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2013年9月30日 (月)

チベット大縦断05 タール寺

ツアーの3日目(9/14)の午前中、ゲルク派六大寺院のひとつ寺を訪れました。

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前日、西寧で合流したチベット族の才さんとは、中国国境を越えるまで一緒で、その間盗聴や公安の監視の目を気にしながらさまざまな微妙な話もしました。

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チベット仏教には4つの主要な宗派があり、その中でも最大の勢力であるゲルク派のタール寺を訪れました。周りはお土産物屋やさまざまな店が軒を連ねていて、大きな門前町となっていました。

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タール寺本殿は、要塞のように丘の上に堂々と聳えていました。本殿や建物内部の写真は有料となっていましたので一切撮影しませんでした。

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歴代のダライ・ラマやもう一方の宗教的指導者パンチェン・ラマはゲルク派出身であり、ゲルク派の僧侶の数も最も多く、それ故に中国のチベット侵攻に伴って最も厳しく弾圧されたとのことです。

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初めて目にした “五体投地” 。 五体投地とは両手・・両膝・額を地面に投げ伏して、仏や高僧などを礼拝することで、仏教において最も丁寧な礼拝方法の一つとされていて、対象への絶対的な帰依を表すそうです。無償の犠牲的礼拝を実際目にしてみると、何とも表現しようありませんでした。

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境内に入りますと、仏舎利殿の入口でも五体投地が行われていました。一生のうちに10万回行うことが目標とのことですが、よほど強い信仰心がなければとても無理そうです。

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日本の古刹といえば、高野山金剛峰寺、越前永平寺、比叡山延暦寺などなど思い浮かび、木肌一色のモノトーンの世界ですが、こちらは極彩色の曼荼羅の世界のようでした。

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タール寺見学の後、「青海省博物館」を訪れ、少数民族の衣装や出土された文物、チベット仏教の仏像、曼荼羅など厖大な量の品々や資料を見て、いささかグッタリしてしまいました。

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特筆すべきは、この巨大な博物館は、トヨタ自動車関連の愛知県小島プレス工業㈱社長の小島鐐次郎氏の資金援助によって建設されたそうです。膨大な量の展示物を見てみると、小島氏がどういう気持ち、意図でこの博物館を建設したのかなんとなくわかるような気がしました。

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午前中タール寺と青海省博物館を見学した後、昼食の卓を囲みました。午後からは青海鉄道に乗り、夜中には5,000mの峠を越える予定でしたので、ビールを飲むのは我慢しました。

初めてチベット仏教の主要な寺院の一つタール寺を訪れることにより、ようやくチベット圏に入ったという実感がわいてきました。チベットを旅するということは、そのかなりの部分をチベット仏教のお寺を訪ねることが占めることかもしれません。

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2013年9月28日 (土)

チベット大縦断04 西寧市宿泊

ツアーの3日目(9/14)、青海省の中心都市西寧市に到着しました。標高は2,275mで、富士山の五合目くらいの高地です。

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大きなモスクが見え、シルクロードっぽい雰囲気でした。

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時間は17:30(現地時間)で、ちょうど礼拝が始まるとのことでしたので見物に出かけました。

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門をくぐって、礼拝堂の入口までは入ることができましたが、ここから先は信者以外は入れませんでした。頭にイスラム教徒独特の白い帽子をかぶったおじさんたちが集まっていました。この帽子はすぐに脱げそうに見えるのですが、伸縮性がありなかなか脱げないということがわかりました。

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ガイドの才さんを通じてイスラム教の教義を聞いたりしたのですが、唯一絶対の神「アッラー」を信奉する一神教で偶像崇拝を禁じているということで、神様も仏様も、山でも樹木でも石でさえも、何でも信仰の対象として縋ってしまう私たちとではまるで異なる民族であることがわかりました。実際に面と向かって話してみると気のいいおじさんたちばかりで、イスラム教の過激なイメージとはほど遠いものでした。

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モスクからホテルまでめぬき通りを移動しました。中国に入ってから感じていることですが、どこへ行っても車が多く、これでは石油はいくらあっても足りないだろうなあとよそ事ながら思ってしまいました。

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西寧市中心部にはやたらでっかいビルが建ち並んでいて、2日間かけて中国奥地に入ってきたという実感が伴いませんでした。

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市内の中華料理屋で夕食としました。ここは富士山五合目と同じくらいの2,300m近くの高地で、翌日からは5,000mを越えますのでしばらくはアルコール禁止となり、名残のビールを味わいました。

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食事は、中国領ですのでラサでのチベット鍋以外は全て中華料理でした。味は普通の中華料理で違和感はなく、野菜中心でしたので胃への負担は少なく感じました。

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食後夜の街を散策しました。概して朝遅く、夜は遅くまで活動しているようで、灯りは煌々とついていて、エネルギーが大変だろうなあと思ってしまいました。

料理はどこでも10品前後で、他にご飯とスープがでました。日本のように取り皿はなく、一枚のお皿と一つの茶碗で、料理とスープとご飯をいただくというものでした。ガイドさんを含めて総勢16人でしたから、8人の円卓2つを囲みました。

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2013年9月27日 (金)

チベット大縦断03 蘭州~西寧

予定では広州から西寧まで飛行機で一っ飛びだったのですが、蘭州までしか飛ばないとのことで、蘭州からは専用バスでの移動となりました。

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蘭州から中国とネパールの国境までは現地ガイドの「才」さんが案内してくれることになりました。チベット族出身で日本語が上手で、冗談は通じるしとてもいい人でした。ずっとお世話になりました。

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車移動ですとこういうチベット的光景が見られますので、飛行機で飛んでしまうより楽しく感じました。

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蘭州から西寧まではおよそ150kmのみちのりで、ほとんどが高速道路を走りました。高速道路網は非常に発達していました。

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高速道路の料金所は日本と同じようなものでしたが、ETCは導入されていませんでした。その代わり日本と違ってとても若い女性がきびきびと働いていました。カメラを向けるときつい目線でにらまれましたし、ガイドさんからはうっかり警察や軍の人も写ってしまうおそれがあるので写真は注意してくださいと釘を刺されました。

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料金所を境に甘粛省から青海省に入りました。青海省の人口は539万人で、広州市の約1,000万人より人口は約半分と少ないのです。

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青海省で入ったトイレには「向前一小歩 文明一大歩」という標語が目の前に掲げられていました。男性なら何となく意味のわかるこの漢字、やはり中国は標語とスローガンの国でした。

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高速道路を走っていて、山というか巨大な岩というか、その麓に突如としてこれまた巨大なマンション群がしばしば現れました。中国は人口が多いといっても、マンションは決して安いものではないでしょうし、一体誰が購入して住むのだろうかとしばしば頭をかしげてしまいました。

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西寧市内に入りますとマンション建設ラッシュはますます加速しているようでした。

青海省の省都西寧市の人口は250万人で、青海省の人口の約半分が西寧に集中しています。突如現れるマンション群を見ているとチベットを旅するという秘境的気分がなかなかわいてきませんでした。

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2013年9月26日 (木)

チベット大縦断02 広州~蘭洲

9/13(金)のツアー2日目は、再び飛行機で蘭州へと向かいました。時差は日本時間が中国時間より1時間早く、このくらいの時差であれば何かと楽でした。

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前日は夜、広州市に着きましたので街の様子はわかりませんでした。一夜明けて、05:00(日本時間06:00)に起床、ホテル出発が06:00とこの日も慌ただしく、ゆっくりと街並を眺めるゆとりはありませんでした。

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眠い目をこすりながら、高速道路を専用車で広州空港へ向けて走りました。街並はうっすらとしたモヤかスモッグかに烟っていました。

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広州空港のゲートに着きました。広州市は人口1,200万人で、北京市、上海市に次いで中国で3番目に人口の多い都市です。広州市が属する広東省は人口約1億人とか、いやはやです。

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飛行場内の掃除用具には、「小心地滑」という標語が掲げられていました。“滑りやすいので気をつけてください” と何となく意味がわかる四文字でした。中国は漢字の国であり、日本は漢字の他にカタカナやひらがなを持つ便利で多様化した国であることを実感しました。

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広州でお世話になったガイドさんです。名は伏せますが蒙古族です。それ故か某国の悪口をかなりはっきりと言っていて、盗聴されたらまずいだろうなと思ってしまいました。最近は景気が減速しているとのことでした。

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中国南方航空で広州空港から蘭州へと飛びました。当初の予定では青海鉄道

の始発駅

の西寧まで飛ぶはずだったのですが、急にキャンセル(乗客数が少ないのでやめたのではないかというもっぱらの噂でした)となり、蘭州から西寧までは車移動となりました。

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蘭州までのフライトの楽しみはヒマラヤを空から見ることで、バッチリと捉えることができました。

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蘭州に近づくにつれ、冠雪のない山々が姿を現しました。

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蘭州空港で昼食をとりました。次の日からはアルコール禁止となりますので、早速ビールでノドを潤しました。

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蘭州空港前の広場。この先どこへ行っても「五星紅旗」を目にすることになりました。

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蘭州空港は増築中でした。景気減速をくい止めようと、中国政府はインフラ整備に巨額の資金を注入しているようです。

成田を出発してあれよあれよという間に巨大都市を経由しました。人口の多さを聞いてもまだ実感が伴いませんでした。

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2013年9月25日 (水)

チベット大縦断01 成田~広州

9/12(木)に成田を出発して13日間の「チベット大縦断」を終えて、昨晩戻りました。体調も壊さず、9/24に予定どおり帰宅しました。疲れていないと思っていたのですが、翌日の今日は仕事や自治会の打合せを済ませて午後からブログを書こうと思っていたのですが、昼食後昏々と眠りこけてしまいました。これからできるだけ毎日ブログを更新してまいります。

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9/12(木)10:30、横浜バスターミナル(YCAT)から出発しました。

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YCATYOKOHAMA City Air Terminal)を出発したバスはやがてベイブリッジを渡り、首都高速へと入り、首都圏を通過して成田へ向かいました。今回は出発前になってもあまり盛り上がらないというか緊張感に欠けていたのですが、バスに揺られているうちにだんだん緊張感が増してきて、次第に“さあ行くぞ!”という気になってきました。

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集合時間が13:50で、出発便が15:50で、ゆったりとした予定でしたので、定番となったビールと鮨で昼食にしました。今回のツアーでは高地順応を兼ねて徐々に高度を上げ、最終的には5,000mを越えるエベレストベースキャンプまで上りますので、アルコール類は最初の2日間と最後の4日間しか口にすることができません。一杯のビールをじっくりと味わいました。

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13:57 搭乗手続きを済ませ、スーツケースを預けて身軽になりました。今回のツアーは東京・成田から10人、大阪・関空から5人の15人で高地ツアーにしては大人数です。いずれも初対面(説明会では数人の方と顔を合わせました)で、どういう方々なのか興味津々の期待と不安が入り交じっている瞬間でした。

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17:39 予定より20分遅れのフライトとなりました。中国系の飛行機は落ちるまで飛ばすと聞いていましたので、まあ多少遅れても安全に目的地に着陸してくれることを祈るばかりでした。機内食はまあまあお美味しかったです。

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21:50 予定より20分遅れで中国広州空港に着陸し、4時間40分のフライトはあっという間でした。雨が降った後で大気汚染も少しおさまったようで、夜の空港は何となくロマンティックでした。

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22:31 入国審査も済ませて、飛行場を一歩外に出るとだだっ広そうな世界とあちこちの灯りと、この国はたくさんなエネルギーが必要なんだなあとつまらないことを考えてしまいました。

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00:31 日本時間では12時を廻りましたが、時差が1時間ですので現地時間では11:31分、ホテルにチェックインしました。直前になって予定していたホテルが理由もなくキャンセルになってこのホテルに変更になったそうです。闇と灯りはいろいろな欠点を隠してくれるようで、とにもかくにも異国の地のホテルの窓から眺める夜景はいいものです。

今春のパキスタンツアーは北京経由で、往復とも機内待機で地面に降りませんでしたが、今回初めて中国の地を踏みました。着いたのが夜遅く、ようやく真夜中にホテルに落ち着きほっとしました。持参したウィスキー(スーツケースにしのばせました)を軽く一杯ひっかけて明日からの行動に備えて眠りにつきました。

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2013年9月12日 (木)

チベットへ 行ってきます

今回のツアー「チベット大縦断」(西遊旅行社主催)は、

http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GCCN45/index.html

青蔵鉄道と中ネ公路を走破してしまうというもので、日程は13日間(9/1224)、参加者は東京出発が10人、関西出発が5人の総勢15人のツアーです。(画像は全て西遊旅行社のHPより転載)

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西寧を15:05出発してからラサ到着翌日の14:35まで23時間、標高5,000m以上の峠を走る青蔵鉄道、どんな感じになるのか見当もつきません。なんとか4人部屋(2段ベッド)の軟臥席が確保されているとのことですので一安心です。

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チベットとネパールを結ぶ中ネ公路もまた5,000mの高地を走る幹線道路です。今春訪れたパキスタンのカラコルムハイウェイは高度こそ高くはなかったものの未舗装道路に悩まされましたが、今回は幹線部分は全て舗装されているとのことですので快適に走れそうです。

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ネパール側から見たヒマラヤ、エベレストやチョオ・ユー(8,201m 6位)などはどのように見えるのでしょうか、これも楽しみの一つです。

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ポタラ宮は、チベットツアーでは欠かせない観光スポットであることは間違いありません。マルポリ丘にそびえ立つこの大建造物の主(ダライ・ラマ14世)はインドに追われ、チベットの文化・文明や国家そのものが抜け殻になりつつある象徴のように思われ、かつてここに居住していた“主” に想いを馳せたとき、何を感じるのか怖いようでもあります。名所としてのその建造物に感心するだけの観光気分で終わってしまうのか。

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どこどこで一度は泊まってみたい宿という謳い文句がよく言われます。ネパールでは、エベレストを見るためのホテル「ホテルエベレストビュー」、日・英の皇室の方も泊まったポカラの「フィッシュテールロッジ」、ダウラギリを仰ぎ見る「タサンビレッジ」なので、これらは実際に宿泊してそれなりのパフォーマンスが得られました。唯一未体験なのがナガルコットの丘に建つ「クラブヒマラヤ」でした。今回クラブヒマラヤに泊まれば主だったホテルやロッジに泊まったことになります。

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ナガルコットの丘は、ヒマラヤの絶景ポイントといわれ、夕暮れや夜明けのヒマラヤが楽しみですが、完全に雨期から抜けきっていない時期ですので、絶景が拝めるかの確率は五分五分といったところです。

ヒマラヤへのトレッキングでは、自分の足で一歩ずつ高みに登っていかなければならずかなり緊張しました。また宿泊ロッジもこれ以上ないほど劣悪でした。それらを差し引いても得られる達成感は大きかったのです。それに対して今回は5,000m以上の天空とはいえ、鉄道や車移動ですのでその分気楽といえます。また一番厳しい環境での宿泊も室内にトイレがあるとのことで一安心です。

見どころはいろいろあるのですが、それ以上に楽しみというか大きな目的は中国領・チベット自治区に足を踏み入れることで、そこでどんなことを感じるのか、自分を試してみたいと思っています。

季節は完全に乾期に移行していませんので悪天候が予想されますので、10月出発分に変更も可能なのですが、エベレストが見えなくても、抜けるような碧空を仰ぐことができなくても大きな問題ではなく、チベットそのものを感じられればいいと思っています。

それでは、行ってきます。

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2013年9月10日 (火)

チベットへ 消されゆくチベット

行きたいような行きたくないようなチベットであり、出発日が近づくにつれモヤモヤ感が頭をもたげてきています。昨今海外に出ることはテロや暴動あるいは飛行機事故や交通事故など何らかのリスクがあることはあたりまえですが、それらとは異なる、今まで感じたことがないようなモヤモヤ感があります。

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モヤモヤ感は、チベットに一生を捧げているような感のある作家渡辺一江さん(椎名誠夫人)の「消されゆくチベット」に凝縮されています。

“改革開放路線になってからの中国は、社会主義を標榜してはいるけれど、私には拝金主義のように思える。そしてこの潮流に足を取られて流されるチベット人たちもいた。畑の作物を手っ取り早く換金できるスイカに変えたり、“社宅”を投資に使うべく複数戸持ったり、札束を見せられて農地を売ってしまい都会に出たものの仕事もないという例も目についた。就職先のない若者の中には、アルコールやドラッグに染まった人間もいることも耳にしてきた。“(本文引用)

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(画像はインターネットより転載) いくつかの気になることの一つが、現地ガイドやドライバーの問題です。ガイドやドライバーが漢族(中国系)の場合、高圧的で何もしないそうですし、チベット人であれば絶えず公安の監視の目をおそれて行動の自由度が制約されるようです。最悪のパターンは、漢族とチベット人の組み合わせで、漢族の威圧的態度はチベット人が気の毒になるそうです。先日の説明会ではチベット族のガイドを依頼してあるとのことですが、どうなることやら。

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2009年のタベーの焼身抗議の後、実に多くの焼身抗議が続いているが、その背後には数百万のチベット人の祈りと願いがある。自由と尊厳を求める声がある。その声に、私は応えたい。その声を、私の声としたい。”(本文引用) チベット自治区でのチベット僧の焼身自殺者が100人を超えたというニュースは昨年マスコミで知りました。つい最近のニュースでは、“漢族による鉱山開発によって資源が収奪されていることに対しての抗議の自殺” というもので、このようなニュースを目にするたびに心が痛みます。

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(画像は西遊旅行社HPより転載) チベット族の人々に会ったとき、自分は何を思うのでしょうか。屈託のない微笑みをそのまま受け取っていいものか、心の奥底に秘められた懊悩を思いやってしまうのか、しかしそれは大きなお世話ではないのか。

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(画像はインターネットより転載) “チベットの現状は、政治的にも経済的にも圧倒的に大きな力に翻弄されていて伝統や文化は風前の灯火のようにさえ見えるが、そんな厳しい状況下でチベット人たちはなお懸命に文化を、伝統を守り抜こうとしているのだ。同じ時代に生きている私たちが、チベットの人たちから学ぶことは大きいと思う。多くの人にそれを知って頂きたくて、この本を書いた。”(本文引用)

憧れのチベットへの旅行を前にしてもあまり心地良くない情報が耳に入ってきます。漢族に対するチベット族の人たちの心情を思いやると切なくなります。しかしさまざまな苦難の中、生きてゆかなければならないのも一方の現実であり、その現実をどのようにやり過ごしているのか、明るい笑顔をそのままに受け容れていいかもしれないし・・・。

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2013年9月 9日 (月)

チベットへ 慧海の足跡

ほぼ1年前、「チベットへの想い」と題してブログを記しました。日本仏教のルーツで神秘的なイメージを持つチベットには行きたいし、中国に圧政を受けている現状は受け入れがたく行きたくないしと、心は千々に乱れていたのですが、今行かないともう一生行けないかもしれないという気がしてきて、9/12(木)に出発することにしました。

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何となくのチベットへの憧れは、やはり河口慧海が1900年(明治33年)夏、仏教の原典を求めてチベットへ密入国したということによるものです。30kgの重荷を背負ってヒマラヤの峠を越えたというその足跡のかけらでも見てみたいという思いは強くなるばかりです。

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(画像はダウラギリツアー 2011.1.31撮影) 慧海が辿ったネパール側の道は、2011年の年末から翌年の年始にかけてダウラギリ(8,167m 7位)を見に行ったときにジョムソン街道をカリガンダキ河に沿って歩き、慧海の足跡に触れました。

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(画像はダウラギリツアー 2011.1.31撮影) カリガンダキ河沿いにあるマルファという村~私はこの村で2012年の新しい年を迎えました~には慧海がしばらく滞在した住居が「河口慧海博物館」として保存されていました。慧海がチベット国境に向けてこのマルファ村の館を出発したのが今から110年前の1900.6.12だったそうです。

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(画像は「遥かなるチベット」より転載 秘境ムスタンの都ロ・マンタンに向かって、背後に聳えるのはニルギリ・ヒマール) “ヒマラヤ山脈の北側に展開するチベット高原は、空が圧倒的な迫力でのしかかってくるような広がりを見せ、大地は雪と岩からつくられ全体的に荒涼としている。南側はインド亜大陸に続くネパールの緑豊かなモンスーン気候地帯だが、北側はチベット高原の冷涼乾燥気候地帯なのだ。”(本文引用) と表現されています。

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(画像は「遥かなるチベット」より転載 マリユン・ラからチベット側を望む)(「“A stranger in Tibet”というアメリカ人作家が書いた本の冒頭に “1900.7.4探検の歴史は前例のない偉大な瞬間を迎えた。日本の若い禅僧、河口慧海がネパールからチベットに入ったのである。しかし、その場所はまったく不明で、今日に至ってもなお、だれもその地を特定できないでいる” とありますが、現在わかっているのは1900.7.4河口慧海はここを一人でチベット側(マリユン・ツォ)に向かったということ。

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(画像は「遥かなるチベット」より転載 プランからコ(ル)チャ村へ向かう途中から眺めたチベット・ネパール国境に連なる山々) 今回のツアーではチベット側からネパール・カトマンズに入ります。どのような光景が待ってくれているのでしょうか。

私は車で多分いとも簡単に国境を越えると思いますが、110年前に重い荷を背負って一人で歩いた慧海の姿は想像すらできません。

今までヒマラヤへは4回、延べ日数にして60日間くらい歩きました。今回チベット側からヒマラヤを見ることができればそろそろヒマラヤからは卒業してもいいかなと思っています。

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2013年9月 6日 (金)

山中湖物語 富士山ビュー

山中湖との長い付き合いは40代の時のテニスがきっかけで、その後50代になってからはダイビングにのめり込んだためにせいぜい息抜きに出かける程度でした。60代になって足腰が弱ったことを実感し歩き始め、高校の同窓生と尾瀬に行ったとき、ある友の “新幹線から富士山を見ると、あのてっぺんに立ったと思うと気分がいい“ という一言に触発されて、富士山への挑戦が始まりました。気がつけば山中湖ベースは富士山ビューや富士登山の格好のベースとなっていました。

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山中湖へ向かうとき、天気がよければ東名高速から富士山を眺めることができます。あの頂上を目指すんだと思うと何回となく武者震いが起きました。

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富士登山は私たち素人には夏場のごく短い期間しかチャンスはありませんが、5合目までスバルラインで行けますし、5合目から富士山のすそ野を御庭、奥庭へと「お中道」を辿れば間近に富士山を仰ぐことができます。この「お中道」は残念ながら現在は「大沢崩れ」のためにグルッと一周することはできませんが、それでも富士山を仰ぎながら、一方では南アルプスなどを眺望できる天空の散歩道となっています。

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御殿場から須走口に向かえば、他では見られない視覚の富士山を眺めることができます。

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須走口登山道から1時間くらい歩けば、ここからも富士山を間近に仰ぎ見ることができます。今までここ須走口登山道からは1回、富士宮口登山道(静岡県側)から1回富士山に登ったことがありました。残りは全て富士吉田口(山梨県側)からでした。

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私にとっての最高の富士山ビューポイントは石割山でした。この登山口から数えきれないくらい石割山に登りました。

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石割山登山の最初の難関がこの石段でした。何年か通っているうちにこの石段を避けるルートがあることを知りました。カミさんは嫌がりますが、やはりこの階段を登らないと石割山に登った気がしませんでした。

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石割神社までは、地元のかなり高齢の方も参拝に来ているようです。大きな石の後に人一人が横歩きで通れる隙間があり、ここを廻って願い事をすると願いが叶うといわれているのですが、御利益があったのかなかったのかはわかりません。

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石割山の頂上からは真っ正面に富士山と対峙することができます。山中湖に沿うように尾根伝いにいくつかの山を越えれば、富士山を見ながら湖を半周することになり、富士山ビュー半日コースとして山歩きを楽しむこともできます。

数えてみれば22回の富士登山(うち2回は悪天候と体調不良により8合目でリタイア)を重ね、今年は一度も山頂に立つこともなくシーズンを終えました。山中湖ベースはなくなりましたが、体力が続く限り富士山ビューは続けたいと思っています。

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2013年9月 5日 (木)

山中湖物語 リゾートライフ

富士山を見ることができます。リゾートライフといえば格好いいのですが、猫の額より小さなスペースで、テニスや湖畔テクテク、後年は近場の山歩きや富士登山のベースで、単に飲んで食事をして眠るというもので、それほどしゃれたものではありませんでした。

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湖畔に建つ小さなマンションで5階建てです。通路を挟んで富士山が見える側と湖が見える側とに分かれていて、私の部屋は4Fの湖側の安い方の部屋でした。山中湖周辺には別荘地がたくさんありますが、不精者ですので、庭の手入れや戸締まりなどが面倒でしたのでマンションにしました。

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8/26(月)に売買契約のために山中湖を訪れ、見納め的雰囲気で、よく歩いた「花の都公園」に行ってみました。園内には四季折々の花が咲いているのですが、入園料がかかりますので、いつものように園外のお花畑だけ見て帰りました。天気がよければお花畑越しに富士山を見ることができます。

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「紅富士の湯」は、その名の通り大浴場や露天風呂から紅富士を眺めることができます。歩ける距離ですので、温泉に入った後、ブラブラと湖畔を吹き渡る風を受けて涼みながら戻ると火照った身体がほどよく冷やされるのです。ここ数年は大型観光バスが立ち寄るようになったため混み合うことが多くなってきました。

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「石割の湯」は「紅富士の湯」より古く、石割山登山の帰りや、「紅富士の湯」が定休日の時にはよく利用しました。施設としては古いのですがあまり混み合うことがなく、落ち着いて寛ぐことができます。住民税や固定資産税を払っていましたので、入湯料は“村民”料金で割引がありました。“難民”ではありません。

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周辺には食事処がたくさんあり、歩いていけるところもたくさんあるのですが、できるだけ自分で調理するようにしました。凝ったものはできませんが、カミさんが仕事をリタイアするまでの数年間は炊事当番をしましたので、和・洋・中なんでもOKですし、特に魚を捌くのは得意です。しかし生ゴミが出ますので、ある程度の仕込みをしてここに持ち込みました。

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定番メニューは鉄板焼き、寄せ鍋、その他好きな食材を持ち込みました。食事処では、ビール、日本酒、ワインに合った肴や料理をオーダーできるような店はなく、自分で持ち込めば好きな料理と酒を合わせることができますし、なにより帰る心配をしないでそのまま寝てしまえます。

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山梨県は桃やブドウなどフルーツの豊富なところですので、食後のデザートにこれらのほとんどは地元で調達しました。

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酒を飲んで、食べたいものを食べて、就寝前に夕涼みがてら暮れゆく湖や富士山を眺めることもこれからはできなくなります。

自分で調理をするのは苦ではなく、結構楽しみながらできましたので、贅沢ではありませんでしたがその分充実していたような気がします。

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2013年9月 4日 (水)

山中湖物語 湖畔風景

山中湖ベースに滞在している時には、どんな時間帯でも気が向けば湖畔に出て、変わりゆく風景を眺めることができました。

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夜明けの湖は、東の空が仄かに明るくなって、暗かった湖面は鏡のようにうす紅色も碧色も映し出して、つかの間の幻想的な雰囲気を見せてくれました。仲間たちと徹夜で飲み明かし、そのまま夜明けを迎えたこともあり、そんな若い(今に比べれば)頃もありました。

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運がよければ富士山が紅色に染まる赤富士を見ることもできました。

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湖畔からの風景で最も存在感があるのがあたりまえのことですが富士山です。何回も通った山中湖ですが、富士山がくっきりとクリアに見える確率は5割くらいでした。関東・東海・甲州圏であれば街中から富士山が見えますので、いつでも見えると思われがちですが、実際にはその確率は意外に高くないのです。

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夏の一時は賑わう湖畔で、特に湖上祭の時には明るいうちから花火見物の場所取りが始まりました。

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花火の時は、一年で最も湖畔が華やかで賑やかになりました。湖畔沿いのレストランや居酒屋などは、ビールでも飲みながら花火を見ようというお客の予約で満席となります。今年は見納めと思っていたのですが、残念ながら見に行くことができませんでした。

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富士山には雪化粧がやはり最も似合うようです。湖越しに見る姿は端麗で美しく、気持ちを豊にしてくれます。世界文化遺産に登録されようとは思いませんでしたが、この姿だけでもその価値があるように思えます。

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山中湖は、水面標高が982m(日本で3番目)と1,000m近くです。厳冬期には氷結することもあり、富士山は五合目まで冠雪し、更に凛とした姿を現します。

テニスがきっかけとなった山中湖とのつきあいも気がつけば富士山を眺める日々でした。しかしこの富士山に登ることになるとは夢にも思いませんでした。

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2013年9月 3日 (火)

山中湖物語 湖畔散策

泊まりがけでテニスをしたいのと、テニスの後にビールを飲みたいがために手に入れた山中湖ベースでしたが、50才代になるとダイビングに凝りだし、山中湖ベースの使い方も、何となくの息抜きしたり、気分を変えて酒を飲んだりとだいぶ趣が変わってきました。

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ベースから一歩先は山中湖でしたので、湖畔はよく歩きました。また一周14kmくらいでしたので、3~4時間くらいで歩くことができ、時間ができると何回となく一周ウオークをしました。

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湖畔を一周すると、遊歩道だけではなく湖に近い場所もあったり、釣りをしている人たちがいたり、白鳥が寄ってきたりと結構変化に富んでいました。

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散歩の途中で時々出会ったワンちゃん。

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歩き疲れたら好物のソフトクリームを食べるのも楽しみでした。かなり美味しいのです。

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春夏秋冬、それぞれの風景が楽しめ、黄葉や紅葉などはなかなか見事でした。移りゆく季節をのんびりと眺めることができたのもいい思い出です。

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陽が落ちてゆくと、残照が湖面に映し出す青空や白い雲は、美しくも寂しくもありました。夕暮れ時の湖を眺めながらいろいろなことを考えました。

山中湖ベースは、いつでも好きなときに出かけていって、ぼんやりしたり自然を楽しんだりと、人生に彩りを添えてくれました。

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2013年9月 2日 (月)

山中湖物語 テニスの時代

8月末に売却した山中湖ベース(勝手にそう呼んでいる山中湖湖畔の小さなリゾートマンション)には、20数年間の思い出が詰まっています。そのきっかけはテニスでした。

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40才代の10年間はテニスに狂った時代でした。地元のテニスクラブに通っていましたが、それでは飽きたらずに山中湖テニス倶楽部の会員となりました。当時はそれほど富士山への思い入れはありませんでしたが、インドアコート2面、クレイコートが10面あり、ナイター施設や観客スタンド、宿泊施設もありましたので、メンバーになりました。富士山を見ながらのテニスというのも贅沢気分でした。

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その頃、娘もテニスを始め、凝り性で負けず嫌いの性格で、メキメキ上達し、相手になってくれるまでになりました。プロのプレイヤーでは、ビョルン・ボルグの次の世代のジョン・マッケンローが活躍し、娘はシュテフィ・グラフのファンで、テニス全盛時代でした。

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山中湖テニス倶楽部には多くのプレイヤーが集まってきていましたので、混み合ってくると自分たちだけのラリーをすることはできず、しばしば他流試合をしました。娘の腕前も何とか試合に勝ったりできるようにもなっていました。

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振り返ってみれば、最も多くの時間を娘と過ごした時期でもあり、相手をしてもらった時期でもありました。

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初めて顔を合わせる人たちとの試合はかなり緊張しましたが、その分試合後は健闘をたたえ合い、親しくなったり、再会を約束したりと楽しい時間でした。

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カミさんはテニスはしませんでしたので、もっぱら見物していました。息子は他のスポーツに凝っていてほとんど相手にしてもらえませんでした。

山中湖テニス倶楽部の宿泊施設で泊まりながらプレーをしていたのですが、テニスブーム全盛の頃で予約が取りにくく、そのために湖畔の山中湖ベースを手に入れました。そのおかげでプレー後に美味しいビールを飲めるようになり、それから山中湖との長いつき合が始まりました。当時は、20数年後にここが富士登山のベースになるとは思いもよりませんでした。

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2013年9月 1日 (日)

富士観望庵訪問記 1 富士山ビュー

8/28(水)、昨晩は12時過ぎまで酒盛りをした後爆睡し、夜明け前の富士を撮ろうと慌てて起きだしたのですが間に合いませんでした。今年は、富士山が世界文化遺産に登録され何やら騒がしく、自分のタイミングも合わず、7月に8合目にまで登ったきりで、一度も山頂に立つこともなく富士山シーズンも終わってしまいました。

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05:47 日の出前の富士山を撮りたかったのですが、時すでに遅しで、朝日は富士山の頂上付近を照らしていました。富士山ビューのポイントは、石割山や丹沢、金時山などたくさんありますが、ここには畑があり、家があり、電線があって、生活とともに富士山があります。

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06:58 1時間たって、富士山から湧き出るように雲が広がっていました。

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07:44 さらに1時間たって、雲は細かな粒子になって薄い霧かモヤのように富士山を薄青色に染めていました。この時間になってもTさんはグーグー寝ていました。

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古民家の場所から畑の中を縫うようにして続いている小径をブラブラと歩きますと、懐かしい里の風景が広がっていて、稲穂が重そうな実をつけて頭を垂れていました。ここから車でものの数分走れば山があり、里山でもあります。

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ブラブラと畑の中の小径歩けば、どこからでも緑の畑の先に富士山を見ることができます。

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いつまでも気持ちよさそうに寝ているTさんをたたき起こして、おいとまを告げ、東富士練習場辺りまで走ると、富士山の周りには雲がまとわりついていました。暑い陽射しにめげずに頑強そうに延びた夏草の間に開けた道を行けばそのまま富士山頂にまでも辿り着けそうでした。ここではつい先日、陸・海・空自衛隊の大訓練が行われたばかりです。

Tさんが、あちこち大変苦労して探し回った富士山の見える古民家は、その努力が報われていて、日々の生活をしていてふと目を上げるとそこに富士の姿があり、これからも四季折々の、さまざまな時間帯の富士山が楽しめそうです。

ちょうどいいタイミングというべきか、20数年間過ごした山中湖の猫の額よりも狭いスペースのネズミの鼻の下のような山中湖のベースを是非買いたいという人が現れ、手放したばかりです。山中湖ベースを拠点として、富士登山したり富士山ビューの山登りをしたのですが、そのベースを失った直後に、新たな富士山ビューのポイントと縁ができました。

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