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2013年1月30日 (水)

チベットへの想い 何処へ

チベットの現状はますます深刻化しているようです。キーパーソンのダライ・ラマ14世の命は未来永劫ではなく、やがてその時が来た時、いったいチベットはどうなるのでしょうか。

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ダライ・ラマ14世は、この本の中で私たち日本人に向かって次のように呼びかけてくれました。 “かつて日本人は、第二次世界大戦という絶望の淵から立ち上がりました。空爆と原爆の焦土の灰から新しい国家を再び築いたのです。今回の震災でも、これをきっかけにさらに良い国づくりをする力があると信じています。日本人は、どんな困難にも打ち勝つことのできる、強い精神力と勤勉な国民性を持っているのです。” と。ダライ・ラマ14世は、チベット独立より現実的には“自治権”の確立を求めているといわれています。

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笑顔の若い僧侶達、少年や少女達にどのような未来が待っているのでしょうか。チベット民族の誇りを守ることができるのでしょうか。

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ネパール側から見たヒマラヤとはまた異なった風景といわれるチベット側からの風景を見てみたいのですが。

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昨年から日本人のチベットへの立ち入りが禁止されていて、年末のチベットへのツアーが全て中止になりました。日本人への嫌がらせかあるいは政治的な思惑か。日中関係が尖閣諸島の領有権を巡って一発触発にあり、たとえば戦火を交えることがあった場合、中国の背後でチベット、モンゴル、ウイグル民族が立ち上がることでも怖れているのでしょうか。

現時点ではチベットに入ることができませんが、仮に立ち入りが許可されても心にひっかかるものがあります。第一にうんざりするほど何回も繰り返される高圧的パスポートチェックがあります。第二に中国の圧政に対するチベット人の屈折した心情を見るに忍びないという気持ちがあります。また現在はエベレストベースキャンプへの外国人の立ち入りが禁止されていて、チベット側からエベレストを見たいという最大の希望が叶えられないとしたら残念です。

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2013年1月27日 (日)

鎌倉 巳の日参り

1/27(日)、今日は巳の日で好天に恵まれましたので恒例の鎌倉参りに出かけました。

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自宅を出発して間もなく、曹洞宗の観音寺にお参りしました。ここの伽藍の屋根のカーブが何ともいえず美しいのです。

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この辺りは、かつての庄屋の屋敷がそのまま残っていて、のんびり歩いているとタイムスリップしたような気分になります。

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やがてよく整備された2級河川の阿久和河沿いを歩きました。この川に沿って2時間近く歩いていけば戸塚駅に到着します。

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道端の日だまりに水仙が咲いていました。鎌倉の水仙の名所瑞泉寺では、今年は寒さのためにまだ水仙の開花は見られないとのことですので、この水仙がとても貴重に思えました。

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花が少ないこの時期、目を楽しませてくれる蝋梅(ロウバイ)も貴重な花です。

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戸塚駅近くで阿久和川はこの2級河川柏尾川と合流します。この河はやがて相模湾・江ノ島あたりに流れ出ていきます。

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戸塚駅でJRに乗り換え北鎌倉へ。北鎌倉からは浄智寺への山門前に出ますと、ここから先は京都の嵯峨野のような雰囲気の小径があり、やがて源氏山ハイキングコースとなります。

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源氏山ハイキングコースは、浄智寺山門から源頼朝の像がある源氏山公園まで30分弱の短いコースですが、束の間の山歩き的な気分が楽しめます。

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林間のハイキングコースを抜けると、この日は富士山がきれいに見えました。今年はこの山に何回登れるでしょうか。

好天気でしたので、源氏山公園から由比ヶ浜に抜けて海岸沿いを江ノ島まで歩きたかったのですが、午後から娘夫婦の新居への引っ越しの手伝いがあり、残念ながら富士山を見て引き返しました。空気は冷たいものの気持ちよく晴れあがった日曜日とあって、駅や名刹には多くの人がいました。鎌倉は、観光名所の賑わいもいいのですが、閑かな道を選んで閑かに歩けばそれなりの風情を感じることもできます。

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2013年1月24日 (木)

大山初詣

1/23(水)、ちょっとした時間ができましたので、今年初めて大山に登りました。大山に登るということは参拝と同じ意味がありますので、初詣ということになります。

             

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眠さと寒さに止めようかなあと思いながら起きだし、車を運転して目指す頂が見えてくると、眠気も寒さもいつの間にか消えていました。大山(1,272m)は透けるように白く見え、手前の小山は朝陽の照り返しで紅色に見えました。

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大山阿夫利神社の下社(奥の院は山頂)まではケーブルカーで上ることもできますので、初詣客の姿をちらほら見かけました。

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大山阿夫利神社から見た相模湾は、雲に覆われていてその雲の合間から光(天使の階段というそうです)が海面に反射してキラキラと光っていました。

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登山道で唯一見晴らしがよく、唯一富士山ビューポイントとなっている“富士見台”から、青空が少し見えるものの富士山は雲に隠れていました。

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登山道は途中から雪が固く積もっていて、表面はアイスバーン状態でアイゼンなしには登ることも下ることもできませんでした。アイゼンを装着して固く締まった雪をガシガシといわせて歩くのはなかなか快感でした。

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頂上近くなると雲が少なくなり、青空が多くなりました。この“ブルー”はいつ見ても何回見てもいいものです。

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山頂からの景色は、残念ながらどんよりと霞んでいて寒く、見応えもなく早々に下山しました。行きは男坂を登り、帰りは女坂を下りますと、女坂の途中に大山寺があり、ここでも初参拝しました。

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男坂はひたすらの石段登りで見るべきものが樹々の緑だけですが、女坂には路傍に地蔵菩薩や仏像が並んでいたりして、心を慰めてくれますので、登りは男坂、下りは女坂を歩くことにしています。地蔵菩薩は、俗に“お地蔵さん”といわれていたるところでお目にかかることができ、仏像の中では最も親しまれています。地蔵菩薩ともいわれ、釈迦が入滅後、弥勒菩薩が如来として現世に現れるまでの間、人々を救うとされている実はとてもありがたい仏様なのです。名の由来は、大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされています。一般的には「子供の守り神」として信じられていて、よく子供が喜ぶお菓子が供えられています。

自然の中に入れば“五感が解放される”といわれ、緑や青い空を眺めることは心地良く、世の中の嫌なことを束の間忘れることも、自分を見つめたり “行き方、来し方”を考えることもできます。登山は、自分にとってはリハビリにもなり、夏場の富士山や秋のヒマラヤに向けてのトレーニングにもなります。先週は丹沢に登りました。今年も1~2週間に一回、天候や体調、時間的なゆとりに応じて丹沢か大山に登ることができればいいなあと思っています。

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2013年1月22日 (火)

チベットへの想い 信仰

チベットは、私たち日本人にとって一番身近な宗教“仏教”の故郷のような地域であり、河口慧海も仏教の原典を求めてチベットに密入国しました。チベット人にとっての“チベット仏教”は、たとえ中国に侵略されても譲れない最後の砦であるはずです。それ故に命を賭けての抵抗行動が後を絶たず、そのニュースを目にする毎に心痛みます。

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2011.11記事)チベット僧侶などによる抗議の焼身自殺が頻発し、中国当局も防止策がなく手を焼いているようでした。

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2012.1記事)抗議の焼身自殺防止のために、中国政府は情報統制や高額の奨励金による密告などの強化策をとってはいるのですが。

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18歳の女性僧侶も焼身自殺をしたとのことです。2009年から今日までの焼身自殺者は100人になったそうです。

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チベット族に対する信仰の自由への抑圧だけではなく、中国語教育の押しつけに対しても抗議行動が起こっています。

チベット族の人々の願いは、信仰の自由と母国語を絶やさないことであるようです。ダライ・ラマ14世を含めて人々も、中国からの独立が叶わないならせめて自治権の確立を求めているようであり、そのためには信仰と母国語は譲れない一線です。

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2013年1月19日 (土)

雪の丹沢

1/18(金)、前日の天気予報によると18日は一日中青空がひろがるとのことでしたので、青空と白富士を見に出かけました。

 

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7:30に登り始めて1時間半くらいの所から雪が深くなりましたので軽アイゼンを装着しました。あたりまえのことですが、この日出会った人は全員軽アイゼンを履いていました。先日首都圏で7年ぶりの大雪となり、その雪が丹沢にも降り積もったようです。

 

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冬枯れで葉が落ちた木立の間から稜線が、青空を背景に白く続いているのが見えました。この稜線はヤビツ峠から二ノ塔、三ノ塔を経てこの日の同じ目的地塔ノ岳(1,491m)に至ります。いつかこの稜線を歩いてみたいと思っています。この青空を見ただけで気分はルンルンでした。

 

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頂上まで登らなくても、途中からでも富士山はくっきりと青空を背景に浮かび上がっていました。しばしば頂上に着く頃には雲が発生してしまってその姿が隠れることがありますので、頂上へと心が急きました。

 

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早く頂上へと心は急いだのですが、慣れないアイゼンでの雪道は思うほどペースは上がりませんでした。それでも久しぶりの雪道、天気はいいし、空気は冷たく気持ちよく、楽しみながら登りました。

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急登を頑張って、一山越えたあたりに一気に青空がひろがりました。急傾斜の岩場(この日は一面雪)をフウフウいいながら登りきった先に広がるこの青空が大好きで、この青空を見るために丹沢に来るようなものですので、この日は大満足でした。

             

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丹沢山脈の西側の山々も白く続いていて、青空を引き立てているようでした。新しい年になってから晴れた日には富士山や丹沢、大山などを眺めることができましたが何となく空がぼんやりとしていましたが、この日ばかりは“青空”と言ってもいい青空でした。

 

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一山越えてホッとしたのも束の間、頂上までの最後の登り道、雪は更に深くなりました。

 

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出発して4時間弱、ようやく頂上に着きました。気温は-15℃とかで、風も強く数分もじっとしていられませんでした。ここで昼食をと思ったのですが、下山して暖かいところで食べることにして、写真を撮ってもらって早々に下山しました。大雪の日は-20℃だったそうで、まるでヒマラヤなみの厳寒の山頂です。

 

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塔ノ岳山頂からの富士山は、丹沢山脈の向こうにすそ野まで見ることができ、これが丹沢に来るの二つめの目的です。やはり白い冨士には青い空が似合います。

 

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好天気に誘われて登ってくる人、雪と格闘しながら上を見てはため息をつきつつ頑張っていました。

 

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尾根の細い道では、雪を踏みしめた道が更に細くなっていて一方通行となりました。

 

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丹沢にくる三つ目の目的がこの下山時の景観です。この日は大島まで見ることができ、反対の東側ではスカイツリーまで見えました。今まで何回か登っていますが、最も見晴らしがよく、雪の中を登った甲斐がありました。

 

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お昼近く、気温の上昇とともに雪がシャーベット状になり、スキー場のスロープのような場所ではアイゼンの爪がきかず、おっかなびっくりの下山となりましたが、14:30に滑ることもなく無事に下山しました。

寒い日々、はっきりしない空に出不精になっていたのですが、久しぶりに気分爽快となった一日で、青い空、すそ野を広げた冨士、下山時の景観の“三つのお願い”が叶いました。

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2013年1月16日 (水)

チベットへの想い チベットの祈り、中国の揺らぎ

「チベットの祈り、中国の揺らぎ ティム・ジョンソン/著  辻仁子/訳(2011.10) )は、アメリカの女性ジャーナリストが2003年から6年間北京に滞在してときの見聞を元に書かれたものです。中国当局の厳しい監視の目がある中、ダライ・ラマ14世を始めさまざまな人々によくこれだけインタビューできたものだと感心させられました。

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この本の紹介文(以下)も本文もチベットと中国が抱える課題の全てを物語っています。「驚異的な成長を続ける21世紀の大国。だがその反映の影には、置き去りにされた大勢の人々がいる。深刻化するチベット問題。多発する暴動。広がる経済格差と社会不安・・・この不穏な大陸の将来を読み解くため、著者は危険を冒して取材に乗り出した。苦境にあるチベットの人々、世界を味方につけて中国と闘うダライ・ラマ14世、草の根のリーダー、中国の一般民衆、共産党とチベットをつなぐ一人の女性、各国の支援者など、多くの人々の話から浮かび上がってくる中国社会の実相。そこには一国の領域を超えた、全人類にとっての課題が見え隠れする――。鋭利かつ包括的な視点で中国とチベットの現実を描き、この時代を生きる我々一人ひとりの姿勢を問う本格的なノンフィクション。

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日経新聞(’12.1.8)に、阿古智子氏(早稲田大学準教授)による次のような書評も見られました。「チベット問題を重層的に描き、中国問題全般や国際関係を映し出す鏡ととらえるスタンスが興味深い、非常に読み応えのある本だ。その上、人間や社会の根幹に関わる問いを各所にちりばめている。」

「取材対象はダライ・ラマ14世から、チベット人共産党員、2008年の暴動に関係した人、北京に住むチベット人活動家、ヒマラヤ越えに挑んで亡命する人、亡命先からチベットに戻る人に至るまで多岐にわたる。中国政府も宗教的地位を認めるチベット仏教界ナンバー3のカルマパ17世(2000年にインドに亡命)や約10年もの獄中生活を経て僧衣を脱いだ故パンチェン・ラマ10世の娘からも貴重な話を聞き出している。」

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「中国政府が喉から手が出るほど欲しいものがチベットにある。たとえば、ダライ・ラマのカリスマ性だ。ダライ・ラマが自らの力の移譲と民主化推進を提案しても、人々は法王を特別な存在としてそれを望まない。中国のリーダーにこれほどの権威があれば、どれだけ中国を統治しやすいことか。」

「ダライ・ラマの提唱する宗教的寛容、人道問題や環境保護への配慮は世界の人々の共感を呼ぶ。一方で中国政府はソフトパワーにおいてダライ・ラマの足元にも及ばず、そのプロパガンダは冷めた目で見られている。著者は問いかける。「ダライ・ラマが戦いを挑んでいるのは現代中国のどの部分か」

「しかし、ダライ・ラマに依存しすぎるチベットもジレンマを抱えている。ダライ・ラマ亡き後の未来はなかなか見えてこない。また、中国の金・情報に及ぶ「パワー」は増すばかりだ。経済力を誇示して強引な外交を展開し、サイバー攻撃にも関わっていると言われる。」

「チベットの最期のときを見守るより大事なのは、「中国のふるまいを注視すること」と著者は述べる。中国政府は「安定維持」を理由に言論を統制し、民主化の芽を摘もうとするが、それを中国人は望んでいるのか。共産党政権にとっての脅威はダライ・ラマというより、もはや容易に服従しなくなった国民ではないか。本書は、チベット問題を通して、力を持ち始めた中国が、自らの在り方を一層問われていることを浮かび上がらせる。」

この本によって一番考えさせられたのは、ダライ・ラマ14世のソフトパワーとダライ・ラマ14世に依存しすぎるチベットの現状で、それ故にポストダライ・ラマ14世のチベットがどうなるか、今のうちにチベットを見ておいた方がいいのかなどでした。現在チベットには日本人は入れず、昨年末から新年にかけてのチベットへのツアーは全て中止になったとのことです~中国は何を怖れているのでしょうか、それとも嫌がらせでしょうか。

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2013年1月14日 (月)

雪の散歩道

1/14(日)、全国的な厳冬の中、関東地方にも思いもかけない大雪となりました。雨ではなく雪なら大丈夫だろうと思って、日課となっている散歩に出かけたのですが・・・。

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いつもの散歩コースが、大雪によって全く色を失い墨絵のようなモノクロの世界になっていました。これはこれで風情があると思い歩き始めたのですが、10cm近くに積もった雪は歩きにくく普通の2倍ものエネルギーと時間がかかりました。足を踏み出して雪の上に着地してから力を入れて踏ん張ろうとすると、足は更に深く雪を踏みしめるため2倍のエネルギーが必要となりました。こんな平地でたかだか10cmの積雪でも思うように歩けないのですから、雪山で重い荷物を背負っての登山にはもの凄いエネルギーが必要と思われました。今年は新年早々山での遭難者が相次いでいますが、想定外の大雪に見舞われたら例えベテランでもいとも簡単に身動きできなくなると推測され、やはり冬山は怖いと思いました。

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2013年1月13日 (日)

冬枯れの散歩道

1/13(日)、相変わらずの寒さですが、朝目覚めて日の光が窓から差し込んでくるといつもの散歩コースに出かけていて、今日も2時間弱の散歩に出かけました。

 

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いつも真っ先に目に飛び込んでくるのが富士山です。この時期の富士山は白く美しい姿を見せてくれるのですが、背景の空は霞がかかったようにはっきりしないブルーで何となく心や頭にも霞がかかったようなもどかしい気分になります。ヒマラヤの抜けるような青い空がまだ残影として残っているのかもしれません。

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散歩コースのスタート地点は翡翠(かわせみ)のすみかで、いつもカメラオヤジ達が自慢のカメラでシャッターチャンス~翡翠の小魚捕獲シーン~を狙っています。今日も常連さん達が並んでいました。

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私のカメラと腕前では、じっとして日向ぼっこしている鴨を捉えるのが精一杯でした。

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往路は小さなせせらぎを挟んで左側を歩きます。ここから見る青空が好きなのですが、この日も雲一つないのですが、いまいちのブルーで残念でした。この先の折り返し地点まで小一時間の距離です。

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この小川には小魚やザリガニなどが住み着いているのですが、今はひっそりと川底や小石の陰で春の到来を待っているのでしょう。

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この道はワンちゃん達にも嬉しい散歩道で、さまざまな種類のワンちゃんを見かけます。我が家は夫婦2人きりで留守がちなためワンちゃんを飼うことができず、いつも羨ましいなあと思いながら眺めているのです。

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復路は小川の左側を折り返します。この道には、時期になると彼岸花や紫陽花などいろいろの花が咲いて目を楽しませてくれるのですが、今は目に入ってくるのは枯木や枯れ草ばかりです。それでも冷たい空気を吸いながら、陽射しを感じながら歩くのは気分がいいものです。

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薄いブルーのはっきりしない空も時間の経過と共に青さを増してくるようでした。

このところ毎日、午前中の2時間この散歩道や鎌倉を歩いているのですが、青空はハッキリせず、冬枯れの景色ばかりでカメラを向ける気にならなかったのですが、今日は久しぶりにシャッターを押す気分になりました。

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2013年1月11日 (金)

チベットへの想い 少年に宿るチベット撮る

「少年に宿るチベット撮る」(岩佐寿弥監督 日経20126.29)では、チベット人の人間性や表情にスポットを当てたもので、自信喪失状態ともいえる現在の日本や私たちにとって、座禅を組んでいて後から警策(きょうさく・けいさく)で叩かれたような気がしました。

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「チベット人は顔も姿も感性も日本人と似ている。しかし彼らには媚びへつらい、卑屈という感情が生まれながらにないように見えた。会う人会う人みなそうなのである。ここに日本人と少し違う不思議な感触を覚えた。こういう人々を生む文化とは何なのだろう? それを知りたいと思った。」

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「ダライ・ラマ法王に会った時「日本人の完全主義、何かを欠いたら恥という考えは、実は自己中心主義ではないか? チベット仏教はそういった自己中心主義が育たないよう教育をしている」法王はそのようなことを言われた。そんなチベット仏教の考えが、人々の生活のすみずみに浸透していたのだった。」

「ダラムサラでは映画の主人公を探すため、いろいろなおばあさんに会った。心にひどい傷を受けた方がたくさんいた。しかし私は政治に引きずられたくないし、反中国の映画を作る気はない。」

「私をチベットに引きつけたものは何だろう、と考えた時、ポカラで出会ったモゥモ・チェンガを思い出した。生活を背負い、逆境にあっても祖国の文化を抱きしめるように生きている。そんな姿にひかれたのだ。」

心に大きな傷を受けた人がたくさんいるというチベットの現状を見ながら、反中国の映画を作る気はないという岩佐監督の姿勢は、いかに現状が深刻化しているかの現れではないかと思われました。岩佐監督の信条なのか、反中国という旗幟を鮮明すればチベット自治区はもとより中国にも入国できなることを怖れてなのか聞いてみたいものです。

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2013年1月 9日 (水)

チベットへの想い チベット聖山巡礼行

作家の椎名誠氏の奥方、渡辺一枝さんは現代では最もチベットを旅している人ではないかと思います。しかし彼女がチベットを旅したのは数年前であり、ここ数年間のチベット情勢を推察しますと更に悪化しているようであり、是非彼女の見解を聞いてみたいものです。

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「叶うことならお百度参り/チベット聖山巡礼行」(2006年)は渡辺一枝さんのチベット紀行文です。チベット人への暖かいまなざしの一方、中国への圧政に対する憤りが記されています。

「中学では登山同好会に入った。高校、大学では山岳部だった。ヒマラヤに憧れて、ヒマラヤの向こうにあるチベットには、一層憧れた。結婚して子供が生まれると、気持ちは山には向かわなくなったが、チベットはずっと心にあった。」

「初めてのチベット旅行で、「好き」の理由は見つからなかった。けれども、チベット人といることがとても快かった。言葉も判らないし、私たちの作法と彼らの作法はずいぶん違うようだし、清潔そうではないし独特の匂いさえ放つ人たちなのに、なぜだろうか、ぴったりとそのそばにいたいと思うのだ。「なぜ?」その理由を探しに、チベットに通おうと思った。それから幾度も旅を重ねている。」

                                  

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渡辺一枝さんは、馬でもチベットを旅しました。「1995年には、馬で少し長い旅をした。それまではいつも、目的地までは車で移動した。馬の旅の良いところは、道路を外れて行けることだ。」

「前年のトレッキングでチベット側ガイドとして私たちについたのは中国人だったが、彼はトレッキング中のポーターに雇った地元のチベット人に対して威張り散らすばかりで、ガイドとしてはまったく役に立たなかった。」

「なぜこの山(カイラス、チベット語ではカン・リンポチェ)にこんなに魅かれるのだろう。私は、自分に問うてみる。「聖山」だから魅かれるのだろうか。山にも品性というものがあるのではないか。いや、きっとある。だからこの山は、その品性ゆえにずっと昔から人々に崇められてきた。私の心も、遙か昔の人々の思い出に重なる。たぶん、聖なる地というのは、人知の及ばない大地そのものの品性が自ずと表れて、人を魅きつけるところなのだ。」

「チベットの寺院が徹底的に破壊されたのは中国建国後のチベット支配、宗教弾圧と、さらに1966年から始まった文化大革命によってのことだ。私は中国人の蛮行を憎む。大挙して押し寄せてくる中国人目当ての商売は、あちこちで流行りだしている。」

「食堂から部屋に戻る時に同行した渡辺貞夫さんは嬉しそうに、「いよいよ明日からが聖山への旅だよ」と言った。『バニシング・チベット』とタイトルをつけた写真集も出している貞夫さんは、そこらじゅうが中国化された、手垢にまみれたような大きな町にいては寛いだ気分になれなかったのだ。バニシング・チベット、消えゆくチベット~チベットの文化も伝統も、巨大な波に呑み込まれてしまいしまいそうだ。貞夫さんにとって聖山と聖山巡礼は、消えゆくものが放つ消えない光、その光を目指す旅なのだろう。」

「中国政府は、少数民族の言語や文化、伝統を尊重しているといい、また各民俗の言語教育にも力を入れているというけれど、そして実際に学校でチベット語を教えているけれど、いくらチベット語が堪能に話せても、達者なチベット文字が書けても、中国語が上手に操れなければ、上級学校へ進学できないし、良い勤め先も得られない。共産党員にだってなれないのだ! 「ことば」「母語」は、祖国だ。心がかえってゆく故郷だ。言葉が消えれば、その言葉に依っていた文化や伝統も、また消える。渡辺貞夫さんの写真集のタイトルが、悲しくもチベットの今を言い当てている。『バニシング・チベット』。」

チベットの現状は、時を追うごとに目を覆いたくなるようであり、チベットに行きたいという気持ちの一方で、惨状を目にしたくないという気持ちが強くなりつつあります。トレッキングでは、ガイドやポーターさん達との相性が大きなウェイトを占めます。4回のヒマラヤでは、ネパール人の心優しさ故か優しく気配りをしてくれる人達ばかりで、寒さや息苦しさ、劣悪な居住環境にもかかわらず楽しく過ごすことができました。しかしチベットのトレッキングではガイドとの相性も心配されそうです。

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2013年1月 7日 (月)

川崎大師 護摩焚き

1/6(日)、川崎大師に行きました。毎年、会社とNPO法人の護摩を焚いてもらうために川崎大師に出かけています。いつもは混雑するために10日過ぎに出かけるのですが、3が日を過ぎればいいだろうと勝手に思いこんで出かけました。天気もまあまあでしたのでテクテクと歩いていくことにしました。

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09:17 08:40に出発して先ず横浜駅を目指しました。幹線道路を外れた道を探しながら歩けばこんな小径を歩くこともできます。

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09:38 せせらぎの音が聞こえる小径はやがて大きな川に合流します。この帷子川は横浜中心部に続いていて東京湾に流れ込んでいますので、この川沿いを歩けば横浜駅まで行くことができます。

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10:30 川沿いの道を黙々と歩くのもいいのですが、国道沿いの賑やかな道もいろいろなお店があってキョロキョロして歩くと退屈しません。今回初めて「魚らん亭」という魚の卵ばかりを加工販売しているお店を発見しました。子持ち昆布、いくら、数の子、明太子など好物ばかりを工場直売(こういう言葉に弱いのです)しているので寄ってみたのですが残念ながら休業中で、次回のお楽しみになりました。

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10:47 幹線道路から枝分かれした道や駅周辺では大抵商店街があり、店先を覗きながら歩くのもテクテクの楽しみの一つです。以前マーケティングリサーチの仕事をしていましたので、街中をタウンウオッチングしながら歩くと退屈しません。この商店街から“旧東海道”に合流します。

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10:50 この商店街にある魚屋では、マグロの解体販売をしています。予算と好みを伝えるとリクエストに応じた柵にカットしてくれますのでマグロが食べたい時にはここで買うことにしています。

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11:27 横浜市中心部に入っても“旧東海道”は日本橋に向かって続いています。この辺りは“神奈川宿”があった街で、現在は閑静なマンション街となっています。

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11:28 “神奈川宿”周辺は、坂本龍馬の奥さんのお竜さんが働いていた料亭やフランス領事館、宣教師達の宿舎など江戸から幕末にかけての遺跡や歴史的建造物などたくさんあります。かつてテクテク街道歩きの原点となった“旧東海道”を日本橋から京都へ向かった時歩いた道で、しばらく街道歩きの雰囲気を懐かしみました。

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11:33 “神奈川宿”を抜けると国道1号線沿いを歩くことになります。日本橋まで31km、川崎までは10kmで、1/23はこの道を大学駅伝の選手達が力走していました。ここまで、出発して3時間舗装された道を歩いてきましたので足底部に痛みを感じ始めたのですが、ランナー達は力一杯走っているわけですから足への負担はかなりのものと思われました。

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12:06 国道1号線から15号線にルート変更して国道沿いを歩きますとラーメン屋が軒を連ねているラーメン激戦区となります。お昼時、テクテクと歩いているといつもどの店に入ろうかなと迷っているうちに店がなくなってしまったり、早めに入った後、旨そうな店があったりとお店選びはなかなか難しいのです。今回初めて入った店は、味は濃厚でネギなどの野菜も多めで、疲れた身体にはありがたく中の上くらいでした。

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13:49 ようやく川崎市内に入りました。とはいえここから“川崎大師”まではまだまだ長い道のりでした。

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14:56 川崎市内に入ってから“川崎大師”まで1時間かかってしまいました。境内には行列ができていて、やはり10日過ぎに来ればよかったと後悔しました。

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15:18 早々に参拝して護摩焚きの手続きを終え、帰りは参道を駅に向かいました。駅へと続く参道の両脇には路店がぎっしりと出ていて、特に家族連れや若者達はこの路店が楽しみのようで、行列ができている店もありました。きっとお祭り感覚でこれが楽しみになっている人もたくさんいるようでした。

久しぶりの長距離(25km)、長時間(7時間)のテクテクでした。東海道や中仙道を歩いた時は平均2025kmくらい歩いたのですが、アスファルトなどで舗装された道はかなり足にこたえました。しかし川沿いの道や歴史の道、幹線道路などそれぞれ趣が異なり、タウンウオッチングもできて爽快な気分でした。

川崎大師や鎌倉八幡宮、全国の神社仏閣にたくさんの人が繰り出したようです。恒例行事としての初詣という人が多かったことと思いますが、今年もあるいは今年こそという気持ちで願いを込めて集まってきている人もいるでしょうし、日本を取りまく環境に漠然とした不安を感じている人も多いと思います。今年も平穏無事でありますように。

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2013年1月 5日 (土)

チベットへの想い 「チベットに魅せられた十人の日本人」

ここ数年、自分の心の中でチベットへの憧れの念は強くなっているのですが、この憧れは河口慧海後から綿々と引き継がれてきているようです。

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「西蔵(チベット)漂泊――チベットに魅せられた十人の日本人」 (江本嘉伸・読売新聞論説委員)にみるように、チベットへの憧れは河口慧海後も続いてたようで、河口慧海と同じように鎖国状態のチベットへ密入国した人々がいました。それから半世紀~一世紀後のチベットの現実を、著者は次のように見ています。「北京からの5人の日本人留学生たちは、気持ちのいい若者たちであったが、チベット(の苦しみ)についてほとんどといっていいほど何も知らなかった。日本で出版された「地球の歩き方チベット編」というガイドブックを何人かが持っており、それを頼りに、今日はポタラ宮、明日はチョカン寺というふうに計画を立て、ラサの休日を楽しんでいた。チベットへ航空機で乗りつけ、立派な国際ホテルに泊まり、日本語のガイドブックで名所を見学する。自己の文化を守るためのチベット人の漢人(中国人)への反発、というような内部に沈殿する深刻な問題に目を向けないですむとすれば、そういう結構な時代にいる。だが、旅とはそんなものだったろうか、という思いは残るのである。」

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「チベット偽装の10年は、鎖国状態のチベットに密入国した木村氏の潜入記です。木村氏は帰国後拓殖大学で教鞭をとったそうです。河口慧海以来現代まで歴史がつながっていて感慨深いものがあります。これらの潜入記はノンフィクションの冒険記でもあり、ワクワクしながら読みました。

チベットが人々を惹きつけるのは何でしょうか “閉ざされてきた国ゆえの神秘性、地政学上の重要性、チベット仏教の魅力など、理由は人によってそれぞれあるだろうが、ヒマラヤ山脈の北、天に最も近い所に存在するチベットには、世界の他の地にはない、不思議な吸引力があるのだ” と「西蔵(チベット漂泊)」の筆者は考えています。私はもう一つダライ・ラマの存在があると思っています。

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2013年1月 3日 (木)

新年 御神酒に酔って

健康で新年を迎えることはなんとありがたいことでしょうか。息子や娘達はそれぞれ結婚してマイホームを手に入れ、孫も生まれ、私たち夫婦は自分たちの老後だけを心配すればいいはずなのですが、子や孫の将来を思うとそうもいきません。年末から年始にかけて有り余る時間、何冊かの本を読みました。テクテクの趣旨に反するのですが、御神酒やお屠蘇に酔った勢いで、思ったことを述べさせていただきたく、お正月のめでたさに免じてお許し下さい。

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1冊目の「日本よ、いったい何をおそれているのか」(牛島信2012.9.30)は、現役国際弁護士によるもので、日本経済の行く末、TPPや原発の是非など我が国が直面する当面の問題、更にユーロの行方や米・中・欧に取り囲まれた日本などの世界的な課題に触れながら、私たち国民の心構えがどうあるべきかについて書かれています。

冒頭、著者はこう記しています。「私を含めた多くの人の営みの行われる場所である日本が、どうもおかしいと言われ始めて久しい。格差社会、少子高齢化、子供のいじめ、空洞化、財政破綻の危機、尖閣諸島、年金問題、決められない政治などなど。しかし、1億2800万人の人間は、相変わらずこの日本に生きている。以前ほど幸せではあるまい、という人がいる。私は、大きなお世話だと言い返したい。誰もが、一日一日を必死に生き、ほんの少しの息抜きを楽しんで、明日に立ち向かっているのである。それでも、やってくる明日がどんなものなのか、知りたいのは人情であろう。私の書いていることは、そういうことである。」

多くの日本人が思っているように、「私は思う。国民に選ばれた人に総理大臣をやってほしい、と。国会議員と党員だけで国民抜きで総理大臣を勝手に変えないでほしい、と。・・・選挙で選ばれたのではない首相であることが外交面でも我々の利益を損なっているのではないかと怖れる。」とも書いています。

更に、「国の三要素は、領土と国民と主権だという。ならば、国の独立とは、それを自ら決めることのできる状態、すなわち主権の実質にかかわるだろう。・・・私は、国の独立についてもう一度考える。どうして国の独立が必要なのか、と。それは、個人が幸福に暮らしてゆくためだというのが、私の暫定的な答えである。日本に生まれ日本に育ち、いずれ日本で死んでゆく人間にとって、日本の独立は大切なものである。その個人は、日本の歴史、文化、風土のなかに生きている。世界標準に合わせよという議論は、説得力があって自らそれを取り入れようという気になるものでない限り、要するに余計なお世話である。そうやって生きる人生が、個人の自尊につながる。」

この本は、日本が直面している問題について解決策や結論を提示しているわけではなく、また頭のいい人(東大法学部卒)特有の言い回しについていけない部分もありましたが、今の私たちが立ち止まって、戸惑っている現状を打破するヒントを与えてくれるようでした。

2冊目の「中国は・・・」は、中国南京市に生まれ、日本(名古屋大学大学院)で学び、現在日本のシンクタンク研究員と中国マスコミのコメンテーターとしても活躍している現役研究者によるもので、今後の中国を考える上で大変参考になりました。

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TPP加入と原発の是非については国民投票で決めてもいいのかなと思うほど重いテーマに思われます。TPPについてマスコミの論調などを参考にすれば、世界の自由貿易の流れに乗り遅れてはいけないのかなと思っているのですが、何冊かの本を読みますとちょっと待てよ!という気にもなり、もし今国民投票になったらどちらに選ぶか判断がつきません。また原発については(極めて個人的ですが原発関連の仕事をしてきましたので)、どちらかといえば肯定的に考えていたのですが、これもちょっと待てよ!状態です。仮に脱原発であるならば、代替策が示されそれに納得できればそれもありと思うのですが。折しも政権が代わり、憲法改正なども判断すべき課題として私たちに突きつけられます。どのテーマについても判断ができないのが現状です。

先の「日本よ、いったい・・・」では、私の戸惑いを見透かすかのように「しかし、私は、問題は国のレベルにあるのではなく、個人の独立というもっと下の部分にあるような気がしてならない。つまり、日本人はなにかしら重要な判断をするに際して、個人として独立判断をする気構えがあるのかどうかということである。それがなければ、国の独立を論ずる以前のことになる。国が先か個人が先か。私は、国が不足であるからといって、個人についてないがしろにする気持ちにはなれない。何にしても個人から始めるしかないと思うからである。・・・一身独立して一国独立す・・・福沢諭吉はどこにいるのか?」と心臓にグサッとナイフを突きつけられようなご指摘、お正月気分も吹っ飛びそうになりました。

何も考えずに、気の向くままテクテクと漂泊できたならばなんと幸せなことでしょうか。時には日本の行く末を考えながら、時には立ち止まって、今年もテクテクと、できるだけ幸せな時間を持てればいいなあと思っています。安心してテクテクできる日本であってほしいと思います。

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2013年1月 2日 (水)

新年 初詣

1/2(水)、昨日は富士山ビューに出かけましたので、今日は近所のお寺に初詣に出かけました。

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鎌倉への散歩道の途中にある観音寺は自宅から20分くらいの所にある禅宗のお寺です。門をくぐると本堂の手前に伽藍があり、いつもは扉がぴたりと閉じられているのですが、毎年この時期には扉が開けられています。

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伽藍のなかには大小たくさんの仏像が安置されていて、最初に金剛力士像が出迎えてくれます。

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様々な仏像達も並んでいて、ヒマラヤ歩きでご無沙汰している彫刻の参考になりました。

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更に裏側に回ると、涅槃像が横たわっています。インドの南端の海に突き出た先にある熱帯のスリランカから渡ってきたとのことです。

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日本の仏像は古さを感じさせるほどありがたいのですが、海外のほとんどの国は金ぴかであったり極彩色であるほどありがたいそうです。こんな風に、穏やかな表情で横になって成仏できたらいいでしょうね。

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地域の氏神様である熊野神社にも詣でました。新年にしか境内に入ることはありませんので、この空間に足を踏み入れた時が最も新しい年を実感する瞬間です。

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本堂の奥には、七宮が祀られていて、ここでも手を合わせてようやくお正月の行事が終了し、この後、子や孫達がスネをかじりにくるのを待つばかりとなりました。

昨年の今頃はヒマラヤにいましたので、今年は初富士を見に行ったり、初詣に出かけたり、お屠蘇やおせち料理をいただいたり、我が家で正月気分に浸っています。今年も無病息災でいたいものですし、日本も明るい話題が多くなり少しでも元気が出ればいいなあと思います。

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2013年1月 1日 (火)

新年 初富士・初夢

あけましておめでとうございます。新しい年が始まりました。空が晴々としていましたので、じっとしていられず初富士を拝みに行きました。

 

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早朝車を飛ばし山中湖に着くと、湖畔には既にご来光を仰ごうと夜明けを待っている人達が佇んでいました。

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湖畔の駐車場近くには、更に多くの人が紅富士の登場を待っていました。若者達はいつの時代もいやはや!です。

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朝陽が昇ると富士山の頂上が赤く染まる紅富士、今日は太陽に雲が少しかかっていたため薄紅色で艶っぽい富士の姿でした。

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陽が冠雪した峰に照りつけ、空の青と峰の白とのコントラストが鮮やかになりました。

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折角ですので、石割神社で初詣をして石割山に登って初富士と対面することにしました。登山口の鳥居をくぐると403段の石段が待っています。

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すっかり葉を落とした木立の間から富士山を見ることができました。春になると冨士にオーバーラップした桜の蕾や花びらを眺めることができます。

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石割神社は近年パワースポットとして注目されていて、今日も地元の人の他に山ガール達が来ていました。御本体である大きな石の後には30cmくらいの隙間があり、3回廻って願い事をすると叶うということでしたので、新年でもあり3回廻りました。

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石割山山頂(1,413m)からは富士山と真向かいにご対面できます。久しぶりの青空とスッキリとした富士の姿にいい年になりそうな気がしました。

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遙かに南アルプスも見通すことができました。

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冨士の左の裾野に2つのコブがあり、その宝永山と二つ塚もはっきりと見え、雪を刷毛で丁寧に掃いたような白いスジがありました。

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久しぶりにスッキリとした富士山にお目にかかれました。気高くどっしりとしていて、今年も日本や私たちのことを日本一高いところから見守ってくれることと思いました。

新年早々富士山の秀麗な姿を見ながら今年のテクテクに想いを馳せました。ヒマラヤ(マナスルを見てみたい)にも行きたいし、チベット側からヒマラヤを見たいし(日本人のチベット入りは禁止されていて年末・年始のツアーは全部ストップしたとのことですから現実的には無理)、ヒマラヤとは尺度が異なるスケールの大きな自然も見たいし、日本のいくつかの山にも登りたいしと夢は広がります。当面2月は南の島(奄美大島と沖縄の離島)へ、3月は仕事、4月はパキスタンのカラコルム&フンザが決定していて、それ以後は仕事と睨めっこということになります。K2に連なるカラコルムや世界一のあるいは最後の秘境といわれるフンザ、シルクロードの果てと言われるフンザには数年前から行ってみたいと思っていたところです。今回のカラコルムではK2に近づくことができませんが、仕事との調整がうまくいけば夏にバルトロ氷河を越えてK2を見に行けるかもしれません。と、夢は広がります。

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