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2017年2月28日 (火)

回想ヒマラヤⅢ21 ガーサ(2,010m)

3/30(金)  トレッキング13日目、タサンビレッジでたっぷりの休養をとり、トレッキングを再会しました。これからの行程はアップダウンがあるものの標高が3,000mを越えませんので気が楽でした。

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 個人ポーターのペンバ・シェルパさんを先頭に、右手にダウラギリを見ながらカリガンダキ河を歩き始めました。

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 この吊り橋を渡るのも2回目でした。数ヶ月前、札幌のクリニック院長さんがフットワークも軽く動き回り、吊り橋を渡る私たちを写真に撮ってくれたことを思い出しました。

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 カリガンダキ河とダウラギリのこの雄大な景観も大好きです。

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 遠くにアンナプルナⅠ峰(8,091m)が霞んで見えました。トロンパスを越えるまでは雲はほとんど見られなかったのですが、お昼前頃から雲が湧いてくるようになりました。

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 10:30、ちょっと早めの昼食にロッジに寄りました。ポカポカ陽気で、鈴木さんもついつい舟をこいでいて、気持ちよさそうでした。向こうのテーブルでは、何日も滞在しているという欧米人が絵を描いていました。

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 前回、カリガンダキ河に沿ってポカラまで8時間の山岳ドライブを楽しんだ道をこの日も何台もの車が走っていました。

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 今まで、私たちが乗ったジープやマイクロバスが砂埃を巻立てていましたが、今度は私たちがその洗礼を受ける番でした。

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 車が通らない村の道にはいるとホッとしました。

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 だらだらとゆっくりした下り坂をのんびりと歩いているうちに、“MUSUTANG GUEST HOUSE”というロッジに着きました。ほとんど疲れを感じない一日でした。

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 夕方の食事時までたっぷりと時間があり、他にすることもなくゆっくりと時間が過ぎていきました。

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2017年2月26日 (日)

回想ヒマラヤⅢ20 ナウリコット村

3/29(木)  トレッキング12日目は、タサンビレッジに連泊しながらナウリコット村を散策しました。

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 30年ほど前に“頭のよくなる”という名前の学校ができ、生徒36人(14年生)、教師6人で、庭には日本人が寄付したという桜が花を咲かせていました。ハイキングから帰ってきて、鈴木さんもここを訪れ、先生と話をし、日本から持ってきた鉛筆、消しゴム、ノートなどを寄付したそうです。

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 村の歴史は非常に古く、人口は150200人、40世帯くらいで、親はほとんど読み書きできないそうです。農業とヤク・牛・羊の飼育で年収8万円くらいだそうです。

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 ポーターさん達はナウリコット村のロッジに泊まっていました。ガイドのアンツェリンさんはタサンビレッジの別棟のフタッフ専用ロッジにと仕事の階級によって宿泊所が別れていて、身分制度の一端を垣間見て、ちょっと複雑な気分になりました。

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2017年2月24日 (金)

回想ヒマラヤⅢ19 タサンビレッジ

3/29(木)  トレッキング12日目は、今までの疲れを癒やす休息日で、タサンビレッジで3/29302連泊しました。

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 タサンビレッジの玄関で会った棟梁夫人たちは、ヒマラヤ観光開発の丸山さん率いる“歩かないでヒマラヤ”というツアーのおば様方8名御一行様で、一緒にテーブルを囲んでの夕食は賑やかなこと、賑やかなこと。このツアーは飛行機、車、馬利用でできるだけ歩かずにタサンビレッジとホテル・エベレスト・ビューに宿泊するという贅沢で優雅なものでした。さすがにヤクには乗らないようでしたが。

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 棟梁夫人とはヨーロッパアルプスのツールドモンブラン以来の乾杯でした。棟梁夫人は薬剤師で、ヨーロッパでは体調を崩したカミさんが大変お世話になりました。一時はアンナプルナ内院に一緒しようかとかいう話も出ていたのですが、ヒマラヤで再会するとは思ってもみませんでした。

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 翌日の早朝6:00に、夜明けのダウラギリを見ようと屋上に出ました。早朝出発のヒマラヤ観光開発の丸山さんも元気な姿をみせてくれました。ツアーの皆さんはジョムソンからの早朝便でポカラ~カトマンズ~ルクラ~シャンボチェ経由でホテル・エベレスト・ビューに向かいました。

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 燃えるように白い息を吐いているダウラギリ山頂(8,167m)と手前の氷河。2ヶ月後に日本人登山家の竹内岳さんが、8,000m14座の最後にこの頂に立ちました。

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 ニウギリの手前を流れるカリガンダキ川。

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 年明けと共に何回も眺めたニウギリ峰。前回は一面真っ白の雪模様でしたが、さすがに雪はかなり消えていました。

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 鈴木さん達はハイキングに出かけました。前回行った所でしたので、私はロッジでのんびりと過ごすことにしました。本を読んだり、屋上でぼんやりしたりすっかりリラックスしました。今回でここには延べ5泊となりますので、自分の別荘にいるような気分でした。ヒマラヤに自分の別荘のような所があるのはかなりの贅沢気分でした。

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 ロッジの社長の弟さんのトラちゃんがここの実質的な経営者でもあり支配人です。前回はダウラギリ側とニウギリ側の両方の部屋を利用させてもらい、とても親切にしてもらい、今回はインターネットを自由に利用させてもらいました。最後に達者な日本語で“またいらっしゃい”とお別れしました。

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2017年2月22日 (水)

回想ヒマラヤⅢ18 出会い

3/28(水)  ジョムソンからは新年に3連泊したタサンビレッジへと移動しました。

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 ジョムソンは秘境といわれるムスタン王国への入口でもあり、かなり多く利用されていて便利な交通手段のバイクのショップ名も“MUSTANG”となっていました。

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 ジョムスンは、軍事基地でもあり飛行場もあります。飛行場の目の前のこのレストランはとても懐かしい場所でした。

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 2回目のヒマラヤ、3ヶ月前の年末・年始に訪れた時にはポカラからここまで飛行機で飛び、朝食をこのレストランの2階で食べました。その時冬季のラウンドアンナプルナをトレッキング中の日本の若者2人と出会いました。真っ黒に日焼けしていて最初は現地人かと思いました。朝食弁当の残り物を提供したところとても喜んでくれたことを思い出し、今度は自分がそのラウンドアンナプルナを辿っていることを思うととても感慨深いものがありました。

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 マルファの街をブラブラと歩きました。このロッジで大晦日を過ごしました。この街は、ヒマラヤの中でも思い出深い地となっています。

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 マルファには、河口慧海が滞在した宿が記念館として保存されていて、また有名な寺院(ゴンバ)もあり、鈴木さん達は寺院の階段を登っていきましたが、私は前回訪れていますし、昼食のビールもほどよく効いていてほろ酔い加減でしたので、マニ車を回していました。

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 お昼過ぎに懐かしのタサンビレッジに到着しました。トロンパスを越えてタサンビレッジで疲れを癒すのが大きな目標でしたからとても嬉しい瞬間でした。前回はこのロッジまでナウルコットの丘を上ってくるのに大変辛い思いをしましたが、今回は車で上りましたのでとても楽でした。

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 思いがけないことに、タサンビレッジの玄関で棟梁夫人とバッタリ出会いました。夫人はホテル・エベレスト・ビューを建設した大工の棟梁の奥方で、昨年ツールドモンブランを一緒に歩き、よくビールを飲んだ仲です。ヒマラヤの山の中で再会するとは。久しぶりの日本人との出会いでもありました。

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2017年2月19日 (日)

回想ヒマラヤⅢ17 ジョムソンへ

3/28(水) トレッキング11日目、トロンパスを越えて懐かしのジョムソンへと向かいました。標高3,700mから下る一方でした。

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 トロンパスを越えてきたトレッカーの多くは、ここムクチナートからジープでジョムソンあたりまで移動する人が多いようです。チケット売り場にはちょっとした行列ができていました。

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 ここからの交通機関は公営?のジープとバイクのみで、ジープはそれぞれ荷を積んだり出発の準備で慌ただしく、私たちもあまり待たされずに荷を積み終え出発しました。

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 専用ジープが発進して間もなく、車窓には青空がなければ月面かと思うような景観が広がっていました。この辺りは秘境ともいわれているところです。

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 こんな風景の中を歩いているトレッカーも結構目につきました。そういえばラウンドアンナプルナをいち早く踏破したマドンナさんも、ムクチナートからこの道を歩いたとのことでした。凄いなあぁ~! 車が巻き上げる砂埃の中を脇目もふらず歩いているトレッカーはとても頼もしく見えました。この人達は、どんな処に泊まってどんなものを食べるのでしょうか。

 

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 一見単調そうな風景ですが、シルクロードを旅しているような気分になり見ていてまったく飽きませんでした。こんな風景の中を歩くのはどんな気分なのでしょうか。

   

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 カリカンダキ河の河原に出ました。3ヶ月前に初めてこの河原に降りたって歩いた時は、寒い風が吹いていて、荒涼としていてまったく見たことのない世界に踏み込んだという印象をもったことを思い出しました。

   

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 道もなくただただ広いだけの河原に、若者がトラクターを運転してきて通りかかり、ジープの運転手と顔なじみなのか話をしていました。屈託のないひたすら明るい顔が印象的でした。

   

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 何かトラブルがあったようで、少女がジープの運転手に何か話しかけていました。他に人影も見えないこんな場所で、これからどうするのだろうと他人事ながら心配になりました。

   

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 地元の通行人なのかトレッカーなのか、こんな広い場所を歩いている人がいました。どちらに向かって歩いても村落まではかなりの距離があると思うのですが、道なき道が生活道路やトレッキングルートになっているようでした。

   

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 ジョムソンに着いて、ここからは路線バスやマイクロバスなどの大型車も通行可能で、私たちも専用マイクロバスに乗り換えました。

ジョムソンは、秘境ムスタン王国への入口になっていて、長いラウンドアンナプルナの日程では半分ちょっとくらいですが、トロンパスを越えた時点で9割くらいの行程は終わったような気分になりました。

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2017年2月17日 (金)

回想ヒマラヤⅢ16 ムクチナート(3,760m)へ

3/27(火) トレッキング10日目、9:00過ぎに無事にトロンパスに到達した後は、ムクチナート目指してひたすら下山しました。

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 前方に立ちふさがるようにそびえ立つヤカワカン(6,482m)を見ながら、1,600mの標高差を一気に下りました。

 

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 富士山頂から下山道を下るときの景観も豪快で好きなのですが、この下山道からの眺めも最高でした。

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 下っても下っても高度計を見れば標高4,000m以上でいささかうんざりしましたが、次第に呼吸が楽になるのが救いでした。前夜の小雪が嘘のように晴れ上がり、大気も冷たくもなく快適でした。

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 下山口でようやく先行していた鈴木さん達本隊に追い着きました。この日の目的地ムクチナートまで更に1時間半歩くとのことで、頑強な鈴木さんも今後の行程を考えると無理をしたくないと生まれて初めて馬に乗ることになりました。

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 午前中はヤクに乗りましたが、馬もかっこよさそうでしたので私も馬に乗ることにしました。ヤクは落とされないようにしがみついて疲れましたが、以前乗馬クラブに通っていたこともあり、久しぶりにヒマラヤを馬で歩くのは気持ちのいいものでした。同じ日にヤクと馬に乗ったために尻が痛くなりました。

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 お昼過ぎ、ようやくムクチナートのロッジに到着しました。

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 ここまでロッジの食事でかなり胃がもたれていましたので、夕食は久しぶりのビールを飲んで、食事は日本から持っていったインスタントニュー麺(これは絶品でした)やスポーツジェルで胃を休めました。鈴木さんは昼過ぎここに到着した時に珍しくビールを1本飲んでしまい、そのままベッドに横になったきり夕食も食べずに朝まで起きてきませんでした。私も夕食時に飲んだビールがきいたようで爆睡しました。トロンパスを越えた安堵感からここが富士山頂とほぼ同じくらいの高地(3,760m)であることをすっかり忘れていました。

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2017年2月15日 (水)

回想ヒマラヤⅢ15  トロンパス(5,416mm)越え

3/27(火) トレッキング10日目、9日間かけてようやくトロンパス(パスという言葉はネパール後で峠を意味します)手前まで到着しました。同じ道を引き返すのもうんざりと思っていましたらヤクをチャーターできるとのことでしたので、“石にかじりついても”いや“ヤクにしがみついてでも”トロンパスを越えたいと思いました。もし心肺に何かあって動けなくなってもこれで一安心でした。

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 鈴木さん達本隊は、早朝3:30に先に出発しました。私はヤクがくるのを待って6:00に出発しました。ヤクさんは見てくれとは異なっておとなしくホッとしました。

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 肺気腫で身体に変調をきたしたらすぐにヤクに乗れるという安心感をもって登り始めたのですが、折角ですので途中からヤクに乗りました。ヤクの手綱を引く人、ヤクを脇でコントロールし私が落ちないように見守る人、ポーターのペンバさんの3人に見守られて、昨日降り積もった雪の中を少しずつ上っていきました。まるで三蔵法師の気分でした。ヤクさんは急坂では立ち止まったりして尻を叩かれたりしていて可哀相だと思ったのですが、落馬??落ヤクしないように、必死でしがみつきながら頼むから止まらないでと祈る気持ちでした。

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 ヤクに乗ったままでは危ないヵ所では何回かヤクから降りて歩きました。パルスオキシメーターで血中酸素と脈拍を計測してみましたら、脈拍は100は超えていたものの血中酸素濃度は90以上あり、心肺にはあまり影響がないようでしたのでできるだけ自力で歩いてみました。

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 道は多少凍結しているものの軽アイゼンを使うほどではなく、ゆっくりゆっくり上ればそれほどの息苦しさは感じませんでした。

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 5,000m地点を越えました。初めての標高5,000mでした。

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 所々平らな場所があり、深呼吸を繰り返して呼吸を整えました。

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 一山越えたら峠かなと思うたびにまた一山現れて、頂上にはなかなか着けませんでした。

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 ようやくトロンパス(峠)が見えてきました。5,416mの峠から、先に着いていた知らない人が早く来いと激励の手を振って励ましてくれました。ホッとした瞬間でした。

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 お世話になったヤクさんにもう一度跨って記念写真。時々ぐずっていましたがとてもおとなしく可愛く思えました。ヤクに乗ろうと思ったら4,000m以上の高地に行かなければならず、思いがけずめったにできない貴重な体験をさせてもらいました。

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 ヤクさん達と別れ、パーソナルポーターのペンバさんと改めて記念写真を撮りました。これで9日間かかって歩いた同じ道を引き返さずにすみ、またドクターストップがかかっていた心肺(肺気腫)が5,000mでも耐えられることがわかって本当に嬉しかったです。バンザイ!!!

この時の5,000m越えはこれからの人生にとって非常に大きな意味がありました。もしこのチャレンジを止めていたら、一生山を登ることや坂道を上ることなどに不安を抱えることになります。帰国してから主治医に報告したとき、主治医は不思議そうな顔をしていました。

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2017年2月13日 (月)

回想ヒマラヤⅢ14  トロンフェディ(4,450mm)へ

3/26(月) トレッキング9日目、トロンパス(5,416m)越えの前日、少しずつ緊張感と不安感がわいてきました。しっかりと深呼吸を意識しながら、ビスターレ!!(ネパール語でゆっくり)

   

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この日も青空が広がっていました。

   

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目の前には豪快な景色が広がっていて、この先どんな世界が開けるのかという期待も抱かせてくれました。

   

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標高4,000m以上でしか生息できないヤクがいました。まさかこのヤクにお世話になるとは思いませんでした。

   

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雲が広がってきて、さすがに空気も冷えてきました。トロンパス(5,416m)を越えようという登山者の姿が目につくようになりました。

   

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周りの景色も荒々しく見え、緊張感が高まってきました。

   

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ロッジに到着した時は、空はすっかり雲に覆われ、空気も冷たく寒々しい感じがしました。標高は4,450mと初めて経験する高度でしたが、空気の薄さはほとんど感じませんでした。

  

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夕方からみぞれ混じりの雪が降り、トロンパスに大雪が降ったら越えることができなくなるということが心配されました。高山病防止のために就寝してからも何回も水を大量に飲んだために下痢をしてしまい心配しましたが、1回だけで事なきを得ました。

海外旅行やトレッキングで初めて下痢をしたうえに食欲が全くなく、トロンパス越えを目前にしてとても不安でしたが、個人ポーターのペンバさんが特製スープを作ってくれ、一口でも飲めと一生懸命励ましてくれました。とにもかくにも、出発直前まで寝袋にくるまって寝ているようにいわれました。トイレはうっすらと雪が積もった屋外でしたのでそれも辛く、ヒマラヤに4回行った中で最も辛く、それだけに思い出深い場所でした。

帰国して半年後の20145月にこの周辺で吹雪とそれに伴う雪崩で43人が亡くなったとか。43人の犠牲者のうち半分の21人がトレッキング中の外国人だったそうです。確かに、吹雪に襲われたら逃げ場はないだろうという場所でした。ネパールトレッキング史上最悪の事故だったそうです。

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2017年2月11日 (土)

回想ヒマラヤⅢ13  ヤクカルク(4,018m)へ

3/25(日) トレッキング8日目、マナンでたっぷりと休養をとり、高度順応もできているようで、気分も新たに標高4,000mを目指した1日でした。

 

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 雄大な景色やアンナプルナⅡ、Ⅳ峰を眺めながらヒマラヤの奥地へ奥地へと標高を上げました。

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 標高が4,000mを越えますと、日がかげると急速に気温が下がりました。

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 部屋は、ベッドが3つありその分床スペースがありませんので、真ん中のベッドをシェアしてうまく荷物を整理しませんと乱雑になってしまいました。安宿の雑魚寝部屋のようでした。

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 部屋は寒々しく、寝袋にでも入ってしまいますと寝てしまいますので、自然に食堂に足が向きました。すっかり顔なじみになったフランス人グループとここでも一緒になりました。

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 すっかり完全防寒状態になりました。暖房はもちろん火の気が一切なく、どこに居ても何をしても寒く、唯じーっと夕食の時間を待つばかりでした。つまらない冗談を言ったり、何とか気分だけでも温かい気持ちになりたかったのですが。

 

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 この日オーダーした夕食はパスタと野菜サラダでした。サラダはキャベツ、ニンジン、玉ねぎで貴重な生野菜でした。毎日パスタやピザ、カレーなどでメニューは大体同じですし、量も多く、食傷気味になりつつあり、この頃から味噌汁や持参のスープ、携行食などで何とか胃袋を宥めるようになりました。

体力維持のためには食べなければならないのですが、食べると消化のために酸素が使われます。高度が高くなるにつれて、酸素が薄くなりますのであまり食べ過ぎることはよくないとのことですが、ほどほどには食べなければなりません。それ以前に、高度が高くなるにつれて食欲増進剤のビールが飲めないために食欲が落ちてきました。

 

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2017年2月 9日 (木)

回想ヒマラヤⅢ12 マナン休養

3/24(土) トレッキング7日目の午後、鈴木さん達は氷河湖周辺に散歩に行きましたが、私は午前中ゴンバに上りましたので、休養しました。休養といってもベッドで横になると眠ってしまいますので、街をブラブラと散歩したり、荷物の整理などをしていました。

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 今回のトレッキングがうまくいくかどうかはマナンに着いた時に疲れがたまっていないかどうか、これからのハードな行程を乗り切る体力が残っているかどうかといわれました。幸いほとんど疲れはたまっていませんでしたし、宿泊したガンガプルナというロッジは大きく居心地がよく、十分休養することができました。

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 部屋からの眺めも日当たりもよく、ポカポカ陽気でしたので、衣類などの虫干しも十分できました。

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 部屋のドアを開けておけば暖かく気持ちのいい空気が流れ込んできているのですが、うっかりベッドに横になるとすぐに寝てしまいますので、できるだけベッドには近づかないようにしました。

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 他にすることがなく、何回となく街をウロウロと歩き回りました。

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 マナンは観光地ですので、ロッジも多くありました。

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 パン屋も何軒かありました。

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 甘いケーキのようなものが食べたくなり、2種類のスイーツを買いました。味はまあまあでした。

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 ヒマラヤにしては暖かいポカポカ陽気の中、周りを取り囲む山の姿、刻々と変わる山の姿をボンヤリと眺めていると、よくぞここまで来たという思いと、これから先トロンパス(5,416m)を越えることができるかという不安、もし越えられなければ同じ道を引き返さなければならずそれは嫌だなあという気持ちとが交錯していました。

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2017年2月 7日 (火)

回想ヒマラヤⅢ11 ゴンパ(3,750m)

3/24(土) トレッキング7日目、休養日なのですが、標高が高い場所では昼寝をすると高山病になってしまいますので、散歩などをして身体を動かすといいということで、裏山にあるゴンバ(寺院)に参拝に行くことにしました。

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 ちょっと裏山にといっても、ゴンバ(寺院)のある場所は3,750mで、富士山と同じ標高にありますので、ゆっくり上っていくと雄大な光景が広がっていました。

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 眼下にはマナンの街が小さく見え、目前にはガンガバルナ(7,455m)が聳えていました。鈴木さんは写真を撮りたいということで途中で下山しました。

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 ゴンバ(寺院)に到着しました。富士山と同じ標高ですが、高度順化がうまくいっているせいか富士山頂で感じるような息苦しさはほとんど感じませんでした。

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 洞窟をくり抜いたような小さな部屋に入り、促されるままに僧侶の前に坐り、お皿にお布施を置くと何やら呪文を唱えて、カラフルな細ヒモでつくった首飾りをつけてくれました。これからの旅の無事を祈ってくれたとのことでした。

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 私の個人ポーターのペンバさんは敬虔な仏教徒だそうで、とても真剣な顔をして同じように祈祷を受けていました。

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 ペンバさん以外の大阪のおっちゃん(無宗教とのこと)とポーターのロマン君は、何の説明も受けていませんでしたので怪訝な顔をしていました。壁にはインドに亡命中のダライラマ14世の写真がありました。

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 ゴンバにはタルチョ(チベット仏教の五色祈祷旗)がはためいていて、ちょっとありがたい気分がしました。

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2017年2月 5日 (日)

回想ヒマラヤⅢ10 マナン(3,540m)へ

3/23(金) トレッキング6日目、アンナプルナ山群の展望が拡がるマナンへ向かいました。高山病が現れやすい標高といわれていますので、気をつけながらの1日でした。

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 出発は7時半から8時くらいで、朝の気持ちのいい空気の中、元気で出発しました。

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 この日も青空が広がっていて気持ちのいい天気でした。もう一つ一つの山の名前を確認することもなく、白い峰々を見上げながらゆっくりと深呼吸を繰り返しながらの上りが続きました。

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 雲一つない青空にアンナプルナ山群(Ⅰ峰は8,091m 10位)が天をついていました。写真撮影が目的の鈴木さんは“もう少し雲がでてくれるといいのだが”とぼやいていましたが。

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 かなり陽射しは強く、少し疲れたかもしれません。休憩時間には鈴木さんも大阪のオッちゃんもぐったりとしていました。

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 思い描いたヒマラヤトレッキングのイメージ゙そのものの風景にちょっとはしゃぎ気味でした。真ん中に移っている私の姿が大自然に呑み込まれていました。

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 黙々と、ただ黙々と目的地マナンに向かって。マナンでは高地順を兼ねた嬉しい休養日が待っていました。

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2017年2月 3日 (金)

回想ヒマラヤⅢ09 ピサン(3,200m)へ

3/22(木) トレッキング5日目、この日の目的地ピサンは標高3,200mで、日本で2番目に高い北岳やあるいは槍ヶ岳より高く、富士山の8合目あたりです。約7時間の行程でしたが、徐々に高度を上げていて高度順応が上手くいっているせいか空気の薄さはまだ感じませんでした。

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 少しずつヒマラヤの奥地へと入って行き、高度が上がってくると展望も開けてきました。ヒマラヤの深いブルーを背景に、次から次に姿を現す高峰に導かれるように一歩ずつ高度を上げました。

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 言葉を発するのも憚られるような神々しい山の姿に、誰もが一様に黙々と歩きました。これがヒマラヤ歩きの醍醐味かもしれません。

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 刻々と変わる風景、歩くたびに変わる風景を見ながら、自分がこの大自然の中にいる実感が伴わず不思議な感覚でした。

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 ここまで体調も崩さず、毎日睡眠も十分でとても元気でした。唯一の不満は食欲増進剤のビールを飲めないことで、食欲が少し減退していました。

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 ピサンのロッジ゙に到着しました。富士山8合目と同じ高さという感覚はまったくありませんでした。

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 部屋は比較的広くトイレと洗面所(正面)付きでしたが、宿泊したロッジの中では最も安普請で、両隣だけではなくて2階や他の部屋の全ての音がよく聞こえました。それでも疲れていたせいか、いつの間にかぐっすりと寝入ってしまいました。

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 午後比較的早い時間に到着した場合、荷物の整理などをしてしまうと他にすることがなくなります。3,000mを越えた高地ではちょっと一休みと昼寝をすることができません。昼寝をすると高山病になりやすいからで、そのために周辺を散歩したりして、それも終わると何となく食堂に集まります。しかし暖炉やストーブがあっても火は入っていませんので、防寒対策は自分でしっかりしないと体調を崩します。

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2017年2月 1日 (水)

回想ヒマラヤⅢ08 チャーメ(2,670m)へ

3/21(水) トレッキング4日目、毎日少しずつ標高をあげていくなかでも、この日は標高差の大きな1日でした。その分マナスル(8,156m)やラムジュン・ヒマール(6,983m)などを見ることができました。休憩・昼食時間を入れて7時間の行程でした。

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 ようやく待望の風景を目にすることができるようになりました。

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マナスルも遠くに霞みつつ聳えていました。マナスルは標高8,156mで世界8位の高さです。山名はサンスクリット語で「精霊の山」を意味します。1956年に日本隊(今西隊長)によって初登頂されました。マナスルは、ヒマラヤの奥深い山で、エベレスト街道のように道が整備されていませんので行くのは大変で、ヒマラヤ観光開発のツアーではヘリで近くまで行くことになっていて、なかなか近づけない山です。

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 シャクナゲが白い峰に花を添えてくれていました。

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 私のパーソナルポーターのペンバ・シェルパさんが昼食時に腕前をふるってくれました。さすがにひと味違う美味しさでした。ペンバさんはこの年(2012)11月に4回目のヒマラヤに出かけ、やはり2回目の5,000mに挑戦した時にも一緒でした。

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 14:30、出発して7時間で今日の目的地チャーメ着きました。標高は2,670m、富士山の7合目(2,700m)近くまで標高が上がりました。

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 村の入口の門にあるマニ車には必ず旅の無事を祈りました。

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 この日の宿泊地Hotel Hill Townというロッジには、ポーターさん達が既に到着して寛いでいました。

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 割り当てられた部屋はとても可愛らしく、ペンション風で居心地よく感じました。

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 チャーメという村は比較的大きく、他にもいくつかのロッジがありました。

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 厨房はどこも同じようなつくりになっていて、什器や食器類がきれいに整理・整頓されていて、調理担当の女性達は、唯一火がある厨房に集まってきているガイドやポーターさん達と談笑しながら手際よく調理していました。私たちも邪魔にならない様に、暖を求めてよく集まりました。

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