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2015年4月24日 (金)

丹沢登山 花立山荘

4/23(木)、GWの連休に突入すると混雑すると思い今年初めての丹沢登山に出かけました。

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 05:28 ビジターハウスの背景の空は明るく晴れていましたが、まだ時間が早くひっそりとしていました。先週の4/18(土)に一度出かけたのですが、かなり早起きをしたにもかかわらず駐車場が満杯で引き返しましたので、今回は夜9時に就寝、朝3時半起床という登山時間で必勝を期しました。この日は午前中には帰宅しないといけないという事情もありました。

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 登山口から15分くらい歩いて汗ばむ頃、観音茶の脇に小さな社があります。最近はここで登山祈願の手を合わせることが習慣となりました。

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 日が出てきて陽射しが樹木の間から差し込んでくる時間帯は、空気は爽やかであり、この先どんな風に歩こうかとか考えて楽しい時間帯でもあります。たいした心配事もなく、自然の中に入っていけるというのはとても幸せなことです。

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 傾斜がだんだん険しくなってきて、先行する登山者がいました。自分はかなり早めに上り始めたと思ったのですが、やはりもっと早い人がいました。前を行く熟年ご夫婦は初めての丹沢登山とか。かなりのベテランらしくしっかりと休憩時間をとりながら着実はペースで登っていました。

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 丹沢登山の楽しみなところは変化に富む山道です。急傾斜の山道が続いてかと思うと比較的平らな道もあり、こういう道を歩きながら呼吸を整えることができます。前回(2014.12.26)は冬枯れのこの道も緑一色となりました。

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 登山道の所々では桜の花びらが一枚一枚散っていましたが、まるで地面に咲いているのかのように小枝ごと落下した花びらもありました。

 

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 地面で見た桜の花びらが瑞々しく、上を見れば小ぶりで可憐な山桜がまだ咲き残っていました。

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 丹沢の名物は “丹沢ツツジ” といわれるツツジです。山頂近くにはツツジが群生している場所があり、5月に入れば見事なツツジが見られ楽しみです。

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 足下には、冬を乗り越えた小さな花がひっそりと咲いていて、この時期は丹沢が最も生き生きとする時期かもしれません。

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 山頂までの中間地点当たりから富士山が姿を現しましたが、左から雲が襲いかかるように流れてきていて、結局この後富士山は完全に雲に包まれてしまいました。

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 丹沢登山は初めてという途中で一緒になった熟年ご夫婦は時々休みながら、私は時々写真を撮ったりとで同じようなペースとなりました。顔を合わせるたびに “けっこうきついですね” が挨拶代わりとなりました。

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 丹沢の “バカ尾根” といわれる尾根の最後の登りです。この階段を上りきると頂上までには二汗くらいの傾斜が続きます。

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 “バカ尾根” を登り切ると花立山荘があります。山頂までは小一時間くらいでいつもはここで水分補給して山頂を目指すのですが、この日は午前中に帰宅しなければならないためにここから下山しました。

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 頂上を目指して登っている時は必死になって足下しか見ていないものですが、下山の時はゆっくりと景色を楽しむことができます。この日は気温が上昇し春霞のためにうねるように続く山脈はグラデーション状態となっていました。

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 登っている時には気がつかなかった山桜がぽつんと咲いていました。ヒッソリと人目を憚るように咲いている桜は日陰者のようでもあり、それがかえって儚げで美しくも見えるのでした。

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 秋には真っ赤なトンネルになるこの道も、今は若葉が覆っていて、贅沢な緑のトンネルです。日陰に入ると風は爽やかで、そよと吹く風は汗ばんだ肌を撫でてくれ、とても気持ちのいいひとときでした。

 

今年初めての丹沢は天気に恵まれ、ああ日本の自然はいいなあと感じさせてくれました。2年任期の自治会長も終わり、多少スケジュールが忙しかったものの充実した2年間でした。しばらくは仕事からも解放され、最も開放感に浸れる時期です。何事にも煩わされることなく山歩きできた贅沢な一日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2015年4月20日 (月)

五島列島 龍馬とユーミン

4/14(火)、五島列島14島巡りも途中から数を数えるのも面倒になりました。

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 10番目の有福島あたりでようやく五島列島本来の濃いめのブルーのきれいな海を見ることができました。

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 11番目の日ノ島と12番目の中通島を結ぶ「若松大橋」。新上五島にはこういう橋がいくつかありますのでバスによる島巡りが可能となっているのですが、その橋の総工費が10億円とか20億年とか聞くと複雑な気持ちになりました。沖縄にもそういう橋があり、日本中では数十ヶ所あるはずで税金の無駄遣いと云ってしまえば簡単ですが、住んでいる人の利便性を考えれば簡単に決めつけるわけにはいきませんし。

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 たくさん見た教会のうち、木造の「旧五輪教会」とともに印象に残った「頭ヶ島天主堂」です。全国でも珍しい石造りの教会堂で、島内の石を切り出して積み上げて建設され、重要文化財に指定されていてユネスコ世界遺産の暫定リストに掲載されることにもなっているとのこと。そういったことも印象に残ったのですが、私たちの見物に合わせて信者の方が待機していて、教会内での説明をしてくれたことも印象に残りました。

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 石造りの教会であることなども印象に残ったのですが、私たちの見物に合わせて信者の方が待機していて、教会内での説明をしてくれたことも印象に残りました。入り口にはお寺でいうところの賽銭箱が置いてあり、立派な教会を造り、その精神を引き継いでいくことも建物の維持をしていくことも大変だなあと思いました。

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 福江島などの下五島とここ上五島を巡ってきて、その特徴はリアス式で湾が入り組んでいますので美しい景観をもっているのですが、そのほとんどが岩礁でした。ここはほぼ初めて見る砂浜でした。天気は変わりやすく少しだけ青空が覗いていました。

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 島には海難事故で流された人が流れ着いたり、隠れキリシタンのように殉教で亡くなった人たちの墓地がありました。ここは隠れキリシタンが土葬された墓地で、墓石は最初はごく普通の仏教式のものでしたが、禁教となった後に十字架がのせられたとのこと。複雑な歴史がこういう形になり、そのまま残されていました。

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 ここは桂浜?と思ってしまいそうでしたが、龍馬は五島列島にも渡っていたのでした。龍馬が率いた亀山社中・海援隊の新規購入船「ワイル・ウェフ号」が鹿児島に向かう途中この海域で難破してしまい、乗員16名のうち弟同様に可愛がっていた池内蔵太をはじめ12名が亡くなりました。龍馬は同士の霊を慰めるためここに立ち寄り12名の墓碑を建てたとのこと。思わぬ歴史に触れました。

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 14の島を巡り終え、高速艇に乗るために有川港に着きました。今は新上五島町になった旧有川町は捕鯨基地で栄えた町でした。日本には捕鯨の発祥の地といわれる和歌山県・太地をはじめたくさんの捕鯨基地があり、今は反捕鯨の大波に呑み込まれてしまっています。かつては美味しい鯨を食べたものでしたが、適切な管理の下の捕鯨復活を祈るばかりです。

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 有川港から高速艇に乗って1時間20分で佐世保港に着きました。たった3日間の島巡りでしたが、佐世保市が大都会に思えました。

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 佐世保港からバスで長崎空港に到着し、搭乗まで時間がありましたので夕食に長崎ちゃんぽんを食べました。

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 レストランから出てくるとツアーコンダクターのS子さんとバッタリ。S子さんは博多まで高速バスで戻るとのこと。42名という大人数を率いて、バスや船に乗り換えてと大変な行程でしたが、一生懸命頑張っていました。あまりにも初々しく、頑張る姿は痛々しくもあり、私たちツアー客は迷惑をかけてはいけないと逆に一致団結してしまいました。

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 4/1214の3日間は日本列島大荒れで、ここ長崎空港発着の便も影響を受け、隠岐の島行きは欠航、関空行きは1時間の暮れとダイヤは乱れていましたが、羽田行きは定刻に離陸し、途中多少揺れがあったものの定刻に羽田に着きました。

 

行きたいと思っていた五島列島、青い空と海と緑の島、アドベンチャー気分の島巡りを夢見ていたのですが、天気は大荒れ(カミさんをはじめ誰も船酔いしなかったのは凄い)、過疎の現実、廃校跡の寂しい風景、殉教の歴史など、この旅は暗く重苦しいものでした。しかし普段足を踏み入れることのない数々の教会やキリスト像やマリア像を目にしているうちに、その清浄な時間は心落ち着くものでした。それはヒマラヤに行けばチベット仏教に触れて心落ち着くものと同じものでした。女子高生がユーミン(松任谷由実)に作曲を依頼した奈留島の高校では、私たちが訪れた時も高校生達が賑やかに校庭を掃き清めていました。悪天候で明るい旅ではありませんでしたが、過疎などさまざまな厳しい環境の中でも普通に暮らしている人たちの姿を目にして、勇気をいただいたようです。いつかノンビリと個人でもう一度訪ねてみたいと思っています。

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2015年4月19日 (日)

五島列島 新上五島

ツアー最終日4/14(火)は、五島列島の上半分のエリア新上五島に属するいくつかの小島を巡りました。

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 新上五島町は、2004年(平成16年)に有川町や若松町などの5つの町が合併して誕生した町で、人口は2万人くらい。この町にはたくさんの港があって、その港からはあちこちに航路が開かれていてこれ程アクセスがいいとは思いませんでした。

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 4/13(月)の夕方、新上五島町の若松島に上陸しました。小さな湾内は静かで、天然の良港です。

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 若松島にはいくつかの民宿や旅館があるのですが、ツアー一行42人を一時に収容できる所はなく、3ヶ所に分宿となりました。私たちは「えび屋」という民宿に宿泊しました。若松港の前に立つこの民宿は、手入れがよく行き届いている雰囲気がありました。

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 玄関を入った右手のコーナーには飾りというか、漁師の宿とは思えない手作りのものが飾られていました。これは北九州の常連客が毎月贈ってくれるものだそうで、他の部屋の掛け軸とかもみせてもらい、この民宿とお客との和やかな交流やおもてなしを感じることができました。

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 夕食は伊勢エビの生き造りや五島牛などを中心に豪勢なものでした。

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 締めは伊勢エビの味噌汁とウニ丼で、これでギブアップしました。

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 朝食も品数が多く、ご飯の一杯目は普通に食べ、二杯目は鯛茶漬けとなり、歳とともに食が細くなっていることを痛感しました。

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 ゆっくりと朝食を食べ終えた頃、バスが迎えに来ました。ナビゲートしてくれたのは「上五島ふるさとガイドの会」の方でした。

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 新上五島町の立派なパンフレットもつくられていて、観光に力を入れていることが随所に伺われたのですが、先日行ったモロッコ同様インフラが追いつかず特にトイレ不足否めませんでした。女性客の多いツアーではトイレタイムが大変でした。

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 天候は予報通り曇りがちで、青い空と海、緑の島を期待したのですがゼロ回答に近いものでしたが雨に降られないだけ幸いでした。島巡りといいながら、離島同士はあちこち橋で繋がれていましたのでバスでの移動となりました。

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 「土井ノ浦教会」は瀟洒な教会で、外見と違って内部(撮影禁止)は重厚な造りでした。こういう教会を維持してゆくのは大変だろうなあと思ってしまいました。土井ノ浦港からですと天を仰ぐように見えるとのことで、その光景を見たかったものです。

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 教会の下の会談を降りてゆくと岩をくり抜いた「風の聖母」の像があり、その右下では跪いた少女が祈りを捧げていました。教会の隣にはこれらの像だけではなく、殉教者にまつわるものが展示されている記念館などもありました。

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 朝(08:50)のこの景色、分厚い雲の小さな切れ間から陽が差して、海面はスポットライトを浴びたように光っていましたがまたすぐ消えてしまいました。キリシタンの殉教者たちはこういう景色もたくさん眺めたんだろうなあと思ったりもしました。

 

船やバスを使っての14島巡りは、途中からいくつ目の島かということはどうでもよくなりました。島や街や港を慌ただしく通り過ぎていましたので、そこがどういう所かをじっくり知ることはできませんでしたが、いつかノンビリと来てみてもいいかなあとも思うようにもなりました。宿泊した「えび屋」さんは食事がいいよという海上タクシーの船長さんの云うとおりでしたが、それ以上におもてなしや気遣いを感じ、こんな宿でゆっくりとして入り江や港でノンビリ釣りをするのもいいかもしれません。

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2015年4月18日 (土)

五島列島 キリシタンクルーズ

4/13(月)は、離島巡り・教会巡りとなりました。3,000人ものキリシタンが五島の島々に散っていきましたが、荒れた地と迫害にもめげず辛抱強く開墾と信仰を続けた結果、1873年の禁教をきっかけに50もの教会へと実を結んだとのこと。

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 6つめの島となる「久賀(ひさか)島」の五輪港に入港しました。この島は五島列島の中では3番目に大きく395人の島民が住んでいます。

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 港から見える、海際に建っている古い木造の建物は「旧五輪教会」です。長い禁教が解かれ、教会堂が各地に建立されはじめた当時の教会建築を物語る五島列島最後の木造教会堂です。

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 旧五輪教会の近くに現在使われている「五輪教会」があり、この教会は五島列島では最も新しい教会だそうです。歌手の五輪真弓さんはこの地の出身とか。

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 「旧五輪教会」は、外見は和風ですが中に入ると洋風の造りになっていて、聖マリアの像が掲げられていました。それにしても現金収入が少なかったこの地方で、かなり費用がかかったであろう教会建設のために信者は物心両面で多大な犠牲と貢献をしたと思われ、信仰って凄い。

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 現在使われている「五輪教会」に入ってみるとガラス部分が大きく明るく、ここでは聖ヨハネ像が掲げられていました。

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 7番目の島「奈留島」に上陸しました。この島には2,800人もの人が住んでいて奈留港にも多くの船が停泊していました。この島には高校(奈留高校)があり、ユーミンこと荒井由実がこの高校の女子高生のリクエストにより愛唱歌をつくったそうで、その歌碑もありました。

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 この「奈留島」で昼食をとりました。魚中心のメニューの他に五島うどんが添えられていました。出汁はアゴといわれるトビウオの干物からとったものでとても旨かったです。

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 「奈留島」にも「江上天主堂」がありました。樹々の中にひっそりと佇むように建てられていました。この教会は、教会建築の名棟梁といわれる鉄川与助の代表作とされ、ロマネスク様式の木造の天主堂はクリーム色の外壁と水色の窓がアクセントになっていました。

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 「江上天主堂」の内部は、本格的な三廊式の立面構成になっていて、ここでも聖ヨハネ像が掲げられていました。今、教会は大変な危機に陥っていて、維持してゆくのが大変だそうです。過疎化による信者の減少に高齢化が拍車をかけているとのこと。教会だけではなく仏教寺院も同じように大変そうですが。

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 「奈留島」から宿泊予定の民宿がある「若松島」に向かう途中、海上タクシーは海からしか見えないキリスト像とキリシタン洞窟へと向かいました。悪天候ですと上陸はできないとのことでしたが何とか岩礁にとりつきました。

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 岩礁に上陸して上を見上げると、十字架を背にしたキリスト像が岩場の上の方に立っていました。迫害を受けたキリシタン達が奥行き50mほどの洞窟に隠れ住んでいた時、沖を通った船に朝食を炊く煙を見つけられ、捉えられて拷問を受け、そのことを悼んで1976年にこのキリスト像が安置されたとのことです。

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 足下近くまで近づくことができましたが、足場が悪くこれ以上近づくことができませんでした。キリシタンが隠れ住んだといわれる洞窟(キリシタンワンドと呼ばれています)までも近づくことはできませんでした。現在でもここには船でしか訪れることはできないそうです。

 

キリスト教徒でもないのにたくさんの教会を見て回ることになりました。敬意を払いつつ、できるだけ歴史を知り背景を探ろうという気持ちはたとえイスラムの国に行っても同じです。信仰について考えてみれば、我が家は曹洞宗で、人生の大事な節目に相談する高僧は日蓮宗で、最も尊敬する人物は真言宗の弘法大師ですし、仏教徒かと聞かれればそうともいえないし、まあユルユルの仏教派というところでしょうか。

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2015年4月17日 (金)

五島列島 離島巡り

4/13(月)、ツアー2日目から怒濤の離島巡りが始まりました。天気は荒れ模様ということで船そのものが出向できるかどうか不安な一日のスタートでした。

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 宿泊したコンカナ王国を出発する時、スタッフの皆さんが見送ってくれました。もっとゆっくりしたかったリゾートでした。

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 雨の降る中、バスで福江港へと向かいました。車中から見る街の風景は普通の市内の光景でした。ちょうど小学校の脇を通りかかった時、小学生が母親と一緒に傘を差して急ぐ姿を目にしました。五島市内には小学校が2校、中学校が1校、高校が2校あるとのことでした。

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 福江港に着いた時、シスター達のグループが目にとまりました。上半身のシスタースタイルやスカートは統一されているのですが、靴は不揃いの運動靴で微笑ましいものでした。

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 私たちを運んでくれたのは “海上タクシー” でした。総勢42人は定員オーバーでしたので2隻のタクシーに分乗しました。早速3つめの「赤島」に上陸しました。

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 赤島は福江港から20分くらいの距離で、赤い溶岩でできた島です。荒れた海を見ていると島流しにあったような気分になりました。

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 かつては300人くらいの島民がいたのですが、今は10人くらいの島民が住んでいるそうです。この集落の中には赤島を無人島にするなということから誰でもが気軽に泊まれる「赤島の家」(素泊まり1,500円)があり近隣の住民が管理していて、時々島好きの人たちが集まって合宿なども行われているとのことでした。

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 手入れされることもなく朽ち果てることもない神社は痛々しくもあり、弁慶の仁王立ちを連想してしまいました。

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 なにやら侘しい気持ちになり、海上タクシーは荒れる海の中次の島へと向かいました。

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 3つめの島「黄(おう)島」に上陸しました。ここには島民は50人くらいで猫も同じ数いて「猫パラダイス」ともいわれているそうです。この島は釣りの好ポイントがあり、釣り人が多く訪ねるそうで「赤島」に比べれば賑やかなのですが、診療所の診察日は週1回(水曜日)、もし船が欠航すれば金曜日になるとのこと。

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 五島列島はキリシタンの島ともいわれるのですが、島によってはこの「黄島」のように仏教だけの島もあります。小さな路地の辻々にはお地蔵様が祀られ花が備えられていたりしていました。

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 「黄島」は猫パラダイスといわれるくらい猫が多く、たしかに何匹かみかけましたが、孤高のワンちゃんも見かけました。この島周辺は好漁場が多く、紀州から移民してきた人も多いとのことで、その末裔でしょうかこのワンちゃんは紀州犬とのこと。人を見ると吠えないで嬉しそうに尻尾を振って体をすり寄せてくる姿が印象的でした。

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 このお寺は真言宗のお寺で弘法大師の立像がありました。仏教であれキリスト教であれ、自然と寄り添って生きなければならない地域では信仰や何かにすがるという気持ちがわかるような気がしました。

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 ここ「黄島」の近くに日本初となる浮体式洋上風力発電機がありました。着床式の洋上風力発電機は日本で3機あるそうですが、この浮体式発電機は世界で初めて戦後最大といわれる大きな台風にも耐えたそうです。ポールの長さは160mで、そのうち100m位は海中にあり、海底に錨のようなものを設置してつないであり、その大きな錨周辺は魚礁となっているそうです。

 

14の離島巡りということでしたので、アドベンチャー的な島巡りを期待していたのですが、まるで過疎化に悩む限界集落島視察ツアーのようであり、ちょっとシュンとしてしまいました。さまざまな現実を見るにつけいろいろ考えさせられましたが、一方それでもそこで生きて暮らしているという現実もあり、なにやら励まされているようでもありました。

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2015年4月16日 (木)

五島列島 コンカナ王国

4/12(日)の夕方近くに五島列島の福江島に到着しました。

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 五島列島とは、長崎県に属しその名の通り5つの大きな島を中心に140の島からなっています。その大きな5つの島は南地区の下五島と北地区の上五島とに分かれています。今回のツアーは14の島を巡るということになっています。そんなに巡らなくて、半分でもいいのではと思ってはいたのですが。

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 五島列島で一番大きな島が福江島です。島の大きさ(面積)では日本で9番目で、人口は37,000人で行政区でいえば五島市です。一番大きな島は沖縄本島、2番目は佐渡島で屋久島は7番目です。因みに14番目の大きさの石垣島の人口は43,000人でこちらも行政区でいえば石垣島で、島といえども侮れないのです。

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 福江港から観光バスに乗り換え、島内観光と宿泊先へと向かいました。現地ガイドの佐藤さんは五島列島出身で五島列島をこよなく愛するシャキシャキ姉さんで、今までのガイドさんの中でこれ程面白いトークのお姉さんは初めてでした。最初から最後まで車内は笑いっぱなしでもう一度トークを聞きたいです。

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 先ず最初に向かったのは、福江島で最も有名な観光スポットの大瀬崎でした。大瀬崎断崖は素晴らしい景観でしたが、曇り空である上日の入りが遅い南の島とはいえ夕方近くでどんよりとしていました。五島列島の実力の片鱗を見ました。

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 大瀬崎の断崖に建てられた大瀬崎灯台は、灯台としては大規模で日本屈指の光達距離を誇り、東シナ海を航海する船舶の道しるべとなっている重要な灯台で、灯台まで歩くと往復1時間ということで諦めました。私は見ていませんが映画「悪人」の舞台になったとのこと。あまりよくない天候の中でも素晴らしい景観でした。

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 バス旅行と違って、今回ように飛行機を利用するツアーではツアーコンダクターとは現地で合流することが多く、ツアーコンダクターのS子さんとは福岡空港で合流しました。幼稚園児を引率する保母さんではないかと思うくらい新米の研修生のようで、総勢42人のおじさんおばさんを引率するのは大変そうでした。

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 18:42ともなると南の島とはいえさすがに薄暗くなってきていました。翌日からはさらに天候は悪化するとの予報で、雲の動きも何となく不気味でした。

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 宿泊先は「コンカナ王国」という変わった名前のリゾートでした。敷地内にはワイナリーがあって試飲できるということでしたが、残念ながら閉店時間となってしまい試飲はできませんでした。

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 島に来ましたのでそんな雰囲気のレストランかなと思ったのですが、予想に反してオシャレっぽく意外でした。

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 夕食は魚料理が中心でしたが、和洋折衷型懐石風で次から次へといろいろなものが出てきました。品数が多く、サービスが追いついていなかったのがいかにもこれからの観光地という印象でした。

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 “コンカナとは現地の方言で おいでなさいという意味だそうで、コンセプトは自然と食を楽しむリゾートということでした。まるで伊勢志摩の「合歓の郷」や小浜島の「はいむるぶし」のようなリゾートにいるような雰囲気で、そういう点ではコンセプト通りの雰囲気でなかなかのものでした。

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 敷地内にはいくつかのコテージが点在していて、ここでの宿泊も居心地がよく、昨晩大雨が降ったというのにまるで気がつきませでした。

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 敷地内にも教会があり、ようやく五島列島にいるんだという実感が少しわいてきました。

 

前日の16:15に福江島に上陸して、大瀬崎灯台を見てコンカナ王国に宿泊して、一夜明けたらもう他に島に行くことになっていて、見所がたくさんありそうな福江島でしたが結局ほとんど何もわからずというのが第一印象で、いつか機会があれば2~3日間くらいこの島に滞在してみたいという想いが残りました。

 

 

 

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2015年4月15日 (水)

五島列島 福江港

4/12(日)~14(火)の3日間、五島列島へと出かけました。クラブツーリズムの「五島列島14島めぐり3日間」というツアーを利用しました。

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 羽田集合08:00で手続きをすませて朝食をとりました。今回は、開放感一杯でしたので缶ビールほどもあるでっかいおにぎりと “朝からビール” で景気づけを行いました。

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 搭乗手続きを終え、朝食をすませ、搭乗時間(09:00)までぼんやりと飛行機を見ている時間はなかなかいいものです。飛び立つ機体や着陸する機体がさまざまな人を乗せて日本中、世界中飛び交っています。さまざまな人生が交差しているかと思うと毎回不思議な感覚にとらわれます。

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 定刻にANA福岡空港行きの機体はフワーッと離陸して安定飛行に移りました。眼下の東京湾に埋め立てられた京浜工業地帯は区画整理されていて洋上に薄いタイルを貼り付けたようでした。

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 福岡空港までの航路は太平洋沿岸を南下するものと思っていたのですが、日本列島の背骨を縦断するルートのようで、進行方向左手に富士山が見えました。3D映像のようでもあり、山頂の噴火口まではっきりと見ることができました。これほど近くから、上空から富士山を眺める機会はあまりないことでラッキーでした。

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 福岡空港は日本一都会に近い空港で、いつも博多の街が眼下に間近にグングン近づいてきます。細長い高層ビルが林立する間を縫うように着陸する香港と違って、ここは高層ビルがない分不安感は少ないのです。

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 福岡空港(10:50着)から長崎港までバスで移動したのですが、長崎港から船に乗るにどうして長崎空港行きの飛行機にしなかったのだろうとかと不思議に思いました。どうやら予約がとれなかったようでした。

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 日曜(4/12)にもかかわらず、午後ということを割り引いても長崎港はひっそりとしていて、空模様も曇りがち、海の色もどんよりとしていました。この日の天気はまあまあという予報でしたが、次の日からは大荒れという予報で、すでにその予兆を感じました。

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 桟橋に停泊している高速艇には「新上五島町」と書かれていて、私たちが復路に利用する航路の船で、荒波も乗り切れそうな精悍な面魂をしていました。

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 長崎港14:50発の福江港行きの高速艇に乗り込みました。五島列島に行く人はあまりいないだろうと思っていたのですが、ツアー参加者は42名と多人数でビックリしました。

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 船内に乗り込むとなんと “シートベルト着用” のアナウンスがあり、トイレ以外船内を一歩も動くとはできず、窓ガラスは波しぶきで雨降り状態で、船旅の旅情はゼロでした。しかし、かろうじてカメラに収めた高速艇は船体全体が水面の上に浮かんだ状態で、まさに水面を快走していました。

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 私たちが乗った高速艇も、高速道路を走るように時速80kmで快走していて、揺れは少なく、おまけに広い海の上を走っていますのでまったくスピード感がありませんでした。それにしても時速80kmの船というのは驚きでした。JR東海がいずれリニアモーターカーを走らせますが、その感覚に近いかもしれないと思ったりもしました。

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 16:151時間半で五島列島の表玄関福江港に着きました。福江港は海上交通の要衝ですので、あちこちの島に向かう船、しかも高速艇が停泊していて、海上もスピード競争の時代に入っているようでした。

 

このツアーの参加者が42名もいることにビックリしました。お互いに “何故五島列島に?” と聞き合う始末で、最大公約数的な動機は、かなりあちこち行ったので行くところがここしかない、海も島も美しい、隠れキリシタンの弾圧の現場を観てみたい等々でした。私も同じような動機で、島といえば北の礼文島や奥尻島から佐渡島、屋久島、西表島、沖縄の島々は行きましたが、五島列島はジグソーパズルのピースが一枚欠けているような気分でした。またできたら個人的に行きたかったのですが、金がかかるしアクセスが大変ということで結局このツアーしか選択肢がなかったということも皆さんと同じでした。

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2015年4月11日 (土)

京爛漫 お礼参り

4/1(水)、二泊三日の京都散策も最終日となりました。

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 宿泊した新都ホテルは京都駅前でとても便利な場所ですので、ロビーはいつも賑やかです。特に目につくのが外交人のツアーご一行様でした。皆さん期待に胸を膨らませ、とても嬉しそうにツアーコンダクターやガイドさんの説明を聞いていて、それは私にも身に覚えのあることでした。

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 ホテルのロビーのすぐ上(2階)には寛ぐことができるリビング風の空間があります。逆にリビング空間からロビーを眺めることもできます。

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 ホテルでノンビリしたいときにはリビング空間で本を読んだり、何とはなしにホテルの中庭を眺めたり、夜になるとこんな光景を見ながら寛ぐことができます。

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 最終日のこの日は午後1時の新幹線で帰ることになっていましたので午前中に伏見稲荷に参拝しました。早い時間にホテルを出発しましたので参拝客ままだちらほらとしかいませんでした。正式参拝の仕方は、鳥居の両脇にいる門番の稲荷さん(見えなくても伏見稲荷はいるのです)に挨拶をします。先ず左の稲荷さんに2礼2拍手後 “稲荷の神様にお取り次ぎください」と声を出して言い、次に右の稲荷さんに1礼2拍手後同じことを言い、鳥居に一礼してくぐるとのことです。知りませんでした。

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 今まで何回となく訪れている伏見稲荷でしたが、楼門の脇の衛士風の人形をじっくりと見たことはありませんでした。これは「随身(ずいじん、随人・随神)」といわれるもので仁王門の仁王像に相当するものとのことでした。

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 普通の神社の狛犬の代わりにここでは当然のごとく左右にキツネがいます。俗にお稲荷さんとも言っていますが、「狛狐」と言うそうです。伏見稲荷の狛狐は何かをくわえていて、それは稲穂や巻物、鍵、玉などだ4種類だそうです。

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 鳥居をくぐると本殿の手前に祭事が行われる祭礼殿があります。朱塗りの柱と黒い屋根が鮮やかで、シンプルな構造なのですが奥深さが感じられて、パワーを感じる場所です。この日は本殿では祭事が行われていて白装束の神官がたくさんいて撮影禁止となっていました。

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 伏見稲荷名物の「千本鳥居」、外国人観光客の人気No.1とのことで、この雰囲気は何となくわかります。この日も、この時間帯は誰もいない光景を撮影できましたが帰りはたくさんの外国人がかあちこちでカメラを構えていました。

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 千本鳥居をくぐり抜けると拝礼所があり、お礼したいことがたくさんあり、初めて蝋燭を灯して奉納しました。

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 伏見稲荷から京都駅に戻り、駅周辺で買い物をするというカミさんを残して二条城に行きました。ここはとても久しぶりでした。最初の2日間は快晴でしたが、3日目のこの日は雨となりそれも次第に強くなりました。

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 二条城は1603年に徳川家康が築いたもので、家康はここを足がかりに大阪城を滅ぼし豊臣家の根絶をはかりました。そして1867年にはこの二の丸御殿内の大広間で徳川慶喜により大政奉還となりました。

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 二の丸御殿内の各部屋を取り囲むように続く廊下は暗く冷たく、また各部屋(撮影禁止)には畳があるだけです。司馬遼太郎の「城塞」を読めばここで展開された歴史的事実を思い起こし、さまざまに想像力を働かせることができるのですが、もし何も予備知識がなければとてもつまらない観光スポットともいえます。

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 二の丸御殿の回廊から雨空を見つめている外国人が一人、何を考えているのでしょうか。ここ二条城は徳川家康が将軍となった賀儀と徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもあり、それを想えば感慨深いものがありました。

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 二条城から京都駅に戻り、午後1時発の新幹線に乗る前に昼食でにしん蕎麦を食べました。京都に行けば必ず食べるニシン蕎麦です。大学を卒業して自分で仕事を始め、初めて個人的に京都を訪れたときに案内してくれた大学の先輩が教えてくれた味で、甘く煮付けたニシンと出汁のきいたお汁との相性は抜群なのです。

 

3日間の京都散策、春の陽気に誘われ今までで一番動き回りました。最後にお礼参りに訪れた伏見稲荷も今までで一番気持ちを込めることができました。理事長としてボランティア活動している訪問介護のNPOもヘルパーさんが20人近くに増え、その中からケアマネになった人や国家試験の介護福祉士に合格した人など人材が育ちつつあり、展望が開けてきました。歴史を知ることによって、今まで何回か訪れていた同じ場所も違って見えたことも収穫でした。

 

明日から4/1214の3日間、念願だった五島列島に出かけるのですが、悪天候の3日間になりそうで、人生と同じでいい時もあるしそうでない時もあると自分に言い聞かせています。

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2015年4月10日 (金)

京爛漫 桜酔い

3/31(火)の午後、京都駅で食事を食べてから山科方面の醍醐寺に向かいました。醍醐寺へは鉄道ルートでもバスルートでも行くことができ、京阪ホテル前からの直行急行バスを利用しました。

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 直行急行バスで京都駅から30分くらいで醍醐寺に着きました。すぐに参道に入るとたくさんの観光客が上を見上げながら歩いていました。

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 西大門という大きな山門があり、これでもかという感じで桜の花びらが出迎えてくれました。

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 西大門をくぐると道の両脇には幕が張られていて、まるで海の中に網が張られているみたいに私たちは自然に一方向に誘導されました。境内は220万坪の広さで、世界遺産に登録されています。

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 広大な境内の中のあちこちに桜が咲いていて、今回見てきたたくさんの桜以上にたくさん咲いていてすっかり桜に酔ってしまいました。醍醐寺は桜の名所と聞いていましたがこれほどスケールが大きいとは思いませんでした。

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 醍醐寺訪問は初めてで、ここは真言宗醍醐派の総本山、874年に弘法大師の孫弟子が創建したそうです。この五重塔は醍醐天皇の菩薩を弔うため、第一皇子・朱雀天皇が936年に着工したとのこと。高さは38mで青空に突き出ていました。それにしても1,000年以上の時を経ているとは驚きです。それに比べれば人間の寿命なんて一瞬のものです。

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 境内の奥の方には池があり朱塗りの橋の先にあるのは弁天堂で、弁天堂の中には弁財天が祀られています。紅葉やイチョウが色づく頃にはさらに賑やかになるとのこと。午前中、嵯峨野・嵐山あたりを歩いて少し疲れましたので弁天堂まで行くのはあきらめました。

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 広大な敷地の醍醐寺歩きに疲れ桜にも酔ってしまい、京都市内に戻って錦市場を散策しました。

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 錦市場は京都市民の台所で食材なら何でもそろいますが、 “チョコレートコロッケ” ??? チャレンジする勇気はありませんでした。

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 「もちつき屋」の店頭ディスプレイもなかなか見物でした。お餅もさまざまな食べ方があるもんだなあと感心しました。チョコレートコロッケもここのお餅も食べてみたいとは思ったのですが、この後居酒屋に行く予定にしていましたので全てパスしました。

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京料理と京土産の定番の漬け物も美味しそうで、生唾が出てきましたがグッと我慢しました。

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 錦市場を抜けると本能寺があります。織田信長が明智光秀によって討たれた本能寺は別の場所で、信長没後秀吉によって本能寺はこの地に移転されました。信長の首や遺体が発見されなかったために本能寺の変は謎となっています。

   

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 この日目指した居酒屋は本能寺から10分くらい歩いた御池というハイクラスの店舗や住宅がある地域にありました。「居酒屋を極める」(太田和彦著)によると “最近開店した京都の割烹居酒屋ではピカイチ” と評されていたので予約したのですが・・・。

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 この居酒屋では燗酒しかありませんでした。お酒のメニューには9001100円という値段設定しかなく、日本酒どの表示もありませんでしたので、なんとなくという当て勘で「弁天娘」という純米酒をオーダーしたのですが、あまり旨いとは思えませんでした。

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 突き出しは、京都らしく出汁がきいていて山菜も釜揚げシラスもまあまあでした。

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 刺身は、今の時期ですと桜鯛ということになるでしょうし、またちょっと時期尚早かもしれませんが鰹をオーダーしました。かなり高い値段の割には???

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 若い店主は無口そうで気楽にあれやこれや聞くのが憚られるような雰囲気でしたので、これまた当て勘で力強そうな酒を選んだのですが、日本酒度が+10で辛口過ぎてイマイチでした。カミさんはビールとかいくつかのツマミをオーダーして、何が何だかわからないうちに会計は1万円近くで釈然としないままに退散しました。営業妨害になりますので店名は控えました。

 

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 期待が大きかっただけにガックリとして、京都駅構内の一杯飲み屋で口直しをしました。冷酒は旨く、ヤキトリも旨く何とか機嫌直しができました。

 

京都には、「神馬」と「赤垣屋」という二大名居酒屋があります。また京都一予約が取りにくい(実際予約ができませんでした)といわれる「食堂おがわ」という居酒屋もあります。そういう中で今回の居酒屋にも期待したのですが、全くの大外れでした。例えば、仙台の「一心」というお気に入りの居酒屋などに比べると話にならないくらいで、逆にそういう居酒屋の実力 “いい酒、いい肴、居心地の良さ” を再認識することとなりました。前日のおばんざい居酒屋が当たりでしたので一勝一敗でまあいっか!

 

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2015年4月 9日 (木)

京爛漫 ラーメン

3/31(火)、嵯峨野トロッコ列車に乗るのをあきらめ早朝の天龍寺の空気を吸った後、嵯峨野から嵐山あたりを散策しました。

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 天龍寺の裏門から出てそのまま道なりに歩いて行くと竹林に出ました。桜満開の道もいいのですが、緑一色の道は目に優しくいいものでした。

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 若筍がゴロンと並べられていて売り物だと思うのですが、値札は見当たりませんでした。昨晩のおばんざい居酒屋でも筍を食べ、春の息吹を感じました。またお土産に筍の漬け物を買いました。これがなかなか美味かったのです。

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 嵯峨野の竹林を抜けると、その先には滝口寺、衹王寺、化野念仏寺など、ものの哀れを感じるようなお寺があり、晩秋こそ似つかわしい季節ですが、この桜の時期に人力車で巡る若い女性グループの姿も一つの風物詩になりつつあります。

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 嵯峨野の散策はそこそこにして嵐山に戻りました。ここは嵐山電鉄の嵐山駅。

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 嵐山電鉄駅前の待合室や構内には古都の雰囲気をイメージしたつくりになっていて、ここで休憩するのも楽しいのですが、先を急ぎました。

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 嵐山のランドマークとなっている渡月橋を渡りました。ポカポカ陽気の春霞で、桂川の向こう岸は霞んでいました。

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 桂川を渡ると見事な枝振りの桜が満開で、ここでしばらベンチに腰を下ろして携行食やミカンを食べたりしながらミニ花見の宴をはりました。

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 嵐山にはJR、嵐山電鉄、阪急など3つの鉄道が乗り入れています。京都観光には観光地直行のバスが便利ですが、鉄道も網の目のように張り巡らされていて、乗り換えのややこしさはあるものの交通渋滞には巻き込まれませんので鉄道利用は便利です。この日は、阪急電鉄から地下鉄に乗り換えて京都駅に戻りました。

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 京都の表玄関の京都駅は、古都というイメージからはほど遠く未来都市のようなデザインで、国際観光都市という一面を演出しているようにも見えました。

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 昼時でしたので、京都駅の低層構内からの階段やエスカレーターで駅ビル10階にある拉麺小路へと向かいました。ここには全国の有名なラーメン店8軒が味を競っています。どのラーメン店でも行列ができていて、京都グルメの一つの名所となっていました。

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 あれやこれや迷いましたが、徳島ラーメンを選びました。細くも太くもない麺と見かけによらずしつっこくないスープの組み合わせの徳島ラーメンにしました。生卵がサービスでついていました。

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 京都駅は何回も乗り降りしていますが、駅ビルの屋上にまで上ったことはありませんでしたので10階まで上ったついでに屋上に出てみました。竹が植えられているものの意外とシンプルでした。

 

京都に行ったのだから京都で食べられるものということでそれらしきものを食べましたが、ラーメンが無性に食べたくなりました。観光地などでは京懐石や湯豆腐の店、日本そばやうどんの店が多くラーメン店は少ないのです。その点京都駅の拉麺小路はニーズに対応してヒットしているようでした。

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2015年4月 8日 (水)

京爛漫 天龍寺

京都散策二日目(3/31)の午前は嵯峨野・嵐山方面に向かいました。

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 嵯峨野・嵐山方面は混み合うだろうと思われましたのでホテルを早めに出発し、京都駅からJRに乗って嵯峨嵐山駅で下車しました。嵯峨嵐山駅からトロッコ嵯峨駅まで歩いて行くと、08:13と早い時間なのに9時過ぎのトロッコ列車の予約をする人たちの行列ができていました。

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 私とカミさんは、嵐山あたりの朝の空気を吸いながらトコトコと歩いて天龍寺に来ました。天龍寺は臨済宗天龍寺派の大本山です。

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 天龍寺の本堂は堂々としていて、この建物と向かい合っているだけで背筋が伸びるような気がしました。まだ観光客が押し寄せてこない早朝でしたので、じっくりと眺めていることができました。

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 参拝の受付を入ると真っ正面に「達磨図」が出迎えてくれました。これは禅宗の開祖・達磨大師を描いたもので、ユーモラスな顔は何回見てもほのぼのとした気持ちにさせてくれました。

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 創立者は足利尊氏、初代住職は夢窓疎石で、また足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として京都五山の第一とされてきた格式の高いお寺ですが、格式張らず質実剛健ということばそのままの大伽藍や回廊は、朝のこの時間ゆっくりと歩いているだけで禅を組んでいるような心持ちにさせてくれました。

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 天龍寺の天井には日本画家加山又造画伯が描いた「雲龍図」が有名です。どこから見てもこちらを睨んでいるように見えることから八方睨みの龍といわれていますが、この龍の襖絵もなかなか迫力がありました。

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 初代住職・夢窓国師は作庭師としても名高く、苔寺といわれる京都西芳寺や鎌倉の瑞泉寺を手がけました。夢窓国師による天竜寺の庭園は禅の境地を取り入れたとのこと。しかし方丈といわれる建物から前庭や「曹源池庭園(そうげんちていえん)」といわれる池を眺めてもなかなか禅の境地まで届きそうにはありませんでした。

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 広い庭園を歩いていると、ここでもしだれ桜が満開でした。

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 今の時期、桜が満開で桜にばかり目を奪われてしまうのですが、天龍寺の庭・百花苑は文字通り百花繚乱でした。淡いピンクの桜を見続けてきましたので鮮やかなツツジはとりわけ目に鮮やかでした。

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 紅葉李(べにばすもも)の白い花も清楚で可憐で、春の陽を気持ちよさそうに浴びていました。

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 百花苑は、少し高台にも道が続いていて、桜が大伽藍を取り囲んでいました。

 

大昔、修学旅行で訪れて以来何回も訪れた天龍寺でした。訪れるたび、その時の気持ちの持ち方で見えてくるものが異なるということを実感した古刹でした。

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2015年4月 7日 (火)

京爛漫 高瀬川

3/30(日)の朝遅めに京都駅に着いて、清水寺や八坂神社などを歩いて、三条大橋を渡って弥次さん喜多さんとご対面した後、再び四条方向に歩きました。

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 テクテクと歩いて四条河原町近くの高瀬川にやってきました。京都には桜の名所はたくさんありますが、私はこの高瀬川の畔の桜が一番好きです。この決して大きくはない川(運河)は京都中心部と伏見を結ぶ物流用に開削されたのですが、森鴎外の小説「高瀬舟」の舞台となりました。京都の罪人が島流しに送られるとき高瀬舟と呼ばれる舟底が平らな舟に乗せられて運ばれたというもので、ここで人間ドラマが展開されました。2007.4.1東海道五十三次を歩き終えゴールしたときもこの日と同じように、川面に満開の桜が映っていました。

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 高瀬川に平行して延びている三条から四条へと至る小路は先斗町で、京都の歓楽街の一つとなっていて、この日も多くの観光客がブラリブラリと歩いていました。

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 メインストリートと直角に交わる小路は観光客は少なく、それでもボツボツと店先の提灯に灯が入り夜を迎える準備をしていました。この小路にある「おばんざい居酒屋」で一杯やることにしました。

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 その名は「棲家(すみか)」というおばんざいの居酒屋です。インターネットで予約をした初めての店ですので、いつもながらどんな店か入るときには緊張しました。

   

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 階段を上がって2階の店内に入ると大きなカウンターがあり、意外なことに若い女性スタッフばかりでした。「棲家」といういかにも大人の隠れ家的な渋い店を想像していたのですが、明るい雰囲気にすっかり肩の力が抜けました。

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 カウンターに座ってオーダーしたのが、目をつけていた「聚楽第」でした。カミさんは生ビールで。先ずは一杯、ヒヤリとして旨味のある冷酒はたまりませんでした。一日中歩き回りましたので、ひときわ旨く感じました。

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 料理は刺身盛り合わせ、鯛などの白身の魚やサーモン、ホタルイカ、湯葉や京野菜の刺身の盛り合わせでした。量的にも酒の肴にはほどほどでした。

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 カミさんはおばんざい盛り合わせをオーダーしていました。長芋の唐揚げや筍やシシトウなど美味しいといって食べていました。

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 ここのスタッフは女子大生で皆さんアルバイトとのこと。それでも酒や料理についてのそこそこの知識は持っていましたが、酒のつぎ方はまだ慣れていないようで、一生懸命集中していました。いつの間にか店内は女性客で一杯になり、予約をしていなかった飛び込み客は残念そうに引き返していました。

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 純米大吟醸「桃の滴」はちょっと甘めでしたが、春爛漫の雰囲気にぴったりでした。

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 美味しい酒と肴ですっかりいい気分になり、先斗町界隈を散策がてらホテルへの帰路につきました。外国人観光客達は食べ物屋の店先を覗いてあれやこれや相談したり迷ったりしていました。やはり一番わかりやすいのがヤキトリのようでしたが、京料理にも興味があるようで、英語が話せる店員にあれやこれや質問していました。

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 高瀬川の畔もすっかり日が落ち、川端の桜も飲み屋の灯りにライトアップされていました。夜桜の道を阪急電鉄四条河原町駅まで歩き、地下鉄に乗り換えて京都駅前のホテルに戻りました。

 

昼前に京都駅から歩き始めて、一日中いくつかの観光スポットを歩きました。久しぶりのテクテクでかなり脚は疲れたのですが、初めての「おばんざい居酒屋」でリラックスして古都の春と桜を満喫しました。

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2015年4月 6日 (月)

京爛漫 弥次さん喜多さん

京都散策の一日目(3/30)、清水寺から高台寺を経て、円山公園へと定番コースを歩きました。

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 円山公園は高台寺から数分の距離にありました。公園の真ん中にある桜は見事な枝振りで、気持ちいい青空を背景に満開でした。しだれ桜のようでもあるしそうでないようでもあるし、最近注目を浴びている祇園桜かもしれません。

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 ここでも外国人の姿をたくさん見ました。京都は日本で一番人気の国際観光都市ですから外国人が多いのはあたり前ですがこれほど多いのは初めてでした。

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 目についたのが、外国人とレンタル着物姿と自分撮りでした。この自分撮りは他の人の邪魔にならなくていいかもしれません。ふと見ると、向こうで坂本龍馬と中岡慎太郎が自分撮りの若い女性を見つめていました。

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 京都に来れば必ずここへ来る坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像。像の下にある銘板は、父が土佐出身の自由民権家板垣退助の腹心だったという、ワンマン宰相といわれた吉田茂が書いたもので、数十年前に初めてここへ来たとき、そのことにとても感動したことを思い出しました。

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 円山公園から八坂神社につながる道端では、花見の宴が繰り広げられていて春の訪れを楽しんでいる人たちで一杯でした。

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 上を見れば、ソメイヨシノとも違って色がやや濃く、しだれ桜ほどには重くもなく、一枚一枚がちょっと艶っぽい花びら降るように咲いていて、春爛漫でした。

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 八坂神社では良縁を願う人たちが列をつくっていました。いい縁に巡り会えるといいですね。

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 八坂神社から東大路通を東山三条方向へ向かい、三条大橋を渡りました。この道は東海道や中山道を歩いたときに通ったルートでした。

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 鴨川の流れも春の音がして、陽射しを反射してキラキラしていました。やがて夏になれば河原に河床が張られ、季節は移ろっていきます。鴨川を「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。・・・」と詠んだのは鴨長明の方丈記でした。

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 三条大橋を渡って弥次さん喜多さんに対面できました。2007.4.1には東海道のゴール、2009.5.31には中山道のゴールとなった弥次さん喜多さんは特別な存在です。もう一度東海道をと思うことが時々ありますが、以前ほどの元気のなさを実感している今日この頃です。

 

箱根峠を越えてみようという思い立ちが東海道テクテクとなり、四国遍路(2007年)、奥の細道(2008年)、中山道(2009年)へとつながり、そしてエベレスト街道(2011年)へと脚をのばすことになりました。鴨川の流ではありませんが、人生どのように流れてゆくかわからないものです。この先どうなるのかなあとふと考えたりもしました。

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2015年4月 4日 (土)

京爛漫 高台寺

3/30(月)の午後、清水寺から高台寺へと向かいました。

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 高台寺の案内板には「太閤秀吉 北政所 ゆかりの寺」とありますが、秀吉とのゆかりはあまりなくむしろ「北政所ゆかりの寺」といった方が正確かもしれません。何故ならこの寺は北政所(仏門に入ったときの院号が高台院)が秀吉の冥福を祈るために建立した寺院だからです。しいて秀吉とのゆかりを探せば高台寺は秀吉と北政所の連廟としての性格ももっていることです。

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 外国人の新郎と日本人の新婦というカップル結婚式が行われていました。参列者の中にも何人か外国人がいて、寺院での国際色豊かな結婚式は見ていても華やかでした。

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 高台寺の門をくぐってすぐに目についたしだれ桜。花びらがたわわに開いて満開状態でした。

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 「遺芳庵」という茶室。本阿弥光悦の息子で江戸時代の豪商灰屋紹益と吉野太夫の好みの茶席といわれています。紹益は遊女吉野太夫を巡って後の関白と争って、紹益22歳、吉野太夫26歳の時に正式に夫婦になったとのこと。しかし吉野太夫は37歳の若さでこの世を去っています。この小さな茶室が大ロマンスの舞台になったものの吉野太夫の幸せは10年という短いものでした。

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 掃き清められた庭園の隅では、しだれ桜が一年に一度の華やかな姿を見せていました。

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 長く続く「臥龍廊」は、豊臣秀吉と北政所が祀られている「霊屋(おたまや)」に続いています。司馬遼太郎の「城塞」によれば、秀吉の正妻の北政所は徳川家康の庇護を受けていました。家康は豊臣家を根絶しようと考える一方で、北政所を通じて豊臣家を信奉していた武将達の反乱を防ごうと考えていました。秀吉亡き後、北政所はどのような想いでいたのでしょうか。

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 小さな池の「臥龍池」の周りには、紹益を祀ってある開山堂や「霊屋」が配置されていて、秀吉の菩提を弔うためのお寺はその後さまざまな人々が関わりをもって、今はひっそりとしています。しかし一方では境内の一隅で国際カップルの結婚式が行われていて、秀吉や北政所は感慨をもって眺めているかもしれません。

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 撮影禁止になっている「霊屋(おたまや)」には、秀吉と北政所の像が祀ってあります。入り口にいた案内状の説明によると、ここには北政所の柩もここにあるとのことで初耳でした。

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 (画像はパンフレットより転載)北政所は秀吉の正妻で「ねね」と呼ばれた人で76歳まで生きました。「ねねさん」は秀吉の没後、豊臣家の存続を図るためには他の大名と同じ一大名として存続することを考え、徳川家康と和睦を図りました。しかし側室の淀君が実権を握り、豊臣家はあくまでも盟主として存続を図るべきと考え、結局大阪城炎上の折に土蔵で秀吉と淀君の子秀頼とともに灰燼となりました。

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 高台寺の出口への道を辿ると脇には「霊山(りょうぜん)観音」を間近に見ることができました。この観音様は第二次世界大戦の戦没者や犠牲者を追悼するために1955年に建立されたもので比較的新しいものですが、この近くには坂本龍馬などの維新の志士が祀られている護国神社もあり、時の流れや人の命を考えさせられるスポットでもありました。

 

今まで何回も訪れていた高台寺でしたが、司馬遼太郎の「城塞」によって歴史の舞台に立ち、歴史の一コマ一コマを想像することができ、今までと異なった古都歩きとなりました。

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2015年4月 3日 (金)

京爛漫 清水寺

ma3/30(月)、京都駅から歩き始めて三十三間堂から豊国神社を経由して清水寺方面へと向かいました。

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 五条通りと国道一号線(東海道)とぶつかるあたりは2007年4月に東海道五十三次で大津から京都に入った道でした。

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 琵琶湖湖畔を歩き、瀬田唐橋を渡り、逢坂を越えると京都三条大橋へはダラダラと下りが続きました。実際に歩いた道は月日が経ってもありありと思い出すもので、特にゴールした日でしたから古都の賑わいを楽しみながらゴールを目指したことを思い出しました。

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 今回は清水寺に寄ることにしました。京都駅からの途中立ち寄った方広寺や豊国神社とは比較にならないくらい人がたくさんいました。

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 五条坂の一本手前の道を歩いてゆくと小さな茶店があり、早めの昼食をとりました。カミさんはにしん蕎麦、私はきつねうどんを注文し、どちらも甲乙つけがたくとても美味しかったのです。出汁がよくきいていて、今回の京都歩きでいろいろ食べましたが、振り返ってみればこれが一番美味しかったかもしれません。

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 道の両端には小物の店や骨董品屋や食べ物屋が軒を連ねていました。若い女性の着物姿が多く目につき、レンタル着物で京都を歩くのが流行っているようでした。

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 清水寺の境内に入ると桜の花だけではない華やかさに満ち溢れていました。とにかく中国や台湾、タイや韓国人と思われる人たちで一杯でした。

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 清水寺の表通りや舞台あたりはラッシュアワー状態でしたが、一本道を外れると古都らしい静けさがありました。それでも春の日を浴びた石地蔵達は色とりどりの衣を身につけ、微笑んでいるようにも見えました。

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 清水寺から高台寺に向かう三年坂(産寧坂)あたりは益々混んできました。この日の陽気は5月のゴールデンウィーク時の暖かさということで、陽気に誘われ心も浮き立つようでした。

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 あちこちで咲いていた桜もよかったのですが、佐々木酒造のアンテナショップに展示されていた盆栽の桜が見事でした。

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 佐々木酒造の主力商品は「純米大吟醸聚楽第」で、ここでは試飲を我慢して夜居酒屋にでも行ったときの楽しみにとっておきました。

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 多くの着物レンタルお嬢さん達に混ざって舞妓さんが歩いてきましたが、何となくこちらもレンタル組かなと思ってしまいました。本物だったら申し訳ないことですが。

 

春の陽気に誘われて誰もがウキウキ気分でした。それにしても目についたのがレンタル着物で、若い女性だけではなくて男女のカップルや若くない外人カップルも多く見られました。まあ日本の文化に触れてもらうのはいいことなのでしょう。

 

 

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2015年4月 2日 (木)

京爛漫 城塞

3/30(月)からカミさん同行で2泊3日の京都散策をしました。目的は3つ。一つは8年前の2007.4.1に東海道五十三次テクテクで京都三条大橋にゴールしましたのでその記念にと、またその日は仕事の右腕だった幹部の訃報を聞いた日でもありました。二つ目は、最近読んだ司馬遼太郎の「城塞」の舞台を訪ねること。三つ目は運良く満開の桜が見られたらいいなあと出かけました。

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 08:30 東海道新幹線で東京駅を出発しました。この日の陽気は5月なみということで暖かい気温で、大気は霞がかかり富士山の姿は少しぼやけていましたが、新幹線から裾野までこれほど広く見ることができるとは思いませんでした。さて今年はあの頂に立てるかどうか。

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 東京から2時間22分で京都駅に着きました。そのスピードもさることながら1日350本という運行本数は驚異的です。

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 今、京都はホテルや旅館などの宿泊施設の予約がとても取りにくくなっています。噂では在日中国人がかなり予約を押さえ、本国から来日する中国人に宿泊を斡旋しているとのこと。私はいつもここ「新都ホテル」を予約しています。京都駅(表玄関からは反対側の八条口)の目の前でどこへ行くのにもアクセスがとても便利です。今回は早い時期に新幹線と宿泊のパックで予約しました。

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 この日の予定は特に行き先を決めずに、京都駅からできるだけ歩くこと。とはいえ、とりあえず清水寺から八坂神社方向を目指しました。七条大橋を渡った先を流れている「琵琶湖疎水」のほとりでは桜がほぼ満開状態になっていました。

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 さらにその先には創業以来390年の老舗「わらじや」の暖簾が見えました。ここのメニューは「う雑炊」6,706円一品のみです。一生に一度は食べてみる価値があるともいわれていますが、とてもとても暖簾をくぐるわけにはいきませんでした。

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 「わらじや」の先に三十三間堂がありました。ここは2011年の1月に来ていましたので、中に入らずにパスしました。

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 つい最近読んだ司馬遼太郎の「城塞」は、徳川家康の権謀術数と豊臣家滅亡の人間ドラマ。最後の舞台は大阪城ですが、京都にもいくつかの舞台がありその歴史を辿ってみたいと思いました。豊臣家が滅亡した大坂の陣(冬・夏の陣)から400年になるそうです。

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 先ず訪れたのが「方広寺」、豊臣家滅亡のきっかけとして利用された方広寺の大鐘です。秀吉はここ方広寺や三十三間堂、京都国立博物館を含む広大な土地に奈良の大仏より大きな仏像を建立した夢の跡です。その仏像は火災や地震によって消失・破壊され、現在は石垣が残っているのみです。

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 絶大な人気を誇った豊臣家を根絶しなければ徳川家の安泰はないと考えた家康はあらゆる機会を捉え、謀略の限りを尽くしました。その最も大きなきっかけがこの梵鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の句でした。徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主とするものと難癖をつけられました。家康は、当時の京都のあらゆる宗派の高僧に根回しを行った手口は、その後の家康のダーティイメージを決定づけるものといわれています。「城塞」ではその経緯を生々しく描き出していて、一気読みしました。

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 大阪や京都で絶大だった秀吉人気に嫉妬していた東国出身の家康は、豊臣家を根絶やしにすることに異常な執念を燃やし、豊国廟(秀吉の墓)も廃絶されましたが、後に明治天皇の指示により再興され、またここ豊国神社も再興されました。方広寺も豊国神社も観光コースから外れているせいかあるいは関心が低いせいか、他に賑やかな観光スポットに比べて深閑としていました。

 

桜の花は満開で京都は春爛漫でしたが、天下人秀吉亡き後の豊臣家滅亡のストーリーは、哀れというより情けなさを感じてしまいました。盤石とも思われた大阪城をもち秀吉を慕う真田幸村などの知将を擁しながら暗愚な一握りの人間(側室の淀君や秀頼)がいとも簡単に家康の謀略に敗れ去ってしまう様は、その国のリーダーによって国民が幸にも不幸にもなる怖さを感じさせられました。

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