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2013年12月30日 (月)

ゆく年くる年 このシーン

今年は、海外はパキスタン・フンザとチベットに、国内は春は岬めぐり、夏から秋にかけては富士山が見える周辺の山や定番となっている温泉登山などに出かけました。さまざまな景色を見て、そのうち黙っていても思い浮かぶいくつかのシーンがあります。

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4/10 長年憧れていたパキスタン北部のフンザ、 “最後の桃源郷” といわれる場所はどんな処だろうかと興味津々でした。花が咲き乱れ、木の実がたわわに実り、昔ながらの生活を守る人々の暮らしは穏やかで・・・と、まあこんなイメージを抱いていました。フンザ地域での数日間の滞在で目にしたシーンはそのイメージ通りでほぼ納得していたのですが、ツアーの皆さんと離れて村の中を散歩している時に若い女性たちの集団に出会いました。何かの習い事の帰りと思われる集団は、私を見かけると大きな杏の木の下に暗黙のうちに集まって、言葉を交わすこともないまま私の方を見てくれました。彼女たちの下校時間と私の散策のタイミングがピッタリとマッチした夢のような瞬間でした。今でも目をつむるとこの時の情景が浮かんできます。

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宮本輝の小説で映画化された “草原の椅子” はフンザを舞台(ロケも行われました)にした人生再生の物語でした。たまたま手に取った “海の森” は人間再生の物語でした。本文中に一ヵ所まるで映画のワンカットみたいにフンザが取り上げられていました。 “フンザは長寿の村で、150歳だなんて老人がたくさんいて、畑仕事をしています。いろんな花がいつも咲き乱れていて、あんずや桑の実が豊富で、カラコルム渓谷の中の、まさに桃源郷です。村人たちは穏やかで、生まれたときから世界の名峰・ウルタルをあおぎ見て育って・・・。” と紹介されていました。

杏の花の下の彼女たちはこの寒い時期どのように暮らしているのだろうかと想いを馳せてしまいます。何年かしたらこの写真を持ってこの村を訪ねてみたいとも思っています。

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9/20 ネパール側からヒマラヤやエベレストは何回か見ることができましたが、ネパール側からは日本人が入域禁止できない期間があったりタイミングが合わなかったりしてなかなか機会に恵まれませんでした。4月に日本人の入域が解禁されましたので9月にチベット行きを決意しました。ヒマラヤでは9月は雨期が終わりかかる時期でチョモランマを見るにはあまりいい時期でなく、可能性5割と腹をくくっていたのですが、前日までの雲がすっかり取り払われ雲一つない偉容を間近で見ることができました。専用バスを降りて最後の100mたらずの展望台に上るのに多少息切れがしましたが、数分であっけなくベースキャンプに辿り着いてしまいました。長期トレッキングのネパール側からと比べると感激は少なかったのですが、念願叶った充実感は “もうヒマラヤはこれで満足” というものでした。

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チベットツアーは、チョモランマを見ることを含めて全ての目的が達成されたのですが、チベットのイメージはモヤモヤしていたままでした。たまたま手にした “聖地チベットの旅” は2013.9に発刊されたものですが、内容は1997年のチベット紀行でした。本文中には “チベットはすっかり変わってチベットではなくなった” という記述があり、以来16年の歳月は更にチベットはチベットでなくなったのも当然であり、やはり短期間の上っ面のイメージにしてももうチベットではないという私の印象は間違いでなかったと納得できたのですが、それはそれで悲しいことです。

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四国巡礼や東海道・中仙道などの街道歩きから始まったテクテクも、ここ数年富士登山や近場の丹沢・大山などの高地歩きやツールド・モンブランやエベレスト街道などの海外トレッキングなどの機会が多くなりました。近場の山歩きの中では、ある程度歩き応えがあり、景色も楽しめ達成感があるのが丹沢山系の山登りです。蛭ヶ岳(1,673m)、丹沢山(1,567m)、塔ノ岳(1,491m)のどこまで行くか、上りルートと下りルートの選択など選択の幅が多いのも楽しみです。長い登りの時に見上げる青い空、途中の富士、山頂の富士など見どころが多いのも辛い登りを癒してくれます。12/8に登った塔ノ岳は、今年最後の登山、登り納めでとても充実したものでした。

あと数日でこの年も終わり、また新しい年が始まります。富士登山は真夜中に登り始め、明け方空が明るくなり御来光が顔を出して新しい空気の新しい一日が始まります。同じように新しい空気の新しい一年が始まろうとしています。さてどんな一日一日が積み重なってどんな一年になるのでしょうか。そんな一年一年が積み重なってどんな人生になるのでしょうか。

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2013年12月29日 (日)

ゆく年くる年 11月 ホテルマウント富士

秋も深まって、富士山にも初雪が降ったりして冬がひたひたと迫ってきた11月でした。

 

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11/23 今年は紅葉がイマイチといわれていてあまり期待していなかったのですが、大山の紅葉は真っ赤に燃えていました。

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11/5 今年の9月に、長年テニスや富士登山のベースにしていた山中湖畔のベースを譲ったことは我が家にとってはビッグニュースでした。ベースを失った見返りとしてホテルマウント富士に泊まりました。

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ホテルマウント富士の窓からは山中湖と湖畔を見ることができ、いつも湖畔から見上げていたホテルの窓から湖畔を眺める気分は寂しいような複雑な気分でした。

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ホテルでの食事前に、陽が沈んだ湖畔をドライブしました。

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翌日、お中道から富士山を間近に見ました。今年1回だけチャレンジしてリタイアした富士山でした。お中道からですとさっさと登れそうに見えました。

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お中道から見た富士山頂はところどころうっすらと雪が積もっていて、山頂からも他のどこの山からも見ることができない景色でした。

2013年は、一度も山頂に立てませんでしたが、富士山に始まり富士山で終わりつつある1年です。

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2013年12月28日 (土)

ゆく年くる年 10月 ほんとの空

チベットツアーを終えて日本の山が恋しくなり、10/29から一泊二日の日程で秋の紅葉・黄葉シーズンに恒例となっている安達太良登山に出かけました。

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安達太良山は、処によっては大きな岩がゴロゴロしていますが標高1,718mで比較的登りやすい山です。この山は高村智恵子の智恵子抄で “ほんとの空” と謳われたことで有名です。

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山頂は、お椀を伏せたような変わった形をしていて、このお椀の周りには風の通り道になっていていつも強い風が吹きつけています。

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山頂の空にも稜線の空にも“ほんとの空” が広がっていました。

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山頂から続いているむき出しの肌の稜線は、見晴らしがよく快適な稜線歩きが楽しめます。

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登山道とは違うルートの下山道はなだらかで、黄葉のトンネルを歩いて、深まりゆく秋を感じることができる楽しい道です。

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無理をすれば日帰りも可能ですが、日本の秋の山を楽しんだ余韻に浸りたく、この日も定宿になっている “庄助の宿” に泊まりました。

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“庄助の宿” はその名の通り、酒をこよなく愛した小原庄助ゆかりの温泉宿で、チェックインの時に試飲できますし、風呂場にも酒が置いてあり、風呂上がりにビールがサービスされます。酒飲みにはたまらない宿ですが、雰囲気やおもてなしもなかなかのものでお気に入りの宿です。

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“庄助の宿” に宿泊した翌日は、初めて“大内宿” に立ち寄りました。雰囲気がよく、昔ながらの街並みがそのまま残されていてそぞろ歩きが楽しめました。

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地酒が造られていて、お土産に買いました。今年飲んだ酒では一番旨かったです。

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宿場全体を見渡せる小高い丘に登りました。雪の頃に来たらとても雰囲気がいいだろうなあと思いました。

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できるだけ高速道路を使わず “会津西街道” を走って帰ることにしていて、秋らしい風景を見ることができました。

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“会津西街道” は、山あいや山里や田畑が開けている道を走るとても楽しい道です。

安達太良登山は比較的簡単に登れますし、登山というよりも稜線歩きや緩やかな山道を歩くことができ、トレッキング気分で秋を楽しむことができます。心地良く疲れた身体を落ち着いた宿の温泉に浸って、美味しい酒と肴をいただくちょっと贅沢な温泉登山です。

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2013年12月27日 (金)

ゆく年くる年 9月 チベット

ここ数年さんざん迷っていたチベットに行きました。昨年から今年の3月まで日本人はチベット入りを禁止されていましたが、4月から解禁となり、今後いつ行けるようになるかわかりませんので思いきりました。9/12に成田を出発し13日間のツアーでした。

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9/13 蘭州から西寧に向かう山の中に切り開かれた高速道路、突如現れたマンション群には圧倒されました。人里離れた山の麓に建てられたこんなにも多くの高層マンション、一体誰が住むのでしょうか。

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9/14 グルク派六大寺院のひとつタール寺で早速五体投地にお目にかかりました。最初は痛々しく感じられましたが、いたるところで見かけるようになると少しは慣れてきましたし、信仰についても考えさせられました。

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9/14 西寧を15:05に出発しラサ着は翌日の14:35、ほぼ丸一日高原や山の中を走り抜ける青蔵鉄道は、一度は乗ってみたいと思っていました。長時間の乗車でしたが軟臥席(定員4人の2段ベッド・コンパートメント)は快適でしたし、標高5,000mの高地も特に問題なく、さまざまに移り変わる景観も楽しめました。美人の車掌さんは写真OKで、そうでない車掌さんはNOだったのが印象的でした。

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9/16 侵略されたチベットのシンボルともいえるポタラ宮は抜けるような青空を背にして聳えていました。主のいない館の内部には、きらびやかに装飾を施された歴代ダライ・ラマの柩をはじめ多くの宝物が収められていました。世界中の観光客が訪れる観光施設になってしまい、かえって荘厳な姿と青い空は痛々しくもありました。

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9/17 ラサ市内の目抜き通りで見かけた国旗でした。以後チベット自治区に入っていたるところで見かけました。

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9/17 ラサからチベット第三の都市ギャンツェに向かう途中、私たちの乗った専用バスが泥地にはまった時いつの間にか若いチベット僧が集まってきました。興味津々といった風で、若さゆえの好奇心丸出しの姿は微笑ましくもありましたが、彼らもいつか中国の圧政や宗教弾圧に対して焼身自殺を図ることがあるのだろうか、激しく抵抗するのだろうか、それともやり過ごすのだろうかなど余計なことを考えてしました。

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9/17 カロ・ラ峠(5,045m)へ通じる中ネ公路、上海からネパールまで高地をものともせずに敷設された中ネ公路、遥か先の山なみに吸い込まれてゆく舗装道路は私たち日本人の感覚からは何と言って表現していいかわかりませんでした。

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9/18 チベット第三の都市ギャンツェから第二の都市シガツェに向かう途中公安の検問所がありました。検問所は何ヶ所もあり、兵士やポリスが鋭い目をして私たちの専用車に乗り込んでくることもしばしばでした。街中では公安のパトロールカーが走り回っていて、うっかり写真に写っていたりするとツアー中止や身柄拘束なども心配されましたのでほとんど撮影はしませんでした。

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9/19 文化大革命で破壊され尽くしたサキャ北寺。厖大な経典などが消滅してしまいました。

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9/20 チベット側から見てみたいと思っていた世界最高峰のチョモランマは、この時期奇跡的に雲一つなく私たちを歓迎してくれました。あまりにスッキリと目の前に現れましたので、感激しているのかどうかも何と言っていいかもわかりませんでした。

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9/21 チョモランマを見た翌日、国境に向けてチベット高原を走りました。小型のトラクターがりましたので農耕なのかあるいは遊牧なのかテントがあり、空気は冷たく、さぞかし厳しい冬を迎えるのだろうと身が縮む思いがしました。

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9/21 チベット平原の景色は、乾いた大地と山と青い空でした。「ヒマラヤの南側はインド亜大陸に続くネパールの緑豊かなモンスーン気候地帯だが、北側はチベット高原の冷涼乾燥気候地帯なのだ。」という根深誠(遥かなるチベット)の言葉通りでした。

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9/22 中国とネパールとの国境地帯は渓谷に沿った細い道でした。そこへ何百台という大型トラックが集結していました。待避場所以外では車がすれ違うことができない細い道をどのようにして国境を行き来するのかいまだに謎です。

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9/22 ツアー最後の夜は憧れのネパール・カトマンズの「クラブヒマラヤ」でした。観光地ポカラの「フィッシュテール」、ダウラギリ(世界7位 8,167m)を見上げる「タサンビレッジ」、エベレストを見るためのホテル「ホテルエベレストビュー」などとともに是非泊まってみたいホテルでした。

青蔵鉄道に乗ってポタラ宮を見て、チョモランマを見てクラブヒマラヤに泊まるという旅の目的は全て達成できましたが、チベットがあまりにも自分が思っていたイメージと違いすぎました。チベットの印象が単に中国の光り(経済的発展)と影(圧政や宗教弾圧)が投影されているものなのか、自分の思い違いによるものなのかがはっきりしていないのが残念です。

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2013年12月26日 (木)

ゆく年くる年 8月 富士観望庵

8月になると富士山はマイカー規制が始まり、夏山も混み合うようになり、丹沢山の尾根歩きは灼熱地獄になりますので、結局登山はあきらめて下界から富士山を眺めようと古民家 “富士観望庵” を訪ねました。

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8/27 そろそろ夏も終わりに近づく頃、ご近所さんが住んでいる古民家 “富士観望庵” を訪ねました。富士宮市にあるその古民家へは、富士山の麓の自衛隊東富士練習場を快適に走り抜けた先にあります。

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途中、村上浅間神社がありました。ここは最も古い富士登山道の登山口でもあります。

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“富士観望庵” と名付けられた古民家は石巻市から移築したものです。ご近所に住むオーナーのTさんは、富士山が見える地で古民家暮らしがしたいという夢を叶えました。

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古民家の周りには畑や田圃があり、週末時々自宅に戻る時以外は野菜を作ったり田植えをしたり収穫したり、ソバ打ちをしたり羨ましいような悠々自適な生活をしています。畑や田圃は無農薬で、土造りにも凝りに凝っています。

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kgにパックされた無農薬の新米を自治会のために提供していただき、趣味の作品展に来場された方への景品に使わせていただきました。

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また近隣15自治会参加のソフトボール大会でわが自治会チームに参加賞として提供していただきました。競技の方は、惜しくも決勝戦で敗れはしましたが準優勝と健闘しました。

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古民家の内部は広く部屋数も多く、15人くらい宿泊できます。フスマには春の景色や冬景色、墨書などが描かれていて、とても落ち着ける雰囲気でした。この部屋でノビノビと一人で寝させていただきました。

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太い梁は、古民家の風格を感じさせました。

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Tさんは数軒離れたご近所さんで、お互いに現在地に移り住んで30数年挨拶をする程度でしたが、今年になって自治会の飲み会(2ヶ月に1回奇数月)で隣り合わせ、古民家のことを聞いたのがきっかけでした。

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初めての古民家で熟睡し、気分も空もすっきりと晴れた翌朝、田畑の向こうに姿を現した富士山を眺めました。

Tさんのブログはこちらです→http://blog.goo.ne.jp/kominka06yi/

Tさんの悠々自適の古民家暮らしは、素晴らしくとても羨ましく思いました。富士山の見える地で古民家暮らしをしたいという夢を叶えるために払った歳月とエネルギーは自分には真似できないものでした。4月から自治会長を引き受け大変だなあと思う時もありますが、たくさんの町内の人たちと知り合う機会も増え、飲み会や温泉旅行、さまざまな行事などを楽しめるようにもなりました。ちなみに自治会の名前は “ユートピア” 、最寄り駅は “希望ヶ丘” というと “うっそだろぅ~” と言われるのですが本当です。

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2013年12月25日 (水)

ゆく年くる年 7月 富士登山

ようやく富士山の季節がやってきました。例年の通り7/1に山開きとなりました。とはいえ私のような素人が登れるのは7月から9月の上旬くらいの間、しかも7月下旬頃から8月中頃のマイカー規制の期間を除いた時期となりますのでごく限られた短い期間です。

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7/9 1:44 富士吉田口登山道の五合目駐車場に深夜に到着し、出発してからほぼ1時間で六合目の「富士山安全登山指導センター」に着きました。今年は富士山がユネスコ世界遺産に認定されましたので山小屋に宿泊しないで徹夜で登る “弾丸登山” の自粛の声が高くなっていましたので、ここの指導サンターで注意されるかなと思っていたのですが特に何事もありませんでした。

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7/9 3:33 七合目の岩場あたりで、暗い中、若者たちはズンズンと元気に登っていきました。時として登山ペースが速すぎて高地順応できず、上の方で高山病になって青い顔をしている若者を見かけることがあります。

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7/9 4:41 富士吉田登山道は頂上に登らなくても御来光を拝むことができます。真っ暗だった登山道も4時を過ぎるとうっすらと明るくなり、5時前に御来光ショーが始まりました。

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7/9 6:17 七合目から八合目にかけて岩場を抜けたあたりからカミさんのペースが落ちてきました。足が攣りつつありちょっと心配になりました。

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7/9 6:17 好天気に恵まれ、夜中の寒さが嘘のように暑いくらいでした。八合目にかけて誰もが苦しさを感じ始めているようで、ゆっくりとしたペースで肩で息をしていました。

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7/9 6:48 標高3,250mの「元祖室」に着きました。登り始めて6時間ですから随分ゆっくりとしたペースとなりました。

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7/9 7:54 本八合目を目前にして、ついにカミさんの足が攣り始めたために下山することにしました。無理して登っても富士登山は下山の方が辛いという人もいるくらい足に負担がきますので、潔く撤退しました。

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7/9 10:27 途中リタイアしたために昼前に五合目に着きました。好物のソフトクリームを食べてホッと一息つきました。

私にとっては21回目の富士登山は2回目のリタイアとなりました。結局今年は富士山世界遺産登録で何となくザワザワしてしまい、登山意欲がそがれたせいか1回も登頂することなく富士登山の幕が閉じました。

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2013年12月24日 (火)

ゆく年くる年 6月 丹沢蛭ヶ岳

6月は、梅雨前線が気になり始めると同時に富士山の山開きも気になる時期です。富士登山のトレーニング兼ねて丹沢山に行く機会が増えるのがこの時期です。

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6/17 7:43 丹沢登山で見た樹林の光りでした。歩き始めてこういう光景に出会うと神々しい感じがして、敬虔な気持ちになったり自然はいいなあと思ったりします。

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何回も登った塔ノ岳にある尊仏山荘(宿泊は1回だけです)の名物猫。いつみても気持ちよさそうに眠っていました。

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尊仏山荘の主のような猫は「仙人猫」といって感動的なエピソードがあり、この猫に会うために丹沢に登るというファンもいます。招き猫みたいです。

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6/10 丹沢登山のほとんどは塔ノ岳(1,491m)までのピストン登山ですが、初めて丹沢山(1,567m)を経由して丹沢山系の最高峰蛭ヶ岳(1,673m)を目指しました。

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6/10 13:51 初めて塔ノ岳山頂にたどり着きました。かなり大変と聞いていたので緊張したのですが、順調に登ることができました。残念ながら雲が多くでていて360°の景観を見ることはできませんでした。

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山頂から、登ってきた道を振り返ってみるとそれなりの達成感がありました。

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週末は混み合う「蛭ヶ岳山荘」は、宿泊客は誰もいなくてガランとしていて、どこでも好きなところに寝てもいいといわれましたので一番隅に布団をひきました。

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夕食は定番のカレーでした。ご飯はお代わり自由で、トッピングも食べ放題でなかなか美味しくいただきました。

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6/10 18:26 もう一組宿泊予定の2人が来ないといって山小屋の管理人さんが心配していましたが、日が暮れかかる頃に外人(座間キャンプの軍人)カップルがようやく登ってきて、凄い勢いで食事していました。結局この日はこのカップルと私の3人だけの天国でした。

初めての蛭ヶ岳山荘は天候が悪く残念でしたが、今まで何回も挑戦しようと思っていても自信がなく延び延びになっていましたので、自信となりましたし、富士登山の予行練習にもなったかもしれません。

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ゆく年くる年 6月 箱根旧街道

6月の時期はとても中途半端です。自然界が一斉に目を醒まし躍動し始めた春を過ぎ、いつ入梅かなということが気になり始め、夏への助走期間のような時期です。こうい時期はあまり天候が気にならないで気楽に歩けるハイキングコースがよく、箱根の旧道歩きはうってつけです。

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6/6 8:53 箱根旧街道歩きはここ「畑宿」から始まります。ここにはかつての本陣跡があり、多くの人たちは箱根湯本駅からバスでここまで来て歩き始めますが、私はそれでは物足りないので箱根湯本駅から歩くことにしています。

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箱根旧道は自動車道路と何回もクロスしています。ここ「須雲川自然歩道」はドライブでは気がつかず通り過ぎてしまうような道ですが、森閑としてあまり人が歩いていない穴場の道です。

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江戸時代の石畳が残されている場所もあります。雨水で土が流されたり道がぬかるむのを防ぐために築かれたもので、とても歩きにくいのですが加齢で硬直化した股関節の鍛錬にはいいそうです。一生懸命歩きました。浅田次郎の小説「一路」は中仙道での大名行列の話で、参勤交代の大名行列がここを通った時は大変だったろうなあ思います。東海道は混み合うということで中仙道を使った大名も多いとのこと、なるほどです。

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6/6 9:41 箱根旧道で最も有名な「甘酒茶屋」、江戸時代から続く峠の茶屋でここまで来るとホッとします。きっと江戸時代から賑わったことでしょう。

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最後の旧街道は、芦の湖畔の元箱根まで40分まで石畳が続きます。

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6/6 10:25 箱根湯本駅を7時頃出発して3時間半、芦の湖畔に着きました。この日は曇っていて正面に見えるはずの富士山は雲の中で、縁結びの神として若い男女が集まる箱根神社の赤い鳥居だけがひときわ目を引きました。

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6/6 11:01 いつも芦の湖畔ではあまりゆっくりしないで折り返すことにしています。甘酒茶屋に着く頃ちょうどお腹が空きましたので定番の「ミックス餅」(磯辺餅とうぐいす餅)をいただきました。これが街道歩きの楽しみです。

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箱根湯本を出発した時は開店前だったお土産屋も賑わい始めていて、特産の干物を売る店も何軒かあり、試食させてくれる店は若い女性たちが群がっていました。

以前はよく出かけた箱根街道歩きもここ数年出かける回数は少なくなりました。たまに出かけると、早朝出発すればまだ観光客もあまりいなくてひっそりとした雰囲気を味わうことができます。

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2013年12月22日 (日)

ゆく年くる年 5月 岬めぐりと新緑

5月は、桃源郷フンザへの旅で中断した岬めぐりを再開しました。一方丹沢や大山は新緑の時期を迎えていました。

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4/28 前回は、3月に横須賀からスタートして葉山の手前まで歩きましたので今回は立石という名勝の地からゴールの江ノ島を目指しました。

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4/28 好天気で波はなく海面は穏やかでした。海面には潮の流れが筋となってうねっていて、その潮に乗るように海面に立っている人がいました。これはサーフボードより浮力が強いボードを使って水上散歩を楽しんでいる人でした。

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4/28 葉山はヨットの発祥地でありメッカでもあります。春霞で、水上に浮かんでいるように富士山がうっすらと見えました。

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5/06 葉山沖を過ぎると鎌倉に入り、材木座海岸や由比ヶ浜が続いていて遠浅の海となります波が高くサーファー天国となっています。最近は若い女性サ-ファーも増えているようです。この日は海は穏やかで実力を発揮することはできないようでした。

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5/06 鎌倉の稲村ヶ崎を過ぎると七里ヶ浜となり江ノ島が見えてきました。

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5/06 江ノ島大橋を渡って両側にお土産屋が軒を連ねる参道には人が溢れかえっていました。

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5/06 3月5日に横須賀をスタートして、できるだけ海沿いの道を歩いて延べ1週間でゴールの江ノ島神社に着きました。春ののどかな時期は海辺歩きには最も快適なシーズンではないかと思います。

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5/04 山も新緑の時期となり、大山にも目に優しい青葉が葉を広げていました。

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5/10 丹沢でも新緑の回廊が待っていてくれ、山歩きも楽しい時期になりました。

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5/14 今年6回目となる丹沢登山はいつものバカ尾根(大倉尾根)コースではなくヤビツ峠から表尾根縦走コースを歩きました。

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5/14 途中ちょっとした岩場で「岩鏡」を見つけました。

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5/15 丹沢は何回も登っているのですが、初めて塔ノ岳山頂の尊仏山荘に泊まりました。早朝4:28の富士山は海の底のようなマリンブルーの世界にありました。

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5/15 塔ノ岳山頂に安置されている石像に向かって祈りを捧げている登山者がいました。荘厳な瞬間でした。

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5/15 4:50 まるで祈りに応えるかのように御来光が始まりました。丹沢山頂から見た初めての夜明けでした。

海も山も春爛漫の最も活動しやすい5月でした。寒い冬が終わって春が来て、毎年毎年あたりまえのように四季が巡ってくるということは何とありがたいことでしょう。

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2013年12月20日 (金)

ゆく年くる年 4月 桃源郷の人たち

桃源郷への道カラコルムハイウェイの往復もそこから見えた風景も振り返ってみれば現実の世界だったのかと思われるほど非日常的なものでした。それ以上に想定外だったのが桃源郷に暮らす人々の表情の穏やかさでした。

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4/9 K2トレッキングのベース基地シガールは賑やかな村でした。建物はいつ壊れてもおかしくない、日本でいえばバラックに近い状態でしたが、ここで暮らす人たちは誰もがニコニコと幸せそうでした。宮本輝の “草原の椅子” の撮影がこの村で行われたために私たち日本人に対する眼差しは特に友好的だったのかもしれません。

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4/10 パキスタン北部の山奥のフンザエリア・カリマバードに入り、そこで目にした光景も忘れることはできません。日本人登山家長谷川恒男は純朴な人々が住むこの地を愛し、1991年ウルタル(7,329m)登山中に雪崩に遭い44歳の生涯を閉じました。

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4/10 長谷川恒男の奥様が遺志を受け継いで「ハセガワメモリアルスクール」を設立しました。現在は幼稚園児から短大生まで900人がここで学んでいます。男尊女卑のイスラム社会にあってここでは男女同権(女性の方が強そうに見えました)。幼稚園で英語を学び上級クラスではITの勉強も行われています。

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4/10 パキスタンの山奥で日本人長谷川恒男の遺志が大きく花開きました。先生も生徒も日本への留学を強く望んでいるのですが、費用の捻出がままならないことを大変残念がっていました。私たちを全校で歓迎してくれ、私たちもお礼に「隅田川」を唱うことになり、フンザに下手な日本の歌が響くとは思いもよりませんでした。

 

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4/10 ハセガワメモリアルスクールの訪問の後、上部フンザ地域を訪れました。子供たちも幼子を抱いている母子も幸せそうで私たちが忘れてしまっているものを教えてくれるようでした。

 

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4/11 フンザの中心地にあるアルチット村を訪ねました。ここは400年前の古い家屋でそのままに暮らしている村です。ここでも子供たちも母子も穏やかに暮らしているようでもあり、ゆっくりと時間が流れていました。

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4/8 シガールの村では杏の花が、花酔いというかまるで幻想の世界に迷い込んだようでした。

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4/10 上部フンザの村は緑が芽吹き、花が咲き、羊だかヤギだかがスキップしていました。お伽噺のような世界でした。

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4/10 村の各家には仕切りがなくいつの間にか庭先に迷い込んでしまいました。古老は旨そうにタバコを吹かし、紅茶だかコーヒーだかを悠然と飲んでニコニコしていました。

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4/10 村をフラフラと歩いていると出会った女性はイスラム伝統のブルカ(顔を覆い隠す伝統衣装)を身に着けるわけでもなく私のような不意の闖入者を警戒するでもなくカメラを向けてもにこやかに自然体でした。花に囲まれて立つ姿はとても美しく見えました。

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4/10 花の向こうには、この村を取り囲むかのように聳える山とベールのような雲。ここは桃源郷でした。

桃源郷への旅は、桃源郷とは一体どういうところでどういう環境なのだろうということを探す旅でもありました。厳しくしかし豊かな自然、そこで暮らす人たちは自然と向き合い、昔ながらの生活を送っていました。冬の寒さが厳しければ厳しいほど花が開く春、果実が実る夏の喜びはさぞかし大きいことと思われました。この寒い時期、出会った人たちはどのように暮らしているのかなあとふと思ったりもします。きっと春や夏を楽しみにじっと耐えていることと思います。

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2013年12月19日 (木)

ゆく年くる年 4月 桃源郷への道

10年くらい前に聞いていた “地球最後の桃源郷” フンザ。一生に一度は行ってみたいと思っていた地を訪れることができました。行程は4/5から11日間でした。その桃源郷への道は遠くてエキサイティングなものでした。

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4/7 桃源郷への道は、パキスタンの首都イスラマバードから延々と山の中を分け入って中国国境へと抜けるカラコルムハイウェイが通じています。小高い丘に登って俯瞰するとハイウェイといいながらほとんどが山岳ロードでした。

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4/7 カラコルムハイウェイは中国との重要な交易路ですので、いつ崩れてもおかしくないような細い道を大型ダンプが頻繁に走っていました。

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4/10 なんとカラコルムハイウェイは中国国境の手前で大洪水によって突如出現した大きな湖に呑み込まれていました。道は寸断され、大型ダンプの荷物は船に積み替えられ1時間かけて湖を渡っていました。ということで中国の主導でバイパス工事が行われていました。

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4/12 往路は飛行機の予定がキャンセルされたために帰路も同じ道を戻ることになりました。往路は順調だったのですが、帰路は工事で道が塞がれてしまい1時間くらい足止めをくらい大渋滞となりました。渋滞の間たくさんのパキスタン人やインド人たちと顔を合わすことができ面白い体験ができました。

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4/6 パキスタンは治安が悪くてリスクも高い、しかし北部(フンザ方面)は安全だと聞いていました。しかしフンザに入るまでのエリアは油断できないということでポリスや軍隊がガードしてくれました。

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4/14 大抵の場合はパトカーが先導してくれました。警察は村ごとに管轄が異なりますので、村に入るたびに駅伝のようにパトカーが入れ替わり、その度にポリスの制服やパトカーの車種が異なっていました。

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4/14 ポリスが車に同乗してきたりパトカーが先導してくれたりすると最初は緊張したのですが、終盤は一緒に写真を撮ったり親しみを感じました。パキスタンでは軍隊や警察には最も優秀な人たちが集まり、給料や年金も最も優遇されているそうです。

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4/8 カラコルムハイウェイの車窓から見たパキスタンの空は青く、その空に向かってポプラが伸びていました。ポプラは生育が早く、建築用木材にもなるということでいたるところで見かけました。

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4/9 世界第二位の高峰K2(8,611m)に連なるカラコルム山脈はヒマラヤと同じように峻険で豪快でした。

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4/11 車窓に続く白い嶺々は、単調でデコボコしたうんざりするような山岳道路にあって最高の楽しみでした。

長い長い道のりのカラコルムハイウェイは、山の中をいくつもの村を通り過ぎました。街並みや沿道の人々の暮らしを見るだけでも行ってよかったと思いました。しかしもう一度行くかとなるとウゥ~と思ってしまうほどエキサイティングでした。

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2013年12月18日 (水)

鎌倉便り お礼参り

12/17(火)、久しぶりの鎌倉行きとなりました。いつからか巳の日に北鎌倉の銭洗い弁天にお詣りするようになりました。

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ルートは、自宅から阿久和川という小さな川に沿ってJR

戸塚駅

まで歩く道です。かつては鎌倉まで4時間くらいかけて歩いていたのですが、途中で歩きにくい道となるため戸塚駅から北鎌倉駅までは電車を利用するようになりました。歩き出して間もなく曹洞宗の観音寺というお寺があり、ここの禅寺特有の凛とした雰囲気が好きです。

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寺の境内から見上げると気持ちのいい青空と白い筋雲が流れていました。ここから川沿いに2時間近く歩くと戸塚駅に着きます。

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春になれば桜が咲き色とりどりの花が咲く川沿いの道も今はただ冬枯れていましたので、シャッターを押さず戸塚駅で電車に乗り北鎌倉駅で降りました。駅から5分も歩くと浄智寺の山門に出ました。9月に行ったチベットではいくつかのお寺を巡り、伽藍も仏像も何もかもが色鮮やかで圧倒されましたが、木のそのままの色合いの日本のお寺は逆にこちらの気持ちを引き立ててくれるようですし、想像力を膨らませてくれるように思えました。

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訪れる人も少ない浄智寺の境内には盛りを過ぎた紅葉・黄葉が残っていて、古都のシーンとした空気が漂っているようでした。

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浄智寺前から源氏山へ向かう道は古都の散策道で、鎌倉駅周辺の観光地とは趣を異にしています。

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庵のような住まい。柄にもなく “わび・さび” を感じてしまいました。

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源氏山に向かう小さな山道はハイキングコースになっています。時々リスを見かけることもあります。

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ハイキングコースの先には文章(もんじょ)博士といわれる日野俊基を祀った葛原岡神社があります。とても小さな静かな神社です。

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葛原岡神社の近くに日野俊基の墓所があります。後醍醐天皇を擁立しようとして時の権力者北条氏に捕らえられ非業の最期を遂げたとのことです。この墓所にはいつでも新しいお花が供えられています。

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銭洗い弁天を訪れる人の多くは、大きな洞窟の中で “銭” を洗うとお金が増えると思っているようですが、まあ人のことだからどうでもいいことです。銭洗い弁天の守護神は蛇で、巳の日には境内にある5ヵ所の小さな神社に生卵を奉納するのがここでの正式な参拝方式といわれています。

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帰りは鎌倉駅方面にブラブラ歩くか近い北鎌倉駅から戻るかその時の気分次第です。ちょうど昼時でしたので好物のアジ・コハダにぎり鮨(850円)を食べて北鎌倉から帰りました。

自宅から鎌倉まで歩いてみようと思った時、単なる観光地巡りでは飽きると思いました。何かのきっかけで巳の日の銭洗い弁天参りを知り、12日間という間隔もほどよさそうで通い始め、たまたま境内の片隅にある不思議な雰囲気のお茶屋の主人と知り合いました。偏屈な頑固オヤジですが、富士登山のベテランでしたので最初に富士登山に導いてもらい、その後も行けば山の話やヒマラヤの話で盛り上がりました。その茶屋では白蛇を飼っていましたので、お世話になったお礼代わりに白蛇のえさ代(お布施)を置いてくるのが習わしとなりました。久しぶりにご主人と会い、今年のお礼をいい、来年もいい年でありますようにと挨拶し、すっかり新年を迎えるモードとなった一日でした。

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2013年12月17日 (火)

ゆく年くる年 3月 岬めぐりと桜

3月に入って南からは桜前線の便りも聞かれるようになり、水も温んでくると恒例の「岬めぐり」の時期がやってきました。

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3/5 13:10 横須賀市の走水で。山本コウタローというフォーク歌手の「岬めぐり」という歌は三浦半島をバスで巡った時のものだそうです。三浦半島のつけ根の横須賀は私の故郷であり、小さい頃海に馴染んだ場所でもあります。春の気配が感じられる頃、横須賀駅前の軍港(米軍基地)が見える公園を出発し、できるだけ海沿いを歩いてグルッと三浦半島を巡り、東京湾と相模湾を左手に見て江ノ島をゴールとする勝手に考えたルートです。

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3/8 09:49 三浦海岸近くで。三浦半島は海の幸ばかりではなく、スイカ、メロン、大根をはじめ山の幸にも恵まれた地です。この瑞々しい野菜をそのままかじると春を感じることができます。

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3/8 11:47 剣崎近くの畑で。温暖な気候と豊饒の大地で野菜たちはノビノビと育っていました。

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3/8 12:05 江名湾間口漁港で。三浦半島の丘陵地帯は畑となっていて、その丘陵地帯は海の間近まで迫っていますので畑の道を下ると漁港があります。三浦ワカメは名産でもあります。

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3/8 12:16 毘沙門・通り矢ハイキングコースで。剣崎灯台を過ぎて相模湾に出ると静かな内海の東京湾と違って波は荒々しく潮騒のざわめきが聞こえるようでした。

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3/15 9:40 毘沙門・通り矢ハイキングコースで。波に削り取られた磯の道は「岬めぐり」コースで最も好きな場所です。むき出しになった岩礁が続く海辺の道はサスペンスドラマのラストシーンのようです。

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3/15 11:58 三崎港で。三崎はマグロの街で、マグロ料理の店がたくさんあり、また海産物のお土産屋もありますので楽しみのある街です。

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3/15 12:57 城ヶ島から対岸を見ると剣崎灯台や磯伝いに歩いてきた「岬めぐり」の道が霞んで見え、穏やか春の一日でした。

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3/8 09:08 三浦海岸駅前の「岬めぐり」の桜

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3/22 12:14 横浜みなとみらいの桜

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3/22 13:25 皇居の桜

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3/22 13:55 靖国神社の桜

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3/22 19:35 横浜の夜桜

長く感じた冬が去って誰もが待ち望んでいた春がやってきて大地が蠢き、草花が芽吹いて花が開き始めました。何といっても春は桜で花も桜です。

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2013年12月15日 (日)

ゆく年くる年 2月 湯西川と南の島

1月は丹沢や大山、石割山など近場の山で富士山を眺めたりしましたので、2月に入ってそろそろ行動範囲を広げました。

 

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2/5 雪の世界を見たくなり、湯西川温泉に向かいました。湯西川は平家の里で紅葉の名所でもあります。期待通りの銀世界で、昼はスノーシューで遊んだり、夜はライトアップされた温泉街を酔い覚ましにフラフラと歩いたりのんびりと過ごしました。

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2/6 08:33 一夜明けると雪がシンシンと降っていて、朝湯に入ったり、囲炉裏端で降りしきる雪をぼんやりと眺めたり、何もしない時間が流れていました。

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2/17 14:52 2/17から5日間南の島にクジラを見に出かけました。沖縄には何回もダイビングで行きましたが奄美大島は初めてでした。西郷南洲の住居跡や日本のゴーギャンといわれた “田中一村” の作品を眺めたり、奄美大島独特の雰囲気を楽しみました。

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2/18 14:57 奄美大島から沖縄本島に向かいました。羽田からの直行便はジャンボ機のため沖縄本島を空から眺める機会は少ないのですが、小型機の移動によって上空からゆっくりと眺めることができました。

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2/18 17:12 沖縄本島には一泊しました。那覇半日観光で国際通りをブラブラと歩いていろいろな店を覗いたりして、特に沖縄民謡の島唄ライブは是非見たかったのですが、ホテルでの夕食と食事付きライブが重なったために断念しました。島唄の独特の音程と節回し、三線の響きなど魅力的です。

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2/20 11:18 座間味島に渡りホエールウオッチングにトライしました。波立つ海面を目を皿のようにして見つめてもなかなか発見できなかったのですがようやく親子連れのクジラを見つけました。この海域は、中国との領海問題で微妙なエリアであり、中国の潜水艦の出没でクジラが寄りつかなくなっているとのことでした。

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2/20 18:11 久米島に飛行機で渡りました。久米島空港ではこの島でキャンプをはっていたプロ野球楽天イーグルスを歓迎する垂れ幕が掲げられていました。まさか日本一になるとは誰も予想もしませんでした。

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2/21 09:09 久米島で一泊して夜が明け、陽が高くなる頃“はての島” に渡りました。南の島そのものの風景で、白い砂浜とマリンブルーの海と緑の島影、まるで “モルディブモード” でした。

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2/21 11:06 久米島のサトウキビ畑の上にも真っ青な空が。

雪の湯西川と南の島と、日本列島の気候の多様性を実感しました。南の島は鹿児島県奄美大島をはじめとして久米島や慶良間諸島など9島を巡りました。それぞれ島の風土が異なりとても面白く感じたのですが、一方では本土よりも中国との距離が近いようでもあり、南の島ののんびりムードにばかり浸っているのもどうかなあと思ってしまいました。

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2013年12月14日 (土)

ゆく年くる年 1月 富士山

2013年も早、一年を振り返る時期になりました。思えば今年もあちこち懲りずに出かけたものです。

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1/1 06:53 新年早々、しかも早朝から富士山を眺めに山中湖に出かけました。湖面は静かで富士山を映していました。白い山肌には朝陽が薄紅色に射していて、穏やかな一年の始まりでした。

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1/1 07:12 山中湖の湖畔には御来光を拝もうという人たちが集まっていました。残念ながら陽が昇る行く手には雲がかかっていました。

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1/1 08:45 富士山を間近に見ようと石割山に登りました。空は青く、富士山の姿もはっきりとしていて素晴らしい新年の幕開けでした。

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1/14 13:02 いつもの散歩道に雪が積もりました。突如降り出した雪は強い風に煽られまるで吹雪のようで、あっという間に白い世界が出現しいつもの散歩道も別世界となりました。しかし自宅周辺では積もった雪の雪かきで大変な思いもしました。

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1/18 10:49 この1月は雪の当たり年だったのかもしれません。丹沢にも雪が積もり、丹沢で最も好きなポイントではとてもきれいな空が青々と広がっていて気分は最高でした。

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1/18 11:26 丹沢山・塔ノ岳(1492m)の頂から見た富士山。稜線には強い風が当たっているようで、粉雪が舞っていました。今年も富士山から始まりました。

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1/23 12:02 大山の女坂には何体かの石仏があります。路傍のお地蔵様の赤い衣はどなたが着せ替えたのか新しくなっていました。お地蔵様は今年もたくさんの信者、登山者、観光客を見つめ続け、たくさんの人たちは手を合わせたことでしょう。私もいい年でありますようにと手を合わせました。

一年の計は元旦にありといわれ、まさに富士山で明けた一年でした。失われた20年といわれ、なかなか出口が見えず、希望も感じられない年明けでしたが、白く輝く富士山を見ていると何かいいことがありそうな気がしました。

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2013年12月 7日 (土)

丹沢登山⑧ あおい空

12/6(金)、久しぶりに丹沢登山に出かけました。6月に行って以来8回目で、おそらく今年最後の丹沢登山になるかもしれません。朝4時に起床、4時半自宅出発、5時半駐車場到着、朝食後6時に歩き始めました。

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06:00に歩き始めるとようやく日が昇り始めあたりが明るくなってきました。まるでロールカーテンが巻き上げられてそこから急に明るくなったような感じでした。

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07:10 歩き始めて1時間すると陽も少し高くなってきて、ススキの穂先の氷結が温められてキラキラと輝いていました。こんな風景を見ながら、久しぶりの丹沢登山の感触を一歩一歩確かめながら登ってゆくのはとても気持ちのいいものでした。

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07:20 歩き始めた時は空気も自分の体も冷たかったのですが、ようやく体も温かくなり始め、落ち葉を踏みしめながら今年を振り返ったり来年のことをポツリポツリと考えたりと至福の一時でした。

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08:06 出発して2時間経過。標高も高くなり、富士山を眺めることができるようになりました。冠雪もだいぶ下まで降りてきていました。

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08:27 木立に囲まれた道からガレ場の上りに出ました。いよいよ急登が始まりました。

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09:07 ひたすらバカのように上りが続く尾根という意味で “バカ尾根” と名付けられた長い急登が続きました。辛い上りですが、見上げれば素晴らしい青空が広がっていて元気が出ました。

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09:28 “バカ尾根” を登りきると更に上りが続くのですが、青空の面積が広いこの場所が丹沢登山で一番好きなポイントです。

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09:31 ほっと息をつく間もなくもう一つ登らなければならない山が立ち塞がっていました。

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09:57 最後の急斜面を登りきるともう頂上はすぐそこで、青空には刷毛で掃いたように雲が舞っていました。真綿が風に吹き飛ばされているようで、かなり強い風が吹いているようでした。

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10:01 出発してほぼ4時間で塔ノ岳(1,491m)山頂に着きました。この日は登山者の姿はあまり見かけませんでした。丹沢に登れればどんな山でも大丈夫という人もいてその真偽はわかりませんが、標高差が1500m近くあり手強い山であることは確かです。

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頂上に設置された温度計は1℃を示していました。かなり風が強くじっとしていると体温がぐんぐん奪われるようでした。

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仏様たちに手を合わせ、今年1年の無事と新しい年も無事でいられるようにお願いしました。

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塔ノ岳山頂から眺める富士は、由緒正しき富士の姿です。

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ひたすら登ってきた道の下りはまるでジェットコースターが逆落としするようで、いつもよくこんな道を登ったものだと感心します。ずっと連なる山と下界を見ながらの下山は豪快で快適でもあります。転げ落ちるように下山しお昼過ぎには無事に自宅に戻りました。

久しぶりの丹沢はきれいな青空が広がっていていうことありませんでした。結局今年は大山と丹沢と8回登ったことになります。大山→丹沢→富士山→ヒマラヤというのがここ2~3年のパターンでしたが、来年はどうなることでしょう。

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2013年12月 4日 (水)

チベット後日談 仲間たち

あっという間に12月に突入しました。9月に行った「チベット大縦断」の記憶も薄れがちのはずが、ふと一緒に行った仲間たちはどうしているかなとか、チベットの風景とともに思い出すこともしばしばです。

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何といっても西遊旅行社の添乗員さん。掟破りの関西グループや唯我独尊の勝手グループを率いて数々の難局を乗り切った田村さんを中心に、楽しいツアーになりました。私は2回ほどホテルの鍵の不備というトラブルに遭遇し、他の仲間は予約してあった部屋が工事中で使えなかったり、撮影禁止の公安事務所にビデオ撮影してポリスがバスに乗り込んできたり、チョモランマB.Cへの検問所で禁止されているビデオを持ち込もうとしたり等々数えればキリない難局を名裁定・好判断で乗り切りました。カトマンズの昼食でモモ(餃子)を食べ過ぎたあげくに消化不良で顔面蒼白、脂汗を流して私たちをハラハラさせたのはご愛敬でした。

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人数は少数派だった関西グループの自分勝手行動には悩まされましたが今にして思えばいい思い出です。帰国後、同窓会と称して「蛸を食う会」を開催し、東京から田村さんや姐御(写真撮影)が駆けつけました。関西グループで最もマイペースのTさんが、そのお顔や言動~撮影好スポットではズカズカと被写体に近づくために邪魔になることもしばしば~に似合わず(ブログを見ていたらごめんなさい) すてきな書を書き、味のある方だとわかりました。

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藤沢から参加の主婦Kさんは、5,000mで酒を嗜んだという強者で、フットワークも達者でした。私は4,000mでやっと酒を飲むことができましたので、驚きとともに酒飲みが一緒とわかると大ぴらに酒が飲めますので嬉しくなりました。

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岐阜から参加のUさんは唯我独尊の不思議な人でした。ツアー前半は高山病に悩んでいましたが、後半は見違えるようになりクライマーズハイ状態になっていてそのマイペースとおとぼけ調には心癒されました。その仕事仲間の“男爵” (勝手に名付けました)は、異様な風体していますが聖人君子のような人で、長旅の専用車では誰もが敬遠する最後部の中央座席を率先して坐っていました。有名なお寺見学ではいち早く公安の影を教えてくれたり、カメラ用のSDが足りなくて困っていたら大容量のSDをいくつも分けてくれたり、帰国後素晴らしいツアーDVDを送ってくれました。感謝です!

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“山形の鉄人” も大酒飲みで楽しい仲間でした。縁があったのか青海鉄道のコンパートメントでは同室になり、チョモランマの記念撮影ではツーショットとなりました。何より酒飲み友だちとして同じテーブルにつく機会も多く、お寺巡りでは「チベットは壊されている」と共に嘆きあったものでした。帰国後素敵な便りも届き、是非山形で一献かたむけたいと思っています。

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鉄人といえば思い出すのが“仙台の鉄人”です。一緒にエベレスト街道で汗を流し、現在でも来年はどこへ行こうかと連絡を取り合っています。東日本大震災では大変苦労したとか、しかし今年は楽天優勝で盛り上がっていると嬉しい便りも聞きました。大好物の “ささかまぼこ” を贈ってくれたりと、どうして東北には 好漢の鉄人が多いのでしょうか。

 

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“田村組” の結集力の良さは何といっても面倒見のいい “姐御” の存在が欠かせませんでした。ツアー後半からはサブ添乗員のように田村さんを助け、帰国前に仲間たちの住所録をまとめ上げ、帰国後は「チベット大縦断通信」を発行し、関西の「蛸を食う会」に駆けつけと仕事の合間を縫って大活躍でした。

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「蛸を食う会」に続いて「東京同窓会」が開かれ、その後「二人きりの早めの忘年会」と続き、来年は「山形で芋煮を食う会」開催で意気投合しました。今年の年末は「シッキムとダージリン」ツアーで世界3位の高峰カンチェンジュンガ(8,586m)を眺め、インドで新年を迎えるとか。“姐御のシッキム便り“ を楽しみにしているところです。

ヒマラヤトレッキングのように厳しいツアーでは、ともに辛い思いをするケースが多いために自然に仲間意識が醸成され、比較的楽なツアーではそれぞれがマイペースでお互いにそれで由とする雰囲気があります。今回の「チベット大縦走」もヒマラヤトレッキングに比べれば楽であり、ツアー仲間との初顔合わせでもツアーが始まってからもああこれは “勝手軍団” だなあと思ったものでした。しかし不思議なことに終盤は妙に結集力が高まり、関西、東京、山形(予定)と再開の機会が生まれました。それぞれが来年どんなところに出没するのか、その情報交換が楽しみです。

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