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2013年11月30日 (土)

チベット後日談  ハイウェイと公路 街なみ

パキスタン・フンザのカラコルムハイウェイとチベットの中ネ公路で走り抜けた街なみを比べてみました。共通しているのはポリスと公安による検問チェックで、異なっていたのは人々の表情でした。

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カラコルムハイウェイでは村々の入口でポリスチェックがあり、重要なスポットではかなり厳重な検問が行われていました。

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中ネ公路でも同様にポリスチェックが行われていて、どのポイントでも厳戒態勢という印象でした。こういう公安関係の建物は撮影禁止で、撮影が発見されると大変なことになるとも聞かされていました。実際にツアー仲間がビデオ撮影しているところを発見され、警察が車内に乗り込んできた時にはヒヤリとしましたが、撮影箇所だけを消去させられることですみました。また公安関係者や軍人が車内に乗り込んでくることもしばしばでしたので、以後一切の撮影はしませんでした。

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カラコルムハイウェイでは、ポリスが同乗してきたりパトカーが先導してくれたりと、私たちをチェックするというよりも私たちをガードしてくれました。検問や渋滞箇所では優先的に通行させてくれましたし、挙げ句の果てには記念撮影もOKで、最初は緊張したのですが、最後は頼もしく見えました。もっともそれだけこのルートが危険だともいえますが・・・。

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中ネ公路ではどこでも公安のパトはよく見かけました。このパトはネパールの国境近くで見かけたもので、唯一の写真です。

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カラコルムハイウェイで通り過ぎた街なみは異国所緒に溢れ、それぞれ魅力的なものでした。

 

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中ネ公路で通り過ぎた村や道沿いの建物は殺風景な印象でした。しかしそう思うのはこちらの勝手で、住めば都でしょうし、建物は気候風土に根ざした合理的なものかもしれません。

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中ネ公路の大きな街や市街地では経済発展のためにどこでも見かけるような街なみになっていて、チベットのイメージが完全に覆されました。これからも村は取り残され、市街地は経済発展によってどんどん変わってゆくと思われ、いわれる格差はさらに広がってゆくのはないかと思われました。

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カラコルムハイウェイの沿道には人々が溢れかえっていて、そして友好的でした。カメラを向けると微笑みをうかべ、私たちを見るためにすぐに人だかりができました。

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中ネ公路の市街地では歩いている人に出会うと鋭い視線を向けられ、トラブルになりそうでカメラを向けることはできませんでした。かろうじて旧市街地で見かけたチベット族風の人の姿を捉えるぐらいしかできませんでした。

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とはいえ、旧市街地の村人と接してみれば言葉は通じなくても楽しく交流することができ、私たち日本人と何か通じ合うものも感じられました。しかいこういう人たちは少なくなってゆくのでしょうし、旧市街地も少しずつ開発されてゆくことでしょう。豊にはなるのでしょうがいいのか悪いのか・・・。

二つの幹線道路を走ってみると、人々の表情が全く違っていました。パキスタンでは村でも市街地でも誰もが親しさと好奇心むき出しで微笑みかけてきました。最も危険な国といわれているのが不思議でした。一方、チベットの市街地では多くの人から警戒心もあらわな鋭い視線を向けられました。街には公安のパトが絶えず巡回していて、また漢族とチベット族のような少数民族との間の警戒心があるようでもあり、おそらくチベット自治区ではこの雰囲気はますます加速するんだろうなあと思うと辛い気持ちになりました。

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2013年11月28日 (木)

チベット後日談 ハイウェイと公路 景色

今年の4月には最後の桃源郷といわれるパキスタン・フンザを訪れカラコルムハイウェイを走り、9月にはチベット大縦走で中ネ公路を走りました。共通しているのは共にヒマラヤに沿って中国国境へとつながっている重要な交通路ということです。そこから見た風景は同じようでもあり異なっているようでもありました。

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カラコルムハイウェイは、パキスタンの首都イスラマバードから中国国境に向かって北上する山岳道路です。少し高い丘に登って見下ろすと、決して標高は高くないのですが、ひたすら山奥の更に奥へと分け入っていくトレッキングルートのようでした。

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山の中腹をかろうじて車が1台通れるほどの道をコツコツと削った細い道は、中国との交易の重要な道ですので大型トラック、軍用車などと頻繁に行き会いました。最初のうちは遠くに対向車が見えると思わず緊張したものでした。

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私たちが走ったハイウェイの半分以上は未舗装の山の中で、崖っぷちギリギリの道は慣れることはありませんでした。

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未舗装のきわどい山岳ルートも、どういうわけかフンザに入り中国国境に近くなると舗装された快適な道になりました。

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一方、中ネ公路はどんなに標高が高くても幹線道路は完全に舗装されていました。標高4,000m5,000mの高地を、舗装された道が遥か彼方のやまなみに向かって真っ直ぐ延びている光景には最初は戸惑いを覚えました。

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舗装された真っ直ぐな道、他には車一台も人影も見えず、こんな風景を見るとようやくチベットにいるんだという実感がわいたものでした。

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上海から中国国境に通じる4,000kmの幹線ルートは完全舗装されていますが、幹線ルートを外れたチョモランマB.Cへ向かう道は舗装されていませんでした。軍事的な意味を持つルートは優先され、観光ルートは後回しということかもしれません。

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カラコルムハイウェイから見たやまなみは、カラコルム山脈から続いていて鋭く美しい姿をしていました。

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一方、中ネ公路から見たやまなみは、どんなに標高が高くてもなだらかであり、にもかかわらず荒涼としていました。これはヒマラヤ山脈にぶつかった強い風が雪を吹き飛ばし、山肌を削り取ったかのようでした。何回か訪れたモンスーン気候地帯のネパール側と異なりヒマラヤ山脈の北側に展開するチベット高原は、大地は雪と岩からつくられ全体的に荒涼としていると言われていて、まさに荒涼・渺々とした世界を見ることができました。

カラコルムハイウェイは中国の協力なしにはなしえなかった事業といわれています。いまだに、いたるところで中国の会社や労働者が舗装化や修復にあたっていました。一方、中ネ公路は標高に関係なく舗装道路が上海からネパール国境まで通じていました。さすがにネパール国境近くの道は渓谷沿いの細い道になりましたが・・・。パキスタンと中国との国力の違い、中国政府の広大な大地を治めようとする強い意図をみるようでした。

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2013年11月25日 (月)

チベット後日談 チベット仏教

チベット仏教どころか仏教や宗教についても語る資格はないのですが、四国巡礼やテクテクなどで神社仏閣に行きあたれば習慣的にというか条件反射的に手を合わせますし、仏像彫刻をしていますので寺院や仏教に親しみは覚えています。そういう点ではチベットは河口慧海が経典を求めて密入国したくらいですから、何となく仏教の故郷のようなイメージがしていますので、今回の旅はチベット仏教や寺院に触れることができるという点で楽しみでもありました。

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(9/13撮影) 旅が始まって最初に訪れたのは仏教寺院ではなく青海省西寧市の青海省最大のモスクでした。礼拝堂の入口では、白い防止をかぶった信者から私たちツアー一向に向かってイスラム教の “偶像崇拝の禁止” や唯一絶対の神 “アッラー” への奉仕など最も基本的な教義について熱心に語りかけられました。そして時間になるとメッカに向かって厳かな礼拝が始まりました。多神教の私たち日本人はまったく受け入れられるはずもありませんが、周りの信者達はニコニコと友好的で、日本人が来たことに興味をもっているようでした。

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9/14撮影) 私たちが初めて訪れたチベット仏教のお寺はタール寺でした。タール寺は、チベット仏教の四大宗派のうち最も大きな宗派であるゲルカ派の六大寺院の一つです。山裾の広大な敷地に建てられた大きな伽藍がいくつもありました。五体投地を目の当たりに見ると、チベットに来たという実感がわいてきました。

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9/15撮影) ラサ市のバルコル(八角街)のにぎやかな通りでも五体投地している人がいて、チベット仏教信者の信心深さがこの礼拝形式に現れているようで、とても私たちには真似ができそうもありません。

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9/15撮影) バルコル(八角街)にある大照寺の門前でも多くの信者が五体投地していました。他の寺院の前でも五体投地している姿はよく見かけましたが、目立つ大きな寺院に限られているようでした。

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9/16撮影) バルコルにある大照寺は、聖地ラサ市の中でも最も聖なる寺院といわれていて、多くの信者や私たちのような観光客で賑わっていました。

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画像はチベットの写真集から取りこんだもので、仏像はきらびやかでしたし、内装もきらびやかでした。内部は撮影禁止か高い撮影料金でしたので内部の写真は全く撮りませんでした。大きな寺院は観光化しているようにも見えましたし、お布施のお札がお盆に山盛りになっている光景もしばしば目にしました。面白かったのは、1元をお布施したい場合10元札をお盆に入れて9元のおつりを自分の手で回収している光景でした。

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9/16撮影) ここ大照寺だけではなく、多くの寺院が2階建てのようになっていて屋上のような場所に出ることができました。日本の寺院とは全く異なる極彩色の建物、内装、仏像達に目もくらむような頭が重くなるような感じがして、屋上から青い空を眺めるとああここはチベットだなあと何回も思いました。

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9/14撮影) タール寺の回廊もとてもカラフルでした。

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9/18撮影) シガツェのお寺

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9/19撮影) 文化大革命で破壊尽くされたサキャ北寺。他にも多くの寺院を廻りました。

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9/17撮影) 多くの寺院を廻りましたが、目に鮮やかな紅色の法衣をまとったチベット僧にはあまりお目にかかれませんでした。泥地にはまった車の脱出劇を興味深そうに眺めている若いチベット僧たちは無邪気そうに見えましたが、心の裡を知ることはできません。

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活仏といわれるダライ・ラマは、チベット仏教最大宗派ゲルカ派に所属しています。おりしも14世が来日中で、増上寺の対話集会では中国政府の政策に抗議してチベット僧の焼身自殺が続発していることを “尊くすばらしい行為だ” と述べたと伝えられました。しかしそれは通訳の間違いで実際には “驚くべき行為だ” と言ったとのことです。

日本の寺院や僧侶とチベットの寺院や僧侶とでは同じ仏教でもかなり異なる印象でした。特に日本の黒や白を基調にした僧衣と鮮やかな紅色の僧衣の違いはとても印象的でした。中国の圧政に対して焼身自殺したチベット僧の数が100人を超えたとか。心の中には紅色の衣と同じようにきっと赤く燃える激しいものを秘めているのでしょう。

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2013年11月24日 (日)

大山詣で⑧ 女坂

久しぶりの大山登山で富士見台で富士山の姿を拝んだ後、11/23(土)は連休初日で紅葉も見頃とあって何かと渋滞が予想されましたので頂上まで登らずに引き返しました。

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下山し始めると逆に頂上を目指している人たちが続々と登ってきました。祭日とあって親子連れが目立ちました。皆さんとても楽しそうでしたが、中には観光気分で楽に登れるつもりがなかなか手強い登りにだいぶ息が上がっている人もいました。

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“下社” に戻ると、登るときは早朝でひっそりとしていたのですが、時間も9時半となってケーブルカーも動き始めていましたのでだいぶ賑やかになっていました。

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“下社” をちょっと下ると分岐の標識があり、登りは “男坂” を通りましたので、下山は “女坂” を下りました。

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“女坂” は “男坂” より楽だろうと思って登ってきた人にはとても辛い急傾斜の石段が続いています。 “女坂” は大山のすそ野を回り込むような平坦な道と急傾斜の石段との道ですので距離は長く、急登は “男坂” と同じですので時間がかかりますし疲れます。

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“女坂” は行程が長い分見どころは多いのです。例えば大山寺は紅葉の名所ですし〈青葉の季節も素晴らしいです〉、他にもお地蔵様であるとかパワースポットといわれるところもたくさんあります。大山寺の正面階段の両脇にはまるで守護神のように仏像が設置されています。紅葉もちょうど見頃で、まるで真っ赤に燃えているようでした。11/22〈金〉からライトアップが始まったとのことです。

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“女坂” には小さくて古いお堂もあり、冬に雪が降ったときにはとても素晴らしい雰囲気となります。

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急に思いついて出かけた久しぶりの大山はちょうど紅葉の見頃。早朝の駐車場は6時頃にほぼ満員で、帰りの渋滞が心配されましたので早々に下山しました。案の定登山者は続々と詰めかけ、ケーブルカー乗り場は長蛇の列でケーブルカーはピストン運転していました。帰りの道(大山街道)はバスもピストン運転していて、マイカーもどっと押し寄せ、予想どおり上下とも渋滞が始まっていました。

久しぶりの急登で、翌日ふくらはぎがパンパンにはりました。体は多生疲れはしましたが気分はスッキリでした。やはりたまに自然の中を歩くのはいいものです。何とか年内に時間があれば、やはりご無沙汰している丹沢山に出かけたいものです。

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2013年11月23日 (土)

大山詣で⑧ 男坂

11月の初めにホテルマウント富士に宿泊しながら富士山ビューの石割山に登って以来何かと忙しく、山歩きの機会がありませんでした。好天気の日が続くと足がムズムズして、我慢できずに今年8回目となる大山登山に出かけました。

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今日11/23(土)は祭日で明日の日曜日とあわせて連休です。多分どこでも行楽客で混み合うでしょうし、大山も混みそうでしたので早朝に出発し、駐車場に6時頃に着いたのですが、いつもはガラガラの筈がほぼ満杯で危うく溢れるところでした。

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駐車場を6時半頃出発してのんびり15分くらい歩くと “男坂” と “女坂” との分岐があり、小さな古いお堂があります。いつもは古くてくすんだようなお堂もちょうど朝陽が当たって輝いていました。

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いつものようにお堂の脇から “男坂” を登り始めました。その名の通りいきなりの急登の道となり、多くの人が敬遠して “女坂” の方に向かいますので、こちらはいつも空いています。

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山道にも朝陽がこぼれていて、花道を照らしているようでした。6/28以来久しぶりの大山で、いつも静かなこの道を登るときには、自然といろいろなことが浮かんできます。今日も仕事や家庭のこと、これからのことが浮かんでは消えていきました。体が汗ばんできて、体がようやく急登に慣れてくると頭も体もスッキリしたような気分になりました。

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このあたりは常緑樹が多いのですが、珍しく黄葉した樹があり、カメラを構えている人がいました。しっかりと黄色に色づいた葉は見事でした。

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“男坂” と “女坂” が合流すると “下社” 手前の石段にでます。ここには大山登山鉄道

のケーブルカーの駅

があり、9時始発のケーブルカーが動き出すと、茶店もオープンして賑やかになります。

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大山神社の奥の院は山頂にありますので、俗にここが “下社” と言われています。本殿の上には青空が広がっていて、本殿前には菊が飾られていました。この時間(7:30)は、境内はまだひっそりとしていました。

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“下社” の脇が大山山頂への登山口になっています。これから登ろうという人が何人かいました。

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さすがに祭日とあって、登っている人の姿がぽちぽちと見られるようになり、おもいおもいのペースでモクモクと登っていました。 “男坂” でも “女坂” でも同じように急登なのですが、 “下社” からの登山道も急登の連続で、この道をモクモクと登るのも一つの醍醐味です。ふと見上げると不思議なものを背負っている人がいて、ぬいぐるみがこちらを見ていました。

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不思議なぬいぐるみの正体があきらかになりました。厚木市のユルキャラ “あゆころちゃん” というそうで、明日ユルキャラのコンテストがあるそうで、大山に必勝祈願にきたとのことでした。

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大山登山ではここ富士見台と山頂の2カ所から富士山を見ることができます。今日は雲一つなく、青空の下ドカンーと鎮座していました。冠雪も少し下がってきたようです。

富士見台から頂上まではもう少しですが、スッキリとした富士山を見て満足しましたのでここから引き返しました。遅くとも昼までには戻らなければならず、駐車場からの片側一車線の道の渋滞や東名高速の渋滞も予想されましたので早めに下山することにしました。久しぶりの大山でしたが、ヒンヤリとした空気や青空と富士山、いろいろと考えながらモクモクと登るいつもの道に満足しました。

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2013年11月19日 (火)

チベット後日談 慧海の足跡

「チベット大縦断」に出かける前、このブログで「慧海の足跡」(9/9)を掲載しました。今回の旅は、いわばチベットにおける慧海の足跡を探す旅でもありました。しかし慧海の足跡はそのわずかな跡にさえ出会うことはありませんでした。それでも慧海が見たであろう風景はしっかりと目にすることができました。

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旅から帰って改めて2冊の本を読んでみました。この本のタイトルにみられるように、慧海は確かにチベットを旅し、私たちも訪れた有名な寺院を訪れていたのですが、どこにも慧海の名前も文字も足跡もありませんでした。

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(画像はダウラギリツアー 2011.1.31撮影) ネパール側では、慧海がしばらく逗留したマルファ村(私も2回訪れました)に今日もその足跡がしっかりと保存されていました。慧海は1900年の6/12にチベットに向けてこのマルファ村を出発しました。

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(画像はチベット大縦走 2013.9.19撮影) 「河口慧海日記」によると、私たちも訪れた「サキャ南寺」に慧海は19001126日に到留(原文)とあります。そして ゛諸堂巡拝。本堂は二町四面の二重扉の内に東西およそ三十四間、南北四十間なり。・・・堂内に入るに、玄関様の入口の両脇に二丈五尺余の左青、右赤金剛力士あり・・・゜ という詳細な記述があります。確かに慧海はここを訪ねているのですが、ネパールと異なって現在のサキャ南寺には慧海についてなんの痕跡も記されていません。考えてみれば当然のことで、慧海は密入国という立場ですし、現在の統治国中国にとってはチベット侵攻前のできごとはできるだけ触れたくないという事情もあると思います。

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(画像はチベット大縦走 2013.9.16撮影) 同じく「河口慧海日記」によると、慧海はネパールのマルファ村を出発して9ヶ月後の1991.3.21にラサに着きました。ラサではポタラ宮をはじめ私たちも訪れた有名な寺院にも訪れています。ポタラ宮では1991.7.20にダライ・ラマ13世(現在のダライ・ラマ14世は1935年生まれ78歳:インドに亡命中)に謁見しています。チベットに密入国して以来ラサに至るまで、ダライ・ラマに次ぐ二番目の活仏とされるパンチェン・ラマにも謁見しています。密入国者という身分を隠しながらもその行動はかなり目立つもののようでありました。しかしポタラ宮でも慧海の “えの字” 一つも見あたりませんでした。

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マリユン・ラ(画像は「遥かなるチベット」より転載 マリユン・ラからチベット側を望む)

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国境(画像は「遥かなるチベット」より転載 プランからコ(ル)チャ村へ向かう途中から眺めたチベット・ネパール国境に連なる山々)

慧海がネパールからチベットに入ったルートは、「遥かなるチベット」の著者根深誠氏が推測しているもののいまだに不明です。それは慧海の密入国をサポートした人たちが罰せられることを怖れて慧海が一切明らかにしなかったためです。

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そして私たちが見た世界は、ほぼイメージしていたチベットの風景でした。大きな丘の麓にできた集落に慧海は立ち寄ったかもしれませんし、国境を越えてチベットに入ったときに同じ風景を見たかもしれません。「河口慧海日記」の「日記に基づくヒマラヤ・チベットの旅」に照らして今回の旅を振り返ってみると慧海の軌跡と私たちが辿ったルートはいたるところで交差していることがわかり、感慨深いものがあります。

密入国者という立場ながらダライ・ラマ13世や第二の活仏に謁見したり、村々では説教したりかなり目立つ派手な行動だったようです。にもかかわらずチベットでは慧海については一切触れられていません。海外で高い評価を受け、ネパールでは慧海の痕跡が大事に保存されているのに比べて対照的です。密入国者という立場を考えれば当然ともいえますが、100年も前のことでありとっくに時効になってもいいのではないかとも思うのですが。しかし一方現在の統治国中国にしてみれば、100年前とはいえ現在微妙な状況にあるチベット自治区に日本人がチョロチョロ歩きまわり、ダライ・ラマやパンチェン・ラマに謁見したということは目障りなできごとなのかもしれません。

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(画像はチベット大縦走 2013.9.21撮影) 慧海がラサに到着して1年2ヶ月経ったとき、日本人(密入国者)であるという身分がばれ始め、ラサからインドへの最短ルートを通って慌てて脱出したとのことです。もしかしたらダライ・ラマ14世がインドに亡命したルートも同じだったかもしれません。

今にして思えば、チベットに出かける前に冒頭の「河口慧海日記」を手にしておけば、同じチベットの風景を見てももう少し色合いが違っていたり、感慨が違ったものになっていたかもしれず、ちょっと後悔しています。しかしこうして「河口慧海日記」を読んでいると、改めて「チベット大縦走」で“中ネ公路”を疾走して目にした風景の数々が思い出されもするのでした。

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2013年11月17日 (日)

チベット後日談 エベレストとチョモランマ

チベット大縦断の旅が終わってから間もなく2ヶ月になろうとしています。その間、手頃な山に登ったり温泉に入ったり紅葉を見たりしました。そんな時間の経過がまるで熟成期間であったようにチベットについてのあれやこれやが頭に浮かんできました。チベットとは一体何だったのかを整理し、綴ってみました。

チベットの旅の最大のハイライトは世界一の高峰を間近に見ることでした。その名は英称゛エベレスト゜、中国名は゛チョモランマ゜、さらにネパール語では゛サガルマータ゜と呼ばれています。今回の旅でネパール側からとチベット側からエベレストを見たいという夢が叶いました。それではネパール側とチベット側とでは何がどう違うのかということを考えてみました。

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最も大きな違いはエベレスト間近(例えばベースキャンプ)までのアプローチの違いです。一言でいえば、ネパール側からは歩いてしか行くことはできません。その道のりはエベレスト街道の起点ルクラからおよそ一週間くらい高度順化しながらのトレッキングです。そのために装備や食料などの物資を運ぶためにポーターやヤク、ゾッキョなどのサポート隊が必要となります。

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目的地に着くまでの過程は高度を上げるごとに空気は薄くなり、寒さも厳しくなりました。しかし不思議となんでこんな所に来てしまったのだろうという後悔を感じることはあまりなく、気持ちは前向きでした。

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長く厳しい道のりを耐えることができたのは、今まで見たことのない風景が目の前に現れ、自分の人生の中では最も過酷な環境の中にいるという感動を味あうことができるからかもしれません。

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一方チベット側からは車でしか行くことはできません。どんな高所でも舗装道路が整備され、特に上海とネパール国境の間には ゛中ネ公路゜という大動脈が走っています。

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中ネ公路やチョモランマへの脇道を、私たちが乗ったバスは縦横無尽に走りまわり、窓外に展開される豪快な光景を体力の消耗なしに楽しみことができました。

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かたや歩いて、かたや車という移動手段の違いは物資の運搬手段も異なり、結果として宿泊施設と食事の違いとなってあらわれました。エベレスト街道のロッジや食事を振り返ってみますと、よくこんな生活をしたもんだと改めて感動してしまいます。前向きに考えればこの非日常性が旅の醍醐味かもしれません。

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チベットツアーではほとんどがホテル宿泊でしたが、標高が高い場所ではさすがにホテルというわけにはいきませんでしたが、それでもエベレスト街道のロッジに比べれば天国であり、また食事もごく普通の中華料理でした。

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エベレスト街道では、例えば目的地のカラパタールへは近づいているはずなのに重い足どりで非常に遠く感じ、近づいてきたエベレストの周りには護衛兵のようにヌブツェ(7,861m)やローツェ(8,501m)が脇を固めているように見え、間近に見た夕陽が当たった頂は威圧的でした。

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チベット側のチョモランマへの最後のアプローチは、専用バスに乗り換えてさらに数十メートルの丘を上れば優しげにも見える姿を現し、あっけない目標達成でした。

ネパール側から見たエベレストは厳しく誇り高く見え、チベット側からのチョモランマは優しげにも見えました。これは地形的なものにもよると思いますが、気象条件も大きく左右しているものと思います。ネパール側からのアプローチでは凍傷にかかるのではないかと思うくらい寒く感じました。歩いてと車とによるアプローチの違いによる感激度は異なるものも、それぞれ楽しいものでした。

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2013年11月11日 (月)

富士周遊 お中道

11/5(水)、ホテルマウント富士で宿泊して一夜が明け、前日に続いて天気も良さそうで、まっすぐ帰るのはもったいないので今年初めての「お中道」に行きました。

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とりあえずは富士山五合目の手前を目指して富士スバルラインを走りました。すっかり色づいた道路の両脇の樹を見ながら走るだけでも楽しいのですが、時々目の前にのしかかるように姿を現す富士山を見るのも楽しく、こんな時には通行料金2,000円の元がとれた気分でした。

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「お中道」は富士山の中腹(富士山五合目くらい)をぐるっと一周するトレッキング道で、現在は大沢崩れから先へは行けなくなっていますので全体の1/4くらいの距離となっています。私たちは奥庭駐車場といわれているスポットの少し先に車を置いて歩き始めました。

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スタートは距離500mの上りとなっていて、その後は標高2,400mくらいの天空の道となっています。ルートは大沢崩れ方向と五合目方向へと二つあり、私たちは五合目方向に向かいました。右手に富士山、左手に雲海や遠くに南アルプスを見ながら歩ける豪快な道です。この時間帯は富士山の真上に太陽があり、真逆光のため写真は撮れませんでした。

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平坦な道を20分くらい歩くと林道のような雰囲気となり、風雪の厳しさと闘っている自然の姿を見ることもできます。一方季節によってはシャクナゲやコケモモの花を見ることもできます。

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歩き始めて1時間くらいで五合目に着きました。とっくに登山シーズンは終わっているのですが、観光客で賑わっていました。お中道歩きは五合目をスタートすれば上りがほとんどなく最も楽なスタート地点となります。

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五合目の近くにある観光バス駐車場にはたくさんのバスが集まっていました。バスの向こうには雲海と南アルプスを見ることができました。

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五合目で一休みしてもと来た道を引き返しました。帰路は左手に富士山、右手に南アルプスを見ながらのトレッキングとなります。南アルプスはっきりと見ることができ、まるで雲海の海に浮かぶ島のようでした。

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眼下には、五合目の駐車場に入りきれなかった観光バスが待機していました。

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行きは富士山の真上にあった太陽も少し傾き、ようやくカメラを向けることができました。お中道は富士山を間近に、いろいろな角度から見ることができる絶好のポイントでもあります。

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お中道から見る富士山の頂は、ズームアップしたレンズを通して見るとこれが富士山かと思いたくなるような姿をしていました。

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午後自宅に戻る途中「道の駅須走」でお気に入りの「富士錦」という日本酒を二本購入し、先週の「大内宿」という日本酒と合わせてしばらくは旨い酒を楽しめそうです。

好天に恵まれ、富士山と温泉と紅葉を楽しんだ二日間でした。これで気分よく寒い季節と忙しくなりそうな仕事に立ち向かうことができそうです。いつもそうなのですが、海外特にヒマラヤから戻ると日本の自然の美しさと温泉のありがたさを実感するのです。

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2013年11月10日 (日)

富士周遊 ホテルマウント富士

11/5、富士山ビュー登山と紅葉狩りの一日が暮れて、山中湖から自宅まで1時間ちょっとで戻れるのですが、今回は初めて「ホテルマウント富士」に泊まりました。山中湖に縁があって20年前に湖畔のマンションを購入し、以来テニスや後年は富士登山のベースに使っていました。そのために「ホテルマウント富士」に宿泊することはなかったのですが、今夏どうしてもそのマンションを譲ってほしいという人が現れ、最近は利用頻度も少なくなってきましたので手放しました。20年間、一度どんなホテルなのか泊まってみたいと思っていて、今回その夢が叶いました。

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フロントやロビーは、重厚ではなく軽薄でもなくリゾートホテルにしては落ち着いてシックでした。もう少し老朽化しているかなと思っていましたが、富士山ブームもありおそらく何回かリニューアルされているものと思います。

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部屋はちょっと手狭な感じでしたが、それなりに寛ぐことはできました。

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部屋からはど~んと富士山が見えるかなと思っていたのですが、全室山中湖を見下ろすロケーションでした。窓からは眼下に20年間ベースにしていた湖畔が見え、寂しいような、これで好きなところに泊まれるという開放感とで複雑な気持ちでした。

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山中湖を見下ろす高台のホテルですが、近くにある温泉「紅富士の湯」と同じ温泉をひいているとのことで、「満天星の湯」という露天風呂には何回も入りました。

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ホテルの前の庭園にはたくさんの人が富士山に向かってカメラを構えていました。聞けばクラブツーリズムというツアー会社のカメラ愛好家のツアーだそうで、夕暮れの富士山を狙っているとのことでした。

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日が暮れて庭園とは反対側に出てみますと富士山はシルエットになっていて、結局この日は一日中雲がかかることはありませんでした。

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夕食は何年ぶりかのフランス料理で、オードブルをはじめ久しぶりの美味を堪能しました。

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翌朝、富士山の白い頂を見てチェックアウトしました。

20年間、湖畔から見上げていたホテルに初めて宿泊しました。一番印象的だったのは客層がいいということで、それが居心地いい気分にしてくれました。私たちと同じようなシニア層が更に高齢の親をいたわっている親子連れ、中年あるいは若い女性の二人連れ、まれに子供連れのファミリーなど、通路で出会えば言葉を交わしたり黙礼したり、朝食バイキングでは譲り合ったり、決してお高くとまらず控えめな心遣いが感じられました。おそらく一度は大切な人や気のおけない友と富士山が見えるホテルに泊まってみたいという人たちだと思われました。料金はそれほど高くなく、ホテル自体はごく普通のホテルですが、何かの記念日やたまにゆったりとした気分を味わいたい時には泊まってみたいホテルでした。

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2013年11月 9日 (土)

富士周遊 紅葉祭

11/5、久しぶりに石割山平尾山大平山の富士山ビューゴールデンルートを歩いた後、時間がありましたので山中湖と河口湖の紅葉を見に行きました。

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山中湖の湖畔では樹々がすっかり色づいていました。今年は紅葉がイマイチということですが季節はきちんと移ろっていました。

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湖畔に出てみると今晩の宿ホテルマウントフジを望むことができました。

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夕方までまだ時間がありましたので河口湖に廻ってみました。ここの湖畔も晩秋の気配で、冬を迎える前の燃え尽き症候状態でした。

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今まで気がつかなかった一角に行ってみると「黄金の七福神」とか。面白半分で近づいて、参拝するのも心の裡を見透かされるようで悔しいし、参拝しないで帰ると損をするような、参拝すればいいことありそうな気がして結局手を合わせてしまいました。何と欲深くて心弱いものか・・・。カミさんは知らん顔して近づきもしませんでした。

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日が暮れてから再び山中湖に戻り、ライトアップされた紅葉を見ました。

この日は石割山から始まって山中湖、河口湖と富士山を見ながら紅葉狩りもしてしまった一日でした。やはり山の中で自然に見る紅葉が一番美しいと思いました。紅葉を見過ぎて、自分の目が紅に染まってしまったようでした。

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2013年11月 8日 (金)

富士周遊 平尾山~大平山

11/5、山中湖近くの石割山に登った後、富士山を見ながらさらに平尾山そして大平山を目指しました。

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石割山から、富士山の手前の平尾山へと向かいました。

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一つの山から次の山に登るためにかなりの急斜面を下りました。かなり足場も悪いために以前は張ってなかったロープをつたって慎重に下りました。

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富士山に向かって真っ直ぐに向かうルートですので視界が開けた場所では富士山を眺めることができます。富士山に雲がかかることなく、青い空に白い山頂が浮かんでいました。

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登山口を09:00頃出発して約1時間半で平尾山1,318m)の山頂に着きました。この日は陽気が暑く、かなり汗をかきましたので久しぶりに汗止めで頭にバンダナを巻きました。

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富士山に向かって真っ直ぐに3つめの大平山(1,295m)に向かいました。再び山を下り登り返えしを何回か繰り返しました。カミさんも少し重めの体を苦にすることもなく黙々と山歩きを楽しんでいました。

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アップダウンの合間に比較的平坦で見通しのいい道もありますので富士山を見ながら快適に歩くこともできます。

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出発して2時間半近くで大平山山頂に着きました。気温はかなり上がって好天気で、こういう気候の時は突然雲が湧き上がってくるのですが、夫婦揃って晴れ男、晴れ女のジンクスは今回も通用したようでこれ以上ないような天気でした。

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大平山からさらに先に向かうルートもありますが、ここから先は富士山は見えなくなりますし駐車場に戻らなければなりませんのできたときとは違う道を引き返しました。

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駐車場への下山ルートは富士山は見えませんが、足の裏に落ち葉の感触を感じながら楽しい山道でした。カミさんはゆっくりとしたマイペースで、そのペースで富士山に10回登っていて、忍耐力だけは負けてしまいます。

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出発して4時間かかって駐車場近くに戻りました。時間的にも無理なく楽しく歩けるコースです。

富士山のビューポイントはたくさんありますが、山中湖に沿うように連なっている石割山平尾山大平山の3つの山を歩くコースはゴールデンポイントだと思っています。今年初めてでしたが好天気に恵まれ、富士山の美しい姿をたっぷりと眺めることができました。次回は全山が白く化粧したときに行きたいと思っています。

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2013年11月 7日 (木)

富士周遊 石割山

11/5、久しぶりに富士山を見に1泊2日の山歩きに出かけました。場所は近場の山中湖周辺の石割山に向かいました。

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08:30に石割和間登山口の駐車場に到着しました。駐車場には既に何台かの車が駐まっていました。

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駐車場で朝食と身支度を調え、09:00に登り始めました。石割山登山道は石割神社の参詣道にもなっていますので登山道の入口には鳥居があります。

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最初に一番目の難関の403段の石段があります。どんなに寒い時期でもこの石段を登り切る頃には体は汗ばんできます。

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最初の難関をクリアするとしばらくは緩やかな上りとなりますので、朝の清々しい空気を吸いながらのんびりとした山歩きとなります。

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途中、樹々の間から富士山を眺めることができます。春先には桜の蕾の先に富士山を見ることができます。雲一つない青空ですが裾野に一筋の雲が浮いていてこれがくせ者で、頂上に着く頃に富士山を隠してしまうこともあります。

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石割神社に着きました。その名前の由来になった大きな石に割れ目があり、そもそもこの大きな石がどうしてここにあるのか不思議です。とりあえずここで参拝して小休止しました。

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石割神社から頂上への山道が第二の難関でかなりの急斜面があったり、自分の背丈ほどの段差があったりとちょっとエネルギーを使います。

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1時間弱で石割山頂上1,413mに着きました。富士山は先日初雪が降りましたので頂上から九合目あたりまでが白くなっていて、心配した五合目あたりの一筋の白い雲はじっとしていました。

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富士山の頂上をズームしてみました。今年7月の登山八合目でリタイア以来間近に見る姿でした。

9月にチベットに行く直前に膝を痛めてしまいチベット行きも延期しようと思ったのですが、先週の安達太良山で膝も何とか回復しつつあるようでしたので思い切って富士山ビュー登山に出かけました。

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2013年11月 4日 (月)

福島紀行 会津西街道

10/30(水)、帰路の途中「大内宿」に寄り道した後、会津西街道を南下しました。

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会津若松市から横浜の自宅まで戻るには、当初は最寄りの会津若松I.Cから高速を利用していたのですが、ある時「会津西街道」というルートがあることを知り、以来このルートを利用しています。

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高速道路を利用すれば1時間くらい早く自宅に戻ることができるのですが、「会津西街道」を利用すれば素晴らしい光景を楽しみながら高速料金も半額ですみます。

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次から次へと風景は変わりますし、日本の豊かな自然を楽しめます。日本の国土面積の2/3は森林で、森林率は7割と先進国の中ではトップといわれています。川も3万本くらいあるそうで、水資源を含む自然の豊かさも世界でもトップクラスといわれ、こんな国に住めることはありがたいことです。

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会津西街道はその名の通り街道ですのでところどころに宿場町があります。かつての宿場町は現在は小さな街となっていたり集落となっています。

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会津西街道と並行して会津鉄道というローカル線が走り、また阿賀川も流れていて、その阿賀川を渡ります。

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山里を走るときには、畑ではどんな作物を植えているのか、田圃の稲刈りがすんだのかとかキョロキョロしてしまいます。

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街道沿いには道の駅や今の時期ですと椎茸類を売っている店などがあり、そういう店を覗くのも楽しみです。さまざまな野菜や果物など自然の恵みが並べられていて、地方は贅沢さえいわなければ結構豊そうに思えます。リンゴが美味しそうで買ってしまいました。

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会津西街道は、会津若松から日光までのルートでやがて日光街道となります。途中、川治温泉、鬼怒川温泉などの温泉街を走りますので、観光気分に浸れます。

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日光市内を走り抜け、今市I.Cから日光宇都宮道路、東北自動車道、首都高速道路、東名高速道路と順調に走り、渋滞にも遭わずお昼過ぎに自宅に戻りました。

安達太良登山に始まり、稜線を歩き、自然遊歩道を歩き、温泉に入り、江戸時代の街並みが残る宿場を訪れ、会津西街道で自然の中を走り抜け、たっぷりと日本の自然と日本情緒に浸りました。これでスッキリと晩秋から冬に向けての心の準備ができました。できれば毎年この時期に訪れたいものです。

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福島紀行 大内宿

10/30(水)、会津若松市の「庄助の宿」で心身共にリラックスしリセットし、帰路の途中「大内宿」に寄り道しました。

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大内宿は、会津西街道から5kmくらい脇道を外れた里山にある集落です。最近山があって人が住んでいて畑がある “里山” のある風景に興味をもっています。

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大内宿を訪れるのは今回が初めてです。東海道や中仙道を歩いたときにはたくさんの宿場を見ましたし、京都と小浜市とをつなぐ「鯖街道」にも宿場はあり立ち寄ったりするのですが、こういう宿場は久しぶりでした。

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朝早い時間に訪ねましたので、白い雲が湧き出していました。これは天気がよくなり、気温が上がる前兆と思われ、1000m級の奥羽山脈に囲まれた盆地特有の現象です。このあたりは豪雪地帯でもあります。

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ここの名物「ねぎそば」は、TVの旅番組などでも見たことがあり、ねぎまるごと1本を箸代わりに使ってそばを食べるというものです。残念ながら朝食を食べたばかりでしたので今回はパスしました。

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この大内宿は江戸時代は「半農半宿」だったそうです。各家屋は寄棟造で、面白いのは自宅の軒先というか縁側のスペースだけを店先として商品を並べて、他は居住スペースになっていますのであまりコストがかからずに商売ができるということで合理的です。

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朝食につきたてのお餅を大根おろしでしっかりと食べましたのでお腹は空いていなかったのですが、好物のソフトクリームが美味しそうでしたので食べました。とても美味しかった。

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「大内宿」というブランドのお酒の醸造元でしょうか、そそられました。

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すぐそばでいろいろなお酒を売っていました。一番人気は「大内宿」というブランドで、騙されたつもりで買いました。帰宅して晩酌で飲んだところとびきり旨く、混じり気がないというかピュアでありながらコクがあり、酒の肴がなくてもこれだけでいくらでも飲めそうでした。会津地方に行く楽しみがまた一つ増えました。

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小高い丘に登って宿場全体を見ました。ほとんどの家が萱葺き屋根の古民家風で、豪雪に対処して、豪雪に耐えられる構造になっているようです。雪の降る頃は生活は大変だと思いますが雪景色も情緒がありそうです。

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ここに着いた頃は駐車場はガラガラだったのですが、いつの間にか観光バスがたくさん駐車していました。

いつもは素通りしていた「大内宿」は、想像以上に居心地のいいところでした。里山にあり、かつては「半農半宿」とのことですが、今は「半農半商」かもしれません。自然と共生して、生活と商売が両立して、こういう山奥にある里山の集落が元気で賑わいがあるということは何となく嬉しいものです。「大内宿」というブランドの酒も気に入りましたし。

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2013年11月 3日 (日)

福島紀行 庄助の宿

10/29(火)、安達太良山登山で晩秋モードに気持ちを切り替え、二本松市から会津若松市へと向かいました。

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宿泊は会津若松市東山温泉で、開湯1300年の歴史があり、東北三楽郷の一つといわれ渓流に沿って30の旅館が軒を並べています。土方歳三、与謝野晶子、竹久夢二などがしばしば訪れたことがあるそうです。

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30ある旅館のうち宿泊したのは「庄助の宿」で、安達太良山や磐梯山登山の時はできるだけここに泊まることにしています。「庄助の宿」という名前は、小原庄助が贔屓にしていてよく利用していたことにちなんでつけられたそうです。渓流沿いにあり、見事な瀧に面していて「瀧の湯」ともいわれています。

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前回は2010年の7月と10月に泊まりました。とても落ち着ける宿で気に入っているのですが、東日本大震災(2011.3.11)によってしばらくは客足が途絶えたそうです。今回はなかなか予約が取れず、それだけ復興しつつあり景気もよくなっているようでよかったなあ!と思いました。

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チェックイン手続きをしている間に、このカウンターでお茶をたててくれ、おもてなしの準備をしてくれます。

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チェックイン手続きの間、お茶と和菓子と杯が用意され、お酒はよく冷えた日本酒を杯でいろいろ試飲することができます。またこの日本酒は温泉の浴室にも置かれていて、温泉に浸かりながら飲むことができます。

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渓流を挟んだ対岸には「花舞台」が設えてあります。日が暮れる頃にはライトアップされ、午後9時から昔話や舞いが披露されますが、大抵食事をしているか温泉に浸かっているか飲んでいるかであまり見る機会はありません。

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部屋への通路も部屋も飾り気がなくとてもシンプルです。

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小原庄助さんが浸かった湯船だそうです。小原庄助さんという人は“朝寝 朝酒 朝湯が大好きで” で知られていますが、実在の人物でちゃんとお墓もあり、実際に奥の細道を歩いたときに見たそのお墓は徳利と杯の形をしていました。

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山登りを終えた後、温泉に浸かるのは極楽です。渓流沿いにいくつかの温泉があり、急流や滝を眺めながらの露天風呂は何回入っても飽きません。

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湯上がりには無料のビールかところてんが無料サービスされます。チェックインしてすぐに温泉に入り、食事前にも温泉に入りと、その都度ビールを飲むとかなりほろ酔いになります。決して無料ビールを飲むために温泉に入るわけではありませんが。

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今回は最も安い宿泊プランを利用しましたので食事もそれなりでした。どういうわけか冷酒が無料サービスでつきましたので白ワインをボトルでオーダーし、料理は馬刺しのユッケをオプションで追加オーダーしました。

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朝食はビュッフェ形式で、好きな料理をお盆に盛り付けます。メニューは地産地消の地元料理でそれぞれがとても美味しく、欲張ると食べ過ぎてしまいます。ご飯の代わりにつきたてのお餅を大根おろしで美味しく食べました。

久しぶりの「庄助の宿」は、最も安い料金プランだったために夕食はイマイチでしたが、朝食は美味しく、何より温泉にゆっくりと入って寛ぐことができました。海外から帰ってくると、特にヒマラヤのような自然条件が厳しいところから帰ってきたときは、一度温泉にゆっくりと浸かってリセットしないと体がシャキッとしません。そんなときは「庄助の宿」のような落ち着いた宿はうってつけの宿なのです。

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2013年11月 2日 (土)

福島紀行 晩秋の道

10/29(火)、安達太良山の山頂から稜線を歩いて「くろがね小屋」まで下山しました。「くろがね小屋」から車を置いてある登山口まではかなり距離のあるダラダラとした下りの道です。

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くろがね小屋から駐車場まではかなりの距離があります。ちょうど紅葉のシーズンにあたれば紅葉が見事で、ひそかに “紅葉の道” と名付けたのですが、今シーズンは紅葉が鮮やかでないのかシーズンを外れたのかあまり期待できそうもありませんでした。

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それでも山は色づき、冬を迎える準備をしているかのようでこういう光景を眺めながらのんびりと歩くのもいいものです。

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秋から冬への気配を感じつつ、自然を感じつつ歩くのも心が安らぎました。

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もう午後の1時近くにこの道を女性が一人で歩いてきました。安達太良山に登るには時間が遅すぎ、多分くろがね小屋までのこの道を歩いていると思われ、そういえばこの道を歩くだけでも価値がありそうです。

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山の斜面は紅葉や枯れた葉、常緑樹の緑色があいまって、日本の繊細で豊かな自然がありました。

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こんな山道を落ち葉を踏みしめながらのんびりと歩くのは久しぶりです。もし絵心があればスケッチしたくなるような晩秋の道でした。

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ところどころ盛りを過ぎたと思われ、最後の力をふりしぼって命を終える前に真っ赤に燃えつきようとしている自然の営みのようです。

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紅葉と黄葉の道を歩いていると、気持ちは晩秋モードへと切り替わりました。

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9:40頃に登り始め、14:30頃駐車場に戻りました。磐梯山を眺めながらこの日の宿泊先は会津若松市東山温泉へと向かいました。二本松市から会津若松市までは高速で行けるのですが、高速料金がもったいないし味気ないので一般道をゆっくりと走りました。

チベットから戻って1ヶ月ちょっとが経過しても気持ちが落ち着かず、秋から冬を迎えようという気持ちの切り替えができませんでしたが、日本の色彩豊かな自然に接してようやくリセットできました。

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2013年11月 1日 (金)

福島紀行 稜線歩き

10/29(火)、安達太良山の頂上まで上った後、登ってきた道とは別ルートで稜線を歩きながら下山しました。

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安達太良山(1,700m)はあちこちに稜線が延びていて、その先には鉄山(1,709m)や箕輪山(1,728m)などほぼ同じような高さの山が連なっていて、それらの山へと続くあの稜線をこれから歩くと思うといつもワクワクします。

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早速小高い山が立ち塞がるように聳えていました。

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稜線歩きの楽しさは展望が開けていることで、遥か彼方の眼下や、眼下が雲で邪魔されてよく見えなくても晴れていれば青いグラデーションの空を見てるだけで楽しいものです。

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この安達太良山系の山歩きはお好みでおもいおもいのルートを歩くことができ、私が小高い山に登っている一方でカミさんは急登の道を避け、楽な道をのんびりと歩いていました。

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稜線の左手、西の方角には硫黄で山肌が露出している山と谷があり、風向きによっては硫黄ガスが吹きつけこのルートへの立入が禁止されるときもあるそうです。この日はほぼ無風状態でしたが、それでも硫黄の匂いはかなり漂ってきていました。

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稜線の割には広い道が続いていて、天空の散歩道です。

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ルートのとり方によってはちょっとした岩場によじ登ることもできるのですが、見ているだけで足がすくみました。

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安達太良山からの稜線をかなり歩いた後、ようやく下山の道に出ました。岩や瓦礫がゴロゴロしていてかなり歩きにくい道でした。

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要所要所に標識があり、また岩には日の丸のような目印もついているのですが、はっきりとした下山道があるわけではなく、どこでも歩けるような広い道ですので、ガスってくると目印がわからなくなりますので天候が悪化したときには要注意です。

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山の斜面は、ところどころ紅葉のような冬枯れた葉のような状態で、鮮やかではありませんでしたがそこだけが淡く燃えているようでもありこれはこれで風情がありました。

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登り始めてここまで3時間近く経ち、お腹が空きましたので携行食とミカンを昼食代わりに食べました。盆地の底のような場所でしたので風はなく、気持ちいい食事と休憩の時間でした。

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下山道の終点にある「くろがね小屋」です。鄙びた山小屋ですが、温泉が有名で地元の愛好家に愛されているそうです。

安達太良山は頂上までの登山も楽しいのですが、山頂からの稜線歩きは天候にさえ恵まれれば低山の割に豪快な景色を眺めることができ、楽しい道です。

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