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2017年12月30日 (土)

往く年2017年 吉野~京都トレイル

ここ10年くらい年に1回は京都へ出かけているのですが、今年は3回も行ってしまいました。1回目は京都から吉野にかけての3人旅。2回目は大学ゼミの同窓会で、3回目は紅葉狩りに2人旅でした。

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3/31 鳥取からのリコピンは鳥取発06:39の「スーパーはくと2号」で09:53に京都駅に到着しました。リコピンとのんちゃんは昨年7月に伊勢神宮~伊勢志摩に行って以来の再会で、私とは昨年の11月に鳥取に行ってお世話になって以来の再会でした。

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京都駅に着いたらとりあえず伏見稲荷に参拝するのが習わしになりました。前年お願い事をして買い求めたお札をお炊きあげに戻し、また新しいお願い事をしました。

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伏見神社に参拝した後、雨も降ってきましたのでとりあえずこの日の宿「旅館紫」に荷物を置きに行くことにしました。「旅館紫」は祇園のど真ん中、花見小路にあります。今、京都で大流行のレンタル着物の娘さん達も雨の中大変そうでした。

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「旅館紫」は前年に初めて宿泊してすっかり気に入りましたので、京都での常宿のつもりで今回も宿泊することにしました。

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先斗町から高瀬川が流れる木屋町に出ると、高瀬川にかかる桜も雨に打たれて蕾状態でした。

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夕食の場所はおばんざいの名店「めなみ」で2回目となります。

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カウンターにはいろいろなお総菜が並んでいるのですが、盛り合わせ3人分を注文しました。どれもこれも美味しく、リコピンものんちゃんも大喜びでした。

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 出汁がよくきいた京都料理を堪能した後、リコピンとのんちゃんの二人が目をつけていたケーキ屋へ。「めなみ」とは高瀬川を挟んで真向かいにあり、とても雰囲気のある外観でした。

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二人の目つきは爛々と、どれも美味しそうでどれにしようか散々迷っていました。

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赤提灯の居酒屋は当たり前ですが、緑の提灯に出会うのは初めてでした。大衆的なイメージでしたので入ることにしました。

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カウンター席に座りたかったのですが、既に一杯でしたので座敷に上がりおでんを食べました。

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私はおでんや鯨刺しなどで満足して、フラフラと高瀬川沿いの道を宿へと向かいました。桜は昼間に見たときよりちょっとだけ花開いたかなという印象でした。

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とても楽しみにしていた「旅館紫」の朝食でした。京都では、かつてのお茶屋を旅館に改造して、朝食のみ提供してくれるスタイルを「片泊まり」といいます。

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荷物を預かっていただいた「旅館紫」に戻りました。女将さんと二人はすっかり意気投合していました。最後にシャッターを押してもらいました。

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今まで吉野には何回も行っているのですが電車で行くのは初めてで、電車の旅も楽しそうで胸がワクワクしました。近鉄特急で橿原神宮前へ、そこで乗り換えて吉野へというルートで2時間弱の行程です。

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吉野山に着いて、何はともあれ金峯山寺の蔵王堂に参拝しました。

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大きなガラス窓とストーブが特徴のログホールも寛ぎの空間で、この時には欧米人のファミリーが寛いでいました。

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通された部屋は3人でも広いくらいで、ここで風呂に入ったりゴロゴロしているだけで満足できます。リコピンは初めてで、のんちゃんと私は2回目です。

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蔵王権現堂とともに吉野で必ず訪れるのが脳天大神です。脳天大神は蔵王権現の化身といわれ、首から上の守り神ともいわれています。まるで奈落へと落ちてゆくように450の階段が続いています。

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本堂からは朗々たる読経の声と太鼓の音が聞こえてきました。女性が一人お経をあげていました。

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吉野から京都に戻り京都駅には12:16に到着し、3040分の乗り換え時間で、混雑しているなか京都駅の地下街に駆け込み慌ただしく昼食としました。カレーうどん、九条ネギたっぷりうどん、にしんそばと、それぞれ京都の最後の味を楽しみました。

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11/26(日)、27(月)の2日間、京都トレッキングに出かけました。

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この日のコースは高雄から嵐山までのトレッキングでした。高雄からは清滝川に沿って下って行きました。

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最初のコースは錦雲峡コースといって、高雄から清滝まで歩くというもので、ところどころ本当にこの道でいいんだろうかと思うようなワイルドな場所もあり、これはこれで楽しかったです。今回の相棒はのんちゃん。

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ところどころに「京都一周トレイル」の表示板がありました。

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清滝から嵐山までの金鈴峡コースも秘境的な野趣溢れるコースでした。

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金鈴峡から嵯峨野を経由して嵐山へと抜ける道は風情のある道でした。

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宿泊は京都での常宿になっている「旅館紫」さん。

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翌日(11/27)は南禅寺に出かけました。南禅寺も「京都一周トレイル」のコースになっています。南禅寺の山門は堂々としていて威圧的で、いつ見てもいいものです。

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南禅寺の次に北野天満宮を訪れました。「紅葉苑」が紅葉はピークを迎えていました。

今年は古都の花見と紅葉狩りを楽しむことができ、ちょっと贅沢な年でした。これからも春か秋のどちらかの季節でも訪れたいものです。

今年も無事に、あちこちテクテクと歩くことができました。また来年も元気で歩きたいと思っています。

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2017年12月29日 (金)

往く年2017年 寛六会 京都&国分寺

大学ゼミの同窓会「寛六会」は、大学卒業以来年に2回くらい集まって、飲みながら言いたい放題の気のおけない付き合いが続いています。瓢箪から駒みたいな成り行きで、京都と国分寺で出張同窓会ということになりました。

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春には4/5(水)から23日の行程で京都~丹後半島を巡りました。 集合時間12:00、出発時間12:30までには無事全員が顔を揃えました。早速、京都在住のOhta君からこれからのスケジュールについての説明がありました。宿泊の予約から観光コースの選定、タクシーや観光バスの手配、予算の計算など一手に引き受けていただきました。

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最初に龍安寺を訪れました。

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初対面のご夫人同士もすぐに打ち解けて、姦し何とか・・・。

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龍安寺に接するように建つOhta邸を訪問しました。大邸宅ぶりに一同で唖然としていたのですが、Ohta夫人に促され居間に落ち着きました。これからのスケジュールについて説明がありました。

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Ohta邸から嵐山へ向かい、渡月橋からの景色を眺めながら、桜餅を食べました。餡は入っていないのですが餅そのものが絶妙な味で美味しかったです。大人の修学旅行でした。

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天龍寺の入口に到着して集合写真を撮りました。 

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今回の旅を企画し手配してくれた京都が地元のOhta夫妻が心配していた桜開花の遅れでしたが、その心配も天龍寺の桜を見て吹き飛んだことでしょう。その桜を背景に安堵の表情。実はOhta夫妻で今回のコースを実際に下見に出かけていただいたとのこと。

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ゼミ仲間では最も一言居士とも堅物ともいわれる(私だけの偏見かもしれませんが)Itoh君、Itoh君は俳句を奥様は写真を趣味としているおしどり夫婦です。大河内山荘でItho君が詠んだ句。

大河内山荘  映画人(びと)の栄華を偲ぶ花の山

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 こちらのShimomura夫妻も笑顔が満開でした。夫人同伴を提案した本人としては、これだけ見事な京都の桜を奥様に披露できてさぞかし満足されたことでしょう。

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通称天神さんとも呼ばれ、福島県太宰府の太宰府天満宮とともに学問の神として多くの受験生の信仰を集めています。もう私たちにはあまり縁がありません。

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京都在住のOhta君がいなければ経験できない上七軒のお茶屋さんでの食事会。ここでもItho君の句が披露されました。

京都寛六会 五十年経て集ひたる花見宿

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夜の祇園をブラブラと散策し白川通りに出ました。満天の星のように桜の花びらが浮かび上がっていました。

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醍醐寺で集合写真。卒業後50年経っても、酒を酌み交わし、言いたい放題言い合う仲間達と古都の桜を愛でるという機会に恵まれました。醍醐寺の桜はこれ以上ないというほどの満開でした。 

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国分寺市長を312年(2001.62013.7)務めたHoshino君とそれを支えた奥様。公職を退いても地元国分寺市のために様々な活動をしているHoshino君と奥様、今回は日頃の忙しさを忘れて英気を養っているようでした。

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京都駅から丹後半島へと向かいました。「特急きのさき7号」は社内清掃中で、私たちはOhta君が手配してくれたお弁当とそれぞれが購入した缶ビールを手にして、ホームで待機しました。まるで修学旅行のような気分でした。

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終点の天橋立駅では先に待っていたK大名誉教授のKagawa君が待っていました。台湾での学会がありましたので、一日遅れの合流となりました。

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天橋立は雨でした。雨の中の股のぞきは異様に見えますが、他に観光客はいませんでしたので私たちの独壇場でした。

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股のぞきで見た光景です。天空への道に見えるでしょうか。もし快晴だったら見え方はもっと異なったかもしれませんが、それ以上に、皆さん歳はとっても稚気は残っていて、思い出しても可笑しくなる楽しい思い出ができました。

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 雨風の強い中、めげずに天橋立の股のぞきではしゃぎましたので、温泉でさっぱりとして宴会が始まりました。堅苦しい挨拶は無しで。

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4/7(金) 伊根湾巡りの周遊船に乗り込んでゆったりとした開放的な気分になりました。

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舟屋群集落が見えてきました。穏やかな湾を囲むように約230軒の舟屋があるそうです。海と山の間の狭い土地にまるで海に浮かんで見えるように建てられています。

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伊根の集落を散策しました。舟屋は海上にせり出して建築されていて、1階に舟揚場、物置、作業場があり、2階が居室となっています。民宿を営んでいる家もあります。こうして海から眺める景色も、民宿として営業している舟屋から見る海の景観は、伊根町の代表的な観光資源となっています。「NHK連続テレビ小説 ええにょぼ」や「釣りバカ日誌」のロケ地にもなりました。

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ゆったりとした気分での街歩きは、ガイドしていただいたRyokoさんの存在も大きかったと思います。自然と私たちに溶け込み、押しつけのないガイドは私たちをすっかりリラックスさせてくれたのでした。仲間達の笑顔とゆったり感がそれを表しています。

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伊根湾を背景に、集合写真のようなそうでないような、今までの動作を瞬間的にストップしたような自然体の記念写真。ガイドさんのガッツポーズが決まっていました。この後京都へ戻り現地解散となりました。  

 最後にItho君の俳句をもう一つ。

激論の尽きぬ春宵、白髪ゼミ

卒業以来50年目の節目に素晴らしい23日の同窓会となりました。現地幹事のOhta夫妻に感謝です。ゼミ仲間が今でも元気で、稚気もユーモアもあり、理屈っぽさも衰えていませんでした。素晴らしい仲間との交流にも感謝です。

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晩秋には国分寺市に集まりました。なぜ国分寺市かといいますと、同窓生のHoshino君が元国分寺市長という単純な理由によるものでした。元市長のガイドによる武蔵野散策と国分寺史跡探訪を楽しみました。(国分寺寛六会についての詳細は今月初めのブログに掲載させていただきましたのでごく一部を再掲させていただきました)

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国分寺史跡。国分寺は聖武天皇の命によって全国68ヵ国(大和を除くと67ヵ寺)建立されたといわれていて、700年代の天平の時代に既に天皇が全国に命を下す体制が整っていたことに驚きました。 

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この日集まった同窓生は19名(うちゼミ生夫人4名)でした。春には京都に14名(うちゼミ生夫人4名)集結し、古都の桜を楽しみました。

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2時間半の史跡巡りと武蔵野散策の後は宴会となりました。京都寛六会と同様、国分寺でもItho君が次のような俳句を披露していただきました。

寛六会国分寺散策 伊藤 修しゅう

護国安寧願ひ聖武帝諸国に国分寺置き給ふ
落葉踏む聖武置かれし鎮護寺ちんごでら

御夫人参加で寒さも吹っ飛びけり
冬ぬくし奥方交わる寛六会

ゆったりとした時間が流れ、そういう時間を気心の知れた仲間たちと共有するのは得がたい一時でした。 

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2017年12月28日 (木)

往く年2017年 丹沢登山紀

4月に小田急線沿線の駅近に引っ越して以来、アクセスが便利になりましたので時間があれば丹沢に登山に出かけました。12/28(水)に今年最後の丹沢登山は33回目となりました。

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連休明けの5/8(月)天候が良さそうでしたので、久しぶりに丹沢山脈の塔の岳登山に出かけました。週末で天気がいいと小田急線渋沢駅の登山口・大倉行きのバス停には長蛇の列ができます。1台のバスで乗り切れないときには大体臨時バスが出るのですが、この日も臨時バスが出ました。

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バスは週末は混みますが、平日でも結構登山者が乗っています。

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登山口の大倉ゲストハウスの上には青空が広がっていると晴々とした気持ちになれます。

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登山口では登山者カードを提出します。

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歩き始めて10分くらいの所にある観音茶屋の脇のお地蔵様に無事登山のお願いをすることにしています。

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賑やかに楽しそうに話しながら元気に登って行くグループの人たちも、登りが急になる頃には大抵無口になります。

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歩き始めて1時間くらいの 紅葉ロード と勝手によんでいる山道は瑞々しい青葉が繁っていました。(1回目 5/8

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秋になると “紅葉ロード” が紅く染まりました。(29回目 12/3

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途中から見える富士山、6月に入ると雪もだいぶ溶けてきました。

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この大倉尾根はバカ尾根といわれるくらい延々と登りが続きます。

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バカ尾根を登りきると花立小屋、陽気がよくなると名物のかき氷の幟が出ます。ちょっと早めの夏山の風景となります。

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花立山荘は週末しか営業していません。週末登山したときはここで昼食をとります。この日のメニューはビールと、ビールのおつまみキュウリの一夜漬けとコンビニで買った焼き鳥、メインはおにぎり、デザートは冷凍したパイナップル。(11回目 7/29

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春には、満開となっていた豆桜が目を楽しませてくれました。花びらが山桜などに比べると一回り小ぶりなのが特徴です。

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桜の時期が終わるとツツジが咲きます。

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頂上手前の階段も厳しいのですが、ここを登りきれば山頂かと思うと力が出るのです。

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07:15に登り始めて10:43に山頂に着きましたので約3時間半かかりましたが、これは標準タイムですので久しぶりにしては上出来でした。(1回目 5/8

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何回か登るうちに山頂までの時間が短くなり、この日は3時間10分。最近は2時間50分とか3時間を切るようになりました。(4回目 6/30

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のんちゃんも塔ノ岳に初登頂しました。(29回目 12/3

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山頂から見る富士山は最高です。夏には消えた雪も11月に入ると薄化粧となり少しずつ白くなります。(29回目 12/3

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何年か前から安置された仏像は、富士山がちょうど真後ろに見える位置に置かれたのでしょうか。思わず手を合わせたくなりました。

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塔の岳(1,491m)の山頂風景。ここに建つ尊仏山荘は居心地のいい山小屋で何回か泊まったこともあり、山頂で昼食をとるときはここでビールを買います。

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下山すると、バカ尾根の最も急傾斜が続く登りでは、登ってくる登山者が皆さん苦しそうです。

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今年もたくさんの花を楽しむことができました。

5月から登り始めた丹沢登山は33回を数え、春、夏、秋の季節折々の山の景色を楽しむことができました。山頂までの時間は3時間を切り、往復の時間も5時間くらいになりました。山頂から富士山を眺めることができる確立は5割くらいですので、見えたときの感激は一入です。来年もできる限り登りたいと思っています。

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2017年12月27日 (水)

往く年2017年 富士山・立山・涸沢

今年も富士山をはじめとしていくつかの山に登りました。

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8/23(水) 富士登山に出かけました。昨年は行きませんでしたので2年ぶりとなります。今回初めて富士急電鉄を利用しました。富士山駅に向かう窓から富士山を眺めることができました。あのてっぺんに登るかと思うと身が引き締まりました。

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富士山駅で下車し、バスを乗り継いで富士吉田登山口五合目へと向かいました。

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五合目は、外国人が一度は訪れたい観光スポットとなっています。

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六合目から本格的な登山の開始となりました。

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七合目から八合目にかけては岩場の連続となります。ここはまだ序の口です。

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標高3,100mの八合目「太子館」。七合目を12:26に出発して標高差400m80分くらいで登りました。コースタイム(100分)に比べてここまで順調に岩場を登りきりました。

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この日は本八合目の「富士山ホテル」(標高3,400m)に宿泊して、翌日(8/2404:00頃に起床して、夜が明けかかる頃に出発しました。出発して間もなく 05:12 ご来光を拝みました。

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九合目の鳥居も近くなり、山頂も濃い霧の中で確認できるようになりました。急登の連続ですが、ここまでくれば登るっきゃないです。

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九合目から山頂にかけての上の方は霧が濃くなっているのですが、下界のようはそれほど見通しが悪いわけではありませんでした。必死の思いで登ってくる人たちが続いていました。誰もが歯を食いしばって必死でした。

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残り200m、何回登っても、頂上直下の傾斜がこんなに急峻だったかなと思うのですが、多分山頂に着いた途端に忘れてしまうからかも。

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06:30 登頂しました。気温は4℃、風が強く体感温度はもっと寒く感じました。本八合目の富士山ホテル(3,400m)を05:00に出発して標準タイムの90分で山頂に着きました。2年ぶりの富士山頂でした。

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登頂の後は長い長い地獄のような下山となりました。眼下には、日本一高い場所からの独立峰ならではの豪快な景観、河口湖や山中湖が広がっているのですが。とにかく長いのです。

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9/27(水) 7回目となる立山合宿へ出かけました。2010年から続けていた立山合宿、昨年はブランクがありましたが今年で7回目となりました。合宿といっても勝手に自分で名付けているだけで、今まではカミさんと2人でしたが今年は一人合宿となりました。いつもはマイカーだったのですが、今回初めて鉄道を利用しました。信濃大町駅で。

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トロリーバス、ケーブルカーで黒部ダムを経由して室堂に着きました。

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室堂からアップダウンの道を15分くらい、宿泊は常宿としている「みくりが池温泉」でした。

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室堂には午後着きましたので、夕方まで高度順応と足慣らしで付近を散歩しました。

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今まではカミさんと2人でしたので個室でしたが、今回初めて相部屋を利用しました。2段ベッドが4つの8人の相部屋です。畳1畳くらいのスペースで、壁とカーテンで仕切られていますので半個室です。携帯やカメラの充電もできますし、読書灯もついています。12食付きで9,300円。

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ここは温泉が有名です。日本一高所にある天然温泉です。いつでも入ることができ、雨が降ったときや1日汗をかいた時はとてもありがたいです。

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食事は山小屋とは思えないほど充実していて、いつも3連泊しているのですが、毎日メニューが違うのもありがたいです。

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ワインや日本酒などが飲めるのも嬉しいです。

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9/28(木) 2日目は雨模様でしたが、雷鳥平へと下る途中で雷鳥に出会いました。今回はたくさんの雷鳥を見つけました。雷鳥は神の使いといわれ、見つけるといいことがあるといわれています。

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3日目はやはり雨模様の中、雷鳥平や雷鳥坂をトレッキングしました。

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4日目、帰る日になって青空が随分広がってきました。来年こそ立山縦走であの稜線を歩いてみたいです。

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往路は長野県側から室堂に入ったのですが、室堂からの帰りは富山県側に下りました。なんと、バスの窓からは剱岳の勇姿を見ることができました。

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富山駅からは北陸新幹線で帰路につきました。初めて乗る新幹線「かがやき」。  

 今までになく雨にたたられた立山合宿でしたが、トッレキングしたり、温泉に入ったり、たくさんの雷鳥に出会ったり、充実した4日間でした。

 

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10/13(金)~14(土)の日程で涸沢カールへと行きました。同行者は丹沢で知り合ったMoeさん。バスタ新宿22:25発の上高地行きのバスを利用しました。

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10/14の早朝上高地に着きました。上高地は雨で、河童橋の背景の前穂高岳が霧に烟っていました。

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横尾渓谷にさしかかる頃には雨は激しくなりました。傾斜がきつくなると同時に、雨水が登山道に流れを作って、登山靴はもうどうしようもないくらいビッショリでした。雨は防水着を伝って体の中にも浸透してきて、寒さと冷たさの二重苦でした。

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雨の中でしたが、紅葉が目を楽しませてくれました。

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12:27 涸沢小屋に着きました。横尾山荘から3時間10分かかりましたが、この雨の中、写真を撮ったり撮られたりした割にはいいペースでした。

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濡れた雨着や衣類など着替えたかったのですが、それ以上にお腹が空きましたので、休憩所で先ずは昼食。Moeさんはラーメン、私はビールとカレー。

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1泊して疲れもとれ、06:30 出発しました。厚手の靴下以外は登山靴も衣類も防水・防寒具もすべて乾き、曇り空でしたが雨は降りそうもなく晴々とした気持ちで出発しました。

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かつて大氷河が削った痕跡が渓谷となっていて、横尾山荘に向かって下っていました。

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登山は登るのも大変ですが、下るのも大変です。Moeさんは足場の悪い急斜面を軽快なステップで下っていきました。

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河童橋の手前からは前日は見えなかった前穂高岳、吊尾根、奥穂高岳、ジャンダルムなどの穂高連峰を眺めることができました。

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上高地バスターミナルにある「上高地食堂」で腹ごしらえをして順調に新宿バスタに戻りました。2人にとっての初めての22日(車中1泊、山小屋1泊)の山行きは、最悪の天候の中でしたが無事に楽しく終わりました。

今年の登山は、富士山以外は雨にたたられた年でした。

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2017年12月26日 (火)

往く年2017年 遠くへ行きたい 松本~上高地

8/2830 何となく遠くへ行きたいと思い、松本から上高地を目指して23日の旅に出ました。

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松本へのアクセスでは「特急あずさ」を利用するのが最も速くて便利なのですが、それでは “遠くへ行った感” はありませんので「新宿バスタ」から小諸へと向かうことにしました。 07:45発「小諸1号」で出発しました。小諸到着予定は10:50で約3時間(2600円)のバス旅でした。

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小諸城址、古城の石垣は何となく哀愁をおびています。「惜別の唄」の詩やメロディー、「初恋」の詩を口ずさんでいると甘酸っぱかった高校時代を思い出しました。

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旅情に浸りつつ、小諸の町を歩いてみました。小諸は「北国街道(ほっこくかいどう)」の小諸宿だった町です。宿場町というとそれだけで、旅気分がしてきます。

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小諸駅からは「しなの電鉄」で。松本方向に延びているレールの先には気持ちのいい青空が広がっていました。

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電車が動き出して、小諸駅待合室のおばちゃん一押しの「浅間嶽」のフタを開けました。さっぱりすっきり、とても旨かったのでした。

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ここは「おばすて(姨捨)駅」。駅舎は駅名でイメージしていたものとは随分違いました。

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姨捨駅のホームからの善光寺平と棚田は日本三大車窓の1つといわれているそうです。

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棚田へ行く途中「田毎の月 姨捨山 長楽寺」というお寺がありました。高台にヒッソリと佇むように建っているのですが、松尾芭蕉や小林一茶(4回訪問)、伊野忠敬も訪れている古刹だそうで、ビックリしました。

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境内にはいくつかの石が置かれていて、それぞれ句が刻まれていました。「姥捨伝説」があり、「楢山節考(ならやまぶしこう)」という小説が書かれ、また映画化もされましたが、長楽寺と「姨捨伝説」は直接関係ないようでした。

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野の草や棚田の稲の緑が段々となった丘陵は、よくよく見なければ棚田とわからないくらいでした。多分、水がはられて苗が植えられた状態が棚田の見頃と思われました。

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姨捨駅で途中下車して棚田の段々畑を歩いた後、再びしなの電鉄に乗って松本駅に到着しました。松本駅に着いたのが16:30で、市内散策の時間はあまりなく、ホテルにチェックインして市内の居酒屋巡りに出かけました。

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松本での居酒屋巡りは、馬刺し巡りでもありました。松本市は熊本や会津若松市とともに馬刺しの名産地です。もちろん日本酒もお目当ての一つでした。

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一軒目の居酒屋を出るとすぐ目の前が広場(公園)になっていて、たくさんの人が集まっていました。

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ビール祭が開催されていました。

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片言日本語で誘われるままに、お勧め黒ビールを飲みました。

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旅に出るとき、事前に一、二軒くらいは居酒屋を予約しておくのですが、松本では一軒だけ予約しました。他は適当に美味しそうな店を探すのも楽しみの一つです。松本では馬刺し巡りでしたので、馬刺し専門店を物色し、何となく(いつもそうですが)よさそうな店が目につきました。

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馬刺しは、とりあえず盛り合わせをオーダーし、あわせて地酒「夜明け前」もオーダーしました。アテは塩が出てきて、変な「おとおし(つきだし)」よりよほど気がきいていると思いました。

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馬刺しの盛り合わせは、赤身と霜降りと「たてがみ」の3点でした。白い「たてがみ」は、今まで食べたものは固いラードを食べるようであまり好きではなかったのですが、一口口に含んでビックリしました。旨味がジワーッと口の中に広がり、今までの「たてがみ」は何だったんだろうと思いました。

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馬刺しにも日本酒にも満足して、トロリとした気分になりました。

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8/29早朝松本駅からバスに乗り、上高地に着きました。河童橋近く、絶好の穂高ビューポイントがあるのですが、二重三重の雲に視界が阻まれていました。

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折角信州に来て、ソバは篠ノ井駅で食べたきりでしたので、信州ソバを食べたいと思いました。

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挽き立て、打ち立て、茹でたて、の「手打ちソバ」が出てきました。ソバ通ではありませんので細かいことはわかりませんが、味は美味しかったと思いました。

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松本13:02発「スーパーあずさ18号」で戻りました。  

 悪天候のために予定を短縮した12日の旅は “遠くへ行った感” がするものでしたし、1泊とは思えない長い旅のような気がしました。以前でしたらどこまでもマイカーで走ったのですが、今回は電車とバスをたくさん乗り継ぎ、電車やバスを待つ時間も長く、ボンヤリとしたり、これまでのことやこれからのこと、考えることもできました。こんな旅をこれからも続けたいと思いました。 

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2017年12月25日 (月)

往く年2017年 ベトナム

今年1年を振り返ってみると、海外にはベトナムに行っただけでした。4/23(日)~29(土)の1週間、「よくばりベトナム大縦断7日間」というツアーに参加しました。ベトナムは2回目で、1回目は20149/39/64日間「てんこもりベトナム4日間」というホーチミンシティ中心の激安ツアーでした。

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ベトナムは中国と国境を接していて、南北に細長い国です。スケールは違いますが南米のチリとよく似た形をしています。今回の「ベトナム大縦断」ではその細長い国土を成田→ホーチミン→フエ→ハノイ→成田と北上する旅です。

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成田を飛び立って、朝鮮半島や東シナ海を右に見る位置に来ました。北朝鮮が日米韓に対してミサイル発射など挑発行為を繰り返している時期でもあり、朝鮮半島情勢や東シナ海・南シナ海の領海争いなどを思うと、こんな狭い領域で何をしているんだろうという気持ちにもなりました。

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ベトナムについて初めての夕食でいきなりフォーが出てきました。フォーはベトナムを代表する料理で私の好物でしたので美味しくいただきました。青いレモンを搾り、赤いチリソースのようなピリッと辛いもの(結構辛かったです)を入れて食べました。お米の麺はツルッとして喉ごしがよく、これだけでベトナムで暮らしていけそうです。

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若いというかあどけないというかウェイトレスさんが、山盛りの葉っぱに何かを包み込んでくれました。これも美味しかったです。野菜の種類も量も多く、ベトナム料理は安心して食べられる健康食です。

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 ホーチミンシティは20149月に訪れて2回目ですが、街角には人が集まり賑やかで、バイクはバイク同士の隙間がないほど密集している状況は変わってはいませんでした。

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路上で宴会しているおじさん達。ベトナムの歩道はほとんど歩けないといわれることもありますが、なるほど。

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フエへの移動はベトナム航空国内線でしたが、整備不良で2時間の遅れでした。フエの空港に着くと空港の地上スタッフもベトナム傘を被ってのんびり歩いていて、ホーチミンシティとは全く違った古い都フエの一面とローカル空港の一面が感じられ、2時間の遅れもどうでもいいことのように思えてきました。

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15:06 昼食の時間からは随分遅れましたが、宮廷料理のレストランに着きました。門の奥の方から待ちかねた女性スタッフが出てきました。

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5つ調味料付きの蒸し魚と亀形のチャーハンをはじめとして10種類の料理が出てきました。味は私たち日本人になじめる味で、このレストランのオーナーが日本人とか。

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フエにある阮朝の王宮(日本でいえば皇居)前の広場を歩くベトナム笠を被った女性、鮮やかなピンクの衣装を身に纏い、だだっ広い広場を横切って行きました。どこから来てどこへ行くのか、天秤棒の先の籠には何が入っているのか。

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世界遺産ミーソン聖域の遺跡群。 7世紀から13世紀にかけての遺構は、千年もの時を経てドッシリと構えている遺跡には苔や草がまとわりついていました。近年になって、ベトナム戦争ではベトコンのアジト掃討のために米軍B-52の爆撃を受けて大半が破壊された中、生き残った遺跡です。

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民族衣装の女性たちと民族楽器を抱えた男性たち。ミーソン遺跡を築いたといわれるチャンパ人(族)の末裔の人々で、現在はチャム族とよばれています。

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ベトナムといいますとのどかな農村風景というイメージなのですが、最近はダナンのビーチが注目されています。ダナンは南北に細長いベトナムの中部に位置する港町ですが、長く続く白いビーチと目の前に広がる青い海が魅力的で、近年ビーチリゾートして注目を浴びています。

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ダナンから30km、ホイアンの旧市街は1999年に世界遺産に登録されています。昭和レトロのような、「三丁目の夕陽」を思い出させる風景でした。

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川にかかる小さな橋は1953年に日本人によって建設されたともいわれていますが、日本人、中国人、ベトナム人が共同で作ったという説もある「来遠橋」は「日本橋」ともいわれています。

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ホイアンに夕暮れが訪れ、ランタンに灯が灯り、旧市街は昼間とはまた別の雰囲気となりました。ランタン祭の日は、ホイアンの家々は電気が消え、この提灯の明かりだけが町を照らすそうです。満月の下、幻想的な夜の町は昔にタイムスリップした気分になるそうです。

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灯籠流しでした。ベトナム風の燈籠を抱えて、幽霊みたいにボーッと立っていますが、カメラのフラッシュを忘れただけです。この燈籠を長い柄のついた棒の先のお皿状の板にのせて川へと流しました。

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チャンアンは、ハノイから南東の方向に110km下った場所にあり、約2時間半の道のりです。石灰岩の台地が造り出した奇岩とその合間を流れる水路、水によって浸食された洞窟、湿地の景観などがとてもうつくしいことから「陸のハロン湾」ともいわれています。私たちは手こぎボートで水面からしか景観を楽しめませんでしたが、上空から見ると(インターネットより転載)ベトナム一の絶景といわれていることも肯けました。2時間のクルージングはいくつかの洞窟、奇岩とその岩肌にとりついた緑、その景観は秘境ムードタップリでした。

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ハロン湾は、ベトナム北部、トンキン湾北西部にある湾です。漢字表記は下竜湾。クアンニン省のハロン市の南に位置していて、大小3,000もの奇岩、島々が存在します。多くのクルーズ船が停泊していました。

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地名の「ハロン」は「降りる龍」という意味があるそうで、ここには龍にまつわる伝説が残っています。名前のついている島は数百とか。名前のついていない島を入れると、湾内の島の数は1600とも2000ともいわれています。クルーズ船や奇岩の島々を背景に浮かぶ一艘の小舟(移動店舗)はなかなか絵になりました。曇り空のために墨絵のようにも見えました。

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ハロン湾の島々にはたくさんの鍾乳洞があり、鍾乳洞観光のために島に上陸しました。

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鍾乳洞の中は極彩色でまばゆいばかりでした。岩の表面にさまざまな模様の襞ができていて、さらにさまざまなカラーのライトアップがされていて、幻想的ではあるのですが、できたら自然の色を見たいと思いました。

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「ホーチミン廟」は、ベトナムの民族解放と独立のために生涯をかけたベトナム建国の父であり、元国家主席のホー・チ・ミンの霊廟です。19731975年にベトナム全土から集められた自然の素材を用いて建造されたそうです。廟への入場は午前中のみで、是非是非ホー・チ・ミンさんにご対面したかったのですが、朝一番に並ばなければならずそれは日程的に無理で、とても残念でした。

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ツアーには私は1人参加でしたが、20145月に出かけたトルコツアー(10日間)で一緒になったAさんご夫妻も一緒に参加して3人で一つのチームという形で参加しました。最後の乾杯。まだ帰国のフライトが残っていますが、ここまで無事で楽しい旅行ができました。

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2017年12月23日 (土)

京都トレッキング 08北野天満宮

11/27(月) 南禅寺での紅葉狩りの後、北野天満宮へと向かいました。

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北野天満宮は、今年の4月に大学ゼミの同窓会でちょっと寄りました。夕食会の会場(上七軒)へと向かう途中に立ち寄ったため正式参拝はできませんでした。是非正式参拝したいと思っていましたので、南禅寺トレッキングを短縮して北野天満宮へと向かいました。 

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北野天満宮は、通称として天神さんとも呼ばれていて、福岡県の太宰府天満宮とともに天神信仰(菅原道真公)の中心となっています。近年は学問の神として多くの受験生の信仰を集めています。 

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北野天満宮の境内には横たわった牛(臥牛)の像が数多く奉納されていて、菅原道真公と牛にまつわる伝説や逸話が残されています。牛は菅原道真公の「神の使い」と称されていて、現在では「撫牛信仰」として広がり、横たわった牛には、諸病平癒の力があると考えられていますが、見ていると受験生が一生懸命撫でて合格祈願していました。 

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前回大学ゼミの同窓会で訪れた時には門限を過ぎていて参拝できませんでしたが、今回は美しい姿の本殿に参拝することができました。 

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ここ数年、国家資格をはじめとして諸々の資格試験に挑んでいて、来春まで受験生活が続くのんちゃんは、熱心にお詣りしていました。 

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本殿に参拝の後、境内にある「御土居(おどい)のもみじ苑」が公開されていましたので入場しました。 

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「御土居」というのは豊臣秀吉が洛中洛外の境界と水防のために築いた土塁のことで、現在はその一部と自然林が残っていて、紅葉樹は250本あります。この樹齢600年といわれる古木は大欅で幹周りは6mとのこと。 

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南禅寺で目の覚めるような紅葉を見てきたばかりだったのですが、もみじ苑の紅葉も劣らず、燃えるようでした。 

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まるで人工的に朱を吹きつけたようなこの紅色は、どうしたらこんな見事な紅色になるのでしょうか。 

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薄い青の空と白い雲、紅葉と黄葉、そして伽藍、極楽のような景色です。 

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朱塗りの鶯橋の後には紅を散らした黄金色の世界がありました。 

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土塁に沿って流れる紙屋川は黄金色に染まっていました。 

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200本といわれる紅葉・黄葉の樹々は陽の光を浴びてキラキラと輝いていました。 

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もみじ苑の紅葉・黄葉に圧倒され、入苑料に含まれている茶菓で一服しました。入苑料は700円でしたが、満足しました。 

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午後一の新幹線に乗る予定でしたのであまりゆっくりはできませんでした。京都駅へは地下鉄にするかバスにするか迷ったのですが、天満宮前のバス停にちょうどバスが来ましたので飛び乗りました。市内は月曜日のせいかそれほど混んでなく、順調に京都駅に着きました。 

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何はともあれビールで乾杯。 

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京都駅での昼食は前回(4月)の時もそうだったのですが、カレーが定番料理となりました。和風のカレー味と刻んだ油揚げと九条ネギ(少量ですが)との相性がバッチリです。京都のシメがカレーというのはイメージにそぐわないのですが、とても美味いのです。

2日間の京都トレイルでしたが、実際のトレッキングは1日目だけでした。それでも高雄から嵐山に抜ける錦雲峡と金鈴峡のコースは秘境的な雰囲気もあり面白く、2日目の南禅寺と北野天満宮は京都の錦秋をタップリと楽しむことができました。

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2017年12月21日 (木)

京都トレッキング 07南禅寺

11/27(月) 京都トレッキングの2日目は南禅寺と北野天満宮の紅葉狩りに出かけました。

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「旅館紫」さんで美味しい朝食をいただいたてチェックアウトしました。この日は午前中に南禅寺と北野天満宮に行きたかったので、早めに出発しました。早朝の花見小路は人通りもなくひっそりとしていました。 

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「京都一周トレイル」で南禅寺へと向かうコースは春の桜の時期に1回歩きました。今回も同じコースを歩こうと思ったのですが、午前中に北野天満宮にも行きたかったのでこのスタート地点から直接南禅寺へと向かいました。 

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スタート地点(地下鉄東西線蹴上駅)から5分も歩くと南禅寺の裏手の通りに出ました。まだ朝も早く、シーンとした路地を歩いていると身の引き締まるようでした。 

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南禅寺の山門は堂々としていて威圧的で、いつ見てもいいものです。 

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山門からの紅葉は絵画のようでした。 

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山門から本堂に続く参道脇の紅葉をピークを迎えていました。春に桜を愛でることを花見といい、秋に紅葉を愛でることを紅葉狩りといいます。先人たちの日本語表現力の豊かさに感心してしまいます。 

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紅く染まってしまいそうでした。 

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この時期、京都の寺院ではあちこちで紅葉が見られ、たくさんの観光客が紅葉狩りに出かけますが、必ず参拝料(入場料)がとられます。南禅寺は参拝料なしで紅葉の競演が見られます。 

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境内を見渡してみると朝早いせいかまだ参拝者や観光客の姿は少なく、清々しい空気が流れていました。 

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苔に覆われた庭土の上に黄金色の落ち葉が散っていて、季節は晩秋から冬へと向かっていました。 

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境内の周りをグルッと回ると、見事というか美しいというか、そこだけが別世界のような佇まいの空間もあり、心地よい気分となりました。 

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朝露に濡れた一枚の紅葉が印象的でした。

朝の南禅寺はまだ人も少なく、今までになくゆったりとした気分で晩秋の京都を楽しむことができました。

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2017年12月19日 (火)

京都トレッキング 06幻のモツ煮

11/26(日) 京都の洛西を歩いた後は、夜の京都へと繰り出しました。

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予約したのは三条木屋町にある「四季の味 浜町(はまちょう)」という店でした。今年の4月に近くの割烹料理屋に入ったとき気になっていた店でした。 

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店内に入るとカウンター席があり板長さんの包丁さばきを眺めるのもいいのですが。  

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私たちは簾で仕切られた個室を予約しました。 

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ニコニコ! 

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先ずはビールで乾杯! 

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この日は日本酒全品半額デー! ラッキーでしたが、結局余計に飲んでしまいました。 

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前菜は京野菜の九条ネギドレッシング。 

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酒の肴の豆腐は、松本市でも食べましたので食べ比べしてみました。 

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穴子やその他諸々。 

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京都での食事は1回だけでしたので、何軒か梯子したいために早々に会計しました。入店したときには誰もいなかったカウンター席には何組かのお客さんがいました。  

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高瀬川沿いのケーキ屋は、前回(4月)に見つけたのんちゃんお気に入りの店ですが、入店待ち30分ということでしたので諦めました。 

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寺町あたりをそぞろ歩きして次のお目当ての店へと向かいました。 

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以前1回入ったことがあるホルモン焼きの店なのですが、ここのモツ煮を食べたかったのですが残念ながら売り切れとのことで入店を諦めました。 

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入った店は高瀬川沿いの大衆的なモツ焼きの店で、なかなか繁盛していました。  

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付き出しがモツ焼きの店にしてはオシャレっぽかったのでした。 

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オーダーしたのはモツ鍋、味はまあまあ。 

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食事を終えて、ブラブラと花見小路を歩いていきました。日はとっぷりと暮れ、観光客で賑わっていた花見小路も人通りが少なくなっていました。 

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花見小路から1本路地に入った先に目印の提灯がある宿が「旅館紫」でした。路地はひっそりとしていました。 

早朝、新幹線に乗って京都に着き、そのままリュックを背負って高雄から嵐山までトレッキングをして長い1日が終わりました。 

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2017年12月17日 (日)

京都トレッキング 05旅館紫

11/26(日) 1日目のトレッキングを終えて、宿泊は祇園花見小路の「旅館 紫」さんでした。

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(画像は20174月撮影) この日の宿泊先の「旅館紫」は、祇園のど真ん中の花見小路から路地を一つ入った先にあります。  

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高雄から嵐山までのトレッキングを終えて、地下鉄と私鉄を乗り継いで京阪電鉄祇園四条駅で下車しました。宿泊先の「旅館紫」さんへの道は花見小路から行くルートと、もう一つひっそりとした路地から行くルートがあります。 

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ひっそりとした路地には何の店だろうと思うような家が軒を連ねていて、いろいろ想像をするのも趣があって楽しいのです。 

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花見小路から一つ路地を入った角に「旅館紫」さんがあります。「旅館紫」さんは私は4回目、のんちゃんは4月に鳥取のリコピンと3人で泊まって以来2回目で、女将さんとはすっかり顔馴染みになっていて、京都での常宿になっています。 

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格子戸を開けて入ると、小さな玄関のようになって暖簾がかかっています。 

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玄関の先は小上がりになっていて、ホテルでいえばフロントともいえるスペースです。ここで女将さんが出迎えてくれます。 

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元お茶屋だったという旅館ともいえない小さな宿で、部屋の数は2階に4部屋あるきりです。この日は他にも宿泊客がいましたが、顔を合わせることもなくひっそりとしていました。 

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狭いスペースの坪庭は、別宅にいるような贅沢な気分にさせてくれます。 

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部屋は6畳一間でシンプルなものです。ガラス戸を開けると路地の行き交う人が見えたり、暑い時期には簾越しに涼しい風が吹いてきたりします。雨戸の開け閉めはちょっとしたコツがいるのですが、そのコツも飲み込んで朝起きたときは自分でしたりしています。 

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旅館や茶室ではあたりまえのことですが、質素で何もない部屋に活けられた花は凜としでいながら心和むもので、女将さんの心遣いが伝わってきます。  

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かつてのお茶屋やしもた屋を宿泊できるように改造することが京都で流行っていて、食事は朝食のみというケースがほとんどで、「片泊まり」といわれています。「旅館紫」も食事は朝食のみで、そのメニュー(画像は翌日の朝食)は質素ですがとても美味しく、特にのんちゃんはここでの朝食を楽しみにしています。 

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トレッキングを終えて「旅館紫」に荷物のリュックを預け、散策がてら円山公園から夕食を予約してある三条方向へと向かいました。今や、京都の観光スポットはレンタル着物の若い(まれに若くはない人も)男女のコスプレ会場のようになっています。 

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円山公園は、昔から京都に行ったときには必ず訪れることにしています。桜の時期に訪れることが多いのですが、紅葉の時期は初めてのような気がします。 

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円山公園の紅葉はまったく期待していなかったのですが、なかなかいいものでした。 

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円山公園に行くのは坂本龍馬と中岡慎太郎の顔を見に行くのですが、紅葉を背景にした2人の姿は初めてでした。京都へは大抵は桜の時期に来ていて、幕末を走り抜け若くして華々しく命をパッと散らした2人には桜こそ似合っていて、紅葉は何となくイメージ的に合わないような。 

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円山公園でこんなに紅葉が見られるとは思ってもみませんでしたので、得した気分でした。 

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円山公園からブラブラと四条大橋を渡って先斗町に入ることには日が暮れかかり、通りの店々に明かりが灯りました。先斗町通りを抜けて、三条木屋町方向(三条大橋)へと向かいました。

京都での宿泊場所の予約は年々難しくなっていて、いわばプラチナカード化しているのですが、「旅館紫」さんは早めに予約すれば何とかなるありがたいお宿です。祇園のど真ん中という好立地条件の小さな宿で、居心地がいいのですが、その女将さんのサービスを煩わしいと思う人も多いようです。逆にいえば私にとっては望ましいことでもあります。 

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2017年12月15日 (金)

京都トレッキング 04嵯峨野

11/26(日) 高雄から錦雲峡コースと金鈴峡コースを経由して嵯峨野の入口鳥居本という地域に着きました。嵯峨野を歩いて嵐山へと向かいました。 

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愛宕神社一の鳥居から金鈴峡コースを辿って清滝へと戻ることもできるのですが、嵐山方向へと向かいました。 

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ちょうどお昼になりましたので、「街並み保存館」の庭で昼食にすることにしました。紅葉を見ながらの昼食でした。 

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街並み保存地区になっていて、とても落ち着ける茅葺き屋根の古民家などが並んでいました。 

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化野念仏寺の裏口、石畳の道は錦秋の道となっていました。 

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こちらは念仏寺の表口の道、紅葉が見頃でした。 

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街並み保存地区を歩いて行くと少しずつ観光地ムードになってきました。 

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この道は旧愛宕街道といわれる道です。自然の中を歩いた後にこういう街並みが現れる、「京都一周トレイル」の面白いところです。 

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毎年8月になると愛宕神社一の鳥居から嵯峨釈迦堂までの区間に「愛宕古道街道灯し(あたごふるみちかいどうとぼし)」というお祭りが催され、この古道には手作りの提灯が灯されるそうです。 

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嵯峨野の道は、一歩脇道に入るとこの道はどこに続いていて何があるのだろうと思わせてくれる小径があちこちにあります。 

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嵐山に近くなるとぼつぼつとお土産屋や食事処が目立つようになりました。 

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紅葉もピークで、黄葉から紅葉まで、微妙な色合いで目を楽しませてくれました。 

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目の中まで紅く染まってしまうのではないかと思う鮮やかな紅色を見た後の竹林の緑は、これはこれで美しいものでした。 

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鉛色のどんよりとした空でしたが曇り空もなんのその、嵐山は観光客の人の波でした。 

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のんちゃんは、花より団子で好物のわらび餅に舌鼓をうっていました。

日本中にトレイルの道はあるのですが、トレイルの嵜に先に古い街並みや賑やかな観光地があるのは京都ならではです。

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2017年12月13日 (水)

京都トレッキング 03金鈴峡コース

11/26(日) 高雄から清滝川の流れとともに下り、清滝で錦雲峡は終わり、引き続き嵐山を目指して歩きました。

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「京都一周トレイル」の錦雲峡コースは清滝川に沿って北山杉が立ち並んでいた山の中のコースでしたが、清滝からは金鈴峡を歩いた後六丁峠を越えて嵯峨野へと至るルートです。

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清滝といわれる村落を抜けると、再び清滝川に沿って歩きました。川縁の道はかなり細く、この先大丈夫かなと思いたくなるような道でした。 

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巨岩が細い山道を塞ぐかのように覆い被さっていて、恐る恐るバランスをとって歩きました。 

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金鈴峡といわれる渓谷は、「金の鈴」とう名前から想像されるイメージと異なって規模は小さいのですが荒々しいものでした。 

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この道で大丈夫かなと思っていると「京都一周トレイル」の表示板がありました。 

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場所によっては、せせらぎさえ聞こえない穏やかな流れと静まりかえった小さな渓谷は別世界のようでもありました。 

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台風や大雨によって、道が荒れたりすることもあるそうです。 

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あまりこういう道を歩くことがないのんちゃんはとても楽しそうでした。 

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「京都一周トレイル」の面白いところは、こういう道が嵯峨野や嵐山などの観光地へと繋がっていることです。京都駅から観光名所まで交通機関で行くのとは趣がまるで違います。 

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荒々しい道や静かな道、激しい流れや穏やかな流れ、目の前に現れる景色によって気分も変わりるのも楽しいものでした。 

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人里に近くなったということは、何となくの景色の変化でわかります。道が整備されていたり、人の手が加えられていたりして、自然の懐から離れる寂しさとホッとした気分とが交差します。 

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金鈴峡コースのほぼ中間地点にある落合という集落に出ました。ここからは清滝川沿いの道から離れ、六丁峠という峠越えの道となりました。 

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六丁峠に向かってかなりの傾斜の上り坂を歩いて行くとグングンと標高が上がり、清滝川が流れ込んでいる保津峡が眼下に見えました。紅葉が盛りのこの時期、保津峡下りの船が次から次へと嵐山方向に向かって流れていきました。 

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六丁峠からは、保津峡や桂川と名前を変えた渓流が山裾を縫っていく様を眺めることができました。渓谷の向こうは嵐山方向です。この日歩いた錦雲峡と金鈴峡に保津峡を加えて「洛西の三峡」といわれるそうです。 

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六丁峠からグングンと下ると愛宕山神社一の鳥居に出ました。ガイドブックではかなり時間がかかり予定が窮屈かなと思っていたのですが、予想よりも1時間以上速いペースで目的地に着きました。 

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金鈴峡コースはここから清滝に戻るのですが、私たちは嵯峨野を歩いて嵐山に向かいました。

この日歩いた錦雲峡コースと金鈴峡コースに加えて保津峡からあるいは保津峡へと歩くコースを加えるのも面白そうでした。

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2017年12月11日 (月)

京都トレッキング 02錦雲峡コース

11/26(日) 今回の京都トレッキングは、高雄から嵐山までのコースでまったく初めてのエリアでしたので興味津々でした。 

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「京都一周トレイル」は、8つのエリアで18のコースがあります。今まで歩いたのは伏見稲荷コース、大文字山コース、鞍馬山コースなどで、トレイルというよりもハイキングといった方がいいような手軽なものでした。 

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最初のコースは錦雲峡コースといって、高雄から清滝まで歩くというもので、ガイドブックの写真に惹きつけられました。 

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歩き始めてなるほどと思いました。ちょっとした渓谷歩き気分になりました。 

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久しぶりに自然の中を歩くのんちゃんは、久しぶりに散歩に出たワンちゃんみたいに、軽い足取りでした。 

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嵐山へと流れ下っているこの清滝川は大きな川ではありませんが、場所によっては激しい流れとなっていて、やがては保津峡に流れ込んでいきます。 

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また場所によってはガイドブックの写真そのものの幽玄的な雰囲気を味わえるようなところもありました。 

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この道はちゃんとした道なのだろうかと不安に思う頃、こちらの気持ちを見透かしたかのような風雨に晒された標識がありました。高雄から目指す清滝まで4km弱ですので、小1時間といったところでしょうか。 

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山あり、森あり、清流ありで、とても楽しい道でした。 

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「小倉百人一首」で知られる小倉山や信仰の山として知られる愛宕山などに囲まれた自然の懐にいると、京都にいることを忘れてしまいました。 

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清滝川は山裾に沿うように流れていて、何ヵ所か川を渡りました。この橋は「潜没橋」と呼ばれていて、川の水位が上がると水没するのでしょうし、四国の四万十川などで見られる沈下橋と同じです。 

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トレイルコースという割には獣道といった方がいいようなカ所もあり、アドベンチャー気分にもなれました。 

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何事も控えめなのんちゃんにしてはノリがよく、はしゃいでいました。 

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さらに、ところどころ本当にこの道でいいんだろうかと思うようなワイルドな場所もあり、これはこれで楽しかったです。のんちゃんは見かけによらず、富士山に何回も登った健脚で身のこなしも軽いのです。 

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ほとんど人にも出会わず、この道が観光スポット嵐山に続いているというのが京都トレッキングの面白いところです。 

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このあたりは北山杉で有名な山中です。真っ直ぐな北山杉が倒れていましたが、手入れする人もいないようです。 

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再び、この道でいいのだろうかと思い始めた頃「京都一周トレイル」の標識がありました。 

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高雄から約1時間くらいで清滝の集落に出ました。山里の雰囲気の小さな路地を歩くのも心地いいものでした。

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この清滝には古くは松尾芭蕉が、近代になってからは与謝野晶子が訪れた景勝の地です。  

 錦雲峡コースは清滝で終わり、ほとんど人にも出会わず、清流の流れに沿ってちょっとしたアドベンチャー気分も味わいました。

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2017年12月 9日 (土)

京都トレッキング 01高雄

11/26(日)、27(月)の2日間、京都トレッキングに出かけました。

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毎年何回か行っている京都、個人的には前年頃から京都トレッキングに出かけていました。今年は春には大学ゼミの同窓会で古都の花見を楽しみましたので、古都の紅葉を楽しもうと紅葉の名所高雄から嵐山までのトレッキングに出かけました。

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同行者はのんちゃん。最近は仕事で重責を担っていて激務が続いていましたので、気晴らししたいとついてきました。のんちゃんにとっての京都は、今年の春に鳥取のリコピンとの3人旅以来でした。

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乗り物に乗ってのビールと駅弁は旅の大きな楽しみの一つです。最近はこの「新幹線弁当」が気に入っています。

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東海道新幹線の車窓風景の一つ富士山も大きな楽しみになっています。早朝出発した新幹線が小田原、熱海を過ぎて静岡県に入ると、かなり雪が積もってきた富士山が現れました。

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紅葉シーズンの京都は相変わらずの賑やかさでした。

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観光地へと向かうバスにも長い行列ができていました。京都在住の大学ゼミ仲間のOhta君から、バス移動はとても混むのでできるだけ避けること、できるだけ早めに行動することなど今回も貴重なアドバイスや情報をいただきました。おかげでスムーズに予定を消化することができました。 

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京都駅から高雄方面のバスに乗って市内を見ていると京都観光気分が高まってきました。

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バスで順調に高雄に到着すると、見頃を迎えた紅葉が眺められました。ここの紅葉は葉の11枚が小さく、全体として淡い感じの紅色でした。

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何回も来ている京都でしたが高雄方面は初めてでした。ここから嵐山方面へと下っている清滝川に沿って、私たちも嵐山方向へと歩きました。

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このあたりは観光客がたくさん詰めかけるところですが、まだ朝が早くさすがに川床料理を楽しもうという人はいませんでした。

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風情のある料理屋がありました。紅葉シーズンにこんなところで料理を味わうのもいいかもしれません。

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しばらく歩くと「東海自然歩道 清滝豊年」という看板があり、初めての道はどんな道なのかワクワクと期待が高まりました。 

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清滝川に沿って何軒かの料理屋旅館が並んでいて川沿いには紅葉も見られましたが、紅葉の名所としてはいささかアッサリとした風景で、これはこれで晩秋の雰囲気があっていいものでした。

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2017年12月 7日 (木)

丹沢登山紀 のんちゃんの初登頂

12/3(日)今年29回目となる丹沢登山には、かつての仕事仲間 のんちゃん が同行しました。

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のんちゃんとは富士山に初めて登ったとき一緒でしたし、数回一緒に登っていますがとても久しぶりの山行きでした。

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久しぶりの登山が本当に楽しそうで、前夜は興奮して眠れなかったとのこと。 

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富士山だけではなく旧東海道も一緒に歩きましたのでその健脚ぶりは知ってはいるのですが、ちょっとハイペースではないかと思うほどのペースで歩いていました。

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この日は気持ちのいい青空が広がってはいたのですが、富士山の山頂には二重の笠雲がかかっていて、登頂する頃にはこの雲がどうなっているか、富士山を覆ってしまうのではないかと心配になりました。 

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勢いよくスタートダッシュしたのはいいのですが、塔ノ岳への尾根歩きはなかなかの急坂ですので、さすがののんちゃんもペースが落ちてきたようです。 

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バカ尾根 と称される登りでは、少し登っては立ち止まりをくり返していました。 

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それでもカメラを向けるとニッコリ笑う余裕はありました。誰でもここの登りは苦しいのです。 

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花立山荘の上空には真っ青な空が広がっていて、夏には かき氷 と書かれていた幟はこの時期は おしるこ と染め抜かれ、赤い幟が風にはためいていました。 

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塔ノ岳コースで最大の難所といわれる花立山荘下の急坂を登り終え、のんちゃんはここが山頂かと思ってにっこりカメラにおさまったのですが・・・。 

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花立山荘からの山脈(やまなみ)は、素晴らしい眺めでした。山々の稜線は青いラインで縁取られ、山肌は青と白の絵の具を混ぜ合わせたグラデーションとなっていました。 

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頂上と思った花立山荘から、気を取り直して山頂目指して、もう一頑張りでした。 

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真っ青な空が待っている山頂への最後のステップ。  

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無事に塔ノ岳に初登頂しました。 

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山頂では、外国人グループが賑やかにはしゃいでしました。 

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外国人グループの後に、改めてのんちゃんも記念写真を撮りました。 

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登山途中では笠雲がかかっていましたが、その雲も消えてスッキリとした富士山になっていました。 

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遙か彼方に冠雪した南アルプスも眺めることができました。 

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真上からの陽射しを受けて下山を開始しました。 

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花立山荘まで下ったところで昼食にしました。私はビール、のんちゃんはラーメン。ラーメンが湯気をたてていました。 

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山小屋での本格的なラーメンが500円。幸せそうです。 

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昼食でお腹も一杯になって、花立山荘から登ってきた急坂を一気に下りました。 

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途中にある「堀山の家」で小休止。のんちゃんは今度はサンドイッチを食べていました。登山で疲れたときに食欲が落ちないことは大したものです。 

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陽は傾きつつあり、紅葉は陽を受けてキラキラと輝いていました。 

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登山口のバス停では、バス待ちの行列ができていました。この日は最高の天気で、この日の登山者は皆さん満足そうでした。 

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バスを待つ間、今度はソフトクリームを。華奢な体型の割にはなかなかの食欲です。

のんちゃんにとっては久しぶりの登山、初めての丹沢は最高のコンディションに恵まれました。私にとっては今年29回目の丹沢登山でしたが、最高の天気でした。

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2017年12月 5日 (火)

国分寺寛六会 宴

11/22(水) 武蔵野散策を終えた後、恒例の宴会となりました。寛六会という同窓会は、一言で言えば飲み会で年に12回母校のある東京・三田の居酒屋に集まって、飲みながら侃々諤々と言いたいことを言い合うというものです。

 

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この日は、国分寺駅ビルの日本料理の店が会場となりました。ホスト役・ガイド役を務めていただいた元市長の開会の挨拶で宴が始まりました。

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春に京都で行われた 京都寛六会 のホスト・役幹事を務めていただいたOhta君は京都からご夫妻で参加していただきました。Ohta君の音頭で乾杯。

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熊本在住で税理士事務所を経営しているOda君から、新潟県朝日酒造の最高峰といわれる純米大吟醸「久保田萬寿」の差し入れがありました。多分Oda君の指示だと思うのですが、この料理屋さんでは(持ち込み料もとらず)ほどよく冷やしておいていただき、全員で美味しくいただきました。

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Kagawa教授夫人、京都から参加のOhta夫人、手作りクッキーを差し入れしていただいたKurabe夫人、星野元市長夫人の面々は、京都以来の再会や初対面とさまざまでしたが、女性同士和気藹々と話が弾んでいました。

セレモニー的な雰囲気で始まりましたが、すぐにいつものように勝手に飲んで言いたい放題の宴会となりました。

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いつもの飲み会では、3分の持ち時間(中にはとても話の長いのもいるのですが)で近況を報告してもらうのですが、この日はさまざまな事情で譲渡に参加できなかった人の近況が報告されました。

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京都の同窓会にはご夫婦で参加していただいたItho君ご夫妻。奥様は京都ではセミプロ級の腕前を活かしてカメラマン役を引き受けていただいたのですが、今回は急用で欠席しました。その代わりにItho君がカメラマン役を買ってでていただきました。Itho君は俳聖までとはいえませんが、京都でも見事な俳句を披露していただき、今回も4句披露していただきました。残念ながら、Itoh君が俳句を披露していただいた写真が撮られず、京都寛六会での写真を転載させていただきました。

 

寛六会国分寺散策 伊藤 修しゅう

はるかなる天平の遺跡武蔵国分寺へ挨拶句

武蔵なる国分寺跡冬はじめ

護国安寧願ひ聖武帝諸国に国分寺置き給ふ

落葉踏む聖武置かれし鎮護寺ちんごでら

星野兄の情熱注ぎし薬師塾

しぐるるや塾の由縁の薬師堂

御夫人参加で寒さも吹っ飛びけり

冬ぬくし奥方交わる寛六会

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トリは剣道の達人でもあるGogami君の謡曲。朗々たるその声は、この日も会場に響き渡りました。

最後は星野君の一本締めでお開きとなり、楽しい同窓会はお開きとなりました。また来年の再会が楽しみです。

 

 












 

 

 

 

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2017年12月 4日 (月)

国分寺寛六会 武蔵野散策2

11/22(水) 国分寺で行われた大学ゼミの同窓会、元市長(現国分寺市観光協会会長)のガイドで武蔵国分寺・国分尼寺跡地を訪れた後、さらに散策を続けました。

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武蔵野散策の後半は、どっしりとした構えの仁王門をもつ武蔵国分寺薬師堂を訪れました。仁王門の先には石段が続いていて興味津々でした。

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元ゼミ生夫人の皆さんは元市長の説明を熱心に聴いていましたが、興味の趣くままに建物の周りを巡ったり、境内に佇んだりさまざまでした。この日の天気はどんよりとした雲に覆われていましたが、ヒンヤリとした空気と森閑とした雰囲気もいいものでした。

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薬師堂は国分寺境内にあり、1335年に新田義貞の寄進によって武蔵国分寺の金堂跡付近に建立されたとのこと。新田義貞が鎌倉攻めの際、多摩川河畔分倍河原の合戦で国分寺が焼失しました。退却の際に焼き払ったともいわれていて、それを償うために薬師堂を寄進したともいわれています。現在の薬師堂は1750年代に今の場所に移されたとのこと。

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薬師堂仁王門前で集合写真。大学卒業後は金融機関や一流メーカーに就職した人が多く、高度成長期に企業戦士として活躍したのですが、今日その銀行のほとんどは合併により名前は消え、一流メーカーはかつての勢いはなく、波乱の歴史をくぐってきました。こうして健やかににこやかに集まれるのは何よりです。

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千手観音像が彫られた石碑が目につきました。刻まれた文字は「天下太平・・・・日月清明」と読めるのですが、いつ頃、どういう願いを込めて安置されたものなのか。路傍の石像に興味を抱いたのもこの日の雰囲気によるものかもしれません。

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聖武天皇の命により建立された武蔵国分寺は、長い年月を経て現在の国分寺としてその流れを受け継いでいます。

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なんと、学生時代に私はこの本堂に泊まらせていただいたことがあるのですが、当時はそれほど由緒あるお寺とも思わず、そこで何をしたのかまったく記憶に残っていないのが残念です。この日参加した教授のK君も宿泊したことがあるとのこと。

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この国分寺は、この日のホスト役の星野君の実家で、星野君のお祖父様の代にご住職となられ、現在はお兄様が現住職として継いでいるとのこと。

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国分寺境内には「万葉植物園」がありました。万葉集に詠まれている植物を集め、往時をしのぶよすがにと国分寺前住職(星野君のお父様)により設置された植物園だそうです。園内には昭和25年に編纂された「万葉集」の歌の題材となった植物が約160種類もあるとのこと。凄いことです。

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江戸時代に市内の村々は尾張徳川家の「御鷹場」に指定されていたことから お鷹の道 と名付けられ、現在は遊歩道として整備されているその道を、私たちはガイドさんの説明を聞きながらゆったりと歩きました。

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この近辺には湧水群があり、お鷹の道 に寄り添うように ほたるのすむ川 が流れていて、柄にもなく、心が洗われるような気分になりました。

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元市長というより国分寺市観光協会会長のガイドといった方がいいのでしょうか、名ガイドもほぼ終了しホッとした雰囲気となりました。

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第二部の宴会の時間となり、和気藹々と談笑しながら宴会場である国分寺駅ビルへと移動しました。

 

2時間半の史跡巡りと武蔵野散策は、ゆったりとした時間が流れ、そういう時間を気心の知れた仲間たちと共有するのは得がたい一時でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年12月 2日 (土)

国分寺寛六会 武蔵野散策1

11/22(水) 大学ゼミの同窓会が国分寺で行われました。春に行われた「京都寛六会」に次いで2回目となる出張同窓会でした。

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西国分寺駅に13:30に集結し、武蔵国分寺史跡を国分寺駅まで散策し16:00から駅ビル和食亭で宴会というコースでした。

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なぜ国分寺市かといいますと、同窓生の星野君が元国分寺市長だったからという単純な理由によるものでした。ブログでは実名は明かさないのが原則ですが、20016月から20137月まで312年国分寺市長として在任し、公人ですのでオープンにさせていただきました。

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元市長のガイドで武蔵野散策が始まり、最初に説明していただいたのが西国分寺駅前に建つレンガ色のシックな建物でした。手前の建物は「市立いずみホール」で、星野君が2001年に市長選に立候補した際に出陣式が行われた思い出の場所です。その時に応援演説を行ったのがやはり同窓生の慶応義塾大学教授のK君で、K君にとっても思い出の場所とのこと。後ろの建物は築23年の都営アパートで、建物の色調が統一されていて街づくりへの配慮が伺えました。

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スタートは駅前の比較的賑やかなエリアを歩いたのですが、歴史や史跡を軸とした都市計画が行われているようで、武蔵野の面影が感じられる落ち着いた街並みでした。「史跡通り」は交通量の抑制をはかり、車椅子の通れる横断歩道などの利便性に配慮し、平板塗装は縄文土器をイメージして土器の紋様や武蔵国分寺瓦の紋様を配しているとのこと。

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元市長がガイド役でした。市長退任後は国分寺市観光協会会長を務めていますので、これ以上の適役はありません。

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史跡公園には、4000年前のムラの跡が残されていて、縄文時代へのいきなりのタイムスリップでした。ムラの成立条件としては水の確保が必要で、ここ武蔵台の近くには多摩川が流れていて、武蔵台は国分寺市と府中市が入り組んだ地形となっています。などの説明がありました。

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縄文時代の次はぐっと現代に近づき、といっても天平の時代。現在の市の名前になっている国分寺・国分尼寺建立の命が下ったのは聖武天皇によって741年(天平13年)でした。

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国分尼寺の跡地に立つ元市長と歩み寄る奥様。そういえば京都での同窓会でもご夫妻一緒でした。夫唱婦随というのでしょうか、市長在任12年間の内助の功は大変だったと思います。

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国分寺・国分尼寺の建立にはいくつかの条件が設けられ、僧寺には僧20人、尼寺には尼僧10人を置くことが決められていたそうです。私たちが立つこの地には千年以上も前に尼僧10人が住んでいたということになります。元市長の説明によるとこの土地には普通の住宅が建てられていて、史跡の保存・整備のために立ち退いてもらったとのこと。

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この日集まった同窓生は19名(うちゼミ生夫人4名)でした。私たちは、慶應義塾大学加藤寛ゼミのOB会「寛友会」の6期生ですので「寛六会」と称して年に何回か集まっているのです。今春には京都に14名(うちゼミ生夫人4名)集結し、古都の桜を楽しみました。

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武蔵国分寺と国分尼寺はそれほど遠くない距離に位置していて、旧鎌倉街道で結ばれています。旧鎌倉街道は、鎌倉時代の御家人が “いざ鎌倉” と鎌倉に馳せ参じた道で、鎌倉時代の関東近郊の主要道として人体の血管のように張り巡らされました。元市長のガイドによって、この道を鎌倉武士が駆け抜け武蔵国分寺も鎌倉時代の争乱の巻き添えになっていたということも知りました。

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私たちは、武蔵国分寺の跡地へと向かいました。国分寺は聖武天皇の命によって全国68ヵ国(大和を除くと67ヵ寺)建立されたといわれていて、700年代の天平の時代に既に天皇が全国に命を下す体制が整っていたことに驚きました。その後律令制の衰退に翻弄された時代もあったことは歴史で学んだことです。

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発掘整備された1000年以上も昔の姿を前にして、天平の時代から今日まで続いているこの国のことやこの地のことを考えました。滅多にないいい機会でした。

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私たちは、元市長に引率されたゼミ生のようでもありました。

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いくつになっても探究心が衰えない同窓生に驚きもしましたし、元市長の名ガイドに引き込まれたせいか、現役学生の頃より真剣な表情にも感心しました。

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私たちが熱心に元市長のレクチャーに耳を傾けている後方で、夫人グループが何やらヒソヒソガヤガヤしていると思いましたら、B夫人の手作りクッキーの差し入れ準備をしていました。内助の功というか、花より団子というか。私たちは美味しくいただきました。

 

学生時代のゼミの延長のような気分でありながら、生きている歴史の探求はなかなかできない経験でいいものでした。武蔵野散策はさらに続くのでした。