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2018年3月31日 (土)

丹沢登山紀 5、6回目 カムバック

3/14(水)と28(水) 今年5回目、6回目の丹沢登山に行きました。1月末に右肩を損傷し、肩を上げることも腕を振ることもできませんでしたが、ようやく肩を動かすことができるようになりましたので、試運転に丹沢登山に出かけました。

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3/11(日) 本格的な登山の前に足慣らしと肩慣らしを兼ねて、行ける所まで行ってみようと出かけました。どんよりとした空で肌寒い日でした。

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あまりコンディションは良くなかったのですが、熱心な登山者は必ずいるものです。

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同行したのんちゃんは2回目の丹沢登山でした。

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登山口では最後の梅がチラホラと花を咲かせ、春を迎える準備をしていました。

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ポツリポツリと見えている登山者は黙々と修行者のように急坂を登っていました。私たちも黙々と続きました。

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急坂を登る度に身体は汗ばんでくるのですが、一息つくと急に身体は冷え込みました。この坂を上りきった先で、この日の試運転は終了し早々に下山しました。

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3/14(水) 試運転で肩の調子も大丈夫でしたので、この日は1ヶ月半ぶりの塔ノ岳山頂を目指しました。天気は快晴で葉を落とした木立の間からこぼれる日射しは暖かく、日射しのありがたさを感じました。

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表尾根の稜線の上には青い空が広がっていて、この1ヶ月沈んでいた気分も晴れやかになりました。

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山頂への最後のステップ、見上げた青い空は薄い透き通るようなブルーでした。

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雲一つない青空の遙か彼方には白い頂の南アルプス連山も見ることができました。

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1ヶ月半ぶりの登山は足が上がるか、ストックを使って肩は大丈夫か心配だったのですが、順調なペースで登頂できました。気温の上昇と共に空に吸収されてしまいそうに霞んだブルーがかった山なみを眺めながら下山しました。 

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3/28(水) 快晴で気温は25℃という絶好の登山日和のこの日、今年6回目の丹沢登山に出かけました。気温はグングンと上がり、冷たい大気が暖められて霞がかかってきました。富士山も裾野の部分は霞んでしまいました。

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春の陽気に誘われたのでしょうか。花立山荘の手前の登山道脇に鹿が2頭出てきました。丹沢山塊は他の山と同じように鹿の生息数は多いのですが、間近で見るのは久しぶりでした。

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数日前は春の雪が激しく降ってビックリしたのですが、丹沢の山々にはそのなごりの雪がまだ残っていて、谷筋が白く見えました。

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山頂に着いてみると、霞は濃くなって富士山の冠雪しているところだけが白く浮かんでいるようでした。

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2018年3月29日 (木)

回想最後の桃源郷 32アルチット村

2013.4.11(木)、昼食にコックさんの手作り料理を美味しくいただき、満腹のお腹を抱えて今回の最後の訪問先アルチット村に出かけました。

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アルチット村の家屋は400年前に建てられたとのことで、日本でいえば関ヶ原の戦いの頃。今は子供達がはしゃぎまわっている明るい農村でした。

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400年前に建てられた石造りの家や、家と家が肩寄せ合っている細い路地のここかしこに子供達が走り回り、こちらを興味深そうに見ていました。幼児を抱いた若い母親はカメラを向けても逃げることも避けることもせず微笑み返してくれました。子ヤギ(多分)も興味深そうな眼差しをして好奇心旺盛でした。400年前から変わることのない住まいや生活様式も変わることなく今日まで息づいていて、たくさんの子供達はこれからも変わらずにこの村で大人になるものと思われました。

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15時の昼下がり、女性達が井戸端会議の様子で寛いでいました。若い女性も多く、幼児から村一番の長老の女性達までが小さな広場を囲むように寛いでいて、和やかな幸せそうな空気が漂っていてとてもいい雰囲気でした。このような空気が400年も続いているとしたら凄いことです。

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石造りの建物も村の道も昔から変わらずにそのままの状態で保存されているようで、石造りは強い陽射しを跳ね返して、作り出す影は涼しそうでした。石造りの家は断熱効果に優れていて、寒い冬でも凌ぎやすいとのことでした。

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村の中心にある広場は子供や女性達が占領していて、男性は木陰でゲームをしていました。

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少女が満開の花びらの下、幼児をあやしていました。

アルチット村は、昔からのゆったりとした空気と時の流れが今も続いているようであり、ここで生きて生活している村人は多くの子供達がスクスク育っていました。何ヶ所かの “桃源郷” を訪れ、日本の里山と同じような景色を見たり雰囲気を感じたのですが、決定的な違いは都市化の流れに呑み込まれていないことと子供達が多くいることでした。

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2018年3月27日 (火)

花見ピクニック 春が来た

3/25(日) 数日前の春の雪、なごり雪に驚いたのですが、いきなりの東京都内での桜の満開情報、周辺地域での開花情報に誘われて、花見ピクニックに出かけました。

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丹沢山の登山口大倉を出発して、丹沢山系の塔ノ岳に源を発する水無川の流れに沿って秦野方向へと下りました。水無川の上流部はおかめ桜が満開の時期がちょっと過ぎていました。

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この日のメンバーはももちゃん、のんちゃん、カミさん、娘と私の1匹+4人。丹沢山塊を背にして流れに沿ってのんびりと歩きました。

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水無川沿いに下るにつれて早咲のおかめ桜からソメイヨシノの並木道となりました。ソメイヨシノは5分咲くらいだったのですが暖かい陽気にどんどん花開いているようでした。丹沢山塊の上空のには雲一つない青空が広がっていて、絶好の登山日和でした。

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春の日射しは暖かかったのですが、風はヒンヤリとしていてハイキング日和でした。張り切りすぎたももちゃんは、しばらく歩くとすぐにバッグに入りたがりました。

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全行程8kmくらいの桜並木は最後はしだれ桜となり、白い大きな花びらが時間の経過に合わせるようにリアルタイムで開いているようでした。

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お昼タイムは川沿いの芝の上で。

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雪が降ったりとても寒い日がありましたが、今年もまた春が来ました。

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桜の霞んでいる丹沢山塊には前日の雪が少し残っていて薄化粧していました。これから春山の時期を迎え、青葉の時期を迎えることになります。丹沢登山に行きたくなりました。

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ハイキングを終えて帰宅すると、朝3分咲くらいだった我が家の前の公園の桜も随分と開いていました。

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この先一週間くらいは春の訪れを楽しめそうです。

この時期になると一斉に花はほころび、花を愛でる人の笑顔もほころび、私たち日本人の心もほころびます。

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2018年3月25日 (日)

回想:最後の桃源郷 31おもてなし

4/11(木)、フンザ川の対岸のナガール地区に出かけた後、西遊専属コックさんの手作り料理をいただきました。 

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専用車で西遊旅行社のトレッキングに帯同するコックさんの自宅に向かいました。

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コックさんの自宅へのアプローチは絵に描いたようなポプラ並木で、ここを歩くだけで楽しく、ピクニック気分でした。

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私達一行20名が、ゾロゾロと歩いているとご近所さんが物珍しそうに見下ろしていました。ここにも花が咲いていて青空がひろがっていました。

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コックさんの自宅の庭にはテーブルがセットされていて、冷たいアプリコットジュースが用意されていました。

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生野菜をはじめ料理はとても美味しくまたボリュームもたっぷりでした。おそらく今回のツアーで最も美味しかったと思います。これでワインでもあればいうことがないのですが。結局料理は食べきれず残してしまい、おそらく朝から何人かのスタッフと心を込めて準備してくれたと思われ申し訳ない思いでした。

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コックさんと3人の子供さん。とても優しそうに見えますが、とてもタフで、バルトロ氷河・K2トレッキングにもコックさんとして帯同するそうです。こんなに料理が上手な人がコックさんとして帯同してくれたら安心です。

パキスタン人は一人一人に接してみるといい人ばかりなのですが、どうしてこの国は治安が悪いのだろうかと不思議に思うのでした。

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2018年3月23日 (金)

回想:最後の桃源郷 30ナガール村

4/11(木)はドゥイカル村へ朝焼けの7,000m峰を見に出かけ、一度ホテルに戻り朝食をとった後、フンザ川の対岸のナガール地区に出かけました。

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フンザの桃源郷へは、前日アッタバード湖を渡って出かけた上部フンザ地域の村に次いで2ヵ所目で、フンザとはフンザ川を挟んで対岸にありますので専用ジープでの移動となりました。

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フンザ川はカラコルム山脈の雪融け水を集めてカラコルム山脈の山肌を削り、渓谷をつくりだしたことがよくわかります。ここ数日好天気が続いていて、7月に入るとヒマラヤより美しいといわれる青空が気持ちよくひろがって、白い峰がよく映えていました。

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ナガール村の女性達はフンザ地域の女性達と比べると多少ガードが堅いとのことでした。身に纏っている衣装も多少地味に見えました。

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男の子が満開の杏の花の下、幼児を抱いていました。フンザでもここナガールでも日本の山村に比べると子供の姿が多く目につき、とても羨ましく感じました。

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村の中をブラブラと歩いていると、牛に農耕具を引かせて狭い土地を耕していました。ここも杏の花の下で。

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少年が腕を組んでこちらを見ていました。臆することなく堂々としていて、無愛想でもなく、しっかりしていそうでした。 

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きれいに手入れされた緑が芽吹きだした畑の脇を、きちんとした身なりのかなり大人びた印象の少年が歩いていました。山奥の山村とは思えないイメージの少年の姿にこの地域のライフスタイルや暮らしぶりに興味がわきました。

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よく整備されている緑の畑の間を縫っている道を女性の一団が歩いていました。しっかりと顔を隠していて戒律厳しいスンニ派の人が多い村です。

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歳はわかりませんが顔に深くシワが刻まれた古老は背筋がしゃんとしていて足どりもしっかりしていました。

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ナガールの村にも杏の花が咲き誇っていて、その花たちは見られるためのものではなく、いずれ実をつけ生活を潤すものであり、ここも村人が生活をしている里山でした。

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たわわな花びらのむこうには村を見下ろすように白い峰が聳えていました。

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ナガール地域の帰り道、ホーパル氷河に立ち寄って次の目的地アルチット村へと向かいました。ホーパル氷河から世界第2位の高峰K2へのトレッキング道もあり、日程が短い分タフなコースだそうです。ちょっと興味はありましたが・・・。

より中国国境に近い上部フンザ地域に比べると多少開けて、村の規模も大きいのですが、ナガール地域の村も、杏の白い花と緑の畑の中、カラコルム山脈の麓に幼児から古老まで、生き生きと生活していた   “桃源郷”でした。

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2018年3月21日 (水)

回想:最後の桃源郷 29ドゥイカル村

4/11(木)はドゥイカル村へ朝焼けのラカポシ(7,788m)やゴールデンピーク(7,027m)を見に出かけました。

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朝早く専用ジープでホテルを出発して05:20にドゥイカル村に着きました。ホテルを出る時は降っていた小雨もいつの間にか止んでいました。

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ここにはテラスがあり、このテラスは映画「草原の椅子」のラストシーンでヒロインが主人公(佐藤浩一)に愛を告白した場所です。ここに着いた時は霧で全く見えなかったのですが、少しずつ霧が晴れてきました。

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06:25夜明けとなり、230°の展望といわれる高台に上ることにしました。今回のツアーはトッレキングではありませんので歩く機会はほとんどありませんでしたが、健脚の皆さんはサリーヌさんに先導されて速いペースで上っていきました。

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ドゥイカル村への道は早朝だったので真っ暗でしたが、明るくなってからはカラコルムハイウェイを見下ろすことができました。山裾をおそらく少しずつ刻むように切り進んだものと思われ、土砂崩れや山崩れのおそれはかなりあったようで、苦労が偲ばれました。

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ドゥイカル村への道は、豪快な景観も眺めることができ、カラコルム山脈の中にいることを実感しました。

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17:30、そろそろ日が暮れるかなという時、リベンジ4人組はサリーヌさんを先頭に展望台を再び上りました。朝は曇っていたり霧がかかったりしていたのですが、雲は切れて青空がひろがっていました。

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仲良し4人組は、右端のTさんはパキスタン4回目で、かつて中国との国境のクンジェラブ峠(4,733m)から今回とは逆方向からフンザを訪れたこともあるそうです。エベレスト街道のカラパタール(5,545m)に登ったこともあり、今回の参加者の中では最も健脚でした。隣のIさんは、バングラディッシュに何回か出かけて写真集を出していて、今回も私達と一緒に帰国せず、現地ガイドを雇ってしばらく1人でパキスタンの旅を続けるとのことでした。その隣のKさんは、南米のパタゴニアやボリビアのウニユ塩湖などの秘境にも行ったことがあるとのことで、蒼々たる秘境歴の面々でした。

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230°の展望台からは、ラカポシ(7,788m)やゴールデンピーク(7,027m)などを眺めることができ、フンザピークの隣、レディフィンガーといわれその名の通り婦人が小指を立てたような未踏峰が印象的でした。

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夕陽に染まるラカポシやゴールデンピークを眺めたかったのですが、反対の方向からの光が見えるだけで期待した赤く染まる7,000m峰にはお目にかかれませんでした。

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白い山肌に他の峰の影が映し出され、かなり空気も冷えてきましたので、私達4人組は撤退することにしました。夕陽にはお目にかかれませんでしたが、寒いところでじっと我慢をしてカラコルム山脈と対峙した2時間は、とても思いで深いものとなりました。

この日行動を共にした4人組のうち、Kさんとは飲み友ともなったのですが、パタゴニアの素晴らしさを何回も聞かされ、また長距離フライトについてもたっぷりと聞かされ、まさかそのパタゴニア(2016年)に行くことになるとは思ってもいませんでした。

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2018年3月19日 (月)

回想:最後の桃源郷 28民族舞踏

4/10(水)は、「ハセガワメモリアルパブリックスクール」や桃源郷と言われるフンザ上部の村を訪れたりパキスタン北部の観光を堪能し、夜はフンザ地方の民族舞踏を楽しみました。

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フンザ地方の伝統料理を楽しみながらの民族舞踏の開始時間は19:30で、ホテル内にある会場に入ると5人のバンドが民族音楽をBGM代わりに奏でていました。

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司会を務めた現地ガイドのサリーヌさんは、日本で映画化された宮本輝の「草原の椅子」に重要な役で出演しました。この日はシャルワール(ズボン)・カミーズ(シャツ)という民族衣装で現れました。パキスタンに入ってからよく見かけた衣装で、比較的スリムで長身な人が多いパキスタン人が着るとカッコもよくなかなかいいもので、サリーヌさんが着ると更に見映えがしました。

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さまざまな仕事の人がそれぞれ特色のある踊りを披露してくれました。軍人さんの踊りには本物の軍刀が使われ、軍人さんは謹厳な表情で真面目に踊っていてなかなか迫力がありました。

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最後に主役の少年2人が登場しました。フンザ一の踊りの名手といわれているそうで、さすがに身のこなしが大人達とは違っていてしなやかでした。

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宴は一気に盛り上がりました。少年達に駆け寄って寄付というかお布施というか志というか、イスラム教風には感謝の気持ち(日本も同じですね)を踊り手の帽子の縁に差し込んでいました。この後、私達も参加して盆踊り風阿波踊りもどきの踊りとなりました。

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宴は盛り上がりいつ終わるともしれない雰囲気でしたが、21:30近くになるとさすがに夜遅く、主役の少年も帰って勉強する時間(なかなか勉強しないと母親がこぼしているそうです)でということでお開きになりました。サリーヌさんと添乗員の村田さん(カメラがぶれてしまい申し訳ありません)とのシメの言葉で終了となりました。

添乗員の村田さんはパキスタン歴8年、その前はインドあたりを放浪していたようで、今はこよなくパキスタンを愛していて現地語もペラペラです。小柄でキュートなのですが見かけによらず肝っ玉姉ちゃんで、現地スタッフにはかなり怖れられているようで、大柄なサリーヌさんも村田さんの前では小さくなっていました。他の地域の秘境ツアーもそうだと思うのですが、パキスタンツアーも身の危険は感じませんでしたが交通事情や手違いなどのリスクもあるタフなツアーだと思うのですが、どんなピンチにも慌てない頼りになるタフな添乗員さんでした。

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2018年3月17日 (土)

回想:最後の桃源郷 27闇ビールとフンザ料理

フンザの中心部カリマバードのホテルで4/911日まで3泊し、3回の夕食を食べました。

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4/6にイスラマバードを出発して、途中シガールで2泊し、シガールから山岳道を12時間かけてようやくフンザに着いてほっとし、楽しみにしていた夕食でした。

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何より嬉しかったのが中国からの闇ビール、しかもよく冷えたのが堂々と飲めることでした。10ドルと高かったのですが、桃源郷しかも禁酒の国で飲めるのですから貴重な体験でした。結局3日連続で飲んでしまいました。

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1泊目の料理はバイキング形式で、メニューも豊富で、野菜やデザートもあり、ビールを飲みながら美味しくいただきました。パキスタンの山奥でこんな贅沢な食事にありつけるとは思いませんでした。

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2泊目はフンザ料理が出ました。ふんわりとした食感の小麦のクレープやあっさりとした食感のそばのクレープなど彩りも鮮やかで食べやすいものでした。フンザは “長寿の里” とも “最後の桃源郷” とも言われていて、その源はこのフンザ料理にあるようです。

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3泊目は日本料理でした。豆腐やのり巻き、串カツや焼き鳥などとても嬉しい料理でした。のり巻きの酢飯がもう少し硬めだったらとは思ったものの、それは贅沢というもので、私達の胃を思いやっての心遣いに感謝しました。

3回の夕食とも異なる味を楽しめました。特に注目をしていたフンザ料理は、見た目も実際食べての印象でも長寿食といえるもので、油をあまり使わず、小麦やそばのクレープなど日本人の私達にもなじみ深いものでした。味そのものは旨いとは思えませんでしたが決してまずくはなく、多分味に対する馴染みの問題で、日本でも流行っている五穀米と同様慣れれば美味しく感じるでしょうし、旨味も感じられるようになるのではないかと思いました。何といっても闇ビールは格別に旨く感じました。

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2018年3月15日 (木)

回想:最後の桃源郷 26カリマバード散策

4/9(火)の夜カリマバードに着き、4/12(金)の朝出発するまでフンザ地域の中心部カリマバードのフンザエンバシーというホテルに滞在しました。4/9(火)の夜カリマバードに着き、4/12(金)の朝出発するまでフンザ地域の中心部カリマバードのフンザエンバシーというホテルに滞在しました。

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ホテルは高台の見晴らしのいいところにあり、そこから下る道はお土産物屋が並んでいました。人通りは少なく、店員達も手持ちぶさたなようでした。3.11N.Y.テロ以来欧米系特にアメリカ人の観光客はゼロでパキスタン観光にとっては大きな打撃を蒙っているとのことでした。

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ガイドのサリーヌさんお勧めのお土産屋で干し杏を買いました。

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なんと、嬉しいことに、イスラムの国でご禁制の缶ビールが堂々と並んでいました。

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ホテルからお土産屋通りから反対方向に道を上がっていくと谷を隔てた向こう側に、遠く村が見えました。段丘のようなところに樹木の間に家が並んでいて、陽射しを受けて住みやすそうでした。

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さらに上っていくとポプラ並木がありました。秋になると黄金色に黄葉し、それはそれは美しい光景になるとのことでした。

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空を見上げれば、ポプラの緑が天に伸びていて、秋になってこの緑が黄金色になって、さらに高く碧くなった空に伸びている光景もきっと素晴らしいだろうと思われました。

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世界で初めてアルプス三大北壁冬季単独登攀という偉業を達成した日本人登山家の長谷川恒夫さんが挑んで命を奪われたウルタル山(7,388m)をフンザ出発の朝ようやく見ることができました。

フンザという地域は広く、その中心部のカリマバードはこの辺りでは比較的都市化?されていて、パキスタンの北部の山奥、中国国境の近くにこんな村があるとは思いもよりませんでした。

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2018年3月12日 (月)

回想:最後の桃源郷 25花と乙女たち

4/10(水)の午後、アッタバード湖を船で縦走して上部フンザの村に着きました。

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足を踏み入れた村の風景は、小さな山に抱かれた里山のような風景でした。どこかで見たことのあるような懐かしい風景でした。

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村を歩いてみると、好奇心むき出しでキラキラとこちらを見つめる幼い子達、楽しそうに笑いかけてくる少年達、ちょっと気取った少女達、ニコニコと微笑んでカメラに向かってくれた幼児を抱いた母親、ここには花があって緑があって、生き生きと生活している人達がいました。

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通りかかった少女の一団は、誰もが立ち止まってこちらを向いてくれました。昼過ぎ(午後3時)の時間帯、学校の帰りなのかあるいは何かの集まりの帰りなのか、年配の婦人は指導者なのか、若い女性達は教材か仕事道具を小脇に抱え、同じような装いをしていました。古木が咲かせた満開の杏の花びらの下で、彼女たちは待っていてくれたかのように佇んでいました。今回のツアーで最も印象的なショットとなっただけではなく、ヒマラヤやチベット、モロッコやパタゴニアへと旅をして、様々な風景を写真に収めましたが、もし一枚だけピックアップするとしたら間違いなくこのショットです。この瞬間は私にとって人生の宝となりました。

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この旅に出発する前に見た写真集「フンザへ」(写真家齋藤氏が2005年に出版)で、こんな風景を見てみたいと思っていたのですが、まぎれもなく目の前の世界が探し求めていた世界なのでした。写真家齋藤氏はまたこのように語ってもいるのです。「人間にとってしあわせとは何だろうということを考えながら写真を撮っている。・・・そんなわけで今回フンザに向かったのである。フンザは知る人ぞ知る世界最後の桃源郷といわれているところだ。以前雑誌で見た、たった一枚のフンザの写真にすっかり心を奪われて、いつかきっと行ってみたいと思っていた。」(本文中より)

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杏の花が咲く畦道を村の古老がゆっくり歩いていて、ヤギが若草が生えつつある麦畑を嬉しそうに走り回っていました。これも懐かしいような、忘れていたようなのんびりとした里山の風景でした。

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住まいは石を積み上げ、冬は寒いために小さな窓があるだけのとても質素なものでしたが、まるで樹や花に埋もれてしまいそうでした。

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あちこちに散在する石積みの住まいを覆い尽くすように杏の花が咲き誇っていました。花に誘われるように歩いていると一人の婦人に出会いました。生気に溢れ、しっかりと地に足をつけているような自信が微笑みにも現れているような、健康的な艶っぽさが印象的でした。

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自宅の裏庭で寛いでいる古老。うまそうにタバコを吹かし、ティーを美味しそうに飲んでいて、とても楽しそうに穏やかに笑っていました。

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まるで夢を見ているような花の里の散策をしながら、ふと空を見上げると花びらのむこうにはカラコルムの山々が折り重なるように連なっていて、雲がたなびいていました。もしかして仙人や天女が舞い降りてくるような、そんな気にさせてくれた風景でした。

土砂で幹線道路のカラコルムハイウェイが寸断され、いわば陸の孤島と化したこのエリアは上部フンザ地域という名前でくくられ、この地域にはおそらくいくつかの村が点在していると思われました。私達はこのツアーの大きな目的である花を求めてこの村に入りましたが、そこで見たものは花だけではなく、楽しそうに穏やかに自然に寄り添って生きている人達でした。住まいは石を積み上げただけで冬は厳しそうですし、暮らしは決して豊かそうには思えませんが、貧困とか悲惨というイメージは全くなく、杏の花びらの下に集っていた少女達の微笑みやタバコをくゆらせていた古老の笑顔など、羨ましいくらい豊かな印象でした。間違いなくここは桃源郷だろうと思いましたし、こういう村があちこちに点在しているとしたらやはりフンザは桃源郷であることに間違いはないようです。

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2018年3月10日 (土)

回想:最後の桃源郷 24アッターバード湖

4/10(水) 「ハセガワメモリアルスクール(H.M.P.S)」を表敬訪問し、冷や汗をかいたり感動した後、上部フンザ地域を訪ねるためにアッターバード湖をボートで縦断しました。

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カリマバードの東側、中国との国境のクンジェラブ峠(4,733m)へと続くカラコルムハイウェイを遮るようにアッタバード湖が横たわっています。この湖は土砂崩れによってカラコルムハイウェイが土砂に埋もれ、河が遮られてできた湖です。クンジュラブ峠を越えると中国です。

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土砂によってできた湖の船着場は観光地のそれではなく、生活のためのもので、水位によって場所はそのたびに変わるために、桟橋のようなものは一切ありませんでした。

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なるほど観光客は私達だけで(よほどの物好きでなけれがここまで来ないだろうなぁとは思いました)、生活物資を満載したボートが村人を乗せて次から次へと出発していました。おそらくこの物資はデコトラがイスラマバードあたりからカラコルムハイウェイの山岳道をあえぎあえぎ運んできたものと思われました。

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この湖は土砂崩れによって俄にできてしまったのですので、この地域に漁師や船長さん達がいたわけではなく、舟を操縦しているのはデコトラのドライバー達のようで、舵は車のハンドルが使われていました。要するに俄仕立てのドライバー船長さんなのでした。とてもサービスがよく干し杏やティーを振る舞ってくれました。

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この湖はウルタル山(7,383m)をはじめとする7,000m級の山々に囲まれた峡谷ですので、船上から見る眺めも素晴らしく、まるで観光船に乗っているようでした。

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水面から20mくらいの高さに見られるギザギザの筋は旧シルクロードです。はるか昔、7,000m級の山に囲まれた渓谷を臨む山肌を交易のために歩いた人達がいたということで、ずっと走ってきたカラコルムハイウェイは旧シルクロードとも交差していて、時々シルクロードの旅に出ているような気分になることがありました。

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物資を運んでいる舟と行き交い、中には車まで運んでいる舟もありました。

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この湖の奥は深く、山裾の切れ込みに何回となく入り込み、土砂崩れがいかに大規模なものであり、水没して消失したカラコルムハイウェイの面積の大きさに呆然としました。このままでは中国との物資の輸送がここで水上輸送せざるを得ないため、湖の数十メートル上にトンネルを掘り、新しい道を作りつつあるようですが、いつまでかかることやら。

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ようやく対岸が見えてきました。対岸にはデコトラが待っていて、おそらくここで水上輸送の物資をデコトラに積み替えて中国に運ぶものと思われました。デコトラの背後には岩山が迫っていて、船から見ていると小岩や大岩が今にも崩れ落ちそうでした。

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フンザ上部の桃源郷の村を散策した後、再び船上の人となりました。午後も4時を過ぎ、日は暮れかかり、7,000m級の氷壁に一度ぶつかった向かい風は非常に冷たく、全員が手元にある防寒着の全てを身に着けました。

土砂崩れによってカラコルムハイウェイをかなりの面積と距離にわたって寸断してしまった自然の驚異に言葉もありませんでしたが、一方でコツコツと岩盤を少しずつ掘り進み、新たな道をつくろうと挑んでいる人間(労働者は中国人がほとんど)の執念も凄いもので、このバカにできない蟷螂の斧にも感心してしまいました。いやはやです。!

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2018年3月 8日 (木)

回想:最後の桃源郷 23長谷川スクール

4/10(水)、カリマバードのホテルに腰を落ち着け、日本人登山家長谷川恒男さんの意志を継いで奥様がフンザ地域・カリマバード村に設立した「ハセガワメモリアルパブリックスクール(H.M.P.S)」を表敬訪問しました。

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H.M.P.Sは、カラコルム山脈に囲まれた峡谷の地にありました。

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パキスタンの山を愛した登山家長谷川恒男さんは、カリマバードの北に聳えるウルタル山(7,388m)に登る前、登頂したら記念にこの地に学校を建てようと奥様と話し合っていたそうです。残念ながら1991.10.10雪崩に巻き込まれ43歳で生涯を閉じてしまいました。奥様は彼の意志を継いで募金活動を始め、1997年に開校しました。

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現在は幼稚園児から短大生まで900人の生徒がここで学んでいます。小さな子から短大生までが一緒にいるせいか小さな子もなかなかしっかりした仕草でした。

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とても可愛い子が多く、またしっかりしているようでした。このくらいの時期から既に英語の勉強も始めているそうです。キラキラした瞳を見ていると長谷川さんの意志が立派に息づいているようで感慨深いものがありました。

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幼稚園クラスの教室では先生と園児達が待っていました。一緒に “幸せなら手を叩こう” を身振り手振りを交えて交歓しました。先生は日本の保母さんと同じような雰囲気を持った人達でチャーミングでした。

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校庭での朝礼はお姉さん格の生徒も一緒で、この日は朝礼も兼ねて私達の歓迎会も兼ねていたようです。ここではパソコンを導入してIT教育も行われていて、英語もITも学べるうえ幼稚園から短大までの一貫教育であるため人気が高く、入学がとても難しいとのことでした。

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なかなか女性が表に出る機会が少ないイスラムの世界で、この学校やこの村では女性の方が勉強も社会活動も活発とのことでした。教育ママでしょうか。

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何人かの子供による民族舞踏も披露されました。私達には真似ができそうにないしなやかな身体の動きでした。

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私達のために民族音楽を聞かせてくれたり、全校生徒で日本の歌を日本語で歌ってくれたり大サービスでした。

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そこまではよかったのですが、是非私達にも日本の歌を歌ってほしいというリクエストがあり、この壇上で20人のおじさんおばさん合唱団が “隅田川” を披露することになり冷や汗びっしょりでした。中国国境に近いカラコルム山脈に私達の歌声が響くとは思いもよりませんでした。(後日フンザ出発の最終日に、「草原の椅子」の舞台となったホテル前の庭で添乗員の村田さんに撮っていただいた合唱団の雄姿)

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最後に校長先生の話を聞く機会がありました。かなりの熱血先生で、熱い思いを語ってくれました。先生も生徒達も日本には大きな憧れを持っていて一度日本に行きたいとか日本に留学したいという気持ちが大きいそうですが、やはり経済的になかなか難しいということを残念そうに話していました。

H.M.P.Sに訪れる前は何の事前情報も持っていなかったのですが、実際に訪問してみて長谷川さんの意志がしっかりと根を下ろしていることに驚きました。現在では4歳から18歳まで900人の生徒が学び、英語教育やIT教育や一貫教育で、フンザ一の教育施設となっています。この学校は長谷川さん個人の意志によるものですが、日本とパキスタンとの友好のシンボルともなっているとのことで、小さい子からちょっと大人びた生徒達が一生懸命日本の歌を歌っている姿を見て思わずジーンとしてしまいました。

特筆すべきは、パキスタン北部に位置するフンザ地区は桃源郷ともいわれるほどの美しい風景を持っている反面、地政学的にも生活文化的にもアフガニスタンに同化しうる環境にあります。このような環境でのH.M.P.Sの存在は、イスラム過激派の供給条件を内部から緩和するという役割も果たしているはずです。キラキラした瞳の子供達が、ここで学ぶことによって道を踏み外さない(テロリスト)としたら長谷川さんの志は大きく花開いていることにもなります。

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2018年3月 5日 (月)

松田山ウオーク 春が来た

3/4(日) 肩の故障でアップダウンコースのウオーキングを自制していたのですが、春一番情報に誘われて一足早い花見に出かけました。

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小田急小田原線の新松田駅で降り、松田商店街を歩いて目指す松田山を目指しました。新松田駅は丹沢登山で利用する渋沢駅の一つ先です。現在の地に引っ越してこなければ歩くことのない町です。

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商店街を抜けた先の「西平畑公園・松田山ハーブガーデン」という花見スポットには、気温20℃という春の陽気に誘われて河津桜は満開、人出もゾロゾロと。

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松田山はかなりの急勾配の坂道が続いていて、グングンと標高が上がりました。汗ビッショリとなって遠くを見れば、富士山の偉容を眺めることができました。

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桜の樹の下、春を告げる菜の花も強い日射しを浴びて傾斜地に沿って咲いていました。

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松田山は丹沢山塊の南端に位置していて、丹沢山塊を背に眼下には松田や開成の町が広がっていて西側(左側)には小田原の町が開けています。前方には足柄山や箱根に連なる峰を望むことができる名勝の地です。

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昼食は「桜祭り会場」のにわか売店で仕入れました。おにぎり(300円)、カレーパンとコロッケは各100円、ビールは400円、しめて1000円。ミカンはオマケ。

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花より団子ののんちゃんは、熱々のカレーパンにかぶりついていました。この日も、カミさんは詩吟と琵琶の会で1日中留守、娘は家族団らんで、結局鎌倉ウオークに続いて2人歩きとなりました。

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男は黙ってビール。

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桜祭りの会場からさらに15分くらい急坂を上った先に「あぐりパーク嵯峨山苑」(入場料300円)があり、肩のリハビリを兼ねて上って行くと白梅も満開でした。

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一つ一つの花びらが目一杯日射しを受け止め、寒かった冬を耐えた歓びが溢れているようでした。

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広い敷地の中にはいろは坂と名付けられた場所もあるくらい、傾斜地に沿ってつづら折の道が続いていて、白梅、紅梅、寒緋桜、河津桜、春めき桜、おかめ桜、菜の花などを楽しみながら歩くことができました。

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松田山は標高250m前後の小高い丘陵地で、眼下には東名高速道路が走っています。春のこの時期、何回となく走った東名高速からこの丘の桜を見上げたものでした。

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健脚ののんちゃんは、軽いフットワークで咲き誇っている花の間を元気に歩き廻っていました。日頃の仕事の憂さを随分と晴らしたようでした。

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この「あぐりパーク」は、自然そのままの傾斜地の中に細い山道のような道が続いていて、自然の?山を歩いているようにいろいろな花や木を眺めることができる楽しい場所でした。頑張れば丹沢山塊の鍋割山などにも脚を延ばすことができるようです。

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松田山一帯は日射しを受ける傾斜地ですのでミカンなどの柑橘類が名産となっていて、あちこちに産直即売所があり目を楽しませてくれました。

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「あぐりパーク」から再び「松田山ハーブガーデン」に下って行くと、「ふるさと鉄道」が走っていました。ロマンスカーと蒸気機関車があるそうで、「ふるさと鉄道」の存在は東名高速からも見上げることができます。東名高速を走っていて小高い山の上の鉄道を不思議に思ったものでしたが、その正体がわかりました。

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松田の商店街をグルッと回って新松田駅に向かう途中に「中澤酒造」という酒蔵がありました。しぼりたて原酒を含む3種類のお酒の飲み比べセットは500円で激安でした。飲みたかったのですが、大ぶりのおちょこで3杯も飲んでしまっては完全に酔ってしまいますので泣く泣く諦めました。

 一足早いお花見は久しぶりのアップダウンコースのウオーキングでとても楽しいものでした。手軽に行くことができるお花見スポット、あるいはウオーキングコースの発見はこれからも楽しめそうです。小田急沿線はいい所がたくさんあります。

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2018年3月 3日 (土)

回想:最後の桃源郷 22ホテル滞在

4/10112日間フンザのホテルに滞在し、ここを拠点に桃源郷巡りをしました。フンザにはいくつかのホテルがあり、ここが一番大きいとのことでした。

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ホテルの部屋はどこもがほとんどツインで、それを1人で使用しましたのでのんびりと寛ぐことができました。相部屋希望で申し込んだのですが、他の人が全て1人ユース希望でしたので、結局私も1人ユースとなりました。今回のツアーでは最も寒い場所で、それなりに防寒の準備をしてきましたし、ベッドには電気毛布があり湯たんぽも準備されていたのですが、両方とも全く必要がありませんでした。

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パキスタンはイスラムの禁酒国ですので、自前の赤ワインとウィスキーをペットボトルに詰め替えて何本か持ち込みました。自分の部屋で飲むぶんには特に問題ありませんでした。

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前夜日が暮れてからこのホテルに到着しましたので、夜が明けてホテルのテラスから眺めた初めての景色。ホテルの前から車が1台通れる道が左右に続いていて、この道を歩けばまた違った景色が見えそうでした。

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私達の部屋とは反対側の食堂脇のテラスからも山を見ることができ、そのテラスには映画「草原の椅子」に出演?した椅子が置かれていました。

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部屋の前のテラスからは、7,000m級のカラコルム山脈を眺めることができました。ヒマラヤで年間8,000m級の峰を見てきたせいか、タサンビレッジではダウラギリ(8,67m)を目の前で何時間も眺めたせいか、今回は峰々にはあまり執着することがありませんでした。しかし途中見てきたカラコルム山脈の無名峰の峻険で美しい姿からするとK2へと至るバルトロ氷河トレッキングはきっと素晴らしいものと推測されました。

フンザのホテルで一夜明け、これから2日間待ちに待った桃源郷を目にすることができる期待で胸が高鳴りました。フンザという地域はかなり広いエリアで、この地域にはたくさんの村があるとのことでした。その中のある特定の村やスポットが “桃源郷” として認識や認定されているわけではないようで、このフンザの地域やフンザ川の対岸のナガール地域などを含めてこの辺り地域全体が “桃源郷” といわれているようす。

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2018年3月 1日 (木)

回想:最後の桃源郷 21フンザ到着

4/9(火)、シガールからスカルドゥを経由してカラコルムハイウェイに入り、最終目的地のフンザ地域のカリマバードを目指しました。

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道はカラコルムハイウェイに入ってからもギルギット川沿いの山岳道でした。前方から軍用ジープがやって聞きました。パキスタンは軍事大国で、国家予算の半分を軍事関連に支出していますので、軍用車には度々出会いました。

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途中、新婚のママさんと可愛い男の子を乗せた3人連れの親子に出会いました。ヤングママの肌が桃のように瑞々しく美しく、パパさんは嫁さんと子供を自慢したげでした。服装からみて軍か警察関係の人のようで、軍人や警察官は丘陵や年金など待遇も恵まれているとのことでした。

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道が舗装されていて比較的広い道もありました。ヤギは車にひかれないように行儀良く行列をつくって歩いていました。ここは広い道だからいいのですが、狭い山岳道でも道の端ギリギリをうまく歩いていました。 

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何ヶ所かトンネル化の工事をしているカ所がありました。カラコルムハイウェイは中国の協力でできた道ですので、中国国境に近づくにつれて中国の工事車や中国人労働者の姿が目につくようになりました。

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夕方5時近く、比較的大きな街ギルギットは賑わいが見られました。

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夕方5時半頃、カラコルム山脈の白い峰が見えだし、そろそろフンザ地域が近くなりました。あの白い峰の向こうが目指す桃源郷です。

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山肌に一筋の細い線が見えました。それは旧シルクロードとのことで、谷底を眼下に見る中腹の道は消えそうなほど細く、また危なっかしくもありました。かつて数世紀前、この道をロバの背に荷を積んで交易の旅に出た人達がいたわけで、はるか昔のきびしくも逞しい人達に想いを馳せることとなりました。

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午後6時頃、ラカボシ(7,788m)を間近に見えるお土産物屋で最後のトイレ休憩でした。残念ながらラカボシの勇姿は見ることができませんでしたが、絵葉書などを買ったりして一服しました。中国国境に近くなり、道もかなり良くなりました。

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19:00 12時間かかってフンザ・エンバシーというホテルに到着しました。ここで3連泊しました。ようやくフンザに到着したという安堵感と、ここが桃源郷であるという感慨でちょっと興奮気味でした。

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4/5に成田を出発してパキスタンの首都イスラマバードに到着し、当初予定していたフライトをキャンセルして4/6からカラコルムハイウェイを走ってチラスに1泊し、4/7はシガールへ、4/8はシガールの村や砂丘を見物し、4/9の夜にようやくフンザ地域の中心部のカリマバードに着きました。

同じ日に成田に出発した別チーム(20人)はシガールに寄らずにフンザに直行し、フンザでトレッキングなどを楽しんでいるようでしたが、私は初めてのパキスタンを広く見てみたいと思いましたので、シガールに寄るこのルートを選びました。地図で足跡を振り返るとパキスタン北部の主要な地域をカバーしていることがわかりました。中国国境にかなり近いエリアまで辿り着きました。

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