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2010年4月30日 (金)

浜街道7日目 ②旧原町市・相馬馬追祭

原町市は、昨日通った小高町、これから通る鹿島町と合併して南相馬市となりました。相馬馬追祭はこの地で行われています。

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10:36、市の中心部にさしかかりますと相馬馬追祭場地の標識がありました。

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相馬馬追祭場地と隣り合わせに陸上競技場があり、福島県高校陸上競技大会が行われていました。

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運動場を取り囲むようにテントが張られ、福島県内の主な高校陸上部が結集していました。

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ちょうど100m競争のスタートが切られていて、高校生とはいえ11秒台で走る選手もいてスピード感あふれる走りにしばらく見とれていました。祭場地では4/18(日)に春期競馬会が行われ、もし当日雨でしたらこの日に開催される予定だったそうです。この日は馬の代わりに高校生が走っていました。

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相馬馬追祭場地は、相馬中村神社(相馬市)相馬太田神社(南相馬市原町区)、相馬小高神社(南相馬市小高区)の飛び地であり、従って相馬馬追祭は神事ということになります。今年は7/23から、宵祭り、本祭り、野馬懸と3日間開催されるそうです。

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祭場地は想像を超えて広く、草原のようでした。中山道を歩いたとき見た「諏訪の御柱祭」の会場はTVで見るより遙かに狭い会場だったのとは逆に、ここは大きな競馬場の2~3倍くらいの広さに感じました。

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観戦スタンドもありました。観戦料金が取られるそうで、場所とイベントの内容によって1,0003,000円かかるそうです。

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VIP席(貴賓席)もありました。この日はサッカーの練習試合が行われていました。

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浜街道7日目 ①南相馬市小高神社

4/25(日)、今回の旅程3日目は小高町から相馬(中村宿)まで25km歩きました。宿泊した旅館でしっかりと朝食をとって好天気の中、元気で出発しました。

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8:00、旅館を出発してすぐに小高川に出ました。川沿いの気持ちのいい道でした。

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桜の花びらの間に鯉幟が泳いでいました。

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相馬小高神社に今日の無事を祈って参拝しました。

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相馬小高神社は小高城趾内にあり、広い庭園には桜が咲き誇っていました。

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原町市に向かう道は県道120号線で、どこまでも同じような道でした。

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10:00、歩き始めて2時間、原町市(南相馬市原町区)に入りますと風景がすっかり変わりました。

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2010年4月29日 (木)

浜街道6日目 ③南相馬市小高町

4/24(金)、早朝に富岡町を出発して、途中「夜之森桜トンネル」や「大悲山磨崖仏」などに寄り道をして小高町に到着しました。小高町は初めての場所でした。

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14:17、目的地に到着して近くに駅があるととりあえず寄ることにしています。地方では駅はその街の中心であり顔でもあります。また駅前には観光案内図や街中の地図などの看板もあります。小高駅では馬頭の石像があり相馬のシンボルであることがわかりました。

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駅に荷物を預けて街中を散策してみました。地元信用金庫のキャッシュコーナーでは馬と足軽の絵が描かれていました。この地方では馬が敬われているようです。

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「菓詩工房」という名前のケーキ屋がありました。小高は初めて訪れましたがおしゃれなお店があるおしゃれな街のようです。

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「もっきりや」という変わった名前の小さな居酒屋がありました。入ってみたくなるような居酒屋ですが、この日は旅館に宿泊予定でしたので残念ながら探索はできませんでした。

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15:37、予約してあった「小松屋」という旅館にチェックインしました。早速お風呂を沸かしてもらい、陽があかるいうちに一日の汗を流しました。早朝からかなり速いペースで歩きましたので私はふくらはぎに、カミさんは太ももにはりを覚えました。

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ここでの魚料理の評判がよかったのでこの旅館に泊まったのですが、評判通りでしたが高齢者夫婦にはもう少し油を控えめにしてもらったらよりよかったと思いました。鰆にはオリーブオイルがかかっていましたが薄い塩味だけでよかったかな、金目鯛も一度油で揚げてから煮つけてありましたが、シンプルに甘辛醤油味だけの煮付けの方がよかったかなと思ったりしました。要するにシンプルな漁師料理でよかったのですが、この旅館に泊まっている人はビジネスマンがほとんどですのできっとそういう人の好みに合わせているのだと思いました。

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浜街道6日目 ②大悲山磨崖仏群

大悲山という地域には、国指定文化財の薬師堂石仏、阿弥陀堂石仏、観音堂石仏などからなる平安時代の磨崖仏群があるとのことでしたので寄りました。

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最初に薬師堂に寄りました。石仏が彫られている岩窟を守るように薬師堂が造られていて、無人ですが中には自由に入ることができました。

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石仏の一部がご神体として祀られていました。

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薬師堂の内部は、更にガラス戸に仕切られていて、ガラス越しに石仏を見ることができました。

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薬師堂から阿弥陀堂・観音堂に向かう岩窟沿いに弥勒菩薩が彫られていました。

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風雪に耐えて穏やかなお地蔵様も、こういうお地蔵様を彫ってみたいものです。

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阿弥陀堂は小さな祠で、やはり磨崖仏をご神体として守るように造られていました。

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観音堂の石仏は十一面千手観音座像で高さは5.5m、台座の高さは約2mです。かなりの部分が剥落していましたので判別はできませんでした。観音座像の両側にも多数の化仏(けぶつ)座像が多数彫られているそうです。

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2010年4月28日 (水)

浜街道6日目 ①富岡町~大悲山

今回の旅程2日目4/24(土)は、富岡町から南相馬市小高町まで24kmと少し距離がある上に寄り道したいところがありましたので、5:00に起床して6:00に出発しました。天気が心配でしたが、薄曇りで雨の心配はなさそうで安心しました。

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7:00、「夜ノ森桜トンネル」という魅惑的な名前の公園の桜が見所だというので早起きをして寄り道しました。富岡町は桜の里といわれていて、なるほど見事な桜並木でした。今年は寒い春のせいで桜の満開が例年より10日くらい遅いそうでラッキーでした。

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桜を堪能した後は、嫌になるくらい単調な道が延々と続いていました。カーブしている道は次にどんな光景が現れるか楽しみですが、単調な一本道はうんざりしました。

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9:53、常磐線の踏切を越えました。「太田陸前浜街道踏切」という表示があり、今回の旅程で初めて浜街道という名前に接しました。

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11:08、富岡町から双葉町、浪江町などの「原発銀座」を急ぎ足で通過して南相馬市に入りました。

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11:46、かなり朝早く出発しましたので空腹を感じていたのですが、コンビニや商店、食堂などがまったくなく、仕方なく街道沿いに常磐線

の桃内駅

という無人駅

がありましたので、ここで非常食のバナナを食べました。かなり疲れてボーッとしています。無人駅は誰もいませんし、休憩ができトイレもありますので砂漠でのオアシスのようなものです。

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12:18、大悲山という地域にさしかかりました。名前のイメージと道場という言葉に覗いてみたかったのですが、この先の磨崖仏群も見たいと思っていましたのでここはパスしました。

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12:32、この地域には「大悲山大蛇物語」という伝説が伝わっていて、慈徳寺というお寺の壁に大蛇物語が絵物語で描かれていました。何やら妖しい雰囲気で、こういうのは嫌いではありません。

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浜街道5日目 広野町~富岡町

4/23(金)10:40、前回の最終到着地点の広野駅を出発し、カミさんと二人、目的地の富岡町を目指しました。初日で朝ゆっくりのスタートですので、今日の行程は14.6kmと比較的楽にしました。天気は天気予報通り曇りがちでいつ雨が降ってきてもおかしくない空模様で、浜街道通算5日目が始まりました。いつも初めての町や道をスタートするときは期待と緊張で胸が高まります。

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広野駅には、“今は山中 今は浜 今は鉄橋わたるぞと・・・”という懐かしい歌詞で知られる童謡「汽車」の歌碑がありました。歌詞は久之浜という駅から広野までの車窓の景観を謳ったものです。

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駅前からすぐに浜街道に入りました。街道沿いに民家が軒を並べている見慣れた風景でした。このさき昼食を食べたり買うことができる食堂や商店があるかわかりませんので、すぐに目についた小さなスーパーで昼食を買いました。歩いていてスーパーがあると、ちょっと一休みや着替え、トイレなど利用できありがたく感じます。

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11:25、小一時間歩いた頃、不思議な表情の「北迫地蔵尊」がありました。これは飢饉による供養と人心の平穏を祈って1788年に造立されたそうです。寒いせいでしょうかしっかりと重ね着していました。

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民家がまばらになった頃、思わぬ桜並木があり、空模様が曇りがちで今ひとつ気持ちが晴れなかったのですが、満開でびっくり、晴れ晴れしい気持ちになりました。

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広野町には火力発電所があり、この先福島県内の浜街道の海岸沿いにはいくつかの原子力発電所があり、「原発銀座」ともいわれています。発電所がある地域には国から交付金が交付されますので、立派な道や公園、インフラが整備されています。この道の右側には広々とした総合公園が広がっていました。

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12:00、道路を挟んで総合公園の真向かいにはラーメン屋がありました。食堂は滅多にない道ですし、昼食時でもありますし、“手打ち中華そば”にひかれて迷うことなく飛び込みました。

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疲れたときにはどういうわけか醤油味がほしくなります。“手打ち中華そば”は、スープは見た目は味が濃そうですが薄味でさっぱりしていて、麺は手打ちちじれ麺でモチモチ感があり当たりでした。何より腰を下ろして休息できましたし、トイレも借りられホッとしました。

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美味しいラーメンに満足して間もなく、またまた満開の桜並木で少し疲れた身体も息を吹きかえしました。

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13:25、木戸川を渡って広野町から楢葉町に入りました。この町にも国から交付金が交付されています。長い道のりを歩いていると、橋の柵へのちょっとした工夫は心を和ませてくれます。この川には鮭が遡上することが一目でわかりますし、またこの町の人々の街作りに対する明確なメッセージも伝わってきました。

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10赤い街灯

13:30、富岡町に入って間もなく何故か赤い街灯が並んでいました。もしこの赤い街灯がなかったら何の変哲もない県道ですが、この街灯によって雰囲気は全く違ったものになっています。夜に灯りがともれば、気持ちも明るくなります。住んでいる人の気持ちのゆとりが感じられました。もしかして原子力発電所のおかげかもしれません。

16:00、富岡町のビジネスホテルにチェックインしました。初日で朝遅い出発でしたので、ゆとりのあるスケジュールにしました。富岡町は浜街道沿いでは比較的大きな町ですが、食欲をそそるような居酒屋やレストランがありませんでしたので、大型スーパーで酒と食材を購入してホテルで夕食をとりました。

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2010年4月22日 (木)

陸前浜街道へ

陸前浜街道はスタート地点の茨城県水戸を昨年10月19日に出発し、10月22日に福島県の広野まで歩きましたので、今回は4/23(金)~26(月)の日程で、宮城県の手前まで歩こうと思います。

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熊野古道3日目 大門坂~那智の滝

熊野古道3日目(4/16)は最後の行程で、ホテル浦島からバスで大門坂入口に移動し、熊野那智大社・那智山青岸渡寺や那智の滝をめぐりました。3日目はついに雨となり、しっかりと雨具を着込んでのスタートとなりました。

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大門坂は熊野古道の面影を最も美しく残しているといわれています。

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那智熊野大社への入口のようにそびえ立つ樹齢800年の夫婦杉で、他のご夫婦と同じように記念写真を撮りました。

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今日で最後のウオーキングとなりますので、皆さん雨の中をモクモクと古道の空気を味わっていました。

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467段の階段を上りきると熊野那智大社が見えてきました。

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熊野那智大社に参拝し、熊野三山詣の念願が達成されました。

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熊野那智大社と背中合わせに如意輪観音を祀っている青岸渡寺がありました。このお寺は西国三十三所札所の第一番札所で、花山法皇が定めたものといわれています。

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最後に那智の滝に行きました。高低差133mで日本一といわれ、迫力がありました。周りには雲のような霞のような薄い透明の膜が張っているようで、幽玄な雰囲気でした。

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より近くに近づいてみますと、雨なのか滝の飛沫なのか、カメラのレンズがあっという間に曇ってしまいました。

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滝壺近くでは自分のメガネも曇ってしまいました。ちょうどお昼頃、那智の滝からバスに乗り、車中で昼食のお弁当を食べ、名古屋駅に向かいました。

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途中何ヶ所かの道の駅やドライブインに寄りながら名古屋駅に17:50に到着しました。名古屋からは19:40発の新幹線のぞみ号に乗車予定でしたので時間がたっぷりあり、名古屋名物の「ひつまぶし」を初めて食べました。美味しく食べました。

かくて念願の熊野古道の一部分を歩くことができました。一部分とはいえ、中辺路は歩くには最もいい道だと思いますし、熊野古道の雰囲気をたっぷりと味わうことができました。今回はツアーを利用しましたが、やはりツアーを利用しないと交通の便や宿泊施設など難しいと思いました。

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2010年4月21日 (水)

熊野古道2日目 ホテル浦島

熊野古道2日目4/15(木)、熊野本宮大社例大祭を見た後、熊野速玉神社に参拝してバスで、宿泊先の那智勝浦温泉のホテル浦島に向かいました。

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熊野古道2日目4/15(木)、熊野本宮大社例大祭を見た後、熊野速玉神社に参拝してバスで、宿泊先の那智勝浦温泉のホテル浦島に向かいました。

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熊野古道2日目4/15(木)、熊野本宮大社例大祭を見た後、熊野速玉神社に参拝してバスで、宿泊先の那智勝浦温泉のホテル浦島に向かいました。

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ホテルへは専用の送迎船に10分くらい乗って上陸です。いくつものツアーパーティーが行列を作っていてピストン輸送していました。

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満杯状態の乗客がようやくホテルに上陸しました。

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景観も料金も高い部屋をグレードアップすることができるということでしたので、ものは試しと海が見える部屋(山上館)を選択しました。部屋までは長いエスカレーターで延々6分かかりました。もう一つの移動手段のエレベータを利用すると80mの高低差を30秒くらいで行き来できました。

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海は見えたのですが、あいにくの天気で夕陽も朝陽も期待できませんでした。

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ホテル浦島といえば、TVCMでお馴染みの海を臨む洞窟温泉(忘帰洞)がウリで、早速食事前に入ってみました。洞窟をくり抜いているのですが、かなりの広さでした。まだ早い時間なのか入浴客は少なく空いていました。

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目の前には海が広がっていました。食後にもう一度ゆっくり入ろうと、食事前ですので短い時間お湯に浸かっただけでしたが身体はポカポカになりました。かなり良質の温泉であることがわかりました。全部で6つの温泉があり楽しめるのですが、食事はバイキングで美味しくなく、混んでいるし、話の種に1回宿泊すればいいホテルだと思いました。

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2010年4月20日 (火)

熊野古道2日目 熊野本宮大社例大祭

熊野古道ウオーク2日目は、発心門から歩き始め、熊野本宮大社に12:30頃到着しました。ちょうどこの時期熊野本宮大社例大祭が4/13から始まっていて、この日(15日)13:00から熊野本宮大社の神様達が旧大社大斉原(おおゆのはら)に移動するハイライトで、ちょうどこの行列に遭遇しました。ツアーでは予定していなかったサプライズでラッキーでした。

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明治22年まで大社が鎮座していた大斉原(おおゆのはら)の大鳥居です。今日は熊野本宮大社例大祭で神様達の行列がここへやってきます。行列を待ちかまえようという人達が三々五々集まっていました。

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私達はとりあえずバスを降り、熊野本宮大社に参拝に向かいました。

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階段状になった参道を行列は下って行くようです。

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山門前は出番を待っている人達が集結していました。

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本宮大社前では行列の参加者が記念写真を撮っていました。

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少女達もおめかししてはしゃいでいました。

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どうやら行列の最後について場を盛り上げようというチンドンヤさん達もいて、神様達の行幸の割にはくだけたお祭りのようです。

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14:04、目抜き通りで待ちかまえていると行列がやってきました。先頭は厳かな雰囲気でした。

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きっと神様が乗っているであろう白馬や栗毛色の馬もおとなしく行進していました。

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さすがに山伏のホラ貝は迫力がありました。

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熊野本宮大社の境内ではしゃいでいた少女達は行列でもはしゃいでいて、それに続く神主さんは笑いをこらえていました。神様の移動という縁起のいいイベントに遭遇して得した気分でした。

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2010年4月19日 (月)

熊野古道2日目 発心門王子~熊野速玉大社

熊野古道2日目は、宿泊した川湯温泉からバスで30分くらい走り、発心門王子をスタートし、熊野本宮大社までの10kmの道のりをゆっくり歩きました。

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8:40、発心門王子に全員でウオーキングの無事を祈って参拝し、前日と同様2班に分かれ昨日とは異なる語り部さんに引率されてスタートしました。いつ雨が降ってきてもおかしくない空模様でしたので、全員雨具を身に着けての出発となりました。

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道端に農夫婦と3羽の鳥が私達を出迎えてくれました。「鹿威し」と同じように畑の水がある程度溜まると農夫婦の腕が上がったり、鳥が羽を動かしたりして、どうやら鳥を驚かすための装置のようでしたが、気持ちが和みました。ユーモアのある人達が住んでいる村のようです。

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今日の語り部さんは女性でした。当然の事ながら足が達者で、必要な資料をファイリングして丁寧に説明してくれました。このツアーに参加した人達も一人の方を除いては、日頃から歩いている人や富士山に登ったことのある人など、足には自信があるようでした。

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路傍にはいくつものお地蔵さんがありました。それぞれいわれがあるお地蔵さんで、このお地蔵さんはここで亡くなった修行僧を弔うためのものだそうです。熊野古道は東海道や中山道のように宿場町があるわけではなく、また見所があるわけではありません。王子と呼ばれる石像や石碑があるだけですが、もともと参拝の道であり、後白河上皇は34回、後鳥羽上皇は28回も参拝したと伝えられています。木々や草花、あるいは自分の心と対話しながら、あるいは往時をしのんで歩くのが相応しいように思えました。

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先頭に語り部さん、最後尾には添乗員さんという隊列を組んで歩きました。添乗員さんといっても山歩きのベテランガイドさんで、様々な山の話をしてくれましたので参考になりました。

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古い石の道標がありました。「右高野(高野山に通じる小辺路)左紀三井寺」とありました。この道は熊野本宮に通じる道ですので、あちこちからこの道に合流しています。

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12:12、ちょうど昼時になり、ちょっと寄り道をして見晴台の野原で昼食をとりました。見晴台からは明治22年の大洪水まで熊野大社となっていた大斉原(おおゆのはら)の大鳥居を見ることができました。かつての熊野詣での人々は長い道のりを歩いた後、ここで初めて熊野大社の大鳥居を目にすることができ、きっと感激したことと思われます。

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熊野本宮大社まで歩いた後バスで移動し、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の一つである熊野速玉大社に参拝しました。

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2010年4月18日 (日)

熊野古道1日目 滝尻王子~野中の清水

4/14(水)羽田発10:00の飛行機で関空へ、関空からバスで中辺路の出発地点である滝尻王子に到着しました。JAL合理化のために南紀白浜空港到着の予定が関空になり、しかも予定より30分遅れたために、大幅に予定が狂いました。12:00頃には歩き始める予定が14:00スタートとなり、16kmを4時間で歩くという、ツアーとしてはかなりの強行軍でした。

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中辺路の起点は田辺市の海岸近くですが、世界遺産として登録されたのはここ滝尻王子から本宮大社をへて、那智山までの約80kmです。

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王子(社)というのは大阪から熊野までの道中に100ヵ所近くある「熊野九十九王子」と呼ばれる、熊野三山の御子神あるいは摂社をいいます。滝尻王子のように実際に社がある王子は極めて少なく、大体が石像か石碑だけが残されています。ツアー客総勢39人が先ず無事を祈って参拝し、2班に分かれて二人の語り部さんに引率されて出発しました。

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いかにも古道という名前に相応しい、杉や檜の木立を縫うように続くこのような道は中辺路80kmの約1/3くらいで、あとの2/3は舗装されている道です。木立の間から時々薄日がこぼれる道は暑からず、寒からず快適でした。

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15:16、ガイドブックでもお馴染みの牛馬童子像に到着しました。帝位を奪われて熊野に赴いた花山法皇を模したものといわれています。

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15:47、箸折(はしおり)峠を越えて近露(ちかつゆ)王子に着きました。近露は禊ぎの場として重要だったそうです。箸折峠はここで、牛馬童子のモデルの花山法皇がここで昼食をとった際、萱を折って箸にしたことが由来とされ、近露という地名も萱から出た赤い汁を「血か、露か」と尋ねたのが起源とされているそうです。

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時折、古道から外れた脇道にはより古道らしい道も見られます。

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樹林が開け、明るく宿場町のような道もあり、かつてのお茶屋「とがの木茶屋」もありました。

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分岐点にはわかりやすい標識があり、ガイドブックや地図もたくさんありますので一人で歩いても不安はないのですが、仮に自分だけで歩いた場合古道沿いに宿泊施設がないのがネックになりそうで、やはりツアーを利用しないと無理かもしれません。

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17:38、今日の最終目的地「野中の清水」に到着しました。16kmの山道を語り部さんの話を聞きながら4時間弱で駈けるように走りました。さすがに一人の方が脱落してしまいました。

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野中の清水はこんこんと清水が湧き出ていて、渇いたノドを潤し、持参したポットにも充填しました。甘く柔らかい水でした。

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私達を先導してくれた語り部の水本さん。最近出版された熊野古道の本では名ガイドとして登場しているそうです。慌ただしい中、熱くユーモアを交えて語ってくれました。ありがとうございました。

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野中の清水からバスで30分程走った川湯温泉に移動し、温泉で汗を流しました。この画像は翌日撮ったものですが、夕食後暗闇の中、かがり火をたよりに、熊野川の流れを音を聞きながらの露天風呂はなかなかおつでした。

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2010年4月12日 (月)

ヒマラヤトレッキングが熊野古道に

身動きのできなかった3月までの繁忙期から解放されましたので、一度予約してキャンセルしてしまったヒマラヤトレッキングを再度計画しようと思ったのですが、残念ながらオフシーズンで予定していたツアーは実施されていないとのことでした。更に追い打ちをかけるように大きな仕事を引き受けざるを得なくなり、1週間以上の旅程は無理となり、結局以前から行きたいと思っていた熊野古道に出かけることにしました。

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ヒマラヤトレッキングについての資料を集めてすっかりその気になっていたのですが、今回は結局タイミングを逸してしまいました。この本が書かれたのは10年前ですが、多くの人が世界中からヒマラヤに集まってきてトレッキングを楽しんでいる姿が描かれています。身体さえ現地に運べば、全て現地のポーターが面倒見てくれ、睡眠用テント、食事用テント、トイレ用テントを設営・運搬全てやってくれます。しかし先日読んだ同じ著者による10年後のヒマラヤを描いた「ヒマラヤ世界」ではトレッキングによる環境破壊が嘆かれていて、皮肉なものです。今回ヒマラヤトレッキングを断念せざるを得ないのですが、環境破壊に加担しなくてよかったと思えばせめてもの慰めになります。負け惜しみかも!!!

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以前から熊野三山詣でと熊野古道を歩いてみたいと思っていました。熊野古道は紀伊半島に網の目のように伸びている古道の総称で、紀伊路、中辺路、大辺路、子辺路、伊勢路などがあります。また亮潤さんが千日回峰行を行った大峯奥駆道なども熊野古道です。資料を取り寄せたりインターネットで情報を集めたり、何とか自分なりのプランを考えたのですが、急なことで中辺路を歩きながらの熊野三山詣でのスケジュール調整が難しく、また思うような宿泊場所の確保が難しく、自前の計画はあきらめました。

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仕方なくツアーを利用することを考えたのですが、できるだけ多くの時間歩けるプランを選びました。とはいえ語り部に引率されてのグループウオーキングですので、多分非常にゆったりとしたペースになると思います。まあ割り切って古道の雰囲気を楽しみ、効率よく熊野三山詣でができればいいなあと思っています。4/14~16の3日間のツアーですから熊野古道のほんのさわりの部分を歩きます。

もう仕事はやめようと思っていたのですが、永年お世話になった方からの依頼でもあり引き受けざるを得ないようです。大きな仕事で今年一杯は拘束され、また何年後には税務署が調査にやってくるという循環を断ち切れない中で、せめて寸暇を惜しんで山歩き、街道歩きを続けたいと思っています。

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2010年4月 9日 (金)

石割山~平尾山~大平山

4/9(金)まあまあの天気でしたし、何となく山に登りたくなって、早朝今年3回目の石割山に向かいました。今回は久しぶりに単独行でした。

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7:46に登山口の鳥居をくぐって出発しました。

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8:28、石割山の途中にある神社のご神体は巨岩で、名前の由来は石が割れているからです。この狭い割れ目を願い事を唱えながら通り抜けると願いは叶うといわれています。私は大丈夫ですが、ダイエットしなければならない人もいるかもしれません。リュックを背負ったまま通り抜けしようとして身動きできなくなる人もいるようです。

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8:50、石割山の山頂に到着し、道標に従って平尾山、大平山を目指しました。

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石割山~平尾山~大平山へと続く尾根道はジェットコースターのような急峻な上り下りの山道ですが、眼下には山中湖、天気が良ければ目前に富士山を眺めることができる楽しい道でもあります。たとえ富士山が見えなくても自然の中をモクモクと歩いているだけで気分爽快でした。

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9:50、平尾山に到着しました。ハッキリしない空模様で、富士山はすっかり雲に覆われていました。

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10:02、大平山に到着しました。空模様は相変わらず曇りがちでしたが、時折富士山の頂が姿を現すこともありました。きっとここまで来たのだから少しだけご褒美をあげようと思ってくれたのかもしれません。自然の中にいると理屈抜きに癒されます。

大平山からは平尾山、石割山へと逆コースを辿り、登山口の駐車場に11:00に到着しました。石割の湯に入って、400円の山菜蕎麦を食べて、13:30に自宅に到着しました。

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2010年4月 6日 (火)

箱根歩き

4/4(日)今年2回目の箱根旧街道歩きに出かけました。税務署のお沙汰待ちでまだ余波はありますが、ともかく終わりましたし、スタッフも受験勉強も終わりましたので、新年の箱根駅伝見物以来の旧街道歩きに出かけました。いつもはカミさんもついてくるのですが、自治会の総会のために一緒できませんでした。

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いつものように箱根湯元駅を7時に出発して、湯元温泉街を流れる須雲川沿いを歩きました。川沿いには桜が満開でした。この時期は日本中どこへ行っても桜が楽しめます。

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7:20。昨年末にオープンした須雲川沿いの巨大温泉ホテル天成園にも桜がありました。温泉街には人影は見えず静寂に包まれていました。宿泊客は昨晩は美酒・美味を堪能して、温泉に入って、楽しい一時を過ごして、今朝はきっとのんびりと朝風呂を浴びて朝餉の膳にむかっていることと思われます。

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9:23。見晴茶屋下の久しぶりの旧街道です。最もきつい勾配を登り終えた後の比較的緩やかな山道です。何回も通い慣れた道ですが、ゴクゴク普通の道ですが、久しぶりでもあり愛おしく思えました。悩みや心配事も消え、ウグイスの声を聞きながらのんびりと歩けることの幸せを十分かみしめることができました。

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9:50。甘酒茶屋の手前の「別荘」と呼んでいる休憩所で一休みしました。ほとんどの観光客は50m先の甘酒茶を目指しますし、この「別荘」はちょっと奥まったところにあり目立たない上に、屋根がついていますので休憩するには最適な場所です。

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甘酒茶屋を通り過ごしてしばらく行きますと再び旧街道です。この道は比較的勾配もきつく、石畳も大ぶりで歩きにくく、歩き甲斐があります。不ぞろいの石畳は歩きにくいのですが、股関節を柔軟にするにはとても効果があるそうです。

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10:52。芦ノ湖に到着しました。観光船乗り場は4月の日曜日とあって観光客で一杯でした。ほとんどが中国人、韓国人のようですが、あいにくの天気で肌寒く、富士山も見ることができずとても気の毒に思えました。芦ノ湖ではいつものようにコンビニで昼食用のお弁当を買い、「腸詰屋」で定番のハム・ソーセージを買って、大体15分くらいの滞在で引き返しました。

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12:14。芦ノ湖から再び旧街道を引き返し、ちょうど昼時に「第二別荘」と呼んでいるベンチで昼食をとりました。「第二別荘」は屋根がついていないのが残念です。

早朝出発したときは未だオープンしていなかったお土産屋などを覗いて、箱根湯元駅には14:30頃到着しました。足首にはウェイトを巻き付けていましたのでとても疲れました(体力・筋力ひどく衰えていることを実感しました)が、久しぶりの自然の中を歩いて、頭や体の中に鬱屈していたものが全て出ていき、心身共にスッキリしました。

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2010年4月 1日 (木)

花見

全ての仕事も終わり、29日、30日と鬱陶しい税務調査も終わり、31日にはスタッフが1年かけて勉強した資格試験の発表日で見事「桜咲く」となり、4/1は巳の日でしたので午前中恒例の北鎌倉詣に出かけ、お昼は花見に出かけました。

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北鎌倉詣でのたびに、文章の神様・受験の神様である「葛原岡神社」にお百度参りのようにスタッフの合格祈願をしていましたので、晴れて合格のお礼参りに参拝しました。

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葛原岡神社の鳥居前にはようやく桜が満開近くとなり、曇り空でもやはり晴れやかな春の盛りを告げるかのように桜が花開いていました。

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近くに寄ってみると、花びらが密集していてしばらく眺めていると、ドーパミンが脳みそに満ちあふれて花に酔ってしまいました。

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お昼に会社に戻り、2人のスタッフと3人で昼食かたがた花見に出かけました。歩いて30分のこの辺りでは桜の名所として知られている公園では、既に多くのグループが盛り上がっていました。

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途中のスーパーなどで買ってきたお弁当と銭洗弁天でいただいた御神酒でささやかな宴が始まりました。

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試験に合格したスタッフは嬉しそうに、かたやお腹に新しい命を宿したスタッフは幸せそうにお弁当をパクついていました。私は満開近い桜と両手に花と御神酒の花見酒ですっかりいい気分になりました。

昨年は吉野の桜や信州の高遠城公園の桜を見たりしたのですが、例え身近な公園でも1年に1回花見をするのは気持ちも切り替わりますし、ようやく春が来て、世の中も自分の心身もようやくアクティブになれるような気がしました。さあこれからあちこちテクテク徘徊するぞ!!!

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