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2010年5月28日 (金)

鯖街道⑦ 鈴鹿峠~亀山宿

5/21(木)、鯖街道の終着京都出町柳で昼食をとった後、三条大橋から東海道(国道1号線)を大津~草津~石部~水口~土山~坂下と走り、かつて旧東海道をテクテクと歩いたことを思い出しながら鈴鹿峠を越え、亀山宿で3泊目の宿をとりました。

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15:45、かつて旧東海道を歩いたとき非常に印象の強かった身代わり地蔵に寄りました。関宿を過ぎこれから鈴鹿峠を越えるという時に、この身代わり地蔵に出会い更に緊張感が高まったことが思い出されました。

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とても懐かしい気持ちで関宿を少し歩いてみました。遠方に鈴鹿峠が霞んで見えました。

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16:00、亀山市のホテルにチェックインし、シャワーで汗を流した後、亀山城や旧東海道を歩きました。

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今晩は最後の夕食となりますので、少し贅沢をして割烹料理屋に予約しました。

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昨日宿泊した料理自慢という民宿が期待はずれでしたのでその恨みをここで晴らすことにしました。

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鰻も美味しいということでしたので味わってみました。たしかに旨かった。食い物の恨みは怖ろしいです。

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美味しいものを食べ、食い物の恨みを晴らして、すっかり気分よく亀山市のメインストリートを歩いていましたらまた鰻かと思いましたら蛇が・・・。

翌日(5/22・土)は、ETC割引を利用して亀山ICで高速道路にのり、東名高速を走り、心配した渋滞に遭うこともなく昼前に自宅に戻りました。鯖街道を歩いてみたいと思ったのですが、事前情報では歩くのはかなり難しいことがわかりました。実際に車で鯖街道の2つのルートを走ってみましたらやはり歩くのは無理ということがわかりました。そのかわり鞍馬山や大原の里など普段あまり歩くことのないところを歩くことができました。また鯖街道はグルメ街道かもという期待は、2泊目の民宿で多少裏切られましたが、小浜と亀山とで補って余りありました。。またかつて歩いた旧東海道(一部旧中山道)を車で辿ってみることができ楽しい3泊4日の鯖・グルメ街道旅でした。

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鯖街道⑥ 終着京都出町柳

5/21(木)、大原の里を散策後、鯖街道の終着京都出町柳に向かいました。

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12:20、鯖街道の終着出町柳に到着しました。かつて女性達が鯖を担いで若狭(小浜市)から熊川宿、朽木宿を経由して80kmの道のりをここに到着したわけで、きっと橋のたもとでほっとして鴨川の流れを眺めたことと思われます。

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鯖街道の終着地は出町柳商店街の入口でもあり、鯖街道のパネルがありました。

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商店街は平日の昼にもかかわらず賑やかでした。

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昨晩宿泊した鯖街道朽木宿の民宿で昼食用に鯖の棒寿司をつくってもらいました。

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鯖街道の終着で、鴨川の川風に吹かれながら好物の鯖の棒寿司を食べました。旨かった。

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2010年5月26日 (水)

鯖街道⑤ 大原の里

5/21(木)、今回の旅行3日目は、鯖街道・若狭街道の朽木宿を車で出発し、鯖街道の終着京都出町柳に向かいました。途中大原の里を通りましたので大原の里を散策することにしました。

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京都には何回か来ているのですが、大原まで脚をのばすことはあまりなく、三千院も今回で2回目です。三千院は最澄が8世紀に草庵を結んだもので、皇子、皇族が住職を勤めた宮門跡で由緒ある寺院です。

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シーズンオフということと早朝ということで、他に観光客は少なく、三千院の庭園・聚碧園には緑と光の織りなす世界が広がっていました。

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三千院の庭園は広く、金色不動堂など多くの建物があり、その周りの散策小径は緑の絨毯に取り囲まれていました。

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緑色のビロードの中に、苔で覆われた小僧地蔵がありました。

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三千院に行った後、寂光院に向かいました。気温はグングン上がり、京都の暑い夏が早くも来てしまったかのようでした。

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寂光院も今回で2回目ですが、寂光院は聖徳太子が建立したということ、また住職は女性で尼寺であるということ、第三代住職は平清盛の娘建礼門院であったということなどは初めて知りました。観光客が少なかったために案内の女性にじっくりと話を聞くことができました。

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建礼門院は源平の戦に敗れて壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩薩を弔い修正ここで過ごされたそうです。敷地内の秘宝殿には、平家物語の“祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす・・・” という一説や琵琶、平成12年の火災(放火)によって焼け出された六万体地蔵などが展示されていて、人の命や人生、歴史などの儚さ空しさを感じました。

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寂光院からの道を歩いていましたら、寂光院の池で見かけた森青ガエルが道端の小枝にとまっていました。あまりにもグリーンが綺麗でシャッターを押しました。

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大原女の衣装は、建礼門院の侍女であり寂光院の二代目住職阿波内侍(あわのないじ)のファッションがモデルだそうです。三千院と寂光院を巡った後、鯖街道・若狭街道を京都出町柳を目指しました。

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鯖街道④ 貴船神社

鞍馬・木の根道を歩いた後、貴船に出ましたので貴船神社と奥宮(おくのみや)に行きました。奥宮からは貴船川に沿って叡山電鉄貴船口まで歩き、貴船口からは叡山電鉄

で鞍馬駅

に戻りました。

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貴船神社は鞍馬寺西門から5分程の近くにありました。

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本殿はかなり立派で、由緒があり多くの人からの信仰を集めて神社であることがわかります。

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貴船神社は雨乞いの社ですが、古来天皇家から旱の時には黒馬、霖雨の時には白馬か赤馬が献げられたそうです。しかし時には生きた馬の代わりに「板立馬」が奉納されたこともあるそうで、これが絵馬の原形になったそうです。

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貴船神社の奥宮へは、貴船川に沿って本殿から10分程の距離でした。青葉がとても美しく、マイナスイオンたっぷりでした。川沿いの樹々のほとんどは紅葉であり、紅葉のシーズンはさぞかし見事でしょう。青葉の時期もいいですが、紅葉の時期は更に見事なことと思いました。

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貴船神社は当初はこの地に建立されたそうです。名前の由来は、5世紀初頭に神武天皇の母が黄船に乗って大阪から淀川、鴨川、貴船川をさかのぼって当地に上陸し、ここに祠を営んで水神を祀ったのが奥宮のおこりで、地名および社名の起源を「黄船」にもとめる説もあるそうです。

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奥宮の脇には伝説にまつわる「舟形石」が積まれています。これを積み囲んだ小石を持ち帰ると航海安全に御利益があるといわれています。2~3年後に飛鳥Ⅱ100日間世界一周クルーズに乗ろうと思っていますので、航海の無事を祈ってカミさんとそれぞれ一つずつ小石を持ち帰りました。

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貴船神社から叡山電鉄貴船口までの道は貴船川に沿って料亭や旅館などが並んでいました。

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貴船といえば川床料理で、鴨川の床遊びと並んで夏の風物詩ですが、ここの川床料理は既にシーズン開幕しているそうです。貴船川にはり渡した床で川音を聞きながら、川魚料理や京懐石を肴に一杯やったら風流の極みです。

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14:30、叡山電鉄

貴船口駅

に着きました。3時間のハイキングコースでした。

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叡山電鉄は、鯖街道の終着点の出町柳から鞍馬までの鞍馬線と比叡山口までの叡山線とがあります。この鉄道は山間を走りますので車窓の風景が評判で、車窓の風景を楽しめるように配列されたシートになっている車両もありました。

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14:50、叡山電鉄

で鞍馬駅

に戻りました。

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駅前には鞍馬寺ゆかりの天狗がいました。ここから駐車してあった車で若狭街道を小浜方向に走り、朽木宿の民宿に向かいました。

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2010年5月24日 (月)

鯖街道③ 鞍馬・木の根道

根来坂越えの道はやがて鞍馬街道になり鞍馬を経由して京都出町柳に至ります。鯖街道は歩けませんでしたが、鞍馬山を越えて貴船までの道を歩いてみました。

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11:30、叡山電鉄

鞍馬駅

前に車を駐車して、鞍馬寺から歩き始めました。

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鞍馬寺は義経が牛若丸の時代、遮那王と名乗っていた10年間、文武の修行に励んだ場所として知られています。実際には武芸には励んだそうですが、勉強はほとんどしないで腕白していたともいわれています。

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鞍馬寺本殿の金堂まではケーブルカーを利用して参拝する人は多いのですが、奥の院までの道はかなり厳しく、奥の院まで脚をのばす人は少ないようです。この日は前日の雨もあがり、京都の蒸し暑い気候の上にかなり気温が高くなりましたので汗びっしょりになりました。

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鞍馬寺本殿の金堂前まではかなりの上りで、標高も高くなりましたので北山を見下ろすことができました。鞍馬寺が山の奥深い場所にあることがわかりました。

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奥の院への道は次第に山道となり、山道ハイキングの気分にさせてくれました。

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義経堂は、吉野や平泉など全国に何ヶ所かあります。ここの義経堂は義経が平泉で自害した後、その魂が遮那王尊となりその魂をお祀りしている場所であるという説明がありました。

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この辺りは牛若丸が天狗を相手に修行したという僧正ガ谷で、辺りは深閑としておりいかにも天狗が出そうで、道は木の根が露出したり不思議な雰囲気でした。鞍馬は京都一のパワースポットといわれるのも肯けました。

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鞍馬駅を出発して、12:40、1時間程で奥の院に到着しました。訪れる人はほとんどいませんでした。

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鞍馬で最も神聖な場所といわれています。

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13:00近くとなりましたので、鞍馬駅前で買い求めた義経餅、よもぎ餅、栗餅を昼食代わりに食べました。

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13:10、鞍馬寺の出口(西門)に到着しました。貴船川が流れていました。

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鯖街道② 根来坂(針畑峠)コース

5/20(木)宿泊地の小浜市を出発し、鯖街道のうち最もウオーキングに適した道を車で走ってみました。

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根来坂越えのコースは、ごく一部分が車が通れないウオーキング専用の山道ですが、ほとんどの道は舗装されていて車で走ることができました。しかし道は狭く、場所によっては対向車に出会った場合すれ違うのにかなり難航するところも何ヶ所かありました。かつてはこの道を女性が鯖を担いで1昼夜かけて京都に向かったわけで大変なことだったと思われました。

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このようなやや開けたところでは対向車に出会っても安心でした。しかしこの道を歩くとしますと車に注意しなければならずあまりのんびりとは歩けないような気がしました。標識が全くないために、道を知っていないと今どのあたりにいるかがわからず一人で歩いたらかなり不安に感じるのではないかと思いました。

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車に乗っていてもたまに小さな集落があるとホッとしました。

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あちこち川に沿っての道があり、人もほとんどいないためにいかにも岩魚やアマゴが釣れそうな感じがしました。休日であれば釣りに来る人も結構いるかもしれません。

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若狭街道との合流地点の花折峠は、部分的に歩ける自然歩道の起点になっていましたが、若狭街道は国道で車が行き交っている道路であり、どこをどこまで歩くのかがハッキリわかりませんでした。

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花折峠では、峠の茶屋のようなお店があり、名物の鯖の棒寿司を売っていました。

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2010年5月23日 (日)

鯖街道① 小浜(オバマ)市

何とか鯖街道を歩いてみたいと思い、地元に問い合わせたり調べたりしたのですが、歩くのはとうてい無理だということがわかりましたので車を利用することにしました。

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朝5/19(木)6:00に車で自宅を出発し、小浜市を目指して東名高速~北陸自動車道を走りました。敦賀ICで降り、13:40、小浜市内に到着しました。走行距離520kmでした。このいづみ町商店街に鯖街道の起点がありました。

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鯖秋道の起点パネルには“生鯖塩して荷い 京行き仕る”という文字が刻まれていました。

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商店街の魚屋さんの店頭には名物の若狭かれいが吊されていました。地元ではよく食べられているようでした。

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オバマ米大統領が街角で演説していました。商店街のあちこちにオバマさんのイラストなどがあり、町おこしに一役買っていました。

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鯖の棒寿司、鯖のへしこ、鯖の浜焼きなどの他にも小鯛・キス・サヨリなどの笹漬けなどもありました。鯖街道はグルメ街道でもあります。

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八百比丘尼という女性が入定したという洞がありました。入定とは生きたまま墓場に入り即身仏(ミイラ)として再生するということで、奥の細道などでは実際何体もの即身仏にお目にかかりましたが女性が入定したという例は初めてでした。

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15:40、小浜市内にはいくつかのビジネスホテルがありますが、第一日目の宿泊は海に近い民宿にしました。

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民宿の窓からは湾内が眺めることができました。夕食までの一時のんびりと北陸の浜辺を散歩しました。

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この地域はフグ料理でも有名なところですが、シーズンオフのためフグは出ませんでした。夕食は、鯛の生き造りやカニなど海の幸満載で、1泊2食付きのとくとくコース(通常1万円が8千円)に大満足でした。

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鯖街道

若狭(小浜市)から京都出町柳へは多数の街道や峠道があり、かつて若狭で獲れた鯖に塩をふり80kmの道を京都まで運び、京都に着いた頃に鯖が美味しくなりました。この鯖の運搬道を総称して鯖街道といわれるようになりました。5/19(木)~21(土)の4日間鯖街道探索に出かけました。

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鯖街道の代表的な道は小浜(オバマ)から熊川宿、朽木宿を経由して京都に至る「若狭街道」です。この道は車の往来が頻繁で、若狭~京都間の幹線道路ですのでまず歩くことは無理です。二つめのルートは京都への最短距離を辿る峠道で「根来坂(針畑峠)」コースです。他に琵琶湖に沿った「西近江路」という道もあります。

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「若狭街道」沿いには熊川宿や朽木宿がありますが、自動車道ですので歩くのは無理ですし、「根来坂」コースはスタート(若狭)から42km地点に唯一の宿泊施設がありますが、寝具・電気・水道なしという無人の旧小学校で、仮にここに宿泊しても翌日ゴールまで36kmあり、宿泊施設がありません。ここを歩くとしますと余程の覚悟が必要です。ということで歩くことは断念して、「若狭街道」と「根来坂」コースを車で走ってみることにしました。

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「鯖街道」といわれるくらいですので、鯖の棒寿司、鯖のへしこ漬け、鯖の浜焼き、鯖のなれ寿司などが名物となっています。鯖のなれ寿司だけは食したことがなかったので今回2日目に朽木宿の民宿に宿泊して、鯖のなれ寿司を食べてみました。他に鮒のなれ寿司、鮎のなれ寿司などもあり、ほとんど匂いのきついチーズのような味という店では同じようなもののようです。

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2010年5月17日 (月)

岬めぐり③ 三崎港へ

毘沙門湾からは海を離れ、県道を歩いて三崎港を目指しました。

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県道は半島の高台を貫いて走っていて、風当たりがよいのでしょうか風車がありました。県道はドライブする人、サイクリングの人、歩いている人などもいました。

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道路脇の直売店の看板には「スイカ、メロン、マグロ」とあり、スイカやメロンと一緒にマグロも売られるのも三浦半島ならではです。

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12:30、三崎港に着きました。港町の匂いがしました。

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三崎港といえばマグロ料理で、多くの店があり、中でも最もマグロメニューが豊富で人気なのが「くろば亭」といわれています。この日は土曜日であり、ちょうど昼時でしたので待っている人がいましたが以前に比べて人が少ないような気がしました。こういう店は一人で入っても面白くないので、いつか同行者がいるときには入ろうと思いました。

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店頭には代表的なメニュー見本が展示されていましたが以前はなかったような気がしますし、マグロ以外の地魚刺身定食なども目をひきました。

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店頭には更にヒラメや金目鯛、カマスなどの本物も並べられていました。美味しそう~。

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更に極めつけは美味しそうな活きたイカもいました。マグロ中心のこの店でマグロ以外の魚に力を入れているようで、本マグロの漁獲制限などでいつまでもマグロだけに頼っているわけにはいかないという危機感の現れかもしれません。

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港の目の前には、三崎港の顔ともいえるマグロ館本店があります。建物は昔の興隆を誇ったときの風情を残している老舗です。

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三崎港の近くに海南神社があります。三浦半島霊場巡りをしたときに一度訪れたことがあり、本殿の賑やかさがいかにも漁港の守り神というイメージで、非常に印象に残った神社です。

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海南神社の境内には樹齢800年といわれるご神木の大銀杏があります。源頼朝が1192年に鎌倉に幕府を開いたときここを訪れこの大銀杏を手植えたともいわれています。鎌倉八幡宮の大銀杏は強風で折れてしまい話題となりましたが、ここの大銀杏は大丈夫そうです。

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13:40、三崎港から京急三崎口駅まで歩く途中、横須賀方面と鎌倉・葉山方面の分岐点にきました。三崎港からはかなり頻繁にバスが出ていて走り去って行きましたが、ここまでくれば目的地の駅まではもうすぐです。

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14:00、京急三崎口駅到着。駅舎はこじんまりとシンプルで、いかにも半島のターミナルというイメージでした。8:15に歩き始めて、昼食をはさんで6時間くらいの楽しい岬めぐりでした。このコースは天候などのコンディションがいいときには何度でも歩いてみたいと思う道です。

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2010年5月16日 (日)

岬めぐり② 岩礁の道

剣崎灯台下から磯伝いに毘沙門湾を目指しました。

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灯台下には磯が広がっていました。海は波もなく穏やかで引き潮でした。この岩礁の道では磯釣りや磯遊びができるのですが、アクセスが悪いためか土曜日でもあまり人は見かけませんでした。

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「岩礁の道」という標識がたてられていて、この磯は江名湾まで2km位続いています。

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ちょうど干潮時でしたのであちこちに潮だまりがあちこちにできていました。覗き込むと稚魚が慌てて岩陰に走り込む魚影が見えました。網ですくうこともできで、いずれ孫達をつれてきてやろうと思いました。自分が一番はしゃいだりして。

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10:25、江名湾に近くなると少し人影も見られるようになり、磯釣りをしたり絵を描いている人達もいました。昨年リアス式海岸をドライブしましたが、この磯もスケールは小さいものの入江が入りくんでいて、景色が変化に富んでいます。

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10:42、江名湾に到着しました。かなり潮が引いていて、係留している船も身動きができないかのようでした。ここ江名湾は干潟が有名で、多くの生物が生息していることでも知られています。

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江名湾からハイキングコースを歩いていきますと海から離れて畑道に出ました。三浦半島の特産物といえば大根、スイカ、メロン、キャベツなどですが、今年は天候不順で農作物の成育が心配です。

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11:00、三浦七福神の一つ白砂毘沙門天に着きました。。

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11:20、途中唯一見つけた食料品店では、嬉しいことにアジフライを売っていました。アジフライと甘そうなパンで昼食にしました。

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この景色を見ながらのアジフライの旨かったこと。この磯は海がとても身近に感じられるいいところです。

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「毘沙門洞窟弥生時代住居跡」があり、大小4つの洞窟がありました。パネルの説明によると弥生時代の漁労具や装身具が出土され、平安時代には墳墓として利用されたようで埋葬された人骨も発見されたとのことです。

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一部コンクリートの道が造られていました。この日は干潮のために歩きやすかったのですが、満潮時に歩くと大変かもしれません。

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11:42、毘沙門漁港に着きました。磯歩きはここまでで、ここから先は残念ながら海とは離れます。地図では宮川湾沿いに三崎漁港まで磯伝いに行けそうなのですが、もう少し詳細な地図がないとはっきりしませんので今回はあきらめました。

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岬めぐり① 三浦海岸~剣崎

5/2(日)に横須賀から三浦半島の長沢まで歩きましたので、5/15(土)は引き続き三浦半島の海沿いの道を歩きました。山本コウタローのフォークソング「岬めぐり」は傷心の主人公がバスで三浦半島をめぐる情景を描いたものだそうですが、私ははずむ心でテクテクと三浦半島めぐりをしました。

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前回歩いた長沢駅からスタートしようと思ったのですが、海岸線

の同じような道でしたのでパスして三浦海岸駅

を8:15にスタートしました。

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駅からすぐに海岸に出ることができました。好天に恵まれ遙か彼方には最初の目的地剣崎が見えました。

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目の前に広がっているのは金田湾で、シロギス釣りの好漁場です。沖では釣り船やボートが何艘も浮かんでいましたが、投げ釣りに興じている人達もいました。釣りはかつて小型船舶操縦士の免許を取得し、小型ボートも所有して狂ったことがありましたので、釣り人の姿を見るだけでも楽しくなりました。

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9:07、出発して小1時間で金田漁港に着きました。ここでは毎週日曜日に朝市が開かれています。

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県道を歩いていますと、柴犬が道を塞いでいました。顔以外の毛が苅られていましたが、元気に吠えていました。

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家内漁業的漁師さんのようで、ファミリーでのんびりと漁の準備をしていました。のどかな風景でした。

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県道をしばらく歩いていきますと、道は海から離れ登りとなり高台にでました。そこは畑になっていて畑の向こうには海や房総半島が眺めることができ、三浦半島ならではの眺望です。

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9:54、剣崎の灯台に着きました。この灯台は日本で3番目にできたそうです。剣崎という字は「けんざき」とも「つるぎざき」とも読み、私は「けんざき」といっていますが、どちらが正しいのかはわかりません。

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2010年5月10日 (月)

富嶽百景ハイキング

ゴールデンウィークも終わり、東名高速も渋滞のおそれがなくなり、週末の天気が良さそうでしたので、山中湖に前泊して5/9(日)、平尾山~大平山~平尾山~石割山の富士山ビューコースを歩きました。

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6:15、山中湖はようやく眠りから覚めたばかりで、風もなく穏やかな湖畔では釣り人が期待を胸に活動を始めていました。

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6:40、石割山の知る人ぞ知る恐怖の登山口石段ルートを表口とすれば、駐車場の裏手から平尾山に登るいわば裏口登山道は、木の階段が延々と続いています。階段を登りきると、尾根道となり左手に富士山を眺めながらの楽しいハイキングコースとなります。

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7:20、出発して40分で平尾山の頂上に到着しました。今年初めて雲一つない富士山を眺めることができました。無風状態のためかスッキリとした青空ではなく春霞がかかって、富士山も淡い優しい感じに見えました。もう七合目か八合目あたりまで雪が溶けているようです。あと2ヶ月弱で富士山も山開きとなります。

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平尾山から大平山への尾根ルートも、左手に富士山と山中湖を眺めながら、アップダウンも楽しめる快適ハイキングコースです。

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8:00、出発して1時間20分で大平山頂上に到着しました。薄い膜のような春霞が消えて青空が顔を覗かせている一方で、筋雲や雲も湧き出てきていてお昼頃から富士山にも雲がかかる前兆が見えました。

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石割山、平尾山、大平山のどの頂上からも富士山にご対面できますが、大平山からの姿が一番いいように思えます。

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3つの山の間には急な坂や階段のアップダウンがあります、大平山から平尾山に至る階段では元気よく追い越していった若者も途中で息をついていました。

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9:20、出発して2時間40分で石割山に着きました。富士山の左手から雲がわき出してきていています。石割山山頂から石割神社を経て下山しましたが、日曜日とあっていくつかのグループや何人かの単独登山者に会いました。皆さんが山頂に着く頃には富士山は雲の中に入っているかもと少し心配になりました。10:10に駐車場に戻り、石割の湯で汗を流して戻りました。たっぷりと富士山を眺めることができ満足しました。

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2010年5月 5日 (水)

三浦半島シーサイドコース

ゴールデンウイーク中は、どこへ行っても特に車ではうんざりする程の渋滞に巻き込まれのは必至でしたので、4/30(金)は箱根湯元~芦ノ湖往復ウェイト付き7時間コースを歩きました。1日休憩して5/2(日)海沿いを歩きました。潮風に吹かれて磯の匂いをかぎたくなり、三浦半島を5~6時間歩けるところまで歩いてみました。

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8:24、横須賀市の中心部に位置する京浜急行

の横須賀中央駅

を出発しました。

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駅から10分程で、入口に坂本龍馬の奥さんのおりょうさんの半身像がある「おりょう会館」という葬祭式場があります。おりょうさんは横須賀で晩年を迎え66歳で亡くなったそうで、この半身像は写真では逆光で顔立ちがハッキリ見えませんが、66歳に相応しい顔をしています。何故「おりょう会館」というのかは不明です。

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会館の内部に入ると「坂本龍馬とおりょうさんを偲ぶ」というパネルと簡単な資料が置いてありました。

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飾られていたおりょうさんの写真はおりょうさんが最も光り輝いていたときのものと思われます。細面で当時美形顔といわれた瓜実顔にハイカラな面立ちも混ざっていて、これで度胸が据わっていたとしたらやはり龍馬が惚れただけのことはあります。

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9:30、横須賀市大津町に信楽(しんぎょう)寺があり、おりょうさんのお墓があります。ここは何回も訪れているお寺で今回も立ち寄りました。龍馬は1867年12月10日31歳で命を落としましたが、おりょうさんはその後横須賀で西村という人と再婚して一生を終えました。おりょうさんのお墓には「坂本龍馬の妻」と刻まれていますので、西村さんという人は龍馬とおりょうさんの理解者で余程度量の大きかった人と思われます。

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10時近くに海岸に出ました。この辺りは馬堀海岸といわれるエリアで、かつては白い砂浜のビーチで小中学生の頃は夏になるとよく遊んだ場所ですが、今は埋め立てられ分譲住宅が建ち並び、護岸工事が施され、全く様相が異なってしまいました。右手前方に見える小高い丘は防衛大学がある小原台といわれる高台です。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」では、龍馬が江戸滞在中に黒船が初めて日本に姿を現したとき、龍馬が江戸から駆けつけてこの小原台から黒船を初めて見たと書かれています。

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13:00、馬堀海岸から観音崎などを経由して、途中昼食をとり浦賀造船所跡地に着きました。1853年ペルーが黒船を率いて日本に来航したことをきっかけに日本でも大型船の造船所が必要になり、国産初の洋式軍艦「鳳凰丸」が建造され、1859年には「咸臨丸」の修理も行われました。その後、住友重機械工業の浦賀ドックとなり2003年に閉鎖され、いずれ野外ミュージアムとして整備される計画があるとのことです。

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13:35、浦賀から更に海沿いを歩き、久里浜にあるペルーが黒船を率いて日本に初めて上陸した通称「ペルー記念碑」に着きました。私にはいつも見慣れている公園で、石碑には「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」と刻まれていました。

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14:00、久里浜のフェリー乗り場などを眺めながら野比海岸に出ました。久しぶりに潮風に当たりながらの海岸沿いの道を15:00まで歩き、京浜急行

長沢駅

で電車に乗り戻りました。

ここまでの海岸沿いには駐車スペースには車は満車で、ちょっとした砂浜には潮干狩りや磯遊び、バーベキューを楽しむ家族連れで一杯でした。久しぶりに磯の香をかぎたいと思って歩いたシーサイドでしたが幕末ロードでもありました。

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2010年5月 1日 (土)

浜街道8日目最終日 相馬市~仙台

4/26(月)、浜街道最後の日となりました。浜街道の終了地点は宮城県岩沼市です。岩沼からは奥州街道と合流し仙台に通じています。相馬から岩沼までは40kmですので岩沼まで行くにはもう一泊必要でしたが、岩沼から仙台、仙台からその先は奥の細道で歩いたことがあり、相馬から岩沼までの街道の様相も大体想像がついていましたので、最終日は午前中に歩けるところまで歩いて浜街道の終了としました。

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相馬を7:00に出発しました。国道6号線とは分かれてしばらくは小泉川という川に沿って進みました。

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7:20、街から郊外に出ますと、空は青く、小高い山々が現れては消えてゆくのんびりとした風景が広がっていました。

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8:17、郊外の県道が延々と続いていました。浜街道はこういう道が多いような気がしました。

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8:36、相馬から駒ヶ嶺という街に入っても道の様相は全く変わりませんでした。

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8:58、仙台藩士戊辰戦役之碑があり、仙台領に入ったことがわかりました。この先街道は6号線と合流し、岩沼、仙台へと続いています。相馬から12km歩いた新地というところで常磐線

に乗り仙台駅

に向かいました。

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仙台からは東北新幹線で、奥羽山脈の雪景色を眺めながら、昼食に牛タン駅弁を食べながらあっという間に夕方自宅に戻りました。

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浜街道7日目 ③旧原町市~相馬市

陸上競技場で高校生の走る姿と相馬馬追祭場地での臨場感を楽しんで、県道120号線をひたすら相馬市に向かいました。

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11:32、浜街道では珍しく昔の高札場を模したものが建っていて、偽金の禁止、高利貸しの禁止、駄賃の勝手な値上げ禁止など、どの時代でも人間のすることは同じなんだと妙に感心してしまいました。

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12:03、旧原町市は街道沿いでは比較的大きな街で、市役所もあるところなので食事をする場所はいくらでもあると思っていたのですが、この辺りではあまり外食はしないのでしょうか食堂などは少ないうえに、この日は日曜日でしたのでほとんど休業でした。小さな路地の奥にようやく「まるもと食堂」という超地元密着型食堂を発見しました。

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中に入ってイスに座るといきなりお茶のペットボトルとビスケットが出されました。ペットボトルの中身は冷やした井戸水のサービスでした。ビスケットは料理ができる間のサービスでした。話し好きのお爺ちゃんとお婆ちゃん、しっかりしてそうな娘さんの家族経営で、心身共にたっぷりとした休息がとれましたが、話し好きのお爺ちゃんは食べてる間中話しかけてきていて、私は相づちをうつのを途中でやめましたが、カミさんはしかたなく相づちをうっていてオーダーした焼きうどんを半分残しました。記憶に残る食堂でした。

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13:27、原町区から鹿島町に入りますと「町指定千手観音」という石碑がありました。この他にも様々な町指定の遺跡が見られ、この町も一生懸命町を盛り上げようとしている雰囲気が伝わってきました。

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13:56、道端で草を食べている放し飼い?の小ぶりの白馬がいました。近づいても逃げる様子もこちらを威嚇する様子もありませんでした。遠くの厩舎では親馬と思われる大きな馬が心配そうにこちらを見ていました。“犬も歩けば棒に当たる”ではなくて“人も歩けば馬に当たる”でした。

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14:03、鹿島町の江垂という地域で「道路養子縁組制度」(アダプトロードシステム)の看板を見つけました。全国で展開されている制度ですが、特に広島県では積極的なようで、広島県HPによると“「アダプト」とは「養子縁組」という意味です。「アダプト活動」とは,アダプトが「養子縁組をする」という趣旨から,住民や企業などの団体が,道路や河川などで散乱ごみの清掃や植栽等をボランティアで行い,道路や河川などの公共空間をわが子のように面倒をみていく活動です。”とありました。全国あちこち歩いたり出かけたりしていても直接目にするのは初めてでした。

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なるほど道路養子縁組制度のおかげか、真野川という川にかかる鹿島橋辺りはとても綺麗で清潔でした。歩道の幅は今まで歩いたどの道よりも広く、車道よりも広い道は初めてです。

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鹿島町の街並みはとても落ち着いていて、街道も雰囲気のあるいい道でした。

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18:29、鹿島町から中村(相馬市)までの10kmの道は県道120号線から国道6号線にかわりました。この日はかなり道草を食ってしまいましたので、鹿島町からは脇目も振らず歩くことになりました。夕方相馬駅近くの相馬ステーションホテルにチェック心したときにはさすがに日が暮れてしまいました。

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