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2016年12月30日 (金)

往く年来る年Ⅵ

9月スペイン

9/12(月) ツアー4日目、セビリア観光の後ミハスへと向かいました。目的地のミハスは、スペインの南端のアンダルシア地方・マラガ県にあります。

  

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 9/12(月) ツアー4日目、セビリア観光の後ミハスへと向かいました。目的地のミハスは、スペインの南端のアンダルシア地方・マラガ県にあります。

    

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 白い町といわれるミハスは、建物の外壁は全て真っ白です。これは強い太陽の光を跳ね返すために白い壁にしたそうです。

    

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 ミハスが紹介されるときの代表的な白い壁の通り。白い壁に太陽の光が降り注いでいて、ミハス観光は強い日射しと青空の日に限ります。スペインのアンダルシア地方の強い太陽光、白い壁の街を歩きながら、情熱の国スペインの雰囲気に浸りました。

   

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 ミハスにはピカソ通りがあり、ピカソ美術館がありました。入口にはピカソが座っていました。ピカソは1881年マラガで生まれましたが制作活動は主にフランスで行われ、91歳で亡くなりましたのでかなり長寿でした。

   

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 9/12(月) ミハスからグラナダに到着し、ホテルに落ち着いて夕食後オプションのフラメンコを見に出かけました。途中、路上ライブに出会いました。ギターの音と手拍子と歌声に合わせて、情熱的な踊りが展開されていました。初めての本場のフラメンコでした。激しい女性の動きと激しく地面を叩きつけるステップ、哀切のあるギターの音色が夕闇に響いていました。ジプシーという言葉が浮かんできて、これほど相応しいシーンはないかもしれないと思ったりもしました。

    

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 ギターと手拍子に合わせて歌と踊りが始まりました。こちらを睨みすえるような挑戦するような厳しい表情が印象的でした。ジプシーが辿ってきた厳しい道のりを表現しているようでもありました。

   

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 9/13(火) スペイン観光の目玉の一つ、アルハンブラ宮殿へと行きました。アルハンブラ宮殿は、滅びゆく王国が造ったイスラム建築の最高峰ともいわれています。キリスト教に政権が移ってから、キリスト教様式のデザインが加えられ、独特の雰囲気を醸し出しています。イスラム教徒を異端視しつつも、中世のヨーロッパはイスラムから医学、数学、化学など多くの知識を学び、建築もその一つといわれています。

   

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 滅びゆく王国が造ったイスラム建築の最高峰ともいわれています。キリスト教に政権が移ってから、キリスト教様式のデザインが加えられ、独特の雰囲気を醸し出しています。イスラム教徒を異端視しつつも、中世のヨーロッパはイスラムから医学、数学、化学など多くの知識を学び、建築もその一つといわれています。

   

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 パエリアは、米どころとして知られるバレンシア地方発祥の食べ物で、「パエリア」という言葉はバレンシア語で「フライパン」を意味するそうです。私たちツアー仲間分のパエリアができあがりました。これで何人分あるでしょうか。

  

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 9/14(水) バレンシアで一泊し、いよいよスペイン観光の最大の目玉、バルセロナのサグラダ・ファミリア観光に出かけることになったのですが。ドライバーさんの緊急入院という異常事態が発生してしまい、私たちは立ち往生してしまいました。作戦を変更して、レストランでの昼食を諦め、好きな食材を買って、バスで移動しながら食べるということになりました。それぞれ食材を仕入れてバスに戻ってみれば新しいドライバーさんはまだ現れず、私たちはバスの日陰で行儀よく並んで待っていました。

    

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 今やバルセロナでサグラダ・ファミリアに次いで人気スポットとなっているグエル公園を観光しました。グエル公園はガウディが設計したものです。ここはモニュメント階段といわれていて、このトカゲはグエル公園で一番人気の撮影スポットになっていました。

  

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 サグラダ・ファミリアは日本語に訳すと「聖家族贖罪教会」という意味になります。ガウディの建設群として2005年にユネスコ世界遺産に登録されました。サグラダ・ファミリアは、1882年に着工され、以来130年が経過しても工事が続けられています。

    

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 遠くからは背の高い建物だなあと思ったのですが、近づけば近づくほど巨大になってきて、人間がとても小さく見えました。波打つような壁面や溶け落ちたような装飾は、ガウディという人の芸術的天才性が感じられるのですが、何と表現していいかわかりません。ガウディは “私は創るのではなく(自然を)写している” と行っているのですが、それにしてもガウディの頭の中は我々凡人には計り知ることはできません。

    

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 ガウディが19世紀末に活躍したモデルニスモという芸術活動は、有機的な曲線と華やかな装飾が特徴といわれています。中でもガウディの自然をモチーフにした奇抜なデザインは当時から注目されていました。

   

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 ガウディがこの教会の建築を任されたのは1883年からで、まだ無名の31歳の時でした。以来1926年に73歳で亡くなるまでライフワークとしてサグラダ・ファミリアの設計・建築に取り組んだそうです。ガウディは詳細な設計図を残さないで、大型模型や、紐と錘を用いた実験道具を使って、構造を検討したとされています。

   

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 グエル観光とサグラダ・ファミリア観光でガウディワールドにどっぷりと浸かった後、ツアー最後の夕食となりました。目の前は地中海で、ここは海辺のレストラン、スペインに来る前に思い描いていた場所でしたので期待で胸が膨らみました。

    

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 目指すレストランに行く途中、道の両側には魚介類が並べられていて、益々期待は高まったのですが。

   

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 店先に並んでいた色とりどりの美味しそうな魚介類はどこへ行ったの? と思っていましたら、ようやくムール貝が出てきました。ツアーでの料理ですのであまり我が儘はいえませんでした。

   

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 夕食後、ライトアップされたサグラダ・ファミリアは夜空に浮かんでいるようでした。ちょっとワインを飲み過ぎて頭がも目もフラフラしていましたので余計幻想的に見えました。

    

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 9/15(水) ツアー7日目、帰国の途につく日となりました。先ずは、バルセロナから往路と同じ中継地のミュンヘンへと向かいました。ミュンヘンでトランジットし、羽田行きは 9/15(木)の現地時間16:00(日本時間23:00)でしたが、ミュンヘンを飛び立ってしばらくすると日本時間では9/16(金)0:49と日付が変わりました。

  

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 18:29(日本時間01:29)に夕食となりました。メニューは、日本人シェフが監修したとのことで、季節のミックスサラダ、茶そば、ビーフシチューなどで美味しく、酒(白ワインや赤ワイン)なども進みました。

    

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  02:01(日本時間) 翼の先に満月に近い月がかかっていました。機上お月見は初めてでした。そして予定より少し早く羽田に到着し、8日間のスペインの旅は終わりました。

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