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2015年2月28日 (土)

モロッコ紀行 土漠

2/6(金)、ツアー4日目はサハラ砂漠の入り口の町エルフードを目指しました。

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 フェズを出発して高原地帯を走り、途中モロッコのスイスと称されるイフランの峠を越える予定が雪に閉ざされ旧道を走ることになりました。

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 峠を越えることができず引き返して旧道に入りました。樹木や草の緑がすっかり姿を消して、チベット高原を走っているような光景となりました。

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 何のための土の壁なのか、砂礫と土を練って積み重ねた壁は、シルクロードのような雰囲気でした。

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 土漠の道をひたすら走ると前方には土でできた村落が現れ、いつも暮らしぶりを考えたりするのですが、こういうところでの暮らしは想像することができませんでした。道は舗装されていませんがそれほど走りにくい感じはしませんでした。

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 砂礫のような石を積み重ねた家に電気はきているようでしたが、木材はほとんど使われていないようです。

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 何人かの人が手持ち無沙汰でたむろしていました。考えることやめて、ぼんやりとした頭で通り過ぎる光景を見ていました。

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 山すそにつくられたこの街は、道が舗装され街灯(電気がくるかどうかはわかりませんが)も比較的整備されていました。多分、人がたくさん集まる何らかの地理的な条件があるのでしょう。例えば旅人や商人が一日くらい歩く距離のところに宿場町ができるように。

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 比較的大きな集落を過ぎるとまた土漠の世界が広がっていました。

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 突如としてという表現ぴったりに大きな建物が現れ、ここはレストランでした。

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 乾いた風景をずっと見ていてノドまでが渇き、先ずはビール。昼食のメニューはマスのグリルとアップルタルトでした。すっかり写真を撮るのを忘れてしまったのですが、この辺りはきれいな水が流れているのでニジマスの養殖が行われているとのことでした。大きなマスが出てきて夢中で食べてしまいました。

 

何もかもが土できている土漠の世界でしたが、そこにも人は住みついていて、例えばネパールの4,000mの山岳地帯で細々とジャガイモを作っている人を飛行機から眼下に眺めた時と同じように、もしここに自分が生まれていたらと、思ってしまうのでした。

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2015年2月27日 (金)

モロッコ紀行 雪景色

2/6(金)、フェズからヨーロッパのような街並みが広がるイフランに立ち寄って、エルフードを目指しました。

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 いつも見られる朝の出発風景でした。決められた時間にホテルの部屋の前に出しておいた荷物はポーターさんがバスへと運んでくれました。荷物には通し番号がしっかりとついていて、出発前にツアーコンダクターのYumikoさんや現地ガイドのジャリロさんたちが何回もチェックしていました。この日の出発は8時でした。

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 ひときわ高く聳え立つモスク、トルコやパキスタンと違って四角い形にも慣れましたが、ほとんど早朝のアザーン(祈りの呼びかけ)耳にすることはありませんでした。トルコやパキスタンでは夜が明けるか明けない頃に大音響のアザーンが響き渡り、飛び起きたこともありましたが、ここではイスラム教徒以外の例えばベルベル人たちがいるから遠慮しているのでしょうか。

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 昨日散策したフェズのメディナ(旧市街)の早朝の姿を見ようとメディナに立ち寄りました。出入り口の門はどっしりとしていて、精巧なモザイクと美しい色は長い歴史にも色あせることなく、10世紀前の空気と現代の空気の調節弁のようでした。

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 メディナの中はひっそりとしていて、それでも一日の活動を始めた人がポツンポツンと歩いていました。日中の喧噪が嘘のようで、これだけ人の流れが少ないとグループは私たちだけでしたので迷子になる心配はありませんでした。

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 メディナの迷路を歩いているとき、ツアー客の誰かがトイレに入りたいと言い出し、公衆トイレはありませんでしたので、現地ガイドのジャリロさんが知り合いの宝飾店というか彫金屋というか、お店に入りました。若い店員さんは日本語がペラペラで商品説明をして、結局何人かがここでお皿などを買っていました。たしかに買いたくなるようなものがたくさんありました。

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 この日は、イフランというリゾート地を経由してエルフードを目指したのですが、峠を越えなければならず、雪のために引き返すという確率も高いということで、ハラハラしていました。前方に見える小さな山には積雪が見られちょっと不安になりました。

 

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 モロッコのスイスと称されるイフランに近づいた辺りも避暑地にあるようなレストランやプチホテルなどのホテルが目立つようになりました。

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 しかししかし、モロッコで雪景色を見るとは思いませんでした。結局、峠への道はゲートが閉ざされていて引き返すことになりました。

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 いかにもリゾートというような建物もありましたが、一方ではとても寒そうな建物があり、そこにいる人たちも寒そうでした。

 

峠が越えられるかどうかはゲートまで行かないとわからないとのことで、多くのバスがゲートまで行って引き返していまし、同じクラブツーリズムのツアーバスも引き返してきました。私たちも引き返したのですが、ゲートまで行かないとわからないというのがいかにもモロッコ的というのでしょうか。

 

バスで走っていてしばしば目にしたのは格差的な風景で、日本でも格差が取りざたされていますが、モロッコの格差はきっと日本の何倍にもなるんだろうなあという印象でした。しかし、モロッコの風景を見ていると、だから何なのとも思えるのでした。

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2015年2月26日 (木)

モロッコ紀行 なめし革職人街

2/5(水)の最後のプログラムは、フェズのメディナにある「なめし革職人街」の見学でした。

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 フェズのメディナは世界一の迷路といわれ、メディナは一つの大きな街ですのでそこで商売する人も暮らしている人もいます。目印のない同じような細い路地は四方八方につながっていますのでここで迷ったらお終いです。ここを歩くときの注意は、はぐれたらその場から動かないことということでした。

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 ちょっと広めの路地は子供たちの遊び場になっていました。この風景は世界中共通のようです。

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 なにしろ10世紀もの歳月が経っていて世界遺産の街ですから補修も大変のようです。建物の壁がはがれたり倒壊を防ぐために材木が支えとして使われていました。

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 いきなり異臭が漂い、建物の入り口でミントの葉を渡され3階に上がってみれば、TVの旅番組や観光パンフレットで見たままの世界がそのままに。ミントの葉はこの地方の名産であり、鼻先にかざしての匂い消しの役目を果たしていました。

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 四角いコンクリート製の用水桶はそれぞれの行程で分けられているようです。この白いペンキのように見えるのは石灰で、皮をなめしているとのことです。この用水池はそれぞれがレンタルで借りているそうです。要するに所場代を払って仕事をしているようです。

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 フェズのメディナ(旧市街)のでは105種類の手工業が営まれているといわれていて、職人たちは階級制に基づく同業組合を結成していて、それぞれの組合で伝統的な規則が敷かれています。手工業の中でもこの「皮なめし」が最も有名になっています。

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 皮なめしのこの工房は、汚水を排出するためにフェズ川下流に設置されていて、異臭と染料による汚染の対策として搬入・搬出は大通りから外れた通路で行われていいます。伝統技術を守るために、フェズ川の管理も大変でしょうね。

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 この建物に入るとき渡されたミントの葉を鼻先にかざしても、独特の臭いは容赦なく体にまとわりついてきました。私は鈍いせいかだいぶ慣れましたが、ツアー客の中には気分が悪くなったり花粉症のような症状がでた人もいました。

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 この人たちは何をしている人たちか、バランスを崩して落ちたらどうなるかなとかハラハラしながら見てしまいました。

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 ここでの最終工程は干すことのようで、あちこちの窓や屋上には製品化される前の段階の皮が干されていました。ここに至るまでの行程を考えると、最初に ”屠殺” という行程があるわけで、革製品についてしばし考えてしまいました。

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 凄まじい光景と異臭でいささかぐったりとして “皮なめし見物から出てくると、こちらも何かを造っている工房のようで、頭がボーッとしたせいか不思議な印象でした。

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 長い長い一日の最後、ホテルでの夕食会場は各国からの観光客でいっぱいでした。

 

フェズのメディナ(旧市街)観光はかなり強烈な印象でした。特に「皮なめし工房」は、なんと表現していいかわかりませんでした。伝統工芸を守るというモロッコ政府の施策が守られているといってしまえばその通りなのですが、革製品ができるまでのすさまじい行程、異臭と寒さ(夏は45℃にもなる酷暑)の中、黙々と働く職人の姿は感動的でした。まあ日本でも、厳しい自然や環境の中で伝統工芸を守ろうとしている職人さんたちがたくさんいるわけで、職人魂は万国共通といえるかもしれません。

 

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2015年2月25日 (水)

モロッコ紀行 メディナ

2/5(水)、フェズに到着しメディナ(旧市街)を散策しました。

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 私たちのバスがフェズへ向かっている途中、しばしば道端で立っている人を見かけました。ヒッチハイカーのようでもないしと思ってツアーコンダクターのYumikoさんに訊くと、路線バスを待っている人だとのこと。ただし、そのバスのダイヤは決まっていないし、来るか来ないかもいつ来るかもわからないとのことでした。いやはや、私には暮らせません。

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 フェズのメディナ(旧市街)が見えてきました。周りを小高い丘陵に囲まれ、盆地になったようなところに街は築かれていました。この旧市街は周囲10km以上といわれ、世界で一番大きな迷路といわれています。世界遺産の街でもあります。

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 いよいよ世界一の迷路に足を踏み入れました。ガイドのジャリロさんを先頭にYumikoさんが最後尾について、まるで洞窟探検のような気分でしたが、ガイディングレシーバーを装着していましたので少し安心しました。

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 細い辻が四方八方に通じているのですが、さまざまなものを売っている小さな店が軒を連ねていて、ついつい見とれてしまいました。

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 小ぶりの色鮮やかなオレンジ、1kg50円という安さに惹かれて買いました。これがめっぽう旨く、以後の旅の友となり、二日くらい楽しむことができました。

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 ラクダの頭が。今回のツアーではサハラ砂漠でラクダに乗るつもりでいましたので、これにはかなりギョッとしました。ラクダは食べられてしまうんですね。

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 狭い路地を馬が通りました。これも食材になるのかなあとギョッとしましたが、モロッコではラクダは食べても馬を食べる習慣はないようです。私は “サクラ刺し” は大好物なのですが。

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 好物のハムやソーセージが並んでいました。ホテルの食事(ビュッフェ)で食べてみたのですが、この日までのハム・ソーセージは脂分が足りなくてちょっとなあという印象でした。

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 このヒズメは何のヒズメと訊こうとしたのですが、ガイドのジャリロさんは先に行ってしまいましたので何のだかわかりませんでした。大きさと形状から見てラクダかな?どんな料理をして、どんな味がするのでしょうか。

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 魚もいることにちょっとビックリしました。カサブランカや首都ラバトは沿岸の都市ですが、フェズはちょっと内陸に入ってはいるもののそれほど海からは遠くないので流通するのでしょう。そういえばこの日の昼食に “イカタジン” を食べました。

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 フェズの旧市街は9世紀頃から建設が始まったとのことです。

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 首都が他の都市に移された時であっても、フェズはモロッコ人にとって特別な都市であるようです。数世代前から街に住み続けているフェズの住民はファシ(ファーシー)と呼ばれていて独自の言語も持っているとか。

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 モスクです。路地が複雑に入り組んでいて、狭い路地には肩を触れ合うような人混みでしたが、一歩モスクに入るとそこは聖域で、周りの喧噪が嘘のようでした。

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 フェズは、モロッコ南部のサハラ砂漠、アトラス山脈、沿岸都市のカサブランカやメクネスなどの交易路が交差する地点で、隊商宿や巡礼者や商人のための小規模商店が多く建てられて今日に至っているわけですが、歴史を積み重ねた結果、あちこちの補修も必要になってきています。

 

昨年世界一のバザールといわれるトルコのグランドバザールを歩きましたが、そこはかなり整然とした印象を受けたのですが、フェズのメディナは生活感が溢れていて、観光気分というよりそこで生活している人の気分で見ることができ、あまり疲れませんでした。

 

 

 

 

 

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2015年2月24日 (火)

モロッコ紀行 ロバ

2/5(木)、古都メクネスからこの日の宿泊地フェズへとバスで移動の途中、陶芸工房に寄りました。

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 メクネスでかなりのんびりして、バスに乗り込んで通り過ぎる風景を楽しみました。それほど田舎でもない街をこれまたのんびりとロバが荷車を引いて歩いていました。

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 少し走るとまた景色は変わり、草原とその向こうにはポツリポツリと白い建物が見え、のどかな田園風景でした。その上にはでっかい雲が覆い被さるように迫ってきていました。

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 突如現れた比較的新しいリゾート都市は、今まではまるで違った風景でした。人々が楽しそうに集い、子供たちははしゃぎ回っていて、欧米的な風景は別世界のようでした。

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 この都市の街路に、手には機関銃を持ってかなりしっかりとした装備のポリス(あるいは軍隊?)3人組が数百メートルおきに警備していました。

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 やがてバスは、日本流にいえば陶芸の里というような雰囲気の村落に到着しました。空には相変わらず厚い雲が追っかけてきていました。

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 私たちはバスを降りて、陶芸工房の見学となりました。案内係のお兄さんは日本語ペラペラで、時折ジョークを交えて説明してくれました。トルコでも全く同じように案内係のお兄さんたちはペラペラの日本語でした。

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 ここで作られているなんと表現していいかわからない、 “モロッコブルー” とでもいうようなブルーのお皿でした。

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 この工房では、何人かの職人さんたちが行程を分担して、一生懸命作業していました。この国ではあまり表に出ない女性も彩色を担当して働いていました。

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 たくさんの作品が生み出され展示即売していました。どれもこれも欲しくなるようなものですが、置く場所を考えるとなかなか手が出せませんでしたが、ツアー客の中にはかなり買っている人もいて、欲しいと思う人にとってはお買い得のようでした。

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 私といえば、職人さんたちが一生懸命造っていましたので、たくさん売れればいいなあと思いながらも自分では全く買うつもりがありませんでしたので、表に出て皆さんの買い物が終わるのを待っていました。

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 陶芸工房見学・買い物タイムが終わり、表に出るとおじさんがロバに乗ってきました。女性たちはあんな小さなロバに大きな大人が乗ってロバが可哀想と言っていました。たしかにロバは小さく見えますし、けなげでした。

 

バスに揺られながら移りゆく景色を眺めているといろいろなことを考えさせられました。

 

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2015年2月23日 (月)

モロッコ 幸せ

2/5(木)、古都メクネスで昼食に名物タジン鍋を食べながら赤ワインのボトルを開けて、お土産に買ったワインをぶら下げて、街の路地をブラブラと歩きました。

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 歴史が止まってしまったかのような路地、こういう路地や街角は旅心を満たしてくれますし、また後々思い出としても残るものです。

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 道行く人は地元の人ばかり。ここへ紛れ込んだ私たちは通りすがりの気まぐれな旅人で、平穏な日常をかき乱すような肩身の狭さを思いつつも、興味津々とゲーム盤を覗いたりしました。おじさんたちは私には目もくれずゲームに夢中になっていました。のんびりとしたおじさんたちいいなあ。

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 狭い路地を抜けて広い通りに出ると車がびっしりで、中の方に駐めてある車はどうやって脱出するのだろうと思ってしまいました。

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 厚い城壁に沿ってブラブラと歩いていると、たぶんお孫さんだと思うのですが遊ばせているおじさんとアイコンタクトとなり、写真を撮ってもいいかと訊くと手を挙げてOKしてくれました。おじさんもお孫さんたちもとてもいい笑顔で、日本に帰国してブログを書いている今でも思い出してしまいます。ここには幸せがありました。

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 とても懐かしいような風景、こういう道のそぞろ歩きは旅に出てよかったと思えるひとときでした。モロッコに出かける前に心配した不安はどこかに消えてしまっていました。少しずつモロッコに馴染みつつありました。

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 モロッコはアラブ系が65%の国ですから女性はあまり外に出ません。目につくのはおじさんたち男ばかりですが、こうしてたまに見かける女性は、観光客かなと思ったのですが、身なりや服装はこの国の人のようでした。

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 いくつものアーチ型の門があり、その門をくぐってくると少しずつ現代にタイムスリップするような感覚でした。

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 古代からの門とその前の白い馬車。とてもマッチしていたのですが、これは観光用で、ここは世界遺産の街でもあり、観光の街でもありました。

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 私たちは、バスに乗って17世紀の古都から現代に戻りました。

 

世界遺産の古都メクネスは、世界遺産を売り物に観光客を集めようという魂胆をまるで感じない、とても落ち着いたいい街でした。そこで暮らしている人たちもゆったりしていて、幸せなんだなあと思ったりもしました。たくさんの紛争地を抱え、「イスラム国」の標的となりつつアフリカ大陸で、こんな都市もあるということにホッとしました。

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2015年2月22日 (日)

モロッコ紀行 タジン鍋

2/5(木)のお昼は、モロッコで最も有名な、待望のタジン鍋料理でした。

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 メクネスは、標高550mの小高い丘の上の古い都市です。広場にはゆったりとした時間が流れているようでした。

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 この都市は、分厚い三重の壁で囲まれていて、行き交う人々の中には “ねずみ男” もいたりして、異国情緒を楽しみました。

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 昼食のレストランに向かう道は、壁の中の旧市街地とでもいうのでしょうか、生活感が溢れていて、私もゆったりとした気分で歩きました。

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 古い街並みや昔からの生活がそのまま残されていて、ここメクネスは世界遺産に登録されています。

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 レストランに入り、2Fへの階段は細かく小さなタイルが貼られていて、宮殿のようでもあり、とにかく建物がしっかりとしていて立派なのです。

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 10世紀頃ベルベル人がここに住み、ブドウ畑の栽培を始めました。そしてここは水も美味しく当然のことながらワインの名産地となりました。イスラムの国でありながら、ワインが堂々と飲めるのは嬉しく、またこのワインが美味しくご機嫌でした。

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 何回も書きますが、モロッコはかつてフランス領でしたので伝統的にパンは美味しく、このパンと赤ワインがあればそれだけでも十分でした。

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 前菜に野菜類とモロッコ名物のクスクスがでました。野菜の中でもナスが美味しかった。

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 タジン鍋は北アフリカ地域の鍋料理で、料理の際に使われるとんがり帽子のような陶製の土鍋は、大きいものから小さなものまで、あるいは置物としてもあちこちで売られていました。最近ではお土産に買って帰る人もいるようです。

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 テーブルに運ばれてきたタジン鍋を開けると美味しそうな匂いと湯気が立ち上りました。テーブルには私たち夫婦と唯一母娘参加の4人。娘さんのK子さんがとてつもない酒豪で、私の倍のピッチでグラスを空けるものですから私も煽られ、結局赤ワインを2本開けてしまいました。その上にお土産用にそれぞれ1本(1,400円と格安)ずつお土産に買いました。

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 タジン鍋は、羊や鶏の肉と香辛料をかけた野菜を煮込んだもので、この日のメニューは「イカタジン」でした。イカの腹にクスクスを詰めて輪切りにしたもので、いわば日本のイカ飯のようなものです。

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 レストランからは、壁の外側の新市街を眺めることができました。旧市街を取り囲むように大きなビルが建っていて、発展している様子が見てとれました。

 

モロッコ名物のタジン鍋とモロッコ一の赤ワインをたっぷりと飲んで大満足でした。同じテーブルについたKさんはツアー客の中では最も若く、最も酒豪で、以降飲み仲間として同じテーブル(毎回自由)につく機会が多かったのですが、なんと昼食にアルコール禁止ということが何回かあり、二人して顔を見合わせて愕然としました。昼間から酒が飲めるのが旅の楽しみなのに・・・。厳格なイスラム国のパキスタンでもなかったことですが、まあ郷に入れば・・・です。

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2015年2月21日 (土)

モロッコ紀行 ねずみ男

2/5(木)は、宿泊地であるフェズを出発して古代ローマのヴォルビリス遺跡と古都メクネス観光を巡って再びフェズに戻るという行程でした。

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予定ではフェズのホテルを出発して観光をすませた後は同じホテルということでしたので、要するに連泊でした。連泊の場合は荷出し(決められた時間に部屋の外にトランクなどを出しておき、ポーターさんにバスで運んでもらいます)がなく、かなり気楽でした。

  

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 ヴォルビリス遺跡観光をすませて、古都メクネスへと向かいました。ほぼ同じ時間にほかのツアーバス(欧米系のグループ)も次の目的地に向かっていました。

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 バスの窓からボーッと景色を見ていると、時々人家が全くないようなところをコトコトと歩いている人がいて、どこへ行くのだろうと思ってしまうのですが、携帯電話を操作しているところをみると電波塔があるはずですが。

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 市の中心部を外れると車の数は少なく、バスはかなり飛ばしていました。羊はあちこちで見かけ、ニュージーランドと同じくらいいるのではないかと思いました。飛ばしているバスから羊の群れを写真に撮ることは難しかったのですが、ようやくその姿を捉えました。

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 ヴォルビリス遺跡から遠く霞んで見えていた城塞都市のような集落、とても興味がありました。ツアーコンダクターのYumikoさんから説明があったと思うのですが、忘れてしまい残念。

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 道はよく整備されていてなだらかな丘陵地や草原の間を快走しました。シートは2シートを一人で使えましたので、快適に景色を楽しむことができました。それにしてもこんな緑豊かななだらかな景色を見ているとここは本当にアフリカなのと思ってしまうのでした。

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 バスが走っているすぐそばを牛や羊、鶏などがくつろいでいたり走ったりしている風景を見ればやはりここはアフリカ。とても楽しい風景でした。

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 緑と青空と、こういう景色ぼんやりと見ながらバスに揺られていると心も体も癒やされ、さまざまなことから解放された気分になり、改めて旅に出ているんだなあと実感しました。それでいて、日本に戻ってからのことも考えていたりして、どちらにしてもこれが旅の醍醐味かもしれません。

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 古都メクネスの街中に入ってゆくと、フードの先が尖ったマントを着ている男の人、 “オズの魔法使いかいや男性だから “ねずみ男か。これはモロッコの伝統衣装でジュラバというそうで、モロッコ発見。実際 ”ねずみ男“ の愛称で呼ばれているそうです。気候は冬で風が吹いたりするととても寒いので、これは暖かそうでした。一緒に歩いているのは奥様か、お人形のように見える幼児を背負っていました。

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 こちらはアラブ系の人。

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 メクネスは小高い丘の上の古都で三重の壁に囲まれています。モロッコ一(北アフリカ一とも)美しいと称されるエル・マンスール門は、1732年に完成されてから一度も修復など手が加えられていません。残念ながら曇り空の下、その精緻な模様や美しい色を捉えきれませんでした。ただ嬉しいことにいつもはぴたりと閉じられているアーチ型の扉が開いていて、早速買い物をした人もいました。Yumikoさんも扉が開いているのを見たのは初めてとのことでした。

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 古都メクネスは、10世紀頃ベルベル人(アラブ系65%、ベルベル系30%)人のメクネッタ族が住んでいたそうで、ここでブドウ畑の栽培を始めたとのこと。さらにここは水が美味しいということで、ワインが期待でき、とても楽しみでした。メクネスは人気の観光地のようで、たくさんの車が押し寄せてきていて、ポリスは駐車違反をびしびしと取り締まっていました。

 

前日見たねずみ取りといい、ここで見た駐車違反といい、ポリスが頑張っていました。三重の壁に囲まれたメクネスと周りを歩いていた “ねずみ男” 、モロッコムードが高まってきました。

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2015年2月20日 (金)

モロッコ紀行 ヴォルビリス遺跡

2/5(木)、世界遺産でもあるヴォルビリス遺跡の見学にたっぷりと時間をとってもらいました。

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 ヴォルビリス遺跡は、北アフリカにおける古代ローマ都市の姿が最良の状態で保存されていて、ユネスコの世界遺産に登録されています。残された柱の背景にはまだ雲が居座っていました。

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 少しずつ青空が広がってきて、いくつかの柱のてっぺんにコウノトリが巣を作っていました。コウノトリの姿はフェズ旧市街散策でもよく見かけました。ローマ時代にもコウノトリはいたのでしょうか。

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 この都市が建造されたのは西暦40年頃といわれ、紀元前3世紀末のカルタゴの施設群の上に築かれたと推測されています。海峡を隔てたヨーロッパ大陸のローマの覇権の広大さに驚かされます。

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 この地は、アフリカのローマに属する州の中心都市であったとのことで、遺跡周辺の大地は肥沃で、小麦やオリーブオイルなどを多く産出してローマへと送られ、この町に富と繁栄をもたらしました。

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 ローマ時代の生活を描いたモザイク画の保存状態の良さに驚かされます。今でも当時の生活がここに息づいているようにも思えるのでした。

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 オリーブオイルの油絞り器。今でも使えそうでした。

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 200年代に、ローマ帝国のカラカラ大帝の発布によって帝国内の全自由民にローマ市民権が与えられました。カラカラ大帝への感謝の念を込めて建造された「カラカラ帝の凱旋門」は、今でも堂々たるものです。

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 当時の人々の往来や賑わいが聞こえてくるような道です。ツアーコンダクターのYumikoさんが “ここに二日くらいいたくなる” としきりにおっしゃっていたのもわかります。

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 ヨーロッパ大陸はローマ帝国の歴史がたくさん残されていて、トルコでもたくさんの遺跡を見ましたが、それらの遺跡はあくまでも過去のものという印象でしたが、ここでは遙か昔のローマの時代がそのまま現在までつながっているような生々しい印象を受けました。

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 このモザイク画は、美女が入浴しているのを男性が覗いているところで、いやはや古代から・・・です。

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 遺跡を案内してくれたガイドさん。やはり長身です。このガイドさんはいつものペースでほどほどに案内してくれたのですが、Yumikoさんが熱心に補足的にガイド(とてもよかったです)してくれましたので、ちょっと拗ねたかもしれません。しかしそんな態度も見せず、大人でした。

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 遺跡の入り口に戻ると、現地ガイドのジャリロさんは、地元の人たちと情報交換していました。きっと、このあたりは危険はないか、この先は危険はないかなど。

 

決して自分は “遺跡おたく” ではありませんが、この遺跡巡りで印象的だったのはYumikoさんの説明で、そのために単なる歴史的観光だけではなく、今でもローマ帝国時代の風が吹いているような、当時の生活に同化できたような気がしました。これだけの良好な保存状態のこの遺跡は、今しか見ることができないかもしれないと何回もおっしゃっていました。遺跡を生かすも殺すもガイドさん次第かも。

 

 

 

 

 

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2015年2月19日 (木)

モロッコ紀行 ネズミ取り

2/5(木)、ツアー3日目はフェズを出発してローマ遺跡ヴォルビリス遺跡へと出発しました。

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 このツアーでの食事は、朝食と夕食はホテルでのビュッフェがほとんどした。朝食はどの国でもほとんど同じようなメニューで、国によって名産のヨーグルトや蜂蜜やオリーブやフルート、チーズなどが添えられていたりもします。モロッコの食事の基本は美味しいパンとフルーツでした。これさえあれば体力の維持は大丈夫でした。一方、イスラム国ですので豚肉を使わないためにハムやソーセージは魚肉のそれに近い味で脂身や旨味に欠けていました。

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 部屋からレストランへはプールサイド歩きました。ホテルのランクはそのエリアで最もランクの高いものでしたが、残念ながら日程の都合でノンビリとその素晴らしさを味わうことはできませんでした。

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 前日の夜このホテルに到着した時は日が暮れていて、少しでも早くビールでノドを潤したい、少しでも早く部屋で寛ぎたいという焦りの気持ちからゆっくりとホテルを楽しむゆとりはありませんでしたが、朝出発前にゆったりとした気持ちで見回してみると随所に素晴らしい精緻な造形が施されているのでした。

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 すっかり夜が明けて明るくなると、暗い中で妖しい幻想的な雰囲気だったホテルは本来の格式ある風格を見せていました。

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 ホテルの前には大型観光バスが何台も駐まっていて、出番を待っていました。ここまでの観光スポットで出会ったのは同じクラブツーリズムの別ルートを辿っているグループと欧米系のグループでした。

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 バスが出発して街中を走る時よく目にした風景が白い建物と街路に植えられた「ナツメヤシ」でした。この風景だけを見ていると熱帯地方独特のものですが、実は気温は今の日本と同じ寒さなのです。このナツメヤシは北アフリカや中東では広く栽培が行われていて、その果実「デーツ」はこその地方では主要な食品の一つとなっています。

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 市街地を抜けると目に優しい緑の草原が現れました。空には薄黒い雲が巻き上がっているようで、前日同様どんよりとした一日になりそうでしたが、Yumikoさんによると朝は大体こんな天気でお昼頃から晴れるとのことでした。

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 時々、石積みの粗末な家が何軒か集まっている集落を見かけました。女性の服装から見てイスラム教徒と思われました。生活は決して裕福そうではないのですが、中にはパラボラアンテナを設置している家もあり、集落の規模がもう少し大きくなっているところではパラボラアンテナがキノコの群落のように設置されているような処もあり、世界の出来事は地球規模で伝わっている現実を知らされました。

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 バスに揺られて風景を楽しんでいて、最も印象的だったのが今の日本では少なくなったこのスピード違反取締り「ネズミ取り」で、このネズミ取り風景はしばしば見かけました。

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 目的地のヴォルビリス遺跡に近づくとお土産物屋がありました。観光スポットなどではよく見かける風景ですが、品揃えはそのあたりの石や土瓦を並べたようなものでした。

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 遺跡の入口近くを歩いていたモロッコのおじさん。スリムな人が多いようです。

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 世界遺産でもある古代ローマ遺跡のヴォルビリス遺跡に着きました。空の半分はまだ雲に覆われていました。

 

ツアーコンダクターのYumikoさんがしばしば言っていた、今の日本では見かけなくなったネズミ取り、バス移動でテロに襲われないかなどの心配もあったのですが、ポリスが随所で網を張っている様子を見てかなり安心しました。

 

 

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2015年2月17日 (火)

モロッコ紀行 首都ラバト

2/4(水)の昼、昼食をとった後モロッコの首都ラバトへと向かいました。

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 15:27 この日は、時々晴れ間が出るものの厚い雲がいつまでも残っていました。首都ラバトへの道はよく整備されていました。

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 目指したのはムハンムド5世廟とハッサムの塔でした。雨が大粒になってくる頃市の中心部に入りました。

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 モロッコに入ってまだ一日目でしたから断定的なことは言えませんが、城壁や城塞がよく目につきました。モロッコはリビアやチュジニア、アルジェリアなど北西アフリカ諸国の一つであり、隣接国や周辺国を見回すとちょっと危なげな国があり、かつて侵略されたこともあるようで、城壁・城塞は歴史の必然なのかもしれません。

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 ムハンムド5世廟の入口辺り、 “水売り” のおじさんがいました。山羊の皮袋に入れておくと炎天下でも冷たいそうで、しかし中味は水道水ですので観光客がおじさんの水を買うわけにはいきません。おじさんもそのあたりは承知の上で、稼ぎは写真撮影のチップとのことで、私も5か10DH(通貨単位は:DHディルハム 1DH12.5円)、たしか日本円で60円くらい払って写真を撮らせてもらいました。

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 ムハンムド5世廟をガードするように赤茶色のぶ厚い壁が築かれていました。右奥に見えるのが「ハッサンの塔」です。

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 ハッサンの塔は、12世紀末にある王が建造したもので、当時世界で最も高いミナレット(モスクに付属する塔)を建設しようとしたのですが、王の死によって工事は中断し、高さは44メートルにとどまっています。パキスタンやトルコで見たモスクは円形になっていましたが、ここでは四角になっています。

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 ムハンムド5世廟の屋根の部分はグリーンで白い本体部分とのコントラストが綺麗だったのですが、もし晴れていて青空が背景になればもっと美しかったでしょうに、ちょっと残念でした。

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 廟の前に立つ衛兵、どこの国でも人気があります。衛兵は当然ながら長身で、そういえばこの国のトイレ(観光インフラが追いついていないために設置場所が少ない)はチップ制でとても綺麗なのですが、男性用便器がとても高く、大変苦労しました。この国の人は衛兵に限らず長身の人が多いと思われましたが、長身でない人もいましたのであんなに高くしなくてもいいのにと思ったりもしました。

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 ムハンムド5世廟は1971年に完成されたもので、王族の人たちが墓参りに来ている時には一般の人は入ることができませんので、この日は中に入ることができラッキーでした。ここにはモロッコの国王であるムハンムド5世と二人の息子であるハサン2世とアブダラーの棺も安置されています。ハサン2世が埋葬されたのは1999年でしたので比較的最近です。内部はいたるところに細密なタイルで装飾が施され、膨大な手間と時間がかかったようです。

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 廟の外に出ると、小さい子供を抱いたヤングママがいました。女性に断りなしにカメラを向けるとトラブルの元になると厳重な注意はされていましたが、知り合い同士で記念撮影していましたので撮影仲間に入れてもらいました。

 

ハッサンの塔やムハンムド5世廟は、この国のシンボル的な観光地で、私たち観光客にとっては関心があるかないかで微妙なスポットですが、その国歴史や現在の成り立ちを考える時にはやはり行ってみなければならない場所です。

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2015年2月16日 (月)

モロッコ紀行 カサブランカ

2/4(水)、ようやくモロッコ・カサブランカの飛行場をスタートして市内へと移動しました。モロッコ紀行をスタートしました。

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ツアーの出発直前にツアー会社(クラブツーリズム)から日程表が送られてきましたが、現地ではそれとは別にツアーディレクターのYumikoさん手作りの資料が毎日配られました。それによるとモロッコは王国で、人口は3,100万人で国土は日本の約1.2倍とのこと。最も目をひいたのが、民族はアラブ系65%に対してベルベル系30%ということで、私にとっては、これから先「ベルベル民族」が旅のキーワードになりました。

  

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この日の日程は、パリからカサブランカ~首都ラバト~フェズへの移動でした。毎日Yumikoさんが赤い字で記入してくれる時間がとてもありがたかったのです。通常は、前日に起床時間などの説明があり、それを自分で書き留めたりするのですが、その手間が省けました。ランチのメニューも書いてくれて、とても楽しみでした。ホテルの部屋に入った時の注意事項、水は出るか②お湯は出るか③トイレは使えるか④電気は点くか⑤電話は通じるかなどは書き留めました。

  

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 空港からバスが出発しました。間近に白い雲がわいていましたが、どんな道なのか、どんな景色が目の前に広がるのか期待の瞬間でした。

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 私たちの期待も空しくバスのフロントガラスに雨が叩きつけ始めました。

 

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 雨の中しばらく走って雨が止んできた時、郊外に出るといきなりの緑の草原でした。深く明るい緑の草原で、サハリでもあるまいし、ついついいるはずのない象やキリンの姿を探している自分がおかしくなりました。

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 郊外をぬけて信号のある市内に入っていくと、信号待ちしている車の間を縫って、母親が幼児を抱えて物売りしていました。以降タバコなどを売っている物売りの姿をよく見かけました。昨年出かけたトルコでもよく見かけた風景でした。

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 あがったと思った雨が降り始め、オレンジ売りのお兄さんが慌てて退避していました。これから先、美味しいオレンジを何回も口にしました。雨は降ったり止んだりの中、傘をさしている人はほとんど見かけませんでした。

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 バスはカサブランカ市の中心部に入りました。ごく普通の都市の風景ですが、白い色と独特のデザインの建物がアラブ系の雰囲気を醸し出していました。

   

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 道端でお菓子お茶を売っている露天商? その隣のベンチには若者が所持なげに座っていて、この国の平均年齢は非常に若いのですが、若い層の失業率は30%とか。

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 昼食をとるレストランはカサブランカの更に中心部にありました。カサブランカはマグレブ諸国(リビア、チュジニア、アルジェリア、モロッコなど北西アフリカ諸国の総称)随一の経済都市です、例え郊外でも象やキリンがいるはずもありません。

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 モロッコは海沿いの街ですのでシーフードが美味しいとか。モロッコで初めての昼食に期待と不安が高まりました。とりあえずはお勧めの「カサブランカ」という銘柄のビールが美味しく先ずは一安心でした。モロッコはかつてはフランス領でしたのでパンも美味しく、美味しい酒と美味しいパンがあればOKです。イワシのスープはなかなか馴染みにくい味で、白身魚のグリルももう少し下味というか下ごしらえしてくれれば更に美味しいだろうとは思いましたが、それは贅沢です。

 

トルコのイスタンブールと同じように何となく憧れた異国の都市カサブランカ、この日はランチのために経由しただけでした。「カサブランカ」ブランドのビールを味わいましたが、Yumikoさんの説明によると日本のイイダコのような小ぶりのタコの生き締めが美味しいとのこと、レモンをかけてよく冷やしたワインで食べてみたいものです。それは最終日にここに宿泊しますので、後日の楽しみにとっておくことにしました。

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2015年2月15日 (日)

モロッコ紀行 初上陸

2/3(火)の夜パリのホテルで一泊し、パリの街を味わうこともなくアフリカ大陸上陸の第一歩となるカサブランカへと向かいました。

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 パリに着いたのはシャルル・ド・ゴール空港でしたが、アフリカ・カサブランカへはパリ・オルリー空港からの出発となりました。09:10の便に乗るために早朝起床し、空港に着いたのは06:46(以後現地時間)でした。日本同様まだ夜明けは遅いようでした。

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 搭乗手続きが始まりました。時間が早いせいか窓口は一ヶ所だけで、乗客は私たちツアー一行だけではなく一般の人たちも混ざって並んでいました。

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 07:00 搭乗手続きを済ませると出発までには時間があり、空港内をブラブラと。

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 ここはまだグルメの国パリで、ショーウィンドーに並ぶ軽食は美味しそうでしたが、値段はやや高めかなという印象でした。もともとヨーロッパは物価が高く、最近の円安傾向を考えると仕方ないか。

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 利用した飛行機はモロッコのフラッグ・キャリア、ロイヤル・エア・モロッコでした。国際線でしたが、通路を挟んで左右各3席のため搭乗にちょっと時間がかかりました。モロッコはかつてはフランス領でしたので、パリとカサブランカを結ぶこの路線は利用度が高いようで、この便も満席でした。

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 パリ発09:10AT777便は11:10に定刻通りモロッコ・カサブランカに着陸しました。窓から初めて目にするアフリカ(アフリカ大陸のほんの一部ですが)の空は感動的でした。路面には雨水がたまっていて機体やバスは湖に浮かんでいるようであり、蒼い空を湖面に写しているようでもあり、上空と地平線の彼方には雲がわいていました。

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 タラップを降り、空港バスに乗り換える時は雨模様でした。

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 目を転じると、まるで襲いかかってくるような雲がわき上がり、まったく異なる景色となりました。

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 管制塔は樹々に囲まれていて、あちこちで見てきた景色とも異なるものでした。

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 海外旅行で万に一つあるといわれるトランクケースの未着、出発前に添乗員さんからは万に二つか三つともいわれていましたので、自分のケースを見つけてようやく目的地に着いたとホッとした瞬間でした。(成田に帰り着いた時、同じシーンを写真に撮ろうとしていましたら、Yumikoさんに撮影禁止ですと教えていただきました。初めて知りましたが、今までどこの空港でも撮影してきました。反省!)

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 自分のトランクケースを転がしてツアー一行がバスまでゾロゾロ歩く姿は、いつも思うのですが、難民のようでありおかしくなります。一行は総勢22名、私たちのような夫婦が4組、男性の単独参加が3人(女性の単独参加が5人)で、男性が7人女性が15人でした。母娘参加が一組ありました。

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 ここで現地ガイドのジャリロさんと合流。添乗員のYumikoさんは、現地スタッフがジャリロさんを始めドライバーさんや補助スタッフのハッサンさんなど最強トリオであることにホッとした様子でした。確かに現地ガイドのジャリロさんは冷静沈着で体型に似合わずフットワークも軽く頼れる存在でした。

 

大げさかもしれませんが、初めてのアフリカの空は荒れ模様の予感で、これもいいかなあと思いました。

 

いよいよこれからモロッコ紀行が始まるのですが、私たちにとって添乗員さんや現地ガイドさん達は旅の成り行きに大きなウェイトを占めています。あまり情報のないあるいは危険と噂される国や地域を旅する時にはなおさらです。信頼できるYumikoさんや頼りがいのある現地スタッフに恵まれホッとしました。

 

 

 

 

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2015年2月14日 (土)

モロッコ紀行 空飛ぶオーベルジュ

どんな飛行機に乗ってもどんな機内食が出てくるのか楽しみですが、今回はとても楽しみにしていました。

 

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食事の時間になると一冊の小冊子が配られ、シェフの紹介やお酒のリスト、メニューなどが載っていました。一頁目には “世界で一番贅沢なレストラン” とありました。

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 和食と洋食があり、和食を選択しました。多分、おおかた往きは洋食で帰りは和食と考えるケースの方が多いと思われたのですが、今回はあえて逆にしてみました。前菜は好物のスモークサーモン、日本酒は二種類大吟醸の中から「庭のうぐいす純米大吟醸45」を選びました。

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 次に出てきたのが「九つの小鉢膳」。会席料理とか小鉢料理とか、見てくれはよくても味はイマイチということがありますが、この小鉢膳は一つ一つの味がしっかりとしていて、とても美味しく、たしかに世界最高峰の味でした。

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 これは九つの小鉢膳のうちの一つ、「昆布めん酢 とろろ掛けと子持昆布」。

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 「蛸と若竹の煎り酒ゼリー添え」。美味しくて・・・いやはやでした。

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 「海老艶煮 鶏松風 たらこ昆布巻」 途中から白ワインをオーダーしました。

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 最後は白いご飯と味噌汁の定番でした。

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 カミさんは定石通り往きは洋食、帰りは和食を選択しました。洋食のメインは、和牛ステーキとアンコウのボルシチスープ仕立ての二種類あり、アンコウの方を選びました。

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 サービスを提供してくれるCAは大変だと思いますが、日本人が得意とする “おもてなし” を発揮していました。私は、食後に寝酒としてウィスキーオンザロックをお願いして、あっという間に爆睡状態に入りました。

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夕食を食べて一寝入りした後、機内では朝食、時間的(日本時間23:08)には夜食に「サーモンのタルタル」と白ワインをオーダーしました。絶品でした。この朝食のメニューはうどんやラーメンもあり、また好きな時間にオーダーすることができ、食事をとらずずっと寝ている人もいました。

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 飲んで食べて寝ているうちに、あっという間という感じでパリのシャルル・ド・ゴール空港に到着(現地時間午後8時:日本時間朝の4時)し、入国審査も通過して、ポーターさんが私たち総勢22人のトランクを一人で運んでくれました。

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 現地時間20:35、空港からバスで15分くらいでパリ市内のホテルに着きました。トイレの水が流れない、電話機がないなどのトラブルで部屋をチェンジしてもらいましたが、第一日目は元気でした。

 

長時間のフライトでしたが、美味しい酒と食事、大の字になって寝られ、すこぶる元気でした。初めての国際線ビジネスカラスの旅は、これほど快適なものとは思いませんでした。

 

 

 

 

 

 

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2015年2月13日 (金)

モロッコ紀行 パリへ

モロッコへのルートは、JALかエアフランスでパリを経由してカサブランカへと入るルートとエミレーツ航空でドバイ経由のルートなどがあります。

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 私たちは15:05発のJL415便にてパリへと向かいました。

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 初めての国際線ビジネスクラスは、多少ゆったりとしていましたが思ったよりもコンパクトな感じでした。

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 シートの状態もテレビや新聞などで見るカプセル状のものに比べると密閉度というか個室感はありませんでした。

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 手元にシートのコントローラーがあり、かなりきめ細かくシートの状態を動かせるようで、水平のフルフラット状態にもなることがわかり安心しました。

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 先ずはシートに腰を下ろしてあれやこれや操作したり、身の回りの機器を確認してホッと一息つきました。

 

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機内から見た成田の空は完璧なブルーでした。

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 定刻に離陸して水平飛行に入るとウェルカムドリンクでシャンパンが出ました。この時に “〇〇様と名前を呼ばれ、機内で自分の名前を呼ばれたのは初めてでびっくりしました。

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 私たちを乗せたJL415便は北上し、シベリア上空辺りにさしかかりました。

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 そのシベリア上空辺りを覗いてみると険しい山は見えませんでしたが、なだらかでありながら山々は幾十にも連なっていて、もしこの辺りに不時着したら救出は難しいだろうなとバカなことを考えたりもしました。

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 食前酒、食事中の日本酒と白ワイン、食後のウィスキーオンザロックと飲んで、しばらくすると眠気に襲われ、シートを水平に倒すとあっという間に眠りについてしまいました。

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 日本時間の夜明け前の03:30、現地時間では19:30(-8時間の時差)、眼下にはパリの灯が見えてきました。数十年ぶりの3回目のパリでした。

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 定刻の19:40(以下、現地時間)にシャルル・ド・ゴール空港に着陸しました。12時間30分の順調なフライトでした。

 

初めてのフルフラットのシートで熟睡でき、眠っているうちにパリに着いてしまいました。ある程度ラクだろうなとは思っていましたが想像以上にラクで全く疲れを感じることがありませんでした。

 

 

 

 

 

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2015年2月12日 (木)

モロッコ紀行 出国

2/3(火)、モロッコへの旅立ちの日が来ました。周りから危ないよとか大丈夫?とか心配されながら、カミさんと二人、成田へと向かいました。

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 成田空港へのアクセスは鉄道やバスなど幾通りかの方法があり、ほとんどの場合はリムジンバスを利用することにしています。バスは横浜から高速道路に乗って、首都高速を抜けてほぼ一直線に成田を目指しました。

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 高速を降り、成田空港手前の検問所は気のせいかいつもより警戒が厳しいようなピリピリしたものを感じました。多分いつもの通りの検問だと思うのですが、自分の気持ちが神経質になっているようでした。

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 搭乗券発行カウンターはビジネスクラス専用のカウンターで、空いていてゆったりとした気分で発券してもらうことができました。

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 出発ゲートの大きなパネルには成田から世界各地へと飛び立つフライトの情報が一覧でき、これから日本を離れるという実感がひときわ強くなりました。

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 パスポートを提示して、税関審査を通過して日本国を出国しました。気になる仕事のあれやこれやはこの瞬間にもう帰国までのお預け気分となりました。今回は、納期間近の仕事や企画書と見積書を出さなければならないプロジェクトを抱えているために国際携帯電話をレンタルしましたが、海外出張として行く先 “モロッコ” を告げたお得意様の中には首をかしげている人もいました。

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 成田からと成田へのフライトはビジネスクラスのため「サクララウンジ」を利用することができました。国際線での利用は初めてです。

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 ラウンジの中はゆったりとしていて、高級ウィスキーやブランデーが飲み放題で、食事も食べ放題(そんなには食べられるものではありませんが)でした。

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「本日のこだわり日本酒」なんかもあったりして散々迷いました。しかし日本酒は、機内食で和食をチョイスしてその時に日本酒を飲むことにしました。

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 結局、最初にとりあえずのビールで、その後は高級ウィスキーのオンザロック、ブランデーへと手が伸びました。しかし機内食が美味しそうだったので、食事には手をつけませんでした。

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 ラウンジの目の前はJALのブースになっていて、乗客の荷物などが次から次へと大きな胴体の中に飲み込まれていきました。

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 飛び立つ機体、着陸してくる機体、たくさんの乗客と荷物を載せ、とてつもない鉄の塊がすいすいと飛行している姿は美しく、あと数時間で自分も空の上だなあと思うとワクワクする反面、機長さん頼みますよと祈る気持ちでもありました。何しろ今回はカミさんも一緒でしたから。

 

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 搭乗寸前、クラブツーリズム添乗員のYumikoさんと一緒になりました。このツアーで、Yumikoさんに大変な危機を救っていただくようになるとは思ってもいませんでした。

 

今までいろいろなツアーで海外へは行きましたが、今回ほど添乗員さんの存在を印象づけられたことはありませんでした。ガイドをする時の、集合時間や場所、注意事項等をアナウンスする時のYumikoさんの美しい声が耳に残っていますし、見事な仕事ぶりが印象的でした。

 

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2015年2月 2日 (月)

モロッコへ 出発前夜

いよいよ明日出発です。ヒマラヤやパキスタンほど秘境に行くわけでもなく、体力を使うこともないと気楽に荷造りをしていたのですが、添乗員さんから電話があり、スーツケースは紛失の可能性(万に三くらい)がありますので、貴重品やなくなったら困るもの、着替えなどは機内持ち込みにとか、かなり寒く暖房のないホテルが多いので防寒対策はしっかりとか、サハラ砂漠の砂の粒子は細かいので砂対策はしっかりとか、あれやこれやで荷物は多くなり、慌ててヒマラヤと同じくらいの防寒対策や砂塵対策にアタフタしています。

 

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 行く先はアフリカ大陸、といってもヨーロッパに近いところです。JALで成田からパリへ12時間30分のフライト、パリで一泊してカサブランカまで3時間の行程です。

 

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 モロッコという国は、海に面して、平野部、山脈、砂漠、高原と自然に恵まれた地であるようです。アフリカ大陸とか灼熱の砂漠とかのイメージで暑いかなと思っていたのですが、緯度が高いために寒いようです。ヨーロッパに近いとはいえそこはアフリカ、ホテルにエアコンはないとか、シャーも使えるかどうかわからないとか、湯沸かし器はないとか、トイレットペーパーも用意してくださいとか、そんな国のようです。

 

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 ラクダには乗らなくてもいいと思っていたのですが、添乗員さんからオプション(50$)でラクダに乗りませんかと言われて、 “はい” と答えてしまいました。鳥取砂丘で乗ったことはあるのですが。

 

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 旅先での乗り物をふり返ってみれば、2011.6 ツール・ド・モンブランというヨーロッパアルプスのトレッキングに出かけた時は、シャモニーでパラグライダーに乗って空中散歩、モンブランの頂上付近まで迫りました。

 

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 2012.3にヒマラヤに行った時、肺気腫という持病のため5400mのトロンパスという峠を越える時に命の危険もあると主治医から言われ、念のためにヤクを同伴して、試しに15分くらい乗ってみました。背中がゴツゴツして不安定で股のつけ根が痛く、景色を楽しむ余裕はありませんでしたが、妙に可愛い奴でした。

 

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 同じヒマラヤで2012.11に、5550mを越えるカラパタールの丘に登った時(100m手前でリタイア)、帰路は馬上トレッキングをしてみました。エベレスト街道を 西遊記気分で下り、この時は豪快な景観をゆっくりと楽しむゆとりがありました。

 

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 2014.5 トルコのカッパドキアでは気球に乗りました。あちこちで乗り物や動物に乗り、それぞれ面白い体験をしましたので、サハラ砂漠でラクダに乗るのもいい経験だろうなあと楽しみです。

 

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 日程は2/3から2/11迄の9日間で、カミさんも同行です。最初は私一人のはずだったのが、今までは多少なりとも危険の匂いがするところへは決して行かなかったカミさんが私も行くと言い出しました。夫婦二人で行ってトラブルに巻き込まれるのは、特に命に関わるような事があると嫌だなあと思っていましたので、長時間の飛行機は落ちるかもしれない、パリからカサブランカまでの飛行機はハイジャックに遭うかもしれない、アトラス山脈越えや高原でのバス移動はゲリラに襲われるかもしれないと脅したのですが、どうしても行く、たとえ死んでも一緒ならいいとまで言われては拒否することもできませんでした。子供たちは、最悪一人は帰ってきてほしい~その場合の一人はカミさんのようですが~まあそれでもいいかというところです。

 

 

 

 

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2015年2月 1日 (日)

モロッコへ 砂漠を見たい

何がきっかけでか、サハラ砂漠が見てみたいと思い、昨年の秋頃にモロッコへ行こうと思い立ちました。早いものでそれから年を越し、1月も終わり、出発まで後2日となりました。

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 たまたまサハラへと気持ちが向いているとき「遥かなる水の音」(村山由佳)という本と出会いました。題名だけを見るとどういう内容の本かはわからなかったのですが、表紙には星が輝く夜空の下に砂漠を歩く人影がありました。

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裏表紙の解説文にはサハラで散骨するための4人のモロッコ旅であると書かれていました。本文を開くと「遺灰を、サハラにまく。ひとから見ればそんなのは、ただのナルシズムにしか映らないかもしれない。でも、どうしてだろう、何年も前にたった一度行ったことがあるだけなのに、以来僕はあの砂の海に魅せられてしまった。心臓の一部を結わえつけられてしまったような感じだった。サハラそのものと―――そして、そこで出会った一人の〈青い種族〉に。」

  

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 小説の中の4人は世界一の迷宮都市といわれる「フェズ」を経由していきます。(画像は全てインターネットより引用)私たちはカサブランカからフェズに入り、ここで2連泊します。「フェズは九千の迷路と千の袋小路。その昔、侵入してくる敵を惑わすために造られた道が、今はそのまま人々の生活の場となっている。九世紀にできたフェズの街は、モロッコで最初のイスラム王朝の都だ。」と表現されています。

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 「二度ほど角を曲がると、そこはもう広場だった。モロッコのほぼ中心に位置するマラケシュの、そのまた中心、ジャマ・エル・フナ広場だ。向こう側がかすんで見えるほど広く、夜に向けて屋台の準備が始まっている。乾いた風が強く吹きつけてきたと同時に、祈りの灯(ミナレット)から夕暮れのアザーンが流れはじめた。」

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 4人の旅は続き、「フェズから先は、かつて周(遺灰となった人)の足取りの通りマラケシュを経由し、アトラス山脈を東南へと越えて・・・マラケシュからアトラス山脈を南側へ越えると、そこはもう別世界だ。」と、私たちの行程とほぼ同じルートを辿ってストーリーは進みます。

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 「澄みわたった冷たい空が茜色に染まってゆく。サハラの砂もまた、空の色を映して輝き始めている。見渡せば、平らかな砂の上のあちこちに風紋が刻まれている。また風が吹き、表面を覆う一番細かい砂がわずかに浮きあがる。赤みがかった湯気がうっすらと立ちのぼるように、砂はどこまでもひそやかに移動していく。」

 

砂漠でラクダに乗って(ヒマラヤでヤクに乗ったことはありますが)みたいとか、砂漠を歩いてみたいとか大それたことは全く考えていません。砂漠のはじっこにちょっと足をつけることができれば、砂漠を吹き渡る風を感じることができればそれでいいと思っています。

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