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2016年8月31日 (水)

アルプス回想01 ツール・ド・モンブラン

20114月に初めてヒマラヤを歩いて、たまたま出会ったヒマラヤ遠征チームのムッシュ・Itoさん、マドンナさん、鉄人鈴木さんからたくさんの情報や画像をいただきすっかり刺激を受けました。できるだけ早く本格的なヒマラヤトレッキングに出かけたかったのですが、カミさんが本場アルプスをトレッキングしてみたいと言い出しました。ヒマラヤへはカミさんを引っ張り出しましたので、今度はカミさんに付き合うことにし、20116/247/5の期間、ヒマラヤ観光開発のツール・ド・モンブラン12日間に出かけました。

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 ツール・ド・モンブランは、本場アルプスの名峰モンブラン(4,811m)の周りの山々をトレッキングするというものです。モンブランはフランスとイタリアの国境に位置しているのですが、行程はフランス・シャモニーを出発して反時計回りにイタリア、スイスの国境を越えて再びフランス・シャモニーにゴールするというものです。

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 一行は井本ツアーリーダー他、男性2名、女性5名の合計8名、成田空港に集合しました。井本リーダーは、ヒマラヤ観光開発のNo.2にして、なんと1995年と2005年と2回もエベレスト登頂を果たした鉄人です。おいおいお人柄はご紹介しますが、いつもニコニコしていらっしゃいましたがとても凄い人なのです。とても面白いリーダーでした。

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 6/24 11:10にオーストリア航空052便は定刻通り成田を出発し、12時間弱のフライトでオーストリア・ウィーン空港に到着しました。さすがにヨーロッパは遠いです。ここでは1時間40分のトランジットでした。ウイーン空港はこじんまりとして、面白味のない空港でした。

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 ウィーンから17:40のフライトでスイス・ジュネーブに向かいました。機外にはヨーロッパアルプスの山々が雲海の上に顔を出していました。19:20にジュネーブに到着し、まったく順調な飛行でした。

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 スイス・ジュネーブ空港には、さすがに欧州の高級車が並んでいました。

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 ジュネーブ空港からは、現地旅行会社神田さんの専用車で最終目的地シャモニーに向かいました。空港を出てすぐに国境を越えてフランス領に入りました。午後8時過ぎというのに昼間のように明るくて時差7時間とともに、欧州の夜の長いのには驚きました。午後9時過ぎに全員無事にホテルにチェックインしました。

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 長旅の疲れも、一夜ぐっすり寝てすっかり疲れがとれました。今日から活動開始です。部屋のカーテンを開けると、真っ正面に雲に隠れたモンブランとシャモニーの街が飛び込んできました。結局このホテルに6日間滞在することになり、6日間朝な夕なにモンブランとご対面することになりました。

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 毎朝、朝食はこのこじんまりとしたレストランでいただきました。ヒマラヤのロッジに比べるとさすがにおしゃれな感じがしました。

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 バイキング方式で、まるごとの果物各種、フルーツポンチ、ハム、ソーセージ、チーズ、パン各種、ジャム、ヨーグルト、生ジュース、コーヒーなどどれも美味しく、うっかりすると食べ過ぎて身体が動かなくなるくらいでした。

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 朝食後にロビーに集合して、井本さんを中心にして本日の行動会議。井本さんの左の女性は“マイティーチャー”です。成田に颯爽と現れた瞬間、なんと高校時代の英語の教師(クラス担任)の雰囲気と同じで、心秘かに“マイティーチャー”と名付けました。参加者中最も健脚で、現地ガイドさんと常に先頭を歩いていました。右の男性は早坂さんで、私とともに黒2点でした。今だにポルシェをぶっ飛ばし、行く先々でスケッチをしていた粋人です。早坂さんとは今でも時々飲んでいます。

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 6泊もお世話になった“ホテル プリューレ”です。シャモニーのメインストリートに近く、何よりモンブランビューには最高のホテルでした日本人ツアーも多く利用しているようでした。

 

ヒマラヤに次いでのヨーロッパアルプス、予想していた通りヒマラヤとはかなり雰囲気は違っているようで、これから先が楽しみでした。

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2016年8月29日 (月)

ヒマラヤ回想 S氏写真展5

ゴーキョ・ピーク・トレッキング(20日間)参加の鈴木さんからいただいた写真を掲載しています。ゴーキョピーク目指してのトレッキングの様子や目の前に現れる神々の姿には圧倒されるものがあります。

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 鈴木さんが最も気に入っているという “孤高のエベレスト”

 

5,000m以上の高みに黙々と挑んでいる高橋チームの皆さんの姿からは意気込みと息づかいが伝わってきました。ヒマラヤトレッキングへの憧れが募ると共に、ちょっとした恐怖も感じてしまいました。空気が薄い中、高度を上げながら、よくこれだけの写真が撮れたと思います。鈴木さんは鉄人に近いです。1年後に、その鉄人と25日間ヒマラヤを歩くようになるとは思いませんでした。

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2016年8月27日 (土)

ヒマラヤ回想 S氏写真展4

ゴーキョ・ピーク・トレッキング(20日間)参加の鈴木さんからいただいた写真を掲載しています。カトマンズといえば騒音、排気ガスの混濁した街というイメージですが、一方、王宮や寺院、ヒンドゥー教や仏教などの宗教国の側面も見逃すことができません。カトマンズの別一面、静粛な世界に引き込まれました。

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 「河口慧海」のパネルはどこにあったのでしょうか、ヒマラヤ蕎麦を食べている時間があったのなら、是非見たいと思ったのですが、この年の年末に河口慧海の足跡を辿りつつヒマラヤで年を越すことになるとは思いませんでした。

 

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 ネパールは産業がなくエネルギーもなくとても貧しい国です。また政治もマオイスト(毛沢東主義者)に支配されて混沌としています。それでも行くたびに、カトマンズの混沌とした活況、暮らす人々の生き生きとした表情に驚かされます。

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2016年8月25日 (木)

ヒマラヤ回想 S氏写真展3

ゴーキョ・ピーク・トレッキング(20日間)参加の鈴木さんからいただいた写真を、撮影時間順に掲載しています。今回のアルバムは企図したわけではないのですが、“花” と “子ども” がテーマとなりました。

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 ヒマラヤといえば高い山々がすぐにイメージされますが、ふと足元を見れば可憐な花々がそれぞれの存在を主張するように咲き競っているということを自分は全く気が付きませでした。また街道沿いで遊んでいる子供たちの無心の表情を捉えたアングルには、ヒマラヤに何度も足を運んだ鈴木さんのゆとりが感じられました。

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2016年8月22日 (月)

ヒマラヤ回想 S氏写真展2

鈴木さんからいただいた写真は3,000枚。その中から約60点を撮影日時順に掲載させていただいています。

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 鈴木さんとポーターさん、つい肩を組みたくなる気持ちとてもわかります。基本的にはツアー料金の中にポーターさんの日当も含まれているのですが、カメラ機材を運んでもらうためのポーターさんを個別に雇う場合には別途料金が必要です。

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 高橋隊長とサーダー(シェルパ頭)のラクパさんのツーショット、これから山に挑むぞという二人の姿と雄大なシーンがとても好きです。高橋隊長とサーダーのラクパさんには私も4回目のヒマラヤでお世話になりました。頼もしい男達です。

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 風にはためくタルチョ。最もヒマラヤらしい景色です。

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 国旗を掲げて、オリンピック代表選手!!!のような心意気が伝わってきます。

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苦しみながら、山頂に辿り着いたそうです。

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氷河湖

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 多分ポーターさんだと思うのですが、私も初めてのヒマラヤでこんなポーターさんの姿を何回か目にしました。いつも何を考えているのだろうと思いました。

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 見ているだけで息が苦しくなりました。

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 元気な人。

 

あらためて、人の表情や自然の一瞬の姿を捉える写真の“力”と“メッセージ力”の凄さを感じました。

 


 

 

 

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2016年8月21日 (日)

ヒマラヤ回想 S氏写真展1

ヒマラヤ観光開発主催のゴーキョ・ピーク・トレッキング(20日間)高橋チームの鈴木さんとは成田空港で初めてお目にかかりました。その時の印象は、パソコンとカメラ機材をもってその辺りに写真撮影に行く普通のおじさんというもので、とても5,000m以上の高山に向かうという印象は受けませんでした。鈴木さんにとってヒマラヤは今回は3回目とのことでした。

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 カトマンズからの飛行機がルクラに到着し、最後に降り立った鈴木さんは手にビニール袋を持ち、いたって軽装で、ちょっと買い物にという様子で、これからヒマラヤに挑むという雰囲気は感じられませんでした。かなり緊張していた私たち夫婦とはえらい違いでした。

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 ゴーキョ・ピーク(5,360m)でゆとりの鈴木さん(画面向かって左側)。後ろのカメラは鈴木さんが“カメラポーター”に依頼してトラッキングを共にしている愛用のカメラです。鈴木さんのヒマラヤでの目的は写真を撮ることで、その腕前はプロ級なのです。帰国後、鈴木さんからたくさんの写真を頂きました。写真展開催や写真集にしてもいいのではないか、せめてご自分でブログを作成したら素晴らしいのではと思ったのですが、このブログで掲載ということになりました。私も含めて一般の方にはなかなか行くことのできないネパール・ヒマラヤの姿を、楽しんでいただければと思います。

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 セミプロ級の鈴木さんのアングルは、私のようなど素人とは何かが違います。写真を見ているだけで、ヒマラヤに暮らす人や自然が息づいているようにも思えます。

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2016年8月19日 (金)

ヒマラヤ回想 マドンナさん挑戦記 馬上トレッキング

マドンナさんはゴーキョピークを目指した後、体調と相談して遠征チーム一行とは別行動をとり、ゴーキョからルーザを経由してホテル・エベレスト・ビューに到着したそうです。そこでチームと合流しカトマンズへと向かいました。

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 シェルパ頭と高橋隊長と共に先頭を歩くマドンナさん。北海道の山岳部で鍛えた体力で自信満々だったのですが。ヒマラヤの恐ろしさを体験するとは。

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 “彼リンジーと二人、チームと離れて下りました” 気のせいか唇の色が紫色っぽいですね。体力に任せてペースアップしてしまうと逆に高山病になってしまうという私と同じ体験をしてしまったようです。共に初ヒマラヤで苦い経験をしてしまいましたが、後々のヒマラヤ歩きのためにはいい経験でした。

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 “ゴーキョ到着!!が、先はまだまだ長かった・・・” 気のせいか、顔も腫れぼったいですね。遠征チームの皆さんの後日談では、程度の差はあれ誰もが高山病になり、頭痛や不眠、食欲不振(私はこれが顕著でした)はあたりまえ、何回もヒマラヤに行っている人でも顔が腫れたということでした。

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 300ドルのお馬さん!!トレッキング”  “お馬さんトレッキングですが、もっと凄いところも通りました。最初は、馬に乗って、この下りを下れるのだろうか・・・??怖いのじゃないか?? 不安がありましたが・・・驚いたことに(私の適応力にです)なんともなかったです。自画自賛ではないのです・・・ほんとに驚いているのです、今でも。目線が高くなった分、景色が良かったですよ。往路とは違った景色に見えました。” 

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 “・・・私は、エベレストビューHに3泊もしてしまいました!!そのうちの一日は、何と!!貸切状態で、翌朝のエベレストの眺めは素晴らしかった^^です。テラスでミルクティーを頂きながら、その眺めを独り占めと言う幸運は千載一遇でしょうね^^” 

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 このエベレストと向かい合っていたわけですね。ルート変更は残念だと思いますが、結果として個人ガイドでトレッキングができるなんて何て贅沢な。しかもホテル・エベレスト・ビューに連泊するとは。

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 後日私も体験したことですが、ヒマラヤトレッキング、特にエベレスト街道のトッレキングの特徴は、何回も繰り返されるアップダウンです。一つ山を越えたかなと思うと川を渡るために谷底に下り、川を渡ったらまた次の山を目指すということの繰り返しで、かなり体力が奪われました。

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 “道草を食う??? よりによってこんなところで。”

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 排気ガスと騒音、ルールなしの交通ルール、14時間停電の街カトマンズですが、とても懐かしく、居心地の良さを感じてしまいます。

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 2011.6.12撮影:北海道~沖縄の途中、羽田で合流) マドンナさんからのメッセージ “今回は、自分でも驚くことが沢山ありました。高山病になり苦しいこともありましたし、お馬さんのお世話にまでなったのにモチベーションがちっとも低下しなかったんです。こんなこと、未経験です。ヒマヤラの美しい景色のおかげか・・・遠征チームの素晴らしさか(*^^*)・・・。何度も言うようですが、本当に素晴らしい”山旅”でした。” 

 

マドンナさんからの画像とメッセージに大きな刺激を受けました。チームから離れての個人旅行は、私もその後のアルプストッレキングでもヒマラヤトレッキングでも真似させていただきましたし、エベレスト街道の帰路は馬上トッレキングで下りました。

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2016年8月17日 (水)

ヒマラヤ回想 マドンナさん挑戦記 ゴーキョ

マドンナさん達ヒマラヤ遠征隊一行は、トレッキング6日目から11日までの6日間、目的地ゴーキョピークを目指しました。今回はその苦闘記です。( “ ”でくくった部分がマドンナさんのコメント)

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 “タムセルク(6,623m)” ドーレ(4,110m)を通過してマッチェルモ(4,470m)で高度順応したとのこと。高地での睡眠など十分できたのでしょうか。大変そう!!!

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 “あら!!ここまで来ちゃった・・・” ヤクだかゾッキョだか、高地と寒さに強いそうです。

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 “ストレッチは大事” エベレストの展望台への挑戦の日、皆さん張り切っています。

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 “覆面強盗!!” 茶目っ気たっぷりの楽しい方です。エベレスト街道はとても埃っぽい道ですので、マスクは必需品ですが、息苦しく感じるときもありました。

 

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 気分は晴々 素晴らしい背景で、気分は良かったことでしょう。

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 “リンジーです!!” シェルパさんです。

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 迷える子羊ではなくて?? ヤク?? 寒そうです。

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 “ゴーキョのロッジ” 冷蔵庫の中のようで寒そう。こんな所に泊まるなんて想像もつきませんでしたが、やがて私も同じような体験をすることになりました。

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 “朝・薄っすらと白いゴーキョのロッジ” 高台から見ると氷づけの世界、冷凍庫みたい。ヒマラヤトレッキングでは避けて通れない世界です。

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 “ゴーキョにアタック!!” ガンバレというのは簡単ですが、とても苦しいですね。見ているだけでこちらも苦しくなります。

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 こんな景色を見たら疲れも吹っ飛ぶでしょうね。

 

いただいた画像から、ヒマラヤトレッキングは空気の薄さだけではなく寒さとの闘いであることが伝わってきました。

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2016年8月15日 (月)

ヒマラヤ回想 マドンナさん挑戦記 ホテル・エベレスト・ビュー

カトマンズからルクラへと飛行機で移動し、ルクラから歩き始めたヒマラヤ遠征チームの皆さんは3日間かけてホテル・エベレスト・ビューに到着しました。ムッシュ・Itoさんからいただいた画像と今回のマドンナさんからいただいた画像は、同じルートを歩いていてもカメラのアングルが異なり、とても面白いと思いました。( “ ”でくくった部分がマドンナさん本人のコメント)

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 “パクディンのロッジにて” ちょっと眠そうです。帰国後聞いたところでは、マドンナさんはバンコクからずっとほとんど睡眠不足だったようです。緊張していたのでしょうか。

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 私がクムジュン村などをトレッキングした時は、村の軽食喫茶のトイレを借りました。室内?にはたくさんの落ち葉が積み上げてあり、事後処理は落ち葉をふりそそぐというものでした。

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 “ホッとする一時” トレッキング途中の休憩の過ごし方はとても大事だということは後々わかったことでした。高地へと移動するにつれて、疲労と空気の薄さに食欲が減退するということも体感しました。

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 “どこへでも、何でも運んでしまうポーターさん“ 自分が息が苦しいときに、大きな荷物を持って黙々と上っていくポーターさん達は感動的でした。

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 “サガルマータ(エベレスト)国立公園の入口“ ユネスコの世界自然遺産に登録されています。サガルマータとはネパール語で「世界の頂点」、世界最高峰エベレストのことを意味するそうです。いよいよここから本格的なトレッキングが始まりました。

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 “サーダーのラクパさんと!!” サーダーとはシェルパ頭ともガイド頭ともいわれ、トレッキング・チームを率いるリーダーで、全体のペース配分を考えたり、トレッキングの成否を握る重要な存在で、全幅の信頼を得ています。

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 “ヒマラヤンブルーの世界” とても好きな色です。いいですね。

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 “ホテル・エベレスト・ビュー到着” お疲れ様でした。標高3,880mにあり、世界一標高の高いところにあるホテルともいわれています。一説によると南米にもっと標高の高いホテルがあるともいわれていますが、どこのホテルかはわかりません。

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 “ヒマラヤ遠征チームの高橋隊長!!” 背景には幻のエベレストが!! 雨期が近いせいでしょうか、雲に隠れていました。

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 “鈴木さんと!!” ヒマラヤのベテラン?(何回目かのリピート)鈴木さんは、大人(たいじん)の風格です。写真器材を専用のポーターさんに預け、いい写真をたくさん撮っていました。

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 絶好調! 

 

海(モルディブ)では素敵な方たちとの出会いがあり、モルディブ仲間とは今日まで交流が続いていますが、山(ヒマラヤ)でも素晴らしい山仲間と出会うことができました。マドンナさんとは、ネパールであるいは日本で何回飲んだことか。鈴木さん(以降Sさん)とは、この後ヒマラヤを一緒に歩き、日本でも槍ヶ岳や立山にも登り、来春最後のヒマラヤ挑戦を約束しています。

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2016年8月13日 (土)

ヒマラヤ回想 マドンナさん挑戦記 エベレスト街道

20114月 初ヒマラヤで成田で出会った遠征チームの紅一点、マドンナさんとの出会いは最も衝撃的でした。北海道(旭川市)から女性一人参加であること、初めての海外でそれが5,000m以上のヒマラヤ登山への挑戦であること。しかし驚くことはまだ早く、これはまだほんの序曲でした。そんなマドンナさんのヒマラヤ挑戦の画像をいただきました。 “ ”でくくった部分がマドンナさん本人のコメントです。それに私のコメントを付けさせていただきました。

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 “衝撃的なピンク” タイのバンコクのタクシーです。女性ならではの感動なのでしょう。私は派手なタクシーだなあと思った程度でした。1泊目のバンコクのホテルでは夕食のテーブルが一緒になり、ガイドさんから地酒の差し入れもあり、マドンナさんと高橋隊長と私たち夫婦4人で遅くまで盛り上がりました。その際に、「ネパールに1年くらい住んでみたい、ネパール後も勉強したい、できたらアルバイトもしたい」などと言っていたのですが、この年に実行に移してしまいました。

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 カトマンズ(2日目)では、マドンナさんとカミさんのウインドウショッピング?のお供をしました。

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 既にネパールで暮らすことを決めていたのでしょうか、マドンナさんの露店に並ぶ品物を見る目は真剣そのものでした。

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 “ご機嫌!” カミさんも加わって二人でさんざん粘ってお気に入りのサリー生地をゲットしてご機嫌でした。

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 “ルクラへ” エベレスト街道のスタート地点ルクラへの飛行機は、定員十数名? 遠征チーム(10名)と私たち二人でほとんどの席が埋まってしまいました。遠征チームの皆さんはいよいよヒマラヤ山中に入り、トレッキングのスタートということで、マドンナさんは多少緊張しているようにも見えました。いきなりヒマラヤの5000mに挑戦ですから緊張もするでしょうね。

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 “ルクラからのヌプラ感動!!” 私もルクラに降り立ったときは「ついに来たーッ」と感動しました。実はこの段階から高地呼吸をしていなければならなかったのですが、私の場合山に見とれていてそれどころではなく、高山病にはならなかったものの心拍数が下がらずそれが後々響きました。

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 “クムジュンロッジ” ルクラで別れて私とカミさんはさらに小型の飛行機でホテル・エベレスト・ビューにヒット飛びしましたが、マドンナさん達の遠征チームの皆さんは、ここからトレッキングをスタートし歩き始めました。

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 スターバックスのネットカフェは、エベレスト街道の要所要所にあり、ビックリしました。まさかヒマラヤの山奥にネットカフェがあるとは思いませんでした。

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 チベット仏教の祈祷旗タルチョーがはためいていました。五色の順番は青・白・赤・緑・黄の順に決まっており、それぞれが天・風・火・水・地すなわち五大を表現しているそうです。トレッキング1日目からヒマラヤらしい雰囲気で、感激度は更にアップしたことでしょう。

 

ムッシュ・Itoさんからの画像に引き続いてマドンナさんからも画像をいただき、ヒマラヤでのトレッキングの様子がよくわかり、翌年からのヒマラヤ挑戦の貴重な資料となりました。マドンナさんは、帰国している現在でもネパールの子供たちの教育環境整備のためのボランティア活動をしているのです。

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2016年8月11日 (木)

ヒマラヤ回想 ムッシュ・ItoレポートⅡ

ヒマラヤトレッキング、特にエベレスト街道のトレッキングで最も知りたかったのがどんなところに泊まるのかのロッジ事情でした。ムッシュ・Itoさんがそんな希望を叶えてくださいました。

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 “モン・ラのロッジ” 最も知りたかったロッジ、ここは見晴らしもよく快適そうでした。

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 “ゴーキョのロッジとドゥード・ポカリ湖(5/2AM9:14)” 立山・室堂のみくりが池温泉の景観を数十倍大きくしたような雄大な景観です。湖の畔、下の方にロッジが見え、夏は涼しそうですが、湖面は雪で覆われていて寒そうでもあります。

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 “パグディンのロッジ〈エベレスト・シェルパ・リゾート〉(5/7AM9:02)” ルクラも近く、皆さんもすっかりゆとりの表情です。きっとホッとしたことでしょうね。

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 “ルクラの宿泊先 クムジュン・ロッジ(5/7PM6:02)” トレッキング最後の宿泊ロッジ、いよいよここから飛行機でカトマンズへ。

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 “カンテガ(6,779m)とタムセルク(6,623m)〈50mm〉マッチェルモ(4/30AM8:17)”

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 “チョー・オユー(8,201m)〈135mm〉マッチェルモ(5/1AM6:21)”

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 “ギャチュン・カン(7,952m)〈135mm〉ゴーキョ・ピーク(5/2AM7:38

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 “エベレスト(8,848m)〈70mm〉ゴーキョ・ピーク(5/2AM7:55)”

 

トレッキングを通じて遠征チームの皆さんが目にしたエベレストなどのヒマラヤの神々は、初めて訪れた人には山岳の世界観を変えるものかもしれません。エベレストを間近で見てみたいという想いがますます掻き立てられました。

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2016年8月 9日 (火)

ヒマラヤ回想 ムッシュ・ItoレポートⅠ 

成田で出会ったヒマラヤ遠征チームの20日間の行程とは一体どういうものだろうかととても興味を持っていたのですが、メンバーの一員だった心優しいムッシュ・Itoさんから貴重な画像をいただきました。(2011.4.225.1

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 “パクディン→ナムチェ(4/25AM9:43)” “ ”部分はムッシュ・Itoさんのコメント。他は勝手にコメントをつけさせていただきました。(以下同じ)「ヤクが来たら山側によけろ」がヒマラヤ歩きの鉄則だそうです。

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 “ロバ隊様のお通り。多勢に無勢です。(5/7AM9:41)” 吊り橋のようなところでは相互一方通行になります。これもエベレスト街道の一風景。

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 “ドーレ出発後、最初の坂道を登る(4/29AM8:31)” ゆうに4,000mを超えている高地での登りですから、皆さんの足取りもゆっくりゆっくりと心に言い聞かせているようにもみえます。

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 “ゴーキョ・ピーク(5,360m)で記念写真(5/2AM7:48)” 向かって右端が画像を提供していただいたムッシュ・Itoさんです。登頂おめでとうございます。それにしても皆さん余裕の表情なのが凄いです。ムッシュ・Itoさんには、この後ヒマラヤに出かけた時は随分アドバイスをいただきました。

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 ゴーキョロッジ いかにも寒そうです。

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 “もうすぐ、ルンレ到着。前方にクワンデ(6,187m)が見える。(5/3PM2:30)” 絶景を見ながらの下山は足取りも軽そうです。

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 “ルンレ→ターモ 左側の壁に仏画(5/4PM1:34)” ほっと心が落ち着く瞬間だったでしょうね。

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 “昼食 チキン、卵カレー(5/5PM0:03)” ホテル・エベレスト・ビューで無事の生還を祝して乾杯。おめでとうございます。ビールを飲んでいるのがとても羨ましいです。私はまだ高地に慣れず、脈拍が高かったためにアルコールを飲みたい気分にはなれませんでした。いつかここでビールでもワインでも飲んでみたいという夢は1年半後に叶いました。

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 “ナムチェ→パクディン ポーターの親子(5/6AM10:24)” ヒマラヤトレッキングに欠かせないのがポーターさん達です。大きな荷物、何でも運んでしまいます。私も大変お世話になりました。

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 “ナムチェ→パクディン エンビ管を運ぶポーター(5/6AM11:04)”

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 “ナムチェ→パクディン 青年のポーター(5/6AM11:05)”

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 “婦人とゾッキョ(5/6PM1:05)”

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 “当ツアー、ペンパ・シェルパ班のポーター(5/6PM1:55)” 遠征チームの皆さんの荷物を一人3つくらいは運んでいるのでしょうか。

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 “スンダリ(美人)のポーターさん(5/7AM10:25) 私たちは、ネパール・クーンブ地方の一般道路をトレッキングで歩いていましたが、彼らにとっては生活道路です。建築資材・生活用品・ミネラルウォーター・みやげ物品等、ほとんどの物がカトマンズから運ばれてきます。”

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2016年8月 7日 (日)

ヒマラヤ回想 後記

2011.4.225.1 10日間のヒマラヤ初体験の旅が終わりました。その印象は余程強烈だったようで、帰国してから様々な事が思い出され、改めてヒマラヤのことを考えました。

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 最も強烈に記憶に残っていたのがヒマラヤ遠征チーム(高橋隊長)との出会いでした。不安を抱えていた成田で一緒となり、ネパール・カトマンズ、ルクラまで行動を共にさせていただき、ホテル・エベレスト・ビューで再会しました。エベレストの展望台といわれるゴーキョピーク(5,360m)まで20日間のトレッキングで行くという遠征チームの皆さんと接して、ホテル・エベレスト・ビューの暖炉を囲んで話を聞かせていただきました。後日、皆さん全員登頂に成功したとの連絡をいただき、大きな刺激となりました。

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 この時出会った遠征チームの皆さんの中で、ムッシュ・Itoさんからはたくさんの情報をいただき、Sさんとマドンナさんとは今でも交流が続いていて、一緒に山を歩いたり酒を飲んだり、大きな刺激をいただいています。

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 実際にヒマラヤの一端に足を踏み入れたことにより、秘境としてのヒマラヤやチベットへの関心も高まりました。かつて明治30年代(1897年)にチベット仏教の真義を求めてネパールからチベット(鎖国中)へ密行を企てた川口慧海の足跡を辿ってみました。慧海はポカラにも立ち寄り、当時からネパール随一の風光明媚な場所として知られていたという記述があり、100年前という歳月が近いようでもあり、遠いようでもあります。慧海は、チベット語を勉強して、密行ルートを探り、大した防寒具もなく、30kgもの荷物を担いで、薄い空気に息も絶え絶えになりながら極寒の雪のヒマラヤを越えました。想像を絶する辛さに旅行記を読みながら思わず自分が息苦しくなるようでした。それでもいつか私もその足跡を追ってみたいとも思うようになりました。

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 一方ネパールの山岳部の村々は、何故か懐かしい雰囲気の漂う山里でした。ネパールの村(クンデ村)によく見られたマニ車のある風景は、昔から変わっていないと思われます。川口慧海がフラッと姿を現してもおかしくない風景で、好きな風景の一つでした。

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 ヒマラヤでのトレッキングで最も欠かせない存在がポーターさん達です。ポーターさん達は、川口慧海の「チベット旅行記」でも「荷物持」として登場していましたのでそれ以前からの大変歴史の長いものだと思います。私が今回初めて出会ったポーター君は16才とのことでした。私たち2人分の荷物と酸素ボンベを楽々と背負って、ヒマラヤの山々を背景に立つ姿はとても印象深いものでした。遠くを見つめる目は何を考えていたのでしょうか。一生荷物を背負って人生を終えるのか、どういう将来が待っているのでしょうか。余計なこととは思いながら、目が合えばいつも微笑んでくれた彼のことをつい思い出してしまいました。

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 ヒマラヤでは飛行機が重要な交通手段になっていることが意外でした。今回の旅行では10回飛行機に乗り、そのうち6回は山岳フライトでした。全て自由席で、待合室で待っていると自分が乗ろうとする飛行機がいつ頃来るかははっきりしていませんし、飛行機の搭乗案内もおばちゃんがいきなり大声でまくし立ててちっともわかりませんでした。最初のうちはとりあえず並んでチケット見せて、違う飛行機でしたらまた次のを待つというようなことをしていましたが、次第に要領がわかってきました。

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 飛行機事情では、飛行機に乗れて、一安心と思ったらそうもいかないこともありました。エンジンが始動しているのに、2つあるプロペラの片方しか回転していなくて、私はもちろん乗客も口にこそ出しませんでしたが、何となく不安そうな顔をしていました。数十分待っていたら、何人かの整備士が駆けつけてきて飛行機の下に潜っているようでした。そのうち2つのプロペラも回転しだしたので安心しましたが、最終的には車輪がいかれていたので交換したということがわかり、キツネに包まれたような気持ちがしました。

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 最も気に入ったのが、シャンボチェ飛行場の滑走路です。未舗装の滑走路を土煙をたてて着陸する姿は、迎えのタクシーが来たかのように身近に感じました。現在は軽飛行機の代わりにヘリコプターが運行されているようです。

 

初ヒマラヤでは、さまざまなカルチャーショックを受け、秘境的な雰囲気にも惹かれました。いつかじっくりとヒマラヤを歩いてみようとも思ったのでした。

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2016年8月 5日 (金)

ヒマラヤ回想 帰国

2011.4.27 ネパールのカトマンズからポカラに移動しリゾートライフを楽しんだ後、カトマンズに戻り帰国の途につきました。

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 09:00にポカラに到着し、時間がありましたので「国際山岳博物館」に案内してもらいました。この山岳博物館は、ネパール登山協会が20年近く前からの夢を叶え、2004年にオープンしたものです。この日は見えませんでしたが、マナスルやアンナプルナなどを望むことができる51,000㎡の広い敷地の中に建設されています。各国の山岳関係者からの支援も受けましたが、日本の山岳諸団体や個人の援助が最大の貢献をしているそうです。

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 (写真パネル転載)館内の展示は、エベレストをはじめとするヒマラヤ山脈の山々の紹介、登山家の足跡、実際に使用した登山道具、山岳民族の暮らし、生態系、環境問題など広範囲にわたっており一見の価値がありました。特にこのエベレスト空撮写真は、エベレストの頂上付近の様子がよくわかり、圧巻でした。エベレストを間近で見てみたいという気持ちがますます強くなりました。

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 日本人に関連した主な展示品には、田部井淳子氏(世界初の女性エベレスト登山者)コーナー、日本人で初めてチベットに潜入し、チベット旅行記で世界的に有名な河口慧海コーナー、野口健氏のエベレスト清掃登山の回収品の環境コーナーなどがありました。ヒマラヤは日本人にも縁が深いこともわかりましたし、以前から興味をもっていた川口慧海についても更に興味が湧きました。

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 宿泊は、フィッシュテール・ロッジというロッジに連泊(4/284/29)しました。ロッジの名前は、ヒマラヤのフィッシュテール(6,997m)の名前に由来しているようです。ロッジは、ポカラの心臓部にあたるペワ湖の中州にあり、行き来は筏かボードで送迎してもらいました。

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 何の予備知識もなかったのですが、フロントには、日本の皇太子や英国のチャールズ皇太子、ブッシュ米国元大統領などの宿泊したVIPの写真が掲載されていて、そんなに有名なリゾートなのかとびっくりしました。

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 フロントから宿泊するロッジの間には、サンルームならぬウィンドウルームがありました。日陰を避けて、そよ風に吹かれて休息したり、仮眠したり、読書をしたりすることができます。

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 部屋はガラス窓が大きく、開放的で、窓を開けて網戸にすれば涼しい風が流れていて、何とも快適でした。ヒマラヤのロッジとは大変な違いでした。

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 今頃はヒマラヤ遠征チームの皆さんは、ヒマラヤの山奥をテクテク歩いているはずで、こんな楽をしていいのかとか、日本は大変な状態(東日本大震災)になっているのにこんな贅沢をしていいのかなど心が痛みました~どうしても貧乏人根性が抜けませんでした~が、その風に吹かれてのんびりしていると、神経は緩んできて、身体が溶けてゆくような感じがしました。2日間ここから一歩も出ることなくのんびりしました。

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 岐阜県から新婚旅行に来ているカップルさんと出会いました。ランチを食べに来たそうです。前日カトマンズのレストランで、オーダーしたいものがなかなか通じなくて困っているとき、ダルビッシュ似のイケメンガイドさんに助け船を出してもらいました。まさかここで再会するとは。

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 帰国に備えてポカラからカトマンズに戻り、エベレスト・ホテルに宿泊しました。今回の旅でこのホテルには3泊しました。

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 ネパール滞在中に飲んだビールは “エベレスト” で、飲みやすいビールでした。

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 ネパールやチベット料理の代表的な“モモmomo”は餃子のようでもあり、包子のようでもあり美味しかった。街中でも安心して食べられるメニューでした。

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 ネパールやチベット料理のもう一つの代表的な料理は、“ギャコック鍋GYAKOK”で、これにはすっかりはまりました。2日連続して食べました。魚(魚醤)のダシが絶妙でした。もう一度食べたい。

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 ネパールの思い出に最後に伝説の“ヒマラヤそば”を食べました。蕎麦ガキも蕎麦羊羹も蕎麦そのものも美味しかった。この後、何回かネパールに行きましたが必ず食べました。

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 2011.04.30(土)の午後のフライトでカトマンズからバンコクに向かい(4時間半)、バンコクでトンジットし、バンコク空港の夜景を最後の思い出に飛び立ったのが日本時間の00:00、成田に06:00に到着しました(6時間)。ネパールから日本までのトランジットを除いた飛行時間は10時間半でした。

 

かくして10日間4/225/1のエベレストビューの旅は終わりました。カミさんと二人きりの旅、しかもヒマラヤの奥地に飛行機(合計10回乗りました)で入ってゆくのに乗り継ぎに手違いはないか、高地に順応できるかなど不安もたくさんありましたが、ヒマラヤ観光開発さんの完璧な手配でトラブルもなく、エベレストをこの目で見たいという大きな夢が叶いました。トレッキングで雄大な景観を楽しみ、軽飛行機では副操縦席で山岳遊覧飛行を体験できました。結果として、この旅がヒマラヤにのめり込むきっかけとなりました。

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2016年8月 2日 (火)

ヒマラヤ回想 下山

2011.4.27 日程6日目、ホテル・エベレスト・ビューともエベレストともお別れとなりました。カトマンズに戻り、ネパール一のリゾート地ポカラへと移動しました。

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 2日間の滞在を終え、早朝05:50ヒマラヤ遠征チームの皆さんに見送られながらホテル・エベレスト・ビューを出発しました。またいつか来たいと思いながら。

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 日本では決して見ることができないこの雄大な景色ともおさらばでした。前夜降った雪のため山はより白く、朝陽に輝いていました。

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 シャンボチェ飛行場の露店待合室?で、飛行機が来るのを寒さに震えて待っていましたら、カミさんに「ヒマラヤの番人みたい」と言われてしまいました。

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 カミさんの方がネパール人みたいにすっかり現地に馴染んでいました。

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 谷間に飛行機の爆音が響いたと思いましたら、トンボみたいな小さな専用機が姿を現しました。この飛行機は現在は運行されていないとのことで、代わりにヘリコプターが飛んでいるそうです。

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 舗装されていない滑走路にフワリと着陸しました。毎日何回もピストン運行していますので操縦は上手いわけです。

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 来たときと同じように乗客は私たち二人きり。他に私たちの荷物と他の荷物で、来るときは副操縦席に座れたのですが、帰りは荷物が少ないために最後部のシートでした。パイロットは隣に座れと言ってはくれませんでした。残念。

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 後部シートからでも十分ヒマラヤ遊覧飛行を楽しむことができました。白く聳えるヒマラヤの高峰の間を縫ってのフライトはとても贅沢なものでした。

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 07:30 カトマンズ空港の国内線は、ルクラやポカラへの便が頻繁に出ています。この飛行場も何回目かで、すっかりお馴染みになりました。行く先や航空会社名、便名など係員のいきなりの叫び声(現地語なので固有名詞や数字しかわかりませんが)に注意していないと聞き逃してしまいますし、定刻はないに等しく、遅れることはざらですのでいつ飛ぶかは天のみぞ知るです。おまけに自由席ですから早い者勝ちで気が抜けません。この緊張感はなかなかのものでした。

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 1時間近く待って、運良くというか、努力の甲斐があって右側のシートをゲットすることができました。この路線は右手にヒマラヤ山脈を見ながらのフライトですので、右側と左側とでは景観に天と地程の差があり、料金が違ってもいいと思える程でした。ついせこいことを考えてしまいました。

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 マナスル(8,156m)やアンナプルナ1(8,091m)などの8千メートル級の名峰が次から次へと現れてきました。手元の地図を見ながら確認したのですが、ただ呆然と眺めているうちに45分間のヒマラヤ遊覧飛行は終わってしまいました。

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 09:00ポカラの飛行場は、リゾート地の飛行場らしい落ち着きをもったこじんまりとしたものでした。

 

カミさんと二人の個人旅行で、特に国内線の飛行機に乗ることは戸惑うことも多かったのですが、慣れてしまえば何となく要領がわかってきました。また短い滞在でしたが、ヒマラヤに馴染むことはできました。

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2016年8月 1日 (月)

ヒマラヤ回想 高地体験

2011.4.26 冒険家植村直己がエベレスト登山前にトレーニングしたというクムジュン村の散策は続きました。散策といっても、富士山頂とほぼ同じくらいの標高でしたからハーハーいいながらのものでした。

01
 クムジュン村には生徒500人が通う小・中・高一貫校「クムジュン・スクール」がありました。学校の入口には、エベレスト初登頂のエドモンド・ヒラリー卿の胸像がありました。ヒラリー卿はエベレスト登山の際、お世話になったお礼としてNGO組織「ヒマラヤ・トラスト」を発足させ、この地方のシェルパ族の村々に学校や病院をつくりました。

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 クムジュン・スクールの基礎はエドモンド・ヒラリー卿がつくった学校で、校舎はざっと20棟くらいあり、各校舎の入口には建設協力者のレリーフがあり、日本、スイス、ベルギーなどの国々、同志社大学山岳部、松本ヒマラヤフレンドシップクラブなどの名前がありました。地理の教室は“TOYAMA”とありました。この学校には周辺の村から、峠を越えて通ってきている生徒もいるそうです。この村も周辺の村でも親は教育熱心で、子供達に教育を受けさせ、子供が立身出世すると一族郎党・親類縁者が皆幸せになるそうです。ガイドのマヘンダラさんも二人の息子さんをこの学校に通学させていて、将来は通訳などの仕事に就かせたいそうです。どこの国でも親の教育熱心なことは同じようです。

03
 クムジュン村にあるラマ教寺院に、雪男の頭の毛皮があるというので見に行きました。国籍を問わず興味を集めているようで、外国人トレッカーも訪れていました。寺院の門をくぐると2階におじさんが見張っていて、すかさず下りてきました。

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 院内にはきらびやかな仏様達がたくさんいました。こちらでは装飾が豊かな程ありがたいようですが、日本の仏像を見慣れた目にはありがたみが薄れるような気がしないでもありませんでした。ここでは大きなイベントが行われ、たくさんのお坊さんや観客が集まってくる有名な寺院だそうです。

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 なにがしかの現地通貨ルピーを寄付すると、おじさんが小さな箱の鍵を開けてくれて、雪男の頭皮をご開帳してくれました。フラッシュをたいての撮影もOKで、本当にいいの?と思いながらシャッターをきりました。1960年に、エドモンド・ヒラリー卿ら18名の国際学術探査チームが調査したところ、イエティの頭皮はカモシカの一種と結論づけています。カミさんは「ヤクの頭みたい。DNA鑑定すればいいのにね」とバッサリと一言。もう少し夢があってもいいと思うのですが。

06
 クムジュン村の隣村はクンデ村です。クンデピークの麓にある盆地で、標高は3,850mですから富士山よりも高いところにあります。規模はこじんまりとしていますが、ここにはカナダ政府が寄贈した病院があり、この周辺では唯一の病院で、クムジュン村や他の村からも患者さんが来るそうです。しかし自転車を含めての交通手段が一切ありませんので、病人がここに通院するのは大変そうです。

07
 タムセルク(6,623m)には雲がかかっていて、午後からは天気は崩れそうでした。予想通り夕方から雨、雹、雪が降りました。

08
 ホテルまで後30分くらいの牧場で昼食と休憩をとりました。朝08:00に出発して5時間のトレッキングで、富士山のお鉢巡りを5時間したようなものでしたので疲れました。それと身体を動かしているときはいいのですが、ジッとしていると底冷えがするのでした。

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 4/24(日)にルクラで別れてから、私たちは5分の山岳フライトと3時間のトレッキングでホテル・エベレスト・ビューに着きましたが、ヒマラヤ遠征隊はルクラ(標高2,800m)から一歩一歩3日間のトレッキングで到着し、再会を果たしました。私たちは翌日山を下り、ネパール一のリゾート地ポカラに向かいますが、遠征隊の皆さんはこれからが本番で、2週間くらいかけてエベレストの展望台ゴーキョ(5,360m)を目指します。

10
 高地に行った時には、パルスオキシメーターという器具で、血中の酸素飽和濃度と脈拍を測定するのが鉄則です。低地での平常の状態では酸素飽和濃度は95%以上が普通です。高地では酸素が薄くなりますので普通に呼吸している状態では6070%台となります。私たちはナムチェ(3,440m)のロッジやホテル・エベレスト・ビュー(3,880m)にチェックインしたとき測定しましたら70%台でしたが、深呼吸を繰り返すことにより8090%台となりました。

11
 高山病については問題なかったのですが、安静にしていても私の脈拍が100より下がることはなく、念のために酸素ボンベを吸いました。もう一つ、高地での睡眠も初体験でした。今まで富士山八合目の山小屋(3,200m)で寝たことはあり、その時には特に違和感がありませんでしたが、今回ナムチェ・ロッジ(3,440m)で寝たとき、息苦しさを感じました。眠気がおそってきて寝入ろうとしますと、呼吸活動が低下するために体内に取りこむ酸素が少なくなり息苦しくなりました。ホテル・エベレスト・ビューでは息苦しくてほとんど寝ることができませんでした。

 

富士山より高い高地でのトレッキングや睡眠という初体験は、かなり厳しいものでした。ちょっとした傾斜を登るだけでも息苦しく、睡眠もまた一晩中息苦しく、ヒマラヤの洗礼をたっぷりと受けることになり、この後のヒマラヤトレッキングのいい経験になりました。一番残念だったのがエベレストを見ながらのお酒を飲めなかったこと。苦しくてそれどころではありませんでした。

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