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2017年12月 2日 (土)

国分寺寛六会 武蔵野散策1

11/22(水) 大学ゼミの同窓会が国分寺で行われました。春に行われた「京都寛六会」に次いで2回目となる出張同窓会でした。

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西国分寺駅に13:30に集結し、武蔵国分寺史跡を国分寺駅まで散策し16:00から駅ビル和食亭で宴会というコースでした。

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なぜ国分寺市かといいますと、同窓生の星野君が元国分寺市長だったからという単純な理由によるものでした。ブログでは実名は明かさないのが原則ですが、20016月から20137月まで312年国分寺市長として在任し、公人ですのでオープンにさせていただきました。

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元市長のガイドで武蔵野散策が始まり、最初に説明していただいたのが西国分寺駅前に建つレンガ色のシックな建物でした。手前の建物は「市立いずみホール」で、星野君が2001年に市長選に立候補した際に出陣式が行われた思い出の場所です。その時に応援演説を行ったのがやはり同窓生の慶応義塾大学教授のK君で、K君にとっても思い出の場所とのこと。後ろの建物は築23年の都営アパートで、建物の色調が統一されていて街づくりへの配慮が伺えました。

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スタートは駅前の比較的賑やかなエリアを歩いたのですが、歴史や史跡を軸とした都市計画が行われているようで、武蔵野の面影が感じられる落ち着いた街並みでした。「史跡通り」は交通量の抑制をはかり、車椅子の通れる横断歩道などの利便性に配慮し、平板塗装は縄文土器をイメージして土器の紋様や武蔵国分寺瓦の紋様を配しているとのこと。

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元市長がガイド役でした。市長退任後は国分寺市観光協会会長を務めていますので、これ以上の適役はありません。

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史跡公園には、4000年前のムラの跡が残されていて、縄文時代へのいきなりのタイムスリップでした。ムラの成立条件としては水の確保が必要で、ここ武蔵台の近くには多摩川が流れていて、武蔵台は国分寺市と府中市が入り組んだ地形となっています。などの説明がありました。

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縄文時代の次はぐっと現代に近づき、といっても天平の時代。現在の市の名前になっている国分寺・国分尼寺建立の命が下ったのは聖武天皇によって741年(天平13年)でした。

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国分尼寺の跡地に立つ元市長と歩み寄る奥様。そういえば京都での同窓会でもご夫妻一緒でした。夫唱婦随というのでしょうか、市長在任12年間の内助の功は大変だったと思います。

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国分寺・国分尼寺の建立にはいくつかの条件が設けられ、僧寺には僧20人、尼寺には尼僧10人を置くことが決められていたそうです。私たちが立つこの地には千年以上も前に尼僧10人が住んでいたということになります。元市長の説明によるとこの土地には普通の住宅が建てられていて、史跡の保存・整備のために立ち退いてもらったとのこと。

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この日集まった同窓生は19名(うちゼミ生夫人4名)でした。私たちは、慶應義塾大学加藤寛ゼミのOB会「寛友会」の6期生ですので「寛六会」と称して年に何回か集まっているのです。今春には京都に14名(うちゼミ生夫人4名)集結し、古都の桜を楽しみました。

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武蔵国分寺と国分尼寺はそれほど遠くない距離に位置していて、旧鎌倉街道で結ばれています。旧鎌倉街道は、鎌倉時代の御家人が “いざ鎌倉” と鎌倉に馳せ参じた道で、鎌倉時代の関東近郊の主要道として人体の血管のように張り巡らされました。元市長のガイドによって、この道を鎌倉武士が駆け抜け武蔵国分寺も鎌倉時代の争乱の巻き添えになっていたということも知りました。

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私たちは、武蔵国分寺の跡地へと向かいました。国分寺は聖武天皇の命によって全国68ヵ国(大和を除くと67ヵ寺)建立されたといわれていて、700年代の天平の時代に既に天皇が全国に命を下す体制が整っていたことに驚きました。その後律令制の衰退に翻弄された時代もあったことは歴史で学んだことです。

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発掘整備された1000年以上も昔の姿を前にして、天平の時代から今日まで続いているこの国のことやこの地のことを考えました。滅多にないいい機会でした。

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私たちは、元市長に引率されたゼミ生のようでもありました。

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いくつになっても探究心が衰えない同窓生に驚きもしましたし、元市長の名ガイドに引き込まれたせいか、現役学生の頃より真剣な表情にも感心しました。

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私たちが熱心に元市長のレクチャーに耳を傾けている後方で、夫人グループが何やらヒソヒソガヤガヤしていると思いましたら、B夫人の手作りクッキーの差し入れ準備をしていました。内助の功というか、花より団子というか。私たちは美味しくいただきました。

 

学生時代のゼミの延長のような気分でありながら、生きている歴史の探求はなかなかできない経験でいいものでした。武蔵野散策はさらに続くのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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