三浦半島シーサイドコース
ゴールデンウイーク中は、どこへ行っても特に車ではうんざりする程の渋滞に巻き込まれのは必至でしたので、4/30(金)は箱根湯元~芦ノ湖往復ウェイト付き7時間コースを歩きました。1日休憩して5/2(日)海沿いを歩きました。潮風に吹かれて磯の匂いをかぎたくなり、三浦半島を5~6時間歩けるところまで歩いてみました。
8:24、横須賀市の中心部に位置する京浜急行 の横須賀中央駅
駅から10分程で、入口に坂本龍馬の奥さんのおりょうさんの半身像がある「おりょう会館」という葬祭式場があります。おりょうさんは横須賀で晩年を迎え66歳で亡くなったそうで、この半身像は写真では逆光で顔立ちがハッキリ見えませんが、66歳に相応しい顔をしています。何故「おりょう会館」というのかは不明です。
会館の内部に入ると「坂本龍馬とおりょうさんを偲ぶ」というパネルと簡単な資料が置いてありました。
飾られていたおりょうさんの写真はおりょうさんが最も光り輝いていたときのものと思われます。細面で当時美形顔といわれた瓜実顔にハイカラな面立ちも混ざっていて、これで度胸が据わっていたとしたらやはり龍馬が惚れただけのことはあります。
9:30、横須賀市大津町に信楽(しんぎょう)寺があり、おりょうさんのお墓があります。ここは何回も訪れているお寺で今回も立ち寄りました。龍馬は1867年12月10日31歳で命を落としましたが、おりょうさんはその後横須賀で西村という人と再婚して一生を終えました。おりょうさんのお墓には「坂本龍馬の妻」と刻まれていますので、西村さんという人は龍馬とおりょうさんの理解者で余程度量の大きかった人と思われます。
10時近くに海岸に出ました。この辺りは馬堀海岸といわれるエリアで、かつては白い砂浜のビーチで小中学生の頃は夏になるとよく遊んだ場所ですが、今は埋め立てられ分譲住宅が建ち並び、護岸工事が施され、全く様相が異なってしまいました。右手前方に見える小高い丘は防衛大学がある小原台といわれる高台です。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」では、龍馬が江戸滞在中に黒船が初めて日本に姿を現したとき、龍馬が江戸から駆けつけてこの小原台から黒船を初めて見たと書かれています。
13:00、馬堀海岸から観音崎などを経由して、途中昼食をとり浦賀造船所跡地に着きました。1853年ペルーが黒船を率いて日本に来航したことをきっかけに日本でも大型船の造船所が必要になり、国産初の洋式軍艦「鳳凰丸」が建造され、1859年には「咸臨丸」の修理も行われました。その後、住友重機械工業の浦賀ドックとなり2003年に閉鎖され、いずれ野外ミュージアムとして整備される計画があるとのことです。
13:35、浦賀から更に海沿いを歩き、久里浜にあるペルーが黒船を率いて日本に初めて上陸した通称「ペルー記念碑」に着きました。私にはいつも見慣れている公園で、石碑には「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」と刻まれていました。
14:00、久里浜のフェリー乗り場などを眺めながら野比海岸に出ました。久しぶりに潮風に当たりながらの海岸沿いの道を15:00まで歩き、京浜急行 長沢駅
ここまでの海岸沿いには駐車スペースには車は満車で、ちょっとした砂浜には潮干狩りや磯遊び、バーベキューを楽しむ家族連れで一杯でした。久しぶりに磯の香をかぎたいと思って歩いたシーサイドでしたが幕末ロードでもありました。
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