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2013年8月30日 (金)

富士観望庵訪問記 1 宿泊体験

8/27(火)に一泊の予定で、ご近所のTさん所有の冨士観望庵を訪れ、初めての古民家宿泊体験をしました。

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古民家の表玄関は、ガラスの入っていない風情のある格子つくりです。格子越しに見えるのは一見がらくたのようですが、そば打ちの道具や他の古民家を取り壊す時にでた貴重な品々でTさんにとっては宝物のようです。

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中はおもいのほか広く、いくつかの部屋に別れています。畳はなく、和風フローリング風に敷かれた板にはフシがあり、板の幅も統一されていなくて、かえって落ち着いた雰囲気を醸し出しています。ふすまを開け放った各部屋は風の通りがよく、残暑の中涼しく過ごすことができました。

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ふすまを閉めれば、某画伯による絵が描かれています。萱葺きの古民家で、Tさんの願いが反映されたもののようです。

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こちらのふすま絵は、冬の富士山を背景にしたもので、冬の時期になるとこのような風景が見られるとのことで楽しみです。

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この古民家の屋根は瓦ですが、内部はさすがにどっしりとした太い梁がしっかりと屋根や家を支えていて、この梁を見ているだけで気持ちが落ち着きました。

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Tさんのこだわりが感じられる屋根裏とランプ。

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古民家ライフの極めつけは囲炉裏端での酒盛りです。ここへ来る途中、新しくできた“道の駅須走”で買った「富士錦しぼりたて原酒」はとても旨く、なんとこの古民家のある場所の近くでも売っているとのことで、これからの楽しみが一つ増えました。

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適当に買ってきたものや、ここで収穫された添え物を盛り付ければ手間なく、なんとなく格好のついたおつまみができました。調味料はTさん特製の“万能たれ”と“生醤油”と、ここでもこだわりがみられました。

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6時前から始まった酒盛りは、気がついたら12時を過ぎてしまいました。よくもまあ男同士でそんなに話すことがあったものです。

時計を見て慌てて布団に倒れ込み、ちょっと寒いかなと思うほどの気温で、久しぶりに心地のいい睡眠を貪りました。この古民家には15人くらいが勝手に寝ることができそうです。

外気温に比べて室内は7度くらい低いとのことですので、春・夏・秋は快適のようです。その分冬の寒さは厳しく、しかし囲炉裏を囲んで暖をとりながら雪化粧した富士山を眺めるのも風情がありそうです。

Tさんのブログ:http://blog.goo.ne.jp/kominka06yi/

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2013年8月28日 (水)

富士観望庵訪問記 1 古民家へ

同じ町内のTさんと親しく口を聞くきっかけは、自治会の有志?による隔月1回の飲み会でした。家は数軒先のまさにご近所さんです。聞けば、富士山が見える里に石巻から古民家を移築したとか。平日は古民家で暮らし、週末に横浜に戻るとのこと、なんと羨ましいことでしょう。ということで古民家暮らし体験に出かけました。

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自宅を車で出発し、東名高速御殿場ICで降り、富士宮市を目指すとやがて富士山のすそ野を貫いて東富士演習場が広がりました。

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まるで北海道の原野を縫うような、あるいは阿蘇山のやまなみを縫うような道が走っていました。残暑の強い陽射しを浴びながらでも、爽やかに吹き抜ける風を感じながらの快適なドライブでした。

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右側に富士山(雲に隠れていました)、左手にはやまなみが低く連なっていて、手前の緑の原野、青い空と白い雲、久しぶりに目にする光景に思わず口笛を吹いてしまうほどでした。調子に乗ってこの先右折しなければならない地点を通り過ぎてしまいました。慌てて10kmくらい戻ることになってしまいました。

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私が道を間違えてしまったために、Tさんに迎えに来てもらうことになってしまいました。ついでに富士山と由来の深い神社にお詣りしました。

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境内には樹齢1000年の杉をはじめ20本の杉が立ち並んでいました。杉木立に囲まれた境内は森閑としてパワースポット空間のようでもありました。

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境内の奥にはさらに奥宮が見えました。奥宮から先にはたぶん富士山への参詣道が続いていたものと思えましたが、現在はかなり荒れてしまい使われていないようで、木立のたたずまいや石段、細く消えてゆく道に栄枯を感じました。

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江戸時代末期に宮城県石巻市に建てられた農家を、2006年に富士宮市に移築した古民家に到着しました。ここで古民家を再生しながらご近所のTさんは、古民家を再生しながら隣接する田畑で作物を収穫し、悠々自適の羨ましいようなライフスタイルを実践しています。

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畑と田圃と田圃から収穫したお米。このお米(コシヒカリ)10kgをお裾分けしていただき、美味しいご飯をいただいています。

20数年来挨拶の言葉くらいしか交わしたことのなかったご近所さんが、まさか日々富士山を見ながらのこんな優雅な余生を送っているとは思いませんでした。自治会の飲み会というきっかけにより、富士山ビューの古民家暮らしをする人との縁ができ、縁は大事にするものだと実感しました。

Tさんのブログ:http://blog.goo.ne.jp/kominka06yi/

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2013年8月25日 (日)

本の旅 旅する胃袋(篠藤ゆり) いざ桃源郷へ

著者の篠藤さんは、初めての海外旅行の後、フンザへ出かけました。ここは今春ツアーで出かけたばかりの懐かしい地です。「  」は全て本書より引用。

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(画像はフンザツアーより) 「カラコルムハイウェイをパミールに向かっていくと、山の奥深くに不老長寿の村があるらしい。そんな話を初めて聞いたのはいつだったか。曰く7,000m級の山々に囲まれた桃源郷。曰く百歳以上の人がざらにいる・・・。」

「私はまるで敵を討つように、稼いだ金を使いまくった。だが一方でそんな生活に倦んでもいた。いったいいつまで自分は続けるのか。立ち止まる気分になると、追い打ちをかけるように、20歳のときに見たインドやネパールの風景がフラッシュバックするのだった。仕事も恋愛も、自分を縛り付ける頸木(くびき)に思えるのだった。」 私がフンザへ出かけた動機と彼女の動機はかなり異なるものですが、彼女をフンザへと向かわせた心象はとてもわかる気がしました。

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(画像はフンザツアーより) 「フンザはパキスタン最北端、桃源郷とも最後の秘境ともいわれているフンザ。1980年頃まで一般外国人の入域が禁止されており、私が訪れた頃はまだ開域間もなく、文字通り秘境であった。」

「それにしても、なぜちょっとのことをケチってしまったのか・・・。カラチに到着した私は激しく後悔することになる。カラチはパキスタンの最南端。フンザまでの距離は2000kmをゆうに超える。」 私はイスラマバードからフンザへと向かいその距離は700kmで、警察の護衛付き専用車で移動しましたが、彼女は女一人の身で2000kmの陸路をバスで移動しました。その苦難をものともせず、道中美味しいものを求めて旅を続けたタフさには驚きをこえてあきれてしまいました。

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(画像は本書より転載) 「なんと荒々しい街だろう。しかもこの街の男たちときたら、遠慮のない視線で、人をねめまわすようにじろじろと見る。」 たしかにじーっと射るような視線でこちらを見つめてくるという経験は何回もしましたが、その受け止め方は女性と男性ではかなり違いがあると思われます。

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(画像はフンザツアーより)「インダス河を挟んだ向こう側の崖に横穴の住まいが見えた。こんなところで生きている人もいるのか! 私は、はっと胸を衝かれた。誰も自分が生まれる場所を選ぶことはできない。ここで生まれた人々は、他の世界を知ることなく、一生をこの地で過ごすのだろう。彼らにとって世界とは、この荒涼たる風土そのものなのである。」 同じような感慨は誰もが持つもののようです。私も何故自分はネパール人やアフリカ人ではなく、白色人種でもなく日本人であるのか、どうして日本の横浜に住んでいるのかと、海外に出るたびにおもいます。

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(画像はフンザツアーより) 「バスは小さな集落に停まり、食事休憩となった。ぼんやり坐っていたら、目の前の太った婦人の前に次々と皿が運ばれてきた。彼女は鷹揚に笑い、『さぁ、食べなさい』と言い、自分も凄い勢いで食事を始めた。私はほっとして、笑顔を返した。山の質素な食堂だが、オクラのカレー、ジャガイモのカレー、それに焼きたてチャパティと、どれもおいしそうだ。」 旅する胃袋の面目躍如です。

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(画像は本書より転載) 「バザールのあちこちで、大きなハミ瓜やスイカがゴロゴロ積まれている。食べてみたいが、一個丸ごと買うには大きすぎる。スイカは諦め、とりあえず宿に戻ることにした。」

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(画像はフンザツアーより) 「ギルギットで三泊し、いよいよフンザを目指す。ギルギットからフンザの中心地カリマバードまで、カラコルムハイウェイを北上すること110km。ミニバスで6時間ほどの道のりだ。小さな集落を過ぎると、緑の気配は消え、とたんに風景は荒涼としてくる。道路の右手は切り立った断崖絶壁。ところどころ車がすれ違うために幅が広くなっているが、外は車一台がやっとの幅だ。それなのにミニバスは対向車が来ることなど、はなから考えていないような猛スピードで、土埃を立てて山道を走っていく。」

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(画像はフンザツアーより) 「大きなカーブを曲がりきった瞬間、7,788mのラカポシ山が全容を現した。青を通り越し、藍色に近い空に、襲いかかるように威風堂々とそそり立つ白い山。手を伸ばせば頂上まで届きそうなほど近くに見える。」

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(画像はフンザツアーより) 「乾燥した風景のところどころに、小さなオアシスの村が現れるようになった。乾いた風景を見つづけていると、ほんのわずかな緑を目にしただけで、救われた気分になる。人がこれほど緑という色を見てほっとするのは、緑は作物を表す色、つまり命を表す色だからかもしれない。」 ミニバスが少しずつフンザの核心部に近づいているその時の風景が蘇るようです。

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(画像は本書より転載) 「バスはゆっくりと停車した。私は何と杏畑のまんなかに立っていたのだ。それにしても家一軒見えないし、人の姿もないし、呆然と立ちつくしていると、彫りの深い聡明そうな顔立ちをした少女が右手の小叢から飛び出してきて、にっこりと笑って『ハロー』と声をかけてきた。彼女が案内してくれたゲストハウスは、部屋がふたつと小さなダイニングがあるだけの小さなゲストハウスだった。」

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(画像はフンザツアーより) 「その日の夕食は、香辛料で味付けをした野菜の煮物とチャパティ。朝食はチャパティに、ヨーグルトとお茶。一日二食で、ほぼ毎日、同じものを食べている。最低限、生命を維持するための食事といって差し支えないほど、質素にして単調な食生活である。百歳以上の人が何人もいるという長寿の村の食事は、想像以上に粗食であった。」 私たちが食べたフンザの伝統食(画像)は、かなり贅沢なものであったことがわかりました。

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(画像は写真集「フンザへ」より) 「7,000m級の山々に囲まれたオアシスの村は、果物が溢れる季節を迎え、村じゅうが甘酸っぱい果実の香りで満たされていた。杏、リンゴ、葡萄、桃、桑の実・・・。果物がなっている風景というのは、人を幸福な気分にさせる。厳しい山岳地帯の懐に抱かれた、果樹の村。それだけでなんだかお伽噺めいた世界だ。」

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「フンザは1974年にパキスタンに編入されるまで、ミールと呼ばれる藩主が治める自治王国だった。彼らがどこからやって来たのか、古い時代のことはよくわかっていない。パキスタンの中にありながら独自の文化を育ててきた地域だけに、人々のたたずまいも独特な雰囲気があり、平地の人たちより穏やかで、とげとげしさがない。」

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(画像はフンザツアーより) 「7000m級の山々は、一日を通して、微妙に色を変えていく。朝焼けを映して紅色に染まり、朝日を受け金色に光り、昼は白銀色に輝き、夕には茜色に色づいていく。村の人々は毎日この風景を眺めて、一生を過ごしていくのだ。」 そうです、今でもフンザの村人は変わらない風景を眺めていることでしょう。

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(本書より転載)

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(私が出会った古老) 「しかし、この村はほんとうに噂どおり百歳以上の人たちが大勢暮らしているのだろうか。『子どものうちに大勢死ぬ。』宿の主人はそう言って悲しい顔をした。衛生状態も栄養状態も悪い子どもの時期を乗り越えることができた人は、驚異的に長生きするらしい。逆に言うと、栄養状態も感染症もものともしない強靱な生命力がなければ、この地で暮らしていけないということかもしれない。」 長寿村の謎が少し解きあかされたような気がしました。

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(画像はフンザツアーより) 「来る日も来る日も、チャパティと野菜の煮物とヨーグルトだけの食生活。男に生まれたら農作業をするか、家畜を追って草地に行くか。女として生まれたら、子を産み、家事をし、農作業をする。たぶん一生に一度も村を出ない人もいるに違いない。そんな単調な生活を百年も続けるのである!」 著者が旅をした時と今では多少変わっている部分があるかもしれませんが、あまり変わっていないようにも思われ、つい数ヶ月前のフンザを思い起こしながら、著者の最後の言葉に、そこで生まれることの宿命などさまざまな事を考えてしまいました。

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2013年8月22日 (木)

本の旅 旅する胃袋(篠藤ゆり) 初めての旅

旅の大きな楽しみの一つは「食べること」であり、その楽しみを目的とした旅紀行「旅する胃袋」(2012.7発刊)というタイトルを目にして強烈な印象を受けました。ところが読んでみてさらに内容が強烈であり、一体著者篠藤(しのとう)さんとは何者かと思ってしまいました。プロフィールには、1957年福岡生まれの文筆家、国際基督教大学卒業後コピーライターとして広告代理店勤務後退職し、世界を旅したとありました。

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「人並みはずれて丈夫な胃腸と、どんな過酷な旅にも耐えられる頑強な肉体を私に与えてくれた両親に、感謝の気持ちを込めて」(巻頭言) 丈夫な胃袋と頑強な肉体以上にタフな精神力に驚かされました。

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(漢口の住宅で、戸を開けたまま料理をしていたので、つい覗いてしまう:画像説明文 以下同様) 彼女の母親の故郷が中国の漢口。そのDNAが“度胸”を育んだのかはわかりませんが、「私は、まっとうな道に進みつつある自分に抵抗したかった。そのためには、今ある生活から正反対のところに自分を放り込んで、いったん自分を解体するしかない。焦燥にも似た思いは、どんどん膨らんでいく。」(本文引用 以下同じ) そこで20代(学生)の彼女がとった行動がアジアへの旅でした。

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「まだ薄ら寒い3月。私は真新しいパスポートを手に、生まれて初めて海外へ旅立った。マニラ経由、バンコク行きのエジプト航空。これから始まる旅がどんなものになるのか、まったく想像がつかず、不安一杯で機内に乗り込んだ。」

「あぁ、とうとう来てしまったのだ。これから40日間、一人で旅をするのだ。ひどく心細いような、切ないような気分になり、胸がぎゅっと締め付けられた。知らない土地(タイ・バンコク)に夜中に到着するというのは、何とも不安ものだ。しかも生まれて初めての海外旅行である。」

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(画像はインターネットから転載)こうして彼女の生まれて初めての、不安一杯の海外旅行が始まりました。ところがタイ・バンコクでは名物の屋台料理に次から次へと挑戦してしまうのです。「かくして、生まれて初めて海外で口にする記念すべき食べ物は、屋台のクイッティオ・ナームと相成った。こんなに食べ物がおいしかったんだったら、大丈夫。旅の不安が、一気にどこかにいってしまった。」

「興奮とも喜びとも懐かしさともつかない不思議な感情が湧き上がり、私は走り出したくなった。そして走り出す代わりに、大きな市場の中を、ひたすらぐるぐる歩きまわった。」

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「竹籠に山積みになった、見たことのない野菜。何種類ものナス。鮮やかな果物。魚。肉の塊。おもしろそうなものは、片っ端から名前を訊いてみる。長い毛が生えた赤いウニみたいな果物はランプータン(画像はインターネットより)。味見をさせてもらったら、みずみずしくてすごくおいしかったので、とりあえず半キロ買う。」 これはまだ序の口で、彼女は次から次へと味見したり買い込んだりしたのです。

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「それにしても、何という豊饒だろう。私はバンコク滞在中、チャオプラヤ川の船着場近くの食堂街(画像はインターネットより)、小さなソイ(路地)に並ぶ安食堂、屋台、市場を歩きまわった。このときの数日間の、タイの食べ物と幸福な出会いが、後に私をタイにのめり込ませる原点となったのである。」

初めての海外旅行にして、いやはやもの凄い行動力です。この調子で彼女の胃袋は世界に飛び出していったのです。本書には写真が少なく(多分製作費が安かったんだろうと思います)、本文から伝わる旅のダイナミックスさと面白さが伝わらず、やむを得ず多くをインターネット画像を転載していることをご了承下さい。

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2013年8月19日 (月)

本の旅(椎名誠) どうしてこんなにうまいんだあ!

椎名誠といえば冒険作家で、旅と冒険と料理をこよなく愛する行動派作家であり、我々シニアの星でもあります。彼の出版本はゴマンとあり、大抵の本は買い込み、海外に出かける時には必ず持ち歩くことにしています。何より肩が凝らないのがいいです。そんな中、「あやしい探検隊」の原点ともいうべき、日本のどこかの海岸で野営した時作った料理を味わってみました。

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「これは自慢話だけれど、たぶんぼくは世界で一番うまいものをいっぱい食べている一人だと思う。あまりにもおししくて涙を流しながら・・・というのだってある。」 「世界の食の現実を知りだした頃でもあった。世界の多くの国は、その時期、そこで採れるものしか食っていないという、という現実を嫌というほど知っていった。・・・チベットではハダカ大麦の米が主食。北極圏では通年、アザラシの生肉が主食だ。四季おりおりに変わっていく食材が手に入り、その気になれば北海道の毛ガニを九州の鹿児島の人が、ほとんど鮮度が変わらない状態のクール宅急便で注文した二日後に食べている、などという国は日本以外世界のどこにもない。」(本文引用) とまあ、彼は世界の食糧事情を身を以て体験しています。

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「あやしい探検隊」の別働隊で「雑魚釣り隊」も結成して、日本中の海岸に出没して、雑魚を釣ってはそれを調理して食べるというシリーズ本も何冊かあります。「あやしい探検隊」と「雑魚釣り隊」の旅はまた別の機会に譲ることとして、「どうしてこんなにうまいんだあ!」は両隊に共通する野営(今風にいえばアウトドア)の際、手軽に出来る料理を紹介しています。そこで今回は、自炊しなければならない時、ほとんど手をかけないで調理できてしかもうまい料理24メニューのうち、実際に私もトライ(それほど大げさでもありませんが)してみた6メニューを紹介します。

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①鍋にお湯を沸かし、椿うどんを好みの固さにゆでる ②モヤシをぶちこむ ③うどんとモヤシをざるにあげる ④薬味を入れたタレで食べる

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①サイコロ大に切ったトマトと適当な大きさに切ったタマネギをフライパンで炒める ②①にタレを加えてサッと煮詰める ③鍋にお湯を沸かし、そうめんを好みの固さにゆでる ④③をざるにあげて流水で冷やす ⑤②をぶっかけて食べる

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①バットにしょうゆ、日本酒、タカノツメを入れる ②さばいたムロアジを①につけ込む ③2時間たったらノリをちらしてごはんにのっけて食べる

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①熱々のごはんを茶碗によそう ②シソを手で適当な大きさにちぎってごはんの上にのせる ③さらにバターをのせる ④しょうゆを回しかけてできあがり

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①イカをそうめん状に切って器に入れる ②卵黄、おろしショウガ、しょうゆ、好みでゴマ油をかけてイカそうめん風ユッケのできあがり

いかがでしょうか。簡単にできますので、カミさんが実家に帰ってしまったとか緊急の場合、コンビニ弁当に頼らないでも数日間は持ちこたえられそうです。但し、うどんやソーメンの茹で方もわからなければ話になりませんが・・・。上記紹介メニュー以外では、しょうゆマヨスパゲティ、そばの死に辛食い、熱々天ぷら冷え冷えうどん、本格カレー&死に辛カレー、ノリの三段重ね弁当などが紹介されています。

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「梅雨明け宣言がでた日の三浦半島の秘密基地でやったことがあるんだけれど、そのときはタレ二種類、劇辛ラー油、天カス、きざみネギ、サバの切り身ひとくち唐揚げ・・・自分好みのものを作って食った。うどんも食い倒れまでいっていいぞとあって、これは海岸冷え冷えお好みうどんだ。キャンプ料理に適したスピード料理でもあるね。」(本文引用) 

キャンプなどのアウトドアで食べる料理はどんな料理でも美味しいという側面もありますので自宅で作る時にはその分割り引いて考えた方がいいと思います。それにしてもお兄さんやオヤジたちがバカバカしくも真剣に遊んでいる姿はとても羨ましく思います。

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「ぜんぜん自慢にならないけれど、趣味としてこの『焚き火』をして酒盛りをするのが好きなのだ。今でも月に一回は釣り仲間とどこかの岬の岩かげなんかで流木集めて焚き火をつくり、夜更けまで飲んでいる。もしかするとその時が人生の中の一番の『黄金時間』ではないかと思う。」(本文引用)

あとがきには「ふりかえったら、『あやしい探検隊』などというおおバカ旅をはじめて40年ぐらいになっていた。で、毎回どこかの海岸に着いてテントを張った。大体無意味にいつも10人ぐらいいた。飯を食わねばならない。10人というと結構手間だ。調理道具は大ナベ二つにマナイタと包丁ぐらいだった。」(本文引用) そして食事の後には、たき火を囲んで即興の歌(木村晋介弁護士が得意)と踊りでバカ騒ぎ、とまあよくやります。

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2013年8月16日 (金)

本の旅 夫婦で行く(清水義範) 回想カプリ島

著者はツアーコースにしたがって、ナポリ市内で名物のピザを食べた後、カプリ島へ渡り、長居せず船でソレントへと向かいました。しかし私にとってカプリ島はとても思い出深い場所で、もしイタリアに行く機会があったら、もう一度ゆっくりしたいはずせない場所です。そのカプリ島を回想しました。(画像は全てアルバムより転載)

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ナポリ港からカプリ島へは観光船が頻繁に出ています。明るい南イタリアの陽を浴びて、潮風に吹かれながらカプリ島までは小一時間です。

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カプリ島に近づくと、何隻ものクルージングの客船が停泊していました。やはり南イタリアを代表する観光地です。

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欧米の金持ちがどんなクルーザーを所有しているか興味がありましたので、ヨットハーバーに行ってみました。葉山マリーナや佐島マリーナ、油壺のシーボニアに係留されているヨットや加山雄三の光進丸などに比べて意外に質素であり、当時勢いのあった日本の経済力がかなりのものだと実感しました。

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港があるカプリ地区は賑やかで、港を臨むカフェで接岸したり離れていく船を眺めているだけでも楽しいのですが、

静かなアナカプリへと向かいました。陽気な運転手は鼻歌交じりで細い断崖沿いのクネクネ道を小型バスをあやつり、30分ほど西の丘を登り、アナカプリ地区に到着しました。

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アナカプリ地域は、小さなホテルや村人が集う小さな教会や小さなレストランが印象的で、故郷に帰ったような気分にさせてくれました。村の中をブラブラして、気に入った小さなホテルの泊まることにしました。

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断崖沿いに立てられた小さなホテルは、カプリ地区の喧騒を離れて、とてものんびりした雰囲気で、ここでグダグダとしながら飲んだビールの味は今でも忘れられません。

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村の中心には教会があり、その教会の前に開けた広場には村人が三々五々集まって、おしゃべりしながら日が暮れるのを待っていました。カプリ島は別名レモン島といわれるほどレモンがとれ、気候も温暖です。陽が落ち、小さなレストランが灯りを灯して営業を始めると “この島はとても暮らしやすいのでこの島を出たことがない”と自慢げにいう村の人とビールやワインを酌み交わし、広場に集まっている人たちを見ていると、劇中劇を見ているような錯覚に陥りました。ここも是非もう一度行ってみたい場所でした。

イタリアは一人旅で不安でしたが、ナポリの街で大阪外国語大学でイタリア語を専攻している学生さんと知り合い、宿泊費・食費を負担する代わりに通訳兼ガイド兼カメラマンをしてもらうという格安条件で同行してもらいました。

何はともあれ、「夫婦で行くイタリア歴史の街々」のおかげで1990年に出かけたイタリア放浪旅にタイムスリップすることができ、著者に感謝しなければなりません。

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2013年8月13日 (火)

本の旅 夫婦で行く(清水義範)

「夫婦で行くイスラムの国々」(2009/8発刊)というタイトルと表紙の楽しそうな夫婦の珍道中を予感させるイラストに惹かれて手にした旅行記から始まり、二冊目は「夫婦で行くバルカンの国々」(2013/4発刊)へと進み、三冊目は「夫婦で行くイタリア歴史の街々」(2011/5発刊)となりました。何故イタリアが最後になったかというと、イタリアは行ったことがあり、イスラムやバルカンは行ったことがないので先にこの二つのエリアを旅してみようと思ったからでした。

酷暑のこの夏、おまけにどこも混んでいそうで、富士山への道はマイカー規制ですし、しばらく本の旅を続けようと思います。

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あとがきに、「ほぼ10年間で、ウズベキスタン、トルコ、イラン、シリア、ヨルダン、レバノン、エジプト、チュニジア、モロッコ、スペイン、イエメンと11ヶ国をまわったのだが、刺激的で面白い旅だった。」(本文引用)と書かれているのですが、読んでいてちっとも面白くなく、今まで何冊もの旅行記を読みましたが、最も期待はずれでした。

歴史的な記述が多く、しかも丁寧に年代を追って詳細に書かれていますので、読み進むうちに片っ端から忘れていってしまい(まあ自分の頭の悪さと記憶力のなさのせいもありますが)、読むのが苦痛になるか眠くなるかのどちらかでした。多分、帰国してから資料・文献をあさりながらまとめたものと思われ、リアルな雰囲気がちっとも伝わってきませんでした。唯一面白かったのが、自分と同じアル中気味の著者のイスラム圏ゆえの苦闘でした。

ただわかったことは、イスラムの国々といってもキリスト教と混在していたり、それぞれ占領されたり占領したりとモザイク模様とジグソーパズルが入りくんでいるように複雑であること。エジプトやトルコの混乱はその現れであることでした。もう一つはイスラム大国のパキスタンとイラクには近づかなかったようで、なるほどやはり危険なんだということがわかったことでした。

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「夫婦で行くイスラムの国々」の失望にも懲りず、未知の国々バルカンには興味がありましたので、本書を手にしました。本書のオビの解説文には「読みながら、自分もバルカン半島の山道や海岸線を走っている気分に。バスの揺れ具合まで伝わってるようだ。」と書かれていて、これにも誘われたのですが・・・。

結果は走っている気分もバスの揺れは伝わってきませんでした。一つはイスラムの国々巡りと同様歴史巡り(歴史愛好家には好適書)であったこと、もう一つはツアー旅行のため、自分で計画し、自分で乗り物や宿泊の手配をしていませんので旅の緊迫感がなく、著者と同化して自分も旅している気分になれませんでした。

著者が巡ったバルカンの国、マケドニア、アルバニア、ボスニア、セルビア、クロアチア、スロベニア、ギリシア、他、計10カ国で数年前まで戦争・紛争が続いていた複雑な関係を持つ国々で、歴史からひもとかなければ理解できなかったのかもしれませんが、知りたいのは今の空気。

印象的だったのは、ギリシアは歴史的遺跡が豊富にあり観光資源には事欠かず、風光明媚で気候温暖で、著者もギリシア観光を満喫していました。観光資源もなく自然条件も厳しい国と比べるとこれ以上恵まれた国はないのではないかと思うのですが、最近の財政状態の悪化によって国家存亡の危機に見舞われ、ギリシア人の生活はかなり困窮しているようで、何で・・・? と思ってしまいました。

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三冊目の「夫婦で行くイタリア歴史の街々」は、私も行ったことがある国でしたから、かつてのイタリア一人旅を思い出しつつアルバムをなぞりながら、読み進むことができました。(以下、本書には小さなモノクロ写真しか掲載されていませんので、画像は全てアルバムより転載しました)

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1990年、イタリアへ一人でフラフラと出かけました。ローマテルミネ駅でお目当ての列車を待っていても来る気配がなく、2時間くらい待って、運行は一日おきということを知り、いきなり異国の洗礼を受けてしまいました。面白いことに改札口はなく、自由に出入りできることなど戸惑うことばかりで、まったくのお上りさん状態でした。

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ローマ市内はとても楽しい街でした。遺跡見物に疲れて、陽射しを避けて宮殿の日陰に身を横たえ、ついまどろんでしまった時、古代ローマの時代にも同じような風が吹いていたんだろうなと感じたこと。夜、地下の小さなバーに迷い込んだ時、ハンガリーから亡命してきた若い音楽家たちの生のピアノ演奏を聞かせてもらったこと。一方では駅前などには各国から流浪してきた移民たちの鋭い視線を感じて身構えたこと。とても思い出深いのです。

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「コロッセオの前で写真を何枚も撮っている時、観光地ならではの要注意事項があったのだった。そのひとつは剣闘士の格好をしたイタリア人が何人もウロウロしていて、一緒に写真を撮りませんか、というお仕事の人たちだ。」(本文引用) 写真を撮らせて代金をボロうとする人がいたようですが、私が訪れた時には剣闘士の代わりにジプシーがいて、傘で追い払ったことがありました。画像で一緒に映っている人たちは移民の人たちで観光に来ていたようで、この時は危険は感じませんでした。

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「とにかく、1900年ほど前のある日まで人々が生活していた豊かな都市が、灰に埋まってしまったため、そのままの形でそこにあるのだ。そのことに感動してしまう。」(本文引用) ポンペイについての記述は他と異なって著者の気持ちがそのまま伝わってきました。ポンペイを訪ねたのはとても暑い日で、数秒前まで炊事していた主婦がそのままの形で残されている古代都市を歩いたことは今でも鮮明な記憶として残されています。

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2013.8.3の日経記事によるとポンペイが荒廃しているとのこと。1997年に世界遺産に登録されましたので、私が訪れた時(1990年)にはまだ登録されていませんでした。以来ずさん管理が指摘されていて、それはイタリアのことだから有りうるだろうし、特に最近の財政危機により修繕予算の確保も大変だろうと思ってしまいます。

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ローマから1時間くらいの小さな村を訪ねた帰り。ローカルバスがなかなか来なくて待ちくたびれましたが、観光地ではないのんびりとした雰囲気を楽しむことができました。それにしてもローカルなバス停のデザインが洗練されていてさすがにデザインの国だと感心もしました。

再び本の旅に戻りますと、本書の裏表紙には、「パスタがいつもアルデンテとは限らない、南部の街はトイレが少なく大行列、ヴェネツィアではスーツケースの中身まで雨ざらしに・・・。シチリア、ナポリ、アマルフィ、ボローニャ、フィレンツェ等、南北イタリアを著者夫婦が巡る。遺跡にまつわる裏エピソード、名所付近の街歩き情報、熟年ならではの旅の楽しみ方も満載で、初心者もリピーターにも2冊目のガイドとして役立つ。」(本文引用)とあり、なるほど出版社の編集者はうまくまとめるものだと感心しました。

前二冊ほどの期待はずれではありませんでしたが、もう少し現地の空気感とか生き生きとした描写があればもっと楽しめたのにと残念でした。唯一「もしこの国に生まれていたらどういう人生を歩いていたのだろう」(本文引用)という著者の感慨は、旅をすると誰もが同じような気持ちを持つんだなあいうことがわかりとても共感できました。

三冊の「夫婦で行く」シリーズを読んでみて、旅行記はやはり著者の体温とか味覚とか旅のロマンとかが伝わってこないと面白くないということがわかりました。

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2013年8月10日 (土)

本の旅 モルディブ(谷村志穂) 残照

谷村さんの「モルディブ」に触発され、その紀行文を読みつつアルバムをめくってしまいました。一周5分の小さなしまでしたが、私にとっては最も自然と一体になって、そこで息をしているだけで充ち足りてしまうそんな場所であり時間でした。まだカメラがデジタル化されていなかった20年近く前の画像は、鮮明ではありませんが、その分生々しくリアルでもあります。

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“最後の桃源郷“ ”最後の楽園“ ”最後の秘境“ それぞれ魅力を秘めていますが、もし一カ所もう一度行くことができるとしたらやはりモルディブのようなそこにいるだけで充たされてしまう ”楽園“ がいいかなと思ってしまうのですが、それはまだ9月に出かけるチベットを見てからのことになります。

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2013年8月 7日 (水)

本の旅 モルディブ(谷村志穂) 楽園

モルディブは26の大環礁と1200もの島とからなっていて、人が住む200の島と丸ごと一つがリゾートになっている70の島からなっている。島々には山は一つもなく、高度はいずれもほぼ標高ゼロに近い。いずれの島にもココヤシが繁っていて、最高地でも高さ1.8m、今、地球の温暖化とともに沈もうとしている。

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(アルバムより転載)「モルディブとは不思議な土地だ。それは国でありながら、国家として迫ってくることもなく、島々の一つ一つも大洋の中の小さな浮島でしかない。インド洋に浮かぶ大環礁地帯。珊瑚が、砕けて、白い砂になる。砂が寄せ集まって、島々をつくる。」(本文引用)

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(本書より転載)「聞きしにまさる楽園だった。海がきれいだとか、環礁に浮かぶ小さくて無数の島々のありようがよかったとか、理由はいろいろあろうが、そこには、ナチュラルな宇宙があった。夜も昼も温かい透明な海水に浸かっていると、それはそのまま漂泊しているイメージにつながった。」(本文引用)

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(本書より転載)「一つの島で、じっくり時間を過ごす。恋人と見つめ合い、もしくは本を片手に毎日波音を聞きながら自分自身と見つめ合ってみる。モルディブでは、もちろんそんな日々が素晴らしく過ぎてゆく。」(本文引用)

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(アルバムより転載)「こんな気持ちのよい熱帯の気候では、およそ考えることなど気分を害するように思えた。外界の太陽、海、白砂、ココヤシなどは、すべて心の安らぎにも気晴らしにもなった。それにしてもこうした状況は、思っていたとおりのようだった。」(本文引用) 滞在中、私もほとんど物事を考えることはなかったような気がします。海や遠くの島を眺めているだけでそれだけで充ちたりていました。

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(アルバムより転載) 陽の光と波の音に目覚め、ゆっくりと朝食をとり、午前中と午後それぞれ1~2回ダイビングで海に入り、午睡をした後、ノドを潤しながら陽が少しずつ傾くさまを見ていた時間は至福の一時であり、谷村さん同様私にとってもモルディブは楽園でした。

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(アルバムより転載)

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(本書より転載) 「そのうち陽が暮れる。海の表面が黄金色に光り出して、陽が暮れるとまず、月明かりの中にあってもなお眩しい金星が光り始め、やがて空一色に星が現れる。海も水も砂も風も肉体も、全てが溶け合っている感覚、それが宇宙へとつながった。」(本文引用) スコールの向こうに小さな火の玉だけが見える時もありましたし、真っ赤に染まる夕陽もありました。

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(本書より転載)「立ち去る時間が訪れると、島の人たちはドーニーを見送りに来てくれて手を振る。言葉を交わしたこともない子供たちまでもが集まって、手を振ってくれることがある。島にいるということは、人間の根源的な寂しさといつも向き合っていることのような気がしている。」(本文引用)

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(アルバムより転載) どこのリゾートもお別れ風景は同じようです。スタッフの皆さんに見送られ、“また来年も来ることができるだろうか”とか“来年も来れるように頑張ろう”とか何回思ったことでしょうか。

40代から50代へと人生の転換期を迎えた5年間、一年間働いた自分へのご褒美と考えてモルディブに向かったその5年間は、それこそが生き甲斐であり働きがいでありました。モルディブがあったからこそどんな辛いことでも耐えたり、頑張ることができました。当時は無我夢中で、ただ一年間無事に事業を継続することができ、ホッとした気持ちでモルディブに向かい、癒され再生されてまた新しい一年に立ち向かうことができました。

今にして思えばモルディブはその年代の転換期だったからこその“楽園”でしたが、再び60代から70代にさしかかる転換期を迎えつつあり、新たな“楽園”探しも一興かもしれません。“桃源郷”探しと“楽園”探し、果てしない道のりのような気がしますが・・・楽しみでもあります。

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2013年8月 4日 (日)

本の旅 モルディブ(谷村志穂) ダイビング

モルディブといえば欧米人にとってはリゾート地であり、日本人にとっては新婚旅行先で、私にとっては最高のダイビングスポットでした。

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(本書より転載) なんと谷村さんは浮き輪なしでは海に入れない“水恐怖症”なのです。それなのによく何回もモルディブに行ったものです。この画像は撮影用に仕方なく浮き輪なしで水に浮かんだ時のものです。

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(アルバムから転載) 「モルディブの語源は、『島々の花輪』を意味する。一緒にラジオのパーソナリティをつとめている写真家の浅井慎平さんはこう言った。『本当にきれいな海の色っていうのはさ、エメラルドグリーンに、たらっとミルクをこぼしたような色なんだよね。』とも、浅井さんは付け加えた。」(本文引用) 

モルディブには26もの大環礁があります。大きな周りの輪は珊瑚で、輪の中は海没して周りの珊瑚と小さな島がとり残された結果、礁湖とリゾート島が形成されました。礁湖は浅瀬ですのでシュノーケリングできますし、環礁の外側は数百メートルも落ち込んでいるドロップオフですので豪快なダイビングを楽しむことができます。

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「足下の海水はどこもクリアで、色とりどりの小魚がたくさん泳いでいるのが見える。波が陰影を作っており、自分の姿がずっとシルエットになって揺れている。誰もいない島へ、誰もいない明るい海を歩いて進んでいる。ここでは、そんな体験ができる。」 (本文引用) 水上コテージから数段の梯子を下りれば目の前の海にエントリーでき、海の中は竜宮城のようです。谷村さんは全くのカナヅチのため、著書には海中写真が一つもありませんでしたので、画像はアルバムから転載しました。

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「モルディブを愛するダイバーたちは言う。登る山はないが、海の底まで何メートルでも潜っていける。」(本文引用)  谷村さんは、高名な海中写真家中村征夫さんや何人ものインストラクターに教えてもらったにもかかわらず結局水中での恐怖心をぬぐい去ることはできませんでした。もったいない!(画像は全てアルバムから転載)

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(アルバムから転載1997/12) ダイビングでは1回潜ると1本とカウントします。その数え方は何本のタンクを使ったかということに由来しています。そして100本とか200本という節目となるダイビングの時には、その時一緒に潜った連中がパーティを開いてくれたりします。この時はたまたま私の200回目のダイビングでしたので、仲間たちが祝ってくれました。

私にとってモルディブはダイビングの聖地でした。世界一海に近い水上コテージから、いつでも好きなだけシュノーケリングやダイビングを楽しめることができました。

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2013年8月 1日 (木)

本の旅 モルディブ(谷村志穂) 再生の島

地元図書館の紀行文の書架で見つけた「モルディブ」(1991/11出版)は、200912月に「さらばモルディブ追悼記」と題してブログにアップし、忘れていたモルディブを再び思い出させてくれました。

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「モルディブ」の著者は作家谷村志穂(1962年生)さんですが、残念ながら今まで彼女の本を読んだことはありませんでした。彼女も何回もモルディブには通いつめたようで、この本を読みながら自分のアルバムを眺め、読み進みながらモルディブで時間を共有しているような気分にさせてくれました。

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「そんな私が1998年の1年間、モルディブに通い続けた理由ははっきりしていた。私はもう若さを失いかけていて、その土地に眩しいばかりの太陽のエネルギーに救いを求めていたのだ。眩しい太陽や、白砂や、ガラスのように光を反射する海面は、ややもすると鏡を見てはため息をつく私を強引に外に誘い出してくれた。」(本文引用)

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「シンガポール・エアラインでシンガポールを経由して、モルディブの国際空港、フレル島に到着するのは、深夜だ。他のエアラインでも、日本からの便はみな深夜の到着である。そこからドーニーというぽんぽん船のようなものに乗って、暗幕をかぶったかのような夜の海を進んでいく。」(本文引用) 首都マーレはとても小さな島で、いつも深夜便で到着し深夜便で帰国していましたので、エメラルドグリーンに浮かぶ首都の島を目にすることはありませんでした。

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(ファルコルフシHPから転載) 彼女が滞在したのは「クラブメッド」が所有するファルコルフシという島で、モルディブの首都マーレから最も近いリゾート島の一つで、ドーニーでも30分ほどの場所に位置します。ファルコルフシの画像を見て、リゾートっぽ過ぎてちょっと私の趣味とは異なるようです。

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(アルバムから転載) 私が滞在したのは、日本企業が経営するバドゥという小さな島のリゾートで、島一周5分という小ささと質素な雰囲気が気に入りました。ここの最大の特徴は水上コテージで、階段を降りて海に入ればそのまま主のケーリングやハウスリーフでのダイビングができてしまい、マレーシアのシパダン・マブールなどでも水上コテージに泊まりましたが、それらに比べても多分世界一本当の海に近いところだと思っています。

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日本でジングルベルの音が聞こえ師走の風が吹き始める頃、1年間の疲れを癒したく成田を飛び立ち、1週間くらい滞在するようになりました。その結果南の島で、南十字星を仰ぎながらの、シンプルなクリスマスを迎えることになりました。

恋をしたのもそれを失ったのもモルディブ、そして癒してくれたのもモルディブという谷村志穂さんは、その年の終わりに1年間の疲れをとりに通った私とは異なるモルディブだったようです。しかし彼女は人生の“再生”への英気を養い、私は新たな年に向かっての“再生”を誓ったモルディブでした。

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