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2016年7月 4日 (月)

街道歩き 旧東海道から四国巡礼へ

ある時期ダイビングにはまり、ふと気がつくとごく普通に陸地を歩くことができなくなっていました。1時間も歩いたら足や膝が痛くなり、愕然としました。とにもかくにも歩くことと、始めたのが街道歩きでした。

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 最初の街道歩きは旧東海道でした。延べ19日間かけて200741日に京都三条大橋にゴールインし、橋の袂にあった弥次さん喜多さんの像にご挨拶しました。この時の街道歩きがテクテクのスタートになりました。

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 広島から迎えに来てくれたMさんと岩国のママさん、同行したのんちゃんと乾杯しました。

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 まるでゴールインを祝ってくれるかのように高瀬川にかかる桜が満開でした。この日4/1はテクテクの原点となりましたので、毎年この日には京都でお花見をするようになりました。

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 旧東海道の次に歩いたのが「四国八十八ヵ所」、四国巡礼でした。どういう心境でそうなったのかは記憶が定かではないのですが、何となく歩き甲斐がありそうでした。楽しく歩けそうなガイドブックを頼りに、四国4県を32日間で歩くことにしました。(以下の画像は、携帯によりものであり、その日の画像は現地からアップしたもので、見にくいことをお許し下さい)

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 2007年の58日、一番札所の霊山寺からスタートしました。霊山寺前の売店で、白装束や菅笠、金剛杖などお遍路グッズ一式を買って身に着けると気持ちはキリリと引き締まったのですが、それ以上に恥ずかしかったのでした。

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 四国八十八ヵ所を巡る道は総延長1100km~1400kmあるといわれています。詳細な地図を頼りに歩き始めたのですが、遍路道の標識があり迷うことはありませんでした。

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 初めて泊まった宿坊は、六番札所の安楽寺の宿坊でした。部屋はとても清潔で、翌朝は朝早くから本堂で朝のお勤めがあり、少しずつ遍路気分となりました。

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 126500円、料理はまあまあで、ビールが飲めてよかったのでした。お坊さんがビールの注文をとっているのがおかしかったです。

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 お遍路さんが随分いて、時には一緒に歩いたりもしましたが、お互いの事情(遍路をしている理由とか)については何となく聞かないのがルールということはわかっていました。それでも、先方から娘さんを亡くしたとか、離婚したとか、打ち明けられたりしたこともありました。

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 一日どのくらい歩くか、どこに泊まるかなどは全て自分で決め、宿はできるだけ事前に予約しました。遍路道は街中もあり、山の中の道もあり、山の中は蛇に要注意でした。

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 コンクリートの道もあり、舗装路が続くと足にこたえました。楽しそうにノンビリ歩くお遍路さんもいれば、思い詰めたように歩くお遍路さんもいました。私は何を考えていたのか思い出せませんが、歩くことが楽しかったのでした。

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 この日の宿は「富士屋本館」という名前の鄙びた宿で、ここも126500円でした。

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 ルートによっては一日中山の中だったりすると食事処がないケースも多くありました。翌日のルートを調べて、事前に昼食のお弁当をオーダーしておくこともしばしばありました。

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 こういう道は歩いていても楽しめました。

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 何となくお遍路姿も板についてきたような。街中を歩いていても恥ずかしくも何ともなくなりました。

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 街中を歩いていると地元の人が車に乗っていきませんかとよく声をかけられました。できるだけ歩こうとは思ってはいたのですが、疲れがひどいときにはついつい乗ってしまったことも。

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 何ヵ所かは 遍路転がしという難所もありました。

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 歩いているとしばしば ご接待を受けることがありました。食べ物や果物など、いただきすぎてリュックがパンパンになってしまったこともありました。

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 高知県・室戸岬の手前、若き頃の空海が修行したといわれる「御蔵洞」。この洞の中から外を眺めると、 “空と海” が見えるのでした。

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 高知県では随分雨に降られました。下着は汗で、雨具は雨でびっしょりとなりました。

 

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 こんな気持ちのいい道もありました。

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 OLさんや卒業前の学生さんなど、若い女性のお遍路さんもかなり見かけました。

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 遍路転がしの難所では、激励のお札もありました。

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 この日の道のりは20キロ、長い道のりでした。岡山から来られた年輩の方と一緒になりました。3回目のお遍路で、目的地迄導いていただくことになりました。

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 この宿は、本物の金、いわゆる純金でできた黄金大師像が自慢のど派手な宿でした。黄金大師にどんなお願いをしてもいいという触れ込みで、その謳い文句にのせられて千客万来でした。私も。

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 12食付きで8000円とちょっと高かったのですが、食事も自慢ということでした。食卓についてびっくり、大分からきたお遍路さんと二晩続けて同じテーブルで、早速乾杯。どうしてこういうことが起こるかといいますと、団体さんが多く、個人客は一つのテーブルにまとまられてしまいます。団体さんが大騒ぎしている脇で、一人寂しく食事するよりも、話しをしながら食事ができるのはありがたいことでした。

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 この日のお宿は、海の幸という民宿でした。四国八十八ヶ所巡りの中で、最も質素なお宿でした。雨露凌げて、汗を流して、ビールを頂ければどんなところでも幸せです。おじいちゃんとおばあちゃんが二人でやっているお宿ですが、おばあちゃんが急に倒れ、料理が作れなくなってしまい、おじいちゃんが慣れない手つきでお料理を作っていました。今までで一番質素でしたが、美味しいお料理でした。ご飯を三杯もお代わりしました。おじいちゃんに写真を撮らせてくださいとお願いしましたら、きちんと正座されました。廻りには全く何もないところでしたが、温かいお宿でした。一番印象に残っているお宿でした。

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 室戸岬から足摺岬までの道のりの長かったこと。

 

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 何回か遭遇した蛇の姿をようやく捉えることができました。

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 最も質素なお宿もあれば、ちょっと贅沢な宿もありました。奮発して道後温泉のホテルに泊まりました。

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 八十八番札所、最後の札所の大窪寺は雨でした。20071161530分に、本日の行程24キロ、510日にスタートしてほぼ500キロのテクテクのゴールでした。

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 この日のお宿は、大窪寺の近くにある唯一の民宿でした。八十八ヶ所を廻り終えた人は、ほとんどここに泊まります。皆さん笑顔でした。

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 ほとんどがどこかで出会ったお遍路さんでした。早速皆さんと乾杯で、仙台から来ている方とも再会の乾杯をしました。

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 熱燗のコップも昔懐かしいもので、皆さんと飲み交わし盛り上がりました。

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 12食付きの6500円の民宿ですが、結願記念のお赤飯がありとても嬉しかったです。トイレ付き個室のとてもいい民宿でした。終わり良ければ全てよしでした。

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 一番霊場焼山寺に戻ってきました。これで一番から八十八番迄の四国一周の輪が繋がりました。御礼の鐘をおもいっきり打ちました。510日にここに到着し、門前のお店で白衣等お遍路用品一式買い揃え、身につけた時には、震えを感じたものでした。境内には、真新しい白衣を身につけた緊張の面持ちのお遍路さんと、八十八ヶ所廻り終えホッとしたお遍路さんがいて、一目でわかりました。

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 八十八ヵ所の札所巡りを終え、最後は高野山にお礼参りをしました。高野山では大きな宿坊に宿泊したのですが、宿泊者は私一人。食事の部屋に通されてびっくりしました。12畳の部屋で、床の間を背に席が設けられていました。食事は、手づくり胡麻豆腐、山芋のかば焼きなどの精進料理で素晴らしいものでした。最初は妙に落ち着かなかったのですが、たくさんの御膳が出てきて、料理も美味しく、盃を重ねるうちに殿様気分になってしまいました。翌朝は朝のお勤めがありました。

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 八十八ヵ所の札所巡りを廻り終えて、金剛杖や菅笠を納める人もいますが、私はまた出かけるかもしれないのと、なんとなく愛着があるので手放せませんでした。高野山でゆったりとした時間を過ごしてみて、八十八ヵ所の巡礼は高野山への旅であることを実感しました。高野山の納経印を押してもらった白衣(はくえ:白装束)は、死んだ時に着せてもらう死装束で、極楽に行けるとも言われています。

 

旧東海道歩きから四国巡礼へと、テクテクは続きました。32日間、約500キロを、病気も怪我もトラブルも無く、挫折せず無事に歩き通せたことを感謝しています。

 

帰ってからアルバムを整理するのが面倒で、日々現地で撮った写真を現地からブログ更新しました。その結果、とても見にくい画像となりました。もっとも当時(2007年)はブログが今日まで続くとは思っていませんでした。

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