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2011年5月24日 (火)

ゴーキョ・トレッキング 伊藤さんレポート終章 白き神々

トレッキングを通じて皆さんが目にした、エベレストなどのヒマラヤの神々は、初めて訪れた人には山岳の世界観を変えるものかもしれません。私も目にした高峰は、近づいてみればより迫力を増し、圧倒されただろうと思います。私はヒマラヤ入門編のようなトレッキングでしたが、それでもヒマラヤの空や空気の一端に触れました。伊藤さんにいただいた画像により、ゴーキョ・トレッキングは更に密度を濃くして迫ってくれるものであろうという期待を抱かせていただきました。ありがとうございました。

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“カンテガ(6,779M)とタムセルク(6,623M)〈50mm〉マッチェルモ(4/30AM8:17)”

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“チョー・オユー(8,201M)〈135mm〉マッチェルモ(5/1AM6:21)”

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“ギャチュン・カン(7,952M)〈135mm〉ゴーキョ・ピーク(5/2AM7:38

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“エベレスト(8,848M)〈70mm〉ゴーキョ・ピーク(5/2AM7:55)”   

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2011年5月23日 (月)

ゴーキョ・トレッキング 伊藤さんレポート ロッジ

このトレッキングではホテル・エベレスト・ビュー以外は全ての宿泊がロッジだったそうです。一日の疲れを癒すところですし、どのようなところなのか興味があります。大体お昼前後にロッジに到着していたようですので、その後時間はたっぷりあるわけで皆さんどのように過ごしていたのでしょうか。私はナムチェのロッジで1泊しただけで、昼食後ナムチェ・バザールを見学したり、展望台に登ったり、博物館を見学したりして時間を潰しました。夕食までの時間はストーブを囲んで寛いだりしました。

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“モン・ラのロッジ” 見晴らしもよく快適そうです。    

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“ゴーキョのロッジとドゥード・ポカリ湖(5/2AM9:14)” 立山・室堂のみくりが池温泉の景観を数十倍大きくしたような雄大な景観です。湖の畔、下の方にロッジが見え、夏は涼しそうですが、湖面は雪で覆われていて美しそうですが、寒そうでもあります。

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“パグディンのロッジ〈エベレスト・シェルパ・リゾート〉(5/7AM9:02)” ルクラも近く、皆さんもすっかりゆとりの表情です。きっとホッとしたことでしょうね。

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“ルクラの宿泊先 クムジュン・ロッジ(5/7PM6:02)” トレッキング最後の宿泊ロッジ、いよいよここから飛行機でカトマンズへ。

ルクラでは、ナムチェで買った登山ズボン(1回だけ使用)が荷物になりましたので、ルクラでのガイドさんにプレゼントしてきました。そのガイドさんは登山用品やお土産屋さんも経営しているとのことでしたので、今頃店先にぶら下がっているかもしれません。あるいは売れてしまったかも。

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2011年5月22日 (日)

ゴーキョ・トレッキング 伊藤さんレポート ポーターさん

ヒマラヤ・トレッキングに欠かせないのがポーターさん達です。大きな荷物、何でも運んでしまいます。私も大変お世話になりました。

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“ナムチェ→パクディン ポーターの親子(5/6AM10:24)”   

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“ナムチェ→パクディン エンビ管を運ぶポーター(5/6AM11:04)”

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“ナムチェ→パクディン 青年のポーター(5/6AM11:05)”

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“婦人とゾッキョ(5/6PM1:05)”

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“当ツアー、ペンパ・シェルパ班のポーター(5/6PM1:55)” 高橋チームの皆さんの荷物を一人3つくらいは運んでいるのでしょうか。

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“スンダリ(美人)のポーターさん(5/7AM10:25)”    

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2011年5月21日 (土)

ゴーキョ・トレッキング 伊藤さんレポート ピーク目指して

4/24から20日間の日程でゴーキョ・トレッキングに向かう高橋チームの皆さんとは成田からご一緒し、ルクラで別れ、ホテル・エベレスト・ビューで再会し、その後高橋チームの皆さんはゴーキョ・ピーク(5,360m)を目指しました。いつか私もという想いと、どんなトレッキングなのだろうかという興味から、メンバーの一員伊藤さんからに無理を言ってゴーキョ・ピークへの行程写真をいただき、ブログでの公開の許可をいただきましたので掲載させていただきました。

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“パクディン→ナムチェ(4/25AM9:43)” “ ”部分は伊藤さんのコメント。他は勝手にコメントをつけさせていただきました。(以下同じ)「ヤクが来たら山側によけろ」がヒマラヤ歩きの鉄則だそうです。

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“ロバ隊様のお通り。多勢に無勢です。(5/7AM9:41)” 吊り橋のようなところでは相互一方通行になります。これもエベレスト街道の一風景。

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“ドーレ出発後、最初の坂道を登る(4/29AM8:31)” ゆうに4,000mを超えている高地での登りですから、皆さんの足取りもゆっくりゆっくりと心に言い聞かせているようにもみえます。

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“ゴーキョ・ピーク(5,360m)で記念写真(5/2AM7:48)” 向かって右端が写真を提供いただいた伊藤さんです。登頂おめでとうございます。皆さんすっかりネパールに馴染んでいるようにみえます。

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“もうすぐ、ルンレ到着。前方にクワンデ(6,187m)が見える。(5/3PM2:30)” 絶景を見ながらの下山は足取りも軽そうです。

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“ルンレ→ターモ 左側の壁に仏画(5/4PM1:34)” ほっと心が落ち着く瞬間だったでしょうね。

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“昼食 チキン、卵カレー(5/5PM0:03)” ホテル・エベレスト・ビューで無事の生還を祝して乾杯。おめでとうございます。ビールを飲んでいるのがとても羨ましいです。私はまだ高地に慣れず、脈拍が高かったためにアルコールを飲みたい気分にはなれませんでした。いつかここでビールでもワインでも飲んでみたい。

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2011年5月19日 (木)

ヒマラヤ後記 飛行機事情

今回の旅行では、10回飛行機に乗り、そのうち6回は国内線でした。

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6回の国内線は全て自由席でした。待合室で待っていると自分が乗ろうとする飛行機がいつ頃来るかははっきりしていませんし、飛行機の搭乗案内もおばちゃんがいきなり大声でまくし立ててちっともわかりませんでした。最初のうちはとりあえず並んでチケット見せて、違う飛行機でしたらまた次のを待つというようなことをしていましたが、次第に要領がわかってくると、地元風の同じチケットをヒラヒラさせている人を見つけ、その人の動向をマークしていればいいということがわかりました。自由席で早い者勝ちですので、さりげなく滑走路へのドア近くに位置を占めるということも大事です。外国のおじさんのように堂々と入り口に立って待機するというのもちょっと露骨な感じで恥ずかしかったので、さりげなく、眠そうに装いながら、目は周辺をチェックしつつ、耳はダンボ状態というような要領も体得しました。(ポカラ空港待合室で)

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飛行機に乗れて、一安心と思ったらそうもいかないこともありました。エンジンが始動しているのに、2つあるプロペラの片方しか回転していなくて、私はもちろん乗客も口にこそ出しませんでしたが、何となく不安そうな顔をしていました。数十分待っていたら、何人かの整備士が駆けつけてきて飛行機の下に潜っているようでした。そのうち2つのプロペラも回転しだしたので安心しましたが、最終的には車輪がいかれていたので交換したということがわかりました。(ポカラ空港)

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最も気に入ったのが、シャンボチェ飛行場の滑走路です。未舗装の滑走路を土煙をたてて着陸する姿は、迎えのタクシーが来たかのように身近に感じました。今でもヒマラヤ山中を自由自在に飛び回っている飛行機の姿が目に浮かび、ヒマラヤが遠い存在ではなくなりました。(シャンボチェ飛行場滑走路)

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2011年5月18日 (水)

ヒマラヤ後記 ポーター君

ヒマラヤでのトレッキングで最も欠かせない存在がポーターさん達です。彼等の存在は本場アルプスのトレッキングでも我が国でも見られないものです。

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ポーターさん達は、川口慧海の「チベット旅行記」でも「荷物持」として登場していましたのでそれ以前からの大変歴史の長いものだと思います。私が今回初めて出会ったポーター君は16才とのことでした。私たち2人分の荷物と酸素ボンベを楽々と背負って、ヒマラヤの山々を背景に立つ姿はとても印象深いものでした。遠くを見つめる目は何を考えていたのでしょうか。カトマンズではバザールを唯ブラブラとしていた同年代の若者がいました。またクムジュン村では学校で勉強している高校生もいました。このポーター君は何を考えていて、どういう将来が待っているのでしょうか。余計なこととは思いながら、目が合えばいつも微笑んでくれた彼のことをつい思い出してしまいます。

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2011年5月17日 (火)

箱根 目に青葉

5/15(日)、久しぶりの快晴でしたので、今年初めての箱根ウオークに出かけました。3月までは仕事で忙しく、ようやく時間を見つけて屋久島の縄文杉まで行ったくらいで、何の準備トレーニングもしないまま4月にヒマラヤに出かけました。あげく、体力不足のため辛い思いをしてしまいました。

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箱根湯本駅から旧街道を通って芦ノ湖に至る道は、青葉を目にしながら、石畳や、急坂や階段をひたすら上がり続ける楽しいけれど、慣れないと辛くもある道です。今年後半の山歩きに備えて、足首に3kgのアンクルウェイトを巻き付けました。

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7:30に箱根湯本駅を出発し、途中甘酒茶屋で早めの昼食をとり、芦の湖畔に11:30に着きました。4時間のウオーキングでした。芦の湖畔では元箱根港を出発した遊覧船が、箱根神社の鳥居と富士山に船首を向けて走っていました。Photo_5

大丈夫かなと見ていると、くるりと方向を変えました。随分器用に方向転換できるものです。今日は好天で日曜とあって、乗客も多くサービスのために方向転換したのか、それともそういう航路だったのか、何回も来ているのにわかりませんでした。どうでもいいことではありますが、のどかな風景でした。帰路は再び箱根湯本駅までのウオーキングで3時間で、往復7時間半のいい運動になりました。

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ヒマラヤ後記 ネパールの村

ネパールの首都カトマンズは、騒音・排気ガスにまみれた騒々しい街でしたが、それはそれで魅力的でした。

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一方ネパールの山岳部の村々は、何故か懐かしい雰囲気の漂う山里でした。かつて明治30(1897年)年代にチベット仏教の真義を求めてネパールからチベット(鎖国中)へ密行を企てた川口慧海の足跡を辿ってみました。慧海はポカラにも立ち寄り、当時からネパール随一の風光明媚な場所として知られていたという記述があり、100年前という歳月が近いようでもあり、遠いようでもあります。慧海は、チベット語を勉強して、密行ルートを探り、大した防寒具もなく、30kgもの荷物を担いで、薄い空気に息も絶え絶えになりながら極寒の雪のヒマラヤを越えました。想像を絶する辛さに旅行記を読みながら思わず自分が息苦しくなるようでした。

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ネパールの村(クンデ村)によく見られたマニ車のある風景は、昔から変わっていないと思われます。川口慧海がフラッと姿を現してもおかしくない風景でした。好きな風景の一つでした。

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2011年5月16日 (月)

ヒマラヤ後記 悔いない死

何故登山家はエベレストを目指すのかは、“エベレストが世界一高いところだから”という回答が最も正解に近いかもしれませんが、それでは何故“死を賭してまで”なのかについてはどうなのでしょうか。

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イギリス人登山家のマロリーは1924年にエベレストを目指し、75年後に山頂付近で遺体が発見され、登頂したのか登頂目前で力尽きたのかはいまだに謎になっています。マロリーの愛妻ルースは、「死んで後悔するかもしれないが、行かないで一生後悔する方がもっと後悔する」と言っています。冒険家植村直己さんの奥さんも同じようなことを言っています。

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おりしも植村直己冒険賞を受賞した登山家尾崎隆さん(58才)が5/12にエベレスト山頂250m手前で高山病により体調を崩し、亡くなったとのことです。例えば平均寿命まで残り20年を安穏で暮らすのと“死を賭してまでの冒険”にチャレンジする人生とどちらを選択するかと問われれば、尾崎さんはもう一度チャレンジするものと思われます。

初めて身の程知らずでヒマラヤまでのこのこ出かけて、何とかエベレストをこの目で見ることができましたが、4,000mあたりでフーフーと息も絶え絶えでした。エベレストの頂上は更に5,000m近くも高いところですから、そこに登ろうとする人は体力・気力・能力など選ばれた人であり、同じ人間とは思われません。

“たとえその道は死へも繋がるものだとしても、人として生まれたからには、自ら信ずるところのものを、時には命を賭けてでも成し遂げねばならない”というマロリーの言葉も、エリート登山家だから言える言葉なのでしょう。三浦雄一郎さんも栗城君も挑戦する人は、私たちに夢と勇気を与えてくれるものであり、頑張ってほしいものです。

今回自分の体力不足を再認識し、まったく自信はないのですが、エベレスト展望台といわれるゴーキョ・ピーク(5,360m)かカラパタール(5,545m)に行ってみたいという夢は日々大きくなりつつある一方で、5,000m以上の高地への恐怖心も大きく、心は揺れ動いています。

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2011年5月10日 (火)

ヒマラヤ 高橋チームの皆さんへ

ゴーキョ・ピーク20日間トレッキングの皆様、目標達成し、たくさんの素晴らしい景観と思い出を胸にご無事でお戻りのことと思います。おめでとうございます。私たちも夫婦げんかすることもなく、最後にヒマラヤ蕎麦を食べてお腹を壊すこともなく無事に帰国しました。皆さんから“ヒマラヤにはまるよ”といわれ続けましたが、確かにヒマラヤ病(マラリアではありません)の初期感染の症状が出ているところです。

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ホテル・エベレスト・ビューでの食後、暖炉での歓談本当に楽しい思いです。この時の“ヒマラヤ笠雲事件”は多少尾を引いたものの夫婦の危機にまでは至りませんでした。冗談を言い合ってよく笑っているうちに、高地の息苦しさは吹っ飛んでしまいました。楽しい思い出をありがとうございました。

ところでお願いですが、マドンナさんにもお願いしたのですが、皆様の撮られたエベレストはもちろんトレッキング風景やスナップなど何でも結構ですのでお送り下さい。できましたらSDなどのメディアでお送りいただければ助かります。編集などはこちらでさせていただきます。お送りいただいたSDはパソコンに落とした上でそのまま返却いたします。その際、トレッキングの印象なども添えていただければ幸いです。小生の住所やメールアドレスはマドンナさんがご存知です。(本ブログに投稿いただく場合は、画像は添付できません)

皆様からいただきましたコメントや画像は、差し支えない範囲でブログにアップさせていただきたいと思います。と申しますのは、皆様と別れてから、皆様が一歩一歩ヒマラヤの奥地に歩を進めている様子に思いを馳せ、羨ましくも思っておりました。皆様の情報をもとに、ブログ上で“ゴーキョ・ピーク・トレッキング20日間”を私も追体験させていただければ幸いです。カミさんも楽しみにしております。

ヒマラヤ観光開発さんのことを知らない時期(本年早々)に、JTBさんの“スイスアルプスハイキング11日間(8/3出発)”に申し込んだのですが、エベレスト・ビューでヒマラヤ観光開発さんのプログラムや手配に満足ましたのでJTBさんはキャンセルし、帰国早々ヒマラヤ観光開発さんの“ツール・ド・モンブラン12日間(6/24出発)”に申し込みました。”ツール・ド・モンブラン12日間“では、モンブラン山麓を7日間かけてフランス、イタリア、スイス3カ国とたくさん歩けそうですので楽しみにしています。

再度のヒマラヤについては、二つめの夢“本場アルプスのトレッキング”を叶えた後、じっくり考えてみようと思っております。よろしくお願い申し上げます。

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ヒマラヤ See You Again

10日間(4/225/1)の旅も終わりました。

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4/30(土)の午後のフライトでカトマンズからバンコクに向かい(4時間半)、バンコクでトンジットし、バンコク空港の夜景を最後の思い出に飛び立ったのが日本時間の0:00、成田に6:00に到着しました(6時間)。ネパールから日本までのトランジットを除いた飛行時間は10時間半でした。

かくして10日間のエベレストビューの旅は終わりました。カミさんと二人きりの旅、しかもヒマラヤの奥地に飛行機(合計10回乗りました)で入ってゆくのに乗り継ぎに手違いはないか、高地に順応できるかなど不安もたくさんありましたが、ヒマラヤ観光開発さんの完璧な手配でトラブルもなく、エベレストをこの目で見たいという大きな夢が叶いましたし、偶然ヒマラヤのドン・キホーテこと宮原さんにもお目にかかることができ、トレッキングで雄大な景観を楽しみ、軽飛行機では副ラ操縦席で山岳遊覧飛行を体験でき、リゾートライフではすっかりリラックスできました。

事前に高橋さんから十分説明を受けた上、たまたま成田から高橋さんチームと合流できたのもラッキーでした。高橋さん本当にありがとうございました。

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2011年5月 9日 (月)

ヒマラヤ その名もエベレスト

ネパールにとっては“エベレスト”は日本にとっての“富士山”のようなものでした。ロッジやホテルの名前、パン屋さんなどのお店の名前、いたるところで“エベレスト”の名前が使われていました。

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今回の旅では9泊しましたが、“ホテル・エベレスト・ビュー”に2泊、カトマンズの“エベレスト・ホテル”に3泊しました。

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あちこちで飲んだビールは決まって“エベレスト”、数え切れない程飲みました。飲みやすいビールでした。

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チベット料理の代表的な“モモmomo”は餃子のようでもあり、包子のようでもあり美味しかった。街中でも安心して食べられるメニューです。

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チベット料理のもう一つの代表的な料理は、“ギャコック鍋GYAKOK”で、これにはすっかりはまりました。2日連続して食べました。魚(魚醤)のダシが絶妙でした。もう一度食べたい。

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ネパールの思い出に最後に伝説の“ヒマラヤそば”を食べました。蕎麦ガキも蕎麦羊羹も蕎麦そのものも美味しかった。こちらも次回行ったときには是非食べたい。

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ヒマラヤ ポカラ~フィッシュテール・ロッジ

7日目(4/28)~8日目(4/29)は、ネパール一のリゾート地といわれるポカラでくつろぎました。ポカラからは天候に恵まれれば、マナスルやアンナプルナなどの名峰が眺められるはずですが、雨期に近いせいでしょうか曇りがちで眺望は望めませんでした。

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フィッシュテール・ロッジという変わった名前のロッジは、ヒマラヤのフィッシュテール(6,997m)の名前に由来しているようです。ロッジは、ポカラの心臓部にあたるペワ湖の中州にあり、往来は筏かボードで送迎してもらいました。

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何の予備知識もなかったのですが、フロントでは、日本の皇太子や英国のチャールズ皇太子、ブッシュ米国元大統領などの宿泊したVIPの写真が掲載されていて、そんなに有名なリゾートなのかとびっくりしました。

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フロントから宿泊するロッジの間には、サンルームならぬウィンドウルームがありました。日陰を避けて、そよ風に吹かれて休息したり、仮眠したり、読書をしたりすることができます。

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部屋はガラス窓が大きく、開放的で、窓を開けて網戸にすれば涼しい風が流れていて、何とも快適でした。

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今頃は高橋チームの皆さんは、ヒマラヤの山奥をテクテク歩いているはずで、こんな楽をしていいのかとか、日本は大変な状態になっているのにこんな贅沢をしていいのかなど心が痛みました~どうしても貧乏人根性が抜けませんでした~が、その風に吹かれてのんびりしていると、神経は緩んできて、身体が溶けてゆくような感じがしました。2日間ここから一歩も出ることなくのんびりしました。

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岐阜県から新婚旅行に来ているカップルさんと出会いました。ランチを食べに来たそうです。前日カトマンズのレストランで、オーダーしたいものがなかなか通じなくて困っているとき、ダルビッシュ似のイケメンガイドさんに助け船を出してもらいました。まさかここで再会するとは。新婚さんお幸せに!!

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2011年5月 8日 (日)

ヒマラヤ ポカラ~国際山岳博物館

9:00にポカラに到着して、時間がありましたので国際山岳博物館に案内してもらいました。

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山岳博物館は、ネパール登山協会が20年近く前からの夢を叶え、2004年にオープンしたものです。この日は見えませんでしたが、マナスルやアンナプルナなどを望むことができる51,000㎡の広い敷地の中に建設されています。各国の山岳関係者からの支援も受けましたが、日本の山岳諸団体や個人の援助が最大の貢献をしているそうです。

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(画像は国際山岳博物館所蔵の大森弘一郎氏空撮の写真パネルを撮影)館内の展示は、エベレストをはじめとするヒマラヤ山脈の山々の紹介、登山家の足跡、実際に使用した登山道具、山岳民族の暮らし、生態系、環境問題など広範囲にわたっており一見の価値がありました。特に大森氏のエベレスト空撮写真は、エベレストの頂上付近の様子がよくわかり、圧巻でした。

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日本人に関連した主な展示品には、マナスル初登頂者の故今西壽雄氏の多くの登山用品を展示したマナスルコーナー、田部井淳子氏(世界初の女性エベレスト登山者)コーナー、日本人で初めてチベットに潜入し、チベット旅行記で世界的に有名な河口慧海コーナー、野口健氏のエベレスト清掃登山の回収品の環境コーナーなどがありました。ヒマラヤは日本人にも縁が深いこともわかりましたし、以前から興味をもっていた川口慧海についても更に興味が湧きました。

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ヒマラヤ ポカラへ

7日目、4/28(水)は、カトマンズからネパール一のリゾートといわれるポカラへ行きました。移動の飛行機からの眺めもこの路線の目玉の一つです。

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7:30、カトマンズ空港の国内線は、ルクラやポカラへの便が頻繁に出ています。この飛行場も何回目かで、すっかりお馴染みになりました。行く先や航空会社名、便名など係員のいきなりの叫び声(現地語なので固有名詞や数字しかわかりませんが)に注意していないと聞き逃してしまいますし、定刻はないに等しく、遅れることはざらですのでいつ飛ぶかは天のみぞ知るです。おまけに自由席ですから早い者勝ちで気が抜けません。この緊張感はなかなかのものでした。

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1時間近く待って、運良くというか、努力の甲斐があって右側のシートをゲットすることができました。この路線は右手にヒマラヤ山脈を見ながらのフライトですので、右側と左側とでは景観に天と地程の差があり、料金が違ってもいいと思える程でした。ついせこいことを考えてしまいました。

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マナスル(8,156m)やアンナプルナ1(8,091m)8千メートル級の高峰が次から次へと現れてきました。手元の地図を見ながら確認したのですが、ただ呆然と眺めているうちに45分間のヒマラヤ遊覧飛行は終わってしまいました。

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9:00、ポカラの飛行場は、リゾート地の飛行場らしい落ち着きをもったこじんまりとしたものでした。

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2011年5月 7日 (土)

ヒマラヤ 下山

6日目、4/27(水)、ホテル・エベレスト・ビューともお別れです。

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2日間の滞在を終え、早朝5:50 高橋さんに見送られながらホテル・エベレスト・ビューを出発しました。またいつか来たいと思いながら。

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この雄大な景色ともおさらばです。昨晩降った雪のため山はより白く、朝陽に輝いていました。

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シャンボチェ飛行場の待合室で。飛行機がくるのを寒さに震えて待っていたら、カミさんに「ヒマラヤの番人みたい」と言われてしまいました。

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「ヒマラヤの現地妻みたい」と言い返したら、飛行機を降りたとたんにボコボコにされました。

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飛行機の爆音が聞こえたと思ったら、専用機が姿を現しました。

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専用の滑走路にフワリと着陸しました。毎日何回もピストン運行していますのでうまいわけです。

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乗客は私たち二人きり。他に私たちの荷物と他の荷物で、来るときは副操縦席に座れたのですが、帰りは荷物が少ないために最後部のシートでした。パイロットは隣に座れと言ってはくれませんでした。残念。

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後部シートからでも十分ヒマラヤ遊覧飛行を楽しむことができました。

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ヒマラヤ 高地での睡眠

高地での睡眠を1日目はナムチェ、2、3日目はホテル・エベレスト・ビューで体験しました。

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高地にいった時には、パルスオキシメーターという器具で、血中の酸素飽和濃度と脈拍を測定するのが鉄則です。低地での平常の状態では酸素飽和濃度は95%以上が普通です。高地では酸素が薄くなりますので普通に呼吸している状態では60%~70%台となります。私たちはナムチェ(3,440m)のロッジやホテル・エベレスト・ビュー(3,880m)にチェックインしたとき測定しましたら70%台でしたが、深呼吸を繰り返すことにより80~90%台となりました。

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高山病については問題なかったのですが、安静にしていても私の脈拍が100より下がることはなく、念のために酸素ボンベを吸いました。楽にはなったのですが、それでも脈拍数は低下することはなかったため、あれこれ考えた結果、出発前に主治医にもらったあるクスリ(朝・夕)のせいではないかと見当をつけ、服用をやめたところ楽になりました。高橋チームのマドンナさんもみぞおちあたりに違和感を覚えると言っていましたので、二人のクスリ(別物)の成分を照合したところ同一成分が入っていたことがわかりました。私の場合は腹式呼吸を司る横隔膜が過活動していたような感じでした。高橋さんによると高山病で頭痛がするような場合、例えば鎮痛剤のバッファリンを服用するときには半分の量にするといいそうです。三浦雄一郎さんも持病の不整脈のクスリは高地では子供用を服用するそうです。やはり高地では体内に何が起こるかわかりません。勉強になりました。

もう一つ、高地での睡眠も初体験でした。今まで富士山八合目の山小屋(3,200m)で寝たことはあり、その時には特に違和感がありませんでしたが、今回ナムチェ・ロッジ(3,440m)で寝たとき、息苦しさを感じました。眠気がおそってきて寝入ろうとしますと、呼吸活動が低下するために体内に取りこむ酸素が少なくなり息苦しくなりました。身体が自然に反応して深呼吸を行うということを数秒ごとに朝まで繰り返すことになりました。その結果、高橋さんから事前に“一日目は眠れないので、眠れなくても心配しないように”と言われた通りになりました。より標高がが高いホテル・エベレスト・ビュー(3,880m)での睡眠は、2日目、3日目と日が経つにつれて楽に寝られるようになりました。やはり高い山に登るには少しづつの高地順応が必要であることが体感できました。

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ヒマラヤ 高橋チームと再会

5日目、4/26(火)の午後、2回目のトレッキングを終えてホテル・エベレスト・ビューに戻ると高橋チームの皆さんも到着していました。

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4/24(日)にルクラで別れてから、私たちは5分のフライトと3時間のトレッキングでホテル・エベレスト・ビューに着きましたが、高橋チームはルクラ(標高2,800m)から一歩一歩3日間のトレッキングで到着し再会を果たしました。夕食をご一緒させていただき、夕食後は暖炉の周りで20:00まで冗談を言い合い、笑って楽しく過ごしました。高橋さんの「こんなに笑ったツアーは初めてだ」というほどおかしかった。

チームを率いる高橋さんは、ネパールの留学経験があり、ネパール後はペラペラ、おまけにこのツアーの前には“世界第3位カンチェンジュンガとジャヌー北壁・南壁トレッキング22日間”というほとんどテント生活のツアーを率いてきた頼りがいのあるリーダーです。

高橋さんに率いられている9名の皆さんの中には、リーピーターもいらっしゃいます。中には次はキリマンジャロ(5,895m)を目指そうかなという強者や、一方紅一点のマドンナさんのように海外初めてという方もいらっしゃいました。ゴーキョ・ピーク(5,360m)のような高地に20日間もかけてトレッキングする人とはどんなに凄い人達だろうと思っていましたが、皆さん大変楽しく、ユーモアにあふれた方達でした。

私たちは翌日山を下り、ネパール一のリゾート地ポカラに向かいますが、高橋チームの皆さんはこれからが本番で、更にヒマラヤの奥地に入っていきます。その道中は、チーム10名に対して20名のポーターさん達が荷物の運搬や食事の支度などをしてくれるそうです。そんな大名旅行もいいなとは思いますが、自分の身体を高度5,000m以上に運ぶのは自分ですし、それはそれで厳しいことと思います。

この日私たちはエベレストを見ることができましたが、高橋チームはエベレストの展望台といわれるゴーキョ・ピーク(5,360m)に到達し、より近くからエベレストを眺めるものと思います。私たちは翌日早朝出発(6:00)でもうお目にかかれないため、素晴らしいエベレストの写真を送っていただけるようお願いしてお別れを言いました。皆さんの目標達成をお祈りしております。

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2011年5月 6日 (金)

ヒマラヤ トレッキング~お鉢巡り

コムジュン村からクンデ村を巡るコースは3時間くらいですが、時間はたっぷりありましたので途中あちこち寄り道しながらのトレッキングでした。

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クムジュン村の隣村はクンデ村です。クンデピークの麓にある盆地で、標高は3,850mですから富士山よりも高いところにあります。規模はこじんまりとしていますが、ここにはカナダ政府が寄贈した病院があり、この周辺では唯一の病院で、クムジュン村や他の村からも患者さんが来るそうです。しかし自転車を含めての交通手段が一切ありませんので、病人がここに通院するのは大変そうです。

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タムセルク(6,623m)には雲がかかっていて、午後からは天気は崩れそうでした。予想通り夕方から雨、雹、雪が降りました。

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ホテルまで後30分くらいの牧場で昼食と休憩をとりました。朝8:00に出発して13:00に戻るまで5時間のトレッキングで、富士山のお鉢巡りを5時間したようなものでしたので疲れました。ホテル・エベレスト・ビューに戻りましたら、高橋チーム(ゴーキョ20日間トレッキング)の皆さんがルクラから3日かけて一足早く到着していました。

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ヒマラヤ トレッキング~雪男(イエティ)

雪男はいたのかいなかったのか、いるのかいないのか、ロマンです。

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クムジュン村にあるラマ教寺院に、雪男の頭の毛皮があるというので見に行きました。国籍を問わず興味を集めているようで、外国人トレッカーも訪れていました。寺院の門をくぐると2階におじさんが見張っていて、すかさず下りてきました。

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院内にはきらびやかな仏様達がたくさんいました。こちらでは装飾が豊かな程ありがたいようですが、日本の仏像を見慣れた目にはありがたみが薄れるような気がしないでもありませんでした。ここでは大きなイベントが行われ、たくさんのお坊さんや観客が集まってくる有名な寺院だそうです。

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なにがしかの現地通貨ルピーを寄付すると、おじさんが小さな箱の鍵を開けてくれて、雪男の頭皮をご開帳してくれました。フラッシュをたいての撮影もOKで、本当にいいの?と思いながらシャッターをきりました。1960年に、エドモンド・ヒラリー卿ら18名の国際学術探査チームが調査したところ、イエティの頭皮はカモシカの一種と結論づけています。カミさんは「ヤクの頭みたい。DNA鑑定すればいいのにね」と言っていましたが、「それを言ったらおしまいよ」と心の中で呟きました。夢を壊さないでください。

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カトマンズからポカラの往復は“Yeti Airlines”日本訳すると“雪男航空”を利用しました。Yeti(雪男)の足跡が空を飛んでいました。

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ヒマラヤ トレッキング~クムジュン・スクール

クムジュン村には生徒500人が通う小・中・高一貫校「クムジュン・スクール」があります。

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学校の入口には、エベレスト初登頂のエドモンド・ヒラリー卿の胸像がありました。ヒラリー卿はエベレスト登山のさいお世話になったお礼としてNGO組織「ヒマラヤ・トラスト」を発足させ、この地方のシェルパ族の村々に学校や病院をつくりました。

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クムジュン・スクールの基礎はエドモンド・ヒラリー卿がつくった学校で、校舎はざっと20棟くらいあり、各校舎の入口には建設協力者のレリーフがあり、日本、スイス、ベルギーなどの国々、同志社大学山岳部、松本ヒマラヤフレンドシップクラブなどの名前がありました。地理の教室は“TOYAMA”とありました。この学校には周辺の村から、峠を越えて通ってきている生徒もいるそうです。この村も周辺の村でも親は教育熱心で、子供達に教育を受けさせ、子供が立身出世すると一族郎党・親類縁者が皆幸せになるそうです。ガイドのマヘンダラさんも二人の息子さんをこの学校に通学させていて、将来は通訳などの仕事に就かせたいそうです。どこの国でも親の教育熱心なことは同じようです。

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ヒマラヤ トレッキング~クムジュン村

5日目、4/26(火)の早朝、エベレストを見てから、2回目のトレッキングに出発しました。

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予定ではクンデピーク(4,200m)を目指したかったのですが、ガイドのマヘンダラさんが「雲が出てくるので眺望は期待できない」といわれましたので、クムジュン村からクンデ村周遊のトレッキングに切り替えました。クムジュン村への下り坂をホテルに水を運んで上ってくる何人ものおばちゃんに出会いました。ホテルは美味しい飲み水を得、おばちゃん達には安定収入になっていのでしょう。思い返せば貴重な飲み水だったのです。

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クムジュン村は、クンデピーク(4,200m)などの山に囲まれた盆地にありました。盆地といって標高3,800mくらいはあります。この村にはかつて植村直己さんが滞在していたそうです。1970年春の日本山岳チームに加わってエベレストに登頂していますが、その前年の秋に偵察チームで来て、このシェルパの村一帯を駆け回ってトレーニングしていたそうです。

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ひところのロッジの建設ラッシュは終わっているようです。家の屋根はグリーンで統一されていて、ガイドさん曰く“グリーンバレー”だそうです。敷地は石塀に囲まれていて、石塀の小道が四方八方に通じていました。一人で歩いたら迷子になりそうでした。

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トレッカーもたくさん訪れているようで、目抜き通りでは民芸品や宝飾品などを売っている露店が出ていました。

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町はずれのカフェ、ここで休息とお茶をしました。ティーや軽食を出す店で、地元の人達が一服するために集まっていました。

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日本でいう“村の鎮守様”や“社”のようなものでしょうか。これも村々で見かけました。ヤクが歩いてのんびりした風景でした・こんな山里でのんびりと暮らすのもいいかもしれません。

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2011年5月 5日 (木)

ヒマラヤ エベレストが見えた

5日目、4/26(火)、この旅の最大の目的“一目でも、チラッとでもいいから自分のこの目で世界一高い山を見てみたい”という夢が叶いました。

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早朝4:00に目覚めてしまいました。空には星と月が出ていました。5:00を過ぎる頃から空は白みはじめ、誰もいない展望室にいってみると、5:30エベレストが姿を見せてくれました。正面奥、二つのコブのように見える左側、手前の樹の真上がエベレスト(8,848m)、右側がローツェ(8,516m)です。

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表に出て、少し近づいてみました。この頂は、数億年前に海底から隆起し、長い年月をかけて風雨や氷雪、氷河によって削り取られたものです。地球は生きていて、地殻はいまだに動いています。

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19世紀半ばに英国インド測量局によって発見されてから、多くの登山家・冒険家が憧れ、頂を極め、命を落とし、それでも挑戦が続いています。三浦雄一郎さんも再び挑戦の予定とか。栗城史多君は、4/30にカトマンズ入りし、先に現地入りしていた栗城隊と合流し、ブログを書いている一昨日の5/3には次の目的地ザンムーに向けて出発したようです。無酸素・単独登頂の度々の挑戦です。ヒマラヤ観光開発の高橋さんによると、栗城チームのスタッフは非常に優秀だそうです。栗城君ガンバレ!!

http://kurikiyama.jp/

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アマダブラム(6,812m)は、ホテルの右手に覆い被さるように聳えていました。

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エベレスト展望台とは反対側のホテルの正面側にも出てみました。タムセルク(6,623m)には陽が射していて、神々しいヒマラヤの夜明けでした。

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部屋からもエベレストを見ることができました。エベレスト頂点とするヒマラヤの山々と空と雲と朝陽が織りなす天空ショーを、黙って見つめていた30分間でした。神様、仏様に感謝です。

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室内はかなり寒いのではないかと覚悟していたのですが、強力な小型ヒーター、湯たんぽ、羽毛布団の三点セットでポカポカでした。ベッドの中からでもエベレストを見ることができ、とても贅沢なホテルであり、贅沢な部屋でした。

ここ数日間、この辺りの天候は早朝晴れ、やがて雲が広がり、夕方に雨が降り、夜は星空というパターンだそうです。写真に撮ることはできませんでしたが、夜中にも夜明け前にも、星も月も眺めることができました。地球の躍動のようなものを感じることができました。

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2011年5月 4日 (水)

ヒマラヤ ホテル・エベレスト・ビューへ

4日目、4/25(月)は、2回予定しているトレッキングの1回目で脚がなりました。ナムチェ(3,440m)から標高差440mのホテル・エベレスト・ビュー(3,880m)を目指しました。ちょうど富士山の八合目から胸突き八丁を経て頂上に登るのと同じ行程です。

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8:05にロッジを出発しました。しばらく歩くと村の出口にマニ車がありました。魔よけの仏具で、中にはお経が入っていて、1回廻すと108回お経を唱えたことになるといわれています。私たちも無事を祈ってマニ車を廻しました。この先いたるところでマニ車にお目にかかりました。

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おばさんがヤクを操って荷物を運んでいました。ヤクは持ち主にとっては大変な財産だそうです。エベレスト街道の険しい道では時々滑落したヤクの亡骸などが見かけられるとのことです。従順で働き者で、モクモクと荷を運んでいる姿はいじらしくもありました。

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私たちは薄い空気と険しい上りに次第に息が荒くなりましたが、16才のポーター君は私たちの荷物と酸素ボンベを背負って、携帯をかけたり、鼻歌を歌ったり、時々カメラを向けるとにっこりと微笑んでくれました。余裕です。

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名峰タムセルク(6,623m)を楽しみながらといいたいところですが、肩で息をしながら少しづつ高度を上げました。富士登山では全ての風景が眼下ですが、ここでは白き神々を見上げながらのトレッキングでした。

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10:30、ナムチェを出発して2時間半が経過し、シャンボチェを通過して最後の緩やかな登りとなりました。前方に見えるのはクムスカングル(6,367m)でしょうか。ガイドさんの後をゆくカミさんの足取りは快調のようでついて行くのが大変でした。

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ホテルまでの道程は残り少なく、ようやく周りの景色を楽しむゆとりもでき、一息つきながら記念写真を撮りました。

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眼下には、山の中腹に切り開かれたエベレスト街道がクネクネとうねっていました。よく見ると一人二人と人影が見られ、村人の生活道路にもなっているのでしょうか。あるいは世界有数の散歩道かも。

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10:49、ナムチェを出発して2時間45分かけてやっと到着しました。成田からバンコク、カトマンズ、ルクラ、シャンボチェと4つの飛行機に乗り、3時間のトレッキングで、4日目にしてようやくエベレストを見ることができるスポットに辿り着きました。エベレストビューへの道は遠かった。

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ここは標高3,880m、つい低地のホテルのつもりで、立ち上がったり歩いたり、急な運動をすると酸素不足でめまいや頭がクラッとしました。一歩踏み出す前に深呼吸をして十分酸素を取り入れてからおもむろに行動開始というスタイルになれるのに少し時間がかかりました。

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ホテルの展望デッキには、エベレストを一目見ようというたくさんの人達が集まっていました。この展望デッキまでは宿泊客以外も入ることができ、エベレストを見ながらお茶したり、食事をしたりできますが、あいにくと雲が発生していてエベレストは見ることができませんでした。

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昼食はこのダイニングルームで名物?の親子丼をいただきました。夜は夕食の準備ができるまで暖炉で身体を温めながら、他の宿泊客と軽く談笑。この日の宿泊客は、香港からの若いカップルとガイドさんの3人グループと欧米人の老夫婦でした。ご主人がカメラ(キャノン)のバッテリー切れだとかで、私のカメラが同じ機種かときいてきましたが、残念ながら別の機種のためご期待に添うことはできませんでした。

屋外は夕方から降り出した雨が雪に変わりました。エベレストを見ることができるチャンスはこのホテルに二泊するときだけですので、明日エベレストが見られるか不安になりました。ホテルのマネージャーが「明日晴れるよ、チャンスは早朝」と断言してくれましたのでこの言葉に望みを託しました。

   

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2011年5月 3日 (火)

ヒマラヤ ナムチェのロッジから

散策を終え、部屋で休息をとることにしました。部屋からの眺望を楽しみ、夕食を待ちました。ここでの宿泊客は私たちの他にパキスタン人が3人でした。

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ロッジの部屋はこじんまりとしていて、可愛らしいイメージでした。シャワーやトイレも付いていましたがとてもシャワー浴びる気にはなれませんでした。夜は湯たんぽと厚手の毛布を一枚足してもらったら汗ばむ程でとても快適でした。

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窓からは他のホテルやロッジが見えました。年々高いところに建物が建てられてゆくそうです。

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東側にはクッセムカングール(3ピーク 6370m)を臨むことができました。好きな歌「山小屋の灯」を口ずさむにはあまりにも迫力がありすぎ、ただただ黙って見とれていました。

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角部屋だったため、西側の山も眺めることができました。ワンデ山塊(6,011m)が間近に迫っていました。

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ヒマラヤ ナムチェ散策

標高3,400mのナムチェバザールは、クーンブ地方のシェルパ族の首都とも、故郷とも呼ばれているエベレスト登山の拠点の村です。一服した後散策しました。

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エベレスト街道の要衝の地であるこの村には、世界中からトレッカーがたくさん集まってきています。

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ホテル、土産物店、それに洒落た喫茶店までぎっしり並び、豊富な水を利用した水力発電で、カトマンズでは頻発していた非計画停電はこの村にはなく、ヒマラヤの奥地にいる感覚はなくなります。

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銀行、国際電話のかけられる電話局、チェコレートケーキを焼いているベーカリーまであり、日用品などは殆どこの村で間に合います。

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登山用品、登山用具は豊富で安く何でも揃います。私も厚手の登山ズボンを一着買い求めました。結局このズボンは一回はいただけで、荷物になるので帰るときに地元ガイドさんにプレゼントしました。

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この村の常住人口は1,100人で、子供達は走り回って鶏を追いかけ回していましたが、海抜3,400mといえば富士山の八合目にあたる高さで、歩くだけでも息が切れるのに走り回るなんてとてもマネできませんでした。

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2011年5月 2日 (月)

ヒマラヤ ナムチェ・バザールへ

飛行機を降りて、高山病対策のために一度シャンボチェ(標高3,700m)からナムチェ(3,440m)まで下りました。

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シャンボチェには目の前に6,000m級の山が天をついてドカーンと聳えていました。いよいよです。

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私たちの荷物を運んでくれるポーターさんは、16才の少年でいつも笑顔を絶やさないいい男でした。

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飛行機が飛び去った後は子供が屈託なく遊んでいました。

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現地ガイドのマヘンダラさんに先導されて標高差300mを一挙に下りました。ナムチェの街並みが眼下に広がっていました。翌日この道を再び登ることを思うとちょっとげんなり。

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他のポーターさんが大きな荷物を背負って何人も登ってきました。

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ナムチェの街が更に近づいてきました。ナムチェはかつてはシェルパの里と言われ、シェルパ族が多かったのですが、現在は多くの部族が居住しているとのことです。

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11:45、カトマンズのホテルを5:00に出発して、ナムチェのロッジ(ヒマラヤン・カルチャー・ホーム)に到着しました。標高は3,440mで富士山の本八合目(3,360m)よりやや高地にあり、心なしか空気の薄さが感じられました。

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ロッジは小ぎれいで、ダイニングルームで持参したお弁当を食べ、ミルクティーをいただきようやく人心地がつきました。

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ヒマラヤ シャンボチェへ遊覧飛行

私たちは高橋Gの皆さんと別れて、ルクラ空港の片隅に止まっていたオモチャのような軽飛行機に乗り換えシャンボチェ空港に向かいました。

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軽飛行機の乗客は私たち2人だけでした。いわば専用機状態で、私は副操縦席に乗ることができました。目の前にハンドルやレバーがあり、ちょっと動かしたらパイロットに触るなと注意されてしまいました。

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一方カミさんは、荷物と一緒にされていました。おまけに荷物を押さえているように言われ「私は荷物番じゃない、客だ」とブーたれることブーたれること。

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パイロットはなかなかイケメンでした。私が副操縦席に座れたのはパイロットの好意ではなく、単に座席が荷物で一杯になっただけのようですが、飛行機が怖いくせに好きですから、理由は何であれ副操縦席に座れたのは最高の幸せでした。後日たくさんのお客さんを引率してきた経験を持つ高橋さんに、お客さんが副操縦席に座ったのは初めてかもしれないと言われました。ラッキー。

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周りは白き神々が鎮座していて、至福の瞬間でした。夢中でキョロキョロしてしまいました。今回の旅行ではオプションでヒマラヤ遊覧飛行(3万円くらい)に乗りたいと思っていましたが、その夢が叶ってしまいました。できたら遠回りしてあと30分くらい余計に飛んでくれたらもっとよかったのに。

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飛び立ってものの5分で目の前に山が立ち塞がるように迫ってきて、なんだなんだこのまま突っ込んだら危ないのではと思っていましたら滑走路が見えてきました。宮原さんがつくった滑走路です。

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宮原さんも大変なところに滑走路をつくったものです。未舗装ですが、パイロットは慣れたもので、軽くフワリと着陸しました。

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飛行機は山の壁の手前でくるりとUターンし、私たちを降ろし、荷物を積み込むとあっという間に飛びっていきました。かっこいいー。

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ヒマラヤ ルクラへ

3日目、4/24(日)は、いよいよネパールの山の中に足を踏み入れました。

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カトマンズからルクラに向かうために早朝出発(5:00)となりました。高橋Gの中には2回目という人も何人かいて、トレッキングの装いで張り切りつつも落ち着いた様子でした。私たち夫婦は多少緊張していました。

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5:30、ルクラはエベレスト南面のネパール側の登山口でもあり、エベレスト街道のスタート地点でもあるため、登山道具やリュックを満載した荷物が集結していて期待と緊張感に包まれていました。

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待合室は世界中の人々が集まってきていました。ルクラへの飛行を運行している会社は4社くらいあり、フライトは頻繁に行われていましたが、天候次第で欠航や遅れはよくあることであり、また自分たちが乗る飛行機がいつ飛び立つかわからないため、のんびりしつつもハラハラしながら時間待ちしていました。

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1時間程待ってようやく機内に乗り込みホッとしました。18人乗りで、そのうち私たち一行が12人でした。席は自由席ですので、景色がいい席を確保するのは早い者勝ちでした。私は一番前の左側(山が見える側)を確保しました。

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ルクラ空港は山の緩やかな斜面に一本の滑走路があり、その滑走路はつい最近舗装されたばかりで500mもないそうです。離発着が比較的難しい空港といわれていますが、パイロットは任せなさいと言わんばかりに鼻歌を歌っていました。

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飛び立って2、30分もする頃山岳地帯に入りました。私たちの乗ったSTOL機(短距離離着陸機)は山と山の間を縫うように飛んでいました。

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45分程のフライトでルクラ飛行場に着きました。高橋Gの皆さんとは2日後ホテル・エベレスト・ビューで再会するまでここで一度お別れです。皆さんはここからトレッキングのスタートで2泊3日の行程です。私たちはその間5分のフライトで先回りです。

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ヒマラヤ ドンキホーテ登場

2日目の夕食は、高橋Gの皆さんとエベレスト・ホテルで一緒しました。

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総勢12名でそれぞれ隣り合った人同士で乾杯しました。翌日から山に入り、高度を上げてゆくとアルコール厳禁となりますので、暫くはビールも飲めなくなります。しばしの名残のビールです。

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食事が終わった頃、ヒマラヤのドン・キホーテこと宮原さんが駆けつけてくれました。最も奥の席に座られ、ロウソクの炎に邪魔され宮原さんのお姿がはっきりしないのが残念。

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私がヒマラヤに来るきっかけとなったヒマラヤ観光開発社長の宮原さん本人にこんなにも早くお目にかかれるとは思ってもみませんでした。日本人でありながらネパールに魅せられ、30才代でホテル・エベレスト・ビューと飛行場をつくり、ネパール国籍を取得し、政党を結成して国つくりに意欲を燃やし、還暦とともにエベレストに挑戦し登頂目前で断念し、いまだにネパールに人生を献げつつある、ネパールで最も有名な日本人、伝説の人です。宮原さんいつまでもお元気で。

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しばし歓談の後、サインをしていただき、握手させていただき、一同大感激しました。宮原さんからは何度も「決して無理をしないように」という言葉をいただき、なんと心優しい方なのだろうと思いました。現在は大豪邸に住まわれ、専用のコックさんもいるとか。高橋Gの皆さんはトレッキングが終わってカトマンズに戻ったときにご自宅に招待され、ご馳走をいただけるかもしれないとのこと。羨ましい。

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ヒマラヤ カトマンズのお店

カトマンズ市内にはいたるところにバザールがあり、魅力的な店や商品が満ちあふれていました。

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豆類の屋台。最も無難なピーナツを買ったのですが、どうみても現地人よりモリが少なかったようでした。ボラれたかも。

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魚を捌くのに、固定した“し”の字の形をした刃物に魚をあてがい、動かして捌いていました。強烈なはらわたの匂いと固まりに、その後魚料理を食べる時にはこの光景を思い出さないようにしようと心に誓いました。

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布屋さんが布を振りかざしていました。デモンストレーションしているわけではなく、並べた商品のホコリを払っていました。大事な売り物をはたき代わりにそんなことしていいのと思いましたが、ここはネパール。

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野菜類は南米チリ高地の野菜類と似ています。カトマンズは標高1,400mの高原です。

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土手鍋状になったカラフルな食べ物は何だったのか結局わかりませんでした。

現地ガイドのサローズさんにお願いして、タクシーで土産物品街のタメル地区、官庁街、ダウンタウンなどを一周してもらいました。途中デモによる交通渋滞なども経験しました。騒音とホコリに包まれ、非計画停電が頻発するカトマンズは混沌と猥雑がごった煮になった街ですが、人間臭く魅力的な都市でもありました。

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ヒマラヤ カトマンズ市内見物

ホテルにチェックインし、夕食前の一時マドンナさんと3人でカトマンズ市内見物に飛び出しました。

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ホテルのすぐ近くに大きな交差点があり、交通整理のお巡りさんが騒音と排気ガスをものともせず張り切っていました。カトマンズ市内に信号は何ヶ所かあるのですが、非計画停電が頻発するために信号機は使用不能となっているとのことでした。

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騒音(クラクション)と排気ガスとホコリの3点セットのことは聞いていたのですが、想像の10倍以上でした。現地人でマスクをしている人もたまに見ましたが、皆さん黒のマスクでした。現地人から見たら白のマスクはきっととても珍しく映ったと思います。白のマスクも数時間でグレーになり、数日で真っ黒になるかも。それなら黒の方がなどと一人で納得しながら二人の後をついて歩きました。

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ネパール人はとても人なつっこく、それでいてシャイでした。カメラを向けるとワーどうしょうと言いながら、ちゃんとポーズをとってくれました。なんで男二人が手を取り合っているの・・・。きっとお前がモデルになれと譲り合っていたのかもしれません。

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更紗生地などの反物を店先でミシンがけしている娘さんも、カメラを向けると恥ずかしそうにそれでいて嬉しそう一生懸命ミシンをこいでいました。

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マドンナさんが更紗生地を買いたいといって、言葉もわからないのにカミさんも加勢して、粘り強く、しつっこく、我慢強く交渉してようやくお気に入りをお気に入り価格でゲットしたようでした。

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最後の日にまたバザールを覗きにブラブラしていましたら、交差点で牛と目線が合ってしまいました。気のせいか、潤んだような目をして、鼻腔はふくらみ、口元は緩みがちでこちらに向かってきましたので、思わず後ずさってしまいました。この牛はちゃんと交差点を渡ったのか、確認しませんでした。

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ヒマラヤ ネパール・カトマンズへ

2日目4/23(土)はタイ・バンコクからネパール・カトマンズへと移動しました。

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一夜明けて、6:00モーニングコール、食事を済ませ7:30出発しました。高橋Gと私たちの12名にはヒマラヤ観光開発手配の贅沢な専用バスが待っていてくれました。地元ガイドさんと高橋G紅一点のマドンナさんと記念写真。

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バンコク国際空港にはお坊さんがあちらこちらにいました。さすが仏教の国です。タイでお目にかかりたかったのがお坊さんと本場トムヤンクンでしたので、早速一つめの目的が達成されました。

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バンコクの出国手続きを済ませ、カトマンズ行きのフライト前に全員集合です。高橋Gの強者の皆さんも高橋さんの注意事項を、幼稚園の生徒のように聞き入っているようでした。

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バンコクからネパール・カトマンズへは4時間半のフライトでした。山岳の王国が近づくにつれ高峰が見えるのではないかと思ったのですが、青い空と白い雲だけでした。

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15:00(以降現地時間)にカトマンズ空港に到着しました。日本との時差が3時間15分ですので、日本時間では18:15です。近代的で清潔なバンコク空港とは雰囲気も匂いもがらっと変わりました。ワクワクするような匂いでした。

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カトマンズではエベレスト・ホテルに延べ3泊しました。その間私たちをガイドしてくれたサローズさんと合流しました。サローズさんは日本にも来たことがあり、日本語がペラペラなのはもちろん、漢字も読め、目下日本の格言を勉強中で、ことある毎に“袖すり合うも多生の縁”ですねとか、“郷には入ったら郷に従ってください”などと、言いたいことを一言で伝えてくれる人でした。帰国してからは既にメル友になりつつあります。

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ヒマラヤ タイ・バンコクへ

4/22(金)、予定通り成田空港からエベレストビューへと出発しました。

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成田空港に10:30にヒマラヤ観光開発の高橋さんと合流しました。高橋さんはゴーキョ(5,360m)トラッキング20日間ツアーの参加者9名(以降高橋G)を率いていました。高橋Gとは偶然バンコク~カトマンズ~ルクラまでの3日間一緒で、二人旅の私たちには心強い“旅は道ずれ”となりました。

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久しぶりの海外旅行で、何といってもお酒が飲み放題なのが嬉しい。とはいえこれから未体験の高地に入るという緊張感と隣のカミさんが口うるさくアルコールはほどほどにしました。

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ほろ酔い加減でいるうち、あっという間に6時間が経過しバンコクに到着しました。入国審査も済ませて、機内預け荷物の引き取り所に集結しました。20日間かけて5,360mもの高地にトレッキングするという人達は、きっと近づきがたく怖い人達で、私たちのような軟弱なトレッキング参加者には口も聞いて貰えないかと思っていましたが、私たちと同じ年代の普通のおじさん達(ごめんなさい)で、中には70代の方もいらっしゃり、更に海外は初めてという淑女が紅一点で参加していて更に驚きました。

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バンコク空港からは専用のバスでホテルに向かいました。早速バンコク名物の車の渋滞の洗礼を受けつつ、ほどなく宿泊先のホテルに到着しました。ホテルの入り口には観音様が出迎えてくれ、いよいよ始まったぞという実感が強くなりました。

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ホテルの近くには屋台が出ており、期待に胸が膨らんだのですが、夕食をとり、高橋さんや紅一点のマドンナさん達と話し込んでいるうちにすっかり夜になってしまい、屋台を冷やかすこともなく就寝してしまいました。ホテルから眺めたバンコク市内の街並みには灯りがほとんど見えなく真っ暗でした。日本の家屋の煌々と照らされた灯りや都会のきらびやかなネオンに慣れた目にはひどく暗い闇は侘びしくも思えましたが、日本もかつてはこのようであった時代があり、これが過大なエネルギーを必要としない本来の姿かもしれないなどと考えつつ1日目の眠りにつきました。

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