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2016年7月20日 (水)

ヒマラヤ回想 タイ・バンコク

2011.4.22 一通りの日本の街道を歩いた後、さてどうしようかと思っているとき東日本大震災(2011.3.11)が起こり、現実逃避ではありませんが海外に目が向きました。エベレストを見てみよう、ヒマラヤを歩いてみようと思い立ちました。ヒマラヤを歩いた記録を振り返ってみました。

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 ヒマラヤを歩くにはどうしたらいいかわからず、とりあえずヒマラヤ観光開発というツアー会社に相談し、カミさんと2人の個人旅行の手配をしてもらいました。未知の場所ヒマラヤへの個人旅行ということで、とても不安に思っていたのですが、成田空港で同じヒマラヤ観光開発のヒマラヤ遠征チームと一緒になり、チームリーダーの高橋隊長と会いました。ネパールまでの3日間は一緒に行動できるとわかってホッとしました。

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 久しぶりの海外旅行で、ウキウキはしていたのですが、ヒマラヤという得体の知れない地域に行くということと標高が高いということ、何よりカミさんとの2人旅で、とても不安に思っていました。

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 成田を出発して6時間、タイのバンコク国際空港に着きました。バンコクで一泊して翌日ネパールに入るという行程でした。ヒマラヤ遠征チームは9名、20日間かけて5,360mの高地に出かけるそうで、私にとっては近寄りがたい存在で、私とカミさんのような軟弱者には口もきいてもらえないかと思っていました。 

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 タイのバンコクは初めてでした。バンコク国際空港からは専用のバスでホテルに向かいました。早速バンコク名物の車の渋滞の洗礼を受けつつ、ほどなく宿泊先のホテルに到着しました。ホテルの入り口には観音様が出迎えてくれ、いよいよ始まったぞという実感が強くなりました。

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 ホテルの近くには屋台が出ていましたが、ホテルから眺めたバンコク市内の街並みには灯りがほとんど見えなく真っ暗でした。夕食後、遠征チームの高橋隊長からヒマラヤの歩き方の話などを聞いて、少し安心しつつ眠りにつきました。

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 2011.4.23 07:30 ホテルに迎えに来たバスに乗って、再びバンコク国際空港に向かいました。画面右から、現地ガイドさん、カミさん、私、マドンナさん。マドンナさん(私が勝手に名付けました)は、遠征チームの紅一点で、1人参加の女性がヒマラヤに出かけることに驚きました。この時の出会いが、今日までの交流に繋がるとは思ってもいませんでした。

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 バンコク国際空港にはお坊さんがあちらこちらにいました。さすが仏教の国です。タイでお目にかかりたかったのが仏教国のお坊さんと本場トムヤンクンでしたので、早速一つめの目的が達成されました。

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 バンコクの出国手続きを済ませ、ネパール・カトマンズ行きのフライト前に全員集合しました。遠征チームの強者の皆さんも高橋隊長の注意事項を、幼稚園の生徒のように聞き入っているようでした。遠征チームの皆さんとも少しずつ言葉を交わすようになっていました。

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 バンコクからネパール・カトマンズへは4時間半のフライトでした。山岳の王国が近づくにつれヒマラヤの高峰が見えるのではないかと思ったのですが、青い空と白い雲だけでした。

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 15:00(以降現地時間)にカトマンズ空港に到着しました。日本との時差が3時間15分ですので、日本時間では18:15です。近代的で清潔なバンコク空港とは雰囲気も匂いもガラッと変わりました。ワクワクするような匂いでした。マドンナさんは、北海道旭川からの参加で、地元の山岳会に所属しているとのことでした。道理で。

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 カトマンズではエベレスト・ホテルというシティホテルに延べ3泊しました。その間私たちをガイドしてくれたサローズさんと合流しました。サローズさんは日本にも来たことがあり、日本語がペラペラなのはもちろん、漢字も読め、目下日本の格言を勉強中で、ことある毎に“袖すり合うも多生の縁”ですねとか、“郷には入ったら郷に従ってください”などと、言いたいことを一言で伝えてくれる人でした。日本語が達者な人でホッとしました。

 

カミさんとの2人旅でしたので、何もかもが不安でしたが、ヒマラヤ遠征チームと成田からカトマンズまで一緒でホッとしました。20日間かけて5,000mの高地まで歩くというヒマラヤトレッキングは、この時点ではとてつもないことのように思えました。

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