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2016年10月31日 (月)

京都・飲み歩き、食べ歩き

10/23(日)、嵯峨野散策で汗をかきましたので旅館紫で着替えて小休止した後、飲み歩き・食べ歩きに出かけました。

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 最初に目指したのは、四条河原町近くの高瀬川沿いの「喜幸(きいこ)」という割烹・小料理の店でした。予約が取りにくいともいわれている店でした。

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 初めての店に入るときには緊張するのですが、特に京都の割烹・小料理の店ともなるとより緊張しました。女将さんと若い女性2人のいたってこじんまりとした店でした。女将さんがニコニコしていてホッとしたのですが、気になったのがメニューに価格が表示されていないことでした。

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 お酒もそこそこ揃っているのですが、リストも価格もないのも気になりました。特にお酒は、甘口辛口とかスッキリとか濃厚とかいろいろありますので、忙しそうにしている女将さんにいちいち聞くのも勇気がいることでした。

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 まあとりあえずは、ちょっと勇気を出してこちらの好みを伝えて、お勧めのものをオーダーしました。付き出しは「魚介類と野菜のぬた」か「豆腐」で、ぬたを選びました。さすがに、酒の肴にはとても美味しかったです。

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 料理はハモの天ぷらをいただきました。これも塩をつけて食べたのですが、まあ普通に美味しかったです。

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 この店の最大の特徴は川魚料理と聞いていましたので鮎の刺身を食べたかったのですが、鮎の時期は8月末までということで、こちらの勉強不足を露呈してしまいました。代わりに川魚の唐揚げをいただきました。予約が取りにくいとか評判のいい店の酒や肴や雰囲気がどの様なものか知りたいと思って入るのですが、正直あまり寛げませんし、長居すれば料金が心配になりますので、ある程度のことがわかったところで切り上げました。

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 どういう訳か、この日はお腹がとても空きましたので、柳小路を抜けた京極で見かけたホルモン焼きの店に入りました。

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 ホルモン焼きの店に入るのはとても久しぶりで、カウンターに座ると美味しそうなメニューがズラリと並んでいました。この日は嵯峨野を歩いて、昼食は立ち食いのみたらし団子1本でしたので、お腹が空くわけでした。

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 先ずは、すぐに出てくるもつ煮込みをビールと共に。   

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 ホルモン焼きは各種盛り合わせをいろいろ。満足しました。

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 お酒がきいてきて心地よく、お腹も一杯になりました。かなり夕闇も深くなりましたが、祇園の夜はまだこれからという雰囲気でした。

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 先斗町から一本西側の通りをブラブラしていましたら立ち飲み屋があり、外人グループが楽しそうに飲んでいました。

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 私も誘われて入ってしまいました。

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 ホルモン焼きの店で食べ過ぎてしまい、もう酒も料理もいいかという気分になりましたので、高瀬川沿いをブラブラと帰路につきました。この界隈にも飲み処、食べ処はたくさんあります。

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 四条通を八坂神社方向に歩いて行くと目やみ地蔵尊・仲源寺がありました。何回もこのお寺の前を歩いたことはあるのですが入ったことはなく、ふと入ってみようという気分になりました。

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 目の健康に御利益があるということでお参りしたのですが、こちらはご本尊の地蔵菩薩かあるいは千手観音か、目やみ地蔵は別にいらっしゃるようですので、次に京都に行った時には真面目にお参りしようと思いました。

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 仲源寺のちょっと先に、こんな所にカプセルホテルがありました。以前からあったのか最近のものなのかわかりませんでした。とても便利なところで料金も14,500円と安く、何とか予約も取れそうですが、カプセル上段とか下段とかという表記があり、部屋の状態はあまりよくわかりませんでした。

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 お宿へと向かい、花見小路に入ると人波は少なくなっているもののいくつかのグループがどのお店に入ろうかと相談しているようでした。

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 割烹の店などの食事処はまだまだこれからです。メニューや料金を見るとなんとかなりそうでしたが、多分お酒が高く、たくさん飲みますのでなかなか入ることができません。

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 ぎおん徳屋の角を曲がった旅館紫への路地はさすがに人の流れは少なくなっていましたが、こちらの通りにも何軒か割烹・小料理の店がありますので明かりが灯っていました。

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 旅館紫にも明かりが灯っていました。我が家に帰って来た気分でした。

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 千本格子を開けると女将さんが お帰りやす~~ と迎えてくれました。お風呂が沸いているということでしたので汗を流しました。その間に布団が敷かれていて、疲れと酔いと満腹感で、いつの間にか寝入っていました。

 

旅館紫がある祇園地域周辺はたくさんの飲み処、食べ処がありますので、非常に便利です。また観光の拠点としても、祇園四条のバス停から観光スポットに行けますし、京阪や阪急の鉄道も使えますので観光にも便利です。何よりも京都らしい風情と賑わいを楽しめる場所です。

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2016年10月30日 (日)

京都・旅館紫

10/23(日)、嵯峨野を散策した後嵐山から阪急電鉄に乗り、四条河原町で下車して散策がてら着替えのために宿泊先の旅館紫へと向かいました。

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 京都で最も好きなスポット高瀬川に出ました。今年も4月に来たときは桜の花びらが川面にハラハラと舞っていました。

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 高瀬川に面した喫茶室で和服姿の外人がパソコンを操作していました。和服を着て、日本茶でも飲みながらもの思いにでも耽っていればと思うところ、和服姿でパソコンに向かっていても様になるところが京都でしょうか。一度目があってカメラを向けたところ肯いてくれましたのでシャッターを切りました。

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 四条大橋にも人の流れは絶えませんでした。

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 四条大橋に近いところに柳小路という路地があり、初めてだったのですがなかなか面白そうでした。

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 柳小路はどちらかというとレトロな感じの路地でした。

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 柳小路は京極といわれる地域のようで、京極食堂というかなりマニアックな店やホルモン焼きの店などがあって面白そうでした。

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 こちらはお馴染みの先斗町で、舞妓さんが何やら打ち合わせをしていました。舞妓さんはやはり華やかで、その辺りがパッと明るくなるようでした。

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 先斗町から八坂神社に向かった途中に花見小路があります。目指す旅館紫は、この通りを数十メートル行った先にあります。

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 わらび餅のお店「ぎおん徳屋」にはいつも行列ができています。営業時間は12時~18時なのですが、売り切れ次第終了とのことです。明治神宮前にもお店がありますが、やはり祇園で食べるわらび餅やあんみつなどの甘味は格別なのでしょう。旅館紫はこの角を左に曲がった先にあります。

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 ぎおん徳屋の角を曲がるとこちらにも路地があり、料亭などが軒を連ねています。

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 ぎおん徳屋の角から二つめの四つ角に、目指すお宿はありました。最初は迷ったのですが、道がわかってくるとバス停から近いルートと京阪や阪急などの鉄道に近いルートがあって、いたってわかりやすく便利なところでした。

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こちらが玄関で、千本格子を開けて入ります。こういう場所でこういう建物に入るのは初めてでしたし、ましてや2泊お世話になるところでしたのでドキドキしましたが、観光客が見ている中、千本格子を開けて入るのもちょっといい気分でした。

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 千本格子を開けると内暖簾があり、女将さんがここから顔を出しました。この右手が入口になっていてここで靴を脱いで座敷に上がります。

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 洗面所や浴室は1階にあり、その脇には内坪があります。

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 宿泊する部屋は2階にあり、こちらの階段を上ります。

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 廊下の両側にいくつかの部屋があります。築150年ですので、廊下を歩くときに多少音がしましたが、部屋同士は隣接していないようですので、隣の部屋の声が聞こえるということはないようです。

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 部屋の前の廊下にスリッパが一足ありましたので、滞在者がいたのかもしれませんが、朝食(1泊朝食付きで夕食はありません。これを片泊まりというそうです。)は部屋でとりますので、顔を合わせることはありませんでした。

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 この先を右に曲がった突き当たりが和式のトイレです。1階のトイレは洋式だそうです。

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 こちらの正面が私の部屋でした。

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 築後150年とのことですので明治元年頃に建てられたか改築されたようです。部屋の大きさは6畳くらいでしょうか、元はお茶屋でしたので、トイレや洗面所などはなく、布団などを入れておく納戸もありません。極めてシンプルな部屋です。

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 部屋は通りに面していて、すだれ越しに通りや道行く人たちを見ることができました。2連泊でしたので、女将さんからは夜寝ていて通りの人の声などが煩さかったら部屋替えしますといわれたのですが、夜の9時頃を過ぎるとパタッと人通りがなくなり、熟睡できました。

 

1泊朝食付き(片泊まりといいます)で9,000円でした。ホテルに慣れた人にとっては快適さに欠けるということもあるかもしれませんが、ただでさえ宿泊予約が取りにくい京都で、最も賑やかな祇園のど真ん中ですので、私にとってはありがたいお宿でした。常宿にさせていただきたいと思っているのですが、あまり知られてしまって予約が取りにくくなると困るなあと複雑な気持ちです。

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2016年10月29日 (土)

京都・滝口寺

10/23(日)、今回の京都への旅は伏見稲荷へのお礼参りと久しぶりに嵯峨野の滝口寺を訪れることでした。

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 紅葉には1ヶ月早いということは承知していったのですが、やはりほとんどの葉は色づいていませんでした。しかし、晩秋に華やかな彩りを見せる前の景色も寂しげでいいものです。

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 落柿舎への小径には柿が色づいていました。

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 落柿舎に来たのも数年ぶりです。初めてここを訪れた時はひどくがっかりしたことがあり、今思い出すと恥ずかしくなります。芭蕉の弟子の俳人向井去来の遺跡で、芭蕉は3回ここを訪れています。落柿舎の名前の由来や入口にある蓑と笠などの逸話はたくさんありますが、秋の気配を最も感じることができる場所でもあります。

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 竹林の道にはたくさんの人がいましたが、その先まで来る人は少なくノンビリとした気分で歩くことができました。

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 祇王寺を知っている人はいると思いますが滝口寺を知っている人は少ないと思います。私がこの寺を知ったのは高山樗牛の小説「滝口入道」という小説がきっかけで、人生の中で1冊の小説を選べといわれたら躊躇なくこの本を選びます。

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(以上、パンフレットより転載)  小説の主人公滝口入道というのはあくまでも小説上での人物です。平家全盛時のエリート将校だった北面の武士が、横笛という女性に恋をし・・・出家し・・・結末は悲しくやりきれないものです。私が弘法大師空海と共に最も敬愛する漂白の歌人西行も北面の武士であり、新婚の新妻を捨てて出家した人で、滝口入道と西行とは重なり合うものがあります。大昔の青春時代、人生が思い通りにならない時や傷心の時にこの本に何回か元気づけられたことがありました。

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 滝口寺と祇王寺は隣り合っているお寺(ともに拝観料は300円)ですが、滝口寺を訪れる人は少なくその入口はひっそりとしていました。

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(パンフレットより転載) 入口でいただいたパンフレットでは普通のお寺なのですが。

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 実際の滝口寺は、廃寺かと思ってしまうような佇まいです。まあこれはこれで風情があるともいえますが、お寺の中に他に見所や見物があるかといえば何もありません。小説「滝口入道」を知らなければ、300円の拝観料を払うのはもったいないと思います。私にとっては訪れる人がいないひっそりとしたしばしの時間、縁側に座って来し方を振り返る時間はとても貴重な時間です。ものの哀れを感じる秋には特に。

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 滝口寺の手前にある祇王寺にも寄ってみました。こちらは訪れる人も多く、来る度に入口や庭や建物がきちんと整備されています。

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 祇王寺は、「平家物語」にも登場し、平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が清盛の心変わりによって都を追われるように去り、母や妹とともに出家、入寺した悲恋の尼寺として知られています。このお寺は明治初年に廃寺になったのですが、明治28年にこれを惜しんだ大覚寺門跡や京都府知事によって再建されました。

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(一部インターネットより転載) 仏間にある仏壇には、本尊大日如来、清盛公、祇王、祇女、母刀自、仏御前の木像が安置されています。作者は不明といわれています。祇王寺墓地には祇王や母刀自のお墓があります。

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 滝口寺と祇王寺を訪れた後、化野の念仏寺まで行きたかったのですが、あまり時間がなくなり諦めました。竹林の道へと戻った時、着物を着たワンちゃんが散歩していまして、この衣装はお手製かレンタルか聞こうと思ったのですがやめました。

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 京都市内に戻るいくつかある交通ルートの一つの嵐山電鉄は、賑わっていて10分間隔でピストン運転していました。

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 渡月橋。

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 渡月橋を渡って阪急電鉄で四条河原町へと戻りました。

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 竹林の道で売っていた絵はがきです。夕日に染まる竹林。

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 こちらは紅葉に染まる南禅寺の絵はがき。

 

混雑を避けてと思って紅葉の時期を外したのですが、あちこちの景色を見るとやはり紅葉もいいだろうなと思ってしまった嵯峨野歩きでした。

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2016年10月28日 (金)

京都・伏見稲荷

10/23(日)から45日で京都、広島、鳥取の旅に出ました。京都では23日、24日と2泊しました。 

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 新横浜発07:21発の新幹線で京都へと向かいました。超特急でしかも数分おきに走る新幹線の運行システムはいつも感心させられます。

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 今回の旅は、自由気ままな一人旅でしたから、朝からちょっと贅沢して旅の気分を盛り上げました。

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 天気があまりはっきりせず心配していたのですが、富士山が見えましたので安心しました。今年はあの頂に立つことはできず残念でした。

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 京都駅でJR在来線に乗り換え、伏見稲荷へと向かいました。ホームには外国人の姿が多く見られました。

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 伏見稲荷にはたくさんの外国人が詰めかけていました。3年連続で訪日外国人が訪れたい観光地ベスト1だそうです。

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 京都に行くときは必ず伏見稲荷に行きますが、今回は特にお礼参りという目的がありました。NPO法人スタッフが、昨年国家試験の受験にあたって合格祈願しましたので、お礼参りをしました。

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 伏見稲荷といえば千本鳥居ですが、今回はスーツケースを持っていましたので、お礼参りだけにしました。千本鳥居といい、鮮やかな朱色の本殿や祭殿など、やはり厳かであり神秘的です。

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 京都での宿泊は、祇園の花見小路にある旅館でした。京都駅からバスに乗り四条祇園駅で降りたのですが、複雑な路地が入り組んでいてわかりにくく、女将さんに何度も電話をかけてしまいました。方向について、京都では南へとか西へとか、上がるとか下がるとか言いますのでわかりにくいのです。

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 お茶屋だった建物を旅館にした「紫」という名の旅館でした。祇園のど真ん中のとても趣のある旅館で、こういう旅館に泊まるのは初めてでしたので楽しみでした。玄関で荷物を預けて観光に出かけました。

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 再び京都駅に戻り、JRで嵐山へと向かいました。

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 京都駅からは15分で嵯峨嵐山駅に着きました。

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 京都市内から嵐山へはこの嵐山電鉄や阪急電鉄などでも、バスでも行くことができます。

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 時間が13:10とお昼を過ぎてしまいとてもお腹が減りました。穴子を焼く匂いはたまりませんでした。

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 いくつかの食べ物処を覗いたのですが、どこも満員でしたので諦めました。しかしどうにも空腹に耐えきれず、みたらし団子に誘われてしまいました。

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 嵐山から嵯峨野への道は観光客がどっと押し寄せていました。

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 嵯峨野といえば最も人気があるスポットがこの竹林で、訪日外国人にとっては竹林も人力車も珍しいようです。

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 レンタル着物若い女性の姿は、京都では既に一つの風物になりつつあります。京都に行くたびに目につく若い女性の着物姿ですが、その姿が増え、着こなしなどが洗練されてくれば、古都京都はさらに雅やかで華やかなになると思われ、さらに在日外国人の目を楽しませるようになるとも思われました。

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 思うように歩けない人混みでしたが、真っ直ぐ伸びた緑の竹林は風情がありました。

 

この時期は紅葉シーズンにはまだ早く、もう少し空いているかと思ったのですが、どこへ行っても人の波でした。この日は日曜日でしたのでその分混んでいたのかもしれませんが、外国人が多く、やはり一年中混んでいるようです。人混みを見ていて、この人たちはどこに泊まるのだろうかと思いますと宿泊予約が取りにくいのも肯けました。

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2016年10月22日 (土)

京都・広島・鳥取

スペイン紀行が終わったところで、10/23(日)~27(木)の期間、京都~広島~鳥取へと行ってきます。紅葉シーズンには少し早いのですが、何となく旅に出たくなりました。

京都は一人歩きですが、広島と鳥取には古い友がいますので、酒でも酌み交わそうと思っています。広島と鳥取は友の家にお世話になり、予約がなかなか取れない京都の宿は、元芸妓の女将さんが経営する元茶屋の旅館に泊まることになっています。

鳥取は地震が発生し余震が続いているようですが、お世話になる鳥取のリコピンさんに問い合わせたところ問題ないとのことでした。予定通り出発し、行ける所まで行ってみようと思っています。交通機関がストップしたり道路が寸断されるようなことがあっても日本国内ですから、何とでもなると思います。それでは行って参ります。

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スペイン紀行25 帰国

9/15(水) ツアー7日目、ミュンヘンでルフトハンザ機の羽田行きに乗り換え、帰国となりました。

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 ミュンヘン発は9/15(木)の現地時間16:00(日本時間23:00)ですが、ミュンヘンを飛び立ってしばらくすると日本時間では9/16(金)0:49と日付が変わりました。

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 眼下には雲なのか氷なのかはっきりしない世界が広がっていました。ここ数年何回か海外に出かけたときに乗った飛行機ではほとんどが通路側のシート(ツアー会社指定)で、今回は窓際で久しぶりでした。多少窮屈だったのですが、その分景色を眺めることができました。

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 往路の時もそうだったのですが、フライト情報が面白く、実際の窓からの景色と見比べるとより楽しめました。ミュンヘンから羽田までの飛行時間はロシアロシア領をまたいで11時間35分、やはりちょっと長いかなとは思ったのですが。

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 食前酒とつまみが出ました。食前酒は白ワイン。

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 18:29(日本時間01:29)に夕食となりました。メニューは、日本人シェフが監修したとのことで、季節のミックスサラダ、茶そば、ビーフシチューなどで美味しく、酒(白ワインや赤ワイン)なども進みました。

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 02:01(日本時間:以降同じ) 翼の先に満月に近い月がかかっていました。機上お月見は初めてでした。

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 07:46 夜が明けてきたようで、青空の下は氷原の世界でした。

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 0908 ハバロスクの上空にさしかかりました。流れている大河はアムール川と思われ、ここからオホーツク海に流れ出た冷たい水が流氷となって北海道・知床辺りに流れ着くといわれています。

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 09:25 日本列島にだいぶ近づきました。羽田着の予定時間(10:35)までもう少しの所まで来ました。気がついたらもうこんな所まで来ているかという、あっという間の感じでした。

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 窓の外は青い空と雲海でした。

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 09:28 朝食が出ました。着陸まであまり時間がありませんし、帰宅してから美味しいお酒を飲みたいと思いましたのでアルコールはパスしました。

 

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 10:46 ちょっと遅れているようでした。日本列島上空を高度を下げていると、曇り空になりました。スペインにいた一週間はほとんど快晴状態でしたが、日本では梅雨のような気候だったとか。

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 11:17 予定より1時間近く遅れたようですが、この時間帯ですとその遅れはあまり気になりませんでした。結局12時間くらいのフライトでしたが、あまり疲れも感じず快適な空旅でした。

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 羽田空港からはリムジンバスに乗って横浜まで出ました。

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 ベイブリッジを渡り、みなとみらい地区のランドマークタワーを目にすると、非日常生活から日常生活へと引き戻されるのでした。

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 途中、デパ地下で鮨ネタを買って、夕食は恒例の鮨でした。自分で握る不揃いの鮨です。この時のために機内での朝食とアルコールは控えめにしました。

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 スペイン土産に買った何種類かの生ハム、羽田空港で警察犬(麻薬犬でした)にも引っかからずに持ち帰ることができました。

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 帰国した翌日は、早速スペイン直送の生ハムを食べてみました。とても美味しかったのでした。

 

今回のツアーは、観光旅行でありとても楽なものでした。その分物足りなさはあるものの、スペインが世界に誇るスポットを見ることができ、やはり一度は目にしてみたいと思っていたサグラダ・ファミリアなどは行っておいてよかったと思いました。残念だったのが、ピカソの生の絵を見ることができなかったこと、地中海の海の幸をもう少し味わいたかったこと、生ハムをもう少し多めに持ち帰ればよかったことなどありますが、素晴らしい飲み友とご一緒させていただき、それだけでも楽しい旅となりました。

 

スペインという国の成り立ちや歴史、南部と北部の違い、食べ物、感じたことはたくさんあるのですが、それはまたいずれかの機会に整理して記したいと思っています。

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2016年10月21日 (金)

スペイン紀行24 ミュンヘンへ

9/15(水) ツアー7日目、帰国の途につく日となりました。先ずは、バルセロナから往路と同じ中継地のミュンヘンへと向かいました。

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 06:08 私たちをバルセロナ空港へと運んでくれるバスは夜明け前の暗い中、ホテル前で既に待機していました。

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 酒飲み4人組に加わっていただいたYさん。お母様と息子さんが共に酒豪で、楽しい飲み友になっていただきました。今まで何回か出かけたツアーで大抵一人くらいは飲み友ができるのですが、今回は4人となり、同じテーブルに着くことも多く、心置きなく遠慮することなくお酒を飲むことができ、感謝しています。二人で、 折角ヒルトンに泊まっているのに滞在時間が短くて残念ですね とぼやき合いました。

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 前夜は、サグラダ・ファミリアの夜間鑑賞に出かけ、出発の荷造りにも時間がかかり、多分睡眠時間は短かったと思うのですが、全員元気でロビーに集合しました。さすがに、この日は恒例になった早朝体操がなく、ちょっと物足りなくもありました。

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 06:44 バルセロナの国際空港もまだ夜明け前でした。

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 バルセロナの空港は初めてですが、とても大きいという印象でした。

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 搭乗手続きの間にすっかり夜が明け、気持ちのいい青空が広がっていました。スペインの青空の見納めでした。

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 予定では09:10発のフライトだったのですが、1時間遅れとなりました。ミュンヘンでのトランジット時間は5時間近くでしたので慌てませんでした。昨年マチュピチュに行った帰り、ペルー・リマからの飛行機の出発が遅れてトランジットに間に合わずに、ロスで一泊したことを思い出しましたが、今回は時間はたっぷりとありました。

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 ミュンヘンまではN氏と一緒に搭乗手続きしましたので、隣り合わせのシートになりました。ミュンヘンから羽田までのシートはツアー会社が既にシートを決めていました。

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 出発の遅れは1時間、乗ってしまえばもう後は運任せ、いや飛行機会社任せでした。

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 機体は、轟音の後フワリと浮き上がったような気がしましたが、うかつにも離陸の瞬間寝てしまい、気がついたら空の上で、眼下の地中海は真っ青でした。

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 10:54 遅めの朝食が出ました。サンドイッチですが、赤ワイン付きで、隣のN使と共に朝からご機嫌でした。これだから旅は止められません。

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 いつの間にか、機体はヨーロッパの山脈の上を飛んでいました。山々の上空を飛ぶことはとても気分のいいものです。

 

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 12:25 無事にミュンヘンに着きました。ミュンヘン発の羽田行きのフライトは16:00でしたので、まだまだ時間はたっぷりあり、余裕でした。

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 ミュンヘンで出国手続きを行いました。無事にパスして、撥ねるように出てきたHitomiさん。相変わらず元気でした。

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 次のフライトは16:00で、食事は離陸後2時間くらいですから夕食は18:00頃なるという計算でした。軽く食べておこうと物色しました。どれもこれも美味しそうだったのですが。

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 ワインバーもありました。

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 結局飲み友が集まって、やはりビールとソーセージということになりました。

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 15:54 搭乗の時間となり、随分たくさんの人が集まってきました。

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 今回は飛行機は全てルフトハンザでした。

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 機体は無事に離陸して、羽田まで11時間35分のフライトが始まりました。

 

サグラダ・ファミリア観光の朝、ドライバーさんが緊急入院というトラブルに見舞われましたが、それはそれで楽しい思い出ができ、無事観光もすることができました。入院したドライバーさんは無事に退院したという連絡がありました。たくさんの楽しい思い出と共に、スペインとミュンヘンを後にしました。

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2016年10月20日 (木)

スペイン紀行23 最後の晩餐

9/14(水) グエル観光とサグラダ・ファミリア観光でガウディワールドにどっぷりと浸かった後、ツアー最後の夕食となりました。

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 この日グエル公園とサグラダ・ファミリアを案内してくれた現地ガイドのカルロスさんとは夕食会場に向かう前にお別れしました。日本語ペラペラの陽気なガイドさんでした。

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 19:16 夕食の会場となるレストラン街に着きました。もう十分夕方ですが空は明るく、地元の人にとっては夕食時間にはまだ早く、私たち以外にはあまり人影は見られませんでした。

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 目の前は地中海で、ここは海辺のレストラン、スペインに来る前に思い描いていた場所でしたので期待で胸が膨らみました。

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 目指すレストランに行く途中、道の両側には魚介類が並べられていて、益々期待は高まったのですが。

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 飲み友のN氏、Y母子さんと私の酒飲み4人組は同じテーブルについて早速ビールで乾杯しました。旅の楽しみの半分は旨い酒を飲んだり、美味しいものを食べたりすることですが、N氏とは羽田からのフライトで隣同士という縁もあり、楽しい飲み友になっていただきました。感謝です。

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 前菜はサラダとアンチョビが入っていて、まあまあでした。

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 メイン料理はタパス料理(小皿料理)で何種類か出てきたのですが、中味がよくわからない、味もはっきりしない揚げ物で、ちょっと期待外れでした。

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 この日は、ドライバーさんの急病で出発が遅れましたので、そのお詫びとして20ユーロいただいた上にワンドリンクサービスがありましたので、ビールの後は白ワインを何杯も飲んでしまいました。

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 私たちのテーブルを担当していたらしいフロアーマネージャらしい恰幅のいいおじさんは、最初は私たちが気前よくお酒のオーダーをしましたのでニコニコしていたのですが、あまりにも頻繁にオーダーしましたのでいい加減ウンザリしてきたようでした。

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 店先に並んでいた色とりどりの美味しそうな魚介類はどこへ行ったの? と思っていましたら、ようやくムール貝が出てきました。

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 残ったのは、酒飲み4人組が飲んだワイングラス。各自清算にちょっと手間取りました。

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 食事を終えるとすっかり夜となり、あちこちに明かりが灯り、地元の人たちにとってはこれからが楽しい夕食になるようでした。

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 レストランからバスでホテルに戻った時、大雨と強風で大変な思いをしました。

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 ビッショリとなりながらロビーに集結しました。この日の宿は楽しみにしていたヒルトンホテルだったのですが。

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 ホテルに荷物を運び込んで一休みした後、サグラダ・ファミリアの夜景を見に出かけました。途中までバスに乗り、その後は歩きました。幸い雨は上がりました。

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 ライトアップされたサグラダ・ファミリアは、夜空に浮かんでいるようでした。ちょっと白ワインを飲み過ぎて頭がも目もフラフラしていましたので、幻想的に見えました。

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 サグラダ・ファミリアの夜景を見た後、夜のバルセロナ市内の目抜き通りを夜間散歩気分でブラブラと歩きました。バールが開いていて、私たちには眠りにつく時間(22:35)ですが、夜は長いまだまだこれからという雰囲気でした。

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 途中、スーパーマーケットも開いていて、皆さんそれぞれ水やツマミなどちょっとした物を買っていました。

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 この日の宿ヒルトンは、ツアーで一番贅沢なホテルだったのですが、残念ながら滞在時間が一番短かったような気がしました。

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 室内も広く、ゆったりとしていたのですが、翌日は05:00起床、06:10出発でしたし、飛行場へ向かって帰国の途につきますので、荷造りもあり、ゆっくりとバスタブに浸かったりベッドで手足を伸ばしてという時間はあまりなく、寝た気がしませんでした。

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 スペイン最後の夜景でした。

 

この日は、グエル公園とサグラダ・ファミリアの観光で満足したのですが、最後の地中海に面した海辺のレストランの夕食はちょっとガッカリでした。自腹を切ってでもシーフードをもっと食べたかったのですが、その分ワインを飲んだからいいかなあとも思いましたが、やはり残念。食い物の恨みは何とかです。

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2016年10月19日 (水)

スペイン紀行22 サグラダ・ファミリア

9/14(水) マドリッド市内のグエル観光の後、スペイン観光のハイライト、サグラダ・ファミリアに向かいました。

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 サグラダ・ファミリア周辺は観光バスなどの駐車は禁止されているようで、私たちはバスを降りて歩きました。サグラダ・ファミリアは日本語に訳すと「聖家族贖罪教会」という意味になります。ガウディの建設群として2005年にユネスコ世界遺産に登録されました。

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 サグラダ・ファミリアは一際高い建物ですのでどこからでも見ることができました。サグラダ・ファミリアを建設した建築家のアントニ・ガウディは、バルセロナを中心に開花した19世紀末の芸術運動に活躍した人です。

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 ここが、全景を眺めることができ、写真スポットとのこと。サグラダ・ファミリアは、1882年に着工され、以来130年が経過しても工事が続けられています。

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 4本の尖塔は、よじれながら天を目指す糸杉のようでもありました。

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 遠くからは背の高い建物だなあと思ったのですが、近づけば近づくほど巨大になってきて、人間がとても小さく見えました。波打つような壁面や溶け落ちたような装飾は、ガウディという人の芸術的天才性が感じられるのですが、何と表現していいかわかりません。ガウディは 私は創るのではなく(自然を)写している と行っているのですが、それにしてもガウディの頭の中は我々凡人には計り知ることはできません。

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 入場すると、誰もが上を見て、口を開けてしばらくは放心状態になり、やがて写真を構えるのですが、どこに焦点を合わせていいかわからないという動作を繰り返していました。

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 ガウディが19世紀末に活躍したモデルニスモという芸術活動は、有機的な曲線と華やかな装飾が特徴といわれています。中でもガウディの自然をモチーフにした奇抜なデザインは当時から注目されていました。

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 建物のどこに焦点を当てても何かしら意味のある、デザインやストーリーが刻まれていました。その造形のどれ一つとっても完成するのにどのくらい時間がかかったのだろうと思うと呆然としてしまうのです。

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 入口には2匹の亀がいます。亀の甲羅の半球的形態は宇宙を表していて、サグラダ・ファミリア聖堂はその宇宙の上に聳え立っていて、サグラダ・ファミリアを亀のようにゆっくりと、休まずに造り続けて行こう! というガウディのメッセージが込められているそうです。

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 入口の上にもいくつかのストーリーが語られていて、そのストーリーを想像するといくら時間があっても足りませんでした。ましてやそのストーリーが完成される歳月はどのくらいの時間がかかるのでしょうか。

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 様々なデザインやストーリーが刻まれている外壁を見ているだけでもかなりの時間がかかりました。しばらくしてふと気がついたように思い直して聖堂に入って行きました。

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 ガウディがこの教会の建築を任されたのは1883年からで、まだ無名の31歳の時でした。以来1926年に73歳で亡くなるまでライフワークとしてサグラダ・ファミリアの設計・建築に取り組んだそうです。ガウディは詳細な設計図を残さないで、大型模型や、紐と錘を用いた実験道具を使って、構造を検討したとされています。

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 1本の柱は上に伸びるにつれてより細い何本かの柱に分岐しています。ちょうど大木が育つにつれて何本かの枝に枝分かれるようになっていて、森をイメージしたともいわれています。

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 このステンドグラスに夕陽が射すと、見事に輝くということで楽しみにしていて、時間(17:23)はちょうどよかったのですが、生憎と夕陽は当たりませんでした。聖堂内は2010年に完成し、ステンドグラスはカタルーニャ出身の芸術家ジョアン・ヴィラ・グラウによるものだそうです。

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 ミサが行われるような檀と椅子がありました。ここに座って天井を眺め、ガウディのことや2026年に完成予定といわれていることなどいろいろ考えたのですが、気が遠くなるくらい果てしないことのように思われました。ガウディの亡骸は地下礼拝堂に埋葬されています。

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 (インターネットより転載) 9代目設計責任者(ジョルディ・ファウリ)は、ガウディ没後100年にあたる2026年に完成予定と発表しました。インターネット上では2026年に完成するといわれている完成図を見ることができるのですが、工事中の実物を目にすると本当に今から10年で完成するのか疑問に思えました。

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 サグラダ・ファミリアの扉には聖書の一節が様々な言語で書かれていて、日本語の文字もあります。これは、ひょんな経緯でサグラダ・ファミリアの彫刻家であるブルーノという人から日本人の漫画家井上雄彦氏に依頼されたものとか。

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 再び外に出て見上げると、外壁のデザインは一つとして直線的なものはなく複雑です。ガウディは今から90年前の1926年に亡くなっていますので、存命中にこういう部分を仕上げていたのか、もし後世に受け継がれたといますと、ガウディは仔細な設計図を残していないわけですから、ガウディの意志を受け継ぐのは大変なことに思えます。

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 観光客は続々と増えていました。

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 改めて見上げると、大きなクレーンが2本、細く頼りなげに見えました。サグラダ・ファミリアは、最初は全て個人の寄付に頼って建設される贖罪教会として計画されたために、財政的事情によって別々の箇所を同時に建設されることはできなかったのですが、1990年代以降は訪問者が増え、作品の評価が高まり財政状況が好転したために工事は捗ったということですが、果たして10年後に完成するのでしょうか。専門家は、技術革新によって予定通り完成するだろうといっています。

 

昨年マチュピチュに行ったのですが、マチュピチュはTVや雑誌などで何回も目にしていて、新鮮みが感じられずあまり乗り気ではなかったのでした。しかし、やはり一度は実際に見てみたいと思い出かけました。行ってみて感じたことは現場で感じる臨場感や空気はそこに行かなければわからないということでした。サグラダ・ファミリアも全く同じでした。行かなければ感じられないことがたくさんありました。外壁の一つ一つの肉感や重量感は実物を見なければ感じることができないものでした。

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2016年10月18日 (火)

スペイン紀行21 グエル公園

9/14(水) マドリッドから5時間のバスによる移動で、グエル公園の予約時間に間に合い、早速観光が始まりました。

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 現地ガイドのカルロスさん。ちょうどいい時間に合流できたようで、添乗員の橋本さんとホッと一息ついていました。カルロスさんは日本語ペラペラで見た通り愉快なキャラで、日本語でダジャレを飛ばしたりしていました。

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 以前は入場料などなく無料で、勝手に入園できたそうですが、1984年にユネスコ世界遺産に登録され、人気が出てくるに従って有料となりました。現在は予約時間に1秒でも遅れたら入れないほど観光客がつめかけてきています。ここで入場者のチェックが行われました。

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 当初は、施主のエウゼビ・グエイ伯爵とガウディが分譲住宅を中心とした住宅地を造ろうとしたそうですが、二人の進みすぎた発想は受け入れられず、60軒の住宅のうち2軒しか売れませんでした。しかし、その結果現在は多くの観光客が訪れるようになりました。

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 分譲住宅地のはずが庭園として生まれ変わり、都心にもかかわらずあちこち濃い緑が植生されて、憩いの場にもなっています。グエル伯爵とガウディの自然と調和した総合芸術という考え方はこの辺りにも残されているようでした。

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 よく見ると何気ないところにも訳のわからない形状の造作があり、遊び心が感じられました。園内を歩いているうちに少しずつ心が解きほぐされてくるようでした。

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 多くの人が腰掛けているベンチは、心地よさを感じられる微妙なカーブをしていて、座る部分はお尻がスッポリと収まるようにも造られていていました。

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 私も飲み友のYさんと試しに座ってみました。背もたれの部分にもたくさんのタイル画やイラストが描かれていました。

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 右側の棟は新興住宅の管理人室だったのですが、待合室とするためのコンシェルジェとして発案され、「ヘンゼルとグレーテル」のお菓子の家をモチーフにしたもので現在は売店や書店となっています。建物の壁にはトランカディで覆われていて、トランカディは、ガウディが愛した装飾方法で、陶器の破片を表面に貼り付けたものです。左側の家はやはり新興住宅の門番の家だったのですが、現在はバルセロナ市歴史博物館となっています。

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 左側の門番の家の屋根の先に大きなクレーンが2基あり、鉛筆の先のように尖った建物、サグラダ・ファミリアが見えました。

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 グエル伯爵とガウディは、都市の近代化や工業化が進む中、人々が自然と芸術に囲まれて暮らせる、新しい住宅地を造ろうとしました。これは自然の地形を生かした「洗濯女の回廊」。しかしこのような形状の通路は受け入れられることができませんでした。確かに園内を歩いていると平衡感覚が失われてくるようでもありました。

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 このホールは、新興住宅地の市場になる予定でした。密度のある列柱の規則的なリズムをずらして3つの空間を作っているとのことですが、そんなことをいわれるとリズムが狂ってきそうでした。

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 太い柱が支えている天井を見ると日本の大阪万博のシンボル、太陽の塔のようなデザインの円形タイルが貼り付いていました。その円形タイルをはじめ、並外れた素材と形と色が使われているともいわれ、最先端の芸術ともいわれています。

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 ここはモニュメント階段といわれていて、このトカゲはグエル公園で一番人気の撮影スポットになっていました。

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 飲み友のYさん親子さんと写真を撮りました。

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 いただいたパンフレットには、このモニュメント階段にはたくさんのディテールがあり、グロテスクの美術様式の突飛な形をした蛇の形をした噴水や色とりどりのドラゴン、サンショウウオが現れると説明されています。階段の下から見た光景も一筋縄でいかないような不思議な世界でした。

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 たかがフェンスにも様々な造形が施されていて、ガウディの頭の中はどうなっているのだろうと思いました。

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 この奇形の通路も表現のしようがありません。ついあんぐりと口を開けて上を見てしまいました。

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 似顔絵を画いている人と画かれている人、遠くでボンヤリと見ている人。公園内を歩いておかしくなった平衡感覚を鎮めているようでもありました。

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 グエル公園の観光を終えてバスへと戻りました。約1時間の観光でしたが、何となく不思議な感覚が残っていました。

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 ほんの数キロ先なのですが、サグラダ・ファミリアへはバスで向かいました。

 

グエル公園を出て、普通の建物を見ると何とつまらない単純なデザインなのだろうと思ったりもしました。グエル応援はちょっと変わった公園といえばそれまでですが、ガウディの天才じみたデザインは気持ちの深層に働きかけてくるようでもありました。

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2016年10月17日 (月)

スペイン紀行20 バルセロナへ

9/14(水) バルセロナへと向けて予定より1時間半遅れて出発しました。途中、レストランでの昼食をバス車内持ち込みに切り替えて、先を急ぎました。

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 ツアー6日目、ツアーの最終目的地バルセロナへと向かいました。マドリッドから南下し、アンダルシア地方のマラガから折り返して再び北上し、総走行距離は2,000km、青森~鹿児島間の距離を移動しました。

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 長距離移動の日々で高速道路も随分走りましたが、バイクを見たのは初めてでした。ヨーロッパ大陸は地続きですのでもう少しバイクが多いのかなあと思っていましたので意外でした。

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 道路標識にバルセロナの文字が出てきました。私たちは、何はともあれグエル公園とサグラダ・ファミリアの予約時間に間に合うかどうかが気になっていました。

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 幸い、高速はガラガラでしたので、ドライバーさんもリラックスして程々のスピードで走っていました。

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 遠くに尾根がのこぎりの刃のようにギザギザなっている山が見えました。「モンセラット」という山で、「のこぎり山」と呼ばれる奇岩群の山だそうです。ガウディがサグラダ・ファミリアを造るときにヒントを得たといわれています。

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 (インターネットより転載) ガウディがヒントを得たということもわかりますし、ここには修道院があり「黒いマリア像」が有名な所だそうです。

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 高速道路の料金所に来ました。料金を支払うシステムは、ドライバーさんがチケット(多分クレジットカード)を無人の機械に挿入すると自動的に徴収されるようでした。

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 ところが、何が悪いのか何回トライしても信号は赤のままで、仕方なく一度バックして隣のブースで試したのですがやはりダメで、結局係員を呼び出すということになり、私たちはその間、予約時間に間に合うかどうかが心配でハラハラしていました。

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 ようやく料金所を無事に通過してバルセロナ市内に入りました。

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 バルセロナは、首都マドリッドに次いで2番目に大きな都市です。人口は160万人(2014年)で、1992年に第25回夏季オリンピックが開催されました。当時中学二年生(14歳)の岩崎恭子さんが史上最年少で200m平泳ぎで金メダルを獲得し、スペイン人だけではなく世界中をビックリさせ「今まで生きてきた中で、一番幸せです」という名台詞をはいたのはバルセロナオリンピックでした。

 

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 街も賑やかで活気がありそうでした。

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 市内の目抜き通りに入ると不思議なビルが見えました。地震で歪んでしまったのかと思えるような構造ですが、ガウディが手がけたカサ・パトリョなどで、いきなりガウディの世界、アートの世界に入り込んだような気になりました。

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 他の都市でも見かけた大きなゴミ箱。小型自動車くらいの大きさのゴミ箱があちこちにあり、バルセロナでも環境の美化に力を入れているそうです。

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 15:39 最初に見学予定の「グエル公園」の駐車場に着きました。何時に予約したのかはわかりませんが、とにかく間に合いました。それにしても、駐車場一つにしても楽しくなるアートにしてしまう心意気が感じられました。

 

マドリッドからハラハラした5時間でしたが、滑り込みセーフでした。その間、逆に盛り上がったりもしました。そしてバルセロナ市内に入って見た不思議なビル、人が住んでいるということで再びビックリしました。「グエル公園」と「サグラダ・ファミリア」観光への期待が膨らみました。

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2016年10月16日 (日)

スペイン紀行19 トラブル

9/14(水) バレンシアで一泊し、いよいよスペイン観光の最大の目玉、バルセロナのサグラダ・ファミリア観光に出かけることになったのですが。ドライバーさんの緊急入院という異常事態が発生してしまい、私たちは立ち往生してしまいました。

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 ツアー6日目、バレンシアからバルセロナまでの移動時間は5時間。

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 バレンシアで宿泊したホテルは、ローカルな場所にあるごく普通のビジネスホテルでした。

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 宿泊したホテルもベッドは一つで、これもごく普通。

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 ホテルはバレンシア市内からかなり離れた郊外にあり、すぐ近くには日本と同じように郊外型のショッピングモールがありました。

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 バルセロナまでは5時間の移動ですので、朝食はカロリーの高そうなものをしっかりととりました。

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 出発時間となって、バルセロナ観光に期待に胸を躍らせ、全員元気で張り切ってロビーに集結したのですが。ドライバーさんが緊急入院したとのことでビックリしました。

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 9/11に撮影) ずーっと一人で運転して頑張ってくれたドライバーさんですが、長距離移動の日々で疲れたのでしょうか。

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 最大の問題は、バルセロナでのグエル公園とサグラダ・ファミリア観光は、予約制で予約時間に1秒でも遅れたら入園できないということでした。宿泊したホテルは郊外で、鉄道や飛行機を利用しようにも最寄り駅やターミナルへ24人が移動することができず立ち往生ということになりました。焦っても仕方がないと、ロビーでN氏と酒盛りということになりました。

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 結局、別のバス会社に手配がついて1時間半遅れの出発となりました。

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 予約時間に間に合わないとグエル公園もサグラダ・ファミリアも入場できませんし、予定より1時間半遅れの出発でしたので、高速ではガンガン飛ばしてもいいよ! と祈るような気持ちでした。

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 5時間の長時間移動でしたので景色はいろいろ変わってゆくのですが、気もそぞろでした。

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 出発が遅れましたので昼食をレストランでとることを諦め、その代わりツアー会社からお詫び代として20ユーロ(2,500円くらい)支給されました。ドライブインで好きなものを買うことになりました。

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 メニューがいろいろあり、何にするかかなり迷いました。

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 飲み友のN氏と私は生ハムサンドとソーセージ(二人でシェア)にしました。   

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 それぞれ食材を仕入れてバスに戻ってみれば新しいドライバーさんはまだ現れず、私たちはバスの日陰で行儀よく並んで待っていました。修学旅行のような気分でした。レストランでお仕着せのメニューを食べるよりも好みのものを選べた方が良かったと、全員嬉しそうでした。

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 ドライバーさんがバスに戻り、私たちは車内昼食となりました。N氏はVIPシート(テーブル付き)に座っていましたので、二人で酒盛りをということになりました。

 

一時はどうなることかと思いましたが、全員で鉄道にとか飛行機とかいろいろ考えている間に別のバス会社が手配できました。トラブルのおかげでツアー仲間の団結力がさらに強まり、20ユーロ貰えましたし、さらにオマケが付いて、今晩の夕食にはワンドリンク無料というオマケが付きました。災い転じて福となりました。

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2016年10月15日 (土)

スペイン紀行18 バレンシア・パエリア

9/13(火) アルハンブラ宮殿を観光した後、バスでバレンシアへと向かいました。

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 グラナダからバレンシアへは、地中海を右手に見て北上するルートでした。

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 アルハンブラ宮殿近くのホテルからバスにより、高速を走りました。

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 グラナダを出発して、道々見えた街並みの上空には秋を思わせるような筋雲が流れていましたが、気温は30度以上でまだまだ暑い気候が続いていました。

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 大まかなルートは地中海と並行しているのですが、乾燥した丘陵地帯も走りました。

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 14:00過ぎに昼食となりました。メインはローストチキンでこれがとても美味しく、ツアーで食べた食事では一番美味しかったのでした。

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 飲み友4人組は同じテーブルに着くようになり、次第に酒量が増えました。ワインやビールの瓶がボーリングのピンのようになりました。

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 食事をしたドライブインのメニューを見ると、美味しかったローストチキンが5.8ユーロ(600700円くらい)でしたので安く感じました。

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 必ず目にする生ハムのブロック(プロシュート)を見る度に買って帰りたかったのですが、必ず羽田でストップがかかると思われ諦めました。

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 食事をしたドライブインから見たルービックキューブのような建物はホテル。色彩感覚豊かなこの国ならではです。

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 時々、地中海が見えました。そして海に面してリゾートマンションなどが建ち並んでいました。

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 バレンシア市内に入ると一気に大都会の景色になりました。

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 バレンシアは、バレンシア州の州都で港湾都市です。人口は80万人で、マドリードとバルセロナに次いで3番目に大きな市です。

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 19:20 レストランに到着しました。ガラス張りとなっている厨房を覗くと大きな鍋にパエリアが美味しそうに湯気を立てていました。パエリアは、米どころとして知られるバレンシア地方発祥の食べ物で、「パエリア」という言葉はバレンシア語で「フライパン」を意味するそうです。

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 前菜は普通のサラダでしたが、これがきちんと美味しかったです。

 

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 ここでも飲み友4人組は同じテーブルにつきました。

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 私たちツアー仲間分のパエリアができあがりました。これで何人分あるでしょうか。

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 自分の分は自分で大鍋から取り分けるのかと思ってましたら、店のスタッフが盛りつけてくれました。味は美味しく満足しました。

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 私たちが食事をしている間、豪雨と雷にビックリしましたが、食事が終わる頃雨は止んでいました。表に出ると、落雷か強風か太い木の枝が折れていました。

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 21:57 食後ホテルに戻った後、すぐ近くのスーパーに最後の買い物に行きました。

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 やはり生ハムコーナーが人気で、私も生ハムを追加購入しました。

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 最後の買い物の最後のレジは、余った現地通貨ユーロで支払い、不足分をカードで決済するとか、皆さんそれぞれ工夫していました。

 

初めて食べた本場パエリアは、サフランがたくさん使われているようでさすが本場と思いました。パエリアは日本のレストランで食べることもあり、また自分で作ることある食べ物ですが、スペインでも美味しく、日本でも美味しく、お米の味はあまり違いはありませんでした。要は、具にどれほどお金をかけるかによるという当たり前のことがわかりました。

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2016年10月14日 (金)

スペイン紀行17 アルハンブラ宮殿

9/13(火) スペイン観光の目玉の一つ、アルハンブラ宮殿へと行きました。

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 前夜一緒にフラメンコショーを見に行った5人組張り切りレディのリーダーYumikoさんのリードで、朝食前、出発前の早朝体操で身体をほぐしました。前夜就寝は遅くなったと思うのですが、相変わらず元気でした。

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 宿泊したホテルはアルハンブラ宮殿のすぐ傍でしたので、比較的ゆっくりとホテルを出発しました。ホテル街の緩やかな坂を下ったところがアルハンブラ宮殿です。

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 アルハンブラ宮殿の入口です。

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 この日も朝から青空が広がり、強烈な太陽が顔を出していました。

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 最初に向かったのはアルハンブラ宮殿に隣接している「ヘネラリーフェ庭園」でした。1931年頃から整備が始まって1951年に完了したという庭園はよく整備されていて、濃厚な緑の樹木がとても気持ちよかったです。

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 緑だけではなく、花の色も鮮やかで、スペインで初めて名にした花々でした。

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 庭園の中には別荘があり、別荘内の中には細長い池を囲むように花壇、噴水、柱廊が設けられていました。この中庭は、アンダルシア地方におけるイスラム建築において、最も保存状態が良いものの一つとのこと。

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 「ヘネラリーフェ庭園」を出てくるとアルハンブラ宮殿の鐘楼が見えました。

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 アルハンブラ宮殿は、イスラム王によって建築(1238年着工、1391年完成)され、250年間のイスラム政権によって改築、増築されました。その後15世紀にキリスト教連合軍がグラナダを奪還した後、16世紀にキリスト教徒によって建築された宮殿です。

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 アルハンブラ宮殿の中に「カルロス5世宮」があり、その内側は円形の石畳の中庭になっていました。

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 アルハンブラ宮殿内には、国営のホテルがあり、フランシスコ修道院を改造した人気のホテルだそうですが、豪華ホテル並みの料金だそうです。

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 アルハンブラ宮殿は、アルハンブラ教会やカルロス5世宮などたくさんの建物があります。教会はモスクのあった所に建てられたものです。

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 アルハンブラ宮殿は、イスラム政権からキリスト教政権へと政権の交代が行われたという運命をもっていて、その間流血があったりもしました。砂漠に住むイスラムの人々は、昔から過酷な環境を壁で遮断してその内側に楽園を造ったともいわれています。

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 人気の観光スポットですので、入場は厳しく、3ヵ所でのチケットのチェックがありました。

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 「アラヤネスの中庭」は、南北35m、東西7mの長方形の池。背景の塔は「コマレスの塔」。

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 滅びゆく王国が造ったイスラム建築の最高峰ともいわれています。キリスト教に政権が移ってから、キリスト教様式のデザインが加えられ、独特の雰囲気を醸し出しています。イスラム教徒を異端視しつつも、中世のヨーロッパはイスラムから医学、数学、化学など多くの知識を学び、建築もその一つといわれています。

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 宮殿から見た街並みは、中世の城下町のようでした。アルハンブラ宮殿が辿ってきた運命に思いを馳せると、ギター独奏曲の名曲「アルハンブラ宮殿の思い出」が聞こえてくるようでした。

 

アルハンブラ宮殿は、例えばベルサイユ宮殿に比べればその規模は遙かに小さく、ポタラ宮に比べれば華やかさは足下にも及ばないのですが、イスラム教様式とキリスト教様式の融合と悲しい歴史とが相まって「アルハンブラ宮殿の思い出」は生まれたのでしょうか。

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2016年10月13日 (木)

スペイン紀行16 フラメンコ

9/12(月) ミハスからグラナダに到着し、ホテルに落ち着いて夕食後オプションのフラメンコを見に出かけました。

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 ホテルのロビーに21:00に集合し、車に乗って別のホテルの入口に到着しました。そこから日の暮れた夜道を歩き始めました。

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 さすがに夜の9時を過ぎると辺りは暗く、旧市街のような細い路地を歩きました。フラメンコ鑑賞はオプションで、私を含めて7人くらいが参加しました。

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 しばらく歩くと、公園のような広場に出てそこでは多くの人たちが夕涼みしながら食事をしたりお酒を飲んだりしていました。

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 広場のような所を通り過ぎると、ボーッとライトアップされた建物が闇の中に浮かんでいました。アルハンブラ宮殿の夜景でした。とても得したような気分になりました。

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 さらに歩いて行くと建物が建ち並ぶ角地を取り囲むようにして人だかりがしていました。フラメンコの路上ライブでした。

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 ギターの音と手拍子と歌声に合わせて、情熱的な踊りが展開されていました。初めての本場のフラメンコでした。激しい女性の動きと激しく地面を叩きつけるステップ、哀切のあるギターの音色が夕闇に響いていました。ジプシーという言葉が浮かんできて、これほど相応しいシーンはないかもしれないと思ったりもしました。

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 フラメンコショーの開始時間は22:00からでしたのであまりゆっくりと道草を食っているわけにはいきませんので、現地ガイドと添乗員さんの後について歩いて行きました。この道の先には何があるのだろうとワクワクするような路地でした。

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 21:50 会場に着きました。ショーの開始10分前でした。

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 会場の片隅にバーがありました。ワンドリンク付きということでしたのでシャンパンをオーダーしました。今年2月にパタゴニアに行ったとき、アルゼンチンで見たタンゴショーの時はワンドリンク付きでしたが、実際には飲み放題でした。ここではキッチリとワンドリンクでした。

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 舞台は、洞窟ようなトンネルのような先にありました。紫がかったライトの先にあり、別の世界への入口のような、アラビアンナイトのような妖しいムードでした。

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 このオプショナルツアーには、5人組張り切りレディのうち、リーダーのYumikoさんともう一人が参加していました。

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 ショーが始まり、舞台にフルメンバーが揃いました。

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 ギターと手拍子に合わせて歌と踊りが始まりました。こちらを睨みすえるような挑戦するような厳しい表情が印象的でした。ジプシーが辿ってきた厳しい道のりを表現しているようでもありました。

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 フラメンコはスペイン南部のアンダルシア地方に伝わる芸能で、歌、踊り、ギターの伴奏が一体になっています。フラメンコの歴史と発展にはヒターノ(スペインジプシー)が重要な役割を果たしています。

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 歌は歌、踊りは踊り、ギターはギター、それぞれが独立したものでもあるとのことで、ギターのソロもありました。

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 フラメンコは18世紀頃発生したものといわれていますが、不明な点も多いといわれています。それはおそらく、社会の底辺で流れてきたヒターノ(スペインジプシー)の歴史的背景によるものとも思われ、目の前で展開されている激しい踊りを見ていると、悲しく響いてくるものがありました。

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 男性も踊るとは思いませんでした。激しく舞台を踏みならすタップダンスが主体の踊りで、その音の大きさは怒りを発散させているようでもありました。

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 23:09 1時間あまりのショーが終わりました。シンプルだったのですが、激しく響くものがあり、また何故だか悲しく切ないものでもありました。

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 ショーの会場を出て、誰も歩いていない夜道を歩いて戻りました。衝撃的なショーの後、とても不思議な感覚にとらわれる石造りの道を歩いていると、夢の中を歩いているような気持ちになりました。

 

トルコやモロッコでのベリーダンス、アルゼンチンでのタンゴ、スペインでのフラメンコ、それぞれ比較しようのないものですが、フラメンコには土や汗のにおいがするようでした。舞台で展開される踊りや歌よりも、歴史や演じている踊り手やギタリストの人生を考えてしまいました。

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2016年10月12日 (水)

スペイン紀行15 グラナダへ

9/12(月) ミハスでたっぷりと南スペインの太陽を浴びて優雅な時間を過ごし、この日の最終目的地グラナダを目指しました。

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 マラガ・ミハスからグラナダへはほぼ2時間の行程です。一部海沿いを走りその後は山間部も走るようです。

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 16:30 まだまだ強い日射しが降り注いでいる中、白壁の街を後にしました。

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 山肌に、別荘マンションが並んでいました。きっと寒い冬になっても暖かい陽射しを浴びることができるのでしょう。

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 バスの中からも地中海を眺めることができました。この地域は「コスタ・デル・ソル(太陽海岸)」と呼ばれ、スペインの観光にとって最も重要な地域といわれています。

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 太陽海岸のエリアにはリゾート施設やマンション群が立ち並んでいました。アンダルシア観光の35%を占め、年間1,730万人の宿泊客があるそうです。

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 私たちのバスは、地中海沿いの道を離れて内陸部へと進みました。空は雲一つなく青く、緑もより濃く見えました。

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 内陸部にもいくつかの町が現れ、気候が温暖なこの地域はきっと過ごしやすいのだろうと思われました。

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 今まで見たこともない景色が現れました。どういう地域なのか聞きたかったのですが、添乗員さんをはじめツアー仲間たちも眠りこけていて、車内はシーンと静まりかえっていました。

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 山間部に入ると、町は現れるのですが、人口は少なく小さな町のようでした。

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 山間部をさらに進むと、なだらかな丘陵地帯に沿って家々が並んでいるのですが、今まで見たこともないような厚い雲がわいていました。この日の宿泊はアルハンブラ宮殿の近くと聞いていましたので、雨のアルハンブラ宮殿もいいかもしれないと思ったのですが。

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 18:48 この日宿泊するホテルに到着しました。

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 8時にセビリアを出発して11時間後の到着でしたが、全員元気でした。

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 今までのホテルはコンドミニアムだったりベッドが3つもあったりでしたが、この日の部屋はとてもオーソドックスなツインでした。

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 この日のホテルはアルハンブラ宮殿の隣と聞いていたのですが、部屋の窓からは木立しか見えず、その先に宮殿はあるようでした。とても静かで落ち着ける場所でした。

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 食事時になり、何はなくてもとりあえずはビール、そして白ワイン。スペインの酒代は他のEU加盟国に比べて安く、この頃になると現地通貨(ユーロ)が余りつつありましたので、大胆にアルコールの注文をするようになりました。

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 夕食はバイキングで、美味しいお酒が飲めればいいやと思っていましたら料理は二の次になってしまって何が何だかわからない盛りつけになってしまいました。

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 食事中に流しのお兄さん2人が歌い始めました。CDの販促活動をしていたのですが、芳しい成果は得られなかったようで、気の毒でもありましたが、あまり興味のない音楽でした。

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 食後、部屋から見たアルハンブラ宮殿の上空には青空が広がっていて、翌朝の観光は天気が良さそうでした。

 

この日は、夕食後に21:00からフラメンコ見物に行く予定になっていましたので、酒も食事もほどほどにしました。

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2016年10月11日 (火)

スペイン紀行14 ミハス・ピカソ

9/12(月) スペイン・アンダルシア地方の強い太陽を浴びながらミハスで昼食をとり、その後の自由時間を過ごしました。

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 ミハスは小高い山の麓に貼り付いたような街ですのでいたるところに坂道があります。その坂道に沿ってうまい具合に白い壁の家が建てられています。

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 MIJAS(ミハス)散策マップを片手にそれぞれ自由時間を過ごしました。

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 狭い立地条件の中、壁を立体的にうまく使って、花を飾って楽しく暮らそうという心意気がこちらにも伝わってくるようでした。

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 緩やかな坂道や石段を少しずつ上ってゆくとミハスの街を上から見ることができました。

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 5人組張り切りレディのリーダーYumikoさんと。Yumikoさんは、早朝体操のリーダーでもあり元気な人でした。

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 展望台から眺めると34階建てのアパート風の建物がびっしりと密集していました。当然のことですが、建物の色は統一され、看板や電線など景観を邪魔するものは一切ありません。

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 サンセバスチャン通りの入口には街の人たちの寄付による教会がありましたが、展望台にも教区教会(地域社会の拠点となる教会)がありました。この教会はイスラム時代の城跡に建てられたもので、ここでもキリスト教徒イスラム教のせめぎ合いがあったことがわかりました。

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 展望台からは見晴らしがよければ地中海やその先のアフリカ大陸(モロッコ)が見えるはずですが、残念ながら無風状態で霞がかかっていました。

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 展望台の近くに楕円形の、可愛いと噂の闘牛場がありました。闘牛は年中行われているわけではなく、大相撲のように全国を巡業しているそうです。

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 (インターネットより転載) 有料で入場できるのですがパスしました。料金は日陰が高く、日陰でないところは安いそうですが、日陰はなさそうです。闘牛場が小さい分闘牛と観客席との距離は近く、闘牛は最後には殺されますので、凄い迫力でしょうし、その分残酷でもあります。添乗員さんによると、日本人女性は大抵涙を流すそうです。殺された闘牛はステーキとなり天寿?をまっとうするそうです。

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 ピカソの通りに出ました。

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 ピカソ美術館。ロゴマークが白壁にマッチしていました。

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 入口にはピカソが座っていました。ピカソは1881年マラガで生まれましたが、制作活動は主にフランスで行われました。91歳で亡くなりましたのでかなり長寿でした。

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 ピカソと並びましたら、ピカソ人形は意外に小さく可愛いものでした。

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 ピカソはあちこちに居ました。

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 ピカソ美術館となっていますが、数枚のレプリカが飾られているだけで、実際にはアクセサリーなどが売られているだけでした。ピカソの生家や本物の美術館はマラガ市内にあります。

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 賑やかな通りだけではなく、静かな通りもあり、ノンビリとこんな道を歩くのもいいものでした。

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 地元の押し花を使った可愛いアクセサリーが置いてあるという女性に人気のお店で、日本人スタッフが居ました。トイレを借りることもできました。

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 強烈な陽射しと青い空、白い壁と鮮やかな花と緑。地中海に面した都市ならではで、イタリア・ナポリのカプリ島にある街のようでした。

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 ここはトイレ。オシャレです。

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 ミハスの自由観光を終え、バスに戻りました。バスのエアコンの気持ちよかったこと。

 

絶好の天候に恵まれたミハスは最高でした。唯一残念でしたのが、マラガにあるピカソの生家と美術館を訪れることができなかったことと、ピカソの本物の絵を見ることができなかったことでした。

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2016年10月10日 (月)

スペイン紀行13 ミハス・白壁の家

9/12(月) 午後2時近くにミハスに着きました。スペイン南部の観光の目玉ともいえるスポットです。

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 ミハスの人口は78,000人(2014年)の観光都市です。最初にわかりやすい地図を渡され、押さえた方がいいポイントには赤いマークが付けられていました。このくらいの広さであれば一人で歩いても迷う心配はなさそうでした。

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 ミハスは標高400m、山の裾野に沿って築かれた町です。

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 駐車場からはエレベーターを使うかいくつかの石段を上るかして街中に入って行きました。先ずは全員で昼食のレストランへと向かいました。

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 ミハスには別荘代わりに住んでいるイギリス人が3割近くいるどうです。お金をたくさん落としてくれるので、ロンドン~マラガ間の航空運賃は往復1万円もしないそうです。

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 かつては日本人も住んでいたそうなのですが、食事が合わないとかで今はいないそうです。ここまで食べてきた食事はあまり手をかけない食材は美味しいと思ったのですが、フライや加工したものは味付けや調理がちょっと違うと思いました。それは世界中どこへ行っても同じことで、当たり前のことですが、やはりフライものが多いような気がしました。

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 町の中心部にある小さな広場が憲法広場、道がわからなくなったらここへ戻るという目印の場所になりました。

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 レストランへと向かう途中の街並みや辻にキョロキョロしてしまいました。白い壁には鉢植えの花が飾られていて白い壁によく映えていました。

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 地中海に面していて、強い日射しが降り注ぐこの町は特にヨーロッパ人に人気があるそうです。陽射しを浴びながらお茶したり食事をしている光景がよく見られました。

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 比較的広い通りもあり、車も乗り入れているようです。

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 白い町といわれるミハスは、建物の外壁は全て真っ白です。これは強い太陽の光を跳ね返すために白い壁にしたそうです。

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 この白く美しい教会は、町の人の寄付により17世紀に造られたものだそうです。

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 昼食をとったレストランは、サンセバスチャン通りという小さな通りの角にあるこじんまりとした店構えでした。

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 店内に入ると1階はタパスが美味しいといわれるバールになっていました。ここでの食事も魅力的でしたが。

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 私たち一行は2階のこじんまりとした部屋に通されました。私たち全員でほぼ満席になりました。

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 生ビールをオーダーすると、どういうわけか長靴の形をしたビアジョッキーが出てきました。まあジョッキーがどうであれよく冷えたビールは旨かったです。

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 前菜は野菜のトマトケチャップ煮のようなものでした。

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 メインは白身魚を揚げたものでつけ合わせのポテトが美味しかったです。

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 デザートは、ヨーグルトアイス。

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 食後は自由行動でしたので、その前に写真を、5人組張り切りレディとHitomiさんたちと。

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 ミハスが紹介されるときの代表的な白い壁の通り。白い壁に太陽の光が降り注いでいて、ミハス観光は強い日射しと青空の日に限ります。

 

スペインのアンダルシア地方の強い太陽光、白い壁の街を歩きながら、情熱の国スペインの雰囲気に浸りました。

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2016年10月 9日 (日)

スペイン紀行12 マラガ・ミハスへ

9/12(月) セルビアのホテルを08:00に出発し、セビリア観光の後ミハスへと向かいました。

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 目的地のミハスは、スペインの南端のアンダルシア地方・マラガ県にあります。

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 セビリアからミハスまではほぼ3時間の行程でした。バスから眺めた光景は、どこへ行っても青空が広がっているのですが、青空の下の世界は少しずつ変わっていきました。

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 12:11 出発してほぼ2時間、ドライバーさんの休憩とトイレ休憩を兼ねてドライブインに入りました。ドライブインは、日本のSAと同じように一定の距離間隔で設置されているようでした。

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 ドライブインの内部は、日本でいえば規模の大きいSAと同じくらいのスペースで、かなり豪快なパンやハンバーグなどの食材が並べられていました。

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 どこでもオリーブオイルとパンを細かくカットしたものが置いてあって試食できました。種類によって味はかなり異なっていました。

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 オリーブオイルと同様に生ハムも置いてありました。添乗員の橋本さんから、この生ハムもお勧めといわれましたのでお土産に買ってしまいました。日本に入国するときに羽田で警察犬がいないことを祈りつつ。

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 レジには、陽気なスペイン娘さんが客を捌いていました。北部に比べて南部の人の方が陽気そうに見えるのは気のせいでしょうか。

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 買い物を済ませてバスに戻ってもドライバーさんはしっかりと休憩をとっていて、バスのドアが閉まっていることもしばしばでした。日射しは強いのですが、木陰に入るとスーッと涼しくなるのでした。

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 マラガ県内に入ると小高い山が目立つようになりました。マラガにはマラガ山自然公園もあります。

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 山のなだらかな裾野に沿って白い壁の家が目立つようになりました。

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 マラガには国際空港があり、この日も飛行機が飛び立っていました。これから向かうミハスにはイギリス人がたくさん住んでいて(ミハス人口の3割とか)、ロンドン~マラガ間の航空往復運賃が1万円もしないとか、激安です。

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 (インターネットより転載) マラガには14,000人収容できるという「マラゲータ闘牛場」があります。今回闘牛は見ることができませんが、マドリッドでは若い人たちによる闘牛反対のデモが行われていました。

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 (インターネットより転載) 今回はマラガの観光はミハスだけで、最も残念だったのがピカソの作品を見ることができないことでした。(画像はピカソの生家の一部とピカソ美術館の内部)

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 バスはミハスの入口に到着しました。白い壁の家々がいきなり目に飛び込んできました。

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 13:39 セルビアからほぼ3時間でミハスの駐車場に着きました。ミハスは山肌にしがみつくように造られた街で、道も駐車場スペースも狭いのですが、何とか駐車することができました。

 

スペイン南部のアンダルシア地方は、自分が描くスペインイメージにもっと近く、異国情緒を最も感じることができるエリアのようです。白い町ミハスがあるマラガは、スペイン第6位の都市で巨匠ピカソを輩出した地であり、フラメンコで最も重要な曲種マラゲーニヤの発祥の地でもあります。ここでの観光がミハスだけで、ピカソの生家や絵画を見ることができなかったのは残念でした。

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2016年10月 8日 (土)

スペイン紀行11 セビリア散策

9/12(月) 前日、マドリッドからセビリアまで長距離移動して多少疲れたものの、元気に目覚めセビリア観光に出かけました。セビリアはスペイン第4位の都市で、スペイン南部の政治、経済、文化の中心で、観光都市でもあります。

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 ホテルの窓から見た夜明けの光景。この日も天気は良さそうでした。

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 張り切り5人組レディが中心になってすっかり恒例になった早朝体操。この日も元気に一日が始まりました。

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 朝食はバイキング。できるだけ野菜や果物をとるようにしました。

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 最初に出かけたのがセビリアのスペイン広場でした。ここは1929年に万国博覧会の会場施設として造られたものです。

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 ここのスペイン広場は世界一美しいといわれています。またここでは「アラビアのロレンス」や「スター・ウォーズ」の撮影の舞台にもなりました。

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 パピリオンとして建てられた広場内の建物は、セビリアをはじめアンダルシア地方の典型的な建築様式で造られていて、そのデザインは確かに素晴らしいものです。日本の大阪万博が行われたのが1970年ですので、その40年も前にここで万博が行われました。

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 広場を取り囲む回廊の下には、スペイン各県の歴史的出来事を描写した壁面タイル絵が描かれていて、とても精巧にできていました。

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 スペインの地図もタイル絵で描かれていて、スペインとアフリカ大陸(モロッコ)がいかに近距離かわかりました。

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 回廊で、南米の先住民族の衣装を身に着けた人が南米の音楽を奏でて、CDを販売していました。昨年から今年にかけて出かけたマチュピチュやパタゴニア、ペルーやチリやアルゼンチンで見たり聴いたりしたものです。スペインに侵略された国の人がスペインのスペイン広場にいることが不思議な気がしました。

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 スペイン広場からさらに市内を歩いて行くと、大きなモスクの立派な屋根が見え、ここはイスラム教圏であることを思い出しました。

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 セビリアの人口は70万人、セビリア都市圏の人口は130万人でスペイン第4位の都市です。街並みは中堅都市の落ち着きが感じられ、とてもいい雰囲気でした。

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 セビリアの大聖堂は、ローマのバチカン市国にあるサンピエトロ寺院を除けば、カトリック教会の中では世界一大きいといわれています。

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 大聖堂にはコロンブスの墓があり、それを見ようという人たちが行列をつくっていました。残念ながら私たちはミハスを経由してグラナダまで行かなければならず、時間があまりないために入場はパスしました。

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 (インターネットより転載) 大聖堂の中にはコロンブスの墓がおかれていて、4人の王様がコロンブスの棺を抱えているモニュメントになっています。当時スペインは4つの王国に分裂していたので、それを象徴しています。また、コロンブスの家族の遺骸もここに収められているのですが、その際DNA検査を行い鑑定したそうです。

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 中世の面影を残す街中の散歩も楽しいものでした。

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 ふっと現れた涼しげなオシャレな広場。スペイン第4位の都市でありながら、このような落ち着いた場所があることは素晴らしいことです。

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 小さな広場の脇では、ファミリーで寛ぐ姿も見られました。

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 今回のツアーで何回も見たことがある路地ですが、洗練されて落ち着いていました。

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 ジェラートの種類は多く、どれにするか随分迷いました。

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 店の工事をしている職人の傍で井戸端会議をしているツアーメンバーの皆さん、地元の話し好きのおばさんたちといった風情で、すっかり雰囲気に馴染んでいました。オペラの舞台を見ているようでもありました。このような何気ない普通の光景はいいものです。

 

セビリアといえば「セビリアの理髪師」というオペラがあり、何となく馴染んだ地名でした。セビリアには大聖堂などがあるのですが、ここまでの行程で大聖堂は何ヵ所か見学してちょっと食傷気味でしたので、何となくの街中歩きはとても寛げました。落ち着いていて、いい町だなあと思いました。

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2016年10月 6日 (木)

スペイン紀行10 セビリアへ

9/11(日) コルドバのメスキータやユダヤ人街を訪れた後、この日の最終目的地セビリアに向けて出発しました。

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 これまでの行程を振り返ってみると、マドリッドで連泊し、途中トレドに寄り、ラ・マンチャ地方を経由してコルドバに着き、コルドバからセビリアに向かっています。スペインを縦断する形になっていて、バルセロナには最終日に到着予定です。

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 あちこちで目についたのが黄色い郵便ポストでした。

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 こちらは今年の5月に鹿児島を訪れたとき、JR最南端の西大山駅の前で見た「幸せを届ける黄色いポスト」です。黄色のポストもいいものです。

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 17:32 コルドバ市内の目抜き通りには小型車と同じくらいの大きさの黄色のゴミ回収ボックスがあちこちに置いてありました。ゴミ回収ボックスは他の色もあり、多分ゴミの種別毎に色が違うと思うのですが、スペイン人はとても清潔好きで、街の路上でゴミはほとんど見かけませんでした。

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 また交差点のあちこちには気温表示と時間表示の液晶ボックスが置いてあり、この日の気温は38℃。確かに陽射しを受けるとジリジリする感じはしますが、湿度がないために日陰に入ればそれほど大変ではありませんでした。それに比べる日本の梅雨時の逃げようのない蒸し暑さは拷問に等しいものです。

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 コルドバの歴史地域も居心地がいい空間でしたが、歴史地域を離れても落ち着いたリゾートタウンのような雰囲気でした。

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 街並みには高層建物がなく、それが落ち着いた雰囲気を醸し出しているようです。

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 市内を離れて高速道路に入りました。コルドバからセビリアまで約2時間の行程です。

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これで何頭目の牛でしょうか、高さ14mのオズボーンの雄牛。オズボーン社はシェリー酒の醸造会社で、1956年から設置し、当時はもっと小さかったのですが、道路から150m以内の広告活動が禁止されたためにこの大きさに変えたそうです。

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 広告の看板が見当たらない景色はスッキリとしていて、何回も目にした北海道のような景色、空の青と白い雲、大地の土色と低木の緑のグラデーションを楽しむことができました。

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 18:08 セビリアまで残り96kmとなりました。

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 19:12 セビリアの市内に入りました。

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 19:26 ホテルに到着しました。コルドバから予定通り2時間の行程でした。

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 荷物を持って、ホテルのロビーに入りました。ホッとした瞬間でした。マドリッドを08:15に出発して11時間の長時間移動でした。

 

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 部屋は、何とベッドが3つもありました。飲み友のN氏の部屋は隣で、ベッドが4つもあり、二人で大笑いしました。

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 窓からの景色は、目の前に大きな糸杉が4本天に伸びていて印象的でした。

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 20:22 食事はレストランで。ホテルのレストランには他の外国人客がたくさんいて、これだけの人たちと一緒の食事は今回初めてでした。

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 バイキング形式でしたのでお好みの食材を選びました。嬉しかったのが冷たく冷えた美味しい生ビールでした。

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 嬉しかったのが、N氏と私の飲み友グループに酒豪のママさんが加わってくれたこと。ビールを飲んだ後、4人でボトルを2本オーダーしました。

 

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ママさんの息子さんもN氏と同じくらい酒豪のようで、飲み友が4人となりすっかり盛り上がり、長旅の疲れも忘れました。

 

今回のツアーでは全行程2,000kmで、その多くは高速道路なのですが、黒い牛の看板以外にはほとんど広告看板を見ることがなく、とてもスッキリと景色を楽しめました。それに比べて、日本の高速道路沿いや鉄道沿線の見苦しい看板は恥ずかしいものです。

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2016年10月 4日 (火)

スペイン紀行09 コルドバ・メスキータ

9/11(日) 朝08:15にマドリッドを出発して14:30コルドバに到着し、昼食後メスキーナの観光に向かいました。

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 マドリッドなどのスペイン北部はキリスト教圏ですが、アンダルシア地方のコルトバからセビリアにかけての中部から南部はイスラム教圏となっています。

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 メスキータはコルドバのシンボル的な建物で、メスキータとはモスクのことです。

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 メスキータは、コルドバのシンボル的な建物で、メスキータとはモスクのことですが、イスラム教徒キリスト教の争奪戦の舞台になりました。その結果、勝利したキリスト教がイスラム寺院を教会に使っているという珍しいものです。

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 イスラム教寺院の名残は比較的シンプルな造りに見ることができますが、何となくエキゾチックなデザインでイスラム・アーチといわれています。

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 トレドの大聖堂で見たのと同じ聖体顕示台。ここでも大量の金が使われています。

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 かつてのイスラムの礼拝堂は、現在はキリスト教の礼拝堂として使われています。メスキータをキリスト教が支配した当時の新国王カルロス一世は、メスキータ(モスク)をキリスト教の礼拝堂に改装した結果、どこにでもある聖堂のようになってしまったことを悔いたとのことです。

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 金がふんだんに使われた宝物も陳列されていて、礼拝堂の内部であることを忘れてしまいそうでした。

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 極めつきは、黄金の間。安土桃山城の天守閣を復元した展示を見たことがあるのですが、そこには黄金の茶室があったことを思い出しました。金がふんだんに使われた宝物も陳列されていて、礼拝堂の内部であることを忘れてしまいそうでした。

 

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安土桃山城の「黄金の間」(2015年9月)

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 黄金の塔の前で、5人組張り切りレディ+Hitomiさんたちと一緒に記念写真。

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 メスキータを見た後、同じ歴史地区にあるユダヤ人街に出かけました。コルドバは、スペインの代表的な詩人、ガルシア・ロルカが「騎士の恋歌」の中で、「遙かなる孤独のコルドバよ!と謳いあげた町で、同時に「静かなるコルドバ」の異名も与えられた気品に溢れた貴族的な町です(地球の歩き方より)。ここはユダヤ人街。

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 かつてユダヤ人が住んでいたというユダヤ人街には、「花の小径」といわれる路地があります。細い路地の白壁には、ブルーの鉢に草花が植えられていて、白い壁によく映えていました。

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 いくつかの小径を散策しました。ここは何のお店かわかりませんでしたが、メスキータで見たのと同じイスラム・アーチになっていました。

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 このお店は、テーブルと椅子の感じからしてお茶するような所のようです。とても落ち着けるような雰囲気でした。

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 こちらは白い壁に鉢が飾られていて、まるで店内が外の路地のような雰囲気になっていて、とてもいい雰囲気でした。こんな所で、ワインをいただいてタパス(小皿料理)をいただいてノンビリできたらいいなあと思いました。

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 この日も強い日射しが降り注いでいて、誰もが日陰を求めて涼をとっていました。

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 ちょっとした自由時間ができましたので、現地ガイドさんと一緒にバールに入って、ビールで乾いたノドを潤しました。目の前にぶら下がっている生ハムブロック(プロシュート)が気になりました。

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 カウンターには何種類かの総菜が並んでいました。もう少し時間があればワインをオーダーして総菜をつまんでみたかったのですが、あまり時間がありませんでした。時間は短かったのですが、念願のバールに入ることができました。

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 大きな平鍋にはパエリアでしょうか、出番を待っていました。ここで食事をとってしまいますと夕食に差し支えかもしれませんでしたので、断念しました。

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 コルドバの歴史地域の散策を終えて、バスに向かいました。

 

初めてのスペインですが、ここまで訪れたマドリッド、トレド、コルドバなどの観光地の印象では、大聖堂などの宗教施設の豪華さや金がふんだんに使われていることに驚かされました。一方、このコルドバの町は雰囲気があってとてもいい町でした。個人旅行でゆっくり来ることができればいいのですが。

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2016年10月 2日 (日)

スペイン紀行08 ドライバー事情

9/11(日) ラ・マンチャ地域で風車を見てドン・キホーテの世界に触れた後、次の目的地へと向かいました。

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 10:55 風車を見学した後、再びバスに乗りました。眼下には、気象条件の厳しい大地で肩を寄せ合うように立っている街並みが広がっていました。ここでも暮らしている人たちがいて、それぞれの人生があるんだなあと思ったりもしました。

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 ラ・マンチャ地方は乾いた大地という意味ですが、バスが南下するにつれ褐色の大地には緑が目立ち始めました。緑の低木はブドウとオリーブで、スペインでのブドウの作付面積は世界一だそうです。

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 次の目的地のコルドバまではおよそ3時間半の道のりで、ラ・マンチャ地方の平原を抜けて、前方には小高い丘なども見えるようになってきました。

 

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 緑と褐色と青い空。絵のような世界が現れては後方に流れていきました。

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 バスはやがて山の中に入って行きました。スペインに来て初めて見る山の姿でした。

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 トイレ休憩を兼ねてドライブインで小休止しました。

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 どこのドライブインでもほぼ同じような店舗になっていて、レストランとお土産売場が併設されていました。ここではフラメンコ人形が目をひきました。

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 オリーブオイルにも種類がたくさんあって、パンの切れ端につけて試食できました。右側のオリーブオイルがとても美味しかったので衝動買いしてしまいました。

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 イベリコ豚の添乗員さんお勧めの生ハムがありましたのでこれも買ってしまいました。常温で日本に持ち帰ることができるとのことでしたが、スペインからの持ち出しは禁止ですし、日本への持ち込みも禁止ですが、お土産用に買ってしまいました。

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 長距離をずっと運転してくれている運転手さんにとっても、休憩はとても大事です。

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 小休止の後、バスはコルドバ目指して、延々と続く北海道のような景色の中を快走しました。

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 飲み友のN氏が焼酎(黒霧島)を持ち込んでいましたので、お裾分けに預かりました。ありがたい飲み友でした。

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 高速の沿道には白壁の目立つ小さな集落がぼつぼつと見られるようになりました。

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 14:27 風車の村を出発して3時間半、予定通りにコルドバの町に入りました。

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 バスを降り、レストランへと向かいました。日本ではかなり遅い昼食の時間ですが、スペインでは昼食の時間も夕食の時間も遅く、多くの人たちが食事をしていました。

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 私たちはオープンテラスではなく、店内に案内されました。

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 前菜はポタージュスープ。

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 メインは、ポークとハムを揚げたものですが、はっきりしない味で???した。

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 デザートのメロンは甘く、瑞々しくて美味しかったです。

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 昼食後、コルドバ観光に向かいました。コルドバはかなり暑いですよといわれていましたが、本当に暑かったのでした。

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 コルドバは、西暦1000年頃の王朝の首都で、イスラム時代の文化を伝える建築物や街路が残されています。メスキータ(モスク)やユダヤ人街を含む「コルドバ歴史地域」は世界遺産に登録されています。

 

観光バスの運転手さんは、運転時間や距離、休憩の時間など法律でかなり厳しく規制されていて、しかもコンピュータ管理されています。ちょっとでも違反すると大変な罰金を課せられ、スペインのバス運行管理は日本に比べるとかなり進んでいます。

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