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2013年10月31日 (木)

福島紀行 ほんとの空

10/29(火)、久しぶりに福島県の山と温泉に行きました。毎年秋には、立山か谷川岳か福島県の安達太良山のどこかで紅葉登山して温泉に入るのが習慣になっていて、立山と谷川岳はもう時期が遅くなってしまいましたので安達太良山に行きました。安達太良山は2011.10に訪れて以来3回目くらいでした。

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5:30に自宅を出発し、東北自動車道を走り、二本松ICで降り、安達太良山の登山口の駐車場に9:25に到着しました。駐車場には既に何台かの車が駐めてありました。天気は良さそうで気持ちのいい青空が広がっていました。

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登山口からは「安達太良エクスプレス」というロープウェイに乗って途中まで上がりました。紅葉は始まっているのか終わってしまっているのかはっきりしない状態でした。

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ロープウェイを降りて歩き始めて10分くらいでちょっとした展望スペースがあり、そこには二本松市出身の高村智恵子の夫高村光太郎の「あどけない話」に出てくる「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。・・・安達太良山の山の上に 毎日出ている青い空が 智恵子のほんとの空だといふ。」という言葉を引用した “ほんとの空” の碑があります。

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安達太良山は標高1,700mの山で、途中までロープウェイで来れますので登りやすい山です。登り始めは灌木などで視界を遮られた道が続きます。カミさんは7月の富士登山(8合目でリタイア)以来の登山でした。

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山道はごつごつとした岩の道になると視界が開けてきて、見上げると “ほんとの空” が真っ青で、おいでおいでをしていました。

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一つめの小山を超える道はちょっとした急登になります。

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視界が開けてくると、青空の下には稜線が延びていて、しかしその斜面の紅葉はあまり鮮やかではなく、冬枯れ模様のようでした。

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2011.10.11撮影)前回の安達太良山はモヤに包まれていましたが、見事な錦の絨毯でした。

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カミさんはいつものようにまったくのマイペースで登っていました。

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登り始めて1時間半、9合目あたりにさしかかると視界がすっかり開けて二本松市を見下ろすことができるのですが、靄で市街は霞んでいました。

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目前に山頂がどか~んと現れました。お椀を伏せたような変わった山頂です。 “ほんとの空” には白い水彩絵の具を薄く刷毛でなぞったような白い雲が流れていました。

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のんびり登って2時間弱、久しぶりの足慣らしには適当な山歩きでした。

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お椀を伏せたような山頂に登るには、ロープや鎖を使うちょっと危険なルートになっているために渋滞が起きていましたので諦めました。

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山頂直下からの眺めは、なだらかな丘陵がうねうねと続いていたり、トレッキング気分を楽しめる稜線が続いていました。

安達太良山山頂への道は期待した紅葉がイマイチでしたが、 “ほんとの空” を楽しむことができました。9月に見たチベットの空やチョモランマの上空の空に比べると淡い感じがする優しい青で、日本の美しい自然を味わいました。

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2013年10月28日 (月)

チベット大縦断35 帰国

9/23(月)、カトマンズで市内見物をして、最後の夕食はネパールの伝統舞踏と音楽を楽しみながらのネパール懐石という定番料理を楽しみました。

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00:35(ネパール現地時間21:20) カトマンズの国際空港に着いてスーツケースのセキュリティチェックを終え、ホッとした瞬間でした。

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00:39(ネパール現地時間21:24)夕食で飲んだ地酒「ロキシー」がとても旨く、何杯もお代わりしたせいかかなり酔ってしまいボーッとしてしました。

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02:02(ネパール現地時間22:47)今までヒマラヤに来た時はカトマンズ空港からタイ航空でバンコク経由でしたが、今回は中国南方航空で広州経由でした。定刻より多少遅れて出発しました。

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08:32(中国現地時間07:32)カトマンズを少し遅れて出発しましたがその後は順調で、広州空港に無事到着しました。早朝でまだ陽がでていないせいか空港の空はどんよりと曇っていました。

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08:33(中国現地時間07:33)関空へと向かう大阪5人組とはここでお別れしました。広州空港でのトランジットの時間が3時間以上あり、かなり時間を持てあましました。

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10:13(中国現地時間09:13)広州からのフライトは09:30で、ほぼ定刻に搭乗開始となり遅延が多いと聞いていた中国系航空会社にしてはほぼ順調で、これで最後となるであろう中国の空を眺めながらこのまま成田まで何事もなく離陸して到着してくれることを祈りました。

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16:02 定刻通り成田に到着し、預けた荷物を待つホッとした一時でした。ツアー仲間の皆さんとはここでお別れとなりました。

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17:24 成田からリムジンバスで首都高速を走り抜け、ベイブリッジにさしかかりました。いつもここまで来ると帰ってきたなあと実感します。

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17:37 チベットやネパールから超高層ビルが建ち並ぶ「みなとみらい」地域に入り、YCAT(Yokohama City Air Terminal)に到着すると、翌日からの日々のことを考え、夢から覚めたように現実に引き戻されるのはいつものことです。

長いような短いようなという決まり文句の通り、本当にそんな気持ちになる「ネパール大縦走」 の13日間でした。青蔵鉄道では軟臥座席で天空の列車旅を楽しめましたし、チョモランマは雲一つない姿を見せてくれましたし、念願だったクラブヒマラヤに泊まることができましたしこれ以上ない満足できるツアーでしたが、唯一の心残りはチベットについて焦点が定まらないというかイメージがはっきりしません。チベットについていろいろ本を読んだりしましたがじっくりと地に足をつけたわけではありませんので無理もないことだと思います。とはいえ何となく肌で感じた空気は皮膚感覚として残っていますので、これからチベットを考えるときには今回のツアーはムダではなかったと思います。

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チベット大縦断34 カトマンズ

9/23(月)、「クラブヒマラヤ」を後にして、カトマンズへ向かいました。カトマンズは5回目でしたし、旧王宮広場(ダルバール)見物ということでしたので、写真はもういいと思ってカメラは封印したのですが・・・。

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これらの写真は2011年の4月に初めてヒマラヤを訪れたとき、カトマンズ市内をブラブラしたときのものです。信号はあるものの慢性的な停電のために交差点では交通整理のおまわりさんが排気ガスにめげずに頑張っていたり、信号待ちの人混みの中に牛がいたり、街にはいろいろな露店が並んでいたりとお祭りのようでした。

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今回のカトマンズで写真は撮らないと決めたのはいいものの、ダルバール(旧王宮広場)では噂の「クマリ」が窓から顔を出すという絶好のチャンスに恵まれてしまいました。「クマリ」は国王でさえひざまずくという生き神様の化身とされていてめったにお目にかかれるものではありません。 “生き神様”ですからカメラを持っていてもシャッターを押すわけにはいきませんでしたので、代わりに王宮の出口で売っていた「クマリ」の絵はがきを買いました。絵葉書に見るクマリの表情は、“生き神様” というには幼さが残っていて可愛かったり、おしゃまな感じだったりいろいろです。私が実際見た「くまり」はどの娘だったのか一瞬でしたのでわかりませんでした。

5回目のネパールは相変わらずの喧騒の街でしたが、チベットに比べると何もかもがゆるい感じでした。この日まで頑張っていた添乗員の田村さんは、ここまで全員無事でホッとしたのか、のどの痛みがだいぶ治まって安心したのか、昼食に「モモ(餃子)」を食べ過ぎて、胃がおかしくなり、顔面蒼白で脂汗を流して私たちをヒヤヒヤさせてくれました。今まで私たちがさんざん心配をかけましたのでその倍返しだったのかもしれません。

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2013年10月27日 (日)

チベット大縦断33 クラブヒマラヤ

9/22(日)、今回のツアーで最後の宿泊地「クラブヒマラヤ」で最後の夜を過ごしました。

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クラブヒマラヤに到着して先ず落ち着いたのがこのロビーでした。現地ガイドさんと田村さんがチェックイン手続きをしている間、私たちはすっかり寛いでウェルカムドリンクとこの雰囲気を楽しみました。

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同じフロアーにカウンタバーがあり、夜はここで一杯やろうと思っていたのですが・・・。

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ここの建物は面白い構造になっていて、通路は螺旋状になっていました。通路や踊り場は落ち着いていて、ところどころにいるボーイさん達と懐かしい “ナマステ!” と挨拶を交わすと、すっかりリゾート気分になりました。

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自分に割り当てられた部屋はとても落ち着いていて、贅沢気分でした。夕食後カウンターバーで一杯やろうと思っていたのですが、結局自分の部屋で日本から持ち込んだ日本酒をチビチビと飲んでしまいました。写真は向かい合わせの部屋にいた添乗員の田村さんに撮ってもらいました。

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クラブヒマラヤの “ウリ” は、ポカラの「フィッシュテールロッジ」とともにネパールを代表するリゾート施設であるとともにここ「ナガルコットの丘」からのヒマラヤ展望です。日が暮れる頃には夕焼け、朝は朝陽のあたるヒマラヤの嶺々を望むことができるのですが、残念ながらこの日は雲に覆われてしまいその眺望にはお目にかかれませんでした。しかし私たちは雲一つないチョモランマを見てきましたので、余裕で曇り空を仰いでさっさと自分の部屋に引きこもったり、ショップでお土産を買ったりしました。

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食事はバイキング形式でそれぞれ美味しく、ビールは「エベレストビール」(美味しい)で乾杯し、日本から500mlのペットボトルで持ち込んだウィスキーの水割りを飲みきってしまったり、ラストオーダーまでグダグダと時間を過ごしました。そして自分の部屋に戻ってからも日本酒をチビチビと飲んで、すっかりいい気分になって眠りにつきました。

ヒマラヤでどうしても泊まってみたかった「クラブヒマラヤ」はその名に恥じないものでしたが、ツアー仲間に割り当てられた部屋のうち二部屋が工事中だったという信じられない手違い(ネパールらしい)が起こりました。ところがここでも添乗員の田村さんは粋な計らいで難局を乗り切りました。とにもかくにもここまで無事で、帰国を待つばかりとなりました。

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2013年10月26日 (土)

チベット大縦断32 ナガルコットへ

9/22(日)、中国を出国してネパールに入国し、昼食に鄙びたレストランでビールをたくさん飲んで、今回のツアー最後の宿泊地ナガルコットの丘に向かいました。

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ネパールの山の中の風景は緑が濃く深いように見え、バリ島に来たような雰囲気でした。

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道端で、おばちゃんがペットボトルの水やジュースなどの飲み物やガバや柑橘類のフルーツなどを売っていて、傍らでは若い母親が幼子をあやしながら眠りつけていて、涼しい風が吹いていて、とても穏やかないい光景でした。若い母親の生真面目そうな真剣な表情が印象的でした。

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街中に出ると、ネパールらしい喧騒に包まれた光景となり、懐かしさがつのりました。

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突如としてスコールのような激しい雨が降ってきました。今回のツアーで初めての本格的な雨でした。ホコリっぽい街が洗われるようでした。

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しかし車で移動しているとあっという間に雨が降っていない場所に移り、道は濡れていませんでしたし通行している人たちもまったく雨とは関係ない様子でした。

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ナガルコットの丘に通じる道は、日本の山道と同じような懐かしさを感じる道で、木立の間をクネクネと曲がりながら少しずつ高度を上げていきました。

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18:08 今回のツアーで最後の宿泊地となる「クラブヒマラヤ」に到着しました。

中国からネパールに入ると、山の緑や街の空気、人々の人懐っこい表情など、何もかもが変わったように思えました。最貧国といわれ、政治は混沌として、街は騒音と汚れた空気に包まれていますが、ネパールの人はあまり意に介さない(それも諸悪の根源に思えますが)で、生きたいように好きなように生きているようで、そんな雰囲気に懐かしさを覚えました。

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2013年10月25日 (金)

チベット大縦断31 ネパール入国

9/22(日)の昼前に何事もなく無事に中国を出国しネパールに入国しました。

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ネパール側の道も中国側と同じくらい細い道にたくさんの車がひしめいていました。

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専用バスに乗り込み、車内は中国を出国した安堵感と開放感に包まれ、ネパール人の現地ガイドさんの冗談で笑いの渦でした。

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とりあえずノドの渇きを癒そうとお茶しました。ネパール茶(ティー)を飲むとネパールに来たなあ!と、とても落ち着いた気分でした。

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国境を背に街へと向かうネパール側の山道は細くデコボコでした。チベットの天空にまで舗装道路をつくってしまう中国との国力の違いは歴然としていますが、ネパールに入ったとたん開放的な雰囲気が漂っていてこの違いは何なのでしょうか。

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ホコリっぽく、雑然とした喧騒の街中はまぎれもなくネパールそのものでした。

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山道沿いの涼しい風が吹き抜ける片田舎のレストランで昼食をとりました。早速ビールで乾杯しました。旨かった。

 

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料理はビュッフェ形式で好きなだけ盛り付けることができました。馴染みのあるカレーの味や鶏の唐揚げでビールがすすみました。

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店の女主人と幼い子ののどかな風景で、気持ちが和みました。

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“山形の鉄人” はビールをたっぷり飲んで茹でたカニのように真っ赤になっていて“カニカニポーズ”ですっかりご機嫌でした。

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店の外にあるトイレは粗末でしたが、どんなに粗末でも個室でドアがあることが何より落ち着きました。中国ではほとんどが有料であるにもかかわらず“全面開放型ニーハオトイレ”でしたのでなかなか落ち着くことができませんでした。

ネパールに入ったとたんに空気がガラリと変わりました。4度目のネパールということもあるかもしれませんが、道は悪路で、街はホコリっぽいのに空気は軟らかく和やかでした。

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2013年10月24日 (木)

チベット大縦断30 国境越え

9/22(日)は、待ちに待ったというかついにというか中国からの出国手続きに向かいました。以前からブログで中国批判していましたので、何も悪いことをしていないのにかなり緊張しました。

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私たちが泊まったホテルをちょっと下った先には税関関係の建物があるので絶対に立ち入らないように、写真も撮らないようにという注意がありましたが、専用バスで出発の時ちょっとだけ写真を撮りました。

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バスで出発して間もなく、国境の町を振り返って見ました。山肌を削り取ったクネクネとした細い道にそって山肌にへばりつくように建物が建てられていることがわかりました。香港の一風景でもあるようでした。

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宿泊したホテル街から実際の国境までは約20分くらい細い道を下りました。車がかろうじてすれ違うことができるくらい狭い道で、大型トラックは待避スペースがなければすれ違うことができないような狭い道で、どういうわけか路上には何百台といえるくらい多くの大型トラックが頭をネパール側に向けて駐車していました。頭の向きからみて国境を越えてネパールに向かうと思われるのですが、一方ネパール側からも中国に入ってくる車があるはずで、どうやってこの細い道を往来するのか不思議でした。この問題は私たち一行の頭をず~~~っと悩ませました。

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国境の税関前に着きました。出国審査は厳しく一人一人スーツケースやリュックを開けられ、厳重にチェックされるのでとても時間がかかるということで私たちは早朝出発し、バスを降りるやいなや素早く税関のある建物前に並びました。

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税関のある建物前の広場からは谷川にかかる “中ネ友好橋” という国境の橋が見えました。橋を渡った向こうはネパールで、橋の上には中国側に頭を向けている大型トラックが並んでいて、やはりネパールから中国側に入るようで、どうやって大量の大型トラック同士がすれ違うのかという疑問がさらに大きくなりました。

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ネパール側の川沿いには大量の大型トラックが待機していて、さらにさらに私たちの疑問は大きくなるばかりでした。

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お世話になった現地ガイドさん達とここでお別れでした。ガイドさん達は次の仕事のためにこの日のうちにラサまで戻るということでした。私たちは他の車が動き出す前に早朝出発しましたのでホテルから税関前までスムースに移動できましたが、ガイドさん達は早く戻らないと大型トラックが路上駐車している片側がふさがれている道で対向車が来たらすれ違うことができず大変時間がかかるので早く戻ったらと言ったのですが、“大丈夫何とかなるから” と悠然としていました。実際には出国手続きが終わるまでガイドさん達がそばに付き添ってくれたために大変助かりました。

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私たちは早朝出発したおかげで、税関前の建物に二番目のグループとして並ぶことができました。一番目のグループは10人くらいのヨーロッパ人でした。私たちの後にはたくさんの人たちの行列ができていて、10mくらい後では1時間くらいかかり、さらにその後ではお昼くらいになるとのことでした。国境は9:30にオープンと聞いていたのですが、職員がちっとも姿を現さず、結局45分待たされてようやく入国審査が始まりました。その間、入国審査は厳しく全てのバッグは開けられ、本やCDは没収されるケースがあったり、気まぐれでケチをつけられることもあるなどと聞いていましたので、神経はピリピリしていました。

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中国からの出国審査は意外にスムースで、10:40分には私たち全員が中国を出国できました。ネパール側にはネパール人のガイドさんやポーターさん達が待っていてくれ、ホッとしました。まるで難民になって、ようやく難民キャンプに駆け込んだような心境でした。

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ネパール側の入国審査はあっという間にネパール人ガイドさん達がすませてくれましたので、私たちは立ち止まることもなくネパール側の専用バスに向かいました。

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何人かのネパールの女性達が私たちのスーツケースをバスまで運んでくれました。私のスーツケースも若い女性が運んでくれていました。入国審査といい、スーツケース運びといい非常にスムースであっという間のできごとで、中国からの出国にピリピリしていましたので、拍子抜けしてしまいました。

私たちの頭を悩ましていた国境付近の細い道に路上待機していた溢れんばかりの大型トラックの往来については結局回答は得られませんでした。添乗員の田村さんの “チベットやネパールの人は日本人とは発想が違うから” というわかったようなわからないような一言でケリがついたような気分になりましたし、何はともあれ最も緊張した中国からネパールへの国境越えが非常にスムースにいったために、大型トラックすれ違い問題はどうでもよくなりました。

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2013年10月23日 (水)

チベット大縦断29 国境の町

9/21(土)は、国境の町ザンムー(標高2,350m)に到着しここで宿泊、翌日の国境越えに備えました。

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宿泊したホテルは、あたりまえですが中国系のシティホテルでした。ここ数日高地のロッジに泊まっていましたので、下界に降りてきたんだなあということを実感しました。

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部屋はシンプルで快適そうでしたが、照明器具の配線がおかしくてしかし面倒なので修理しなくてもいいと言ったのに外出して戻ってくると勝手に部屋に入って修理していたのでびっくりしました。

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公安のパトカーが町を巡回していました。

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渓谷沿いの道は狭い道でしたが、ホテルやレストランや商店が並んでいるこの辺りは道幅も少し広くなっていました。しかし両脇に路上駐車の車があり、車が通行できる部分は一車線分で、そのスペースを車はうまくすり抜けていました。

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夕食は、ホテルのすぐ近くの中華料理店に入りました。食事前に散歩に出たときにはにわか雨が降ってきたために慌てて戻りました。そのせいでしょうか人通りが少なくなっていました。

 

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ほぼ1週間ぶりのビールでした。何はともあれ乾杯そして乾杯でした。添乗員の田村さんは何日目からかは記憶がないのですが、声のでかい中国人に負けじと張り切ったためかすっかりノドをやられてかすれてしまいました。しかしだいぶ調子はよくなってきたようで、この日は一生懸命アルコール消毒していました。隣のMさんとY御姐にはツアー中も帰国後も大変お世話になりました。ここまでの無事を祝しての美味しい乾杯でした。

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料理は今までずっと食べてきた中華料理で、久しぶりの焼きそばがでて美味しそうだったのですが何故だか見た目ほど美味しくはなくちょっとがっかりしました。

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一番美味しかったのが西遊旅行社定番の “てづくりちらし寿司” で、お代わりをしてしまいました。パキスタンツアーの時も最後の日に添乗員さんがちらし寿司を作ってくれました。

久しぶりのビールをたくさん飲んで気分よくホテルに戻ったのですが、カードキーが不調というトラブルが発生しました。添乗員の田村さんが新しいカードをリクエストしたのですが、女性マネージャーはガンとして要求を拒否し、田村さんもさらに激高して英語でまくし立てたのですが、それでも女性マネージャーは譲りませんでした。結局私が翌日のチェックアウトまで外出しないことにしました。そのために翌日の朝食も部屋にこもって携行食で済ませるということになりました。ヤレヤレでした。

チョモランマB.Cでも、チョモランマを見た後に指定のバスで戻るときに才さんがバスに乗せてもらえないということになり、任さんがたった一人くらいいいではないかというようなことを言って運転手に抗議していたのですが絶対に譲ってもらえませんでした。中国人は一度言い出したら絶対に態度を変えないようで、柔軟性に欠けるようです。

ホテルの施設は都市ホテルレベルなのですが、部屋のキー、電気系統、シャワーなどの不調やその対応の仕方など見ていても、また今回のツアーでも時々感じていたのですが、中国人はシステムの運用が下手なのではないかと思ってしまいました。

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2013年10月22日 (火)

チベット大縦断28 国境へ

9/21(土)は、今回のツアー最後の峠「トン・ラ」(5,100m)から国境へ向けて高度を下げました。

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専用車が徐々に高度を下げるにつれて風景も変わってきました。深呼吸をあまり意識する必要もなくなり、車内はより一層賑やかになりました。

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チベット自治区に入ってから気になっていたのが普通の民家に中国国旗が掲げられていることで、まるで国への忠誠心を表明する踏み絵のようでした。

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ニェラムの街の看板が見えてきて賑やかな街の雰囲気となり、国境に近づいているようでした。

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国境までの中継地点のようで商店街がありました。標高は3,700mとだいぶ下ってきましたので商店街を散策してもあまり息は切れませんでした。

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見るからに街の中華ソバ屋という感じの店が昼食場所で、ラーメンの匂いが漂ってくるようないかにも旨そうな店構えでした。

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厨房を覗いてみると、店主だかコックさんがソバを打っていて、麺の固まりを両手で1回引っぱるごとに麺は細くなり、あっという間に細麺ができあがりました。凄技でした。

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名物の「牛肉拉麺」が出てきました。麺はラーメンとうどんの中間くらいの味わいで、しかし汁は美味しくいただきました。ラー油を入れすぎて(大失敗)しまい唇が腫れあがるような感じになりましたので完食はできませんでした。

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昼食後、専用バスは渓谷沿いのクネクネ道を国境に向かって快適に走りました。チベット高原の荒涼とした景色から森林限界を下り緑が多く見られるようになりました。

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山深く、緑濃い渓谷はチベットとネパールがヒマラヤ山系を境界として国境を接していることを実感させるものでした。渓谷の向こう側はもうネパールです。

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渓谷沿いのちょっとしたスペースに大型トラックが集結していました。立錐の余地がないという表現ピッタリに大型トラックがびっしり肩を寄せ合っていて、どうやって移動するのだろうと頭を傾げてしまいました。

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渓谷沿いの細い山道をクネクネと下ると、そのまま国境の町に着きました。お土産屋や両替屋が軒を並べる道はかろうじて路上駐車ができるほどには道幅は広くなっていました。

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下ってきた道沿いにホテルはあり、もっと広々とした広場か何かがあってそういう広場に面して流通センターやホテルなどがあるものと勝手に想像していましたので、狭い道そのままのところにホテルがあることが意外でした。

5,000mを超える峠から標高2,350mの国境の町に下りました。国境の町は、ずっと辿ってきた細い道そのままでお土産物屋などが軒を連ねていて狭く、大型トラックが集結したりしていて、この狭い国境の道をどうやって行き来するのだろうかと思ってしまいました。

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2013年10月21日 (月)

チベット大縦断27 最後の峠

9/21(土)は、中ネ公路の山岳ドライブを楽しみながら今回のツアー最後の峠「トン・ラ」に到着し、高所の風景を堪能しました。

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私たちのバスは、トン・ラ(峠:5,100m)に向かってぐんぐん標高を上げていき、高原を眼下に眺めるようになり、雲もぐんぐん下がっていきました。

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はるかかなたのヒマラヤに吸い込まれてゆくような舗装道路。

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日本の道路公団にあたる組織の事務所だそうです。

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今回のツアーで何回目かになる標高5,000mで、もう慣れたといっても油断は禁物です。深呼吸を怠ると体内の血中酸素は80%以下ですので、そのまま長時間いると確実に高山病になります。

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標高5,000mで地平線を眺めるとは思いませんでした。地平線の先には雲があり、空は見上げる角度を上げるほど碧さを増していき、地球の屋根に立っているような感じでした。今回のツアーでも比較的気に入っている写真です。ここはトイレがなく豪快な青空トイレでした。しかし他にも観光客が来ていましたので、女性の皆さんは大変で、傘を手にかなり遠くまで遠征していました。空気が薄いところでお疲れ様でした。

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人が行くところどこにでもお土産物屋があり、逞しいものです。私もここでは何点か記念のお土産を買いました。

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最後の峠から先は国境の町へ向けて3,000m近くの下りとなりました。車はごっつんごっつんと車体を地面や石にぶつけながら快走・怪走しました。

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山肌には例によって標語が刻まれていました。山肌をよじ登って、山肌にへばりつくようにして刻み込む様子を想像すると国のためとはいえご苦労なことです。

オールドティンリー(4,300m)からトン・ラ(5,100m)を走り抜ける中ネ公路は豪快な景観を楽しむことができた山岳ドライブでした。標高5,000mの高地に開けた地平線はとても印象深いものでした。

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2013年10月20日 (日)

チベット大縦断26 中ネ公路快走

9/21(土)は、朝オールドティンリーでチョモランマやチョー・オユーを見て、快晴の空の下、雪を頂いたヒマラヤの峰々を眺めながら中ネ公路を快走しました。

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標高が5,000m以下の山は茶褐色で、標6,000m7,000m以上の山は雪を被っているヒマラヤの風景を見ながら、専用バスは舗装された中ネ公路を走りました。

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やがて頭一つ抜きでたシシャパンマ(8,027m)が白く輝いて、車の移動につれて姿を変えていました。このシシャパンマは8,000m以上の14座のうちで14番目に高い山で完全に中国領内(チベット)にあり、8,000m峰の中では最も最後に登頂された山です。シシャパンマはチベット語で “牛も羊も死に絶えて、麦も枯れる地方” という意味だそうです。

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ある街で、車を降りて街を少し歩いたとき、羊か牛か(記憶が定かではありません)に囲まれ、添乗員の田村さんが呆然としていました。

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私たちを乗せた専用車は走り続け、平原にテントを張ってある場所を通りました。そういえばこういう風景は初めてで、やはりかなりチベットの奥地に入り込んでいることを実感しました。

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青空に雲が一つだけ浮かんでいる風景はとてものどかで平和的でした。この平原も標高は4,000mを超えていて、チベットはだだっ広い高原大地で、その上にヒマラヤを頂いていることがわかります。

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時々この幹線道路脇に灰色の壁や建物が集まる集落が現れ、大地の灰色と同じ色をしていて、廃墟のようにも見えました。地方の役所か学校か中心的な建物には中国国旗が飾られていて、廃墟ではないと主張しているようでもありました。

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幹線道路脇だけではなく、遠くに見える小山(といっても標高は5,000mを超えているはず)の麓にも集落が見られました。きっと中ネ公路が開通する前からの集落で、強いヒマラヤに吹きつける風を避け、水が利用できる場所に人が集まったものと思われました。

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時々本当に廃墟ではないかと思われる遺跡のようなものが現れました。これは以前人が住んでいた場所で、チベットのこの辺りは住まいや建物が古くなっても修理するとかリフォームすることはなく、古い建物は捨てて新しい場所に新たな住まいなどを建てるそうです。

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放牧で移動中の群にも時々出会いました。群を引き連れていたのは少女で、ゆとりの表情で手を振っていました。堂々として一人前の大人として働いている誇りのようなものや大地に足をつけて生きている強さが感じられ、不思議な安堵感がありました。

このツアーのタイトル “チベット大縦断” に相応しい風景とドライブを楽しめた中ネ公路でした。

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2013年10月19日 (土)

チベット大縦断25 オールドティンリー滞在

9/20(金)はチョモランマを見て満足し、オールドティンリーで宿泊して長距離の山岳ドライブで疲れ切った体を休めました。

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今回のツアーで標高が最も高い場所での宿泊となりました。設備も最も粗末で、寒さも最も寒いという事前の説明がありましたが、トイレが室内にあれば天国ですし、かなり寒いと覚悟してきましたので実際にはそれほどの寒さを感じませんでした。エベレスト街道のロッジではペットボトルを寝袋に入れておかないと凍ってしまうこともありましたのでそれを思えば楽なものでした。

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就寝前に血中酸素を計り、深呼吸を何回かして十分に体内に酸素を送り込んでからベッドに潜り込みました。もう息苦しさを感じることもなく、翌日からは一気に高度が下るだけでしたので安心して熟睡することができました。

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添乗員の田村さんのドアノックとモーニングコールの声で目覚め、表に出てみると朝雲に朝日が映えていました。朝雲はどんどんと西の方向に流れていました。

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“チョモランマとチョー・オユーが見えてるよ” という誰かの声に誘われて、カメラ片手に宿舎前の小高い堤防の道を上ると、左からチョモランマ(8,848m)、ギャチュンカン(7,952m)、チョー・オユー(8,201m)がそろい踏みでした。(写真ではチョモランマは前日間近に見ましたので省略しました。)

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特にチョー・オユーは、私にとってはネパール側のヒマラヤではなかなかお目にかかれなかった幻の山でしたので、ズームで迫ってみました。

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ツアーの日程が進むにつれて “サブ添乗員”的な本領を発揮し始めたY御姐、京都出身東京在住で関西弁と関東弁を操りながら、ホテルに到着すればいち早く皆さんのパスポートを集め、終盤になるとさっさとメンバーの住所録をつくり、関西でツアー同窓会(蛸を食う会)があれば飛んで行きと東奔西走の活躍で、帰国後もメンバーのコーディネーターとして頑張ってくれています。おかげで仲間達は今までのツアーにはない結集的まとまりをみせています。寒い朝の撮影で、私が震えているそばでゆとりの防寒着を着ていました。さすがに旅慣れています。

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宿舎の前には、出発の準備ができた仲間達が三々五々集まっていました。天気はいいし、これから先はネパールとの国境に向けてひたすら高度を下げる旅となりますので皆さんの表情も晴々としていました。

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宿舎の片隅では孫かひ孫かを抱いているおばあちゃんが日向ぼっこをしていました。膝の上に抱かれている幼児は、これからヒマラヤを見ながら大きくなっていくわけで、ここで生まれたというのはそれが運命なんだなあと思ってしまいました。

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私たちのスーツケースを運んでくれている荷物車。専用バスがぬかるみにはまってしまったときに、彼が旨うまく誘導して脱出のサポートしてくれたり、やはりもう一台伴走してくれているというのは心強ものでした。彼はなんとなく日本のお相撲さんのような風貌をしていて親しみを覚えました。

天気もいいし、この日も皆元気で、張り切って出発しました。

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2013年10月18日 (金)

チベット大縦断24 オールドティンリーへ

9/20(金)の午後、青空の下にそびえ立つチョモランマの勇姿に満足して、揚々とした気分でこの日の宿泊地オールドティンリーへと向かいました。

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標高5,000m近くの大地の風景を見ながら再び来た道を引き返しました。だいぶ雲がでていました。

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のどかな集落の道をのどかな光景を楽しみながら、舗装されていないデコボコ道をバスに揺られました。

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茶褐色一色の荒涼とした風景。河の水は涸れ、雨期から乾期に季節は移っているようでした。

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再びのパン・ラ(峠:5,100m)目指して、ぐんぐんと高度を上げていきました。

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今朝4:30に起きだしてここに辿り着いたとき、残念ながら朝日も8,000m峰4座にもお目にかかれなかったのですが、この時(16:55)には、青空が見えるものの山々には雲がかかりやはり4座の頂上は見えませんでした。しかし既にチョモランマを間近に見てきましたので余裕で景観を楽しむことができました。

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峠からは一気の下りにかかりました。専用バスはデコボコ道を時々車体が岩を削る不気味な音を響かせながら怯むことなく、スピードを落とすことなく快走しました。“山形の鉄人”は、再び “車が故障したらヤバイよなあ” とつぶやいていました。

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デコボコの下り道から舗装された道に入りほっとしました。

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夕方7時近くにようやくオールドティンリーのロッジに到着しました。標高は4,390mと今回のツアーでは最も高地での宿泊となりました。

早朝4:30に起床して長い一日で、距離の長い悪路での移動でしたが念願のチョモランマを間近に見ることができ、あまり疲れは感じませんでした。

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2013年10月17日 (木)

チベット大縦断23 チョモランマ

9/20(金)の12:06、雲一つない青空の下、チョモランマの全貌に対面することができました。

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ツアー仲間全員が無事に展望台に集うことができました。

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チョモランマは想像以上に穏やかで、頂上へ続く稜線はなだらかで、ちょっと頑張れば登れるかなと思えるほど優しげでした。カラパタールやシャンボチェのネパール側から見たエベレストは人を寄せつけない厳しさが感じられたのですが、目の前のチョモランマはおいでおいでしているようでもありました。

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しかしさすがに最後の頂上へのアタックは厳しそうでした。

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“山形の鉄人” とツーショット。念願叶った一瞬でしたが、こんなとき思いつく言葉もなく、また言葉にしてしまえば陳腐なセリフしか出てこないようで、ただ黙っているだけでした。沈黙は金・・・。

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チョモランマの頂から右側に下がっている稜線をさらに右の方向に目線を向けるとヒマラヤ襞のような白い壁が連なっていました。

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およそ30分くらいチョモランマの眺望を楽しんでいると、いつの間にか雲が少しずつ湧いてきました。高い山ですからあっという間にその姿は雲に隠れてしまうかもしれません。

添乗員の田村さんはこのコースは5回目とのことで、今までチョモランマの姿を見ることができなかったことは2回、雲に覆われていても何とか見えたことが2回で、今回のように雲一つない景観は初めてとのことでした。しかも展望台に30分いただけで既に雲が発生してきていて、もしかすると1時間くらい遅い時間帯にここに到着していたらその姿を見ることができなかったかもしれず、私たちはよほどラッキーだったようです。

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2013年10月16日 (水)

チベット大縦断22 チョモランマB.C

9/20(金)、チョモランマ(エベレスト)B.Cに向かう途中、その雄姿を目にして私たちはすっかり浮き足立ちました。雲が発生する前に一秒でも早くその全貌を眺めたいと。

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何の前触れもなく、専用バスがカーブを曲がったときにその頂がぽっかりと現れました。

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B.C(ベースキャンプ)手前の広場に到着するとチョモランマはすそ野を広げていてどっしりとしていました。

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広場からはB.C行きの専用に乗り換えました。

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ここでも自転車野郎の姿がありました。ここは標高5,000mですのでここでのサイクリングはかなり苦しいとは思うのですが、ヨーロッパアルプスのトレッキングでも富士山の頂上付近(お鉢巡りをしたとのことでした)でも見かけましたので、どこでも平気なようです。

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B.C行き専用車はゆっくりと走り、少しずつその雄姿は近づいてきました。こんなに楽をしてチョモランマに近づけていいのかなと思ってしまいました。

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バスを降りると標高5,150mというB.Cの標識がありました。

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B.Cの標識の先には数十メートルの高さの展望台がありました。多少息切れしたものの一歩一歩の触感を味わうようにゆっくり上りました。

ついに到着したB.Cは実にあっけないものでした。雲一つなく、青空は広く広がっていて私たちを待っていてくれたかのようでした。もしネパール側からエベレストを見ようと思えば、例えばカラパタールの丘(5,545m)の手前までエベレスト街道をトレッキングして8日間かかり、最後のカラパタールの丘は非常に厳しい登り(私は100m手前でリタイア)が待っています。それがチベット側では車を乗り継いで、最後の数十メートルの上りは一歩一歩を楽しみながらですから天国と地獄のほどの違いでした。

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2013年10月15日 (火)

チベット大縦断21 ロンボクへ

9/20(金)、早朝にシェーカルのロッジを出発し、パン・ラ(峠:5,100m)へ朝日に浮かび上がるチョモランマをはじめとする8,000峰4座を眺めに出かけたのですが。

 

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すっかり習慣となった高度計とパルスオキシメーターによるチェックを行いました。高度は5,000,を越えていましたが、深呼吸によって酸素も十分体内に入りました。

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4:30にモーニングコールで5:30にホテル出発と朝日を眺めるために早起きをしました。途中ポリスチェックがあり、眠気と重苦しい雰囲気が車内に充満していました。

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パン・ラ(峠:5,100m)で御来光を待っていたのですが、厚い雲に阻まれて朝日を拝むことはできず、チョモランマ、ロツェ、マカルー、チョー・オユーなどの8,000m峰も姿を現してはくれず、虚しくタルチョだけが風にはためいていました。

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時間の経過と共に青空は広がってきたのですが雲も多く、この日のハイライトであるチョモランマ(エベレスト)B.C行きに暗雲が漂っているような嫌な予感がしていました。

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眺望が開けている大河の先に冠雪した峰がわずかに見えているのですが、相変わらず雲が厚く不安は募る一方でした。

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途中の道でしっかり者のお姉ちゃんと恥ずかしがり屋の弟らしい姉弟が。果てしなく道だけが続いている場所でどこに住んでいてどこに行くのだろうか、ここで何をしているのか、楽しいことは何、したいことは何など訊いてみたいことがたくさんあり、こういう時は言葉の壁にもどかしさを感じます。

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方向はわからないのですが、青空が広がっているとチョモランマ展望への期待が大きく膨らみ、空模様にこれほど一喜一憂したことはありませんでした。

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その時突然、姿を現しました、チョモランマが・・・。たくさんあった雲はどこへ行ってしまって抜けるような青空を背にすっくと聳えていました。

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急遽車を止めて、撮影会が始まりました。ゆっくり歩かないと息切れする高地も何のその、カメラを片手にバスを降りる皆さんのスピードの速いこと速いこと。まるで獲物を狙う猟犬のようでした。チョモランマは決して逃げたり隠れたりしないことはわかってはいるのですが、高い山のことですからいつ雲が湧いてきて頂を隠してしまうかもわかりませんので、気持ちはわかります。

待ちに待った瞬間が訪れました。早朝の朝日が雲に遮られ、途中の空模様も雲が厚く、チョモランマが見える確率は五分五分かと覚悟したのですが、嘘のような青空が広がっていました。今回のツアー仲間の善男善女の全てが晴れ男・晴れ女を自認していましたので、その念力が通じたようです。

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2013年10月14日 (月)

チベット大縦断20 シェーカル

9/19(木)は、ツォー・ラ(峠:4,500m)とギャツォー・ラ(峠:5,220m)を越え、途中サキャ南寺を見物して宿泊地のシェーカルに向かいました。

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夕方6時頃、シェーカルのホテルのレセプションに到着しました。日は随分長く、6時というのにまだ明るく日暮れまでかなり時間がありそうでした。ここシェーカルは標高が4,300mで、今回のツアーでは二番目に標高の高い場所にある宿泊地でした。

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宿泊施設はホテルというよりもコテージというイメージでしたが、新築の棟で居心地のいいものでした。実は裏話があって、ここへ来る前にサキャ南寺で一緒だったヨーロッパからのツアー団体もここに宿泊するようだという添乗員の田村さんの読みから、先に到着して先にチェックインしたために新築棟をゲットできました。

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私がクジ引きで引き当てた部屋は、ちょっと変わった構造でした。先ず共同の外ドアがあり、さらに内部は102号室と103号室の二部屋になっていて、私が103号室、Kさんご夫妻が102号室でした。

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外ドアを開けて中に入るとコネクティングルームのようになっていて、麻雀卓や寛ぎソファなどがあって、複数ファミリーなどが利用できるようになっていました。

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私の103号室は、広くて使いやすく快適でした。

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ところが問題が発生し、102号室のKさんご夫妻の外ドアの鍵はあるのですが個室の鍵がなく、私の個室の鍵はあるのですが外ドアの鍵がないと、何とも不思議な事態が発生し、添乗員の田村さん、才さん、任さんたちが必死になってホテル側と交渉しても解決できず、結局お詫びにTシャツプレゼントで我慢ということになりました。もう夕食を食べて寝るだけでしたから特に異存はなく、買いたいと思っていたTシャツがただで入手できましたのでラッキーでした。Tシャツの織りがしっかりしている割には着心地がよくて気に入りました。

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夕方7時に近くの中華レストランで夕食となりました。食事は定番の中華料理で、どういうわけか味は市街地よりも山奥に入るにつれ私たちの舌に馴染んだ味付けとなり、美味しく食べることができました。それにしても標高4,300mで食べるメニューにしては豪華でしたし、また皆さんの旺盛な食欲には圧倒されました。私はヒマラヤトレッキングでは高地に上がるにつれて体への負担を軽くするために腹五分目と言われていたのですが、皆さんは体力をつけるためにできるだけたくさん食べるという主義のようでした。まあ歩くわけではないのでどちらでもよかったのですが。

シェーカルは、今回のツアーで二番目に標高が高く、寒さも厳しいということで覚悟していたのですが、息苦しさも寒さも心配したほどではなく、快適に眠ることができました。

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2013年10月13日 (日)

チベット大縦断19 ギャツォー・ラ越え

9/18(木)、サキャ南寺でいろいろ考えさせられ、昼食をとった後気をとりなおして午後からはギャツォー・ラ(峠:5,220m)を目指しました。

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峠へと続く道は細くなり、山奥へと分け入っていくようでした。

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あっという間にギャツォー・ラ峠(5,220m)に着きました。私の高度計では5,190mと多少の誤差がありましたがもう何回目かの5,000mですので落ち着いたものでした。

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3人の写真は、真ん中は岐阜(関西経由)から来たUさん、食卓についても目を閉じてじっとしていることがしばしばあり、高山病かなと心配したりしましたが、後半は見違えるように元気になりました。右端のMさんにはすっかりお世話になりました。カメラの記憶媒体の予備を持ってくるのを忘れてパニクッていましたら大容量のSDを3枚も無料で提供してくれたり、寺院見物の折りには “公安がマークしているよ” と耳打ちしてくれたり、専用バスのシートも誰もが一番嫌がる最後尾の真ん中の席に率先して坐ってくれたりとツアー仲間全員が恩恵にあずかることも。ありがとうございました。

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峠からの眺めは素晴らしかったのですが、厚い雲が湧いてきていて、翌日のチョモランマ展望がちょっと心配になりました。

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この道はどこまで続いているのだろうと、広大な景色にしばし呆然でした。こういう道を走っていてGSが全然見あたらず時々ふと心配になりました。“山形の鉄人”は、車が故障したらどうなるんだろうかと心配していて、二人して景色の広大さに反して小さな心配をしていました。

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ガイドさんから折り紙のようなものをもらい、それを小さくちぎって、願い事をしながら天に向かってばらまくと願い事が叶うといわれ、無事帰国できますようにとつぶやいて思いっきり手を振り上げました。

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大学病院の主治医からは、高度に慣れても油断しないでパルスオキシメーターで計測(帰国後報告することになっていました)するように言われていましたので、時々ポケットからとりだして計測しました。上の画像は深呼吸をしない場合の血中酸素濃度(平地では95以上が普通)で、下は深呼吸した場合です。あたりまえのことですが、高地では深呼吸がいかに大事かわかります。

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チベットでは、どこへ行ってもどんな高地でも必ずお土産屋がありました。標高5,000m以上のお土産屋というのもチベットならではで、ツアー仲間の皆さんは値切り交渉を楽しみながら結構買っていました。

今回大変お世話になったMさんは、帰国後間もなくビデオ収録したツアーの様子をDVDで提供してくれたり、私がブログで公開した青蔵鉄道のチケットに私のパスポートナンバーがプリントされていることを指摘していただいたり、現地ガイドの才さんと任さんのメールがブロックされているようだと帰国してからもと大変お世話になっています。

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2013年10月12日 (土)

チベット大縦断18 サキャ南寺

8/19(木)は、ツォー・ラ(峠:4,500m)を越えて要塞のようなサキャ南寺を目指しました。

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チョモランマのB.C(ベースキャンプ)に向かう中ネ公路を外れ、着いた街は噴火で埋まる前のポンペイ遺跡のような

古代ローマの遺跡のような不思議な雰囲気を持っていました。

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小さな子を交えた敬虔な信者さんが出入りしていました。このお寺は1,268年に建立され、以来綿々と篤い信仰を集めて今日に至っているようです。

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このサキャ南寺は、よく “要塞のような” という表現が使われ、実際に防御を重視した要塞のような城砦であり、またそういう構造のために1960年代から始まった「文化大革命」による破壊を免れました。

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入口も城砦そのものです。このサキャ南寺の “サキャ” という名前は、チベット仏教四大宗派の一つサキャ派からきています。古くはモンゴルのフビライ(第5代大ハーン)やマルコ・ポーロとも関わりがあり、歴史の一コマを感じさせられました。

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この建物の内部には膨大な量の経典やチベット仏教にとって宝物ともいえる仏像や資料が蓄積されていて、門外漢の私でもずっしりと歴史そのものの重みを感じることができました。

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サキャ南寺に対して北寺があり、その北寺へ通じる道は建築中のホテルやレストランが多く、路上の瓦礫っぽいコンクリートの固まりなどを見ているとまるで発掘中の遺跡のようでした。

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丘の中腹にうち捨てられたようなお寺の残骸があり、この北寺は文化大革命によって完全に破壊されたそうです。南寺より北寺の方が規模が大きく、保存されていた経典や仏像なども北寺の方が多かったそうで、いかに文化大革命による破壊行為がキチガイじみたものであったかということを実感しました。

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幹線道路からこのサキャ寺へと通じる道には“ここを支配していることを誇示するようにたくさんの国旗が飾られていました。よっぽど国旗が好きなお国のようです。

チベットに何回も足を運んだ渡辺一枝さんは「消されゆくチベット」で、“チベットの寺院が徹底的に破壊されたのは中国建国後のチベット支配、宗教弾圧と、さらに1966年から始まった文化大革命によってのことだ。私は中国人の蛮行を憎む。” と書いています。もし理念や思想、教義が異なってもその文化的な価値を認めて破壊せず文化財として残していたら中国という国は名実ともに大国と呼ばれるに相応しい国として世界から尊敬を集めていただろうに、歴史は遡ることはできないし、もう世界から尊敬されることはないだろうななどと思ったりもしました。

この日まで何ヶ所かのチベット仏教寺院を見てきましたが、その奥深さというか分厚さというかに圧倒されました。かつて河口慧海がチベットに密入国した理由がわかるような気がしました。それにしても残念なのはネパール側のヒマラヤでは何ヶ所か見ることができた河口慧海の足跡がチベットでは皆無であり、それもそのはず密入国ですから無理もないことです。

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2013年10月11日 (金)

チベット大縦断17 ツォー・ラ越え

9/19(木)は、専用バスで中ネ公路をひた走り、ツォー・ラ(峠:4,500m)を目指しました。

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何やらいろいろ書かれている看板をくぐりました。書かれている言葉は才さんや任さんに聞き損ないましたのでわかりませんが、きっと国はこの地域のためにこれだけ頑張ってるぞ、いい道を造ったので文明的な生活が期待できるぞとか・・・。勝手に想像しました。

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すっかりお馴染みになったチベット的風景が広がっていました。山並みはヒマラヤからの鉄のブラシのような風を受けてひっかかれたようで、草木は生えていない不毛の丘陵地帯ですが、どことなく女性的なカーブとなっています。

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時々現れる中ネ公路沿いに並ぶ家屋はかなりしっかりしていて、生活がある程度豊であることがうかがわれました。

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トラクターがのんびりと走っていて、道路の両側は穀倉地帯のようにも見え、決して不毛の大地ではないようです。

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上海から5,000kmの地点に碑が建っていて、トイレやちょっとした休憩所になっていました。偶然日本から来た3人の若い女性達に会いました。千葉や広島から来て、現地ガイドやドライバーを雇っての個人旅行だそうで、目的はチョモランマB.C(ベースキャンプ)まで行って折り返すとのことでした。チョモランマの姿を見ることができたでしょうか。ご無事の帰国をお祈りします。

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4,000mくらいの高地を走っていると思うのですが、ここにも自転車野郎が走っていました。最近自転車ツアーが流行っているそうで、どこかで伴走車がついていてギブアップしたり体調を崩したりしても安全性は確保されているとのことでした。

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ツォー・ラ峠に到着しました。気持ちのいい山並が連なっていてい、標高は4,500mですが、高度順応はうまくいっていますので無理な行動さえしなければ特に問題はありませんでした。

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どこまでも連なって、どこまでも広がる山また山と、どこまでも広がっている青い空と白い雲、この景色だけで大満足でした。

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天空の道を気分よく走っていると突然山肌に刻まれた標語が現れることがしばしばありました。広大な土地と多民族を治めるにはしつっこいくらいに言いきかせないとダメなんでしょうね。

少しずつ少しずつチョモランマに近づいているはずで、一番心配な天気は青空が広がっていましたので次第に期待が膨らんできました。

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2013年10月10日 (木)

チベット大縦断16 シガツェ

チベット第三の都市ギャンツェですっかりのんびりして、9/18(水)の午後、チベット第二の都市シガツェ市に向かいました。

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チベット入りしてから要所要所でポリスチェックを受けました。パキスタンツアーでも経験したことですが、パキスタンの場合はポリスが車に同乗してくれたりパトカーが先導してくれたりとどちらかと私たちをガードしてくれましたが、ここでは時にはポリス(あるいは軍人?)が車内に乗り込んできて怪しい人物が乗っていないかと見回すこともありました。後日ツアー仲間がビデオ撮影しているところを発見され、発見したポリスが乗り込んできて、ビデオの消去を求められたときには全員ヒヤッとしました。場合によってはビデオやカメラを没収されたり、ツアーが中止させられたりすることあるとのことでしたので、公安関係の写真を撮るのはこの一回きりにしました。

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ポリスチェックで緊張したりしましたが、外の風景はいたってのんびりとしていてほっとした気分になりました。

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シガツェ市街に入るとさすがにチベット自治区第二の都市で賑やかそうでした。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマに次ぐ第二の指導者といわれるバンチェン・ラマが代々住んでいる都市とのことでした。

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途中、11世紀に建てられたというシャール寺を訪れました。14世紀に中国から大工を集めて拡張工事をしたため、この建物はチベット・中国の折衷様式で、瓦屋根がこのお寺の特徴となっています。内部は優れた壁画が残っていました。

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ホテルは最も賑やかな街角に建っていました。到着後街を散策してみましたが、中国発展の恩恵を受けてこの街も新しい店が並んでいたり、携帯ショップや電器店が賑やかだったりしていて、どこにでもある街と変わりがなく、また街には時々公安のパトが走っていたり街角に泊まっていたりしましたので、写真を撮ることも諦めて早々に部屋に引きこもりました。

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シガツェ市の標高は3,920mでしたので油断すると高山病の可能性もあり、時々血中酸素濃度を測りました。何回か深呼吸を繰り返すと平地と同じくらいの血中酸素濃度になりましたので、安心しました。

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翌朝出発前に旧市街に立ち寄りました。お馴染みのヤクのバター屋があり、チベット族らしき人たちが歩いていて、ちょっぴりチベット的雰囲気を味わいました。

公安については、なんでそんなにピリピリするのと思ってしまい、しかしあまりいろいろ書くわけにはいきませんが、やはり私たちには窺い知れない危機感があるのだろうと思われました。

大きな寺院を巡ってると、観光客を装ったいかにも公安関係といった目つきの人が、ガイドさんの説明に耳を傾けたり、私たちの言動をそれとなく観察しているようでした。

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2013年10月 9日 (水)

チベット大縦断15 ギャンツェ

9/17(火)の午後カロ・ラ峠(5,045m)を越えて、ギャンツェというチベット自治区第三の市に着きました。

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途中、車のスタックというトラブルを脱出して無事にギャンツェに着きました。ギャンツェはチベット自治区で3番目に大きく、私たちはここで一番立派なホテルに落ち着きました。

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ロビーは気持ちいいほど広々としていて、着いたという安堵感とゆったりとした街の雰囲気に気持ちが解きほぐされてゆくようでした。

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部屋はシンプルで、窓から見える風景も落ち着いていて、標高3,900mの高地であっても高度順応できていましたので、ゆったりとくつろぐことができました。

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夕食前に旧市街を散歩しました。旧市街は落ち着いた雰囲気で、添乗員の田村さんはこの街がとても好きだとのことでした。この通りに面したある民家を訪問し、チベット人の普通のお宅を見せていただき、話も聞くことができ、現地ガイドの才さんに次いで二人目となる本物の???チベット人と接することができました。土地は肥沃で、比較的裕福そうでした。

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ホテルの落ち着いた部屋で高山病の心配もせずに(夜中の深呼吸、トイレ、水分補給)ぐっすりと眠り、翌日は朝食後近くの砦のある丘に上りました。急な上りはさすがにちょっと息苦しさは感じました。上った後の眺めは、穀倉地帯が広がり、その先には草木の一本もないチベット的な山々が連なっていて、とても清々しい気分でした。

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ここまで高山病でダウンする人が一人もなく極めて順調にきていましたので、添乗員の田村さんはすっかりハイになっていました。

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この地域には急峻な丘の上に立つ砦があり、難攻不落のように見えたのですが、1904年に侵攻してきたイギリス軍に半日で陥落されてしまったとのことで、その軟弱さがいかにもチベット的で愛おしくも微笑ましく(怒られてしまいますが)思われました。

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田村さんが大好きという旧市街をブラブラ散歩しているとき、朝の重要な仕事である水汲みに来ているお母さん達に出会い、田村さんが水を背負ったのですが、足もとはかなりぶらついていました。

高山病を防ぎつつ、チベット的な風景やチベットの人に出会ったりして、田村さんもメンバーもすっかりリラックスしました。

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2013年10月 8日 (火)

チベット大縦断14 カロ・ラ越え

9/17(火)、ラサ市に連泊してたっぷりと高度順応を行い、カロ・ラ(峠:5,045m)越えに向かいました。

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ラサ市内のホテル前の幹線道路をスタートしました。あちこちにこれでもかというくらい国旗が飾られていました。この国旗が面白く、風がないのにみな同じように同じ形ではためいていました。

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ラサ市内を抜けて高速道路に入りました。賑やかだった街を抜けて周りの山々を見ていると、改めてこの旅がチベット大縦断であることを思い出しました。

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車はぐんぐんと高度を上げて、目前にイメージしていたチベット的景観が広がると、かなり開放された気分となりました。

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カンパ・ラ(ラは峠の意味:4,749m)で。かなりの高地にいてもあまり息苦しさは感じず、すっかり高度順応できたようです。

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途中寄ったヤムドゥ湖畔では気持ちよさそうにワンちゃんが舟をこいでいました。4,000mを越えてもワンちゃんも高度順応できるようです。

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チベット三大聖湖の一つヤムドゥク湖の湖面(標高4,441m)は静かで、美しいブルーの水面に白い雲と青い空を映していました。聖湖といわれるだけあって、恐山の宇曾利山湖のような雰囲気でした。

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カンパ・ラ峠(4,749m)からカロ・ラ峠(5,045m)に向かう途中、私たちの車がぬかるみにはまってしまいました。そのまわりで強引に通り過ぎようとする車や同じようにスタックしてしまう車なども続出して、ちょっとしたパニック状態になりました。四駆の車のほとんどがトヨタランドクルーザーでした。

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どこから現れたのか、若いチベット僧たちが興味津々で見物に集まってきました。私たちの車のドライバーさんは、急性高山病になって吐きながらも車の下に潜り込みジャッキで車を持ち上げたり、車輪の回りに大きな石を置いたりして30分かかって車を脱出させました。全員でドライバーさんに向かって拍手しました。

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カロ・ラ峠に到着しました。ガイドブックでは標高が5,045mとなっていたのにここの標識では5,560mとなっていてぎょっとしましたが、走ったり急ぎ足にならなければ空気の薄さはあまり感じませんでした。慣れというものは凄いものです。それにしてもここにきて500mの誤差はかなり大きいと思われ不思議でした。

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5,000mを越える峠から仰ぎ見ることができたニンチンカンサン山(7,190m)は、ちょうど雲が流れて頂まではっきりと見ることができました。ヒマラヤブルーといわれるような深い青の空が印象的でした。

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標高5,000m近くの高地を貫く舗装された道は、中国の国力の象徴でもあるように思えました。それはともかくとして、大好きな景観で大満足でした。

中国の支配的な影があちこちで蠢いていたラサ市(公安の車もよく見かけました)を脱して、広大なチベット的風景を眺めて、気持ちがのびのびして体もすっかりリラックスしました。

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2013年10月 7日 (月)

チベット大縦断13 ラサ市 ポタラ宮

9/16(月)の午前中、ラサ市観光のハイライト、ポタラ宮を訪れました。チベット自治区で最も有名で一度は訪れてみたいと思っていたスポットです。

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深いブルーの青空を背に、ポタラ宮は聳え立っていました。何回も映像や画像で見た建物の本物が目の前にあり、あまりにも美しく絵葉書のようであり、何ともいえない感慨を覚えました。それとともにかつてのここの主は今はここにいないという喪失感も同じくらい大きなものでした。

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多くの観光客が列をなしていて、その入場料がかなり高いこと、見学時間は1時間くらいと決められていて時間オーバーすると現地ガイドさんにとっては大変なことになること、ここに入るにもパスポート提示が必要なこと、ここでもいろいろ考えてしまいました。

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チェックインをすませていよいよ見学となしましたが、石段が延々と続き、ラサ市の標高自体が3,650mと高く、富士山の9合目から頂上を目指すような息苦しさを感じました。

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ようやく最上階の建物にたどり着きました。ポタラ宮全体で何部屋あるか、ダライ・ラマ14世もわからなかったくらいたくさんの部屋があるそうです。

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建物の中は撮影禁止でしたので、ここでも「写真集」から転載させて頂きました。画像は歴代ダライ・ラマの柩の一つです。歴代ダライ・ラマの遺体はミイラとなり柩に納められているそうです。その柩は例えば2,000個のダイヤや黄金で飾られているものもあるそうです。柩に限らず、歴代ダライ・ラマの居住空間はそのまま残され、またさまざまなものも保存されています。主は住んでおらず、建物だけが残されているただの建物かと思っていたのですが、実は建物内に保存されているものは外見の建物以上に何千倍も価値がある宝物殿ともいえるものでした。

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制限時間内に見学を終えようと多生焦り気味の任さんに率いられて見学を終えると、眼下にはラサ市街が広がっていました。ここで思い出すのが若い頃のダライ・ラマとチベットを訪れたドイツ人登山家との交流を描いた「セブン・イヤーズ・イン・チベット」のワンシーンでした。好奇心旺盛な14才のダライ・ラマ14世が望遠鏡でラサの街をのぞき見るシーンでした。今インドに亡命中のダライ・ラマ14世もこの街の風景を何回も何回も見たことでしょう。

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上の画像はホテルの売店で購入した絵はがきで、下の画像は今回撮ったものです。二つの画像を見比べていただきますと、大きな違いに気づかれると思います。私が建っている場所はかつては池でしたが、中国侵攻に伴って池は埋められて広場となりました。

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(画像は写真集より転載) そして、写真に写った広場に立つ私の目線の先には大きな石碑があり、「チベット開放の記念碑」というそうで、かつての中国最高指導者江沢民の名前も刻まれているとも。

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昼間のポタラ宮見物を終え、夕食後再びライトアップされたポタラ宮見物に出かけました。ホテルからポタラ宮前の広場まで3台のタクシーに分乗して出かけたのですが、タクシー降車場所についての打合せが不徹底だったために添乗員の田村さんとなかなか合流できず、携帯などの連絡手段もなく慌てたのですが、30分くらい時間をロスして合流できました。夜10時過ぎに広場からホテルまでラサのめぬき通りを急ぎ足で歩き、結果としてかなりの高度順応効果が得られたのではないかと思い、いい思い出となりました。前日と違ってあまり息苦しさを感じることなく眠ることができました。

中国の観光資源とされてしまったポタラ宮見物は予想どおりいろいろ考えさせられました。しかしここであまり余計なことを書くと、現地ガイドの任さんや才さんに迷惑がかかるといけませんのでやめますが、ポタラ宮の外観以上に内部は大変な宝の山であることに行って初めて気がつきました。

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2013年10月 6日 (日)

チベット大縦断12 ラサ市 大昭寺

9/16(月)の午後、高度順応で滞在していたラサ市で、バルコル(八角街)の一角にある大昭寺を訪ねました。

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大昭寺はチベット仏教の総本山で、チベット人なら一度は一生に一度は訪れたいと願うお寺です。日本でいえばお伊勢参りのようなものかもしれません。入口には信者さん達や観光客で賑やかでした。

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大昭寺の入口あたりでは、信者さん達が思い思いのスタイルで五体投地していました。五体投地を最初に見たときには目を見張ってしまいましたが、今では何となく見慣れた風景となりました。一生のうちに10万回行うと御利益があるとのことですが、実際に達成できる人は少ないようです。参考までに現地ガイドの才さんは今まで数百回くらいしたそうです。

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大昭寺は647年に建てられ、チベット現存の最も古い土木構造の建物だそうです。日本でいえば法隆寺の五重塔も同じ頃に建てられていますが、大昭寺は色彩も装飾も彫刻も鮮やかで、文化や芸術性の高さがうかがわれました。

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本殿内仏像などの撮影は禁止でしたので、才さんからいただいた「写真集」から転載させて頂きました。

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本殿内の黄金の極彩色の仏像などを眺めていると何となく疲れてしまい、ラサ市を取り囲むように波打っている山なみと青空を眺めてため息をついてしまいました。

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現地ガイドの任さん(右側)と才さん(左側)。漢族の任さんとチベット族の才さんが仲良くしていると何故だかほっとしました。もちろんパスポートが発行されないなどさまざまな制約を受けている才さんの心中は複雑なものがあるとは思うのですが・・・、持ち前の明るさと冗談好きなキャラで何回となく私たちを笑わせてくれました。

今までタール寺や大昭寺を訪ねて思うのは建物にしても仏像にしてもカラフルで色彩鮮やかなことです。黄金の世界に入ったかのような感覚です。趣味の仏像彫刻で見慣れている日本の寺院や仏像とはかなり趣が異なります。チベットの曼荼羅絵図と同様、天国や極楽を具体的にわかりやすく目に見える形で表現しているのではないでしょうか。それに対して、日本では天国や極楽は心の中で思い描くもので、そのために日本の寺院や仏像などはシンプルになっているのかななどと、チベットの青い空を見ながら、多生酸欠気味の頭で考えてしまいました。

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2013年10月 5日 (土)

チベット大縦断11 ラサ市 バルコル

宿泊したホテルはラサ市で、いやチベットで最も有名な観光スポット、八角街といわれるバルコルのすぐ近くにありました。

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バルコルまではほんの数分の距離で、路地裏のような小道がクネクネと続いていて、ヤクの肉を売る店やヤクの牛乳から作ったバター、これはバター茶やお寺に参拝する時お供えするもので大きな固まりになってるものを売る店などがありました。バター茶は一度だけ飲む機会があり、かなり濃厚でした。

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バルコルまでの小道は、全く覚える気がなく、また標高3,650mの高地で酸素が薄いために頭がボーッとして、うっかりすると迷子になりそうでした。

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バルコル(八角街)は、その名の通りはたくさんのお土産物屋や食事処が八角形を形成している街並みです。しかしチベットに来る前に読んだ「消されゆくチベット」(渡辺一枝著)で “バルコルは大挙して訪れる中国人目当ての商売が盛んになり、かつてのバルコルの雰囲気がなくなった” と書かれているように、同じ賑わいでも何となく騒がしくそれでいて温かみのある雰囲気はなく、商売商売という感じがして、並んでいる店を冷やかしたり、気に入ったものがあったら買おうという意欲はすっかり失せてしまいました。

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この本は、現地ガイドの才さんからプレゼントされたものです。2006年に出版されたもので、青蔵鉄道の開通に伴っての観光PR写真集のようなもので、価格は150元、日本円にして2,500円くらいになりますので決して安いものではありませ。写真撮影が禁止されているか有料となっている寺院の内部写真なども掲載されていますので、スキャナーで取りこんで転載させていただきました。

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早速ですが、これは写真集に掲載されていたバルコルのお土産物売り場の娘さんの写真です。残念ながら、こんな雰囲気のお土産屋や優しい眼差しや微笑みをもった売り子さん達にはお目にかかれませんでした。

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バルコル(八角街)にはチベット仏教の中心となっている大昭寺があり、地元や遠方からきた信者達がバルコルを時計回りに周り歩く間を五体投地している人も見かけました。厚い信仰心やその凄まじい行に感心しましたが、ある幼い姉妹の場合は歩いている信者からお布施を受け取り、そのお札を丁寧に数えている様を見て複雑な気持ちになりました。その幼さでどの程度の信仰心があるのか疑問にも思いましたが、例えそれがお金目当てであっても衆人の前で荒行にも等しい行為をしていること自体が金銭を受け取るにあたいするものにも思えました。

夜は深呼吸、水分補給、トイレ通いと高度順応を意識しながらぼんやりとした頭で、ラサ駅、街並み、バルコル、そしてバルコルを時計回りに歩く信者達と五体投地の大人や子供たちを思いだし、チベットの実像がなかなか焦点を結ばず、カメラを構えてピントが合わないようなもどかしさを感じつつ寝ては覚めてを繰り返しました。

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2013年10月 4日 (金)

チベット大縦断10 ラサ市 高度順応

9/15(日)ラサ市に到着しました。ラサ市は標高3,650mで富士山9合目くらいの高さですので、ここで連泊して高度順応のための休養をしました。

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青蔵鉄道

は静かにラサ駅

に滑り込みました。構内は広く、VIPのお出迎えでしょうか、トヨタのランドクルーザーが待機していました。

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車掌さんたちも長時間勤務を終えてほっとした様子でした。ここはチベット自治区の中心部ですので、制服姿の人にカメラを向けるとき、よほど注意しないととんでもないことになります。

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列車から降り、駅構内を出て振り返ったとき、小高い山を背にして聳え建つ駅舎の偉容に不気味なものを感じてしまいました。思い描いていたチベットのシンボルが、威圧的で、無機質で、人を寄せつけないような印象でした。駅、特に終着駅(ターミナル)は、人が出会ったり旅立ったり、人肌の温もりを感じさせるものですが、そういうものを一切排除して拒絶しているようにも感じられました。深いブルーの空と白い雲は、まぎれもなくチベットの空なのに。

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駅からホテルまでは専用車で移動しました。道路は広くよく整備されていて、道路の脇には中国国旗が数メートルおきに飾られていて、北朝鮮の軍事パレードでも行われるのではないかというような印象でした。思わずここがチベット?と思ってしまいました。

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ホテル前の通りは、高層ビルはないもののよく整備されていて、どこにでもある中核都市の雰囲気で、街歩きをしてみようという気が一気に萎えてしまいました。

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何はともあれ、ホテルに落ち着きました。ツアーが始まってまだ4日目ですが、随分長い間旅に出ているような気がしていました。飛行機と車と列車で大移動して着いた先は、奥地というイメージではなく躍進中の都市的雰囲気でかなり戸惑いました。

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部屋に落ち着き外を見ると、向かいの建物との間に飾られたタルチョがはためいていました。整備された都市で、青空を背景にはためくタルチョは何となく虚しいものでした。

ラサ駅からめぬき通りを走り、車窓から見た街並みや中心部に位置するホテルまで、チベット自治区の中心部にたどり着いたという気がまったくしませんでした。街はよく整備され、塵一つないほど清潔でしたが、徹底的にコントロールされているような白々しさを感じてしまいました。

ラサのイメージはともかくとして、ここで2連泊して高度順応をするというのが今後の旅程上最も重要なことでした。ラサ市は富士山9合目くらいの標高ですので、富士登山であれば歩きながら高度順応できるのですが、私たちは標高2,275mの西寧から鉄道で一気にここまで上りましたので、慎重に高度順応する必要がありました。先ず、日中はできるだけ動き回らなければなりません。呼吸が浅くなる昼寝などは絶対禁物ですので、とりあえず街を歩きまわりました。夜は、1~2時間ごとに起きて深呼吸をし、トイレに行き、水分補給をしました。エベレスト街道のトレッキングでは室内にトイレがなかったのですが、今回はどこに宿泊してもトイレ付きでしたので天国でした。一日目は実際に眠りについて寝入ったかなと思うと息苦しさで目が覚めてしまいました。しかも悪い夢ばかり見てしまいました。さすがに二日目は楽に眠れるようになり、順調に高度順応できたようでした。

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2013年10月 3日 (木)

チベット大縦断09 青蔵鉄道 ラサへ

列車の揺れに任せて寝ている間に日付が9/14から15日に変わりました。唐古峠(5,072m)を越えてチベット自治区へと入っていきました。

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07:16 ぐっすり眠ってしまって7時前に目覚めました。車内にあった計器パネルと見ると列車は4,693mの高地を走っていました。

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07:32 窓の外はまだ夜明け前のようでした。氷河か冠雪した山か、列車は天空を走っているようでした。

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最も標高の高い峠の駅(5,072m)は、雪景色で北海道の原野を走っているような感覚でした。私の高度計も5,000mを超えていました。気圧調整がしっかりとされていましたのでほとんど息苦しさはありませんでした。標この最も高い駅で降りてみたいと思っていたのですが、列車はあっという間に通り過ぎました。

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08:06 私たちの朝食は8時という予定でした。メニューはおかゆを中心におかずの種類も多く、添乗員の田村さんも昆布やキュウリのキューちゃんや酢の物などを用意してくれましたので、美味しくしっかりと食べることができました。騒がしい中国人グループは、朝食はカップ麺(熱湯がいつでも利用できます)ですませているようで、とても静かな食堂車でした。

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09:40 雲か靄の切れ目にわずかに陽があたって、山肌が明るくなっていました。好天の気配でした。

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10:00 景色がめまぐるしく変わり、少しずつ青空がひろがってきました。高地を走っているために景色も天候も変化が激しいようです。

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10:47 列車はスピードを落としてある駅(駅の名前をメモするのを忘れました)で停車し、久しぶりに外気を吸いました。まだ標高が高い地点でしたので、空気は冷たく、ちょっと小走りすると息切れしました。睡眠は充分とれましたし、青い空と白い雲で爽快な気分でした。

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11:21 かなり山奥に入り込んだようで、山の姿もどっしりとしてきました。

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11:28 あっという間にまた景色が変わりました。ちょっと走っただけで空の色が全く変わりました。

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遠くにラサ市街が見えてきました。空は益々青くなり、大河はよほどきれいなのでしょう青空を映して碧く染まっていました。清浄な地域そのままのイメージでした。

列車は予定より15分くらい早くラサ駅に到着しました。23時間の長旅でしたが、景色は飽きることがなく、コンパートメントも快適でほとんど疲れは感じませんでした。

今回のツアーの最も大きな目的は何となくチベットを見てみたい、チベットの空気を吸ってみたいというもので、次に大きな目的はチョモランマ(エベレスト)を見ることと青蔵鉄道に乗車することでした。実際に乗ってみると自分は気圧調整とエアコンが効いたコンパートメントで、ゆったりとした寝台車で体を休めながら、しかし外の光景は雄大で、時には寒々しく、時には青空が広がって、よくもまあこんな天空の鉄道を敷設したものだと感心してしまいました。

一方では、硬座席(6人がけシート)で長時間揺られたであろう現地人(チベット族?)が、大きな荷物を抱えて疲れ切った表情で停車した駅に降り立つ姿を見ると、青蔵鉄道は生活路線でもあるわけで、チベットと天空列車のイメージがなかなか重なりませんでした。

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チベット大縦断08 青蔵鉄道 設備

夕食を終えて陽が沈んでしまいますと他の乗客も洗面したり就寝の準備をして少し賑やかだったのですが、潮の流れが引くように人気がなくなりましたので、列車の施設を見て回りました。

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私たちの車両は10号車で定員は32名となっていました。各コンパートメントは2段ベッド2列で4人定員の軟臥席、コンパートメントは8室ありましたので定員32名ということになります。これが硬臥席ですと各コンパートメント6人定員ですので、車両の定員は48人ということになります。

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コンパートメント内の2列2段のベッドにはきちんと番号がふってありました。これがないときっと席取りでトラブルが頻発するものと思われました。車掌さんが検札に来て座席番号確認やどこで下車するかなどチェックしていました。深夜に停車する駅もありそこで降りる乗客もいるそうで、車掌が起こしてくれたりするそうです。

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トイレは各車両に和式と洋式があり、比較的清潔でした。私たちは車両定員32名の軟臥席でしたので混み合うことはなかったのですが、硬臥席では48人、硬座席ではもっと定員が増えれば混雑が予想され、つくづく軟臥席でよかったと思いました。

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洗面所も比較的使いやすく、ちょうど添乗員の田村さんも洗面して就寝の準備をしていました。

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スーツケースなどの荷物置き場は適当なスペースに適当に置くというもので、私のピンクのスーツケースも何となく納まっていました。

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20:47 気持ちよくウトウトしていましたら、添乗員の田村さんにそろそろ停車して、駅に降りることができると言われましたので、とりあえず外気を吸うことにしました。それほど寒くも息苦しくもありませんでした。車掌さんとツーショットのつもりが、他の人も何となく並んで集団写真となってしまいました。車掌さん(概して若い)も写真OKの愛想のいい人と無断で撮ったら消去させられた無愛想な車掌さんとさまざまでした。

この後、再びベッドに潜り込み列車の揺れに任せてかなり深い眠りにつきました。列車は時々止まって、対向車とすれ違いのために時間停車をしている気配がしていました。

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2013年10月 2日 (水)

チベット大縦断07 青蔵鉄道 夕暮れ

定刻の9/14(土)15:05に西寧駅を出発した青蔵鉄道は、ラサに向けてゆったりと走り揺れはあまり感じませんでした。

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17:27 送電線の鉄塔の周りにヤクかヤギか羊か、が群れていました。標高の高いヒマラヤ山中でしか見たことのないヤクが鉄塔の周りに集結していることが何となくおかしく面白く感じられました。

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18:05 窓外の景色はちょっと目を離すと刻々と変わり飽きることがありませんでした。青蔵鉄道のスピードはスローに感じ、もしかすると窓外の景色が広大なためにスピード感がないのかもしれません。

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18:08 そろそろ夕食の時間となり、“山形の鉄人” と同席しました。酒が飲めないのが残念そうでした。私たちの車両は10号車で隣の9号車が食堂車でしたので何かと便利でした。

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18:23 料理が運ばれてきました。ここまで2泊したホテルと同じように中華料理で、メニューは豊富で味もなかなかでした。添乗員の田村さんの食欲は旺盛で、食べるスピードも私たちより2倍くらい速く、頼もしい限りでした。食器は皿一枚と茶碗が一つだけですの、種類が豊富な料理とご飯とスープをバランスよく食べる要領が必要でした。

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18:41 食堂車の半分は私たち(16人)で、残り半分が中国人グループでした。その大声のうるさいことは、何事が起こったのかと思うほどでした。添乗員の田村さんが私たちに伝えたいメッセージがあったのですが、中国人グループがあまりにも騒がしいので諦めてしまいました。まるでケンカのようだと思っていましたら、若い男女が本当にケンカ口論していて二度ビックリでした。

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18:49 列車は車内の喧騒をよそに山並みを分け入るように淡々と走り続け、高度を上げているようでした。

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19:21 陽が山影に沈み、その残照が雲を白く浮き上がらせていました。列車の進行とともに空は青さを増してくるようで、これからの好天を予想させるものでほっとしつつありました。

すっかり陽が沈んだ20:00頃、ベッドに潜り込みました。高度は上がっているようで、気のせいか空気の薄さを感じている人と感じていない人とさまざまでした。飛行機と同じように車内は気圧調整されていますので、空気の薄さは感じないはずですが、密閉性は飛行機ほどには完全ではないようでした。旅の疲れかベッドに潜り込むと同時に寝入ってしまいました。

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2013年10月 1日 (火)

チベット大縦断06 青蔵鉄道 乗車

ツアーの3日目(9/14)の午後、待ちに待った青蔵鉄道に乗車となりました。

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14:31(現地時間 以下同じ) 西寧駅の構内にはラサ行きの青蔵鉄道に乗ろうという乗客で構内は賑やかでした。改札口を通るときパスポートの提示を求められました。

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14:37 乗車まではまだ時間がありましたので、自分の写真を撮ってもらいました。カメラを向けるとき、うっかりして公安関係の建物や人が写ってしまうとカメラの没収や画像の消去を求められるおそれがありますのでかなり気を使いました。

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1:51 乗車が始まりました。パスポートと乗車券の提示を求められ慌てている人もいました。

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客車は16両でしたからちょうど日本の新幹線と同じくらいの長さでした。

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私たちは軟臥席を予約することができ、これはかなりラッキーなことであったことが後でわかりました。コンパートメント内は固定式の2段ベッドになっていますので、就寝時以外は4人が下段のベッドを座席代わりに使うことになっていました。ベッドにはカーテンがありませんので女性には少し抵抗があるかもしれませんでした。

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コンパートメントがある車両の通路は、どこの国の列車でも同じようなつくりになっていました。窓が広いので、広大な景色が楽しめそうでした。

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14:57 発車まで8分間の時間がありましたので、先頭の機関車を見に行きました。標高が富士山五合目と同じくらいでしたので、慌てて走るとちょっと息切れしました。

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15:05 いよいよ23時間半の列車の旅の出発です。私は下段のベッドで進行方向に正対する席に落ち着きました。寝台車に乗るのは何年ぶりかあるいは何十年ぶりかで、修学旅行の時のように気持ちははしゃいでいましたが、寝たままで5,000mを越えて大丈夫かなという不安もありました。

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16:41 同じコンパートメントには、添乗員の田村さんや“山形の鉄人”が一緒でした。現地ガイドの才さんは、周りを気にしながらもしばらくいろいろな話を聞かせてくれました。例えば、チベット族にはパスポートがもらえないとのことで、自由に海外に行くことができないという制約というか差別を受けているそうです。一度だけ日本に来たことがあり、それは日本の旅行会社の招待によるものだったそうです。

西寧からラサへの列車は定刻通りに15:05出発しました。座席について説明しますと、軟臥席というのは上下2段の4人定員の席で、硬臥席は3段ベッドで6人定員です。軟座席はベッドなしの4人席、硬座席はベッドなしの6人席ですので、ベッドなしで23時間も乗るのはかなり苦痛に思われました。しかしベッドつきでも6人定員(硬臥席)では、3段ベッドも窮屈ですし、就寝時以外に3人づつ向かい合って坐るのもかなり窮屈に思われました。同じ西遊旅行社の別ツアーのグループは硬臥席だったそうで、なかなか軟臥席はとれなとのことで、軟が席で移動した私たちはかなりラッキーとのことでした。

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