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2009年9月29日 (火)

上高地~槍ヶ岳・奥穂高岳

10/4(日)から4泊5日の日程で、上高地に行きます。できれば槍ヶ岳と奥穂高岳に登りたいと思っています。今年の夏は富士山に何回か登り、10月に入ったら東海道・中山道に続いてどこか街道歩きを再開と思っていたのですが、7月頃から青春を思い出して最後にもう一度奥穂高岳に登ってみたいと思いました。折角上高地に行くのなら槍ヶ岳にも登ってみたいと思いました。山小屋泊まりが3泊続くのは厳しそうでしたので、3泊目の涸沢小屋は2ヶ月前から個室予約が可能なので早めに予約しました。2ヶ月前に決めた日程ですので天候も紅葉も予測できない状況です。

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大学時代、高校の同窓生7人(男性5人、女性2人)で、テントを担いで上高地から涸沢を経由して奥穂高岳を目指した時の古い写真です(この写真には道連れになった二人連れの女性も写っています)。翌年には日光中禅寺湖~湯の湖~金精峠~尾瀬を歩き、翌々年には白馬岳に行きました。

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この気取った写真は、奥穂高岳の頂上で撮ってもらったものです。女性達の姿が見えませんが、涸沢のテントでのんびりしていて山頂には登らなかったたようです。この歳までの人生で登山経験といえるのは、富士山を覗けば唯一この時期の経験だけです。

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新田次郎の「富士に死す」「富士山頂」「強力」などの山岳小説を読みあさった中に、「槍ヶ岳開山」という史実に基づいた小説がありました。播隆上人といわれる僧侶が槍ヶ岳を開山した物語で、大変面白く読みました。播隆上人やその功績についてはあまりにも知られていないということで、JR

松本駅

前に銅像ができたそうです。

http://www.mcci.or.jp/www/yarigatake/ban.htm

是非この機会に槍ヶ岳に登り、松本駅前の播隆上人の銅像も見てみたいと思っています。

しかし富士山や月山くらいしか登山経験がなく、いわば素人ですので槍ヶ岳や奥穂高岳の登山には不安も感じています。富士山(富士吉田口)と高さ:標高差を比較してみますと、富士山(3,776m1,410m)、(槍ヶ岳3,180m1,675m)、奥穂高岳(3,190m1,685m)のように槍ヶ岳や奥穂高岳の方が若干標高差が高いです。富士山では大体夜中から明け方、お昼頃までの徹夜状態で12時間前後の日帰り登山で、8合目から上は空気の薄さも感じるという厳しい状況ですが、特に登山技術は必要ありません。一方槍や穂高は中級から上級の登山技術が必要ともいわれています。中高年登山者の遭難率が高いことも承知しています。今回はカミさんも一緒で、夫婦揃って滑落や落石にあったらしゃれにもなりませんので、カミさんは頂上を目指さず安全圏で待機していることになっています。私も体調や天候が万全でなければ無理せず、山小屋でビールを飲んだり、ウイスキーを嘗めながら槍や穂高を眺め、先人や青春に思いを馳せることができればいいと思っています。

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2009年9月27日 (日)

火天の城~安土城

安土城築城を描いた小説「火天の城」が9/12に映画化封切りされましたので、平日の昼間に見に行きました。安土城跡は今年中山道を歩いた際5/30に寄り道しましたので、戻ってから小説「火天の城」を読みました。棟梁(宮大工)を主人公にした壮大なドラマでしたので、映画化されたら是非見に行きたいと思っていました。

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実際に安土城跡を歩いたときには、広大な畑の中に広大な城跡だけがボーッと広がっていて、歩くだけで大変な思いをしました。安土は信長が西の大阪、東の関東に睨みをきかせ、海や湖の交通の便を考え、美濃や木曽の山を盾とする要衝の地で、安土城がこの広い空間にどのように映像で際限されるのか映画化が楽しみでした。

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小説では、当時の築城の総制作費は1,000億円以上、大工・職人ら100万人以上を動員し、主柱の樹齢は2,000年で、この主柱は木曽の山奥の伊勢神宮の式年遷都で使われる杉を切り出しました。木曽川から琵琶湖を経由して安土に運ぶだけでも大変だったようです。小説を読みましたら、更にこのシーンは映画ではどのように映像化されるのか楽しみでした。

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9/12に小説と同名のタイトル「火点の城」で映画化されましたので、平日の午後見に行きました。封切りまもなくのせいか館内は悲しいほど空いていました。映画は、原作(小説)の半分くらいが映像化されていました。面白かったのは、築城の最高責任者を決めるためにコンペが行われたことです。ライバルは奈良東大寺の大仏殿を手がけた流れを汲む宮大工グループ、京都金閣寺を手がけた流れを汲む宮大工グループで、最終的には又右兵衛(西田敏行)がライバルのデモ用の模型の盲点をついたことにより、代表棟梁の座を勝ち取りました。

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撮影は京都周辺、木曽福島(中山道で訪ねた「寝覚の床」のシーンがあり懐かしく思いました)、台湾でのロケに加え、淡路島の2万平方メートルの原寸大の敷地面積にオープンセットを建築したそうです。にもかかわらず勇壮なシーンは期待(大きすぎました)ほどではなく、しかし代表棟梁又右兵衛を中心とした人間ドラマにスポットが当てられ、映画としては人間味や面白みが増したのかもしれません。築城なった安土城のそこかしこに灯りがともされ、城郭が夜空に浮かび上がったシーンは映画ならではでした。

安土城は完成後間もなく明智光秀により信長が本能寺で打たれた直後に炎上落城してしまいました。そこには広い敷地に城石だけが残され、風雪に晒され、今でも時空を越えた風が吹いているだけです。

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2009年9月24日 (木)

富士山散策~自転車男

9/20(日)からのシルバーウイークはどこへ行っても混雑していることが予想され、シーズンオフに入った富士山は空いているだろうと9/20(日)の夕方山中湖に向かいました。翌朝9/21(月)日の出頃に富士スバルラインの終点・富士吉田口5合目駐車場に着く予定が、駐車場は満車で1.5km手前でストップとなり、そこから歩きました。この日は8合目くらいまで散策の予定でしたのでのんびりと出かけました。

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登山道は封鎖されているということで、確かに6合目から封鎖されていましたが、多くの人が張ってあるロープもなんのその、無視して上り下りしていました。

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いつもは大抵夜中の寒いか涼しい時間帯に登るのですが、6:00に登り始めた頃には太陽は既に雲海のかなり上にあがっていて、それとともに気温も急上昇してきてついに半袖になってしまいました。

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この日はのんびりペースでしたので、カミさんも時々雲海を振り返り、景色を楽しみながらマイペースで後をついてきました。

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ちょうどお昼頃に5合目に下りてきましたら、続々と登っていく人に出会いました。富士山もシルバーウイークとは無関係ではなく、有数の観光地であるという認識を新たにしました。

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5合目で昼食を済ませ、12:30頃車で帰路につきましたら、自家用車が続々と上がってきて駐車場は3時間待ちとのことで、待てない人は駐車場から3~4km手前で下りて歩いていました。

8合目から予定通り下山しましたが、ふと9合目辺りを見上げると自転車を担いで登っている人がいました。シャッターを押すチャンスもなくあっという間に岩陰に消えました。戻ってきて、インターネットで調べてみると、

http://snow-reports.net/essay-fuji.htm

自転車で富士山に登った人が何人かいることを知りびっくりしました。スバルラインを5合目まで自転車で登っている人はよく見かけますが、そこまででも大変ですし、ましてや8合目からの岩場や胸突き八丁などは想像するだけでも大変なことです。更に、下山もかなり難しいと思われ、自分の身体を持ち上げ、下りてくるだけでも大変なのに暫く呆然としてしまいました。正真正銘の鉄人で、自転車に乗っている人への見方が変わりました。

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2009年9月14日 (月)

富士山ビューウオーク

9/14(月)、山中湖に前泊して山中湖を取り囲むように峰を連ねる石割山や大平山を縦走して富士山を観ようと思ったのですが、前日の大雨でアップダウンが多く地盤が緩い登山道は危険かもしれないと思い、山歩きは断念して山中湖を一周することにしました。

山中湖の湖面は標高982mですので涼しく、周囲は13.5kmですから歩くには手頃の距離です。おまけに富士山をいろいろなアングル、時間による色合いの変化などを楽しむことができます。

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AM8:00に出発したときには雲が多かったのですが、次第に雲が切れてきました。今年6回登った頂を眺めながらのウオーキングは楽しいものでした。

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空も高くなり、すっかり秋の気配でした。

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ある山岳ライターは富士山を「どんな山にも一癖あってそれが個性的な魅力をなしているものだが、富士山はただ単純で大きい。私はそれを『偉大なる通俗』と呼んでいる」と評していますが、私はシンプルで美しいと思っています。

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2009年9月 8日 (火)

富士山レポート7~登頂7回目・ラスト富士

9/6(日)の午前中に母の一周忌があり、昼に会食があり、夕方近く自宅に戻りました。一休みして21:00にカミさんと一緒に自宅を出発し、途中東名高速のSAで遅めの夕食をとり、23:00に富士吉田口5合目駐車場に到着しました。天気予報によれば9/6から7日へかけてが最高の登山日和であり、9/7には富士吉田登山口が封鎖されると聞いていましたので、富士登山のラストチャンスでもありましたので慌ただしいとは思いましたが出かけました。

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日付が変わって9/7(月)0:30に5合目駐車場を出発しました。まん丸い月と大きな星と下界の灯を見ながらできるだけのんびりと登り始めました。あまり人はいないかと思っていたのですが、物好きな人が結構いました。予定通り8合目辺りで御来光の前兆がハッキリと見られました。最も好きな夜明け前の瞬間です。

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5:04、8合目の元祖室で今年最後の御来光をゆっくりと迎えました。

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ゆっくりとしたペースで登ってはいたのですが、やはり疲れは残っていたようで、7合目から始まる岩場登りで私もカミさんもかなり疲労してしまいました。

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小さく見える白い鳥居が9合目です。岩場は8合目で終わり、砂礫の胸突き八丁が始まります。足下が砂利や砂礫で滑り力が入りませんので益々疲れを感じます。9合目近くになると傾斜がかなりきつくなります。9合目から頂上までは更に傾斜がきつくなり、数メートル登っては肩で息をつく人がほとんどです。一歩歩くのがこんなにも辛いものかと思う瞬間ですが、頂上が手が届きそうなところに見えているので歯を食いしばって頑張りました。カミさんは携帯酸素を吸っては歩くことの繰り返しでした。

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カミさんは今回は富士吉田口、須走口に次いで3回目の登頂となり、今回は最も苦しそうでギブアップしてしまうのではないかと思いましたが、何とか元気づけ、引っ張り上げるようにして登頂しました。苦しかったのですが、天気は最高で眼下には河口湖、山中湖、芦ノ湖が見え、遙か遠くには南アルプス、八ヶ岳、三ツ峠、丹沢山をぐるりと眺めることができました。ラスト富士からの絶景で疲れも少しは和らぎ、無事に下山しました。

9/7(月)で登山口は封鎖されるとのことでしたが予想以上に登山者はいました。頂上の売店は閉店し、トイレは封鎖され、途中の山小屋もほとんどが閉店となっていました。これからも雪に閉ざされない限り勝手に登ることはできますが、実質的には閉山となりました。

昨年の9月に初めて富士宮口(静岡県側)から登り、今年は須走口1回、富士吉田口から5回登りましたので、今年は6回登ったことになります。お盆の時期は避けましたので実質的には1週間に1回くらいの割で登ったような感覚です。散歩に出かけるような感じで富士山に登ってみようと思い立ち、いつも次に登るときにはもう少し楽にと思っていたのですが、7合目から苦しくなり、8合目からは更に苦しくなり、9合目からは辛さが加わり、辛さには慣れましたが、苦しさには慣れることはなく、完全に敗北しました。ただ登山の後、足腰や指が痛いとか張りを感じるとかいうことはなく、足腰は多少強化されたようです。10月には槍ヶ岳と奥穂高岳に登ろうと思っていて、富士山の経験が生かされればいいなあと思い慰め、来年への宿題を残しつつラスト富士登山は無事終了しました。

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