« 街道歩き 奥の細道から浜街道へ | トップページ | お伊勢参り 内宮参拝 »

2016年7月 9日 (土)

街道歩き エベレスト街道

旧東海道、四国巡礼、奥の細道、中山道と主な街道を歩き終えたところ、2011年に東日本大震災が起こりました。特に、その前年に歩いた浜街道は津波や原発事故の直撃を受け、現在も立ち入り禁止になっている地域もあります。復興の先が見えず、しばらくは閉塞感に悩まされました。そんな時期、海外に歩けるところはないだろうかと海外へと目が向き、世界一の高峰エベレストを見てみたいと思いました。エベレストのベースキャンプに至る道は「エベレスト街道」と言われ、いずれはその街道を歩いてみたいと思いました。

Photo
 ヒマラヤといえば8000m級の高峰が聳えている山岳地帯です。富士山くらいしか登ったことがない自分には、とても大変な所だと思っていたのですが、登山ではなくトレッキングなら何とかなるのではないかと準備を始めました。ヒマラヤのトレッキングの本によると、高地を歩くという大変さはありますが、たくさんのポーターさんが荷物は持ってくれ、テントも設営してくれて食事も作ってくれるそうで、その点では楽そうでした。

Photo_2
 しかし、いきなりエベレスト街道を歩くというのはかなり不安で躊躇していたのですが、ある一冊の本に背中を押されました。「ヒマラヤのドン・キホーテ」という本で、著者の宮原さん(77才:2011年当時)という方は、30代でヒマラヤの山奥の標高3,880mにホテル・エベレスト・ビューを建て、ネパール国籍を得てネパール人になってしまった方です。こんな人がいたということとエベレストを間近に見ることができるホテルがあったことに感激しました。宮原さんが建てたホテルに泊まり、エベレストを眺めてみたいと思いました。

Photo_3
 宮原さんは、日大理工学部出身で山岳部に所属していました。南極地域観測隊やヒマラヤ登山隊などにも参加し、30代でホテル・エベレスト・ビューの建設に取り組みました。還暦を迎えたときに、初めてエベレスト登頂を試みたのですが、頂上まで標高差5060m、距離にして300mの地点で断念したそうです。残念ながら高山病で片目が見えなくなり、下山したそうです。世界の登山家が憧れるエベレストを見てみたい(天候次第ですが・・・)という想いが強くなりました。

Photo_4
 初めてのヒマラヤ行きの最大の目的は、ホテル・エベレスト・ビューに宿泊してエベレストを見ることとエベレスト街道の雰囲気を味わうことでした。ルートは成田からネパール(カトマンズ)へ、カトマンズからエベレスト街道拠点のルクラまで飛行機で飛び、ルクラからは軽飛行機に乗り換えるというものでした。ルクラからエベレスト街道を歩くと23日かかる道を、今回は一挙に飛行機で飛んで、その日は高山病対策のために飛行場から一度山を下り(標高3,440m)、翌日ホテル(標高3,880m)まで登るというものでした。

Photo_5
 今回のヒマラヤトレッキングで一番の心配は高山病です。ホテル・エベレスト・ビューは富士山(3,776m)より高い標高3,880mにあり、私にとっては未知の領域です。富士山に何回登っても八合目から頂上まではいつも辛く苦しい思いをしていましたので、不安感解消のために事前の高山病対策をとりました。プロスキーヤーの三浦雄一郎さんが開設している高山病対策のトレーニングセンターに行きました。

Photo_6
 出発の前々日(2011.4.20)に三浦ベースに行き、「4,000m高所テスト」(140分)を受けました。室内の高度は4,500mに設定してもらいました。ヒマラヤ観光開発(株)の宮原さん(社長)によると “3,600mに高山病の一つのラインがある。経験的にそう思う。あとは4,200mに。3,600mでは死なないが、4,200mでは死亡事故が起きる。また富士山に何回登っても、高地で宿泊するのはまた別物と言っていて、私にはかえって不安が増しました。

 

初ヒマラヤは、カミさんも行きたいとのことでしたので、二人の個人旅行となりました。日が近づくにつれ、何回も飛行機に乗り換え、最後は軽飛行機で富士山の八合目くらいの高地にある山間の飛行場まで無事に辿り着けるか、現地のガイドさんやポーターさん達と合流できるか、高山病にはかからないか、寒さに耐えられるかなど不安感が増してきたのでした。

|

« 街道歩き 奥の細道から浜街道へ | トップページ | お伊勢参り 内宮参拝 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 街道歩き 奥の細道から浜街道へ | トップページ | お伊勢参り 内宮参拝 »