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2011年3月28日 (月)

屋久島へ

東北太平洋大震災から2週間が経過し、行方不明の方がまだ数多くいらっしゃり、、福島第一原発の成り行きをハラハラ見守っています。せいぜいできることいえば義援金をお送りすることと、計画停電を甘んじて受け容れることぐらいです。

大震災発生(3/11)の翌日から上高地に行く予定だったのですが、キャンセルしました。次に3/29(火)から4日間屋久島に行く予定で、行くべきか、自粛すべきかと大変迷いました。屋久島のツアーガイドさんに電話をしましたら、軒並みキャンセルとなっているとのことでした。家でウジウジしているより、お金を使うことの方が、巡り巡って日本のためになると勝手な理屈をつけて行くことにしました。

MLで情報交換したり他の方のブログを拝見したりしている中で、非常に納得させられたブログがありました。あちこちで紹介させていただいていて、ここでも紹介させていただきます。

アメリカで「9.11」のテロを経験したというHarumiさんによると、あまりにショッキングな映像を繰り返し見過ぎると、「サバイバーギルティー」(編集部註:助かった者が罪悪感、無力感を感じてしまうこと)の危険性があるとか。13日のブログでHarumiさんは、「9.11」の時に何度も映像を見過ぎた人、特に子供たちにはショックが大きく残ったことを報告したうえで、子供をハグしてあげる重要性を指摘している。

Harumiさんは、15日には同ブログ上で、「自分の家族や仕事を大事にしましょう。そして、自営業の方、エンター系の方など、自粛などはしないでください。キチンと自分たちの生活を今まで通り送る事、楽しむこと、そしてお金を得る事。そのお金を少しでも寄付に回しましょう」

「労働力と現金。これが一番の救援、応援の仕方です。そのためにも、自分がココロもカラダも健康でいる事。毎日の生活をきちんと続けること。さあ、テレビは消して。大事なニュースは一日に3回ほど見れば充分です。自分軸しっかり持って、『今自分が出来る事と出来ない事の見極め』ちゃんとしていきましょう」とメッセージ。

被災しなかった人たちがサバイバーギルティーにならないためには、日常生活を滞りなくおこなうことが大切であるという記事をエントリーした。

他にも同様の悩みを抱えていた芸能人に、北斗晶がいる。17日に、自身のブログで、「今までと何の変わりもなく仕事をする自分が嫌になってきました」「こんな日本の一大事に化粧をして着飾って仕事をする事に…不謹慎じゃないのか?って…」と告白。しかし被災経験者から「今、働ける人間が働かなかったら助けられる人間も助けられなくなるよ。だから…本当に被災者の事を思うなら働ける人間は働らかなきゃダメだよ。本当の救助は…今だけじゃないんだよ!!長いんだよ。それをやれないなら本当の救助じゃないんだよ!!」(原文ママ)と言われ、心に響いたことをつづっている。

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日経新聞の今日の社説の一部です。大学時代のゼミ仲間が仕事の現場で感じていることを送ってもらいましたのでここに引用させていただきました。

大手企業での生産ストップ(工場がやられたとか部品が不足しているとかで)は大きなニュースになっていますが、中小企業にとっても打撃は非常に大きいです。 浅草では海外からの観光客がほぼゼロに(これ迄はヨーロッパ、中国、韓国、米国などからの客が半分近くいました)。

また神田明神の祭りや三社祭など主要な祭りが中止になり、この自粛空気は遠く関西や四国までに及んでいます。祭りが中止になるとタビ、半天、提灯などの祭り用品や、また飲食メーカ(ビールや酒の販売がゼロに)、中心街での飲食店などが大打撃を受け、また歌舞伎や各種イベントも中止が続いて各劇団や劇場にも大きなインパクトを与えています(販売済みの入場券を払い戻したりして現金支出が増大)。

経済学的に見ても、あまり自粛、萎縮することなく祭りでもイベントでも節度を持ちつつ催行していかないと経済そのものが沈滞してしまいかねません。そうなると寄付金などにも影響が出、復旧も遅れるという負のサイクルに陥りそうで心配です。何とか早く萎縮ムードを払拭したいと思っています。

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2011年3月22日 (火)

いつか再び浜街道~東北周遊

浜街道や東北周遊を過去のブログで辿っていますと、改めて出会った方々や風景が思い出されました。とても素晴らしい思い出をいただいていたことに気付かされました。できるだけ早い時期に再び浜街道歩きと東北周遊(一部奥の細道)に出かけたいと心に誓いました。

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2009.7.13撮影)東北周遊の折立ち寄った気仙沼港です。大型船団が舳先を並べている様は壮観で頼もしく思いました。この近くには大型観光市場がありいつも観光バスが何台も並んでいるとのことでした。地元の方はもちろん観光客の方も津波に飲み込まれたかもしれません。ご冥福をお祈り申し上げます。再び大型漁船の雄姿が勢揃いする日が一日も早く来ることが待たれます。

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2010.4.24撮影)大変お世話になった南相馬市の小松屋旅館。女将さんの料理をいただきに必ず参ります。

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2010.4.25撮影)南相馬市の小高城・小高神社境内の桜は見事なものでした。いつか必ず桜を見に、南相馬市の街歩きに参ります。

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ご無事でしょうか

2010年6月に日本列島縦断列車の旅(6/8(火)~12(土)の5日間)に出かけ、最北端の駅(北海道釧路駅)を出発し、特急・新幹線などを乗り継ぎ、最後はローカル線の枕崎線で最南端の駅(西大山駅)まで行きました。

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201.6.12 1342撮影)西大山駅で“ともえさん(ハンドルネーム)”と数分すれ違いました。その後ともえさんからブログに投稿があり、鉄女であること、新婚さんであること、旦那さんが待つ福島に5月に転居することなどを教えていただきました。福島県は大変な状況ですが、ご主人様はご無事でしょうか。私事ですが、私の従兄弟(郡山市在住)は平穏に暮らしています。ご主人様のご無事とともえさんの新婚生活が無事にスタートできることをお祈り申し上げます。

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2011年3月21日 (月)

哀悼の記 浜街道Ⅲ 双葉町~相馬町

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双葉町から仙台までは約100kmあり、2010年4/23~26日の4日間で歩きました。特に南相馬市小高地区が印象に残りました。穏やかでおしゃれな町でした。この地で宿泊した「小松屋旅館」もとても居心地のいい宿でした。道がわからなかったとき、女将さんはわざわざ探しに来ていただきました。必ずもう一度元気な姿をみにまいります。

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双葉町、浪江町を抜けて南相馬市に入りました。

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2010.4.24撮影)南相馬市を流れる小高川には鯉が泳いでいました。なんとか今年も泳いでくれますように。

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2010.4.25撮影)相馬野馬追場に隣接する陸上競技場では福島県高校陸上記録会が行われていて、福島県中の陸上競技部の高校生が集結していました。この相馬高校生をはじめとして皆さんのご無事をお祈りします。

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躍動する高校生達に久しぶりに元気を貰いました。ガンバレ君達!ガンバレ日本!応援しています!

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哀悼の記 浜街道Ⅱ 広野~双葉町

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広野町から先、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町があり、沿岸には福島第一原発、福島第二原発があり原発銀座といわれています。これらの町役場には仕事で度々通ったのですが・・・。美しい風景と原子力発電所が共存していたのですが・・・。今津波の難を逃れた住民の皆さんは今度は原発損壊のために避難所生活を余儀なくされています。

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「広野町には火力発電所があり、この先福島県内の浜街道の海岸沿いにはいくつかの原子力発電所があり、「原発銀座」ともいわれています。発電所がある地域には国から交付金が交付されますので、立派な道や公園、インフラが整備されています。この道の右側には広々とした総合公園が広がっていました。」(以前のブログより)あまりにも高い代償のインフラの整備になってしまいました。

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2010年4/24撮影)富岡町は仕事では何回も訪れていましたが、桜の里だったということは歩いて初めて知りました。この町は既に全員避難していますので空っぽのはずです。いつかきっと、必ずきっと、きっときっと、町民の皆さんがこぞってお花見ができるようになることをお祈りしています。

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哀悼の記 浜街道Ⅰ 日立~広野町

陸前浜街道は水戸から仙台までの太平洋岸の238kmの街道です。2009年10/19に水戸を出発し、2010年4/25に仙台にゴールインしました。この街道や街道沿いの沿岸、街並みのことごとくが津波に飲み込まれてしまいました。素晴らしい人々や美しい風景が走馬燈のように駆けめぐりました。

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2009年10/19、水戸を出発して、10/20ようやく浜街道らしく海岸沿いの道に出ました。この穏やかな海がキバをむくとは。

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「北茨城市・五浦という地域は風光明媚な岬で、茨城県の名勝地として有名な場所だそうです。この地域には岡倉天心美術館や岡倉天心が設計した六角堂という建物や天心のお墓がありました。」(以前のブログから)この由緒ある建造物もホテルも飲み込まれてしまいました。

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2009年10/21、北茨木市・五浦では漁師民宿「大和丸」という民宿に泊まりました。玄関先ではワンちゃんがおとなしく留守番していました。この辺りはかなり高い場所にありますので多分難を免れたのではないかと思います。

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このあたり北茨城地域には27軒の民宿があり、うち平潟地域には16軒の民宿があります。どの民宿にしようかと選択に迷ったのですが、最も漁師っぽい民宿を選びました。旅館や民宿などではよく天ぷらや茶わん蒸しなど魚以外の余計な料理が出てくることがありますので、できるだけ魚だけを食べたいと思い選んだのですが、期待以上でした。写真以外にもアンコウ料理やドブ汁(味噌とアンキモの汁物)がでてきて、申し訳ないことにかなり残してしまいました。」(以前のブログより)気のいい女将さんとご主人の美味しい料理が思い出されます。

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哀悼の記~奥の細道/松島・石巻

東北太平洋沖大地震で、大切な方を亡くされた方にお悔やみを申し上げます。また被災に遭われた方にお見舞い申し上げます。

今回の大災害にみまわれた地域は、私にとっては大変ゆかりのある地域です。奥の細道で歩き、陸前浜街道で歩き、車で東北周遊し、仕事では毎年原子力発電所がある市町村や隣接する市町村の原子力担当者へのヒアリングを行い、多くの方にご協力をいただきました。残念ながらご協力いただいた方のうち、亡くなられた方もいらっしゃいます。ご冥福をお祈り申し上げます。

過去歩いた道をブログで辿るうちたまらなくなりました。素晴らしい人々、素晴らしい風景を忘れないように、いつか同じ風景にお目にかかれることを祈りながら哀悼の記を献げたいと思います。

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2005年12/19に東京深川を出発し、2006年2/17に日光に到着、3/21に白河の関を越え終着地の仙台に向かいました。地図を見ますとこの間内陸部を歩き松島でようやく海岸に出ました。

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2006年4/6、松島に到着しました。松島湾に何百という小島が浮かんでいる中で、唯一歩いて渡れる島、修行の島として名高い雄島です。雄島に渡る橋も今回の大震災で流されました。

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2006年5/19、石巻市に到着しました。石巻市役所は海際にありますが小高い丘にあります。その市役所や市街地、石巻湾を見下ろす日和山公園に芭蕉と弟子の曽良の銅像がありました。大震災が発生した3/11、芭蕉さん達は何を見て、何を思ったのでしょうか。

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数年前から東北地方を訪れるときは、その拠点として松島にある漁師民宿「桜荘」に宿泊しています。一昨年東北周遊の折訪ねたとき、桜荘のご主人(2009.7.12撮影)は料理の仕込み中でした。桜荘は松島湾の奥に位置し、窓からはすぐ目の前に海が見えます。震災発生から10日経過した今日迄、電話・インターネットなど連絡が一切とれていません。とても心配です。

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2011年3月10日 (木)

大山街道2日目 ③江田駅~長津田駅

江田駅で食事をして体力を回復し、気を取り直して、最後の目標地長津田駅を目指しました。天気は雲が出てきて、肌寒さが増してきました。

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江田駅から住宅街を縫うように歩き、横浜市青葉区に入りました。

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住宅地を抜けると、横浜青葉ICに出ました。街道歩きの雰囲気が全くなくなり、天気も曇りがちで、疲労度も増してきました。

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ようやく青葉台団地や青葉台駅が見えてきました。ここまで来ればあと残り3kmです。

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大山街道は、国道246号線や東急田園都市線と並行していて、時々交差したり、並行して歩くかたちになります。ここまで車ですと東京・三宅坂から28kmとのことですが、ウオーキングでは29kmくらいでしょうか。

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長津田駅前の通りに出ました。かなり足取りも重くなっていました。

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14:20、2日目の目的地長津田駅に着きました。ほぼ5時間のウオーキングでした。20kmを歩いたのは久しぶりで疲れましたが、距離よりも地図を確認しながら何ヶ所か迷いましたのでより疲れを感じました。あまりウオーキングを楽しむゆとりがなかった2日目でした。

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大山街道2日目 ②梶ヶ谷~江田駅

梶が谷駅を通り過ぎ、江田駅を目指したのですが、道がわからなくなりました。

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梶が谷駅を過ぎ、東急田園都市線

に沿うかたちで宮崎台駅

や鷺沼駅

辺りの住宅街に入ると、まったく道がわからなくなりました。ガイドブックでは細かく道筋が書かれているのですが、情報が古く、大きな目標物がなく、街作りのために道が変わってしまい、地元の人にきいてもまったくわかりませんでした。

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なんとか鷺沼駅を目標に足を進めましたが、ますます道はわからず、いつの間にか川崎市から横浜市に入っていました。この牛久保辺りは港北ニュータウンといわれる新興地であるためどこを歩いているのかもわからなくなりました。

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ようやくガイドブックに載っていた目標物の「霊泉・不動滝」に出会うことができ、ホッとしました。

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9:30に出発して12:30に小田急田園都市線

江田駅

に到着しました。11.4kmの行程でしたが、道を探したり、遠回りしたりして疲れました。かなりお腹もすきましたので江田駅前の中華料理屋で広東麺を食べて元気を回復しました。

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大山街道2日目 ①二子玉川~梶ヶ谷

大山街道歩き2日目は、二子玉川駅を3/17(木)9:30に出発して、目的地の長津田駅(20km)を目指しました。

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二子玉川駅を出発してすぐに二子橋で多摩川を渡り、東京都(世田谷区)から神奈川県(川崎市)に入りました。陽は出ているのですが、肌寒く感じました。

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溝の口宿であった商店街は、昔の風情を残す商店街ですが、日本中どこでもみられるような寂れた感じはしませんでした。商店街の中程に「大山街道ふるさと館」があり、大山街道の資料なども展示されていました。

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商店街を横切る小さな流れをまたぐ小さな橋も綺麗に整備されて、気持ちよく歩くことができました。

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更に歩いていきますと、大山街道の詳しい案内板があり、大山街道がこれほど紹介されているとは思いませんでしたが、このような表示板などが見られたのも街道らしい雰囲気もこれが最後でした。

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2011年3月 9日 (水)

大山街道1日目 ④用賀駅~二子玉川駅

用賀駅からこの日の終着地点、二子玉川駅までは残り2kmで、目と鼻の先です。

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世田谷通りに入って街道歩きの雰囲気をつかの間味わったと思いましたら、交通の要衝瀬田の交差点に出ました。ここは東名高速と第3京浜のインターがあり、渋滞の名所ですがこの日は比較的すいていました。

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瀬田の交差点からあっという間に二子玉川の街に入りました。ここもまたおしゃれで有名な街です。地元では「ふたたま」や「にこたま」という愛称で呼ばれています。横浜の人を「はまっこ」というようなものです。

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二子玉川の情報ファッション地として名高い玉川高島屋です。ゆっくりウィンドウショッピングをしたら楽しそうですが、かなり空腹を覚えましたのでパスしました。

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東急線

の二子玉川駅

に15:30に到着しました。15kmの道程を3時間半で歩きました。この駅には田園都市線と大井町線が走っていて、私は大井町線

で自由ヶ丘駅

にで、東横・みなとみらい線

を横浜駅

で乗り換え、あっという間に自宅に戻りました。

赤坂見附を正午に出発し、246号線に沿って青山通りから二子玉川を歩いた1日目(15km)は街道歩きというよりおしゃれ探訪・タウンウオッチングという趣でした。街道歩きの雰囲気はほんの少しだけでしたが、久しぶりの長距離ウオーキングを楽しみました。

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大山街道1日目 ③三軒茶屋~用賀駅

三軒茶屋から次の目標地点の用賀駅までは4.5kmです。

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世田谷通りの途中からは、旧道の雰囲気がちょっとだけみられる道となりました。ボロ市通りでは、年に4日程骨董品、中古家具、食料品などの楽市が開かれます。

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江戸時代に彦根藩世田谷領の代官の住宅跡である代官屋敷がありました。

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代官屋敷から少し歩きますと、大山道旅人の像がありました。ようやく大山街道を歩いているという実感がわいてきました。この像は昭和60年につくられたものだそうで、この像の存在価値について地元では賛否両論あったそうです。何となくわかる気もしますが、やはりあってくれてよかったです。

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大山道追分の石碑があり、更に街道歩きの雰囲気が出てきました。

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三軒茶屋からほぼ1時間で用賀に着きました。商店街ではホタテ貝を焼く匂いに誘われて小腹を満たしました。甘酒は無料サービスでしたのでいただきました。

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大山街道1日目 ②渋谷~三軒茶屋

青山通りを歩いて渋谷駅前に到着し、次の目標地点の三軒茶屋(3.5km)に向けて出発しました。

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渋谷駅前のスクランブル交差点を渡り、道玄坂方面に向かいました。人人人の波で、おそらく日本一混み合う交差点かもしれません。

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道玄坂を上がりきり、しばらく歩きますと大がかりな工事中でした。都市改造の流れは都内の何処かでよどみなく進められているようです。

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大橋歩道橋あたりでは、246号線の上に首都高速3号線が走っていました。首都高3号線は環状線と東名高速を結んでいてよく利用する路線です。下から眺めたのは初めてです。

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やけに車体の長いダックスフンドのような車が走っていました。大山街道を歩いているという実感がなかなか湧いてきません。

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渋谷から45分で三軒茶屋に到着しました。この日歩き始めて、初めてホッとするような商店街でした。

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2011年3月 7日 (月)

大山街道1日目 ①赤坂見附~渋谷

2月中は仕事に追いまくられ、長距離を歩くことができませんでした。3月に入って仕事から解放されましたので、3/5(土)大山街道歩きをスタートしました。1日目は赤坂見附から二子橋までの15kmを歩きました。

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横浜市内にある博物館で仏像展があり、見に行ったおり、神奈川県内の観光や遺跡などのガイドブックなどを売っているコーナーで「大山街道」という本を見つけました。大山街道は江戸時代から、赤坂見附を出発して霊山大山を詣でるための道で全長81kmで、5日前後で歩くには手頃な道です。

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東京のど真ん中の赤坂見附が大山へのスタート地点だとは思いも寄りませんでした。大山街道には取り立てての名所旧跡や絶景があるわけではありませんが、高層ホテルやビルが聳えるこの場所と霊山大山とのギャプが面白そうです。この近辺にはサントリーや鹿島建設などがあります。

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江戸城赤坂御門の石垣が出発地点です。ここから大山までどのような街並みや風景が現れるか、いつもスタートするときにはワクワクします。赤坂で昼食を済ませ、12:00ちょうどにスタートしました。

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赤坂から国道246号線を歩きましたが、渋谷あたりまでは通称「青山通り」と呼ばれていて、ファッションの街です。原宿に通じる表参道あたりでは、“最低賃金アップ”を叫ぶデモの行列がありました。お疲れ様です。

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青山はおしゃれな街で、ファッションや絵画、骨董など目を楽しませてくれますが、フルーツケーキなどのスイーツもファッショナブルです。

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青山通りに面しておしゃれな青山学院があり、通りを隔てた反対側には国連大学の本部もあります。

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歩き始めて50分で、渋谷駅前の忠犬ハチ公が出迎えてくれました。赤坂から渋谷駅前まで4kmでした。ここは待ち合わせ場所としては日本一知名度が高いかもしれません。ハチ公は、秋田犬で東京帝大教授の飼い犬で、その遺体は東京大学に保存されているそうです。

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