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2016年12月31日 (土)

往く年来る年Ⅶ

10月京都

スペイン紀行が終わったところで、10/23(日)~27(木)の期間、京都~広島~鳥取へと行きました。紅葉シーズンには少し早いのですが、何となく旅に出たくなりました。

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 10/23(日) 嵯峨野の竹林は思うように歩けない人混みでしたが、真っ直ぐ伸びた緑の竹林は風情がありました。

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 今回是非行きたかったのが滝口寺でした。廃寺かと思ってしまうような佇まいです。まあこれはこれで風情があるともいえますが、お寺の中に他に見所や見物があるかといえば何もありません。小説「滝口入道」を知らなければ、300円の拝観料を払うのはもったいないと思います。私にとっては訪れる人がいないひっそりとしたしばしの時間、縁側に座って来し方を振り返る時間はとても貴重な時間です。ものの哀れを感じる秋には特に。

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 先斗町から八坂神社に向かった途中に花見小路があります。目指す旅館紫は、この通りを数十メートル行った先にありました。

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 花見小路の真ん中辺りを入った辻に目指すお宿はありました。最初は迷ったのですが、道がわかってくるとバス停から近いルートと京阪や阪急などの鉄道に近いルートがあって、いたってわかりやすく便利なところでした。

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 こちらが玄関で、千本格子を開けて入ります。こういう場所でこういう建物に入るのは初めてでしたし、ましてや2泊お世話になるところでしたのでドキドキしましたが、観光客が見ている中、千本格子を開けて入るのもちょっといい気分でした。

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 部屋は通りに面していて、すだれ越しに通りや道行く人たちを見ることができました。2連泊でしたので、女将さんからは夜寝ていて通りの人の声などが煩さかったら部屋替えしますといわれたのですが、夜の9時頃を過ぎるとパタッと人通りがなくなり、熟睡できました。

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 10/24(月)、京都での観光2日目、大文字山に登りました。山頂のちょっと手前、火床といわれるポイント、標高340m送り火前日から約15000本の護摩木の受付をして、大文字送り火の一部は、この無病息災など願いを書かれたこの護摩木を焚くそうです。ここからは京都市内を一望できました。逆に言えば、京都市内から真っ赤に燃える “大” の字を見ることがきます。

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 午後は義経が幼少期を過ごしたといわれる鞍馬山を歩きました。650万年前に金星から地球にやって来たという魔王尊が鞍馬山のここに降りたって、天狗のような姿をしているそうです。ここ奥の院魔王殿は、京都最強のパワースポットともいわれているそうです。

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 京都2日目の夕食はおばんざいの店「めなみ」で、予約が取りにくいといわれています。カウンターの前には「おばんざい」が並べられていました。隣の先客があれやこれや「おばんざい」について聞いて、2人の板さんが丁寧に説明していましたの参考になりました。初めての店でしたが、とても寛げる雰囲気でした。

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 「おばんざい」は日頃食べ慣れていませんので選ぶのが面倒で、「おばんざい盛り合わせ」と「ほうれん草ときのこのおひたし」をオーダーしました。どれを食べても美味しく、それぞれの素材の味と煮付けの味は絶品でした。日頃あまり食べない(好きでもない)厚揚煮一つをとっても、外はしっかりとして中は柔らかく、噛むと煮付けの美味しい汁が口の中にじわーっと広がり、思わず唸ってしまいました。

    

 

10月広島

 

10/25(火)、京都での23日の滞在と観光を終え、次の目的地広島へと移動しました。

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 広島駅で、ビジネス仲間でもあり友人でもある広島のMさんと岩国のママさんと合流しました。今年の5月に宮島で弥山登山して以来の再会となりました。

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 Mさんの運転する車で宮島行きのフェリー乗り場へ行く途中、広島カープ優勝記念電車に出会いました。広島市内には路面電車が走っています。地元球団広島カープがプロ野球セリーグで25年ぶりの優勝で、日本シリーズもマツダスタジアムでの2連勝で盛り上がっていました。残念ながら日本一は逃がしてしまいました。

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 フェリーに乗って宮島へと向かいました。宮島と宮島口を繋ぐフェリーは頻繁に行き来していました。

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 弥山に登りました。半年ぶり2回目の登山とあって、また岩国のママさんのペースにも引っ張られて、あっという間という感じで山頂に立ちました。

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 広島に行く大きな目的は3人で飲むことです。この日も岩国で発見したとびきり美味しい居酒屋に繰り出しました。

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 岩国のこの居酒屋「づぼら」に来るお目当てはこの “グリーンオイスター” です。前回初めて入ったこの店で口に含んだときは驚き、3人ともすっかりはまってしまいました。 “グリーンオイスター” はこの居酒屋が特許を取っていますので、この店でしか食べられないそうです。

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 2軒目に入った居酒屋は広島カープファンのお店のようで、盛り上がっていました。大型画面では、日本シリーズ第3戦(札幌球場)を中継していました。黒田が登板していていましたので盛り上がりは最高潮でした。

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 力投も空しく勝利投手にはなれず、この試合が最後の試合となりました。隣の新井選手はセ・リーグのMVPになりました。

 

10月鳥取

 

10/26(水)、広島で1泊し、鳥取へと移動しました。広島から鳥取へのアクセスはJRを使うルートとバスを使うルートとがあり、今回はバスを利用しました。

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 広島と鳥取を結ぶこのバス路線は、以前何回か乗ったことがあり、中国地方の山の中を横断する景色が楽しみでした。

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 この日はリコピン邸に泊まらせてもいました。リコピンのご主人様には申し訳なかったのですが、二人で山陰の海の幸を味わいに出かけました。ご主人様は自炊したそうで申し訳ありませんでした。

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 この居酒屋はリコピンのご主人様に教えていただいたのですが、予約が取りにくい店だそうで、刺身の盛り合わせ、海鮮サラダ、揚げ出し豆腐、白子の紅葉おろし、鶏のタタキ、どれをとっても美味しく、料理を味わいながら、リコピンはご飯を、私は日本酒を、話も弾み、6時入店で気がついたら10時になってしまいました。お酒を飲まない相手と4時間近く居酒屋にいたのは初めてでした。

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 初めての境港へ昼食を食べに行きました。境港は、水木しげるロードや記念館があり鬼太郎の里でもあり妖怪の町なのですが、それよりも日本海の海の幸を目指しました。行列ができる店ということでしたので、オープンの11:30ぴったりに到着すると一番乗りでした。

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 境港港に水揚げされた様々な魚が盛りつけられた海鮮丼とズワイガニの味噌汁のお勧め定食。堪能しました。

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 大山山頂近くに湧いていた雲もすっかり消えて、気持ちのいい秋の青空が広がっていました。絶好の登山日和でした。大山(だいせん)の登山口大山寺に参拝しました。

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 鳥取砂丘。あのくらいの丘ならすぐに行けるだろうと歩き始めたのですが、サラサラの砂に足を取られてちっとも進みませんでした。行って帰ってくるのにどのくらい時間がかかるのか見当がつかず、飛行機の時間もありましたので途中で諦めて引き返しました。

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  もしかして日本海の夕陽の前兆ぐらい拝めるのかと期待したのですが、雲はなかなか消えそうもなく、残念ながら諦めました。

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 今年は、リコピンとは4月に会津若松へ、5月には伊勢へと旅をしましたが、来年ものんちゃんを加えて3人で旅をすることを約束してお別れしました。すっかりお世話になり、普通の観光旅行とは違う旅を味わうことができました。

 

京都~広島~鳥取の45日の旅は終わりました。とても長かったような気がしました。それだけ密度が高かったのかもしれません。今回は、京都の宿「旅館紫」では親戚の叔母さんの家に泊まったような気がしましたし、広島と鳥取では友人宅にホームステイしたような気分でした。親戚回りをしたような感覚で、とても和みを感じた旅でした。広島のMさんや岩国のママさん、リコピンにすっかりお世話になりました。

 

忘年会

 

12月に入って、忘年会シーズンになりました。友人・知人や高校や大学の同窓生、自治会やご近所さんとの忘年会などがありましたが、旅で知り合った方たちとの忘年会は格別です。

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 20145月に「魅惑のトルコ10日間」というツアーに参加してAさんご夫妻と知り合いました。帰国してから、旅の情報を交換するうちに、いつの間にかAさん宅(横浜市内)に上がり込んで、昼間から酒盛ということになりました。奥様の手料理と旨い酒でいつも長居してしまうということが、大体2ヶ月に1回くらいの割合で今日まで続いているのです。美味しい奥様の手料理も、飲み出すと少食のわたくしのことですからいつも申し訳ないと思いながら忘年会(12/16)となりました。

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 2014.5.15カッパドキアの中心地「ギョレメ」で。容赦なく照りつけてくる直射日光と岩窟の圧倒的な存在感にいささか疲れました。Aさんご夫妻と熱血ガイドのカーンさんとアイスティーを飲みました。Aさんご夫妻とはこのときから行動を共にする機会が多くなり、優しいご主人と気さくな奥様とご一緒に楽しい旅となりました。

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 2014.5.16 首都アンカレで。19:10 食事は7時から。Aさんご夫妻との仲良し3人組?乾杯しました。旅を無事に終えつつあり、このホッとした、楽しそうな嬉しそうな顔。トルコのツアーは思い出がたくさん詰まった旅でした。この時の3人組の雰囲気が今日まで続いていることはとても楽しく嬉しいことです。

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 こちらはぐっと渋い雰囲気ですが、12/21に二人きり(いつもですが)の忘年会でした。Kさんとは昨年の5月に「大自然に魅せられる北欧4ヵ国周遊10日間」というツアーで知り合いました。Kさんもご夫妻で私たちも夫婦参加でした。Kさんは東京の超一等地在住のやんごとなき方の故か、ブログへの登場は厳禁になっているため、苦み走ったいい男をご紹介できないのは残念です。某出版社の編集者でしたので情報通で、2ヶ月に1回くらいの飲み会の居酒屋も全てKさんが決めてくれます。

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 食欲旺盛なKさんと少食の私ですが、私の少食を遠慮しているのではないかといつも気にしてくれるのですが、最近は大分慣れてきて、それぞれいろいろな話をしながらグイグイと飲むのでした。この日は、Kさんのオーダーはフグ刺しフグ唐揚げ、私はとなまこ酢と刺身盛り合わせでした。

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 北欧旅行中、Kさんと初めて口をきいたのはノーベル賞関係の情報などが展示されている「ノーベルミュージアム」(2015.5.23)を訪れた時ではないかと思います。それ以来、私がブログをしていると知って随分写真を撮っていただきましたが、Kさんの写真は厳禁でした。

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 ツアー7日目の5/28、ノルウェー・オスロ市内の観光を終え、デンマーク・コペンハーゲンへ向けてのクルージングで食事の時間となりました。多分、クルージングで最も楽しい時間だと思います。レストランはほぼ満席でした。この時は、右隣にKさんと乾杯し、ツーショットともなったのですが、シャイなKさんはブログには登場したくないということでしたので、Kさんの部分はカットさせていただきました。

 

トルコで知り合ったAさんご夫妻、北欧で知り合ったKさん、来年も2ヶ月1回のくらいの割合で楽しい一時を過ごすことができたらいいなあと思っています。

 

思えば今年は、モルディブで知り合った鹿児島のAsaちゃんやRyouko先生との十数年ぶりの再会もありました。

 

忘年会こそしませんでしたが、ヒマラヤで知り合ったマドンナさんや鈴木さんとの交流も続いていてありがたいことです。マドンナさんは雪深い北海道・旭川で新年を迎え2月から4月迄ネパールへ。九死に一生を得た鈴木さんとは、鈴木さんのリハビリが順調にいけば秋に最後のヒマラヤ挑戦に挑戦しようという約束もあります。新しい年がどんな年になるか楽しみです。今年お付き合いいただいた皆様に感謝しつつ新年を迎えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年12月30日 (金)

往く年来る年Ⅵ

9月スペイン

9/12(月) ツアー4日目、セビリア観光の後ミハスへと向かいました。目的地のミハスは、スペインの南端のアンダルシア地方・マラガ県にあります。

  

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 9/12(月) ツアー4日目、セビリア観光の後ミハスへと向かいました。目的地のミハスは、スペインの南端のアンダルシア地方・マラガ県にあります。

    

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 白い町といわれるミハスは、建物の外壁は全て真っ白です。これは強い太陽の光を跳ね返すために白い壁にしたそうです。

    

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 ミハスが紹介されるときの代表的な白い壁の通り。白い壁に太陽の光が降り注いでいて、ミハス観光は強い日射しと青空の日に限ります。スペインのアンダルシア地方の強い太陽光、白い壁の街を歩きながら、情熱の国スペインの雰囲気に浸りました。

   

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 ミハスにはピカソ通りがあり、ピカソ美術館がありました。入口にはピカソが座っていました。ピカソは1881年マラガで生まれましたが制作活動は主にフランスで行われ、91歳で亡くなりましたのでかなり長寿でした。

   

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 9/12(月) ミハスからグラナダに到着し、ホテルに落ち着いて夕食後オプションのフラメンコを見に出かけました。途中、路上ライブに出会いました。ギターの音と手拍子と歌声に合わせて、情熱的な踊りが展開されていました。初めての本場のフラメンコでした。激しい女性の動きと激しく地面を叩きつけるステップ、哀切のあるギターの音色が夕闇に響いていました。ジプシーという言葉が浮かんできて、これほど相応しいシーンはないかもしれないと思ったりもしました。

    

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 ギターと手拍子に合わせて歌と踊りが始まりました。こちらを睨みすえるような挑戦するような厳しい表情が印象的でした。ジプシーが辿ってきた厳しい道のりを表現しているようでもありました。

   

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 9/13(火) スペイン観光の目玉の一つ、アルハンブラ宮殿へと行きました。アルハンブラ宮殿は、滅びゆく王国が造ったイスラム建築の最高峰ともいわれています。キリスト教に政権が移ってから、キリスト教様式のデザインが加えられ、独特の雰囲気を醸し出しています。イスラム教徒を異端視しつつも、中世のヨーロッパはイスラムから医学、数学、化学など多くの知識を学び、建築もその一つといわれています。

   

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 滅びゆく王国が造ったイスラム建築の最高峰ともいわれています。キリスト教に政権が移ってから、キリスト教様式のデザインが加えられ、独特の雰囲気を醸し出しています。イスラム教徒を異端視しつつも、中世のヨーロッパはイスラムから医学、数学、化学など多くの知識を学び、建築もその一つといわれています。

   

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 パエリアは、米どころとして知られるバレンシア地方発祥の食べ物で、「パエリア」という言葉はバレンシア語で「フライパン」を意味するそうです。私たちツアー仲間分のパエリアができあがりました。これで何人分あるでしょうか。

  

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 9/14(水) バレンシアで一泊し、いよいよスペイン観光の最大の目玉、バルセロナのサグラダ・ファミリア観光に出かけることになったのですが。ドライバーさんの緊急入院という異常事態が発生してしまい、私たちは立ち往生してしまいました。作戦を変更して、レストランでの昼食を諦め、好きな食材を買って、バスで移動しながら食べるということになりました。それぞれ食材を仕入れてバスに戻ってみれば新しいドライバーさんはまだ現れず、私たちはバスの日陰で行儀よく並んで待っていました。

    

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 今やバルセロナでサグラダ・ファミリアに次いで人気スポットとなっているグエル公園を観光しました。グエル公園はガウディが設計したものです。ここはモニュメント階段といわれていて、このトカゲはグエル公園で一番人気の撮影スポットになっていました。

  

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 サグラダ・ファミリアは日本語に訳すと「聖家族贖罪教会」という意味になります。ガウディの建設群として2005年にユネスコ世界遺産に登録されました。サグラダ・ファミリアは、1882年に着工され、以来130年が経過しても工事が続けられています。

    

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 遠くからは背の高い建物だなあと思ったのですが、近づけば近づくほど巨大になってきて、人間がとても小さく見えました。波打つような壁面や溶け落ちたような装飾は、ガウディという人の芸術的天才性が感じられるのですが、何と表現していいかわかりません。ガウディは “私は創るのではなく(自然を)写している” と行っているのですが、それにしてもガウディの頭の中は我々凡人には計り知ることはできません。

    

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 ガウディが19世紀末に活躍したモデルニスモという芸術活動は、有機的な曲線と華やかな装飾が特徴といわれています。中でもガウディの自然をモチーフにした奇抜なデザインは当時から注目されていました。

   

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 ガウディがこの教会の建築を任されたのは1883年からで、まだ無名の31歳の時でした。以来1926年に73歳で亡くなるまでライフワークとしてサグラダ・ファミリアの設計・建築に取り組んだそうです。ガウディは詳細な設計図を残さないで、大型模型や、紐と錘を用いた実験道具を使って、構造を検討したとされています。

   

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 グエル観光とサグラダ・ファミリア観光でガウディワールドにどっぷりと浸かった後、ツアー最後の夕食となりました。目の前は地中海で、ここは海辺のレストラン、スペインに来る前に思い描いていた場所でしたので期待で胸が膨らみました。

    

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 目指すレストランに行く途中、道の両側には魚介類が並べられていて、益々期待は高まったのですが。

   

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 店先に並んでいた色とりどりの美味しそうな魚介類はどこへ行ったの? と思っていましたら、ようやくムール貝が出てきました。ツアーでの料理ですのであまり我が儘はいえませんでした。

   

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 夕食後、ライトアップされたサグラダ・ファミリアは夜空に浮かんでいるようでした。ちょっとワインを飲み過ぎて頭がも目もフラフラしていましたので余計幻想的に見えました。

    

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 9/15(水) ツアー7日目、帰国の途につく日となりました。先ずは、バルセロナから往路と同じ中継地のミュンヘンへと向かいました。ミュンヘンでトランジットし、羽田行きは 9/15(木)の現地時間16:00(日本時間23:00)でしたが、ミュンヘンを飛び立ってしばらくすると日本時間では9/16(金)0:49と日付が変わりました。

  

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 18:29(日本時間01:29)に夕食となりました。メニューは、日本人シェフが監修したとのことで、季節のミックスサラダ、茶そば、ビーフシチューなどで美味しく、酒(白ワインや赤ワイン)なども進みました。

    

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  02:01(日本時間) 翼の先に満月に近い月がかかっていました。機上お月見は初めてでした。そして予定より少し早く羽田に到着し、8日間のスペインの旅は終わりました。

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2016年12月29日 (木)

往く年来る年Ⅴ

7月伊勢神宮

7/10(日)~11(月)と伊勢神宮に参拝しました。

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 お伊勢参りのメンバーは、鳥取のリコピンとNPO法人スタッフののんちゃんと私の3人、4月に会津若松にお花見に行ったのと同じメンバーでした。7/9(土)の午後、リコピンが鳥取から来横し、前夜祭で居酒屋に繰り出しました。

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 五十鈴川にかかる「宇治橋」には、これから参拝する人と参拝を終えた人が行き交っていました。

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 皇室の御祖神であり日本人の御祖神であるといわれる天照大神が祀られている正宮。ここから先は撮影禁止です。参拝の礼法に従ってお参りしました。

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 のんちゃんと私は伊勢神宮には何回も行っているのですが、今回のお伊勢参りは、一生に一回は伊勢神宮に参拝したいというリコピンのリクエストに応えたものです。スピリチュアル系のお二人は、境内の木の霊気を受け取っていました。いいことがありますように!

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 伊勢神宮(内宮)に隣接して「おかげ横丁」があります。日曜日のちょうど昼時でしたので、賑わっていました。美味い伊勢うどんを食べるならこの店です。一押しです。

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 伊勢にも天の岩戸があるというので訪ねました。説明書きによるとこの辺り一帯は高天原というそうで、八百万の神が集まりそうな雰囲気でした。

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 天照大神は、ここに隠れたのか? 高千穂の天の岩戸は川の向こう側の樹々の中でまったく様子はわかりませんでしたが、ここでは覗くこともできました。

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 境内の脇には小さな滝があり、水垢離(水行)の場となっていました。二人は、しばらくの間、霊気を取り込んでいるのか様々な動きをしていました。

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 鳥羽市相差(おうさつ)町は、伊勢神宮から車で30分くらいの港町で、全国有数の海女さんの町です。海女小屋で、写真を撮らしていただいていいですかと言ったら、他の海女さんも呼びに行ってくれました。夫一人養うという心意気からして、もっと気性が荒いかなと思ったのですが、海女さん達はとても優しくチャーミングでした。

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 宿は「花のお宿 十兵衛」。海辺の宿ですので、食卓にはヒラメや伊勢エビや海女さんが獲ってきたアワビなどが並んでいました。食前酒で乾杯。二人はお酒はあまり飲みません。飲めるともっと楽しいのですが、飲めなくても十分賑やかでした。

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 鳥取に帰るリコピンは鳥羽駅から近鉄特急に乗るということでここでお別れでした。名残のつきない二人でした。のんちゃんと私はここから500kmくらいのドライブで横浜へと戻りました。

9月スペイン

 

9/9(金)~9/16(金)の8日間スペインに行きました。ヨーロッパの他の国には何回か行ったことがあるのですが、スペインは初めてです。羽田発12:35のルフトハンザ機でミュンヘン経由でマドリッドに到着予定です。ミュンヘンまでのフライトは12時間とのこと。

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 ミュンヘンまでの航路は、日本列島を北上し北海道沖からロシア領を経由しました。

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 最初のスペイン料理はマドリッドで、 ごく自然に羽田からの飛行機で隣り合わせて飲み友となったN氏と同じテーブルについて乾杯ということになりました。N氏とは、この後の行程でほとんど同じテーブルについて一緒によく飲みました。

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 9/10(土) スペインの首都マドリッドに到着し、最初に訪れた観光地はスペイン広場でした。ドン・キホーテとサンチョ・パンザの像があり、その後ろには「ドン・キホーテ」の著者のセルバンテスが座っていました。

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  トレドは “スペインに1日しかいられないのならトレドに行けと” といわれている町です。スペインの首都マドリッドから南に71kmのトレドは、1561年に首都がマドリッドに移るまで、政治や経済の中心として栄え、当時の面影を残すところから “16世紀で歩みを止めた街」とも称されています。

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 9/11(日) マドリッド二連泊して、長旅の疲れを癒やしつつたっぷりと観光した後、ラ・マンチャ地方へと南下しました。高台には5基の風車がありました。この風車は、かつては粉ひきに使われていたものですが、現在は「ドン・キホーテ」の舞台になったことから観光用に保存されています。

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 乾いた大地という意味のラ・マンチャ地方から次の目的地のコルドバまではおよそ3時間半の道のりで、ラ・マンチャ地方の平原を抜けて、前方には小高い丘なども見えるようになってきました。このツアーでは、バスでの長距離移動がたくさんありました。

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 メスキータは、コルドバのシンボル的な建物で、メスキータとはモスクのことですが、イスラム教徒キリスト教の争奪戦の舞台になりました。その結果、勝利したキリスト教がイスラム寺院を教会に使っているという珍しいものです。

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 トレドの大聖堂で見たのと同じ聖体顕示台。ここでも大量の金が使われていました。

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 黄金の塔の前で、5人組張り切りレディ+Hitomiさんたちと一緒に記念写真。

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 かつてユダヤ人が住んでいたというユダヤ人街には、「花の小径」といわれる路地があります。細い路地の白壁には、ブルーの鉢に草花が植えられていて、白い壁によく映えていました。

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 ちょっとした自由時間ができましたので、現地ガイドさんと一緒にバルに入って、ビールで乾いたノドを潤しました。一度は入ってみたいと思っていたバルでした。

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 行程を振り返ってみると、マドリッドで連泊し、途中トレドに寄り、ラ・マンチャ地方を経由してコルドバに着き、コルドバからセビリアに向かっています。スペインを縦断する形になっていて、バルセロナには最終日に到着予定でした。

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 9/11(日) この日の最終目的地セビリアに向けて出発しました。これで何頭目の牛でしょうか、高さ14mのオズボーンの雄牛。オズボーン社はシェリー酒の醸造会社で、1956年から設置し、当時はもっと小さかったのですが、道路から150m以内の広告活動が禁止されたためにこの大きさに変えたそうです。

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 マドリッドに到着して夕食。嬉しかったのが、N氏と私の飲み友グループに酒豪のママさんが加わってくれたこと。ママさんの息子さんもN氏と同じくらい酒豪のようで、飲み友が4人となりすっかり盛り上がり、長旅の疲れも忘れました。

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 セビリアで最初に出かけたのがスペイン広場でした。ここは1929年に万国博覧会の会場施設として造られたものです。 このスペイン広場は世界一美しいといわれています。またここでは「アラビアのロレンス」や「スター・ウォーズ」の撮影の舞台にもなりました。

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2016年12月28日 (水)

往く年来る年Ⅳ

5月広島・九州周遊

5/7(土)から5/13(金)の7日間、広島を経由して九州に渡り、鹿児島まで縦断するという広島・九州周遊の旅に出発しました。広島での楽しみは2年ぶりとなる親しい友との再会でした。

5月広島

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 5/7(土) 広島の仲間と2年ぶりに再会して宮島に向かいました。フェリーが港に着くと大急ぎで鳥居の処まで行きました。この日は大潮で、しかも時間帯は干潮。

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 弥山の山頂で。岩国のママさんは、富士山に登頂したときと同じくらい元気で、ノリがいい人なのです。

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 厳島神社の本殿に参拝しました。正面には緑青塗りの引き違いの菱形の格子戸がはめられた本殿には “三女神” が祀られています。この美しさは、縦と横の直線が織りなす機能美というのでしょうか。

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 5/8(日) 宮島での登山を終え、岩国のママさんのサロンに宿泊させていただいて、次の目的地九州・博多へと向かいました。Mさんと岩国のママさんも一緒に、3人でドライブがてら博多へ。宮島観光のガイドと博多までの運転をしてくれたMさんもようやく大好きなビールを飲めるようになりました。

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  何となく見覚えのある顔が、博多のももちゃんでした。2年前に仕事で博多に来たときにここ稚加栄で飲んだときのことを思い出しました。

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 2014.2撮影) 前回、この店に来たときお相手をしてくれました。嬉しいことにその事を覚えていてくれました。毎日たくさんのお客さんと対応していてしかも2年前のことを覚えていてくれるなんてちょっと感激でした。その時は、見送ってもいただきました。

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 台風の影響でJRが普通になるなどのトラブルに見舞われながら、レンタカーを借りて何とか高千穂峡に着きました。辺りには人影が見えず、霧雨が降っていて、深閑とした雰囲気はとてもいいものでした。

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  「西宮本殿」ではお祓いを受けました。この本殿の裏側に天岩戸があり、お祓いを受けた後裏手へと入ることになっていました。この本殿の裏側に入ったらカメラ撮影は絶対にダメと念を押されました。

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  天照大神が天岩戸に籠もったとき、八百万の神が集まったといわれる「天安河原(あまのやすがわ)」。鳥居の内側から洞窟の表の方を見ると、“なるほど、ここに八百万の神が集まったのか” 。

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 5/9(月) ホテル高千穂に宿泊し、「高千穂の夜神楽」を見ました。夜神楽には33番(テーマ)あり、本来の夜神楽はその33のテーマを夜を徹して舞うそうで、踊り手も大太鼓を叩く人も見る人も大変そうです。舞台では、手力雄が岩戸を取り除い天照大神を迎え出そうとしていました。

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 最後に夫婦円満の舞いとなり、イザナギとイザナミがそれぞれ好みの女性や男性に言い寄り、それぞれがヤキモチを焼くといったシーンが何回か繰り返されましたが、最後は夫婦円満でした。

 

5月鹿児島

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 5/11(水) 待ちに待った霧島登山の日となりました。前日の雨は上がり、天気は回復に向かうという予報でしたが霧の発生が心配されました。登山口への道がわからなくて困っていたところ、霧島神宮前派出所のお巡りさんがパトカーで誘導してくれました。

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 おまけに霧島山頂まで連れて行ってもらうことになりました。お巡りさんは、時々振り返っては “急がないでマイペースでいいですよ” と言ってくれるのですが。油断をしているとすぐに霧の中に入ってしまい、ついて行くのが大変でした。

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 ここが高千穂峰の山頂、ゼーゼーいいながら着きました。山頂は霧がすっかり晴れていました。高千穂峰は坂本龍馬がおりょうさんと二人で登った山で、それが日本で最初の新婚旅行とも言われています。坂本龍馬が引っこ抜いたという逆鉾が天を突いていました。

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 下山の途中に初めて、登ってくる人に会いましたので、お巡りさんとのツーショットの写真を撮らせてもらいました。

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 日本最南端の駅・西大山“で6年前(20106月)Tomoeさんに出会いました。その時には小雨のために開聞岳を見ることができませんでしたが、2回目の今回は見ることができました。Tomoeさんは、今頃ママさんになっているのかなと思っています。

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 霧島を6時半頃出発して3時間半くらいで枕崎駅に着きました。終着駅は始発駅でもあり、始発駅は終着駅でもあります。指宿・枕崎線の枕崎から宗谷本線稚内駅までの距離は3144.5kmとのこと。

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 1998年にモルディヴで出会って、その後十数年前にご夫妻と1回、10年くらい前に朝ちゃんと1回会っていますので、朝ちゃんとは10年ぶりの再会ということになりました。再会するまでは心臓がドキドキしていたのですが、乾杯してすぐにリラックスして友達気分となりました。

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 5/13(金) 7日間の広島・九州周遊も最後の日となりました。前日久しぶりの再会で盛り上がり、かなり飲んでしまったのですが、朝ちゃんは颯爽と愛車、それも外車でホテルに迎えに来ていただきました。

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  朝ちゃんの運転で桜島一週、桜島観光で一番気になっていたのが降灰でした。朝ちゃんはしっかりと準備してきていました。風向きによっては大変なときもあるし灰がたくさん降るときもあるし、今の時期は比較的大丈夫とのことでした。

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  ずーっと車を運転していただき、飛行場まで送っていただきました。いくら感謝しても感謝したりません。そしてお別れがやってきました。

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 朝ちゃんは、11/1611/24の期間スペインに行っていました。国際結婚をしてスペインに嫁いでいる妹さんと姪っ子さんに会いに行ったとか、今年の2月に次いで今年2回目のスペイン行きでした。11/24 エールフランス274便で19:25羽田着ということで、国際線ターミナルへ出迎えに行きました。スペイン・マラガ~パリ~羽田というルートで、予定より少し早く到着しました。鹿児島に戻れば仕事が待っているということで、帰路はビジネスクラスで戻ってきたせいか長距離フライトにもかかわらず元気そうな顔で、たくさんの荷物と共に到着ロビーに現れました。今年の5月に鹿児島でとてもお世話になって以来半年ぶりの再会でした。

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 羽田からは国内線に乗り換えて鹿児島に戻りますので、この日は空港内のホテルに宿泊しました。ホテルにチェックインした後、無事の帰国をお祝いして乾杯しました。好物の生ハムをお土産にいただきました。いろいろ土産話も聞きたかったのですが、長旅で疲れているようでしたので30分くらいお話をして別れました。翌日(11/25)羽田発10:15発に乗って12:10無事に鹿児島に到着しました。束の間の再会でした。

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2016年12月27日 (火)

往く年来る年Ⅲ

4月京都トレイル

   

3/31(木) 京都トレイルに出かけました。今まで何回となく京都には出かけているのですが、「京都トレイル」という歩き方があることを初めて知りました。

 

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 京都に行ったときは最初に伏見稲荷にお詣りすることにしています。「京都トレイル・伏見稲荷コース」は伏見稲荷が起点となっていました。

 

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 日本を訪れる外国人観光客が最も訪れたい場所が、伏見稲荷の千本鳥居だそうです。赤い鳥居が連なる空間は神秘的ですし、パワースポットがイメージされます。

 

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 いつもは千本鳥居を抜けてから戻るのですが、今回はガイドブックに従って更に山奥へと歩きました。展望が開けた場所に出て、京都市内を一望できたのですが、花曇りで気温も高めのために春霞状態で、東山三十六峰は霞んでいました。こういう場所から京都市内を眺めたのは初めてでした。

 

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 初めての京都トレイルで伏見稲荷コースを歩いた後、祇園を中心とした定番のコース「祇園コース」(勝手にコース選定して勝手に名付けたものです)を歩きました。高瀬川に沿って咲いている桜は年々見事になるようです。ちょうど満開の時期を迎えたようでした。

 

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 花見の時期に重なるように、4/130の期間「都をどり」が開催され、京で最も華やかな時期となります。

 

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 哲学の道には、桜が満開状態でした。哲学の道を改めて歩くのは初めてでした。哲学の道といえば、思索に耽りながら歩くひっそりとした道をイメージしていたのですが、これほど華やかな桜並木があるとは思いませんでした。

 

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 「京都トレイル・大文字コース」は 、銀閣寺の脇を抜けていくコースです。折角ですので久しぶりに銀閣寺を拝観しました。肝心のトレイルは雨が降り止まず、危険ですよといわれましたので諦めました。

 

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 花見の時期の京都では宿が取りにくく、京都からJR琵琶湖線で1時間の長浜市内のホテルに宿泊しました。長浜市は豊臣秀吉が琵琶湖湖畔にお城と共に築いた町で、毎年4月に “長浜曳山まつり” や “こども歌舞伎” が行われています。好きな町の一つです。

 

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 琵琶湖畔には秀吉が築城した長浜城があり、長浜城は長浜城豊公園の中にあります。豊公園も桜が満開で、雨に濡れていて、訪れる人もほとんどなく、ひっそりとした一人花見でした。

 

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 4/2(土)は、「京都トレイル・神明山コース」を歩きました。しばらく琵琶湖疏水に沿って歩きました。琵琶湖からひかれたこの水路は、京都にとっては水源であると同時に運搬ルートでもありました。

 

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 山道は傾斜を増してきて、石段となり、登山らしい雰囲気になってきました。花見客の賑わいから少しずつシーンとした静寂な世界になりました。

 

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 神明山コースの終着は南禅寺です。南禅寺は誰でもが知っているような有名なお寺で、臨済宗南禅寺派の大本山で、日本最初の勅願禅寺であり、京都五山、鎌倉五山の上におかれる別格扱いのお寺です。日本の全ての禅寺の中で最も高い格式を持っています。

 

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 南禅寺の門前から蹴上駅方向に向かうと琵琶湖疏水博物館があり、疏水水上から花見ができる遊覧船が出ていました。この時は、予約制で3時間待ちとか。

 

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 南禅寺の先、瓢亭の隣の無鄰菴で1996年の12月にモルディブで出会った小学校の先生と20年ぶりの再会を果たしました。

 

 

4月会津若松

 

 

 

4/10112日間、鳥取市から知人(リコピン)が10年ぶりに横浜に来ました。私が無料ボランティア(理事長)で関わっているNPO法人(訪問介護事業所)の現場責任者(ケアマネ)ののんちゃんと3人で会津若松に行きました。

 

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 4/10(日) 横浜を出発し、東北自動車道を経由して会津西街道を走りました。会津西街道と並行して会津鉄道が走っています。会津鉄道の湯野上温泉駅の駅舎は、日本で唯一茅葺き屋根だそうです。

 

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 この日の目的地は会津若松市内の温泉で、途中には大内宿という江戸時代の宿場町があります。茅葺き屋根の古民家が並んでいて、最近人気が出てきている宿場です。

 

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  初めて目にする名物の “ねぎそば” にリコピンとノンちゃんの二人は興味津々。 “ねぎそば” は、その名の通りネギを箸代わりにしてソバを食べながら、薬味代わりにネギをかじるというものです。

 

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 大内宿で昼食をすませた後、宿に入るにはまだ時間が早かったので鶴ヶ城へと向かいました。鶴ヶ城のお濠には桜がこぼれるように咲いていました。東日本大震災から5年、これからいつまでも安心して満開の桜を愛でることができる年が続くことを願わずにはいられませんでした。

 

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 鶴ヶ城の桜は満開で、会津若松市の皆さんや観光客がどっと繰り出していました。東日本大震災から5年、これからいつまでも安心して満開の桜を愛でることができる年が続くことを願わずにはいられませんでした。

 

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  会津若松市の鶴ヶ城などを見物して、東山温泉・庄助の宿に着きました。3人旅は10年前に松江に行って以来です。

 

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 ロビーの一角にはきき酒セットが冷やされていて、いつでも飲むことができます。庄助の宿の由来は、 酒飲みとして知られている小原庄助さんがこの宿の温泉を愛したことに由来しているそうです。酒飲みの宿です。

 

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 湯川という清流を見ながら、清流の音を聴きながらの露天風呂もあります。

 

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 二人は、会津の伝統料理をベースとした創作料理、食べ切れなさそうな料理を豪快に完食。

 

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 4/11(月) 朝食会場で。酒飲みの宿なのですが、女性へのサービスを重視している結果、宿泊客の8割くらいが女性でした。

 

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 朝食は、地産のものを中心にいろいろあり、ついつい取り過ぎてしまいましたが、胃への負担は少ないものばかりでした。

 

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 北欧に同行したKさんから東山温泉には「向瀧」という趣のある旅館があると教えてもらいました。「向瀧」は、庄助の宿から100mくらい先にありましたので、ちょっと寄ってみました。明治6年創業とのことで、築140年以上の建物だそうです。旅館という枠を越えた貴重な建築物といえます。

 

先日「聖(さとし)の青春」という、28歳で亡くなったある棋士(村山聖)の映画を観ましたら、ここ「向瀧」を舞台に羽生名人との名人戦が行われ、闘いが終わった後二人きりで居酒屋に入りしみじみと語り合うシーンがあり、いたく感動しました(戦績は羽生名人の86敗)。これも今年の一つの思い出でした。

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2016年12月26日 (月)

往く年来る年Ⅱ

2月 パタゴニア②

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 2/9(火) この日の宿泊先のホテルへはゴムボートで川を遡りました。秘境探検的な雰囲気でした。

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 ここはパイネ国立公園の中心地で、パイネのホテルには3連泊し、ここから氷河見物に行ったりハイキングへとでかけました。贅沢なリゾートライフでした。

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 部屋からもベランダからもパイネ山群の刻々と変わる光景を見ることができ、空の色や雲の動きを見ているだけで飽きませんでした。しかし、風が強過ぎて数分しかベランダには出ていられませんでした。

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 2/10(水) かなり強い向かい風の中、グレイ湖クルージングへと出かけました。出航して30分も経たないうちに、大きな氷河がゆったりと流れていて、その先には白くキラキラと光っている氷河が見えました。

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 船は、氷河に近づいたところで減速しましたので風当たりも大分弱く感じました。

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 遠くからはのっぺりとした一枚岩のように見えたのですが、あちこちに割れ目があり、一枚岩でありませんでした。所々に崩落して、流氷となる寸前の姿も見られました。

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  午前中見た圧倒的な迫力のグレイ氷河、感動が覚めやらないままにパイネの爪へと向かいました。夢に描いていたパタゴニアの大地と風の道が続き、立っていられないほどの風の道をズンズンと歩きました。前方右手に “パイネの爪” が見えてきました。

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 湖の畔、無風地帯のような所で一休みしました。強風の中頑張ったねとバンザイ!記念写真を撮りました。

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 パタゴニアは風と氷河の大地といわれていますが、氷河のおかげなのか、豊かな水にも恵まれた大地です。ホテルから出かけるときに毎日見た景観、最も好きな景色でした。

 

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 2/11(木) 湖畔ハイキングに出かけた山の中で、バスはガクンと揺れて急停止しました。見事なパンクで、それもダブルで。二本のタイヤが一度にパンクするという滅多にないトラブルが発生しました。まさかパタゴニアの山奥でパンクするとは、スペアタイヤはないし、ピンチでした。

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 ホテルに戻って、自分の部屋で一風呂浴びて、ベッドにひっくり返って、パイネ山群にかかる雲の動きを見ているのが最高でした。

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 2/13(土) フィッツロイを間近に見ようとハイキングに出かけたのですが、天気があまり良くなく、予想通りフィッツロイは雲の中、気勢が上がらないまま下山しましたが、気持ちは美味しいビールに向かって気もそぞろだったのです。探していたてづくりビールの醸造所がようやく見つかりました。いかに、もこだわっていますという顎髭のおじさんがニッコリと微笑んで写真撮ってイイヨと言ってくれました。

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 先ずはお目当ての出来たててづくり生ビールで乾杯、幸せそうな顔をしています。この店は、飲んべえのS氏が仕入れてきた情報によるもので、パタゴニアに何年も通っている情報通が是非にと勧めてくれたそうです。持つべきものは情報通の友です。

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二杯目は、他のテーブルの人が飲んでいた黒ビールを指さしてオーダーしました。ウエイトレスさんも、はち切れそうな笑顔で、こちらもハッピーな気分になりました。

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 2/14(日) ツアー12日目は、氷河クルーズと氷河トレッキングの予定でした。氷河クルーズのベースとなっているビエドマ湖へと向かいました。途中、フィッツロイが目の前に、ビーグル号航海の時の船長の名前から付けられ、名峰と謳われていて、アウトドアブランド・パタゴニアのロゴマークのモチーフにもなっています。

 

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 このビエマド氷河は、長さ70km、表面積100km2、氷河全面の高さ50m、末端の幅は2kmで、パタゴニアで一番規模の大きな氷河で、この一部を歩くだけで道に迷いそうでした。

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 強い風によって削り取られた山肌の土によって表面が黒くなった氷河です。それでもブルーの色が浮き出ていて、美しい景色なのですが、進むにしても、ましてや近づいたら危ない道です。

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 私たちは、 エェッー! といいながらも、すっかりアドベンチャー気分になって入って行きました。中は、透明感のあるキラキラしたブルーの壁一面で、神秘的なのですが、足下には冷たい水が流れていて、壁もツルツルで手掛かりがなく滑りやすく、バランスをとるのが難しく、短い距離でしたがビッショリと汗をかいてしまいました。

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 山肌の土が少ないところで、ガイドさんが綺麗な氷を分けてくれましたので、持参したウィスキーでオンザロックを。氷がプチプチと音を立て、スッキリとした飲み口でした。

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 2/15(月) ツアー13日目、湖畔のプチホテルをベースに氷河見物に出かけました。今回のツアーで最後の観光スポットです。氷壁の近くを遊覧船が浮かんでいました。お昼になり、気温が上昇したために崩落の頻度が高くなりました。近くで落ちる瞬間を見たり、轟音を聞いたりしたらさぞかし迫力があることでしょう。

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 2/16(火) ツアー14日目、ブエノスアイレスでの夜、希望者にはオプションでタンゴショーがありました。本場のタンゴをライブで見たいと思っていましたので参加しました。ライブショーが始まりました。最初に登場したのがバンドネオン奏者の二人。バンドネオンはタンゴには欠かせない楽器で、現在この楽器を奏ける人は世界的にも少なく、日本ではほんの数人だそうです。

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 目の前で展開される華麗なステップとタンゴのメロディーに、あっという間にタンゴの世界に引き込まれてしまいました。

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 タンゴ発祥の地ボカ地区のカミニート地区。街角の小さな舞台でタンゴを踊っていました。劇場で見るタンゴとはまた異なった趣がありました。

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 2/17(水) ブエノスアイレスで最後の観光をした後、リオデジャネイロ経由でドバイへ、ドバイから成田へと地球の反対側への長いフライトが始まりました。 現地時間20:23  搭乗する飛行機は往路と同じエミレーツ航空でした。先ず、ブエノスアイレスからリオデジャネイロまで3時間、リオで2時間の機内待機、リオからドバイまでが14時間のフライトでした。19時間飛行機の中に居ることになりました。ドバイから成田までは9時間25分で、ブエノスアイレスからドバイまでの19時間に比べれば楽なものでした。疲れはあまり感じていませんでした。

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 今回のルートは、成田からドバイを経由してアフリカ大陸と大西洋を越えてアルゼンチン・ブエノスアイレスまで30時間という長距離移動でした。添乗員さんの話では、世界一距離の長いフライトとのことでした。昨年の11月に南米ペルー・マチュピチュに行った時は成田からサンフランシスコとロスを経由してペルー・リマまで19時間のフライトでした。昨年は東に向かい、今年は西に向かってともに地球の反対側に到達しましたので、往復では地球を2周したことになりました。

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2016年12月25日 (日)

往く年来る年Ⅰ

2016年、今年も1年間が終わろうとしています。気の向くままにあっちこっち足を延ばしている間に1年が過ぎ去ろうとしています。 思えば遠くに来たもんだ ではありませんが、今年もあちこちフラフラした足跡を思い出して1年の締めくくりにしたいと思っています。

 

1月 みちのく秘湯巡り

1/573日間、「みちのく三大秘湯巡り」(旅物語)というツアーで秘湯といわれる温泉に出かけました。昨年も1月に3日間の日程で、津軽三味線を聴きに青森に行きましたので2年続けての新年東北ツアーとなりました。

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 1/5(火) ランプの宿に到着したのは夜、ランプの明かりだけの世界に目を慣らしつつ、おっかなびっくり宿にチェックインしました。

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 浴槽は檜造りで、湯煙の先にはランプの明かりがあり、格子窓を通して雪景色をみることができました。

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 温泉に浸かりながらの雪景色、この時期ならではでした。これも至福の時間。

    

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 1/6(水) 五所川原市の「立佞武多(たちねぶた)の館」に寄りました。立佞武多の高さは約23m、重さ19トンというビル6階分の高さのものを建物から外に出すのも一つの見物です。

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 津軽鉄道の津軽五所川原駅からストーブ列車に乗りました。

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  窓の外は、一面真っ白の世界で、場所によっては地吹雪体験ができる場所もあるそうです。

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 イケメン車掌さんが時々ストーブの様子を見に来て、石炭を補給したり、いくつかの仕事を兼務していますので結構忙しそうでした。

   

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 ストーブに温まりながら、日本酒は「ストーブ酒」、刺身はイカとホタテでしめて300円。イカもホタテも本当に美味かった。

    

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 金木町には太宰治の生家「斜陽館」があります。「斜陽館」は、太宰治の父親が、明治40年に当時のお金で約4万円の大金をかけて造られました。宅地約680坪の豪邸です。

    

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 「津軽三味線会館」では津軽三味線のライブが行われていました。20分という短い時間でしたが、バチを激しく叩きつける生の音に聞き入りました。目をつむって聴けば雪がこんこんと降りしきる様が目に浮かんできました。昨年の星野リゾート「青森屋」でのライブに続いての鑑賞でした。

    

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 「不老ふ死温泉宿」にチェックインして、取るものも取りあえず温泉へと向かいました。「不老ふ死温泉」は、ホテルの建物から100mくらい先の日本海に突き出るようにありました。

   

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 この「不老ふ死温泉」は混浴ですが、海に面して右側に女性専用の露天風呂があり、男性専用のはなくて混浴となっていました。私たち男性が気持ちよく温泉に浸かって暫くしてから6人の女性軍団がドヤドヤキャーキャー言いながら(但し、バスタオル着用)入ってきましたので、私たちは温泉の片隅に身を寄せ合いました。

   

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 3つめの温泉、乳頭温泉郷の「鶴の湯」は雪に埋もれていました。

    

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 乳頭温泉は、渓流沿いによしずが張られていて、その内側が混浴露天風呂になっていました。温泉の色は乳白色というか濃いめのミルク色でした。深さは腰の下と膝の中間くらいで、立って歩くとスッポンポン状態となります。男性だけの時は、立って移動していましたが、ツアーの女性軍が入ってくるとしゃがんで移動ということになりました。

  

  

2月 パタゴニア①

   

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 正月気分も温泉気分も抜けた2/3(水)  “風の大地と氷河のパタゴニア” への17日間の旅に出かけました。日本からは地球の裏側までの今までで一番長距離移動の旅でした。

    

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 成田~ドバイ12時間、ドバイまでは一人旅でした。ドバイ~サンパウロ14時間30分、サンパウロ~ブエノスアイレス(3時間20分)、合計30時間のフライトで。サンパウロまでは入国・出国が一切なく、機内待機とトランジットがあるのみです。一眠りした後目覚めるともう目的地のドバイに大分近づいていました。出発してから10時間近くが経過していました。

 

 

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 2/5 成田を出発して何十時間経過したのか、もうどうでもいい気分になってとにもかくにも世界最南端の町アルゼンチンのウシュアイアに着きました。パタゴニア氷と風の大地を踏みしめました。とても強い風が吹きつけてきましたがそれ程の寒さは感じませんでした。

    

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 世界最南端の町にある世界最南端の郵便局は、海辺にはり出た桟橋の先の小さな小屋でした。

    

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 最も興味があったのがどんな人が働いているのだろうかということでした。白い顎髭を生やしたいかにもという感じのおじさんというかおじいさんというか。日本へ出したいというと、電卓で$払いの金額を素早く計算してくれ、実に手慣れたものでした。奥にもう一人若い局員がいました。

    

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 パタゴニアを南極点を中心にして天空から見ると、南極に最も近いところです。

   

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 パンアメリカンハイウェイは、ここアルゼンチンの最南端の地から南北アメリカを貫いてアラスカにいたる幹線道路です。アラスカから17,848km、ここはパンアメリカンハイウェイの終点であり、始まりの場所でした。 “ここで地果て道が終わる” 場所でした。渺々と風が吹き抜けていて、遂にここまで来たかととても感慨深く思いました。

    

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 2/6(土) ビーグル水道は180年前にダーウィンが通った海路、この日の天気は無風快晴と絶好のクルージング日和でした。

    

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 遠くからごま粒のよう見えたのは「マゼランペンギン」の群れでした。よく見ると一羽一羽はそれぞれ自分の周りに一定のスペースを確保していました。 一羽一羽をよく見ると、首をかしげたりボンヤリしていたりと人間と同じように個性があるようで可愛いものでした。

   

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 2/7(日) チリとアルゼンチンとの国境での検査は厳しく、チリ側に入国する手続きはかなり厳しそうでした。私たちの一台前の観光バスでは、荷物が全部下ろされ、麻薬犬が荷物の一つ一つ、車内にまで入って検査が行われていました。私たち日本人はほとんどノーチェックでした。

   

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 国境を越えてチリの平原を走り、ようやく海に突き当たりました。これがマゼラン海峡。マゼラン海峡は、マゼランが1520年にここを通り、約660kmの海峡を40日間かけて通り抜け、太平洋と大西洋を繋げる海峡であることを発見したものです。どういうわけか私たち日本人には馴染みのある海峡です。

    

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  パンアメリカンハイウェイを北上して、マゼラン海峡を越えてブンタ・アレーナスという町に落ち着きました。昼食の時間となり、町で一番美味しいという肉専門レストランに繰り出しました。ここでも店頭に生後56ヶ月の子羊1頭丸ごと焚き火焼きがありました。

 

 

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2016年12月24日 (土)

ヒマラヤ回想Ⅱ10 ヒマラヤそば・帰国

1/5(木)、空港までの車もネパールバンダ(強制ゼネスト)の影響で車が使えず、ホテルに預けておいた重いスーツケースを引きずって歩かなければならないかと心配したのですが、幸いホテルの車が動いてくれてホッとしました。

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 11:02 ポカラ空港では、カトマンズ空港が視界不良のため飛行機は飛んでいませんでした。ネパールの国内線で待たされるのには大分慣れました。この頃カラパタール(5,545m)に行った高橋隊とゴーキョ(5,483m)に行ったマドンナさん達もルクラからカトマンズへと飛ぶことができず、結局まる一日足止めをくったとのことでした。

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 11:47 予定のフライトは11:30で、乗客は益々増えてきました。間もなく次々と飛行機が飛んできては飛び立っていきました。

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 13:57 無事カトマンズについて、何はともあれ日本人観光客の定番コースになっているサンセットホテルにある“ヒマラヤそば”に。天ぷらソバコースを頼みました。先ずそばがきが出てきました。タサンビレッジの夕食で、そばがきがメインディッシュで出てきたことを思い出しました。熱々のそばがきでバターを包み込み、つけ合わせの肉や野菜とともに食べた味は初めてで、とても美味しく感じました。

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 14:14 次に天ぷらが出てきました。ある人がこの天ぷらを食べてお腹をこわしたと聞きましたので躊躇したのですが、もう帰るだけですから思い切って食べました。特に問題はありませんでした。

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 14:27 ソバはお代わり自由ですので、遠慮なくお代わりしました。

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 14:51 タサンビレッジとサンセットホテルの社長は、日本人のような顔をしていますが、ネパール・タカリ族出身で奥様が日本人であるせいか日本語がペラペラで、なかなかの商売人です。元旦にタサンビレッジでワインのご馳走になって間もない時期の再会でした。この後、カトマンズ観光を済ませ、ネパールでの最後の宿舎“ホテルアンナプルナ”に向かいました。

1/6(金)、ネパールを離れる時が来ました。順調にいけば、カラパタールの高橋隊とゴーキョ帰りのマドンナさん達と、カトマンズで落ち合い一杯飲もうということになっていたのですが、残念ながらアクシデントがあった上にルクラからカトマンズへの飛行機も飛ばず、結局最悪でもカトマンズ空港(彼らは国内線、私は国際線)で会おうという約束も叶いませんでした。

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 前年(2011年)の6月にマドンナさんが沖縄に出かける際、羽田空港で出会って以来何回か再会の機会があったのですがすれ違い状態でした。昨年の秋のヒマラヤ行きは私が断念し、今回はマドンナさん達が予定していた飛行機の遅延のために、ガイドさんの携帯を借りて元気な声を聞いただけで、再びすれ違いとなりました。

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 鈴木さんからいただいた写真です。昨年の秋、鈴木さんやマドンナさん達がカラパタールに行った際、ロッジの娘さん達に折り紙を教えたそうです。今回ルクラで飛行機が6時間も遅れた時、地元の人やガイドさんやポーターさん達と歌ったり踊ったり、料理実習したりと充実した時間を過ごしたとのことでした。今やエベレスト街道の起点のルクラではマドンナさんの顔も大分売れているようです。ヒマラヤの要所はほとんど踏破してしまったようでもあり、頼もしい限りで、マドンナさんがネパールにいることによりヒマラヤが身近に感じました。3回目のヒマラヤ(3/154/8予定)行きでの再会が楽しみでした。

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 往路ではタイ・バンコクで1泊しました。帰路はタイ・バンコク空港で4時間のトランジットと時間がたっぷりありましたので、エベレストを見に行った別のグループ(3人)と再会し、とりあえず乾杯しました。

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 大好物のトムヤンクンヌードルは絶品でした。ビールを飲み、好物のトムヤンクンを味わい、22:35発の便に搭乗し、順調に飛行して1/7(土)6:30に成田に着きました。

 

今回は、薄い空気に苦しみながら何日もかけてようやく目的に到達し、苦しんだ分だけの充実感を得るというヒマラヤトレッキングとは異なり、かなり観光的なツアーでした。とはいえそれなりの寒さ体験と、ハイキングとはいえかなり苦しい上りも経験しました。ダウラギリの雄姿、雪の中のハイキング、タサンビレッジでの3連泊、山岳ドライブなどやはり楽しいものでした。思いもかけず、ネパールの日本のお寺で初詣ができ、初日の出も拝むことができました。昨年春になくなった大学ゼミ仲間の写真と共にヒマラヤを楽しみました。

 

今春(2012年)に予定しているヒマラヤは、高度5,000mを越える予定、25日間という長丁場に心肺が耐えられるか、足腰はもつかという不安が日々大きくなっているのですが、人生は一回きりですし、一度は挑戦して自分を試してみようと思ったのでした。

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2016年12月22日 (木)

ヒマラヤ回想Ⅱ09 初詣・初日の出

2012.1/5(木)は、早朝ヒマラヤの朝陽の絶景ポイントといわれるサランコットの丘に行く予定でしたが、マオイストによるネパールバンダ(強制ゼネスト)のため一切の車両が動けなくなりました。バンダ中、車を出すとバンダ支持者から投石されたり、焼き討ちにあったりする被害に遭いやすくなるということで中止になりました。院長さんの提案で、ポカラのワールドピースパゴダ(日本山妙法寺)へ行こうということになりましたが、歩いて2時間くらいかかりそうで、ポカラ~カトマンズのフライトに間に合わなくなるおそれがあると躊躇しました。結局行けるところまで行ってみようと、まだ日が明けない早朝、ヘッドランプを頼りに歩き始めました。幸い闇タクがつかまり登山口まで車移動できました。

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 ポカラではシャングリラヴィレッジリゾートというホテルに12/301/42泊しました。飛行場からは比較的近く快適なホテルでした。今回のツアーでは、ホテルもタサンビレッジも一人でしたので、贅沢気分を味わいました。

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 1/5の早朝(6:43) たまたま通りかかったタクシーで登山口に到着。車を降りて、かなり速いペースで丘を上ったおかげで、日の出前に妙法寺に着くことができました。修業されている日本人と出会いました。それにしても院長さんご夫妻ともかなりの健脚でした。

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 6:54 あたりもだいぶ明るくなってきました。朝食前の強行軍で大変でしたが、清々しい気分で、ここへ来るプランを考えてくれた院長さんに感謝ですし、闇タクがつかまった幸運にも感謝しました。

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 7:16 インドとネパールで5年修行しているという京都から来ている日本人が、ポカラでは新年を迎えてずっと天気が悪く、今日は今年の初日の出ですといっていました。これもラッキーでした。

 

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 ヒマラヤで初詣をして、初日の出を拝めるなんて最高でした。朝陽を受けたヒマラヤの山々を眺めようやく正月気分になりました。

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2016年12月20日 (火)

ヒマラヤ回想Ⅱ08 山岳ドライブ

1/4(水)、専用車でナウリコットからポカラに向かいました。楽しみにしていた山岳ドライブが始まりました。

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 8:52 お世話になったタサンビレッジともお別れです。支配人(社長さんの弟さん)から祝福の白いシルクのマフラーを贈られました。

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 8:54 頼もしい専用車でしたが??? 背もたれシートが車のスピードが減速されるたびに背中に倒れかかってくるために、縦揺れ横揺れの他に、足も踏ん張らなければならず、疲れるのなんの。

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 9:10 道がでこぼこで、想像以上の縦揺れだけではなく、左の崖っぷちを見るたびにヒヤヒヤ。予想通りのヤバイ道でした。

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 9:39 ところどころで停車して通行チェックを受けました。

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 9:56 ポカラへの道はカリガンダキ川に沿って続いていました。

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 10:40 日産車に遭遇。

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 11:00 村と村をつなぐ路線バスも結構走っていました。

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 11:08 ところどころにロッジやレストランがありました。

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 11:41 途中のレストランで昼食にしました。院長さんは車に酔ったようで、最初はビールを飲まないといっていたのですが、私が飲んでいるのをみて、結局3人で乾杯ということになりました。

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 12:12 家族総出でアットホームなレストランでした。皆働き者でした。

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 12:39 ガーリックスープ、ピザ、ベジタブルヌードルどれも美味でした。特に、ヒマラヤではガーリックスープは高山病対策にいいといわれていますのでよく飲みました。

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 13:09 再び走り出して間もなく、またまた関所のようなチェックポイントが現れました。

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 13:12 運転手は20代の若者で、とにかく飛ばすことと追い抜くことが生き甲斐のようで、オイオイという場面が何回もあり私たちの方が力が入りました。

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 13:36 狭い道も狭い吊り橋も早い者勝ちでした。

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 14:39 馬も車も混然と歩いたり走ったりしていましたが、渋滞することなく何となく通り抜けできてしまいました。

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 14:43 工事のトラックが道を塞いでいて大型バスが通り抜けできずストップしていました。私たちの専用車は、ガイドのスディールさんがギリギリのスペースを誘導して何とかスリ抜けることができました。あの工事車と大型バスはどうなったのでしょうか。東京でのツアー説明会で、この道程は何時間かかるかわかりませんと言っていた意味がわかりました。

   

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 17:10 ほぼ8時間で無事にホテルに到着しました。私たちはかなりクタクタになり、山岳ドライブの醍醐味を十分堪能させてもらいましたが、もう二度と同じ経験はしたくありません。もし次の機会があれば8,000円払っても飛行機にしようと思いました。しかしその飛行機も飛ぶ確率は5割だそうです。イヤハヤ!

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2016年12月18日 (日)

ヒマラヤ回想Ⅱ07 リゾートロッジ

今回のツアー(3人の個人旅行ですが)では、1/14の日程で3連泊しました。評判は聞いていたのですが、想像以上に快適なヒマラヤのリゾートロッジでした。

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 1/3(火)、早朝ダウラギリの朝陽をみて、爽快なトレッキングを終え、残るはニルギリ連峰の夕陽だったのですが。17:08 青い空に白い峰、これだけでも十分なはずですが。夕陽は沈みかかっていて、手前の峰や雲の影が濃くなってきました。寒さに耐えかね、残念ながら撤退しました。

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 17:56 冷え切った足の指先は暖炉に近づけてもなかなか温まらず、しばらくするとようやくジンジンしてきました。

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 19:16 温かいこたつに入って、タサンビレッジ最後の夕食でした。この日夕方になって、ポカラからの飛行機が飛ばなかったため車で7時間かけて3人組の親子がやってきましたので、この日の宿泊客は2組計6人でした。

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 3泊お世話になったタサンビレッジは、とても快適なロッジで人気がありなかなか予約が取れないそうです。ロッジに入ってすぐ左手にフロントがあり、ロビーには暖炉があり居心地のいい空間でした。

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 1階には、洋食堂と掘りごたつになっている和食堂がありました。

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 2階が客室になっていて、14部屋28人泊まれます。

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 1泊目に泊まった部屋です。ニルギリ連峰側でした。

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 1泊目のニルギリ連峰側の窓からの景観です。カリガンダキ川も見え、雄大な眺めでした。

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 2泊目、3泊目に泊まった部屋です。ダウラギリ側です。トヨタVIPの皆さんが泊まる予定だった部屋です。

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 寝袋とインナーは貸してくれましたが、布団と湯たんぽで十分暖かでした。

 

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 シャワー、洗面所、トイレです。トイレの便器にカバーが着いているのがありがたかったです。ほとんどのロッジでは、朝起きて驚くほどの冷たさに嫌でも目が覚めてしまいますが、ここは快適でした。

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 部屋の目の前にはヘリポートがありました。トヨタVIPご一行はここに着陸予定だったのですが、悪天候のために断念したそうです。

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 窓からは真っ正面にダウラギリと氷河を見ることができました。

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 ある日の朝食です。マンゴージュース、おかゆ、味噌汁、生卵、梅干しでした。おかゆが美味しく、院長は3杯、奥様と私は2杯お代わりをしました。

この2回目のヒマラヤの後、3回目、4回目とヒマラヤを歩きましたが、ホテル・エベレスト・ビューとヒマラヤクラブとここタサンビレッジは別格の宿泊施設でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年12月16日 (金)

ヒマラヤ回想Ⅱ06 ティティガオン

1/3(火)、もうダメかと思って半分あきらめかけていた、朝陽をうけたダウラギリをたっぷりと眺めた後、ティティガオン(2,850m)へのトレッキングに出かけました。

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 8:41 朝食もしっかりといただいて、準備もOK。

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 8:44 ロッジからの光景もいうことなし。ようやく私の晴男パワーを発揮することができました。

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 8:45 ナウリコット村出身の若いスタッフ。晴天に私たちと同様晴々とした顔をしていました。ロッジから見えるところに大きな家がある裕福な家柄で、よく気がつく働き者で、多分村のエリートではないかと思いました。

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 9:21 ナウリコットの丘からカリガンダキ川の河原におりますと、ヤギの群れに遭遇。3人の羊追いに追われて、小さな川の流れを渡ったり、街道を歩いたり、道草を食っていたり、しばらく私たちと一緒に行軍しました。

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 9:31 振り向けば、昨日雲に悩まされたニルギリ連峰が、スッキリと聳えていました。朝陽のダウラギリ、夕陽のニルギリ連峰といわれていますので、このトレッキングから戻っての夕陽が楽しみでした。

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 9:41 次から次へと雄大な景色が目の前に現れ、ルンルン気分でしたが、カリガンダキ川にかかるこの先の吊り橋を渡って、ちょっと辛い次の上りが始まりました。

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 10:24 一度谷に下りまた上り返しているうちに陽が高くなり、汗をかきました。気持ちいい汗でした。

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 11:08 ちょうどいい深さの積雪で、ゴロタ石を雪がカバーしてくれましたのでかえって歩きやすかったです。札幌出身のお二人も“水を得た魚”ではなく“雪を得た道産子”で嬉しそうでした。

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 11:30 ガイドさんが絶景ポイントだよとシャッターを押してくれました。院長はあちこち異動して景色の写真や奥様の写真を撮っていたため、ガイドさんは私の個人ガイドのようで、ゆったりとマイペースでハイキングを楽しむことができました。とても贅沢な気分でした。

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 11:53 昨年12月に永眠した大学ゼミの同窓生Y君も、写真ではありますがヒマラヤに同行しました。奥穂高岳を背景とする葬儀での遺影を見た時、いかに彼が山を愛していたかを知り、もう少し長く生きていてくれたらヒマラヤに一緒に来れたのに・・・。今回二人で思う存分ヒマラヤの雄大な景観を楽しむことができました。

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 12:04 絶好のビューポイントは、遮るものもなくその分冷たい風も吹いていました。少しでも風を防げる場所を見つけて、ロッジでつくってくれた弁当をいただきました。

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 13:30 名峰アンナプルナⅠ峰(8,091m)は、往路も帰路も雲がかかっていましたが、一瞬のシャッターチャンスを捉えました。

    

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 13:32 ダウラギリ氷河も間近に真っ正面に迫って見えました。ヨーロッパアルプスの氷河がどちらかといえばグレーがかっていたのに比べて、昨日の雪のせいでしょうか、柔らかい純白に見えました。このまま登って行けそうな感じでした。

    

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 14:23 院長さんは、私たちが吊り橋を渡るところの撮影を終えて、かなりの距離を小走りに追いついてきました。還暦とは思えない体力と脚力でした。

    

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 14:35 最後に魔の上り坂が待っていました。河原にあるブルーの屋根の小屋からナウリコットの丘の登りは辛かった。しかしここの登りも今日で最後、楽しみながら登ることにしました。

   

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 15:13 早くビールを飲みたい一心と、ニルギリの夕陽に供えたい一心で、富士山7合目と同じ標高を忘れてピッチを上げたものですから、ゼイゼイ~ハーハーといいながら、頑張りました。毎日上ったこの山道は、富士登山を終えて下山して6合目から5合目に上り返すのと同じくらいの辛さでした。

   

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 15:42 無事にロッジに着き、素早く防寒着に着替え、何はともあれ乾杯しました。ダウラギリが見頃だとか、乾杯だとか、ついつい標高ということを忘れて急ぎ足で屋上へ駆け上り、何回立ちくらみしたことか、その度に深呼吸を何回したことか。ヒマラヤは2回目でしたがまだ慣れていませんでした。

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2016年12月14日 (水)

ヒマラヤ回想Ⅱ05 ダウラギリ

2012.1/2(月)の1回目のトレッキングを終え、昼食後タサンビレッジの屋上で、ダウラギリやニルギリ連峰が姿を現すのを待ちました。

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 14:26 防寒対策をしっかりとして、ダウラギリやニルギリ連峰の頂が姿を現すのを待つことにしました。防寒対策をしても身体の芯から冷えるような寒さで、長時間ジッとしていることはできませんでした。

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 15:22 ニルギリ連峰の上空には青空があり、期待を抱かせてくれていたのですが。

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 15:42 ダウラギリの頂きあたりにも青空が時々現れ、薄日が射していたりと期待をもたせてくれるのですが。

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 15:43 持久戦を覚悟していましたら、ロッジの支配人(社長さんの弟さん)がそば茶の差し入れをしてくれました。この辺りはそばの名産地だそうです。

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 17:19 瞬間的にダウラギリの頂を肉眼で捉えることはできたのですが、残念ながらわたくしのコンパクトカメラでは捉えることができませんでした。ただただ寒さに耐え、雲の流れを見つめた3時間でしたが、雲の動きも結構面白いものでした。

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 18:13 屋上での持久戦に敗れ、身体が冷え切ってしまいました。身体を温めるために院長さんが地酒を暖炉で熱燗にしてくれました。旨かった。

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 1/3(火) 6:30 一夜明けて、願いが通じたのか空には雲一つなく、まだ明けきらない碧空に突き出るようにダウラギリⅠ峰(8,167m)の頂が姿を現し、朝陽が当たっていました。

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 6:39 ダウラギリ氷河も、生きて流れ出ているように純白に輝いていました。

 

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 6:45 カリ・ガンダキ川の対岸に聳えるニルギリ連峰の上空も雲一つありませんでした。こちらは夕陽が見事だとのことでしたので、夕暮れ時を期待しました。

    

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 天空のショーをじっくりと楽しみました。

     

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 7:14 部屋からも燃えるようなダウラギリを眺めることができました。この年2012.5/26にこの頂き(8,167m)に日本人の登山家竹内さんが無酸素・単独で挑み、見事登頂しました。日本人初の8,000m峰全14座の完全登頂を達成しました。どういう気持ちで、何を見るのでしょうか。底知れない世界であることだけは確かです。聞くところによると、登頂したしたときは1秒でも早く下山したいそうです。

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2016年12月13日 (火)

ヒマラヤ回想Ⅱ04 タサンビレッジ

2012.1/2(月)、昨晩の新年会でビールやワイン、ロキシー(地酒)などを飲み、すっかり気分がよくなり、熟睡して一夜明けて見た世界は一面の銀世界でした。タサンビレッジに3連泊して、ここをベースとしてトレッキングに出かけました。

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 ロッジの部屋のカーテンを開けますと、昨晩降った雪が田畑や丘の急斜面も何もかも真っ白でした。院長さんの雨男パワーが雪を呼び寄せてくれました。

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 部屋のもう一つの窓からは、ガンダキ川とニルギリ連峰が臨めました。ニルギリ連峰の無名の前衛峰も雪をかぶっていて、その上に雲が覆い被さっていてニルギリ連峰はまったく姿を見ることができませんでした。この景色を見ていると、ここはどこだろうと頭がボーッとしてしまいました。

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 6:45 できるだけの防寒対策をして屋上に出てみました。一面厚い雲に覆われていてダウラギリ(8,167m)もニルギリ(7,061m)もまったく見えませんでした。

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 ここタサンビレッジのウリは、目の前にダウラギリを仰ぎ見ることなのですが、絶好ビューポイントに置かれた長椅子も白い雪を被っていました。

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 ロッジの外に出てみました。上空には厚い雲がたれ込めていて、この日は好天が望めそうもありませんでした。

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 7:25 朝食は7:30からです。どこのロッジも部屋には暖房がありませんので、起床すると暖炉やストーブの周りに自然に人が集まります。このロッジでは暖炉で火をおこし、その火をバケツ状の容器に移して掘りごたつの中に入れていました。私たちも火の後を追うようにゾロゾロと移動しました。暖炉の番人のようなお二人は、ロッジのメンテナンスエンジニアのようで、トヨタVIPご一行様を迎えるために来ていたようです。この日にカトマンズに戻りましたが、カトマンズの“ヒマラヤソバ”店で一緒になり、成田への帰国便でも一緒になりました。

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 9:11 朝食後、4時間の行程のトレッキングに出発。ダウラギリ上空には青空が拡がっていて期待を抱かせてくれましたが、ダウラギリ氷河の一部が見えるだけで8,000峰の頂は依然雲の中でした。

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 9:51 山上湖ショコンレイクでは、好天に恵まれれば湖面に映るアンナプルナ山群とダウラギリ山群が見えるはずで、みんな張り切っていました。

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 10:06 ロッジから一度谷におり、さらに対岸の斜面を上るあたりから真っ白の世界でした。白い世界の中を雪を踏みしめて歩くのは久しぶりで、これはこれで楽しいものでしたが、残念ながら逆さアンナプルナ山群・ダウラギリ山群を見ることができませんでした。

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 13:10 雪を見て、雪の中をたっぷりと歩いてロッジに戻り昼食をいただきました。先ずは恒例のエベレストビールでノドを潤し、温かいカボチャスープをいただきました。野菜が野菜の味がするとても美味しいスープでした。

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 放し飼いの鶏やヤギと野菜のスープも野菜が野菜の味がしてとても美味しく、ヒマラヤが初めての院長夫妻も料理を心配していたようですが、どこでも美味しくグルメ旅行のようだといいながら凄い食欲で、食の細い私もついつられてしまいました。

 

ナプルナ山群とダウラギリ山群などの白い峰々を見ることができませんでしたが、帰国後聞いた話では、カラパタールに入ったヒマラヤ観光開発の高橋隊もゴーキョに向かったマドンナさん達も大雪の影響を受けたとのことでしたので、ヒマラヤ全体が雪に包まれていたようでした。

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2016年12月11日 (日)

ヒマラヤ回想Ⅱ03 川口慧海

2011.12/31(土)の午後、宿泊ロッジ“PARADISE GUEST HOUSE”に荷をおいて村の散策に出かけました。最も訪れたかったのが川口慧海がチベットへ潜入する前に逗留していたという宿でした。そして、この日の宿は憧れのタサンビレッジでした。

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 寺院の入り口には大きなマニ車があり、おばあさんが熱心に回していました。どこにでも見られる風景です。マニ車は、これを回しながら一回りするとお経を読んだのと同じことになるというもので、大きなもの小さなものなどいたるところにありました。

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 高台にある寺院から見たマルファの街並み。燃料の薪が屋根にびっしり積まれていること、タルチョ(五色の旗)が他の地域に比べてあまり多くないことが目につきました。

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 かつて河口慧海が逗留していた住居が記念館として保存されていました。

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 慧海が寝起きしていた部屋。竈風の暖炉があり、寒々しい感じはしないで、居心地がよさそうでした。私たちが大晦日を過ごしたロッジより快適そうでした。

 

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 修行の部屋。装飾も豊でしっかりしたつくりでした。手前の太鼓を叩いたらよく響くとてもいい音がしました。暮らしていた部屋も修行の部屋も現在でも十分使えそうでした。

     

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 慧海と行動を共にし、何かと世話をやいた商人の末裔のおばあさんと記念写真を撮りました。穏やかな人のよさそうな方でした。

    

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 これでも番犬だそうです。穏やかな村の暮らしを象徴するようなとても可愛い目をしていました。

    

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 マルファ村は林檎の名産地で、林檎の木がたくさんあり、花の季節はきっと桃源郷のように素晴らしいのではないかと思いました。5人の村人が、林檎をすりつぶすことから全て手作業でブランディを作っている工場を見学させてもらいました。そうしてできたブランデーは酒屋で売られていました。酒に目のない院長さんは早速アップルブランデーを購入していました。

     

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 ロッジの中庭風屋上で、早速“地産地消”しました。アップルブランデーは上質の泡盛のような味で、お湯割りがいけました。陽が射している時は暖かだったのですが、あっという間に陽が陰ってしまいました。それにしても院長さんはかなりの酒豪で、私も嫌いではありませんので、この先随分お酒をいただきました。この辺りは標高2,670m(富士山7合目あたり)ですが、特に問題はありませんでした。

     

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 前日の大晦日はひっそりと年を越し新年が明けました。 8:36 ほぼ予定通りの時間に、ポーターさんに荷を預けて出発しました。特に何事もない静かな正月でしたが、気持ちだけは新たな気分になって憧れのタサンビレッジに向かいました。

    

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8:50 村から村への路線バスも通勤時間帯で混んでいました。

 

 

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 11:38 歩いている人は私たちだけでした。ネパール・チベットを源流とするカリガンダキ川も乾期で水が干上がり、川底をタサンビレッジ目指し黙々と歩きました。

 

    

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 11:51 どこまで行っても茫漠たる光景が続きました。院長さんは雨男で私は晴男、どちらのパワーが勝かなどと冗談を言い合っていたのですが、この日は厚い雲がどんよりとたれ込めていて、どうやら院長さんのパワーがやや勝っていたようです。この渺々たる光景にはたれ込めている雲の方が相応しいように思えました。かつて川口慧海もこの道を歩いたと思うとワクワクしました。

     

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 13:09 ナウリコットの丘(2,700m)にあるタサンビレッジに到着しました。ロッジは小高い丘の上にあり、下の街道からここまでの急坂はかなりハードなもので、ハイキングの帰りには必ず上らなければならず、この日を含めて3回大汗をかき、いい運動になりました。3人でビール、ビールと声をかけ合い、励まし合い、美味しいビールを飲みました。お世話になったポーターさん達とはここでお別れしました。

    

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 19:11 タサンビレッジの社長さんと関係者お二人と私たち、合計6人で新年会をしました。この日はトヨタのVIP(副社長クラス)ご一行様5人がヘリで来る予定だったそうですが、悪天候のためにキャンセルになったとか。社長さんはじめ関係者の方がご馳走を用意していたのですが、それも無駄になってしまうところ私たちがいただくことになりました。トヨタさんご馳走様でした。奥様が日本人で日本語がペラペラの社長さん(タカリ族)自ら赤ワインを振るまっていただき、前菜でかなりお腹が一杯になったところ、更にドカンーとビフテキが出てきて、豪華な新年会となりました。

     

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 ガイドのスディールさんは、正月返上の上に、一人息子さんの誕生日(1/4)も仕事とあって少し元気がなかったのですが思わぬご馳走ににっこり。こたつも温々と温かく、ヒマラヤでこんないい正月を迎えることができるとは思ってもみませんでした。スディールさんとは、2ヶ月後にネパール空港で偶然再会しました。

 

元旦にヒマラヤの奥地で川口慧海の逗留先を訪れ、無人の渺々たるカリガンダキ川を歩いているのは不思議な感覚でした。寂しい年末年始と思っていたのですが、タサンビレッジではトヨタVIPグループのご馳走のおこぼれを頂き、豪華な新年会になったのはいい思い出となりました。

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2016年12月 9日 (金)

ヒマラヤ回想Ⅱ02 ジョムソン街道

タイ・バンコクで一泊、ネパール・ポカラで一泊し、2011.12/31(土)の大晦日ようやくヒマラヤ山中に入りました。

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 ポカラからジョムソンへは、飛行機(20分)、専用車(89時間)、路線バス(何時間かかるか?)などのアクセス方法があります。飛行機が便利で、料金も8,000円(村民は半額)と私たちにとってはそれ程高いものではありませんが、アンナプルナ山群とダウラギリ山群の7,0008,000m峰の間を有視界飛行で飛びますのでちょっとした気候変化ですぐに欠航になってしまいます。私たちは無事に飛べましたが、飛行機は翌日、翌々日と欠航してしまいました。

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 席は自由席で、右側がアンナプルナ山群、左側がダウラギリ山群を見ることができますので、右側か左側かはお好みです。私はダウラギリ山群が見える左側に座りましたが、最前列を陣取りましたので、操縦席からアンナプルナ山群を見ることができました。この白い峰を見ることができただけで来た甲斐がありました。

 

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 ガイドさんが下を見ろというので見下ろすと、私たちが帰路走ることになっていた山道がカリガンダギ川に沿ってうねうねと頼りなげに見えました。

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 20分のフライトが終わりに近づく頃、目の前にダウラギリⅠ峰(8,167m)がドカンと現れました。世界の8,000m14座の単独登頂を目指している日本人登山家の竹内さんが14番目に目指している頂が目前に聳えていました。その右手にはダウラギリ氷河が白く輝いていました。もしこの飛行が欠航していたらお目にかかれなかった光景でした。

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 ジョムソン飛行場(標高2,700m富士山7合目あたり)に無事に着陸しました。降りたとたん強烈な寒さに襲われました。欧米人グループは5台のマウンテンバイクを持ってきていて、いよいよヒマラヤも欧米人にサイクリングで席巻されてしまうのでしょうか、ヒマラヤの風景が変わってしまうようで不安になりました。

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 ポカラを早朝出発しましたので、飛行場近くのレストランでホテルでつくってもらった朝食をとりました。居合わせた若者が二人、てっきり現地人(ネパール人)かと思いきや日本の若者でした。ラウンドアンナプルナをそれぞれ単独で、ガイドもポーターもなしでトレッキングしているそうです。私たちが食べきれなかった朝食の残りを快く受け取ってもらえました。まさか、この二人が歩いたのと同じコースを2ヶ月後に25日間かけて歩くようになるとは思いませんでした。

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 飛行場からは、ジョムスン街道を下ってマルファまでの2時間のハイキングとなりました。 

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 私たち3人(ガイドさんを入れると4人)はカリガンダギ川に沿ってジョムスン街道を南下しました。この川を北上すれば秘境ムスタン王国へと、チベットへと通じています。この川を南下すればいずれはガンジス川と合流します。とても印象的で好きな景色でした。

    

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 どこまで行っても茫漠たる光景が拡がっていて、私たちの他に人影が見えず、視界が開けていて日本ではお目にかかれない景観でした。三蔵法師や孫悟空に出会うのではないかとも思ってしまいました。この先どんな景観が現れるのか楽しみでした。

    

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 ガイドのスディールさんにリードされて、院長夫妻は軽快な足取りで初めてのヒマラヤハイキングを味わうように歩いていました。悠久の大地を独り占めして、思い思いに歩くことは気分爽快で得難い経験でした。

   

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 マルファの街に入りました。最も重要な物資である薪用の木材を働き者の牛が運んでいました。木材の切り出しと薪運びは村人にとっても最も大事な仕事のようでした。

     

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 ロッジ1泊めの宿は“PARADISE GUEST HOUSE”という素晴らしい名前のロッジでした。食事が美味しく、他に宿泊していた日本人親子2人とこたつに入りながら、地酒を酌み交わし、行く年を惜しみつつ新年を迎えました。ヒマラヤの“パラダイス”で年を越しました。この村へは2か月後に再訪となりました。

    

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 ロッジにチェックインしました。院長さんは何はともあれ、冷えた身体を温め、疲れを癒すために“ミルクティ”を。ヒマラヤでのミルクティは本当に美味しいのです。ガイドさんはポーターさん(名前を聞いたのですが覚えきれませんでした。スミマセン)に日当の支払いでしょうか。

    

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 早速部屋に入って荷物を広げました。スーツケースで持ってきた荷物はポカラでダッフルバッグに入れ替えてポーターさんが運んでくれました。できるだけの防寒具を持ってきましたので大荷物となりました。寝具は借りた寝袋とインナーと毛布一枚です。ロッジはたいていツイン仕様で、必ず相部屋なのですが、今回は相棒がいませんので一人使用でした。寝袋に入っても寒いので湯たんぽが提供されました。

    

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 広い窓で開放感があり、田園風景を眺めることもできるのですが、ドアは閉まらずすきま風が入ってきて、窓からもすきま風が入ってきてカーテンがゆらゆらと揺れていました。暖房設備は一切なく、とても寒いのがヒマラヤの現実でした。ひどく寒く感じましたが、それでも防寒対策はしっかりしてきましたし、湯たんぽを抱いて快適に熟睡できました。

 

ヒマラヤで過ごした大晦日は、当たり前ですが除夜の音が聞こえるわけではなく、私たち3人と初対面の親子の5人で、コタツに入って何となく酒を酌み交わすといったもので、また新年を迎えても何もなく、今までで最も味気ないものでしたが、その分最も記憶に残っている大晦日でした。そしてこの村を、宿泊しないで通り過ぎただけでしたが2ヶ月後に再び訪れようとは思ってもいませんでした。

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2016年12月 7日 (水)

ヒマラヤ回想Ⅱ01 ポカラへ

2011.12/29(木)~2012.1/7(土)の10日間、ヒマラヤで新年を迎えることになりました。20114月にヒマラヤに行き、同じ年の6月には本場アルプスを見たいというカミさんのリクエストに応えてツールドモンブランをトッレキングしました。ヒマラヤとアルプスを歩いてみて、もっとヒマラヤを歩いてみたいと思うようになりました。

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 ヒマラヤ観光開発手配の一人きりの個人旅行も可能なのですが、それでは寂しすぎると躊躇していましたら、西遊旅行社が“ダウラギリ氷河展望”ツアーを募集していましたので参加することにしました。同行者は札幌からのご夫婦で、結局私を含めて3人旅となりました。ご夫妻とはまだ面識がなく成田で初対面となりました。

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 今回は人気のタサン・ビレッジというロッジに3連泊して、そこを拠点にハイキングするという気楽ツアーです。標高も3,000mを越えることなく、寒さだけが多少心配でした。帰路タサン・ビレッジからポカラ(ネパール第2の都市)までは専用車による10時間くらいの山岳ドライブとのことです。道は山の中の悪路で、崖っぷちも走るので、実際のところどのくらい時間がかかるかわからないとの説明がありました。ヒマラヤ山中のドライブは、一度は経験してみたいと思っていましたので面白そうでした。往路は飛行機の予定ですが、悪天候の場合はやはり専用車での移動とのことです。このルートは以前BS放送で「世界のバス旅・ヒマラヤ街道」として放映されていてなかなか面白そうでした。

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 最も大きな見どころは“ダウラギリⅠ峰(8,167m)”でした。日本人登山家の竹内さんは、8,000m14座登頂に挑んでいて、9月に13座目となる“チュー・オユー(8,201m)”に登頂し、残すところ1座となりその山が“ダウラギリⅠ峰”でした。竹内さんがこれから目指す最後の「1」座がどんな頂なのかを眺めるのも楽しみでした。

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 2011.12/29(木)、成田空港からヒマラヤに向けて出発しました。成田空港で、これから10日間行動を共にするAさんご夫妻と発顔合わせしました。ご主人は札幌でクリニックを開業していて奥様も医師とのこと。お二人の還暦祝を兼ねてのヒマラヤハイキングだそうです。お二人ともとてもお若く、スポーティでした。特に院長さんは健脚で、趣味のカメラを手にハイキング中も高度2,7002,800mのヒマラヤを縦横無尽に動き回っていました。添乗員はつきませんので、3人で共に行動し、現地でガイドさんと合流ということになりました。

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 成田からタイ・バンコクに着き、ここで一泊しました。12/30の早朝(6:54)、バンコクのホテルから見た朝陽です。ホテルの窓ガラスに室内の照明が映ってしまい変な写真になってしまいました。素人写真家の愛嬌です。今年も残すところ後一日となりました。

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 バンコクからネパール・カトマンズに向けて出発しました。バンコク空港の出国審査は特に厳しく、男性はズボンのベルトをはずし、登山靴は脱がされ、リュックなどの手荷物は中身を全てさらけ出し、情けない状態でした。悔しかったので写真を撮ったら怒られてしまいました。何が微笑みの国か??? 復路でも同様で、検査機を導入すればすむことなのに。

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 犯罪人扱い的な出国検査を終え、ネパール・カトマンズ行きの飛行機に乗ってホッとしました。

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 バンコク~カトマンズ間のフライトは、右側のシートであればエベレストを頂点としてマナスルやアンナプルナなどの8,000m級のヒマラヤの名峰を眺めることができます。座席は飛行機会社が決めますので、ヒマラヤ山脈を見ることができるかどうかは運次第です。前回も今回も右側の窓際席でラッキーでした。

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 2011.12/3012:33、カトマンズ空港に到着しました。ここは国際線と国内線が隣接していて、ヒマラヤの各方面に飛んでいく国内線飛行機が翼を休めていました。

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 13:33、カトマンズ空港国内線はローカル色が濃厚で、ガイドさんがいなければウロウロしてしまって何をしていいかわからないほど案内表示がない一方、手荷物検査やボディチェックは厳しく、いよいよネパールに来たと実感した瞬間でした。

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 カトマンズからポカラへのフライトは、右側にアンナプルナ山群を眺めるゴールデンコースです。座席は自由席ですから、毎回右側のシート確保のバトルが行われました。国内線の多くは自由席でほとんどの路線でヒマラヤ山脈を眺めることができますので、カトマンズ国内線の出発ロビーには観光客同士の目に見えない緊張感がありました。

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 15:16 ようやくポカラ空港に到着しました。院長さんご夫妻は札幌~成田~バンコク~カトマンズ~ポカラと何回も飛行機を乗り換えての到着でした。

院長さんご夫妻はヒマラヤは初めてでしたので多少緊張の様子でしたが、私は2回目でしたので多少ゆとりがありました。

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2016年12月 5日 (月)

回想ヒマラヤ&アルプス

街道歩きから始まったテクテクも、直射日光とアスファルト道路の照り返しが強い夏場は自然に山に向かいました。数年前日本一高い場所の風景はどうなんだろうと富士山にテクテク、それではもっと高いところの風景はどうなんだろうとヒマラヤの入口に第一歩を記しました。更に本場アルプスを巡る道と風景はどうなんだろうと、ツール・ド・モンブラン(TMB)に出かけました。高い山も私にとってはあくまでもテクテクの延長であり、従って山岳風景にも感動しますが、街道(ロード)風景や宿場(リゾート)もとても興味がありました。

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 (マッシー伊藤さん撮影)「ヤクが来たら山側によけろ」がヒマラヤ歩きの鉄則だそうです。 エベレスト街道は、おそらく世界一(定義は?)のトレッキングコースであり、街道でもあります。街道ということは人々が往来する生活道路でもあり、行き交う人々に出会うたびに、この人たちの生活に思いを馳せることがしばしばでした。

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 TMBは、ヨーロッパ最高峰のモンブランをフランス~イタリア~スイス3国に跨ってぐるっと1周(170km)するヨーロッパ一随一のトレッキングコースで、トレッカーや自転車野郎の観光ロードですので、すっかり観光気分に浸ることができました。

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 ナムチェ(3,440m)は、エベレスト街道で最も賑やかな宿場です。ここから本格的なトレッキングが始まりますので、ここで防寒対策のダウンジャケット(安い)などを買い求める人も多く、私は登山ズボンを購入(帰りに荷物になりましたので、ルクラの現地ガイドさんにプレゼントしました)。

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 TMBのクールマイヨールは人口2,800人たらずですが、イタリア有数のリゾートで、冬はスキーリゾート、夏は避暑地です。

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 宿泊したナムチェのロッジ。若夫婦が二人で切り盛りしていて、一生懸命なのが微笑ましく、日本語は話せないようなので、視線が合うとニコニコしていました。

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 TMBの山小屋は今まで体験したことのないリッチな気分の山小屋でした。TMBでは、山小屋といってもプチホテルやペンションといった方がいいような宿泊施設が多く、エベレスト街道のロッジとは雲泥の差がありました。

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 ナムチェのロッジの窓からの風景は、エベレスト街道のまだ入口とは思えない程迫力があり、ヒマラヤを実感しました。

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 クールマイヨールで宿泊した山小屋(ホテル)、想像していた通りのアルプスの風景が広がっていました。

 

TMBで宿泊した村は、その多くがリゾート地で、しゃれたレストランや小さなホテルがあり、教会の尖塔の後ろにはなだらかな山が広がっていて、アルプスの3点セットが同じように揃っていました。くつろいでビールでも飲んで何日間かグダグダと滞留するのもいい気分でしょうが、リッチなライフスタイルやリゾートに慣れていないせいか、こんな贅沢いいのだろうかと落ち着かない気分でもありました。

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 ナムチェのロッジは、生活感があり、馴染んでしまえば、観光客でありながら日常生活を営んでいるような安心感がありました(但し、更に山奥に入ったロッジではこのような気分を味わうどころではないと思います。ナムチェという街だからこその気分だと思いますが・・・)。この食堂では、昼間トレッキングしてきた宿泊客(外人3人)が、夕方になると三々五々集まってきて、ストーブを囲んで暖をとりながら、雑談したりヘッドランプの明かりで読書をしていたのが印象的でした。とても素敵なライフスタイルだなあと思いました。

 

カトマンズで何日か喧騒の中をうろうろし、それに飽きたらルクラ(2,800m)からナムチェ(3,440m)まで、(私は飛行機で飛びましたが)次はのんびりとトレッキング(23日)で辿り着き、何日か滞在し、天気が悪ければ読書、良ければホテル・エベレスト・ビュー(3,880m)へエベレストを見に行ったり、クムジュン村を訪ねたり、クンデピーク(4,200m)に登ったり、そんな風にしてヒマラヤに馴染めたらいいなあと思ったりもしました。

 

山岳風景

 

ヒマラヤとアルプスでは、山の姿がかなり異なり、それらの山々を仰ぎながらのトレッキング風景もかなり異なっていました。

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 シャモニーの街からロープウェイに乗って数十分で見られた雪山とそこに散らばる登山者の姿に衝撃を受けました。街からすぐ近くにこんな世界があるなんて、アルプスがヨーロッパ人にとって身近なものかを実感しました。

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 パラグライダーから見たモンブラン。シャモニーからこれまたロープウェイで20分、パラグライダーで飛び立ち10分でモンブラン頂上が目の前でした。

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 ヒマラヤの景観、鈴木さん撮影。自然の美しさと厳しさと挑む人。この写真を撮った鈴木さんと来年最後のヒマラヤに挑戦しようと張り切っているのですが。

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 ヒマラヤの景観、人を寄せつけないような厳しい大自然。そこに貼り付くように暮らしている人々がいました。

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 鈴木さん撮影。ヒマラヤはどこまで深くて、どこまで美しいのでしょうか。

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 鈴木さん撮影。“孤高のエベレスト”ツール・ド・モンブラン(12日間)では、予定コースのすべてを歩くことはできませんでしたが、その分シャモニーでのリゾートライフをエンジョイし、トレッキングではサウンドミュージックの世界もアルプスの少女ハイジの世界も堪能し、パラグライダーでモンブラン見物というおまけまでつきました。いつかまた疲れたときに、ゆったりとした時間を過ごしたいと思ったときに行く機会があればいいなあと思いました。

 

ホテル・エベレスト・ビュー(10日間)では、エベレスト街道のほんの入口に一歩を印しただけですが、ゴーキョ・ピーク(20日間)遠征グループと途中まで同行し、様々な写真や情報をいただき、疑似体験できました。

 

ヒマラヤは知れば知る程、より高くへ、より深くへ、より遠くへと足を踏み入れたいという衝動に駆られました。カラパタール遠征(5,545m18日間)やアンナプルナ内院トレッキング(15日間)なども魅力的です。アルプスでは、ヨーロッパ3大トレイルのひとつツール・ド・モンテローザ(14日間)も行けたら・・・。そんな夢を見させてくれるアルプスとヒマラヤでした。

 

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2016年12月 3日 (土)

アルプス回想19 最後の晩餐

7/3は、ツール・ド・モンブランの最終日で、シャモニーで空中散歩したりショッピングをしたりした後、最後の晩餐となりました。

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 予約してあるレストランへはホテルからはちょっと離れたところでしたので、全員で歩いて向かいました。ちょっとおめかしした“マイティチャー”と。

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 シャモニーで最も予約を取りにくいレストランだそうです。かなり早めに井本隊長に予約を取っていただくようにお願いしておきました。

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 予約時間は19:00でしたが、こちらでは夕食の時間はスタートもゆっくりで、しかもゆっくり時間をかけて楽しむ習慣があり、まだ店内は空いていましたが既に予約で一杯とのことでした。

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 私たちはコース料理を頼みましたがバイキング形式もあるようで、そちらも美味しそうでした。

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 楽しかった10日間もあっという間でした。井本隊長もホッとして、“マイティチャー”も“Beeさん”とお話ししながらグループを引っ張って楽しそうでした。

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 前菜は好物の生ハムとサラミでした。いつも写真を撮ろうとする前に口に入ってしまい、途中で気が付いて慌ててカメラに納めるという習慣はなおりませんでした。いつもお腹を空かせていました。

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 シャモニーで食べたいと思っていた料理の一つにこれも好物のスモークサーモンもありました。なんとこのサーモンは、表面は焼いてあり、中身がナマという今まで食べことのないもので、非常に美味でした。

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 メインのスズキとチキンは、日本の料理の方が美味しいかもしれませんでした。

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 デザートは食べ放題で、ケーキもフルーツも美味しく、かなりたっぷりと食べました。かくして最後の晩餐は終わりました。

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 食後、井本隊長を中心に記念写真。時間は21時過ぎだというのにかなり明るかったのでした。

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 Beeさん”と、お別れです。アルプスはオンシーズンを迎え、休む間もなく次の仕事があるといっていましたので、今でも元気でアルプスをガイドしていると思います。またヨーロッパトレッキングの時には、一緒できるといいです。

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 あの尖塔のような頂上にも立ったエギュード・ミディに夕陽が当たっていました。

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 最後のモンブラン、夕陽が当たっていました。あらゆる角度から、空からもその雄姿を楽しませてもらいました。 See You Again

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2016年12月 1日 (木)

アルプス回想18 空中散歩

2011.7/3は、ツール・ド・モンブランの最終日で、シャモニーで自由行動日でした。井本チームの皆さんはエギュイ・デュ・ミディからモンタンヴェールトレッキングコースとモンブラン展望ともいうべきプレヴァン展望台観光に出かけました。私たちはシャモニーに待避した2日間でそのコースは回りましたので、午前中、私は空からモンブランとシャモニーを見物することにしました。カミさんはショッピングをしていました。

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 6/27に、プレヴァン展望台に行ったとき、モンブラン頂上付近にパラグライダーが飛んでいました。まるでモンブランに着陸してしまうのではないかと思える程接近していました。自分も空からモンブランを見てみたいと思いましたが、まさか現実になるとは思いませんでした。

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 6/28に、モンタンヴェールトレッキングの際、パラグライダーがかなり近くまで寄ってきて手を振っていました。とても気持ちよさそうで、もし最終日の自由行動の日に機会があれば自分も飛んでみようと更に意を強くしました。

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 初体験のハングライダーで空を飛んでみようと予約をしました。指定日時の7/310:00に、指定場所のプレヴァン行きケーブルカーの中間駅で降りました。早めに着きましたので、個人的なパラグライダー野郎たちが準備して、飛び立っていくのをしばらく見ていました。

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 パラグライダーはフランスが発祥だそうですから、もしかしたらここが発祥の地かもしれません。楕円形のパラシュート(翼)が風が孕むと同時に、ライダーは斜面を駆け下りました。

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 翼に浮力がつき、上昇すると同時に全体の浮力が加速し、そのまま空中に浮かび上がります。次から次へと飛び立つ人を見ているうちに大体のコツはわかりました。

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 ほとんどのライダーが飛び立って誰もいなくなった頃、いかにもという感じのお兄ちゃんがきて、口笛を吹きながら準備を始めました。

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 注意されたのは2点です。GO!!で走ること、着地はお尻からではなく足からということでした。そしてあっという間に気が付いたら空中に飛び出ていました。

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 眼下にはシャモニーの街が見えました。おしゃれな街の上空を汚い靴で汚してすみません。こんなことなら靴を磨いておけばよかった。

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 できるだけモンブランに近づいてくれるようにリクエストしましたら、少しずつ近づいてくれました。

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 モンブランに最も近づいた瞬間でした。これ以上は危険で無理とのことでした。もしかするとこの時間帯は、井本チームの皆さんがモンタンヴェールトレッキング中で、このパラグライダーを見ていたかもしれません。

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 少しずつ下降してゆくにつれ、メインストリートや宿泊しているホテルなどの位置関係が把握できてきました。

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 どこに着地するのかだんだん不安になってきました。まさかどこかの建物の屋根とか、観光客がくつろいでいるテラスのど真ん中とか。まあ映画じゃあるまいしと思っていましたら、町はずれのちょっとしたスペースにきちんと着地し、そのまま“バイ”とかいわれましたので、歩いて15分程のホテルに、何事もなかったかのように戻りました。歩いているときに身体が多少ふらつくような、浮いているような、要するにほろ酔い加減で歩いているような感じでした。

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