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2011年8月28日 (日)

ヒマラヤの灯

夏のこの時期は、暑いのとどこへ行っても混み合うのがイヤで、比較的じっとしているのですが、ちょっとした合間に富士山に登るのが恒例となっています。しかし今年は天候不順の日が多く、5回くらいは登りたいと思っていたのですが、2回しか登ることができませんでした。その代わり、読書の時間はたっぷりあり、読書によって涼を得ました。

 

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以前からヒマラヤに興味をもっていたのですが、きっかけがつかめず半年ばかりウジウジしていたのですが、ヒマラヤへのきっかけをつくってくれた1冊です。以前にもこのブログでご紹介させていただきましたので、詳細は省きますが、ネパールという国に魅せられ、ネパール国籍を得、ネパールの光と影に突入していった日本人の格闘記です。とにもかくにも宮原さんが建てたホテルに行って、エベレストを見てきました。

 

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宮原さんが、“エベレストが見える場所に、エベレストが見えるホテルを建てたい”という夢を抱き、その夢を実現させた苦闘記です。少し長くなりますが、本文から引用します。

ネパールに住む夢 話は遡るが、私が最初にネパールに来たのは、ムクト・ヒマールの登山が目的であった。1962年(昭和37年)のことである。ホテル・エベレスト・ビュー建設のきっかけが生じたときより6年前のことである。・・・ただ私は、この帰路のキャラバンで思いがけなくさまざまな経験をすることになった。それまで登山以外のことには見向きもしなかった私にとって、ネパールの山村から山村へと歩いた道は、そこに住む村人たちと接したという意味において、ヒマラヤ登山以上に強い印象となって残った。それは自分でも予期しないことだったが、山村の生活の厳しさと貧しさに接した私の激しい反応であった。・・・こうしてふたたびネパールへ来ようと決めたのは、それまでの数年、考え続けていた人生の目標を、もうこの辺で定めようとした結果でもあった。それにネパールにはヒマラヤがあるということが、大きな心の拠りどころになるようにも思われた。」

様々な困難に立ち向かっていく宮原さんの闘魂に思わず力が入ってしまった1冊でした。4,000m近くの高地で、薄い酸素、厳しい寒さ、物資不足、食糧不足などと闘いながら、現場監督を務めた岩下棟梁(上田市出身)の奥様と“ツール・ド・モンブラン”で一緒にたくさんのビールを飲んだのも何かの縁かもしれません。

 

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ホテル建設と併行して飛行場建設も行い、大量の大岩の掘り起こし、除去などの難工事の末、飛行場も完成しました。再び原文から「試験飛行の日 ・・・この飛行場は、私にとっての喜怒哀楽、すべての感情と祈りと願いをこめて、汗と涙で築いた飛行場である。飛行機がまさに着陸しようとしたとき、私には飛行機の姿だけが目に焼きつき、周囲のざわめきも何もかも一瞬遠のいてしまった。まわりのすべてが、着陸しようとしている飛行機の一点に、吸い込まれていくように感じられた。・・・ピラタス・ポーター機は、グングン手前に迫り、見事に着陸した。機体が見えなくなるほどの土煙が上がった。」

この飛行場は、私にとっては最も印象に残る飛行場となりました。またルクラからこの飛行場までの飛行は、乗客がカミさんと二人きりだったため、副操縦席からヒマラヤの氷雪嶺を見ることができ、これも最も印象に残る飛行となりました。

 

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宮原さんが還暦を迎えたとき、憧れのエベレストに挑み、頂上まで残り300mの地点で無念の撤退をしてしまった挑戦記です。

 

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宮原さんと親交の深い文筆家の根深誠氏(明治大学山岳部OB)も、ヒマラヤ(ネパールとチベット)に魅せられた一人です。ネパール西北部、チベットとの国境にほど近い標高4,300mの村に、3年がかりで、政府やNGOの組織に頼らず、3年がかりで鉄橋を架設し、村人たちの悲願を叶えた物語です。この本には、ヒマラヤの光の部分だけではなく、影にもスポットが当てられています。

 

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ヒマラヤ登山には欠くことのできないシェルパについて、シェルパの栄光ばかりではなく、哀しみにも目が向けられていて、興味深く読みました。

 

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日本人の女性がマネジメントしている“ナマステバンド”という名のバンドと共にネパールを縦断したルポで、ネパールの影について考えさせられ、多少幻滅も感じましたが、どこの国でも光と影があります。以下に原文を引用しました。

「ネパールの高地の人々に比べて、都市部や低地の人々の社会規範は、近代社会が大なり小なり抱え込んでいる共通の病理であり、その根源はヒンドゥー教の教義にあるといわれている。信仰が身近にあり、いいかげんも同様にある。このネパールという国は、機窓に眺める(主にヒマラヤの)風景から受ける印象と、そこで暮らす人々の実態は、近年、あまりにもかけ離れているのだった。」

根本氏には、他にヒマラヤ関係では「風の瞑想ヒマラヤ」や「ヒマラヤを釣る」などの著作があります。

この夏たっぷりと、ヒマラヤワールドに浸ることができました。息苦しさに喘ぎながら、一歩一歩高度を上げ、その結果目前に現れる白き神々の世界に、もう一度身を置いてみたいという夢が日に日に膨らんだ夏でした。

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2011年8月26日 (金)

マッシー伊藤さんの“今年の夏山登山(チャレンジ山岳標高ベスト32)”

マッシー伊藤さんから、“夏山登山の記”を送っていただきましたので、文章・画像ともそのまま掲載させていただきました。私も昨年奥穂高岳にガイドつきで登りましたが、今回伊藤さんが登った前穂~奥穂の吊り尾根ルートは一度チャレンジしてみたいと思っていたルート(実際には尻込みしていました)で、興味深かったです。また剣岳については、登山は無理でもその雄姿だけでもと思い、9月初旬に室堂に行く予定にしていますので、その点、剣岳登山が悪天候で断念せざるを得なかったのはとても残念です。

以下伊藤さんのコメント(そのまま)

昨年の夏、富士山山頂で實川さん(富士山に千回以上登頂した人)にお会いして、世の中にはとんでもない怪物おじさんがいる事を知りました。丹沢、奥多摩、富士山等を日帰り登山していましたが、せめて3000m級の山を登頂すべく昨年より始めた次第です。

この8月は2回の登山で、奥穂・前穂、剱岳登頂を計画しました。

8月上旬の穂高岳は、最後の日の午前中だけ天気がよく、吊尾根、岳沢経由で上高地に下りてきました。天気が良かったのはこの日だけでした。

819日からの剱岳登頂は、最悪のコンディションで3日間雨天。周りの山々がまったく見えず、山小屋に宿泊して、自宅に帰ってきました。

高温の日があったり、大雨の日があったりで異常気象の8月でしたね。

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天気が悪い日に姿を見せてくれるのが雷鳥です。涸沢岳から穂高岳山荘へ戻る途中の登山道で見かけました。雛がいるというのに親鳥は人間慣れしていて、砂浴びに興じていました。登山者が遠慮して前へ進まず、雷鳥が道から離れるのを待っていました。野鳥は人を見ると警戒して逃げてしまいますが、このような事は初めての経験でした。

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奥穂高岳・前穂高岳のルートで厳しいと感じたのは、山小屋からすぐの岩場でした。手と足でポイントを確保しながら登りました。

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吊尾根は涸沢や岳沢を巻いていく感じで岩場を歩き、紀美子平まで順調でした。紀美子平から下は、いきなりクサリ場の急斜面となり、延々と下りが続く為、ひざと足の筋肉がへとへとになってしまいました。富士山の下りよりずっとキツイです。

登山届けを出した時、岳沢(重太郎新道)で事故が多いと言われました。急斜面と疲労の影響で滑落するリスクがあるのも理解できます。

朝、日の出を見て510分に穂高岳山荘を出発、前穂高岳も往復して上高地に着いたのは午後110分でした。着いてまもなく雨が降ってきました。

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2011年8月25日 (木)

富士山初挑戦

8/23(火)、久しぶりに天気が良さそうなので、カミさんとカミさんのウオーキング友だち祥恵さんがどこかへウオーキングに出かけようかと電話で相談していましたので、富士山に登ってみないと声をかけたら、行こうということになりました。

富士山の天気予報を調べると、8/24(水)0:00晴、6:00晴れ、12:00霧、18:00雨となっていましたので、8/23の午後山中湖(マンション)到着、早めの夕食(16:0018:00)をとり就寝(19:0001:00)、山中湖を1:45出発、富士山5合目に2:30到着ということになりました。

祥恵さんにとっては寝耳に水の富士山初挑戦でしたので、初めての人がどんなペースで登れるのかの一つの事例として掲載しました。

高所登山の注意点は、先ずヒマラヤ式呼吸(高所登山の深呼吸を勝手にそう名付けました。何となく山に登れそうな気がするそうです)、ゆっくりとしたペース(これはヒマラヤペース)、水分補給(1,000mあたり1L)、これらに井本スペシャル(エベレスト3回登頂のヒマラヤ観光開発井本さんのとっておきの錠剤)を加え、万全の準備で臨みました。

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3:14、5合目にある小御嶽神社に、無事登頂のお願いをして出発しました。

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5:182,700m 7合目で御来光を迎えました。御来光は今まで何回も見ていますが、真っさらな一日が始まると思うとついシャッターを押し、手を合わせてしまいます。この日は雲が多く、午後から夕方にかけて天気の崩れを予感させるものでした。

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5:302,800m 7合目からは岩場となります。祥恵さんとカミさんは余裕の笑みでした。

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5:552,900m 7合目の岩場を見上げてみると、8合目の鳥居が小さく見え、その上には青空が広がっていましたが、薄い雲も湧き上がってきていて、天気予報通り、午後から崩れそうな気配でした。

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6:283,000m 8合目手前の岩場を見上げると、やはり雲が広がっていました。予想よりも天気の崩れは早そうでした。

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8:243,400m 本8合目付近。岩場を抜けてホッとした気持ちになりますが、足下の砂と瓦礫は滑りやすく意外に疲れますし、ここいらあたりから空気の薄さも感じるようになりました。3人揃ってヒマラヤ式呼吸法とヒマラヤ歩きを実践して着実に高度を上げました。眼下の景観が多少疲れを癒してくれました。

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11:033,600m 9合目の最後の岩場は、頂上の建物も確認できるのですが、息が苦しく足取りも重くなり、誰もが肩で息をしていました。空は完全に雲に覆われ、霧雨を感じるようになりました。

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11:083,600m 頂上直下の最後の登りです。最も息苦しく感じる瞬間ですが、声を掛け合いながらヒマラヤ式呼吸をかなり意識して実践しました。霧雨で身体がかなり濡れましたので、雨具を装着しました。

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11:15 頂上手前10m地点にある鳥居をくぐると誰もが笑顔になります。

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11:19 初登頂おめでとうございます。祥恵さんは初登頂、カミさんもいたって元気で恒例となったおでんを美味しいといって食べていました。

12:00に下山を開始し、4時間くらいで楽に下山できると思ったのですが、祥恵さんが脚を痛めてしまいました。カミさんとのウオーキングでは健脚と聞いていたのですが、山下りの経験がなく、特に富士山の下山は、“登りたいが、下山が嫌だから行かない”と多くの人が語るくらい別格で、彼女もその洗礼を受けてしまいました。他にも何人もの人が辛そうに歩いていましたし、動けなくなり馬に救助してもらった人もいました。結局18:00に5合目に到着し、到着と同時に天気予報通り雨が降ってきました。

祥恵さんは初挑戦、カミさんは最後の富士登山、私はヒマラヤ再訪トレーニングという3人3様の目的をもった登山でした。祥恵さんは下山に苦労しましたが、初登頂や富士山の景色を喜んでくれましたし、カミさんは富士登山には思い残すことがないようです。

私は今まで何回富士山に登ったのかもう忘れてしまいましたが、今までで最も楽に登れました。やはりヒマラヤ式呼吸法や井本スペシャルなどの万全な準備が功を奏したのかもしれません。

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2011年8月22日 (月)

東北への道~三陸遊歩道

東日本大震災で大きな被害を受けた三陸海岸沿いに環境省が整備する「三陸復興国立公園」(仮称)の素案が明らかになったという報道がありました。

 

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2009.10.192010.4.25の期間、陸前浜街道(水戸~仙台 240km)を歩きました。この太平洋岸を東北へと向かう道は、3.11の東日本大震災と福島原発事故の二重災害により壊滅的な打撃を受けました。今年3月に、ブログで「浜街道」を追悼しました。現在広野町から南相馬市までのほぼ60kmの道は、立ち入り禁止地域となっており、このルートの回復は数十年先になるとの悲観的な見方がされています。いつか「浜街道」を再びという願いは当分叶えられそうもありません。

 

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「浜街道」から先、松島から青森県八戸市種差海岸にいたる350kmの遊歩道・三陸復興国立公園(仮称)構想が発表されました。もしこのルートが実現したら素晴らしいと思います。「浜街道」はその名のとおり、海岸沿いを北上する道で、歩くのに危険なか所はほとんどなく、景色もよく、宿泊施設もビジネスホテル、民宿などもあり、食事も美味しい魚が食べられました。

350kmという距離は、奥の細道2,400kmや四国巡礼1,2001,400kmに比べると手頃な距離で、東海道(492km)より150km少なく、1日平均20km前後歩けば18日間、もう少しゆっくり歩くとすれば2025日で完歩できます。県立自然公園や国立公園をつなぐ道で、景色も楽しめ、海沿いですから、美味しい魚も食べることができそうです。

旅行ブームは衰えることなく、旅行による経済効果は大きいと言われています。例えば、四国巡礼はこれからも一定の需要が見込まれ、弘法大師の足跡による経済効果は計りしれないものがあります。四国巡礼は、歩く、自転車、自動車、バスツアーなど様々な形態があり、地元にとっては、宿坊や民宿・旅館などを利用してくれる歩き遍路が最も経済効果が高いのです。

しかし昨今の旅行ブームは、バスツアーや飛行機+レンタカーなどが主流となっていて、有名観光地は賑わいをみせますが、街道のような線、あるいは広域的な面としての経済効果はあまりみられません。もし三陸に350kmにわたる遊歩道ができれば、広域的な経済効果が見込まれます。

 

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奥の細道は、東京深川を起点として北上し、松島、石巻を経て平泉へと内陸部に入り、鳴子温泉から山刀伐峠を越え、出羽三山を経て、象潟(秋田県)で日本海に至り、日本海を下ります。三陸遊歩道と奥の細道をリンクし、東北周遊道のようなルートが実現したら素晴らしいと思います。奥の細道は、2005.12.192006.5.19の期間歩きましたが、歩くには危険なか所が何ヶ所もあり、もしそれらがきちんと整備されれば、開発により損なわれた自然や風景を復興させ、ルート沿いの町おこし・村おこしなどの期待がもてます。

東京からは、日光街道~奥州街道~三陸遊歩道~奥の細道とリンクすることができれば、首都圏を起点とする東北大周遊街道が完成します。もっとも国がすることですし、政治(主導)には期待がもてず、行政はなかなか動かない現状を見ているといつのことやらとため息が出ます。

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2011年8月15日 (月)

箱根グルメ旅

あまりの暑さにいつもの散歩コース(2時間弱)を歩くのも億劫になり、ここ数日出不精していました。脚がなまってしまいそうでしたので、8/15(月)、涼を求めて箱根に出かけました。カミさんに声をかけたら「暑いからイヤ!」の一言でした。

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始発の電車に乗り、箱根湯本駅に7:00に到着し、まだ眠りから覚めていないような湯本温泉街の川沿いの道から歩き始めました。どのホテル・旅館も駐車場が一杯で、首都圏や遠くは大阪や松本ナンバーの車もありました。人が動いて、お金が動いて、経済が回ればいいですね。前方を見上げますと、イヤになる程青空が広がっていました。

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箱根の旧道歩きは、最近人気のルートのようで、ほとんどの人は箱根宿の本陣跡があり、寄木細工の里として知られる畑宿まで湯本からバスを利用し、畑宿から歩き始めるようです。湯本から畑宿までは歩いて1時間半くらいあり、旧道(車道)と旧街道(石畳の道)が混在しています。旧道では最近は自転車野郎の姿がよく目につくようになりました。ツール・ド・モンブランを走っていたフランス人やイタリア人の自転車野郎を思い出しました。

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畑宿からはずっと、旧街道を歩くことになります。石畳に木漏れ日があたっていました。直射日光は遮られ、涼しい風が吹いていて比較的快適なのですが、上りが延々と続きますので、結局汗びっしょりとなりました。

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最後の旧街道の入口です。芦ノ湖(元箱根)まで40分とあり、最初上って、芦ノ湖に近づくと下りになります。風の通り道になっていて、クーラーの風に当たっているような気持ちよさでした。

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箱根湯本から歩き始めて3時間半で、目的地芦ノ湖に着きました。箱根テクテクの第1の目的は遊覧船待合室で売っているこのソフトクリームです。

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箱根テクテクの第2の目的は、「腸詰屋」さんで夕食の食材の仕入です。

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箱根テクテクの第3の目的は、「甘酒茶屋」のうぐいす餅と磯辺餅のミックス(450円)です。「甘酒茶屋」は、芦ノ湖から折り返して30分くらいです。旧道(車道)に面していますので、車で来る人が多く、この日も混んでいました。ここで腹拵えをして、のんびりと下り、箱根湯本駅に13:30に到着しました。

かなり汗をかきましたが、休憩を入れて6時間半のハイキングは、冷気とマイナスイオンを浴びて久しぶりにスッキリしました。もっとも帰りの電車(小田急線)のクーラーが一番気持ちよかったのでした。

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2011年8月12日 (金)

富士山ビュー

猛暑日の連続にネをあげ、涼を求めて、涼しいところに行きたかったのですが、高地の観光地は混んでいそうだし、ということで最も手近な山中湖周辺の山ならと思って出かけたのですが・・・。カミさんは、一言「暑いからイヤ!」でした。

 

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山中湖畔に沿うように、石割山(1413m)~平尾山~大平山~長池山~ホテルマウント富士が連なっています。元気なときは、ホテルマウント富士近くの湖畔のマンションに車を置き、山中湖畔を半時計回りに歩くと2時間半くらいで石割山登山口に到着します。そこから富士山を見上げ、山中湖を見下ろしながら、尾根歩きというのが定番になっていましたが、この酷暑の中その元気はなく、石割山登山口まで車で行きました。

 

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登山口の403段の名物階段は、テニス合宿中の高校生のトレーニング場と化していました。早朝7時ですが、皆汗びっしょりでした。お気の毒にと思っていたのですが、私もこの階段を登り終えた時には、汗ぐっしょりでした。

 

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石割神社へと続く山道は、木漏れ日の中、涼風が吹いているはずが、無風で、草は燃えるようなというか今にも火を噴くのではないかという暑さで、涼を求めに来たはずがこんなはずではなかったと後悔が始まりました。それでもヒマラヤ・トレッキングの説明会で必ず、しつっこい程繰り返される歩くペースと呼吸法を頭に入れて。

 

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神社はひっそりとそしてヒンヤリとしていました。ここで水分をたっぷり補給し、少し休んでいると汗が引きました。

 

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神社から頂上への道は、距離はさほどないのですが、直登の山道として有名で、行く手を阻むような段差が何ヶ所か立ち塞がります。脚力より、腕力が必要とされ、カミさんもそうですが、女性には嫌われている山道です。ここでかなりスタミナをロスします。道は来るたびに、雨で土が流され、荒れてくるようです。私はここでもまた汗びっしょりとなりました。涼を求めに来たはずなのに・・・。

  

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コースタイムより少し時間をかけて8:15、石割山山頂に到着しました。富士山は無風のため霞がかかっていました。朝食と水分をとりながらたっぷりと涼んだため、すっかり汗がひきました。ここでいつまでもじっとしていると涼しいのですが、問題はこの先です。富士山の手前にはこれから歩く山が連なっていて、この尾根を行くわけですが、アップダウンがかなりきつく、おまけに日陰がほとんどありません。また車は登山口に置いてありますので、先に進めば進む程、車までの帰り道は遠くなります。水はポットに入れた氷水2本、スポーツ飲料とペットボトル各1本ずつと、備えは万全ですが、それでも熱中症が心配になり、富士山を眺めながら~きっと多くの登山者が直射日光に閉口しながらモクモクと歩いているんだろうなぁ~散々迷ったあげく、たっぷりと涼んで下山することにしました。

  

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下山の途中、石割神社を5分くらい下った辺りで、大人の男女に引率された男女10人の中学生グループに出会いました。ここまで上るのに暑さでかなり参っているようで、中には水(各自500ml1本ずつ~これは少ない!)を飲んでしまった子もいたようです。聞けば定番の尾根歩きコース(ホテルマウント富士迄)を歩き、更に花の都公園を目指し、初めて歩くとのこと。途中、水場はありませんし、このコースはかなり疲れるコースですので心配になり、私の手持ちの水をすべてさしあげ、へばったら山中湖畔に下るルートが何本かあることを伝えて別れました。もし水がなくなれば何人かは熱中症になるのではないかとしばらく心配でした。皆さん無事ならいいのですが。

  

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夏休みとあって、あちこちで中学生や高校生のテニス合宿が行われていました。私も40代の10年間、山中湖テニス倶楽部という当時名門のテニス倶楽部のメンバーで、ラケットを握っていたことを懐かしく思い出しました。その倶楽部はインドアコート2面、クレイコート10面、ナイター設備を備えた本格的なもので、夏になると、テニス仲間や会社の連中、娘達とマンションに泊まり込んで夢中でコートを走り回りました。熱暑の中、コートに立っている彼等の姿が眩しく写りました。

  

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マンションに戻って汗を流し、時間が余ったので、湖畔を歩こうと思ったのですが、湖畔も風がなく、暑く、あきらめて帰宅することにしました。湖畔では、学習塾の受験合宿の一環としてランニングしている若い子の姿が。ガンバレヨ!

  

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帰りは御殿場IC.から東名高速で戻りました。下り車線は車が多く、帰省ラッシュが始まったようでした。いつも足柄SAで一休みします。ここに新しくできた“たまごや”のロールケーキやプリン、特に最上段の“クッキーシュー”は、我が社の女性スタッフの最もお気に入りです。

かくして、涼を求めるはずが、涼しくなるどころか暑さを体感し、若い連中の躍動に熱くもなった半日でしたが、富士山の姿を目前にしつつ、ちょっぴり涼を得られたことで了としました。

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2011年8月 3日 (水)

ヒマラヤとアルプス 山とトレッキング

アルプスとヒマラヤでは、山の姿がかなり異なり、それらの山々を仰ぎながらのトレッキング風景もかなり異なっていました。

 

アルプスの景観

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シャモニーの街からロープウェイに乗って数十分で見られた雪山とそこに散らばる登山者の姿に衝撃を受けました。街からすぐ近くにこんな世界があるなんて、アルプスがヨーロッパ人にとって身近なものかを実感しました。

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パラグライダーから見たモンブラン。シャモニーからこれまたロープウェイで20分、パラグライダーで飛び立ち10分でモンブラン頂上が目の前でした。

 

 

ヒマラヤの景観

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鈴木さん撮影。自然の美しさと厳しさと挑む人。

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人を寄せつけないような厳しい大自然。そこに貼り付くように暮らしている人々がいました。

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鈴木さん撮影。ヒマラヤはどこまで深くて、どこまで美しいのでしょうか。

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鈴木さん撮影。“孤高のエベレスト”

  

  

ツール・ド・モンブラン(12日間)では、予定コースのすべてを歩くことはできませんでしたが、その分シャモニーでのリゾートライフをエンジョイし、トレッキングではサウンドミュージックの世界もアルプスの少女ハイジの世界も堪能し、パラグライダーでモンブラン見物というおまけまでつきました。いつかまた疲れたときに、ゆったりとした時間を過ごしたいと思ったときに行く機会があればいいなあと思います。

ホテル・エベレスト・ビュー(10日間)では、エベレスト街道のほんの入口に一歩を印しただけですが、ゴーキョ・ピーク(20日間)グループと途中まで同行し、様々な写真や情報をいただき、疑似体験できました。

ヒマラヤは知れば知る程、より高くへ、より深くへ、より遠くへと足を踏み入れたいという衝動に駆られます。今年の秋カラパタール(5,545m18日間:仕事で実現性は5分5分)、来年の春アンナプルナ内院(15日間)、秋にはマナスル(12日間)へと夢は果てしなく広がります。そして夏にはヨーロッパ3大トレイルのひとつツール・ド・モンテローザ(14日間)も行けたら・・・。そんな夢を見させてくれるアルプスとヒマラヤでした。

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2011年8月 1日 (月)

ヒマラヤとアルプス 街道(ロード)

街道歩きから始まったテクテクも、直射日光とアスファルト道路の照り返しが強い夏場は自然に山に向かいました。数年前日本一高い場所の風景はどうなんだろうと富士山にテクテク、それではもっと高いところの風景はどうなんだろうとヒマラヤの入口に第一歩を記しました。更に本場アルプスを巡る道と風景はどうなんだろうと、ツール・ド・モンブラン(TMB)に出かけました。高い山も私にとってはあくまでもテクテクの延長であり、従って山岳風景にも感動しますが、街道(ロード)風景や宿場(リゾート)もとても興味があります。

  

  

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(マッシー伊藤さん撮影)「ヤクが来たら山側によけろ」がヒマラヤ歩きの鉄則だそうです。

エベレスト街道は、おそらく世界一(定義は?)のトレッキングコースであり、街道でもあります。街道ということは人々が往来する生活道路でもあり、行き交う人々に出会うたびに、この人たちの生活に思いを馳せることがしばしばです。

    

    

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TMBは、ヨーロッパ最高峰のモンブランをフランス~イタリア~スイス3国に跨ってぐるっと1周(170km)するヨーロッパ一随一のトレッキングコースで、トレッカーや自転車野郎の観光ロードですので、すっかり観光気分に浸ることができます。

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ナムチェ(3,440m)は、エベレスト街道で最も賑やかな宿場???です。ここから本格的なトレッキングが始まりますので、ここで防寒対策のダウンジャケット(安い)などを買い求める人も多く、私は登山ズボンを購入(帰りに荷物になりましたので、ルクラの現地ガイドさんにプレゼントしました)。ヒマラヤ再訪の折にはダウンジャケットを購入しようと思っています。

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クールマイユールは人口2,800人たらずですが、イタリア有数の冬はスキーリゾート、夏は避暑地です。

   

   

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宿泊したナムチェのロッジ。若夫婦が二人で切り盛りしていて、一生懸命なのが微笑ましく、日本語は話せないようなので、視線が合うとニコニコしていました。

  

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今まで体験したことのないリッチな気分の山小屋でした。TMBでは、山小屋といってもホテルやペンションといった方がいいような宿泊施設が多いようです。

  

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ナムチェのロッジの窓からの風景は、エベレスト街道のまだ入口とは思えない程迫力があり、ヒマラヤを実感しました。

 

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クールマイユールで宿泊した山小屋(ホテル)、想像していた通りのアルプスの風景が広がっていました。

  

  

TMBで宿泊した村は、その多くがリゾート地で、しゃれたレストランや小さなホテルがあり、教会の尖塔の後ろにはなだらかな山が広がっていて、アルプスの3点セットが同じように揃っていました。くつろいでビールでも飲んで何日間かグダグダと滞留するのもいい気分でしょうが、リッチなライフスタイルやリゾートに慣れていないせいか、こんな贅沢いいのだろうかと落ち着かない気分でもありました。この貧乏人根性はどうしょうもありません。

   

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ナムチェのロッジは、生活感があり、馴染んでしまえば、観光客でありながら日常生活を営んでいるような安心感がありました。(但し、更に山奥に入ったロッジではこのような気分を味わうどころではないと思います。ナムチェという街だからこその気分だと思いますが・・・)

この食堂では、昼間トレッキングしてきた宿泊客(外人3人)が、夕方になると三々五々集まってきて、ストーブを囲んで暖をとりながら、雑談したりヘッドランプの明かりで読書をしていたのが印象的でした。とても素敵なライフスタイルだなあと思いました。

カトマンズで何日か喧騒の中をうろうろし、それに飽きたらルクラ(2,800m)からナムチェ(3,440m)まで、(私は飛行機で飛びましたが)次はのんびりとトレッキング(2~3日)で辿り着き、何日か滞在し、天気が悪ければ読書、良ければホテル・ヒマラヤ・ビュー(3,880m)へエベレストを見に行ったり、クムジュン村を訪ねたり、クンデピーク(4,200m)に登ったり、そんな風にしてヒマラヤに馴染めたらいいなあと思ったりもしています。

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