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2015年11月30日 (月)

南米ペルー紀行02 サンフランシスコ~ロス

11/19(木) JALに乗ると同時に日付が変わりました。そして9時間のフライトでサンフランシスコに到着し、次はロサンゼルスへと向かいました。

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 サンフランシスコ空港のボードには、国内線や国際線など世界中の路線が表示されていました。ここでのトランジット時間は4時間もありました。ここでのセキュリティチェックや入国審査に時間がかかるかと思ったのですが、意外にもスムーズでたくさんの時間が余ってしまいました。

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 昼食は機内で食べ、夕食は空港で各自自由にとることになっていましたので空港内の売店を物色しました。サンドウィッチや野菜をパイ生地のようなものでまいたものなどがありましたが、ボリュームがありそうな上に価格も1,000円以上しましたので他のものを探しました。

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 握りや巻物の寿司が目につきました。

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 握り寿司はネタがどの程度のものかわかりませんでしたので、巻物にしました。アボガドやカニカマのようなものをノリで巻いて、ノリのまわりにシャリが巻かれた不思議な巻き寿司でしたが、味はまあまあでした。周りでは、外人が握り寿司を箸で器用につまんで醤油をつけて食べている姿もチラホラ見られ、寿司人気が伺われました。

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 18:12 予定では20:30発の便で、出発まではまだ十分時間がありましたが、搭乗口には結構多くの人が待っていました。

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 20:22 搭乗が始まりました。機体は新しく、シートなども頑丈そうで機能的でした。混み具合は8割くらいの乗客率だったでしょうか。

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 たまたま隣り合わせたツアー仲間のK子さん、まだお互いにあまり話をしませんでしたのでどこから来たか、どういう人かはわからず、ニッコリと笑っていたこの方にすっかりお世話になるとは思いもしませんでした。

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 私もK子さんにシャッターを押してもらいましたが、やはり長いフライトの後の長いトランジット時間に疲れは隠せませんでした。

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 21:30 サンフランシスコからのフライト時間は1時間半で、あっという間におびただしい光を放つロスの夜景が眼下に広がっていました。

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 ロサンゼルス空港、この空港が帰りには思い出の空港になろうとは。

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 空港内のハンバーガーBarは満席で賑わっていました。

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 スーツケースが出てくるターンテーブルにはどいうわけか、可愛いマスコットがあり、ここまでの長旅の疲れと緊張がちょっと緩むような。アメリカに入国する場合のスーツケースの鍵はかけてはいけないことになっていますので、羽田でスーツケースを預けた時には鍵をかけずにおいたのですが、受け取るまでちょっと心配でした。鍵をかけておくと壊されることもあるとのことでした。

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 スーツケースを受け取り、専用バスでホテルへと向かいました。

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 23:05 ホテルにチェックインし、部屋に入って、ベッドに倒れ込んで寝てしまいました。羽田を出発して16時間でした。

 

羽田を出発してスーツケースはロスで受け取ることになっていたのですが、16人のツアー仲間のうち3人分のスーツケースが最終的な目的地のペルーのリマに先に行ってしまいました。またスーツケースを縛ってあったベルトがなくなったという人も1人いました。私はスーツケースを開けろといわれ、チキン味のカップヌードルを没収されましたがシーフード関係は無事でした。出発早々いろいろありました。

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2015年11月29日 (日)

南米ペルー紀行01 羽田~サンフランシスコ

11/18(水) 南米ペルーへ向けての長い旅が始まりました。「ペルー4つの世界遺産めぐり9日間」というツアーに一人参加しました。帰国は11/26(木)の予定だったのですが。

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 出発する空港は羽田国際線ターミナルでした。 21:02 少し早めに空港に着くと、イルミネーションが煌びやかで、なんとはなくの出発前の緊張感をほぐしてくれました。

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 最近は、羽田国際線ターミナルからの出発が増えているようで、夜遅くの時間帯とは思えないほど多くの人達が手続きカウンターへと向かっていました。

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 集合時間にはまだ時間がありましたので、仲見世通りのような江戸情緒の街をブラブラと。出発前のこの時間帯は時間をもてあましてしまいますので、結局はいつもこんな風に時間を潰しますが、これはこれで楽しい時間でもあります。

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 日が暮れてあたりが真っ暗になった頃自宅を出発し、リムジンバスから夜の街を眺めていた時には、長時間移動に耐えられるだろうかという不安や、体調を崩さないだろうかという不安、高山病への心配などが頭をよぎりましたが、空港の華やかな雰囲気に触れているうちに、不安はかなり薄らいできました。

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 22:51 搭乗手続きを終えて、JALラウンジで出発前の一時を過ごしました。今回のツアーにはプレミアムエコノミーというコースで申し込みましたので、ラウンジを使うことができました。ラウンジには、やはりビジネスマンやビジネスウーマンが目につきました。

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 ラウンジでは酒が飲み放題で食事もできますが、そう飲めるものでも食べられるものでもありません。

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 ビールでにぎり寿司をちょっとつまんだ後、ウィスキーでお口直し。搭乗すれば機内食が出てきますし、これから旅が始まりますのであまり飲むわけにはいきませんでした。

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 23:37 搭乗時間が近くなりましたので搭乗口へと向かいました。搭乗するのはJAL2便サンフランシスコ行きです。そういえばサンフランシスコを漢字で書くと「桑港」ということは知っていましたが、「旧金山」と書くことを初めて知りました。

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 賑やかでありながら静かなシスターの皆さんも同じフライトでした。これが変な集団だと嫌だなあと思いますし、修学旅行生達だとうるさそうだと思いますが、シスターさん達だと何となく安らかな気持ちになれました。

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 11:48 機内へと通じる搭乗通路、いよいよ腹を括って日本を離れました。

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 飛行時間は9時間10分と長時間ですので隣の人がどういう人か気になるものですが、隣人は外国人のお兄さんで顔はちょっと! ですが、気立ては良く、気を遣わなくてすみました。プレミアムエコノミーでは、シートの幅が少し広く、また背もたれはフルフラットにはなりませんがかなり倒せますのでかなり楽でした。

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 01:21 寝酒には赤ワインを飲みました。そして背もたれを倒してぐっすりと眠りました。

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 06:49(時差は-17時間:現地時間13:49) 目覚めた時には昼食の時間(現地時間)となりました。JALの機内食は最近とても美味しくなりましたので食べ過ぎて困ります。

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 16:27(現地時間:以降同じ) サンフランシスコ空港に到着しました。今回は、アメリカはトランジットだけですので国土を踏んだわけではありませんが、アメリカ入国は初めてでした。この時点では、まだツアー参加者(16人)の顔合わせが済んでいませんでしたので、顔見知りは添乗員さんだけで、この後皆さんと顔合わせをしてホッとしました。

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 17:19 ちょっと空港建物の外の空気を吸いました。今回のツアーで最初のフライトでしたが、これから先、ロサンジェルスへ、リマへ、クスコへと続くフライトは、まだまだ始まったばかりでした。

 

プレミアムエコノミーでの移動はトルコ(夫婦で、コンフォートクラス)に次いで2回目でした。モロッコへは初めてビジネスクラス(夫婦で)を使いました。プレミアムエコノミーは、エコノミーに比べて7万円高かったのですが、これを高いとみるか安いとみるかは人によって異なると思いますが、帰国してからの疲労度がかなり緩和され、すぐに仕事に入れるのでとても助かります。

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2015年11月18日 (水)

南米・ペルーへ

11/18(水)~26(木) 南米・ペルーに出かけます。

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 「ペルー4つの世界遺産めぐり 9日間」というツアーに参加することにしました。カミさんはまったく興味を示さず、一人参加となりました。ツアーに申し込んだ時にはワクワクしていた気持ちも出発日が近づくにつれ不安が増してくるのはいつものことです。添乗員さんから出発前の確認電話がきて、あれに注意、これに注意、何がダメとかの注意事項を聞くとさらに気分は滅入ってくるのです。不安のまま空港に出かけ、出国審査をすませると開きなおって、飛行機が離陸すると現実は忘れて、日々の出来事はどうでもよくなるというパターンは今回も同じようです。

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 南米は初めてです。日程表を見るとほとんど飛行機に乗りっぱなしで、やはり南米は遠いという実感が湧いてきました。今回はプレミアムコースという、エコノミークラスよりちょっと広めのシートで、昨年のトルコツアーの時に利用したコンフォートクラスと同じようなものと思われ、その時はかなり楽でしたので、今回も少し楽かなと思います。但し、それも日本~サンフランシスコの間だけです。その次のロス(米)~リマ(ペルー)の区間(8時間)はエコノミーとなります。

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 南米にはたくさんの観光地がありますが、今回はペルーとクスコの観光というコンパクトなものです。特にマチュピチュが目玉ですが、この超有名な観光地は年中TVで見ていますので今更という感じがしますし、世界中の観光客でごった返すことも目に見えていますので最初は敬遠していたのですが、まあそれを承知で実際に自分の目で見てみたいという気持ちもあり、また南米そのものにも興味がありましたので決めました。

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 スケールは異なりますがエベレストを実際に自分のこの目で見てみたいという気持ちと同じで、やはり実際に見てみたいものです。マチュピチュの標高は2,000mですが、クスコは3,400mで富士山の本八合目と同じ高さです。高山病には要注意ですが、ヒマラヤに比べれば少し気が楽です。

 

一番気になるのはやはり飛行距離の長さ、遠さです。来年の2月に同じ南米のアルゼンチン・パタゴニアというところに出かける予定があり、ペルーよりさらにさらに遠い南の果てです。いわば今回のツアーはその予行練習でもあります。あまりの遠さに嫌気がさしてしまうか、これくらいなら大丈夫と思うか、試金石でもあります。

 

スマホを持っていれば、電話(料金はこちらもち)やメールも使えますので仕事には差し支えがなさそうですが、時差が-14時間ですので、やはり遠い、地球の裏側を実感しています。出発は、日付が変わる11/19(木)の00:05、羽田からとなります。

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2015年11月17日 (火)

琵琶湖ウオーク36 義仲寺ゴール

10/29(木) 琵琶湖ウオークも最後となりました。

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 比叡山に参拝して山を下りてから、歩いたり電車に乗ったりして琵琶湖ウオークの出発点三井寺と義仲寺を再訪しました。

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 琵琶湖ウオークをスタートするにあたって、今まで訪ねたことのない名刹に寄ってみようと思い、最初に立ち寄ったのが三井寺でした。9/7のことでした。

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 三井寺へと向かう道と並行して流れていたのは琵琶湖疏水でした。琵琶湖には大小400本もの川が流れ込んでいて、一方琵琶湖からの排水は瀬田川だけでしたが、その後この琵琶湖疏水が開かれ京都へと琵琶湖の水が流れるようになったということも知りました。

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 義仲寺も9/7に訪れたのですが、その時は休業日で門は閉まっていましたが、この日は開いていてようやく中に入ることができました。

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 この義仲寺がいつ創建されたかは明らかではないのですが、木曽義仲(源義仲)の死後、愛妾だった巴御前が墓所近くに草案を結んだのが始まりといわれています。

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 義仲公墓には花が供えられ、今でも訪れる人が絶えないようでした。この日も10人くらいの俳句仲間の方達がいました。

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 義仲の愛妾巴御前のお墓(巴塚)は、義仲公墓の隣に仲良く並んでいます。こちらにもお花が供えられていました。

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 こちらは松尾芭蕉の墓。俳人の芭蕉はこの寺と湖南の人々を愛し、度々滞在したそうです。芭蕉が大阪で亡くなった時、 亡骸は木曽塚に送るべし という遺言に従って義仲公墓の横に葬られました。 木曽殿と背中合わせの寒さかな という句が有名です。

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 ここ「無名庵」では、芭蕉の句会が度々行われたとのことです。一回目は8年前に東海道を歩いた時、二回目は琵琶湖ウオークをスタートした9/7、ここを訪れたのですが、共に門が閉じていて中に入ることができませんでした。今回で三度目の正直でした。あまり関係ないのですが、自分の中では琵琶湖ウオークのエンディングに相応しいスポットのように思えました。

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 義仲寺の近くに前回も気になっていた「八真道(やまと)」ラーメン屋があり、ちょうど昼時(12:19)でしたので是非是非と思ったのですが、何の貼り紙もなく扉は閉じられたままでした。残念!

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 仕方なく、京都駅に移動し、駅弁を買って新幹線に乗り込み、あっという間に帰宅しました。

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 琵琶湖一周240kmと聞いていたのですが、 “びわ湖サイクルライン” では193mとなっていました。まあどちらでもいいのですが、9泊10日のウオークでした。びわ湖サイクルラインのようにできるだけ湖岸に沿っての道を歩けばそういう距離だと思いますが、実際にはあちこちで寄り道をしました。長命山の808の石段や安土城址の405の石段、佐和山城跡にも登り、近江八幡市や長浜市の町歩きをしたり随分寄り道をしました。

 

琵琶湖ウオークといいながら、結果として危険なところ(琵琶湖パークウェイ)は宿泊先の車で送迎してもらったり、適切な宿泊施設がなかったり予約ができなかったりで近江舞子~堅田間はJRを利用しましたので全て歩いたわけではありません。寄り道をした分、日程が足りなくなりましたが、それでもジグザグの町歩きはとても面白かったのです。

 

歩くことと同じくらいの大きな目的、居酒屋巡りも石山、近江八幡市、彦根市、長浜市、堅田(大津市)でいいお店に巡り会うことができました。

 

琵琶湖ウオークは通常は瀬田唐橋が起点となっていますが、私は大津市の義仲寺を起点と考えました。今回3回目にして初めて義仲寺に入ることができ、義仲、巴御前、芭蕉の墓に墓参することできました。義仲寺は人の世の儚さを感じてしまう、好きな場所です。

 

琵琶湖は滋賀県の面積の1/6を占めていて、また琵琶湖を取り囲む東西南北の地域はそれぞれ歴史・文化と特色を持っていて、地域の特徴を一口では言い表せません。一周200kmと、東海道や中山道などに比べると距離は短いのですが、とても密度が濃かったテクテクのように思います。

 

さて次はどこにと考えてはいるのですが、とりあえずは11/18から南米ペルーのマチュピチュに出かけ、来年2月には南の果てパタゴニアに17日間出かけようと思っています。氷河トレッキングも体験してみたいと思っています。その後、春になればまたどこかで街道歩きや町歩きをしているかもしれません。

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2015年11月16日 (月)

琵琶湖ウオーク35 比叡山詣で

10/29(木) 琵琶湖ウオークの最後の日となりました。

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 この日は、比叡山に寄って、琵琶湖ウオークのスタートとなった三井寺を目指しました。そして京都から新幹線で帰宅する予定でした。

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 06:32 琵琶湖の朝陽を見ながら宿を出発しました。

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 これで琵琶湖ともお別れでした。

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 このまま歩いて行けば26kmで京都へと通じる道を歩きました。

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 07:54 出発して1時間半、知る人ぞ知る「雄琴温泉」辺りに来ました。看板には “雄琴温泉のゆるキャラ なんかがあったりして、イメージチェンジの心意気がわかりました。

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 雄琴温泉は初めてだったのですが、 雄琴温泉港 があるとは思いませんでした。港の前にはごく普通のホテルやリゾートマンションらしき建物が目につきました。

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 観光ホテルでは、既に観光バスが出発の準備をしたりしていて、雄琴温泉も観光地としての朝を迎えていました。

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 国道を歩いて行くと、かつての雄琴温泉も健在のようですが、こちらの街はまだ眠りから覚めていないようでした。

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 比叡山へと向かう道は、国道から離れて静かな住宅街を抜ける道でした。

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 延暦寺の玄関口となる「坂本」というところも静かな町でした。昔の風情を残す日吉大社への道を歩いて行くと、 “比叡山延暦寺の開祖 傳教大師生誕の寺” というお寺、生源寺がありましたので入ってみました。

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 傳教大師・最澄が産まれた時使った産湯の井戸がありました。

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 坂本の町に入ってから日吉大社までの距離は結構ありました。

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 09:17 比叡山へは坂本からケーブルに乗りました。延暦寺までの距離は日本最長の2,025mで、この距離を11分で結んでいます。1927年(昭和2年)に敷設されたもので、それまでは比叡山のお坊さん達は何かにつけて山道を登ったということでしたから、それだけで大変な修行になったことでしょう。

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 ここ比叡山延暦寺は30年くらい前に訪れて以来2回目です。この門を通った記憶がまったくなく、今回が初めての参詣のような気がしました。

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 比叡山延暦寺の開祖最澄は高野山の開祖弘法大師空海と並び称される人で、どうしても四国遍路の経験があるせいか空海の方が親しみやすいのですが、最澄の 一隅を照らす という教えは好きな言葉です。

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 比叡山は標高848mですので、ケーブルで上がってくると空気はヒンヤリと感じましたが、それでもまだ紅葉はチラホラでした。

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 比叡山にはたくさんの伽藍がありますが、延暦寺根本中堂が比叡山延暦寺の総本堂であり中心です。

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 根本中堂には、最澄が788年にともした灯火が1200年間消えることなくともっているそうです。

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 根本中堂の中から、若いお坊さん達がゾロゾロと出てきました。話の内容から研修に来たようで、青々とした坊主頭が初々しく、屈託なく笑っている様子から、これからの修行をあまり心配しているようには見えませんでした。内心はわかりませんが。

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 時々聞こえていた鐘の音、近づいてみれば 開運の鐘 で、一突き50円だそうで、ただしお一人様一回限りとのこと。私も50円出して一突きしました。

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 比叡山に上った理由は、一つは久しぶりの延暦寺参拝でしたが、もう一つは琵琶湖ウオークでは比叡山を見ながら歩きましたので今度は比叡山から琵琶湖を見てみようというものでした。

 

比叡山からは琵琶湖大橋がハッキリ見え、大橋の先のには歩き始めて2日目に宿泊した ラフォーレ琵琶湖 の白い建物が見えました。湖の向こうは霞んで見えませんでしたが、このでかい湖の周りをよくもまあ飽きずに歩いたものです。

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2015年11月15日 (日)

琵琶湖ウオーク34 ビューロッジ琵琶

10/28(水) 風車村、白浜を通り過ぎ、白髭神社前の国道を近江舞子目指して歩きました。

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 この日の最終的目的地は琵琶湖大橋近くのビューロッジ琵琶ですが、そこまではとても歩けませんので近江舞子駅まで歩くことにしました。

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 13:08 バイパスに沿った道は最悪で、さらに強い向かい風と霧雨にも祟られ、今回のウオーキングで最も辛い時間でした。

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  びわ湖サイクルライン や 近江湖の辺の道 はどこに消えたのだろうと思っていましたら、国道からちょっ中に入った草むらに見つかり、ホッとしました。

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 13:42 びわ湖サイクルラインの標識も見つかりました。瀬田唐橋から148kmですので、白浜の手前(138km 10:44)から10kmを3時間かかっているということになりました。昼食をとったりしましたので、こんなものかなと思いました。

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 14:06 近江舞子に近づくにつれて、 白砂青松の景勝地 という地図に記載されて通りの景色が見られました。レジャーボートの基地があったのですが、他には建物も店も何もなく、ちょっと肩すかしでした。

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 湖岸から離れた場所では、今まで見たこともない琵琶湖らしくない景色も見られました。

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 JRの高架に沿って舗装された車道があり、駅が近いと思われたのですが、ここにも何もありませんでした。

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 14:31 近江舞子駅に着きましたが、駅前にも何もなくガランとしていました。駅の名前からして賑わいのある華やかな場所なのかなと勝手に想像したのですが、すっかり予想が裏切られました。この辺りで宿泊場所があればいいなあと思っていたのですが、来て初めて何もないことがわかりました。

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 14:35 ここからJR堅田駅まで16km、電車に乗ることにしてホームで待っていると他に誰もいないホームに電車が滑り込んできました。歩けば4時間の距離で歩けないこともないのですが、再び国道沿いの道になりそうでしたのでパスしました。

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 この日の宿泊先 ビューロッジ琵琶 は、JR堅田駅で電車を降りてそこから歩いて15分くらいの湖畔にありました。勝手に湖畔に建つ瀟洒な白亜の建物を想像していたのですが、二階建ての国民宿舎でした。

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 目の前は綺麗な砂浜で、夏にはきっと賑やかなのでしょう。

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 17:07 この日はたくさん歩きましたので、「魚料理 遊山」という居酒屋に開店と同時に入りました。

 

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 店内に入ると生け簀にもカウンターのケースにも魚がたくさんいました。

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 マナアジの刺身。

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 サワラのたたき。

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 貝の刺身。

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 日本酒は 満寿鏡 じぶんどき”。

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 酒と魚で小腹を満たした後、シメは肉野菜ラーメンにしました。

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 お腹も一杯になり、ほろ酔い加減で日が暮れた道を宿泊先の ビューロッジ琵琶 へと戻りました。ビューロッジ琵琶は、琵琶湖大橋の袂にありました。琵琶湖橋を渡った先には9/14に宿泊した ラフォーレ琵琶湖 があります。琵琶湖大橋を渡ってみようとも思ったのですが、片道30分、往復1時間かかりますのでやめました。

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 宿泊先に着いて、私の部屋以外に明かりがついていてホッとしました。チェックインした時は他のお客がいませんでしたので一人きりの宿泊かと心配していました。

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 部屋は、バスもトイレもなく布団も自分で敷く(気楽でいいのですが)で素泊まり6,500円でした。前日のサンブリッジホテルの6,000円に比べるちょっと高いのではと思いました。

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 窓を開けると満月に近い月が湖面に光を映していました。見ようと思っていた琵琶湖の月でした。

 

この日は、朝サンブリッジホテルを06:00に出発して近江舞子駅までの24kmを8時間半で歩き、その後は電車を利用しました。もう一泊できれば電車を利用することはなかったのですが、京都に近くなるせいかどこも満室でしたので諦めました。それにしても近江舞子があれほど何もない(白い砂浜がありましたが)ところだとは思いませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2015年11月14日 (土)

琵琶湖ウオーク33 高島町・白髭神社

10/28(水) 風車村、白浜を通り過ぎ、近江舞子を目指しました。

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 次の目標地点として、高島町の中心部にある白髭神社を目標としました。

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 11:04 白浜を過ぎて間もなく高島市高島町に入りました。高島市の面積は、長浜市に次ぐ県下第二ですが、湖を含めた場合は県下です。 琵琶湖源流の里 ともいわれています。百貨店高島屋の名前の由来(創業者が高島出身)となっているそうで知りませんでした。

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 とても強い向かい風が吹いている中、女性がかなりのスピードで追い越していきました。この辺りは何もない場所ですから、多分JR近江高島駅に向かうものと思われ、駅まではかなりの距離がありましたので大変だなあと思いました。

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 左側の琵琶湖の湖面には陽が当たって輝いていたのですが、雲が踊るように千切れるように飛んでいました。

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 琵琶湖の湖岸でよく見かけた防風林の松林、ここでもピサの斜塔のように傾いていました。琵琶湖周辺での風の強さを物語っていました。

 

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 湖岸の道はバイパスとなり歩くことができず、高島町の町中へと入りました。 ビレッジ(村) という建物に既視感を覚え、しばし考えた結果長浜市の 黒壁スクエア に思い当たりました。 ほどよい田舎町 とか 日本人の心のふるさと ともいわれていて、そのイメージ通りの町づくりが行われていることが伝わってきました。

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 ようこそ初の里、高島へ というポスターもありました。初は、浅井長政とお市の方の間に産まれた三姉妹、茶々、初、江と二番目の娘です。それぞれ秀吉、京極高次、徳川秀忠に嫁ぎました。信長の姪っ子で天下の覇権争いに関わりました。琵琶湖周辺では、浅井長政が大きな勢力を誇っていたことがわかります。

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 バイパスを歩くことができないために随分遠回りしましたが、おかげで 日本人の心のふるさと といわれる高島町の町中を歩くことができました。湖岸を走る目の前のバイパスを左手に見ながら先を急ぎました。

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 バイパスの道路下にところどころに小さなトンネルがありましたので行ってみました。

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 小さなトンネルの先には琵琶湖の水が白波をたててテトラポットにぶつかっていました。まるで海の岸壁のような景色でした。湖面すれすれに白い雲が飛んでいました。

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 地図にも載っていた 四十八体石仏群 という標識に興味をそそられ、矢印の方向に向かって歩きました。

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 墓地があり、その墓地を背景に高さ1.6mの花崗岩でできた阿弥陀如来像がありました。室町時代後期に観音寺城(現安土町)城主の佐々木六角義賢が亡き母の菩提を弔うためつくったものだそうですが、もともとは四十八体あったそうで、現在は三十三体とのこと。十三体は大津市に移され、二体は盗難に遭ったとも。罰当たりがいるものです。

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 石仏群の前の道をそのまま歩いて行くと山の中の道のようで、こういう道がずっと続くといいなあと思っていたのですが。

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 心配したとおり、山の中の道はすぐにバイパス(国道)と合流し、爆走してくるトラックの風圧と爆音に悩まされてのウオーキングとなりました。

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 12:32 国道歩きがどこまで続くのかなあと思っていたところ、中間地点として目標としていた「白髭神社」に着きました。大きな神社で、全国に祀られている白鬚(白髭・白髯)神社の総本宮といわれているそうです。

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 神社の方にこの先の道を聞くと、ずっと国道沿いに歩くということでしたので、ここで非常食で昼食としました。

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 昼食をすませて歩き始めて間もなく、なんと 十割そば・鯖寿し の看板が出ているレストランがありました。鯖寿しは大好物なのに残念なことをしました。

 

高島市高島町はとても雰囲気のあるいい町で、歩いていても気持ちがゆったりしてきてよかったのですが、国道に出てからの道は最も嫌いな道で、トラックの爆音と向かい風に悩まされた最悪のテクテクとなりました。

 

 

 

 

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2015年11月13日 (金)

琵琶湖ウオーク32 白浜目指して

10/28(水) 風車村を通り過ぎ、次の目標地点を白浜としました。

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 この日の最終目的地近江舞子まではまだ大分ありました。

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 09:15 びわ湖サイクルラインによると、瀬田唐橋から133km地点。前に見た標識は07:48に風車村の手前辺りで128kmでしたから5kmの道のりを1時間半近くかかっていることになりました。この標識はこの辺りでは5kmごとに設置されているようでした。

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 歩いて行く先の右手には琵琶湖を背にして市街地に向かって真っ直ぐの並木道が延びていました。遮るものが何もない平らな田畑を吹き抜ける風はさらに強くなり、道端のススキのような草が風に靡いていました。まだ追い風だからいいのですが。

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 並木道の道は、バイパスや鯖街道(若狭道:京都と小浜市を結ぶ道)へと向かう一直線の道でした。もし市街地に向かってこの道を歩くとしたら、とてもウンザリしそうに遙かな道でした。

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 いつの間にか湖岸の道に出ました。前方はすっかり雲に覆われて、心なしか湖岸の道も風景も寂しげでした。

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 そうかと思うと、緑に覆われた木立の中は風が遮られて静かでした。

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 またまた同じパターンで、いい道だなあと気分よく歩いている時に限って大きな川が待っていました。この時は、橋のあるところまでの距離が今までで最も距離がある場所でした。振り返って見ると、歩いた道はジャングルの中のようでした。

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 この川に架かっていた橋も大きな橋で、橋を渡るだけでも嫌になるくらいでした。

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 珍しいことに、無花果(イチジク)の自動販売機があり、もぎたてのような無花果が1パック300円でした。非常食として買おうかどうか迷ったのですが、持ち歩いているうちに傷みそうでパスしました。

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 びわ湖こどもの国 という標識があり、行こうと思ったのですが、ナビで調べると行ったと同じ道を引き返すようでしたのでこれもパスしました。

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 10:07 前方には、比叡山に連なる山が見えてきましたが、追い風だった風向きが向かい風になり始め、まともに向かい合うかたちとなり苦しいテクテクとなりました。

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 珍しい銀杏並木が現れました。その葉は僅かに黄色みを帯びていて、黄葉にはもう少し時間がかかるようでした。

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 いつまでも影がついてきて、四国遍路の 同行二人 を思い出しました。

 

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 比叡山に連なる比良山地が大分近くになってきましたが、この山脈から吹き下ろしてくる風がまともに向かってきて強くなる一方でした。

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 前方から元気な声が聞こえてきたと思いましたら、中学生たちで100人の行列でした。一泊でのウオーキングでこどもの国に行くとのことでした。向かい風に嫌気がさしていたのですが、声を掛け合ううちに元気になりました。

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 10:44 サイクルラインの距離は133km、前の128kmの標識を見たのが09:15でしたから、5kmを1時間半のラップで、どうやら安定的にこのペースのようでした。

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 道の左手が壁なのか金網なのか草で覆われていてわからず、ずっと歩いてきて最も手入れされていないと思った、エアポケットのような道でした。

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 地図に載っていた 宝船温泉 という場所は、何となく景気の良さそうなイメージの温泉街を思い描いていたのですが、アーケードどころか小さな看板があるだけのぽつんと古い一軒家の温泉でした。どうもこのルートのスポット名は 風車村 といい、この 宝船温泉 といい事前のイメージとは異なるようでした。

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 10:58 当面の目標とした白浜という場所に着きました。

 

このルートは風との戦いで、琵琶湖の環境の厳しい一面を体感しました。三方を鈴鹿山脈、伊吹山地、野坂山地、比良山地などの山に囲まれ、京都方向にだけ開かれた琵琶湖は風の通り道になっているようでした。竹生島遊覧も風で出航中止になることがしばしばあるということがわかるような気がしました。

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2015年11月12日 (木)

琵琶湖ウオーク31 風車村

10/28(水) サンブリッジホテルでちょっと優雅な一時を過ごして、この日の最終目的地近江舞子を目指しました。

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 この日の宿泊先は琵琶湖大橋の近くの国民宿舎なのですが、そこまでの距離は40kmでとても歩ける距離ではありませんでした。途中の近江舞子辺りで宿泊先を探したのですが見つからず、結局近江舞子まで歩き、そこからは電車を利用することにしました。とりあえずの目標は 風車村 としました。

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 05:52 4時に目覚め、早めに出発しました。ホテルを出ると薄い雲間から月がまだ残っていました。琵琶湖の月でした。

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 06:30 歩き始めると同時に夜が明け始め、湖の向こう側が紅く、明るくなりました。

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 湖岸の道から市街地の道に入ると、 九里半街道 という説明パネルがありました。九里半街道は、今津と小浜(福井県)の距離が九里半(約38km)であることから 若狭道九里半 などともいわれたそうです。関東の人間の私には土地勘がありませんので理解しにくいのですが、琵琶湖は北陸に近い土地で、つづらお荘(長浜市)の方が、買い物は長浜市内に行かないで敦賀に行くと言っていましたが、なるほどです。

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 九里半街道の街並みは街道そのものの雰囲気でした。まだ街はひっそりと静かで、眠っていました。

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 九里半街道はすぐに湖岸の道となり、小さな祠の後ろでは朝陽が顔を出し、湖面が輝いていました。厳かな雰囲気でした。

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 道路標識によると風車村まで6kmとありました。その日の行程を考える時、地図に表記されている地点や地名をとりあえずの目標とし、到着予定時間を考えることにしています。

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 湖に乗り出すように鳥居が建っていました。安全祈願なのか、信仰なのか、きっと朝陽に向かっての鳥居だと思われました。

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 07:05 振り返ると、ホテルの白い建物が小さくなっていました。心配なのは白い雲が濛々と湧いてきていることでした。

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 この辺りは水鳥がたくさん生息しているようで、“大きな音をたてないで下さい” という注意書きがしばしば見られました。やがて木立の中に水鳥観察センターが見えてきて、早朝からスタッフの人達が動き始めていました。

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 ところどころ、水鳥の群れが突然飛び立ったりすることもありました。それよりも水辺の芦などがかなり揺れいていて、かなり風が出てきたのが気になりました。

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 この辺りは、別荘地帯にもなっているようでした。

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 びわ湖サイクルラインの標識によると、瀬田唐橋から128km地点。このサイクルラインの一週距離が193kmということでしたので残り65kmということになり、後二泊必要なのですが、予定では一泊しかできませんのでこの日は途中から電車利用としました。

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 時々、漁港とはいえない小さな漁港、船泊まりが見られました。琵琶湖は海ではなく湖ですので意外な気がしましたが、風よけ港としての役割があるようでした。この日は風がとても強く、それもしばしば吹くということを体感した一日となりました。

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 やがて木立の中の木道の道となりました。小鳥の囀る声が聞こえたり、木立が風に吹かれてサワサワという音をたてたり、なかなかいい雰囲気でしたが、この木道がくせ者なのです。うっかりしていると身体がよろけたり、場所によっては木道の一部が朽ちていたりして、踏み外さないように歩くのに気を遣いました。

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 木道がなくなってホッとして、落ち葉を踏みしめながら歩いたのですが。

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 案の定、川にぶつかりました。何度も繰り返した橋のある場所への遡りでした。

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 川を遡っていくと橋があるか、ここのように幹線道路の水門があるかです。琵琶湖に注ぐ川は大小合わせて460本とのことですので随所にこういう場所があります。幹線道路を歩いていれば問題はないのですが、それではとても面白くないウオーキングとなってしまいます。

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 振り返って見ると、今津の町は遙か遠くになっていました。それ以上に気になるのは雲の動きと風の強さでした。現在のところ追い風だからいいのですが。

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 よく目についたのがソーラーパネルでした。耕作地に適していないからパネルが設置されているのか、経済的効率のためにパネルを設置したのかはわかりませんが、太陽熱という代替エネルギーのために草地が失われることは何とも皮肉なものです。

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治水の先駆者 太郎兵衛 の像がありました。琵琶湖には大小460本の川が流入する一方、排水路は瀬田川一本です。そのために琵琶湖周辺の村では度重なる水害に見舞われ、その解決に太郎兵衛親子三代が命をかけたとのこと。そういえば、今でも琵琶湖のある滋賀県と水の供給を受ける京都府との間で、疏水の排水量を巡ってトラブルがあるそうです。

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 08:46 風車村に着きました。ホテルを06:30に出発して約2時間。7kmくらいを2時間のペースでした。まだ先もありますのでまあこんなものでしょう。

 

とりあえずの目標とした風車村は、動かない風車がぽつんと建っているだけの場所でした。地図にものっているし、もう少し何かあると思ったのですが。何故風車かというのは風が強いところということは容易に推測がつきましたが、せめて実際に動かせないものでしょうか。近くにはソーラーパネルがあったのが何とも皮肉なもので、そのうち 太陽村 になってしまうのでしょうか。

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2015年11月11日 (水)

琵琶湖ウオーク30 サンブリッジホテル

10/27(火) この日の最終的目的地近江今津の宿泊先に到着しましたが、予想もしなかったホテルでした。

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 この地での宿泊先を探したところ、駅前のビジネスホテルは満杯で、予約が取れたのがこのホテルでした。サンブリッジホテルという聞いたこともない名前でしたので、まあ小さな二流のビジネスホテルかと思っていたのですが、表玄関に回ってみるとシティホテルでした。

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 ホテルに入るとロビーも立派で、しかも重厚な感じがして、リュックを背負って疲れ果てた姿で入るのは憚られるような雰囲気でした。チェックインには少し早い時間でしたが、フロントに行くと笑顔で迎えてくれました。あまりにも疲れた顔をしていましたので、それもちょっと可笑しかったのかもしれません。

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 なんと、皇太子殿下ご夫妻もお泊まりになったとか、恐れ入りました。

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 素泊まり6,000円の部屋。一番安い部屋にしましたので琵琶湖が見える部屋ではありませんでしたが、これで十分でした。

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 窓から街を眺めると、JRの高架の向こう側には建物が見えました。この後、近江今津駅まで(15分くらい)歩いてみたのですが、ビジネスホテルもお店もましてや居酒屋も見当たらず、とても寂しい町でした。

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 ホテルから表に出ると、隣は大きなショッピングセンターとなっていました。

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 ショッピングセンターの中に入ってみると、店内はとてつもなく広く、肉や魚、野菜や果物、総菜など何でもありました。食事代を安くすませるならここで食材を買ってホテルの部屋で食べるということも考えられましたが、それはちょっと寂しいし。

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 さんまフライ という揚げ物がありました。ふっくらとしていて美味しそうではありましたが。今年の4月に京都の錦市場で チョコレートコロッケ という食べ物を見かけましたが、それよりはまともでしたが。

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 ホテルの1階にラウンジがあり、ここで酒も飲めるしちょっとした料理を食べることができるということでしたので、この日はたくさん歩いたご褒美でちょっとオシャレに贅沢してみました。

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 先ずは、適度に冷えた生ビール。

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 ラウンジからはガラス越しに暮れつつある琵琶湖を見ることができました。ビールを飲みながら、この日歩いてきた道々のことを思い返しました。

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 日本酒は、この日歩いた旧道で見かけた吉田酒造の 竹生嶋 を選びました。

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 酒のつまみには、ちょっと贅沢して ウニとカニ にしました。

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 どこかで食べたいと思っていた ふな寿し がありました。一口、口に含むとフワーッと酸味が広がり、まるでチーズでした。その酸味を洗い流すような感じで日本酒を含むと、酸味と日本酒がない交ぜになって調和して、旨さが口に中に広がり、これではいくらでも日本酒が進んでしまうと思いました。

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 〆は、地鶏出汁のラーメン。私には上品過ぎましたが、濃厚でした。

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 部屋に戻って、持ち歩いていたウィスキーを食後酒として、最後に甘いものということで、いくつかのスイーツをゲットしました。この旅初めてのスイーツでした。

 

当初は、駅前のビジネスホテルに素泊まりして赤提灯でもあればと思っていたのですが、駅前には何もなく、結局今まで聞いたことのないホテルに予約し、実際に来てみれば立派で贅沢(宿泊料は最安)でプチリッチな気分も味合うことができました。インターネットである程度のことはわかりますが、実際には行ってみなければわからないものです。

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2015年11月10日 (火)

琵琶湖ウオーク29 近江今津

10/27(火) この日の最終的目的地近江今津を目指して、ひたすら歩きました。

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 12:45 マキノ町の高木浜オートキャンプ場近くのインド料理の店でカレーを食べ、再びビーチ沿いに近江今津を目指しました。

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 きれいなビーチに建つホテルは、 “奥琵琶湖マキノグランドパークホテル” というリゾートホテルでした。ウオーキングの計画を立てる時、宿泊先として検討したことがあるのですが、宿泊費が一泊二食で2万円を超えましたので諦めたホテルでした。

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 ホテルのプライベートビーチのような場所には竹生島行きの専用の乗り場もありました。そういえば前日泊まったつづらお荘でも竹生島行きの専用の船を持っているとのことでしたので、竹生島には琵琶湖汽船だけではなくそれぞれの宿泊施設が竹生島上陸というオプションを用意しているようでした。

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 天候はいまいちハッキリしていませんでしたが、マキノ町の高木浜から続くビーチはよく整備されていて歩きやすい道でした。

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 調子よく、よく整備されたビーチを歩いていましたら、川に突き当たりました。ビーチには橋がありませんでしたので橋がある川の上流まで回り道しました。

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 この辺りは湖岸の緑地帯といわれる辺りで、あちこちがキャンプ場やオートキャンプ場になっていました。

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 13:14 びわ湖サイクルラインの標識では瀬田唐橋から118kmとなっていました。前回見たのは海津大崎の手前で113km11:07)でしたから、5kmの距離を2時間かかってしまったことになり、随分ノンビリしてしまってちょっと焦りました。

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 サイクルラインの標識の反対側には瀬田唐橋まで75kmと書かれていました。瀬田の唐橋までは残り2~3日の距離まで来ました。

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 13:43 いろいろ楽しませてくれたマキノ町とはここでお別れでした。

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 そして隣の今津町に入りました。今津町はどんな町なのでしょうか楽しみでした。

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 早速ワンちゃん達が出迎えてくれました。我が家は犬が大好きですので少し遊びたかったのですが、先を急いでいましたのですぐにお別れしました。

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 左手には琵琶湖があり、湖岸には防風林の松並木があり、真っ直ぐに立っている末は少なく斜めに傾いていて、風の強さが想像されました。

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 時々、緑の中を気持ちよく歩ける道がありました。

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 湖岸に近い道を気持ちよく歩いていると、またまた川に行く手を阻まれました。性懲りもなく、橋のある上流へと遡るのでした。

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 このルートでは休憩所があまりありませんでしたが、ようやくありました。ピッチを上げて少し疲れましたので休憩しました。

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 14:34 再びびわ湖サイクルラインの標識が、123kmですので前回の標識(13:14)からまた5km歩いたことになり、1時間20分かかりました。

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 今津町に入ってだいぶ歩きましたので、そろそろ賑やかな街並みでもあるのではないかと期待しながら歩いていたのですが、古い街並みの道に入り、この日の宿泊先 サンブリッジホテル はどんな場所に建っているどんなホテルかななどと考えながら歩きました。

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 14:40 古い街並みの道を抜けたと思いましたらいきなりホテルが現れ、まさかこのホテルではと思いました。というのも、聞いたこともない サンブリッジホテル は、街中の小さなビジネスホテルと思っていたからです。まさか湖畔の立派なホテルとは思ってもいませんでした。

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 腹帯観音堂を09:11に歩き出し、約20kmを5時間半のテクテクでした。ノンビリした割にはまあまあのペースで雨にも降られず、楽しい一日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2015年11月 9日 (月)

琵琶湖ウオーク28 マキノ町

10/27(火) 「つづらお荘」から近江今津を目指して、海津大崎に着きました。海津大崎では思いがけない道を歩きました。

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 海津大崎から先はマキノ町の中心部を目標としました。

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 11:01 目標としたマキノ町の中心部までは4kmくらいの距離ですから1時間くらいで、ちょうどお昼頃に着けそうでした。

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 11:07 琵琶湖サイクルラインの標識によると瀬田唐橋から113kmで、二本松キャンプ場近くでは108km10時頃)となっていましたから1時間ちょっとで5kmくらい歩いたことになりました。

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 時々、浜辺を歩いて下さい という標識が現れました。

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 標識通りに歩いて行くと、なるほどきれいに手入れされた道がありました。この日は、最終目的地の近江今津まで距離がありますので、前方の雲が気になりました。

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 湖岸に面した敷地にはリゾートらしい建物が散在しているのですが、中には放置されたようなオシャレな建物もあり、廃屋になるんだろうなあと思うと寂しくなりました。

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 自動車道を歩いたり、標識に導かれて 近江湖(うみ)の辺(べ)の道 を歩いたり、変化があってこの先どうなっているのだろかと思ったりしてそれなりに面白い道でした。

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この先はどうなっているんだろうかなどと思っていましたら 義経の隠れ岩 というのがあって、隠れるにはちょっと小さい岩しか見当たらず、長い間に波に洗われ削られて小さくなったんだろうかとか、いい退屈しのぎになりました。それにしても義経さんは全国あちこちに出没したものです。

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 11:22 とても雰囲気のある湖畔に出ました。琵琶湖ウオークで最もいい景色だなあと思った場所でした。

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 野猿が二匹、水中に手を突っ込んで何かをしていました。水浴びではないようで、いくら考えてもわかりませんでした。これもいい退屈しのぎになりました。

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 道路標識によると、今津への道は幹線道路(161号線)の手前の道のようでした。

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 幹線道路の手前の道は旧街道のような雰囲気で、とてもいい道でした。琵琶湖の周辺にはいたるところにこういう街道のような道があることは大きな発見でした。

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 吉田酒造という醸造所があり、「竹生嶋」というブランドの酒があるようでしたので、飲んでみたいと思いました。

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 「海津迎賓館」という古い建物があり、昔栄えた町の名残かなと思ったのですが、戻ってから調べたところでは、象牙業者?の本社のようで、ここには今では取引禁止となっている立派な象牙が保存されているとのこと。

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 12:01 ほぼ予定通り、マキノ駅近くに着きました。琵琶湖から真っ直ぐ延びているこの道は駅へと通じる道です。街並みが整備されていてとても綺麗でいい雰囲気の並木道でした。

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 この辺りは 高木浜オートキャンプ場 というところでした。

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 シーズンオフのウィークデイですので人影は見えませんでしたが、とてもよく整備されていました。マキノ町の街づくりのコンセプトが見えるような気がしました。

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 ちょうど昼時で期待したのですが、喫茶・軽食の店も残念ながら閉まっていました。

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 仕方なく、こんな時のために持ち歩いていた非常食で昼食としました。

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 非常食を食べ終わって歩き始めましたら、なんとインド料理の店が見えました。営業していような気配でした。

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 食事したばかりでしたので、入ろうか入るまいか迷っていましたら、いきなり出てきたマスターに引っ張り込まれるように店内に導かれてしまいました。ほとんど人が通らないこのオフシーズンに、辛抱強く客待ちをしている根性は見上げたものです。

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 ご飯の量は半分にしてもらって、食べたカレーの美味かったこと。塩津で食べたラーメンと双璧の美味さでした。結局、琵琶湖ウオークで食べたまともな昼食は塩津のラーメンとここのカレーの二食でした。

 

興味があったカタカナ町名のマキノ町は、とても雰囲気のあるいいイメージの町でした。

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2015年11月 8日 (日)

琵琶湖ウオーク27 海津大崎

10/27(火) 「つづらお荘」から近江今津を目指して、二本松というキャンプ場に着きました。

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 二本松から先は海津大崎という辺りを目標と定めました。

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 10:15 高島市マキノという地域に入りました。町の名前がカタカナ文字なのが興味をひきました。調べてみると、地域で最も著名な観光地であるマキノ高原スキー場(牧野に所在)から付けられたもので、自治体名に片仮名を用いるのは当町が全国で初めてだったそうです。

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 この日も天気は朝から秋晴れでしたが、竹生島の上空には雲がかかっていてかなり動きが速いのが気になりました。

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 歩いているとよく見かけるのが道路工事なのですが、琵琶湖周辺の道ではあまり見かけませんでした。工事区間が短い距離はいいのですが、これが長距離で車の往来がある場合、無人信号の時にはどこを歩いていいかわからず戸惑うことがあります。

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 湖の先には何となく町のような雰囲気の影が見えてきました。

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 トンネルが見えてきて嫌だなあと思ったのですが、短いトンネルでホッとしました。

 

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 最初のトンネルを抜けてホッとしたのも束の間、次のトンネルが見えその先にもトンネルが口を開けていました。

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 車の気配がある時は、トンネルの入口で待機したりしたのですが、ドライバーは歩いている人がいるとは思っていないようで、かなりのスピードで走り抜けて行きました。

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 次から次に現れるトンネルにいささかウンザリしました。地図ではわかりませんでしたし、全く情報がありませんでしたので、このトンネル道がどこまで続くのか不安になりました。

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 道端に これから先140mは浜辺を歩いて下さい。滋賀県 という標識にホッとしました。

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 10:44 なるほど、トンネルを通らずにすむ道が湖岸にありました。

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 ずっと湖岸を歩くのかと思っていましたら、道は少しずつ緩やかに上っていました。

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 今度は登山道のような雰囲気になってきましたが、きちんとした道でしたので安心しました。

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 上から眺めると、どうやらこの道は湖岸を迂回する道ではなくてトンネルの上を歩く道だったようです。

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 いきなり、朽ちた祠が現れました。あちこち歩いて古い祠を見ることはありますが、これほど朽ちた崩壊寸前の祠は初めてでした。

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 さらに、これも古いお堂で「阿弥陀堂」と書かれていました。

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 阿弥陀堂の前にあった説明書きによると 安土の血天井 とあり、ちょっとギョッとしました。 ・・・今も梅雨期には、血痕が滲み出し・・・ さらにギョッとして辺りを見回してしまいました。

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 「阿弥陀堂」の先にはまともな本堂が見えてホッとしました。

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 観音様もいて、微笑んでいるような顔を見てさらにホッとしました。

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 本堂の先にはきちんとした石段の参道があり、どうやら私が歩いてきた道は裏道だったようでした。

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 ここは大崎寺で、先程見た観音様は大崎観音であることがわかりました。

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 そして、大崎寺の前は海津大崎港という漁港でした。地図で確認するとここが目標とした海津大崎でした。

 

琵琶湖ウオークで最もサプライズの道でした。

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2015年11月 7日 (土)

琵琶湖ウオーク26 腹帯観音堂

10/27(火) 琵琶湖ウオーク3日目は、「つづらお荘」から近江今津を目指しました。

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 06:34 「つづらお荘」に宿泊し、朝目覚めてカーテンを開けると、竹生島の上に雲が浮かんでいるものの天気が良さそうでホッとしました。

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 この日の予定は近江今津まで歩くつもりでしたが、途中「腹帯観音堂」で腹帯をした十一面観音を拝観させていただけるということになり、「つづらお荘」の送迎車でそこまで送ってもらうことになりました。

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 前日、「つづらお荘」の方が「腹帯観音堂」拝観の予約をして下さいました。朝8時半くらいに来て下さいということで、とても歩いては無理でしたので、「つづらお荘」の送迎車で連れて行っていただきました。

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 車が着くと、堂守の方が待っていて、早速お堂の裏手に回って扉を開けていただきました。琵琶湖ウオークのきっかけとなった井上靖の「星と祭」でもよくこういうシーンが出てきました。小説の中では、たくさんの十一面観音を訪ね歩くのですが、なかなか見せてくれないところもあるようです。

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 お堂の中に入って、しばらく堂守の方にお話をお聞きしました。お腹に腹帯を着けた珍しい十一面観音で、子宝・安産祈願のご利益があるそうで、この腹帯は、皇后・美智子様、皇太子妃・雅子様ご懐妊の際にも献納されたそうです。

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 09:11 「腹帯観音堂」を後にして、歩き始めました。ここから目的地の近江今津までほぼ20kmの行程です。

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 とても古い建物が目につきました。消えかかった文字で「大浦ふるさと資料館」と書かれた表札がありました。残念ながらこの日は休館のようでした。

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 資料館の隣に 北淡海 丸子船の館 という建物があり、ガラス窓から覗いてみると、琵琶湖で活躍した 丸子船 が展示されていました。 かつて日本海で取れた海産物をはじめ、北国諸藩からのたくさんの物資を敦賀で陸揚げし、深坂峠を越えて塩津港へ運び、再びこの丸子船に船積みして湖上を大津・堅田まで運び、陸揚げして京都、大坂へと運んだそうです。天下人たちがこぞって手中に収めようとした琵琶湖水運の湖上権でしたが、1000年の昔から幾度となく 日本海~琵琶湖運河 という計画が考えられたとのこと、歴史のロマンです。

    

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 通りかかる車も少なく、古い街並みをながめながら、街道歩き気分で今津方向へと進みました。最終目的地の今津まではまだ18kmあり、とりあえずはマキノという町を目指しました。

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 時々見かけた ふな寿し の看板。かつて口にした記憶はあるのですが、いつ頃どこでとか、どんな味だったかということは思い出せませんでした。この機会にどこかで食べてみたいと思いいました。

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 09:27 湖岸に出ました。すっかり葉を落とした木立も見られ、晩秋の気配でした。

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 時々現れる 琵琶湖サイクルライン の標識、瀬田唐橋から108kmとありましたが、感覚的にはもっと距離があるのではないかと思いました。

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 所々に休憩所があり、湖畔も静かで、陽射しも暖かく、ピクニック気分でした。

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 通りかかる車もなく、人影もほとんど見えませんでしたので、野猿も道端で寛いでいました。

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 古い街並みの道を通り過ぎたこの辺りから、リゾートマンション風の建物をよく見かけるようになりました。ここは会員制のスポーツクラブのようでした。

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 さらに先に進むと、大きなリゾートクラブの敷地が現れました。シーズンオフなのかひっそりとしていました。今回のウオーキングを企画した時、この辺りの宿泊施設を探したのですが、ほとんどが会員制でした。

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 湖岸の道を少し湖側に下りるとそこは砂浜のようでもあり、きっと夏には海水浴客で賑わうことと思われました。

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 たまに見かけるのがサイクリングの人と野猿というとてもノンビリとしたウオーキングでした。

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 10:14 二本松というキャンプ場に着きました。持参した地図に記載されている地名の場所に到着すると自分がいる場所が確認できますのでホッとしました。

 

「腹帯観音堂」からとてもノンビリとしたテクテクでした。前日、難所と思っていた賤ヶ岳からの道や「つづらお荘」までのルートをクリアしたという安心感と、次第に人里近くなる気配に、この先あまり考えずにひたすら歩けばいいという気分になりました。

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2015年11月 6日 (金)

琵琶湖ウオーク25 管浦集落

10/26(月) 結局、一方通行の琵琶湖パークウェイを歩くのは危険ということで、宿泊先の「つづらお荘」に送迎してもらうことになりました。

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 近江塩津駅からJR湖西線で永原駅に向かい、永原駅からは宿の送迎車で半島の先端にある宿泊先まで送ってもらいました。ついでに、歩いて行こうと思っていたつづらお展望台まで連れて行ってもらいました。

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 初めて降り立った永原駅もコテージ風で風情があり、まわりののどかな風景にマッチしていました。

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 一時間に一本というダイヤの路線ですので、構内の待合室もノンビリしていました。こういうところで何もすることがなくノンビリするというのもいいものです。ノンビリしている時、「腹帯観音堂」というポスターが目につきました。腹帯をした十一面観音は今まで見たことがありませんでしたので、駅にいた人に聞くと予約をすれば拝観させてもらえるということを教えていただきました。

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 「つづらお荘」の送迎車に乗せてもらい、つづらお展望台まで連れて行ってもらいました。宿泊先に早めに着いたら歩いて行こうと思っていたのですが、危ない、かなりの急傾斜の登りがある、往復2時間くらいかかるとかいわれましたので、お言葉に甘えました。なるほど、車はクネクネしたかなりの急坂を上りましたので、途中の景観も素晴らしいものでした。

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 眼下には管浦といわれる地域の集落を見ることもできました。

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 展望台からは対岸にこの日宿泊する「つづらお荘」も見ることができました。

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 つづらお展望台から戻り、リュックを預けて宿泊先から歩いて5分くらいの所にある 歴史の里 管浦 へと向かいました。

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 管浦集落は、琵琶湖に面した「つづらお荘」を出て左手に半島が湾曲している、その半島の付け根あたりにありました。比較的大きな車道があるのですが、歩行者はこちらの散歩道を歩いて下さいという案内がありましたので、湖畔の道を歩きました。

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 とても気持ちのいい散歩道を歩いて行くと、湖に面した集落が見えてきました。

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 集落の入口まで来て、先ず目についたのが これより先は、生活区域に付き、駐車はご遠慮下さい という立て札でした。秘境ともいえるようなこの静かな地区にも人が訪れるようになっているのかもしれません。

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 菅浦の地には、奈良時代恵美押勝(えみのおしかつ)の乱で道鏡や孝謙上皇に負け、廃位になった淳仁(じゅんにん)天皇が住んでいたという伝説が残っています。

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 「近江路散歩」という本で、白州正子は 菅浦は、その大浦と塩津の中間にある港で、岬の突端を葛籠尾(つづらお)崎という絵図で見るとおり、竹生島は目と鼻の間で、街道からは遠くはずれる為、湖北の中でもまったく人の行かない秘境である。つい最近まで、外部の人とも付合わない極端に排他的な部落でもあったという。それには理由があった。管浦の住人は、淳仁天皇に仕えた人々の子孫と信じており、その誇りと警戒心が、他人を寄せつけなかったのである。 と書いています。

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 浅井長政由緒寺 という石碑が立つお寺がありました。浅井長政は東近江で活躍した大名で、その娘三姉妹は、長女茶々は秀吉の側室淀君、次女初は名門に嫁ぎ、徳川家光の時代まで生き、三女お江は徳川二代将軍秀忠に嫁ぎました。お江は2011年のNHK大河ドラマの主人公になりました。

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 長浜市はこの管浦の景観や歴史を大切にしようと熱心で、菅浦地区の風景が、「菅浦の湖岸集落景観」として国重要文化的景観に選定されることになったそうです。中世以来の強固な共同体によって維持されてきた歴史的景観-として評価され、文化審議会が選定するよう答申したとのこと。

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 集落の入口二ヶ所には「四足門」があります。別名「要害の門」ともいわれ、結界(地区の内外を区別する境界)ともいわれていて、門の中は独自の法体制がひかれていたということで、ある意味大和朝廷から独立した国家でもあったわけです。かつて村人はこの「四足門」で村に入ってくる外来者の監視にあたったともいわれています。

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 湖に面した道を、集落を抜けてさらに進むと半島の先端に突き当たり、そこから先へは進めませんでした。かつてこの集落は陸からのアクセスはなく船だけが交通手段だったそうです。

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 集落の入口には須賀神社という参道が延々と続く神社がありました。淳仁天皇は、幽閉地で憤死したといわれ、須賀神社の裏山に淳仁天皇の御陵という塚が残っているそうです。

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 須賀神社の参道を歩いて行くと、途中に郷土資料館がありました。ここには鎌倉時代から明治時代初めにかけて作られた村落や漁村生活を記した菅浦文書が残されているとのことで、見てみたかったのですが、2名以上の事前予約が必要とのことでしたので諦めました。

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 参道をさらに進んで行くと、石段に突き当たりその上に社が見えました。石段の手前には 土足禁止 という石版があり、 ここから先は聖域であるため心身を清め履き物を脱いで下さい と書かれていました。心身を清める自信もなく、清浄の地を汚してはいけませんので諦めて引き返しました。

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 管浦集落の散策から戻り、宿泊先の「つづらお荘」にチェックインしました。この周辺2030kmには宿泊施設がありませんので、琵琶湖ウオークやサイクリングの人はほとんどここに宿泊するようでした。

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 部屋は湖に面していて眺めがよく、部屋も広く、一人で泊まるのはもったいないようでした。ただ、広過ぎて夜中にトイレに行くのが面倒でした。

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 食事は会席料理。それなりに美味しくいただきました。

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 日本酒は、この日山頂に登った(リフトでしたが)賤ヶ岳にちなんで 七本槍 としました。

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 17:11 部屋から見た、日が暮れつつある竹生島。

 

木之本宿から歩き始めた一日も終わりました。4時間くらいのテクテクでしたが、賤ヶ岳やつづらお展望台から見た琵琶湖は神秘的であり、湖北地方は現在でも秘境であると思いました。さらにその秘境の奥に管浦集落がありました。淳仁天皇に仕えた人々の子孫であるという管浦集落の人々のここまでの歴史や暮らしは想像もつきませんでした。

 

 

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2015年11月 5日 (木)

琵琶湖ウオーク24 塩津街道

10/26(月) 旧賤ヶ岳トンネルを抜けて湖岸の道を歩き、琵琶湖の北側、湖北地方の中心地長浜市西浅井地区に入りました。

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 歩いている人にはほとんど出会いませんでしたが、サイクリングの人は随分見かけました。この日は、サイクリング日和でもあり、またサイクリングなら2日前後で一周できるようでした。

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 湖岸の道を歩いて行くと、8号線は福井・敦賀方面と大津・米原方向へと分岐しました。私は真っ直ぐ進みました。

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 創祀年代は不詳という塩津神社まで来ました。この日のテクテクで目印の一つとしていたスポットでした。

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 8号線と離れて塩津街道に入りました。近江(滋賀県)と越前(福井県)を結ぶ街道で古くから使われてきたのが琵琶湖最北の湊塩津と日本海の敦賀湊を結ぶこの塩津街道でした。

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 住宅地の中の道は、爆走するトラックの爆音を聞かないですむだけでもありがたいのですが、こういう古い家並みが続く街道はゆったりとした気分になれますのでさらに楽しく歩くことができました。

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 人が今でも住んでいながら保存されている家屋には説明があり、宿屋や酒屋などたくさんの説明がありそれを見ているだけでも楽しいのです。この旧宿屋は、明治10年開業で、客筋は主に行商人、部屋は七室、女中三人、料理は魚、卵、酢の物・・・。読んでいるだけで当時の様子がリアルに想像できました。

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 “この郵便局は、この地区で唯一大正期の風情を残し、戦前戦中は召集令状や訃報等暗く悲しい知らせをそして戦後は平和日本の希望の便りを集配した” と書かれてありました。近江八幡市でも古い郵便局を見ましたが、ここの説明文はいいですね。

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 これは交番です。古いものを大切にしたり、おしゃれ心のあるこういう町の住み心地はきっといいのでしょうね。こちらの気分も天気同様晴れ晴れしたものになりました。

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 次の信号左折 奥琵琶湖パークウェイ という標識があり、この奥琵琶湖パークウェイを歩くことができればよかったのですが、管轄する西浅井支所に問い合わせたところ危険なので歩かないで下さいといわれました。

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 奥琵琶湖パークウェイ(赤い破線)は、現在一方通行(車・自転車)になっていて、見通しが悪いクネクネ道が続くにもかかわらずドライバーは対向車が来ないということで安心して飛ばすそうですし、歩いている人がいるとも思っていないのでとても危険ということでした。

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 11:45 どうしようかと思っていたところ中華そばの赤い幟が見えましたので、昼食でも食べながら作戦を練ることにしました。

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 ラーメン屋なのですが、面白いことにコインランドリーやシャワールームまであるということで、多分ドライバーのためのサービスのようでした。

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 ずっと琵琶湖を歩いてきてほとんどこういう店に出会うことはありませんでした。 ホルモンキムチ鍋 というメニューを見ただけでお腹が鳴りました。

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 結局最もオーソドックスな醤油ラーメンにしました。嬉しいことに、キムチに漬け込んだニラが無料トッピングがどんぶりで出てきました。昼時とあって、あっという間にドライバーで席は一杯になりました。久しぶりのラーメンはもちろん美味しかったです。

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 この先のルートについてこの日の宿泊先「つづらお荘」に相談したところ、最寄り駅の近江塩津駅(3km先)まで歩いてJRに乗って永原という駅で降りて下さいということになりました。指示通り塩津駅方向に歩いて行くとJRの高架が見えてきました。

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 12:32 近江塩津駅に着きました。木造のとても懐かしい駅です。

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 構内の雰囲気もレトロっぽく、 近江路 あるいは 塩津街道 らしく落ち着いた雰囲気は変わっていませんでした。

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 この画像は、20089月に奥の細道を歩いた時、塩津駅に降り立った時のものです。その時は、何もない駅前と8号線の車の騒音に呆然としたものですが、それ以来2回目の塩津駅(今回は乗車)となりました。

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 12:40発の湖西線姫路行きに乗りました。走る電車からの眺め、真っ直ぐ湖に向かって走っている道は、2008年に歩いた道でした。

 

朝8時半に歩き始め、賤ヶ岳に寄り道してほぼ4時間のテクテクでした。この先は、13:00に次の停車駅永原駅で「つづらお荘」の送迎車が待っていてくれるということで、ありがたいような物足りないような。

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2015年11月 4日 (水)

琵琶湖ウオーク23 賤ヶ岳越え

10/26(月) 賤ヶ岳の山頂に着きましたが、それから先どのルートをとるかが問題でした。新しい賤ヶ岳トンネルを抜けるか、旧賤ヶ岳トンネルを通るか、第三の道があるのか。

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 09:38 賤ヶ岳古戦場は、織田信長の跡目をめぐって羽柴秀吉と柴田勝家が1583年に戦った史跡です。ここで、石田三成や福島正則などの 賤ヶ岳の7本槍 が活躍したことは有名です。あれは中学生の頃でしたでしょうか、牛若丸や日吉丸の物語に胸踊らせたこともありました。

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 古戦場の山頂から西の方角を眺めれば、今年行った北欧のフィヨルドのようでもあり、神秘的でした。

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 北の方角には余呉湖が見えました。

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 さらに東の方角には湖北の平野と木之本の町が広がっていました。なんでこんな高台で、登るだけで大変なところで合戦が起きたのか。四方を見渡せる要衝の地での陣取り合戦が行われたことがわかりましたが、重い武具を着けての合戦はさぞかし疲れたことでしょう。

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 それはさておき、どうやってこの先の湖岸の道に出るのか、湖岸沿いに道が走っていることがわかりましたので歩けそうでしたし。

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 09:46賤ヶ岳山頂から直接湖岸の道に出ることはできそうもなく、とりあえずリフトで下りました。リフト乗り場に戻った時、管理しているおじさんにこの先のルートを聞くと、新賤ヶ岳トンネル(国道8号線)を抜ければ簡単ですとのこと。しかし、例えトンネル内に歩道があってもトラックの爆音の脇を歩くのは嫌でした。もう一つのルート、旧賤ヶ岳トンネルを通るルートは、山を登らなければならないのと歩道のないトンネルを通らなければならないといわれました。

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 10:05結局、旧賤ヶ岳トンネルのルートを選びました。山を登るというほどのこともなく箱根の旧道歩きのような感じで歩いて行くとしばらくして旧賤ヶ岳トンネルが現れました。歩道はありませんでしたが、出口が見えていることと車の往来がほとんどなさそうでホッとしました。

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 トンネルを抜けると素晴らしい景色が見えるといわれていましたが、確かに美しい景観でした。それよりも、あまりにもあっけなく湖畔の道に出られたことでホッとしました。

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 竹生島が思いがけない角度と近さで見えました。

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 ほとんど車の通らない、枯れ葉だけが時々風に吹かれてカサカサという音を立てている木漏れ日の道を気分よく歩きました。こんな道を歩いている自分が不思議にも感じました。

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 10:17 眼下に国道8号線が見えました。新賤ヶ岳トンネルを通ればこの道を歩いたことになります。もう少し歩いたらやがてこの道と合流しました。

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 8号線と合流し湖岸の道に出ると、湖面が近く感じ青さが増したようでした。この日の秋晴れを感謝しました。

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 6体のお地蔵さんが湖に向かって立っていました。

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 湖北サイクルロードという標識とサイクルラインという標識がでていました。湖北サイクルロードとは、琵琶湖環状線の開業に伴って、長浜市長浜土木事務所と木之本支所では、琵琶湖環状線を活かしたまちづくりを支援するために、環境に優しい観光手段として、湖北地域のJR駅を起終点とする 14のサイクリングコースを設定したとのことです。

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 振り返って見ると、越えてきた賤ヶ岳に連なる小高い山が見えました。つくづくと雨に降られなくてよかったと思いました。

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 湖岸の道を先へ先へと歩きました。車もほとんど通らず人影も見えず、琵琶湖を独り占めしている感じでした。

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 素晴らしい景色も同じ景色が続いてそろそろ飽きてきた頃、前方に街並みがあるような景観が現れ、元気を取り戻しました。

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 こちらの地蔵菩薩は、湖を背にして一人の幼児を抱いて、二人の幼児に足にまとわりつかれながら立っていました。他にも、道端で座っているお地蔵様とか、随分たくさんの地蔵菩薩を目にしました。

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 湖面では、たくさんの鴨が気持ちよさそうに浮かんでいました。

 

とても心配した賤ヶ岳から湖岸に出る道もあっけなく通過して、青い空を映した琵琶湖の青い湖面を見ながらの湖岸歩きはとても快適でした。

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2015年11月 3日 (火)

琵琶湖ウオーク22 木之本宿

10/26(月) 琵琶湖ウオークをスタートしました。この日は、いくつかの難所と思われる場所を歩く予定でしたのでちょっと緊張しました。

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 予定では古戦場賤ヶ岳を通って、半島のように突き出ている湖北町まで行くつもりでしたが、半島の道(赤い破線)は歩けないということでした。まあその事は道々考えることにして、とりあえず賤ヶ岳を目指しました。

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 06:58 彦根駅に朝陽が当たっていていい天気。この日は、琵琶湖ウオークで最も難所と思われるところを歩きますので、この日だけは晴れてほしいと思っていましたのでホッとしました。

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 彦根駅からJR琵琶湖線で木之本駅を目指しました。米原で乗り継ぎ、長浜で北陸本線に乗り換えるというルートだったのですが、長浜駅で乗り換えたのは中国人と私の二人きり。寒いホームで30分もの時間待ちの間に、すっかり仲良くなりました。彼は中国福建省からきていて、日本の工作機メーカーの通訳をしているとか。国に奥さんと子どもを置いての単身赴任で、11月中旬の里帰りが待ち遠しいとのこと。彼は高月の一つ手前の河毛という、工場以外に何もないところで下車しました。

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 08:31 木之本駅で下車し、駅から5分の所にある木之本地蔵院に参拝しました。とても大きく立派なお寺でした。

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 ヒンヤリとした清々しい空気の中、旅の無事を祈って手を合わせました。

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 木之本地蔵院の前には北国街道が通っていました。米原、長浜、木之本を通って北陸に至る街道です。

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 木之本は北国街道沿いに木之本宿として発達した街で、とても雰囲気のある町です。

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 08:35 賤ヶ岳への道は、木之本地蔵院から真っ直ぐ延びている道の先にあります。いざ出発です。

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 街道沿いには、とてもおしゃれな店が多かったのでした。シンプルでいてモダンなこの店舗は和菓子屋さんでした。こういうデザインの店舗が馴染んでいる町なのです。

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 この瀟洒な建物は、滋賀県木之本総合庁舎でした。しゃれたお店や建物が現れる町歩きは楽しいものです。

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 09:03 駅から30分くらい歩くと、前方には賤ヶ岳に連なる小高い山が見えてきました。久しぶりに見る琵琶湖サイクルラインの標識があり、瀬田唐橋から93kmとありました。いよいよ琵琶湖歩きという実感がわいてきて、気持ちが引き締まりました。

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 09:10 琵琶湖サイクルラインの道は直進ですが、寄り道をして賤ヶ岳へと向かいました。

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 やがて石段があり、リフト乗り場へと向かいました。

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 登山道の案内がありましたが、重いリュックを背負って歩くのは大変そうでしたのでパスしてリフト乗り場へと向かいました。北欧で同行したAさんは、この道を登ったそうです。

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 この日の日程では、この先難所がありそうでしたので、体力を温存するために躊躇なくリフトに乗りました。傾斜はどんどんきつくなり、登山道も並行しつつジグザグに続いていて、汗をかきながら登っている人が下に見え、ここを登ったというAさんも大変だったろうなあと思いながら、リフトにしてよかったと思いました。

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 09:24 リフトの終点で降りると、 山頂まで300m” と書いてあり、老人会手作りの杖まで用意されていました。一本拝借しました。

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 リフト終点からの300mの登りはそれなりにきつく、登山道を歩いたAさんは、さらに大変な目に遭ったということが想像されました。お疲れ様でした。

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 山頂手前からも琵琶湖を望むことができました。湖の深いブルーが印象的でした。

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 09:35 埼玉から来てこの日に帰るという古戦場マニアの人がいて、シャッターを押してもらいました。彼はこれから小谷城に向かうということで、佐和山城跡の話をしたらそこにも寄ると言っていました。他にも何人かの人がいました。

 

古戦場の賤ヶ岳に着きましたが、これから先が問題です。どうやって賤ヶ岳を越えるか、そしてその先は知床半島のように見えるこんもりとした森は歩くと危険ということでしたし。

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2015年11月 2日 (月)

琵琶湖ウオーク21 観音の里

10/25(日) 佐和山城跡に登ったり大洞弁才天を参拝した後、まだ時間がありましたので前回訪れた向源寺と前回見ることができなかった「観音の里資料館」に向かいました。

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 向源寺がある高月駅前からの真っ直ぐの道、観音の道の先には気持ちのいい青空が広がっていて、前回歩いた時の雨の道の趣とは随分違っていました。

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 向源寺の山門は少し色づいていて、晩秋の雰囲気でした。ここで再び十一面観音に対面しました。

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 向源寺の門前には無人の野菜販売スタンドがあって、柿は1個20円でしたので非常食として2個購入しました。

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 前回は時間が無くて訪れることができなかった「観音の里資料館」は向源寺のすぐ近くにありました。

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 湖北といわれるこの地域には驚くほどたくさんの仏像が保存されています。 祈りの里 といわれる所以です。特徴的なのは、仏像はそこに住んでいる村人が護ってきて、今でも護っているということです。

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 ここで展示されている仏像(これは阿弥陀如来像)の多くが汚れていたりシミがついたようになっていますが、これは廃仏毀釈なので仏像の廃棄が命じられた時に、村人達は土中や水中に隠したためだそうです。

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 一口に十一面観音といってもさまざまな表情や姿形をしています。

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 十一面観音とは、その名の通り頭上に11面の観音が乗っています。この11という数は、衆生の十一品類の無明煩悩の数で、その煩悩を断ち功徳をもたらすというものです。

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 この観音の里はすっかり晩秋の景色となっていて、秋晴れの 里の秋 にノンビリとした気分になりました。翌日からの琵琶湖ウオークを前にして、緊張感がほぐれました。

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 高月駅から彦根駅まで電車で移動し、夕方となりましたので「九州料理 かば屋」で夕食としました。この居酒屋は前回初めて入ってすっかりお気に入りになった店です。

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 長崎五島列島の 塩たたき には長崎の 梅ヶ枝 原酒

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 熊本の 馬刺し と 佐賀の 天山 超辛口

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 本命の 豊後サバ と 大分の 八鹿 特別純米酒。この居酒屋は8月にオープンしたばかりですが、平日はほぼ満員となるほど盛況だそうです。

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 酒と魚を楽しんで表に出れば、すっかり日が暮れていました。駅前のホテル周辺は日曜日の夜とあってひっそりとしていました。

 

米原から始まったお寺巡り、庭園巡り、仏像巡りの一日ですっかりノンビリとしました。彦根での佐和山城跡登山は、翌日からの琵琶湖ウオークの足慣らしには少しはなったかもしれません。

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2015年11月 1日 (日)

琵琶湖ウオーク20 大洞弁才天

10/25(日) 佐和山城跡に登った後龍譚鐔寺の本堂と庭園を見学し、近くにある大洞弁財天に行きました。

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龍潭寺は庭園が有名とのことでしたので見学しました。大小四十八石を配して観音菩薩の浄土である補陀洛山(ふだらくさん)の一帯をかたどったものだそうです。まあ極楽の浄土ということでしょうか。こういう庭園は、見るものの見方や気持ちの持ちようによっていかようにも見えるのではないでしょうか。

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 龍潭寺は別名 “だるま寺” ともいわれ、近江随一の禅寺であり、全国有数の禅宗大学寮でもある名刹だそうです。

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 本堂のあちこちに、さまざまな表情のダルマがありました。不思議なもので、シーンとした本堂でだるま達に面していると気持ちが穏やかになったような気がしました。

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 龍潭寺や井伊神社の先に “大洞弁才天” の看板がありました。正式には長寿院というお寺なのですが、日本三大弁才天の一つといわれる弁才天座像を安置していることから 大洞弁才天 と呼ばれていて、商売繁盛を祈願する人がよく訪れるそうです。

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 緩やかな竹林の道を上っていくととても雰囲気のある 経蔵 があり、特別公開中となっていました。

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 建物の脇に掲げられた説明を読むと、納経箱を納めた台座は回転するようになっていて、建物内部の四隅には一万体の仏像が安置されていると書いてありました。

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 中に入ると、経が納められた納経箱は台座に乗っていて、納経箱を回転するとお経を唱えたのと同じ功徳があるとも書いてありました。これはネパールやチベットのヒマラヤを歩いた時に見かけた「マニ車」と同じものであり、チベット仏教伝来のものと思われました。

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 この画像は2011年の年末から2012年の新年にかけてヒマラヤ奥地を歩いた時のもので、川口慧海がチベットへ密入国する前に滞在した住居(現在は記念館となっています)の近くに大きな「マニ車」がありました。おばあさんが管理をしていて、お布施を渡して大きな「マニ車」を回転させてもらいました。

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 何回も通ったネパールやチベットで見た大小たくさんの「マニ車」に比べて、この経蔵の納経箱の立派さや装飾の見事さは傑出しています。こんな所にこんな素晴らしいものがあったとは驚きでした。

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 建物内部の四隅には、小さな仏像、大黒天が一万体安置されていました。これも見事なものでした。この建物もこの大黒天達も石田三成の時代からのもので最近は痛みがひどく、保存会では一体3,800で奉納することができるとのことです。

 

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納経箱の後ろ側には大きな「甲冑大黒天」がありました。大黒天はインドや中国では戦闘や財福の神として祀られていましたが、日本に伝わってからは戦闘神としての甲冑を着け、財神としての金色袋、打ち出の小槌を持った日本独特の姿になったそうです。

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 経蔵で感動して、さらに緩やかな坂を上っていくとその先に長寿院(大洞弁才天)の本堂がありました。

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 本堂には 弁才天座像 が安置されていました。日本三大弁財天ともいわれていますが、この三大弁財天の一つといわれる弁財天は広島の宮島、江ノ島でも竹生島でも全国あちこちにあるようです。縁起のいいものですからたくさんあってもいいかもしれません。

 

ちょっと気になって訪れた “大洞弁才天” 、手前にあった経蔵には驚きました。ヒマラヤの村でたくさん見た「マニ車」に比べても、あるいはチベット仏教寺院で見た立派な「マニ車」に比べても遜色がありませんでした。今回訪れたこの聖域は、ここの経蔵の存在によって更に聖域度を増しました。特別公開中とのことでしたが、それが特定の期間だけのものであるとしたら、今回内部を見ることができたことは本当にラッキーでした。

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