« 2015年2月 | トップページ | 2015年4月 »

2015年3月28日 (土)

モロッコ終章 旅をして

旅日記代わりのこのブログ、今回は随分長くなってしまいました。観光スポットを見てまた次の観光スポットへ移動するというツアー的スピードではなく、この国の歴史や風土をゆっくりとそこで流れている同じリズムで旅ができたような気がします。

Photo

Photo_2
 先日のブログでご紹介したように、モロッコという土と砂漠(緑も山もたくさんありますが)の国では取水は重要なテーマであり、昔からさまざまな取水施策が行われてきました。さすがに、現代にいたっては日本企業による「水インフラ」の整備が行われるようです。生活はより快適になるかもしれませんが、はたしてそれがいいのか悪いのか。(2015.3.27日経記事より)

01
 ゆっくりとした時間の流れで旅をすることができたのはメディナといわれる旧市街での滞在が長かったからかもしれません。画像は世界一の旧市街とも迷宮といわれるフェズのメディナで、世界一の迷路の入り口。

02
 マラケシュのメディナも大きな街でしたが、時間はゆったりと流れていました。グルッと歩くのは大変でしたので利用した二頭立ての馬車はゆっくりと進んでくれました。そこの空気をたっぷりと吸うことができました。

03
 マラケシュのメディナの中にあるフナ広場。朝と昼と夜とそれぞれ違った顔を見せたフナ広場は、広大なお祭り広場でもあり、特に夕闇が迫る頃の不思議な雰囲気はアラビアンナイトの世界をイメージさせてくれました。ここでもゆったりとした時間を過ごすことができました。

04
 ツアー3日目(2/5)に訪れたヴォルビリス遺跡は、単なる遺跡を見るのではなく古代の生活を感じることができました。当時の生活をありありと想像することができ、古代にも同じような風が吹いていたんだろうなあと思いながらゆっくりとした時間を楽しみました。

 

05
 ヴォルビリス遺跡の後に向かった古都メクネスでは、嬉しいことに名産の赤ワインをたっぷりと飲みました。とてもいい気分になってメディナを城壁伝いに歩いていて出会ったおじいちゃんと孫たち、瞬間的な出会いですが、今でもあの小さな公園で遊んでいるのかなと思ってしまいます。

06

07

08

09
 ロバのいる風景も忘れられません。自分より大きいと思える人間を乗せたり荷車を引っ張ったり、とてもけなげなのでした。ツアーの大半を占めていた女性陣からはロバを見るたびに可哀想というブーイングがおきていて、その気持ちがわからないわけではないのですが、実をいうと私も一度乗ってみたかった。ヒマラヤで馬やヤクに乗り、サハラ砂漠ではラクダに乗りましたが、ロバは乗ったことはありませんでした。

10
 マラケシュからカサブランカに移動したときに乗った列車の速度もモロッコのゆったり感と共鳴するものでした。プラットホームのない無人駅では開かないドアを開けに走って行った車掌さんは、禁煙マークのある最後尾のトイレがある個室で堂々とタバコを吸っていましたが、体型と喫煙ぶりの割にはフットワークは意外に軽かったのでした。

11

12
 カスバ街道もサハラ砂漠と同じくらい印象的でした。サハラ砂漠の前線基地エルフードからワルザザートへのルートは通称カスバ街道と呼ばれています。名前からくる哀愁感や日本でも旧街道に見られる懐かしさが漂っていました。

13
 そもそもカスバについては全く間違っていたイメージを持っていました。寂れた街のうらぶれた安宿というイメージだったのですが、まさかファミリーが住んでいる要塞とは思いもよりませんでした。 “カスバの女” という歌謡曲はどうして生まれたのか不思議です。

14
 ワルザザートで宿泊したとき、目の前のカスバはライトアップされ不思議な雰囲気を醸し出していました。

15
アフリカというと思い浮かべるのはケニアとかエチオピアとかサファリとかですが、モロッコのカサブランカやマラケシュ、カスバなどはアフリカイメージとはかなり異質で、それはモロッコが地中海エリアでありアラブエリアでもあることに由来するのかもしれません。(画像は真昼のカサブランカ)

 

旅を終えて、唯一の心残りは最後の夜にカサブランカのホテルで飲み過ぎてしまいカサブランカ的な夜を味わう機会を逸したことです。それでも、スケジュールはハードでしたがゆったりとした気分で旅をすることができ、とても楽しい旅でした。

| | コメント (0)

2015年3月26日 (木)

モロッコ雑感 砂漠とラクダ

モロッコへの旅で最も印象的だったのは、最大の目的であったサハラ砂漠体験と主役のラクダでした。

01
 さあサハラ砂漠だぞと意気込んでかなり朝早く起床し、ホテルから4WD車に乗り込んで着いた暗闇の中でラクダはおとなしく、正座して待機していました。

02
 ラクダの背中に揺られて小一時間、ビューポイントで30分くらい待っていると白い太陽が浮かんできました。この日は無風でしたが、砂漠の砂塵のために真っ赤な太陽ではなくて白い太陽になってしまうそうです。砂漠は想像以上にうねりが高く、山で見るご来光のようでした。

03
 砂漠でのご来光に満足して、ツアー参加者は再びラクダの背中で揺られました。早朝くらいうちに出発しましたので他の人のことはわからなかったのですが、明るくなってみるとこんなにもたくさんの人がいたんだと驚きました。しかしそれでもこの時期はオフシーズンでラクダ料金も安かったのですが、繁忙期にはこんなものではないとのことでした。

04
 そして最も印象的だったのが、ラクダの自主的帰還でした。私たちツアー客を降ろすと、ラクダたちは群れをなして飼い主(ラクダつかい)不在のままラクダだけでさっさと宿舎(そういえばラクダはどこで寝るのでしょう)に向かって、土漠と草原が混在している広大な大地に向かって歩いていました。私たちが来たときと同じ4WD車で走っているときには遙か彼方を歩いていました。今でもその光景は忘れることができません。

  

05
 砂漠といえば、その先に椰子の樹が茂っていてそこはオアシスという光景(画像は絵はがきを転載)を思い描いていたのですが、実際にはそういう風景を目にすることはできませんでした。サハラ砂漠自体が砂のうねりが予想外に高く、遙か彼方まで見通すことができず、こういう画像は航空写真でないと難しそうでした。

06
 サハラ砂漠見物から帰る途中、砂漠が途切れ土漠地帯(砂漠化予備群)にぽっかりと浮かび上がるように現れたのはホテルのようでもあり、緑の樹が茂っていてこれがオアシスかと思わせる雰囲気でした。

07
 サハラ砂漠の周辺は土漠化が進み砂漠面積は年々少しずつ広がっているようですが、結構草は生えていて羊の放牧も行われていました。朝飯前の仕事を終えて自主帰還していたラクダたちも、遠くから見ると時々この “道草” を食べていました。

08
 砂漠の中にぽっかりと現れるオアシス風景に憧れたのですが、オアシスは別の姿で足下にありました。ホテルはオアシス地帯(前夜遅くのチェックインのため周りの景色は全くわかりませんでした)にあり、またホテルそのものがオアシスのようなものでした。

09
 バスで移動していると、時々このような光景を見ることができこれもオアシスでした。水があるところに樹が茂り、人々が集まって集落を形成し、やがて畑を切り開いてできたものでした。オアシスは砂漠に限ったものではなかったのでした。

10
 砂漠地帯をバスで走っていると水の気配や匂いは感じられず、一体水はどうなっているんだろうかと思っていたのですが、大きなモグラが土を掘った後の小山がたくさん並んでいる不思議な光景に出くわしました。この国では昔からさまざまな方法で取水していて、ここでは脚で木で組んだ車を回して地下の水をあるところまでくみ上げて、地下に張り巡らされた水路に水を供給しているとか。なぜ機械化しないのだろうかと思ってしまったのですが、これでいいそうです。この緩やかな時間に流もモロッコの魅力かもしれません。

 

モロッコから戻って一月以上経つのですが、ラクダの自主的帰還光景とターバンを巻いたお兄さんが脚で木の車を押して水を汲み上げているシーンはとても印象強く残っています。ラクダはとてもお利口さんで頭がいいことがわかりました。

| | コメント (0)

2015年3月24日 (火)

モロッコ雑感 海外リスク

2/32/119日間、「壮大なるモロッコ 絶景めぐり9日間」というツアーを終えて、この旅日記も書き終えてホッとしたのもつかの間、 “チュニジア襲撃” というショッキングな出来事がありました。今更海外リスクについて考えても仕方がないのですが、やはり考えざるをえません。

01map1
 モロッコは、アルジェリアなどと地続きであり何となく危ないなあという印象はあり周りからも言われましたが、北アフリカは比較的治安は安定しているといわれていました。しかしこのマップで見ると、モロッコはアルジェリアの西で国境を接しています。

02map2
 最近注目を浴びているイスラム国に流入しているシリアとイラクの外国人戦闘員の出身国では、モロッコは4番目に多いとあります。こんな情報を知っていたらカミさんは行かなかったと思いますが。

03

04
 ここ1~2年の海外旅行のリスクについて振り返ってみるとその中で一番危ないといわれた国はパキスタンでした。北京経由でイスラマバードに入り、カラコルムハイウェイの長旅が始まるとき、ポリスが待ち構えていて、しかもポリスが銃を構えて助手席に乗り込んできたときはかなり緊張しました。

05

06
 その後のカラコルムハイウェイ往復の長旅の間、常に軍隊やポリスがガードしてくれ、緊張感が安心感になり連帯感となりました。

06dsc05300_2
 とはいえやはり危険は潜んでいて、私たちが2013.4.9に通過した首都イスラマバードから60kmのアボッターバードという町で、ほんの数日前の3.29にビン・ラーディンがアメリカ軍により殺害されました。また2014.7にはその先のナンガー・パルパット(世界9位の高峰)の麓の町で外国人登山客9人がゲリラに襲われ死亡しました。

 パキスタンについていえば、秘境ツアーの西遊旅行社だから安全が保たれているともいえるのです。パキスタンツアーを実施している(観光による外貨獲得)唯一の会社であり、印象的だったのはツアー中の軍隊と警察の警護だけではなく、パキスタン航空の機内食が私たちだけ特別食だったことで、いわばVIP待遇なのです。

07
 別の意味でのリスクを感じたのは中国でした。同じ2013年の9月には中国・チベットへ出かけました。特にチベット自治区は厳戒態勢で、軍隊やポリスにうっかりカメラを向けて発覚したら大変ことになります。この写真はかろうじて撮った一枚です。

08bc5150
 チベット旅行はやはり西遊旅行社のツアーを利用し、世界一高いところ(5,000m)を走る青蔵鉄道に乗ることとチベット側からチョモランマ(エベレスト)を見ることでした。このベースキャンプ(5,150m)に入る手前ではかなり厳重なチェックが行われ、このベースキャンプでも私たちの背後には軍隊が銃を構えて見張っていて、そちらにカメラを向けたら大変ことになります。

09

10
 チベットの旅ではテロの脅威は想定していませんでしたが、むしろ中国当局に拘束されるリスクはヒシヒシと感じました。各地の観光スポット見学では常に私服の公安の影を感じ、ネパールとの国境の町では絶え間なく公安の車が巡回していて、厳しい検閲を終えて国境を越え、ネパール側に入ったとたんバンザイと叫びたくなるほどでした。まるで難民の脱出体験でした。

11
トルコ・エフェソス遺跡。

12
トルコ・ブルーモスク。

13
 2014年5月にはトルコへ行きました。トルコはほとんどリスクを想定していませんでしたが、最近の観光客が狙われる風潮と周辺国が紛争地帯であることを考えればやはりリスクは覚悟した方がいいかもしれません。何しろエフェソス遺跡やブルーモスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿など世界有数の観光地が点在し、グランバザールやイスタンブールそのものが世界中の観光客で溢れかえっていました。外務省の通達では観光客が集まるところの滞在はできるだけ短時間にしてくださいとなっています。

14
モロッコ、ねずみ取り風景。

15
モロッコ、メクネスの駐車違反取り締まり。

16
モロッコ、マラケシュ近郊の新市街地の警備。

17
モロッコ、マラケシュ駅の警戒。 

今回出かけたモロッコを振り返ってみると、俗に言うねずみ取り(スピード違反取り締まり)や駐車違反の取り締まりが目についた程度で、しかし新市街や新しい駅では警戒されていました。

18
 マラケシュのフナ広場では、こんなところで自爆テロや無差別襲撃が行われたら嫌だなあという感じはしましたが、窃盗で少年が私服刑事とポリスに捕まりお仕置きをされているのが目についた程度で、特に警戒されている様子はありませんでした。むしろスリや窃盗対策に重点が置かれているようでした。

昨年は、トルコの他にニュージーランドやベトナムに出かけましたが、両国はリスクはほとんど感じなかった国です。とはいえ、海外旅行に限らず国内旅行も、登山でもトレッキングでもなにがしかのリスクはあるわけで、それなりの覚悟が必要なことを再認識しました。



 


 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2015年3月22日 (日)

モロッコ紀行 幻のラーメン

2/10(火)の15:25(現地時間)フランクフルト発成田行きに乗り込み、ビジネスクラスのゆったりとしたシートでリラックスしました。

01dsc00911

02dsc00913

03dsc00914
 機内食は、往路では私は和食でカミさんは洋食でした。復路は逆に、私は洋食をカミさんは和食をチョイスしました。洋食のメニューは、オードブルは鴨胸肉の燻製、メインはビーフフィレ肉でした。

04dsc00912
 和食は、往路の時と同じように小鉢善でした。洋食にしても和食にしてもそれはそれは美味しく、一生に一度の贅沢気分でした。特にカミさんは、モロッコは危険だと尻込みしていたのですが、ビジネスクラスで行くといったらついてきたという経緯がありましたので、冥土の土産ができたと喜んでいました。

05dsc00920
 フランクフルトから成田までの11時間半のフライトでしたので、もし小腹が空いたら夜食のオーダーも可能でした。メニューは、牛丼、カレーライス、味噌ラーメン、わかめうどん、サンドイッチ、各種チーズ、フレッシュフルートなどで、あまり考えもしないでサンドイッチを頼んだのですが、今にして思えばラーメンにしておけばよかったと後悔しています。この先の長いのか短いのかの人生で、空の上でラーメンを食べる機会はないでしょうから、大失敗でした。

06dsc00922
 朝食は和食をオーダーし、メニューは鯖柚庵焼きと蒲鉾、明太子、ほうれん草のお浸し、味噌汁。今後、機内でこんな食事の機会もないと思いました。

07dsc00923
 日本時間の12:30、シベリアの上空を飛んでいるようでした。成田着14:40でしたから後2時間。

08dsc00939
 13:43 日本の領空に入りました。雲海の下にはうっすらと日本の海が見えました。

09dsc00943
 14:14 予定より随分早く成田に着陸しました。

10dsc00945yumiko
 14:34 入国審査、税関検査も預け荷物の回収もスムースに済み、旅は終わりました。レンタル携帯の返却カウンターでツアーコンダクターのYumikoさんと一緒になりました。次はアフリカへ出かけるとのこと。

11dsc00946
 横浜行きのリムジンバス乗り場で、フランクフルトのJALラウンジで見かけたヤングファミリーと一緒になりました。ご主人がフランクフルトで仕事をしていて、ファミリーで一時帰国したとのこと。健やかで頼もしいファミリーでした。海外生活は何かとリスクが多い昨今です、ご主人のご活躍とご家族の皆様のご健康、子供さん達がスクスクと成長されることをお祈りします。

 

長時間のフライトにもかかわらず、美味しい酒と食事と熟睡で成田に着いても疲れは全く感じませんでした。出発前に取りかかっていた仕事が急展開しつつあったのですが、帰宅とともに社会復帰してリカバリーすることができました。

 

今回もツアーコンダクターの存在は印象的でした。今回はビジネスクラス利用のツアーでしたから、ツアー参加者もそれなりの・・・と思っていたのですが、2人もクレーマーがいて目に余るものがあり、その分Yumikoさんは苦労したと思います。しかしそこはプロ、さすがの対応でした。カサブランカでの最後の夜、酔った勢いもあって酒豪のK子さん達と反クレーマー連合を結成しようか~Yumikoさんを守る会~と気勢を上げるようなこともありました。そのYumikoさんは今頃はアフリカの空か大地にいるはずで、Yumikoさんお勧めのスポットはアフリカ・ケニアとのこと。いつか私も二度目のアフリカ(ケニア)に行ってしまう予感がしていて、自分のことながら戸惑いを感じています。

| | コメント (2)

2015年3月21日 (土)

モロッコ紀行 トランジット

2/10(火)、モロッコのカサブランカからフランクフルトに到着し、フランクフルトでは成田へのフライトまでのトランジットが4時間もありました。

01dsc00870
 長時間のトランジットも、ビジネスクラス利用の特典でJALラウンジが使えましたので退屈することはありませんでした。ラウンジの入り口にはお雛様が飾られていました。

02dsc00863
 さすがに成田のラウンジほどではありませんでしたが、それでもゆったり寛ぐことができました。

03dsc00874
 バリッとしたビジネスマンが多く現役の頃を思い出すとともに、ノンビリ観光できる幸せと多少の後ろめたさも感じました。

04dsc00864
 ここにもたくさんの種類の高級酒が置いてあり、時間はたっぷりありましたので、嬉しくなりました。

05dsc00873
 酒飲み友達のK子さんと乾杯。旅の最高の楽しみは昼間から酒が飲めるということで意見が一致しているのですが、モロッコでは昼酒が半分くらいの日程で禁止されましたので、ここでその分を取り戻すことができました。

06dsc00871
 フランクフルトといえばビールとソーセージ、これがなければ始まりません。期待に違わず美味しかった。

07dsc00869
 サラミも絶品で、白ワイン・赤ワインとともに何回もお代わりしました。

08dsc00878
 ラウンジで時間待ちしている人たちは時間の経過とともに入れ替わっていて、私たちツアー客以外はほとんどがビジネスマンのようでしたが、目をひいたのが日本人のヤングファミリーでした。若いパパとママ、おとなしく賢そうな兄妹の4人家族でした。若い頃からファミリーで海外に出かけるというのはそういう時代なのでしょうが、しかもラウンジを使えるとは頼もしくもありました。(この時点では、ブログへの掲載の了解はいただいていませんでしたが、事後承諾をいただきました)

09dsc09974
 ラウンジでノンビリしているうちに、19:10発成田行きJL0408便への搭乗の時間となりました。フランクフルト空港も夕闇に包まれていました。

10dsc00886
 同じビジネスクラスでも機体によってシートは随分違うようでした。往路(成田~パリ)に比べて帰路は個室感がありました。隣り合わせのシートは前後に少しずれていて、窓際の席からトイレなどに立つときには通路側の人が邪魔になりません。また今回はカミさんと隣り合わせになりましたが、もし隣が知らない人でしたら間仕切りボタンを押せば間仕切りがせり上がってきますので、お互いのプライバシーは完全に守られます。

11dsc00903
 脚を目一杯伸ばすことができましたので楽でした。

12dsc00909
 コントロールパネルで、シートの角度などフルフラットまで可能でしたので、熟睡することもできました。

99dsc00905
 個室状態で寛ぐことができました。

 

ラウンジで寛ぐことができ、長いトランジット時間も苦になりませんでした。また11時間30分というフライト時間も苦になりませんでした。しかし後々、こんな楽をしていいのかなあという不安もありました。

| | コメント (0)

2015年3月20日 (金)

モロッコ紀行 フランクフルト

2/10(火)、帰国の日となりました。往路は成田からパリを経由しましたが、岐路はフランクフルトを経由しました。

 

01dsc00809

02dsc00811
 ホテルのレストランでK子さん、ツアーコンダクターのYumikoさん達と飲み過ぎてしまい、それでも長い旅路に備えて、しっかりと朝食をとりました。

03dsc00815
 11時近くのフライトでしたが、 07:30 少し早めにカサブランカ中心部にあるホテルを出発しました。

04dsc00827
 コートの襟を立てて夜霧に煙るカサブランカのこの街をぶらついてどこかのバーに入るはずでしたが。その街は未だ眠りに入っているようでした。結局カサブランカ滞在は一泊で行動時間は短く、映画「カサブランカ」の雰囲気に浸る余裕はありませんでした。

05dsc00837
初めてアフリカの大地(ちょっと大げさ)に降り立ったのがほぼ一週間前、同じ名前の「ムハンムド5世国際空港」でありながら違うターミナルに降り立ちました。あたりをきょろきょろして、やたら椰子の樹が目立ち、青空とモクモクと湧き上がる雲が印象的だったのが遠い昔のようでした。

06dsc00841
 頼りがいのあったジャリロさんともここでお別れ。ガイドさんにしては寡黙でしたが、私たちは日が経つにつれて信頼感を増しました。

07dsc00846
 感慨に浸るまもなく難関の搭乗手続きでした。海外で驚くのはこの搭乗手続きのいい加減さで、ここでもまたその例に漏れませんでしたが、結果オーライでした。

08dsc00854
 モロッコからフランクフルトまでのフライトはロイヤル・エア・モロッコでした。10:55出発で、約3時間半のフライトでした。

09dsc00857
 一応国際線ですが、機体はあまり大きくはなく、通路を挟んで両側3シート。フライト時間から見て国内線のようなものでした。

10dsc00856
 カサブランカを離陸して1時間くらいして昼食が出ました。あまり期待していなかったのですが、まあまあ美味しく食べられました。

11dsc00858
 ヨーロッパ大陸上空にさしかかったようで、眼下には真っ白に冠雪した山脈が波打っていました。4年前の2011.7、アルプスをトレッキングで歩いたことを思い出しました。

12dsc00862
 定刻通り、フランクフルト空港に到着しました。ここは2回目ですが、今回はトランジットだけでした。

 

心配したカサブランカ空港での搭乗手続きでした。というのも、対応するスタッフによってはトランクなどの預け荷物が経由地のフランクフルトで下ろされる場合と、成田まで直行で行く場合とケースバイケースで、ツアーコンダクターのYumikoさんによると、前回は半々とか。もしフランクフルトで荷物が下ろされた場合は、一度フランクフルトで出国し、その後入国手続きをしなければならなくなりますし、同じツアー仲間が出国組とトランジット組に別れるということにもなります。結果は、全員成田直行で思わずバンザイ!

| | コメント (0)

2015年3月19日 (木)

モロッコ紀行 グルッと一周

2/9(月)、マラケシュから列車に乗って3時間、この日の最終目的地カサブランカに着きました。

Map
 2/9(月)の18:00 カサブランカ駅に到着し、モロッコ一周は完結しました。。バスに乗り、高原から砂漠へ、砂漠から山脈地帯へ、そして列車で平野を走った旅が終わりました。

01dsc00782
 定刻に到着した列車からはき出される乗客とともに私たちも駅舎を出ました。

02dsc00781
 カサブランカ駅前の風景は、出迎えと思われる車以外は何もないといっていいほど閑散としていて、開けた感じのマラケシュ駅とは大きな違いでした。しかしこちらの風景の方が らしくもありそれだけモロッコの雰囲気に慣れたせいでしょうか。駅前で待機している車の中に、私たちのバスも待っていてくれました。

03dsc00785
 バスは市内に入り風景はどんどん都会化され、帰国へと背中を押されてゆくような感じでした。

04dsc00792
 市内に入って日はあっという間に暮れ、ハッサン二世モスク見物に出かけました。黄金の造形物が漆黒の闇に浮かび上がっているようでした。

Yumiko
 ツアーコンダクターのYumikoさんがつくってくれた資料から。

05dsc00793
 なにしろ、全敷地には8万人、内部には2万5千人が収容可能の大きさ。ここ一杯に信者が集まってメッカに向かって祈りを捧げる様相を想像すると凄いことで、改めてモロッコでは65%がアラブ系という数字が実感されました。

06dsc00796
 モロッコ最後の観光をすませ、ホテルに戻りました。

07dsc00801

08dsc00803
 取るものも取りあえず空腹を満たし、アル中の禁断症状から思いっきり解放されました。飲み友のK子さん、ツアーコンダクターのYumikoさんも合流して、何本かの赤ワインを空にして、気がついたらレウェイター達が出て行けといわんばかりに椅子を片付け始めていました。

09
 気がつけば夜が明けていて、ハンフリー・ボガートを気取って霧に煙るカサブランカの夜の街を、コートの襟を立てて歩いて、フラリとバーにでも入ってみようなどという夢ははかなく消えました。

Images

220pxprincipal_cast_in_casablanca_t
 (画像はインターネットより引用)カサブランカといえばここを舞台とした同名の映画(ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマン主演)が強く印象に残っていて、その雰囲気を少しでも味わってみたいと思っていました。

 

カサブランカの夜の街を歩いてみたいという夢は叶いませんでしたが、K子さんYumikoさんと飲んだ思い出は残りました。飲みつつ、旅の思い出を語り、Yumikoさんのツアーコンダクターとしての楽しい話や苦労話など。そうしてカサブランカの夜はふけてゆきました。

| | コメント (0)

2015年3月18日 (水)

モロッコ紀行 列車旅

2/9(月)の午後、マラケシュからカサブランカへの3時間の列車の旅が始まりました。私たちをマラケシュ駅まで運んだバスは、現地ガイドのジャリロさんと助手のハッサンさんを乗せて列車と競争するかのように陸路をカサブランカへと向かいました。

01dsc00691
 3/9(月)の午後、マラケシュからカサブランカへの3時間の列車の旅が始まりました。私たちをマラケシュ駅まで運んだバスは、現地ガイドのジャリロさんと助手のハッサンさんを乗せて列車と競争するかのように陸路をカサブランカへと向かいました。

02dsc00693
 私たちは予約してあった一等車に乗り込みました。全部で十数輌の連結のうち、一等車はこの一輛だけのようでした。

03dsc00694
 一等車の指定席は、進行方向左側に3シートの向かい合いで計6人のコンパートメントでした。

04dsc00697
 列車はほぼ定刻、発車ベルのような前触れが何もなく静かに発車しました。列車を通り過ぎるのを待っている車や人やロバの荷車などで、今踏切を通過しているんだなとわかりました。

05dsc00710
 私たちが乗った一等車は列車の最後尾に連結されていましたので、速くもなく遅くもない速度でゆっくりと後ろへと遠ざかる風景を眺めることができました。この区間は2車線ありました。

06dsc00718
 出発して1時間くらいしましたら車内販売のお兄さんがやってきました。進行方向右側は通路になっていました。日本の車内販売の女性を見慣れているせいか新鮮な感じですが、列車の運行に関わる人で女性の姿を見ることがほとんどありませんでした。女性は外に出ないというアラブ国のお国事情が反映されているようでした。

07dsc00722
 緩やかにうねる草原が広がっていて、この路線の敷設は平地のうえに地権者などややこしい話もなさそうで、比較的簡単だったのではないかなとつまらないことを考えました。

08dsc00727
 私たちの乗っている上り列車の左側を下り列車が通り過ぎてきました。ここでは3車線になっていました。

09dsc00729
 発車した列車を見送る物売りの少年たち。前触れもなく発車するので、列車が駅に停まっても決してホームには降りないでくださいと強く言われていましたので、遠ざかる風景を眺めるだけでした。

10dsc00736
 場所によってはくねったり、丘を越えたりしたところもありました。ここでは単線になっていました。

11dsc00753
 時々は、ホームもない無人駅にも停まりました。最後尾の車輌にいた車掌さんが、いきなり走り出し何事かと思ったら、ある車輌のドアが開かずに乗客が困っている様子を見て駆けだし、なんとかドアをこじ開けて乗客を乗せて戻ってきました。車掌さんも大変です。

12dsc00765
 駅によっては警察犬が警戒しているような場所もありました。

13dsc00775
 列車の窓はずーっと掃除をしていないようで、雨が洗い流すままにしているようで、膜を貼ったようになっていました。

14dsc00778
 18:00 定刻通り終点のカサブランカ駅に滑り込みました。遠ざかる風景ばかり見とれていて一等車以外の車輌がどうなっているのかを見ることができず、大失敗でした。

 

3時間の列車旅は、速くもなく遅くもない体に負担のない速度でほとんど疲れというものを感じませんでした。もっとアバウトかなと思っていたのですが、スムースな運行で、これはモロッコ人の国民性でしょうか。ツアーコンダクターのYumikoさんから、食事の時に飲み物を注文してもなかなか出てこないときがありますが、それはモロッコ流なので気にしないでくださいともいわれていたのですが、ほとんどそういう場面には遭遇しませんでした。何はともあれ、初めてのアフリカミニミニ列車旅は快適でした。

| | コメント (0)

2015年3月17日 (火)

モロッコ紀行 マラケシュ駅

2/9(月)、マラケシュ市内のホテルからマラケシュ駅へと向かいました。

01dsc00642
 朝のフナ広場を見物したり、メディナの馬車散策などをしているうちにお昼近くになりレストランに向かいました。その途中、ケバブの店がありました。表面はこんがり、中の肉はジューシーで美味しそうでしたが、残念ながら口には入りませんでした。

02dsc00646
 モロッコ風サラダ。どちらかというと野菜炒め風でしたが、野菜は半生状態で美味しかったです。

03dsc00647
 モロッコ風春巻。春巻はどこの国にあるようで、もちろん国によって味がさまざまで面白いです。今まででは、昨年ベトナムで食べた「生春巻」が一番のような気がしました。

04dsc00649
 モロッコ風ヤキトリ。2種類あって、それぞれ美味しかったのですが、これだけのご馳走があって、なんでビールやワインがないのと毒づいてしまいました。これでは生殺しだよねと酒飲み仲間のK子さんと顔を見合わせてしまいました。

05dsc00661
 朝食を済ませて再びバスで移動し、マラケシュ駅に着きました。驚くほど近代的な建物でビックリしました。まだ完成されてから年月が経っていないように見えました。

06dsc00670
 マラケシュ駅はカサブランカ駅と並んで主要駅ですので、さすがに警戒は厳しく、本物の重そうな銃を持っている姿は厳めしいのですが、あまり緊張感は感じませんでした。

07dsc00673

こちらはポリスのようでした。交通課といったところでしょうか。

 

08dsc00671
 何となくの撮影。昼食でアルコールが出れば、ほろ酔い加減で列車の旅が楽しめると思っていたのに肩すかしで、おまけにちょっと寒くてあまりご機嫌ではありませんでした。

09dsc00668
 マラケシュ駅の構内のデザインも素晴らしく、細かい部分にも丁寧な模様が刻まれていて博物館のようでした。構内は2階建てでマクドナルドなども入っていました。

10dsc00666
 このデザインはきっと意味があるんだろうと考えましたがわかりませんでした。

11dsc00678
 構内をブラブラして時間待ちしていましたら列車が入ってきました。しかし私たちの乗る列車ではありませんでした。

12dsc00680
 多分、私たちと同じようにカサブランカ行きに乗ると思われる乗客がボチボチ集まり始めました。きっと早くから待っているせっかちな人と時間ぎりぎりのノンビリした人といろいろいるのは万国共通でしょうね。

 初めて見るアフリカの駅は近代的でした。勝手にワイルドなイメージを抱いていたのですが、テナントとしてマクドナルドが入っていたりして、異国に来た感じはしませんでしたが、到着した列車から降りてきた人やこれからの乗車を待っている人たちはやはりこの国の人たちでした。アフリカの列車の旅はどんな風景が見られるのか楽しみでした。

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2015年3月16日 (月)

モロッコ紀行 メディナ馬車散策

2/9(月)、モロッコ・ツアーも7日目となり、この日はマラケシュからカサブランカへ移動しました。

01dsc00557
 09:30とゆっくりとした時間にシャンデリアが印象に残ったホテルを出発しました。

02dsc00564
 この日はマラケシュ駅から列車でカサブランカへ行くことになっていて、時間がありましたのでフナ広場に寄りました。前日は日が暮れて妖しい雰囲気を醸し出していたフナ広場、夜とはまた違う雰囲気でした。

03dsc00573
 K子さんがタトゥに挑戦しました。

03dsc00574
 手の甲に、注射器のようなものから絵の具のような塗料を押し出して絵を描くもので、しばらくすると定着して、しかしいずれは自然に消えてしまうというものでした。タトゥを商売にしているおばさんは何人もいました。

04dsc00576
 猿回しというか、見ていると猿に何か芸をさせるというより写真のモデルになったりしていました。きっとおじさんにとっては大事な稼ぎ手なのでしょう。

05dsc00570
 コブラが鎌首を持ち上げていました。柵も囲いも何もなく、カミさんは逃げないのかしらと心配していましたが、きっとエサを貰えるご主人様のことはよくわかっているのだろうと安心させました。

06dsc00639
 こちらでは何匹かの蛇がとぐろを巻いていて、撮影料(確か50100円くらい)を払って写真を撮りました。サービスで、カミさんの首に蛇を巻き付けて写真を撮らせてあげると言われましたが、カミさんは叫び声を上げて逃げてしまいました。

07dsc00583
 広場を少し見た後メディナ散策となり、メディナを歩いて一通り見るには時間がかかるとのことで、馬車に乗りました。4人乗りで、私たちは5台の馬車に分乗しました。

08dsc00582
 メディナの中には、前日歩いたスーク(商店街)の他になかなか歩くことができない安宿街や居住区などもあり、歩いたら大変でした。

09dsc00617
 馬車は2頭の馬に曳かれてかなり快適でした。私が乗った馬車に続く後ろの馬は若い馬のようで、元気がありすぎて前へ前へと出たがり、気がつくと顔がすぐ脇にあり、顔も目も可愛いものでした。

10dsc00616
 隊列を組んで城門をくぐるときは貴族になったような気分でした。

11dsc00619
 城壁が新しくきれいな、日本でいえば皇居のような場所では、この先撮影が禁止されていました。

12dsc00621
 居住区の狭い道も馬車は乗り入れていました。この先少し行くとフナ広場で、約1時間の騎乗(というのでしょうか)散策でした。

 

馬車に揺られてメディナをゆっくりと見物しながら、世界遺産に登録されているこの場所はこれから先何百年も同じように時間が流れてゆくのだろうと思われ、こういう時間が流れるような場所は日本にはあるのだろうかと思ったりもしました。多分、千年の都といわれる京都や奈良、あるいは地方の金沢や弘前など、探せばいくらでもありそうな気もしますし、大事にしなければいけないのかも。

| | コメント (0)

2015年3月15日 (日)

モロッコ紀行 ベリーダンス

2/8(日)、マラケシュのフナ広場には夕日が落ち、妖しい雰囲気となりました。

01dsc00501
 日が暮れて明かりが灯りだすとまた華やかになり、昼間とは違った風景となりました。

02dsc00504
 もう随分とここでは時間をかけて見物しましたので、何となくぼんやりと、それでも退屈はしないでブラブラとしました。

03dsc00512
 路上には、日が暮れたこの時間に合わせてにわかランプ店がオープンしました。こんなランプを欲しいなあと思っていたのですが、 “断捨離” 志向のカミさんに反対されました。

04dsc00513
 すっかり日が暮れて、夜店の灯りがまるで誘蛾灯のようでした。TVの観光番組などで見るフナ広場の風景はこんな時間にカフェの階上で撮影したものが多かったような記憶がありました。

05dsc00540
 夕食はフナ広場の近くのレストランでした。アラビアンナイトの根城のような雰囲気で、ちょっと期待しました。

06dsc00519
 

07dsc00520

08dsc00524
 この日の夕食メニューは、スープから始まってメインが世界一小さいパスタといわれるクスクス、最後にフルーツというコース料理でした。何よりワインをたっぷりと飲めたのがよかった。

09dsc00527
 周りをテーブル席が囲むちょっとしたスペースでは、民族音楽が流れていて、ワインもきいてきていい雰囲気でした。

10
 予定にはなかったベリーダンスが始まりました。トルコで見たベリーダンスとはかなり趣が異なるものでしたが、それでも賑やかで華やかなことはいいこと。気がついたら手を引かれて一緒に踊ってしまいました。

11dsc00549

レストランから出てくるとミナレット(モスクで礼拝を呼びかけるアザーンのための尖塔)がライトアップされていて、これもいい雰囲気でした。

 

ツアーも6日目で、残すところ2日となりました。サハラ砂漠の最前線基地ワルザザートを07:30に出発し、ティシュカ峠を越え、アフガンオイルの里に立ち寄り、フナ広場見物と盛りだくさんの一日でした。ワインをたっぷり飲んで、目の前のベリーダンスに誘われ、モロッコに抱いていた一つのイメージ、アラビアンナイトの妖しい雰囲気に触れたような一日でした。

| | コメント (2)

2015年3月14日 (土)

モロッコ紀行 フナ広場

2/8(日)の午後、マラケシュのメディナにあるフナ広場を観光しました。

01dsc00434
 フナ広場は正式には「ジャマ・エル・フナ広場」といい、11世紀後半にマラケシュが首都で会った頃から街の中心となっていた広場です。かつては公開処刑なども行われたこともあり、現在は大道芸人や飲食物、金属細工を扱う屋台などがところ狭しと軒を並べて、渾然とした賑わいを見せていました。

02dsc00436
 絞りたてジュースの屋台も名物の一つで、ずらりと並んでいる屋台が何台も並んでいました。屋台にはオレンジなどが山と積まれていましたので、全部で何個あるのかなと考えました。日本のミカンジュースに近い甘さがあるとのことですが、屋台によっては衛生面で問題があるところもあるとも聞いていましたのでパスしました。

03dsc00466
 木の実やドライフルーツなどを売ってい店も何軒かあり、一段高いところにいるお兄さんは、長くて大きなシャモジを上手く操って、品物とお金のやりとりをしていました。

05dsc00440
 お祭りなどで人が集まるとき、縁日の屋台でいろいろなものを食べたりするのが楽しみで、どこの国でも同じです。しかし、こういうところで食べるのは勇気がいります。

06dsc00468
 いろいろな大道芸人の人たちがそれぞれパフォーマンスしていて、この人たちは割とシンプルな楽器でシンプルな音楽を奏でていました。

07dsc00471
 ここはエスカルゴ売り場。シャモニーでは美味しく食べたのですが、ここは確実にお腹を壊しそうな雰囲気でした。

08dsc00474
 最も食欲が刺激された屋台で、美味しそうなのですが何の肉かわからず、ここもパスしました。

09dsc00476
 焼き鳥屋的雰囲気の屋台、ちょっと佇んでいると呼び込みが激しく、特に日本人とみると怪しい日本語でかなり誘われました。

10dsc00489
 ストリートファイターとでもいうのでしょうか、ボクシングの対決。観客からどちらが勝つかという賭け金を徴収していました。ボクシングは好きなので対決を見ようと待っていたのですが、賭け金を集めるのにかなり時間がかかり、結局試合見物はあきらめました。

11dsc00462
 この人たちは、広場を眺めようとお金(お茶やコーヒー代など)を払ってカフェの2階に上がっている人たちで、私たちもここで広場見物をしました。

12dsc00459
 なるほど、カフェの2階から眺める景色はまた違った趣でした。フナ広場はモロッコの観光名所に一つになっていて、最近は治安が悪化しているために観光客への安全を考慮して、広場に面したレストランやカフェから風景を眺めるスタイルのツアーも増えているとか。日が暮れてからのここからの眺めはTVの旅番組などでよく見たことがあります。

13dsc00452
 とても楽しそうに、子供も喜んではしゃいでいました。しかし、2011.4.28には国際テロ組織アル・カイーダの犯行と言われている爆発事故が起き、フランス人8名を含む17名が亡くなったとか。

15dsc00445
 派手な民族衣装を纏っている音楽隊の人たちは、写真を撮らせて収入を得ているグループでした。見ていると、わからないようのそっと撮影しても目ざとく見つけてチップを要求していました。さすがにこのカフェの2階までは気がつかれませんでした。

16dsc00457
 混雑している人混みの中を悠々と荷車を引いて白い馬が歩いていました。

17dsc00484
 カフェの2階から広場を眺めたり、屋台を冷やかしているうちに日が暮れかかってきました。

 

フナ広場はモロッコでも有数の観光地で、国内外から多くの人が集まっていました。スリなどには十分注意しましたが、しかしテロについては防ぎようがないだろうなと思いました。私服のポリスなどはもちろんわからないのですが、あまり警戒態勢がとられているようには思えず、また観光客もテロの警戒はしようがなく、例えばバリ島でテロが起きたとの同様に、こういうところでテロに遭遇したら運が悪いということなのだろうなあと開きなおりました。

| | コメント (0)

2015年3月13日 (金)

モロッコ紀行 メディナ・スーク

2/8(日)のマラケシュ市内観光でクトゥビアの塔を見た後、メディアの中のスークといわれる商店街を見て回りました。

01dsc00409
 メディナのスーク(商店街)は、フナ広場を取り囲むように広がっていました。フナ広場は夕方頃から混み合うとのことでしたが、それでも多くの人が集まってきていました。

02dsc00412
 フナ広場の北側に広がるスークは迷路のように複雑でした。しかし、もし自分の居場所がわからなくなっても来た道を引き返せばフナ広場に出ることがわかりましたのでちょっと安心でした。

03dsc00417
 スーク(商店街)は、フナ広場の北側の安宿街にもあるとのことで、ガイドさんからはそちらは絶対に行かないようにと釘を刺されました。

04dsc00421
 スーク(商店街)の通路は地元のあるいはこの国の  お上りさんとおぼしき人で混雑していました。私にとっては、お店も面白いのですがここに二集まっている人たちを見ている方がもっと面白かったのです。

 

05dsc00422
 かつての秋葉原のアメ横のように賑わっていて、トルコのグランバザールは観光客の姿がかなり目についたのですが、ここでは日常的に必要なものを買いたいという人たちが目の色を変えていました。

06dsc00419
 アラジンの魔法のランプのようなものがあれば一つくらいは買ってもいいかなと思ったのですが、なかなか見当たらず、うっかり店の中に入ったら結局何か買わされそうでしたので、店先を覗くだけでした。

07dsc00423
 ツアーコンダクターのYumikoさんの説明によると、日用品はドッサリと陳列されているのですが、いわゆるお土産用に気の利いた物があまりないとのことでした。そういう点ではまだまだ観光への取り組みが遅れているようですが、かえってその方が異国情調に浸れるような気がしました。

08dsc00424

09dsc00425
 オリーブなどの木のみでしょうか、同じような店が軒を連ねていて競い合っていました。こういう品揃えを見ていると、かなり自然が豊かで自然の恵みを受けていることがわかりました。いろいろ試食したりしたかったのですが、きりがないような気がしてやめました。

10dsc00430
 スークの散策が終わって再びフナ広場に戻りました。正面に見えるカフェ・レストランが私たちの目印になりました。

 

フェズのメディナも大きかったのですが、マラケシュのメディナも大きく、とはいえ距離でいえば東西と南北それぞれ2kmとのことですので、迷子になっても城壁伝いに歩いて大きな通りを見つけてフナ広場に戻ればいいという見当がついたのですが、それでも外国では何があるかわからず、大胆にはなれませんでした。

| | コメント (0)

2015年3月12日 (木)

モロッコ紀行 クトゥビアの塔

2/8(日)の午後、ホテルで昼食を済ませて、マラケシュ市内観光に出発しました。

01dsc00371
 マラケシュは、フェズに次いで2番目に古い街で、首都が1269年にフェズに移ると衰退した時期もありましたが、今は商工業や文化が栄え、道路は整備され、街路樹にはオレンジやオリーブの木、ナツメヤシなどが植えられてよく整備されていました。

02dsc00374
 メディナ(旧市街)の周りに造られた城壁は、見慣れた光景でした。これまで立ち寄ったフェズでも、メディナは立派な城壁に囲まれていました。

03dsc00375
 街中で目についたのが “ねずみ男” で、肌寒いときにはちょっと着てみたくなりました。ねずみ男に変身したらどんな気分でしょうか。今から思えば一つくらい買って、メディナ散歩やフェズ広場散歩に着てもよかったかなと後悔しています。

04dsc00384
 二頭立ての立派な馬車が待機していました。まさか自分が乗るようになるとは思いませんでした。

05dsc00387
 現地ガイドさん(名前は聞き忘れてしまいました)は、強面のする立派な体格の人で、風貌に似合わず優しげな声で、しかも達者な日本語を話していました。

06dsc00389
 青空に延びた高さ77mのミナレットはクトゥビアの塔で、マラケシュのシンボルとなっています。セビリアのヒラルダの塔(97m)と並んで、世界で最も高く美しいミナレットといわれています。

07dsc00396
 またこのクトゥビアの塔はムーア様式の建築で、4面それぞれ異なる装飾をもっていて、12世紀にモスクとして着工され、1192年ミナレット部分まで完成したとのこと。

08dsc00403
 メディアの中は、住居や商店などが並んでいて賑やかでこれからの散策が楽しみでした。

09dsc00408
 メディナの中にはフナ広場もあって、広場手前にはたくさんのバイクが並んでいました。多分、商店やフナ広場で働いている人たちの足になっていると思われました。

 

マラケシュのシンボルとなっているクトゥビアの塔は、スクッと青空を背景に美しい姿を見せていましたが、高さとか装飾の美しさを見てしまうと、 “ああそうですか!で終わってしまい、歴史やバックボーンについての知識がないためにその本当の凄さや素晴らしさを感じとることができなのはいつものことです。

| | コメント (0)

2015年3月11日 (水)

モロッコ紀行 マラケシュへ

2/8(日)、私たち一行はティシュカ峠を越え、アルガンオイルを買い込んでマラケシュへと向かいました。

00map
 この日のルートは、ワルザザートからマラケシュへと至る道で、山脈地帯でした。

01dsc00278
 オートアトラスの山々を遠くに眺めながら、山の中の道を辿りました。

02dsc00281

02dsc00282
 途中、ちょっと開けた村があり、露店が開かれていました。かなり人が集まっていて繁盛しているようでした。

03dsc00299
 やがて山が開けたところに出ると、草や木に覆われていない赤っぽい小山が目立つようになりました。

03dsc00312
 山ともいえないような小さな山に近づいたとき、大きな怪獣がガブリとかんだような爪痕があり、灼熱や豪雨によって崩落したと思われる赤土部分は、まるでできたてのローストビーフを囓った後のようでした。モロッコは赤土の大地であり、サハラ砂漠も赤く見えたのは、こういう山がいつかは砂になった結果とも思えるのでした。

04dsc00309
 赤土を練って積み重ねて造ったような家々が山の麓や中腹に点在していました。

05dsc00316
 遠くから見ると赤土を練ったようにしか見えなかったのですが、近くで見れば意外にしっかりとした造りでした。

06dsc00321
 山間部を通り過ぎ、チラホラと都会の雰囲気を感じ始めた頃、待機しているポリスがいました。モロッコに来る前にはテロやゲリラを心配し、特に山岳ルートではそのリスクが多いのかなと思っていたのですが、そんな気配は全くありませんでした。

08dsc00327
 昨日まで必ず見かけたロバの姿は全くなくなり、移動や運搬手段もバイクや軽トラに変わりました。

09dsc00338
 カサブランカではよく見かけたナツメヤシが街路に並ぶ風景は、モロッコに着いてから(と言っても4日くらい前のことですが)数日間馴染んだ風景でしたので、懐かしいような気分でした。

10dsc00332
 マラケシュの市内に入りました。

11dsc00344
 14:17 宿泊のホテルに着きました。

12dsc00347
 宿泊したホテルは「RYAD MOGADOR AGDAL」という名で、ロビーにあるシャンデリアが印象的でした。

13dsc00361
 お昼過ぎという時間にチェックインしたのは今回のツアーでは初めてで、とてもゆったりとした気分になりました。

14dsc00356
 部屋は広く、時間が時間でしたので昼寝とかノンビリしたかったのですが、ランチをとってフナ広場観光に出かける予定でしたので、ユックリできませんでした。

15dsc00348

16dsc00350
 ランチはホテルのレストランでのビュッフェでした。こういう食事は久しぶりでした(それにしてもぞんざいな食べ方で反省です)が、残念だったのはアルコールがなかったこと。パキスタンのようなお堅いイスラムの国でもホテルではアルコールOKだったのにと思いましたが、ここはモロッコ。

 

フェズからの高原の道、エルフードからの砂漠地帯、ワルザザートからマラケシュへの山脈の道とグルッと回ってきたモロッコツアーはそれぞれの顔を見せてくれました。そのツアーもいよいよ終盤となりました。

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2015年3月10日 (火)

モロッコ紀行 アルガンオイル

2/8(日)のお昼前、要塞都市アイト・ベン・ハッドゥを出発し、ティシュカ峠を目指しました。

01dsc00193
 アラビア文字の標識は何が書いてあるのか全くわからないのですが、下には英語でこの日の最終目的地マラケシュまで180kmと読めました。

02dsc00206
 マラケシュへの道はオートアトラスを越えるルートで、オートアトラスは標高3,0004,000mの山脈(やまなみ)です。次第に山奥に入るにつれて冠雪した山が見えてきました。

03dsc00231
 ティシュカ峠は標高2,260mで、日本の室堂(標高2,450m)ですからこの時期でこの標高でしたので、息苦しさはないもののかなり寒く感じました。

04dsc00239
 オートアトラスの最高峰は標高4,100mですから富士山より高く、モロッコでこういう風景を目にするとは思いませんでした。

05dsc00248
 峠を越えてからの道は一気に下る道となり、クネクネと山裾をうねっていて、まるで日光のいろは坂のようでした。

06dsc00251
 いろは坂を下りきったところにアルガンオイルのお土産屋がありました。アルガンオイルとは、モロッコの南西部にしか生育しないアルガンツリーの実の種子から抽出されるオイルです。ここでは地元の娘さんたちが石臼を手で回して実からオイルを絞っていました。この伝統的な製法では100kgの実から1リットルしかとれませんので、非常に希少なもので、モロッコの宝石ともいわれています。

08dsc00261
 私たちの後から、次から次へと観光客が入ってきて大盛況でした。

09dsc00265
 アルガンオイルをベースにした製品は、食用のオイルはもちろん、化粧品や石けんに至るまで、健康や美に役立つものがたくさんありました。

10dsc00266
 ここで絞りたてのアルガンオイルをパンにつけて食べたり(とても美味しかったのです)、肌にすり込んだりしていろいろ試すことができ、試食したり試用してみるとたちまち虜になってしまうのでした。特に化粧品に対する女性の皆さんの購買意欲はものすごく、お土産用などかなりまとめ買いしていました。

11dsc00264
 レジはてんてこ舞いの大忙しで、おまけにレジのおじさんは商売上手でした。我が家は食用のオイル(500ml4,000円)と薬用に近いハンドクリームで締めて1万円以内の買い物でしたが、他のツアー仲間は5万円くらい買っていましたので、私たちだけで100万円くらいの買い物でした。ということは一日の売り上げを推定するととんでもない数字になりました。

12dsc09861
 お土産に持ち帰った食用アルガンオイルは想像以上に美味しく、白身の魚やホタテやエビなどいい食材が手に入ったときにはすり下ろしたキィウィとアルガンオイルのドレッシングは絶品です。

 

買ってきたものは大事に大事に使っているのですが、少しずつ減ってきて(当たり前ですが)、日本で入手しようとしたら250ml4,000円、しまった! たくさん買ってくればよかったと後悔しています。

 

 

 

| | コメント (0)

2015年3月 9日 (月)

モロッコ紀行 要塞都市

2/8(日)、「要塞都市」といわれる村、アイト・ベン・ハッドゥを散策しました。

01dsc00141
 アイト・ベン・ハッドゥは、1987年に世界遺産に登録されました。橋を渡ったその先にはなるほどまさに要塞でした。

02dsc00149
 外敵の侵入を阻むために入り口は1カ所しかなく、迷路のような道がくねくねと直角的に入り組んでいて、土を練り上げた建物が外敵に対して立ちはだかっていました。

03dsc00154
 外壁には銃眼が施されていて、最上階には籠城に備えて食料庫もあります。

04dsc00158
 隊商交易の中継地として栄えたこの地には、カスバが多く建築され、中でも有力な部族が築いたのがこのアイト・ベン・ハッドゥです。ここは孤立した集落であるため盗賊などの略奪から身を守るため、城塞に匹敵する構造になっています。

05dsc00171
 要塞の最も高いところで遠くを眺めている少年がいました。こういう光景を見るといつも何を考えているんだろうと思ってしまいます。自分がここに生まれていたらどうなんだろうとも思ってしまいます。

06dsc00164
 要塞の高見から見える景色は、川向こうに広がるカスバの数々で、反対の方角にはボコボコと盛り上がった小さな丘が続いていました。強烈な太陽の光と熱とそして風がつくった景観です。

 

07dsc00138
 ここにも生活があり、何軒かのお土産屋がありました。どこの観光地でも見られる光景です。

08dsc00159
 このおじさんは「炙り絵」を描く人。

08dsc00160
 炙り絵は、昔お正月にミカンの絞り汁で絵や文字を描いて火に炙ると絵や文字が浮き上がるというもので、おじさんはバーナーを使っていました。その作品はカスバや砂漠やラクダを描いたもので味がありましたし、手描きですので、同じ絵が二つとないところもウリでした。ツアーで一緒の人が何人か買っていて、自分は買わないくせに何故だかホッとしました。

09dsc00177
 ここに住むベルベル人の民家を訪問してティーをご馳走になりました。夏は涼しく、冬は暖かい快適な生活をしているようで、このご主人も案内してくれた村長さんも明るく陽気な人でした。

10dsc00168
 最近旅をしていて思うことは、観光地を見るのも楽しいのですが、そこで生活している人たちのことを考えたり、どんな生活をしているのだろうかということを考えてしまいます。

12dsc00187
 最後に、村の入り口で咲き誇っている杏の花を目に焼き付けてアイト・ベン・ハッドゥを後にしました。

 

要塞の高台で気持ちのいい風を感じながら、夏の最高気温が45℃にもなる砂漠の地で、ただそこで生まれて生きて死ぬ人、同じようにヒマラヤの山奥や秘境や辺境でもそういう人がたくさんいるわけで、自分が今ここにいるのは何だろうと思ったりしました。

 

 

 

 

| | コメント (0)

2015年3月 8日 (日)

モロッコ紀行 桃源郷

2/8(日)はツアー6日目、世界遺産の村「要塞都市」に向かいました。

01dsc00073
 いつもの出発準備風景、現地スタッフの働き者ハッサンさんがスーツケースをバスに積み込んでいました。この日の出発は07:30で、まだまだ寒い朝でした。

02dsc00088
 ワルザザートは映画の街で、サハラ砂漠に近いために「アラビアのロレンス」などの映画が撮影されました。シネマミュージアムだけではなくて映画村もあり、ここでは映画「クレオパトラ」が撮影されました。中に入ったら面白そうでした。ワルザザートにはこの映画村を含めて撮影所が3カ所もあるそうです。

03dsc00097
 砂漠とも大きな河の河底ともつかない風景。ここまでの6日間、いろいろな光景を見てきましたが、モロッコはやはりアフリカ(北アフリカ)の大地で、乾いた土の国のようです。

04dsc00111
 「スターウォーズ」が撮影された場所、いかにも。

05dsc00120
 映画の舞台となった風景を眺めていうちに、バスは「要塞都市」アイト・ベン・ハッドゥという村の入り口に到着しました。

06dsc00122
 杏の花が満開で、その先にはカスバのような赤煉瓦の建物があって、日本でいえば弘前城の桜のような風景でした。

07dsc00129
 村の入り口をウロウロしていると、ロバがいました。バスの車窓からは何頭ものロバを見ましたが、間近に見るのは初めてでした。頭や背中をなでたりさすったりしていいものかわからず見ていたら、横目で警戒されてしまいました。

08dsc00130
 何を想っているのでしょうか。

10dsc00132
 ここはベルベル人の村と聞いていましたので、この子たちはベルベル人。

09dsc00131
 この子もベルベル人。一人前にゴールポストを狙うような目をしていました。

11dsc00184
 またもやロバの登場。ロバは大人を二人乗せても大丈夫なくらい力持ちだそうです。ノンビリとした空気が流れていました。

12dsc00140
 この村の脇には川が流れていて、集落ができていました。オアシスの一つともいえるかもしれません。やはり水はありがたいとしみじみ思いました。

 

長距離バス移動が続いている日程にもかかわらず飽きることなく、また絶好のコンディションでサハラ砂漠のラクダ体験をしましたので、気分は最高ではあったのですが、ちょっと疲れもたまったかなという頃でした。杏の花が満開で、人も子供もロバもゆったりとしていて、最後の桃源郷といわれたパキスタン・フンザと同じようにここも桃源郷のようで、すっかり体の力が抜けました。

| | コメント (0)

2015年3月 7日 (土)

モロッコ紀行 ワルザザート

2/7(土)、早朝からのサハラ見物に始まってトドラ渓谷に寄り道しながらワルザザートに着きました。

00
 ツアーコンダクターのYumikoさんがつくってくれた資料によるとワルザザートは交通の要衝であることがわかりました。

 

01dsc00044
 宿泊したホテルは、低層で横に広がっていました。煉瓦色の落ち着いた雰囲気で、くつろげそうでした。ワルザザートというこの街もとても雰囲気のいい街でした。

Dsc00039
 内庭から見た私たちの部屋は、自分の別荘に帰ってきたみたいにアットホームな感じがしました。

03dsc00047
 ワルザザートは交通の便がよく、砂漠の雄大な光景が広がっているため、映画のロケ地としてよく使われるとのことです。アラビアのロレンスやスター・ウォーズなどのロケが行われたそうで、ホテルにチェックインした後近くのシネマミュージアムに行ったのですが、残念ながら開館時間を過ぎてしまい、入館することができませんでした。

04dsc00062
 シネマミュージアムをあきらめ、早めに部屋に戻って寛ぐことにしました。

05dsc00066
 部屋からレストレランへの道はちょっと迷路っぽく、アラビアンナイト的雰囲気でした。

06dsc00067
 レストランは重厚な感じで、この日のメニューはコース料理でしたが、よほどお腹が空いていたのか、疲れていたのか写真を撮るのを忘れてしまいました。

07dsc00058
 疲れていたせいかぐっすり寝て、早めに目覚め、朝食前に散歩に出ました。ワルザザートは、かつてはキャラバンが立ち寄るだけの小さな村だったのですが、1920年代にフランス軍が駐留してから基地がつくられて発展し、現在でもモロッコ軍が駐屯しています。

08dsc00057
 東の空が明るくなってきました。この日はツアー5日目で、もうずいぶん日本を離れているような気がしてしまい、旅の空を眺めながらしみじみと異境の地にいるんだなあと感慨も新たにしました。

09dsc00053
 ホテルの前には大きな通りが走っていて、その向こう側にはカスバをレストランに改装したような建物がありました。この街の建物は、比較的赤色が強い煉瓦色で統一されていて、ドイツのロマンチック街道の雰囲気によく似ていました。

 

前日の夕食は美味しかったのですが、同じテーブル(原則としてその都度自由)についた人が相性の悪いクレーマーおばさんで、今まで行ったところの旅行自慢から始まって、身内自慢などさんざん聞かされてうんざりして、うっかりパスポートと現金が入ったポシェットを忘れてきてしまいました。部屋に戻って寛いでいたら、Yumikoさんがポシェットを届けてくれ、その時まで気がつきませんでした。Yumikoさんには大感謝でした。

| | コメント (0)

2015年3月 6日 (金)

モロッコ紀行 カスバ街道

2/7(土)はとても長く感じた一日でした。

Map
 私たちはサハラ砂漠の入り口のエルフードからワルザザートへの長いカスバ街道を走りました。

01dsc00003
 どこまで続くんだろうかという土漠の道の彼方にアトラス山脈が見えたり隠れたりしました。大地も空もとても大きく感じました。

02dsc09955
 ちょうど杏の花の時期で、ホッとするような里山のような風景の中に杏の花が咲いていました。

03dsc09964
 私たち一行がバスから降りると、ピクニック風の女性たちは蜘蛛の子を散らすように姿を隠してしまったのですが、男の子たちは興味津々で、カメラを向けると一人前のポーズをとってくれました。

04dsc09965
 集落地帯を過ぎるとすっかり水が干上がった川の跡でしょうか、砂漠化予備軍的な風景が広がっていました。

05dsc09982

途中でトイレ休憩があり、とてもオシャレなデザインに感心しました。ここまでのカスバ街道の風景は土と土色の家とカスバだったのですが、どこからこんなデザインが生まれるのか、きっと芸術的なセンスを持った人がいるんでしょうね。なかなかのものでした。

06dsc00013_2
 朽ち果ててしまったようなカスバが多い中で、非常にしっかりとしたカスバのところでバスは止まりました。カスバは、城壁で囲まれた要塞のことで、基本的には一家族しか住んでいなくて、数家族住むのは正確にはクッサールというそうです。四隅にタワーがあり、下は倉庫で、上は見張り台、基本的には2階建てで1階は倉庫、2階は生活空間だそうです。冬は暖かく夏は涼しいそうです。外壁は泥でできています。

06
 カスバ街道は、宿場のようなところでは日本と同じような人の往来が見られました。最も興味を感じたのが、カスバに住むベルベル族の人たちのこと。

07dsc00016

08dsc00018
 この子たちは、カスバに住んでいますのでベルベル族でしょうか。アラブ系60%に対してベルベル人は35%とか。古代ローマとその後はアラブ人の侵攻を受けました。ついつい中国の漢族に対するチベット族を思い出してしまうのですが、ベルベル族の人たちはゆったりと暮らしているように見えました。

09dsc00027
 エルフードからワルザザートへ走るカスバ街道は、まったくの一本道ですが、たまに標識がありました。

11dsc00041
 無事にホテルに到着しました。とても長く感じた一日でした。

 

カスバ街道は、朽ち崩れかかったカスバもありましたが、リニューアルしたであろうしっかりとしたものもありました。長い長い歴史が現代でも息づいていて、長時間のドライブでしたが、気分は遙か昔にタイムスリップしたような気分でした。カスバ街道はとても印象深く、これほど見所のあるルートとは思いませんでした。

 

 

| | コメント (0)

2015年3月 5日 (木)

モロッコ紀行 オアシス

2/7(土)、サハラ体験の後ホテルに戻り、トドラ渓谷へと向かいました。

01dsc09852
 サハラ砂漠の入り口のエルフードからの道は土漠の道ですが、所々で草が見られ、その草が増えるにつれて羊の放し飼いなどが目立つようになりました。

02dsc09856
 街道沿いにパラパラと建物が見えてきました。たまたま建設中の家があり、何人かの人が働いていました。しかしこの近くでは電線が見当たりませんので電気はどうなるのだろうかとか水源はなさそうだし水はどうなるのかなどが気になりましたが、きっと知恵を出して解決してゆくんだろうと思いました。

03dsc09860
 現在、サハラ砂漠周辺は砂漠化が進行しているとのことでした。遠くに見える砂礫の山も風に風化されて崩れ、やがては砂になるものと思われました。

04dsc09880
 オアシスといえば砂の海原の彼方に椰子の樹が見え、水をたたえた池があるというイメージでした。ところが、実際のオアシスはちょっとイメージが異なりました。水のあるところに人が住み、畑を耕し、ナツメヤシの樹を育て大きな集落ができ、これが現代のオアシスです。

05dsc09893
 集落の真ん中を走っている一本の道、これが「カスバ街道」です。この道の両脇にはオアシスやカスバが連なっています。カスバというと、カスバの女という古い古い歌謡曲 “ここは地の果てアルジェリア どうせカスバの夜に咲く・・・” という歌詞が思い出されました。その結果、カスバとは寂れた街の外れにある宿屋や酒場というイメージでしたが、ところがカスバとはベルベル族のいくつかの家族が集まり、一族郎党が古代ローマやその後のイスラム教徒の侵攻から身を守るために築いた要塞なのです。カスバ街道とカスバの集落を俯瞰してみると、なるほどモスクが見当たらないのでした。

06dsc09931
 途中、アーモンドの里に立ち寄りました。赤茶けた丘陵やその懐に抱かれたカスバは殺風景な色合いですが、ナツメヤシの緑やアーモンドの白い花が彩りを添えていました。

07dsc09920
 トドラ渓谷は、両側に200m以上の断崖絶壁が聳えていて、ロッククライミングのスポットでもあるとのこと。この先は車は通れず、歩いても1時間くらいで行き止まりになるとか。こんなところもあるんですね。

08dsc09940
 ちょうどお昼時、トドラ渓谷近くのレストランに入りました。モロッコのレストランはどこもかしこも大きいのでした。きっと宿場のような地理的条件で、人が滞留するために宿泊施設を兼ねたか交易の場だったかと思われました。

09dsc09934
 この日の昼食メニューは、先ず野菜スープでした。これは野菜の味がしてとても美味しかったのです。

10dsc09935
 パンはどこのパンも美味しく、外はカリッとして中はほんのりしていて、いくつでも入ってしまうので要注意でした。美味しいパンとスープがあれば大丈夫なのですが、なんとアルコールが禁止でガックリでした。美味しいパンとスープとワインがあればいうことはないのですが。

11dsc09938
 野菜とライスです。美味しいパンを食べてしまったために、ポテトとニンジンは食べられたのですが、ライスにはあまり手が伸びませんでした。

12dsc09937
 ケフタという肉団子。これはこれまでで一番美味しかったのですが、赤ワインがあればなあ~~~と、K子さんと顔をみあわせてしまいました。

 

カスバ街道を走り、ツアーコンダクターのYumikoさんからカスバについてしっかりとレクチャーを受けましたので、カスバを再認識し、その成り立ちの歴史にとても興味が持てました。カスバ街道はまだまだ続くとのことで、この先も楽しみになりました。

 

 

 

 

| | コメント (0)

2015年3月 4日 (水)

モロッコ紀行 水事情

2/7(土)、サハラ砂漠で朝日を拝み、自然の恵みを感じた美味しい朝食を食べて、ホテルへと戻りました。

01dsc09809
 陽も高くなり、あたりもすっかり明るくなると私たちをホテルから運んできた4駆が勢揃いしていました。モロッコでは日本車は苦戦しているようでしたが砂漠では頑張っていました。チベットの荒地ではほとんどがトヨタのランドクルーザーで、僻地に強いようです。

    

02dsc09812
 夜明け前に走ったときには真っ暗で、ヘッドランプの届く範囲しか見えずどんな道を走っているのだろうと思っていましたが、何もない砂礫の道でした。この道を、帰りを急ぐかのようにどの車もものすごい砂煙を立てて爆走していました。

03dsc09818
 土漠の中に突如現れたのはオアシスか、あるいは砂漠ホテルか。あれこれ考えているとき、感動的だったのが、遠くに見えた、私たちを乗せたラクダが自分たちだけで群れをなして我が家へと急ぐ姿でした。一仕事終えて勝手に家に戻るそうで、改めてラクダに感動しました。

04dsc09822
 ホテルに戻ってみるとここはオアシスでした。前夜の夜到着し、この日の朝は4時半に起きて出かけましたので、どんなホテルかわからなかったのですが、明るくなってみると緑がふんだんにありました。

05dsc09828
 水もふんだんにあり、水はどこから来るんだろうと考えました。

06dsc09834

07dsc09835
 ホテルで一呼吸おいてホテルを出発し、のどかな風景が続きました。小さな体のロバが、その大きさに比べて大きな荷車を引いたり人間を乗せたり、お疲れ様です。つぶらな瞳と従順そうな顔、いたわりの声をかけてあげたくなりました。

08dsc09838
 再び土漠の道をひた走ると、モグラがつくったような形の、大きさは何百倍も大きな盛り土がポコポコと何カ所にも見られました。

09dsc09848
 モロッコには伝統的な取水施設がたくさんあり日本もJAICの活動を通じて協力しています。そのうちの一つがこの地下水路です。盛り土は、井戸を掘った時に出た土で、盛り土の上にはバケツを巻き上げる木製の巻き上げ器が設置されていました。

Image006
 

仕組みは、ここでくみ上げた水は地上に運ぶのではなくて地下につくられた水路に供給されています。地下水路の見学料は100円くらいで、貴重な外貨獲得になっているかもしれません。(画像はインターネットより)

  

10dsc09845
 この井戸では、巻き上げ器は足で巻き上げていて、実演して見せてくれました。これが日本なら、たちまち機械化、工業化されてしまうのでしょうが、ここはモロッコ。

11dsc09843
 砂漠と隣り合わせの土漠の原野で働いているスタッフの休憩所のようです。ここでの仕事はいわば公共事業のようなものだそうですが、国の事業ではないそうです。ここで働くのも大変そうですが、そう思うのは私たちだけかもしれません。

 

12dsc09851
 いろいろ考えさせられました。でも200%モロッコモードとなっていました。

 

モロッコの水事情。長い歴史の中で、自然条件を生かしたり克服したり、さまざまな知恵が働いていることがわかりました。ラクダもまた、人間に負けずに知恵を働かせていることに感心しました。仕事を終えて目印のない果てしない土漠の道を、時々道草を食べながら悠々と自分たちだけで我が家へ戻る姿、一生忘れられない光景でした。

| | コメント (0)

2015年3月 3日 (火)

モロッコ紀行 サハラの夜明け

2/7(土)の朝、サハラ砂漠でラクダに乗ってビューポイントまで行って、朝日が昇るのをじっと待ちました。

01dsc09752
 7時近く、砂のうねりの向こうに朝日が昇り始めました。意外だったのは白い朝日だったこと。砂塵のために太陽が白く見えるそうで、アフリカの太陽というとジューッと音がするくらい真っ赤と思っていましたので、意外でした。太陽というより月のようでもあり、自分が月世界に立って地球を眺めているような感じでした。月の沙漠の歌が思い浮かびました。

02dsc09760
 日が昇りきって、反対の方角を見るとこちらにも砂のうねりはどこまでも続いていて、世界一の砂漠を上空から見たらどうなのだろかとか思ってしまいました。

03dsc09761
 アラビアのロレンス的気分でなかなかのものでした。ラクダはゆっくりと歩いてくれましたので、馬のリズムに合わせての乗馬に比べるとラクダの方が楽でした。しかし馬と違って鐙(あぶみ)はないし、大腿が疲れるような気がしましたし、これで砂漠を疾走したら大変だろうなと思いました。

04dsc09777
 砂漠でのご来光に納得して、隊列を組んでもと来た道を戻りました。

05dsc09799
 陽が昇り、隊列の姿が砂の斜面に映っていました。

06dsc09810
 出発地点に戻ると食事の用意ができていて、スタッフが待ち構えていました。

07dsc09802
 誰が言ったか、砂漠の朝食は不味いよと聞いていましたので期待していなかったのですが、なかなかどうして美味しかったのです。ティー(紅茶)にたっぷりと蜂蜜やジャムを入れて体を温め、パンも美味しかったのです。

08dsc09804
 皆さん、朝が早かったのと朝日を見ることができてホッとして、食が進みました。

09dsc09807
 気になるトイレはとても清潔でした。モロッコは近年の観光ブームにインフラがついていけず、特にトイレの数が少ないのですが、どこも個室が充実していて清潔でした。

10dsc09808
 ガイドや車のドライバーさんたちは寛いでいました。今はオフシーズンで、ラクダ代は4,000円(通常は5,000円)と割安でした。この日は無風で快晴でしたが、強風や雨の時もあるとのこと。ラクダにどうしても乗りたくないという人は何人か歩いている人もいました。

 

サハラ砂漠の太陽は白く、静かに顔を出しました。富士山のご来光なら、歓声が上がったり思わず手を合わせる人もいるのですが、私たちは声もなくただ黙って見つめるだけでした。感激のあまり体がじーんとすることも、涙が滲むこともなく淡々としたものでした。しかしヒマラヤにしてもサハラにしても大げさに言えば人生の宝物のように思えてくるのでした。それにしても、まさかカミさんとサハラ砂漠で朝日を拝むとは思いもよらなかったというのが最も大きな感慨でした。

 

| | コメント (0)

2015年3月 2日 (月)

モロッコ紀行 サハラ夜明け前

ツアー5日目の2/7(土)は、今回のツアーの最大の目的、サハラ体験。朝4時半起床にもかかわらず全員張り切っていました。

01dsc09693
 ツアーコンダクターのYumikoさんから、夜明け前の砂漠はとても寒いので着れるものは全て着てください、砂塵は細かいのでマスクをしてくださいという厳重な注意を守ったらこんな姿になりました。

02dsc09694
 途中のお土産物屋で買ったねずみ男衣装を着たり、皆さん仮装大会のようでした。

03dsc09698
 真っ暗な中、ホテルに迎えに来てくれたランドクルーザーで走ること小一時間、真っ暗闇の中でラクダがおとなしく待機していました。

04dsc09703
 6時過ぎに、それぞれのラクダに乗って出発しました。

05dsc09717
 ラクダつかいのお兄さんに導かれてラクダは砂の上を楽々と歩いていました。どういうわけか私のラクダが先頭になってしまい、どこまでも続いている砂のうねりに向かって歩くのは気分のいいものでした。乗り心地は馬と同じくらいのもので、ヒマラヤで乗ったヤクに比べるとかなり乗り心地のいいものでした。

06dsc09719
 私の後にはK子さん母娘が続き、二人とも着ぶくれでダルマのようでした。

07dsc09724
 カミさんたちも何人かの隊列を組んで続いてきました。夜明け前に出発したのですが、いつの間にあたりはかなり明るくなってきました。

08dsc09734
 30分くらいラクダに揺られてご来光ビューポイントに到着し、ラクダから降りて朝日が昇るのを待ちました。砂はとても冷たくサラサラしていました。あたかも目に見える物質で最も細かいと思えるくらいあっという間に指の間からこぼれ落ちました。

10dsc09736
 全員仮装大会状況でみんな同じような格好していましたので誰が誰だかわからなかったのですが、カミさんを見つけました。

11dsc09739
 ラクダは私たちを下ろしたらおとなしくお座りをして待っていました。とても従順で可愛かったのです。

09dsc09735
 朝日が昇る前の砂漠は、うねりがどこまでも続いていて、これほどうねりが高いとは思いませんでした。無風状態だったのですが、砂塵が舞い上がっているようで、遙か彼方はボーッと霞んでいました。そしてまったく音のない世界でした。

夢にまで見たというか、念願の砂漠体験でしたが、その感激をどう表現していいかわからず、ただボーッとしているだけでした。エベレストを間近で見たときもそうでしたが、驚くほど冷静でした。しかしこの感動は日が経つにつれてこみ上げてくるようで、そして体の奥深くに沈着していくようです。

 

 

 

 

| | コメント (0)

2015年3月 1日 (日)

モロッコ紀行 エルフード

2/6(金)の午後、昼食でビールを飲んで少し気持ちよくなってエルフードへと向かいました。

 

01dsc09573
 エルフードへの道は高原を走る道で、周りを取り囲む小高い山を見ながらバスは走りました。

02dsc09592
 バスはやがて小丘陵に向かって進み、道は細くなり、大型トラックが目立つようになりました。

03dsc09591
 雪のためにイフランへの峠を越えることができなかったため大回りをした結果、予定より2時間ほど遅れていましたので先を急ぎたかったのですが、干し道はくねくねと上っていましたので、なかなかトラックを追い越すことができませんでした。

04dsc09620
 ようやく小さな峠を越えると山裾に切り開かれた広めの道をバスは爆走しました。走るたびにサハラ砂漠に近づいているんだという期待が高まりました。

05dsc09627
 道は山裾を抜け、川沿いに出ました。

06dsc09669
 少しずつあちこちに街並みが現れるようになり、ここではバザールが行われていました。国が違っても日本でも見られる同じ風景でした。

   

07dsc09676
 日が暮れる頃市内に入りました。こエルフードは1917年にフランス軍の駐屯地としてつくられたためにモロッコの他の町に比べると道路は広く碁盤の目のようになっていました。

08dsc09678
 ちょうど仕事を終えた人たちの帰宅時間のようで、迎えのバスか車を待っている人たちが並んでいました。イスラム教の人もそうでない人たちもいました。

09dsc09681
 夜7時過ぎにホテルに着きました。明るいところで見たらきっと雰囲気があるんだろうなあと思いましたが、とにもかくにもやっと着きました。

10dsc0968
 ホテルに入ると絵のような写真のようなオアシスのパネルがありました。このホテルはオアシスの中のホテルで、明るいときに通過していたらオアシスの全貌を見ることができたかと思うとちょっと残念でした。

11dsc09690
 ホテルの中庭も雰囲気があるし、こんなところでのんびりしたかったです。

12dsc09688
 何はともあれ、食事をして部屋に入ってベッドに転がり込見たかったのですが、翌日はサハラ砂漠のご来光を見るために4:30起床でしたので、砂漠対応ファッションの準備をしたりなかなかすぐには寝ることができませんでした。

 

エルフードを通過して私たちが泊まったホテルはオアシスの中にあり、到着したときは夜になっていたために少しだけオアシス的な雰囲気を感じることができました。疲れてはいましたが、翌日はサハラ砂漠でしたので、気分はかなり高揚していました。

| | コメント (0)

« 2015年2月 | トップページ | 2015年4月 »