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2016年12月25日 (日)

往く年来る年Ⅰ

2016年、今年も1年間が終わろうとしています。気の向くままにあっちこっち足を延ばしている間に1年が過ぎ去ろうとしています。 思えば遠くに来たもんだ ではありませんが、今年もあちこちフラフラした足跡を思い出して1年の締めくくりにしたいと思っています。

 

1月 みちのく秘湯巡り

1/573日間、「みちのく三大秘湯巡り」(旅物語)というツアーで秘湯といわれる温泉に出かけました。昨年も1月に3日間の日程で、津軽三味線を聴きに青森に行きましたので2年続けての新年東北ツアーとなりました。

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 1/5(火) ランプの宿に到着したのは夜、ランプの明かりだけの世界に目を慣らしつつ、おっかなびっくり宿にチェックインしました。

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 浴槽は檜造りで、湯煙の先にはランプの明かりがあり、格子窓を通して雪景色をみることができました。

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 温泉に浸かりながらの雪景色、この時期ならではでした。これも至福の時間。

    

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 1/6(水) 五所川原市の「立佞武多(たちねぶた)の館」に寄りました。立佞武多の高さは約23m、重さ19トンというビル6階分の高さのものを建物から外に出すのも一つの見物です。

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 津軽鉄道の津軽五所川原駅からストーブ列車に乗りました。

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  窓の外は、一面真っ白の世界で、場所によっては地吹雪体験ができる場所もあるそうです。

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 イケメン車掌さんが時々ストーブの様子を見に来て、石炭を補給したり、いくつかの仕事を兼務していますので結構忙しそうでした。

   

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 ストーブに温まりながら、日本酒は「ストーブ酒」、刺身はイカとホタテでしめて300円。イカもホタテも本当に美味かった。

    

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 金木町には太宰治の生家「斜陽館」があります。「斜陽館」は、太宰治の父親が、明治40年に当時のお金で約4万円の大金をかけて造られました。宅地約680坪の豪邸です。

    

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 「津軽三味線会館」では津軽三味線のライブが行われていました。20分という短い時間でしたが、バチを激しく叩きつける生の音に聞き入りました。目をつむって聴けば雪がこんこんと降りしきる様が目に浮かんできました。昨年の星野リゾート「青森屋」でのライブに続いての鑑賞でした。

    

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 「不老ふ死温泉宿」にチェックインして、取るものも取りあえず温泉へと向かいました。「不老ふ死温泉」は、ホテルの建物から100mくらい先の日本海に突き出るようにありました。

   

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 この「不老ふ死温泉」は混浴ですが、海に面して右側に女性専用の露天風呂があり、男性専用のはなくて混浴となっていました。私たち男性が気持ちよく温泉に浸かって暫くしてから6人の女性軍団がドヤドヤキャーキャー言いながら(但し、バスタオル着用)入ってきましたので、私たちは温泉の片隅に身を寄せ合いました。

   

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 3つめの温泉、乳頭温泉郷の「鶴の湯」は雪に埋もれていました。

    

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 乳頭温泉は、渓流沿いによしずが張られていて、その内側が混浴露天風呂になっていました。温泉の色は乳白色というか濃いめのミルク色でした。深さは腰の下と膝の中間くらいで、立って歩くとスッポンポン状態となります。男性だけの時は、立って移動していましたが、ツアーの女性軍が入ってくるとしゃがんで移動ということになりました。

  

  

2月 パタゴニア①

   

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 正月気分も温泉気分も抜けた2/3(水)  “風の大地と氷河のパタゴニア” への17日間の旅に出かけました。日本からは地球の裏側までの今までで一番長距離移動の旅でした。

    

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 成田~ドバイ12時間、ドバイまでは一人旅でした。ドバイ~サンパウロ14時間30分、サンパウロ~ブエノスアイレス(3時間20分)、合計30時間のフライトで。サンパウロまでは入国・出国が一切なく、機内待機とトランジットがあるのみです。一眠りした後目覚めるともう目的地のドバイに大分近づいていました。出発してから10時間近くが経過していました。

 

 

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 2/5 成田を出発して何十時間経過したのか、もうどうでもいい気分になってとにもかくにも世界最南端の町アルゼンチンのウシュアイアに着きました。パタゴニア氷と風の大地を踏みしめました。とても強い風が吹きつけてきましたがそれ程の寒さは感じませんでした。

    

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 世界最南端の町にある世界最南端の郵便局は、海辺にはり出た桟橋の先の小さな小屋でした。

    

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 最も興味があったのがどんな人が働いているのだろうかということでした。白い顎髭を生やしたいかにもという感じのおじさんというかおじいさんというか。日本へ出したいというと、電卓で$払いの金額を素早く計算してくれ、実に手慣れたものでした。奥にもう一人若い局員がいました。

    

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 パタゴニアを南極点を中心にして天空から見ると、南極に最も近いところです。

   

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 パンアメリカンハイウェイは、ここアルゼンチンの最南端の地から南北アメリカを貫いてアラスカにいたる幹線道路です。アラスカから17,848km、ここはパンアメリカンハイウェイの終点であり、始まりの場所でした。 “ここで地果て道が終わる” 場所でした。渺々と風が吹き抜けていて、遂にここまで来たかととても感慨深く思いました。

    

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 2/6(土) ビーグル水道は180年前にダーウィンが通った海路、この日の天気は無風快晴と絶好のクルージング日和でした。

    

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 遠くからごま粒のよう見えたのは「マゼランペンギン」の群れでした。よく見ると一羽一羽はそれぞれ自分の周りに一定のスペースを確保していました。 一羽一羽をよく見ると、首をかしげたりボンヤリしていたりと人間と同じように個性があるようで可愛いものでした。

   

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 2/7(日) チリとアルゼンチンとの国境での検査は厳しく、チリ側に入国する手続きはかなり厳しそうでした。私たちの一台前の観光バスでは、荷物が全部下ろされ、麻薬犬が荷物の一つ一つ、車内にまで入って検査が行われていました。私たち日本人はほとんどノーチェックでした。

   

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 国境を越えてチリの平原を走り、ようやく海に突き当たりました。これがマゼラン海峡。マゼラン海峡は、マゼランが1520年にここを通り、約660kmの海峡を40日間かけて通り抜け、太平洋と大西洋を繋げる海峡であることを発見したものです。どういうわけか私たち日本人には馴染みのある海峡です。

    

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  パンアメリカンハイウェイを北上して、マゼラン海峡を越えてブンタ・アレーナスという町に落ち着きました。昼食の時間となり、町で一番美味しいという肉専門レストランに繰り出しました。ここでも店頭に生後56ヶ月の子羊1頭丸ごと焚き火焼きがありました。

 

 

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