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2017年6月30日 (金)

丹沢登山紀 6月

6月の上旬に梅雨入りしましたが、その合間を縫って4回丹沢に登りました。4月に横浜から転居して通算7回の登山ということになりました。

丹沢登山4回目 快晴

 

6/3(土) 07:00登山開始 10:10登頂 12:30下山 登頂時間3時間10分 往復時間5時間30

 

梅雨入りも間近いとのことでしたので、天気がいいこの日、早朝に飛び起きて丹沢登山に出かけました。週末の土曜日でしたので登山者は多く、賑やかでした。陽射しは強いのですが、空気は意外にヒンヤリとしていました。

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 この日は梅雨入り前で天気は快晴、珍しく相模湾とそこに浮かぶ江ノ島まで見えました。

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 天気は良くて週末(土曜日)でしたので登山者は多く、登山口からはよーいドンという感じで続々と登山者が続きました。

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 ヤビツ峠から塔の岳へと向かう稜線も随分はっきりと見えました。

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 富士山もはっきりと見えていて、いつの間にか雪が溶けていて、8合目くらいまで溶けているようです。昨年はあの頂に立つことはなく、多分これからもないと思いますが、間もなく山開きとなり、富士登山を目指す人で賑わいます。

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 丹沢名物の尾根登り、青空に向かってこの日も汗をかきながら、ハーハーいいながらたくさんの登山者が登っていきました。

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 10:10 山頂に着きました。3時間10分かかりました。この日も暑い日だったのですが、山頂はさすがに涼しく爽やかな風が富士山の方向から吹いてきました。

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 波打つような手前の山々の向こうに富士山がドーンと頭を出していて、雪解けが進んだ富士山はとてもいい姿に見えました。

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 下山を始めると、次から次へと登山者が登ってきました。陽射しが時間の経過と共に強くなり、登山条件としては次第に厳しくなりますが、一歩一歩力強く登ってくる人もいましたし、たっぷりと休憩をとっている人たちもいました。

 

4回目ですので、脚が強くなっていることを体感できました。急傾斜に足を踏み出し、体重を持ち上げるときの力強さを感じることができました。と、調子に乗ってギアを入れたとたんにすぐにバテがきてやはりゆっくりペースになりました。それでも所要時間は07:00にスタートして山頂には10:10に着きましたので3時間10分で標準時間(3時間30分)より早く登ることができました。下山は12:30に登山口に戻りましたので往復5時間30分(標準時間は5時間50分)かかりました。やはり回を重ねることに脚力はついているようです。

丹沢登山5回目 曇り/霧

 

6/9(金) 07:10登山開始 10:10登頂 12:10下山  登頂時間3時間 往復時間5時間

 

梅雨入りをしましたが、天気は曇りでしたので平日の曇天の日もいいかなと出かけました。

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 小田急線渋沢駅から大倉行きのバスに乗り、バスから眺めた空は青空がわずかに見えるものの白い雲が飛ぶように流れていました。雨さえ降らなければ、曇り空は登山にとってはありがたいのですが。

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 登山口から歩き始めて、最初に考えるのは今日はどういうペースで登ろうかということです。ちょっとはペースを上げてみようかとか、あまり時間のことは考えずゆっくり登ろうとか。この日は曇り空でしたので、写真撮影の時間は少なくして少しペースを上げてみました。

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 新緑だった樹々の緑も随分色濃くなったような気がしました。

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 高度を上げるにつれて霧が濃くなりましたが、湿度も高くなり蒸し風呂状態となりました。ここから眺める青空が一番好きなのですが、先はまったく見えませんでした。初めての山ですと不安になるのですが、何回も通っている道ですし、登山者も必ずいますので安心でした。

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 霧の水気をタップリと浴びたのでしょうか、とても鮮やかに見えました。

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 10:10 登山口から3時間ちょうどで登頂しました。周りはまったく見えず、登山者も登頂した後すぐに下山していき寂しい山頂風景でした。

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 晴れていればジェットコースターが一気に下るときのように眼下に町や海を眺めることができるのですが、下山道も霧に包まれていました。霧に濡れた岩は滑りやすく要注意です。

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 この塔ノ岳コースの登山道はよく整備されています。いつも誰が整備しているのだろうと思っていましたが、ボランティア(交通費くらいは出るそうですが)の皆さんが整備していました。

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 登山口(大倉バス停)には12:10に戻り、登山靴を洗い、ビールを買って12:22発の渋沢駅行きのバスに乗り込みました。バスの中でビールを飲みながら持参した弁当を食べているうちに渋沢駅に着きました。

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 渋沢駅から乗車した小田急線急行新宿駅行きの車内はガラガラで、エアコンが効いていて、登山で火照った体や湿気で汗まみれになった体を冷やしてくれました。バスが15分、電車が40分、徒歩5分で自宅に戻ることができました。

 

前回(6/3土曜日)に比べると登頂までの時間は10分短縮され、往復時間は30分短縮されました。脚がだいぶ慣れてきたようです。

丹沢登山6回目 曇り/霧

 

6/11(日) 07:10登山開始 10:10登頂 12:10下山  登頂時間3時間 往復時間5時間

 

梅雨入りをしましたが、雨は降りそうもなかったので出かけました。

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 いつものように、小田急線から大倉行きのバスに乗り換え、眺めた空はかなり分厚い雲に覆われていました。

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 この日は日曜日でしたので、登山者が多く、バスの到着と同時に早速身支度を始めていました。上空の空は心なしか青みを帯びていて晴れ間への期待を抱かせるものでしたが、強い直射日光は登山の大敵となります。

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 平日はひっそりとしている堀山の家の前庭には多くの登山者が休憩していました。ここの木立の間は富士山の絶好のビューポイント、撮影ポイントになっているのですが、富士山には厚い雲がかかっていました。

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 長く傾斜のきつい大倉尾根を、学生がテントとか食糧などの大荷物を背負って喘ぎ喘ぎ登っていました。時々、この山道をトレーニングしている学生たちの姿を見かけることがあります。

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 塔ノ岳の山頂には仏像群が安置されていて、この日はその後ろに見えるはずの富士山も見えませんでした。聖観音像に挟まれて真ん中にある石祠は、拘留孫仏(狗留尊仏)の石祠です。かつて塔ノ岳は尊仏山ともいわれていました。かつて山頂にあった巨岩「尊仏岩」が「お塔」といわれ、雨乞いの神として地元の人々に親しまれたことによります。その尊仏岩が関東大震災で崩れ落ちてしまい、現在は山頂に拘留孫仏(狗留尊仏)の石祠が安置されています。

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 登山には水分補給が大事ですのでペットボトル3本を持っていきます。食糧は、朝食には甘いパンをバスを待っている間に食べます。山頂には大体10時過ぎに着きますと昼食には早いので甘いもの(大福)で糖分を補給します。下山は12時過ぎくらいになりますので、昼食は缶ビールをお供にカレーパンを食べます。最近はこれが楽しみになっています。

 

6/9(金)から一日おいての登山でしたが脚や膝は特に問題がなく登ることができました。地元の常連さんたちは毎日あるいは週に何回も登っている人もいるようで、さすがに皆さん健脚で追いつけませんが、私も元気で登り続けたいと思っています。

丹沢登山7回目 曇り時々晴れ

 

6/23(金) 07:10登山開始 09:40花立山荘到着後下山

 

6月は3回目まで順調に登山できたのですが、好事魔多しというのでしょうか、左の膝を机の角にしたたか打ち付けてしまい、水は溜まり、膝を曲げることができず、当然のごとく階段の上り下りができずといった三重苦でしばらくジッとしていましたが、ようやく回復しました。

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 いつものように07:10に登山を開始しました。上り下りで膝を折り曲げるとちょっと違和感がありましたのでゆっくりと。最初の山小屋「見晴山荘」には、梅雨とはいえ眩しいほどの朝陽があたっていました。最近ここにもバイオトイレ(100円)が2つできました。歩き始めてここまで50分、体は汗ばんできますしここから本格的な登りが始まりますので、汗をぬぐったり、水分を補給したり、着替えをしたりします。

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 09:40 膝の調子をみながらでしたが、順調に花立山荘に着きました。このまま山頂まで登れそうな気がしたのですが、下山の時の膝への負担を考えると無理は禁物ですので、引き返しました。富士山が見える方向にはモクモクという声が聞こえてきそうな雲が渦巻いていました。

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 山頂まで登ったときはかなり疲れますので、こういう急傾斜の道を下るときは膝にこたえます。下山には充分時間をかけました。

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 新緑だった緑もますます緑を増し、影も濃さを増していました。時計の針のように正確に季節の時が刻まれ、やがて暑い夏がやってきます。

 

下山も順調で膝も問題がなく、なんとか6月中にもう1回くらい登りたかったのですが、梅雨前線が停滞していましたので諦めました。7/1には富士山をはじめあちこちで山開きとなります。夏山シーズンがやってきます。炎天下の登山は辛いのですが、どうなるのでしょうか。

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2017年6月28日 (水)

ベトナム大縦断 21ホイアンランタン祭

4/26(水) ホイアンに夕暮れが訪れ、ランタンに灯が灯り、旧市街は昼間とはまた別の雰囲気となりました。

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 18:15 夕食のレストランへと向かいました。賑やかな通りから離れて細い路地に入って行きました。大人の隠れ家レストランへ向かうかのような雰囲気でした。

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狭い路地の先は、とても雰囲気のあるレストランでした。木や籐を使った屋根や梁、観葉植物を照らす緩やかな照明、いいレストランでした。

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 今まで入ったレストランとは雰囲気が違って、想像したとおり大人の隠れ家的雰囲気でした。

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 この日の夕食メニューはベトナム料理でした。この日の夕食は4回目で、そのうち3回がベトナム料理でした。ひとくちにベトナム料理といってもいろいろな料理があるようで、考えてみればひとくちに日本料理といってもいろいろあるのと同じです。料理はそれぞれ美味しく、特に調味料の風味や旨味がいろいろあって楽しめました。

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 旧市街と新市街を結ぶトゥボン川にかかる橋には電飾の光が灯り、浮き上がっているようでした。

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 ここでのイベントは灯籠流しでした。ベトナム風の燈籠を抱えて、幽霊みたいにボーッと立っていますが、カメラのフラッシュを忘れただけです。この燈籠を長い柄のついた棒の先のお皿状の板にのせて川へと流しました。

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 幻想的な雰囲気の中で、続いて有田さんご夫妻や奥様を亡くされたSさんも続きました。Sさんは祈りを捧げるかのようにしばらくじーっと目を閉じていました。

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 ここホイアンのランタン祭は毎月満月の夜に行われるそうです。この日はランタン祭の日ではなかったのですがお祭りのような人出の多さでした。

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 多分売り物だと思うのですが、あちこちでランタンが飾られていました。ランタン祭の日は、ホイアンの家々は電気が消え、この提灯の明かりだけが町を照らすそうです。満月の下、幻想的な夜の町は昔にタイムスリップした気分になるそうです。

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 人混みの中、迷子になってしまったら大変ですので、私たちはグェンさんの後ろを幼稚園の生徒のように続きました。

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 デモなのか本気なのか、恋人同士がかなり熱烈なラブシーンを演じていました。余興にしては真剣そうに見えました。まっいいか。

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 トゥボン川の川沿いにはテーブルが並んでいて、屋台こそありませんでしたが博多の中州のような雰囲気になっていました。観光客は楽しそうに飲んだり食べたりしているグループもありました。

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 ホイアン旧市街散策と燈籠流しを終えてホテルへと向かいました。町中にはあちこち光が溢れていました。

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 ホテルに戻って現地通貨の残金チェックをしました。この日もあちこち観光したのですが、昼食と夕食のときのビール代だけでしたので千円も使っていませんでした。一番の高額紙幣の200,000ドンでも日本円では1,000円です。一番少額紙幣の1,000ドンは日本円では5円となります。

 

メニュー豊富な観光プログラムの長い一日が終わり、この日もベトナムのさまざまな表情を見ました。翌日はいよいよハノイへと移動します。

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2017年6月26日 (月)

ベトナム大縦断 20ホイアン旧市街2

4/26(水) 世界遺産の町ホイアン旧市街の散策が続きました。

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 旧市街のチャンフー通りとバクダン通り周辺の狭いエリアに特徴のある代表的な建物が20ヵ所くらい残っていて、福建会館もその一つです。

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 福建会館と書かれた門をくぐると中は随分と広く、それもそのはずでチャンフー通りにある5つの会館で最も規模が大きいそうです。福建省出身の華僑が集まるための場所として、約250年前に建てられました。

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 さらに進んで行くと、大きくて豪華な中門が立っていました。3つの門があり、神様、男性、女性と分かれています。当時のベトナムで福建省出身の華僑がいかに大きな勢力を誇っていたかわかります。

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 中門をくぐるとさらに広い敷地があり、ここはまた別の世界を見るようでした。まるで博覧会のパピリオンのようです。

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 きれいな鉢植えの花や盆栽が配置されていました。

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 中庭の奥にはお寺のような建物があり、談話室のようなスペースがあり、その奥はお堂のようになっていました。この福建会館は今でも使われているそうです。

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 お堂の手前には誕生から渦巻き状のものがいくつもぶら下がっていました。これは中国ではお馴染みの渦巻き線香がぶら下がっていました。渦巻き線香にはお札が付けられていて、一定のお布施をした人の名前や願い事が書かれているようで、点火された線香は1ヶ月くらいは灯っているそうです。

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 お堂の奥には祭壇があり、航海・漁業の守護神である天后聖母(媽祖)の祭壇です。海に渡ってベトナムへやってきた華僑にとっては、欠かすことのできない神様のようです。

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 同じ福建会館にあった異形の像、何なのか何者なのか、中国系でもベトナム系でもないような不思議な顔をしています。現地ガイドのグェンさんに聞けばよかったと後悔しています。

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 この通りはチャンフー通りで、いくつもの土産物屋や露店があり、福建会館もこの通りにあり、いわば旧市街のメインストリートともいえます。ランタンが下がっていて独特の雰囲気がありました。

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 今にも崩れ落ちそうな古民家の前を走る人力三輪車はシクロといわれる人力タクシーです。旧市街はそれほど広くなく、十分歩いて観光できるようですし、歩かないのはもったいない気もするのですが。

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 17:24 日が暮れつつある時刻になると観光客が随分増えてきました。

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 現地ガイドのグェンさんがガールフレンドを紹介するといって連れて行ってくれた古民家の一室。ここでは当時のベトナムの生活が再現されていました。グェンさんは自費で日本に行ったことがあるとか。

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 昭和レトロのような、「三丁目の夕陽」を思い出させる風景でした。

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 名物の灯籠流しにはまだ早い時間ですが、トゥボン川沿いにあるバクダン通りに観光客が集まってきていました。

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 川にかかる小さな橋は1953年に日本人によって建設されたともいわれていますが、日本人、中国人、ベトナム人が共同で作ったという説もある「来遠橋」は「日本橋」ともいわれています。

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 橋の両端にはレンガ作りのような門があり、日本風とも思えるのですが、屋根の作りは中国風にも見えます。不思議な門です。いずれにしても、ベトナムに日本橋とも呼ばれる日本ゆかりの名所があるなんて思いもしませんでした。

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 観光客の大集団がいなくなった頃橋を渡ってみました。短い橋ですが、橋の真ん中には小さなお寺がありました。ますますもって不思議な橋です。

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 自由時間となり、Aさんご夫妻と散策したのですが、かなり時間があまりました。

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 古民家の2階に上ってみました。かくれんぼをしたわけではありません。

 

旧市街散策によって、かつてから華僑がベトナムに深く関わりをもっていたことがわかりました。それはホイアン旧市街だけではなく、ベトナム全土にわたっているようです。一方、日本もあちこちでベトナムと関わりがあったこと、現在も関わっていることも知りました。

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2017年6月24日 (土)

ベトナム大縦断 19ホイアン旧市街1

4/26(水) ダナン市内観光をすませ、私たちは世界遺産の町ホイアン旧市街へと向かいました。

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 再び待機していた専用観光バスに乗り込みました。運転席の小窓とフロントに七福神の布袋様の人形が置いてありました。七福神というのは福をもたらすとして信仰されている日本固有の七柱の神です。どうでもいいことですが、ベトナムには七福神はありませんので不思議な気がしました。

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 七福神のことを考えている間にも、バスは近代的なダナンの町を後にしました。ベトナム中部は古都フエに代表されるというイメージが強すぎて、今やビーチリゾートとして脚光を浴びているダナンは想定外というかちょっとしたカルチャーショックでした。ベトナムに住むようなことがあったらダナンもいいかもしれないと思ったりもしました。

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 16:44 ダナン市内を抜けてちょっとローカルになった地域に入ると、ちょうど下校時間とぶつかったようで中高生くらいの生徒の集団に出会いました。親がバイクで迎えに来たり、自転車で下校している姿が見られました。ベトナムでは増えすぎて困っているという子供たちですが、かつて日本でもベビーブームがあった訳で、今にして思えば増えすぎて困るということはないと思うのです。

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姉妹とどちらかの子どもの3人乗りで、楽しそうです。

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 ダナン市から離れるにつれて、街並みは静かでとても落ち着いた雰囲気になってきました。どこがどうということはないのですが、いつの間にか町の雰囲気が変わるのがわかります。

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 ダナンから30km、ホイアンの旧市街近くでバスを降りました。バスを降りると同時に感じた旧市街の街並みや空気はタイムスリップしたかのようでした。

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 日本でいえば祭礼や寺院の門前でよく見るたこ焼きやお好み焼きの夜店のような露店があちこちに、ちょっとしたお祭り気分でした。

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 雑貨や小物の店が並んでいて、どこか懐かしい雰囲気でした。この旧市街は1999年に世界遺産に登録されています。

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 籠の中に並べられたデザートの食品サンプルはかなり精巧にできていました。ダナン市内で昼食をとった中華レストラン前で売っていた木製のバイクもかなり精巧にできていましたし、ベトナム人はかなり器用そうで、その点も日本人に似ています。

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 歩いて行くと路上のあちこちでおばちゃんたちがクレープのようなものを七輪で焼いていました。どちらかというと手焼きのお煎餅なのでしょうか。

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 旧市街の目抜き通りには古い家がズラリと並んでいて、ところどころにお土産屋が混在しています。以前旅をしたトルコ、モロッコ、スペインなどにも旧市街がありほとんどが世界遺産登録されていて、その大きな特徴は街や建物が石やレンガで作られているのですが、ベトナムの旧市街は木造の作りでとても懐かしい感じがしました。

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 チャンパ王国時代から港町として栄えたホイアンですが、土砂が堆積して港としての機能が失われてからは、近代化が進まず忘れられた都市となっていたのですが、近代化されずに残った街並みがかけがえのない遺産となり世界遺産に登録されました。最近では観光客が激増しているとのことです。

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 いろいろな店が並んでいるのですが、ひときわ目を奪われたのが主に紙細工でできた小物を売る露店でした。帆掛け船や建物などは精巧にできていますし、他の小物も色鮮やかです。ベトナムのお土産屋は随分たくさん見ましたが、こういう小物ははじめてでした。やはりベトナム人は器用だと思いました。

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 古い民家だけではなくて、有料の施設もあり「海のシルクロード博物館」はそんな施設のひとつです。この博物館は民家を改造して作られたものです。表から見た建物は当時の代表的な古民家の作りです。

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 海のシルクロードは、中国~インド~アラビア半島を結ぶ海の貿易路のことで、建物に入ってすぐの部屋には沈没船の模型が展示されていました。2階には沈没船から引き揚げられた品々が展示されていて、ホイアンが海のシルクロードの重要な拠点であったことがわかりました。

 

ホーチミンシティから古都フエへと移動し、さらにリゾートとして脚光を浴びているダナン市内観光の後ホイアン旧市街へと移動しました。その都度、ベトナムのさまざまな表情が見られ、ツアーの謳い文句どおり欲張りツアーであるようです。

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2017年6月22日 (木)

ベトナム大縦断 18ダナン市内観光

4/26(水) 世界遺産の静かな町ホイアンから活気のある商業都市ダナン市へと移動しました。

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 ダナン市内に入りました。大きな町でも小さな町でも、繁華街でも静かな村でも、どこでも見かける路上の食事風景です。ちょうど昼食の時間でしたので途上店舗はほぼ満席で、食事をしている人たちは食事をしながらこちらを見ていて、食事をしながら通りを眺めるのが好きなのかもしれません。

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 この日の昼食は中華料理でした。路上店舗から大して離れていない場所に立派な店構えの中華レストランがあり、同じ通りに路上店舗と立派なレストランが混在しているのがベトナムの不思議なところでもあり、面白いところです。

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 昨年奥様を亡くされて以来初めての海外ツアー、いわば傷心旅行のSさんは遺跡マニアなのでした。今回のツアーにはこの日のミーソン聖域をはじめとしていくつかの遺跡巡りがありますので、少しは心の傷も癒やされたのかもしれません。

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 アルコール類の「DRINK LIST」によると1$=20,000ドン(ベトナム通貨)となっていました。日本円にすると1$=100円=20,000ドンということになります。ハイネケンが80,000ドンですので400円、ベトナムで最もポピュラーな333BEER400円ということになります。ビンビールでこの価格ですから割安感があり、なかなか両替した現地通貨が減りませんでした。

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 中華テーブルに置かれたのは木製のバイクです。たまたま同じテーブルについた他の人が孫の土産にと買った玩具で、日本円で500円とか。かなり精巧にできていて手間もかかっているように見えましたので、全員で安いねと話題になりました。

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 中華料理は普通に美味しく、どこの国でどんな所で食べても外れはありません。チベットに行ったときも中華料理の時はホッとしたものです。

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 食事をすませて外に出ると、待ち構えていたかのようなバイク玩具売りのおじさん。ツアーの大半の人が買い求め、それも複数買う人もいて、あっという間に売り切れてしまいました。おじさんは、この日はなんて日がいいのだろうと思ったことでしょう。

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 近くで待機していたバスのフロントには日越の国旗が飾られ、ツアー名が表示されていました。たしかに「よくばり・・・」なツアーかもしれません。

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 最初に訪れたのは大聖堂。フランス統治時代の1923年に建てられたローマカトリックの教会です。イギリス発祥のネオゴシック様式が採用されていて、なんと外壁は淡いピンクになっています。建てられてから100年近くになるとは思えないきれいな外観をしています。

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 ガイドブックなどには敷地内を散策するだけでも気持ちが穏やかになり、楽しいですよと書かれていました。都市のど真ん中にありながら木陰があり、厳かで静かな雰囲気もあり、少し涼しい感じがして癒やされたような気がしました。

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 敷地内を歩いて行くと小さな洞がありました。ここは礼拝所にもなっていて、洞の中には礼拝の石版が飾られていました。洞の上部には「ルルドの泉」で知られるフランス・ルルドのものを参考にしたというマリア像も飾られていました。

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 大聖堂で式をあげるのでしょうか、結婚式に向かうカップルに出会いました。霊柩車にあったり、葬式(2回)あったり、結婚式にあったり、ベトナムでは冠婚葬祭が多いのでしょうか、それともたまたまの巡り合わせでしょうか。

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 次の観光地に移動するためにバスを待っている間、1秒でも早く1秒でも長くと涼しい木陰へと駆け込みました。

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 再びダナン市の中心部を通り、ドラゴンブリッジを目にすることになりました。週末になると真っ正面に見えるドラゴンの口からは火や水を噴くそうです。

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 この日2ヵ所目の観光先はチャム博物館です。ミーソン聖域を築いたチャンパ族の末裔チャム族の博物館です。ここにはミーソン遺跡を中心にベトナムに点在するチャム族の遺物を集めています。

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 ミーソン遺跡はヒンドゥー教色が濃く残っていて人気が高いそうです。それにしても遺物に直接触れたりしていいのかなあと思ってしまいました。

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 どんな工具を使って彫ったのか興味があるところです。素人目にも芸術性が高く、貴重なものだと思うのですが、無造作に置かれているのがベトナムらしいともいえますが。

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 ベトナム中部から南部沿岸にかけて発展したチャンパ王国の彫刻は、ヒンドゥー教独特の姿かたちをしています。現在のベトナムのイメージとは異なり、どちらかというとインドの影響を受けたようにも見えます。比較的馴染みのあるものばかりですが、異形といえば異形でもあります。

 

猛暑の中、ピンクの教会を見たりヒンドゥー教の彫刻物を見たりして、ちょっと頭がボーッとしました。遺跡マニアのSさんは嬉しそうな顔をしていましたが。

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2017年6月20日 (火)

ベトナム大縦断 17ダナンへ

4/26(水) ホイアンの世界遺産ミーソン聖域の観光後は、次の観光地ダナン市へと移動しました。

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 ミーソン聖域からダナンまでは約50km(約1時間1分)の距離でした。

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 灼熱のミーソン聖域からクーラーの効いたバスに乗って、のんびりとした田舎道を走っていると私たちもすっかりのんびり、リラックスしました。

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 道端の路上には小麦が干してありました。開いた門の先の内庭にも干してありました。

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 こちらは家の前の歩道にムシロやシートを広げてやはり小麦を干していました。

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 一見すると小型のソーラーパネルかと思いましたら、生春巻きの皮を干してありました。このあたりは農村地帯のようではあるのですが、米や小麦を加工して製品に仕上げる半農のような家が並んでいました。

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 村から町へと路上の風景も少しずつ変わってきました。バイクと自転車とが同じくらいの割合で走っていました。こういう道は私たちが乗っているバスのドライバーさんにとってはストレスが溜まるそうです。運転席の近くから見ていると、前を走るバイクはバックミラーをほとんど見ませんので後方にバスがいることに気が付かずとても邪魔になります。都市で大量のバイクに取り囲まれるのも、のんびりした道でバイクに邪魔されるのも、どちらもストレスになってベトナムのバスのドライバーさんは大変です。

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 滔々と流れるトゥーボン河はホイアンを流れる大河で、この支流を下った河口近くは日本の江戸時代には徳川家康が鎖国を行うまで朱印船が往来した場所だそうです。ベトナムはあちこちで日本との関わりがあります。

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 日焼けと排気ガス除けの完全武装したお嬢さん(多分)、おしとやかな運転ぶりでした。

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 緑も水も土も豊で、温暖な気候は三毛作が可能です。

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 緑が広がる大地の中にヤシ科のビンロウ樹に囲まれた家の景色は、よく見かける景色で好きな景色です。木陰にハンモックをつってそよそよと風を受けて、本を読んだり酒を飲んだり昼寝したりしたら最高です。ビンロウ樹はアジアやアフリカの一部など広い範囲で見られるヤシ科の樹です。タイなどではたくさん見られます。

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 道は次第に広くなり、バスのドライバーさんにとってはストレスがないはずなのですが。

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 スピードが出せる快適な道は交通違反取り締まりが厳しく要注意だそうです。交通違反のお巡りさんは堂々と袖の下を要求してくるそうです。ひどいケースでは木の上で待ち伏せして違反を摘発することもあるとのこと。

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 ダナンに近づくにつれて新しい開発されたリゾートが目につくようになりました。アメリカの資本や中国の資本が随分投下されているそうです。

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 ベトナムといいますとのどかな農村風景というイメージなのですが、最近はダナンのビーチが注目されています。ダナンは南北に細長いベトナムの中部に位置する港町ですが、長く続く白いビーチと目の前に広がる青い海が魅力的で、近年ビーチリゾートして注目を浴びています。

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 ダナンからホイアンまで続くビーチは約30kmも続いているそうで、ビーチ沿いにホテルが続々とオープンしています。

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 黄色い橋を渡って市内に入り、グルッと一回りしました。

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 開発されたビル群が海沿いに林立しています。ダナンは人口百万人、ホーチミンシティやハノイに次ぐ第3の都市で、ベトナム中部最大の商業都市として発展してきましたが、今後さらに成長が期待されています。東京湾のウオーターフロントや横浜のベイエリアに近い姿になるかもしれません。

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 ダナン市の中央を流れるハン川に架かるドラゴンブリッジは、全長666m、幅37.5m、全6車線で龍の形をしています。今やダナンのシンボルとなっています。

 

この日最初に観光したミーソン聖域で感じた遙か昔の歴史や時間の流れ、遺跡群周辺の村々のベトナムらしいローカルな風景から、ダナン市内に入って一挙に現代にタイムスリップしました。世界遺産の町ホイアンとビーチリゾートの商業都市ダナン、これもまたベトナムの魅力です。

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2017年6月18日 (日)

ベトナム大縦断 16ミーソン遺跡群

4/26(水) 世界遺産ミーソン聖域に着いて、展示館で学習して実際の遺跡群の中に入っていきました。

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 現地ガイドのグェンさんに続いてミーソン遺跡群へと向かいました。

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 照りつける強烈な陽射しにまいったなあと思っていましたら、電動カーが待機していてくれました。海外ツアーでは大抵遺跡観光が組み込まれていて、遺跡について特に関心があるわけでも知識もあるわけではありませんので白紙状態で臨むことにしているのですが、どんなものだろうかと実物を見るのは楽しみです。

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 木立と草原の間の舗装路を移動している間は涼しい風を感じたのですが、木立の間からは暑苦しい蝉の声が響いていました。ものの数分で目的地に着いてしまいました。

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電動カーで移動している途中に、発掘作業をしている人たちがいました。とても暑い中、黙々と根気のいる地道な作業をしていました。こういう作業は何年も何年も終わることなく続いていくようにも思えました。

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 電動カーを降りて遺跡群に向かう途中にレストハウスがありました。あまりの暑さに多くの観光客が陽射しを避けて屋内に退避していました。

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 いよいよ遺跡群へと向かいました。上からは強烈な陽射しが、下からは容赦ない照り返しが私たちを迎えてくれました。

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 7世紀から13世紀にかけての遺構は、グループAからグループHまで数ブロックに別れていました。千年もの時を経て、ドッシリと構えている遺跡には苔や草がまとわりついていました。近年になって、ベトナム戦争ではベトコンのアジト掃討のために米軍B-52の爆撃を受けて大半が破壊された中、生き残った遺跡です。

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 遺跡群にはセメントや漆喰などの接着剤を使った形跡がなく、チャンパ人の当時の技術力の高さが見てとれるようです。伝承によれば、チャンパの彫刻工人、建塔工人の多くは徴用労働者として動員された山岳民族だそうで、周囲に住む山岳民族カトゥ族は現在でも有名な木彫職人を輩出しているそうです。

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 築かれたレンガの構築物に刻み込まれた像や文様には、太古の人々のどんな想いが込められていたのでしょうか。今私たちがこれを眺めて、どんなことを思えばいいのかわかりませんが、ただ間違いなくこれを築いた人々がいて、今これを見ている自分たちがいて、その間には膨大な時の流れがあったということ、遺跡巡りは時間を見るということでしょうか。

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 いくつかのブロックに別れている遺跡群の間を流れる清流は、足も手も顔も浸したいと思うほど涼しげでした。遺跡と違って水の流れは、“行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし・・・” と謳ったのは鴨長明(方丈記より)でした。

 

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 小さな橋を渡って清流を越えた別のブロックの遺跡の前に現れたのは、民族衣装の女性たちと民族楽器を抱えた男性たち。ミーソン遺跡を築いたといわれるチャンパ人(族)の末裔の人々で、現在はチャム族とよばれています。

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 踊りの内容はわかりませんがチャンパ人は遺跡構築の高い技術力を持っていたとのことで、その技術の伝承の舞いなのか、あるいは信仰の舞いなのか。

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 古代ヒンドゥー教のチャム族たちは、歴代王朝が代わるたびにチャンパ塔といわれる祠堂を建てていました。いたるところにヒンドゥー特有の文様やレリーフが刻まれており、男性器と女性器の象徴であるリンガとヨニも目にすることができます。

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 遺跡群を後にするとき改めて振り返ってみますと、かつて栄えたチャンパ王国の誇る聖域には、時間と太陽と風雨に削られたさまざまな姿をした建造物が、何か伝えたいことがあるのか、もの言いたげでもあるように見えました。

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 こちらも何かもの言いたげに目玉をキョロキョロ動かしていました。

 

ミーソン遺跡で発掘された遺産は驚くほどの数で、どれも美術品として目を見張るものばかりです。当時のチャンバの人々が何を信じ、誰を崇拝し、そしてミーソン聖域はチャンパ王国にとってどのような役割を担っていたのか少しわかったような気がしました。

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2017年6月16日 (金)

ベトナム大縦断 15ホイアン観光

4/26(水) ツアー4日目はホイアン観光で、最初に世界遺産ミーソン遺跡群観光へと向かいました。

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 ホイアンはフエの南にあり、ホイアンからからミーソンまではさらに30km南下したあたりにあります。

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 前日は夜遅くにホテルに着き、また雨の中転げ込むようにホテルに入りましたので、どんな所に泊まっているのかわからずに寝込んでしまいましたが、一夜明けて窓から眺めた景色はホーチミンシティとはまったく違って落ち着いた静かな雰囲気でした。

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 ホテルの部屋は広く落ち着いていて、バスタブもシャワーも整っていて気持ちのいい部屋でした。熟睡できました。

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 前夜はホテルの玄関もどういうふうなものなのかわかりませんでしたが、玄関も落ち着いていてクラシックな雰囲気でした。ちょっと場違いな感じの提灯がぶら下がっていて、他のホテルや商店の軒先にも同じ提灯が。ホイアンは、ランタン祭で有名でそれに因んでいることと、これをぶら下げておくと福をよぶそうです。

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 08:00 ホテルを出発。路上では既に早朝からの仕事が始まっていました。蒸し暑いベトナムでは仕事のスタートが早いという習慣はホーチミンシティだけではないようです。

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 路上での朝食風景は、たくさんの人が集まっていてお花見や宴会のようでもあります。

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 バイクや車の出勤風景は、ホーチミンシティに比べると量が少なく、のんびりとした雰囲気が漂っていました。

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 いくつかの露店が集まったミニミニマーケットは、田舎の雰囲気そのものでした。

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 バスは田園風景の中を走りました。ちょっとした畑があり、畑の中心にはビンロウの樹に囲まれた家がありました。こんなところではのんびりとした暮らしができるんだろうなあと思いました。ビンロウの樹は椰子科の樹木で椰子に比べると細いのが特徴です。

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 ミーソン遺跡群近くを流れるトゥーボン河、河口には近世に栄えた日本人町があるそうで、この日の後半に訪れることになっています。田園風景や水辺の風景は心安まる風景なのですが、この地域もベトナム戦争で激しい戦闘が行われたとは信じられません。

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 かろうじて舗装されているのどかな道に入りました。車の量はとても少なく、次第にローカルになっていきました。

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 お葬式に出会いました。軍関係の偉い人のお葬式だそうです。霊柩車に出会ったり、葬式に出会ったり、どういうことでしょうか。どこの国でも冠婚葬祭には花が欠かせないようです。

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 バスから、ベトナムの田園風景や田舎の道を眺め愉しんでいるうちにミーソン遺跡群のゲートに着きました。

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 ゲートの壁に日本とベトナムの国旗が描かれたプレートが目につきました。「日越友好のために日本の人々の多大な援助があった」というような趣旨が書かれていました。2005年に日本の国際協力機構の技術協力によりこの遺跡展示館が完成したとのことです。

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 最初に遺跡展示館に入り、ジオラマを前に現地ガイドのグェンさんからの事前説明を受けました。こんなところにも日本の協力の手が差しのべられているということは驚きでした。

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 ミーソン遺跡群にはレンガ作りのチャンパ塔など7世紀から13世紀の遺構が残っているのですが、ベトナム戦争当時の爆撃によってかなり破壊されたそうです。遺跡展示館に掲げられた修復途中の写真は痛々しく、大手術直後の姿のようでもあります。

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 ミーソン聖域とは、チャンパ王国の宗教ヒンドゥー教シヴァ派の聖域だそうです。もともと宗教に疎い自分ですが、ヒンドゥー教という宗派があることぐらいは知っています。それ以上のことはわからず、ましてシヴァ派とは? シヴァ派のシヴァ神については見たり聞いたりしたことがありますが、シヴァ神はなかなか意味深な最高神であるようです。

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 博物館内には遺跡群から発掘されたものや関連する写真等が展示されていて、ベトナムにこんな遺跡群があったとは驚きでした。ミーソン遺跡群は20世紀初頭にフランス人によって発見され、何回も修復、補強がされたそうですが、一方ではフランス領インドシナ統治時代に盗掘を受け、大半の遺跡が破壊されたそうです。

 

カンボジアのアンコールワットやタイのアユタヤなどアジアにはたくさんの遺跡群があるのですが、ベトナムについては知りませんでした。

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2017年6月14日 (水)

ベトナム大縦断 14フォン川クルーズ

4/25(火) フエ観光で2ヵ所の観光地を巡った後、この日最後のフォン川クルーズとなりました。

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 フエは南北に延びたベトナムのちょうど真ん中辺りに位置しています。この日はフエに到着して、古都フエの観光の後ホイアンへと向かいました。

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 17:53 船着き場で私たちを待っていたのはドラゴンボートでした。飛行機トラブルの影響で予定よりだいぶ遅くなり、パスしてもいいかなあと思っていたのですが、観光業者にとっては貴重な収入機会になっていると思われ、一生懸命乗船準備してくれました。

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 ドラゴンボートの外見とはうらはらにスピードはゆっくりでした。クルーズ船は水上生活者の家も兼ねているようで、後方にキッチンなどを兼ね備えた部屋があるようでした。お父さんが船長で、お母さんがお土産品などを売ったりしていました。

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 この川の上流にはダムがあるそうです。ベトナム政府の強い要請を受けて、日本の各機関が協力してフォン川流域において、ダムの効果的で安全な操作を含む洪水管理システムが開発されたそうです。ベトナムのあちこちで日本が協力したり支援したりしているプロジェクトがあるようです。

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 フォン川は古都フエの旧市街と新市街を分ける大きな川です。こちらは新市街で大きなマンションなどが目立ちました。

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 フォン川は流れがないかのように静かで、観光街の前には観光船でもあり水上生活者の家でもある船が舳先を並べていました。他に走っている船の影は見えず、時間が止まったかのようでした。

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 観光街から離れた岸部にも水上生活者の船が係留されていました。タイやフィリッピンなどにも水上生活者はたくさんいて、それぞれのんびりしていそうですが、実際にはどうなのでしょうか。

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 川に突き出たかのような白亜の建物はレストラン。阮朝王宮から橋を渡った新市街地はホテルやレストランなどが密集していて賑やかだそうです。

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 のんびりと川風に吹かれてボーッとしたいましたら、夕陽が見えるようという声で反対側の舷側に移動したのですが、夕陽は木立が密集している中に隠れてしまいました。

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 旧市街側には阮朝王宮があり、王宮フラッグタワーの国旗が無風状態の中そよともはためきませんでした。フラッグタワーの前には、日本の屋形船のようなドラゴンボートが停泊していました。特別なイベントにでも使うのでしょうか。

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 こちらは新市街地側のレストランやお土産屋が軒を連ねている観光街です。灯りが灯るにはまだ早く、薄暮の曖昧な時間帯でした。クルーズ船のわずかな揺れに身を任せて、クルーズ船のエンジン音以外風もなく音もなく、静かに時間が流れていて、特にこれといった特徴もない景色を眺めながら、旅に出ているんだなあと思ったりもしました。

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 20:47 フォン川クルーズの後、バスに乗ってホイアンへと移動しました。ホイアンは人口12万人の古い港町で、懐かしさを感じるような街並みでした。

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 カイディン帝廟や阮朝王宮など古都フエの閑静な観光地を巡ってきましたので、久しぶりのベトナムらしい喧噪を目の前にして、やはり賑やかな街もいいものだと思いました。

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 電飾でキラキラ光っているアーチをくぐったり、あちこちで灯りが点滅している不思議な場所を走っているとき、俄雨が降ってきましたがバイクのライダー達は特に慌てる様子も見えませんでした。

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 21:28 夕食のレストランに到着しました。雨の中をバスを降り、レストランに駆け込みました。

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 ちょっと変わった雰囲気のレストランでした。この日はホーチミンシティから移動して宮廷料理を食べた後、2ヵ所の観光とクルーズで疲れていて思考能力が落ちていました。ボーッとした頭の状態で不思議な空間に入りましたので 夢か現か に近い状態でした。

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 テーブルについて、何はともあれビールを飲んで気を取り直しました。

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 この日の夕食メニューはホイアン名物料理でしたが、汁物が何だったのか夢中で食べましたので美味しかったのは間違いないのですがあまり記憶にありませんでした。

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 ホイアン名物料理とは、三大名物料理とか五大名物料理とかあるそうですが、代表的なものはカオラウというそうです。コシのある太い麺の上に豚肉、揚げせんべい、もやし、レタス、香草などがトッピングされた麺料理です。

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 22:24 ホテルに到着しました。長~~い一日で、ベッドに倒れ込むようにして眠りました。このホテルには連泊でしたので、荷物の整理などをしないですんだのが救いでした。

 

ホイアン五大名物とは、カオラウの他にホワイトローズ、揚げワンタン、ミークアン、コムガーなどがあり、どれもなかなか美味しそうなのです。私たちは食べませんでしたが、参考までに画像(インターネットより転載)をご紹介します。

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2017年6月12日 (月)

ベトナム大縦断 13阮朝王宮

4/25(火) 午後遅い時間にスタートしたフエ観光の2つめは「阮(グェン)朝王宮」でした。

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 阮朝王宮もフエ観光の一つの目玉のようで、観光バスが集まっていました。

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 バスを降りて王宮の入口に向かう途中に人力車が並んでいました。お客は前のシートに腰掛け、シートの後ろ部分は自転車になっていて運転手がこぐ三輪人力車でシクロというそうです。ベトナムの代表的な人力タクシーです。日本の人力車は引き手が前でお客は後ろに乗るというスタイルです。所(国)変われば品変わるです。

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 観光地前のお土産の店先では店番のおばちゃんとお客らしいおばちゃん、とびきり元気な声で井戸端会議をしていました。

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 16:55 古城のような雰囲気の王宮は日が暮れかかっていて、さらに古城の雰囲気が増していました。

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 王宮門とも牛門とも呼ばれる城門は、ベトナム戦争の激戦にもかかわらず残りました。当時の戦跡が残っているようでもあり、いかにも戦火をくぐってきたかのよう姿は頑強そのものでした。その城門を次から次へとバイクが走り抜けていきました。私たちはバイクにぶつからないように気を付けながら道の端を歩いて城門をくぐりました。

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 城門をくぐるととてつもなく緑の芝生に覆われた広い広場がありました。広場の先にはベトナム国旗が立っているフラッグタワーがあります。そこにはベトナム戦争時の銃弾跡も残されているそうです。この王宮は1803年に建設、1833年に現在の場所に移されたとのことですが、なんでこんなに広いのか不思議でした。

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 ベトナム笠を被った女性、鮮やかなピンクの衣装を身に纏い、だだっ広い広場を横切って行きました。どこから来てどこへ行くのか、天秤棒の先の籠には何が入っているのか。

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 阮朝1802年~1945年まで続いた全13代皇帝からなる王朝でした。ベトナム最後の王朝といわれ、これ以後第インドシナ戦争がはじまります。フエはベトナム戦争の激戦地で多くの建造物が破壊されたそうですが、立派な城壁は残されていて当時の美しさが残されているとともに古城の風格も見られます。1993年にベトナムでは初めてユネスコの世界遺産に登録されました。

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 17:00 ちょうど入場制限時間になったところ、ギリギリで間に合い何とか入場できました。

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 閉門の時間になり、緑の葉と白い花のような葉のような植物を植えた大きな鉢を入れ替えていました。ここが王宮だからということもあるのでしょうが、フエに入ってからはたくさんの花や植物を見たような気がしました。

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 13代続いた阮朝ですが、当初歴代皇帝は中国を君主としていました。1887年以降はフランス植民地時代となって西洋スタイルの建築様式も取り入れられるようになりました。その時代に勤めていた皇帝によって、建築物群の色が異なるのが特徴で、3つある正門は紫禁城に倣っているといわれ、当時真ん中の門は皇族しかくぐることが許されなかったそうです。

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 本殿の太和殿の屋根を見ると中国の影響を色濃く受けていることがわかります。戦火で大半が破壊されたといわれていますが、この本殿は残されました。

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 1993年にベトナムで初めて登録されたユネスコ世界遺産は「フエの建築群」で、その対象は阮朝王宮だけではなく、歴代皇帝の時代に建てられた建築群すべてとなっています。中でも皇帝が暮らしていた王宮が名実共にフエ最大の観光名所になっています。阮朝の時代は、当初は中国が君主の時代でありその後はフランスが君主となりましたので、皇帝が座っていた玉座の座り心地はいかがだったのでしょうか。

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 日本のお城に比べると、実際の歳月以上の長さを感じさせる城壁は戦火のためなのか、高温多湿の気候風土のためなのか。

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 本殿の前にも緑の絨毯が敷かれた広い空間がありました。戦火に焼かれた建物の跡のようであり、芭蕉が詠んだ 兵どもの夢の跡 という句が浮かびました。

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 本殿を取り巻く回廊は、非常にきれいに整備されていました。この回廊は日本の資金援助などで修繕が進められているのですが、その資金援助もなかなか難しくなってきているそうです。柱、屋根、壁、、戸と随所に中国の要素が混じり合っています。中国の資金援助を仰いだらいいのにと思いましたが、南シナ海の領海問題を考えるとそうもいかないようです。

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 彫刻と塗装で美しく仕上げられた80本もの柱によって支えられた装飾屋根をもつ王宮の中心部分はベトナム戦争で損傷し、現在復元作業が行われているのですが、まだ当時の3割くらいしか復旧されていません。いつ復旧できるか見通しが立たないそうで、復旧費を捻出しようと入場料を値上げしたとのことです。どうなるのでしょう。

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 200年前から始まった王朝の歴史と戦火にまみれた戦跡後を見て、なんとなく考えさせられ、日本流にいえば平家物語ではありませんが “ものの哀れ” を感じつつバスに乗って移動すれば、欧米人観光客の姿がありました。

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 17:52 バスはこの日最後の観光フォン川クルーズの船着き場に着きました。

 

ホーチミンシティからフナへの移動が飛行機トラブルで2時間遅れになり、クルーズはもういいよといいたくなる気持ちでしたが、バスは順調に船着き場に着きました。

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2017年6月10日 (土)

ベトナム大縦断 12カイディン帝廟

4/25(火) 昼食には遅い時間でしたが「フエ宮廷料理」を食べた後、フエ観光に出発しカイディン帝廟へと向かいました。

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 16:02 宮廷料理のレストランを出発しました。日本ではもう夕方に近い時間帯ですが直射日光が痛く感じられるほど強い中、緑の濃い田舎の道を走りました。

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 村の道のあちこちに小さな店が点在していて、昼間の暑さが少しは和らいだのでしょうか、寛いでいる人もちらほら。ゆったりとした時間が流れていました。

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 16:18 フエ観光の最初の観光地カイディン帝廟に着きました。帝廟への石段の先には雲一つ見られない空が広がっていてまだまだ昼間の暑さが残っているようでした。

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 石段の下で記念写真。私が手をかけているのは龍の頭です。私のお腹が出ているように見えるのは、パスポートや財布などの貴重品を入れたポシェットを腹巻きのようにして身に着けているからで、美味しいベトナム料理を食べ過ぎたわけではありません。

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 カイディン帝廟は、その名の通り1925年(日本では大正14年)に没したカイディン帝の墓所です。約6年かけて建築されたそうです。

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 兵馬俑に似た兵士像が安置されていました。この帝廟は統治国だったフランスの影響を受けているのですが、兵士像は中国の影響を受けたものだといわれています。

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 これは正殿(啓成殿)、バロック様式のコンクリートの建物で外面の装飾も手が込んでいます。カイディン王朝はフランスの影響を受けていたことで知られています。とてもドッシリとしていて荘厳です。建築されてから100年にも満たないとはとても思えませんが、黒ずんでいるのは高温多湿によるカビのためです。

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 正殿内部の中央には、金箔のカイディン帝の像が有ります。この下に帝の遺体が埋められているそうです。この時期(阮朝)の皇帝の遺体の場所が明確になっているのはカイディン帝のみで、他の皇帝の遺体の埋葬場所は判っていないそうです。

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 阮朝(げんちょう)は1802年から1945年にかけて存在したベトナムの王朝ですが、1887年からはフランス領インドシナとしてフランスの支配下になりました。啓定帝(けいていてい)は阮朝12代の皇帝で、晩年は自身の陵墓建設のために増税を命じ批判されるようになったとか。1925年に結核によって40歳で死去しました。

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 壁面にはモザイク模様が描かれ、陶器やガラス器を壊してモザイクにしています。当時の日本の「さくらビール(現アサヒ)」のビンが使われていました。

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 これが「さくらビール」の破片。

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 カイディン帝廟の観光に次いで、阮朝王宮へと向かいました。路上に花を並べて売っている花売りは、最もシンプルな移動店舗でしょうか。

    

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 こちらはたくさんの花を売っているきちんとした花屋。この地域では花の需要が多いのでしょうか。

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 彩りも鮮やかな果物を売っているお店には花も売っていました。お店の人や果物を物色している人、こういった生活感のある風景を見ながらの旅は楽しいものです。

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 16:42 ここフエで見た小学校は、ホーチミンシティの学校の規模に比べて小さく、生徒の数も少ないようです。授業が終わって親が迎えに来るのを待っている小学生はどことなく素朴な服装に見えました。

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 由緒正しき謂われのありそうな建物、現地ガイドのグェンさんに聞く間もなく通り過ぎてしまいました。古いお寺のような建物がさりげなくあるのは古都フエならではかもしれません。フエは人口30万人くらいの都市としては小さいのですが、19世紀から20世紀にかけてベトナムに存在していた元朝の首都に定められていました。

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 露店が並んでいるマーケットは、どことなく素朴でローカルな雰囲気が見られました。

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 立派な建物が目につきました。外務省関連の建物だそうです。

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 その立派な建物の角を曲がった時、たまたま日本人のビジネスマンらしきグループを見かけました。ガイドのグェンさんによると、この地域では日本のODAによって建てられた建物が多いとのことでした。フエという地域が身近に感じられました。

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 16:51 市の中心部に近づいたのでしょうか、整備された道にはバイクの姿が増えてきましたが、ホーチミンシティの混雑に比べればゆったりとしたものでした。

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 市の中心部をゆっくりと走っている自転車、ベトナム笠がいいですね。

 

カイディン帝廟の主、啓定帝(けいていてい)は阮朝12代の皇帝で統治国フランスの庇護を受けていて、贅沢をしているという批判が随分あったとか。その人生は日本によって満州国の皇帝に祭りあげられた清国最後の皇帝(ラストエンペラー)愛新覚羅溥儀のようでもありました。

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2017年6月 8日 (木)

ベトナム大縦断 11宮廷料理

4/25(火) 予定より2時間遅れて古都フエに着きました。この日は盛りだくさんの観光メニューがありましたが、先ず昼食に「フエ宮廷料理」を食べに行きました。

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 14:35 フエの空港で私たちを今か今かと待っていてくれた現地ガイドのグェンさん、ちょっと待ちくたびれたようで苦笑いしていましたがベトナム航空ではよくあるとのことでした。ただ2時間も遅延というのは珍しいとも言っていました。

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 宮廷料理のレストランに向かう道でみた町は、どこかで見たことのある東南アジアの国々、例えばタイやネパールの中都市のごくごく普通の町のイメージでした。

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 町の人々が真剣な顔をして集まっていました。今までバスの中から見た人々は寛いでいる姿ばかりだったのですが、この人たちは何をしているのだろうとしばらく考えました。

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 ホーチミンシティの喧噪とまったく異なる町の雰囲気でしたが、バイクスタイルは古い都でも同じようです。運転手と後ろに乗っている比較的体格のいい女性の間には小さな幼児が押しつぶされるかのように挟まっていました。それにしても後ろの女性の体重はかなりありそうに見えましたが、バイクのタイヤがよく耐えられるものです。

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 ここでもバイクの代名詞にもなっているホンダは健在でした。

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 比較的賑やかそうな通りに出ましたが、バイクの数は少なく町全体がゆったりとしているように感じました。

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 15:06 昼食の時間からは随分遅れましたが、宮廷料理のレストランに着きました。門の奥の方から待ちかねた女性スタッフが出てきました。

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 宮廷料理を出すレストランとはどういう所かと思っていたのですが、ここ自体が宮廷の一部か王族の別邸のような雰囲気でした。

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 大人数の団体が座れるような広いスペースだけではなくて少人数のお客も座れるスペースもありましたが、昼食の時間には遅すぎ、夕食には早すぎる時間帯でお客の姿はまったく見ませんでした。

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 瓶ビールはしっかりと冷えていて旨かった。

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 Aさんご夫妻と私の3人グループに合流するようになったDさんと4人で乾杯。Sさんは埼玉県からの1人参加で昨年若い奥様を突然亡くされたとかで傷心旅行だそうです。それでも一緒の時は笑顔を見せてくれました。

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 宮廷料理のメニューは日本語で書かれていてとてもわかりやすかったです。後で聞いたのですが、ここのオーナーは日本人だとか。もう少し詳しいことを聞いておけばよかったと悔やまれました。

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 鳳凰風前菜。

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 揚げ春巻き。

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 蓮の実と鶏肉のスープ。

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 宮廷の揚げ海老。

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 宮廷飾りの野菜炒め。 

 

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 パイナップルとトマト味のイカ炒め。

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 5つ調味料付きの蒸し魚と亀形のチャーハン。

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 フエ名物のデザート(豆の砂糖漬け)。お汁粉のようでした。

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 食事に満足して庭園を少し散歩しました。時間があればあるいは観光スポット巡りをパスしてでも、こんな風景の中で食後酒をいただきたいものです。

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 蓮の花が開いていました。蓮はベトナムの国花です。日本の国の花は桜?菊? 両方だそうで、国際的には決まりがなくて、アメリカはないそうです。ベトナムは仏教国(8割が仏教徒)で、お釈迦様が座っている台座も蓮の花です。蓮は泥水の中で育ち、泥が濃ければ濃いほど大きな花を咲かせます。仏教徒が最も好きな花が蓮ということで、ベトナムの国花になったとか。

 

フエはベトナムのことで、フエ料理とフエの宮廷料理が有名ということを初めて知りました。帰国後インターネットで調べましたら、宮廷料理を出すレストランがたくさんありました。宮廷料理の味は、日本人向けにアレンジしているのではと思ってしまうほど、私たちの舌に馴染みました。

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2017年6月 6日 (火)

ベトナム大縦断 10フエへ

4/25(火) ツアーの3日目は、ベトナム中部の中核都市フエへと移動しました。

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 地図で見ますと、フエはホーチミンとハノイの中間地点にあります。国内線のフライトでホーチミンから1時間半の距離です。

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 08:30 ホテルを出発しました。ちょうど出勤の時間帯と重なりましたので、車を取り囲むようにバイクの数が増えてきました。

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 空港へ向かう道には緑が溢れ、あらためてこの国の緑も水も土も豊かであることを感じました。

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 一方では、経済の成長と共に国土開発が進んでいて、市内も山の中も高速道路建設が急ピッチで進められていました。

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 08:58 ホーチミンシティの空港に着きました。飛行機の出発は国内線で11:00でしたので充分な時間がありました。

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 09:45 ゆとりを持って待っている間にビールでノドの渇きを癒やしました。この時はとんでもない事態になるとは思ってもみませんでした。

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 12:18 搭乗予定の飛行機は11:00発でフエには12:25に着いているはずなのですが、まだホーチミンシティ空港の待合室で待機していました。何と搭乗ゲートが5回も変わりその度に出発時間が遅くなりました。添乗員がいないツアーでしたので、その間私たちツアー仲間13人は右往左往しましたが、その分結束力が高まりました。

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 搭乗予定のVN1372便の当初の出発予定は11:00だったのですが、結局12:452時間近くの遅れとなりました。もうとっくに着いている時間です。

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 後に、ベトナム航空の国内線は遅れるのは当たり前と聞かされたのですが、機体が到着し整備も終わってホッとしました。

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 12:39 搭乗が始まって更にホッとしました。

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 乗客の皆さんも大人しく、特に騒ぐ人も苦情らしきことを言う人もいなくて当たり前のような雰囲気でした。

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 席はほとんど満席で、乗客も大人しくシートに座ってスタッフも一安心といった風情でした。国際線もそうでしたが、国内線もCAなどのスタッフに男性が多いような気がしました。

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 機体は滑走路へとゆっくりと移動しました。2時間遅れての出発となり、この日はフエに着いてからかなりハードな予定となっていましたのでどうなるか気になりましたが、その点はツアーですから安心です。

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 人口800万人、経済の中心地としてGDPの半分を占めるホーチミンシティ(旧サイゴン)とお別れです。

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 雲の上に出て安定飛行に入りましたが、その雲はモクモクと発達していました。そういえば、ホーチミンシティに滞在中の天気予報は雨でしたが雨に降られることはなく蒸し暑く、ずっと半袖で過ごしました。

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 フエへの飛行ルートは右側に南シナ海を見て北上するルートです。フエに近づき機体が海の上に出ると、領海争いをしているとは思えない穏やかな海と島々が見えてきました。

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 フエにさらに近づき高度が下がると、海面が碁盤のように区切られていました。これは海老などの養殖池でした。

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 空港に向けて内陸部に入ると緑色の大地が広がっていました。雲がかかってはいるものの雲間には青空も覗かれていました。

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 フエの空港に着きました。どことなくのんびりとした雰囲気が感じられました。明らかにホーチミンシティとは違う空気でした。

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 空港の地上スタッフもベトナム傘を被ってのんびり歩いていて、ホーチミンシティとは全く違った古い都フエの一面とローカル空港の一面が感じられ、2時間の遅れもどうでもいいことのように思えてきました。

 

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 国内線とはいえ、スーツケースなどの預け荷物の確認までは気を抜くことができませんでした。

 

今回のツアーは添乗員がいませんでしたので、国内線の搭乗手続きから自分たちで行いました。案内の人がいて、ある程度のグループは専用のカウンターがあることを教えられ随分助かりました。しかし搭乗ゲートが再三変更されその度に出発時間が遅れたときには、一瞬このままフライトできなかったどうなるのだろうという不安が頭をよぎりました。

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2017年6月 4日 (日)

ベトナム大縦断 09ベトナム料理2

4/24(月) ミトーのメコン川クルーズを楽しんだ後、再びホーチミンシティに戻りました。約70km2時間の行程でした。

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 強烈な陽射しに晒された後、エアコンが効いたバスの中はとても快適でした無人バスではありません。私たちツアー客13人にとって、大型バスはとてもゆったりしたものでした。

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 ホーチミンシティの周辺の地域を走っていて目につくのが、役所や病院(共産党政権ですので全て公立)などの公共の建物が立派でありながらどことなく瀟洒なことです。これもかつて統治国だったフランスの影響でしょうか。

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 私たちの専用バスがガソリンスタンドで時々給油しました。バイクなども頻繁に給油していて、見ているとおばさんがスーッと寄っていきました。宝くじを売っているそうです。いろいろな商売があるものです。ベトナムのガソリン代は90円/1Lとのことで、日本の1/8といわれる物価水準からするととても高く感じられました。

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 同じガソリンスタンドで、今度は別のお兄さんが果物などの食べ物を売っていました。ガソリンスタンドは色々な商売の一つのマーケットになっているようです。

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 ベトナムではバイクはホンダの独壇場ですが、自動車はトヨタが頑張っていました。

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 ここでもハンモックカフェがズラリと並んでいました。蒸し暑いベトナムでは日陰で涼しい風を受けてたっぷりと休憩できそうでとても合理的です。

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 ミトーはメコンデルタ地帯ですのであちこちに河や水路がありました。豊かな水資源は豊穣な大地を潤しています。ところが、先日の新聞報道では、東南アジアの成長している国では地下水の汲み上げで地盤沈下が始まっているとか、ホーチミンシティもあげられていました。

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 もうすっかり当たり前の風景になってしまったバイクの4人乗りです。公共交通機関が皆無という国情から考えますと、一度に複数の人が移動することも合理的ともいえます。

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 ピンぼけになってしまいましたが、運転手が見えないほどの大荷物を運搬するバイク。この光景を見ますと、バイクで水牛を運んだという話もまんざら冗談ではないという気がしました。

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 悲しい現実も。モロッコやトルコ、スペインなどでも見られた交差点などでの物売り、幼児を抱えた少年と小さな女の子。

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 市の中心部近くになるとバイク専用道路がありました。北欧などでは自転車専用道路がありましたが、ベイク専用道路はベトナムだけでしょうか。バイクがゾロゾロと走っていましたが、高いガソリン代を考えると大変だろうなあと思いました。

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 バイクや車が東西南北、四方八方に走っている交差点、よくぶつからないものです。

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 路上では、物を売る人、食事をしているカップル。この生活感剥き出しのお国柄は見ていて楽しそうです。

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 路上で宴会しているおじさん達。ベトナムの歩道はほとんど歩けないといわれることもありますが、なるほど。

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 私と同じ1人参加のSさんも私たち飲み仲間に加わり賑やかになりました。

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 ビールはサイゴンスペシャルという銘柄に絞り込みつつありました。1300円前後ですので、昼と夜に1本づつ飲んでも使うお金(現地通貨)は大したことはなく助かりました。北欧やヨーロッパでは何を飲んでも1000円前後するのに比べると天国なのですが、ワインなどの選択肢はあまりなく、ビールもコクやキレがイマイチという難点があるのはまあ仕方のないことです。

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 この日の夕食はレストランでのベトナム料理でした。ベトナム料理は2回目ですが、この日もメニューが豊富で味も美味しく満足しました。

 

東南アジアの料理ではタイ料理なども美味しいとは思いますが、ベトナム料理もなかなかのものでした。

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2017年6月 2日 (金)

ベトナム大縦断 08メコン川クルーズ

4/24(月) クチからバスに乗って2時間ほど走り、ミトーのメコン川クルーズを楽しみました。

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 ホーチミンシティの地図で見ますと、メコン川は中国(チベット)から南下していてメコンデルタ地帯を潤しています。メコン川クルーズの拠点ミトーはメコンデルタ地帯の中にあります。

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 メコン川クルーズの拠点ミトーに着いたときはちょうどお昼時でした。昼食のメニューはエレファントフィッシュ。カリカリに素揚げされてテーブルに置かれていました。球状のものはお米を揚げたものです。

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 ビールはいくつかの銘柄があるのですが、結局「SAIGON SPECIAL(サイゴンスペシャル)」が最も気に入りました。値段も日本円にして300円前後ですので、現地通貨に両替した6,600円が使い切れそうもありませんでした。

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 テーブルの中央に置かれたエレファントフィッシュは、生春巻きの具になりました。

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 エビなどが入った海鮮焼きそばは美味しかったのですが、細長い現地米のチャーハンはぱさついて私の口にはあまり合いませんでした。

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 メコン川の桟橋にはたくさんのクルーズ船が待機していました。

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 この船のオーナーである船長さんは、この船を数百万円で購入したそうです。クルーズ1回の料金が日本円にして3000円とか、投下した資金を回収するには気の遠くなるような時間がかかりそうで大変そうでした。

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 源流はチベットで全長4000kmのメコン川、川幅は3kmにも及んでいて、縦横に支流を延ばす大河です。

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 メコン川はベトナム南部の大地を潤していて、またこの大河の畔には水上生活者もたくさんいます。

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 船を住み家にしている移動式水上生活者もいます。

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 メコン川の中州にあるトイソン島には果樹園や運河が観光用に整備されています。この島への上陸も2回目となりました。

 

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 とても蒸し暑く、高温多湿の気候は木の実をたわわに実らせていました。クルーズ中は川面を渡る風で涼しかったのですが、トイソン島に上陸したとたんにムッとする暑さに圧倒されました。

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 蜂蜜園があり、蜂の巣を見せてくれたり蜂蜜を試食させてくれました。

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 私たちが食べたエレファントフィッシュ、白身で癖もなく食味は淡泊で、野菜と一緒に生春巻きで食べると美味しく食べられました。

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 これは余興。隣のお姉さんは知らん顔をしていました。肌の感触はサラッとしていて生温かでした。

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 ベトナムでは必需品のハンモック。店番の人たちは吹き抜ける風を受けて気持ちよさそうに休んでしました。

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 お土産屋通りには強烈な陽射しが突き刺さるようで、その暑さにめげず観光客が店先に群がっていました。結構手間がかかっていると思われる刺繍が施された手提げのバッグが10個で1000円とか、ツアーの女性達は随分買っていました。それにしても儲けはあるのだろうかと心配になりました。

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 豊富なフルーツもいろいろ試食させてもらいましたが、食べ慣れているからかスイカが一番美味しかったのでした。

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 ベトナム人は穏やかそうですが、中国やアメリカと戦争して負けたこともなく、したたかで辛抱強い一面をもっているようです。闘争心丸出しの闘鶏の戦いは凄まじいものがあり、闘鶏を好むのも温厚なベトナム人の一面かもしれません。

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 島の中には運河が整備されていて、小舟でちょっとしたジャングルクルーズを楽しむことができます。私たちが乗った小舟の女船頭さんのお腹には子どもがいると言っていました。身重の身体で大丈夫なのかなと心配になりました。

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 果樹園や蜂蜜園、お土産屋と共に、このジャングルクルーズは重要な観光源となっているようです。

 

今回で2回目となるジャングルクルーズは、ジャングルというにはあまりにもささやかな樹々の間を小舟で水路を巡るもので、ひどく拍子抜けしたのですが、クルーズ船の船長や小舟の女船頭さんの働く姿を見て生活のために頑張っているんだなあと思ったのでした。

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