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2013年5月31日 (金)

丹沢登山⑤ 塔ノ岳山頂

5/14(火)、塔ノ岳山頂の山小屋で一夜を明かしました。

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18:59の街の灯

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19:29の街の灯

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4:26 夜明け 富士山からはよく見ることがある雲海を塔ノ岳でも見ることができました。東の空が明るくなり始め、また新しい一日が始まりました。

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4:28 富士山はまだブルーの薄闇の世界に閉じこめられていました。

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4:37 祈りを捧げている人がいました。厳かな気持ちになりました。

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4:42 ゆったりと眠ることができましたので、心地良い寝覚めでしたが、気温は8℃でした。標高が書かれた標木の後に温度計がはめ込まれていることに初めて気がつきました。

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4:47 東の空がグングンと赤みをおびてきました。

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4:50 まん丸い御来光でした。

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4:58 富士山が美しい姿を現しました。

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5:24 富士山の上空に青空がひろがり始め、薄雲もわき始めました。

塔ノ岳山頂の1時間の夜明けの天空ショーは、雲海から始まり富士山がまるで浮き上がるように姿を現し、いつもの一日が始まりました。特に夕焼けがきれいだとか夜明けが素晴らしいとかではありませんでしたが、日々繰り返されている宇宙の営みの一コマですが、それでも厳粛な気持ちになりました。山頂の石像にひざまづいて手を合わせている登山者の姿に、日本の登山は山岳信仰から始まったという説を実感しました。次は丹沢山脈最高峰の蛭ヶ岳の山頂光景を見てみたいものです。

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2013年5月30日 (木)

丹沢登山⑤ 尊仏山荘

5/14(火)、表尾根コースのヤビツ峠から塔ノ岳へのルートで、なんとかかんとか山頂に到着しました。

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一度塔ノ岳山頂からの夜景や夜明けの光景を見てみたいと思っていましたので塔ノ岳山頂にある山小屋、尊仏山荘に宿泊しました。

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何はともあれチェックインして、ビールでノドの渇きを癒しつつ、無事の到着を祝って乾杯しました。

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しばらく遅れてAさんご夫妻も到着し、尊仏山荘談話室で寛いでいました。若者二人組のうち一人が踵にマメができて治療していました。いつもはここで一休みして下山するのですが、この日は宿泊しますので、かなり寛ぎ気分でした。

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一休みした後、宿泊場所を案内してもらいました。まあごく普通のどこにでもある山小屋ですが、清潔感があり、よく手入れされているようでした。

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ヤビツ峠から行動を共にし、カミさんが足がつった時「ツムラの68番」を分けてくれたAさんご夫妻は宿泊しないで大倉尾根を下るというので山頂でお別れしました。70代になってもお二人で山歩きができるなんて素晴らしいご夫妻でした。見習いたいものです。また丹沢のどこかでお目にかかるかもしれません。

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この日は宿泊客は10人ちょっとで、半分くらいの人は個室に入りましたので、私達は好きなところに好きなように寝ることができ、かなりの贅沢気分でした。

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ここの夕食は手作りカレーと決まっていて、オカズや副食は持ち込み可となっています。カレーは美味しく、お代わり自由でしたし、オカズも十分でした。

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部屋からも日が暮れていく様子を見ることができました。

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尊仏小屋の管理人さんはとても優しく気のつく人でしたが、写真を撮り忘れ、代わりにヌシ的存在の貫禄猫の写真を撮りました。

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この山小屋の朝食はここ数十年おでんと決まっていて、薄味仕立てで、汁まで飲んで塩分補給してくださいという配慮がなされていました。

塔ノ岳は何回も登ってきているのですが、今回初めて尊仏小屋に泊まりました。お昼過ぎに到着して山頂や山小屋でのんびりしたのはとても贅沢な気分でした。

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2013年5月29日 (水)

丹沢登山⑤ 鳥尾山荘~塔ノ岳

5/14(火)、表尾根コースの烏尾山荘から塔ノ岳を目指しました。

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烏尾山荘からはまたまた下りで、下りの後は登りが待ちかまえているわけで、このアップダウンにかなり体力を奪われました。

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行者ヶ岳で一服しました。私はここで食事をとり、カミさんは食欲がないというので食事をせずに先を急ぎました。

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岩場にさしかかると岩鏡(いわかがみ)が花を咲かせていました。花言葉は“忠実”だそうです。

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何ヶ所か鎖場がありました。このAさんご夫妻とは私達とほぼ同じペースでしたので、途中からすっかり顔なじみとなりました。

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ここまで何回も登り下りのアップダウンを繰り返してきましたので、かなり足は重くなってきました。

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新大日茶屋に着いて、残すところ40分の登りとなりナンとか先が見えてきました。

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ついにカミさんが足をつってしまい、カミさんのリュックを背負うことになり、槍ヶ岳の時以来二度目でした。しばらく同じようなペースだったAさんご夫妻の奥様も両足つってしまいかなりペースダウンしていました。

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カミさんはつった足をナンとかかばいながら最後の登りを頑張っていました。

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ようやく塔ノ岳頂上に到着し、ホッとしました。

アップダウンが多い表尾根コースは展望がよく面白いコースですが、難点はスタートとなるヤビツ峠までのバスが1本しかなく、しかもヤビツ峠に着くのが9時過ぎで山登りのためには遅い時間であることです。せめて7時頃に登り始めることができるといいのですが。

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2013年5月28日 (火)

丹沢登山⑤ ヤビツ~鳥尾山荘

5/14(火)、今年5回目の丹沢登山は、ヤビツ峠からの表尾根コースを歩きました。

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表尾根コースは、ヤビツ峠から二の塔、三の塔、鳥尾山、行者ヶ岳、新大日を経由して塔ノ岳(1,491m)に至るルートで、私は2回目(あまり記憶にありませんでした)、カミさんは初めてでした。

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ヤビツ峠へは小田急線

大秦野駅

からバスで向かいました。平日にもかかわらずバス停には長蛇の列ができていました。このバスは朝の時間帯は1本しかないため乗り切れない人がでると臨時バスが増発され、この日も臨時バスが増発されました。富士山の世界遺産登録により、昨今の登山ブームに更に拍車がかかっているようです。

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バス終点のヤビツ峠に着くと、登山客の多くは大山登山に向かい、3割くらいの人が丹沢登山に向かいました。

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ヤビツ峠から30分くらい歩くと表尾根コースへの登山口に着きました。

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緑鮮やかな登山道を、カミさんは初めてですのでおっかなびっくり登っていきました。

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登山口から小一時間も登ると大山山頂が見えました。

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三の塔(1,205m)までは上りが延々と続きました。

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折角登ったのに次の山を目指すためにまた下ることになり、このアップダウンが表尾根の特徴のようです。これから再び登ることになる尾根が先の方に延びていました。

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ところどころ小さな花が疲れた身体を癒すように目を楽しませてくれました。

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鳥尾山荘への登りはきつく、この日は特に暑く、かなり体力を消耗しました。

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なんとかかんとか鳥尾山荘に着きました。暑さのためにカミさんはかなりバテていてこの先がちょっと心配でした。

初めて登る山はどんな道かなとか、どんな光景が見られるかなど楽しみでもありますが、あとどのくらいで目的地に着けるのかなという不安もありました。

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2013年5月27日 (月)

丹沢登山④ 緑の回廊

5/10(金)、久しぶりに今年4回目の丹沢登山しました。前回は2/28に登りましたので2ヶ月半ぶりでした。

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駐車場に車を駐め、6:30にビジターセンターを出発しました。日の出が早くなりましたのでこの時間でも周りはかなり明るくなっています。

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大山と同じように、多分日本中の山が新緑に包まれていることと思います。緑の回廊に陽が差し込んで、緑はいいですね、特に新緑は。

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緑を楽しみながら黙々と足を動かして、距離的にも時間的にも半分以上来ました。気温がかなり上昇しつつあり、これからの登りが正念場となります。

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一人で黙々と、二人でも黙々と、木の階段やガレ場の登りを繰り返し、バカ尾根を越え、最後の上りを登り終えた時、ほ~っとため息をついて、なんでこんなことしているのかなあと時々思うこともあるのですが、また来てしまうのです。

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山頂からの景色は、青空も白い雲や灰色の雲に占拠されていました。富士山も僅かに頭を出しているだけで全体にぼやけていて、この世とは思えないような淡いぼんやりとした雰囲気を醸し出していました。

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食事と小休止をとった後、同じ道を下山しました。バカ尾根を、下を向いて皆同じように肩で息をして、何で来てしまったのかというような顔をして、必死になって登ってくる人達がぽつりぽつりと絶える間がありませんでした。

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遅咲きなのか、いつもと同じ時期に咲いているのか、登る時には下ばかり向いていて気がつきませんでした。

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小さな花や緑にまぎれるように咲いている花、命とDNAが受け継がれて、今年も同じ場所で同じ色を見せていました。

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6:30に登り始め、13:00に下山しました。食事や休憩を入れて大体6時間半かかりました。久しぶりということもありできるだけゆっくりのペースを心がけましたが、その分疲労度は少なく、多分これが丹沢(塔ノ岳)登山の自分のペースではないかと思いました。

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2013年5月26日 (日)

大山詣で⑥ 新緑の候

連休の後半に入った5/4(土)、新緑の大山に登りました。今年6回目の大山詣ででした。

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5月の新緑の頃、山歩きの最大の楽しみは“緑”です。緑は、碧や翠という文字があり、また緑の色合いも薄緑から濃い緑までいろいろです。登り始めて間もなく鮮やかな緑が目に飛び込んできました。

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いつものように男坂を登っていると先行者がいました。いつもですと7:30という早朝の時間に登っている人は少ないのですが、この日はGW後半の土曜日ですので入山者は多いようです。

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さまざまな色彩をもつ緑が降ってくるような石段の道は、緑を楽しむように一歩一歩ゆっくり上がっていけばあまり疲れないものです。

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見上げれば緑の先に青い空があって、山を歩くことができる幸せを感じる一時でした。

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“男坂”を上りきって大山阿夫利神社(下社)にでると、青い空が広がっていて、いつもと同じ風景に何故だかホッとして一息つきました。

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桜の時期はとっくに過ぎているこの5月、パキスタンから戻って久しぶりに見る桜でした。しみじみと日本を感じました。

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大山では花を見る機会は少なく、足下のどこにでも見かける小さな花は春の到来を告げていて、愛おしく感じました。

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山頂にあるお茶屋の番をしているのは犬か猫か、見ればみるほどわからなくなり、登るたびに犬に見えたり、猫に見えたりします。前回はメガネをかけていなかったのですが、今回はメガネをかけていました。

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大山山頂には奥の院があり、大山阿夫利神社は下にあるので俗に下社と呼ばれています。

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山頂で遅めの昼食をとった後、下山していると続々と登ってくる人に会いました。大人から子供まで、家族連れもハアハア息を切らしながら登ってきました。大山はケーブルカーも利用できますし、観光地としても知られていますのでハイキング気分でくる人も多く、途中でこんな筈でなかったと後悔する人も多いようです。そして大抵翌日か翌々日にはふくらはぎの痛みで階段を下る時に苦労することと思います。

パキスタンから戻って初めての山登りは、新緑が目に鮮やかでしたし、合間に歩いたの“岬めぐり”では潮騒の音が聞こえてくるような海辺の道を歩き、しみじみと日本の自然の美しさを実感しました。

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2013年5月25日 (土)

岬めぐり 江ノ島周遊

5/6(月)GW最後の日のお昼前に江ノ島に着きました。折角の好天気でしたので江ノ島をぐるっと歩いてみました。

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この日は巫女さんもお守りやお札、占いなどの商いで大忙しで、商売繁盛でした。

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江ノ島弁財天は日本三大弁財天の一つで、裸形で坐っている珍しいスタイルをしています。琵琶を抱えていますので芸能関係の人がよくお参りにくるそうです。

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江ノ島にはいくつかの神社や洞窟があり、信仰の島であり、最近はパワースポットとされ、若い人達が多く訪れるようになっています。

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島めぐりの道はかなり傾斜があり、高台に上るとテクテクと歩いてきた三浦半島や逗子、鎌倉などの海沿いの“岬めぐり”の道を見ることができました。

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高台から下ると海岸に出ました。ここは江ノ島大橋の架かる沿岸部の反対側で外洋に向き合っているためにうねりが大きく、潮の流れも早そうで、荒々しく、じっと見ていると吸い込まれそうになりました。

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江ノ島には海の幸を食べさせる海鮮料理の店がたくさんあり、昼時とあってどこも混んでいました。

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明治天皇がお召し上がりになったという古代“女夫饅頭”を売っている老舗のお土産屋は頑張っていました。

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新興の“丸焼きたこせんべい”の店には若い人達の行列ができていました。なるほど美味しそうでした。

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貝やいいだこの串焼き、生しらす、しらす煎餅等々、空きっ腹にはたまりませんでした。江ノ島はグルメの島でもあります。

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帰りは江ノ電で混雑の予想される鎌倉とは反対方向の藤沢駅に出て帰宅しました。江ノ電は単線で、民家の軒先スレスレに走ったりしていて、地元民からも親しまれているローカル観光路線です。

“岬めぐり”も無事に江ノ島にゴールインしました。梅の時期に横須賀を出発し、三浦半島を一周して江ノ島にたどり着いた“岬めぐり”は延べ7日間の沿岸ウオークでした。楽しく海沿いを歩くコースというのはなかなかありません。例えば半島歩きの場合、半島は山が海へと落ち込んでいますので、歩道が断崖絶壁で寸断されてしまうケースが多いのです。今回の“岬めぐり”コースは、磯歩きや浜辺歩き、三浦半島の海の幸と山の幸も楽しめ、葉山、鎌倉江ノ島という観光コースも歩くことになり、楽しめるコースです。これからも年一回、この時期に歩きたいコースです。

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2013年5月24日 (金)

岬めぐり 江ノ島ゴール

5/6(月)GW最後の日、岬めぐりの7回目は逗子市から鎌倉市に入り、稲村ヶ崎を通り抜け、最終ゴールの江ノ島を目指しました。

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由比ヶ浜海岸から見えていた稲村ヶ崎は、鎌倉幕府追討の新田義貞がここを渡った時の話が残されている史跡ですが、最近では稲村ジェーンの方が有名な名勝の地です。

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稲村ヶ崎を越えると七里ヶ浜に出、江ノ島が見えてきました。

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七里ヶ浜はその名の通り長い砂浜で、はっきりと見えている江ノ島まではかなり歩きでがありました。

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七里ヶ浜沿いの134号線と並行して江ノ電も走っています。

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七里ヶ浜が終わり、腰越漁港の近くに「満福寺」があります。ここは「源義経の腰越状」で知られた古刹です。義経が平家追討で功績を挙げ、頼朝に無断で宮廷からの栄誉を受けたことにより頼朝の逆鱗に触れ、ここ「満福寺」で足止めされ鎌倉に入ることができませんでした。

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腰越漁港はシラス漁の本場で、生シラスや釜揚げシラスを買いに来る人や食べに来る人達を多く見かけました。

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腰越漁港から江ノ島にかけての沖では若い女性サーファー達が練習していました。この日はあまり大きな波はなく、波に乗るというよりは波と戯れているようにしか見えませんでした。

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ようやく江ノ島に到着し、江ノ島大橋を渡りました。車道の車も多く、歩道もたくさんの人達が歩いていました。

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江ノ島大橋を渡るとお土産物屋があり、サザエや蛤、イカなどを焼く香ばしい匂いに、ただでさえ空腹であるお腹がさらにグ~~ッとなりました。

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両端にお土産屋が軒を連ねる参道には人波が溢れかえっていました。まるで初詣の時のような人混みでした。

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ゴールの江ノ島神社には、善男善女が列をなして交通安全を祈願していましたが、縁結びの願掛けをしている人も多そうでした。

江ノ島の賑わいはある程度は予想していたのですが、これほど混むとは思いませんでした。何となく景気も良くなりそうな気配もあり、観光地が賑やかだと気持ちまで弾んできます。

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2013年5月23日 (木)

岬めぐり 鎌倉

5/6(月)GW最後の日、岬めぐりの7回目は鎌倉の海岸を目指しました。

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京浜急行

の新逗子駅

から歩き始め、15分もすると逗子海岸に出ました。天気もよく、海も穏やかで気持ちのいいテクテク日和でした。

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逗子海岸を気持ちよく歩いていたのですが、いきなり「行き止まり この先 歩道 ありません」という標識があり、そういえば何年か前にここを歩いた時にもこんな標識があったことを思い出しました。

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かまわず進んでいくとトンネルがあり、端にかろうじて歩ける歩道がありました。かつて歩いた四国遍路道や奥の細道ではこの歩道さえないトンネルもありましたので、それに比べればマシですが、脇を爆走する車の騒音や圧力はかなりのものでした。

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トンネルを抜けるとまったく歩道がなくなり、自動車専用道路であるためおそらくドライバーは人が歩いているとは思わず脇を疾走していて、ここは本当に怖い思いをしてしまいました。

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次のトンネルを抜けると鎌倉市に入り、材木座海岸が見えてきました。それにしても海岸線を辿って逗子市と鎌倉市の間を行き来できないのはどうしてでしょうか。まるで人の流れを拒んでいるようで、不思議なことです。

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逗子市と鎌倉市の間のテクテク禁止道を抜けて、材木座海岸の砂浜に降り立ち、波の打ち寄せる音を聞きながら、サラサラとした砂の感触を楽しみながら、前方に見える稲村ヶ崎を目指しました。

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鎌倉駅へと向かうT字交差点があり、ここから先の海岸は由比ヶ浜で、ここは真っ直ぐと江ノ島方向へと向かいました。

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GW最後の日とあって、たくさんの人達が由比ヶ浜海岸に出ていました。この日は、市民がボランティアでゴミ拾いの砂浜清掃を行ってもいました。

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カイトが気持ちよさそうに飛んでいました。ここから先は、鳶がたくさんいて、食事をしたり食べ物を手に持って歩いていると襲われることがありますので要注意です。

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由比ヶ浜から稲村ヶ崎にかけては、地形的に風が強く吹きつける場所のようで、ウィンドサーフィンがかなりのスピードで走っていました。

材木座海岸や由比ヶ浜は、鎌倉市が命名権を募集し、鎌倉の定番銘菓“鳩サブレー”のメーカーが応募したそうで、しかし“サブレー浜”とか“サブレー海岸”という名前をつけず新たな名称を市民から募集しているとの報道がありました。さすが懐の深いメーカーです。

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2013年5月22日 (水)

岬めぐり 葉山マリーナ

4/28(日)、岬めぐりの6回目の後半は、葉山御用邸から葉山マリーナを目指しました。

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葉山御用邸前には磯が広がっていて、家族ぐるみで磯遊びをしていました。磯遊びも憧れの遊びで、干潮になると水中に沈んでいた岩が現れ、岩をどけると小魚が素早く走り、慌ててカニがウロウロと、小さい頃祖父によく連れていってもらった思い出も一杯です。

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葉山の海は磯が海中にずっと続いていて、意外にもダイビングスポットがいくつかあります。ここでも何回か潜ったことがあり、正月に潜り初めをしたこともあり、無茶をした昔を思い出しました。

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海に面したこの施設は、母が大変お世話になりました。晴れた日には、窓から富士山、裕次郎灯台、江ノ島を見ることができとても気に入っていた場所で、母はここで最後を迎えました。

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森戸海岸から葉山鐙摺港にかけてはヨットのメッカとなっていて、その中でも葉山マリーナは中心的な存在になっています。遙か昔、まだホテルとして宿泊施設を持っていた頃、ここで結婚式を挙げ、新郎控え室で、今はヨット会社を経営しているK君とバッタリ顔を合わせ、同じ日に同じ場所で挙式したことを知りびっくりしたことがありました。

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葉山鐙摺港はヨット発祥の地で、しばらくは普通の漁港でしたが、現在は設備も整い、すっかり近代的なヨットハーバーとして生まれ変わりました。

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この日もたくさんのヨットが帆に風を受け、海の上を蝶のように動き回っていました。ここでよくヨットレースをしたことを思い出しました。

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葉山鐙摺港の先、海に張りだすようにラ・マレード・チャヤというおしゃれなレストランがあります。ここの“ウニパイ包み”という料理は絶品です。

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直進すれば逗子へ、左に海外沿いを歩けば鎌倉・江ノ島方向へ行く分岐に出ました。この日の予定では最終目標の江ノ島まで歩くつもりでしたが、あまりに好天気でのんびりして予想以上の時間がかかり、母のこと、自分の結婚式のこと、リクルートのヨット部のことなど、感傷に浸ってしまいすっかり歩く気力がなくなってしまい逗子駅から帰ることにしました。

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(画像は数十年前のヨット部風景)リクルートに入社して間もなく、江副社長所有のY-15という小型のヨットを無料で譲り受け、葉山マリーナをベースにヨット部を創設し初代の部長となり、週末には葉山マリーナに通い詰めました。その後、リクルートヨット部はオリンピックにも出場するようにもなりました。江副さんは面倒見のいい人で、ヨット部の合宿では練習後は逗子にあった自宅に招待してくれ、私達が麻雀をしている間にアジのたたきとおむすびをつくってくれたりしました。

私は2年後にリクルートを退職して独立し、ヨット部の仲間達や同期の連中の多くも独立を果たしました。社員が独立することを快く応援してくれた江副さんは今は亡く、しかし後輩達はリクルートのDNAを受け継ぎ、めざましい活躍をしているようです。江副さんは財界という魔界に足を踏み入れ、勇み足が命取りになってしまい無念の晩年だったと思いますが、日本で初めて“情報”をビジネスに結びつけた人であり、私にとってはビジネスの師でもありました。葉山の海辺を歩いていると一気に青春が蘇ってきてしまいました。

決して順風満帆ではなかったこれまでですが、なんとかここまでやってこれました。人生楽しむ余裕も少し生まれ、またこれまでを振り返るゆとりも出てきたのかなあと感じるこの頃です。

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2013年5月21日 (火)

岬めぐり 葉山ご用邸

4/28(日)、パキスタンツアーで中断していた岬めぐりの6回目は、三浦半島の佐島をスタートして葉山ご用邸を目指しました。パキスタンツアーのブログ更新に時間がかかり、後追いの形になってしまいました。

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前回の到着地点立石から歩き始めました。天気は快晴でこれ以上ないコンディションでした。海辺歩きは山歩きと同様、天候が最も大事な条件ですから好天気の日を選んでいます。

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岬めぐりのテクテクはできるだけ海岸線を歩くことにしていますが、浜辺を歩けるカ所は比較的少なく、長者が崎へのルートは人出も少なくのんびりと浜辺を歩くことができました。

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長者が崎を過ぎると浜辺のルートは途絶え、国道沿いを歩くことになり、葉山町に入りました。

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突き出た磯周りで海の上を移動している人を見かけました。穏やかな海で、水面に白いスジが見えているのは潮の流れで、潮流が早いことがわかりましたが、それにしても海上の人影は不思議な光景でした。

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海上移動の人は浜辺に近づいてきました。聞いてみると最近流行り始めているそうで、サーフボードを一回り大きくしたもので、その分重いそうですが、海上移動のボードで、いざとなれば波乗りもできるそうです。遠くに目的地の江ノ島が見えていました。

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穏やかな水面には帆掛け船が現れました。ヨットの帆とは形状が異なり、船体もカヌーに近く、どちらかといえば帆掛け船のようでした。風がほとんど無く、船の上の人が一生懸命櫂を漕いでいました。遠くに富士山が見えていてのんびりした風景でした。

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次はかなり長いカヌーが2艘連なるようにして、水面をミズスマシのように移動していました。この長身カヌーもあまり見たことはなく、最近海から遠ざかっているうちにすっかり流行から取り残されてしまったようです。

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シーカヤックが浜辺で休息していました。以前海を自由に動き回れるシーカヤックを操ってみたいと思ったことがあり、スクールに入ろうとしたのですが、ほとんどが若い人ばかりで結局あきらめてしまいました。今にして思えば、陸や山を歩いているだけで十分満足です。

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岩壁で一人、富士山を眺めている人がいました。遠くにはまるで空中に浮いたような富士山が秀麗な姿を見せていました。この日は日曜日、一人きりで何を考えているのでしょうか。

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出発してほぼ1時間で葉山御用邸に着きました。こちらは御用邸の裏側になります。天皇陛下や皇族方が行幸されると活気づくのですが、この日はひっそりとしていました。

久しぶりの海辺のテクテクは、心地良い潮風に吹かれながらのんびりとしたものでした。この日は日曜日ということもあり、若い人から熟年まで多くの人がさまざまな遊びをしていました。遊びは、たかが遊びですが、実際に遊ぼうとするとかなりのエネルギーが必要になります。大人達が真剣に遊んでいる姿はいいものだなあと思ったりもしました。

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2013年5月20日 (月)

桃源郷へ 帰国

4/14(日)の夜、イスラマバードの西遊旅行社直営のレストランで最後の晩餐をとった後、帰国の途につきました。

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食事を終えてレストランを出たのが20:45頃で、これから飛行場まで移動して22:50のフライトに間に合うのかなと不安になりました。そういう時に限って空港への道路が封鎖され車はストップし渋滞が発生し、慌てて添乗員の村田さんやガイドのサリーヌさん達が車を降りて情報収集に。VIPが通るために交通が遮断されたとの情報が入って間もなく車は動き出しました。空港に着いたのは21:20。ドタバタと自分たちのスーツケースを持ち運びながら、慌てて写真だけ撮りました。空港ではカメラ撮影が禁止されていますので、フラッシュはたけず、手ぶれはするし。それからの手荷物検査、搭乗手続き、出国審査も混雑し、搭乗口に辿り着くと同時に搭乗開始となりました。パキスタンエアラインはどうせ遅れるだろうと高をくくっていたのですが、定刻通りの出発でかなり慌ててしまいました。

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機内で夜明けを迎え、北京空港にも定刻通り4/15の朝無事に到着しました。ここで給油や機内清掃のため1時間20分の機内待機となりました。

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イスラマバードを出発する時には満席だった機内も、多くの中国人が降りた後はがらんとしていて周りは私達西遊旅行社グループ44人だけとなり、開放感からか次第に冗談まじりの中国批判となったのですが、予定の時間を過ぎてもここ北京から搭乗する人も乗り込んでくる気配も飛び立つ気配が全くなく不安となりました。誰かが、盗聴されていて中国の悪口を言ったために管制塔から離陸の指示が出ないのではないかときつい冗談を言ったために急に機内はシーンとなってしまいました。結局3時間の機内待機の後無事に北京を飛び立つことができました。

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成田には北京での遅れを取り戻すくらい順調に着陸しました。出国手続きを終え、預けたスーツケースなどが出てくるのを待っている時間は、ツアーで一緒だった人達と別れを惜しんだり、再会を願ったりとした安堵の時間帯でした。

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最寄り駅までのリムジンバスを待っている時間帯は、帰国して自宅に戻るという実感を最も強く感じた瞬間でした。風呂に入ってビールを飲んで、寿司を食べたい、ラーメンも、家族や会社スタッフ達、ご近所さん達どうしているかな等々・・・。

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みなとみらいに到着するともう気分はすっかり現実に引き戻され、人波に揉まれながら、少しずつ現状復帰するのでした。

11日間の旅でしたが、いつものことながら長いような短いような。ヒマラヤのトレッキングのように大自然の中に自分の足で踏み込んだわけではなく、同じ大自然でもポリスにガードされながら、カラコルムハイウェイを疾走しカラコルム山脈の奥深くに入り込み、村々を訪ね、人々の生活にも触れてきましたので、それほどの“浦島太郎的気分”にはなりませんでした。最後は慌ただしい帰国となりましたが、楽しく、面白く、素晴らしい経験をたくさんすることができました。パキスタンについて持っていたイメージとは全く異なる見聞ができ、旅の素晴らしさを実感しました。

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2013年5月19日 (日)

桃源郷へ イスラマバード・最後の晩餐

4/14(日)、早朝ペシャムを出発して18時にイスラマバード市内に入り、パキスタンでの最後の晩餐となりました。

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イスラマバード市内に入ると巨大なモスクがありました。

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最後のお土産などの買い物のため大型スーパーに寄りました。

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とても屈強そうなおじさんが出口をガードしていました。実物の銃を持っているところがリアルです。カメラを向けたら怒られるか銃を向けられるかおっかなびっくりだったのですが、ちゃんとカメラ目線になってくれました。

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支払はドルが使えると聞いていたのですが、レジでは使えないとわかって皆焦っていました。すかさず添乗員の吉田さんが助け船を出してくれました。

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イスラマバード中心部には西遊旅行社の直営オフィスとレストランがあり、ここで最後の食事となりました。レストランの隣では何を焼いているのかとても美味しそうな匂いと煙が漂ってました。

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直営レストランの店内は先客がいて賑やかでした。先客は成田から一緒で途中別行動をとった西遊旅行社のトレッキングチーム20名でした。このチームとはここから成田まで一緒でした。

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席について、何はともあれ大変お世話になったMさんと乾杯(もちろん闇ビール)しました。Mさんとは抽選でよく一緒のバスになり、お腹の調子を壊した時には席を替わってくれたりお世話になりました。この人も世界中の秘境を歩いている人で、次はインドの最奥地ラダックへ行くとか。

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旅を無事に終えた安堵感で、あちこちで乾杯しました。この女性の皆さんも世界中の秘境を歩いていて、いやはや日本女性は逞しい。

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料理はパキスタン北西部のペシャーワル料理で、下味がついたお米の上に肉や魚介類、野菜などをおいて蒸したものでとても食べやすく、お腹の調子も戻ったために美味しくいただきました。

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肉や野菜、豆腐などを炒めて甘辛くあんかけ風・中華丼風にした料理も好評でした。

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久しぶりのスイーツも美味しくいただきました。

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添乗員の村田さんから現地スタッフの紹介がありました。肝っ玉姉ちゃんの吉田さんは現地スタッフからも一目置かれていて、サリーヌさんをはじめ大の男が吉田さんの前ではかしこまってしまいました。それだけ頼りがいのある人でした。

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現地ガイドのサリーヌさんと助手のウスマンさん(中国語はできるのですが日本語は話せません)からのスピーチがありました。サリーヌさんからは「パキスタンが危険というイメージだけが一人歩きしていて、良さがわかってもらえないのが残念」というスピーチがあり、その気持ちはよくわかります。

パキスタンの美味しい料理と闇ビールに満足して、22:50発の飛行機に乗るために慌ただしくレストランを後にしました。現地ガイドさんには大変お世話になり、何日間も苦楽をともにしましたので、いつものことながら別れは辛いものです。

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2013年5月18日 (土)

桃源郷へ ガンダーラ美術

4/14(日)、今回のツアーで最後の観光は、仏教遺跡群タキシラを訪れ、ガンダーラ仏教や美術に触れることができました。

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先ず立ち寄ったのがかつてのガンダーラ国の首都ペシャーワルにある「ペシャーワル博物館」を訪ねました。ここにはガンダーラ美術に関して質量共に最も充実しているとのことでした。しかし残念ながら原則(警備員に袖の下を使えば原則はなくなるとのことでした)撮影は禁止でした。緑の濃さがとても印象的でした。

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博物館の庭で寛いでいたファミリーは、インド人に見えたのですがパキスタン南部の人達のようでした。なるほど男性だけではなく女性もまるまると太っていて、幸せ太りを絵に描いたようでした。

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博物館の入り口の売店のお兄ちゃん達はじーっとこちらを見ていました。不思議なことに不愉快になることはなく、ついこちらも笑いかけたり手をふったりしてしまいそうになりました。日本ではこれほどじーっと見つめることや見つめられることはありません。

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ジョウリアン僧院址には遺跡がたくさん残っていて、そこでは遺跡群は金網の中で厳重に管理されていて、私達が行くと番人のおじいさんが金網のカギを開けてくれました。以前は金網はなかったのですが、中国人観光客が増えて仏像の頭などが随分盗まれたために金網を設けたそうです。

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仏像やレリーフなどの欠落部分は痛々しいものでしたが、それぞれ素晴らしい表情をしていて、ガンダーラ仏教の神髄に触れたようで、とても充実した一時でした。

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遺跡を仕切っていた金網から外に出てくると3人のおじさん達がいました。誰もがにこやかで穏やかで、イスラムの戒律厳しく、危険なパキスタンというイメージがここでも覆させられました。どうしてこんなに人のよさそうな人がいるのに危険な国になってしまうのか不思議であると同時に残念でもありました。

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最後に都城趾を訪れました。イタリアのポンペイほど生々しくはなく、ここで青い空を悠々と流れてゆく白い雲を見ていると、癒されるような、気持ちがゆったりと開放されるようでした。それはガンダーラというかつての仏教の聖地であったことに由来するのかもしれません。

最後に訪れたガンダーラの中心地ペシャーワルは、“ガンダーラ”という名前からあるいはミュージックGのゴダイゴから何となく憧れていたイメージを納得させてくれるものでした。シルクロードの一部をなすフンザ地域やここペシャーワルはガンダーラ国が栄えた時代や楼蘭の時代にタイムスリップしたようでした。

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2013年5月17日 (金)

桃源郷へ デコトラコレクション

4/14(日)、首都イスラマバードへ向けての移動は次第に市街地に入りました。

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大きなモスクが見え、大きな街に入りました。

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たくさんの人が集まっていて、選挙が近く、選挙演説を聞きに集まった人達とのことでした。そういえば外国に亡命していたムシャラフ前大統領が帰国し、世情が物騒になったという噂を聞いたことがありました。パキスタン北部はムシャラフ氏のシンパが多いとのことでした。

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街で見つけた三輪車はアイスクリーム売りだそうで、頻繁に見かけるようになりました。

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私達をガードしてくれたたくさんのパトカーのうち最も可愛かったパトカーで、乗っているポリスも若く愛想がよくて、大丈夫なのかなと思ってしまいました。

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街中でほとんど女性を見かけることはなく、たまに見かけた女性達は完全に顔を隠していました。都市部ほどイスラムの戒律は厳しいようでした。

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デコトラのコレクション、見事なものでした。まさかパキスタンのトラックがこんなに楽しいとは思いませんでした。日本のトラック野郎も顔負けです。新たな見聞はその国に行ってみなければわからずこれも旅の楽しみかもしれません。

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私達を最後にガードしてくれたポリスと。最初はニコニコしていたのですが、シャッターを切る時ちょっと渋くニヒルな顔をしました。

イスラム教の教義では、10歳を過ぎる頃女性は人前に出てはいけないことになっているそうです。そんな女性が可哀相という声もあるのですが、その戒律をいいことに家の中に籠もってゴロゴロしておやつを食べたりしているので30台になる頃にはブクブクと太ってしまう女性が多いとのことでした。

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2013年5月16日 (木)

桃源郷へ ポリスサービス

4/14(日)、首都イスラマバードへ向けての最後の移動日でした。

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パキスタンでの最後に宿泊したホテルはいわば国民宿舎のような宿泊施設で変わったつくりでしたが、広々としていて開放感があり寛ぐことができぐっすり眠れました。不調だったお腹の調子も少し落ち着きました。

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出発の朝、ホテルのロビーで恰幅のいいガードマン風の男の人がいて、よくよく見ると銃を持っていましたのでポリスのようで、出発する時には車に乗り込んできました。

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首都イスラマバードに近づいているせいか検問が厳しくなりましたが、私達の車にはポリスが乗り込んでいますのでスムーズに通過できました。

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ある村を通りかかった時、谷間のこちらとあちらをかなりのスピードで行き来する宙づりロープウェイが活躍していました。

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先導してくれたパトカーは、私達が休憩すると快くつき合って駐車して待っていてくれ、動き出すとまた先導してくれました。

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遠くに見える車窓の景色は次第になだらかな稜線になってきて、カラコルム山脈の険しさが少なくなってきました。

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村を通過するたびに何台ものパトカーが入れ替わりました。パトカーが次の村に到着するとスーッと脇道に待避し、すると新しいパトカーがスーッと私達の車の前に出て先導するといういわばリレー式警備はなかなか格好良く、見応えがありました。

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休憩する時は、警備のポリスも一緒にお茶したり、日本の警察とはかなり趣が違っていました。

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長距離ドライブでの休憩はホッとする瞬間で、その休憩所がのんびりした場所であればとても寛ぐことができ、日本の田舎をも出させました。

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傍らを牛がのんびり歩いていてすっかり寛ぎモードになった田園風景でした。

イスラムバードに近づくにつれポリスの警護も厳重になったような気がしました。最初は堅苦しく鬱陶しく感じたものですが、次第に打ち解けた雰囲気になり、特に渋滞ヵ所ではパトカーの先導により優先的に通行できたりするとすっかりありがたいサービスと感じられるようになりました。これは大量のツアー客をパキスタンに送り込んでいる西遊旅行社だからなのか、どんな小さなツアーでも同様にガードされるものなのか不明です。

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2013年5月15日 (水)

桃源郷へ 空白の一日

4/13(土)、首都イスラマバードへ向けての移動の一日でした。

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インダス川沿いの道を下る途中、シャティアールという街にある古い岩絵を見学に立ち寄りました。実は、ついにお腹をやられ苦難の一日が始まりました。朝起きた時におかしいと思い、その後頻繁なトイレ通いとなりました。岩絵の説明は耳に入らず、無意識のうちに飛び込める岩陰ばかりを探すようになっていました。

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バスの揺れはお腹にかなりこたえ、バスの中でカメラを構える気にもなれずグッタリとしていましたが、先導してくれたパトカーやポリスは見ているだけで珍しく面白く、腹の苦痛を忘れさせてくれました。“OYOTA”という不思議なミニパトには思わず笑ってしまいました。

ヒマラヤに4回行っても体験することのなかったお腹の不調にはまいりました。特にデコボコ道の縦揺れは落ち着かないものでしたが、幸いなことに途中ストップしてもらうことはなく、なんとか無事に最後の宿泊地ペシャムに到着しました。

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2013年5月14日 (火)

桃源郷へ チラス到着

4/12(金)、カラコルムハイウェイの工事による道路封鎖の後、一路この日の宿泊地チラスを目指しました。

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途中、ヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、ヒンドゥークシュ山脈が一点に集まる三大山脈の合流ポイントがありました。3つの大山脈がここで終わりここで始まっている珍しいポイントです。中央奥のヒマラヤ山脈はエベレストに続き、K2を擁するカラコルム山脈は左手前になだらかな勾配となってここで終わっています。感慨深い風景でした。

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昼食はカラコルムハイウェイ沿いにあるドライバーに人気のお食事どころに入りました。カレー当番のおじさんはかなり格好をつけてパフォーマンス風で、カレーが美味しそうに見えました。

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ナン焼当番のおじさんはヨガ風で、カメラを向けると一層力が入ったようで、これも美味しそうに見えました。

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ウェイターさん達はイケメンで、かなり力が入っていて、自信満々という感じで、さすがにガイドのサリーヌさんお勧めのことはあるディープな印象がしました。

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ウェイターさん達はイケメンで、かなり力が入っていて、自信満々という感じで、さすがにガイドのサリーヌさんお勧めのことはあるディープな印象がしました。

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料理は、ナンとカレーと豆を煮たものでいたってシンプルでした。

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見た目はシンプルでしたが、味は味わい深く、カレーもナンも食べ過ぎてしまいました。ワイルドでディープで美味しくて、なるほど街道を走るドライバーに人気の店であることがわかりました。コックさんの自宅の庭でのおもてなしと共に印象に残った昼食でした。

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昼食も済ませ、車は何ヶ所かのポリスチェックを受けながらひたすらチラス目指して走り続けました。

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19:19、宿泊先のチラスのホテルに到着しました。このTOYOTA車は本当によく走りました。

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グアテマラや秘境や僻地などを年中旅している旅慣れたSさんご夫妻もさすがにグッタリ、ウェルカムドリンクのアプリコットジュースでホッと一息つきました。

カリマバードを8:00に出発して、途中工事渋滞を初体験し、三大山脈の合流地点などを見たり、長かった移動の一日が終わりました。

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2013年5月13日 (月)

桃源郷へ 工事中

4/12(金)、パキスタンの首都イスラマバードへの帰り道は果てしなく遠くにも思われたカラコルムハイウェイは、往路は順調だったのですが。

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山裾の危なっかしいデコボコの道を通り抜けて舗装道路に出ると、ボコボコの縦揺れがなくなるだけで身体がスーッと楽になりホッとしたものです。

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しかしすぐに魔のボコボコ道に出くわしました。このボコボコの埃っぽい道がどこまで続くのやらうんざりしました。

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13:22、前方の何台かの車が停車していて、その先を見ると土埃が舞っていて、土砂崩れかと思い、とっさに今日中にチラスに着けるのかなという不安が頭をよぎりました。

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近くに寄ってみると更に土煙は激しくなって、かすかに工事用重機が見えましたので工事だと気がつきました。

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よくよくみると工事用重機が2台せっせと働いていました。

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崖の上のショベルカーが岩や土砂を押して道路上に落とし、下で待ちかまえていたホイルローダーが道路上にたまった岩や土砂を更に道路の下の谷底に捨てるというもので、遠くから見ていると工事は遅々として進んでいないように見えました。しかも崖の途中にひっかかった岩は人間が押していました。いつかはこういう場面に遭遇すると覚悟はしていましたので、夕方くらいまではここで足止めとあきらめとました。

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当然のことながら次から次へと車が集まり、最初は片側一車線に渋滞してた車列もいつの間にか二車線になり、これでは通行が開始されても対向車が通り抜けできずとんでもない渋滞になると思われ、もうどにでもなれと捨て鉢な気持ちになりました。

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車に乗っていた人達はこの渋滞に慌てたり困った素振りをすることもなく楽しんでいるようにしか見えませんでした。特にあちこちから写真を撮ってくれという声がかかり、撮った写真をモニターで見せるととても喜んでいました。こちらもすっかり腹をくくりました。

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14:50、予想より遙かに短い時間、1時間半で工事は終わり、道は開通しました。脇を走り始めた車の窓から子供がこちらを見ていました。心配された対向車との通行はスムーズに進行し、なんと私達の車は警察のパトカーに先導されて優先的に渋滞を抜け出すことができました。バンザイ!

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工事渋滞を切り抜けて、舗装道に出るとさながらカーチェイスなみに抜きつ抜かれつのげきそうがはじまりました。

1回くらいは経験するかなという工事渋滞は、事前の予告も何時頃に終わるという見通しも全くなく(工事をしていたのは中国人でした)、まあこれがパキスタン流かなと納得しました。それにしても最も心配したのはやはりトイレでした。私達男性は何処へともなく遠征しましたが、イスラムの国では素肌を晒して人前に出ている女性は物珍しくも不思議でもあり、否応なく好奇の目に晒されますので、女性は大変でした。そんな難局も添乗員の村田さんの機知と戦略で乗り切ることができました。

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2013年5月12日 (日)

桃源郷へ ラカポシ

4/12(金)、桃源郷への旅も帰路への旅となりました。この日の最終目的地のチラスに向かって、先ずはフンザの出口ともいえるラカポシ(7,788m)のビューポイントに向かいました。

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フンザをおさらばする時が迫ってきました。8時出発のため専用バスの屋根にスーツケースの荷揚げが始まりました。ここを拠点にハセガワメモリアルスクールやいくつかの桃源郷を訪れ、楽しい思い出がたくさんできました。

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フンザ周辺の道はカラコルムハイウェイでは最もよく整備されていて快適な道でした。こんな道ばかりでしたら楽なのですが、反面面白味に欠けます。

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快適な道を走りながら、素晴らしい山を眺め、カラコルム山脈の深遠部からは少しづつ遠ざかりました。

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快適な道を走ったと思う間もなく、いたるところで工事に出会いました。山の中を走る長い長いカラコルムハイウェイが完全舗装されるまでには気の遠くなりそうな歳月がかかりそうで、しかし工事のほとんどは中国の協力で行っていて、あの万里の長城をつくってしまったお国柄ですからいつの間にかきっと完成するのではないかとも思えました。

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途中、小さな宝石が見つかるかもしれないという場所で宝探しが始まりました。最初はまさかという感じでお遊びの雰囲気だったのですが、本当に宝石のかけら(金額にすると大したことはないのですが)を一人が見つけると次第に熱を帯びてきました。しかしこんな道路脇で宝石のかけらが見つかるのですから、道路工事の時にはきっと工事よりも宝石探しに熱が入ったことだろうとも思われ、可笑しくなりました。

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時々懐かしく思われる風景に出会いました。切り立った山の中腹の台地に家が建ち、畑が拓かれ、ポプラが植林されていて、灰褐色の岩肌に緑が鮮やかで、絵筆を撮りたくなるような風景でした。

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3時間近く走って、フンザ地域の最も外れの村にあるお土産屋でトイレ休憩と小休止しました。行く時にも休憩した場所で、その時は絵はがきなどを買いましたが、帰りはティーをいただいたり、最後のフンザ土産を買ったりしました。

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この休憩所はラカポシ(7,788m)の絶好のビューポイントで、行きでは雲に隠れていたラカポシも帰りは純白の美しい姿を見せてくれました。頭上から覆い被さってくるような迫力はヒマラヤのタサンビレッジから見たダウラギリ(8,167m)とよく似ていました。

往路と同じ道を走ったのですが、車窓に現れる景色は全く違って見え、新しい道を走っているような感覚でした。

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2013年5月11日 (土)

桃源郷へ アルチット村

4/11(木)、昼食にコックさんの手作り料理を美味しくいただき、満腹のお腹を抱えて今回の最後の訪問先アルチット村に出かけました。

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アルチット村の家屋は400年前に建てられたとのことで、日本でいえば関ヶ原の戦いの頃。今は子供達がはしゃぎまわっている明るい農村でした。

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400年前に建てられた石造りの家や、家と家が肩寄せ合っている細い路地のここかしこに子供達が走り回り、こちらを興味深そうに見ていました。幼児を抱いた若い母親はカメラを向けても逃げることも避けることもせず微笑み返してくれました。子ヤギ(多分)も興味深そうな眼差しをして好奇心旺盛でした。400年前から変わることのない住まいや生活様式も変わることなく今日まで息づいていて、たくさんの子供達はこれからも変わらずにこの村で大人になるものと思われました。

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15時の昼下がり、女性達が井戸端会議の様子で寛いでいました。若い女性も多く、幼児から村一番の長老の女性達までが小さな広場を囲むように寛いでいて、和やかな幸せそうな空気が漂っていてとてもいい雰囲気でした。このような空気が400年も続いているとしたら凄いことです。

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石造りの建物も村の道も昔から変わらずにそのままの状態で保存されているようで、石造りは強い陽射しを跳ね返して、作り出す影は涼しそうでした。石造りの家は断熱効果に優れていて、寒い冬でも凌ぎやすいとのことでした。

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村の中心にある広場は子供や女性達が占領していて、男性は木陰でゲームをしていました。

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少女が満開の花びらの下、幼児をあやしていました。

アルチット村は、昔からのゆったりとした空気と時の流れが今も続いているようであり、しかしここで生きて生活している村人は多くの子供達がスクスク育っていました。何ヶ所かの“桃源郷”を訪れ、日本の里山と同じような景色を見たり雰囲気を感じたのですが、決定的な違いは都市化の流れに呑み込まれていないことと子供達が多くいることでした。

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2013年5月10日 (金)

桃源郷へ おもてなし

4/11(木)、フンザ川の対岸のナガール地区に出かけた後、コックさんの手作り料理をいただきました。

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専用車で西遊旅行社のトレッキングに帯同するコックさんの自宅に向かいました。

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コックさんの自宅へのアプローチは絵に描いたようなポプラ並木で、ここを歩くだけで楽しく、ピクニック気分でした。

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私達一行20名が、ゾロゾロと歩いているとご近所さんが物珍しそうに見下ろしていました。ここにも花が咲いていて青空がひろがっていました。

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コックさんの自宅の庭にはテーブルがセットされていて、冷たいアプリコットジュースが用意されていました。

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生野菜をはじめ料理はとても美味しくまたボリュームもたっぷりでした。おそらく今回のツアーで最も美味しかったと思います。これでワインでもあればいうことがないのですが。結局料理は食べきれず残してしまい、おそらく朝から何人かのスタッフと心を込めて準備してくれたと思われ申し訳ない思いでした。

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コックさんと3人の子供さん。とても優しそうに見えますが、とてもタフで、バルトロ氷河・K2トレッキングにもコックさんとして帯同するそうです。こんなに料理が上手な人がコックさんとして帯同してくれたら安心です。

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2013年5月 9日 (木)

桃源郷へ ナガール

4/11(木)はドゥイカル村へ朝焼けの7,000m峰を見に出かけ、一度ホテルに戻り朝食をとった後、フンザ川の対岸のナガール地区に出かけました。

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フンザの桃源郷へは、前日アッタバード湖を渡って出かけた上部フンザ地域の村に次いで2ヵ所目で、フンザとはフンザ川を挟んで対岸にありますので専用ジープでの移動となりました。

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フンザ川はカラコルム山脈の雪融け水を集めてカラコルム山脈の山肌を削り、渓谷をつくりだしたことがよくわかります。ここ数日好天気が続いていて、7月に入るとヒマラヤより美しいといわれる青空が気持ちよくひろがって、白い峰がよく映えていました。

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ナガール村の女性達はフンザ地域の女性達と比べると多少ガードが堅いとのことでした。身に纏っている衣装も多少地味に見えました。

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男の子が満開の杏の花の下、幼児を抱いていました。フンザでもここナガールでも日本の山村に比べると子供の姿が多く目につき、とても羨ましく感じました。

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村の中をブラブラと歩いていると、牛に農耕具を引かせて狭い土地を耕していました。ここも杏の花の下で。

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少年が腕を組んでこちらを見ていました。臆することなく堂々としていて、無愛想でもなく、しっかりしていそうでした。

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きれいに手入れされた緑が芽吹きだした畑の脇を、きちんとした身なりのかなり大人びた印象の少年が歩いていました。山奥の山村とは思えないイメージの少年の姿にこの地域のライフスタイルや暮らしぶりに興味がわきました。

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よく整備されている緑の畑の間を縫っている道を女性の一団が歩いていました。しっかりと顔を隠していて戒律厳しいスンニ派の人が多い村です。

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歳はわかりませんが顔に深くシワが刻まれた古老は背筋がしゃんとしていて足どりもしっかりしていました。

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ナガールの村にも杏の花が咲き誇っていて、その花たちは見られるためのものではなく、いずれ実をつけ生活を潤すものであり、ここも村人が生活をしている里山でした。

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たわわな花びらのむこうには村を見下ろすように白い峰が聳えていました。

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ナガール地域の帰り道、ホーパル氷河に立ち寄って次の目的地アルチット村へと向かいました。ホーパル氷河からK2へのトレッキング道もあり、日程が短い分タフなコースだそうです。ちょっと興味はありますが・・・。

より中国国境に近い上部フンザ地域に比べると多少開けて、村の規模も大きのですが、ナガール地域の村も、杏の白い花と緑の畑の中、カラコルム山脈の麓に幼児から古老まで、生き生きと生活していた“桃源郷”でした。

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2013年5月 8日 (水)

桃源郷へ ドゥイカル村

4/11(木)はドゥイカル村へ朝焼けのラカポシ(7,788m)やゴールデンピーク(7,027m)を見に出かけました。

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朝早く専用ジープでホテルを出発して5:20にドゥイカル村に着きました。ホテルを出る時は降っていた小雨もいつの間にか止んでいました。

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ここにはテラスがあり、このテラスは映画「草原の椅子」のラストシーンでヒロインが主人公(佐藤浩一)に愛を告白した場所です。ここに着いた時は霧で全く見えなかったのですが、少しずつ霧が晴れていました。

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6:25夜明けとなり、230°の展望といわれる高台に上ることにしました。今回のツアーはトッレキングではありませんので歩く機会はほとんどありませんでしたので、健脚の皆さんはサリーヌさんに先導されて速いペースで上っていきましたが、残念ながら雲が厚く朝日は現れず、霧も晴れませんでしたので撤退しました。ドゥイカル村からの朝焼けの展望を一度あきらめてホテルに戻った後、アルチット村に見物に行きました。

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アルチット村見物の後、かつての領主の城・バルチット城見学に行くグループとドゥイカル村の展望台から夕陽のラカポシ(7,788m)などを見に出かけるリベンジ組とに別れ、私はリベンジ組に参加しました。ドゥイカル村への道は早朝だったので真っ暗でしたので、明るくなってからはカラコルムハイウェイを見下ろすことができました。山裾をおそらく少しずつ刻むように切り進んだものと思われ、土砂崩れや山崩れのおそれはかなりあったと思われ、苦労が偲ばれました。

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ドゥイカル村への道は、豪快な景観も眺めることができ、私達がカラコルム山脈の中にいることを実感させられました。

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17:30、そろそろ日が暮れるかなという時、リベンジ4人組はサリーヌさんを先頭に展望台を再び上りました。朝は曇っていたり霧がかかったりしていたのですが、雲は切れて青空がひろがっていました。

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リベンジ4人組は、右端のTさんはパキスタン4回目で、かつて中国との国境のクンジェラブ峠(4,733m)から今回とは逆方向からフンザを訪れたこともあるそうです。エベレスト街道のカラパタール(5,545m)に登ったこともあり、今夏はバルトロ氷河・K2見物に出かけるそうで、今回の参加者の中では最も健脚でした。隣のIさんは、バングラディッシュに何回か出かけて写真集を出していて、今回も私達と一緒に帰国せず、現地ガイドを雇ってしばらく一人でパキスタンの旅を続けるとのことでした。その隣のKさんは、南米のパタゴニアやボリビアのウニユ塩湖などの秘境にも行ったことがあるとのことで、蒼々たる秘境歴の面々でした。

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230°の展望台からは、ラカポシ(7,788m)やゴールデンピーク(7,027m)などを眺めることができましたが、フンザピークの隣、レディフィンガーといわれその名の通り婦人が小指を立てたような未踏峰が印象的でした。

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夕陽に染まるラカポシやゴールデンピークを眺めたかったのですが、反対の方向からの光が見えるだけで期待した赤く染まる7,000m峰にはお目にかかれませんでした。

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白い山肌に他の峰の影が映し出され、かなり空気も冷えてきましたので、私達4人組は撤退することにしました。夕陽にはお目にかかれませんでしたが、寒いところでじっと我慢をしてカラコルム山脈と対峙したた2時間は、とても思いで深いものとなりました。

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2013年5月 7日 (火)

桃源郷へ 民族舞踏

4/10(水)は、ハセガワメモリアルパブリックスクールや桃源郷と言われるフンザ上部の村を訪れたりパキスタン北部の観光を堪能し、夜はフンザ地方の民族舞踏を楽しみました。

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フンザ地方の伝統料理を楽しみながらの民族舞踏の開始時間は19:30で、ホテル内にある会場に入ると5人のバンドが民族音楽をBGM代わりに奏でていました。

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司会を務めた現地ガイドのサリーヌさんはシャルワール(ズボン)・カミーズ(シャツ)という民族衣装で現れました。パキスタンに入ってからよく見かけた衣装で、比較的スリムで長身な人が多いパキスタン人が着るとカッコもよくなかなかいいもので、サリーヌさんが着ると更に見映えがしました。私も着たいと思ってお土産に買って帰ろうとしたのですが、仕立屋を呼ばなければならずあきらめました。

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民族舞踏は伝統料理を食べながらの宴でした。伝統料理を食べ終わってから踊りが始まりました。

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さまざまな仕事の人がそれぞれ特色のある踊りを披露してくれました。軍人さんの踊りには本物の軍刀が使われ、軍人さんは謹厳な表情で真面目に踊っていてなかなか迫力がありました。

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最後に主役の少年2人が登場しました。フンザ一の踊りの名手といわれているそうで、さすがに身のこなしが大人達とは違っていてしなやかでした。

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宴は一気に盛り上がりました。少年達に駆け寄って寄付というかお布施というか志というか、イスラム教風には感謝の気持ち(日本も同じですね)を踊り手の帽子の縁に差し込んでいました。この後、私達も参加して盆踊り風阿波踊りもどきの踊りとなりました。

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宴は盛り上がりいつ終わるともしれない雰囲気でしたが、21:30近くになるとさすがに夜遅く、主役の少年も帰って勉強する時間(なかなか勉強しないと母親がこぼしているそうです)でということでお開きになりました。サリーヌさんと添乗員の村田さん(カメラがぶれてしまい申し訳ありません)とのシメの言葉で終了となりました。

添乗員の村田さんはパキスタン歴8年、その前はインドあたりを放浪していたようで、今はこよなくパキスタンを愛していて現地語もペラペラです。小柄でキュートなのですが見かけによらず肝っ玉姉ちゃんで、現地スタッフにはかなり怖れられているようで、大柄なサリーヌさんも村田さんの前では小さくなっていました。他の地域の秘境ツアーもそうだと思うのですが、パキスタンツアーも身の危険は感じませんが交通事情や手違いなどのリスクもあるタフなツアーだと思うのですが、どんなピンチにも慌てない頼りになるタフな添乗員さんでした。

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2013年5月 6日 (月)

桃源郷へ 闇ビールとフンザ料理

フンザの中心部カリマバードのホテルで3泊し、3食の夕食を食べました。

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4/6にイスラマバードを出発して、途中シガールで2泊し、シガールから山岳道を12時間かけてようやくフンザに着いてほっとし、楽しみにしていた夕食でした。

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何より嬉しかったのが、中国からの闇ビールしかもよく冷えたのが堂々と飲めることでした。シガールの藩主の館で藩主の部屋を引き当てたクジ運の強いKさんと乾杯しました。10ドルと高かったのですが、桃源郷しかも禁酒の国で飲めるのですから貴重な体験でした。結局3日連続で飲んでしまいました。

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一泊目の料理はバイキング形式で、メニューも豊富で、野菜やデザートもあり、ビールを飲みながら美味しくいただきました。パキスタンの山奥でこんな贅沢な食事にありつけるとは思いませんでした。

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二泊目はフンザ料理が出ました。ふんわりとした食感の小麦のクレープやあっさりとした食感のそばのクレープなど彩りも鮮やかで食べやすいものでした。フンザは“長寿の里”とも“最後の桃源郷”とも言われていて、その源はこのフンザ料理にあるようです。

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三泊目は日本料理でした。豆腐やのり巻き、串カツや焼き鳥などとても嬉しい料理でした。のり巻きの酢飯がもう少し硬めだったらとは思ったものの、それは贅沢というもので、私達の胃を思いやっての心遣いに感謝しました。

3回の夕食とも異なる味を楽しめました。特に注目をしていたフンザ料理は、見た目も実際食べての印象でも長寿食と言えるもので、油をあまり使わず、小麦やそばのクレープなど日本人の私達にもなじみ深いものでした。味そのものは旨いとは思えませんでしたが決してまずくはなく、多分味に対する馴染みの問題で、日本でも流行っている五穀米と同様慣れれば美味しく感じるでしょうし、旨味も感じられるようになるのではないかと思いました。何といっても闇ビールは格別に旨く感じました。

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2013年5月 5日 (日)

桃源郷へ カリマバード散策

4/9(火)の夜カリマバードに着き、4/12(金)の朝出発するまでフンザ地域の中心部カリマバードのフンザエンバシーというホテルに滞在しました。

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ホテルは高台の見晴らしのいいところにあり、そこから下る道はお土産物屋が並んでいました。人通りは少なく、店員達も手持ちぶさたなようでした。3.11N.Y.テロ以来欧米系特にアメリカ人の観光客はゼロでパキスタン観光にとっては大きな打撃を蒙っているとのことでした。

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ガイドのサリーヌさんお勧めのお土産屋で干し杏を買いました。

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なんと禁制品の缶ビールが並んでいました。

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ホテルからお土産屋通りから反対方向に道を上がっていくと谷を隔てた向こう側に、遠く村が見えました。段丘のようなところに樹木の間に家が並んでいて、陽射しを受けて住みやすそうでした。

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さらに上っていくとポプラ並木がありました。秋になると黄金色に黄葉し、それはそれは美しい光景になるとのことでした。

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空を見上げれば、ポプラの緑が天に伸びていて、秋になってこの緑が黄金色になって、さらに高く碧くなった空に伸びている光景もきっと素晴らしいだろうと思われました。

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世界で初めてアルプス三大北壁冬季単独登攀という偉業を達成した日本人登山家の長谷川恒夫さんが挑んで命を奪われたウルタル山(7,388m)をフンザ出発の朝ようやく見ることができました。

フンザという地域は広く、その中心部のカリマバードはこの辺りでは比較的都市化?されていて、桃源郷という雰囲気はありませんでした。このホテルに滞在しながら桃源郷的雰囲気のいくつかの村を訪ねました。

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2013年5月 4日 (土)

桃源郷へ 上部フンザ地域の桃源郷

4/10(水)の午後、アッタバード湖を船で縦走して上部フンザの村に着きました。

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足を踏み入れた村の風景は、小さな山に抱かれた里山のような風景でした。どこかで見たことのあるような懐かしい風景でした。

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村を歩いてみると、好奇心むき出しでキラキラとこちらを見つめる幼い子達、楽しそうに笑いかけてくる少年達、ちょっと気取った少女達、ニコニコと微笑んでカメラに向かってくれた幼児を抱いた母親、ここには花があって緑があって、生き生きと生活している人達がいました。

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通りかかった少女の一団は、誰もが立ち止まってこちらを向いてくれました。昼過ぎ(午後3時)の時間帯、学校の帰りなのかあるいは何かの集まりの帰りなのか、年配の婦人は指導者なのか、若い女性達は教材か仕事道具を小脇に抱え、同じような装いをしていました。老木が咲かせた満開の杏の花びらの下で、彼女たちは待っていてくれたかのように佇んでいました。今回のツアーで最も印象的なショットとなりました。

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杏の花が咲く畦道を村の古老がゆっくり歩いていて、ヤギが若草が生えつつある麦畑を嬉しそうに走り回っていました。これも懐かしいような、忘れていたようなのんびりとした里山の風景でした。

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住まいは石を積み上げ、冬は寒いために小さな窓があるだけのとても質素なものでしたが、まるで樹や花に埋もれてしまいそうでした。

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あちこちに散在する石積みの住まいを覆い尽くすように杏の花が咲き誇っていました。花に誘われるように歩いていると一人の婦人に出会いました。生気に溢れ、しっかりと地に足をつけているような自信が微笑みにも現れているような、健康的な艶っぽさが印象的でした。

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自宅の裏庭で寛いでいる古老。うまそうにタバコを吹かし、ティーを美味しそうに飲んでいて、とても楽しそうに穏やかに笑っていました。

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まるで夢を見ているような花の里の散策をしながら、ふと空を見上げると花びらのむこうにはカラコルムの山々が折り重なるように連なっていて、雲がたなびいていました。もしかして仙人や天女が舞い降りてくるような、そんな気にさせてくれた風景でした。

土砂で幹線道路のカラコルムハイウェイが寸断され、いわば陸の孤島と化したこのエリアは上部フンザ地域という名前でくくられ、この地域にはおそらくいくつかの村が点在していると思われました。私達はこのツアーの大きな目的である花を求めてこの村に入りましたが、そこで見たものは花だけではなく、楽しそうに穏やかに自然に寄り添って生きている人達でした。住まいは石を積み上げただけで冬は厳しそうですし、暮らしは決して豊かそうには思えませんが、貧困とか悲惨というイメージは全くなく、杏の花びらの下に集っていた少女達の微笑みやタバコをくゆらせていた古老の笑顔など、羨ましいくらい豊かな印象でした。間違いなくここは桃源郷だろうと思いましたし、こういう村があちこちに点在しているとしたらやはりフンザは桃源郷であることに間違いはないようです。

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2013年5月 3日 (金)

桃源郷へ アッターバード湖

4/10(水)、ハセガワメモリアルスクール(H.M.P.S)を表敬訪問し、冷や汗をかいたり感動した後、上部フンザ地域を訪ねるためにアッターバード湖をボートで縦断しました。

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カリマバードの東側、中国との国境のクンジェラブ峠(4,733m)へと続くカラコルムハイウェイを遮るようにアッタバード湖が横たわっています。この湖は土砂崩れによってカラコルムハイウェイが土砂に埋もれ、河が遮られてできた湖です。

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土砂によってできた湖の船着場は観光地のそれではなく、生活のためのもので、水位によって場所はそのたびに変わるために、桟橋のようなものは一切ありませんでした。

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なるほど観光客は私達だけで、生活物資を満載したボートが村人を乗せて次から次へと出発していました。おそらくこの物資はデコトラがイスラマバードあたりからカラコルムハイウェイの山岳道をあえぎあえぎ運んできたものと思われます。

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この湖は土砂崩れによって俄にできてしまったのですので、この地域に漁師や船長さん達がいたわけではなく、舟を操縦しているのはデコトラのドライバー達のようで、舵は車のハンドルのように円形をしていました。要するに俄仕立てのドライバー船長さんなのでした。とてもサービスがよく干し杏やティーを振る舞ってくれました。

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この湖はウルタル山(7,383m)をはじめとする7,000m級の山々に囲まれた峡谷ですので、船上から見る眺めも素晴らしく、まるで観光船に乗っているようでした。

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水面から20mくらいの高さに見られるギザギザの筋は旧シルクロードです。はるか昔、7,000m級の山に囲まれた渓谷を臨む山肌を交易のために歩いた人達がいたということで、ずっと走ってきたカラコルムハイウェイは旧シルクロードとも交差していて、時々シルクロードの旅に出ているような気分になることがありました。

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物資を運んでいる舟と行き交い、中には車まで運んでいる舟もありました。

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この湖の奥は深く、山裾の切れ込みに何回となく入り込み、土砂崩れがいかに大規模なものであり、水没して消失したカラコルムハイウェイの面積の大きさに呆然としました。このままでは中国との物資の輸送がここで水上輸送せざるを得ないため、湖の数十メートル上にトンネルを掘り、新しい道を作りつつあるようですが、いつまでかかることやら。

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ようやく対岸が見えてきました。対岸にはデコトラが待っていて、おそらくここで水上輸送の物資をデコトラに積み替えて中国に運ぶものと思われました。デコトラの背後には岩山が迫っていて、船から見ていると小岩や大岩が今にも崩れ落ちそうでした。

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フンザ上部の桃源郷の村を散策した後、再び船上の人となりました。午後も4時を過ぎ、日は暮れかかり、7,000m級の氷壁に一度ぶつかった向かい風は非常に冷たく、全員が手元にある防寒着の全てを身に着けました。往路や桃源郷の村を散策した元気はどこへやら、防寒着を着込んで、言葉もなく風を避けるようにうずくまっている姿はまるでポートピープルのようで、おもわずそれを口に出したら皆で吹きだしてしまいました。

土砂崩れによってカラコルムハイウェイをかなりの面積と距離にわたって寸断してしまった自然の驚異に言葉もありませんでしたが、一方でコツコツと岩盤を少しずつ掘り進み、新たな道をつくろうと挑んでいる人間の執念も凄いもので、このバカにできない蟷螂の斧にも感心してしまいました。いやはやです。

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2013年5月 2日 (木)

桃源郷へ ハセガワメモリアルパブリックスクール

4/10(水)、カリマバードのホテルに腰を落ち着け、日本人登山家長谷川恒男さんの意志を継いで奥様がフンザ地域・カリマバード村に設立したハセガワメモリアルスクール(H.M.P.S)を表敬訪問しました。

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H.M.P.Sは、カラコルム山脈に囲まれた峡谷の地にありました。

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パキスタンの山を愛した登山家長谷川恒男さんは、カリマバードの北に聳えるウルタル山(7,388m)に登る前、登頂したら記念にこの地に学校を建てようと奥様と話し合っていたそうです。残念ながら1991.10.10雪崩に巻き込まれ43歳で生涯を閉じてしまいました。奥様は彼の意志を継いで募金活動を始め、1997年に開校しました。

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現在は幼稚園児から短大生まで900人の生徒がここで学んでいます。小さな子から短大生までが一緒にいるせいか小さな子もなかなかしっかりした仕草でした。

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とても可愛い子が多く、またしっかりしているようでした。このくらいの時期から既に英語の勉強も始めているそうです。キラキラした瞳を見ていると長谷川さんの意志が立派に息づいているようで感慨深いものがありました。

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幼稚園クラスの教室では先生と園児達が待っていました。一緒に“幸せなら手を叩こう”を身振り手振りを交えて交歓しました。先生は日本の保母さんと同じような雰囲気を持った人達でチャーミングでした。

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校庭での朝礼はお姉さん格の生徒も一緒で、この日は朝礼も兼ねて私達の歓迎会も兼ねていたようです。ここではパソコンを導入してIT教育も行われていて、英語もITも学べるうえ幼稚園から短大までの一貫教育であるため人気が高く、入学がとても難しいとのことでした。

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なかなか女性が表に出る機会が少ないイスラムの世界で、この学校やこの村では女性の方が勉強も社会活動も活発とのことでした。

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何人かの子供による民族舞踏も披露されました。私達には真似ができそうにないしなやかな身体の動きでした。

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私達のために民族音楽を聞かせてくれたり、全校生徒で日本の歌を日本語で歌ってくれたり大サービスでした。

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そこまではよかったのですが、是非私達にも日本の歌を歌ってほしいというリクエストがあり、この壇上で20人のおじさんおばさん合唱団が“隅田川”を披露することになり冷や汗びっしょりでした。中国国境に近いカラコルム山脈に私達の歌声が響くとは思いもよりませんでした。(後日フンザ出発の最終日に、「草原の椅子」の舞台となったホテル前の庭で添乗員の村田さんに撮っていただいた合唱団の雄姿)

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最後に校長先生の話を聞く機会がありました。かなりの熱血先生で、熱い思いを語ってくれました。先生も生徒達も日本には大きな憧れを持っていて一度日本に行きたいとか日本に留学したいという気持ちが大きいそうですが、やはり経済的になかなか難しいということを残念そうに話していました。

H.M.P.Sに訪れる前は何の事前情報も持っていなかったのですが、実際に訪問してみて長谷川さんの意志がしっかりと根を下ろしていることに驚きました。現在では4歳から18歳まで900人の生徒が学び、英語教育やIT教育や一貫教育で、フンザ一の教育施設となっています。この学校は長谷川さん個人の意志によるものですが、日本とパキスタンとの友好のシンボルともなっているとのことで、小さい子からちょっと大人びた生徒達が一生懸命日本の歌を歌っている姿を見て思わずジーンとしてしまいました。

特筆すべきは、パキスタン北部に位置するフンザ地区は桃源郷ともいわれるほどの美しい風景を持っている反面、地政学的にも生活文化的にもアフガニスタンに同化しうる環境にあります。このような環境でのH.M.P.Sの存在は、イスラム過激派の供給条件を内部から緩和するという役割も果たしているはずです。キラキラした瞳の子供達が、ここで学ぶことによって道を踏み外さないとしたら長谷川さんの志は大きく花開いていることにもなります。

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2013年5月 1日 (水)

桃源郷へ ホテル滞在

4/1011の2日間フンザのホテルに滞在し、ここを拠点に桃源郷巡りをしました。フンザにはいくつかのホテルがあり、ここが一番大きいとのことでした。

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ホテルの部屋はどこもがほとんどツインで、それを一人で使用しましたのでのんびりと寛ぐことができました。相部屋希望で申し込んだのですが、他の人が全て一人ユース希望でしたので、結局私も一人ユースとなりました。今回のツアーでは最も寒い場所で、それなりに防寒の準備をしてきましたし、ベッドには電気毛布があり湯たんぽも準備されていたのですが、両方とも全く必要がありませんでした。

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パキスタンはイスラムの禁酒国ですので、自前の赤ワインとウィスキーをペットボトルに詰め替えて何本か持ち込みました。自分の部屋で飲むぶんには特に問題ありませんでした。

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前夜日が暮れてからこのホテルに到着し、ホテルのテラスから眺めた初めての景色でした。ホテルの前から車が一台通れる道が左右に続いていて、この道を歩けばまた違った景色が見えそうでした。

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私達の部屋とは反対側の食堂脇のテラスからも山をみることができ、そのテラスには映画「草原の椅子」に出演?した椅子が置かれていました。

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部屋の前のテラスからは、7,000m7級のカラコルム山脈を眺めることができました。ヒマラヤで2年間8,000m級の峰を見てきたせいか、タサンビレッジではダウラギリ(8,67m)を目の前で何時間も眺めたせいか、今回は峰々にはあまり執着することがありませんでした。しかし途中見てきたカラコルム山脈の無名峰の峻険で美しい姿からするとK2へと至るバルトロ氷河トレッキングはきっと素晴らしいものと推測されました。残念ながら7月のK2ベストシーズンは仕事の都合で行くことができません。

フンザのホテルで一夜明け、これから2日間待ちに待った桃源郷を目にすることができる期待で胸が高鳴りました。フンザという地域はかなり広いエリアで、この地域にはたくさんの村があるとのことでした。その中のある特定の村やスポットが“桃源郷”として認識されているわけではないようで、このフンザの地域やフンザ川の対岸のナガール地域などを含めてこの辺り地域全体が“桃源郷”といわれているようです。

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