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2013年3月31日 (日)

最後の桃源郷 フンザへ

パキスタンのことはあまり考えないようにして、フンザの情報を集めてみました。一足早く写真集でフンザへと旅してみました。

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フンザはパキスタン北部にあり、中国に近い辺りにあります。フンザ地方のほとんどは、回教イスマイリ派に属していて穏健といわれています。フンザ国自体は、北方からの侵略者によって建てられたといわれますが、フンザの古いことは、民族にしても言語にしても、よくわかっていないようです。かつて中国に追いやられたフン族の末裔といわれたり、イラン系だといわれていますが、要するにわからないようです。

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この写真集「フンザへ」はプロの写真家齋藤氏が2005年に出版したものです。このカラコルムハイウェイは首都イスラマバードからの国内便が飛ばなければ(確率5割)通る道です。山と谷の間をクネクネと縫って続険しいく山岳道路はヒマラヤのジョムソン街道で経験済みで、もう一度こういう道を走ってもいいかなとは思うのですが、750kmは長過ぎ、何事もなければ1泊2日の行程で途中崖崩れやいろいろなことが想定されるという説明を聞いてしまいますとちょっとうんざりもします。

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この写真集を持っていって、この少年達が今どうしているか知りたくなりましたが、図書館から借りたものですのでちょっと無理です。

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フンザはイスラム教でも比較的戒律のゆるいイスマイール派がほとんどで、女学生達は流暢な英語で話しかけてきたとのこと。

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祈りの場面の写真撮影はOK

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「人間にとってしあわせとは何だろうということを考えながら写真を撮っている。・・・そんなわけで今回フンザに向かったのである。フンザは知る人ぞ知る世界最後の桃源郷といわれているところだ。以前雑誌で見た、たった一枚のフンザの写真にすっかり心を奪われて、いつかきっと行ってみたいと思っていた。」(本文中より)

“草原の椅子”のストーリーのように、今までのこと、これからのことを考えたりするのでしょうか。それとも何も考えず、ただぼんやりとしているだけかもしれません。

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2013年3月30日 (土)

最後の桃源郷 パキスタン

フンザとカラコルムへの出発まで1週間を切りました。出発日が近づくにつれてワクワク感よりも不安感の方が強くなるのはヒマラヤと同じです。ヒマラヤの場合は高度に適応できるか、寒さに耐えられるか、脚力や体力がもつかなどの不安ですが、今回はトレッキングで高地へと歩くようなことはなく飛行機と車による移動だけですので、ヒマラヤで感じる不安はありません。しかしパキスタンそのものが自分にとっては未知の国であり、治安の問題とか飛行機や車は安全かなどの不安があります。考えてみればモルジブにしても初めて訪れる国はどこでも不安でしたので、これは海外旅行に共通したことであるかもしれません。

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海外に出かける場合、ガイドブックなどほとんど見ることもなかったのですが、今回はパキスタンについて、西遊旅行社推薦のガイドブックでにわか勉強しました。結論を言いますと、「パキスタンを知るための60章」は10年前、「もっと知りたいパキスタン」は20年前に出版されたものであり、人口が1億6千万で核兵器を所有する大国であるという以外、あまり参考になりませんでした。

「・・・60章」の冒頭部分を引用しますと。“パキスタンが建国されてすでに半世紀以上がたつが、日本とパキスタンは比較的良好な関係を保ってきた。第二次大戦後は、パキスタンから輸入する綿花が日本の経済復興に大きな役割を果たし、また近年では、日本は最大の援助国として、パキスタンの発展を支援してきた。”

“だが、日本とパキスタンとの関係は、経済的なものにとどまらない。日本人のパキスタンへの関わり方は、まさに人それぞれである。ガンダーラ美術に魅せられた人、「世界の屋根」と称される雪山に憧れる人、杏の花に囲まれた、北部の桃源郷に心を動かされる人、あるいは旧市街の喧騒に異国情緒をかきたてられる人、・・・”

“しかし残念ながら、昨今の日本のメディアで紹介されているパキスタンのイメージは、決していいものばかりとは言い難い。カシュミールでのインドとの対立、核実験、アフガン問題、テロなど、危険なイメージばかりがついてまわっているかのように思われる。”

わかったことは、自分は“北部の桃源郷に心を動かされる人”であるということ。パキスタンの最近の情勢は好転しているとは思えませんが、まあ首都のイスラマバードには行きと帰りに立ち寄るだけですので、そこはできるだけじっとして余計なことはしないでやり過ごし、フンザとカラコルムをのんびり楽しめればいいかなと思っています。

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2013年3月28日 (木)

岬めぐり 佐島グルメ街道

3/26(火)、5回目となる岬めぐりの後半は荒崎から佐島を目指しました。

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荒崎から海を離れ134号線を経由して佐島の丘公園に出、佐島エリアに入りました。

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佐島エリアのこの道は、私が秘かにグルメ街道と呼んでいる道です。

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佐島グルメ街道は海沿いの道で、佐島漁港があり、多くの船が停泊していました。

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漁港に揚がった魚を売っている店が何店舗かあります。この店は所有している漁船で獲った魚を直接売っています。あたりまえですがどの魚も新鮮で、特にアジはお勧めです。またヒラメなども生け簀で生きたままのものを売っていて、ヒラメでもアジでも捌いてくれます。

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隣には加工した魚を売っている店もあります。サンマの開きを独特のタレ(企業秘密とのこと)につけ込んだ後干物にして冷凍したものはとても美味しく、他に梅酢でしめたシメサバなども冷凍されていますので、購入して冷蔵庫に入れておけばいつでも食べることができます。

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佐島港周辺では港に揚がった魚を食べさせる店が2つあります。ランチが1,000円で食べられますので、昼時でもあり新鮮な魚で昼食にしました。

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佐島港に向かいあうように佐島マリーナというヨットハーバーがあります。かつて森繁久弥がここでクルーザーを所有していました。

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“海辺”という海鮮料理屋も港に揚がった魚を食べさせてくれ、人気店で、昼や夜の食事時にはかなり混みます。開店前には行列ができます。

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佐島港から葉山へと向かう道には、湘南サニーサイドマリーナというヨットハーバーがあります。自分もかつては小型船舶のライセンスを取得し、友だち数人でヨットの共同オーナーになっていたのですが、いつの間にか陸に上がった河童になってしまい、海だ山だとフラフラしているうちにどちらつかずになってしまいました。

佐島から先、134号線

に出たところでバスに乗り逗子駅

に出て戻りました。最終目標の江ノ島まで多分残り14kmくらいですので、パキスタン出発(4/5)までに他に仕事や用事がなくて天気のいい日が一日あればゴールできるのですが微妙になってきました。

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2013年3月27日 (水)

岬めぐり 荒崎

3/26(火)、5回目となる岬めぐりの前半は三崎口から荒崎を目指しました。

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京急に乗って、前回の終着地三崎口駅に向かいました。かつては三浦半島の奥地まで鉄道で乗り入れることができるようになるとは思いもよりませんでした。車窓から見る天気はこの時期特有の花曇りではっきりしませんでした。

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京急三崎口駅からしばらくは134号線、通称“三崎街道”を北上しました。面白そうな看板が目につきましたが寄り道する余裕はありませんでした。

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“三崎街道”から長井という地域を経由して荒崎に着く頃、少しずつ青空が多くなってきて、それを映す海面も不思議な美しい色をしていました。海の色は空の色と同じようにどうしてこんなにきれいでいろいろな色をしているのでしょうか。

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荒崎も剱崎と同じように、こういう風景を見ていると名前の由来がわかります。

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この日はかなり風は強かったのですが、この辺りは風が遮られてとても静かでした。春の陽を浴びて釣り糸を垂れればウミタナゴやアイナメの稚魚が喰いついてきそうでした。

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海沿いの道を辿ってゆくとこの先に金網があり、自衛隊関連施設のため行き止まりになり、残念。三浦市から横須賀市に入りました。

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再び海から離れ134号線を歩きますとどこまで行っても自衛隊施設のフェンスが続き、フェンス越しにまだ桜が頑張っていました。

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フェンスは続くよどこまでも・・・。自衛隊施設の敷地がとてつもなく広いことが実感できました。

自衛他施設の正式名称は“陸上自衛隊高等工科学校”で、一般教育、専門教育、防衛基礎学を学んでいます。3年制の高校と同じですのでここで学んでいるのは高校生と同じです。毎月10万円近くの生徒手当(いろいろ引かれて生徒が手にするのは2~3万円)が支給され、資格取得も可能なことから家庭の事情でここに入学した生徒も多いと思われ、戦闘訓練なども行うわけで、彼らは何を考えているのかななどと考えながら歩きました。

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2013年3月26日 (火)

桜酔い

3/22(金)、皇居周辺から靖国神社を廻って桜を眺め、本来の目的である神田でのパキスタンツアーの説明会に出た後、再び横浜に戻り夜桜を楽しみました。

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一日中歩いて腹が空き、何はともあれ腹拵えをしました。

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場所は大岡川沿い。横浜駅から地下鉄で弘明寺へとでました。

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今週末が見頃という桜情報のとおり、白も赤も満開状態でした。

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腹拵えしながら飲んだビールと日本酒でかなりいい気分になってフラフラと。

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近くにはレトロな商店街がありました。

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手造り豆腐のお店。店じまいしていて、今度は片づける前に来て頂戴と言いながら、しっかりカメラ目線で撮影に応じてくれました。やさしさと思いやりが伝わってくる皆さんでした。

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とてもいい気分で歩いていましたらまたまたお腹が空きましたので、シメは好物の白酒(パイカル)と酸辣湯麺(サンラータンメン)で。

何本の桜を見たのでしょうか。桜にも酔い、酒にも酔った長い一日でした。

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2013年3月25日 (月)

靖国の桜

3/22(金)、皇居の周りをブラブラと歩いた後、さらに靖国神社に向かいました。靖国神社を訪れるのは初めてでした。

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靖国通りも桜並木が続いていました。

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神社境内の桜の下には“花より団子”の人も。

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本殿へ向かう人が多いのにビックリしました。おそらく私のようにお花見ついでにという人が多いとは思うのですが、参拝ついでにお花見という人もいると思いました。どちらでもいいことですが。

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本殿へと続く門の菊の御紋が印象的でした。

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多くの人がお参りをしていて、子供連れの母親が幼い子供に“おじいちゃんやそのお友達やたくさんの人がお国のために戦って亡くなって、ここに祀られているんだよ”ときちんと説明していました。

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本殿前の境内にも桜が爛漫と咲き誇っていて、ここに祀られている多くの人もきっと同じようにお花見をしていることと思いました。

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靖国神社の花見と参拝を済ませて、本日の本来の目的地(神田)に向かう途中、ここにも華が咲いていました。

初めての靖国神社でした。首相や閣僚がここに参拝するたびにTVニュースになり映像が流れます。実際の本殿は映像で見るより狭く、厳かさもありませんでした。勝手に伊勢神宮のようなイメージを描いていたのですが、反面庶民的というか等身大というか、神格化されていないというか、戦死された方を弔うためにこれでいいんだと納得しました。

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2013年3月24日 (日)

皇居の桜

東京神田のツアー説明会への途中、横浜みなとみらい21に寄った後、皇居の周りをブラブラと歩きました。

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皇居のお堀に乗り出すように枝を伸ばした桜。

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お堀端の道を、桜の下を多くの人が歩いていて、誰もが明るい顔をしていました。桜はパット散るでしょうが、いつまでも明るい顔でいたいものです。

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桜の下でデート、いいですね、お幸せに。

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みっしりと重なり合うように開いた花びら、このエネルギーや養分は暑い夏から秋を過ごし、寒い冬の間に蓄えられたのでしょうね。

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車からの花見もありです。

横浜から半蔵門に出て、千鳥ヶ淵から北の丸公園へのルートは皇居をグルッと取り囲んでいて、そのルートに沿って人や車も春を愛でていました。

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横浜の桜

3/22(金)はパキスタンへツアーの説明会が東京神田でありましたので、少し早めに家を出て、お花見をしながら行くことにしました。

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最寄り駅の近くにある「大池公園」の桜は楚々と咲いていました。

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横浜駅から少し足をのばして“みなとみらい21”に寄りました。保存されている帆船の日本丸の前の桜も満開でした。

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春が来れば、高層ビルや国際会議場にも彩りを添えてくれます。

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春爛漫です。

今年の冬は例年になく厳しく寒かったような気がします。はたして春は来るのだろうかと思っていたところ、まったく不意打ちのように桜満開情報が出されました。長い間停滞していた日本経済も、桜の開花と共に薄日が射してきそうな気配が見られ、青空と淡いピンクの花びらを見ていると明るい気持ちになりました。

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2013年3月23日 (土)

最後の桃源郷 説明会

3/23(金)の午後、パキスタンへツアーの説明会がツアー会社である西遊旅行社で行われました。ツアーの参加者は20名と多人数で、説明会に来た人は一組のご夫婦と男性2名、女性2名の合計6名でした。

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どんな風景を見ることができるか楽しみなのですが、説明会で不安が増幅されました。パキスタンといえば、多少の事情通の人には必ず大丈夫なのと聞かれます。説明会でも一番確認したかったのは安全性で、今回の行く先はパキスタン北部で穏健派のイスラム教徒が多い治安がいいところ、場所によっては警察による先導車が着くところもあるという説明がありました。とはいえ何があるかわからないのが海外ですから、家族には何があっても驚かないように、人質になって首をかききられても身代金は払わないようになどと言っています。

治安や安全性については覚悟の上ですが、パキスタンという国そのものがうんざりしそうです。飛行機が遅れるのはあたりまえでおまけに飛行機にはアルコールは積んでいないとのこと。スーツケースが紛失することもありうるので常用薬や必需品のスペアはリュックにもとか、写真撮影の細々した注意事項などうんざりです。現地移動のフライトがキャンセル(確率5割)の場合は、悪路の山岳道を1泊2日で移動、アルコールは一切ダメ(抜け道はあるようですが保証はなし)など更にうんざりです。

カミさんは今からでも遅くないからキャンセルしたらといいますが、地球最後の桃源郷といわれるところがどういうところなのか観たいし、まあツアー会社の西遊旅行社は現地に事務所もあり、映画“草原の椅子”の撮影のコーディネートをしたりと正確な情報を把握しているようですので、それを便りに行ってこようと思っています。出発まで2週間ですからそろそろ準備を始めようかと思っているところです。

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2013年3月21日 (木)

大山詣でNo.5 おやじ2人

3/21(木)、あまりにも天気がいいので手近な大山に出かけました。今年で5回目の大山でした。珍しいことにおやじの2人連れでした。

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今日の相棒は、同じ自治会(町内会)の飲み会で親しくなったご近所のFさん。月に2回くらいのゴルフで歩くことはあっても山は半年ぶりぐらいとのこと。自信がないといいながらかなりのペースで先行していました。

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心なしか緑の色が濃くなってきたようでした。そのうち青葉が目に沁みるくらい“アオアオ”としてくるでしょうし、花もあちこちで見ることができ楽しみです。

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大山獅子は日本三大獅子とのこと。何回も登っていたのですが初めて気がつきました。

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山頂からの“振り返れば冨士山”は前回に引き続き、すっきりと見ることができました。富士山は見るたびに感動を与えてくれ、登るたびに何回でもシャッターを押してしまいます。

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お茶屋の番犬は、前回はメガネをかけていましたが今回はメガネはなく、どこへ行ってしまったのでしょうか。

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山頂から見た相模湾や首都圏は霞がかかっていましたが、空は見事に碧く、大好きな色をしていて、風も心地良く最高の登山日和でした。きっとおやじ2人、日頃の行いがよっぽどいいということだと思いこみました。

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ゆっくりと下山し、ちょうどお昼頃になると雲が流れていました。雲も好きです。

ご近所さんと山に登るなんて思いもしませんでしたが、新鮮でなかなかいいものです。700人くらいの通称“ユートピア”という自治会(町内会)で、最寄り駅は“希望ヶ丘”という名前で、友だちにいうと“嘘だろ!”といわれてしまうのですが、嘘ではありません。学校時代の友だち、仕事仲間、趣味の仲間などいろいろ友だちはいるのですが、これからご近所さんの仲間も増えそうで、首都圏や南海トラフなど天変地異も予測されている中、何かと支えあう機会もあると思われます。

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2013年3月18日 (月)

岬めぐり 三浦三崎

3/15(金)、4回目となる岬めぐり終盤は、三崎港と城ヶ島を目指しました。

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三崎港に着くと、漁船が舳先を並べて休んでいました。のどかな港風景でした。

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三崎といえばマグロで、マグロ料理といえば“くろば亭”といわれるほど地元で最も有名なお店です。ここの社長が開発したマグロを中心とした無国籍料理は200種類といわれています。ちょうど昼時で行列もできていませんでしたので入ろうと思ったのですが、“まぐろ三昧”や“地魚刺身定食”がいずれも2,000円以上で昼食にはちょっと贅沢すぎましたのでぐっと我慢しました。

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いつも立ち寄る(最も目立つところにある店ですので)干物屋さんの干物も美味しそうでした。店内ではヒラメやアジの刺身を売っていましたので、夕食用に買いました。朝獲れの刺身は絶品でした。

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あちこちでマグロ料理、マグロ丼、づけ丼などの看板が目立ち空腹の身にはこたえました。どこかで昼食をと思ったのですが、予算(1,000円)内のメニューが見つかりませんでした。

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三崎港の対岸は城ヶ島で、城ヶ島までは小さな渡し船(200円)が就航していましたので利用しました。呼べばすぐ来るという“浦賀の渡し”と同じようなものでした。

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渡し船から三崎港を振り返ると湾内には大型マグロ漁船が1隻停泊していました。

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渡し船で城ヶ島へ渡り、船着場から15分くらい歩いて県立城ヶ島公園に着きました。整備しすぎではないかと思うほどよく整備されてる公園内には何ヶ所かの展望台があります。城ヶ島を取り囲む岩礁を見下ろしながら昼食用の携行食で空腹を満たしました。

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遠くに剱崎灯台や歩いてきた磯が臨めました。

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城ヶ島は海鵜の生息地で、海鵜たちは羽を休めて日向ぼっこしていました。ここもまたいつになく静かな穏やかな海でした。

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城ヶ島から京浜急行

の始発駅

でもあり終着駅

でもある三崎口駅

まで歩き今回の岬めぐりは終了しました。

4回目の岬めぐりは剱先から城ヶ島までのコースで、このルートは私にとってはゴールデンルートです。海をすぐ傍に感じながら、陽を浴びてキラキラ輝く入り江の海面や岩礁に激しくぶつかる波の音や白い波を楽しめるコースで、小椋佳の好きな曲“潮騒の詩”が聞こえてくるようなルートです。この日も好天気に恵まれ、天気予報でそういう日を選んで出かけているわけですが、海の場合強い風が吹いていたりとか期待が裏切られることもあります。今回は幸いなことに期待以上の天気に恵まれました。

4/5からパキスタン・フンザに出かけることになっていて、それまでに最終目的地の江ノ島まで歩きたいのですが、仕事や自治会(会長を引き受けざるを得なくなり)が忙しくなってしまいました。そのうち桜の便りがあちこちで聞かれるようになるとそちらにも出かけたいし、先行き不透明になってしまい、この先どうなるやらです。

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2013年3月17日 (日)

岬めぐり 潮騒

3/15(金)、4回目となる岬めぐりは、江奈湾を過ぎ毘沙門湾に向かいました。

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江奈湾を過ぎて、しばらく海沿いの道を離れ、よく整備されたアスファルト道路を歩いていくと毘沙門湾が見えてきました。

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再び岩礁の道に入りました。ここの岩礁は崖のように迫ってきて、切り立った先端も大きく、波の力の大きさが伺えました。

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潮が引いた後、ところどころに見られる潮だまりは小さな池のようなもので、海藻の陰に隠れていた小魚が時々姿を現してはまた海藻の下に走り込んでいました。

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岩礁が海にクレバスのように切れ込んでいる場所では波が打ち寄せては砕け、白く泡立っていました。“潮騒”の色はマリーンブルーでした。

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潮と潮がぶつかる潮目は魚が集まりやすく、絶好のポイントのようです。

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岩礁の道はやがて入江へと続き、入江ではカヌーを操る人がいました。楽しそうだなあと思っていましたら、海中にうち捨てられた空き缶などを掬っていました。この磯辺ではゴミがほとんどみられず環境を大切にしているようでした。

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ようやく遠くに城ヶ島大橋、三崎港の後には城ヶ島が見えてきました。

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三崎への道は、再び海から離れ、畑が広がっていました。

岬めぐりの道は燦々と太陽の光を浴びて心地良く、豊かな海と豊かな大地を感じることができました。

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2013年3月16日 (土)

岬めぐり 岩礁の道

3/15(金)、4回目となる岬めぐりの序盤は剱崎から江名湾までの岩礁の道を歩きました。

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横浜から京浜急行

で三浦海岸駅

に着きました。前回(3/8)満開だった駅前の河津桜はさすがに前日の強風によって花は散り、春の到来と共に青葉が芽吹いていました。

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三浦海岸駅から岬めぐりの剱崎行きバスに乗り、15分くらい歩いて剱崎灯台に着きました。この灯台は夜になると灯りを灯します。灯りの色や点滅する間隔は決められていて、夜間沖を航行する船は灯りの色と点滅する間隔によりこの灯台が剱崎灯台であることを確認します。したがって全国の灯台の灯りの色と点滅する間隔は同じものはありません。見上げれば見事な青空がひろがっていました。

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灯台のある小高い台地から磯へと降りる道がありました。見下ろした海は穏やかできれいなブルーで、気持ちがはやりました。

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しばらく岩礁の道が続きました。岩礁歩きは結構難しく、デコボコであるうえ、波状の岩礁の先端は刃先のようであり、岩に貼りついた生乾きの海草類は滑りやすく、ちょっとよろけて手をついただけでもケガをしますので登山用の手袋や軍手が必要です。

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岩礁の道は一見すると道なき道ですが、きちんとした標識がありますので心配はありません。標識には“高潮・高波・満潮時は危険 無理をせず引き返してください”と書かれていました。この日は穏やかでちょうど干潮時でしたので安心して歩くことができました。

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この岩礁の道は海に近い海辺を歩くことができ、この日も海水はとてもきれいで、じっと見ていると小魚やカニなどの生き物を見ることもできました。暖かくなるとタモを持ったり水中メガネを持って“磯あそび”の家族連れを見かけるようになります。

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岩礁の道はさまざまに変化をして、一面岩礁となる場所もあります。波浪が気の遠くなるような長い年月をかけて磨き上げた刃先は、自然の辛抱強さと力を感じさせます。

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漁港近くになると直売所などがあり、その生け簀では旨そうなヒラメやシマダイが泳いでいました。新鮮なお刺身が食べたくなりました。

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ちょうどワカメの収穫時期のようで、一家総出で朝採れのワカメを仕分けしていました。採れたてのワカメも旨そうでした。

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ここは江名湾、どの方向の風も遮ることができるとても静かな湾です。朝の漁を終えた漁船が並んで停泊していました。

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江名湾の干潟は貴重な自然遺産?で、さまざまな生き物が生息していて、自然体系がしっかりと管理されている場所です。ここから先の道はしばらく海辺から離れる陸路となりました

前日までの強風が嘘のように穏やかな快晴の日で、山もそうですが、特に海辺を歩くには絶好のコンディションとなりました。

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2013年3月13日 (水)

最後の桃源郷 草原の椅子

先日「草原の椅子」という映画を観てきました。作家の宮本輝が数年前に著した同名のタイトルが映画化されました。

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数年前にこの本を読んだ時、どのように感じたかはあまり記憶がありませんでしたが、次のような本文が印象に残ったことは覚えています。

「人間も50に近くなると、誰もが自分はこれからどうやって生きたらいいのか、とか、自分は何のために生まれたのか、とか、自分のこれまでの50年は何であったのか、とか、このままなしくずし的に生きていっていいのか、とか考えるであろう。しかし答えは自分で探すしかない。・・・(略)・・・いつか、もう一度フンザに行きたいと思った。」

この時に、“地球最後の桃源郷”といわれる“フンザ”にいつか行ってみたいと思っていましたので、昨年末にフンザへのツアーに申し込みました。

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今年に入って、「草原の椅子」が映画化されたことを知り心待ちにしていましたら2月末に公開されました。ストーリーはそれほどドラマティックでもなく、誰でもある年代になると人生を振り返ってこのままでいいのだろうか、と、ふと立ち止まって考えたくなり、どこかで(この小説ではフンザ)人生をリセットしようというドラマです。実際に映画化されたストーリーは原作とはかなり異なっていて、それはどうでもいいことですが、淡々と物語は進んでいき、ハッピーエンドというものでした。

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映画で最も楽しみにしていたのは、“フンザ”がどういうところなのかを映像で見ることができるということでした。結果、ヒマラヤで見たのと同じような風景を何ヶ所か観ることができましたが、想像し期待していた風景は現れませんでした。その分、美しいといわれる実際の風景が楽しみでもあります。ツアーは4/5出発(11日間)で、花が最も盛りとなるシーズンを選びました。“地球最後の桃源郷”といわれる風景や雰囲気を感じることができるか楽しみです。

「草原の椅子」のテーマは“桃源郷”で“人生のリセット”だと思っているのですが、振り返って、自分の桃源郷ってどこかなと考えた時に迷わず浮かんでくるのが“モルジブ”でした。人生で最も快適で安らかな睡眠体験はモルジブの水上コテージで味わいました。

それではある時期に明確な意志を持って人生をリセットしようと思ったことはあったのかなと振り返ると、それはなく、多分モルジブに数年通った時期に毎年毎年少しずつ無意識のうちにリセットしていたのではないかと思います。

“桃源郷”が人それぞれにあるとすれば、それはヒマラヤであったり、南の島であったり、里山であったり、富士山が見える風景であったり、さまざまだろうなと思います。そしてそれぞれの桃源郷で、明確に意識して人生を“リセット”することもあるでしょうし、あるいは無意識のうちにリセットしていることもあるような気がします。

何はともあれ、ふと立ち止まって、人生を振り返ったり、これからの人生を考えたりするのもいいかもしれません。4月にフンザに出かけて、何が感じられるか楽しみです。

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2013年3月12日 (火)

大山詣で 空を仰いで

3/12(火)、今月に入ってまだ一度も山には行っていませんでしたので、今年3回目の大山に登りました。

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木立の間からは強い陽射しが差し込んでいました。陽射しを受けて緑も息を吹き返しているようで、深閑とした樹林の中を朝の空気を吸いながら歩くのもいいものです。

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駐車場から男坂を登り、下社の階段に出ると真っ青な空がありました。混じりっけなしの一色の水色絵の具を塗りたくったような空でした。

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雪に覆われていた石段も雪が溶けて、すっかりその岩肌を露出させていました。上を見上げて青空がひろがっていると気持ちも明るくなりました。

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途中の富士見台からこれほどスッキリとした富士山を見たのは久しぶりのような気がしました。

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山頂について振り返るとそこにも富士山が見えました。

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山頂のお茶屋は平日は閉店で、メガネをかけたワンちゃんが留守番をしていました。雨の日も風の日も雪の日もメガネをかけているようです。

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頂上から、東京横浜方向は霞んで見えませんでしたが、上を見上げれば青空で、これだけの青は久しぶりでした。

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下山して山里を通りかかると、遠くに大山がはっきり浮かんでいました。日に日に春が近づいてきています。

3月に入って少しずつ暖かくなり、早起きが楽になりましたので、今日も6時には登り始め、11時には帰宅することができ、午後から仕事したり用事を済ませたりすることができるようになりました。暖かいということはありがたいことです。

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2013年3月10日 (日)

浜街道追悼記

また2011.3.11東日本大震災の日がやってきました。まる2年経過しているにもかかわらず復興は遅々として進んでいないようでもあります。“浜街道”は、水戸から宮城県岩沼市まで230kmの海岸沿いの道で、2009.10.19222010.4.2326の延べ8日間歩きました。そして翌年の3.11この“浜街道”は大震災と原発事故により寸断されてしまいました。浜街道追悼記は、昨年も掲載させて頂きましたが、2年経過した今日まで復興はかけ声も虚しく遅々として進んでいないようにも思えます。目に焼きついたあの道、あの風景が一日も早く蘇ることを祈りつつ、再び追悼の記をアップしました。

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2009.10.20撮影(8:20) 1019日に水戸を出発し、日立市で一泊し、“浜街道”と標識のある海岸沿いの道に出ました。とても穏やかな海でした。

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2009.10.20撮影(13:43) この日の目的地は福島県との県境の北茨木市の五浦という町でした。打ち寄せる波は白く波立っていたものの、連日の好天気で穏やかでしたが3.11この海が牙をむきました。

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2009.10.20撮影(15:08) 景勝地五浦(いづら)は画家岡倉天心ゆかりの地で、眼下には海沿いに“六角堂”がありましたが、3.11に土台を残して波にさらわれてしまいました。しかし幸い復興のシンボルとして翌年の4.17に再建されました。

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2009.10.20撮影(17:50) 宿泊は六角堂を見下ろす岩壁の上にある“大和丸”という民宿に泊まりました。漁師の宿でしたので食べきれないほどの料理が出てきました。

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2009.10.21撮影(7:26) 翌日早朝出発する時、民宿大和丸のワンちゃんが見送ってくれました。この辺り五浦温泉は、高い場所にありましたので津波の被害はなかったのではないかと思います。このワンちゃん元気かな?

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2009.10.21撮影(7:58) 五浦温泉は福島県の県境にあり、民宿を出発して30分くらいで福島県いわき市に入りました。いわき市の海岸線は、気持ちよく晴れ、道も整備されていて歩きやすいルートでした。

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2010.4.23撮影(11:47) 福島県広野町の運動公園は、よく整備されていました。この先、福島第二、第一原子力発電所があり、楢葉町、富岡町、双葉町と続く道は原発銀座といわれていて、電源三法交付金による財源で道路や公園、公民館などインフラがよく整備されていたのですが、今はほとんど立ち入り禁止地域になってしまいました。

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2010.4.24撮影(7:02) 富岡町は桜の里として知られていて、特に“夜(よ)の森桜トンネル”の桜は見事でした。この桜は誰からも見られることなく、今年もやがて見事な桜のトンネルを咲かせます。昨年は防護服を着た数人の役所関係の人が見回っているTV映像を見ました。桜を見上げている防護服の姿が痛々しく感じられました。

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2010.4.24撮影(11:08) 原発銀座を過ぎるとやがて南相馬市に入りました。南相馬市は落ち着いたとてもいい町でしたが、原発事故の影響をまともに受けてしまいました。

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2010.4.24撮影(15:24) 南相馬市も避難地域に指定され、一時は空っぽになりましたが、現在では徐々に人口は戻ってきているようです。しかし育ち盛りの子供を持つ家族は、放射能被爆を怖れてなかなか戻ってこないようです。小高川堤防の桜は今年も花を咲かせると思いますが、川面を泳ぐ鯉幟はどのくらい戻ってくるのでしょうか。

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2010.4.25撮影(10:32) 南相馬市の旅館に宿泊し、浜街道を北上すると、県営運動公園では高校生の陸上大会が開かれていました。躍動する若さにジーンとくるものがありました。ここには福島県下の高校生達が集まってきていて、彼らがどうなったのでしょうか。無事なことと、明るい未来がくることを祈るばかりです。

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2010.4.25撮影(10:47) 陸上競技場に隣接して相馬野馬追祭の会場があり、特別席が設営されていました。野馬追祭は昨年無事に開催され、今年も開催される予定で、これも復興のシンボルとして賑わいを取り戻しているようです。

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2010.4.25撮影(14:03) 相馬市内の鹿島町に入りました。この町に限らず浜街道で通り過ぎた町はどこも清潔感が溢れ、とても住みやすそうな街並みでした。

浜街道は、今まで歩いた街道に比べても歩きやすく、街並みが落ち着いて、素晴らしい街道でした。海沿いの道ということもあり、どこに泊まっても海の幸を堪能することもでき、みちのり(230km)も10日前後で歩ける適度な距離であり、いつかもう一度歩いてみたいと思っていました。その道も3.11以来寸断されているようですので、時期を見て車で下見に出かけてみたいと思っています。改めて、犠牲になられた方のご冥福をお祈り申し上げます。

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2013年3月 9日 (土)

岬めぐり 海の幸山の幸

3/8(金)、三浦海岸駅の河津桜見物でお花見気分となってしまいすっかり時間をとられてしまいましたが、気を取り直してこの日の目的地、“剱崎(つるぎざき)”へと向かいました。

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10時過ぎ、三浦海岸の浜辺に出ました。この日はかなり強風でしたが南風で、丘陵が風よけとなっていて穏やかな春の海となっていました。これから向かう半島先端の大浦の岬が霞んでいました。

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穏やかな内海ではわかめ採りの小舟が出ていました。

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海沿いの路の辻には“交通安全守地蔵菩薩”が。この先の自動車道には歩道帯がなく、歩くのは危険でしたので、右側の集落の中の路を歩きました。

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この湾状の内海は穏やかで、ゴールデンウィーク近くになるとシロギスやカレイ釣りのシーズンになると賑やかになります。

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浅瀬では白鷺が小魚をついばんでいました。

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海沿いの路からいつの間にかどこまでも広がるキャベツ畑に出ました。その広さは北海道富良野の広野には比べようもありませんが、三浦半島は丘陵が海に落ち込んでいて、丘陵地帯は塩分を含んだ潮風によって美味しい作物を産み出すともいわれています。大根、スイカやメロンなども収穫されます。それにしてもこのキャベツを収穫するのは大変だろうなあとか、どのくらい収益があるのかなあなどと余計なことを考えてしまいました。

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野菜畑をぬけると再び漁港に出ました。浜では芽昆布の一種を干していました。湯がいた後、細かく叩くと粘りけがでて美味しいとのことでした。売ってもらいたかったのですが、完成していないので非売品とのこと、残念でした。

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港に戻った漁船の周りにはおこぼれをいただこうと海猫が群れていました。

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岩礁地帯に出ると、小さい灯台のような標識が建っていました。日本中の海域には大小たくさんの灯台や標識があり、夜になると光を放ち目印になります。それぞれ発光する色や時間の長さが違い、夜間に沖から見た時に色や時間の長さでどの場所がわかるようになっています。海図にはそれらがこと細かに表示されているのです。小型船舶操縦士の試験問題に出ましたが、もうすっかり忘れました。

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ここは“三浦岩礁の道”として整備されています。かなり先まで海沿いに歩いていけるのですが、今回は剱崎の灯台下まで歩きました。“剱崎(つるぎざき)”の名前の由来は、山の“剱岳”と同じく岩礁がいたるところギザギザに突き出ていて剱の刃のようなことからきています。

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剱崎は半島の突端にあり、いつでも波は荒く、潮の流れも早く、渦巻いているようでした。一秒として、一つとして同じ形のない波の動きは面白く、打ち寄せる波の音を聞いていると思考は停止して、体の中も空っぽになるようでした。

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ギザギザの岩礁は荒波が削り磨いたもので、次第に陸へと浸食されますので、ここではテトラポットが補強されていました。海水の色はいかにも塩分濃度が濃そうな深いブルーをしていました。

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三浦海岸駅に戻るために剱崎バス停に着くと、30分に1本のバスは行ったばかりでしたので、携行食とフルーツで昼食にしました。

山本コウタロウの“岬めぐり”という曲は、三浦半島をバスで旅した時のものだそうです。三浦半島は海の幸、山の幸に恵まれています。大消費地の首都圏が近くにあり、立地条件も恵まれています。特に目についたのが、農家に若い人が多いことでした。それでもTPPの影響はどうなるのかなどつい現実的なことを考えてしまいました。

海辺を歩けば、浜に打ち上げられた海藻を拾う人、小舟を操って海藻を採る人、小魚をついばんだり漁船に群れる海の鳥、港に停泊している漁船など、海は豊饒でした。四方を海に囲まれた日本は世界4位の海洋大国とか。海の恵みに感謝する一方、何百年に一度の大きな災厄をもたらす魔物でもあります。また3.11が近づき複雑な思いです。

それにしても、最近はヤル気と根性がなくなったのか、テクテクの距離が次第に短くなってくるようです。この日は3時間半の行程で、今まででしたら夕方まで頑張って歩いたものですが・・・。

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2013年3月 8日 (金)

岬めぐり 桜咲く

3/8(金)、海沿いの路を横須賀から江ノ島まで歩く岬めぐりの3日目。前回の終着駅、三浦海岸駅周辺では河津桜が満開だということをカミさんに言ったら、是非見たいということで今日はカミさんが同行しました。

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駅前から近くの公園まで、河津桜が満開でした。一足早い春満開、お花見気分でした。

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満開の桜を見て思い出すのは、数年前“浜街道”を歩いた時見た福島県富岡町の“夜(よ)の森公園”の満開の桜です。今年も4月の中頃になればきっと満開になると思うのですが、立ち入り禁止地域となっていて今年も誰も見てあげることができません。早く“夜の森公園”の桜を見に行ける日が来ることをお祈りします。

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河津桜に誘われブラブラと歩いていると、待ちかまえていたような産直移動販売車が三浦野菜を満載していました。結局カミさんがかなり買い込んでしまいリュックは野菜で一杯になってしまいました。

10年くらい前に本家の河津から分けてもらって育てた1,000本の河津桜は今年も花開かせて、それを見に今日も多くの人達(私たち夫婦もそうですが)が集まってきていました。多くの人が立派なカメラを持って熱心に写真を撮っていました。情報の伝達が早いというか、どこそこで梅だ、桜だ、紫陽花だ、とどっと人が繰り出します。今まであまり人が集まらない場所でも、何か見どころをつくれば集客は可能のようです。陽気もよくなり、景気もよくなり、人がどっと出て、お金やものが流れてそれで日本全体、元気が出るならばいいことです。

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2013年3月 7日 (木)

岬めぐり 磯の香

3/6(水)、前日に続いて天気が良く、海沿いの路を三浦半島に向けて歩きました。

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9:38 私鉄の駅を降り、海岸通りに出ました。山に登る時には早起きできるのですが、テクテクの時は気が緩むのか寝坊したりしてすっかり出遅れました。

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9:44 歩き始めて間もなく礼儀正しいワンちゃんが礼儀正しく見つめていました。

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9:46 水が澄んでいて、岩に取り付いた海藻まではっきり見えて、磯の香りが感じられました。この辺りは“走水”と呼ばれている地域で、「古事記」や「日本書紀」にも出てくる古い地名で、日本武尊の伝説で知られていて、名前の通り潮の流れが速いところです。

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10:10 海沿いの路は、船宿や海産物の直売所、新鮮な魚を食べさせる料亭や定食屋が並んでいます。“とろたく重”とは? しばらく歩きながらいろいろ考えたのですが、結局思い浮かびませんでした。

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10:21 観音崎近くのシーサイドロードのベンチで。母子連れが海を見ていました。波は静かで、東京湾を行き交う大船や小舟をのんびりと眺めているようでした。“春の海 ひねもす のたりのたりかな”

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10:45 “たたら浜”というここは草フグの産卵場所として有名な海岸です。白い砂浜ときれいな海が手の届くところにありお気に入りの場所です。

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11:21 かつて日本初の江戸幕府の“浦賀造船所”があったここは、湾が奥深く切れ込んでいますので陸路を歩くとかなり大回りとなります。そこで対岸までショートカットの“渡し船”が地元の人の足になっています。船着場でボタンを押すとすぐに船がやってきました。料金は片道150円でした。

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11:52 渡し船で対岸に渡り、浦賀から久里浜という地域に入った辺り、ヨット仲間のA君が経営しているヨット・クルーザー造船所があります。かつてヨットで一緒に東京湾を横断したこともあり、その後彼は会社経営で大きな借金を抱え、心臓のバイパス手術と最近は脊椎狭窄症の手術を行って、それでもめげず今はトルコ・イスタンブール向けのクルーザーを建造中でした。不死鳥のようなしぶとい男です。

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11:59 久里浜港にフェリーが入ってきました。久里浜港からは房総半島の金谷、大島をはじめとする伊豆七島、小笠原諸島の父島へ向かう船が出ています。ここからのフェリーは乗ったことがなく、今は房総半島までは川崎から“アクアライン”を利用することもできますが、いつか乗ってみたく、のんびり船旅もいいかもしれません。

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12:20 時間がないために歩きながら携行食で食事を済ませ、やがて三浦半島を遙か遠くに見渡せる海岸沿いの路に出ました。風向きのせいか、今までの海岸と違って波が打ち寄せていました。この“金田湾”はシロギスの釣り場で、4月に入ると沖には釣り船が並びます。

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12:59 海を向いている石像が4体。頭にはネッカチーフをまとい、おそらく海の安全を祈ってのことだと思いますが、ネッカチーフはあまりお目にかかったことはありません。三浦海岸への海岸沿いの路は、5年くらい前に歩いた時に比べてかなり整備されていました。

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13:38 三浦海岸近くになると砂浜が広がってきました。三浦半島の先端あたりもだいぶはっきりと見えてきました。

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13:48 三浦海岸駅前に出ると、多くの人がいて、河津桜が満開でした。むせかえるように満開で、春本番のようでした。

馬堀海岸駅から三浦海岸駅までのこのルートは海が近いルートで、たっぷりと磯の香を吸いました。4時間半のテクテクは久しぶりの長距離でした。山登りでは1時間くらい登ったら休んだり、景色のいいところがあればそこで一服とか、適度な休憩がないと息が上がります。一方ウオーキングは急坂でもなければ息が上がることはありませんので、つい先を急いでノンストップというようなことになり、足を痛めたり、急に疲労を感じたりします。今回そのパターンで、陽気に誘われついペースを上げてしまい、ちょっと足にきてしまいました。

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2013年3月 6日 (水)

岬めぐり 横須賀ストーリー

3/5(火)、春の予感を感じさせるような陽気になりましたので、横須賀あたりから三浦半島を海沿いに歩いて江ノ島まで歩くことにしました。

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スタートは、JR

横須賀駅

手前の田浦梅林からにしました。梅の花がほころび始め、あちこちでいろいろな花が楽しみな季節になりました。

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梅の花を見て春を感じた後、JR

横須賀駅

まで歩くと駅

前は海になっていて、海上自衛隊の基地があります。自衛隊の戦艦が停泊していました。中国は尖閣で挑発してこの自衛隊鑑をなんとか誘き出そうとしているようですが。

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最近読んだ本では、横須賀がアメリカ海軍の世界戦略の拠点になるとのこと。

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日本の自衛隊基地と湾を挟んで向かい合うように米海軍基地があります。ここにはアメリカ第7艦隊がありますが、アメリカ大5艦隊もここに統合され、世界戦略の拠点になるそうです。静かな湾内を見ていると、日中が激突した時、あるいは他の地域で戦闘が始まった時には、ここが司令塔となり遙か彼方の海域に展開する艦隊や戦闘機をコントロールするという現実感がわきません。この日は黒い船体の潜水艦が5艇くらい見ることができ、これほど多くの艦船を見たのは久しぶりです。

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横須賀港から海沿いにしばらく歩くと、日露戦争で活躍した“戦艦三笠”があります。ここは子供の頃泳いだり釣りをした場所です。横須賀は海軍の町です。

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海岸沿いの路から少し離れて街の中の路を歩いていくと、居酒屋やお店が並んでいる通りに出ました。通りの幅やビルの大きさがほどほどのスケールで何となく落ち着けます。よく行く居酒屋もこの辺りにあり、赤提灯やあかりに灯がともされると独特の雰囲気となり、以前はしばしば飲みに通ったものでした。

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横須賀は山が海の近くまで迫っていて坂の多い街です。中心街は下町といい、坂を上った街は上町といっていました。私鉄の京急横須賀中央駅から上町への坂は平坂といわれていますが、最新の横須賀市観光課のパンフレットでは、山口百恵ちゃんの“横須賀ストーリー”で歌われた場所で“これっきり坂”ともいうそうです。子供の頃から社会人になるまでよく歩いた坂です。

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平坂を上りきると上町の通りになります。物心ついたころから社会人になるまで住んでいた地域です。大学生の頃家庭教師で通っていた呉服屋さんが昔のままそこにあり、この先には通った小・中・高校があり、山口百恵ちゃんの“横須賀ストーリー”で海が見える場所と歌われた中央公園があります。百恵ちゃんは中学の後輩で、その頃この先の母子寮に住んでいました。

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久しぶりの横須賀歩きがとても懐かしく、先日高校の同期会(同学年の同窓会)の案内状が届いていましたので久しぶりに母校を訪ねてみました。おそらく卒業以来初めて(記憶を喪失してなければ)ではないかと思うのですが、久しぶりの母校はごくごくありきたりの建物でした。通学は裏門から出入りしていましたので、正門から入ったのは受験の時、入学式の時と卒業式の時ではないかと思います。

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懐かしの高校を訪ねた後、再び海辺への路へと戻りました。ちょうど昼時、横須賀魚市場前に食堂がありましたので、新鮮な刺身定食を食べました。ご飯はお代わり自由の食べ放題でした。

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昼食に満足し、更に海沿いを歩き続けました。どこまでも続く海沿いの路は、三浦半島へのつけ根に続いています。久しぶりの平坦な道はどこまでも歩いて行けそうな気がしたのですが、結構疲れるもので、この日は予定を切り上げて馬堀海岸駅で私鉄にとび乗り、自宅に戻りました。

まったく久しぶりの高校(神奈川県立横須賀高校)の校門に立った時、どこの教室で学んだのかとか、図書室は食堂は、運動場はなどなど全く記憶がなく、まるで記憶喪失に陥ったようでした。しかし共に学んだクラスメイトとは今でも飲んだり遊んだりしていて、顔を見合わせればいろいろ記憶は戻ってきます。一応受験校で、少数の頭のいい奴やできのいい多数の女性がいましたが、県下にある有名受験校に比べればごく普通の高校だったような気がします。しかし首相(小泉純一郎さん)とノーベル賞学者(2002年物理学賞・小柴先生)を排出したユニークな高校でもあります。先輩にあたる小泉さんとは同じ大学で、ところがどういうわけか卒業の時は同学年で、その後、まさか首相になるとは、実績評価はいろいろありますがあれほどの支持率を得るとは思いませんでした。一挙に数十年前にタイムスリップしたような一日でした。

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2013年3月 5日 (火)

南の島後日談 領海・領土

海の上にぽっかりと浮かんだ島も全て海底が隆起したものです。今は周りを海に囲まれた島は独立国のようでもあり、宝島のようでもあり、上陸して探検してみたくもなり、ワクワクします。“南の島ツアー”では、行きたいと思っていた奄美大島や久米島などに行くことができました。離島へ飛行機や船で渡り、その第一印象は“遠いなあ~~”ということでした。ところが呑気なことを考えている場合でもないことに気が付きました。

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今回9つの島に上陸してわかったことは中国文化の影響でした。焼き物や行事、お墓や埋葬法など中国文化の大きな影響を受けていて、今日まで残されているものや日本が近代化する頃まで継承されていたものなどさまざまでした。

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地図で眺めてみますと、見にくいのですが最北部(上部)には屋久島と種子島があります。本土は地図から更に上部となりますので、地図の真ん中あたりの沖縄がいかに本土と離れているかおわかりになると思います。沖縄までの距離は、本土からも中国からも台湾からも同じくらいの距離ということがわかります。

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沖縄を南下すると宮古島、石垣島など八重山諸島、先島諸島があり、これらの島々は日本からは遠くなり、中国や台湾とは近くなります。1603年江戸幕府が開かれた頃、琉球は薩摩藩を怖れ明(中国)に援けを求めたのですが、明にその力がなく1609年薩摩藩に併合されてしまいました。もしその時に中国が琉球に手をさしのべていたら沖縄をはじめ宮古島や石垣島の八重山諸島、先島諸島は中国領になっていたと思われます。今回の“南の島ツアー”で最後に上陸した日本のモルジブ(勝手にそう思っています)久米島は尖閣諸島と目と鼻の先であることがわかります。のんびりとうたた寝している場合ではなかったかもしれません。

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今話題?の尖閣諸島(地籍は石垣市登野城)は、中国や台湾とは目と鼻の先であり、日本本土よりかなり近いことがわかります。まかり間違えば沖縄(大陸棚でつながっているので中国領という主張もしています)から先の南の島は全て中国領となっていたかもしれないのです。尖閣諸島については、明治政府は発足後間もなく尖閣列島の存在に気づき、現地調査を行って無人島であること、中国の支配(そのゆとりがなかったようです)が及んでいないことを確かめたうえ、日清戦争に勝った後の1895年、下関条約で正式に日本のものとなりました。

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座間味島でクジラを監視している村役場の職員によると、今年はクジラの姿がいつもの半分くらいで、尖閣周辺に中国の潜水艦が頻繁に出没し、潜水艦のエンジン音(静かでもクジラにはわかるようです)によりクジラが小笠原やハワイに逃避しているのではないかと言っていました。

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中国は東シナ海にある資源が注目されるようになると、突如として尖閣諸島は中国のものだと言い始めました。確かに東シナ海など、日本は四方を海に囲まれていて海洋資源という点からみると資源大国ともいえます。

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先日も、沖ノ鳥島沖の海底(5,000m)を試験的に採掘した結果レアアースが無尽蔵に眠っている可能性があり、その品質も中国で採れるレアアースの20倍くらいの濃度があることがわかりました。問題は深海からの採掘技術とコストですが、これらは必要性に迫られれば解決できる問題と思われます。

南の島ツアーはのんびりしたものでしたが、いきなり現実的な問題を突きつけられてしまいました。それにしても本土から遙か遠くの南の島の権益を守り国土を防衛するということは、これからの日本にとってとてもとても大変だということがわかりました。生きているうちに、日本のモルジブ(久米島)で心からのんびりできる日がくることを祈っています。

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2013年3月 4日 (月)

南の島 さらばモルジブ

久米島の“はての浜”に上陸し、モルジブ気分に満足した後、観光バスで島内観光し、午後一の便で久米島を離れました。

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私たち一行を乗せてくれた観光バス。最後は久米島空港まで運んでくれました。お世話になりました。

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海なのか空なのか、ブルーの濃淡に白い雲が、まるで琉球ガラスのようでした。

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沖縄の砂糖生産の4割を占める久米島のサトウキビ畑。加藤登紀子の“サトウキビ畑” (歌碑が沖縄本島読谷村にあります)が聞こえてくるようでした。

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島内観光を終えて、昼食をとるために一度ホテルに戻りました。カミさんは拾い集めた貝殻を並べていました。アクセサリーにするとのこと。

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パラソルが、萱や葦あるいは竹で編んだものであればもうモルジブです。

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昼食後、すっかりいい気分となってうたた寝してしまいました。島はいいです、何もなくても周りを海に囲まれて、そこにいるだけでいいです。

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久米島空港13:25発のフライトで那覇空港に向かいました。

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那覇空港には14:00に着き、14:50発のフライトで羽田へ。

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羽田に17:00到着し、リムジンバスに揺られてみなとみらい地区に入る頃、夕闇が迫っていました。午前中“はての浜”に上陸し、ホテルのプールサイドでうたた寝をしたのが嘘のようなあっという間の帰還でした。

初めての久米島はまるでモルジブのようでした。もしモルジブに行きたくなったら久米島に来ようと思いました。久米島のモルジブ度~海、空、空気乾燥度~は70%くらいですが、遠路はるばるインド洋に出かけることを考えれば久米島は近く(運賃も安い)、しかも久米島には車エビや海の幸の美味しい料理もあります。ついでに経由地の那覇では三線の響きや島唄をライブで楽しむこともできます。今回のツアーで久米島は最大の発見でした。

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2013年3月 3日 (日)

南の島 はての浜

2/21(木)、ツアー最終日となりました。沖縄入りしてからの天候があまりよくなく、この日はとっておきのビーチに上陸しますので、せめて最後の日くらいは南の島らしい青い空と青い海を見たいと思っていました。

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前日の夕方、日の暮れかかる頃久米島に着き、久しぶりの美味しい料理とリゾート気分を味わい満足して熟睡しました。夜が明けてすぐに浜に出てみると雲がかなり切れてきて好天が期待されました。

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朝食後、観光バスで港に移動してグラスボートに乗り換えました。先に行くインストラクターさんは座間味島出身で、久米島より素朴な座間味島の方がいいけれど、仕事は久米島の方が多いので結局久米島に移住してきていると言っていました。

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目指すは“はての浜”、グラスボートはブルーの海に白い航跡を残してかなりのスピードで飛ばしました。

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“はての浜”に着きました。添乗員さんを先頭に上陸しました。他に誰もいない真っさらの白浜はリゾート気分満点でした。

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上陸と同時に陽が射し始めました。これぞ南の島、青い空、白い雲、グリーンの水、白い浜、遠くに島影が見えすっかり“モルジブ気分”となりました。言葉も何も要りませんがせめてパラソルとチリチリに冷えたビールがあったら・・・。

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グラスボートの船長さん。とにかく冗談が好きな人で、私も小型船舶操縦士1級のライセンスを持っていましたので話が合い、都会が嫌になったら弟子にしてもらうことになりました。

奄美大島では晴れていた天気が沖縄に入ってからぐずついていて、ツアー客の中に余程行いの悪い人がいるのではないかと皆さんの顔を見わたしていたのですが、最後の日に好天に恵まれ、そんな疑念は晴れました。“はての浜”に上陸したとたん“モルジブ”をイメージしました。

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2013年3月 2日 (土)

南の島 久米島へ

2/20(木)、ツアー4日目は、執念でクジラを見た後、一度沖縄・那覇に戻り、久米島へと渡りました。

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座間味港から沖縄本島に向けてフェリーで移動しました。座間味島に来る時には高速艇で1時間でしたが戻る時はフェリーで2時間でした。座間味島の“シラハマアイランズリゾート”の社長さんが見送ってくれました。

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久米島へは飛行機利用でしたので、沖縄・泊港から那覇空港に移動しました。離島に3日しかいなかったのに那覇市内や那覇空港は大都会に見えました。

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那覇空港からはプロペラ機で、定員40人くらいで、ヒマラヤ遊覧飛行の時と同じくらいの大きさでした。

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久米島空港に到着しますと、楽天歓迎の横断幕が出迎えてくれました。星野監督率いる楽天イーグルスが久米島でキャンプを張っていました。

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夕方6時過ぎにホテルに到着しました。既に日が暮れつつあり、ロビーにも灯りが点っていて、今まで宿泊した離島のホテルとはかなり趣が違っていました。

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ホテルの前庭にはプールがあり、その先には海が広がっていて、いきなり別世界に来てしまったようでした。

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離島での食事は、ダイビングで何回も経験していますので、質素であることがあたりまえと思っていたのですが、ここでの食事はかなり凝ったもので、海ぶどうや魚、沖縄の食材をうまく活かしたもので、今回のツアーで初めて旨いと思いました。

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久米島は車エビの養殖が盛んで、日本一旨いと謳っていましたので、追加で食べてみました。食べ方は刺身、塩焼き、天ぷらなどお好みでしたので、好物のカルパッチョにしました。これもなかなかで、急に贅沢モードになってしまいました。

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今回のツアー最後の夜でしたので、食後は “泡盛バー”で“古酒久米島”のオンザロックを味わいながら、日の暮れた海をぼんやりと眺めたり、この日までの離島ツアーのあれこれを振り返ったりしました。

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2013年3月 1日 (金)

南の島 座間味・慶良間の生き物

本土から遙か離れた離島、海底にはさまざま魚介類が生息し、珊瑚が美しい竜宮城のような景観をつくっています。たった1回のダイビングでしたが、座間味の海底は透明度が高く、ダイバー憧れの島でした。海底だけではなく、そこで生きている生き物も生命力に溢れていましたし、ここで咲く花は奄美大島と同じように色濃く鮮やかでした。

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阿嘉島に引っ越してきた“シロ(オス犬)“が飼い主と一緒に座間味島に行った時、”マリリン(メス犬)“に会って一目惚れ、阿嘉島に戻ってからも”マリリン“を忘れられず、ついに潮の流れの速い海を泳いで座間味島に渡ったという実話の主は、今日も座間味島をじっと見つめているのです。”マリリン“も”シロ“も羨ましい。

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慶良間鹿

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アカハライモリの表。うっかりすると践んでしまいそうになるくらいノビノビと生きていました。

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アカハライモリ、その名の通り

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慶良間諸島の花たちは、奄美大島の花と同じように南の陽を燦々と浴びて、鮮やかな色を誇示していました。横浜に戻ってきて、1週間が経ちましたが、南西島嶼(とうしょ)の領海問題などが報じられるたびに南の島で生きている生き物たちや咲いている花たちを思い出します。

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