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2014年11月30日 (日)

吉野山 竹林院群芳園・庭園

11/7(金)、吉野山のそぞろ歩きを終えて、宿泊先の「竹林院群芳園」へと足を向けました。

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 聖徳太子が開創し、その後空海が入ったとい大変な歴史をもつ宿坊と聞いていましたが、さもありなんという門構えでした。

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 門の脇に “大和三庭園の一” という看板がありました。ここの庭園「群芳園」は、千利休が作庭し、細川幽斎が改修したといわれています。楽しみでした。

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 ロビーは堂々たるもので、おそらく大人数の参拝客を迎え入れることができるのでしょうが、この日は私たちが一番乗りのようで、ひっそりとしていました。

 

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 宿のHPでは、狩野派の描いた屏風や秀吉が使用した茶弁当(見損ないました)などを見ることができるとあり、なるほどでした。聖徳太子が創建したと聞いただけで、こんなところにいていいのかなと思ってしまったのですが、まあこれもいい経験だと思い込むことにしました。

 

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 仲居さんに案内されて長い廊下を歩き、案内された部屋は部屋数が3つもあり、メインの部屋も畳を数えたら14.5もあり、二人ぽつんとどこに身を置いていいかわからない状態でした。

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 何はともあれ、大和三庭園の一つを散歩することにしました。「群芳園」という庭園は1万坪といわれ、その庭の一角に護摩堂があり、そこには聖徳太子像が祀られていました。いや~~~畏れ多いことです。

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 広い庭を取り囲むように回廊があり、旅館というよりお屋敷という雰囲気でした。正面の建物は食事処ということでした。

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 豊臣秀吉が吉野山の花見の宴を開く時に、千利休が作庭したという庭は、桜や椿が見物とのことでしたが、この時期紅葉も見事でした。

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 1万坪の庭は、小さな丘のようになっていて、緩やかな小さな傾斜を上がってゆくと「竹林院」の全貌を見ることができました。

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 ところどころに庵のような休憩所があり、風は晩秋とは思えないほど穏やかで陽射しは温かく芝生に注いでいて、ほのぼのとした気持ちになりました。晩秋の京都・嵯峨野や大原辺りで寛いでいるような気分でした。

 

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 庭園散策の後、早めに温泉に浸かりました。広い浴室も露天風呂も貸し切り状態で、こんな贅沢申し訳ないような気持ちでした。吉野の山を温かい湯に浸かりながら眺めるなんて贅沢です。

 

前2回の吉野訪問では、「歌籐」さんというしだれ桜が見事なログハウスに宿泊しましたが、今回は晩秋でもあるし趣を変えて宿坊にしました。どこもかも広すぎて、馴染むまでにちょっと時間がかかり、趣が変わり過ぎました。

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2014年11月29日 (土)

吉野山 蔵王堂

11/7(金)の午後、吉野山そぞろ歩きの最後は「金峯山寺」でした。

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 「金峯山寺」は吉野山のランドマークで、大きく覆い被さってくるような大伽藍の「蔵王堂」がとても印象的なお寺です。

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 「金峯山寺」は修験道の総本山であり、その中心にある「蔵王堂」は、高さ34m、檜皮葺(ひわだぶき)の、東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築です。この日は “特別祈祷” が行われていて、お堂に上がって、間仕切りされたブースに入り、お灯明をあげてそれぞれ “懺悔” するという儀式が行われました。私もカミさんとそれぞれ別のブースで懺悔しました。

 

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 「蔵王堂」の見物はなんといっても三体の「蔵王権現像」で、本尊は高さ7mにもおよびます。今年は世界遺産登録10周年記念で特別ご開帳なのですが、残念なのは撮影禁止となっていましたので、その姿をポスターから転写しました。

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 この日は、境内でも儀式が行われていて、僧侶(修験者)の朗々たる読経やホラ貝の音が響き渡っていて、厳粛な雰囲気でした。こういう場にいるだけで心身共に浄化されるような気がしました。昼酒のほろ酔いがすっかり醒めてしまいました。

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 「金峯山寺」では「蔵王堂」ともう一つの見所(観光名所ではありませんが)は「脳天大神」です。かつて初めて吉野を訪れた時、「脳天大神」という名称に “嘘だろ!” と思ったものでした。

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 「脳天大神」へは、「蔵王堂」の脇から450段の石段を下って行きます。この階段を下ってゆくにつれ空気がヒンヤリとしてくるのです。

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 空気はヒンヤリとしてくるのと反比例して身体が汗ばんでくる頃、「脳天大神」の社屋が見えてきました。帰りは、下った石段を上りますので、さらに汗をかくことになります。

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 「脳天大神」は、「金峯山寺」の塔頭(たっちゅう)の一つで、頭を割られた大蛇(蔵王権現の化身)を祀っていて、 “吉野の脳天さん“ と親しまれています。首から上の病気に霊験あらたかといわれていて、入学試験合格などを祈願して参詣者が訪れています。私もヘルパーさん達の国家試験合格を祈願しました。

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 「脳天大神」の社殿の脇に「行場」があることはあまり知られていません。かつて 千日回峰行を成し遂げた塩沼亮潤阿闍梨が「金峯山寺」で修行し、「大峯奥駆道」を歩いたと知り、その足跡を辿るために吉野山にやってきました。そして千日の回峰に向かう時に身体を浄めたこの場所に辿り着きました。自分にとっても、最も厳粛な気持ちになれるスポットですが、 “水行をする元気はありません。

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 「脳天大神」の450の石段を上り返すと、「役行者(えんのぎょうじゃ)」が待ち構えています。役行者は飛鳥時代から奈良時代にかけての呪術者で、修験道の開祖ともいわれています。山岳修行を行い、熊野の山や吉野の大峯山で修行を行い、「金峯山寺」で「金剛蔵王大権現」の真理を悟り、修験道の基礎を築いたといわれています。

 

塩沼亮潤阿闍梨の千日回峰行をきっかけとする吉野詣でも5年ぶり3回目となりました。月日が経っても季節が変わっても吉野山は変わっていませんでした。「蔵王堂」に入って「蔵王権現」に跪き “懺悔” を行い、境内で読経を聴いて、「脳天大神」に参詣する頃には昼酒の酔いはすっかり吹き飛びました。これで「西行庵」から始まった吉野山のそぞろ歩きは完結しました。

 

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2014年11月28日 (金)

吉野山 吉水神社

11/7(金)の吉野山そぞろ歩きで、もう一ヶ所是非訪れたいと思っていたのが、 “南朝皇居“ と言われる「吉水神社」です。何度訪れてもその度に感慨を覚える場所です。

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 「吉水神社」の門には “南朝本拠 四帝御所” と書かれた看板が掲げられています。ここは後醍醐天皇が1336年に行幸されてから四代57年にわたって潜幸し、現存する南朝唯一の行宮(あんぐう)となっています。

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 さらに庭園内に入ると、 “南朝の皇居” という立て札があり、南朝の由緒ある場所であることを念押しするようでもありました。

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 1185年に頼朝の追っ手を逃れた義経と静御前は、弁慶と共にここに隠れ住んだとのことでした。ここが義経と静御前が最後に過ごした場所で、どんな気持ちだったのでしょうか。この部屋の裏手に “弁慶思案の間” というのもあります。

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 静御前の衣装は、表から見ると華やかなのですが、裏から見ると質素な布地をパッチワークのように縫い合わせたようにも見え、決して豊ではない暮らしぶりも偲ばれました。

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 後醍醐天皇の玉座。後醍醐天皇は第96代天皇であり南朝の初代天皇でしたが、鎌倉幕府を倒したものの足利尊氏の離反に合い、ここ吉野山に入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立しました。義経同様、後醍醐天皇もここで鬱々とした気持ちを抱えていたと思われました。

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 籠手 武蔵坊弁慶所持という添え書きがあり、弁慶のもので、かつて奥の細道を歩いた時、福島県飯坂温泉近くの「医王寺」で 弁慶の背負子を見たことがあり、自分の足しか移動手段のない時代にあちこち広範囲に移動していたことに驚かされるのです。

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 義経の鎧。 こんなものがここに残されているなんて、いつもながら絶句、言葉もありません。

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 室町時代や桃山時代からの長い時を経た能面の数々。鬼気迫るものがありました。

 

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 “豊太閤愛用の金屏風1594年に豊臣秀吉が、吉野で盛大な花見の宴をした際にここ吉水院を本陣として数日間滞在した時、歌の会、お茶の会、お能の会などを開いて天下に権勢を示した時に用いたものとのこと。

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 数々の歴史遺産を収めたこの「吉水院」は、日本建築史上最古の書院としてユネスコより世界遺産として登録された書院で、その前庭に秀吉は 花見の本陣を張ったとのこと。ここから吉野の桜を愛でたとのこと。この地で、志途中で挫折した義経や後醍醐天皇のことをどのように思っていたのでしょうか。

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 豊臣秀吉が “花見の宴” を開いた場所からは吉野の山全体を見渡すことができ、また「金峯山寺蔵王権現堂」の堂々たる伽藍も望むことができます。義経、西行、後醍醐天皇、秀吉たちも同じ景色を見ました。

 

昼間の酒はよく効くといいますが、ほろ酔い加減で歩いた吉野山。それにしても日本最古の書院という木造のいつ朽ちてもおかしくない「吉水院」に所蔵されている歴史的遺品には驚くばかりです。歴史を彩ったさまざまな人たちの栄枯盛衰を考え、ものの哀れを想い、だからこそ自分の人生悔いの無いようになど殊勝なことを考えたりもたそぞろ歩きでした。

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2014年11月27日 (木)

吉野山 そぞろ歩き

11/7(金)、「金峯神社」「義経隠れ塔」「西行庵」など吉野の聖域エリアで気持ちがリフレッシュされたような気分となり、参詣道をそぞろ歩きすることにしました。

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 「金峯神社」の「修行門」の手前に駐めておいた車で、「奥千本」からの細い道を下る途中、「高城山」の展望台に寄りました。「金峯神社」の境内を掃き清めていた方が、紅葉が見頃ですよと教えてもらった場所でした。なるほど、展望台への道まで紅く染まっていました。

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 今晩の宿に車を預け、ブラブラと参詣道を歩くと、ところどころ大きな宿坊が目につきました。 “大峯山修験道場” とあり、宿泊体験してみたいようなみたくないような。

 

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 ちょうど昼時になりましたので、食事処に入りました。吉野山が見えるように張り出したテラス席に案内され、地酒と名物葛うどんと酒の肴に鹿刺しを頼みました。もうこの日は車の運転はありませんので、昼間から飲むことができ、この上ない贅沢な時間となりました。

  

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 この「勝手神社」は、西暦400年頃建立されたと言われ、境内には義経の妻・静御前が追っ手に捕らわれた時、舞いを見せたと伝わる舞塚が残っているとのことですが、2001年に不振火で神社が焼け落ちた時に出入り禁止となっているために見ることはできませんでした。また静御前が踊った時の衣装も一緒に消失してしまったとのことで残念です。

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 この通りには他では見ることができない店がたくさんあります。 ここでは“鮎鮨” を売っていました。

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 タラスケ丸という万能薬も他で見ることはできません。お腹が痛いだの内臓が不調な時には効能を発揮するということでしたし、店先のガマガエルが迫力がありましたので、海外旅行用に買いました。

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 なんといっても一番多く見られたのが “吉野葛” の店でした。吉野葛を使ったいろいろな食べ物が売られていました。

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 仏具店では、前回来た時に “熊除けの鈴” を買いました。その鈴は小さい音ながらとてもよく響き、響き過ぎるためあまり使う機会はありませんが、なんとなく魔除け代わりに持っています。

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 先ほど飲んだ地酒がきいてきて、ほろ酔い加減になってフラフラと歩いているとシーズー犬と目が合いました。数年前亡くなった我が家のペットにとてもよく似ていました。小さなお守りのようなものが首輪についていました。

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 豆腐の専門店があり、多分この店は以前には無かったような気がしました。新しい店でしょうか。「豆腐づくし膳」が1,300円とあり、微妙な値段に思われました。

 

オフシーズンのためか昼時になっても人通りが少ない参詣道を、温かい陽射しを浴びながらノンビリと歩きました。

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2014年11月26日 (水)

吉野山 西行庵

11/7(金)の朝、まだ目覚めていない吉野の参詣道を抜けて、「金峯神社」の結界門に到着しました。今回の吉野行きの目的の一つである「義経隠れ塔」と「西行庵」へと向かいました。

 

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 ここ「金峯神社」は、7つある熊野古道の一つ「大峯奥駈道」の起点でもあります。ここ(地図の上部の「吉野」)から大峰山など熊野の険しい山々を越えて「熊野本宮大社」へと繋がっています。こんな道を歩けたらいいのですが、とてもそんな勇気はありません。

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 結界の門「修行門」をくぐってちょっとした傾斜の坂を歩いて行くと小さな鳥居と小さな「金峯神社」が見えてきました。

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 「金峯神社」の石段を上ってゆくと身が引き締まりました。敬愛する塩沼亮潤大阿闍梨が「大峯千日回峰行」に出立の時、修行者が「大峯奥駆道」に出立の時、ここで手を合わせたことを想うと、気持ちも引き締まるのでした。

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 階段を上りきると何もないお堂となっていて、その先には天界への階段があり、立ち入り禁止となっています。この何もない空間で神を想像する、何もない空間で心に浮かんでくることを想う、「熊野本宮大社」の「大斎原(おおゆのはら)」や「伊勢神宮」にも同じような空間があります。

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 「金峯神社」で手を合わせた後、その左手の坂を下ると「義経隠れ塔」があります。このひっそりとした小さなお堂のような “塔に義経や弁慶が隠れていたとの伝説が残っています。

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 「義経隠れ塔」は、「役行者(えんのぎょうじゃ 634年生まれ)」の修行場でもあったとのこと。「役行者」は熊野や大峯の山々で修行を重ねたとのことですので修行場はあちこちにあるようです。

 

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 「義経隠れ塔」から「金峯神社」の境内に戻り、さらに山の奥へと続く細い道は「大峯奥駆道」で、この道は「熊野本宮大社」へと向かいます。

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 あまり人が訪れない道ですが、標識はしっかりしていて道に迷うことはありません。

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 西行庵への道は急傾斜の細い道ですが、道はよく整備されています。桜の時期には多くの人が訪れ、一方通行になりますが、この時期にはほとんど人影を見ることはありません。

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 「西行庵」は、3回目で前回は2009.4に訪れました。5年前と変わらず、ひっそりと佇んでいました。この庵を抱くような吉野山は、春になれば桜が咲き、秋になれば紅く染まり、訪れる人もあるようですが、あまりにも寂しい場所です。しかしだからこそ、自分もそうであるように “行ってみたいと思わせてくれるのかもしれません。

 

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 「西行庵」から「金峯神社」に戻るルートはいくつかあり、この「大峯奥駆道」もその一つです。かつてここを訪れた時、この道をどこまで行けるか試したことがあり、次第に道が険しくなり、3時間くらい歩いて引き返したことがありました。(2つの画像は2009.4.9携帯で撮影)

 

3回目となった吉野山歩きで、前2回は桜の時期でした。今回は紅葉には早いのか遅いのかちょっとずれた時期で、人影は少なく、その分静に歩くことができました。特に “奥千本” と呼ばれる吉野山の奥からさらに奥に「西行庵」はあり、「大峯奥駆道」にも通じていて、結界の先の世界を感じることができる、今風に言えば “パワースポット” ともいえる聖域で、その雰囲気は5年前と変わってはいませんでした。

 

 

 

 

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2014年11月25日 (火)

吉野へ

11/7(金)は、熊野古道歩きを終えて、吉野山へと向かいました。

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 できるだけ早く吉野に着きたくて、新宮駅前のホテルを6時に出発しました。吉野への道は熊野市を抜けてゆき、熊野灘に突き当たりました。朝陽が昇り始めていて、水平線が薄紅色に染まり始めました。

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 しばらく海岸沿いの国道42号線を走っていると、岬に囲まれた美しい風景に出会いました。

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 急ぐ道ではありますが、素晴らしい景色でしたので小休止することにしました。ここは名勝の「鬼ヶ城」とのこと。熊野灘の荒波が岩を穿って、この奇岩景色が1kmにわたって続いているとのことでした。またここはユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部に認定されていて、世界遺産の対象エリアが山地だけではなく海岸まで広域的であることに驚かされました。

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 道は、海岸沿いの42号線を離れて山間部の奥へ奥へと続いていました。

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 まるで手掘りそのままのようなトンネルもあり、山奥へ進むにつれて時代が少しずつタイムスリップしてゆくような気分になりました。

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 吉野へ向かう道は、熊野の山の中で、あちこち張り巡らされたネットワークのように熊野古道は広がっていて、熊野古道の中で最も過酷と言われる修験道の道「大峯奥駆道」にもつながっていました。

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 ここは「大峯奥駆道」の「和左又登山口」で、自分がこの道を歩くわけではないのですが、ここが修験道の道への入口かと思うとちょっと緊張しました。「大峯奥駆道」は、自分にとっては憧れの道である一方、絶対に歩けそうもない道なのです。

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 道路はよく整備され(きっと積極的な公共投資が行われたものと思われ)、時々思い出したように現れる集落を繋ぐ重要な役割を果たしているようでした。

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 予定通り9時過ぎに吉野山に入りました。観光客で賑わう参詣道もひっそりとしていて、まだ眠りから覚めていないようでした。

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 お土産屋や旅館や宿坊などが軒を連ねる参詣道を抜けて、どこまでも走って行くと「金峯神社」の鳥居があり、ここで行き止まりとなりました。「修業門」とあり、まるで “結界門” のようでした。

 

桜のシーズン以外は通行禁止にはならないのですが、吉野山の道は細く、観光客が集まり始めると観光客をよけたり対向車と譲り合ったりなど運転がややこしくなりますので、早朝出発・早朝到着ということになりました。熊野から吉野への道は3時間、山の中を車で森林浴をしているような道でした。

 

 

 

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2014年11月24日 (月)

熊野古道 居酒屋巡り

11/6(木)、「熊野本宮大社」の参拝と「近露王子」や「牛馬王子」などのミニミニ古道歩きを楽しんだ後、新宮市のホテルへと戻りました。この次の予定では吉野山に行くことになっていて、新宮市に泊まらずに吉野へと向かうこともできたのですが、到着が夕方になりそうでしたし、新宮市宿泊のより大きな理由は “居酒屋巡り” でした。新宮市宿泊は、熊野古道歩きに出発した日(11/3)と11/6(木)の2泊ということになりました。1泊だけですと居酒屋巡りも1~2軒だけとなりそれでは寂しいので、2泊することにしました。

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 駅周辺(=ホテル周辺)の居酒屋を物色した結果、何軒かがアンテナにひっかかりました。先ず目についたのが、小さな居酒屋が肩を寄せ合っているいかにも場末風の居酒屋長屋でした。1泊目の開店直後に恐る恐るドアを開けるとなんと店内はどこも満席でした。それでは、2泊目に開店前に早めに入ろうと思ったのですが、カミさんが地元の人ばかりの中でなんとなく気が引けると言ったので結局パスしまいた。自分一人であればきっと入っていたのですが・・・。

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 結局1泊目に入った店は、「ゝ(ちょぼ)や」という変わった名前の居酒屋で、新宮市ですから是非とも鯨を食べたいと思い、 “大地港 くじら造り” に惹かれました。

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 女店員さんが着ているTシャツが面白いと思い、後ろ姿の写真撮っていいですかと聞いたら、後ろ姿でいいんですかと聞かれてしまいました。後でカミさんに、前向きの姿も撮りたいと言わないと女性は傷つくと叱られました。

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 オーダーしたのは、定番の “お造り” で、どこでも食べられる魚でしたが、どうしてこんなに “旨いのかなぁ” と思いました。

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 くじら造りは冷凍されたものが一品だけでちょっとがっかりしました。例えば、横浜の野毛商店街にある鯨の店で出てくるような鯨のいろいろな部位が盛り合わせてくるのかなと期待していたのですが。やはり大地港に駄目なのかもしれません。一方、 この辺りでしか食べられない “ウツボの唐揚げ” は歯ごたえがあり、甘みもあって美味しかったのです。

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 居酒屋が開店する目の明るい時間帯に、もう一軒目星をつけておいたのが 「まんまる」というこれまた変わった名前の居酒屋でした。

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 開店と同時に店先に明かりが灯りと雰囲気がガラリと変わり、行け行けモードとなりました。

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 ベニヤ板に張り出されたお品書きの “紀州の秋 店主自ら沖海で漁!” というお誘いに弱いのです。

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 店内に入ると飾り気のない雰囲気でしたが、生け簀が目につき、これだけで期待が高まりました。

 

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 魚の名前は、「グレ」はなんとなくわかりましたが「サゴシ」「ヘダイ」など名前のわからないものばかりで、ともかく店主が釣ってきたという地魚を一通りオーダーし、ついでに生け簀で元気よく泳いでいた「アジ」も。どの魚もコリコリと張りと甘みがあり、美味しくいただきました。そしてお勘定が予想していたよりはるかに安く、いつ再訪できるかわかりませんが、お気に入りの店が見つかりました。

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 泊まった「ステーションホテル新宮」のレストランも美味しく、特に “鰹出汁がよく効いた「きつねうどん」は絶品で、「マグロの漬け丼」と共に2泊ともこれで〆ました。

 

新宮市の街は想像していたのとは異なり、こじんまりとしていました。この近くには那智勝浦町など賑わっている街もあり、そちらも魚料理や鯨料理の店も多いかもしれません。しかし、今回入った「まるまる」や入り損なった場末風居酒屋長屋、機会があればもう一度入りたいしチャレンジもしたいものです。

 

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2014年11月23日 (日)

熊野古道 牛馬王子

11/6(木)、「熊野本宮大社」に参拝後、再び新宮市へと戻る途中、ちょっと寄り道をして逆方向へと車を走らせました。

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 今回の行程では、新宮市(熊野速玉大社)那智(熊野那智大社)小口熊野本宮大社新宮市と、歩いたり路線バスに乗ったり、マイカーを運転したりして熊野山中を動き回りました。動いてみると、熊野の山脈の懐が深いことがわかりました。走っても走っても山また山で、山裾にはたくさんの渓流から水を集めた河川が滔々と流れていて、自然がとても豊なのでした。

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 熊野古道中辺路ルートのちょうど中間地点にある「近露王子」がある里は、農家の店先に農作業などさまざまなライフスタイルを表現したユーモラスな人形が置かれていて、それだけでのどかな気分になりました。

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 熊野古道を歩いたというと、どんな道ですかという質問を受けます。さまざまな道があって、「大雲取越」のようないくつもの峠を越える山の中の道、最も人気のある「大門坂」のような道、街中を歩く道などさまざまで、東海道や中山道などと同じような道です。この道は「なかへち美術館」から「近露王子」や「牛馬王子」へといたる道で、快適に楽しく歩くことができました。

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 熊野古道では、「〇〇王子」という言葉が出てきます。「王子」とは簡単に言えば参拝の場所で、1213世紀頃、皇族・貴人の熊野詣で先達をつとめた修験者達によって整備され、熊野古道紀伊路・中辺路の沿道に九十九あるそうです。この「近露(ちかつゆ)王子」は、熊野三山の聖域の始まりとされていた「滝尻王子」からの熊野古道らしい山道の終着地点にあります。

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 「ちかつゆ」という地名は、「花山(かざん)天皇」が熊野詣でのとき、現在の「箸折峠」で食事をしようとして箸がなかったので、萱の茎を折って箸にし、そこから滴り落ちる赤い汁を見て “これは血か露か” と言ったことに由来すると伝えられています。

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 「近露王子」を見た後、「牛馬王子」へと向かいました。街中にこのような標識がありますので、見たい「王子」を拾い歩くのも熊野古道の歩き方の一つです。ここのケースのようにずーっと石畳の道を歩くわけではなくて、街中や住宅街の中を歩く道もあります。

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 「近露王子」から「牛馬王子」へと向かう途中、日置川沿いに小さな村落があり、里山歩きの雰囲気を楽しむこともできました。

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 「牛馬王子」への道は、一般の道から古道的雰囲気の細い山道となり、この道は傾斜もあってなかなか侮れない道でした。

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 一汗かいて、「牛馬王子」像と4年ぶり2回目のご対面となりました。王子像で最も有名なこの王子は「花山天皇」の化身ともいわれています。写真では大きく映っていますが、実際にはとても小さな像です。

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 この標識のように、あちこちに王子が散らばっていますので、歩く前にコースを決めておかないと時間はかかるし疲れてしまうことになります。

 

熊野古道は、血管があちこちに張り巡らされているように、熊野山中を縦横に巡っています。お気に入りのコースを選ぶのも楽しみの一つですが、その際に問題になるのが宿泊場所と移動手段です。この日は、車でポツリポツリと拾い歩きをしました。私たちは、4年前にツアーで下調べをしました。

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2014年11月22日 (土)

熊野古道 熊野本宮大社

11/6(木)、熊野古道歩き最終日は「熊野本宮大社」を目指しました。

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 前日の小雨の中の悪戦苦闘も「小口自然の家」で心身共に疲れを癒やし、山と川に囲まれた、古里のような「小口」を後にしました。

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 「小口」からは、路線バスに乗ってマイカーを駐めてある新宮市のホテルに向かいました。最近 “路線バスの旅” という番組をTVでよく見かけることがあり、何となく路線バスの楽しげな雰囲気を味わうことができました。

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 なるほど、路線バスは村の入口に止まっては地元の人を乗せ、車内はその人達が乗ってくる毎にローカルの雰囲気が漂い、一方窓の外には左側には熊野川が、右側には田畑や村落が見えて、ゆっくりとした速度でバスは走りました。

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 「小口」を早朝出発しましたので、新宮市には8時半に着いてしまいました。丸2日間、悪戦苦闘を重ねた古道歩きでしたが、バスに乗ってしまえば小一時間の行程でした。車を置いてあったホテルは新宮駅前のステーションホテルで、その近くにはミカンの専門店があり、自分たちが食べる分の確保と友人・知人達への配送手配をすませました。小ぶりのミカンほど甘かったのです。

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 「小口」からバスで辿った道を再びマイカーで「小口」まで戻り、更にその先の「熊野本宮大社」を目指しました。早朝曇りがちだった空も次第に青空が見えてきて、快適なドライブとなりました。

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 09:25 「熊野本宮大社」に着きました。これで「熊野速玉大社(新宮市)」、「熊野那智大社」と並んで熊野三山詣でが叶いました。

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 まだ観光客が押しよせるには早い時間帯のためか、辺りはひっそりとしていました。まだ暖められていない大気はヒンヤリとしていて、気持ちも身体も引き締まりました。

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 前回ツアーで訪れたとき(下の画像2010.4)は、ここ「熊野本宮大社」で最も大きなお祭り「熊野本宮大社例大祭」で、この辺りはごった返していました。山門の様子は4年前と変わっていませんでした。山門をくぐり、本殿を参拝し、ここまでの無事を感謝しました。

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 「熊野本宮大社」から500m離れたところに、「大斎原(おおゆのはら)」の大鳥居がありました。この大鳥居は高さ34m、幅42mだそうです。「湯殿山」の大鳥居も立派でしたが18mで、この鳥居の方がはるかに大きいのです。大鳥居の奥の森が「大斎原」です。

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 大鳥居をくぐると大木が連なっていて、歩みを進めるごとに聖域に近づいていました。

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 「大斎原」は神が舞い降りたといわれていて、最近はパワースポットともいわれていますが、何の建物もなくて緑の空間が広がっているだけで、かえってそれが聖域の雰囲気を高めているような気がしました。ここはかつて「熊野本宮大社」があった場所で、熊野川など三つの川に囲まれた中州にあり、明治22年(1889年)の大水害に飲み込まれたために現在の場所に遷座しました。

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 4年前の4月(画像は当時のもの)、ここに訪れたときは、神様がここへ行幸する行事が行われていました。1年に1回、「大斎原」が神様で賑やかになる時です。

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 この地を取り囲むような小さな山の稜線が続いていて、その上空には青空が広がっていました。もし熊野古道を「小口」から歩いていれば、古道はこの天空の道へと続き、天空から「熊野本宮大社」を望むことができたでしょうし、それは感激だったかもしれません。

 

「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」、「熊野本宮大社」の熊野三山詣でが完了しました。道々、前回訪れたときの諸々、4年間という歳月を考えてしまいました。この間の自分や家族の身の回りで起こったこと、仕事のこと、ヒマラヤをはじめ訪れたさまざまな国や場所のこと・・・。そしてこれからのことも・・・。

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2014年11月21日 (金)

熊野古道 小口自然の家

悪戦苦闘の11/5(水)の「大雲取越」でしたが、おばちゃん達と私たち総勢9人は、雪崩れ込むように「小口自然の家」に到着しました。

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 「小口」という初めて訪れた地は、山と川に囲まれた美しい村落でした。熊野古道・中辺路歩きのこのルートでは、「熊野那智大社」と「熊野本宮大社」を繋ぐ中継地として「小口」しか宿泊する場所はありません。

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 「大雲取越」では、石倉峠を越え、越前峠を越え、胴切坂を下り、ここのご主人には日暮れ(4時半)までに山道を脱出できるかどうか大変心配をかけてしまいましたが、ようやく入口に辿り着き、ここの明かりがとても温かく感じました。

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 「小口自然の家」という名の通り、春・夏・秋には青少年達がここをベースに自然に親しむものと思われ、よくある廃校となった校舎を改造したような懐かしいようなシンプルな造りで、とても寛いだ気持ちになれました。

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 ところが、廊下の壁に貼ってあった写真には皇太子殿下も訪れたようで、特にVIPルームがあるわけではなく、きっと同じ洗面所を使ったり、同じ風呂に入ったんだろうなあと感慨に耽ったりもしました。山が好きでいろいろな山に登ったりしている方なので、きっと違和感なくここでの滞在を楽しまれたことと思いました。

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 部屋もごくごくシンプルで、清潔感溢れるものでした。濡れた衣類を乾燥室で乾かし、風呂に入って身体を温めて、布団の上で手足を伸ばしたときの心地よさは格別のものでした。

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 食堂も、高校時代の学食のような雰囲気で、その頃に戻ったような懐かしい気分を味わいました。

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 食堂で顔を合わせた人たちの半数は外国人でした。彼らは途中まで一緒だったのですが、2時間くらい早くこの宿に着いたそうです。宿のご主人から聞いた話では、ここに宿泊する外国人のマナーが非常にいいとのことでした。まあ熊野古道を歩く外国人であればさもありなんと思えました。歩いているときでもこうして同じ釜の飯を食べているときでも愉快で明るく、そして穏やかな人たちでした。

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 夕食は、ごく普通の食事でしたが、心がこもっているようで、美味しくいただきました。

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 朝食も、ごく普通の食事でした。昼食には “おにぎり弁当” をつくってもらい、これも心がこもったものでした。朝食の時間も6時からと気遣いも嬉しいものでした。

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 日暮れまでに山道を脱出できるか心配になったとき、携帯で連絡をとり、丁寧にアドバイスをいただいたご主人は、とても心和む方でした。早朝出発(山歩きでは当たり前ですが)にも快く対応していただき、お忙しい中見送ってもいただきました。

 

熊野古道・中辺路歩きのこのルートでは、宿泊先の選択肢はここしかありません。いわば独占的なのですが、それに驕ることなく、誠心誠意私たちの身になってサービスしてくれたこの「小口自然の家」は、質素ですが “お も て な し” の気持ちがいっぱいで、外国人にもこの心地良さは伝わったのではないかと思いました。

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2014年11月20日 (木)

熊野古道 越前峠

11/5(水)の午後、熊野古道中辺路ルートの難コース「大雲取越」を雨の中、最後の峠越えとなる石倉峠と越前峠にさしかかりました。

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 12:49地蔵茶屋跡で昼食をとった後、最初の上りが石倉峠でした。苔むした岩が転がる石畳の道を縫うように上っていきました。

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 途中、斎藤茂吉の紀伊のくに 大雲取越の峰越える 一足ことに わが汗はおつという句碑があり、汗と雨でびしょびしょになりながら、少しずつ上りました。

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 「石倉峠」には何もなく、ただ標識があるだけでした。標識が左に指さす先には「小口」と「越前峠」がありました。

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 私たちが先行していたのですが、一休みしている間におばちゃん達が急傾斜の「越前峠」を這うようにして上ってきました。

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 私が写真を撮っている間に、カミさんは少しでも距離を稼ごうとモクモクと上っていきました。今回はかなり辛そうで、カミさんの自主判断とはいえ、こんな厳しいルートを選んでしまったことを、すまないなぁ!と思いながら少し後悔しました。

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 13:48 地蔵茶屋跡からほぼ1時間かけて「越前峠」を越えました。「越前峠」は “中辺路の中でも最高所となる” とあり、先ずはホッとしました。

  

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 ホッとしたのもつかの間、ここから延々と4kmの下りが始まりました。

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 苔に水分をたっぷりと含んだ石畳は滑りやすく、ほぼ一団となったおばちゃん達と私たちの隊列は次第にばらけてきました。

 

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急な下り坂は「胴切坂」と呼ばれる下りの難所でした。

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 14:49 そろそろ日暮れが気になりだした頃、不思議なことが起きました。この下り道を歩いているとき、初めてのはずのこの道はかつて歩いたような、道に真ん中に小岩がでんと座っている光景は目にしたような「既視感」があり、そんなことを考えて下っているうちに、夢で見た光景であることを思い出しました。

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 この道はたしかに夢で見た道だと思いながら歩いていましたら、今度は「蛇」が目の前をスーッと横切りました。

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 ひときわ大きな地蔵菩薩の周りには、苔むした岩が従者のようであり、ここが結界の出口のような趣がありました。

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15:10 「小口」まで残り2.5km。「越前峠」から2.3kmの距離を1時間20分かかりましたので、この先の時間を計算するとちょうど日暮れ時の16:30頃には「小口」に到着ということになります。

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 15:53 いよいよ4時近く、4時半には日が暮れ、日が暮れるとヘッドランプが必要になりますので、おばちゃん達と私たちは一丸となって坂を下りました。最初は賑やかなおばちゃん達に辟易していたのですが、こうして一緒になって行動できて心強く思いました。もしカミさんと二人きりだったらさぞかし心細い思いをしたことでしょう。

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 16:31 ぴったり計算通り日暮れ寸前に「小口」に着きました。

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 おばちゃん達+私たちの9人の集団はなだれ込むように「小口自然の家」に到着しました。

 

「熊野那智大社」から「小口」までの「大雲取越」の所要時間は、ガイドブックや「美滝荘」の主人が言っていた6時間を大幅に超えて9時間かかりました。多分、雨の影響が大きいと思いますが、山では何があるかわからず、体調を崩すことや捻挫などのトラブルが発生することもあります。日暮れが早くなるこれからの時期、退避できないルートではやはり早朝出発の必要性を再認識しました。

 

私たちが主張したように、やはり6時に「美滝荘」を出発していればもっとゆとりをもって楽に歩けたはずで、反省しました。

 

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2014年11月19日 (水)

熊野古道 大雲取越

11/5(水)、「熊野那智大社」から「小口」までの「大雲取越」の途中でかなり時間が経過していることに気づき、また雨も降ってきて焦りを感じ始めていました。

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 「箱根旧道」と同じような石畳が続いていて、雨に濡れてさらに滑りやすくなっていました。

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 道端に地蔵菩薩や旅人供養塔などが現れ、それぞれ曰わくがあるのですが、ゆっくりしている時間はなく、心で手を合わせながら通過しました。

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 「舟見峠」を越えてから急な下り坂となり、元気な足取りで上ってくる外人と出会いました。

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 急な下りが続くこの辺りは「八丁坂」といわれ、「亡者の出会い」という別名を持っていて、亡くなった大切な人と出会うこともあるといわれている坂です。とても滑りやすかったのでした。

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 「八丁坂」を下った後は再び急な上りが続き、後から元気な話し声が聞こえてきておばちゃん軍団が追いついてきました。

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 11:53 ほぼ中間地点まで4時間半かかりました。このペースで行くと、日暮れの16:30までに山道を脱出できるかどうか微妙になりました。

  

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 12:08 雨の中「地蔵茶屋跡」に設けられた休憩所に着いてとりあえずホッとしました。

 

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 どういうわけか先行していた外国人グループも駆け込んできて、かなり激しくなってきた雨を眺めていました。ここで「美滝荘」に宿泊した人たち全員が揃いました。

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 ちょうど昼時でしたので、「美滝荘」で出た弁当で昼食にしました。インターネット予約なのでキャンセルできないよという割には、中味は単なる “おにぎりで、特別に仕入れなければならないような ”おかずもなく、なんかなあぁ~と言いたくなりました。水の補給場所がどこにもなく、地元で仕入れたミカンが大きな救いとなりました。

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 この先、最後で最大の難所「越前峠」越えが待っていました。

 

この日「大雲取越」を歩いたのは「美滝荘」に泊まった外国人グループとおばちゃん達と私たちだけだったようです。このルートでは何が何でも「小口」まで辿り着かないと泊まるところはなく、この時点では他のグループと同じようなペースだったので一安心でしたが、それにしても日暮れまでにこの日の宿泊先に辿り着けるか不安でした。

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2014年11月18日 (火)

熊野古道 舟見峠

11/5(水)の07:25 不安を抱えながらに「美滝荘」を出発しました。ガイドブックによると14.5km310分の予定ですが、本当に予定通り辿り着けるのか心配でした。

 

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 「美滝荘」を出発してすぐ、「熊野那智大社」の参道を上りました。暇そうなワンちゃんが私たちをジイッと見ていました。きっとたくさんの熊野古道歩きの人をこうして出迎えたり見送ったりしてきたんだろうと思いました。

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 那智山から「小口」という所を結ぶ道のりは「大雲取越」といわれていて、舟見峠、石倉峠、越前峠と、標高800m前後の3つの峠があり、熊野古道中最大の難所といわれるルートのスタートをきりました。「青岸渡寺」の脇からの登山口は、ポッカリと大きな口を開けて待っていました。

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 いきなりの急坂の石段が延々と続きました。

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 「小口」まで270分とあり、4時間半の頑張りだと自分に言い聞かせました。

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 出発してほほ1時間、「那智高原公園」という唯一開けた所に出ました。この先、退避する道はありませんので、ひたすら「小口」まで頑張るより仕方ありませんでした。

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 高原公園からは石畳が続き、またまた上りの連続となり、前傾姿勢での上りとなりました。

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 500mおきに置かれた標識は心の支えとなりました。

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 ガイドブックには “鼻歌が出るような美しい石畳の道” とありました。たしかに美しいのですが、鼻歌どころではありませんでした。おまけに石畳の表面に生えている苔が滑りやすく、とても歩きにくかったのです。

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 「美滝荘」で同宿したおばちゃん達6人とおじさん1人のグループも追いついてきました。ある登山グループの人たちで、おばちゃん達はとても元気で健脚でした。

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同じく「美滝荘」で同宿した外国人グループも元気な足取りで追いついてきて、あっという間に先行していきました。

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 「舟見峠」辺りで、最初は霧状だったのですが、次第に雨模様となり、とうとう小雨となり、おばちゃん達も雨具装備となりました。この後、このグループとは前になり後になりという同じようなペースとなりました。

 

ガイドブックまで「舟見峠」まで4.4km100分となっていたのですが、実際には3時間かかってしまい、日暮れが早い時期ですので、日が暮れてしまったら滑りやすい道でもあり、この先が心配になりました。元気印のおばちゃん達グループと同じペースでしたので、私たちだけがスローペースというわけではなかったのですが・・・先が思いやられました。

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2014年11月17日 (月)

熊野古道 美滝荘

11/4(火)の熊野古道歩き1日目は、久しぶりの長距離歩きでほとほと疲れ、この日の宿泊先「美滝荘」でゆっくりと足を伸ばしました。

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 熊野古道歩きでは、東海道歩きや四国遍路とは違って宿泊先を探すのが大変でした。熊野古道沿いにホテルなどはなく、旅館や宿坊や山小屋は限定されていますので、自ずから歩くコースも宿泊場所も限定されてしまいます。この行程では唯一と言っていい宿泊先が「美滝荘」でした。

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 「美滝荘」はその名の通り、滝を見ることができる宿(但し見える部屋と見えない部屋があり、どちらかは運次第)で、私たちは最も早いチェックインをしましたので、滝が最もよく見える部屋に通されました。部屋の窓から見た「那智滝」は、相変わらず滔々と流れていていました。朝陽や夕陽を拝める部屋とか、名峰例えば富士山が見える部屋とかはありますが、滝の見える部屋というのは初めてでした。カメラのズームで見ると、60本くらいあるという滝の源となっている渓流が想像できるようなできないような。それはともかくとして、ご神体ともいえる滝を間近に見て過ごせるのはありがたいことかもしれません。

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 夕食は、前評判通り美味しく量も十分でした。地酒のコップ酒もとても美味しく、すっかり満足したのですが・・・。

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 宿泊客の半分近くは外国人でした。お定まりの朝食、塩鮭、切り干し大根、お漬け物、ノリ、納豆を私たちと同じように食べている姿はちょっと不思議でもありました。まあ、日本人でも熊野古道を歩く人が少ないのに、ましてや外国人にとっては日本式朝食などは当たり前ということでしょうか。

 

朝食後07:30に「美滝荘」を出発したのですが、その前に前日から一悶着あり、心配したことが現実となりました。

 

心配一、古道歩きの1日目が予想以上に大変でしたし、2日目はさらに大変そうでしたので、カミさんだけバスで先回りするという案も相談したのですが、何とか頑張るということになりました。

 

心配二、二人で頑張るとすると早朝06:00には出発したいので、朝食は弁当にしてもらえないかと相談したのですが、宿の主人は “6時間もあれば大丈夫だし、弁当を作るにしても7時過ぎになる、また予約してあった昼食弁当も7時過ぎになるし、インターネット予約なのでキャンセルできない” というつれない返事でした。

 

結局、06:00出発という希望が叶えられず、朝食後07:30出発ということになり、この時間差に苦しむことになりました。

 

この日の予定コースは、最大難コースといわれていて山登りに近い行程です。いわば「美滝荘」は山小屋のような存在ですから、山小屋では当たり前の早朝出発、朝食代わりの弁当サービスが必要だと思うのですが、前評判がよかっただけに、自己都合しか考えないのは残念でした。また「美滝荘」しか選択肢がないのも残念でした。

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2014年11月16日 (日)

熊野古道 熊野那智大社

11/4(火)の午後2時、宿泊先に到着しチェックインまで時間がありましたので、リュックを預けて「熊野那智大社」の参拝に出かけました。

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 熊野三山の一つ「熊野那智大社」にようやく辿り着いたという感じでした。時間は午後2時、宿のチェックインまでたっぷりと時間がありましたので、ゆっくりとした気持ちで鳥居をくぐることができました。

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 「熊野那智大社」の社殿や境内地は、2004年7月にユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一部として認定されました。那智山一帯が霊山としてまとまりを見せ始めたのは平安時代後期のことといわれています。なかなかイメージが結びつかないのですが、ここはまぐろでも有名な観光地の那智勝浦町にあります。

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 拝殿の奥にある本殿をお詣りしました。ここまでの無事やら明日からの強行軍の無事、仕事が上手くいきますように、家族や友人・知人の無事、合格祈願などなど、たくさんお願いをしてしまいました。

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 「熊野那智大社」に隣接して「青岸渡寺」があり、ご本尊は如意輪観音で本堂の前に立っていました。かつては「熊野那智大社」とともに神仏習合の修行道場でした。明治時代に神仏習合が廃止されたとき、熊野三山の他の二つ、「熊野本宮大社」や「熊野速玉大社」では仏堂は全て廃止されましたが、ここ「熊野那智大社」では如意輪堂が破却を免れました。全国あちこちで廃仏毀釈の傷跡を目にすることがあり、ここは免れましたが明治政府はバカなことをしたものです。

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 私たちが那智といえば条件反射的に連想する「那智滝(なちのたき)」は、滝壺までの落差は133mで、総合落差としては日本12位なのですが、一段の滝としては落差日本一で、華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑をいわれています。

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 私たちが目にするこの滝は「那智の滝」の「一の滝」でその上流の滝と合わせて「那智四十八滝」があり、熊野修験の修行地となっています。この滝上にまた滝があるということが信じられず、できるものなら見てみたいものです。

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 「熊野那智大社」から「青岸渡寺」を巡って「那智滝」にいたるコースは一般的な参拝ルートとなっています。「那智滝」は観光バスの駐車場に近く、手軽に観光できますのでここには多くの観光客が歩いていました。

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 「熊野那智大社」の社殿は現在は那智山の上にありますが、元来はこの「那智滝」に社殿があり、滝の神を祀ったものだと考えられています。いわば「那智滝」は、日本的信仰の象徴のようなものです。飛瀧神社の境内に設けられた滝見台へは入場料を払って入り、滝の飛沫を浴びると願い事が叶うといわれ、私もイソイソと入場を払いました。

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 落差133mの飛沫が落下し、岩に砕け散っていました。「那智滝」は山の上の方にあり、この滔々と流れ落ちる大量の水はどこから来ているのか不思議でした。枯れたり尽きることはないのでしょうか。ものの本によると、那智山中の那智原始林には、いくつかの渓流があり、その渓流には60もの多くの滝があるとのことでした。

 

新宮市の「熊野速玉大社」を早朝出発し、8時間かけて熊野三山二つ目の「熊野那智大社」に辿り着き、重い足を引きずって、大社を参拝し、滔々と激しく落ちる滝の飛沫を眺めていると少しずつ疲れもとれてきました。

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2014年11月15日 (土)

熊野古道 大門坂

11/4(火)、熊野古道中辺路歩きの一日目、出だしは順調だったのですが、砂浜や坂や峠を歩いているうちに疲労がたまってきました。最後の頑張りでこの日の最終目的地「熊野那智大社」を目指しました。

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 「補陀洛山寺」に隣接して、「熊野三所大神社」と書かれた石碑があり、神仏習合の名残を見ることができました。ました。夫須美大神・家津美御子大神・速玉大神の三神を主祭神とすると説明があったのですが、疲労と先の行程への焦りであまり頭には入りませんでした。

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 那智勝浦町にあるこの神社は、熊野古道の紀伊路・中辺路の道沿いにある九十九王子(神社)の一つである「浜の宮王子」の社(やしろ)跡に建つため「浜の宮大神社(はまのみやおおみわしろ)」とも呼ばれています。先を急ぐ旅ではありましたが、お詣りをしました。

 

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 「荷坂の五地蔵」という石仏群があり、その脇には「平敦盛」を供養したものという解説がありました。一の谷の合戦や屋島の戦いと関わりがあるとのことでしたが、それとこの地との関係については諮りかねました。熊野古道は、じっくりと歩けば大昔からの歴史を考え、思いを馳せることができる道なのですが。

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 「補陀洛山寺」からの道は、海岸から離れ、街中を抜けて山に向かっていました。コンクリートで舗装された道を歩いている足腰はさらに辛くなってきました。家並みの中を抜ける道は、休むところやトイレやコンビニなどもなく、出発して6時間(12:28)、昼食をとるために腰を下ろす場所もなく、辛い道でした。行けども行けども先が見えてこないという感じでした。

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 13:01 ようやく「大門坂」の入り口に着きました。まずはホッとしましたが、まだ最後の上りが残っていました。

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 「大門坂」は中辺路でも最も人気の高い坂です。石畳が美しく、観光ツアーでは必ず訪れる場場所でもあり、軽装の観光客はホイホイと身軽に上っていきましたが、私たちは7時間近く歩いてきたうえに、重いリュックが肩に食い込み休み休み上りました。カミさんはできることならタクシー呼びたいと弱音を吐き始めました。

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 13:51 普通であれば30分くらいで上れる「大門坂」を、なんと50分もかけて上ました。

 

ガイドブックによると、「熊野速玉大社」から「熊野那智大社」までの行程は22km・6時間とありましたが、8時間近くかかり、休憩の時間(あまりとりませんでした)を考慮しても “ちょっとおかしいんじゃないの” といいたくなるものでした。カミさんの万歩計では41,000歩とあり、砂浜、坂、峠、また坂と続いた道は疲れるわけだと納得しました。この先が思いやられました。

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2014年11月14日 (金)

熊野古道 補陀洛山寺

11/4(火)の早朝に出発して、熊野古道の中辺路ルートを高野坂まで辿り着いた後、補陀洛(ふだらく)山寺を目指しました。

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 ついに出てきたというか、歩道のない国道歩きの道が現れました。東海道でも中山道でも、街道歩きの宿命でしたが、熊野古道も同じでした。

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 この中辺路ルートの最大の特色はいくつかの峠を越えることで、「小狗子(こくじ)峠」もその一つでした。国道を歩いているとトンネルが見え、そのトンネルの上が峠になっていました。

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 そして次に現れたのが「大狗子(おおくじ)峠」で、この道もトンネルの上を歩く道で、なかなか趣がありました。

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 とてもシンプルな手作り感のある標識も趣があり、道も変化に富んでいて面白かったのですが。

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 ホテルを出発して4時間、小さな峠とはいえ二つ越えて、疲労やノドの渇きを感じていたとき、ミカン農家の軒先に “ご自由にお召し上がりください” と書かれた箱があり、遠慮なくいただきました。小ぶりで不揃いでしたが、味は濃厚でジューシーで、ビタミンCの補給にもなり大助かりでした。

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 今回の中辺路ルートでとても興味を持っていたのが、この「補陀洛(ふだらく)山寺」でした。補陀洛とは古代サンスクリット語で、観音浄土を意味するそうです。第16代の仁徳天皇(4世紀頃)の時代に、インドから熊野の海岸に漂着した上人によって開山されたと伝えられる古刹です。

 

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 「補陀洛山寺」といえば「補陀洛渡海」が有名です。補陀洛渡海とは、解説パネルに見るように、生きながらに南海の観音浄土(補陀洛浄土)を目指した一種の捨身行であるとされています。5mくらいの舵もない小舟につくられた小さな座敷牢のような小屋(外から釘打ちされますので脱出できない)に閉じ込められて、潮の流れに身を任せるというものです。修行僧が自ら渡海したケースと住民達に無理やり渡海させられたという悲惨な例もあるようです。井上靖が「補陀洛渡海」という小説も書かれています。

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 「補陀洛山寺」を後にして、テクテクと歩けども歩けども目標が近づく感じがしなくなり、ようやく「大門坂」方向を示す標識を目にしたときはさすがにホッとしました。久しぶりの20km歩きは次第にしんどくなりつつありました。

 

15kmくらい歩いて6時間かかりました。ここまでふり返ってみれば、砂浜を歩き、高野坂を上り、二つの峠を越えて、変化はあったのですが、重い荷物を背負っての久しぶりのテクテクはかなり疲労が蓄積されてきて、この先の行程が不安になりました。

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2014年11月13日 (木)

熊野古道 高野坂

11/4(火)、いよいよ熊野古道歩きのスタートをきりました。

 

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 熊野古道についてはたくさんの本が出版されていて、どれを参考にしていいか迷うほどでした。結局最も参考にしたのは「歩く旅の本」というタイトルからしてそそられた一冊でした。

 

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 前日(11/3)に、「熊野三山」の一つでスタート地点でもある「熊野速玉大社」への参拝は済ませていましたので、06:15ホテルを出発し、前日確認しておいた古道のお地蔵様に挨拶し、テクテクの無事を祈願しました。

 

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 早朝(06:26)の路地はシーンとしていて、心なしか足音も静かにという歩きで徐々に身体慣らしをしました。街道歩きでも同じですが、こういう路地は目印や標識がないため本道から外れやすく、道に迷いやすいので、前日確認しておきました。

 

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 街中でも、こういう標識があると古道歩きの雰囲気が出てきて、ホッとすると共に実感が湧いてきます。街中を歩いていて、そこの住民の皆様が日常生活を営んでいる脇でノンビリとテクテクしているのは気がひけるものです。一方では、それぞれの地方によって異なる暮らしぶりをウオッチするのも一つの楽しみではあるのですが。

 

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 歩き始めて45分(07:03)、王子ヶ浜に出ました。熊野灘は穏やかで、青空も広がっていて、快適な歩きでしたが、重いリュック(カミさんの負担を避けるためできるだけ多くの荷物を詰めました)を背負っての砂浜歩きは、脚にかなりこたえました。

 

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 07:22高野坂の上りにさしかかりました。早朝ジョギングをしていた元気なおばちゃん(全国どこへ行っても見かけます)から、 名前はすごそうだけれど、大したことないからと元気づけられました。

 

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 緩やかな上りが続いて、健康で歩けるありがたさをかみ締めながら、カミさんととりとめのない話をしながら、道端の石像に見守られながらの古道歩きがスタートしました。

 

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 展望がきく場所に出ると、これまで歩いた「王子ヶ浜」と浜にゆったりと打ち寄せる熊野灘の波頭が見え、山の中という熊野古道のイメージが、中辺路ルートは海の道でもあることを知りました。

 

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 古道歩きでも街道歩きでも、そこが初めての道であれば次にどんな光景や風景が現れるのだろうかというのが最大の楽しみです。

 

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 四国八十八ヶ所の遍路道ほどではありませんが、標識はしっかりしていて安心して歩くことができました。

 

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 再び海外沿いに出て港町を歩いていたとき、立派な廃屋がありました。地方を歩いていて廃屋はしばしば目にしますし、これは都会でも同じですし、心痛みます。取り壊して平地にするとお金がかかるため放置しているということをよく聞きます。自治体が買い取って有効利用できないものだろうかとか、現在の法令を変えられないかとか考えてしまいました。

 

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 09:08 海岸線の国道42号線を歩いていると、マックなどの店が並んでいる地域に出ました。この先、食料を調達できそうな店やコンビニはなさそうでしたので、昼食用にマックでハンバーグを仕入れました。古道歩きでは、こういう店やコンビニは砂漠のオアシスです。

 

出発してほぼ3時間、ここまではガイドブックの距離と参考時間を照らし合わせると順調でしたが、久しぶりの20kmを超える行程(22km6時間)でもあり、峠越えもあるということでしたので、あまりゆっくりしていられない歩きとなりました。

 

 

 

 

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2014年11月12日 (水)

熊野古道 速玉大社

11/3(月)の午後、神倉神社にお詣りして足慣らしをした後、「熊野速玉大社」へと向かいました。

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 神倉神社から「熊野速玉大社」へは、新宮市の街中をブラブラと歩いて15分くらいの道でした。ちょっとだけタイムスリップした、古い街並みが残る、落ち着いた佇まいの路地でした。こんな路地をゆっくりと歩くのも旅の楽しみかもしれません。

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 11/3のこの日は祭日で、そのお昼過ぎ、速玉大社の参道は静かなものでした。ここを訪れたのは二度目で、前回はツアーで来ましたので賑やかでした。 

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 境内に入ると、梛(ナギ)の大樹がありました。推定樹齢1,000年、高さ20m、幹まわり6mの見事な大樹で、ナギとしては国内最大であるとされています。ナギは凪に通じることからナギの実を束ねたものや枝を護符にもされます。

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 ここ「熊野速玉大社」は、「熊野那智大社」や「熊野本宮大社」とともに熊野三山といわれていて、和歌山霊場巡りの一番札所にもなっています。今回の熊野古道歩きは、ここ速玉大社をスタートして熊野三山を巡ります。

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 訪れる人がほとんどなく、境内はひっそりとしていました。空気は清浄に感じられ、温かい陽射しがほのぼのと感じられ、久しぶりに味わう穏やかな時間でした。

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 厳かな気持ちで手を合わせ、ゆっくりと時間をかけて、古道歩きの無事を始めいろいろな願い事をしてしまいました。

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 速玉大社での参拝を終えて、街に出るとミニミニ門前町がありました。カミさんは、ここで暇そうなお店のおばちゃんと何やら世間話をしていました。どうして女性はこうも素早く打ち解け合えるのでしょうか。

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 店先にはみかんが山盛りになっていて、 “つめほうだい!” とあり、その後ろの方に “神様の前です厳粛に詰め・・・” という立て看板がありました。

 

今回の熊野古道歩きは速玉大社からのスタートと考えていたのですが、翌日ホテルを出発してここ速玉大社に寄ると小一時間くらいの時間がかかりそうでしたので、この日のうちに参拝を済ませました。そのおかげで森閑とした厳かな雰囲気を感じることができ、翌日の古道歩きのスタートに向けて心の準備ができました。

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2014年11月11日 (火)

熊野古道 神倉神社

11/3(月)の午後に新宮市に着き、新宮駅前のホテルに車を駐めて、あの小高い山(標高120mの神倉山)にぶら下がるように見えた神社にお詣りすることにしました。

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 この神倉神社は、この境内が国の史跡「熊野三山」の一部になっていますので、ここも世界遺産の一部になっているとのことでした。実際にこの鳥居の前に立ってみると、ここはここであまりそういうことには関係ないような雰囲気でした。

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 ここの階段は538段あるとのことでした。テクテクとはいいながら、このところ楽な旅ばかりで脚が鈍っていましたので、翌日からの古道歩きにはうってつけの足慣らしになりました。

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 上る人も下る人もモクモクと足下を見つめて、まるで行をしているような足取りでした。この急勾配の鎌倉積み石段は源頼朝が寄進したとも伝えられています。それではこの石段ができる前はどんな状態だったのだろうと思いながら上ったのでした。

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 七合目(勝手にそう思っただけですが)辺りまで上ったところ、モノトーンの世界にあって凜として薄紫色の花が小さな群落をつくっていました。

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 上に上るにつれ、石段は比較的緩やかになってきました。標高120mとはいえ、心なしか空気はよりヒンヤリと感じ、火照って汗ばんできた身体には心地よく感じました。

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 山頂近く、神社の手前に大きな岩があり、注連縄が張ってありました。神倉山には神話時代に遡る古くからの伝承があって、「古事記」や「日本書紀」によれば、神武天皇が東征の際にこの山に登ったともいわれています。といわれて、素直に手を合わせるのがいかにも日本人なのです。

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 山上にはゴトビキ岩(「琴引岩」とも)と言われる大きな岩が神社にのしかかっていました。ゴトビキとは新宮の方言でヒキガエルの意味で、この大岩がご神体となっています。山中湖近くの石割山にある石割神社の岩も大きなものでしたが、同じくらいの大きさでしょうか。石も木も崇める気持ちがあればご神体になる日本人の宗教心を外国人にはなかなか理解できないようです。

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 ゴトビキ岩が落ちないように下から支えました。このように 落ちてはいけないものを支えるというスタイルが “合格祈願” に通じているようで、時期が来ると支える人が増えるようです。私も、理事長をしているNPO法人のヘルパーさん達が何人か国家試験に挑戦していますので一生懸命支えました。合格しますように!

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 標高120mの山上からの眺めは、新宮市を一眸でき、その向こうには熊野灘が、その上には青空があり、清々しい気分となりました。

 

熊野古道歩きの足慣らしとして軽い気持ちでお詣りした神倉神社でしたが、急傾斜の石段を上るうち、そして山上の大岩と対面して、厳かな気持ちになり、翌日からの古道歩きの気分が盛り上がってきました。

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2014年11月10日 (月)

熊野古道 新宮市

11/3(月)~8(土)の6日間、熊野古道歩きに出かけました。熊野古道へは2010/4にツアーで出かけたことがありましたので、4年ぶり2度目となりました。

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 今回の熊野古道歩きでは、熊野三山の一つ速玉大社がある新宮市をベースとしました。新宮市までは520kmの距離がありますので、早朝出発となりました。東名高速を走っていると、青空に白い雲がポカポカと浮かんでいて気持ちのいい夜明けとなり、足柄山中辺りになると遠くに富士山が姿を現しました。

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 御殿場I.Cからは新東名高速へと分岐しました。かつて新東名高速の工事が始まった頃、なんて無駄な公共投資をするんだろうと思ったりもしたのですが、こうして快適に走れると渋滞も緩和されているようですし、よかったのかなあと思ったりもして勝手なものです。

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 新東名高速は直線ラインが多く、その分山の中を突っ切っていますので、景色がとてもいいのです。かなりスピードを出してもそれほどのスピード感は感じないのです。

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 愛知県豊田市辺りから伊勢湾岸道路に入りました。この辺り一帯は名古屋港や四日市コンビナートがあり、近代的工業都市の上空を突っ走る豪快なルートでもあり、時々フェラーリやランボールギニなどがレース並みのスピードで疾走しているのを見かけたことがあります。

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 伊勢湾岸道路から名阪国道へと分岐し、京都府亀山市辺りを突き抜けました。このルートは整備された幹線道路ですが無料なのです。

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 名阪国道から一般道に出て尾鷲市を抜け、熊野市に入ると熊野灘を左に見て国道42号線を南下しました。

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 新宮市内に入ると先ず目についたのが “ミカン屋” でした。店頭にはミカンばかりがドッサリと並んでいて、試食してみたらとても美味しく、以降、旅の友とお土産(配送手配)となりました。

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 もう一つ目についたのが、小高い山の頂きに今にも大きな山に押しつぶされそうになりながら建っている神社でした。神倉神社で、新宮市にある熊野速玉大社が管理している摂社で、「熊野三山」の一部で世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。

 

早朝に自宅を出発し、ルートの7割が高速道路でしたので、お昼過ぎには新宮市に着いてしまいました。

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