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2016年2月29日 (月)

パタゴニア物語09 ウシュアイア散策

2/6(土) ビーグル水道のクルージングの後、ウシュアイアのレストランで食事をして街中を散歩しました。

 

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昼食のために入ったレストランはウシュアイアで最も人気のあるレストランとか、店の入口には何の肉か大きな塊が炙り焼きされていて期待が持たれました。

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 店内には赤ワインがドサッと並べられていて、これもなかなかいい雰囲気でした。

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 早速お勧めの赤ワインで乾杯しました。隣の飲んべえS氏は、余程お腹が空いていたのか乾杯もそそくさと前菜をパクついていました。

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 前菜はバイキング形式になっていて、好きなものを好きなだけということになっていました。

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 メインが肉でしたので、前菜には野菜とムール貝などを皿に盛りましたが、肉の量が多そうでしたので控えめにしました。

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 前菜の他に、キッチンの入口に自分の皿を持って行って、ビーフ、ポーク、マトン、チキンなど好きな肉をチョイスし、ソーセージは普通のソーセージかチョリソ(血を詰めたソーセージ)を選ぶということになっていました。

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 私は、比較的マトンが好きでしたし、この先ビーフステーキは何回も出てくると思われましたのでマトンを選びました。血詰めのソーセージは、好きな人は大好きになると聞いていたのでソーセージは血詰めのソーセージ(こちらではチョリソといっていました)にトライしてみました。食感はまったりとしているのですが、味はイマイチでした。

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 デザートは、こちらではポピュラーなメロン、スイカ、リンゴなど馴染みにあるものでした。

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 たっぷりの肉を食べてお腹が一杯になった後はウシュアイアの見物に出かけました。真夏とはいえもう少し寂しい 最果て感 を想像していたのですが、町の上空には青空が広がり、強烈な陽射しが降り注いでいて、南の果ての町というイメージとは随分違っていました。

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 対岸の港が見える小高い丘に登ると、ウシュアイアの港と町と背後の山脈が綺麗に浮かび上がっていました。まるでイタリア・ナポリのような美しい景色でした。

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 近くに飛行機の練習場があり、小型飛行機が気持ちよさそうに離着陸の訓練をしていました。のどかな雰囲気でした。

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 さらに高いとろろにある展望台に上ると、気温が上昇したためかビーグル水道の青と空の青も島影も同じような色に溶け合っていて、ブルーの色一色の水彩画のようでした。

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 専用バスで町の中に移動しました。目についたのが壁に書かれた絵でした。日本の幼稚園かなと思わせるようなタッチに親近感を覚えました。

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 この日は土曜日のせいか車が多く見られました。駐車場というものはなく、ほとんどが路駐とのことでした。

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 目抜き通りの一角にお土産屋があり、観光客や地元に人で賑わっていました。私は、お土産にはTシャツ一枚を買うことにしているのですが、気に入ったものはありませんでした。

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 ペンギンはこの町のシンボルにもアイドルにもなっているようでした。手描きで画かれているところが躍動感があっていいです。

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 町のあちこちの壁には必ずと言っていいほどペイントされていて、独特の雰囲気を醸し出していました。

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 ペイントの中には結構しっかりと芸術的なものもありました。

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 土曜日の午後、どこの町にでも見られるファミリーたちの楽しそうなお出かけ姿がここでも。きっと厳しい冬の時期から夏になり、最も過ごしやすいシーズンを迎えて気持ちも浮き立っていることでしょう。

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 車が規制されているのか、車の往来が少ない目抜き通りは1kmくらいの長さで、道の両側にはいろいろな店が並んでいました。気がつけばダルマのMさんが、道端のベンチにドッカリと腰を下ろして日向ぼっこしていました。

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 そのダルマのMさんに写真を撮っていただきました。Mさんはアマチュア写真家のようで、いろいろなカメラを携えていて、以降、随分私の写真を撮っていただくことになりました。

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 ぽかぽか陽気の中、ビーグル水道クルージングと町の散策でほどよい疲れとノドの渇きを感じ、ホテルに戻っての夕食にはビールでのどを潤しました。こちらのビールもなかなかいけました。

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 夕食の前菜は ビーフのカルパッチョ でこれも美味しかったのですが、昼食にマトンをたっぷり食べましたので夕食はこの前菜だけに留めました。その結果、以降の日々、胃が疲れずにすみました。

 

南の果ての町は、真夏の好シーズンということもあり、好天気にも恵まれたということもあり、明るく陽気なものでした。真夏ということや好天気ということを割り引いても、例えば北海道の根室や釧路で感じるような 最果て感 が少ないように思えました。それは、ここに多くの観光客が訪れているからかもしれません。

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2016年2月28日 (日)

パタゴニア物語08 ペンギン・コロニー

2/6(土) ビーグル水道は180年前にダーウィンが通った海路、この日の天気は無風快晴と絶好のクルージング日和でした。

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 青い海そして紺碧の空。これ以上何を望めばいいのだろうかという美しい景観でした。

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 あちこちに水面に顔を出した岩礁に、白と黒の色模様の生き物が何となく動いているのが見えました。ペンギン?と思ったのですが。

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 船が近づいてよく見るとウミウでした。ウミウが2本足で立っている姿はまるでペンギンでした。

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 これ以上ないクルージング日和に、船上の観光客たちも大はしゃぎで、とても賑やかでした。

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 ビーグル水道という名前の通り、ここは外洋に面しているわけではなく内海ですので風がなかれば静かなもので、その静かな水面を切り裂くように高速クルーズ船は徐々にスピードを上げました。

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 途中、アルゼンチン海軍の練習用の帆船に出会いました。所々に小さな氷河が白く輝く山脈を背景に、もし帆を満帆に張ったら、碧い海と青い空の中でさらに美しい姿を見ることができたのにと贅沢なことを考えてしまいました。

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 海面は穏やかだったのですが、上空は多少風があったのでしょうか、パタゴニアには似つかわしくないか細い儚げな雲が幾筋か水平に流れていました。

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 次から次に現れる岩礁の上には何かしらの生物が住み着いていて、ここはオタリアのコロニーでした。

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 暖かい陽射しを浴びて、これ以上ないというくらいグッタリと体を横たえていました。きっととても気持ちが良かったのでしょう。

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 私たちが乗った高速クルージング船は2階建てで、私たちは2階のVIPルーム(そういう貼り紙がセロテープで貼ってあっただけなのですが)を割り当てられました。売店やトイレは1階にありましたので下に降りてみると、普通席もとても快適でした。

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 低い丘陵をもつ島に近づくと、浜辺には点々とごま粒ようなものが見えてきました。

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 ごま粒のよう見えたのは「マゼランペンギン」の群れでした。よく見ると一羽一羽はそれぞれ自分の周りに一定のスペースを確保していました。

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 まるで私たちを見学でもしようというかのように浜辺にもゾロゾロと。

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 私たち観光客も船縁から体を乗り出して、ペンギンたちとご対面となりました。どちらが見ているのか見られているのか。

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 一羽一羽をよく見ると、首をかしげたりボンヤリしていたりと人間と同じように個性があるようで可愛いものでした。

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 中に、クチバシが赤く足がオレンジ色のペンギンがいて、これはジェンツーペンギンという種類で70羽が生息しているそうです。 ジェンツー という言葉は、ポルトガル語で異教徒というそうです。いわば少数民族で、仲間はずれにされないのかとかいじめはないのかと心配になりました。他に皇帝ペンギンも数羽いるとのことでしたが見つけることはできませんでした。

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 これだけのペンギンやオタリアやウミウが生息しているということは、この海域には餌となる魚などが豊富にあるということで、ペンギンたちは陸上の姿からは想像できないスピードで海中を泳ぎ回って餌を捕食していました。

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 船上はペンギンの出迎えにお祭り騒ぎでした。小さな船は上陸できるのですが、大きな船は上陸できず、私たちは上陸できませんでした。

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 一通りの生物ウオッチングを終えて船室に戻ると、ウイスキーケトルを持ち込んでコニャックを旨そうに飲んでいる奴が。私も酒飲みですが、私以上の飲んべえがいたとは。

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 今回のツアーには男性は6人(女性は5人)が参加していましたが、さすがパタゴニアまで来ようという人はよく言えば個性的、悪く言えばアクが強くワガママ、勝手し放題という人が多く、中でも代表格だったのがこのお二人。私の前に座ったダルマさんのような人は東京から参加のMさん、奥のサングラスの強面は関西から参加のSさん(ウィスキーケトルの持ち主の飲んべえ)。このお二人とはとても仲良くなり、楽しい旅となりました。

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 ウシュアイアの港に戻る途中、途中の小さな港で下船する人たちもいました。その桟橋にいたおじさんも味のあるおじさんでした。南の宛ての郵便局の局長おじさんも味がありましたし、こういう人がいると気分がホンワカとして、この地域に親しみを感じてしまいました。

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 私たちは、ビーグル水道の景色もそこに暮らす生き物たちの姿に感動して、無事に帰港しました。港の背後の山にはいつの間にかパタゴニア名物のモクモク雲が湧いていました。

 

かつてこの水路を辿ったダーウインは、豊かなこの海域の豊穣さにきっと驚き歓喜したことと思われました。

 

 

 

 

 

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2016年2月27日 (土)

パタゴニア物語07 ビーグル水道クルーズ

2/6(土) ツアー4日目は、ビーグル水道クルーズに出かけました。

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 前日はちょっとハードなスケジュールでしたので、ぐっすり眠って気持ちのいい朝陽で目が覚めました。

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 窓を開けると朝のヒンヤリした空気が入ってきましたが、前日吹いていた風はこの日は止んでいました。

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窓からの景色は、前日モクモクと湧いていた雲もなく、青空が広がっていました。この日は目の前のビーグル水道クルーズ予定で、雨や強風だったら嫌だなあと思っていましたので、天気が良さそうでホッとしました。

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 朝食後、散歩に出てみるとホテルの背後の山から雲が少し湧いてはいましたが、青空の方が多く、天気は大丈夫そうでした。

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 ホテルの目の前のビーグル水道も穏やかで、その向こうに見える山脈の上の雲はゆっくりと動いていました。

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 07:27 朝日が上がってきて、いつの間にか湧いてきた雲の隙間から光が射してきました。ダイナミックに変わる雲の動きは、パタゴニア特有のものだそうです。

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 専用バスに乗って、ウシュアイアの市街を抜けて港へと向かいました。この時期の南米は日暮れが遅く、遅寝遅起きの傾向にあるとかで、町はまだ眠っているようで、椎名誠が見たという放し飼いのワンちゃんもまだ眠っているようでした。この町の人口は7万人とか。

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 清潔でゆったりとしたウシュアイアの町、ゆっくり散歩してみたいものでした。青空が広がり風もなく、想像していた南の果ての町とは違ったイメージでした。

 

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 港に着いて、私たちはバスを降りて船着き場に向かいました。

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 私たちは高速クルーズ船に乗り込みました。海は待った穏やかで、風が吹いていませんでしたので上着がいらないほどでした。

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 港には大型クルージング船が停泊していました。最果ての町の観光や氷河見物などに訪れているようで、前日も囚人列車にこのクルージングの観光客がたくさん乗っていました。

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 私たちが乗った高速クルージング船は、静かに港を離れました。

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 振り返って見ると、海面はまったく波もなく静かで、このビーグル水道は太平洋と大西洋を繋ぐ240kmの内海であるため、風がなければとても静かなのです。振り返って見た景色は、どこかで見たことがあると思ったら、北欧で見たフィヨルドの景色とよく似ていました。

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 港からかなり離れると、高速艇はグングンとスピードを上げました。

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 今から180年前、この水路をダーウィンは航海しました。どんな景色や生物が現れるか楽しみでした。

 

風はなく、雲もなく、青く澄みきった空、パタゴニアもこんな表情を見せてくれるとは思っていませんでした。戸惑いはありましたが、クルージングはやはり青空の下でこそ楽しめるものでした。

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2016年2月26日 (金)

パタゴニア物語06 地果て道終わる

2/5(金) 最果ての地の観光はまだまだ続きました。最後にこれこそ南の果てという地に向かいました。

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 最果ての郵便局で絵はがきを投函して一仕事終えたような気分になって再びバスに乗り込みました。空を見ればいつもいつも白い雲が湧いていました。

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 現地ガイドさんと添乗員のHiromiさんにリードされて少し散歩しました。

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 これは、ビーバーが堰き止めて造ったダム湖です。流木を巧みに集めてダム湖を造り、ビバーたちは自分の住まいにしていました。そのスケールの大きさにビックリしました。

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 ダム湖には枯れ木が目立ち、まるで上高地・大正池のような景観でした。

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 ダム湖だけではなく、草に覆われた大地にも枯れ木が目立ちました。それだけ自然環境が厳しいということでしょうか。

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 しばらく歩いて行くと、国立公園の看板があり、一番下にはブエノスアイレスから3,079km、アラスカから17,848kmという表示がありました。ここはパンアメリカンハイウェイの終点であり、始まりの場所でした。

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 パンアメリカンハイウェイは、ここアルゼンチンの最南端の地から南北アメリカを貫いてアラスカにいたる幹線道路です。

 

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 埃まみれのおじさんが大型バイクから降りてきて、聞けばパンアメリカンハイウェイを走り抜けてきたとか。

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 この地を南極点を中心にして天空から見ると、南極に最も近いところです。

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 パンアメリカンハイウェイはここで終わり、ここは ここで地果て道が終わる 場所でした。渺々と風が吹き抜けていて、遂にここまで来たかととても感慨深く思いました。

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 この先1,000km先には南極大陸があります。

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 国立公園内にある観光名所となっている湖に寄りました。湖の向こうから雲が次から次へと湧いてきて、みるみる上空を走りすぎて行き、天空ショーを見ているようでした。

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 20:13 ホテルに戻り夕食となりました。まだ旅が始まったばかりでしたが、ツアー仲間とはすっかり打ち解け、飲んべえ同士乾杯しました。

 

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 前菜はカボチャのスープでした。味は比較的あっさりしていました。

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 メインディッシュはサーモンで、とても美味しかったのでした。昼食にビフテキを食べましたので胃に優しい魚料理でありがたかったのでした。

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 デザートはチョコレートでコーティングされたアイスクリームで、木の実が入っていて濃厚な味で、疲れた身体にはこれもありがたかったのでした。

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 食後(21:32)、ホテルの外に出てみるとホテルの背後には厚い雲が広がっていましたがその割には空は明るかったのでした。この時期の日暮れは21時過ぎで、まだ空は明るく、そのために食事はほとんどが20時過ぎになるということでした。

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 ビーグル水道の向こう側にの山脈には雲がかかっていましたが、大きな空のほとんどに雲がなく、明日も天気は良さそうでした。パタゴニアの天気は荒れ模様で雨も降りやすいと散々言われていましたので覚悟していたのですが、風が強いことを除けば特に問題はありませんでした。強い風が雲を蹴散らしてくれているようでもありました。

 

この日は、長いフライトの後、朝02:00に起きて国内線に乗って最果ての地に降りたってと、長い一日でしたが、あまり疲れも感じず、充実した一日でした。

 

 

 

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2016年2月25日 (木)

パタゴニア物語05 最果ての郵便局

2/5(金) 私たちは、太平洋と大西洋をつなぐビーグル水道に面したホテルから最初の観光に向かいました。専用バスで移動して着いた先は、“SL 世界の最果て号 の始発駅ウシュアイアでした。

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 世界各国からの観光客が結構いて、わざわざ最果てに来る物好きがこんなにいるとは思いませんでした。後で知ったことですが、この町には大型クルーズ船が入港していてその観光客の皆さんでした。

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 観光客でごった返す駅構内にオルガンのメロディーが流れていて、私と目が合うと日本の曲(中国の曲が弾かれずによかった)を弾いてくれました。これはきっとチップを渡すんだろうなあと後で気がついてシマッタ!と思いました。

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 私たちが乗ろうとしていたのは「囚人列車」でした。このガイドブックには、「囚人列車だった歴史を蘇らせ、ジグザグのピポ川、マカレナ滝、季節ごとに色が変わる木の葉の森、泥炭地の黄土色から際立つ山々などフェゴ島独特の自然の景色を、その時代の鉄道の蒸気機関車に乗り、過ぎ去った良き時代をお楽しみ下さい。」と書かれていました。

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 かつての囚人列車は、今やすっかり様相が変わり、観光列車になっていました。かつて黒部ダムの建設作業に使われた黒部のトロッコ列車は窓がなく、当時の趣を残すものですが、この囚人列車には当時の面影がまったくないのが残念。

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 囚人列車とは、1900年代初期にかつてこの地域の森林開発と木材を伐り出すために囚人が動員され、囚人の運搬と木材の運搬に使われたためにそう呼ばれています。私たちは当時の囚人とは異なって、温かい客室でぬくぬくとしていました。囚人体験ができたら面白かったかも。

 

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 おとぎの国のようなミニ機関車などもあったりして、まあ素直に童心に帰って楽しもうと思いました。

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 フェゴ島特有のこの景観を、かつての囚人たちはどんな想いで眺めたのでしょうか。心癒やされたのか、かえって望郷の念が募ったのか。

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 当時の写真を見るともちろん天井も窓もなく、単なる台車だけの剥き出し状態でした。当時に近い台車だけの剥き出し状態だったらもっと当時の面影と自然を体感できたのではないかとも思いました。あちこちに伐採された後の切り株が白く朽ち果て、まるで太い胴骨のように点在している景観は生々しいものでした。

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 景色を楽しみつつ、当時に思いを馳せているうちに終点に着きました。昨年北欧を旅した際やはり列車に乗った時、有名な滝で列車が止まって写真タイムとなった時、なんと妖精が現れてちょっと鼻白んでしまいましたが、旅は楽しむものでそれほど目くじらを立てるものではないかもしれません。

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 囚人列車から、先に待っていた専用バスに乗り換え、自然の景観を楽しみつつ 最果ての郵便局 へと移動しました。

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 その郵便局は、南の果てに一歩でも延びようとするかのように、冷たい波が押し寄せる海辺にはり出ていました。最初想像したのは町の片隅にであるかと思っていたのですが、町とは離れて孤立的にありました。

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 海辺にはり出た桟橋の先には小さな小屋があり、これが局舎でした。救命用の浮き輪があるのがご愛敬でした。

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 最も興味があったのがどんな人が働いているのだろうかということでした。白い顎髭を生やしたいかにもという感じのおじさんというかおじいさんというか。日本へ出したいというと、電卓で$払いの金額を素早く計算してくれ、実に手慣れたものでした。奥にもう一人若い局員がいました。

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 前もって書いたおいた絵はがきには、切手を貼る充分なスペースを空けておいたのですが、それでも足りないくらい大きな切手が4枚でした。

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 切手を貼り終えた絵はがきは、私には懐かしい郵便ポストに投函したのですが、よく見ると局舎の救命用の浮き輪の下にも小さな郵便ポストがありました。ツアー仲間で冗談を言い合う仲のいい奴がいたのですが、私が投函した郵便ポストは1ヶ月に1回か1年に1回しか集配しないとインターネットに書かれていたといい出しました。後で真っ赤な嘘だということがわかってホッとしたのですが、それでも絵はがきが南の果てから地球を半周していつ着くのか、そもそも着くのかも興味がありました。

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 そしてそして、何人かの方から絵はがきが届いたという連絡をいただきました。20139月に同じ西遊旅行社のチベットツアーでご一緒した姉御さんから “絵葉書が届きました。アルゼンチンからの絵葉書は初めてです。自慢できそうです。” というメールをいただきました。投函したのが2/6でしたからほぼ2週間で着いたことになり、地球の裏側からにしては早い到着にビックリすると共に、安心しました。最近の姐御さんといえば、イランやパキスタンのビザを取得して何回も出かけているとか。不思議なことをしています。

 

“SL 世界の最果て号 に乗って 最果ての郵便局 にと、あまりにもできすぎた話ですが、これも旅の楽しみというものです。地球の裏側からの便りが2週間で届くとは、地球も狭くなったのでしょうか。それにしてもブログ掲載の前に届くとは思いもよりませんでした。

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2016年2月24日 (水)

パタゴニア物語04 ビーグル水道

2/5(金) 私たちはフェゴ島に降り立ち、太平洋と大西洋をつなぐビーグル水道に面したホテルにチェックインしました。

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 ビーグル水道に面して佇む低層のシンプルなホテルに二連泊して、ここをベースに最南端の町の観光をすることにしました。

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 木目を生かしたシンプルなホテルは居心地よく感じました。ここで連泊することによって長旅の疲れも癒やされそうでした。

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 部屋の窓からの眺めも美しく、ゆったりとした気持ちにさせてくれるもので、次から次へと現れては消える雲を眺めているだけでも幸せな気分になりました。

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 ホテルのレストランで、添乗員のHiromiさんをはじめツアー仲間の何人かは、今日訪れることになっている 世界最果ての郵便局 で出す絵はがきを書いていました。

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 私もホテルのフロントで絵はがきを買って、宛名とメッセージを書きました。

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 昼食前の一時、ホテルから表に出ると相変わらず強い風が吹いていて、目の前のビーグル水道は白く波立っていました。このビーグル水道は、太平洋と大西洋を240kmの長さでつなげているもので、進化論のチャールズ・ダーウィンが1831年から1836年にかけて行ったビーグル号による地球一周の航海の際の経路で、この水道の名前は同船の名前に由来しています。

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 ビーグル水道の右方向に目を転ずると、海の向こう側の山脈はどこまでも広がっていて、その上を白い雲が飛ぶように流れていきました。最果ての地に一人佇んで風の音を聞いていると、とても不思議な感覚に襲われるのでした。

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 海辺では、強い風をものともせず鞍も付けない野生の馬が調教されていました。この先、アルゼンチンやチリで野生の馬やそれを調教するガウチョを時々見かけました。

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 昼食の時間となり、とりあえずの乾杯となりました。

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 前菜の野菜スープはさっぱりしていて胃に優しい感じがしました。

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 ついに出ましたビーフステーキでした。野性的で歯ごたえがあり、あごが疲れましたがジューシーでもあり、美味しく食べました。

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 デザートはチーズケーキ風アイスクリームで多少甘かったもののこれも美味しく食べました。ホテルレストランでの初めての食事はまあまあで、これから先期待できそうに感じました。

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 レストランから外を眺めると、雲がどんどん湧いてきていて、襲いかかってくるようでした。パタゴニア地方は風が強いだけではなく天気も変わりやすく、雨も降りやすいと聞いていましたので、防寒・防水着はしっかりと準備してきました。強く吹き流れる雲を見ていると、この日、よく飛行機が飛んだものだと思いました。

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 足下の草花も強い風に吹きさらされていましたが、強く根を張ってしなやかに靡いていました。

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 ホテル前には、これからの観光の足となる専用バスが待機していました。添乗員さんを含めて総勢12人には贅沢に思えるほどでっかいバスでした。

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 バスの外に広がる景観は、手つかずの自然と絶え間なく流れている白い雲で、見飽きることがありませんでした。

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 最初の観光は、“SL 世界の最果て号 の乗車でした。その駅舎はおとぎの国のもののように可愛いもので、大自然の中にいきなり現れ、意表を突かれました。

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 ホームには ウシュアイア という駅名が書かれていて、このウシュアイアは、世界産南端の町といわれています。

 

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 旅には、特に長い海外旅行には何冊かの本を持っていきますが、そのうちの一冊「風の道 雲の旅」(椎名まこと)に、このウシュアイアのことが書かれていて思わずニヤリとしました。今回、ウシュアイアの街中を散策する時間はなく、椎名誠が書いている状況にはお目にかかれませんでしたが、その先の旅でしばしばお目にかかることができました。椎名誠は、おそらく日本で一番秘境的な所に出かけている人だと思うのですが、彼がどこかの新聞で 世界で一番印象的に好きな場所 としてパタゴニアを挙げていました。   

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 ホームからは、ゴツゴツと聳えている山に向かってレールが延びていました。

 

最初の観光のベースとなったウシュアイアは、ビーグル水道に面したフェゴ島という島にあり、絶えず強い風が吹いていました。年間を通して風が強く、その風の強さがパタゴニアの代名詞ともいわれています。最大風速が60m/sを越えることも珍しくないそうです、人間は40m/sを越えると飛ばされることもあるそうです。この先、どんな風が出会えるのか楽しみでした。

 

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2016年2月23日 (火)

パタゴニア物語03 最果ての町

2/5(金) アルゼンチンの首都ブエノスアイレスから、パタゴニア地方の世界最南端の町ウシュアイアを目指しました。

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 02:47(現地時間:以下同じ) 前日、超長距離フライトでようやく辿り着いたホテルでしたが、ほんの数時間の睡眠で眠い目をこすりながらの早起き、早朝出発となりました。

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 03:06 この日は、パタゴニア地方・フェゴ島にある世界最南端の町ウシュアイアに移動するため、国内線の飛行場に向かいました。添乗員のHitomiさんも現地ガイドのU・スランジさんも仕事とはいえ朝早くから大変でした。

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 予定スケジュールではブエノスアイリスから飛行機で一挙に南下して世界最南端の町ウシュアイアに一度落ち着いてから、じっくりと北上しようというものでした。

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 03:13 予定では04:40分発のLAN航空に乗るということで、まだ搭乗受付カウンターがオープンする前に私たちは並びました。何故こんなに早い便に乗るかといいますと、このフライトルートの天候の変化が激しく、時として欠航ということもあり、欠航の場合にはバスでの長距離移動に変更せざるを得ませんでしたので、早めに行動ということになりました。

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 朝食は、地元の日本料理屋が作ってくれたおにぎり弁当でとりあえずの腹ごしらえをしました。機内食にウンザリしていましたので、ありがたく美味しくいただきました。

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 03:48 搭乗受付が始まりましたが・・・。LAN航空といえば、昨年南米ペルーに行った時、LAN航空の遅延によって予定の便への乗り継ぎができずにロサンゼルスで一泊するというハプニングがありましたので嫌な予感がしていたのですが、案の定、2時間遅れるというアナウンスがありました。

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 06:15 予定よりも2時間遅れながらも出発することができ、バスによる長距離移動をしなくてすむことになり胸をなで下ろしました。途中で引き返すということのないように祈りました。

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 06:32 機内から見たブエノスアイレスの町は、夜が明けようとしてとしていました。天候が荒れやすいといわれていましたので、天気が良さそうで安心しました。

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 07:55 ブエノスアイレスの国内線空港を飛び立ってほぼ1時間、雲海の上に出ました。フライト時間は3時間45分と比較的短いものでしたので、席は窓側を取りました。何より、憧れのパタゴニアを空から見たいと思ったからでした。

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 08:01 軽食が出ました。早朝に日本食のお弁当を食べたばかりでしたので、酒のつまみになりそうなスナック菓子だけ持っていくことにしました。

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 09:46 雲海を抜けると、眼下にはパタゴニアの大地がうっすらと見えてきました。

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 09:59 景色は次々と変わりました。空の下には青い海か湖か。

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 10:03 青い空の下には、さらに碧い海と山脈(やまなみ)も見えてきました。

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 10:08 機体は静かに山あいの空港へと降り立ちました。2時間遅れではありましたが、無事に到着して感謝しました。

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 空港に降り立つと、強い風と猛烈なスピードで流れる雲と青空が歓迎してくれました。

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 空港の建物は、自然の景観を損なわないよう木をふんだんに使ったもので、デザインも優しさを感じさせ、自然に溶け込んでいるようでした。

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 10:42 ホテルまではバスで移動しました。窓の外にはでっかく青い空、ものすごく速いスピードで動いてゆく白い雲。

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 11:14 ついに、パタゴニアの風の大地を踏みしめました。とても強い風が吹き付けてきましたがそれ程の寒さは感じませんでした。

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 着ていたダウンジャケットも背負っていたリュックも パタゴニアブランド のものでした。パタゴニアに来ることになるとは思わなかった、かなり昔に購入したもので、これも縁かもしれません。

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 11:16 ビーグル水道に面したホテルにチェックインしました。このホテルには連泊の予定で、ようやくゆっくりと過ごすことができそうでした。

 

長い道のりでしたが、パタゴニアの大地をしっかりと踏みしめることができました。早速、強烈な風の洗礼を受けました。いよいよパタゴニアの旅が始まりました。

 

 

 

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2016年2月22日 (月)

パタゴニア物語02 アルゼンチンへ

2/4(木) 成田から12時間近くのフライトを終えてホッとしたのも束の間、次はアルゼンチン・ブエノスアイレスまで19時間35分のフライトが待っていました。

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 11:41(日本時間:以下同じ) ドバイはアラブ首長国連邦の首長国の一つで、中東屈指の世界都市であり金融センターでもあります。とても興味があったのですが、たった2時間のトランジット滞在でした。時差は-5時間ですので現地時間は06:41、飛行機は07:10(現地時間)出発予定でした。

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 11:47 搭乗が始まりました。いよいよ前代未聞の超長時間フライトの始まりで、エミレーツ航空のCAは笑顔で出迎えてくれたのですが、機体のドアが地獄への入口にも思えました。

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 通路側に着席しました。隣には外国人(国籍不明)の若者が座っていました。

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 14:52 モニターにはこれからのフライトルートが映し出されていました。そのルートはアフリカ大陸を越えるもので遠いわけです。   

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 15:00 最初の食事が出ました。現地時間で考えれば朝食ということになりますが、日本時間で考えれば昼食ですが、それ以前に前の食事は何時に食べたのか覚えていなくて、結局は体調を考えてスクランブルエッグとフルーツだけ口にしました。

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 15:14 流動食(白ワイン)はしっかりととりました。エミレーツの顧客満足度が高いと聞いていたのですが、食事の後にアルコールやジュースなどの飲み物が出てきて、アレッと思いました。普通は飲み物が先でしょうと。

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 17:05 ドバイを出発(12:10)してから5時間近くが経過したところでウィスキーをオーダーしました。

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 18:06 私たちが乗った飛行機は北アフリカ辺りを飛んでいました。昨年北アフリカ・モロッコに行きましたが、こうしてみると遠いと思っていたアフリカはそれ程でもないことがわかりました。南米はもっと先です。

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 20:15 ドバイを出発して8時間経過したところでピザが出ました。最初の食事にほとんど手を付けませんでしたので小腹が具合よく空いていましたので、赤ワインと共に美味しく完食しました。

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 23:34 飛び立ってから11時間経過して、機体は大西洋の上空を飛んでいました。もしこんなところで墜落でもしたら(自分にとっては海洋葬ができそれでもいいのですが)遺族が現地を訪れたりするのは大変だろうなあとつまらないことを考えたりもしました。

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 00:22 これは昼食か夕食か、大西洋上にいますので現地時間が何時かということはわからず、ピザを食べてから2時間しか経過していませんでしたので、流動食(白ワイン)とデザートだけにしました。

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 01:30(日本では日付が変わっていました) 飛び立ってから13時間20分が経過して、乗客の中には席を立って屈伸運動をする人が目立ち始めました。

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 01:56 給油地のリオデジャネイロまで残り1時間近くとなりました。

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 03:40 ドバイを出発して15時間30分後にリオデジャネイロに到着しました。予定より遅れていたようです。乗客同士顔を見合わせて苦笑いしたり肩をすくめたりしました。

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 03:41 リオデジャネイロまでの人はここで飛行機を降りましたが、私たちは機内待機となりました。

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 03:48 ここはブラジル・リオデジャネイロで、リオといえばオリンピック、カーニバル、ジカ熱で世界からいろいろな意味で注目を集めている都市ですが、私たちは機内に閉じ込められたままで、ハイジャックに遭った人質のような気分でした。

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 04:03 機内待機の間、CAの交代、給油と清掃が行われました。その後、アルゼンチンに向かう新たな乗客が乗り込んできました。  

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 06:15 リオからアルゼンチン・ブエノスアイレスまでは3時間ちょっとのフライトでした。今までに比べればどうとない距離でしたが、ドバイで機内に入ってから18時間経過していました。

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 06:37 そしてまた食事。食事は半分だけにして白ワインを飲みました。アルゼンチンは牛肉の国ですので、胃腸の調子は万全にしておきたいと思い、腹五分目を心がけました。

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 06:53 隣の若い外国人や乗客の皆さんたち多くの人たちはさすがに疲れたのか眠っている人が多かったのですが、私は成田~ドバイ間でよく寝ましたのでほとんで眠りませんでした。

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 08:25 ようやく到着し、飛行機を降りることができました。ここまで機内に20時間いたことになりました。予定(19時間35分)より遅れたようです。

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 09:05 出国手続きを終え、税関を通ってようやくアルゼンチンの土を踏みました。出口には多くの人が出迎えていました。成田から32時間かかりました。

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 09:18 目についたのが、腰回りの豊かな女性が多いことでした。さすが牛肉の国。

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 09:41 ホテルまでのバスに乗ると、現地ガイドのU・スランジさんが出迎えてくれました。スランジさんは日系3世とのこと、週に3回は600gのビフテキを食べると聞いてびっくり、今はスリムですが、やがては腰回り豊かになるのでしょうか。アルゼンチンにはペルーなどと違って日系移民は少ないのですが、移民の中では日系人が最も信頼されていると胸を張って言ったことが印象的でした。

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 10:13 日本とアルゼンチンの時差は-12時間で、昼夜がまるで逆で、やはり地球の裏側でした。バスの中から見たブエノスアイリスのこのシーン、コミカルなペイントのようなアートが描かれた小屋とポリスとパトカー、異国に来た感じがしました。

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 22:31(現地時間:以下同じ) ようやくホテルにチェックインしましたが、ホッとしたのも束の間、翌日の出発は02:45のため02:00には起きなければならず、地獄のようなスケジュールでした。日本を出発したのが冬の寒い日、ブエノスアイリスは真夏で気温は30℃、これから向かう最果ての地は寒い、ということでどういう服装で行動するか、手荷物あるいはリュックには何を詰めるかなど、荷物の整理などしなければならず、睡眠時間は短くなるしなど、ちょっと厳しいスケジュールでした。もっとも西遊旅行社のツアーではこういうことはよくあることです。

 

成田を出発して飛んでいた時間は30時間、機内待機を含めると32時間はさすがに長かったのですが、添乗員さんによると世界一長いフライトのことでした。機内で何をしていたかといえば、成田~ドバイ間は割とよく寝ましたが、ドバイ~ブエノスアイリス間は食事して飲んで読書して、時々モニターでフライト情報を見ているうちに着いたという感じでした。席が通路側だったこともあり、意外に疲れを感じませんでした。帰路も同じかと思うとゾッとすることもありますが、これでどんな遠い国や所(この路線以上に遠い所はありませんので)に行けるという自信がつきました。

 

 

 

 

 

 

 

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2016年2月21日 (日)

パタゴニア物語01 ドバイへ

2/3(水) パタゴニアへの出発の日がやってきました。なが~い旅の始まりです。先ずは11時間55分という12時間のフライトで中東ドバイを目指しました。ドバイからは19時間35分(給油のための機内待機を含む)のフライトが待っていました。

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 14:31 出発はいつものようにYCAT(Yokohama City Air Terminal)から。横浜駅から成田行きのリムジンバスで。

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 リムジンバスは「みなとみらい地区」から高速道路に乗り、首都高を経由して成田へと向かいました。海外旅行の場合、留守中のあれやこれやに後ろ髪引かれる思いと、これから先の旅路への不安とが重なり合って重い気持ちになってしまうのですが、ベイブリッジを過ぎると、結界門をくぐったかのように現実世界から徐々に非日常的な世界への期待が高まってくるのはいつものことです。

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 16:24 成田に着いて空港の独特の雰囲気に取り囲まれてしまうと、もう気持ちはこれから先の事しか考えませんでした。

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 出発は21:20ですから時間はたっぷりありましたので、ビール片手に、空港に集まっている様々な人たちや外国人を眺めながら、国際空港の雰囲気を楽しみました。

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 南米にはアメリカを経由するルートと中東を経由するルートがあり、今回は中東(ドバイ)を経由するルートで、21:20発のエミレーツ航空を利用しました。

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 18:23 搭乗3時間前に搭乗手続きが開始されました。海外旅行のような比較的長時間のフライトの場合は通路側の席に座りたく、特に今回のような超長距離フライトのケースでは絶対条件ともいえます。ツアー会社(西遊旅行社)が通路側の席をリクエストしてくれていますが、実際にチェックインするまでわからず多少不安でしたが、成田~ドバイ、ドバイ~ブエノスアイリスとも通路側の席が確保されてホッとしました。関空から来る添乗員さんとはドバイで合流することになっていましたので、各自でチェックインとなりました。

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 20:49 私たちが乗り込む機体は、12時間のフライトを前に静かに翼を休めていました。エミレーツ航空は、顧客満足度が高い会社として有名でしたので楽しみにしていました。

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 搭乗が開始され、シートの前のモニターにはエミレーツ航空のCA(キャビンアテンダント)の画像が表示されていました。エミレーツ航空の利用は初めてで、以前からこの会社のCAの紅いキャップと長めの白いスカーフのようなファッションには興味がありました。実際のサービスに邪魔にならないのかと。

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 21:02 着席して、隣のシートは空席になりそうな気配でこのまま誰も来なければいいなあと祈るような気持ちでした。

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 21:17 いよいよ出発するというアナウンスがあり、CAは客席のシートベルトの確認を始めました。私の隣の席は空席であることが確定的となりラッキーでした。

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 最近は、ほとんどのシートにはモニターがあり、映画の上映だけではなくフィライト情報の表示もしてくれます。私はほとんどこのフライト情報を見ることにしています。上海、香港、デリー、ドバイなど中国やインドの都市の名前を見ると、海外旅行の実感が湧いてくるのでした。

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 22:49 夕食というか夜食というか、一回目の機内食が出ました。和食か洋食を選択でき、チョイスした和食の「カニの蒸し物」はなかなか美味しかったのですが、腹八分目、いや六分目ぐらいに控えめにしました。

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 00:19 食事を控えめにする代わりに流動食(アルコール)でカロリー補給を心がけました。ウィスキーを寝酒に、空いている隣の席も使って丸く横になり、十分な睡眠をとることができました。眠っているうちに日付が変わりました。

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 06:54 一眠りした後目覚めるともう目的地のドバイに大分近づいていました。出発してから10時間近くが経過していました。

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 06:56 朝食が出ました。メニューはスクランブルエッグとチキンソーセージでしたがあまり空腹は感じませんでしたのでフルートとエッグだけ食べました。

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 気になっていたエミレーツ航空CAの独特なファッションは、実際のサービス提供の際にはキャップとスカーフは被っていませんでした。

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 09:46(日本時間:ドバイとの時差は-5時間ですので現地時間は05:45) ドバイに到着しました。私たち東京組6人は何となくまとまって、添乗員さんと関西組5人との待ち合わせ場所へと向かいました。

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 ドバイ空港はとても広く、待ち合わせのターミナルへは空港内の列車で向かいました。初めての空港で戸惑いもあり、まるでお上りさんのような気分でした。

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 二両連結の列車は、早朝のせいかさすがに空いていました。

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 さらに、待ち合わせ場所であるブエノスアイレスへのフライトの搭乗口へは、バカでかいエレベーターで移動しました。

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私たちより1時間半遅く関空から到着した添乗員のHiromiさんと関西組の5人と合流しました。ここで東京組6人と合わせて総勢12人が顔を揃えました。

 

ドバイからのブエノスアイレスへのフライトのトランジット時間はほぼ2時間。ブエノスアイレスまでのフライト時間は19時間35分もあり、そのことを考えるとうんざりもしましたが、もうここまでくれば腹を括るしかありませんでした。

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2016年2月 3日 (水)

パタゴニア 行ってまいります

出発の時が来ました。今までで一番長い旅の始まりです。成田~ドバイ12時間、ドバイ~サンパウロ14時間30分、サンパウロ~ブエノスアイレス(3時間20分)、合計30時間のフライトです。サンパウロまでは入国・出国が一切なく、機内待機とトランジットがあるのみです。成田からは東京組5人、大阪組は6人+添乗員でドバイで合流となっています。ドバイまではそれぞれ勝手に行くことになっていますので、そこまでは一人旅となります。腹を括って行ってまいります。

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2016年2月 2日 (火)

パタゴニア 好きな景色

出発まであと一日となりました。宅配業者に成田までのスーツケースを託し、後戻りはできなくなりました。出発が近づくにつれ、何故あるいは何を見に行くのと聞かれます。風の大地を歩いてみたいといっても不思議そうな顔をされるばかりで、自分の口足らず舌足らずは如何ともしがたいのです。ネパールの後、チベットからもヒマラヤを見て、最後の桃源郷といわれるフンザ(パキスタン北部・中国との国境近く)、サハラ砂漠、北欧のフィヨルドと旅をしました。その結果、見ることができて良かったという景色を振り返ってみれば、私がパタゴニアに何を求めているのかがわかっていただけるかもしれません。

01
 20114月に初めてヒマラヤを訪れた時、宿泊したホテルエベレストビュー(3,880m)から見た神々しい景色に感動しました。

02
 20116月の “ツール・ド・モンブラン12日間”(6/247/5)では、7日間かけてテクテクと、モンブランやアルプス連山を見ながらフランス、イタリア、スイス、オーストラリアをトレッキングしました。“サウンドオブミュージック”のような景色もありましたが、豪快な景色を見ながらのトレッキングもなかなかのものでした。

03
 ツール・ド・モンブラン では、雪上・氷河歩きしながらモンブランに挑む人たちの姿には驚きました。

04
 2011年から2012年にかけての年越しをヒマラヤでしてみようとバカなことをしてしまいました。その時カリガンダギ川に沿ってジョムスン街道を南下しました。この川を北上すれば秘境ムスタン王国へと、チベットへと通じています。この川を南下すればいずれはガンジス川と合流します。どこまで行っても茫漠たる光景が拡がっていて、他に人影が見えず、視界が開けていて日本ではお目にかかれない光景でした。三蔵法師や孫悟空に出会うのではないかとも思ってしまいました。川口慧海が歩いた道でもあり、最も印象に残っている光景です。

05
 日本人の登山家竹内さんが8000m以上の世界14座登頂の最後に挑んだダウラギリ(8,167m)を背に、ここでも他に人影も見えず、雪煙の音が聞こえるような静寂の世界でした。

06
 20123月にでかけたアンナプルナ峰(8,091m)を巡る25日間のトレッキングでは、初めて5,000mの峠を越えました。トロンパス(5,416m:パスは峠の意味)から前方に立ち塞がるように聳え立つヤカワカン(6,482m)を見ながらの1,600mの標高差の下山は豪快でした。

07
 トロンパスを越えて、秘境ムクチナートに続く道からの光景は不毛の大地で、シルクロードを旅しているような気分もなりました。

08
 20134月、最後の桃源郷といわれるフンザ(パキスタン北部)へのカラコルムハイウェーも豪快な景観の連続でした。カラコルムハイウェーは、中国の新疆ウイグル自治区とパキスタンを結ぶ道で、途中海抜4,693mのクンジュラブ峠を通り、国境を舗装する道路としては世界一の高所を通る道でもあります。

09
 20139月、13日間のチベット旅行もスケールの大きな景観を眺めることができました。チベット・ネパール国境に連なる山々、110年前に重い荷を背負って一人で国境を越えた慧海の姿は想像すらできません。

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 チベット旅行で走った標高5,000m近くの高地を貫く舗装道は、中国の国力の象徴でもあるように思えました。それはともかくとして、大好きな景観で満足でした。

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 チベット高原は、イメージしていたチベット的景観でした。

12
 201211月、エベレスト街道のトレッキングは、素晴らしい景色の連続でここを歩いているだけで幸せで、来た甲斐がありました。高度順応も順調でした。

15
 20139月、チベット側から見たチョモランマ(エベレスト)は想像以上に穏やかで、頂上へ続く稜線はなだらかで、ちょっと頑張れば登れるかなと思えるほど優しげでした。

16
 201211月、間近なエベレストを見るために目指したカラパタール(5,545m)では100m手前で挫折しました。人生で最も辛く、苦しい思いをしたのがこの時でした。ネパール側から見たエベレストとチベット側から見たエベレスト(チョモランマ)、何日間もかけて高度順応を兼ねてエベレスト街道を歩いてようやく辿り着いたネパール側からのエベレストの方が遙かに感激度は高いものでした。

17
 昨年11月に行ったマチュピチュは、荒涼たる広大な景色とはほど遠いものでしたが、世界一行きたいといわれる観光地を一度くらいは見てみようと出かけたものでした。実際に空中都市の中に身を置いてみるとそれはそれでまた違った感動を味わいました。

 

以上、ピックアップした好きな景色は、荒涼たる広大な自然ばかり(舗装された高速道路もありますが)です。パタゴニアは風の大地といわれていますので、渺茫たる風景の中、強い風を感じながらできるだけ多く歩けたらいいなあと思っています。

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