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2015年8月31日 (月)

奥の細道復刻版20 琵琶湖畔

奥の細道も敦賀まで到達し、残すところ大垣までの80kmとなりました。行程は敦賀から塩津街道を通って琵琶湖湖畔に出ます。奥の細道のラストウオークですし、3日間で歩ける距離ですが、敦賀から近江塩津までの道は山間部の自動車道で、こういう道は自動車は歩いている人がいるとは思わず、かなりスピードを上げて走りますので、あまり楽しそうでもありませんし、かなりのリスクもあると思われますのでパスすることにしました。

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 2008.9.23 10回目の奥の細道は、北陸本線の近江塩津駅から歩き始めました。06:00に東海道新幹線に乗り、米原で北陸本線に乗り換え9:00に近江塩津駅に到着しました。琵琶湖目指して塩津街道をスタートしたのですが、歩き始める前の期待と不安で緊張しました。

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 塩津街道という名前からもっと歩きやすい道かと思いましたが、歩道はなくかろうじて白いラインの内側を車を気にしながら歩きました。かなり慣れたとはいえ、冷や冷やのウオーキングでした。

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 11:00頃、道路沿いにラーメン屋を見つけました。次に食べ物屋がないかもしれないので早めの昼食にしました。メニューはチ “チャンポンあんかけラーメン” で予期しない美味しさでした。

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 塩津街道から外れて琵琶湖に向かう道に出ました。かなり歩きやすいいい道で気分も快適になりましたし、気温も23℃で快適温度でした。

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 うんざりするほど真っ直ぐな道でした。琵琶湖は日本一に大きな湖で、さすがに湖畔まで辿り着く道もスケールが大きいというか懐が深いというか、かなり歩きでがありました。

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 避けて通れないトンネルが見えてきました。ちゃんと歩道があるかどうかドキドキでした。

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 トンネル内には歩道があり、車も少なく歩きやすく、出口には湖畔の並木が見えてきてホッとしました。

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 近江塩津駅を出発してほぼ4時間(13:00頃)で琵琶湖の湖畔に出ました。芭蕉は敦賀を出発して岐阜県大垣市に向かったのですが、その間琵琶湖のほとりを歩いたのかどうかはわかりません。ゴールは同じ大垣市に設定して、その間のルートは興味のあるルートを歩きたいと思い、日本一大きな湖の畔を歩いてみたいと思いました。待望の琵琶湖の湖畔に出ました。やはり海でも川でも水を見ながら歩くのはとても気持ちのいいものでした。

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 まるで半島を歩いているような錯覚を覚えました。

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 湖岸には様々な植物や野鳥が見られました。

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 この道は湖を一周する道で、この辺りはさざなみ街道といわれる場所だそうです。湖を一周すると230kmあるそうで、一直線に真っ直ぐな道が目の前に現れるとさすがにうんざりすることもありました。

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 途中で買い求めた子鮎の天ぷらとミカンでおやつタイムとしました。琵琶湖周辺では鮎、ウナギ、鮒寿司を味わってみようと思っていたのですが子鮎で我慢しました。味はさっぱりとしていて美味でした。湖畔でおやつタイムを取った後、気を取り直して今日の宿泊地長浜を目指して歩き始めました。

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 遠くに竹生島が見えました。この島には宝巌寺と那久夫須神社があります。9/7から予定している琵琶湖ウオークでは是非上陸してみたいと思っています。

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 緑の木陰のある道に出て、疲れ気味だったのですが森林浴効果でしょうか元気を取り戻しました。

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 姉川です。姉川といえば、昔歴史で「姉川の戦い」を勉強しました。1570年の7月に浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍がこの川の上流で戦いました。琵琶湖にはこの川を始め多くの河が注ぎ込んでいて、その水は大阪湾に注ぎ、京都市民のノドも潤しています。

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 ようやくこの日の目的地長浜にも近くなり、ホッとしているところです。

 

こうして奥の細道を振り返りつつ、終活に向かって旅日記を整理しているところです。今回は琵琶湖の畔を歩いた記録で、実はこのルートは来週の9/7(月)から歩こうと思っている「琵琶湖一周ウオーク」でも歩く道です。最近歩く機会が少なく、どこか歩くところはないかあと思っていたところ思いついたのが琵琶湖一周でした。まさか再びこの道を歩くようになるとは思いませんでした。

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2015年8月29日 (土)

奥の細道復刻版19 敦賀半島

2008.7.24 前日宿泊した福井から敦賀までJRで移動し、敦賀駅から08:00に歩き始めました。先ず気比神社を参拝した後、気比の松原を目指しました。今日の行程は、敦賀半島を海沿いに常宮神社を経由し、色浜までの16kmくらいを歩く予定でした。

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 容赦ない猛暑の中、気比の松原に到着しほっとしました。ここで海にドボンといきたかったのですが、まだ先が長いために一休みして先を急ぎました。

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 いよいよ海岸沿いの道に入りました。ちゃんとした歩道がありましたのでホッとしました。

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 右手の海岸の風景は、海も綺麗で疲れを感じませんでした。陽射しは厳しいのですが、海風が吹いていましたので何とか暑さを凌ぐことができました。

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 絶好の砂浜がありましたので、海パンにはき換えてドボンとしました。日本海での初めての海水浴は、海水の冷たさが心地よく、ここ数年ダイビングを中断していて海水につかるのは久しぶりでしたので最高の気分でした。またいつでもドボンとできるように海パンのまま、上にTシャツを着て、リュックを背負って歩き始めました。

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 海水浴をしながら2時間くらい歩きましたので、次の目的地の常宮神社まではもうすぐの地点まで来ました。敦賀原子力発電所のPR看板がありました。このまま敦賀半島の先端まで行きますと敦賀原子力発電所があります。数十年前初めて原子力発電所を見学したのが敦賀発電所でした。心臓部にあたる原子炉の中まで見学させてもらったことがあります。大変懐かしい想いがしたのですが、まさか数十年後同じ道を歩くとは思いもしませんでした。

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 常宮(じょうぐう)神社の本殿です。西暦700年頃創建で、安産の神様がいるそうです。2人目の孫の出産も近く、安産祈願しました。おかげで無事に出産しました。

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 本殿の前の休憩所です。この神社は大変珍しく海に向かって建っていましたので、海水浴をしたりゆっくり休んで、お昼近くに色浜を目指して歩き始めました。

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 所々に海水浴場がありましたがここは一番大きな海水浴場でした。北陸地方では海水浴場のことを「浜茶屋」というそうです。綺麗な言葉です。ここで3回目の海水浴をすることにしましたが、ビーチサンダルを持ってきませんでしたので、海際までの砂浜の熱いこと熱いこと~左右の足をできるだけ着地している時間を短くするため~周りから見たら笑われてしまいそうな異様な足取りで海に入りました。

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 相変わらず綺麗な海の絶景が続いていたのですが、しかしいいことばかりではありませんでした。不安が見事に的中しました。いつの間にか歩道はなくなりました。海水浴は気持ちよかったのですが、陽射しは益々強くなり、側を車が走り抜けていきますので、少々バテ気味となりました。

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 14:00頃色浜に到着しました。地名は色浜ですが、ここの場所は色が浜といわれているそうです。

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 (一個人「奥の細道をあるく」より転載) 生まれたばかりの赤ちゃんの小指の爪ほどの「ますほの小貝」で浜が染まっていた色浜、西行も 汐そむるますほの小貝ひろうとて色の浜とやいふにはあるらむ と詠んだほどの名所です。西行もこの地に立ったのかと思うと感慨一入でした。

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 色が浜は今も元禄時代と同じ十数件の船宿などが軒を並べる小さな集落です。

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 開山堂というお寺では、月1回の法要が行われていました。このお寺も西行も芭蕉も訪れましたが、今は元気なおばちゃん達の溜まり場になっていました。

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 開山堂の脇には “寂しさや須磨にかちたる濱の秋” という芭蕉の句碑がありました。芭蕉はかなり寂しい思いをしたようです。

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 芭蕉が「侘びしき法華寺」といった本隆寺です。創建は1426年だそうですが、たしかに侘しい雰囲気がありました。このお寺には、福井から同行した等栽が記した「芭蕉翁色ヶ浜遊記」の真筆が所蔵されているとのことです。見てみたかったのですが、誰もいませんでした。

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 色が浜の目の前には水島というこの地方では有名な無人島海水浴場があり、渡し船が出ています。私は目の前の海岸で夕方まで海に浸かっていました。

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 この日の宿は、色が浜にある漁師の宿「なかい」にしました。部屋からは海が見え、海風が吹き込んできました。

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 かなり汗をかきましたので、夕食前に水分の補給をしましたこのために歩いてきたようなものです。

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 待ちに待った私の食事の時間です。今日一日歩きながら想像的期待していた尾頭付きの焼き物も、尾頭付きの煮魚も、ましてや活き作りのお魚も出てきませんでしたが、疲労と空腹で何をいただいても美味しく、白米を3杯お代わりしてしまいました。

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 インターネットで入手した事前の食事情報とはかなりイメージが違うものでしたが1泊2食付きで8,000円ではこんなものでしょう!!!???食事は美味しかったのですが、事前の期待とあまりにも違うためショックでした。この時の「食い物の恨み」は後々、今でも尾を引いています。

 

今までの奥の細道でいろいろの宿に泊まりましたが、ここは芭蕉の足跡に最も近い宿でした。50mも離れていないお寺に芭蕉も泊まっていたとのことです。芭蕉はこの地で非常な寂しさを覚えたとのことですが、私も夜中に目覚めて、何でこんな処まで歩いてきたのだろうと呆然としました。まあその割りには疲れていましたので、ぐっすりと眠り、翌日2008.7.25(金)は、1日3便しかない早朝のバスで敦賀駅に戻り、米原で東海道新幹線に乗り換え、お昼頃に横浜に到着し、9回目の奥の細道紀行を無事に終了することができました。

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2015年8月27日 (木)

奥の細道復刻版18 那谷寺~天龍寺

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奥の細道は200512月から歩き始めて、2008年9月に結びの地である大垣にゴールをしました。全長2,400kmといわれる道を10回に分けて、歩いたり、公共交通機関を利用したりレンタカーを借りたりして述べ30日間の旅でした。言い訳めいてしまうのですが、仕事をしながらでしたのであまり長期間旅に出ているわけにも行かず、芭蕉が訪ねた道を全てなぞったわけではなく、パスした場所もかなりありました。この旅は携帯で粗っぽい写真を撮るという手抜きをしたり、旅の記録を丁寧に書き留めるということもせず、後悔していますが、写真を多少修正しながら旅のアルバムを整理しています。前回は富山県の倶利伽羅峠まで来ました。全行程から見れば9割くらいの地点まで到達したということになります。

 

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残りの行程は、金沢を通って福井県に入り、琵琶湖畔を歩いて大垣に至るというものです。

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2008.7.23倶利伽羅峠を4時間くらい歩いた後、JR倶利伽羅駅から加賀温泉駅まで移動し、加賀温泉駅からは市内周遊バスで石川県小松市の那谷(なた)寺に向かいました。那谷寺は高野山別格本山で非常に大きなお寺でした。創建717年の古刹です。

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 広大な境内には山あり谷ありで、特に奇岩遊仙境は見所でした。境内には、大岩にへばりつくように楓や苔むした岩、小さな祠などがありました。今まで見てきた神社仏閣の境内としてはかなりの大きさでした。

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 (一個人「奥の細道を旅する」より転載) 境内を一周するのに小一時間かかりました。

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 芭蕉が詠んだ “石山の石より白し秋の風” という句碑がありました。 “白し” という言葉が使われているのは、この那谷寺が白っぽい凝灰岩の上に建てられているからです。

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 また、見事なのは岩窟に建てられた舞台造りの大悲閣本殿でした。まるで京都の清水寺を大きくしたようでもあり、鳥取県三徳山の投入堂を小さくしたようでもありました。

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 胎内くぐりは、生きている時の数々の罪を流してくれ、生まれ変わることができるとのことです。2~3回くぐろうかと思ったのですが、道順で入り口に戻ることができず1回しかくぐることができませんでした。

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 CANBUS(キャンバス:現在でも元気で走っています)という加賀温泉郷の観光周遊バスを利用しました。1日乗り放題で1,000円です。市内の様々な観光地を巡りますので観光バスに乗っているようでした。女性のガイドさんがアナウンスしながら案内してくれるのですが、乗客が私一人きりですので、ガイドさんも私も何やら気恥ずかしく感じました。

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 那谷寺を参拝した後、JR加賀温泉駅から福井駅に移動し、えちぜん鉄道に乗り換え、永平寺町にある天龍寺を訪れました。えちぜん鉄道の車両は一両で、運転手さんが車内アナウンスから何から何まで1人で行います。地元の脚として定着しているローカル線です。この電車で福井駅から20分くらいの松岡駅に行きました。

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 駅から10分くらい歩いた小さなお寺が永平寺の末寺・天龍寺です。芭蕉の珍しい銅像がありました。これは金沢から同行した北枝とここで別れた姿だそうです。

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 小さな庭は綺麗に掃き清められていて、猛暑の中でも涼しい気分になることができました。

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 芭蕉は古くからの知人である大夢和尚をここに訪ね、座禅をし、宿泊したそうです。そのような雰囲気が伝わってくる凛としたお寺でした。

この日は(2008.7.23)、芭蕉に倣って福井県に宿泊したのですが、どこにとかどういうところに宿泊したかという情報や記録がなく(多分あまり印象が良くなかったのかもしれません)、自分で呆れ返っています。

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2015年8月25日 (火)

北陸・飛騨紀行 新穂高温泉~帰路

7/23(木)は長い一日でした。「雨晴海岸」を出発して、合掌造り集落、飛騨高山と 日本風土記 を巡るような土地を訪ね、最終目的地の「新穂高温泉」へと向かいました。

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 この日の宿泊は、新穂高温泉の「雪紫」というこじんまりとした宿でした。

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 暖簾をくぐると畳敷きとなっていて、そこで靴を脱いで上がると囲炉裏があって、ホテルでいえばそこがロビーでありフロントでした。荷物を置いて座っているとお茶と和菓子が出され、チェックイン手続きとなりました。

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 通された部屋はかなり広い部屋でした。何も飾り気がなくてシンプルでした。

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 部屋の奥には檜造りの24時間源泉掛け流し温泉がありました。この宿は14室限定で、全室にこの温泉がついているというのがウリでした。広めの檜風呂にいつでも入れるというのはとても贅沢な気分でした。8月に入って台湾に行き、「北投温泉」という有名な温泉地で同じような個室風呂付きで、それはそれでよかったのですが、台湾での浴槽はタイル貼りのようなものでしたが、日本の檜は最高でした。

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 部屋の個室風呂の他に、いくつかの貸し切り露天風呂がありました。フロントに予約表があって、予約をしておくか空いていればいつでも入れました。宿泊客は14組と少なく、部屋には檜風呂もありましたので、この露天風呂は大抵空いていて、霧雨に煙る緑を眺めながら入るのはなかなかいいものでした。しかし部屋にある檜風呂は心地よく歩く必要もなく、何かと面倒がないので結局露天風呂には一回入ったきりでした。

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 4日間の汗を流した後食事となり、飛騨の地酒を楽しみにしていて、何杯か(たくさんは飲めませんでした)飲んでいるうちに何が何だかどんな味だったのかわからなくなりました。

 

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 料理は、飛騨牛中心の会席料理で、次から次へと出てきました。確かに美味しかったのですが、近頃めっきり食べられる量が少なくなったことは悲しいことです。おまけに温かいものは温かくとか、目の前で肉が焼けただとかいわれるとじっくりとお酒を飲むこともできず、これも悲しいことです。前日の「雨晴海岸」の「磯はなび」でも美味しい会席料理で、贅沢なことですが、美味しい料理も二日も続けば十分でした。

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 朝食も、精一杯のおもてなしで、鮎の一夜干しはなかなかのもので、日本酒が飲みたくなりました。

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 (「奥飛騨手帳」より転載)宿からいただいた「奥飛騨手帳」という小冊子をいただきました。パステル画の手作り感たっぷりで、さまざまな情報が載っていて、奥飛騨の魅力もたっぷり紹介されていて、また来てみようという気にさせられました。上高地に行った帰りにここに寄るのもいいかもしれません。

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 その「奥飛騨手帳」によると、新穂高温泉は奥飛騨温泉郷の一部で、他に平湯温泉などもあり、穂高連峰や焼岳に囲まれた魅力的なエリアです。今まで、上高地にばかり目が向いていましたが、今回辿ってきた北陸から飛騨高山、奥飛騨というルートも魅力的です。

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 たっぷりの朝食を食べて、新穂高温泉を後にしました。とてもこじんまりとした数軒の宿が肩を寄せ合っている静かな温泉郷でした。

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 向かった先は「新穂高ロープウェイ」でしたが、雲は低く垂れ込め、まるで滝のように川に落下していました。

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 始発に間に合うように「新穂高ロープウェイ」の乗り場に着いたのですが、雲はますます低く垂れ込めてきました。ここからロープウェイに乗って、西穂高岳にできるだけ近いところまで登り、穂高連峰や北アルプスの景観を楽しもうと思っていたのですが、見晴らしは期待できそうもありませんでしたので撤退しました。一路自宅へと車を走らせました。

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 7/20から4泊5日の旅は、最初は「車で奥の細道」でしたが、富山県の高岡市からは「北陸・飛騨紀行」と中途半端なものとなってしまいました。途中、「奥の細道復刻版」に合流したり、あるいは台湾へといったりして、この旅日記も間延びしたものとなりました。今年は、2月にモロッコ、5月に北欧、今月は台湾と海外にも行き、それぞれの国のよさや美しさを見聞きしました。その度に日本と比較して、美しい街並みや大自然に羨ましいなあと思ったりもしましたが、こうして芭蕉の足跡を辿ったり、山深い里山を訪ねたり、温泉に入って緑を眺め、日本食と日本酒に舌鼓をうつ度に日本はいいなあ、日本に生まれてよかったと思ったのでした。

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2015年8月24日 (月)

北陸・飛騨紀行 飛騨高山

7/23(木) 五箇山と白川郷の2ヶ所の合掌造り集落を見学した後、飛騨高山へと向かいました。初めての訪問でした。

 

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 明治28年に建てられたという高山町役場がありました。見学自由で、中に入ってみると当時の仕事ぶりや町の歴史などがわかるようになっていました。古い役場や学校の校舎、図書館などが保存されていたり街並みが保存されていたりする地域は日本全国にあちこちあります。建物もさることながら、その地域の決意というか心意気を感じます。

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 「高山陣屋」は、江戸時代の役所で、全国に唯一現存する郡代・代官所です。街道歩きでたくさんの陣屋を見てきましたが、この高山陣屋ほどたくさんの情報が詰まった建物は初めてでした。1692年に徳川幕府の直轄領となった歴史と風格を感じました。

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 20億円かけて復元修理されたこの建物ですが、保存するノウハウが開示され、必要資材も備蓄されていたりして、300年の歴史が今でも息づいているようでした。

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 今年の4月には、羽生名人と行方八段の将棋名人対局も行われたとのこと。

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 お昼時になりましたので、いろいろあった食事処の中、レトロ感のある食堂に入りました。

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 食堂の中に入ると調理場でおばちゃん達が立ち働いていました。観光について情報をいただいていたのですが、調理場の窓口に小学生が書いた 棚田があるよ というポスターが貼ってあり、おばちゃんに棚田の場所を聞きました。時間があれば帰りに立ち寄ることにしました。

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 おばちゃんと話をしているうちに高山ラーメンができました。シンプルで、薄い醤油味で美味しかったです。

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 どこの街並み、どこの道、どこの路地を歩いても風情があり、多少の人混みがあっても落ち着いて散策することができました。ここにいるだけで気持ちが豊かになるような雰囲気が感じられました。

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 最近はどこの観光地も工夫が凝らされていて、ブラブラ歩いて楽しそうなお店がたくさんありました。

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 最も人気があったのが “飛騨牛のにぎり寿司” でした。

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 (パンフレットから転載) 飛騨高山といえば「高山祭」が有名です。「春の山王祭」と「秋の八幡祭」を総称して「高山祭」といわれています。京都市の祇園祭、秩父市の秩父夜祭りと並んで日本三大曳山祭りの一つに数えられています。

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 (パンフレットから転載) 「秋の八幡祭」には11台の祭屋台(山車)が街を練り歩くそうです。飛騨という山の中、かつての徳川幕府の直轄地としての歴史が今も大事に保存されている風情のある街並みを、煌びやかな屋台が練り歩く様は是非見てみたいものです。

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 高山ラーメンを食べた食堂のおばちゃんに教えてもらった棚田は、走ること15分くらいでしたが、山奥のまた山奥でした。

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 どこまで細い道が続くのだろうと不安になりつつあった矢先、開けた傾斜地に僅かばかりの棚田が広がっていました。狭い傾斜地を利用して、丹精込めて苗を植え、緑は順調に実りに向かっているようでした。あの食堂に貼ってあったポスターを画いた小学生もきっとここで苗を植え、収穫を楽しみにしていることでしょう。

 

飛騨高山は、自分にとってはあまりにも有名な観光地で、有名になりすぎて敬遠していた観光地でした。今回も北陸からの帰途、ちょっと寄ってみようかと思っていたのですが、長い歴史が大切にされ、それが伝統になり文化になっていて、懐の深さを感じました。歴史の重みと厚みは、どう表現していいかわからないのですが、何とはなしの街並みや雰囲気となって現れているようでした。高山祭りは機会があれば行ってみたいと思っているのですが、「秋の八幡祭」(10/910)の時期は予定があり、棚田の収穫状況も見てみたいと思っていたのですが、残念です。

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2015年8月23日 (日)

北陸・飛騨紀行 白川郷

7/23(木) 富山県の五箇山で合掌造りの集落を訪れた後、岐阜県に入って「白川郷」を訪れました。

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 最初に「民家園」を見てみました。ここには全部で26棟の合掌造りがかつてのままに移築されています。水車小屋、神社、寺の本堂なども移築保存されています。白川郷は1995年に五箇山(相倉地区、菅沼地区)と共に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」としてユネスコの世界遺産・文化遺産に登録されました。

 

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 他の集落から移築した合掌造り、中に人は住んでいなくて生活具などが展示されていました。

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 合掌造りの家で最も興味があるのが梁です。この独特の骨組みが大きな屋根を支えています。そもそも合掌造りは、いつ頃からどのようにしてこういう構造になったのかとても興味がありました。

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 合掌造りにすることによって屋根裏に広い空間が生まれ、江戸時代中頃に養蚕業が発達するとこの空間を利用して養蚕の棚を設置するようになったとのこと。3層・4層という具合に養蚕棚の空間を大きくとるために、屋根がさらに高く切り立ったと考えられています。

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 森の中にも小さな合掌造りの家も点在していました。小さな合掌造りは山小屋風でもあり、こんなところで散歩したり本を読んだり、暑い夏をやり過ごしたらいいだろうなあと思ったりもしました。

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 小川のある風景、これも好きな景色です。童謡の 春の小川 や 森の水車 が聞こえてくるような実際の里山があちこちにできたらとてもいいのですが。

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 「民家園」を白川郷の間には庄川という川が流れていて、この橋を渡ると白川郷です。

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 ここへ来る前に寄った五箇山の菅沼集落では実際にそこで人が生活していましたが、白川郷もまた実際に人々が生活している場です。(白川村の人口:H25 560世帯、1700人)

 

庄川を渡って白川郷に入ると多くの観光客がいました。合掌造り集落の雰囲気は、五箇山の菅沼集落でたっぷり味わいましたので、この先の日程(飛騨高山経由で新穂高温泉へ)を考えて、白川郷の入り口から駐車場へと引き返しました。以下の画像はインターネットから転載させていただきました。

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 白川郷を訪れる観光客は、登録前で60万人程度だったのですが、世界遺産に登録されると急増し、昨年は150万人を突破したそうです。 人口わずか1700人の小さな村に、秋田県の人口117万人を遥かに上回る観光客が押し寄せていて、 風土、歴史、民俗文化を活かした美しい村づくりの凄さを改めて考えさせられました。

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2015年8月22日 (土)

北陸・飛騨紀行 五箇山

7/23(木) 富山県高岡市の「雨晴海岸」の宿から飛騨方向へと向かう途中、合掌造りの集落に寄りました。

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 (菅沼散歩ガイドより転載) 富山県南砺市の五箇山にはユネスコ世界遺産の文化遺産に登録された「合掌造り」の集落があります。

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 菅沼合掌造り集落に着いたのは08:46と比較的朝早い時間に着きました。集落の入り口の道は雨に濡れていました。久しぶりの里山で、楽しみでした。静かな雰囲気に気持ちはゆったりとしてきました。

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 小高い山には霧だか小雨だかの塊が雲のようにかかっていて、ぼんやりと煙っていました。そんな山に囲まれてここには9棟の合掌造りの家があるとか。

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 もともと緑深い集落なのですが、霧か小雨か、水滴が緑に吸い込まれているようで、なお一層緑が濃くなっていました。

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 「合掌造り」と呼ばれる茅葺きの家屋は、国内の他地域にはない、五箇山と白川郷のみに現存する大変貴重な民家の形式だそうです。築後約100年~200年前のものが多く、古いものは400年前に建造されたといわれています。雪深いという厳しい自然に対応する強固な造り、さらに生活の場と生業の場をひとつにした合理的な建築です。人々の生きる知恵が生んだ偉大な発明、それが合掌造りです。

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 朝早いせいか、まだ他の観光客はいませんでしたので、のんびりと、自分のペースで散策することができました。この緑の美しさは感動ものでした。

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 五箇山地区には、ここ菅沼集落(9棟)の他に相倉集落があり、相倉集落には23棟の合掌造りの家があります。隣同士の距離は近すぎず遠すぎず、きっと適度な距離なんだろうなあと思いました。

 

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日本の里山、とてもいいです。この日は雨でしたがそのおかげで緑は濃く、晴れた日にはきっと爽やかな風が緑を撫でて吹きそよぐことでしょうし、それもいいかも。秋は紅葉と収穫と、厳しい冬はひっそりと。

 

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 家の前には、澄み切った混じり気のない細い清流が流れていました。小さな流れが見えて、小さなせせらぎが聞こえる生活はきっと気持ちが和むことでしょう。

    

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 最も気に入った景色です。緑と花と水があって桃源郷のようでした。

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 合掌造りが仕事場と生活の場が一体化されたものであると同様に、集落全体が仕事と生活の場とならないと集落は成り立ちません。農業と林業と手工業と観光と、さまざまな努力が必要に思われ、エールを送りたくなりました。

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 五箇山地区(相倉地区、菅沼地区)は、国指定史跡であり、世界文化遺産として登録された文化財保護地域で、地域住民約80人が現在も生活しています。

 

日本の里山の典型のような地域でとても和やかな気持ちになりました。こういう里山や集落がたくさん増えて、あるいは現在の里山や集落は大事に保存されればいいなあと思いました。しかし、地域創生という日本にとっての大きな課題、なかなか難しいのも現実です。それでも頑張ってほしい。

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2015年8月21日 (金)

北陸・飛騨紀行 高岡市・雨晴海岸

先月7/20から「車で奥の細道」に出かけました。石巻や松島を皮切りに7年ぶりに新潟県・出雲崎や富山県・親不知を訪ね、その様子は前回までのこのブログに綴りました。その後、奥の細道とは別れをつげて、北陸・飛騨紀行へとハンドルをきりました。今まで北陸にはあちこち出かけていましたが、7/22(水)今までゆっくり過ごしたことがない高岡市で宿泊することにしました。

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 最初に訪れたのが曹洞宗の瑞龍寺(1614年創建)でした。駐車場に車を駐め、門をくぐると玉砂利が敷き詰められた広大な敷地、どんと構えた山門、こちらに歩いて来られたお坊さんに会釈をされ、フーッと心身が浄化されたような気持ちがしました。

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 瑞龍寺伽藍は人体図のように配置されていました。仏殿、法堂、山門の3棟が近世禅宗様建築の代表作として平成9年(1997年)国宝に指定されています。これは富山県下における初の国宝指定であり、現在も富山県唯一の国宝となっています。

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 仏殿をくぐると、さらに芝生が敷き詰められた広い敷地があって法殿がどんと構えていました。我が家の宗教は曹洞宗で、その大本山越前永平寺は何回か訪れたことがありますが、ここ瑞龍寺はまったく構造も雰囲気も異なっていました。

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 大伽藍を囲む回廊は、北回廊、南東回廊、南西回廊と連なり周囲約300mもあるとのこと。回廊の左右は白壁で柱と格子枠の障子戸が規則正しく並んでいて見事でした。南西回廊の奥には前田利長、前田利家、織田信長、織田信忠などを祀る石廟があり、格式の高さもさることながら400年という長い歳月の歴史を感じました。

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 次に訪れたのが高岡大仏でした。地元では、奈良の大仏、鎌倉の大仏と並んで日本三大仏を自称しているのですが、奈良や鎌倉の大仏と並び称するには歴史、格とも違いすぎるので一般的には認められていないともいわれています。しかし建立は1221年と歴史は古く、また1993年に高岡銅器職人の技術の結晶によって立て替えられ、現在では高岡市の象徴的な観光スポットとなっています。1933年に歌人の与謝野晶子が高岡を訪れた際に、高岡大仏を 鎌倉大仏より一段と美男」と評したそうです。それはともかく、やはり印象としては奈良や鎌倉の大仏とはちょっと違うなあというものでした。

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 思い出すのは2010年に訪れた同じ北陸の福井県勝山市の越前大仏です。この大仏は奈良の大仏よりも大きいそうです。昭和62年に地元出身の実業家が建立したもので、歴史的な風格は感じられませんでしたが、大きさには迫力を感じました。この大仏も100年、1000年後には歴史的遺跡として多くの人が訪れることになるのではないかと思いました。ご参考までに、日本一大きな大仏は千葉県鋸山の日本寺の大仏で、鎌倉の大仏の2倍あるそうです。

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 高岡大仏の台座の内部には回廊があって、仏画が掲げられていました。穏やかな表情といい流れるようなラインといい、気持ちが和みました。

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 最近は海外でフレスコ画を見る機会もあり(長崎県五島列島の教会でもたくさん見ましたが)、これは昨年5月にトルコ・イスタンブールのアヤソフィア大聖堂に掲げられていた聖母子像ですが、やはり仏画とは趣がだいぶ違います。

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 古刹と大仏を見て、巡礼しているような気分になりました。時間がありましたので高岡市内を散策しました。ある公園に入ると、さまざまな動作をしている鋳物の像がありました。これは市内の小学生が、地域の歴史的文化遺産である高岡鋳物産業の伝統を後世に伝えようと、多くの人の善意と協力の下に制作したものだそうです。

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 千本格子の家並みがあるという金屋町(かなやまち)を訪れました。ここは1611年に加賀前田家2代目当主利長が7人の鋳物師を呼び寄せ、ここに土地を与えて鋳物場を開設させたそうです。今日の高岡鋳物発祥の地となっていて、長い歴史をもっています。工場の多くは郊外に移転したそうですが、千本格子の家並みは大切に保存されています。ここもまた400年の歴史を刻んでいて、こういうエリアの雰囲気が周辺の地域に波及しているのか、高岡市全体がとても落ち着いた雰囲気なのです。

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 日が暮れる前に、「雨晴(あまはらし)海岸」を訪れました。「雨晴海岸」は日本の渚百選の一つに選ばれている景勝の地です万葉の歌人、大伴家持は、この雨晴の風景をこよなく愛して、多くの歌を詠んだとのこと。また2014年には「世界で最も美しい湾クラブ」に日本で松島の次に選ばれたとのこと。残念ながら空には厚い雲がかかっていましたが、富山湾越しに立山連峰を眺めることができました。

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 この日のホテルは「雨晴海岸」の上、富山湾を望む高台に建てられた「磯はなび」という、何とも趣のある名前のホテルでした。ここは、北欧ツアーで知り合って、たくさんの写真を撮っていただいた “同行者Aさん” から教えていただいた旅館でした。

    

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 「磯はなび」の入り口に不思議な埴輪のような人形がありました。これは兄源頼朝に追われて1187年にこの地に訪れた義経と弁慶の一行の像でした。弁慶が岩を持ち上げて雨が晴れるのを待ったという伝説があり、その言い伝えによって「雨晴(あまはらし)」という地名がつけられたそうです。この旅館のすぐ下の海岸に「義経岩」があるとのことでしたが、見過ごしてしまいました。

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 チェックインして通された部屋は広い角部屋で、富山湾を180°くらいの広角で見ることができました。部屋から見た立山連峰は相変わらず雲をいただいていましたが、3000m級の偉容を誇っていました。ここ数年、室堂に連泊して立山に登ったりしていて、今年も10月の上旬に3連泊して立山に登るのを楽しみにしています。

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 温泉に入って、広々とした角部屋で富山湾や立山連峰を見てすっかり寛いだ後、富山湾の海の幸をいただきました。

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 ビールで乾杯の後、利き酒セットをオーダーしました。どの酒も美味しく、また最初の一杯は味を覚えているのですが、二杯目、三杯目となるとどれがどれだったっけ!というのはいつものことです。わかった振りをしても、要するに何種類もの美味しい酒が飲めればいいだけのことです。

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 同行したAさん は、ここで一升の酒を飲んですっかりいい気分になったとのことでしたので、私もいい気分なろうと思って挑戦したのですが、とてもとても半分もいきませんでした。

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 旅に出ると疲れが出るのでしょうか、甘いデザートにも手が出ました。

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 就寝前にも温泉に入って、朝も温泉に入って、普段食べないような朝食をいただいて、やはり日本の温泉も日本の朝食もいいものです。

 

奥の細道に別れをつげて、久しぶりの景勝の地の旅館、 温泉と海の幸はいいものでした。 “同行したAさん” に感謝です。

 

 

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2015年8月19日 (水)

奥の細道復刻版17 親不知~倶利伽羅峠

7年前の2008.7.22、第9回目となる奥の細道に出かけました。第1日目は、早朝出発し、新幹線で長岡まで行き、北陸本線に乗り継ぎ、魚津駅(富山県)に到着しました。そこでレンタカーを借りて親不知へと向かいました。そして先月出かけた「車で奥の細道」ではやはりマイカーでの訪問となりました。

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 2015.7.22 「親不知」といわれる難所を高台から眺めると、切り立った崖の下は波が打ち寄せていて、とても通れそうもありませんでした。北アルプスの北端がストンとここで海に落ち込んでいます。「親不知」といわれる波打ち際の道は10kmも続いています。

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 2015.7.22 この辺りの景色を眺めると、海から急に立ち上がっている丘陵地帯に北陸自動車道と旧道が並行して走っていて、どこをどう歩いていいかわからない場所でした。7年前の同じ7/22にここを訪れた時も、ルートを調べた結果とても歩けないと思ってレンタカー利用となりました。

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 2015.7.22 駐車場の入り口に蓑傘を被った親子の人形がありました。その名前の由来はいろいろあるのですが、危険な波打ち際を通るとき、親は子を、子は親をかえりみることができない程に険しい道である“ という説が一般的です。

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 2015.7.22 実際に海辺へと下りてみました。急降下する山道や階段を下りてゆくことになりました。

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 2015.7.22 途中、急峻な道を横切るように左にトンネル、右に鉄道跡がありました。トンネルは200mくらい先にわずかに小さく光が漏れていて、もう一方の出入り口になっているようでとても冷たい霧が流れてきていました。これは鉄道遺産「親不知ずい道」といわれるトンネルです。

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 2015.7.22 トンネルと向かい合うように右側には錆びて朽ち果てつつある鉄骨がありました。この鉄道跡は、「天険親不知」の断崖絶壁を貫通して、1912(大正元年)から1965年(昭和40年)までの53年間、旅客や貨物の輸送を支えたそうです。

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 (案内板転写) なんとこんな列車が、53年間もこの険しい断崖絶壁に貼り付くようにして走っていたとは。その難工事を想像するだけで気が遠くなりそうでした。1922年には雪崩による脱線事故や復旧工事で90人の方が亡くなったとか。

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 2015.7.22 急坂を波打ち際まで下りてみると、ちょっと先は波に洗われていて通ることができません。かつては、道がないため、旅人は崖下の岩穴に身を潜め、波の合間を縫って波打ち際を走り抜けたといわれています。

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 (一個人「奥の細道を旅する」より転載) 芭蕉は1689712日に親不知を歩いたそうですが、ここでは句を詠まず、その先の市振(いちぶり)という村で宿泊し、 一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月 という句を詠みました。この句は奥の細道の数ある句の中で唯一艶っぽい句といわれています。

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 2015.7.22 汗をビッショリかいて、再び崖の急坂と石段を上って駐車場に戻ると、日本一周しているお兄さんが小型三輪リアカーをひいて、炎暑の中を歩いて行きました。

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 2008.7.22 7年前は、親不知で感動というか驚きというか、いやはや!と思いながら市振を通り過ぎ、氷見市へと入りました。氷見市はブリの町で、特に氷見の寒ブリはブランドものといわれています。これは ぶりっこ?

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 2008.7.22 氷見の街中をブラブラと。商店街のあちこちに魚の小型オブジェがあって楽しい町でした。

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 2008.7.22 氷見市にある光禅寺というお寺は漫画家藤子不二雄の生家で、650年以上の歴史を持つ加賀藩前田家ゆかりの古刹だそうです。藤子不二雄の父親がお寺の第49代住職で、藤子が小学5年生のときに高岡市へ引っ越すまで、このお寺に住んでいたそうです。どうりで愉快な楽しい雰囲気でした。

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 2008.7.22 氷見市での宿は「魚恵」という料亭風民宿で、とても落ち着けるところでした。

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 2008.7.22 次から次へと おしゃれな料理が出てきました。ビール、冷酒をいただきましたが贅沢を言わせてもらうとチリチリに冷えた白ワインでもあれば言うことはなかったのですが。

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 2008.7.23 7年前の細道9回目の2日目、7/23(水)はようやく歩くことができました。宿泊地の氷見を早朝に出発し、高岡駅前(富山県)でレンタカーを乗り捨て、JRで金沢や能登などの石川県を素通りし、石動駅(いするぎ駅:福井県)で下車し、倶利伽羅峠を目指しました。石動を09:00に歩き始め、古い街並みを抜けました。

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 2008.7.23 炎暑の中、さらに暑そうなポスターがあちこちに貼り出してありました。

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 2008.7.23 目指す「倶利伽羅峠」への道はそれほどきつくはなかったのですが、風が通り抜けないために暑く、汗をかくとブヨや蜂などがブンブン寄ってきて、こちらもタオルをブンブン振り回して歩いたことを鮮明に覚えています。

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 2008.7.23 「倶利伽羅峠」は、歴史の時間に勉強した記憶がありますし、源平合戦の有名な古戦場で、一風変わった戦略でも知られていましたので、是非行ってみたいと思っていた場所でした。いよいよ峠近くで、かつては「七曲がりの砂坂」と言われた難所だったそうです。ここから源氏軍が500頭もの牛の角に松明をつけて平家軍本陣めがけて突入させたそうです・・・という物語を読んだ記憶が蘇りました。さぞかし平家軍はびっくりしたことでしょう。

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 2008.7.23 峠頂上には芭蕉が詠んだ “義仲の寝覚めの山か月かなし” という句が刻まれていました。この倶利伽羅峠には、「源平供養塔」などもありました。

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 2008.7.23 ここにも「火牛」がいてびっくりしました11835/11の深夜、木曽義仲は平氏に奇襲攻撃を仕掛けました。「源平盛衰記」には、500頭あまりの牛の角に松明をつけて崖から追い落とす「火牛の計」という作戦がとられたとのことです。石動の町には火牛祭りのポスターがありましたが一体どういう祭りなのか興味があります。まさか本当に「火牛」が町中を疾駆するわけではないと思いますが・・・。

 

7年前の奥の細道は、この先敦賀から滋賀を通り、結びの地といわれる大垣へと続きました。その旅日記は、また機会を改めて更新したいと思います。

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2015年8月18日 (火)

奥の細道復刻版16 出雲崎

7/22(水) 新潟市を出発し、再び日本海沿いに南下しました。7年前の奥の細道では、海沿いの道は景色はいいのですが歩道がない箇所でダンプがブンブン走っていて危険を感じましたので、今回の「車で奥の細道」と同様新潟市からレンタカーを借りました。

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 2015.7.22 新潟市内から海沿いの道に出ると、真っ直ぐの道が延びていて、気持ちのいい青空が広がっていてドライブ日和でした。

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 2015.7.22 日本海というと荒海というイメージですが、砂浜のある場所に下りてみるとわずかに小さな波が寄せていました。

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 2015.7.22 快適なドライブで7年前にもこの道は車で走りました。それは歩くには危険な道と考えたからで、今回久しぶりに同じ道を走ってみると歩道がなかったり、歩道がないトンネルがあったり、車は疾走しているし、やはり歩かなくてよかったと思いました。

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 2008.6.14 7年前は「弥彦神社」を訪れました。創建年代は不詳ですが、「古事記」に登場するということですのでかなり古い神社で、圧倒されるような存在感の神社でした。長い歴史というのは目に見えない風格を醸し出すものかもしれません。

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 2008.6.14 弥彦神社のご神体は弥彦山(634m)で、山頂へはロープウェイで上りました。この時、広島の友人から携帯に電話が入り、岩手・宮城内陸部地震が発生したけれど大丈夫でしょうかという内容でした。ちょうどその時間ロープウェイの中で、空中にいましたので全くわかりませんでした。

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 2015.7.22 海沿いの402号線をそのまま走ってゆくと「寺泊」です。この寺泊町は西廻り航路の港町、北陸街道の宿場町として知られていた町で、本州の中では佐渡島と最短の距離にあります。ここに 魚のアメ横 といわれる広場があります。

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 2015.7.22 目の前に大きな駐車場があり、近隣の人たちばかりではなく観光バスの立ち寄って新鮮な魚介類を買い求めたりしている姿を見かけました。

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 2008.6.14 カニ汁1杯100円、イカ焼きは300円でした。

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 2008.6.14 身体中の力が抜けて、とてもだらしなく食べていました。

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 2015.7.22 やがて出雲崎に入ると、そこは良寛さ(17581831の里です。海沿いに「良寛堂」がありました。良寛堂は良寛の生家橘屋の屋敷跡に良寛の遺徳を顕彰し良寛を偲ぶために、大正11(1922)に建てられたものです。現在は出雲崎町の所有となっています。堂内には良寛が常に持ち歩いたという石地蔵をはめ込んだ多宝塔に「いにしえにかわらぬものはありそみとみかひにみゆるさどのしまなり」の良寛自筆の歌が刻まれています。

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 2015.7.22 境内裏には良寛さんの母の国佐渡ヶ島を見つめるように座っている良寛像があります。

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 2015.7.22(良寛記念館資料より転載) 海の近くにある「良寛堂」から車で数分、高台に上っていくと「良寛記念館」があります。この画像は良寛が暮らした「五合庵」の写真を転載させていただいたものです。良寛は修行から戻って20年間この庵で暮らしたそうです。

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 2015.7.22(良寛記念館資料より転載) 筍が顔を覗かせれば居間を譲り、子供にせがまれれば、日が落ちるまで鞠付きに興じました。良寛は歌に「この子らと 手鞠付きつつ遊ぶ春 日はくれずともよし」と残しています。書は良寛にとって己の心情の吐露だったようで、良寛独特の書法も編み出したそうです。 

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 2015.7.22(良寛記念館資料より転載) 棟方志功による良寛さん。良寛さんといえば優しいというイメージでその通りなのですが、その生涯は千日回峰行の行者には及ばないでしょうが、大変な修行をし、大変な人生を歩んだ 凄い人 なのです。その凄さが表に出てこないところがまた凄いのです。

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 2015.7.22(良寛記念館資料より転載) 大変な修行と大変な人生から生まれた良寛さんの作品は心に沁みるものがあります。俗にまみれた自分にとっては、つかの間であっても良寛さんの作品に触れるだけで心が洗われ、反省させられます。とてもとても及びもつかない境地です。

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 2015.7.22 「良寛記念館」の裏手から日本海を眺めることができます。芭蕉はここ出雲崎で、 荒波や 佐渡によこたふ あまのがわ という有名な句を詠みました。この日は快晴で気温がグングン上がり、霞がかかってしまって、横たわる佐渡島はうっすらとしかみえませんでした。

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 2015.7.22 芭蕉は16897月にここ出雲崎を訪れて有名な句を詠みました。「良寛記念館」が建つ高台のちょうど真下あたりに「芭蕉園」があり、芭蕉は日陰に立っていました。

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 2008.6.14 7年前にここを訪れた時に見た芭蕉が宿泊した「大崎屋」は、今回(7/22)訪れた時には改築されていて面影はありませんでした。

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 2008.6.14 今回は柏崎市は車で通り抜けてしまいましたが、7年前は柏崎市に宿泊しました。柏崎市は日本最大の出力を誇る原子力発電所があり、電気の故郷といわれている市ですが現在は原子力発電は停止しています。7年前のこの日は、年に1回のお祭りで賑やかでした。柏崎市のお祭りは、焔魔堂の縁日で閻魔市といわれるものです。

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 閻魔市を見物した後、エ地元の人一押しの魚料理の店に入りました。最初に刺身の盛り合わせ(950円)をオーダーしましたらカサゴ一匹と何種類かのお刺身が出てきました。次に石鯛の刺身(950円)をオーダーしましたら、刺身が出てくると思っていましたら一匹丸ごと出てきましたのでびっくりしました。白いご飯が食べたくなり、ライスを注文したら荒汁が出てきて感激しました。7年前の紀行の中では最も気に入ったお店でした。

 

新潟市から柏崎市へのルートは、7年前も車移動でした。歩道が危険なことが理由ですが、そもそも奥の細道に関する少ない文献やガイドブックには東海道や中山道、四国巡礼の道のよう正確なルートが明記されていません。わかっているのは芭蕉が訪れた地点ですので、結局自分で点と点を結んでルートを考えるより方法がないのです。その結果、海沿いの道を選択することとなりました。

 

良寛さんの里は今回で2回目でした。良寛さんの生き様を間近に目にすることで、改めて自分の不甲斐なさを感じてしまうのですが、今更どうしようもありません。しかしそれでも、こういう生き様のこういう人がいたということが頭に入ることによって、例え短い時間でも良寛さんの世界に浸ることができるのは貴重な時間でした。

 

 

 

 

 

 

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2015年8月17日 (月)

奥の細道復刻版15 新潟居酒屋巡り

2008.6.12 酒田市の庄内空港を歩き始めて、日本海の「笹川流れ」の景観を楽しんで村上市に入りました。

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 2008.6.12 村上市内の中心部からほんの数分のところに観音寺というお寺がありました。今まで見たお寺のどこよりも小さく、廃寺ではないかと思えるような頼りなげなお寺でしたが、門をくぐった瞬間、体が引き込まれるような感じがしました。

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 2008.6.12 ここ観音寺には「仏海上人」という日本で最後の即身仏がいます。1903年に入定(生きたまま墓に入る)したとのことですから110年前のことです。安置されているお堂には「湯殿山」の名前が見られました。お堂の扉を開けて声を出しても誰も出てきませんでしたが、暫くして車椅子に乗った80歳のおばあさんが出てきました。堂守さんでした。訪問を大変喜んでいただき、特別な祈祷もしていただきました。ブログによるとこの名物おばあさんは存命のようで、かつてすぐ傍にいる即身仏とおばあさんと茶飲み話をするかのようにお話をしました。先月(7/21)に村上市を通ったときに寄りたいとも思ったのですが、新潟市への道を急いでいましたのでパスしました。

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 2008.6.12 村上市は、酒田市や鶴岡市と同じように古い建物を大切に保存しています。随所に昔を偲ばせる家屋があり、ドライバーのマナーも観光客を大事にしている心遣いが感じられました。落ち着いたとてもいい街でした。村上市はなんといっても鮭の町です。(画像は日本で最古といわれる鮭の博物館イヨボヤ会館)

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 2008.6.12 イヨボヤ会館に入ると毎年鮭が遡上してくる三面川の流れを館内に引き込んで、水族館のように鮭の生態を見ることができました。村上藩の下級武士であった、青砥武平冶(あおと ぶへいじ・1713-1786)が、鮭の母川回帰の習性に着目し、養殖に成功、村上藩の財源であった鮭の増産に貢献したそうです。偉い人がいたものです。

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 2008.6.12 江戸時代にタイムスリップしたような街を歩いていると、 “塩引き鮭“が軒先に吊されていました。

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 2008.6.12 村上市から日本海沿いに南下を続け、ようやく瀬波温泉に着きました。

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 2008.6.12 18:53この日は45km歩きましたので浜辺の露天風呂で汗を流し、夕食を早めに出してもらい、浜に出て夕陽を見ました。

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 2008.6.13 一夜明けて、村上市瀬波温泉から歩き始めてからしばらくして前方を見て愕然としました。逃げ場や回り道のない橋があり、歩道がほとんどありません。かろうじて数十センチの白いラインが見えます。しかもかなり長い橋です。車を止めて、橋を渡るまで乗せてもらうことも考えましたが、車はほとんどスピードを落とすことなく走って行きます。仕方なく右手を挙げて注意を喚起しながら歩きました。両手を挙げることも考えたのですが、バンザイか降参の格好なので片手にしました。それでも車は背後から走り抜けていきます。特に怖いのは大型ダンプですが、多分運転は上手そうですし、あちらも慎重になっているだろうと思いましたが、中にはこんなとこ歩いてんじゃあねえよという声が聞こえるような雰囲気が伝わってくるような運転もありました。一番怖かったのはおばちゃんが目をつぶってえいやーっとすり抜けていく運転でした。今までたくさんの道を歩きましたが最も恐怖を感じた道で、恐怖感も高まると目頭が少し熱くなるんだなということがわかりました。

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 2008.6.13 ようやく日本海夕陽ラインというちゃんとした歩道のある道に出てホッとしました。

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 2008.6.13 新潟市内に入り、一休みして万代橋を渡って、居酒屋巡りが始まりました。

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 2008.6.13 新しい居酒屋は新潟駅周辺にあるのですが、せっかくですのでかつての遊郭街だった古町のはずれ辺りや雪町、月町、花町などをブラブラ物色です。この寂れ感がたまりませんでした。

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 2008.6.13 何軒か居酒屋を覗いて、「いづも」という居酒屋に入りました。

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 2008.6.13 新潟は酒どころ、魚どころです。どの刺身も新鮮でプリプリしていて美味しかったのです。

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 2014.2.5 昨年仕事で新潟を訪れ時に新しい居酒屋を開拓しようと探し当てたのが「いかの墨」という居酒屋でした。

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 2014.2.5 この新規開拓の居酒屋が大当たりで、雰囲気はいいし、付きだしはとても美味しいそうな魚介類をチョイスすると七輪で焼いてくれました。

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 2014.2.5 酒も旨いし、初めて食べた ノドグロの姿造り は大感激でした。

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 2015.7.21 そして先月「車で奥の細道」で夢よもう一度と思って出かけたのですが、予約が一杯でなんとか2時間という時間制限で入らせてもらいました。雰囲気はゆったりしていないし、名物付きだしはないし、お目当ての ノドグロの姿造り はノドグロの刺身しかないとのことで、アジの姿造りの横にノドグロの刺身がのっているだけでガッカリでした。

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 2015.7.21 もう一つ飲みたかった「ぽたりぽたりのきりんざん」も置いていないということで、まあ新潟は酒どころですから何を飲んでも美味しかったのですが、これもガッカリでした。経営者が変わったのかもしれません。

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 2015.7.21 満たされない気持ちで細い路地を覗くと「すっぽんラーメン」の看板が光っていました。一人なら突撃するところなのですが、カミさんが気乗りしないということでしたので諦めました。

 

奥の細道を辿っているのか居酒屋巡りをしているのかわからない状態ですが、旅にはこういう楽しみもなければ続けられません。

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2015年8月16日 (日)

奥の細道復刻版14 笹川流れ

第7回目(2008.5.19)となる奥の細道は酒田市を訪問して引き返しました。8回目(2008.6.11)は少し日をおいて日本海を南下しました。

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 2008.6.11第8回目となる奥の細道に出かけました。前回は酒田まで行きましたので、この時は酒田まで飛行機で移動しました。07:20羽田発の庄内飛行場(酒田市)行きに乗りました。薄曇りの中、ほぼ1時間のフライトで庄内飛行場に近づきました。左上方向に白く細く延びている海岸沿いの道がこれから歩くだろう道で、胸がワクワクしました。

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 2008.6.11 08:30に定刻通りに庄内飛行場に着陸しました。私を除いた全ての乗客はバスやタクシーで市内へと移動していきましたが、私は誰もいない道を海の方向を目指して歩き始めました。小一時間くらい歩くと鶴岡市に入りました。

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 2008.6.11 さらに30分くらい歩くと海岸沿いの道に出て、白い砂浜が広がっていて、知らない人が歩いてきましたので写真を撮ってもらいました。

 

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 2008.6.11 夏にはまだ少し早い時期でしたが陽射しが熱く、アイスをゲットしてこれが旨かったのでした。

 

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 2008.6.11 所々に集落があると 鳥海山 湯殿山 と刻まれた石碑があり、まだ庄内地方を歩いているんだなとわかりました。

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 2008.6.11 温海(あつみ)地区の近くには、「芭蕉宿泊の家」という標識がありました。建物は改築されているようでした。

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 2008.6.11 私も、芭蕉にならって「温海温泉」に泊まることにしました。

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 2008.6.11 海岸の道から30分くらい山の方に歩いて行くと温泉街が見えてきて、川の両脇の道はよく整備されていて、気持ちのいい温泉街でした。この頃はまだブログに熱心ではなくて、ちょっとした旅のメモができればいいと考えていましたので、携帯カメラで横着はしていますし、どんな宿に泊まってどんなものを食べたとかの記録(記憶はあるのですが)がありません。

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 2015.7.21 温海温泉に宿泊して海岸線を歩くととても美しい風景が広がっていました。それが「笹川流れ」といわれるもので、先月(7/21)「車で奥の細道」でどうしても走りたかったルートでした。「笹川流れ」とは、新潟県村上市の笹川村(1889年まで存在)の沖合の岩場まで潮流が見られたことから名付けられたものだそうですが、現在はその景観の美しさから観光スポット名となっています。7年前この海岸線を写真を撮るのも忘れてテクテクと歩きました。今回は車でできるだけゆっくりと走りました。

 

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 2015.7.21 車を走らせながら、よく歩いたもんだと思ってしまいました。この海岸線の道は、きちんと歩道が整備されているところとここのように歩道がないところもありました。こういうケースは東海道や中山道のような街道歩きでもしばしば経験したことです。まだこのままトンネルにならないだけいいのです。

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 2015.7.21 荒海の印象の日本海ですが、とても穏やかで海水浴日和でした。ダイビングで海の中を覗いたらきっといくつも竜宮城を見ることができそうで、せめてシュノーケリングでもしたいなあと思いました。多分シーズンは限られるとは思いますが、多くの海水浴場があるのが意外でした。7年前この道を歩いたときはもう一度必ずこの海を見てみたいと思いましたが、夢が叶いました。

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 2008.6.12 再び7年前に戻りますが、「笹川流れ」を見ながら延々と歩いてさすがに疲れを覚えたとき、「夕陽会館」という絶景スポットがありました。

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 2008.6.12 まだまだお昼で、夕陽までは時間がありすぎ、お腹が空きましたのでビールと生牡蠣で昼食にしました。

 

夕陽会館で一休みして昼食に牡蠣を食べたこと、その牡蠣が美味しかったことを思い出しながら今回(7/21)は車で走り抜け、村上市中心部へと向かいました。奥の細道では酒田から新潟(出雲崎)までは海沿いの道ではなく内陸の道(このルートもはっきりしません)を歩いたようで、「笹川流れ」は奥の細道には何も触れられていません。景観の美しさが注目されたのは芭蕉が歩いた後のことと思われますが、日本での美しい海岸線の一つに挙げられると思います。

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2015年8月15日 (土)

奥の細道復刻版13 酒田市

前回の奥の細道は、湯殿山・大日坊・注連寺訪問をご紹介しましたが、台湾に寄り道したために中断してしまいました。芭蕉は山形県に入り山刀伐峠を越えて日本海に出ました。そして象潟を経由して酒田市へと入りました。酒田市は、7年前(2008年)に歩いたルートで、酒田市へはその後も出かけているお気に入りの町です。

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 2008.5.19 夕方、湯殿山参拝を終えて酒田市に移動しました。酒田市は日本海に面した古い港町で、是非訪れたかったところです。月曜日だというのにお祭りでした。芭蕉像がある日和山公園~石巻市でも同じ名前の公園に芭蕉像がありました。太平洋と日本海に面した公園が同じ名前で、同じように芭蕉像がありました。お祭りで賑わっている公園の奥に小さく芭蕉像が見えました。

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 2008.5.19 日本最古クラスといわれる木造六角灯台もハイカラという言葉がぴったりで、古さを感じさせませんでした。

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 2008.5.19 酒田といえば本間家。1768年に幕府の巡回使者の宿舎として建造した本間家別邸。本間家は日本一の大地主といわれ、“本間様には及びはせぬが、せめてなりたや殿様に・・・” といわれる程の金持ちでしたが、一時戦後の農地解放で没落しましたが、再興を果たしています。「ホンマゴルフ」は分家の方が興した事業だそうです。

 

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 2008.5.19 酒田を代表する廻船問屋「鐙屋」は、酒田三十六人衆として町政にも参画し、江戸時代の日本海海運の大きな役割を担っていました。 その繁栄ぶりは、井原西鶴の「日本永大蔵」にも記されるほどとのこと。酒田市には他にもウオーターフロントに「山居倉庫」という、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケーション舞台にもなった米倉庫など遺跡や観光スポットがたくさんあります。まるで観光PRのようになってしまいました。

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 (「すすれ!麺の甲子園」より転載) 酒田市には食の名物「酒田のワンタンメン」があります。椎名誠監修の「すすれ!麺の甲子園」でも推奨されていますが、残念ながら一度も食したことがないのです。

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 2008.5.19 たまたまこの日は庄内三大祭りのひとつといわれる「山王まつり」の宵祭りの日でした。慶長14年(1609年)から一度も休むことなく続いている祭で、酒田大火復興記念となった昭和54年から「酒田まつり」(毎年5/1921)として開催しています。旅に出て旅先でその地域のお祭りに出会えるのは最高の楽しみで、この祭りを見ていて、突然どうしたわけか思わず目頭が熱くなり、今でも強烈な印象が残っています。

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 2009.7.16 芭蕉像がある日和山公園への道は、酒田市で最も好きな場所(道)です。とてもとてもレトロなのです。

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 2008.5.19 日和山公園への道が好きな理由はもう一つ、「久村の酒場」という居酒屋があることもあります。

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 2009.7.16 こちらは2009年に再訪したときの「久村の酒場」です。レトロな道のレトロな居酒屋はいつまでも続いてほしいものです。

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 2008.5.19 久村の酒場は4時半からやっていて(これも嬉しいです)、店内には小皿にその日の料理がテーブルになっているガラスケースに並んでいますので、好きなものをピックアップします。

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 2008.5.19 漁港が近くにありますので、その日に揚がった魚を調理してくれます。この日はメゴチの天ぷらをオーダーしました。

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 2008.5.19 地元の元教師の皆さんが集まっていて、奥の細道を歩いているといったら面白がってくれて、この日は「酒田まつり」ということもあって大いに盛り上がりました。

 

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 2009.7.16 翌年「久村の酒場」を訪れると、ご主人もとても若く見えるママさんも前年の時のことを覚えてくれていてまたまた盛り上がりました。

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 2009.7.16 「久村の酒場」のすぐ近くに「湯殿山注連寺(この7月に訪れました)」の末寺で「海向寺」というお寺がありました。ここには250年前に生きていた武家(忠海上人)とお百姓さん(圓明海上人)の2体の即身仏が安置されているそうです。忠海上人は意志の強そうな表情をしていて、圓明海上人はふくよかな優しそうな顔をしている・・・という話を久村酒場のママさんから聞き、ご対面したかったのですが、既に拝観時間を過ぎていました。翌日は月山に登るために早朝出発ですのでご対面は断念しました。とても残念でした。

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 2009.7.16 「海向寺」の前には、この年(3009年)のアカデミー賞を受賞した「おくりびと」の葬儀社として使われた「旧割烹小幡」がありました。海向寺から振り向きますと、葬儀社の社屋として撮影された建物と即身仏の幟がオーバーラップしていました。葬儀社と即身仏というこのマッチングは何なのでしょう。日本海沿いの町で、日が暮れつつある薄ぼんやりした時間帯に、薄ぼんやりとした気分で、主人公大悟が同級生と会うシーンで使われた商店街アーケードなどをほろ酔い気分でフラフラとホテルに戻りました。

 

酒田市の日和山公園へと続く道は、「久村の酒場」があり、「海向寺」があり、「おくりびと」の葬儀社があり、日が暮れかかる頃のレトロな感じは何ともいえません。そして「久村の酒場」の暖簾をくぐる、また行きたくなりました。

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2015年8月14日 (金)

ちょっと台湾 印象記

8/48/6の3日間の台湾ツアーが終わりました。名前の通り てんこ盛り のツアーで、台北中心でしたがあちこち観光しました。楽しい観光でしたが、それほど観光に期待していたわけではなくて、最初の動機は何となくというもので、昨年行ったベトナム同様安くて近場ならどこでもいいということでした。

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 あまりハッキリとした動機はなかったものの、潜在意識の中では「台湾」は行かなければならない国ではありました。歴史的にみれば、台湾は日本とは深い関係をもってきて、現在は日本と中国の狭間で難しい舵取りを迫られています。

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 訪日外国人の数が急増していて、宿泊数でみると最も多いのが台湾人で二番目が中国人となっています。中国との比較でみると、人口比(台湾の人口は2,337万人)でみればいかに台湾の人が来日して宿泊しているかがわかります。来日する台湾の人の国はどんなところだろうかという興味もありました。

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 台湾(中華民国)を語るとき中国(中華人民共和国)との関係を抜きにすることはできません。どちらの政府も、我こそ中国の合法的政府であることを主張していて、世界的に見れば中華人民共和国が圧倒的に支持されています。今や人口規模世界一、GDP世界第二位の大国にいつ呑み込まれてもおかしくない台湾ですが、判官贔屓だけではなく応援したくなります。ここ数年香港から台湾へと移住する人が増えているそうで、返還されてからの香港はジワジワと中国政府の締め付けが厳しくなっていて、台湾の人たちはそんな香港を 明日は我が身 と思ってみていることでしょう。

    

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 折しも、7/217/26の期間 李登輝(第7代(代行)、8、9代中華民国総統)さんが来日していました。李登輝さんは日本の京都大学に留学し、日本軍の兵士として戦い、終戦後は台湾に戻って総統になった方です。来日中 “尖閣諸島は日本の領土” という発言で物議を醸しましたし、各地の公演でも中国政府がカリカリするような発言をしたり雑誌へ寄稿したりしています。建国の父といわれる蒋介石は日本の敗戦処理にあたって大きな温情をみせ、日本による台湾統治という時代があったにもかかわらず親日国でもあります。そんな台湾を訪れるということは表敬訪問ともいえるものでした。

 

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 まあ難しい政治の話はともかくとして、実際に台湾に訪れてみると、外国に行った気があまりしませんでした。街にはセブンイレブンはあるしクロネコヤマト便は走っているし、台北市中心部を除けば日本の地方都市やレトルト感が残っている都市に行ったような気がしました。

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 台湾で先ず感じたのは 緩やか感 でした。空気が馴染むというか、落ち着けるような感じでした。街並みは例えば5月に行った北欧に比べれば整然としているわけではなくむしろ雑然としているのですが、街は清潔ですし騒音も少ないのです。ガイドの李さんはとても率直で温厚な方で、そういう人が多いように感じました。食べ物も「夜市」での食事は禁止されましたが、胃を慣らせば口に合うものはいくらでもあると思いますし、何より温泉があるのがいいです。

 

住んでみなければわからないことや住んでもわからないこともありますが、一日でもその国の空気を吸えば見えてくることもあります。何回も観光に訪れたいとは思いませんが、もし日本にいられない事情が発生してどこかの国に移住するとしたら台湾がいいと思いました。しかし日本ほどいい国はないと思っていますから、ありえないことではありますが。

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2015年8月13日 (木)

ちょっと台湾 中正記念堂~帰国

8/6(木) ツアー3日目は午前中台北市内観光で、午後は帰国となりました。

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 最初に向かったのは「龍山寺」という台北市最古のお寺でした。国家古蹟であると共に、台北101、故宮博物院、中正記念堂と並んで台北市の「四大外国人観光地」とされているとのことでした。現地ガイドの李さんの説明によると台湾で最も信者が多くて金持ちのお寺だそうです。

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 台湾では龍のツメの数に意味があるそうです。ツメの数が5本は皇帝、4本は寺院など、3本は民間人が身につけるとなっているとのこと。この龍山寺はお寺ですのでツメは4本でした。

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 門をくぐってお寺の境内に入るとテーブルの前に信者さん達が座っていて、講義を受けているような雰囲気でしたが、皆さん一斉に日本でいう般若心経のようなお経を唱えていました。その前を外国人観光客(私たちも)がゾロゾロ歩いても信者さん達も観光慣れしているのでしょうか、見向きもせずお経を唱和していました。この宗教じみていない緩やかさが何とも居心地がよかったのでした。

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 台湾ではなのかこのお寺がそうなのか聞きそびれましたが、お賽銭をあげる習慣がなくて願いが叶ったときに献金するそうで、その方がお金が集まるとのこと、成果主義というか実績主義というか面白い。またお供え物は一定時間供えたら自分で引き取るそうです。お供え物はお寺も処理に困るしゴミになってしまうからとのこと、合理的でした。

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 ご本尊は観世音菩薩ですが、現在では道教を中心にしていて儒教などさまざまな宗教と習合していて、祀られている神は大小合わせて100以上で、人々はさまざまな神が祀られた7つの香炉を順に廻りながらそれぞれの神に参拝するそうで、要するに何でもありで、この緩やかさも私たちの多神教と相通じるものがありました。

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 道教や儒教や何でもありの感で、孔子や関羽、媽祖(まそ:道教の女神)など、願いを聞いてくれそうな心強い人たちがいますので、たくさんの人が参拝に訪れていました。

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 もう一つ、ここ龍山寺には「月下老人」という神様がいて恋愛ごとをかなえてくれるということで、「強力な恋愛パワースポット」ともなっていて、若い人たちの姿も見られ、なんと 赤い糸 もゲットできるのです。

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 次に訪れたのが「台湾総督府(中華民国総統府)」で専用バスからの見学になりました。ここは日清戦争の結果清国から割譲された台湾を統治するために設置された日本の出先官庁で、総督府本庁舎は現在でも中華民国の総統府として使用されています。このあたりの道路は広く、後藤新平の計画によるものとのことで、日本と台湾は因縁浅からぬものがあります。

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 「中正記念堂」を訪れました。ここは中華民国の初代総統である蒋介石を顕彰したものです。蒋介石が1975年に死去したときに全国民の哀悼の意を表することを目的とした記念堂の建設を決定して、1980年に竣工したそうです。この建物の形式は中国の伝統的な宮殿陵墓式となっているそうです。

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 竣工当時は広大な敷地に対して無駄遣いとの批判があったそうですが、後年災害時の避難場所として注目をあびるようになったそうです。この暑い中、強い日射しを浴びてアスファルトなどで舗装された道を歩くのはしんどく、できるだけ早く専用バスに戻るようにしました。やはり台湾は暑いということを実感しました。

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 1931年の満州事変から1945年の終戦まで日本と戦った蒋介石は敗戦後に日本をどうするかというときに、戦勝賠償金の権利の放棄や日本の分割占領の阻止など寛大な処置をとった人で、日本にとっては恩人ともいえる人です。中正記念堂の「中正」は蒋介石の本名だそうで、ここでも衛兵の儀仗式が行われているそうです。

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 できるだけ早く飛行場に行って手続きをして、涼みたいなあと思っていたのですが、「健康つぼ説明会」なるものに連れて行かれ、つぼの話の後漢方薬などの売り込みがあり、私たちの気持ちはすっかり空港へと飛んでいましたので、お店の 思うつぼ にはなりませんでした。

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 往路と同じ台湾桃園国際空港に着きました。雲一つない青空が広がっていたのですが、台風13号が台湾に向かって北上しているとの天気予想で、台湾では既に学校などは休校となり、企業も休みというところもでてきているとのことで、私たちも何となく早く飛行機に乗って台湾を脱出したいという気分になっていました。

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 搭乗手続きの受付カウンターはかなり混雑していて、夏休みのせいかあるいは台風予報のために一日早く台湾を出ようというためか、ヤキモキしました。

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 ヤキモキしたのは機内食の時間は16:00頃の予想でその時間ですと夕食に近く、空港で昼食を取りたかったし余った台湾ドルを使い切ってしまいたいしということでした。今回のツアーで小籠包などは何回か食べましたが最後にもう一度食べてみようと中華レストランに入りました。

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 お腹も空いていましたし(現地時間13:44)、セットメニューを見るといろいろあってどれを選ぶかかなり迷いました。

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 結局小籠包にしました。できるまでちょっと時間がかかりましたが、熱々でこれがかなり美味かったのでした。もしかしたら今回のツアーではこれが一番美味しかったかもしれないと思ったりもしました。

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 搭乗口の手前に待合室があり、ハローキティのデザインが目について何となくファンタジックなイメージでした。面白かったのは、出発便のボードを見ると搭乗口がここから別のところに変更になっていて、同じツアーの若い人たちに教えてあげたのですが、なかなか信用しないでスマホで確認していました。目の前のボードを見ればわかることなのに、スマホで確認しないと安心できないようで、スマホ依存症かなと思ったりもしました。

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 予定(14:50発)より10分ほど遅れて離陸し、台風が台湾上陸する前に離陸できてホッとしました。機内食が16:24(日本時間は17:24)に出されましたので、夕食のつもりでしっかり完食しました。味は普通に美味しかったのです。

 

ほぼ予定(19:10)通り成田に到着しました。2泊3日の観光ツアーで台北中心でしたがそれなりに面白く、とにもかくにも一度は台湾に行ってみたいと思っていましたので、行ってよかったと思いました。あまり期待していなかったお寺「龍山寺」は、緩やかなイメージがとても印象的で、このゆるやかイメージ は台湾全体(といっても台北だけですが)のイメージにも通じるようにも思えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2015年8月12日 (水)

ちょっと台湾 夜市見物

8/5(水) 故宮博物院から始まって十份老街、九份と観光を続け夜は自由行動となりました。

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 九份の山の中から再び台北市中心部に戻りました。高速道路や一般道路は整備されていて、どこへ移動するにもスムースで快適でした。

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 台北市中心部に近くなると高層マンションやアパートが目につくようになりました。そういえば、あちこち専用バスで移動しても戸建ての家屋をあまり目にすることはありませんでした。

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 次第に日が暮れてきて、前方には太陽が沈みつつあり、もう少し方角がよければ台湾のきれいな夕陽が見えて台湾のきれいな夕陽が見えたのに残念でした。

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 (インターネットより転載) ホテルに戻り、この日は夕食は自由行動となっていましたのでどうするか。世界第二位の高さを誇る「台北101展望台」から夜景を見て食事をするというオプショナルツアーがあったのですが、7,000円と高くパスしました。地下5階地上101階ののっぽビルは2005年にオープンし、2007年にドバイの世界一ビルに抜かれるまでは世界一ののっぽビルでした。日系企業が中心となって施工したものでエレベーターの早さも世界一(現在は世界二位、東洋最速)だったそうです。バスからしばしばこの高いビルの姿を見かけました。

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 「台北101展望台」ツアーをパスして、食事はホテルの近くでレストランを物色しました。現地ガイドの李さんから、中華料理を食べるならできるだけ多人数で出かけた方がいいといわれましたのでYさん母娘さん達と4人で出かけ、結局場末っぽい食堂に入りました。それぞれ異なるセットメニューをオーダーしました。

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 それなりに美味しく食べたのですが、Yさんの娘さんがオーダーした角煮と豆腐のセットは脂っこすぎて二口三口食べたところでギブアップしてしまいました。豆腐が好物でオーダーしたのですが、揚げ豆腐は油がきつすぎたようです。たしかに台湾料理(中華料理と見分けがつきません)は味付けはあっさりしているのですが脂っこいようでした。

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 夕食後時間がありましたので、台湾名物の「夜市」見物に行きました。Yさん母親さん達とタクシー(タクシー代540円)に乗って、「饒河街観光夜市(ラオホーがいかんこうやし)」という夜市に行きました。日本では規模が大きくて有名な高知の朝市や観光で有名な輪島の朝市がありますが、台湾では日中は暑いので涼しくなる夕方から夜中の1時くらいまで夜市が開かれ、台北には数カ所の夜市があるそうです。

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 ここ「饒河街観光夜市」は「士林」にある夜市とともに台湾の2大夜市といわれていて、500mの直線の道一本がそのまま夜市になっていて、ここの夜市はやや観光客向けとのことでした。

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 フルーツ類は見た目もカラフルで美味しそうでした。

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 最初はここの夜市で台湾名物の「台湾小吃(シャオツー)」を食べたかったのですが、現地ガイドの李さんからあまりお勧めできないといわれましたので諦めました。どうしてもというなら火を通したもの、使い捨ての皿に盛ったものならいいけれどそれでも油がきついので日本人にはお勧めできないとのことでした。残念!

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 料理の数々はいかにも美味しそうでしたが、これらを食べるのはやはり勇気が必要でした。

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 足もみマッサージの店もあって、結構繁盛していました。

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 直線の道に交差するように細い路地があり、テーブルや椅子が置いてあってここで食事ができるようでした。海外観光の旅番組などで屋台や夜店などで現地のものを食べるシーンをよく目にしますが、実際にはなかなかトライするのは難しそうです。2月に行ったモロッコの有名なフェズ広場の夜店でもここでも結局入らずに終わりました。

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 ダイナミックな揚げ物も興味はそそりましたが。

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 煮物やおでんに使えるような食材もいろいろで、ここでは現地の人が夕食の食材として買っているようでした。

 

一通り見物して再びタクシー(帰りのタクシー代も540円)に乗ってホテルへと戻りました。結局、楽しかったのですがたくさんの食べ物や食材を目にしただけでしたので小腹が空き、ホテルの1階にあったセブンイレブンでYさん母娘さんはカップ麺を、私はウイスキーとつまみを買いました。長い長いてんこ盛り観光の一日は終わりました。

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2015年8月11日 (火)

ちょっと台湾 九份散策

8/5(水) ツアー2日目のてんこ盛り観光はまだまだ続きました。十份老街散策の後、台鉄平渓線の満員電車に揺られて瑞芳駅に着いて、専用バスに乗り換えて次の観光地「九份」(きゅうぶんともきゅうふんとも)に向かいました。

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 今回のツアーでは、台湾の自然にはなかなか触れることはできませんでした。バスで少し走ると山が見えたり山懐に入ったりするのですが自然の中に入る機会はありませんでした。近くに見える小高い山、街の中を流れる川、川に沿って立ち並んでいる建物、日本のどこかで見たような風景を時々目にしました。

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 バスは山の中を進んで少しずつ高度を上げ、山奥に入ったかなあと思うと、丘陵に建物群が見え、山中湖周辺の別荘地と同じような風景が現れました。

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 高台の見晴らしのいいところに出ると初めて海を見ることができました。天気がよくて気温が高いため靄がかかって遠くの島は霞んで見えました。

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 有名な観光地九份への道は次第に細くなりカーブも多くなりました。観光バスやタクシー、バイクなどが実にうまく譲り合ってクラクション一つなくお互いにすり抜けていました。

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 スケールは大きくはないのですが、下界を離れるにつれて別世界が展開されるような、ワンダーランドへ入っていくような、次にどんな風景が現れるのだろうかと期待したくなるようでした。

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 バスを降りてさらに緩い上りの道を歩いてゆくと、ほとんどの建物は山肌にへばりつくようで、急峻な狭い土地に次々に人が住み着いたことを伺わせました。

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 小さな広場のようなところに出ました。ここが九份という街一つの中心部のようでした。九份は日本統治時代に金鉱山として栄華を極めました。しかし、その後金と石炭の生産量が減り続け、1971年に閉山。一時衰退の時代を迎えました。馴染みのあるような懐かしいような、それでいてちょっと違う世界のような不思議な雰囲気でした。

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 広場の奥には「動画館」の建物があり、昔の古い映画館のような雰囲気でした。他を観光してから中を覗いてみようと思って後回しにしたら閉館時間となっていて見ることはできませんでした。

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 メインストリートは細い石段でした。両側にはびっしりと建物がくっつき合うように建ち並んでいました。第一印象は江ノ島の細い参道をイメージしました。

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 日射しは強く、石段を上ってゆくと汗びっしょりになりました。両側の建物は、今はお土産屋や食事処になっていますがかつての遊郭だったそうで、そういわれてみればそんな雰囲気も(それほど詳しくはないのですが)。建物同士は裏口が通り抜けできた遊郭独特の構造になっていたそうで、今でもそうなっているのか、現地ガイドの李さんに聞きそびれてしまいました。

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 私には何の店かわからず、ワンダーランドのようなお店が続きました。観光協会のパンフレットなどには「宝箱」のような町と書かれていました。

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 細い石段の道を汗をかきかき上ってゆくと「九份国民小学校」に突き当たり、ここで行き止まりとなっていました。この小学校も日本統治時代につくられたそうです。上り疲れた人たちが石段に腰を下ろして涼と休憩をとっていました。

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 平日でしたが、夏休みということもあって多くの人たちが来ていました。

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 果汁ジュースを売る店やアイスクリーム屋は大繁盛していました。

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 小さな広場で最も存在感があった「九份茶館」は、いかにも なんとか楼 という雰囲気でした。

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 再び小さな広場に戻って一休みしました。

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 (インターネットより転載) 夜景が美しいそうで、ツアーの広告を見ているとここで夜景を見ながら食事をするというコースもあるそうです。

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 (インターネットより転載) 鉱山が閉鎖後、1989年に「非情都市」という映画の舞台になって再びスポットライトを浴び、観光地として注目されたそうです。さらに日本では宮崎駿監督が映画「千と千尋の神隠し」の着想を得たという噂が広まって人気が高まり、レトロな街並みに似合う茶芸館やカフェが軒を連ねていったそうです。

 

十份老街や九份という二つの観光地の名前は何となくいわれがありそうで面白そうでした。九份については、九份に暮らす人はわずか9世帯だったためにそう呼ばれたそうです。十份については不勉強でわかりませんが、その国を訪ねて歴史を知れば知るほど興味はわいてきます。

 

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2015年8月10日 (月)

ちょっと台湾 十份老街散策

8/5(水) ツアー2日目の午前中はちょっと重たい観光でしたが、午後からはお気楽観光となりました。

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 台北市中心部から専用バスに乗って郊外へと向かいました。

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 昼食の時間となりましたので、台湾でまあまあのブランド力をもっている「金品茶楼」のレストランで小籠包をいただきました。できたてホヤホヤの小籠包は口に含めばジューシーな旨味汁が広がって美味しかったです。

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 気になるビールは台湾ビール(600円)を筆頭にアサヒや麒麟(720円)などがあり、ジューシーな小籠包を台湾ビールで流し込めば言うことなしでした。

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 食後は近くにある「台湾かき氷」のお店で。暑い国ですからかき氷も充実していました。

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 再び、冷房がガンガンきいた専用バスに乗って次の観光地へと向かいました。時々現れる地方都市の街角にはセブンイレブンやファミリーマートのコンビニがあり、クロネコヤマトの配達車が走っていたりして、一瞬外国にいることを忘れたりしてしまいました。街並みは5月に訪れた北欧のように整然と整備されていなくて雑然としているのですが、よく見ると塵一つ落ちていなくて清潔でした。

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 台湾は狭い国土で、海辺からちょっと内陸部に入ると山脈が連なっていて緑の多いところです。

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 台北市内から1時間半くらいで着いたのが「十份老街」という観光地でした。この街は、街のメインストリートのど真ん中を鉄道が通っていることで有名です。なるほど、レールの上に観光客が溢れかえっていました。

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 線路の脇には黄色の標識看板があって、多分 電車が通るから気をつけて下さい とのことのようです。私たちは後ほどここを走る電車に乗ることになっていて、ガイドさんから交通ダイヤは1時間に1本ですので乗り遅れないようにして下さいといわれていました。

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 ここ十份老街の名物は「天燈上げ」という儀式です。4人一組になってビニールと紙を合成したようなものの四面に願い事を書きました。なんとなく子供だましのような気がして躊躇したりしていたのですが、筆を持つと結構真剣になって願い事をたくさん書いてしまいました。

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 なんだかんだと願い事を書いているときに電車が入ってきました。線路にいた人たちは当然のように待避して、その脇を電車はゆっくりと走って通り過ぎました。

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 電車が通り過ぎると、再び線路上に繰り出して天燈上げ作業を続けました。

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 あまり気の進まないまま、自分だけ気取って仲間に入らないのも大人げないしなどと思いつつ流れに乗って、お店のスタッフが構えたカメラに向かって微笑んだりしました。

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 カッパドキアで乗ったバルーンの数十分の1のビニール・紙状風船の内部に灯油をしみこませた固形燃料のようなものがセットされ、点火されるとあっという間にミニミニバルーンは上空へと舞い上がりました。

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 あちこちから飛ばされたバルーンはあちこちに散らばっていきましたが、最終的に燃料がつきると落下するのですが、よくよく見れば商店や民家の屋根、山林があり、日本でしたら消防署が絶対に許可しないだろうなあと思いました。ガイドの李さんによると、燃え尽きたバルーンの回収を仕事としている人たちがいて、奪い合うようにバルーンを見ているから大丈夫とのことでした。

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 近くを流れる河には吊り橋が架かっていて、重量制限として50人という表示がありましたが誰も気にしないで渡っていました。ここから歩いて30分くらいの所に十分滝という滝があるそうで見に行った人もいたのですが、次の電車に間に合わなくなりそうということで全員引き返してきたそうです。面白かったのは、そろそろ引き返そうかなあと思った所にはうまい具合にタクシーが待ち構えていて、全員タクシーを利用したとのことでした。

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 そろそろ1時間に1本の電車が入線してくるという時間になると多くの人は線路上を歩いてプラットホームへと向かっていました。

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 定刻に電車が入ってきて、乗客は超満員でした。超満員の乗客が降りると今度は私たちが超満員の乗客となりました。それぞれ勝手に乗って勝手に降りるというもので、久しぶりの満員電車でしたが、冷房がきいていたのが救いでした。

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 満員電車に揺られて30分で下車駅の「瑞芳」に着きました。ほとんどの乗客がここで降りました。

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 瑞芳駅前は賑やかで、観光客で賑わっている日本の観光地、例えば箱根湯本(最近は大涌谷噴火の影響で閑散としているようですが)のような雰囲気でした。

 

十份老街という観光地を走る電車、私たちが乗った電車はかつては石炭の運搬車だったとのことです。無理矢理観光地に仕立て上げたような印象がないではなかったのですが、考えてみれば日本でも京都嵐山や黒部のトロッコ列車もありますし、それはそれで楽しいものです。ちょっと心理的な抵抗感のあった天燈上げも帰国して振り返って見れば台湾の空に願い事をしたのはいい思い出ですし、日本の灯籠流しのようなものですし。

 

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2015年8月 9日 (日)

ちょっと台湾 故宮博物院

8/5(水) ツアー2日目は、てんこもり観光 の日でした。台湾は日本より南にありますからよほど暑いかなと思っていたのですが、気温は3233℃で、日本列島の35℃以上に比べるとそれほど暑くは感じず、むしろバスや建物の中の強い冷房への対策が必要でした。

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 宿泊した北投温泉の「水美温泉会館」の24時間掛け流しの個室温泉で冷房で冷え切った身体を温め、朝飯前の散歩に出かけました。ロビーに降りると日本の「道後温泉」と提携しているという展示がありました。また別の場所では日本のある温泉の泉質と同じという表示もあって、日本と関わりをもつことが一種のステイタスであるかのようでした。

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 表に出てみると、眠りからさめる前の保養地独特の静けさでした。温泉街には似つかわしくないバイクが整然と並んでいました。台湾は人口密度が高く、駐車場の確保が難しいためにバイクがとても多いのですが、バイク置き場には白線で表示があって実に整然と駐車されていました。もっともバイクの多さは昨年訪問したベトナムに比べると半分くらいでしたが。

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 中央の道路を挟むようにして大小さまざまの温泉施設が並んでいて、雰囲気としては熱海の温泉街のようでした。

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 温泉街は、温泉が流れ出ている小さな川に沿うように形成されていて、ちょっとした遊歩道になっていましたが、歩くと汗がじわーっと流れてきました。

 

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 公園のような場所があって、太極拳のような運動をしていました。どういうわけか女性ばかりで、おばちゃん達の元気の源なのかもしれません。きっとおじさん達は飲み過ぎてまだ寝ているのかもしれません。

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 朝食はバイキング方式でメニューは万国共通のようなものですが、当然お粥があり漬け物やさまざまなトッピングが楽しめました。

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 朝食後、専用バスに乗って観光に出発しました。ちょうど出勤時間帯で場所によっては渋滞がありましたが、運転マナーがよく、東南アジアでは当たり前になっているクラクションなどの騒音がなく、ゆったりとした気分になれました。

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 この日最初に訪れたのが「故宮博物院」でした。この博物館は国立博物館で台湾で最大規模、70万件以上の古代の中国の人工品・美術品を所蔵していて、これらの所蔵品達は数奇な運命を辿ってここに辿り着き、台湾(中華民国)の歴史そのものなのです。

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 故宮博物院の起こりは、今から90年前1925に清朝が紫禁城に持っていたものを一般公開したのが始まりでした。当寺の所蔵品の数は117万件あり、1930年代には国民政府の蒋介石は進駐してきた日本軍から所蔵品を守るために転々と所蔵場所を変えました。第二次世界大戦後、国共内戦(簡単にいえば今の台湾と中国の内戦)が激しくなると中華民国政府(台湾)は約3割の所蔵品を精選して台北に運び、それによって誕生したのが台北市の国立故宮博物院なのです。

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 現在では台湾観光の最大の目玉になっています。

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 平日にも関わらず(夏休みということもあるかもしれません)超満員で、現地ガイドの李さんによると週末は身動きできないそうです。

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 (館内は撮影禁止でしたのでインターネットから転載) 最も知られている所蔵品は「翠玉白菜」といわれる彫刻物で虫がとまった白菜と「肉形石」といわれる豚の角煮です。この ヒスイの白菜 と めのうの豚の角煮 は門外不出といわれていたのですが、昨年日本にも来ました。中国政府からも要請があるそうですが、きっと戻ってこないだろうということで台湾政府は拒否しているそうです。

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 故宮博物院に所蔵されているものは歴代皇帝が集めたもので、この所蔵品は合法的な政府の正当性を示すものとも考えられていています。日本でいえば皇室の正当性を示す 三種の神器 に相当するもので、蒋介石の国民政府は日本軍の侵攻や国共内戦の中、よくこれほどの所蔵品を転々と場所を変え、最終的に台北に運び入れたものだと感心させられました。

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 故宮博物院を観光した後、近くにある「忠烈祀」を訪れました。ここは国のために命を捧げた戦没者だけではなくて例えば消防士などの殉職者も祀られているとのことでした。入り口には衛兵が立っていて、なんとほとんど身動きも瞬きもしないのです。北欧で見た煌びやかな服装に身を包んだカッコいい衛兵に比べると地味形ですがその分真剣みが感じられました。

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 ちょうど衛兵の交代式が行われていました。先に観た故宮博物院でこの国の歴史をしみじみと考えさせられましたので、最近は観光化されている衛兵の交代式も、ここではとても切実なものに思えました。日本でいえば靖国神社で同じような儀式が行われたらまた物議を醸すだろうなあとつまらないことを考えました。

 

台湾に故宮博物院があり、中国にも故宮博物院(紫禁城)があります。こちらこそ中国の合法的な政府であると主張して譲らない台湾(中華民国)と中国(中華人民共和国)にとって、故宮博物院の所蔵品は合法的政府の象徴として大きな意味をもっています。たとえばの話として、早期の台湾独立を求めるグループからは、「台湾国独立」と引き替えに故宮博物院の所蔵品を紫禁城に返そうという主張もあるそうですが、実現の可能性はほとんどないそうです。

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2015年8月 8日 (土)

ちょっと台湾 北投温泉

8/4(火) 成田をお昼過ぎに出発して4時間のフライトで16:50(現地時間 時差-1時間)台北市に着きました。待ち合わせ場所に1名の参加者がなかなか現れずヤキモキして、理由を聞いてみると入国カードが不必要と自己判断して、入国審査で けんもほろろに 追い払われ、誰もサポートしてくれなくてオロオロしたとのことでした。いくら近い国でも外国に入国するにはそれなりの手続きが必要なのですが、ツアーには時々こういう人が紛れ込んでいます。

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 何はともあれ、予定の時間よりかなり遅くなりましたが総勢20人が揃ったところで、3日間お世話になる専用バスに乗り込みました。大型バスでしたので楽々ゆとりのスペースでした。

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 現地ガイドは李さん、若い頃日本に留学していましたので日本語だけではなくて日本人の機微までわかったガイドさんでした。とても率直なもののいい方をする方で、本音での台湾事情、日本とのこと、中国とのことなどとても参考になりました。李さんの話を聴くだけで台湾に行った甲斐がありました。

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 初めての国に行ったときはいつもそうですが、入国手続きを終えると先ず空港の雰囲気や臭いを感じ取り、観光バスで出発すると窓からの風景を眺めるのが楽しみです。その第一印象は、どこか日本の雰囲気や風景と似ているなということで、これはある程度予想していたことでした。

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 台湾のタクシーは全てイエローで、9割近くがトヨタのように思え、他に日産やホンダもあってほぼ100%日本車でした。

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 道路網はしっかり整備されているようで、台北市内のメインストリートは日本統治の時代、後藤新平が基本設計したとのことでその考え方が受け継がれているのかもしれません。

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 前回のブログでご紹介しましたが、台湾は人口密度の高い国で、人口は2,340万人、そのうち台北市を含む周辺都市(大合併で新北市)の人口は約400万人と新北市に集中しています。ガイドの李さんの説明によるとさらに周辺の人口を合わせると全体の1/3がこの広域的地域に住んでいるとのことでした。この光景は東京や香港など世界の大都会と同じようにも見えました。

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 どのように道路網が整備されても都心に入る車の渋滞は避けられないようでした。

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 台北市の中心部の光景はまるで銀座4丁目の交差点のようでもありました。

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 18:47(現地時間) 台北市の繁華街のレストランで夕食となりました。何はともあれビールで、麒麟やアサヒもありましたが台湾の国民的ブランド 台湾ビール をオーダーしました。値段は麒麟やアサヒは180元(元=新台湾ドル)で日本円で720円、台湾ビールは150元(日本円で600円)で、5月に出かけた北欧に比べると半値という印象でしたので、安心してこの台湾ビールを飲み続けました。味はさっぱりしていて、ノドの渇きを癒やすにはよかったです。

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 料理は台湾料理で、まあ中華料理と同じですが、どちらかというと台湾料理は薄味でした。訳のわからない料理を食べるより違和感なく食べられました。

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 周辺の光景は、横浜中華街を街中に配置したような、どこかで見たようなものでした。

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 19:29 街中はちょうど夕食時期で賑やかでした。日本に比べて外食する人が多いとのことでした。

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 私たちが食事をしたレストランの隣には同じ経営者によるテイクアウトの店があり、店先にはどれを選んでいいかわからないほどバラエティ豊かな食事が並んでいました。これを買って店内に持ち込んで食べたり、自宅に持ち帰って食べたりするそうです。

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 私たちには食する機会がなかった魚もありましたが、出された食事の多くに八角という魚の魚醤が使われていて、それが苦手というツアー客の人もいました。

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 他の店をウィンドー越しに覗いてみるとほとんど円形テーブルで、ガイドの李さんの説明によると自分たちで中華料理店に入るときはできるだけ大人数で入って下さいといわれました。まああたりまえのことですが。

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 食事をすませて宿泊先へとバスで移動しました。このバスに限りませんが、冷房がガンガンきいていて、暑いのか寒いのかわかりませんでした。

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 宿泊したのは台湾で最も有名な温泉地の「北投温泉」というところでした。この温泉地には、日本の温泉地と同様大小さまざまのホテルや旅館が建ち並んでいました。ツアーでの宿泊先は「熱海」という名前のホテルでしたが、グレードアッププランもありましたので「水美温泉会館」という名の療養所のような名前のホテルへとグレードアップしました。

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 グレードアップしたホテルはなるほど部屋は広いし、なんと24時間源泉掛け流しの個室風呂付きでした。これが実に気持ちよく、就寝前と起床後に温泉を楽しみました。部屋はガンガンに冷えていましたのでクーラーをオフにしたのですが、全館で冷えていたせいかとても寒く感じ、温泉で身体を温めて長袖のパジャマを着て布団をかぶって寝ました。

 

台湾の1日目の印象は、香港(返還前に3回)やベトナム(昨年訪問)とちょっとだけ同じような印象もするし、かなり違った印象もするし、強いていえば今まで訪問したどの国より日本に近いかなという感じでした。ガイドの李さんによると台湾は日本に比べて10年遅れているといっていましたが、経済面では台湾も頑張っているように見えるのですが。

 

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2015年8月 7日 (金)

ちょっと台湾 台北へ

8/4(火)~8/6(木)の3日間、台湾(中華民国)に出かけました。よく、なんでこんな暑い時期に台湾へ行くのとか何しに行くのとか聞かれました。何でこんな暑いときに行くのかについては、たまたま時間ができたから。何しに行くのかについては、行ってみたことのない国に行ってみようということで、例えば何かを観たいとか、何かを体験したいとか、何かを食べたいとか、そういうことは特になく、日中の間で複雑な歴史をもち、比較的親日的であり、そんな国に行ってみようということでした。旅物語「てんこもり台湾北部3日間」という激安ツアーにのり、カミさんは訳のわからないような顔をしてついてきました。

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 出発は成田からでしたので、いつものようにYCATYokohama City Air Terminal)からバスに乗りました。高速道路に乗り、ベイブリッジを渡ると少しずつ渡航気分が高まってきました。

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 いつもですと、首都高速に入って高層ビルの谷間を走り抜け、都会の光景を眺めながらこれから訪れる国のことを考えたりもするのですが、今回は首都高速が大渋滞のために迂回してアクアラインを通り、東京湾の海底トンネルをくぐり、「海ほたる」を通過して、高層ビルの見えない高速道路を走りました。

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 やがて目の前には青々とした田畑が拡がり、いつもとはちょっと違う風景に違った感覚となりました。

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 成田空港に着いて、ようやく海外旅行気分が盛り上がってきました。この出発便の案内パネルをみるのが楽しみです。成田から世界中の国々へ、空港へとたくさんの人が移動するわけで、行く先の都市名を見ているとそれぞれイメージが膨らんでくるのでした。

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 予想していたとおり、夏休みで若い人たちやファミリーでの海外旅行姿が目立ち、中国人のファミリーが特に多かったようでした。

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 受付カウンター前には、こんな光景も。

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 時間にゆとりがありましたので、お土産屋やレストランなどのショッピング街をうろつくと、夏の風物詩「ねぶた」が展示されていました。訪日外国人にとってはかなりインパクトがありそうでした。

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 海外に出かける前の食事は寿司にビールというパターンが多く、この日も「鉄火盛り」をテイクアウトしました。このマグロがとてもとても美味しかったのです。

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 出国手続きを終えて搭乗口に向かうと、ちびっ子集合のような雰囲気でした。

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 14:15発のフライトに合わせて搭乗口へ向かうと、ハローキティが表示されていて、そういえばエバー航空は飛行機会社としては初めてサンリオと提携したということを思い出しました。

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 搭乗すると夏休みのフライトで満席でした。機内は清潔でしたが、日本から帰国する訪日客の皆さんはかなりのお土産を買い込んだようで、持ち込み荷物の収納スペースも満杯になっていました。

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 なるほど、あちこちキティちゃんがいて、ハローキティ一色でした。機内食についてきたフォークやスプーンはカミさんが孫娘にあげるんだといって食後ゲットしていました。いやはや。

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 成田~台北間のフライト時間は4時間で、石垣島(3時間)のちょっと先という感覚で、飛行機は予定通り台北市上空へとさしかかりました。台湾は国土面積(日本の1割弱 9.5%)が狭く、従って人口密度(台湾:世界15位 日本34位)が高い国です。そのために飛行場は近郊都市の近くにあり、飛行機は人口密集地域の上空を離発着しています。しかし高層ビル群に突っ込んでいくようなイメージのある香港空港(人口密度世界4位)ほどではありませんでした。

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 台北には台湾桃園国際空港と台北国際(松山)空港の二つの空港があり、台湾桃園国際空港に着陸しました。

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 激安ツアーですので、現地でガイドさんと合流ということになっていて、入国審査を終えた出口で他のツアー参加者(20名)の皆さんとも合流しました。ファミリー(2組)や母娘連れ(2組)の他に私たちと同じような夫婦連れ(3組)という構成でした。

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 案内板は漢字でしたので大体意味がわかりましたが、逆に漢字しかないのです。日本は漢字の他にひらがなやカタカナがありますので、パソコンはカタカナ表記で表現します。台湾ではパソコンは「電脳」と表現していますが、それではガイドさんにスマホはなんて書きますかと質問しましたら「大知恵携帯」とか。ホント?

 

今年は、2月にモロッコ、5月に北欧に出かけていて3回目の海外旅行ということになりましたが、モロッコや北欧に比べて台湾は近く、石垣島のちょっと先という感覚でしたから海外旅行という気分にはなかなかなれませんでした。しかし最終的な待ち合わせ場所に20人目の参加者がなかなか現れず、ガイドさん共々心配したのですが、入国審査に手間取った?ということで、やはり台湾も外国で、近くて面白い国?

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2015年8月 3日 (月)

奥の細道復刻版12 湯殿山・大日坊・注連寺

7/20(月)にスタートした「車で奥の細道」では、松島・石巻を訪れた後、芭蕉がとった平泉から出羽街道で山刀伐峠を越え、尾花沢、山寺、最上川というルートをパスして出羽三山に向かうルートを選択しました。

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 2015.7.21 08:46 前日奥松島の漁師民宿「桜荘」に宿泊し、車は仙台から山形自動車道へと向かいました。天気は快晴で、山形自動車道を走ってしばらくすると月山などの山々が前方に見えてきました。

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 2015.7.21 09:32 月山の姿がいよいよハッキリとしてきて、山頂からの山肌にまるでパンダや乳牛の模様のような白い雪渓がクッキリと浮かび上がってきました。

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 (一個人「奥の細道を旅する」より転載) 出羽三山に行くには山形自動車道を利用するのですが、湯殿山はこの高速道路湯殿山ICを降りてすぐの所にあります。湯殿山は古くから神域について「語るなかれ、聞くなかれ」と戒められてきましたので、芭蕉も 語られぬ湯殿に・・・ という句を詠みました。

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 2008.5.19 湯殿山へは、鶴岡駅前からバスが出ていて1日1本、所要時間は1時間半かかりました。乗客は私ただ1人で、貸し切りバスで運転手さんに申し訳ないような気がしました。バスは路線バスでしたので集落から集落へと山深く分け入って行き、ネパールの奥地に入ってゆくようでもあり、下界から遠ざかってゆくようでもありました。

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 2008.5.19 バスの終点で降りてからは、現在は湯殿山へのシャトルバスが運行していますが、このときはそのシャトルバスも運行していなくて、一人トボトボと歩き始めました。歩いている人は誰もおらず、霊気と絶景を独り占めで最高の気分でした。

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 2008.5.19 歩くこと15分くらいで、白い雪をかぶった山脈を背景に聳え立つ赤い大きな鳥居が見えたときは感動しました。奥の細道を歩いていてどうしても行ってみたかったのが湯殿山でした。羽黒山(現代)、月山(過去)に大して湯殿山は「来世」といわれどんな世界なのだろうと興味津々でした。

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 2014.8.7 昨年訪れたときの大鳥居です。湯殿山は山形自動車道を使えば便利ですので、機会があれば何回も何回も訪れています。

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 2008.5.19 湯殿山の参道を上りますと、御祓い場があり、様々な儀式がありました。先ず500円を払って白装束の神主のような人から御祓いを受けました。人形の形をした紙を渡されます。裸足になって、暫く歩きますと橋があり、橋の手前でこの人形で身体中を掃き清め、この人形を川に投げ入れます。さらにご先祖様の供養をして、足湯をして清めたりといろいろ面白い世界なのですが、残念ながら厳しく撮影禁止でした。

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 2008.5.19 お参り、御祓いを済ませた後、修行者しか行けない道を少し歩いてみました。

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 2008.5.19 結局雪に閉ざされ道がわからなくなりました。このとき歩いた伏見稲荷を小さくしたような鳥居から続くこの道は、その後何回となく訪れたときには通行禁止になっていました。

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 2015.7.21 10:24 山形自動車道を走って、どうしても立ち寄りたかった場所が即身仏がいるという二つのお寺でした。二つのお寺は山奥の比較的近い場所にありました。最初に訪れたのが「湯殿山総本寺 大日坊瀧水寺」でした。車を走らせて山奥へと進むと突如という感じで仁王門が現れました。

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 2015.7.21 10:24 仁王門をくぐると農道のような道が延びていて、その先にはお寺のようでもあるし大きな農家のようでもある建物がありました。

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 2015.7.21 10:26 近づいてみると立派な本殿があり、しばらく様子を伺っていると若いお坊さんが現れ、半分聞き取れないような訛りでお誘いを受け、とにかく靴を脱いで本堂にあがりました。他に同じ横浜から来たというご夫婦と一緒になり、4人で今まで受けたことのないお祓い(カミさんは感動していました)を受け、説教を聞き、即身仏「真如海上人」とご対面となりました。このお寺は湯殿山の総本寺で、湯殿山が女人規制で参拝できない時代、女性はここへお参りに来たとのこと。また即身仏は入定すると同時に漆を少しずつ体内に入れたそうで、その結果内蔵を抱いたままで永年経っても腐敗しないとのこと、それが内臓を取り出して保存するミイラと異なることなどの話を聞いているうちに観光バスで団体が現れました。

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 2015.7.21 11:06 何ともいえない不思議な気持ちで、二つめの「湯殿山 注連寺」を訪れました。とても古いお寺で、支える添え木のようなものがなければ崩れてしまうようで、それもそのはず833年弘法大師が開基したとのことでした。建物は当時のままなのかは聞きそびれましたが、雪深いこの地では建物もかなりのダメージを受けているはずです。しかし驚いたことに、ミシュラン・ガイドで「訪れる価値あり」としてこのお寺と即身仏が二つ星に選ばれたのです。こちらに安置されている即身仏は「鉄門海上人」で62歳で即身仏になったそうで、間近でご対面しました。

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 (配布パンフレットより転載) 同じく、天井絵画もミシュラン・ガイドで一つ星に選ばれたそうです。天井に畳二畳ごとに大きく書かれた絵画は素晴らしかったのですが、撮影禁止でした。

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 2015.7.21 11:25 この「注連寺」を訪れたかった大きな理由は、このお寺が森敦の小説「月山」の舞台となっていたからです。何回となく出羽三山、特に湯殿山には来ていましたので一度は寄ってみたいという場所でした。森敦はこの建物の2階で長逗留し、小説「月山」を書いたそうです。

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 2015.7.21 11:21 森敦が眺めた月山、こちらからは山肌にへばりつくような雪渓は見えませんでした。雪深い時期にこの山奥で長逗留し、月山を眺めるということができる小説家とは凄いものだと思いました。

 

湯殿山関連の二つのお寺を廻り、再び山形自動車道を西に、日本海に向かって車を走らせました。 

 

 

 

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2015年8月 2日 (日)

奥の細道復刻版11 羽黒山~月山

2008.5.18 午前中は最上川を下り、午後羽黒山へと移動しました。

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 (一個人「奥の細道を旅する」より転載) 「出羽三山」とは羽黒山、月山、湯殿山の三つの山の総称です。少し山登りをすることがあり、富士山やミーハー的に槍や穂高にものぼりましたが、自分にとっては出羽三山は別格の山となっています。

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 (一個人「奥の細道を旅する」より転載) 羽黒山は山の名前がついていますが、そこに行くには山をのぼるわけではなく1,700m2446段の階段をのぼります。1時間くらいかかりましたのでちょっとした山をのぼるくらいの汗はかきました。

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 2014.8.7 昨年東北周遊のおり羽黒山も訪れました。このときは参道の入り口でこの写真だけを撮り、名所の五重塔の所まで行って引き返しました。後でわかったことですが、羽黒山の本殿には長い石段をのぼらなくても通行料を払えば車で行けてしまうのです。

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 2008.5.18 出羽三山は、人の「現在(羽黒山)、月山(過去)、湯殿山(未来)」を現しているもので、死と再生を意味しているとのことです。羽黒山には三山の神を祀る「三神合祭殿」があります。ここにお参りすれば、三つの山をお参りしたことになるというきわめて便利なお山です。

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 2008.5.18 羽黒山といえば修験者で有名ですが、実物にはお目にかかれませんでしたので、出羽三山歴史博物館でお目にかかりました。

  

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 2014.8.7 昨年訪れたときは本物の修験者に出会いましたが、衣装は真新しく、観光用かなとも思いました。もし間違っていたら罰が当たるかも。

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 2008.5.18 何はともあれ芭蕉に会えてよかった。新緑が鮮やかでした。

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 2014.8.7 昨年訪れたときの羽黒山は真夏の暑い時期でしたが、濃さを増した緑の樹々にまとわりつくように濃霧が流れてきて、幽玄な雰囲気になりました。

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 (一個人「奥の細道を旅する」より転載) 月山は、「月神のおわす峰」といわれ、その極めてシンプルな山名からして最も憧れた山でした。芭蕉の 雲の峰・・・ という句は、銅板にして山頂の句碑にありました。

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 2009.7.17 憧れた羽黒山でしたが、初めて訪れることができたのは奥の細道を歩いた翌年でした。八合目までの山道は山側の壁と断崖絶壁を細い道がクネクネと縫うように走っていて、車1台がやっと通れる細い道でした。まさか大型観光バスは通らないと思っていたのですが、2台もすれ違い、登山以上に8合目に到達するまでが大変でした。八合目の駐車場に着いてみると、鳥海山が見え素晴らしい眺望でした。

 

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 2009.7.17 八合目の登山口を8:00に出発し、30分くらいで御田原参篭所に到着しました。ここが登山口ともいえます。登山道の遙か上の方に既に雲がわき上がっていて、天気予報は午後から崩れるとのことでした。

 

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 2009.7.17 登り始めて1時間ちょっとで中間地点ともいえる仏生池小屋に到着しました。霧が発生し始め、急激に温度が下がりはじめました。月山は、修験道では死後の世界ともいわれていて、何となくそんな雰囲気も感じられました。

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 2009.7.17 月山には山伏姿や白装束で参拝する人が多いと聞いていましたが、実際に白装束の人が追いついてきてあっという間に霧の中に消えていきました。

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 2009.7.17 霧がさらに深くなり、様々な形に霧が舞っているようでした。標高差も高くなく、決して難しそうな山ではありませんが、初めてでしたし登山道がハッキリしていない上に、他の登山客も見えず、霧に惑わされて他の尾根に迷い込んだら道に迷うような不安を感じました。

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 2009.7.17 10:06何年も願っていた月山頂上(1,979m)に着きました。他の登山客の姿もあったのでホッとしました。頂上には月山神社があり、ここに参拝するために御祓い(有料)を受けました。天候が心配でしたので、昼食は下山してからとることにして、帰りは転げるように下山し、往復4時間半の登山は無事に終わりました。

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 2014.8.19 月山は霊山であり信仰の山ですが、観光スポットでもあります。観光バスで細い山道を辿れば八合目に着いて庄内平野を一望でき、さらにちょっと歩けば別世界の弥陀ヶ原を散策することもできるのです。

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 2014.8.19 月山の弥陀ヶ原は高山植物の宝庫で、夏になるとさまざまな高山植物が咲き乱れ、極楽浄土のような雰囲気でもあるのです。

 

現在、過去、未来を現す出羽三山。日頃あまり意識することのない世界ですが、出羽三山に入ったときぐらいは来世や自分や命の終わりを考えてみるのもいいかもしれないと思ったりもします。

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2015年8月 1日 (土)

奥の細道復刻版10 山寺~最上川

2008.5.17午前中は山刀伐峠を越え、お昼過ぎに尾花沢市内に到着しました。尾花沢からJRに乗って山寺駅で下車し、山寺(立石寺)をめざし、最上川を下りました。

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 NHK「おくのほそみちを歩こう」より転載) 芭蕉は尾花沢の人々のすすめで予定とは逆方向に南下して、旅の計画にはなかった山寺を参詣しました。「佳景寂寞」とした心境の中で名句を残しました。

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 2008.5.17 1015段の階段を上り始めてほどなく岩に腰掛けた芭蕉が出迎えてくれました。

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 (一個人「奥の細道を旅する」より転載) 芭蕉も1015段の石段をのぼったそうです。この蝉塚は、石段を250段のぼったところに建っていて、芭蕉が書いた短冊(閑かさや・・・)が埋めてあるそうです。芭蕉の「奥の細道」の中でも最もよく知られているこの句は、何回も推敲が重ねられたそうです。

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 2008.5.17 1015段の石段の途中に、こちらのこころを見透かしたような看板がありました。お気楽な観光の寺という最初のイメージと異なり、修行の大霊場であることがわかりました。

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 2008.5.17 私と同じように観光気分で来ていた二人連れ、家族連れ、女性グループ、外国人など多くの観光客は、皆さんハアハアと息を切らせていました。

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 2008.5.17 奥の院は、境内や周りの景観に比べると非常に質素でした。

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 2008.5.17 このときは、かなりの強行軍でダイエットされたようです。7年前に比べると最近はいかに楽をして、美味いものを食べて体重が増えているかわかります。

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 2008.5.17 2015段の石段をのぼって大汗をかきましたので、高台にある五大堂に吹きつけてくる山風がとても心地よかったのでした。

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 2008.5.17 この日の宿泊は山形駅前のビジネスホテルでした。早速エネルギー補給に居酒屋巡りをしました。お目当ての居酒屋が2軒とも予約が一杯で断念しましたので、「クエの刺身入荷」という看板につられて入った居酒屋はまあまあでした。

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 2009.7.17 ここで話が飛びますが、テクテクと歩き回る楽しみの最も大きなことは居酒屋巡りです。山形といえば十四代、初孫、上喜元など地酒が豊富ですので山形の居酒屋探しはとても楽しみでした。奥の歩と道を歩いた翌年の7月、東北を回ったとき山形駅前で見つけた「花膳」という居酒屋は大当たりでした。予約が一杯でしたが、2時間という時間制限で入らせてもらいました。

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 2009.7.17 料理は、山形牛のタタキ、山形名物の芋煮汁、本日のおすすめ初鰹のタタキを頼みました。芋煮汁は里芋と牛肉を醤油味で煮込んだ汁物ですがとても旨いものでした。初鰹は太平洋側のと異なるのでしょうか、初鰹とは思えないほど脂がのっていてそれでいてくどくなく絶品でした。名古屋の御園座近くの居酒屋「大甚」で食べたマグロと肩を並べる旨さでした。山形牛のタタキも含めてどれもが美味でした。山形市に来る楽しみが一つ増えました。

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 2008.5.18 前日は山形駅前のホテルに宿泊し、翌日山形から新庄経由で最上川を目指しました。朝食は山形駅で芋煮汁を売っていましたので、おにぎりとセットで購入。熱々の芋煮汁は美味しかったです。

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 2014.8.19 昨年東北を訪れたときの最上川は、夏の暑い陽射しを受けて夏バテのようにノッタリと静まりかえっていました。

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 (一個人「奥の細道を旅する」より転載) 芭蕉は山寺(立石寺)で一泊した後、最上川最大の大石田河岸から船に乗りました。時期は5月28日と梅雨が近い時期で、急流を実感して、 五月雨をあつめて早し最上川 を詠みました。

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 2008.5.18 発着所にはおしんさんがいました。1983年から1年間日本中をわかせたNHK連続TV小説「おしん」の主人公おしんさんはここから船に乗って酒田に奉公に行ったそうです。おしんさんは「ヤオハン」創業者(初代社長)の奥様で実在の人物とは知りませんでした。

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 2008.5.18 最上川下りのガイドさんは年期の入ったしゃべりと唄で盛りたててくれたのですが。

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 2008.5.18 乗客は私も含めて4人で、ガイドさんが気の毒のようでもありましたが、私たちはスッカリ寛げました。

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 2008.5.18 船内ののんびりムードとは異なって、一見静かなように見えた最上川でしたが、流れはとても速く、日本三大急流といわれるのも肯けました。

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 2008.5.18 この日は、山寺にのぼってとても疲れましたので、ゆったりモードの最上川下りにしばしボーッとしていました。

 

山刀伐峠から尾花沢まで歩き、山寺にのぼったこのルートは奥の細道らしさを感じることができたルートでした。

 

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