば処 姫のそば」というメニューに誘われて遅い昼食をとることにしました。

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限定10食(こういうのに弱い)の「姫のそば」はそばつゆが透き通っていて梅味がして、さっぱりしていました。国産大豆100%の冷や奴も注文しました。ビールか冷酒で一杯やりたいところでしたが、まだまだ先が長いので我慢しました。

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中山道15日目(5/26)①細久手宿~御嵩宿

中山道通算15日目、今回の行程の2日目のスタートは昨晩宿泊した細久手宿大黒屋を早朝出発して御嵩宿を目指しました。

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この日は30km歩く予定でしたので、また同宿者の皆さんも朝は早い方がいいということで大黒屋さんに無理を言って、朝食を6時にしてもらいました。いつもながら早朝の清々しい大気の中、体力も回復して気持ちよくスタートです。

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どういうわけかモグラがいました。蛇と異なり今度はぼちゃっとして愛嬌がありました。かなり太めの体型でしたので再び自分の穴蔵に戻れるのか心配になりました。

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「謡(うとう)坂」と言われるこの地域はキリシタン信仰の篤い地域だったようで、隠れキリシタンの「マリア像」や「十字架」が刻まれた石が多く出土されたとのことです。

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高札場には「ばてれんの訴人 銀500枚」などとあり、隠れキリシタンへの弾圧が厳しいものであったことがわかりました。高札場には「火の用心」が最も多かったのですが、「毒薬の販売及び偽薬の販売は現場に処す・・・」等現代でも通用するお達しもありました。

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細久手宿から御嵩宿への行程は11.7kmと長く、歩くのにも少し飽きてきましたので、案山子体操をしてみました。

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御嵩宿に大分近づき、国道21号線に出る頃、平安時代中期の三大女流作家の一人和泉式部の碑がありました。この地で没したと言われていますが、日本各地には似たようなものが数カ所はあると言われています。確かに義経、義仲、西行、芭蕉などもそのようです。

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2009年6月 1日 (月)

中山道14日目(5/25)④大湫宿~細久手宿

長い距離の十三峠を越え、大湫宿から今日の目的地細久手宿に向かいました。

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大湫宿から細久手宿に向かう街道に一人行くおじさんがいました。この方とは恵那駅から一緒で何回となく前になり後ろになりしました。この後何回となく会い、今晩の宿泊先の大黒屋でも一緒になり、日本ラインでも、大垣市内のホテルのフロントでも大浴場でも一緒になり、合計7回くらい一緒になりびっくりしました。非常に無口な方でした。

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細久手宿も近くなった頃、犬の訓練所がありました。犬霊塔もありかなり大規模な訓練センターでした。

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犬の訓練所には、生後間もないワンちゃんもいるという看板があり、犬好きのカミさんが是非みたいということで中に入って見せてもらいました。但し連れて帰らないという約束で。

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いつか出てくると思っていましたが、ついに出ました、細くて長いのが。今回の1週間の行程で合計4匹出会いました。

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ほぼ20kmの行程をのんびりと6時間かけて細久手宿に入りました。とてもひっそりとした宿でした。

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細久手宿での旅館は、尾州藩の指定宿で今でもほぼ昔の状態で保存されている大黒屋です。わざわざ大黒屋に泊まる目的だけのために来る人もいるそうです。

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この日の同宿者は、一人旅のおじさんが2人と私達の4人でした。私達の部屋は8畳二間の奥座敷で殿様気分でした。料理は、最初に前菜のような小鉢があり、ヤマメの塩焼きや手間暇かけた料理が順次出てきましたので写真に撮ることはできませんでした。

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中山道14日目(5/25)③十三峠~大湫宿

十三峠は、アップダウンが頻繁に繰り返されたのですが、瑞浪市が歩く人の気持ちになって表示板を設置してくれていましたし、また至る所で水音や水の気配を感じることができましたのであまり疲れは感じませんでした。

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中山道ゴルフクラブの真ん中を中山道が通っていました。もしゴルファーがOBをするとこちらに球が飛んでくるのではないかと耳を澄ましながら歩きました。

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大湫宿に大分近づきました。尻冷やし地蔵といういかにも涼しくなりそうな気分にさせてくれるお地蔵さんがいました。

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至る所に皇女和宮の歌碑がありました。江戸へ降嫁のため中山道を通り、「遠ざかる 都と知れば旅衣 一夜の宿も立ちうかりける」と日々京の都を遠ざかるたびに寂しさが募ったことでしょう。

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大湫宿は静かな宿場でした。

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大湫宿の神明神社に「神明の大杉」という大きな杉がありました。樹齢1300年、樹高60m、幹周り10m、直径3.2mで見事なものでした。

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中山道14日目(5/25)②大井宿~十三峠・瑞浪市

いくつかのアップダウンを越え、恵那市から瑞浪市に入りました。

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ところどころ樹々がとぎれ、視界が開けた場所もありましたが、林の中の木陰が恋しくなりました。

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木陰の中に、ベンチを見つけましたので早めの昼食をとりました。メニューは菓子パンとコーヒーミルク、オレンジで簡単に済ませました。

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昨年の11月に熊が出たとのことです。今回は熊対策は全く考えていませんでしたが、よく整備された道で熊が出てきそうな雰囲気はありませんでした。

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石畳の道も何ヶ所かありましたが、道の脇や傾斜の中腹などあちこちで大きな岩を見かけました。

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十三の峠におまけが七つの坂にはそれぞれ名前が付いていました。瑞浪市はの整備や環境保全などにかなり力を入れているようで、歩いていてとても気分よく感じました。

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中山道14日目(5/25)①大井宿~十三峠・恵那市

中山道通算14日目、今回の行程の初日スタートは自宅を早朝出発して新幹線

で名古屋駅

へ、名古屋駅でワイドビュー信濃3号長野行きに乗り換え、9:33に恵那駅に到着しました。1週間かけての京都ゴール目指して出発して大井宿を出発しました。カミさんは京都にゴールインするので張り切っていました。

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恵那駅前からすぐに中山道にはいると、レトロな街並みが続いていました。

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恵那市の市街地を抜け、十三峠の入口に到着しました。大井宿から大湫宿の13.64kmの間に13の峠とおまけが7つといわれる難所にさしかかりました。陽射しが射すように暑く、かなり汗をかくことを覚悟しました。

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恵那市の市街地を抜け、十三峠の入口に到着しました。大井宿から大湫宿の13.64kmの間に13の峠とおまけが7つといわれる難所にさしかかりました。陽射しが射すように暑く、かなり汗をかくことを覚悟しました。

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階段状の道や小高い峠道が幾つも続きました。陽射しは強いのですが木陰では風は涼しく快適でした。また道や環境がよく整備されていますので、歩いていて楽しく感じました。

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首無し地蔵と呼ばれるお地蔵さんです。何故そんな不気味な名前が付いたのか、由来について丁寧な説明がありました。

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