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2010年1月31日 (日)

早朝散歩の仲間達

思うように長距離を歩いたり山に登ったりする時間がとれませんが、天気が良ければ何とか2時間程度の早朝散歩に出かけることはできます。

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自宅からもっと近い散歩コースの入口は両側の土手に挟まれたちょっとした広場になっていて、子供のサッカーの練習や老人のゲートボール、ドッグランなど多目的広場になっています。

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スタートは土手の左側を歩きます。やがて川とはいえない小さな小川に沿って散歩道らしくなってきます。この小川には小魚やザリガニが生息していて、季節が暖かくなると、禁漁の看板も無視して親子連れが網などを持って賑やかになります。

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1月の末ですが、陽射しの届くところには春の訪れが見られます。

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昔の運動会や紅白歌合戦ではありませんが、白梅と紅梅が自然界でも競ってるのが面白いものです。

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自宅から1時間くらいの折り返し地点です。早朝空気が澄んでいる中を、冬枯れの草の上をフカフカと歩くのはとても気持ちが和みます。

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小川のちょっとしたほとりに、ひょうきんな顔をした鷺に出会ったりもします。

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冷たい川の中にも、すました顔をしながら、小魚に狙いを定めた鷺もいます。

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最近はどこの川でも見られる鴨のファミリーです。鴨は夫婦愛・家族愛が深いといわれますが、必ず群れをなしています。

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この散歩コースのアイドルの翡翠(かわせみ)です。翡翠(ひすい)と同じ感じでまったくその通りきれいな羽根です。追っかけのおじさんおばさん達が望遠レンズを抱えてシャッターチャンスを狙っていますが、この日はラッキーなことにコンパクトカメラでも写せる近距離で暫くじっとしていてくれました。

散歩というよりウオーキングしたいという気持ちの方が強く、野鳥や花にカメラを向けているとウオーキングのリズムを崩れますのであまり写真は撮らないのですが、この日は小春日和で野鳥対の何となく陽射しを楽しんでいる雰囲気でついついシャッターをきりました。

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2010年1月25日 (月)

ヒマラヤ断念

早いものであっという間に1月も下旬となってしまいました。箱根旧道歩き方々箱根生駅伝を見物したのは1/2でしたが、それ以来ほとんど長距離ウオークができなくなり、少し時間ができると近場の散歩コースを2時間くらい歩いたり、12日毎(巳の日)に北鎌倉迄歩くのがせいぜいです。どういう訳か新年から仕事が殺到し、既に足を洗ったつもりが、今までお世話になったお客様からあるいはその紹介などで5つもの、しかも3月末が納期の仕事に縛られることになってしまいました。

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今年の最大の楽しみは、体力のあるうちにヒマラヤへ行ってエベレストを肉眼で見ることで、少しばかりヒマラヤについて勉強したり、埃をかぶっていたパスポートも更新したのに、断念せざるを得なくなりました。

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最も魅力的に思ったのが、「エベレスト街道・絶景トレッキング12日間」で、富士山の山頂と同程度の高度をトレッキングするというもので、荷物はポーターが運んでくれるという楽のものですが、宿泊ロッジでは原則として寝袋を使用するというものです。かなりその気になっていたのですが、先ずカミさんが尻込みし、また先の「ヒマラヤ世界」によると、トレッキングがヒマラヤの環境を最も汚染・破壊しているということでした。日本の屋久島が世界遺産に登録されて以来、多くの観光客に痛めつけられているのと同じことが起こっているとのことでした。ということでこのプランはあきらめました。

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「ヒマラヤ世界」によると、皮肉なことに最も環境にやさしいのは、ある程度インフラの整ったホテルからヒマラヤの山々を眺め、エベレスト遊覧飛行(200$)でエベレストを見ることだそうです。カミさんは遊覧飛行はパスするが、このツアーなら行きたいということなので、3/25(月)出発ということで申込みをしたのですが、仕事の関係で断念することになってしまいました。

4月に入ってからでもヒマラヤに出かけることはできますが、日本の4月は桜便りがあちこちで聞かれ、春山や街道歩きのベストシーズンですので、ヒマラヤは11月頃の日本のオフシーズンに再考することにしました。

仕事や日常の雑事を忘れて山に登ったり、街道を歩いたりすることがいかに素晴らしいことか改めて身に沁みています。現在のように残り少ない時間を切り売りしている現在の自分が情けなく、恨めしく思っている今日この頃です。

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2010年1月 3日 (日)

箱根駅伝(2)

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芦ノ湖を10:30頃に折り返し、駅伝コースを下れば箱根湯元までのどこかでランナーに遭遇できるはずでした。念のために各ポイントの通過予想時間がありましたのでポケットに忍ばせて歩きました。箱根小涌園には12:59頃到着予定とのことでしたので、小涌園を過ぎてから間もなくランナー達に出会えるものと思われましたので、私達は更に下りを急ぎました。

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12:56 小涌園から下って大平台近くのコーナーでいよいよ片側車線の車はストップされ、先導のパトカーが見えてきました。下の方からは歓声も聞こえてきました。

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12:56 続いて第一中継車や競技審判車などが続いてきました。大きな車体に阻まれてランナーが見えないのではないかと心配になりました。

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12:56 トップの東洋大学の柏原君が明治大学のランナーを追い抜き、引き離しにかかっていました。もの凄いスピードでカメラのシャッターが間に合わないくらいでした。最高の瞬間に駅伝ランナーと遭遇することができました。

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12:56 明治大学の久国君も必死の形相で追いすがっていました。このスピード感とランナーの心臓の音が聞こえるような迫力に鳥肌が立ちました。

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12:58 続々と選手が駆け上がってきました。どのチームの選手もガンバレ!

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13:01 一番かっこよかったのは白バイでした。きっと白バイの運転手は気持ちいいでしょうね。私達は、駅伝ランナーと逆行して、レースの邪魔にならないよう1号線を下りました。

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13:01 沿道に観衆がたくさんいる場所とほとんど人がいない場所もあることがわかりました。またランナーはコーナーぎりぎりを走りますので、気をつけないと接触することもあります。

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13:09 最終ランナーの最後尾には白バイが走っていて交通規制をしていました。その白バイの後をたくさんの自転車の人達が続き、きっと駅伝ランナーと一緒のスピードで箱根を走りたかったのでしょうね。まるで長距離競輪~ツールドフランス~のようでおかしくなりました。こんな楽しみ方もあるんですね。

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14:24 ほんの10~15分くらいの駅伝ランナーとの遭遇でしたが、先導するパトカー、広報車、中継車、白バイ、ランナー、銀輪の集団など、まるでパレードを見ているようでした。私達は人も少なくなった1号線を更に下りました。途中何ヶ所ではカメラマンが翌日の復路レースの中継の準備をしていました。

箱根湯元から芦ノ湖往復を、帰路は駅伝コースを下ることによって生駅伝を見物できるのではないかという思惑はあたり、山の神(柏原君)がそれまでのトップランナーを追い抜き神通力を発揮した直後の瞬間に出会うことができラッキーでした。ランナー達が駆け抜けた後、箱根湯元までの交通規制が解除された1号線は車が多く、危険な道でした。やはりこの道はこの時しか歩くことができないということがわかりました。芦ノ湖から箱根湯元までの駅伝コースの4時間半(旧道では3時間)の下りは歩くだけでも大変で、この区間を走り上がる選手は本当に凄いことだと実感しました。朝7時に箱根湯元を出発し15時に再び箱根湯元に戻り、昼食抜き、休みなしの8時間は充実したウオーキングでした。

元旦に富士山ビュー登山、2日には箱根路生駅伝見物ウオークと、天気にも幸運にも恵まれました。3月までには、関わってしまった3つの仕事を無事仕上げ、3月下旬から4月上旬にはエベレストを見て、夏には富士登山、槍ヶ岳、穂高岳登山、春と秋冬には街道歩き、楽園探しと体力が続く限り人生を楽しみたいものです。

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箱根駅伝(1)

元旦には富士山ビュー登山をして3時間くらい歩きました。1月2日は元旦以上に好天気という予想でしたので、今日もまたカミさんと箱根歩きをすることにしました。箱根湯元から旧道・旧街道を歩いて3時間半くらいで芦ノ湖に着き、いつもは同じ道を折り返すのですが、今回は駅伝コース(1号線)を箱根湯元まで下ってみました。時間的にはどこかで箱根駅伝に遭遇できるはずでした。

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10:17 7:00に箱根湯元を出発して芦ノ湖に到着しました。定番の風景ですが富士山がこのように見えるのは3回に1回くらいです。

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10:39 芦ノ湖周辺は駅伝ムードでいつもの観光地ムードとは異なって何となくの緊迫感がありました。

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11:11 芦ノ湖から駅伝コース(国道1号線)を歩くのは初めてです。かつて一度歩いたのですが、車は多く、道は狭い上にカーブが多いために途中で引き返したことがありました。この辺りは歩道があり、駐車スペースがある場所には既に関係者や見物する人の車が待機していました。

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11:23 1号線の最高地点です。芦ノ湖からかなり上り、ここから下って更にまた上りがあるというアップダウンコースであることがわかりました。

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11:29 かなり冷え込んでいる中、早くも沿道には応援団が繰り出していました。

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12:08 芦の湯を過ぎ、箱根小涌園が近づいてきますとミニパトが巡回し、路上駐車の車を排除していました。少しずつ駅伝ランナー達が近づいてくる雰囲気が伝わってきました。

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12:29 小涌園あたりでは、ヘリコプターの爆音が近づいてきて、沿道のファンも今か今かとランナーの到着を待っていました。私達はさらに1号線を下りました。

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初富士

2009年の終わりにダイヤモンド富士を見て、2010年の始まりは初富士を見ようと山中湖で年を越すことにしました。

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2009年の大晦日、山中湖で大掃除をして、太陽が沈むとき富士山の山頂に重なったときダイヤモンドのような輝きを放つというダイヤモンド富士を見ようと、16:00頃から湖畔に車を停めて待機しました。気温は5℃で3分と車外にいることはできませんでした。山頂付近の雲が切れそうになると右側から次から次へと雲が湧いてきて残念ながらダイヤモンドの輝きを見ることができませんでした。冷えた身体を温泉で温めて行く新しい年を迎えることにしました。

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新しい年が明けて、初富士を見ようと先ず平尾山に登りました。7:30に登り始め1時間程で頂上に到着し、秀麗な姿にお目にかかることができました。青い空を背景に横綱の土俵入りのようなどっしりとした姿に向かい合うのは久しぶりでした。

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もう一つのビューポイント石割山にも登りました。昨年末何回かこの山に登ったのですが、いつも雲がかかっていました。今年こそ経済はこの日の天気のように晴れわたり、日々の生活は富士のようにどっしりと穏やかに、個人的には今年も元気で健康でありますように。

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石割山からの下山途中にある石割神社に初詣をしました。このご神体の大きな岩の裏側には人一人が何とか通れる割れ目があり、願掛けをして通り抜けると願いが叶うといわれていますので、いろいろなお願い事をして通り抜けました。今年もいい年でありますように。

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初富士ビュー登山を終え、石割の湯で身体を温め、帰りがけに須走口からあざみのラインを走ってみました。午前中は雲一つ無かったのですが、いつの間にか雲が湧き上がってきていました。最も好きな富士山ビューのアングルでちょっと気取ってみました。今年も体力が続く限りこの頂きに立ちたいものです。

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2010年1月 1日 (金)

新年あけましておめでとうございます

テクテク旅も東海道、四国巡礼、奥の細道と歩き、昨年は中山道にゴールインし、陸前浜街道も半ばまで歩きました。山は念願の富士山と槍ヶ岳に挑戦しました。今年も街道歩きと8回目の富士山、2回目の槍ヶ岳と奥穂高岳に挑戦したいと思っています。体力のあるうちにエベレストも肉眼で見ることができたらいいなあと初夢を描いて新年を迎えました。

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富士山のビューポイントはたくさんあり、自分で実際に行ったところはあまりありませんが、最も気に入っているアングルが須走口登山口に通じる「あざみのライン」からの富士山です。富士山に真っ直ぐ向かっているこの自動車道はそのまま立ち塞がる富士山にぶつかるか登ってしまうのではないかという錯覚を抱かせます。この先急カーブと急傾斜の道を10km走ると5合目の登山口に至ります。5合目から6合目までは樹林帯でそこを抜けて8合目で富士吉田口と合流し、胸突き八丁から頂上への厳しい登りが続いています。その頂上にいたる行程が一目でイメージできるこのアングルは、自宅から富士山の頂上まで続いていることを実感させてくれますし、また身近にも感じさせてくれます。

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学生時代に若さに任せて奥穂高岳に登って以来忘れていた北アルプスでした。「点の記」(剣岳測量物語)や「槍ヶ岳開山」などの小説を読み、もう一度最後に奥穂高岳と槍ヶ岳に登ってみたいと思い、昨年9月に出かけました。通常は槍沢ロッジに宿泊し、1泊2日の行程で槍ヶ岳山頂を目指すのですが、深夜自宅を発ち、早朝上高地から歩き始め一気に槍ヶ岳を目指したために大変な思いをしました。富士山の胸突き八丁と同じような急傾斜の連続にはまいりました。しかし周りの峰々をまるで家来のように従えて、ひときわ鋭く天をつく槍ヶ岳が目の前に聳えている光景は今でもありありと思い浮かべることができます。奥穂高岳は悪天候に阻まれて登ることができませんでした。未練がましいのですが、もっとゆったりとした日程で、決別したはずの槍ヶ岳と奥穂高岳に今年も挑戦しようと思っています。

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街道歩きは人生と似ています。街道歩きはスタートした第一歩からゴールへのカウントダウンが始まります。人生もこの世に誕生すると同時に日一日と寿命のカウントダウンが始まります。東海道も中山道も日本橋を出発しひたすらゴールの京都を目指しました。道中には楽しいことばかりではなく辛いこともあり、後々失敗したことや辛いことの方が懐かしく思い出されます。ゴールをしたときの達成感は表現のしようもありませんが、一面では目標を達成したときの寂しさもあります。そして次の目標探しが始まります。一方人生はめでたく?ゴールインしたときには、次の目標はありません。できうるならば街道歩きのゴールと同じように、辛いことも楽しいこととして懐かしみ、達成感を感じることができるような生き方をしたいものです。

 

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