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2013年2月28日 (木)

南の島 ホエールウオッチング

2/20(木)、前日空振りしたクジラ発見のリベンジのため予定より早めの出発となりました。渡嘉敷島に渡り、クジラ情報に注意しながらの島内観光で、午後には那覇経由で久米島に行く予定でしたので、ホエールウオッチングに残された時間は数時間でした。

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社長さんのプレジャーボートは、ラストチャンスのクジラ発見を求めて勢いよく座間味港をスタートしました。小島の間の水路はまだ波も比較的穏やかで、海水の色もエメラルドグリーンに近く、これで日が差し込んだらさぞかし素晴らしかっただろうと、何回も何回も思いました。

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先ずは、美しい海水の色をしている渡嘉敷島漁港に着きました。

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マイクロバスで高台に上り、鯨海峡を眺めました。全員でクジラの潮吹きを探し求めましたが、波はなく、海面は穏やかで、見晴らしはよかったのですが、クジラがいそうな兆候はまったく見られませんでした。

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渡嘉敷島で最も美しいといわれる“阿波連(あわれん)ビーチ”で、4月末頃から海水浴ができるそうで、7、8月は暑すぎてビーチを素足で歩くこともできないそうです。ビーチサンダルが必要で、沖縄ではビーチサンダルではなく“島ぞうり”といいます。

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クジラがいそうだという情報で、急遽ボートに飛び乗りました。外海に出ると海の色は濃紺で海の深さを思わせました。

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クジラを求めてあっちこっち、波にもまれているうちに船に乗り慣れない人はグッタリしていましたが、船長さんの“全員で360度見渡してください”という合図で全員身を乗り出して、海面を見渡しました。

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船に強い人は2Fデッキに上がり、船体がゆら~りと揺れるのもいとわず、じっとカメラを構える人もいました。

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ようやくクジラの潮吹きを発見しました。霧状の呼吸跡は風に煽られあまり高くは上がらずぐにかき消されてしまいました。一度息を吐いた跡、子クジラは10分、親クジラは20分くらい海中に姿を消し、次にどこに浮上するかわかりませんので、その間じっと海上を見つめていて、クジラと根比べでした。

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親子の2頭連れでした。どこに姿を現すかわからず、一瞬の間にその姿をとらえるのは、私の腕ではとても難しく、尾びれや背びれを何とか撮すことができました。しかしそれは肉眼でみたシーンの1/5程度でした。最も期待したジャンプは見ることができませんでしたが、それでも荒海を悠々と泳ぐ勇姿を見られたことは満足でした。

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クジラ発見で最もホッとしていたのは船長さんでした。ホエールウオッチングの後、ホテルで朝食をとり、フェリーで那覇に向かい、那覇からは飛行機で久米島に飛ぶことになっていましたので社長さんとはお別れとなりました。心やさしく、印象に残る社長さんでした。フェリーが島を離れる時は桟橋でいつまでも手を振り合いました。

10年くらい前にここでダイビングをした頃がダイビングの最盛期だったそうで、現在はホエールウオッチングが観光の目玉になっているようです。周辺の島でもホエールウオッチングに取り組んでいて、いわばクジラの取り合いになるわけで、クジラの発見率・遭遇率を高める必要があり、座間味村が最も力を入れているようです。

個人的には、クジラは食べるもので見るものではないと思っていましたので、ホエールウオッチングにはイマイチ乗り切れなかったのですが、船長さんや他のツアー客が必死になっている姿にいつの間にか同調してしまいました。いざクジラを発見して、荒海の中を悠々と泳ぎ、潜行する巨体を見れば理屈抜きに感動し、クジラが愛おしくもなりました。それでも美味しいクジラを食べたいという気持ちに変わりがありませんが・・・。

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丹沢 雪融け

2/28(木)、今日で2月も終わりです。天気が良さそうで、気温も少し暖かめということでしたので丹沢・塔ノ岳に登りました。

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少し早起き(4:30)して、6:30に登り始めました。日の出の時間も早くなったようです。

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積もっていた雪が溶け、登山道は泥沼状態になっていました。

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ここまで登ってきて見上げる空の色が好きなのですが、ぬけるような青空ではなく残念でした。前回来た時にはこの辺りはかなり積雪があったのですが、雪は溶け、地肌がむき出しになっていました。

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頂上近くではまだ雪が残っていて、アイスバーンが溶けた状態になっていましたのでアイゼンなしでは歩けませんでした。

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10:14順調なペースで頂上に着きました。何となくのはっきりしない青空で、富士山は全く見えませんでした。

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頂上に安置されている聖観音達は雪に埋もれていましたが、雪が溶け、姿を現しました。

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すっかり葉を落とした木立もやがて春になれば芽吹き、花を咲かせることでしょう。春の訪れが待ち遠しくなりました。

南の島では、飛行機、船、バスの移動ばかりで足がすっかりなまってしまいましたので、久しぶりに出かけた山登りでした。かなり雪が溶けていて、春の予感がしました。

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2013年2月27日 (水)

南の島 慶良間諸島

2/19(水)、座間味島に上陸して早速、クジラの情報に聞き耳を立てながら島内観光と慶良間諸島巡りをしました。

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マイクロバスで島の高台に上ると座間味港やその先に慶良間諸島などを眺めることができました。大小の島々が重なるように連なっていて、座間味港が天然の良港であることがわかりました。

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展望台では座間味村の職員がクジラを探していて、その情報が逐次船長さんの携帯に入るようになっているようでした。

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船長さんの船でクジラ情報を気にしつつ阿嘉島に上陸し、橋でつながっている慶留間(げるま)島や外地(ふかじ)島を巡りました。もし天気が晴れていれば“慶良間ブルー”といわれる海の青さを見ることができたはずで残念でした。海の姿はいかにも魚の宝庫という印象で、ダイビングしたらさぞかし素晴らしいだろうと、ちょっぴり後悔の念も。

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再び船長さんの船で、クジラ探しに出かけました。クジラ監視員からはあまりいい情報が入っていませんでしたが、何とか自分たちで見つけてみようと船長さんは張り切っていましたが・・・。

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クジラが出そうな海域や隠れていそうな島影を小型船は走り回りました。空には雲がかかっていて何となく見通しは悪く、外海は波もあり、最悪のコンディションの中、全員で目を皿のようにしてクジラが吹き上げる“潮吹き”を探し求めましたが、残念ながら空振りとなり、何人かが船酔いとなり、全員グッタリとして座間味港に帰還しました。

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船長さんは、お手上げのポーズなのか、クジラよ出てこいというおまじないなのか両手を挙げていました。悪天候もクジラが姿を見せないことも全て自分の責任のように恐縮していて、お気の毒でした。翌日もう一回チャレンジすることになっていますので、私たちも自分たちがクジラを見ることよりも船長さんのためにクジラよ出てこいと祈る気持ちになりました。

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ホテルでの夕食後、島唄のライブが行われ、再び船長さんが登場しました。三線と太鼓の響きは素晴らしかったのですが、共演者は近くに住むおじさんとのことで、かなり人手不足のようでもあり、島唄はやはり島娘さんのオクターブが高い伸びのある声で聞きたいものだと、泡盛を飲みつつ思いました。

前回座間味に来た時には、夕暮れに浜辺に出て潮風に当たっているとどこからともなく三線の響きが聞こえてきたことを最も印象深く覚えていて、それがどこの浜かが全くわからず、今回は同じような雰囲気を味わうことができず残念でした。

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南の島 座間味へ

2/19(水)、ツアー3日目は座間味へ向かい、その後慶良間諸島を巡りながらホエールウオッチングという忙しいものでした。座間味は10年くらい前にダイビングで来て以来2回目です。

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那覇の泊港から8:30発の高速艇に乗り、座間味へ出発しました。フェリーだと2時間かかりますが、高速艇ですのでその半分の1時間の所要時間です。高速艇はいかにも速そうな船体をしていました。

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高速艇が静かに港を離れ、昨晩宿泊したホテルを後にしました。

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高速艇は外海に出ると快速で海上を走りました。黒い雲が後から追いかけてくるようでもあり覆い被さってくるようでもあり、天気予報通りあまりいい天気は期待できませんでした。

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予定通り約1時間で座間味港に入港しました。天気は回復の兆候が全くなく気分は晴れませんでしたが、島に上陸するのは何となくワクワクしました。

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下船すると宿泊先の“シラハマアイランズリゾート”の社長さんが待ちかまえていて、座間味島や周辺の島々のこと、これからのスケジュール、ホエールウオッチングのことなどを説明してくれました。社長さんは、本業の他にガイドもマイクロバスの運転手も船長もこなすマルチタレントでした。まあそれだけ人手不足ということもできますが。

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宿泊は“シラハマアイランドリゾート”というホテルで、座間味で部屋にバストイレ付きのホテルがあるとは思いませんでした。このホテルは大活躍の社長さんのホテルです。

座間味は2回目で、前回はとても質素な民宿に泊まって、美しい海と海底散歩を楽しんだ記憶があるだけで、素朴な島という印象だけが残っていて、港の風景や集落などの様子は覚えていませんでした。今回は島のことをじっくりと知ることができそうでした。

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2013年2月26日 (火)

南の島 那覇国際通り

2/18(月)、奄美大島から沖縄本島那覇市に渡り、翌日の移動に備えました。

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夕方那覇市内のホテルにチェックインしました。窓からは泊港を一望でき、フェリーが出たり入ったりしているのを見ているだけで飽きることはありませんでした。

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夕食まで時間がありましたので、沖縄一の繁華街国際通りに出かけました。沖縄といえば泡盛で、中でも古酒(クース)はアルコール度数40度以上と高いのですが、味はまろやかでお勧めです。

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“波照間”という居酒屋。できたらホテルの食事をやめてこういう居酒屋で好きな泡盛と料理をオーダーしたいのですが、ホテルの料理をパスするのはもったいなく、居酒屋はあきらめました。

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もう一つ入りたいと思っていたのが“島唄三線ライブ”で、三線の響き、伸びのある歌声、独特の節回しなど沖縄の歌を生で聴いてみたかったのですが、料理付きなのと時間が決まっているためにこちらもあきらめました。

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沖縄の土産で人気があるのが“紅芋タルト”で、たくさんのメーカーが作っています。最も美味しいと評判なのが“お菓子御殿”とのことでしたので、お土産に買いもとめました。

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国際通りの中で最も賑わいをみせていた古拙市場への市場本通りです。平日ですが、夕方でもあり多くの人が出ていました。

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牧志公設市場の入り口では“おばあ”と観光客が話をしていました。

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沖縄には本土にない食材がいろいろあり、ここで海ぶどうと島らっきょうを買いました。夕食後に食べましたら両方ともかなり美味しくいただきました。

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沖縄の魚介類も色が鮮やかだったり形が独特だったり、見ているだけでも飽きませんでした。

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ホテルに戻って夕食を済ませ、部屋に戻るとすっかり陽が沈んでいました。翌日はこの港から座間味港に向けて出発です。

奄美から座間味への中継地として沖縄本島に立ち寄りました。定番の観光コースの国際通りは何回も来ていますのでパスしようと思ったのですが、結局出かけました。ブラブラとウィンドウショッピングをしているとどこからか聞こえてくる島唄や沖縄民謡に次第に気持ちは沖縄モードになりました。

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2013年2月25日 (月)

南の島 さらば奄美

2/18(月)、ツアーコースを外れて西郷南洲潜居跡を訪れた跡、再びタクシーでツーの皆さんと大島紬村で合流しました。

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大島紬村では、紬織実演や展示、即売会などが行われていました。景気がいい頃に比べると紬の価格が半分くらいになってしまいそれだけ収入が少なくなっているとのことで、そういう話を聞くと寂しくなりました。

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紬村には、工場や資料館、販売館などいくつかの建物がありました。申し訳ないのですが、紬にはあまり興味がありませんでしたので、よく整備された敷地内をウロウロと散策して時間を潰しました。

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ツアーの行程はぎっしりと詰まっていて結構忙しく、紬村敷地内にある休憩所でのんびりとしている時間がとても貴重な時間でした。

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大島紬村から“ばしゃ山村”という観光スポットに移動しました。白い砂浜できれいな海岸でしたが風が強く、長時間ぼ~~っとしていることができませんでした。

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ちょうどお昼時になり、“鶏飯”を食べました。奄美大島の名物料理で、鶏のささみなど5種類の具を丼飯の上に並べ、その上から鶏出し汁をかけていただきました。鶏のだし汁が決め手のようでした。天皇陛下ご夫妻も召し上がったとかで、美智子妃殿下はお代わりをしたそうで、私も美味しくいただきお代わりをしました。

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食後は海岸が強風のため、近くの散策路をのんびりと歩きました。何の変哲もないこういう路をゆっくりと歩くのもいいものでした。

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午後、奄美空港14:00発の琉球エアコミューターで沖縄本島那覇空港に向けて出発しました。シーサーのマークが目印のプロペラ機で、所要時間は1時間10分でした。

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機は予定通りのフライトで、沖縄本島に近づきますと環礁が見えました。沖縄本島は他の島への中継地としての立ち寄りでした。

奄美大島は大きな島(3番目)ですので、一泊したくらいではほんの一部を見ただけでしたが、奄美の雰囲気を味わうことはできました。何より西郷南洲潜居跡を見ることができ満足しました。

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2013年2月24日 (日)

南の島 奄美の花たち

本土の気候は10℃以下で、冷蔵庫状態とのこと。ここ奄美は日中は24℃、夕暮れ時で20℃くらいでやはり南の島です。一番目を奪ったのは、色濃く咲いている花々でした。

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これらは本土でも季節が来れば花開くものばかりですが、この時期に見る花たちは生命力に溢れていて、元気をもらいました。

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南の島 西郷南洲

2/18(月)、ツアーで最初の夜が明けて、前日に続いて奄美大島の島内観光に出かけました。

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観光予定には西郷隆盛の遺跡めぐりが入っていませんでしたので、タクシーを呼んでツアーの皆さんと別行動をとりました。西郷隆盛の住居跡は、海のすぐ近くにありました。青い空とエメラルド色の海が気持ちいい眺めのいい海辺でした。

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西郷隆盛は、坂本竜馬と共に明治維新の最大の立役者といわれています。新政府では陸軍大将という最高の位階を極めたのですが、下野しその栄誉を捨て、西南の役では新政府と戦うことになりました。隆盛の終焉の地、鹿児島市内の城山には訪れたことがありましたので、幕末の表舞台に出る前に暮らした奄美大島には是非訪れたいと思っていました。

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奄美大島には、1859年に年六石の扶持(報酬)が与えられて蟄居し、3年間住みました。その住居は想像通りの佇まいでした。

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西郷隆盛は、この島で比較的裕福な農家龍一族の娘愛加那という妻を迎え、現在ではその末裔の龍昭一郎氏が住居跡を守っていて、よどみのない説明をしてくれました。龍さんの表情は穏やかで、奄美の人の顔立ちをしていました。

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室内はいたってシンプルで、ここで島の妻愛加那とひっそりと暮らし、2人の子をなしました。気候が温暖の地であり、暮らしやすかったろうと思います。3年後に隆盛が鹿児島への期間を命じられた時、愛加那は島の掟により島から出ることが許されず、2人の子供は鹿児島の西郷家に引き取られました。

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西郷隆盛が実際どういう顔をしていたかは謎で、現在一般的に知られている肖像は後世描かれたものです。坂本竜馬は写真が好きで実像が残されていますが、一方隆盛は写真を撮られると魂が抜かれるといって嫌がったという逸話が残っています。

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隆盛が奄美に住んでいた当時、薩摩藩の年貢(サトウキビ)の取り立ては過酷なものだったそうで、隆盛は心を痛め、島民のためにかなり尽力したそうです。後年幕末の表舞台に躍り出、西南の役で没することになるのですが、この島での3年は最も幸せだった時期かもしれません。

隆盛は奄美から鹿児島に戻った後、藩主の島津久光の怒りに触れ、徳之島や沖永良部島に島流しとなり、この南の島での文筆活動で使ったのが南洲で、いわばペンネームともいえます。また晩年は新政府に対して反乱を起こした罪人となりましたので、西郷びいきの人は隆盛ではなく南洲という名前を好んで使っているのではないかと推測したりもしました。

隆盛の潜居跡はツアーの観光コースにはなかったのですが、単独行動をしてでも訪れたかった遺跡でした。数坪の小さな寓居でしたが、隆盛が幸せに暮らした地に立つことにより、150年ほど前の激動の歴史に想いを馳せることができました。

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2013年2月23日 (土)

南の島 日本のゴーギャン

2/17(日)の午後、奄美大島に上陸して主な観光地を巡りました。特に奄美大島で人生を全うした異端の天才画家田中一村の絵画鑑賞を楽しみにしていました。

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私たち21名を乗せた観光バスは、先ず奄美の海の絶景ポイント“あやまる岬”に向かいました。ここの地形が「まり」のように似ていることからその名がついたといわれ、珊瑚礁のリーフに囲まれた海をダイナミックに眺めることができ、東の水平線には平家物語で俊寛が流された逸話が残されている喜界島を見ることができました。海の色は、濃厚な海水を思わせる紺色に近いブルーで、海底には大物の魚が棲んでいそうな雰囲気でした。

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次に“奄美パーク”を訪れました。ここでは奄美の美しい自然や多様な文化、歴史をビジュアルに紹介していました。奄美の古民家にはおじいが坐っていて、気軽に写真撮影させてくれました。非常によくできた人形でした。

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館内のビデオでは、島娘が三味線片手に島唄を歌っている画像が流されていました。今回のツアーでは、日が暮れかかった夕暮れ時に、日中照りつける太陽によって温められた砂浜に腰を下ろし、芋焼酎飲みながらどこからか流れてくる島唄と三味線を聞きたいと思っていたのですが・・・。

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“奄美パーク”と隣接して、長い回廊の先に“田中一村記念美術館”がありました。南の島の空は青く、気持ちのいい暖かい陽が輝いていました。

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田中一村は、栃木県出身で神童といわれ、現芸大を卒業した天才画家です。昭和3350歳で奄美大島に移住し、ここでひっそりと一生(享年69歳)を終えた孤高の画家で、この美術館には彼の作品が展示されています。奄美大島という素朴な島に似つかわしくなく洗練された建築デザインにより、ここに一歩足を踏み入れたとたん別世界に入ったようでした。

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田中一村の作品は、亜熱帯の植物や動物をモチーフとしていて、画風は繊細で独特のタッチです。日本のゴーギャンともいわれていて、2006年に田中一村の生涯を描いた映画(榎木孝明主演)“アダン(熱帯・亜熱帯の植物)”が公開されました。画像は、作品の撮影が禁止されていましたので、絵葉書をスキャナーで取りこんだものです。

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17:00にホテルにチェックインしました。部屋はオーシャンビューで、目の前には平らな岩礁の浜辺が広がっていました。雲が風に乗ってゆったりと流れていました。

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17:39、プールサイドの葦か萱でふかれた小屋にはわずかに夕陽が当たっているようでもあり、波の音は聞こえず、わずかに風がそよいでいて、南の島の夕凪の一時でした。

10℃以下の横浜から20℃以上の奄美大島に飛び、ゆったりと半日を過ごし、ホテルからぼんやりと海を見ていると次第に心も身体もほぐれていくようでした。

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2013年2月22日 (金)

南の島 奄美へ

2/17(日)のお昼前、ゆっくり目のフライトで奄美大島へ向けて出発しました。今回のツアーは「もうひとつの沖縄 慶良間諸島、球美の島 久米島、そして奄美大島9島めぐり 5日間」で、参加者は8組の熟年夫婦、2組の親子、1人参加者の総勢21名でした。

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横浜駅から羽田空港まではリムジンバスで。天気は快晴でしたが薄く靄がかかっているようでした。

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定刻の11:40に羽田を飛び立ったJAL1955便。離陸して間もなく、川崎と千葉県木更津を結ぶ東京湾横断海底トンネルアクアラインの通気孔が眼下に見えました。帆船をイメージしてつくられたこの建造物は上空から見るとイメージ通りでした。

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機は太平洋岸に沿って南下しましたので、江ノ島が眺められ、まるで遊覧飛行しているようでした。

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江ノ島のむこうに馴染みのある大山、丹沢が見え、その先には富士山が見えました。少しずつ空は靄が濃くなりつつありました。

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2時間半のフライトで、憧れていた奄美大島が見えてきました。来たいと思っていてなかなか来る機会がなかった島でしたので、じっと島を見ているうちにあっという間に着陸しました。

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飛行機を降りて空港内に入ると早速、奄美名物の“鶏飯(けいはん)”の文字と奄美方言の“ゆてぃもれ(寄っていらっしゃい)”という店の名前が飛び込んできました。奄美を実感した瞬間でした。

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空港の表看板もローカル色豊で、気温も24℃と暖かく、やはりここは南の島でした。

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空港の外では、大型観光バスとガイドさんが待っていてくれました。ガイドさんは髪の毛も眉毛も濃く、はっきりとした目鼻立ちで、奄美生まれの奄美育ちの島娘さんでした。

奄美大島は、本州を除けば沖縄本島、佐渡島に次いで3番目に大きな島で、日本一日照時間が短いそうです。鹿児島県の島ですが、心理的には沖縄より遠く、南の果ての島というイメージでした。それだけに憧れが強く、今回のツアーで最も楽しみにしていた島でした。

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2013年2月17日 (日)

南の島へ

2/17(日)~21(木)の5日間、南の島へ、久しぶりに海を見に行ってきます。海外ですと多少緊張しますし、ヒマラヤとなるともう不安だらけですが、国内ですので、飛行機に乗るのがカミさんと一緒というのがちょっと不安という点を除けばかなりリラックスして出かけることができます。

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沖縄方面にはダイビングで沖縄本島や小浜島などには行ったことがありますが、今回は最も行ってみたいと思っていた鹿児島県奄美大島や久米島、慶良間3島など9島をめぐるということで、楽しみにしています。ツアーですので自由がきかないということはありますが、飛行機や船の乗り継ぎなどの手配を一切しなくていい分気楽です。

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離島巡りで、個人ではなかなか行きにくいいくつかの島を訪ねます。海の中はどうなっているのだろうかとか、きれいだろうなあとは思うのですが、今回はダイビング(もう止めました)をするわけではなく、シュノーケリングもするわけではなく、ただただぼ~~っと海を見ているだけです。どんな旅になるやら・・・。日曜のゆっくり目の飛行機に乗って、のんびりと行ってまいります。

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2013年2月16日 (土)

雪と囲炉裏と温泉 名残雪

2/4から温泉三昧の3日間でした。山奥にひっそりと息づく平家の落人の里にシンシンと降る雪を期待して出かけたのですが、最初の2日間は快晴で雪融けが始まる始末でした。湯西川を去る3日目にようやく夜明け前から待望の雪が降ってくれました。

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2/6(水)、目覚めると、窓際の囲炉裏もどき越しに細かな雪が音もなく舞っていました。何もしないでこの雪を見ながら、ぼんやりしていたいと思っていたのですが、残念ながらこの雪景色ともお別れでした。

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遠くを見れば、降りしきる雪で木立がぼんやりと霞んでいるようでした。

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帰りのバスの車窓からの風景も、まったく墨絵の世界となりました。

“名残雪”とは、季節外れの雪とか春に降る雪とか、あるいは別れの場面を演出するパラパラと短い間落ちてくる雪など、いろいろな解釈があるようですが、帰る日に降る雪は私にとっては“名残雪”でした。

以前訪れた湯西川温泉は、いかにも落人の里という雰囲気がありましたが、久しぶりの湯西川はかまくら祭や湯西川沿いのキャンドルやライトアップ、宿泊した“平家の庄”など、演出過多という印象もありました。しかし平家の末裔の皆さんが、平家の伝統を守りつつ、時代の流れにも寄り添っているわけで、とやかく言うことではなく、旅の楽しみである非日常体験や“雪と囲炉裏(料理)と温泉”を十分楽しませてもらいました。

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2013年2月15日 (金)

雪と囲炉裏と温泉 囲炉裏焼

料理は、囲炉裏焼とも狩人(またぎ)焼ともいわれるもので、“平家の庄”では“炭火囲炉裏膳”と称していした。

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食事処は個室で、囲炉裏があり、串に刺した川魚や鳥の肉が炭火でこんがりと焼かれていました。この炭火でキノコ鍋や猪鍋も焚くことができます。

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この宿には二連泊しましたので、どのように料理が変わるか楽しみにしていました。1泊目は、鳥の肉やヤマメなどでしたが、2泊目のこの日は岩魚(ヤマメと岩魚の姿も味もその違いはわかりませんでした)、ミニステーキ(かなりレアで絶品でした)、椎茸などで1泊目と同じものは一つもありませんでした。

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囲炉裏で焼ながら食べる串焼き以外に、副菜や鍋物、ソバなどかなりの品数が出てきました。サーモン(あるいはマスかも)がとても美味しく、他の副菜なども全体に薄味で素材の旨味を味わうことができました。

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オプションで“岩魚のいきつくり”をオーダーしました。岩魚のいきつくりは大好物で、山あいのホテルや宿に泊まった時には必ず注文しています。なかなか旨いというものに出会えなかったのですが、久しぶりに歯ごたえのある岩魚の勢いのある味に出会いました。

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お酒は、1泊目は濁り酒、2泊目は竹筒に入ったお酒を炭火で温めて飲む“若竹酒”をオーダーしました。この日は若竹酒と共に“鹿刺し”をオーダーしようとしたのですが、この日はメニューに入っていました。さっぱりしていますが、味は特にどうということはありませんでした。

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朝食は、山菜中心の和食バイキングで、これが何ともいえず美味でした。山菜は特に好きでもなく嫌いでもないのですが、味付けが絶品でした。定番のだし巻き卵、山芋、ナメコおろし、シラスおろし、サーモン(マス?)などどれも美味しく、また前日とは異なるメニューもあり、連泊でも飽きがこないように工夫されていました。

囲炉裏焼や副菜、朝食バイキングどれをとっても味付けが薄味でとても美味しく、係の女性に“味付けは平家伝来の薄味ですか?”と聞いたのですが、“さぁ~~”という返事が返ってきました。それはどうでもいいことで、連泊の場合の工夫というか配慮が見事でした。

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2013年2月14日 (木)

雪と囲炉裏と温泉 温泉三昧

湯西川に行った最も大きな目的は温泉でした。何もしないで温泉に浸かるだけでもいいと思って出かけました。

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宿泊した“平家の庄”は、最近の宿がそうであるように温泉にも力を入れています。大浴場といくつかの露天風呂(有料)がありました。

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大浴場は、それほど大きくはありませんでしたが、ほどほどの大きさで、露天風呂もあり、混み合うこともなく十分寛ぐことができました。結局2泊3日で10回くらい入りましたが湯あたりはしませんでした。

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湯西川に沿った庭園内に散在する露天風呂への通路です。雪景色を見ながら、しっかりと身体を冷やして、暖かい温泉に浸かることができそうです。貸切予約制で、いちいちの予約も面倒でしたし、何より有料でしたのでパスしました。

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“平家の庄”のHPから引用した雪のない時期の露天風呂の写真です。やはり若いカップルが多く利用しているようです。

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雪の中の一つの貸切露天風呂の外観です。一度入ってみたかったのですが、有料でもあり予約もしなければならず、大浴場の露天風呂で十分でしたので、貸切露天風呂に入ることはありませんでした。

もし雪がシンシンと降っていたら、一切出かけないで降りしきる雪を見て温泉三昧と思い、何冊かの本も持参していたのですが、好天気に恵まれ、結局日中は2~3時間散策しました。それでも早朝、朝食後、散策から帰って、夕食前、就寝前と10回くらい温泉に浸かりました。身体はすっかり温まり、気持ちも温まり、つくづく日本人に生まれてよかったと思いました。冬は温泉にかぎります。

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2013年2月13日 (水)

雪と囲炉裏と温泉 ファンタジー

昼間雪遊びしたり、宿に戻って温泉に浸かり、夕食後ほろ酔い加減で、雪の夜道を散歩しました。カミさんはもう一度温泉に浸かってのんびりするということでしたので、一人出かけました。

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外に出てみますと、まばらな木立には電飾が施されていて、まるでおいでおいでされているようで、ふらふらと誘われました。

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導かれた先は、ライトアップされたかまくらでした。平日の夜、訪れる人も少なく、わずかに数組のカップルが、かまくらの中に入ったり、覗き込んだりしているだけでひっそりとしていました。雪の消音効果でシーンとしていて、多くの人がワサワサいるよりいい雰囲気でした。これで雪でも降ってくれたらいうことはないのですが、夜空には星が瞬いていました。

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湯西川沿いには、積雪の河原にキャンドルが灯されていて、こちらもおいでおいでと手招きしていました。

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キャンドルを辿ってゆくと、ライトアップされた氷瀑が、ブルーの光を放っていました。

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湯西川沿いのキャンドルを辿っている時に、何となく一緒になった若い女性2人と一緒になり、宝探しのようなオリエンテーリングのような雰囲気で氷瀑を真っ正面から見ようと、道を探しているうち橋の上に出ました。踏み固められて滑りやすくなっている雪道を、若い女性達はキャーキャー言いながらおっかなびっくり歩いていました。

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結局、氷瀑は老舗大手旅館のプライベート氷瀑であり、部外者は立ち入り禁止で、真っ正面から見ることはできませんでした。がっかりもしましたが、夜の雪道を楽しみつつ何となく盛り上がり、宿の玄関で栃木と群馬から来たという若い女性2人とスリーショットとなりました。めったにない両手に花で緊張して気をつけしてしまいました。

最近どこの観光地でも、特に今の時期雪のある地域では夜間のライトアップをしています。演出過剰ではないかとも思うのですが、必死になって観光客を呼び込み、地域を活性化しようという地元の人々の気持ちもわかります。たかがライトアップかと思いながらも、非日常的な体験も旅の楽しさであり、暗闇で光を見つければ吸い寄せられるように足が向いてしまうのも人間の習性でもあり、まるで誘蛾灯(赤提灯も同じかも)に誘われるようにフラフラと足が向いてしまうのです。

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2013年2月12日 (火)

雪と囲炉裏と温泉 平家狩人村

“平家の里”の雪景色を楽しみ、平家ワールドに浸った後、“平家狩人(またぎ)村”まで歩きました。ここもまた平家ワールドでした。

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“平家狩人(またぎ)村”という名前は何となく秘境が連想されました。山奥の方向へ2kmくらい歩いたところにあるということでしたので、時間はたっぷりありましたので雪景色を楽しみながらのんびりと歩きました。久しぶりの里山の雰囲気を味わいながら。

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途中“高房の館”という宿がありました。湯西川に籠もった家臣団の長が平忠実とも平高房ともいわれ、一族は更に奥地の川俣やここ湯西川に定住し、温泉を開き、この地に骨を埋め神として祀られたことに由来しているそうです。

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2000坪の敷地があり、山砦形式の館となっていて、“日本秘湯を守る会”にも参加しているとのことで泊まってみたくなりました。

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狩人村の入口辺りはあまり人も訪れている気配はありませんでした。

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狩人村の入口は閉まっていて、後で聞いたところによると冬はおやすみとのことでした。立派なつららがまるで槍衾(やりぶすま)のようで、訪れる人を拒んでもいるようでした。

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湯西川は山に囲まれていて、隠れ里としては絶好のロケーションだったようです。山は雪を被り、その上には青空がひろがっていて、天気のいい日には平家の落人達もこの青空を眺め、かつての栄華を偲んだものと思われます。

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10時に宿を出発し、のんびりと雪道を歩いて戻りましたらちょうど昼時になりました。“手づくりの栃餅”を売っている店に入ると、朝つくった栃餅が固くなったので、おばあちゃんが温めてくれました。手も口も達者な86歳のおばあちゃんでした。平家の末裔なのかどうか聞き忘れました。

平家の落人の隠れ里と称するところは、全国43都県340ヵ所もあるそうで、随分多くの場所に隠れ住んだもので、それだけ源氏の追求も厳しかったということでしょう。湯西川は雪深い山里であり、冬はさぞかし寒かったろうと思いますが、寒い時、温泉があったというのはどれほど救いだったことでしょう。

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2013年2月11日 (月)

丹沢 雪融け

2/11(月)、連休最後の日で好天気でしたので丹沢に行きました。一昨日は大山に登り、その時はカメラは持たずにハイペースで登ることに専念しました。

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6:46 登り始めると同時に朝日が顔を出しました。空気はかなり冷え込んでいましたが、太陽を見ると何となく気持ちが温かくなりました。

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8:00 丹沢・塔ノ岳といえば“バカ尾根”が有名ですが、急斜面を登った後にこのような平坦な道が何ヶ所かありますので、ゆっくり歩きながら呼吸を整えることができます。

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8:08 平坦な道の後に再び急登となりました。後から来た元気な登山者がスイスイと抜いていきました。

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9:28 “バカ尾根”を登りきった花立小屋という山小屋の前に、牡鹿が陽を浴びて気持ちよさそうにのんびりと坐っていました。周りにギャラリーが集まっても動こうともしませんでした。

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9:40 先月来た時にはこの辺りはぶ厚い積雪があったのですが、ここ数日の好天気でかなり雪が溶けました。

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9:41 富士山にはかなり雲がかかってきました。

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9:57 頂上手前辺りはさすがに踏み固められた雪が残っていました。この手前で装着したアイゼンの爪が雪を掴んでガシガシと歩くのはとても楽でした。

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10:13 丹沢・塔ノ岳頂上(1,491m)に着きました。富士山は完全に雲に覆い隠されました。風はないのですが、空気はかなり冷たく感じました。

山頂でじっとしているのは寒く、すぐに下山しました。途中で昼食をとり、順調なペースで、自宅には14:00に戻りました。だいぶ楽に登り下りでき、一昨日の大山効果が出たのかもしれません。シャワーを浴びて美味しくビールを飲みました。

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2013年2月10日 (日)

雪と囲炉裏と温泉 平家ワールド

前夜(2/4(月))一泊して、早朝の温泉に浸かり、ゆっくり美味しい朝ご飯を食べた後、好天気に誘われて散策に出かけました。

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先ず訪れたのが“平家の里”でした。以前湯西川に来た時にはパスした観光スポットで、今回は雪景色も見てみたいと思ったのですが、それ以上に平家ワールドに浸ってみたいと思いました。

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湯西川は、源氏の厳しい追っ手からこの山深い里に逃れてきて生活を始めたところです。落人達の800年前からの生活様式が保存されています。

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カンジキは、雪深いこの里では必需品であったろうと思いました。前日実際に雪の上をスノウシューをつけて歩いてみると楽々と歩けましたが、つけないで歩くと足が2030cmくらい沈み込んでしまい、その足を引き上げるだけもの凄いエネルギーを使い、三歩歩けず状態でした。生活の知恵、先人の知恵は凄いものです。

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カンジキとスノウシューに影響されたわけではないのですが、生活用品の一つ一つが理にかなっていて、大きな意味を持っていて、エコでもあり、厳しい自然環境の中でも充実した生活が営まれていたことに、感心しました。

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ここ平家の里には9棟の建物があり、平家大祭など大きなイベントなどもこれらの建物で行われます。今は白い雪に覆われてひっそりとしていました。

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日本で唯一分祠された赤間神社。下ノ関赤間神宮は、源平壇ノ浦の合戦でわずか八歳で命を絶った安徳天皇の菩提寺です。悲劇の象徴ともいえる神社ですが、この日ばかりは青空の下、明るい陽を燦々と浴びていました。

今まであちこち歩いてきた中で、名所遺跡の多くは義経の活躍(悲劇もありましたが)の舞台でした。平家に関するものは悲劇の地が多かったのですが、ここ湯西川は落人部落とはいえ、営々と生活が引き継がれて今はその伝統が花開いているような気がしました。

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2013年2月 9日 (土)

雪と囲炉裏と温泉 平家の庄

湯西川温泉には何軒かの宿があり、その中から“桓武平氏ゆかりの宿 平家の庄”を選びました。1泊ですと、到着して散策などして食事して温泉に入って翌日の朝に帰るということになり、あまりのんびりすることはできませんので2泊することにしました。

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入口は、“桓武平氏ゆかりの宿”といういかめしい謳い文句と異なり小じゃれたイメージでした。

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フロントがあるエントランスも重厚さはなく、庄屋さんの家(詳しくは知りませんが)のような雰囲気でした。

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ロビーからは目の前に湯西川や雪景色を見ることができました。

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ロビーにはひな壇が飾られていて、華やかなムードが漂っていました。

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部屋は3つのタイプがあり、“囲炉裏の間”を選びました。窓際に囲炉裏が切ってあり、それなりの雰囲気があるのですが、実際に火を入れることはできず暖をとることはできませんでしたので、コタツかリクライニングシートがあればいいのになあと思いました。

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“平家の庄”は、湯西川に面していて、窓から湯西川を眺めることもでき、大浴場や露天風呂からも湯西川を見ながら入ることができました。

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夜になると、ライトアップによって昼とは異なった雰囲気となりました。

湯西川温泉には数十年前に来たことがあり、その時泊まった宿は飾りっ気はなかったのですが重厚で、質実剛健というイメージで、平家の屋敷にいるような感じでした。これも時代の流れだと思いますが、“平家の庄”は若女将も若くて明るく、若い女性を意識したイメージで、その成果か若い女性やカップルが多く見られました。全体に華やかな雰囲気もそれはそれなりに居心地がいいものでした。

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2013年2月 8日 (金)

雪と囲炉裏と温泉 雪遊び

2/4(月)のお昼過ぎ、湯西川温泉に到着しました。夕方まで時間がありましたので雪遊びに出かけました。

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温泉街のメインストリートのお店の前に雪だるまが並んでいて歓迎してくれました。暖かい陽射しを浴びて眩しそうでした。

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以前からスノウシューで雪の上を歩いてみたかったのですが、ようやく希望が叶えられました。1mくらいの積雪の上をワシワシと気持ちよく歩くことができました。試しにスノウシューをつけないで歩いてみましたら2030cmくらい潜ってしまい、ラッセルしなければならずとても歩けたものではなく、スノウシューの威力を体感することができました。

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急斜面を上ったり下ったり、滑ってみたりと童心にかえって雪と戯れました。

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要領がわかってくると自由行動となり、樹林の中を歩き回りました。踏み跡のない雪の上を歩くのはとても気分がいいものでした。

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“かまくら”ができていました。間近に見るのは初めてで、想像以上に大きく、つくるのが大変そうでした。この中で、バーベキューをしたりするそうです。

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湯西川の河原に、キャンドル用の小さな雪洞がつくられていて、週末の夜には千本くらいのキャンドルに灯がともされるとのことです。

湯西川温泉が最も賑わうのは紅葉の時期のようです。冬の時期に何とか集客しようと、スノウシュー体験、かまくら、キャンドルサービスなどの雪遊びや雪見イベントなどが企画されていました。

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2013年2月 7日 (木)

雪と囲炉裏と温泉 直行バス

2/4(月)~6(水)、2泊3日の予定で湯西川温泉に出かけました。昨年の9月に立山のみくりが池温泉に行って以来温泉に行っていませんでした。その間、ヒマラヤに行ったりして何となく冷えた身体を温めたく、また日本情緒に浸りたく、雪と囲炉裏と温泉を求めて行く先は湯西川温泉に決めました。

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マイカーで、途中日光などに寄って行きたかったのですが、雪道でチェーンやスタッドレスタイヤが必要になるかもしれませんし、カミさんが私の運転を危ぶみましたので、横浜駅前からの直行バスを利用しました。料金は往復1人2,000円、2人で4,000円、マイカーや電車・バスで行くよりかなり安くあがりました。横浜駅前を出発してすぐに高速に入りました。天気は快晴に近く、ポカポカと春のような陽気でした。

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バスはやがて首都高速に入り、右手にディズニーランド、左手にスカイマークを見ながら快調に走りました。行きたいところには行けませんが、走りながら写真を撮ることができるのもバス利用の利点かもしれません。

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鬼怒川温泉でバスを乗り換え、湯西川河沿いにバスは進み、雪景色が広がり、ダム湖はすっかり氷結していました。

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正午過ぎにバスは平家本陣に到着しました。バス利用者は平家本陣だけではなく他の宿に泊まる人達も乗り合わせていました。ここに宿泊する人達は年配の人達や団体の人達が多いようでした。各宿へは送迎バスが待機していて、乗客はそれぞれの宿に散っていきました。

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私たちは、“桓武平氏ゆかりの宿 平家の荘” という比較的こじんまりとした宿を選びました。数日前に、いい旅夢気分という旅番組で紹介されたこともあり、また料金が比較的安く、若い人達や若いカップルが目につきました。

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若女将のキャラクターも、若い人達が多い一つの理由かもしれません。私は雪の中を歩くのに、万一に備えて軽アイゼンを持参したのですが、そういうお客は初めてだと言ってケラケラ笑っていました。とにかく明るい人でした。

最近、新聞などの旅行案内で温泉や観光地行きのバスが出ていることを知り、利用してみました。横浜駅前の観光バス発着所には、那須・塩原や日光方面、軽井沢方面行きの大型観光バスが次々と到着して、満員の乗客を積んで出発して行きました。私たちが乗ったバスも満杯で、温泉街や観光地の企業努力に感心しました。

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2013年2月 2日 (土)

しあわせの国ブータン リーダー

ネパールとブータン、共にヒマラヤに位置していて、対比するとリーダーのあり方について考えさせられました。ネパールには4回行きましたが、いつかブータンにも行く機会があるかもしれません。

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「ブータン 百寺巡礼」(五木寛之2011年)で作家の五木寛之氏は次のような印象を記しています。 “新しい世界仏教の波を感じつつ、インドからはじまった旅のなかで、もっとも不思議な思いを抱いたのがブータンの日々だった。ごく短い滞在だったが、帰国する時に、立ち去りがたい感じをこれほど強く受けたことはなかったような気がする。”

“ブータンを訪れたのは、もちろんはじめてである。しかし、ブータンの地をふんで最初に感じたのは、ある懐かしさのような気配だった。「この風景は、いちど前に見たことがある。」”

ブータンは世界で唯一チベット仏教を国教としている国ですので、中国で弾圧を受けているチベット仏教徒がブータンに学びに来ていて、チベットとブータンの間にはチベット仏教をベースにした人的ネットワークがあります。

 

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かつては入国者の数は5千人に制限され準鎖国といわれていたのですが、現在は年間2~4万人の観光客が訪れています。ツアー会社によるブータンへの企画も増えてきていますが、しかし自由旅行は不可で、旅行会社を通さなければなりませんし、かなり情報統制も行われているようです。実際にブータンにツアーで出かけたことのある添乗員の話では、ブータンは隔靴掻痒的に“もどかしい” と言っていて、うわべだけを撫でているような感じがするとも言っています。おそらく観光客の増大による悪影響を必至になって防ごうとしているのではないかと思います。中国とインドに挟まれた弱小国が、独立性を保つためにやむを得ないのではないかとも思います。

同じヒマラヤに位置しているネパールとブータンを比べてみますと。ブータンは国のリーダーがしっかりしていて、きちんとした国づくりが行われているのに対して、ネパールは政治的に混沌としていて、年中ゼネスト(自分も何回か遭遇しました)が行われています。

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(画像は2011.4 カトマンズ市内) ブータン最大の収入源は水力発電の電力で、インドへ売っていて歳入の4割を占めているのに対して、ブータンと同じように豊かな水脈をいくつも持つネパールでは水力発電は微々たるもので、首都カトマンズでは現在でも計画停電が行われています。電力不足のため信号機も停止していて、交通整理のお巡りさんが頑張っていました。

ブータンは、アジアの他の国の首都のように、急速な近代化に走ったあげく環境破壊の街になるようなこともなく、また観光客の受け入れも制限してきました。一方ネパールは、70年代、ブータンに先んじて観光客をどんどん受け入れ、環境破壊だけでなく、文化や社会、経済にまでかなりの変化がもたらされました。

ブータンはチベット仏教の国であり、人々は穏やかといわれていて、何よりしあわせの国といわれていて環境は保護され、街は清潔だそうです。ネパールは、騒音や排気ガスによる喧騒の街であり、かなり本能とホンネむき出しの人間くさい国です。しかし混沌としているネパールの街は好きですし、心やさしいガイドさんやポーターさん達に親しみも感じています。

ネパールとブータン、共に中国とインドの大国に挟まれていますが、国のリーダーによりこれほど異なった国体となっていることに、改めて国のリーダーの大切さを考えされられます。

30年前まで準鎖国状態にあったブータン、今でも情報統制が行われている一方で、グローバルゼーションやモータリゼーションの進展、インターネットや大型テレビ、携帯電話など情報化の波及、観光客の増加などによる国民の意識や環境への影響に対して、小国の国王がどのように舵取りを行うのか、世界の先進国や大国が注目しています。

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2013年2月 1日 (金)

しあわせの国ブータン しあわせ度

ヒマラヤに位置するブータンの第五代国王が一昨年の秋に来日して以来、ブータンブームが起きています。多分にマスコミや旅行会社先導によるもので、その実態はあまり知られていないようです。実際に行ったことはないのですが、ヒマラヤにある国として関心を持っています。

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ブータンは、正式にはブータン王国といい、国境は接していませんがネパールの東側に位置していて、中国とインドの両大国に挟まれています。面積は日本の九州と同じくらいで、人口は67万人の小国です。就労人口の90%が農林業ですが、主食の米はインドから輸入していて、製造業はまったくありませんので、学校で使うゴムボール一つさえ輸入しなければなりません。また国の歳入の1/3が海外からの援助で賄われています。

中国とは国交は樹立していませんが領事館が香港にあります。2000年代に入り中国がブータン領内で道路建設を行い、越境行為が行われたためブータン政府が抗議を行っています。

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第五代の国王夫妻が201111月に来日(画像は東日本大震災の被災地福島県相馬市を訪問した時のもの)しましたので、 “幸せの国ブータン”ブームが起こっています。第三代国王が名君といわれ、1952年に中国がチベットに侵攻し呑み込まれ、同じ隣国のシッキムはインドに併合されたのを見て、ブータンにも及びそうな国際的危機を外交で乗り切りました。文化的、宗教的にも遠かったインドと関係を深め、1971年国際連合に加盟して中国、インドの大国のはざまで小国の独立を保ちました。国内の改革も行い、国会や教育などの制度を整え、経済計画をつくりました。

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「ブータンしあわせ旅ノート」(岸本葉子)は、著者が1998年に11日間個人旅行した紀行文です。内容は、学校見学、薬草病院、野菜市場、農家に滞在、ブータン料理の体験や見学など多岐にわたっていて、著者はブータンのやさしさや居心地の良さを体験しました。しかし“日本に比べてブータンの方が豊だ”というのはナンセンスだろうとも言っています。“GNPよりしあわせ指数”といったのは第四代国王で、“しあわせとは何なのか”と、人々に足を止めて考えさせる象徴として、地球上で機能しているともいえると、鋭い指摘も行っています。

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「幸福立国ブータン 小さな国際国家の大きな挑戦」(大橋照枝2010年)は、第4代国王が21歳の時、1976の国際会議の記者会見でブータンのGDPについて聞かれた時、ブータンはGDPより心の満足を重視していると答え、GNHGross National Happiness)いわば「国民総幸福量」という言葉が発信されました。GNHの4本柱として、①経済的自立(歳入の3割は海外援助) ②環境保護 ③文化の推進 ④良き統治があげられています。

2008年に行われた世論調査(950サンプル)では、“国民の97%が幸福”と答え、国家の将来像を模索する先進国の注目を浴びました。世論調査の専門家の中には、選択肢がおかしいという指摘もありますが、ブータンという小国が、一つの国が目指す目標を明らかにしていることは評価されるべきだと思います。

「ブータンしあわせ旅ノート」の追補版では、“現国王夫妻が好印象を残して去った日本では、急にわき起こったブータン礼賛への違和感か、疑問の声も出てきている。ブータンの人は、本当にしあわせなのかと。” といった意見にも触れています。ブータン礼賛はマスコミとツアー会社がもたらしたものであり、国王も人々もブータンを理想化することは望んでいないとも言っています。

GDPよりGNHとはいえ貧困撲滅は大きな課題であり、製造業を持たない国ですので、環境汚染などは他の国に比べれば深刻ではないとはいえ、ゴミ問題が一番の問題になっていて、ゴミ処理の資金や技術が不足しているのも現実です。

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