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2017年1月29日 (日)

回想ヒマラヤⅢ07 ダラバニ(1,860m)へ

3/20(火) トレッキング3日目、この日も谷底に下りまた上り返すというアップダウンを繰り返した1日でした。朝7:30に出発し、15:00に目的地に到着しました。昼食や休憩時間を入れて7時間半の行程でした。なかなか雄大な景色にお目にかかれず歩け歩けの毎日が続きましたが不思議と飽きませんでした。

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 ヒマラヤ山中に分け入って歩いているという感じで、周りを見上げても山に取り囲まれていて、なかなか展望が開けてきませんでした。

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 エベレスト街道に比べるとラウンドアンナプルナのルートはトレッカーは少なく、歩いている人も少なく、馬やロバが一番多く目につきました。どんな険しい道、難路でも馬やロバは黙々と荷を運んでいました。

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 休憩時間には個人ポーターさんがそばに寄り添って何かと面倒をみてくれました。

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 折角標高を稼いだと思ったのにまたまた河原に下りました。ここでは珍しく何人かの外国人トレッカーと一緒になりました。

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 河原をしばらく歩くと案の定、吊り橋でその橋を渡った先からは山裾を上りました。

   

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 HOTEL THE SEVEN というロッジに到着しました。ここは部屋が広くトイレ付きでしたのでゆっくりと寛ぐことができましたが、床がコンクリートの打ちっ放しで冷気がしんしんと迫ってきてとても寒く感じました。

   

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 ガイドやポーターさん達スタッフの皆さんも一仕事終えて寛いでいました。

   

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 同宿したフランス人ご夫妻とはこの後行く先々で顔を合わせました。ラウンドアンナプルナに出かけてくる人は国籍別ではフランス人が一番多いとのことで、たしかにフランス人を多く見かけました。

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2017年1月28日 (土)

回想ヒマラヤⅢ06 チャムジェ(1,380m)へ

3/19(月)は、歩行時間5時間と比較的短い行程で、昼過ぎにチャムジェという村に到着し十分な休養をとることができました。

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 朝の出発時間、フロントでチェックアウトする外国人グループ。まだトレッキング2日目でしたが、トレッカーが非常に少なく、また日本人がまったくいないことが印象的でした。

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 鈴木さんの個人ポーターのクリスナ君の先導で出発しました。彼は20代前半と若くどうしてもペースが速くなりがちでした。

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 ヒマラヤの奥地らしい雰囲気の山道に出るとなんとなく心が浮き立ってきました。

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 私の個人ポーター、ペンバ・シェルパさんは、片言の日本語が話せるコックさんでもあります。個人ポーターは水やちょっとした食料、着替えなどを入れた小さなリュックも全て持ってくれますので、私は空身で歩くことができ、また休憩時など黙っていても飲物を差し出してくれたり身の回りの世話をしてくれますので殿様気分でした。最初は慣れなれなかったのですが、そのうち当たり前のようにサービスの提供を受けるようになりました。

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 遙か彼方に今日の宿泊地が見えてきますとホッとしました。ジープはここまで入ってきますので、歩かずにカトマンズからここまで車で来る外国人が結構いました。

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 この日の宿はチベットラサホテルというロッジで、ここのママさんはとても働き者で、ネパールでは女性は老いも若きもよく働いていました。

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 荷物を部屋に置いた後、鈴木さんは早速美味しそうにタバコを吸っていました。

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 私は日焼け止めクリームも落とさずに、ドーランを塗った状態でノドの渇きを癒しました。これ以降標高が高くなりますのでしばらくはビールはお預けとなりました。

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 このロッジのトイレは屋外でしたが、部屋は明るい雰囲気で使いやすくもありました。

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2017年1月26日 (木)

回想ヒマラヤⅢ05 ロッジライフ

トレッキングが始まりますと、特殊なエリアでのテント生活を除いてはロッジ泊まりとなりました。

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 ロッジにはかなり勝手な名前が付けられていて、ロッジの外観も小ぎれいですが、実際にはドアがきちんと閉まらなかったり、カギがかからなかったりすきま風が入ってきたりとさまざまで、日を重ねるうち気にならなくなりました。

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 部屋は、簡易ベッドが2つのツインです。ちょっとした小物が置ける棚や小机があるところもあり、まったく何もないところもありました。暖房設備は一切なく身の置き所もないくらい寒く夕食後など何もすることもなく、結局寝袋に潜り込むということになりました。

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 大体モーニングコール6時、朝食7時、出発8時というパターンで、朝は4時か5時には目が覚めてしまいました。モーニングコールの6時には紅茶かミルクティーが届けられます。最初はこれを飲むだけで朝食はいらないほどでしたが、そのうち慣れました。朝食前にポーターさんに運んでもらうダッフルバッグを部屋の前に出しておきます。

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 朝食は前日に注文しておきます。この日はガーリックスープ、パンケーキ、オムレツでしたが、私はもともと少食ですのでスープ以外はたいてい食べきれませんでした。ガーリックスープは高山病に効くといわれていますのでできるだけ飲みました。食後にコーヒーやミルクティーなどを飲みますので、朝から水分をかなりとり、これは高山病対策でもあります。

   

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 私たちが朝食を食べている間、ガイドやポーターさん達は私たちの荷造りをし、準備ができればポーターさん達は先に出発します。

   

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 1日の行程を終えてロッジに到着すると、先ず着替えをし、翌日の荷物の整理をし、シェラフなどをセットします。狭い室内スペースを二人で要領よく使って、諸々の作業や準備をしましたが、これも日を追って手際よくなりました。

   

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 ロッジに着いて部屋が割り当てられて最大の関心事は、室内にトイレや洗面所があるかどうかです。屋外トイレの場合は、夜中にきらめく星空を眺めるチャンスもありますが、高地で寒い時には恨めしくなりました。

   

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 トイレットペーパーは持参で、専用の箱やバケツに入れ、便器は水で流します。高地ではバケツの水が凍り付いていることもありました。これらもすぐに慣れてしまいました。トイレのドアのカギもかからなかったり、無理にかかったと思ったら今度は外すのに手間取ったりさまざまなケースがありますので、事前に慎重に確認するリスク管理の癖もつきました。このような状況を考えると、マドンナさんのようにヒマラヤで一人でトレッキングしている女性の心身のタフさには感服します。後年出かけたチベットに比べて、ヒマラヤのトイレは設備は貧弱でしたが清潔でした。

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2017年1月24日 (火)

回想ヒマラヤⅢ04 サンゲ(1,100m)へ

3/18(土)、いよいよトレッキングの開始です。予定ではバウンダラーという村まででしたが、順調なペースで歩けたため、かなり先のサンゲという村まで行きました。歩行時間は8時間でした。

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 2人のポーターさんが私たち3人分の荷と2本の酸素ボンベを背負って先行し、私たちは後に続きました。

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 この日の標高差は360mですから大したことはないと思っていたのですが、これから先何回も川を渡り吊り橋を渡りことになりました。その度に一度川底まで下りまた上り返すというアップダウンの繰り返しでこれがかなりくせ者でした。最初は面白がっていた吊り橋でしたがそのうちうんざりするようになりました。

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 それでも道はまだ街道歩きののんびりした風情でした。

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 ときどきハッとするような美人のヤングママに出会うと、皆の目線はいっせいにそちらへ。リーダーのアン・ツェリンさんも子供をあやすふりをして目線はママに向かっていました。

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 ここにも可愛い親子連れがいました。このあたりはまだのどかなテクテクでした。

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 貴重な水場では、娘さん達と羊達が仲良く水を分け合っていました。

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 のどかな風景を見ながらも、道は次第にヒマラヤの奥地へと進んでいきました。

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 生活道路でもありますので、時々人も荷も満載のジープに出会いましたが、デコボコ道で右へ左へと大きく揺れながらも人も荷もこぼすことなく走り抜けていきました。この辺りはノドをやられないように万全の注意をしました。

 

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 16:00過ぎに、サンゲという村のNewWaterFallHotelというロッジに到着しました。予定地より先に進んだため、休憩時間を入れて8時間近くの歩きでした。

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2017年1月22日 (日)

回想ヒマラヤⅢ03 ベシサハールへ

3/17(金)は、トレッキングのスタート地点となるベシサハール(760m)まで8時間専用車で移動しました。

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 カトマンズを8:30に出発しました。ちょうど朝混雑する時間帯でもあり、多くの車と行き交いました。

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 途中、多くの村を通り過ぎました。こういう村を見るのもなかなかできない経験でした。

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 車は次第に山の中に入り込み、もう後戻りはできないぞと心に言いきかせました。

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 大きな市場がある村もあり、物資は非常に豊かでした。

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 市場や日本でいうドライブインのような店が軒を連ねている賑やかな村で昼食を食べました。これ以降カトマンズに戻る迄日本食は口にすることはできないための配慮でしょうか、日本食弁当が支給されました。私は高地に行ったら口にできないビールを頼みました。同行の大阪のおっちゃんは、同期の鈴木さんと私より6歳年下とのことで、日本100名山も富士山だけを残しているとのことでさすがに健脚でした。しかし河口慧海をご存知ないとか、随所にユニークさを発揮してくれて、愉快なオッちゃんでした。この彼に飲み代(現地通貨)を借金する羽目になるとは・・・私もトホトホでした。

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 ガイドさんやポーターさん達の食欲は旺盛で、ネパール定食(アルバート)はいくらでもお代わりできますので、上手に手でライスとおかずを食べていました。

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 私たちを運んでくれたヒマラヤ観光開発の専用車は、16人乗りでしたので私たち3人とガイドさん2人の計5人にとってはかなりゆとりあるドライブを楽しむことができました。

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 宿泊したロッジは、モンゴリアゲストハウスという名前で、ここベシサハールでは比較的大きなロッジでした。

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 トレッキングのスタート地点ベジサハールで、スタッフの初顔合わせとなりました。客が私たち3人、ガイドのアン・ツェリンさん、ポータのマン・シンさん、ロマン君、鈴木さんの個人ポーターのクリスナ君、私の個人ポーターのペンバ・シェルパさんの総勢8名の編成でした。特に私は、心肺の状況によっては1人戻ることも考えられましたので、日本語が話せるコックで、ガイドもでき信頼できる個人ポーターの手配をお願いしました。

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 ロッジの部屋は、原則ツインです。今回は鈴木さんと同室でしたが、1人参加した場合は初めての人とずっと一緒にロッジ暮らしとなります。この日からシェラフ(寝袋)生活が始まりました。最大の関心事はトイレが部屋に付いているか室外か戸外かでした。

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2017年1月19日 (木)

回想ヒマラヤⅢ02 カトマンズへ

2012.3.15(木) 「ラウンド・アンナプルナ25日間」の長丁場トレッキングの出発の日が来ました。相棒鈴木さんと大阪から参加のおっちゃんとの3人旅です。

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 3/15(木)早朝、横浜からリムジンバスで成田に向かいました。首都高速あたりは首都圏を出る車と首都圏へと向かう車で一杯でした。いつものことですが、もしこの首都圏で大地震が発生したら一体どうなるだろうかという心配が頭をよぎりました。

 

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 成田で前泊していた鈴木さんと合流し、出国審査を終えホッとしたところです。ヒマラヤへの期待と不安で頭は一杯でした。鈴木さんはヒマラヤは5回目で、心強い味方です。私は3回目です。もう一人大阪から参加するおっちゃんとはカトマンズで落ち合うことになっていました。

   

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 夕方、タイ・バンコク空港に到着し、現地ガイドさんと待ち合わせの一時、鈴木さんは早速一服つけていました。

   

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 今まで、夕食は大抵ホテルのレストランでとることが多かったのですが、今回は2人ですので地元で人気のお店に案内してもらうことにしました。豚の丸焼きなども売っている界隈は今までと異なって期待がもてそうでした。

   

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 なんと小泉元首相の写真が飾られている店に案内されました。彼が首相としてタイに訪問した時、タイの風習に則った挨拶や振る舞いをしたそうで、訪タイした歴代総理大臣では初めてだそうで、今でも人気があるそうです。

   

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 店先には生け簀があり、魚介類や野菜などが並べられていてお好みのものを指名して調理してもらうことができました。

    

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 出てきた料理は、ガイドさんを含めて3人でも食べきれないもので、この後デザートも出されました。ヒマラヤトレッキングでの豊でない料理を想像して頑張って食べました。

   

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 タイ・バンコクで一泊し、3/16(金)カトマンズに向かいました。バンコク空港は広くてきれいな飛行場で、外観もユニークなデザインでした。

   

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 バンコク空港で時間待ちの間、腰に違和感を感じるといっていた鈴木さんは、椅子に寝そべっていました。

   

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 かと思うと、歩行訓練と称して長い通路を歩いていました。鈴木さんは腰の不安、私は肺気腫と帯状疱疹の後遺症の不安を抱えての旅立ちでした。

   

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 カトマンズ行きのタイ航空で隣り合わせた女性は、ツールドモンブランで一緒だったヒマラヤ観光開発の井本さん(エベレスト登頂2回:)と同じ山岳会に所属している筋金入りの山ガールで、聞けば世界の多くの高峰を征した実績を持ち、カトマンズにも頻繁に訪れていて、様々な情報を教えてもらいました。

   

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 3/16(木)14:10、宿泊先の「ヤク・アンド・イエティ(雪男)ホテル」では、マドンナさんが待っていてくれました。カトマンズに移住して半年、ここでの生活が性に合っているのか、ピチピチ元気そうでした。3人で積もる話に話を咲かせましたが、乾杯はラウンド・アンナプルナを征してからということになりました。

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2017年1月17日 (火)

回想ヒマラヤⅢ01 出発前

2012.3.15 から25日間の日程で、3回目のヒマラヤに出発することになりました。ヒマラヤ行きにあたって受けた高地健康診断で肺気腫といわれ、呼吸器系の主治医から4,000m迄というイエローカードが出されました。実際に4,000m以上の低酸素状態でどうなるかのテストとトレーニングを兼ねて三浦雄一郎さんがやっているミウラ・ベースキャンプ(原宿)へ行きました。

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 ミウラ・ベースキャンプは20113月に続いて2回目で、ここでは高地登山者のための診断やトレーニングを行っています。肺気腫の人が4,000mを越えたという事例がないために、実際のところどうなるか専門家でもわからないということでした。

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 1日目(3/124,000m4,500m2日目(3/135,000m5,500mのテストとトレーニングを行ってきました。部屋の上部の数値表示11.3%は高度5,200mくらいの酸素濃度で、標高0mでは20.9%ですので地上の空気の約54%の薄さということになります。この酸素濃度の状態で安静にしていると10分くらいで体内の血中酸素濃度は70以下になり、唇は紫色になり、瞼が重くなったり、頭がボーッとします。この状態が長く続くと高山病になります。

ここでのトレーニングは、安静20分、ウオーキング30分、階段(ステップ)の上下30分のメニューを安静状態と深呼吸状態を5分づつ繰り返すというものです。深呼吸が正しい呼吸法かどうかやきちんと酸素が体内に取り込めているかなどのテストが行われました。今回のツアーの手配をお願いしたヒマラヤ観光開発の担当者も私の肺気腫を心配して駆けつけていただきましたが、最高5,500mでも特に問題はなさそうということになりました。ホッとしましたが、実際には気圧が異なりますし、体調や寒さなどいろいろの条件が加わりますので油断はできませんが、まるでダメということでもなさそうですので、行けるところまで行ってみようと思ったのでした。

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 ヒマラヤというとエベレストというイメージがありますが、ヒマラヤ山脈はネパール、ブータン、中国、インド、パキスタン、アフガニスタンの6つの国にまたがる広大なエリアで、地球上の14座の8,000m峰はこのヒマラヤ山脈とカラコルム山脈にあり、そのうちエベレストなど8座がネパールにあります。今回はアンナプルナⅠ峰(8,091m)を頂点とする数々の名峰光景をぐるっと一周する“ラウンド・アンナプルナ完全周遊25日間”というトレッキングです。多くの見どころがあり、エベレストの次に見たいと思っていたマナスル(8,163m)やアンナプルナ山群、次々に変わる光景、途中宿泊したり通り過ぎる村々、そしてハイライトはトロンパス(5,416m)越えです。

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 今後ヒマラヤ歩きを続けるならば、心肺がどこまで耐えられるかは一度はトライしてみなければならないこと、そのためには今回の“ラウンド・アンナプルナ”は700mから徐々に高度を上げていきますのでうってつけのコースです。呼吸器の主治医からはトロンパス(5,416m)は越えるな、4,000mで引き返すようにといわれていますのでトロンパス手前で引き返す予定ではいるのですが。そのためには本隊(総勢3人+ガイドさん達)と別れて単独で引き返さなければならないため、別途個人ポーターさんを手配してもらいました。とはいえ、体調が良く1割の望みでもチャンスがあれば5,000mを越えてみたいとも思ったのでした。

高度や寒さにどこまで耐えられるか、長い日程(3/154/8)で体力はもつか、風邪はひかないか、腹はこわさないか、足腰はもつか、食事(少人数のためコックは帯同しません)は口に合うかなど数え切れないほどの不安が頭をよぎりましたが、それでも次から次に現れるであろう見たこともない風景や大自然の中に身を置くことの浮遊感というか味わったことのない感覚などに思いを巡らせますと、行かない後悔より行ってみての後悔なら悔いはないかなと思いました。どうなることやらという期待と不安がない交ぜになっていた出発前でした。

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2017年1月15日 (日)

回想:院長さんの西遊記04 ヒマラヤそば

2012.1/4(水)いろいろな表情を見せてくれたダウラギリⅠ峰とニルギリ連峰と気の済むまで向かい合い、3連泊したタサンビレッジにお別れをつげて、ポカラまで山岳ドライブしました。

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 屋上からと部屋の窓からの素晴らしい眺め、清潔で快適な部屋、温かい暖炉、美味しい食事、温かいおもてなし、特にいつも真剣な顔をしていた支配人(社長さんの弟さん)の心遣い~屋上でビールが飲みたいといえばすぐに持ってきてくれたり、湯たんぽのことをいつも気遣ってくれたり、眺めの異なる2つの部屋に泊まらせてくれたり~は忘れられません。お別れにシルクのスカーフまで私たちの首に巻き付けてくれました。まるでヒマラヤ奥地に自分の還る場所が見つかったような気分にさせてくれました。

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 専用車は、カリ・ガンダキ川に沿って、激しい縦揺れの道と切り立った断崖の道をひたすらポカラに向けて疾走しました。この雄大な景観もここで見納めでした。

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 1月の酷寒というのにオレンジのみがたわわに実っていました。比較的気候が温暖で、土地も豊かそうでした。

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 途中昼食を食べに寄った食堂は、緑に囲まれ、まるで椰子の木陰の南の島のような雰囲気で、山岳ドライブでクタクタになった心身の疲れを癒してくれました。思わず昼寝しそうになり、ここがヒマラヤ山中であることを忘れてしまいました。

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 アットホームで、料理は何を食べても美味しく、車酔いでビールを控えていた院長さんもついついジョッキを傾けてしまいました。

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 ガイドのスディールさんはネパールスタイルで美味しそうにランチセットを召し上がっていました。水分補給と腹拵えを十分して、専用車はカーチェイス並みに疾走し、何はともあれ無事ポカラに到着しました。私たち3人はクタクタでした。

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 ポカラで宿泊し、翌日(1/5) 予定ではヒマラヤビューの名スポット・サランコットの丘に行く予定でしたが、バンダ(マオイスト指導のゼネスト)のため車が一切動けず、院長さんの提案で日本山妙法寺まで歩くことにしました。暗い道をヘッドランプを頼りに歩いている途中、幸いにも闇タクが捉まり登山口まで歩かずにすみました。駆け上がるようにして夜明け前に山頂に着きました。

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 私たちにとっては、ここで見た太陽が初日の出でした。

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 仏舎利塔にも陽が射し、遠くマチャプチャレ(6,993m)や7,000m級のアンナプルナ山群にも朝陽が当たっていました。ヒマラヤでの初詣でした。

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 初日の出を拝んで、下山してみればポカラ市街は朝靄に包まれていました。霞んでしまったメインストリートには、ゼネストのため車は一切走っていませんでした。午前中にカトマンズに行く予定の私たちは、往路と同様ホテルまでの道を急ぎました。

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 靄は益々ひどくなりました。車が走れないため大きな荷物を持ってホテルから飛行場まで歩かなければならないこと、この靄では飛行機は飛ばないのではないかという二つの不安を抱えながらも早朝散歩の心地よさと、初日の出を見ることができた嬉しさで、何とかなるだろうと足取りは軽やかでした。

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 幸いにもホテルから飛行場まではホテルの車が動き、ポカラ空港では多少待たされたものの無事にカトマンズまで飛行し、ヒマラヤそばの店に直行しました。そこでタサンビレッジの社長さんと再会しました。

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社長の奥様(左端のご婦人)にもお目にかかりました。奥様は日本人で、道理で社長さんの日本語が上手なわけです。またタサンビレッジの建設当初から係わり、今回トヨタVIPのために設備メンテナンスのためタサンビレッジで待機していたコンサルタントの林さん達とも再会しました。林さんはヒマラヤ歩きのベテランでもあり、タサンビレッジの暖炉を囲んで様々な話を聞かせていただきました。出会いがあって、再会があって、ヒマラヤで友だちが増えたような気になり、タサンビレッジとヒマラヤそばの店は忘れられない場所となりました。

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 ヒマラヤそばをお代わりして腹拵えをした後、最後のカトマンズの風景を楽しみました。

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 カトマンズはレンズの向け方、風景の切りとり方で敬虔な表情から猥雑な表情まで様々な表情を見せてくれます。今回はスワヤンブナート寺院を訪れました。

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 1/6(金)13:50カトマンズ発のフライトでバンコクへ、バンコク発22:35のフライトで成田に1/7(土)6:30に到着しました。

院長さんご夫妻はそのまま羽田経由で札幌に午後到着し、私は横浜に向かいました。院長さん達もヒマラヤにはまったようで、いつかヒマラヤで再会するかもしれません。

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2017年1月13日 (金)

回想:院長さんの西遊記03 銀嶺の高台

札幌でクリニックを経営している院長ご夫妻とヒマラヤにご一緒した際、院長さんが撮った写真をいただき、掲載させていただいています。ハイキング2日目(1/3)は、カリ・ガンダキ川の対岸に渡り、高台のティティガオン(2,850m)までの往復ハイキングでした。ダウラギリⅠ峰、ニルギリ連峰、アンナプルナⅠ峰などの豪快な景観を楽しみました。

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 早朝、タサンビレッジの屋上に出てみると、前日とうって変わって頂には朝陽が当たり、青空を背景にダウラギリⅠ峰(8,167m)の勇姿が全貌を見せてくれました。

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 陽が高くなると、真っ白な氷河も姿を見せ、前日の雪で更に白く輝いていました。朝陽が差し込むダウラギリⅠ峰をしっかりと目におさめ、これで安心して高台(ティティガオン)へのハイキングに出かけることができました。

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 カリ・ガンダキ川への河原に降りると、白い峰がのしかかってくるようでした。

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 ヤギの一群も、朝の気持ちいい大気の中を移動していました。ところどころにある小川を渡る時、躊躇なく渡るヤギと尻込みするヤギとがいて、ヤギにもいろいろな個性があるようでした。

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 ちょうど昼時にティティガオン(2,850m)に到着して、ロッジでつくってもらったランチをいただきました。風を遮るものがなくかなり寒いランチでした。

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 足下から頂まで続いているなだらかな傾斜を見ていると、登っていけそうな気がしましたが、頂上まではここから5,000mも上ることになります。

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 なんと私たちのちっぽけなこと!!

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 白き峰嶺を楽しみ、温かい陽射しを浴びてのんびりと戻る途中、散策中の牛と一緒になりました。和やかな雰囲気で牛もご機嫌かと思いきや縄張りを主張してかなり怒っているとか。

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 朝9寺頃に出発して、帰りはニルギリ連峰の夕陽に間に合うようにとピッチを上げ、何とか4時前に戻りました。早速屋上で乾杯でした。院長さんご夫妻は、北海道で山歩きやスキーをしているとのことで、かなり健脚で何とかついていくことができました。

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 朝陽のダウラギリⅠ峰、夕陽のニルギリ連峰が素晴らしいと言われていますので、その夕陽を楽しみにビールや地酒を飲み交わしつつ屋上で5時近くまで粘ったのですが、残念ながら夕陽にはお目にかかることはできませんでした。

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2017年1月11日 (水)

回想:院長さんの西遊記02 タサンビレッジ

2012年、新年をマルファ村で迎え、ジョムソン街道を下ってタサンビレッジへ向かいました。ヒマラヤで年末年始を一緒に過ごした札幌市内医院の院長さんからいただいた画像を掲載しています。

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 ポーターさんに荷を預け、9時前にマルファ村を出発しました。元旦ですが、ここではあまり関係ないのか、お正月らしい雰囲気は何もありませんでした。乗り合いバスは村人で満杯でしたので、皆さんお年始に出かけるのかもしれませんが。ヒマラヤでは、基本的に大きな荷物はポーターさんが持ってくれますので楽なのです。ネパールではその仕事は大きな収入源になっています。

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 途中、大岩に経文を描いたマニ石が見られました。

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 時々ジョムソン街道沿いの宿場町のような村を通りました。石畳や石壁がきれいで街道歩きの気分でした。このルートはトレッカーや観光客や日本人にまったく会わない道でした。

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 街道から外れて、乾期のせいで涸れたカリ・ガンダキ川の河原をショートカットで歩きました。どんよりとした雲が渺々たる河原にたれ込めていて、寒々しい風景でしたが、広大な自然の中を歩く気分は晴々でした。

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 この辺りでは、木を切り出し、木を運び、薪にして保存するという仕事が最も大事な仕事のようです。街道沿いで薪づくりをしているお父さんは日本に4年間出稼ぎに行ったことがあるそうです。びっくりしたのは、どんな鄙びた村でもどんな小さな子でもほとんどの子供が英語で“How are you.”と英語で挨拶することでした。

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 何とか雨にも雪にも降られず、お昼過ぎにタサンビレッジに到着してホットしました。ポーターさん達とはここでお別れしました。

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 早速暖炉の前ですっかり冷えきった身体を温めました。この暖炉は院長さんの特にお気に入りで、多くの時間をここで過ごしました。燃料がないためにどこへ行っても寒く、こういう暖炉はとてもありがたかったのでした。

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 タサンビレッジの社長さん(ネパール人)や、トヨタVIPグループを受け容れるために設備のメンテナンスに来ていた日本人たちと元旦の晩餐会でした。社長さんから赤ワインを振る舞われ、最後にビフテキという豪華な食事になりました。この社長さんはかなり個性的な面白い人ですが、どうみても日本人にしか見えませんでした。

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 夜明けの景色を楽しみにタサンビレッジの屋上に出てみれば、銀世界が拡がっているだけではなく、雪雲が拡がっていました。

   

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 山上湖といわれるショコンレイク(2,727m)へハイキングに出かける前に、温かい朝食で腹拵えしました。野菜と鶏肉などの煮込みスープは、シンプルな味付けでいながらとても美味しく、野菜は滋味豊でした。鶏は路上で放し飼いしていますので、肉は引き締まり味は濃厚、また生卵や卵焼きも新鮮でとても美味でした。最も心配した食事はいうことナシでした。

 

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 雪化粧したタサンビレッジを出発しました。この建物は何度見てもいい顔していました。

    

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 昼前にショコンレイクに到着しました。湖面に映るはずのダウラギリⅠ峰やニルギリ連峰は雪雲に遮断されていました。それでも雪の中を歩ける楽しさで3人ともはしゃぎました。

   

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 カリ・ガンダキ川の向こうに赤い屋根のタサンビレッジが小さく見えました。何連泊もしましたので“峠の我が家”という言葉が浮かんできました。ダウラギリ氷河や相変わらず低くたれ込めている雪雲に押しつぶされそうでした。

    

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 上ってきた急坂をカリ・ガンダキ川の河原に向かって下りました。ホッとする間もなく、再びタサンビレッジへの急坂の上り返しがきつかった。息が切れそうに苦しく、もう限界と思いつつもう一頑張りすると、ガイドさんの“はい!休みましょう”の一言の絶妙のタイミングに感心し、ホッとしました。

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2017年1月 9日 (月)

2013年の初富士&初夢

今年(2017年)のお正月は、三が日は一族郎党が集まって何となく過ごしました。1/5(木)には鎌倉へハイキングに出かけましたが、後は何となく落ち着かない気分で1週間が過ぎました。これからの日々は何年ぶりかの大きな出来事が待っていてあまり正月気分には浸れませんでした。

4年前(2003年)の正月は元旦に初富士を見に出かけていて、元気があったのか気持ちのゆとりがあったのか。そんな元気な新年を振り返ってみました。

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 2013年、新しい年が始まりました。空が晴々としていましたので、じっとしていられず初富士を拝みに行きました。早朝車を飛ばし山中湖に着くと、湖畔には既にご来光を仰ごうと夜明けを待っている人達が佇んでいました。

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 湖畔の駐車場近くには、更に多くの人が紅富士の登場を待っていました。上半身裸になった若者達が写真を撮っていました。若者達はいつの時代も元気!です。

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 朝陽が昇ると富士山の頂上が赤く染まる紅富士、今日は太陽に雲が少しかかっていたため薄紅色で艶っぽい富士の姿でした。

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 陽が冠雪した峰に照りつけ、空の青と峰の白とのコントラストが鮮やかになりました。

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 折角ですので、石割神社で初詣をして石割山に登って初富士と対面することにしました。登山口の鳥居をくぐると403段の石段が待っていました。

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 すっかり葉を落とした木立の間から富士山を見ることができました。春になると冨士にオーバーラップした桜の蕾や花びらを眺めることができます。

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 石割神社は近年パワースポットとして注目されていて、今日も地元の人の他に山ガール達が来ていました。御本体である大きな石の後には30cmくらいの隙間があり、3回廻って願い事をすると叶うということでしたので、新年でもあり3回廻りました。

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 石割山山頂(1,413m)からは富士山と真向かいにご対面できます。久しぶりの青空とスッキリとした富士の姿にいい年になりそうな気がしました。

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 遙かに南アルプスも見通すことができました。

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 冨士の左の裾野に2つのコブがあり、その宝永山と二つ塚もはっきりと見え、雪を刷毛で丁寧に掃いたような白いスジがありました。

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 久しぶりにスッキリとした富士山にお目にかかれました。気高くどっしりとしていて、今年も日本や私たちのことを日本一高いところから見守ってくれることと思いました。

 

新年早々富士山の秀麗な姿を見ながら今年のテクテクに想いを馳せました。ヒマラヤ(マナスルを見てみたい)にも行きたいし、チベット側からヒマラヤを見たいし(日本人のチベット入りは禁止されていて年末・年始のツアーは全部ストップしたとのことですから現実的には無理)、ネパール側とは尺度が異なるスケールの大きな自然も見たいし、日本のいくつかの山にも登りたいしと夢は広がります。当面2月は南の島(奄美大島と沖縄の離島)へ、3月は仕事、4月はパキスタンのカラコルム&フンザが決定していて、それ以後は仕事と睨めっこということになります。K2に連なるカラコルムや世界一のあるいは最後の秘境といわれるフンザ、シルクロードの果てといわれるフンザには数年前から行ってみたいと思っていたところです。夢は広がります。

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2017年1月 7日 (土)

初詣 鎌倉ハイキング

2017年という新しい年が明けて1/5(木)、鎌倉に初詣かたがたハイキングに出かけました。

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 散歩コースの一つである鎌倉ルートは先ず自宅から戸塚駅まで歩きます。歩き始めて15分くらいの所に「観音禅寺」という曹洞宗のお寺があります。山門の先には凜とした佇まいの伽藍があり、伽藍の上には雲一つない青空がありました。

 

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 2016.1.1撮影) 「観音禅寺」には涅槃物が安置されていて3が日にはご開帳で見ることができるのですが、この日(1/5)は残念ながら見ることはできませんでした。仏殿の外から参拝しました。

    

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 戸塚駅からJRに乗って北鎌倉で降りました。北鎌倉のすぐ傍に鎌倉五山第二位の「臨済宗大本山円覚寺」があります。1282年に北条時宗によって創建されたお寺です。このお寺の境内をJRが走っています。山門で手を合わせて先を急ぎました。

   

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 円覚寺から10分くらい鎌倉駅方向に歩いて行くと鎌倉五山第一位の「臨済宗建長寺派の大本山建長寺」があります。

   

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 建長寺の仏殿にはご本尊の地蔵菩薩が安置されています。手を合わせてお参りしました。

    

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 建長寺のこのドカーンと宏大な境内と仏殿や本殿がとても好きです。ここにいるだけで気持ちが落ち着きます。

    

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 昔は建長寺全体が修行道場だったのですが、現在はこの「法堂」が修行道場になっています。ここには千手観音が祀られています。合掌。

    

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 建長寺の境内を抜け、天園ハイキングコースへと向かいました。このコースは2回目です。前回は気が付かなかった洞がありました。この洞は「やぐら」といわれるものの一つのようで、お墓とも供養の場ともいわれています。この先の半僧坊にかけてたくさんの「やぐら」があるようです。

 

 

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 鎌倉は四方八方を小高い山や丘で囲まれていて、その山を切り拓いた「切り通し」という道があったり、岩壁をくり抜いた秘密の抜け道のようなものがたくさんあります。

     

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 天園ハイキングコースに向かう途中に「半僧坊」という建長寺の鎮守とされるお寺があります。鳥居の先は長い参道の先に山の中に消えてゆくような道が続いていて、この鳥居の先は「結界」のようでもあり、初めてここに来たときこの雰囲気がすっかり気に入ってしまいました。

    

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 つづら折りになった何段のも石段を上ってゆくと「からす天狗」があちこちに。半僧坊大権現は天狗の姿をしているといわれ、ここには大小12体の天狗像が置かれています。

   

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 石段を上りきると朗々たる読経の声が、新年の祈祷が行われていました。お坊さんの読経の声が好きですし、お経を唱えるのも好きですのでしばらくお経を聞いていました。10年前(2007年)四国八十八箇所巡りをしたとき、般若心経を何回も唱えているうちに自然に覚えてしまい、今でも山を歩いているときなどには自然に唱えていることがあるくらい身体に馴染んでいます。

    

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 半僧坊のお堂を過ぎると傾斜の急な石段の道が続き、天に昇るような錯覚を覚えます。

   

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 展望が開けた場所から富士山を眺めることができました。

    

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 やがて展望台があり、富士山や相模湾を一望することができました。シャッターを押してもらったのですが、何か言いかかったタイミングのようで口が半開きで締まりのない顔をしています。何はともあれ、あけましておめでとうございます!

   

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 この天園ハイキングコースは、ほとんど平坦な道はなく結構アップダウンもあり、足慣らしにはとてもいいコースです。時期にもよりますが、あまりハイカーの姿も見えず、黙々と歩いているといろいろなことが頭に浮かんできたりもします。秋に予定しているヒマラヤが(相棒の体調次第で)行けなくなったら、10年ぶりに2回目の四国巡礼をしようかなあというような気持ちにもなりました。

    

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 この「貝吹地蔵」は、1333年新田義貞の鎌倉攻めの時に、東勝寺で自害した北条高時の首を新田軍に渡さないように逃げまわっていた家来が、新田軍の追手が迫ってきて逃げ場を失ってしい、そこへ地蔵が現れて、貝を吹き鳴らしながら瑞泉時の裏山に案内してくれたという。そのおかげで、高時の首を無事埋葬することができたという伝説が残されています。また、地蔵がほら貝を吹いて、新田勢が攻め寄せてきたことを知らせたとも伝えられています。

    

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 天園ハイキングコースのゴールは「鎌倉宮」です。鎌倉宮の鳥居の前には早咲の桜が陽を浴びていました。一足も二足も早い春の訪れに、少しだけ気持ちが温かくなりました。

    

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 ここ鎌倉宮は、大塔宮護良親王(おおとうのみやもりながしんのう)を祀っている神社です。護良親王は、1308年に後醍醐天皇の王子として生まれましたが、鎌倉幕府に叛旗を翻し、後に足利尊氏と闘った父親後醍醐天皇の苦難と同じような苦難の人生を送った人物です。

    

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 鎌倉宮の拝殿には、鎌倉の伝統ともいえる「獅子頭守(ししがしらもり)」を祀ってありました。これはご祭神の護良親王が戦いの時に兜の中に獅子頭の小さなお守りを忍ばせて無事を祈ったことが由縁となっているそうです。

   

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 鎌倉宮から鶴岡八幡宮に向かうと、初詣の人たちで賑わっていました。

    

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 本殿へと上る階段には多くの人がいて、入場規制が行われていましたので参拝を諦めました。参道である若宮大路やショップが軒を連ねる小町通りの人混みをかき分けながら鎌倉駅へとお戻りました。

 

いくつかのお寺にお参りをして、神社にもお参りをして、あまり人のいないハイキングコースを歩いて、静かな新年の幕開けとなりました。

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2017年1月 4日 (水)

回想:院長さんの西遊記01 大晦日

2011.12.29から2012.1.7までの10日間、ヒマラヤでご一緒した、札幌でクリニックを開設されている院長さんから写真をいただきましたので、掲載させていただきました。

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 12/29成田を出発し、タイ・バンコクで1泊し、12/30昼にカトマンズ空港に到着し花飾りの歓迎を受けた後、隣の国内線の受付に着きました。ここからポカラへと向かいました。院長夫人は、カトマンズ空港の雰囲気が今まで行ったことのあるどこの飛行場とも異なることに興味津々の様子でした。受付カウンター前のピンクのスーツケースは私がカミさんから借りてきたもので、非常に目立ち、海外ではこれくらい目立つ方がいいことがわかりました。

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 飛行機に積み込む荷物が目の前を通りました。この荷物の行く先を見ていると、何機も並んでいる飛行機のうち自分が乗る飛行機がどれであるかがわかりました。

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 12/31、ポカラ飛行場を早朝出発し、ジョムソンへと向かいました。ポカラ飛行場の屋上からはマチャプチャレやアンナプルナ山群などのヒマラヤの山々が朝陽を受けていました。

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 ポカラからジョムソンまでの山岳飛行は順調に飛び、降り立ってみればヒマラヤの寒さと荒涼とした別世界が出迎えてくれました。

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 12/31の午後、カリ・ガンダキ川の河原を下ってマルファ村の“パラダイスロッジ”に落ち着き、日向ぼっこしました。とにかく寒く、風は冷たく、少しでも太陽の陽が届くところを探しました。

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 千葉から来ていた親子とそのガイドさん達と私たちとで酒を酌み交わし、コタツにあたりながらヒマラヤのロッジでの大晦日でした。後年、最も印象に残っていて思い出す大晦日でした。

 

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 大晦日を過ごしたジョムソン街道1泊目のマルファ村は、とても純朴な人里でした。河口慧海が長逗留した村でもあります。林檎が名産で、村の外れにある小さな工場(工房といった方がいいかも)では村人が林檎をすりおろしたり煮立てたり、てづくりのアップルブランディをつくっていました。林檎の花が咲きそろう季節には桃源郷のようでしょう。決して裕福ではありませんが、豊かさを感じる村でした。

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2017年1月 3日 (火)

回想:マドンナさんのネパール便り

カラパタール

2回のヒマラヤ行きによっていろいろな人と出会い、ネットワークが広がり、ヒマラヤについての情報が集まるようになりました。201110月にネパールに移住したマドンナさんもその1人で、2012年の2月から学校(留学)に通い始めました。マドンナさんは地の利を生かしてヒマラヤ歩きをしていました。ゴラバニ、カラパタール(5,545m)、トロンパス(5,416m)、ゴーキョ(5,360m)とヒマラヤを歩き回った記録の一部画像をいただきましたので、掲載させていただきます。1回目は、エベレスト街道の終点ともいえるエベレストベースキャンプ近くの“カラパタール”トレッキングで、エベレストが間近に迫っています。

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 ヒマラヤに2回行ったとはいえ、せいぜい4,000m近くまでしか行ったことのない私には、目も眩むような眩しいヒマラヤの山々やエベレストでした。

ラウンドアンナプルナ

 

ラウンドアンナプルナというトレッキングは、日本からでかけますと全行程25日間という長丁場です。ハイライトはマナスル(8,163m)、アンナプルナ群やガンガブルナ(7,455m)を眼前に眺めることができること、トロンパス(5,416m)を越えて更に荒涼とした風景を眺めることができることなどです。

 

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 マドンナさんの情報に刺激され、結局20123月中旬に3回目のヒマラヤに出かけてしまったのでした。しかし、いただいた写真を見ながら5,000mを越える世界に足を踏み入れることができるのかとても不安になりました。

 

ゴーキョ

 

ゴーキョ(5,360m)もカラパタールに勝るとも劣らないエベレストの大展望台です。マドンナさんにとっては昨年の春に続いて2回目で、今回はヒマラヤ山中で新年を迎えたとのことでした。

 

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 帰りはカラパタールの高橋隊とホテルエベレストビューで合流し、アクシデントが発生したり、大雪が降ったり、ポカラからの飛行機が飛ばずに足止めをくったのもこの時です。そのあおりでカトマンズでの再会を果たすことができませんでした

 

ネパール生活

 

マドンナさんが部屋を借りている大家さんのご家族の結婚式に招かれたとのことです。マドンナさんが着ているのは、現地の方に貰ったクルタスルワールという衣装だそうです。

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 マドンナさんから結婚式の写真について、メールをいただきましたのでコメントとして付記させていただきました。

 

 “結婚式の写真の中に花嫁さんが折り紙している写真があったと思います。私はご祝儀袋を持っていなかったので、持参した千代紙で袋を作って夫婦鶴をあしらって贈りました。花嫁さんはオーストラリアで歯医者をしているそうですが、折鶴を初めてみたそうです。教えて欲しいと求められ、結婚式の当日、その場でレクチャーしました。”日本の親善大使のようです。

 

ところでそのマドンナさんが期待を胸に、少し緊張しながら、2012.2/1(水)、ネパールの大学(大学名は聞き忘れました)に初登校したところ、ギュウギュウ詰めの教室で待たされたあげくプログラムは決まっていないので次週の月曜(2/6)に再び集まってくださいという説明があり、あっけなく散会したとのことです。日本や欧米であったら、授業料を返せとか大変な騒ぎだと思うのですが、“郷に入ったら何とやら”とはいいますが・・・さすがネパールです。これだけでこの国が嫌いになってしまう人もいるかもしれませんが、それでも惹きつける何かがあるのがネパールのようです。

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2017年1月 1日 (日)

あけましておめでとうございます

また新しい年がやってきました。年頭で思うことは、今年も元気でテクテクと歩きたいということです。ここ数年海外に出ることが多かったのですが、今年の前半は家庭の事情というやつで海外にはなかなか出られそうにもありません。

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エベレスト

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ヒマラヤの山々に祈りを捧げるようにはためいているタルチョ。

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佇むポーターさん。

(画像は2011.4 鈴木さん撮影) 2017年で唯一、具体的になっているのが 最後のヒマラヤ です。今まで4回ヒマラヤに行ったのですが、まだ僅かながら体力と気力が残っているうちにもう一度ヒマラヤのこの絶景を見てみようということになりました。鈴木さんから送られてくるエベレストをはじめとする写真の数々は私をいたく刺激してくれたのでした。私もこんな景観を見てみたいと。

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(画像は2011.4 ゴーキョ(5,360m)目指して) きっかけはヒマラヤで出会った鈴木さん(左側)の、皮肉なことに山の遭難でした。私が “ヒマラヤの鉄人” と呼んでいる鈴木さんはセミプロ写真家で、過酷な条件の中で写真を撮っている姿を見て、そう名付けたのでした。こともあろうに2015.10.2に日本の山で滑落し、生死の境をさまよって救命ヘリで救出され、3ヶ月の入院後、杖を支えにようやく歩ける状態になりました。

 

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(画像は2011.9.10 剱岳を背景に) 振り返ってみれば、初めてのヒマラヤで出会った鈴木さんとはいつかもう一度一緒にヒマラヤに行こうということで、トレーニングを兼ねていくつかの日本の山を歩きました。剣岳を望みながら美味しそうに一服する鈴木さん。

    

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2011.9.27 槍ヶ岳を背景に

   

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槍ヶ岳を背景に鈴木さんとカミさん

   

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(画像は2011.3.15 成田空港で) そして20123月に、 “ラウンド・アンナプルナ完全周遊25日間” という、私にとっては3回目となるヒマラヤへ出かけました。初めての長期遠征と初めて5,000mを越えるということでかなり緊張していましたが、何回もヒマラヤに出かけている鈴木さんは悠々たるものでした。

   

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鈴木さんは、ヒマラヤでは重い撮影機材を運搬してくれる個人ポーターを雇っていました。私は肺気腫ステージといわれ、ドクターストップがかかっていましたので、いつでも緊急避難できるようにやはり個人ポーターを雇いました。こうして25日間寝食を共にしました。

 

鈴木さんが201510月に日本の山で滑落したとき、落ちた先が岩場ではなく滝壺であったこと、ようやく大きな岩に取り付いた場所が鬱蒼とした山の中にもかかわらず、木立の間にポッカリと空間が空いていたこと、携帯は水浸しで使えなくなり岩の上で足の骨折の痛みに耐えながら一夜を明かした後、ポッカリと空いた空間のお陰で救助ヘリに発見されたこと、まさに九死に一生を得たとはこのことだと思われる奇跡が重なりました。昨年の春、鈴木さんが退院して久しぶりに再会したとき、 “最後にもう一度ヒマラヤに行きましょう” という信じられない嬉しい言葉を聞いたのでした。予定では4月頃ということでしたが、リハビリにもう少し時間がかかりそうということで、10月頃ということになりました。今年は、唯一この目標を励みに元気でいたいと思っています。

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