« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »

2015年9月30日 (水)

琵琶湖ウオーク14 竹生島

9/17(木) 雨の中、彦根から長浜まで一生懸命歩いて、竹生島行きの琵琶湖汽船の午前中の便に間に合いました。

00
 以前、琵琶湖畔を歩いたとき、大きな湖にポッカリと浮かんでいた竹生島、一度は行ってみたいと思いました。事前のイメージでは鳥居やお寺あるいは神社がひっそりと建っているのかなと思っていたのですが、いただいた資料を見ると意外に規模が大きそうに思いました。

01dsc01360
 10:15発の長浜~竹生島間の定期船が着岸しました。雨はかなりひどくなってきていて、乗組員も大変そうでしたし、乗り口も滑りやすく大変でした。乗客は何組かの団体も乗り込んできていて、雨のウィークデイにもかかわらず結構賑やかでした。

02dsc01370
 定期船は定刻に出航し、かなりのスピードで竹生島を目指しました。雨は強かったのですが、風がほとんどなく湖面は静かでした。

03dsc01378
 大体30分くらいで竹生島に着きました。港の脇には「龍神拝所」の建物が見えていました。

04dsc01381
 港には乗客が待っていました。竹生島には長浜港だけではなく今津港から来ることもできますので、長浜~竹生島往復だけではなく、長浜~竹生島~今津というルートをとることもできます。

 

05dsc01382
 上陸すると「本坊」や「月亭院」などの建物が傾斜に沿って建っていました。上陸時間は80分ですので、帰りの船は12:05発、それまで島内を廻って港に戻ってくればいいということでした。

06dsc01386
 港からは結構階段が続いていて、船から下りた皆さんはエッチラオッチラ石段を上っていました。ここには西国三十三所の三十番目の「宝厳寺」があり、団体さんの多くは納経所へと向かっていました。

07dsc01388
 竹生島は、古来から信仰の対象となった島で、神の住む島ともいわれ、また神仏一体の聖地であったことから、明治の神仏分離令の時には多生の混乱があったそうです。

08dsc01387
 竹生島弁才天(宝厳寺)は、天川村の天河大弁財天社、安芸の厳島神社と並んで日本三大弁才天の一つに数えられています。

09dsc01389
 竹生島弁才天の本尊は、江ノ島・宮島と並ぶ江ノ島・宮島と並ぶ日本三弁財天の一つもいう説もあり、天河大弁財天と入れ替わっていて、どちらが本当なのでしょうか。まあ日本四弁財天としてもいいと思うのですが。ここの本尊は、聖武天皇の勅命を受けて724年に行基が開眼したそうですので、古い歴史をもっています。

11dsc01395
 小さな島に一つ二つの寺社があると思っていたものですので、大きな伽藍が並んでいて、なるほど神仏一体の聖地といわれるだけの重々しさが感じられました。

12dsc01396
 竹生島弁財天などを見た後は、一度上ってきた石段を下って、津久夫須神社(竹生島神社)へと向かいました。

14dsc01402
 津久夫須神社への廊下は 舟廊下 といわれ、豊臣秀吉の御座船「日本丸」の船櫓を利用して建てられたと伝えられ、幅1.8m、長さ30mとのこと。

15dsc01403
 津久夫須神社(竹生島神社)本殿。明治の神仏分離令により、弁才天社から改称したとのことで、ちょっとややこしいのです。まあ細かいことは置いておいて、旅の無事を祈りました。

16dsc01405
 津久夫須神社の本殿と向かい合うように「竹生島八大竜王拝所」があり、ここで かわらけ投げ ができます。

17dsc01409
 建物の中に入ると真っ正面に、琵琶湖にせり出すように「龍神拝所」がありました。琵琶湖は雨で烟っていて見えませんでした。

18dsc01411
 ここで かわらけ投げ ができるということでしたので挑戦しました。名前と願い事を二枚の皿に書きました。

19dsc01407
 名前と願い事を書いたかわらけはを投げて、鳥居の間を通れば願い事は叶うということでしたが、二枚とも風に煽られとんでもない方向に飛んでいきました。

21dsc01419
 200円で宝くじを買うような気分で 福小判 を買いました。

22dsc01421
 一通り 聖域巡り をして、港に戻りました。港にはお土産屋(二軒あります)が開いていて、ソフトクリームを売っていましたので、いろいろある中でお勧めの とうふミルク を買いました。

23dsc01422
 雨はかなり激しく降っていましたので、防水のジャケットとポンチョとズボンの完全武装のまま、昼食代わりのソフトクリームを食べました。

24dsc01425
 12:05発長浜行きの定期船が到着しました。この船にはかなりの乗客が乗っていて、続々と下りてきたのにはビックリしました。行楽シーズンなどの時期には混み合いそうで、予約をしておかないとマズいというということがわかりました。

25dsc01429
 定刻より少し遅れて、船は静かに竹生島を離れました。

 

納得の竹生島上陸でした。聖域に相応しいお寺や神社、古い信仰の歴史に触れたような気がしました。一つ心残りだったのが、 “かわらけ” が鳥居をくぐらず海の藻屑となってしまったことでした。

| | コメント (0)

2015年9月29日 (火)

琵琶湖ウオーク13 雨中行進

9/17(木) 今回の旅の4日目は彦根から長浜まで15kmの行程で、最後のウオーキングでした。

01dsc01308
 前日の午後彦根城に着いたとたんに降り出した小雨は、この日は本格的な降りになりました。竹生島に上陸する予定で長浜港12:45発の琵琶湖汽船に予約をしていたのですが、午後になると雨風が強くなるという予報でしたので、なんとか午前中の船に乗ってしまおうと、4時起床、5時出発することにしました。雨は一時小雨になりましたので、防水ジャケットと防水ズボンで出発しました。

02dsc01311
 早朝(06:48)でしたので、湖岸沿いの道は雨で濡れているだけで、人影や車も何も見えませんでした。とにもかくにも急ぎました。

 

03dsc01314
 サイクルロードに出ましたが、ここでもまだ車もほとんど走っていませんでした。

04dsc01316
 途中の休憩小屋で汗を拭き、雨が強くなってきましたので防水ジャケットの上に防水ポンチョを重ね着しました。気温があまり高くなかったのが救いでした。

05dsc01319_2
 湖岸の「さざなみ街道」は真っ直ぐ続いていて、ひたすら歩きました。雨の中を傘をささずに歩くのも気分のいいものでした。昨晩の美味しかった 豊後鯖 の味を思い出しながら、気分は良好でした。

06dsc01329
 サイクルラインの表示は、瀬田唐橋から68kmとなっていました。この距離はずっと湖岸に沿って歩いての距離ですので、私の場合は観光気分であちこち歩いていますので、ここまで歩いた距離は80kmくらいにはなるかもしれません。4日間で80kmくらいであればまあまあのペースですし、120kmくらいであれば5時間くらいのテクテクですからちょうどいいかもしれません。

07dsc01333
 08:06 近江母の郷 という道の駅まで来ました。ここまで彦根から10kmくらいで、一休みしたいところですが、できるだけ早く長浜港に着きたいと思い先を急ぎました。

08dsc01335
 道端に 魚のゆりかご水田 という看板が見えました。これは滋賀県が 田圃のまわりの生き物に配慮した水田づくり というプロジェクトを進めていて、その趣旨に賛同した農家の水田でした。いいですね。

09dsc01341
 08:22 長浜ドームが見えてきました。この長浜ドームは1992年にオープンした屋内運動施設です。ここから長浜港までは残り4km弱です。後1時間のテクテクとなり、9時出港の船には間に合いそうもありませんでした。

10dsc01342
 道路標識には 敦賀 木ノ本 という表示があり、奥の細道や中山道で歩いたことを思い出しました。

12dsc01346
 久しぶりに休憩所がありました。さすがに疲れ、身体も蒸れてきましたので、一休みしました。琵琶湖は雨で煙っていて湖面も確認できませんでした。

13dsc01348
 ようやく長浜港が見えてきました。

14dsc01349
 09:01 雨に濡れてとても滑りやすい道でした。時計をみると9時となり、長浜港をみると無情にも琵琶湖汽船の船が出航していきました。

15dsc01357
 港近くになり、一台のバスが陸からそのまま湖へと入っていきました。山中湖でも見かけたことのある水陸両用車でした。

16dsc01355
 09:10 琵琶湖汽船の待合室に着きました。9時の便には間に合いませんでしたが、次の10:5発には乗れますのでホッとしました。待合室のおじさんスタッフはいい人で、ローカル線の駅員のような雰囲気でリラックスしました。

17dsc01351
 おじさんスタッフが、濡れたポンチョやジャケットを乾かしましょうと、ゴミ箱の上に干してくれました。

18dsc01354
 身体は汗ですっかり蒸れてしまいましたのでしばらく下着一枚でいさせて貰いました。出発までたっぷりの時間があり、すっかり寛ぎ、こういう時間もいいものでした。

 

久しぶりの本格的な雨の中のテクテクでした。雨のウオーキングで思い出すのは四国巡礼の時、高知県の民家に泊まったときのこと。炊事係のおばあちゃんがぎっくり腰で動けなくなり、代わりにおじいちゃんが食事の支度をしてくれたのですが、お漬け物を肴にビールを飲んで白いご飯を掻き込みました。そして次の日、まだ真っ暗な早朝土砂降りの雨の中を出発しました。今でも鮮明に覚えていて、いい思い出です。

| | コメント (0)

2015年9月28日 (月)

琵琶湖ウオーク12 九州料理かば屋

9/16(水) 近江八幡市から彦根市に到着し、彦根城を見学して、途中で断念しましたが佐和山城跡方向を散策してチェックイン(18:00)までの時間を潰しました。

01dsc01220_2
 午後からの雨で服は濡れていましたし、汗もかきましたので早めにチェックインしてさっぱりと汗を流して出かけようと思っていたのですが、すっかり当てが外れてしまい、さてどうしようかと思っていましたら、なんとホテルの1階が居酒屋で、なんとなんと嬉しいことに16:00からオープンでした。

02dsc01219_2
 九州料理 かば屋 なんで彦根で九州料理?とは思いましたが、とりあえずは行くところもなく酒でも飲めればいいと入ることにしました。

03dsc01177_2
 九州各地から地元の食材を取り寄せているとのことで、豊後鯖 呼子のイカ が生きたまま運ばれてくるなら、これが本当なら凄いなあと思ったのですが、よく 今日は生憎と海が荒れていてとか、今日は入荷していないとか いわれてガッカリした苦い経験がたくさんありましたので、あまり期待しないで入ってみました。

04dsc01225_2
 店内は賑やかそうで、景気づけにはよさそうでした。

06dsc01240_2
 席に着いて、九州からこの日も食材は入荷しているかどうか確認しましたら、若いスタッフはニッコリ笑って全てOKということでした。聞けばこの店は今年の8月にオープンしたばかりのとのこと。

05dsc01226_2
 早速一人乾杯。黙っていてもキリンラガーが出てきました。

07dsc01234_2
 当然のことながら、日本酒も全て九州の酒ばかり。今まで飲んだことのない 梅ヶ枝 原酒 を選びました。

09dsc01235_2

10dsc01230_2
 九州各地から美味しいそうな食材が集まってきていましたので、メニュー選びが大変でした。メインは 豊後鯖 にするか 呼子のイカ か。

 

11dsc01233_2
    

12dsc01228

13dsc01236
 鰹といえば枕崎、 “1本釣り鰹のユッケ は魅力的ですし、五島列島の 鮮魚のねぎ塩たたき や 天然槍烏賊てっさ も捨てがたいし。

 

14dsc01239
 好物の熊本の 馬刺し もあるし。心は千々に乱れました。

15dsc01242
 メインに選んだのは豊後鯖でした。烏賊の活き作りは、東京や横浜でも生け簀料理で食べられますが、生け簀の豊後鯖はなかなかお目にかかれません。

16dsc01252
 豊後鯖の身はプリプリとして甘く、包丁の入れ方も見事でした。博多料亭・稚加栄で食べた 黄金アジ に負けない美味しさでした。

17dsc01249
 二品目は、枕崎の鰹のユッケにしました。

18dsc01256
 大満足して、生きている豊後鯖を見せて貰いました。店長兼料理長が直々に出てきて話を聞かせて貰いましたが、若いのにビックリ。

19dsc01295
 すっかりいい気分になりましたが、まだ時間は18:00と早かったので、駅の反対側、お城側の商店街に出てみました。明るいときにはひっそりとしていた通りでしたが、明かりが灯り、すこし華やいだ雰囲気になっていました。

20
 この居酒屋もそそられたのですが。

21dsc01280
 二軒目は、目利きの銀次 という店名と 鯨料理 に誘われて、こちらに入りました。

23dsc01291
 ビールはパスして 銀盤 にしました。

26dsc01294
 一軒目の 九州料理 かば屋 ですっかりお腹も満たされましたので、 くじらのユッケ を選びました。

 

27dsc01297
 二軒の居酒屋巡りをしているうちにチェックインの18:00を過ぎましたのでホテルに戻りました。ホテルの1階の 九州料理 かば屋 には明かりが灯り、入ろうかどうしようか迷っている人がいました。自分もそうでしたが、九州からの食材の仕入れは本当? と思っているんだろうなあと思いました。一言、美味しいよと言ってやりたかったのですが。

 

近江八幡市では大人の隠れ家のような居酒屋 おはな に入りましたが、この日は大衆居酒屋的な居酒屋に入りました。魚も酒も旨く安く、若い料理長もスタッフもキビキビしていて大満足でした。私は16:00に入店しましたが、その後続々と客が入ってきました。帰宅してインターネットで調べると東京(横浜はゼロ)には何店舗か出店しているようでした。次回訪れるときには多分予約が必要だろうと思いました。

| | コメント (0)

2015年9月27日 (日)

琵琶湖ウオーク11 佐和山城跡

9/16(水) 彦根城と「埋木舎」を見学して、市内をブラブラしながらホテルに着いて早めにチェックインさせて貰ってシャワーでも浴びてさっぱりしようと思っていたのですが、チェックインが18:00という一番安い料金で予約していたことを忘れていました。仕方なくそれまでの時間潰しを考え、とりあえずリュックだけは預かってもらいました。

00dsc01274
 時間があったら石田三成の居城だった「佐和山城跡」に行ってみようと思っていましたし、駅の構内にもポスターがありましたので誘われるように向かいました。

00
 帰宅後に作成した地図で見ると、佐和山城跡は2本のレール(右が東海道新幹線、左がJR東海道線)に挟まれた位置にあり、「龍潭寺(りょうたんじ)」というお寺の近くにあることがわかりました。

01dsc01215
 彦根駅にポスターが貼ってあった割にはその後の案内板がなく、彦根警察署の警察官に聞いたり、このJR東海道線(琵琶湖線)を一度越えてまた越戻りとややこしい道を辿りました。

02dsc01179
 JR東海道線を越えてしばらく歩くと「佐和山城跡」という大きな看板が見えました。この看板ならJR東海道線からも見えるはずですが、実は、北欧に同行したAさんから新幹線から見えるよと教えられていました。私もその後確かに新幹線から確認をしたのですが、地図で確認した結果、「佐和山城跡」という看板は2枚あり、東海道新幹線からも東海道線からも見えるということがわかりました。ちょっとした推理小説の謎解きみたいで面白い感じがしました。

03dsc01182
 またしばらく歩いて行くと、案内板があり、「佐和山城跡」までは短いコースで3.2km、長いコースで4.6kmもあると書いてあり、簡単に行けると思っていましたので意外でした。また地図にも載っていた「大洞弁財天」や龍潭寺」も同じ方向にあり、「井伊神社」まであるとのこと。まるで聖地というか、今風にいえば大変なパワースポットの様な気がしてきました。

04dsc01183
 とにもかくにも行けるところまで行ってみようと、雨の中を歩いて行くと、とてもとても清浄な空気と清浄な雰囲気の道が延びていました。

05dsc01185
 このお寺は「清涼寺」。曹洞宗の禅寺で、佐和山城の城主であった石田三成とその家老の屋敷跡に創建されて、彦根藩主の井伊家の菩提寺とのこと。かつては雲水の修行場であり、井伊直弼も参禅したとか。

06dsc01187
 「佐和山城跡」の見取り図がありました。駅のポスターでは、今は単なる草が生えているだけの畑地のように見えたのですが。

18dsc01203
 龍潭寺」は、733年に行基によって開かれた古刹ですが、 だるま寺 とも 庭の寺 ともいわれ、有名な禅師の手による枯山水と池泉式庭園があるそうです。そして佐和山は龍潭寺」の所有になっているとのこと。「佐和山城跡」への登山口は境内を通って下さいと教えてもらいましたが、片道45分くらいかかるといわれました。

07dsc01189
 教えられた境内の道を進みました。

08dsc01190
 境内の長い道を歩いて行くと、「佐和山観音」が立っていました。

09dsc01191

10dsc01192
 石田三成一族もここで供養されていました。

13dsc01197
 龍潭寺」の境内は、自然の苔が生えていて、とても風情がありました。庭園には入場料を払って入るのですが、この自然の庭園で十分でした。

17dsc01202
 境内は広く、立派な標識がありました。

14dsc01198
 これが「観音お告げ七福神」。どういう謂われがあるのかはわかりませんでした。

15dsc01199
 野猿の群れが出没・・・ という注意があり、ちょっと身構えました。ここから先は墓地になっていました。

16dsc01201
 しばらく歩くと登山道の雰囲気になってきて、急傾斜の細い道が見えました。雨はしっきりなしに降っていて、滑りやすくなっているようであり、あるいは崖崩れもということが頭をよぎりここで諦め引き返しました。

19dsc01205
 来た道を引き返し、景色を眺めると、紅葉の季節は素晴らしいだろうなあと思いました。

22dsc01208
 井伊神社にも寄ってみました。参道の両脇には樹々が覆い被さるように生い茂っていました。この参道も趣がありました。

23dsc01209
 井伊神社の本殿、今にも朽ち果てるかのようでありビックリしました。この本殿は全体を別の建物で覆われていて、もう何年も人一人立ち入っていないような雰囲気で、彦根城や「埋木舎」と比べてのあまりにもの放置状態に唖然としました。

Photo
 帰宅してからインターネットで調べると、彦根市に寄付され、現在は彦根市教育委員会が管理しているそうです。内部は優れた意匠と華やかな彩色が随所に施されていて、江戸時代後期の高い技術の粋を垣間見ることができます とあり、平成25年9月に一般公開されたそうです。

21dsc01207
 もう一ヶ所「長寿院・大洞弁財天」という看板が目につきましたが、さすがに疲れましたので、彦根駅へと戻りました。

 

「佐和山城跡」という看板を見て、簡単に行けると思っていたのですが、なかなか大変そうでした。その登山口は龍潭寺」という古刹の境内を通ってゆくもので、とても雰囲気のある道でした。他に清涼寺や井伊神社など、一帯が聖域のような雰囲気で、いい意味でのサプライズを味わいました。関ヶ原で東軍徳川軍と対峙した西軍の総大将の石田三成と徳川時代後期に徳川家の重鎮だった井伊直弼がこの地域でご近所さんになっているとは面白いものです。紅葉の季節に、機会があればもう一度来て、「佐和山城跡」にも登ってみたいものです。

 

 

 

 

| | コメント (0)

2015年9月26日 (土)

琵琶湖ウオーク10 彦根

9/16(水) いつ雨が落ちてくるか気にしつつ、彦根市街まで4kmの地点に来て、彦根城に寄り道することにしました。

02dsc01110
 彦根城は、湖岸の道から少し内陸部に入った所にありますので、右折する道を通り過ぎないようにスマホのナビを確認しながら歩きました。

03dsc01115
 まだもう少し湖岸の道を歩くようでしたので歩いて行くと、道の植木がしっかりと手入れされて雰囲気がいい感じになってきました。

04dsc01118
 道のずっと先は左に湾曲していて、明日歩くであろうルートと長浜の白っぽいホテルが見えてきました。

05dsc01121
 道路標識では、 長浜 米原 という地名が出てきて、「さざなみ街道」はまだまだずっと先まで続いていました。

06dsc01125
 湖岸の道を右に折れてちょっと歩いたところに彦根城の濠と石垣があり、大きな蓮の葉が浮かんでいました。そしてポツリポツリと雨が落ちてきました。雨の古城もいいかも。

08dsc01135
 お城に入る前に、名園といわれる「玄宮園」に入ってみましたが、あまりに人手がかかり整いすぎていて面白くなく、ベンチで一休みしてから出てしまいました。入り口の管理人さんがもう出ちゃうのという顔をしていました。

07dsc01129
 彦根城の表側に廻るのが面倒でしたので裏門である「黒門」から入場しました。

09dsc01138
 彦根城は、井伊氏の拠点として江戸時代の初期に築かれたもので、多くの大老を輩出しました。お城の石垣は、さまざまな形の石を上手く組み合わせて堅牢な石垣となっていて、見ていて結構飽きないものです。

10dsc01144
 明治初期の廃城令に伴う破却を免れ、天守が現存している少ない城の一つでまた店主が国宝指定された五城の一つという名城ではあるのですが、天守まで上がるには靴を脱ぎ、また階段を上らなければなりませんので面倒ですし、またここまでのテクテクで疲れてもいましたのでパスしました。

11dsc01146
 天守に上らなくても、彦根山という高台にありますので、市街や琵琶湖畔に建つ白いホテルを眺めることができました。白い建物は長浜市にあるホテルで、翌日歩いて行く方向です。

12dsc01147
 彦根城見物は早々に済ませ、もう一つ行ってみたかった「埋木舎」へと向かいました。彦根城を出て、お濠に沿って歩きました。目には見えないほどの霧雨が降っていて、雨の風情のお濠もいいものでした。

13dsc01160
 (ポスターから転載) 彦根城といえば多くの大老を輩出したお城ですが、なんといっても井伊直弼が有名です。歴史上の人物でこの人ほど評価が分かれる人は少ないのではないでしょうか。日本を開国の導いた開明の人あるいは安政の大獄を指導した奸物とも。評価はともかく、日本の歴史に大きな足跡を残した人であることは間違いありません。

 

14dsc01150
 「埋木舎」を見ずして井伊直弼は語れないといわれます。11代藩主の十四男として誕生し、5才で母を、17才で父を亡くし、藩の掟に従って三百俵の捨て扶持で32才までの15年間をここ「埋木舎」で過ごしました。

15dsc01149
 むっとして もどれば 庭に 柳かな 井伊直弼の我慢我慢我慢の心境が透けて見えるようです。

16dsc01154
 一人暮らし(侍女たち数人はいましたが)には十分な広さですが、藩主の子としては鬱々とした日々だったということは、NHKの大河ドラマ 花の生涯 などでも知られていることです。

17dsc01158
 井伊直弼は 世の中をよそに見つつも埋木の埋もれておらむ心なき身は  という和歌を詠じてこの住まいを「埋木舎」と名付けました。心境はよくわかるような気がしますし、直弼の人生にとって「埋木舎」は大きな意味をもっていたと思われました。

18dsc01168
 彦根城と「埋木舎」を見て、大河ドラマを思い出し、少しばかり物思いに耽った後、市中心部と駅に向かいました。駅への道はとてもとても静かな城下の道でした。

19dsc01171
 彦根駅も物静かな雰囲気でした。

20dsc01172
 駅前の井伊直弼像が一人気を吐いているようでした。

23dsc01277
 駅舎に入り、2階に上がるとメインストリートと彦根城が見えました。

 

21dsc01175

22dsc01276_2
 面白いイラストとフジテックという会社の名前が画かれた車両も見ることができました。彦根駅にはJR東海道線(琵琶湖線)と近江鉄道が乗り入れていて、彦根には()フジテックの本社があり、近江鉄道にはフジテック前駅というのがあり、その専用車両のようでした。その路線は米原駅-フジテック前駅-鳥居本駅の2.3kmとか。

24dsc01173
 13:41 午後には雨が降り出すという予報でしたので、早朝出発と速いペースで歩いたせいで、随分早い時間にホテルに着きました。ところが、一番安い部屋を予約したのですが、チェックインが18:00ということをすっかり忘れていました。とりあえず重いリュックを預けて、時間を潰すことにしました。

 

雨に濡れた彦根城と市内はしっとりとしていました。いつも思うのですが、お城見物というのは難しいというか不思議なもので、いろいろな資料や説明があっても頭には入らず、立派な城郭を眺め、天守閣に上って下界を眺めたらもうそれでお終いということになるのですが、それでも行った先にお城があればとりあえずは入城して、天守閣に上ってしまうのです。そんなことを考えました。お城に比べて「埋木舎」はいろいろ考えさせられ、趣がありました。

| | コメント (0)

2015年9月25日 (金)

琵琶湖ウオーク09 サイクルライン

9/16(水) この日は、近江八幡市から彦根市へ向かいました。天気予報は午後から雨とのことでした。

01dsc00992
 この日の行程は、彦根まで18kmでしたが、雨が降る前に目的地まで着きたいと思い、朝4時に起床し5時に出発しました。道は、歩き慣れたというかほとんど景色の変わらない「さざなみ街道」でした。

03dsc01003
 2時間ちょっと歩いたところで初めて歩いている人に会いました。学生で、二人で琵琶湖一周をしているとか。一人は自転車、一人は徒歩で、交代で自転車に乗ったりランニングしたりしているそうで、私はこの日は彦根で宿泊予定でしたが、学生さんたちは彦根の先の長浜まで行く予定だそうでした。

02dsc01002
 私もついでに写真を撮ってもらいました。昨晩の肴と酒で顔がむくんでいるようにも見えました。この先頑張って歩かなければ。

04dsc01007
 この辺りは、刈り入れが終わった畑が広がっていて、琵琶湖の周辺の土地は水に恵まれ肥沃な大地です。

05dsc01012
 08:09 彦根市に入りました。空はどんよりとしていていつ雨が降ってきたもおかしくないような空模様でしたので、先を急ぎました。彦根市中心部はまだまだ先でした。

06dsc01018
 「新海浜」という地域は、湖の畔に新たに開けた農地のようで、右に畑が、左には新しい分譲住宅が集まっていました。

07dsc01022
 産直所がありましたが、9時からオープンなのでまだ農作物が集まってきていないとのことでしたが、ちょっと見せてもらいました。瑞々しそうな梨があって買いたかったのですが、荷物になり重そうでしたので断念しました。

08dsc01027
 サイクルライン という道路標識があり、 瀬田唐橋から左回りで48km” となっていました。私のように寄り道をしないで湖岸の道をひたすら歩くあるいは自転車で走ると48kmです。多分「さざなみ街道」とほぼ同じルートだと思うのですが、サイクルラインは琵琶湖を一周しているのに対して、「さざなみ街道」は、同じ「瀬田唐橋」を出発して長浜の先辺り、中山道と交わる辺りで終わるようです。

09dsc01032
 アスファルトの道から緑の道に入るとホッとするのですが、雨が降ってくると地面に雨水が溜まったり、草は濡れてズボンの裾もびっしょりになりますので痛し痒しです。

10dsc01040
 湖岸の道といっても実際は水際からかなり離れていたのですが、ここでは琵琶湖の水に直接触れたり、波打ち際を歩いたり、琵琶湖を最も近く感じました。

11dsc01043
 「さざなみ街道」が概ね自動車道と並行して走っているのに対して、サイクルラインは湖の畔の集落の中を走ったりもしていました。旧道歩きで時々見ることができる とびだし注意の坊や 懐かしいです。

12dsc01046
 近江湖の辺の道 琵琶湖を近く感じる道が続きました。

 

13dsc01048
 こんな生き物を間近に見ることができるのもここならではでした。

14dsc01053
 できるだけ湖に近いルートを選んで歩いていましたら、観音像と墓地の後ろを歩いたりもしました。

16dsc01063
 左側に琵琶湖を見ながらに道がどこまでも続きました。

17dsc01064
 鴨もグループで、水面で漂っていました。

18dsc01069
 彼岸花も砂浜近くに咲いていて、目を楽しませてくれました。

19dsc01077
 再びサイクルラインの標識がありました。前回は48kmとなっていて、この標識は53kmとなっていましたので5km進んだことになり、所要時間は1時間ちょっとでしたからまあまあのペースでした。

20dsc01082
 08:14に通過した「新海浜」からここまで7.9km、時間は10:20でしたので8km近くを2時間ちょっというペースでこれもまあまあでした。長距離を歩くときは決して急がないことです。

21dsc01090
 再び自動車道路と並行している道に出ましたが、車の往来は少なく、騒音が聞こえませんでしたので雨を気にしながらも快適に歩くことができました。

22dsc01100
 犬上川という、琵琶湖に注ぎ込んでいる川の河口に架かる橋から見た水はとてもきれいでした。

23dsc01101
 カフェの看板が見え、そろそろ街中の雰囲気になってきました。

25dsc01103
 ようやく彦根市街まで4kmという交通標識があり、なんとか雨が降る前に目的地(彦根城)近くまで来ることができホッとしました。

 

近江八幡市から湖岸に出てから彦根市に至る道は、これまでの行程で琵琶湖を最も近く感じました。雨の心配をしながらのウオーキングでしたが、川のせせらぎと一緒に歩いているような感じでとても楽しいテクテクでした。

| | コメント (0)

2015年9月24日 (木)

琵琶湖ウオーク08 安土城址

9/15(火) 近江八幡市の長命寺山に上って、八幡山に上って、市内を散策した後、安土城址へと向かいました。

01dsc04387
 近江八幡市から安土までは距離にして4km、歩けば1時間かかりますのでJR琵琶湖線を利用して移動しました。一般的なイメージとはちょっと異なる信長像が立っていました。ここを訪れるのは2回目でした。

02dsc04389
 先ず、駅前の「安土城郭資料館」に寄って安土城の20分の1の模型で構造を見ました。

03dsc04394
 前回訪れた時は安土城址の入り口迄しか行きませんでしたので、今回は「信長の館」にも行きたいと思い、農道を歩きました。この辺りは、かつては安土城の城下町のはずだったのですが、安土城炎上後に近江八幡市に移転しましたので今は畑が広がっています。

04dsc04395
 初めて入った「信長の館」は、全て原寸大で復元されたもので、一見の価値のあるものでした。この5階「黄金の間」は撮影禁止でした。

04
 ということで、パンフレットから転載させていただきました。この「黄金の間」は、信長の姿勢と思想を表現した空間 で 天界 をイメージしたものだそうです。仏教の世界観による理想郷を象徴していて、宇宙空間を表す八角形、約30坪の空間だそうです。

05dsc04398
 こちらは6階の間、撮影は禁止ではありませんでした。内部は四方に見事な壁画が描かれていました。しかしこういう場所で寝起きするということは並の神経ではもたないかもしれません。

06dsc04397
 1579年に信長の命によって建築された安土城は、日本で最初に天守閣を備えた城で、その高さは46mでした。しかし1582年の本能寺の変後半月たらずで炎上し、 “幻の名城” といわれています。

07dsc04402
 「信長の館」を見た後、安土城址へと向かいました。前回ここを訪れたときは早朝のために入場できませんでした。

08dsc04434405
 城址への上り口には 頂上天守閣迄 登り石段四百五段あります という表示があり、この日は午前中に長命寺山の808段の石段を上りましたので、合わせて1213の石段登りということになりました。

09dsc04404
 信長が天下統一の拠点とした城。暑い陽射しがジリジリと、背中のリュックが応えました。

10dsc04410
 「信長公廟」。信長が本能寺の変で本能寺と共に炎上したといわれていて、信長の遺体が見つからないことが謎となっていて、「信長の棺」(加藤廣著)という歴史推理小説では、本能寺から別の寺(南蛮寺)への抜け道があって、信長はその道を抜けようとしたのですが、秀吉が抜け穴を埋めたとか。謎です!

    

11dsc04415
    

12dsc04416
 ここにあの 天界 をイメージした「八角形の黄金の間」(5階)や壁画が描かれた6階をもった天守閣が聳えていました。少しの時間汗のひくのを待って佇んでいると、 夢と儚さ という言葉が浮かんできました。

13dsc04418
 天守閣址から眺めた景色。琵琶湖が目の前にあり、琵琶湖一周ウオークの湖岸の道「さざなみ街道」を眺めながら、随分寄り道をしているんだなあと反省したり、いつゴールできるんだろうかと思ったりもしました。

14dsc04426
 天守閣址からは、「三重の塔」や「二王門」を見ながらぐるっと廻って入り口の大手門に戻りました。

15dsc04437
 再びJR琵琶湖線で近江八幡駅に戻り、夕方になりましたので居酒屋を物色しました。旅に出る前に一通りインターネットで調べてはいたのですが、その店は臨時休業、駅のホームの看板を見ていいかなと思った店も臨時休業で、近江地鶏を食べたかったのでガックリでした。

16dsc00981
 仕方なく、駅前のタクシー乗り場で暇そうにしていたタクシーの運転手何人かに何軒かの居酒屋を教えてもらい、何となく大人の隠れ家的な雰囲気の「おはな」という店を選びました。

17dsc00963
 マスターは 居酒屋兆治 ほど格好良くはありませんでしたが、そこそこ気っぷが良く、なかなかいい雰囲気でした。カウンターには琵琶湖の魚の甘露煮のようなものが並んでいましたが、そもそも甘露煮はあまり食べませんのでパスしました。

19dsc00964
 ビールは瓶ビールでというと、 麒麟の秋味にしましょう と出してくれました。こだわりのものをすかさず出してくれるタイミングやそのお勧め感、居心地のよさ(いい居酒屋の条件)を感じました。付きだしは地元産のもので、女将さんから説明を受けたのですが、店を出るときには忘れてしまいました。

20dsc00967
 日本酒のお勧めは 権座。この居酒屋は、酒についても地元の食材についてもかなりのこだわりを持っていましたが、決して押しつけがましくないところがよかったです。

21dsc00973
 一応敬意を表して地元食材の ビワマス と 地鶏のたたき をオーダーしました。地鶏のたたきは期待通り、ビワマスは想定外に美味かったのです。サーモン系のスモークしたものは大好物ですが、近頃寿司ネタにもなっている生サーモンは苦手なのですが、このサーモン系のビワマスは、歯ごたえがあり、意外にさっぱりとして上品な味でした。ここに行ったらもう一度食べてみたい味でした。

22dsc00977
 試しに 馬刺し もオーダーしてみました。大抵は、いかにも冷凍物を解凍しましたという手抜きの美味くないものが出てくるケースが多いのですが、出てきた馬刺しを見てビックリ、サシが入っていて、食べてさらにビックリ。もっともっと他の料理も食べてみたかったのですが、残念なことに最近は飲むとそれ程食べられなくなりました。

22
 ホテル手前の居酒屋には 権座 大治郎 神乃滴 ・・・の貼り紙が。 権座 しか飲めず残念。

23dsc00989
 ホテルは駅の近くであれば大抵はステーションホテルを予約します。この日もステーションホテル。

24dsc04438_2
 部屋は一番安い部屋、これで十分です。長命寺山と安土城址の1213段の石段を上り、20km近く歩いて、旨い酒と美味しい料理でほろ酔いとなりました。

25dsc04442
時間は18:53。ホテルの窓から見る近江八幡駅には煌々と明かりがついていました。

初めての近江八幡市、いいところでした。先日行った飛騨高山といい、日本にはいいところがたくさんあります。初めて入った大人の隠れ家のような居酒屋 おはな もう一度行って、鮒鮨 や ウナギの白焼 も、他の酒も飲んでみたいし。琵琶湖一周ウオークを忘れたわけではありませんが。

 

| | コメント (0)

2015年9月23日 (水)

琵琶湖ウオーク07 近江八幡

9/15(火) 最大の難関と思っていた長命寺山に上って、気分はすっかりリラックスして近江八幡市内へと向かいました。

01dsc00863
 09:32 長命寺山から下山して、すっかりお馴染みになった「さざなみ街道」に戻りました。

02dsc00870
 近江八幡市の中心部に行くには、湖岸の「さざなみ街道」から離れることになりました。市内への道はいくつかのルートがあるようだったのですが、ほとんど標識がありませんでした。大雑把なj方向はわかるのですが、一つ一つの道の距離が長くもし間違えると大変な時間のロスになります。そこで活躍してくれたのがスマホのナビでした。

03dsc00873
 一直線の退屈な道だったのですが、左手にはソバの花が一面に真っ白に咲いていて、なかなかこういう景色は見ることができないので歩いていても楽しくなりました。

04dsc00880
 農道を通り抜けて、集落の中の道を歩きました。こういうところの生活は落ち着いて、穏やかなんだろうなあと思いながら。観光名所でもない道も楽しいものです。

05dsc00891
 10:37 湖岸の道を離れてから1時間くらい歩いたところに「八幡山ロープウェイ」があり、八幡山に上がってみました。

06dsc00894
 ロープウェー(所要時間4分)から見る近江八幡市は、近江盆地の中にこじんまりと、まとまった街でした。この八幡山には主を失った安土城の城郭の一部が移され、それに伴って城下町が形成されたそうで、その様子が見て取れました。

07dsc00902
 八幡山(272m)の山頂からは、歩いてきた琵琶湖畔の道が見えました。

08dsc00900
 こちらは、これから歩いて行く道です。こうして、小さな山ですが山頂に立ってみると、この山が戦略上いかに重要な拠点であったかがわかります。

09dsc00905
 山頂には、ハート型のアートがあり、その中には先ほど上った長命寺山がありました。意味不明でしたが、人寄せグッズの一つかもしれません。

10dsc00923
 ロープウェイ乗り場からブラブラ歩くと八幡堀といわれるエリアに出ました。堀に沿って古い家並み並んでいて、ホッと身体の力が抜けるような風景でした。

11dsc00922
 八幡山の麓に城下町を形成するときに町割を行い、安土城の町民を移住させ、その時に湖に通じる外堀が掘られたのがこの八幡堀です。長い歴史の中、今でも水の流れは留まることはなく静かに流れていました。

12dsc00924
 東海道にも中山道にも近く、水運が活発に行われ三百石船もこの彫りに入ったとか。現在は、観光用の船がゆっくりと堀を廻っていました。

13dsc00932
 近江八幡市には、明治末期に来日したアメリカ人建築家・実業家ヴォーリズによるたくさんの西洋建築(洋風建築)が現存しています。この白雲閣は、明治10年に八幡東小学校として作られた建物を、市の多目的ホールとして展示会や観光案内に利用されているものです。

14dsc00933
 この街角を右へ行けば石畳の小道、真っ直ぐ歩けばレトロな町屋が並んでいる道です。

15dsc00939
 ヴォーリズは、近江八幡名誉市民第一号だそうです。この像は、女の子が名誉市民のお祝いの花束を渡している情景だそうです。ヴォーリズは、1908年に京都で建築事務所を設立し、日本各地で西洋建築の設計を数多く手がけ1941年に日本に帰化しました。近江商人発祥の地である近江八幡市を拠点にしたことから 青い目の近江商人 とも称されたそうです。太平洋戦争終戦直後、連合国軍司令官マッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力したことから 天皇を守ったアメリカ人 ともいわれているそうです。こんな人がこんな所にいたなんて。

16dsc00940
 ヴォーリズは、建築家でありながらヴォーリズ合名会社(後の近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもあります。私たちにとても馴染みの深いメンタームにそんな背景があったとは。

18dsc00948
 近江商人の商家が続く街並み。長命寺に上ったことも忘れてノンビリと歩きました。

19dsc00959
 これもヴォーリズの設計による旧八幡郵便局。現在は多目的スペースとして使われています。近江八幡市には、他にもたくさんのヴォーリズ設計による建物があります。

20dsc00960
 一見無駄のような、こういうスペースがあるのもこの町の ゆとり と 懐の深さ を感じました。

21dsc00950
 近江牛の すきやき しゃぶしゃぶ 鉄板焼き という看板に思いっきり空腹を感じました。ただ、昼間からこの食事はちょっと重いかなということと、予算オーバーで諦めました。

22dsc00957
 11:30 うどん屋にしては小粋な、この町の雰囲気にぴったりの店がありましたので入ってみました。

23dsc00955
 カウンターがあって、これは居酒屋かなと思いました。多分、夜は居酒屋になるんだろうと思いました。

 

24dsc00953
 いい匂いがしましたのでカウンターの中を覗いてみると おでん でした。おでんをつまみに熱燗で一杯やるのも魅力的でしたが、まだテクテクがありましたので我慢しました。

25dsc00956
 結局 肉うどん にしました。なんといっても由緒正しき 近江牛入り のうどんです、旨味のきいた出汁と近江牛の味がミックスして、美味しかった。

 

近江八幡市の散策、かなり琵琶湖一周ウオークのルート「さざなみ街道」とは外れていましたが、とても充実した街歩きでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2015年9月22日 (火)

琵琶湖ウオーク06 長命寺

9/15(火) この日の行程は、近江八幡市を最終目的地としていて、5日間の中では最もハードでした。

00
 この日の行程は長命寺というお寺に寄ると28kmくらいの距離があり、しかもこの長命寺は石段が808段もあることで有名なお寺でした。大変そうでしたが、興味もありました。とはいっても、808段も石段を上って28kmも歩く自信はありませんでした。もし天気が雨でしたら躊躇なく長命寺をパスしてもっと短い距離を選択したのですが、幸か不幸か天気は晴れ。

01dsc00809
 05:05 朝目覚めて、真っ先に部屋のカーテンを開けて天気の確認。うっすらと霞がかかっていましたが、雨の心配はなさそうでした。宿泊した「ラフォーレ琵琶湖」では朝と夕方最寄り駅(といっても遠いのですが)までの送迎を行っているのですが、近江八幡方向へは行かないとのことでした。ところが業務用の車が途中までなら行く用があるということで途中まで乗せてもらいました。高い宿泊料を払ったのですから、まッ!いいか。

02dsc00813
 06:10 ホテルに無理を言って、8km先の地点まで送ってもらいました。2時間くらいの時間が節約できました。朝陽が上り始め「さざなみ街道」の澄んだ空気の中を歩き始めました。

03dsc00812
 湖岸の道は緑の道で気持ちいいのですが、朝露でビッショリと濡れていましたので、舗装されている道を歩きました。

05dsc00818
 2時間くらい歩いて、目の前に長命寺山が見えてきました。

06dsc00821
 長命寺への道は、静かにひっそりとした集落を抜ける道でした。

07dsc00824
 登山口にはたくさんの杖が置いてありました。今回出かけるときにストックを持っていこうか迷ったのですが、長命寺山のためだけに持ち歩くのは面倒に思われ、持たずにきましたので地獄に仏でした。

08dsc00827
 08:07 いよいよ登山開始しました。本堂まで808段と書いてあり、気持ちが引き締まりました。琵琶湖ウオークですので、ここを上らなければならないということもないのですが、なかなかこういう機会はなく挑戦してみることにしました。

09dsc00830
 金比羅さんの駅からの石段は1368段で、昔上った記憶があるのですが、その時は軽装だったと思います。今回はしっかりとリュックを背負っていましたので、かなりハードになることを覚悟して、できるだけゆっくりとしたペースを心がけました。

10dsc00832
 上りはじめから石段の数を数えるのは諦め、できるだけ後どのくらいだとかも考えないように、要するに無心で一段一段ゆっくりと上りました。

11dsc00835
 どのくらい時間がかかっているのかも考えないようにしているうち、山門らしきものが見えてきました。石段の途中に「聖徳太子」と刻まれた石柱がありました。

12dsc00841
 08:35 山門に着きました。日本の杖を借り、ノーズリーブの下着、頭にはバンダナを巻いて、決死の覚悟をしましたので、上りきってみるとあっけない感じもしました。

13dsc00843
 08:40本堂への最後の階段、ここを上りきると健康長寿という御利益があるとのことでしたが、そもそも健康でなければ上れないなあと突っ込みたくなりました。上りの所要時間30分でした。

14dsc00846
 なかなか重厚な三重の塔が控えていて、他にもいくつかの伽藍がありました。

15dsc00848
 第三高等学校(現京都大学)の学生歌 琵琶湖周航の唄 にも登場するように、長命寺は琵琶湖畔にある名刹です。

16dsc00850
 僅かに琵琶湖が見えましたが、視界は広くなく僅かに杉の木立の隙間に見える程度でした。そういえば「さざなみ街道」からこの長命寺山を見たとき、ほとんどお寺の姿は見ることができませんでした。

17dsc00859
 このお寺は、聖徳太子により開基され619年に創建されたそうです。西国三十三所十一番札所で天台宗系とのこと。かつての巡礼者は、三十番札所の竹生島宝厳寺から船で長命寺に参詣したそうです。

18dsc00855
 昔々、ある人がここで願をかけたところ300歳まで生きたとのことで長命寺と名付けられ、長命が叶うというお寺になったとのこと。ここで参拝しましたが、参拝しない方がよかったかも!

19dsc00860
 上りきってホッとしたところで、しかし下山はさらに慎重にと言い聞かせながら上りと同じようにゆっくりと下りました。

 

長命寺はかなり有名なお寺のようで、参詣者も多いそうですが、誰もが808段の石段を登れるものではありません。しかし、山頂近くまで車で来ることができるそうです。それでも100段くらいは自分の足で上らなければならないので大変です。大変ですが、長命を願って参拝する人が多いそうです。そんなに長生きしない方がいいと思うのですが。

 

何はともあれ、今回のウオーキングで最大の難所を越え、安堵しながら近江八幡市内へと向かいました。

| | コメント (0)

2015年9月21日 (月)

琵琶湖ウオーク05 ラフォーレ

9/14(月) 大きな目印だった琵琶湖大橋を通過して、この日の宿泊先「ラフォーレ琵琶湖」琵琶湖へと向かいました。

01dsc00729
 琵琶湖大橋は、ますます近くなりました。当初の予定では、この大橋を渡った対岸にある「国民宿舎」に宿泊する予定でした。前回雨で中断したため再予約を申し込んだのですが予約できませんでした。その結果、片道30分、往復1時間の行程が省略されることになりました。いいんだか、悪いんだか!

02dsc00731
 琵琶湖大橋に向かうには大きな交差点を左に進むのですが、今回の宿泊先は直進し、翌日の目的地近江八幡市にちょっとだけ近いところになりました。

03dsc00734
 14:40 草津駅で10時頃にうどんを食べたきりで、食事をするところも食べるところもなくここまで来てしまいましたので、ようやく出会ったコンビニでソフトクリームを昼食代わりにしました。 なんとか牧場の牛乳でつくったというソフトはとても美味かった!

04dsc00741
 琵琶湖大橋の大きな交差点を過ぎてからは、ここまでの「さざなみ街道」の雰囲気がガラリと変わりました。高級外車がずらりと並んでいました。

05dsc00745
 リゾートマンション群も現れ、左側に湖と湖畔、右側は車道という道を延々と歩きましたので別世界に足を踏み入れたようでした。

06dsc00755
 しかし、琵琶湖大橋の袂あたりを過ぎて10分も歩くと元の「さざなみ街道」の風景となりました。表示は7.5kmとなっていますので、草津市・新浜町25.5kmからは18kmの地点ということになりました。

07dsc00751
 この日の宿泊先「ラフォーレ琵琶湖」の建物が間近に見えてきました。再予約ができなかった「国民宿舎」の代わりに予約した宿泊先でした。

 

08dsc00757
 15:05 この日の最終目的地に到着しました。草津駅から4時間半、およそ20km近くの行程でした。好天に恵まれ、まあまあのペースのウオーキングでした。

09dsc00758
 今回の行程は4泊するのですが、他の3泊の宿泊先はビジネスホテルでそれも最も安い部屋を予約しましたので、この日の宿泊は倹約テクテクには不似合いな雰囲気でした。

10dsc00759
 最も安い部屋という予約をしたのですが、なんとベッドが3つもあり、一瞬どれを使うか迷いました。

11dsc00761
 安い部屋(といっても高い)の理由は景観でした。琵琶湖とは反対側で、こちらは陸側すなわち近江平野が見えました。

12dsc00764
 何はともあれ、テニスコートやプールなどのスポーツ施設にある浴場で汗を流し、何はともあれノドの渇きを癒やしました。

13dsc00772
 17:30 腹はへり、早めの夕食にしました。

14dsc00770
 レストランからの景観は良く、湖とこれから向かう先の方向が夕闇に包まれようとして、ホッと一息ついた瞬間でした。

15dsc00773

16dsc00778

17dsc00786

18dsc00796
 食事は、お定まりの会席料理でした。細々と書かれたメニューを渡され、料理が出される度に説明を受けたりして、それぞれが工夫が凝らされていて美味しいのですが、最後は何が何だかわからないということになってしまうのです。申し訳ないのですが、味が舌に残らないのです。会席料理しか選択肢がありませんので仕方ないのですが、もう少し選択肢はないものだろうかといつも思ってしまうのです。

19dsc00787

20dsc00794
 会席料理食べながら、「琵琶の舞」という大吟醸を飲んだりしているうちに日が暮れ落ちて、方角の違いによって、黄金色だったり茜色だったり、それぞれの夕陽を見ることができました。

21dsc00808
 夕食を終えても8時半、ウィスキーを舐めながらこの日のウオーキングを思い返し、次の日からのウオーキングを考えました。

Photo
 「瀬田の唐橋」を出発してからここまでの行程は、琵琶湖一周長距離のまだまだほんの序の口でした。しかし琵琶湖の道「さざなみ街道」の雰囲気もつかめ、足腰の調子も問題なさそうでしたので、まあまあのペースで歩いていけそうでした。

 

 

 

 

| | コメント (0)

2015年9月20日 (日)

琵琶湖ウオーク04 琵琶湖大橋

9/14(月) 草津駅から歩き始めて湖岸の道「さざなみ街道」に出て、琵琶湖大橋を目指しました。

01dsc00621
 11:42 草津駅から約5km、湖岸の道に突き当たり、道路標識に従って右側へと向かいました。真っ正面の山脈は比叡山などで、もし一周ウオークを続けることができるなら比叡山にも寄り道してみたいものです。

02dsc00622
 この辺りは「水の郷」とも呼ばれていて、琵琶湖の水が至る所で水路となっていました。

03dsc00623
 歩いていて感じたのが橋が多かったことでした。琵琶湖にはなんと一級河川だけでも119本、大小合わせると460本の河川が流れ込んでいるとのことです。これらの河川が琵琶湖に満々たる水を蓄え、京都や大阪のノドを潤しているのです。

04dsc00624
 時々現れる「さざなみ街道」の表示板に距離が書いてあるのですが、前に見たものは 草津市 新浜町 25.5km” とありましたので、歩くほどにカウントダウンされているということがわかりました。

05dsc00626
 “守山 11km” という標識が現れました。あまり馴染みのない市の名前ですが、この日の宿泊地であり、大体どのくらいの距離かがわかりました。車道には車がひっきりなしに走っていて、その音がとても五月蠅く感じました。

06dsc00631
 車道と並行している「さざなみ街道」から外れて湖岸により近づける草むらの道が時々現れ、その時はできるだけ湖畔の道を歩くようにしました。ぽつりぽつりと釣り人の姿を見かけました。

07dsc00634
 場所によってはバーベキューをしているグループもありましたが、原則禁止のはずで、カメラを向けるとニヤリと笑って指を口に当てて 内緒ヤデ! という仕草をしていました。この先、あちこちで バーベキュー禁止! という立て看板を頻繁に見かけました。

08dsc00637
 木陰にテントを張っている人もよく見かけました。火を使わなければいいようでしたが、中にはコーヒーを炒れて楽しんでいる人もいて微妙なようでした。湖畔を管理する市役所の人も大変そう。

09dsc00643
 最も歩きやすく気分も良かったのが、湖岸の舗装されていない道で、木陰があるのも助かりました。

10dsc00648
 湖畔の道が良く整備されているルートではトイレも充実していました。

11dsc00652
 湖畔の道も、整備されていなくて雑草が生え放題という場所は藪漕ぎのようでかえって歩きにくく、そういう場合は「さざなみ街道」ルートに戻りました。車道には相変わらず車の流れは途切れることはありませんでした。

12dsc00665
 時々現れる ミニ要塞 のような建造物は水門だったり水位を管理する建物だったでした。大小合わせて460もの河川が流れ込んでいますので、その管理は大変だろうと思われました。

13dsc00668
 「琵琶湖博物館」のエリアに着きました。日射しは強く、ペットボトルの水を飲んでしまいましたので、売店か自動販売機を探したのですが、月曜定休日で、自動販売機は置いてなくてガックリでした。

14dsc00672
 「琵琶湖博物館」から少し先に「道の駅」がありましたが、月曜定休日で 道の駅にも定休日あるの? とガッカリしたのですが、自動販売機がありホッとしました。

15dsc00679
 ヨシやハスは琵琶湖の水質浄化で大きな役割を果たしていて、このエリアではハスの群落が見られました。この時期は花は見られず、その代わりハスの実を見ることができました。

16dsc00680
 風力発電の羽がピクリとも動いていませんでした。

17dsc00688_2
 琵琶湖では珍しいのどかな風景でした。

18dsc00695
 守山市 木浜町 12.5km” という表示がありました。最初に見た草津市・新浜町(25.5km)からは13km、草津市・下笠町(19.2km)からは6.7kmということになりました。こういう標識を見ながら、どのくらいのスピードで歩いているのか、どのくらいの時間で目的地につけるかなど、頭の中でめまぐるしく考えるのはいい退屈しのぎになりました。

19dsc00700
 湖岸の道を歩いて久しぶりに人に出会いましたので写真を撮ってもらいました。草津駅をスタートして3時間半、多少汗はかきましたがなんとか水分補給できましたので、それほど疲れは感じていませんでした。

21dsc00709
 写真を撮ってもらった場所からは快適な道がしばらく続きました。

22dsc00712
 琵琶湖大橋がかなり近くに見えるようになってきました。

20dsc00704
 琵琶湖大橋が見え、先の道や見通しがつきましたので、ここで一休みすることにしました。

 

前回の雨模様と違って快晴でしたので、快適なウオーキングでした。ここまでトイレには全く困りませんでしたが、自動販売機が一切なく水分補給にはヒヤヒヤしました。

| | コメント (0)

2015年9月19日 (土)

琵琶湖ウオーク03 草津

前回は、9/8(火)に「瀬田の唐橋」から南草津まで歩いたところで雨のために中断して自宅へと引き返しました。今回は9/14(月)から「琵琶湖ウオーク」を再開しました。

01dsc00567
 06:50新横浜発の新幹線ひかり号(ジパング倶楽部3割引利用)に乗って米原へと向かいました。

02dsc00569
 米原駅には、東海道新幹線、東海道線、北陸線、琵琶湖線などたくさんの路線が乗り入れていますので、さまざまな車両を見ることができます。最近、鉄道を利用する機会が増え、鉄ちゃん になりつつあるような気がしてきました。

03dsc00571
 米原からは東海道・山陽本線快速姫路行きで草津駅へと向かいました。

04dsc00575
 米原から草津へと向かう車窓の風景は、刈りいれが済んだ田畑が広がっていて、その向こうには青空がありました。前回は雨で撤退しましたので、この青空は嬉しかったのでした。特にこの日と翌日の行程は、人里離れた湖岸の道を歩く予定でしたので青空は嬉しかったのでした。

05dsc00584
 草津駅に着きました。これから始まるウオーキングに気が引き締まりました。

06dsc00587
 前回は南草津駅まで歩いたのですが、今回は草津駅で降りて久しぶりの草津宿本陣と追分を見てみたくなり寄り道しました。

07dsc00588
 草津は、旧東海道と旧中山道が交差するところです。逆に言えば京都五条大橋をスタートすれば、ここで二つの旧街道は分岐する追分です。二つの旧街道を歩いた時には大きな山場を越えたような気がして、ここからは一気に京都を目指しました。

08dsc00593
 草津宿本陣は、残念ながら定休日で閉館していました。前回訪れた「義仲寺」も月曜日が定休日で、どうもついていません。

09dsc00604
 草津宿本陣から駅へと引き返して、ブランチでもと思って駅前ビルの地下におりました。ここにはレトロな雰囲気の一角があり、24時間営業というディープな居酒屋もあるのです。食堂を探したのですが、やはり関西系のうどんを食べたく、駅構内へと戻りました。

10dsc00599
 駅改札口脇の うどん・そばの麺屋 に入ることにしました。

11dsc00598
 どうしても食べたかった きつねうどん 薄味ながら旨味のきいた出汁と大きめの揚げ、これでなくては。

12dsc00600
 腹ごしらえをして、いよいよスタートしました。駅から湖岸まではおおよそ5kmです。駅を背にして真っ直ぐに琵琶湖へと歩き始めました。

13dsc00606
 市街地を抜けると民家がぽつりぽつりと点在するのどかな通りへと出ました。

14dsc00609
 やがて民家もなくなり、両脇に田畑が広がる中を貫くような真っ直ぐな道がズーッと先まで延びていました。琵琶湖の湖岸の道や湖岸と町とをつなぐ道の特徴は、果てしなく真っ直ぐなことです。

15dsc00613
 ちょうど収穫の時期なのでしょうか、今年は天候が不順で作物が心配されている地域もありましたが、ここはあまり問題ないようでした。歩いていると、どんな形であれ人影が見えると嬉しいものです。

17dsc00616
 やはり歩いているとよく見かけるのが物産館や農産物の直売所で、必ず覗いてみるのですが、ここも月曜定休日ということで残念でした。

18dsc00620
 11:42 草津駅を出発して1時間ちょっとで、湖岸にぶつかりました。ここから「さざなみ街道」が始まり、左に行けば前回歩いてきた「瀬田の唐橋」へ、右へ行けば琵琶湖大橋を経由して近江八幡市へと向かいます。ここからは右方向、琵琶湖大橋を目指しました。こういう標識でいつも思うのですが、距離を一緒に表示してくれるといいのですが。

 

好天気の中、気持ちも足取りも軽く、順調にスタートしました。

| | コメント (0)

2015年9月13日 (日)

琵琶湖ウオーク02 さざなみ街道

9/8(火) 琵琶湖ウオークの2日目、実際に歩き始めたこの日は雨模様でした。近江大橋を左側に見て湖岸の道を進みました。

01dsc00523
 08:17 近江大橋辺りから10分くらい歩くと草津市に入り「さざなみ街道」という表示がありました。この日の予定では「瀬田の唐橋」から30kmくらい歩く予定でしたが・・・。

02dsc00527
 振り返ると先ほど通り過ぎた近江大橋と大津市の街並みが見えました。前日はあの辺りを歩きました。

03dsc00529
 「さざなみ街道」に入ると店舗などはまったく見かけなくなりました。この「さざなみ街道」は今回の終着地である長浜の先まで続いています。

05dsc00533
 湖岸の道は、所々釣り人のための駐車スペースがありよく整備されていました。

06dsc00534
 長距離ウオークで気になるのは食事とトイレです。ここまで簡易トイレは何ヵ所かありました。このトイレはソーラーを電源としているので夜間の使用は禁止となっていました。もう一つ自動販売機は一ヶ所もありませんでした。

07dsc00535
 何もないこういう道が延々と続きました。退屈ではあるのですが、気を紛らわすものが何もなく、ひたすら歩くしかありませんので、ある意味、こういう道を歩くのはウオーキングの醍醐味なのです。歩くことそのものに集中できるのです。

08dsc00537
 よく手入れされていた道も、少しずつ手抜きというか、雑草が目立つようになりました。

 

09dsc00543

10dsc00538
 あちこちに水路があって橋もあるのですが、地図ではここがどこなのかとてもわかりにくかったのにはまいりました。

11dsc00565
 活躍してくれたのが、つい最近ガラケーから買い換えたスマホでした。現在地確認や行く先のナビなど、実地訓練ができました。さらに刻々と入ってくる台風情報も助かりました。ここまで近江大橋を渡って中断するかどうかでは先を進むことにしてここまで来ました。ここから先に進むと町からはさらに離れ、翌日には近畿地方には台風が直撃との情報もあり身動きできなくなる恐れもありましたので、草津駅に待避して中断することにしました。

12dsc00540
 湖岸の道「さざなみ街道」は町からはだいぶ離れていましたので、最寄り駅に戻るのにも大変でした。撤退の道は遠く思えました。

13dsc00542
 人の気配のするマンションが見えてきたときにはホッとしました。

14dsc00546
 スマホのナビアプリで最寄り駅のJR南草津駅に誘導されました。

15dsc00548
 東海道線で草津駅に向かい、新幹線に乗り換えました。久しぶりに見る新幹線の全景、カメラには収まりきらず倍近くの長さがあり、車両の長さに感心しました。

16
 スマホに、浜松辺りでは浸水の恐れがあるという緊急メールが入り、車内でも静岡辺りでは徐行運転になるというアナウンスがありました。

17dsc00550
 新幹線がいつストップしてもいいように食事と飲料を多めに準備しました。新幹線は結局静岡で10分遅れましたが、新横浜には5分遅れで到着しました。

Photo
 まったくもって雨と台風という自然現象に翻弄された琵琶湖ウオークでした。しかし少しでも湖岸の道を歩くことができ、感触はつかめました。リベンジで9/14(月)から再開します。草津をスタートして9/17(木)長浜に宿泊し、翌日18日に向源寺の十一面観音に会ってから戻ろうと思います。

| | コメント (0)

2015年9月12日 (土)

琵琶湖ウオーク01 スタート

9/8(火) いよいよ琵琶湖ウオークのスタートとなりました。台風18号が接近しているとの情報がありましたが、行けるところまで歩いてみようと。

01dsc00462
 07:02 天気は雨模様で、とにもかくにも出発しました。今回は連日雨という予報でしたので、雨具はしっかりと準備しました。雨具が必要か必要でないか微妙な霧雨が降っていましたので、ジャケットタイプの雨具を着て「滋賀青年会館(アープ滋賀)の管理人さんに写真を撮ってもらって出発しました。

03dsc00469
 宿は瀬田川の中州、「瀬田の唐橋」の袂にありましたので、すぐに橋を渡ることになりました。

04dsc00475
 「瀬田の唐橋」の手前にも渡りきった所にも「水位観測所」がありました。中を覗くと地震計を大きくしたような機械などが作動していました。この頃大雨による水害があちこちで発生していますので、大事な設備なんでしょうね。

 

05dsc00476
 橋を渡りきった所から土手を下り、琵琶湖(この辺りは瀬田川)を左手に見る形、反時計回りに湖畔を歩き始めました。

06dsc00479
 歩き始めてしばらくすると雨粒が少し大きくなってきましたので、ポンチョタイプの雨着に着替えました。基本的にはウオーキング(短距離散歩は別)では笠は使いませんので、このタイプですとリュックごと被ることができますので重宝しています。この日のように風が強くないときにはこれでいいのですが、強風の時にはズボンも雨着にしなければならないのです。しかし蒸れて暑いときにはズボンは脱いでパンツの上に直接防水ズボンを直接穿かなければなりません。

07dsc00480
 瀬田川の川幅が少しずつ広くなってきました。行く先の雲は分厚くどんよりとしていて嫌な予感でした。

09dsc00487
 行く先は雲で暗かったのですが、小雨にもかかわらず湖面には元気なかけ声が、こちらも元気をもらいました。

10dsc00492
 女性の元気なかけ声も。この辺りの湖岸には京都大学や大津高校の漕艇部の艇庫が立ち並んでいました。

11dsc00506
 湖岸の道は少しずつ景色が変わってきました。前方遠くに近江大橋が見えてきました。

12dsc00504
 この辺りは道を隔てて大型店舗が軒を並べていました。長距離を歩いていて気になるのは食事をするような場所や食べ物を調達できる店があるのかどうかです。この辺りですと大型ショッピングセンターも集中していてファーストフードなどもありました。

13dsc00508
 降ったり止んだりの雨は心なしか上がったようでしたので雨着は脱ぎました。雨の中を歩くということはあまりありませんので、雨具の着脱はいい訓練になりました。ただ、どんなに薄着(上半身はノースリーブの下着一枚)にしても、雨着を着ると10分も歩くとじっとりと蒸れてきました。遠くに近江大橋と背の高いホテルが霞んで見えていました。

14dsc00514
 湖岸の道は大型ショッピング街を通り過ぎるとリゾートエリアに入ったようで、ホテルやリゾートマンションなどが目につくようになりました。

15dsc00518
 近江大橋の先に見えるホテル(大津プリンスホテル)姿が少し大きく見えるようになってきました。目についたのが、琵琶湖で大きな問題となっている「アオコ」でしたが、今夏の発生はゼロとのことでした。「アオコ」はプランクトンの発生による赤潮現象の一つだそうです。7年前に琵琶湖の一部を歩いたときには湖面をびっしり覆う緑にビックリしたものでした。

16dsc00521
 08:13 歩き始めてほぼ1時間で近江大橋に着きました。この橋を渡って向こう岸に行けば大津市で、前日歩いた旧東海道・中山道の道ですし、義仲寺もあります。この日は雨は強くなるという予報でしたし、明日は台風が直撃という情報が入っていて、この橋を渡れば最寄り駅もありますし、引き返すならこの時がチャンスでした。この先どうするかについてとても迷いました。というのは湖岸の道を進めば町の中心部から離れ、待避するのが難しくなりそうだったからでした。しかしほとんど歩いた気がしませんでしたので、もう少し先に進むことにしました。

 

たまには雨の中を傘をささずに歩くのも趣があっていいものなのですが、雨着を着ていると蒸し暑くてまいりました。気温が25℃以上の時には雨中のウオーキングはやめた方がいいということがわかりました。

| | コメント (0)

2015年9月11日 (金)

琵琶湖ウオーク 瀬田の唐橋

9/7(月) 三井寺、義仲寺、石山寺とお寺巡りの後、瀬田の唐橋まで着きました。橋の袂辺りには食事をするような場所はないということでしたので、夕食をとるために20分くらい歩いたところにある石山駅周辺へと向かいました。

01dsc00403
 16:38 結局この日は昼食を食べ損ないましたので定食屋のようなところでもいいかなと思っていたのですが、石山駅の真ん前になんとど派手な「ももじろう」という居酒屋があり、躊躇なく入りました。

03dsc00408
 何はともあれビール。雰囲気はディープでレトロな雰囲気で、テーブルはベニヤの合板で、椅子は狭くて座り心地が悪かったのですが堅苦しくなく寛げました。

04dsc00407
 メニューは嬉しいことに何でもありでした。

05dsc00409
 とりあえずは刺身盛り合わせを勧められました。時間が早いので少しサービスしましたとのことで、これで999円! 新鮮でプリプリしていてとても美味しかったのです。枝豆の量も多く、ビールを飲みながら夢中で食べたら、これだけでお腹が一杯になりつつありました。

06dsc00412
 次のお勧めは宮崎地鶏でした。クワ状の鉄板の上に乗ってジュージューの熱々でした。これも一人で食べるのには十分な量でした。

07dsc00414
 ビールをお代わりしてノドの渇きが癒やされましたので地酒の「ももじろう」をいただきました。このお兄さんは口が上手く、お勧め上手でした。

08dsc00415
 地酒「ももじろう」をコップになみなみとついてくれました。安い割には雑味がなく旨く、2杯飲みました。この後、リュックを担いで「瀬田の唐橋」近くの宿まで歩かなければなりませんので程々にしました。旨い酒と美味しい料理で会計は4,000円で、とてもいい居酒屋でした。

09dsc00421
 ほろ酔い気分で石山駅の芭蕉に会いに行きました。旧東海道・旧中山道歩き以来3回目のご対面でした。

10dsc00423
 以前(7年前)には見かけなかった(ような気がする)ポスターでした。今回石山寺を訪れて、石山寺がこれほど紫式部と縁が深かったとは思いませんでした。

11dsc00433
 18:01 再び「瀬田の唐橋」へと戻りました。 唐橋を制するものは天下を制する といわれた激戦イメージは遠い昔のことで、今は独特の優美なカーブを水面に静かに映していました。

12dsc00440
 この日の宿は「滋賀青年会館」というお堅いイメージの場所でした。別名「アープシガ」とも名付けられていて、少しでもソフトなイメージになるようにと苦心しているようでした。

13dsc00444
 部屋はシングルで、シンプルで清潔で居心地はよかったでした。

14dsc00447
 とにもかくにも、汗でビッショリとなった着物を洗濯して、窓から吹き込んでくる風に当てました。

15dsc00451
 この施設は学生さんたちの合宿などで使われるようで、夏休みには賑わったようですが、この日の宿泊は私一人で、ノビノビと汗を流しました。

16dsc00442
 立地されている場所は、「瀬田の唐橋」を20mぐらい歩くと中州になっていて、その中州で瀬田川に面していました。夕暮れの景色は静かで、晴れていればもっと美しいのにと残念でした。

17dsc00449
 窓から右手の方に目を移せば「瀬田の唐橋」に灯が灯っていました。宇治橋、山崎橋と並んで日本三大古橋の夕景でした。

 

次の日からの琵琶湖ウオーク、楽しみでもあり多少不安でもありました。天気予報では台風18号が接近してきているとのことで、雨は覚悟してきていますので行けるところまで歩こうと思い、眠りにつきました。

| | コメント (0)

2015年9月10日 (木)

琵琶湖ウオーク 石山寺

9/7(月) 琵琶湖ウオークの前にちょっと寄り道して三井寺と義仲寺を訪ね、琵琶湖に出た後、湖畔を少し歩いてから京阪電鉄の膳所(ぜぜ)という駅へと向かい、石山寺へと向かいました。

01dsc00363
 15:12 石山寺駅に着きました。石山寺は大きなお寺と聞いていましたので、最寄り駅の駅舎が小さいのが意外でした。

02dsc00364
 駅から歩き始めるといくつかの目印があって、お寺参りの雰囲気が出てきました。

03dsc00365
 しばらく歩くと石山寺まで700mという表示があり、ということはこの道を戻るとすると結局2km戻るということで、背中のリュックが急に重く感じられました。

04dsc00367
 ようやく石山寺に着きました。山門の先には真っ直ぐな参道が延びていました。なんといっても、このお寺は747年に東大寺大仏を造立した聖武天皇の発願によって建立されたという古い歴史をもっています。

00
 山門をくぐって入場料(600円)を払うとパンフレットを渡されました。全体図を見ると、ちょっとした小さな山に登るような広さと高さで、ここでもリュックが重たく感じました。

05dsc0037145
 山門をくぐってすぐのところに “54歩で読む源氏物語“ というポスターがあり興味をひかれました。ここには堂内に「源氏の間」という部屋があり、紫式部はここで「源氏物語」を執筆したと伝えられています。

06dsc00369
 さらに別のポスターには 和紙で織りなす・・・ と書かれていて、入場無料ともありましたので入ってみました。

07dsc00373
 入った正面には立派な和服が展示されていて、一瞬、まさか紫式部の?と思ったのですが、全くの見当違いで、どうやら「源氏物語」ムードつくりの演出の一つだったようです。

08dsc00374
 部屋の壁に沿って45枚の「源氏物語」のシーンが飾られていました。

09dsc00376
 45枚のシーンは、絵ではなく和紙によるもので、これが実に良くできているのでした。雅な世界が立体的小空間に展開されていて、素晴らしいものでした。

10dsc00379
 所々に石段あり、石段の脇には緑の樹と緑苔をまとった石があり、一幅の絵のようでした。月曜日の夕方近く、訪れる人もなく、ひっそりとしていました。

11dsc00380
 本堂は、太い何本かの柱で支えられていて、重厚で堂々たるものでした。カメラを構えると同時に「堂内撮影禁止」という文字が目に入り、ピントが合う前に反射的にシャッターを押してしまいました。スミマセン!

12dsc00382
 本堂でお参りをして、境内を散策しました。あちこちに設けられた石段を上ると素晴らしい景色が広がっていて、紅葉シーズンは素晴らしいだろうなあと想像されました。境内にはあちこちに奇岩があり、石山寺の名前の由来にもなっているとのことでした。

13dsc00386
 境内には松尾芭蕉も滞在し、 あけぼのは まだむらさきに ほととぎす という句を詠んでいて、「芭蕉庵」もあります。また島崎藤村は教え子との恋に苦しみ教職を辞してこの寺を訪れていていますし、「蜻蛉日記」「更級日記」「枕草子」などにも石山寺は登場し、文学とはとても縁が深いお寺です。

15dsc00390
 ひっそりとした雰囲気の中、あちこち物珍しげに散策しました。境内には紫式部象もありました。紫式部の「源氏物語」は、この石山寺に参拝したときに着想を得たともいわれていて、なるほどなあと思いました。

Photo
 (インターネットより転載) この画は歌川広重によるものです。紫式部は1004年の八月十五日、名月の晩に「須磨」「明石」の着想を得たとも伝えられています。「源氏物語」は世界最古(最初)の長編小説ともいわれています。

 

16dsc00392
 石山と緑が造り出す幽玄な雰囲気と「源氏物語」の世界にとても満足して帰り道を辿りました。ここでは往路と帰路は別の道になっていて、多分参拝客が多いときの混雑緩和と思われました。

17dsc00398
 石山寺への参道と並行して瀬田川が流れていました。瀬田川の川沿いには「さんぽ道」が整備されていて、ハッキリしない空の下、この散歩道を唐橋方向へと歩きました。この瀬田川は琵琶湖から流れ出る唯一の川で、宇治川、淀川と名前を変えて大阪湾に流れ込んでいます。

19dsc00399
 16:21 「瀬田の唐橋」に着きました。旧東海道・旧中山道を歩いたときにも渡った懐かしい橋です。この橋は京都防衛上の要衝とされ、壬申の乱(671年)では大友皇子と大海人皇子の最後の決戦場となりました。

 

すっかり歴史探訪の世界に浸ってしまいました。石山寺は一見の価値がある古刹でした。月曜日で雨模様の夕方近くということもあってわずか数人の人影しか見かけず、ひっそりとした風情ある雰囲気を十分楽しみました。この日の宿泊は「瀬田の唐橋」の袂にあるのですが、素泊まりでしたので夕食をとるために賑やかな町(石山駅)方向へと戻りました。

 

 

| | コメント (0)

2015年9月 9日 (水)

琵琶湖ウオーク 旧東海道

9/7(月) 琵琶湖ウオークへと出発しました。実際に歩き始めるのは翌日(9/8)からでしたが、この日は折角ですから今まで行ったことのない名刹やもう一度訪れたいお寺を巡りました。

01dsc00320
 時間は特に決めてなかったのですが、お昼頃に最初の目的地の三井寺に着けばいいだろうと、のんびりムードで出発しました。3割引の「ジパング倶楽部パス」を使う場合には「のぞみ号」は利用できませんので「ひかり号」に乗りました。

02dsc00323
 12:23京都駅に着いて、東海道線膳所(ぜぜ)駅に向かいました。京都駅ではほとんど新幹線ホームしか馴染みがないのですが、在来線のホームには 立ち食いのうどん・そば がありました。ちょうど昼時で、きつねうどんを食べようと思っていたのですが、行列ができていましたので諦めました。日頃はうどんよりソバ派ですが、関西圏のきつねうどんは薄味で出汁がきいていて、油揚げと刻みネギが入って美味しいのです。

03dsc00328
 JR膳所駅で京阪電鉄に乗り換えました。「ちはやぶる」という2両連結の電車でした。

04dsc00327
 車両の横っ腹にはど派手なアニメが。さすが関西系私鉄です。

05
 最初に訪れたのは三井寺でした。受付で入場料600円払ってパンフレットを受け取りました。やはり大きなお寺でした。

05dsc00335
 13:05 三井寺は初めてでした。正確には[圓城寺]三井寺といいます。天台寺門宗の総本山であり、風格を感じました。

06dsc00337
 日本のお寺は多くは高台にありますので石段はつきものです。

07dsc00339
 本殿で旅の無事を祈りました。他に三重の塔や弁慶が引き摺ったという鐘、左甚五郎が彫ったという龍など見所はたくさんあったのですが、先を急ぎましたのでパスしました。弁慶は石を持ち上げたり石に腰掛けたり、あちこちに出没したようです。そもそも弁慶は実在の人物かどうかも未だに不明ではあるのですが。

08dsc00341
 石段を上るときは夢中であまり景色も目に入らなかったのですが、夏枯れのこの時期ですが緑は美しく、このところ雨模様の日が多くその分美しく見えました。

09dsc00343
 琵琶湖疏水、琵琶湖の水はここで取水されて京都鴨川で合流しています。1885年に着工されて190年に完成したそうです。

10dsc00342
 京都へと向かっている流れはとても速いのに驚きました。琵琶湖のあるこの地域と京都との間にはかなりの標高差があるのでしょうか。

11dsc00346
 琵琶湖疏水から琵琶湖畔まではすぐなのですが、久しぶりに旧東海道に出ました。2007年に歩いて以来でした。

12dsc00345
 旧道の要所要所にある常夜灯も懐かしいものでした。

13dsc00349
 わざわざ旧東海道を歩いたのはこの義仲寺を訪れるためだったのですが、なんと月曜日は休日で、8年前と同じ轍を踏んでしまいました。

13
 (インターネットより転載) 義仲寺にはこの木曽義仲の墓の他に、巴塚といわれる義仲の愛妾巴御前の墓があります。

13_2
 (インターネットより転載) また松尾芭蕉は晩年ここ義仲寺に「無名庵」をむすび、何回も訪れました。 境内には 旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る という句碑もあります。そういえば倶利伽羅峠でも、芭蕉は “義仲の寝覚めの山か月かなし” という句を読みました。芭蕉の墓は遺言により義仲公墓の隣にあります。

14dsc00352
 14:12 旧東海道から琵琶湖畔に向かう途中気になるラーメン屋発見。「八真道(やまと)」という店名や漂う雰囲気がよかったのでした。昼食は未だで空腹は感じていたのですが、時間が気になってここもパスしました。

15dsc00355
 14:23 琵琶湖畔に出ました。空にはどんよりとした雲が湖面に覆い被さっていましたが、散歩している数人の人影が見えました。遙か向こうには、これから歩くであろう湖岸や小高い山が見えました。

16dsc00356
 湖岸には背の高いホテルがランドマークのように目立っていました。翌日から始まる琵琶湖ウオークの感触を確かめるように歩きました。

 

久しぶりのテクテクで、歩くことを噛みしめ、特に旧東海道に出たときは8年前(2007年)のことが思い出されました。

| | コメント (0)

2015年9月 7日 (月)

琵琶湖ウオーク 行程

琵琶湖一周を歩いてみようということになりました。8月中旬に出かけるつもりだったのですが、あまりの暑さにすっかり嫌気がさして、9月に延期しました。琵琶湖は滋賀県の1/6の面積を占め、一周すると240kmだそうです。何回かにかけて歩いてみたいと思います。

01
02
たまたま手にした「星と祭」(井上靖著)は琵琶湖が舞台でした。琵琶湖畔には向源寺というお寺があり、かつて10年くらい前に向源寺の十一面観音を観に行ったことがありました。後年、ここの十一面観音の評判が高いことを知り、いつかもう一度観に行ってみたいと思っていたところ、この「星と祭」を読んでさらに行ってみたいと思いました。

03
 04
 さらにさらに、小説の舞台はヒマラヤにも移りました。ヒマラヤは2011年から3年間歩いたことがあり、今でも時々行ってみたいと思うことがあります。この小説では、琵琶湖の月見とヒマラヤの月見がそれぞれクライマックスで、そういえばヒマラヤでは改めて月を見たことはなく、せめて琵琶湖で月を見てみようと。

05
 行程は、今日9/7(月)に出発し、いくつかのお寺や名所を廻って琵琶湖青年会館というところに宿泊します。9/8(火)、瀬戸の唐橋を出発してその日は国民宿舎の琵琶湖ロッジに宿泊します。次の日(9/9)は、彦根まで歩きそこで宿泊し、9/11(木)は長浜市まで歩いて、できたら竹生島にも上陸したいと思っています。最終日は向源寺の十一面観音に会って帰宅という5泊6日の行程です。

 

琵琶湖畔歩きは旧中山道歩きでも一部歩きました。できたら完全歩きしたかったのですが、行程と宿泊施設がかみ合わずかなり無理な行程になっていて、鉄道なども利用することになりそうです。まあ以前ほど歩くことへのこだわりはなくなっていますし割り切ろうと思っています。天気予報は雨模様ですが、雨や靄、霧に煙る琵琶湖もいいかなあと思っています。

| | コメント (0)

2015年9月 6日 (日)

奥の細道復刻版22 関ヶ原~結びの地

2008.9.24 関ヶ原の散策について市役所のボランティアの方に聞きますと、古戦場をぐるっと回ると半日くらいかかるということでした。この日の内に「結びの地」大垣に着きたいと思い、それ程の時間はありませんでしたので1時間くらいで廻れる主なコースを教えてもらいました。

01map_2
 ボランティアの案内の方に戦場の地図をいただきました。奥の細道では多くの古戦場に行きましたが、天下分け目の大合戦といわれるだけあってスケールの大きな古戦場でした。

02_2
 畑の中に学校などいくつかの建物が散在していていますが、静まりかえって、渺々とした風の音だけが聞こえていました。

03_2
 徳川家康の最後の陣地後です。石田三成の陣地から数百メートルの位置で、最後の決戦にあたっての緊張感が伝わってくるようでした。

04_2
 家康率いる東軍と対峙した石田三成の陣地跡です。長浜市では秀吉と石田三成の出会いの像を眺めてきたばかりでしたので感慨深いものがありました。

05_2
 石田三成陣地、笹尾山(標高198m)で。

06
 今でも残っている馬防柵。石田三成の陣旗が風にはためいていました。

07
 島津軍(薩摩藩)の陣地跡、薩摩藩士が飛び出してくるような気配が・・・。関ヶ原は是非訪れたいと思っていた古戦場です。取り立てて仰々しい遺跡保存の細工は施されていませんが、陣地や陣形がその時のまま保存されていて、暫く佇んでいると当時にタイムスリップしてしまうようでした。

0821
 大垣へは国道21号線(中山道)を通りますが、国道は車がぎっしりで、とても歩きにくい道でした。

09
 関ヶ原見物に満足して、ゴールの大垣市を目指しました。お昼でお腹が空きましたが適当な食事処がなかなか見つからないため、とりあえずコロッケ2個で空腹を満たしました。

10
 嬉しいことに旧中山道に出ました。ホッとしました。高校時代のクラスメイトが中山道を歩いて京都へ向かっているとのことで、ひょっとしてばったり出会ったら面白いのになどと少し余裕も出てきました。

11
 関ヶ原宿跡。

12
 垂井宿跡。この後、ひたすらゴールを目指して脇目をふらずひたすら歩きました。 

13
 2008.9.24 16:29 ゴールを目指してひたすら歩き、あっけない感じで到着しました。ゴールの瞬間というのは大体あっけない感じがするものです。しかし足は棒のようになっていて、喜びよりも無事に到着できてホッとしました。

14
 大垣市は重厚で落ち着いた街でした。大垣城を見ながら「結びの地」へと向かいました。

15
 甘いものが欲しくなり、途中の甘味処で、アズキぜんざいにソフトクリームを乗せてもらいました。ゴテゴテに甘く身体全体に甘さが広がり美味かったです。大垣市は和菓子屋が多く、スイーツの町でした。

16
 大垣市内の中心部から歩いて10分くらいの結びの地は、市内とは思えない静けさの中にありました。大垣城の外堀からの水が引かれて素晴らしい場所です。ここだけが別空間のようでした。のんびりしていると、疲れが少しずつとれていくようです。

17
 芭蕉とツーショット。奥の細道をダシにして、あちこち寄り道し、あまり俳句に興味を示さず、美味しい酒と美味い肴を追い求めて、不真面目でした。芭蕉さんごめんなさい。でも楽しかったです。

18
 大垣市内の奥の細道「むすびの地」でしばし感慨に耽った後、JRで名古屋に移動し、水分補給とエネルギー供給を行いました。場所は、名古屋駅から地下鉄で一駅の伏見駅で下車、御園座(東京の歌舞伎座、京都の南座のような場所)に隣接しています。この通りには、いくつか入ってみたい店がありました。

19
 今回は、名古屋の飲んべえなら知らない人がいないといわれる「大甚」という居酒屋に入りました。

20
 一度入ってみたかった居酒屋です。噂通り値段は安く、素晴らしい味でした。特に凝った料理があるわけではないのですが、素朴な素材の味付けが絶品でした。酒だけ注文し、肴は並べられてある者の中から自分(セルフサービス)で取ります。飲んべえのための店です。

21
 刺身は別途オーダーで、今日の刺身は鯛とマグロだけでしたが両方とも最高の味でした。奥の細道で、日本海の海の幸なども食べましたが、ここの刺身が最高のように感じました。まさか名古屋で最高の味に出会うとは、名古屋恐るべしです。相変わらずの奥の細道居酒屋巡りでした。

 

居酒屋ですっかりいい気持ちになり、夜遅くの新幹線に飛び乗りました。充実の二日間でありゴールインでした。新幹線の中で、時折街灯に照らし出される東海道や松並木を眺めていますと、奥の細道は東海道テクテクから始まり、四国を巡った延長にあり、それらの街道や路はつながっているように思えました。それらの街道や路は旅のテーマだったことに思い当たりました。さて次の旅のテーマは・・・どこかなということなども頭の隅にちらつきながら、あっという間に横浜に戻りました。

 

2007.2.19に東京深川を出発し、延べ1か月くらいで2,400kmを移動しました。芭蕉はそれを歩いた(馬にも乗りましたが)わけで、凄いことです。私は1/4600kmくらいは歩きたかったのですが、思うようには歩けませんでした。あまりにも歩ける道が少なかったことは残念でしたが、その分寄り道などして楽しい旅でした。おそら東海道五十三次と同じ500km位以上は歩けたと思います。芭蕉さんありがとう。

| | コメント (0)

2015年9月 5日 (土)

奥の細道復刻版21 長浜~関ヶ原

2008.9.23 この日の9時に近江塩津駅から歩き始めて長浜を経由し、長浜で一泊してその先関ヶ原を目指しました。

01
 16:30 7時間、ほぼ30km歩いて長浜市に到着しました。ここは豊臣秀吉が造った街です。

02
 琵琶湖のほとりが長浜城豊公園となっていました。

03
 長浜城歴史博物館(長浜城)は16:30まで開館していましたのでギリギリ滑り込みセーフで入館することができました。

04
 長浜城の天守閣からの夕陽です。琵琶湖の表面積は滋賀県の1/6だそうで、さすがに大きな湖であることを実感しました。

05
 長浜市内のメインストリートには秀吉と石田三成との出会いの像がありました。市内はとても豊かな雰囲気がありましたので、こちらまでふんわりとした気持ちになれました。

06
 市内のデパートの特産品売り場では、スライスしたものは2000円、一匹は5000円で売っていました。とても一人では食べきれる量ではありませんし、持ち帰るにしても明日のテクテクでリュックに入れるわけにはいきません。きっと凄い臭いが充満するでしょうからあきらめました。

08_2
 街道沿いにレトロなお店が軒を並べる黒壁通りがあり、地元の人と観光客がブラブラと散策していました。

07_2
 長浜で楽しみにしていたのが、琵琶湖の天然ウナギ、鮒寿司、鮎です。鮎はおやつに子鮎の天ぷらを食べましたので、残る天然ウナギと鮒寿司を求めてエネルギー補給に出かけたのですが。

09
 かすかに灯りがともる小料理屋を予約しておいたのですが、天然ウナギが今日はあがっていないということでした。琵琶湖の天然ウナギは太くて脂が多いのでかば焼きには向かないそうで、ウナギ鍋なるものを楽しみにしていたのですがあきらめました。

10
 生け簀料理の店に入って、何はともあれ水分補給でした。旨い~~~~!

11
 川魚料理は、ウナギの他に、鮎、鯉などということでしたので、結局好物の敦賀産のアジのお造りを頼みました。

12
 この日は、客は私一人で長々と飲んだりしゃべったりしているうちに夜は更け、こうして長かった一日が終わりました。

13
 2008.9.24 関ヶ原までは20km近くあり、お昼前には関ヶ原に到着して1時間くらいは古戦場を散策したいと思い、ホテルでの朝食をパスして6:00にホテルをチェックアウトしました。早朝の長浜市を出発しました。未だ街は眠っています。昨晩は遅くまで飲み過ぎて頭が少し重く感じました。

14
 国道21号線(中山道)は車が多いと聞いていましたので、できるだけ避けて脇道を地図を頼りに歩きました。2時間くらい歩いた頃、昨晩のアルコールも消えて、お腹も空いてきましたので、道路沿いの鄙びた定食屋に入りました。

    

15
 お爺ちゃんと耳の遠いおばあちゃんの二人でやっている店でした。卵とじうどんを頼みましたが、お爺ちゃんがつくってくれとても美味しくいただき身体も温まりました。こういう店に飛び込んで美味しいものを食べられるのはテクテクの醍醐味です。

16
 朝食後頑張って歩いたおかげで、11:00頃に関ヶ原の入口に到着しました。

17
 観光協会のボランティアの方に説明を受けて古戦場に向かいました。すぐに時代絵巻のモニュメントと市役所がありました。

 

奥の細道は、芭蕉が歩いた道について正確なガイドブックが見つかりませんでしたので、芭蕉が立ち寄った点と点が結ばれればいいと勝手に解釈しました。その結果、今回のように興味のある場所に寄り道することができました。

| | コメント (0)

2015年9月 4日 (金)

富山の居酒屋

9/1(火)は、「おわら風の盆」を観に富山に行きました。私にとっては風の盆は楽しみでしたが、居酒屋巡りも外せない楽しみでした。

01dsc00167
 ツアーに参加しましたので、黙ってついて行けばいいという気楽なものでした。コースは上越新幹線で越後湯沢へと向かいました。

03dsc00192
 越後湯沢からはバスで富山へと向かいました。途中立山連峰を見て、日本海に出て先日通った親不知などを経由するというルートでした。北陸新幹線を利用すればアッという間だと思ったのですが、多分あまり早く着いてしまうと困るとか費用など、きっと何かの事情があったんだと思いました。

05dsc00191
 それでも旅行ですから、新幹線にしてもバスにしても景色を見ながらの移動は楽しいものでした。

06dsc00195
 富山駅近くのホテルにチェックインした後、風の盆を見るために富山駅へと行きました。富山駅では何となく騒然としていて、越中八尾駅に行くためには乗車券の他に整理券が必要とのことで、整理券が配られていました。

07dsc00196
 整理券には15:45に所定の位置に集合し、乗車する電車の時刻は16:09と指定されていて物々しいものでした。私とカミさんはこの電車に乗って越中八尾駅に着きました。その後の風の盆の様子は昨日このブログでご紹介しました。

08
 風の盆は、19:00からの夜の部の町流しの前に雨が降ってきて、渋るカミさんを説得して富山駅に戻り居酒屋へと直行しました。「居酒屋おくのほそ道」(太田和彦)によれば、富山でお勧めの居酒屋は「親爺」や「米清」とのことでした。

09
 富山で最も有名な「親爺」は、昨年の2月に行きましたので今回は別の店にしました。

10dsc00298
 行った先は「米清(こめせい)」という居酒屋で、若旦那が仕切っているようで、比較的新しい店のようでした。

11dsc00289
 カウンターに座ると目の前に梅酒など果実酒の一升瓶が置かれていて、ちょっと私の趣味ではないなあと思いました。多分このあたりが若いマスターの感覚なのでしょう。そのせいか、客層は若い人が多かったのでした。

12dsc00290
 壁には風の盆のポスターが貼っており、今頃雨が上がって町流しが始まっているかなあと思っていたのですが、結局雨天中止になったようでした。酒を飲みながら風の盆の音曲と踊りを想像するのもいいものでした。

13dsc00291

14dsc00297
 ビールで乾杯の後、カミさんは海鮮サラダと寿司セットをオーダーしました。

15dsc00288
 私は、しばらく酒リストとにらめっこしました。

16dsc00295
 結局、「風の盆」と「黒部峡」をオーダーしました。二種類の酒、どちらもしっかりとした味でした。

17dsc00293

18dsc00294
 つまみは、刺身セットと昆布締めセットと魚にこだわりました。

19dsc00303
 しばらくグダグダと飲んで食べて、9時前に富山駅近くのホテルへと戻り、温泉に入った後、湯上がりのビールとウィスキーを飲んで風の盆の余韻を楽しみました。

20dsc00306
 ツアーの行程では、翌日の9/2(水)にバスでホテルを出発して白川郷を経由して松本駅から特急あずさで新宿へ出るというものでした。白川郷は行ったばかりでしたので、ツアーから離れて、自腹とはなりますが(大人の休日クラブで3割引を利用)北陸新幹線に乗って帰ることにしました。

21dsc00310
 北陸新幹線(かがやき号)の車体を見るのは初めてでした。

22dsc00312
 08:07発という朝早い列車でしたので観光客は少なく、ゆったりとした初乗車でした。

23dsc00318
 北陸新幹線は、金沢~富山~長野~大宮~上野~東京と停車駅は少なく、多くのトンネルを走り抜け、弾丸のようでした。トンネルを抜けて時々見える景色は山が多く、山の中腹をくり抜かれて拓かれた路線であることがわかりました。

 

風の盆は夜が更ければ更けるほど佳境に入るということで、好天に恵まれ、成り行きによっては遅くまで見物して居酒屋はパスかなと思っていたのですが、雨のために躊躇することなく居酒屋に行くことができました。結果として風の盆と居酒屋を楽しむことができ、行灯の灯った街並みを見て、風の盆の雰囲気を味わうことができました。

| | コメント (0)

2015年9月 3日 (木)

おわら風の盆

9/1(火)から1泊2日で、富山県富山市八尾(やつお)町の「風の盆」に行ってきました。個人的に行こうと思っていたのですが、宿泊予約ができず要領もわからないためツアーに申し込みました。

01
 風の盆というお祭りは、10年だか20年だか昔に読んだ「風の盆恋歌」という本を読んで、そういうお祭りがあるんだということを知り、以来いつかは行ってみたいとも思っていました。

02
 ツアーガイドさんから渡されたガイドブックには一通りの情報が要領よくまとめられていてとても重宝しました。お祭りではあるのですが、お祭りというと賑やかなワッショイというかけ声が聞こえてきたり、跳んだりはねたりというイメージあるいはお囃子が賑やかな盆通りなどです。しかし風の盆はちょっと違います。

 

03
 簡単にいえば、風の盆とは三味線や胡弓などの楽器の音に合わせた「越中おわら」という民謡と踊りです。昼夜の別なく踊り、町内ごとに踊り手が練り歩くのが「町流し」といい、一ヶ所で輪になって踊るのが「輪踊り」というそうです。

04
 会場というか、町流しが行われる場所は11の町内です。地図の一番下に最寄り駅(JR高山線越中八尾駅)があり、ここから一番上部の町内までは歩いて1時間くらいの距離があり、かなり広範囲のエリアで行われます。各町内で行われる町流しの時間割も決められています。

08dsc00206
 16:44 富山駅から30分くらいで越中八尾駅に着くと、観光客が一斉にこの駅で降りました。超満員だった車両は空になりました。

09dsc00208
 駅前の風景はお祭りモードでした。

10dsc0021
 11の町内に向かう途中、踊り終えたような踊り手と行き交いました。踊りは15:00から深夜(無制限)まで行われ、途中17:0019:00まで2時間の食事休憩があります。

12dsc00217
 駅から10分くらい歩くと十三国橋という橋があり、この橋を渡ると会場となる11の町内があります。

13dsc00222
 17:11 ちょうどこの時間帯は休憩の時間帯ですが、観客は続々と詰めかけていました。

14dsc00224
 ここでも踊り手の人たちがいました。踊りは11の町内で一斉に行われるわけではなく町内ごとの時間割があります。しかしそれも一応の目安で、それぞれ時間差でパラパラと行われることもあるようです。

15dsc00225
 17:0019:00の時間帯は休憩ですが、場所によっては輪踊りが行われていいました。出番を待つ踊り手たち。

16dsc00230
 三味線の静かな音色と共に踊りが始まりました。あくまでも静かに。

17dsc00233
 女性のちょっと艶っぽい踊りだけではなく男性の静かではありながらキレのある踊りも艶っぽいのでした。なんといっても編み笠を被って顔が見えないのがいいのでした。

18dsc00236
 カミさんは男踊りがいたく気に入ったようで、ちゃんと写真を撮るようにいわれました。

19dsc00240
 輪踊りが行われている場所もあり、休憩中の町内もあり、観客はそれぞれお目当ての町内に向かっていました。

20dsc00251
 11町内の中で、毎年最も人気があるのが諏訪町です。この町内のメインストリートは、レトロな街並みと緩やかに上っているのが特徴で「日本の道百選」に選ばれています。多くの人が詰めかけていました。

05
 (ガイドブックより転載) 11の町内はそれぞれ特徴があります。諏訪町の踊りが始まった時のことを考えると、群衆ともいえる、溢れるような人混みの中で、静寂を必要とする おわらの音曲と踊り がどのようになるのか想像もつきませんでした。

06
 鏡町は、ちょっと外れにある町内で、静かな雰囲気でこんな踊りを見るのも一興です。

23dsc00256
 17:36 踊りが始まる19:00迄にはまだまだ時間がたっぷりあるのですが、もう座って待っている人たちがたくさんいました。食事を買ってきて食べている人もいましたが、食事する場所はあちこちたくさんありました。

24dsc00258
 行灯に灯が入り、人混みも益々増えてきて、ここで踊りが始まったらどうなるのだろうかと心配しました。そう心配する自分も観客の一人なのですが。

25dsc00262
 17:56 空は明るかったのですが、時間と共に暗くなり、かなり強い俄雨が降ってきました。雨によって踊りを中止にする町内もあり、多少の雨であっても踊る町内もあるそうです。従って、観客はあちこちの町内を移動したりしていました。この各町内の、観客に媚びないそれぞれの勝手さはいいと思いました。

26dsc00263
 こんな静かな町内で、どこからともなく哀調のある音が聴こえてきて、闇から浮かび上がるように編み笠が浮かび上がってきて、静かな熱いものを内に秘めた踊りが観られたら最高なのですが。

27dsc00264
 一方では、雨も踊りも関係なく賑やか気分のエリアもありました。これはこれで年に一度のお祭りです。

28dsc00274
 お寺の境内では輪踊りが披露されていました。哀調のこもった音曲と流れるような嫋やかな踊りはとてもいいものでした。

29dsc00279
 18:17 雨は、止みそうでもあり止みそうもなく微妙でした。雨模様にもかかわらず、19:00からの町流しをお目当てに観客は続々と詰めかけてきていました。私は富山の居酒屋に行きたいと思っていましたので、なんとかカミさんを説得して戻ることにしました。結局この日は雨は降り止まず、19:00からの町流しは中止されたとのことでした。

30
 (ガイドブックから転載) 町流しは観てみたくもあり、あの人混みでは観ない方がよかったとも思えました。どこへ行っても本格的なカメラや高性能タブレットを持った人たちが前へ前へと詰めかけ、雰囲気が台無しにされるでしょうし。ひっそりとした町内で静かに流れる音曲と踊りを想像した方がよかったかもしれません。

 

今年は北陸新幹線の開通で、観客増大に拍車がかかったとのことでした。観光化については賛否両論あると思いますが、八尾町へのアクセスなど一定の配慮はなされているようでした。昨年観に行った青森のねぶた祭りは陽であり動でもあり、観客は多いほど賑やかでいいでしょうし、一方風の盆は陰でもあり静でもありますので、多くの人に観てもらいたい反面、背景としてはひっそり感も必要でしょうし。風の盆の踊りは、深夜まで行われ、観客が少なくなった深夜に、見せるためではなく自分たちが楽しむために踊るともいわれ、その時に本当の雰囲気が味わえるともいわれています。しかしそれさえ観たいというマニアも増えているとか、いやはや!

| | コメント (0)

« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »