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2018年5月31日 (木)

丹沢登山紀 15回目 花の命は・・・

5/22(火) 今月5回目、前回(5/16)からほぼ1週間ぶりに丹沢に出かけました。この日の天気は晴で、水曜日以降は天気は下り坂になるという予報でした。

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この日は晴ですがこの日以降天気は下り坂で、少しずつ梅雨入りに近づいている気配を感じます。そんな気配を察知してか、この日はたくさんの常連さんが集まりました。皆さんの多くが自由な時間を手に入れている人たちです。

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08:03 スタートしてほぼ1時間最初の急坂の道にかかりました。前をゆくおばさん3人組はとても快速の常連さんです。百名山とか二百名山とかの話をしながら楽々と登ってゆく筋金入りのおばさん3人組です。

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08:30 2つめの急坂地点で、ここの登りは結構続きます。この日はかなり身体が重く感じていましたので、後半バテないようにペースを抑え気味に登りました。既におばさん3人組の姿は見えませんでした。

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08:51 塔ノ岳山頂までの中間地点よりちょっと手前にある山小屋「堀山の家」(週末営業のみ)には標準時間より10分ほど速いペースで着きました。心配された身体の重さは汗をかいたせいか少しずつ軽くなりました。ここでちょっとだけ水分を補給しました。

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堀山の家からは3ヶ所目の難所ともいえる急坂となりました。足元も頭上も燃えるような緑に囲まれ、登りはキツく足は重いのですが、体中の皮膚が緑のエキスを吸い込んでいるようで快適なのでした。

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3ヶ所目の急坂は長く続いていて、前を行く赤いリュックの男性とはほぼ同じようなペースで登りました。この人について行ければいいペースで登って行けそうでした。

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09:26 スタートして2時間16分、岩場にさしかかりました。ここから山頂までは1時間くらいの所に来ました。赤いリュックの人との距離が少し縮まりました。

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岩場が過ぎると最大の難所の登りになりました。赤いリュックの人は時々立ち止まって腰に手を置いて深呼吸していました。私もシャッターを押した後深呼吸して続きました。

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最大の急傾斜の道を登り切ると再び山頂に向けて登りが続きます。おばさん3人組の姿を捉えました。何とか山頂まで離されないようについて行きたいと思いました。

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ツツジの名所にさしかかりました。1週間前が最盛期だったのでしょうか、ツツジの花はかなり縮んで色褪せつつありました。花の命は短くて・・・。

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山頂への最後のステップ、おばさん3人組について登ることができました。

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10:08 登頂しました。スタートして3時間(登山地図による標準時間3時間30分)、順調なペースで登れて嬉しかったのですが、おばさん3人組についていけたのが嬉しかったです。

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富士山に連なる山は青く、空も青く、富士山の山頂で輝く残雪だけが白く輝いていました。5月の爽やかな風が心地よく感じられました。

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下山は、遠くに霞む山々を眺めながら登ってきた急傾斜の道を一気に下りました。

カミさんには呆れられているのですが、何回も自然の中に入っていると五感が研ぎ澄まされるというか空気や樹木や草花の動きや匂いが感じられるような気がしています。これからの時期、梅雨模様から夏山へと自然も衣替えしていきます。ありがたくない季節到来ですが、それも自然の営みと思って何とか対応できればいいなあと思っています。

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2018年5月29日 (火)

回想:チベット 行ってきます

今回のツアー「チベット大縦断」(西遊旅行社主催)は、青蔵鉄道と中ネ公路を走破してしまうというもので、日程は13日間(2013.9/1224)、参加者は東京出発が10人、関西出発が5人の総勢15人のツアーです。(画像は全て西遊旅行社のHPより転載)

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西寧を15:05出発してからラサ到着翌日の14:35まで23時間、標高5,000m以上の峠を走る青蔵鉄道、どんな感じになるのか見当もつきません。なんとか4人部屋(2段ベッド)の軟臥席が確保されているとのことですので一安心でした。

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チベットとネパールを結ぶ中ネ公路もまた5,000mの高地を走る幹線道路です。今春訪れたパキスタンのカラコルムハイウェイは高度こそ高くはなかったものの未舗装道路に悩まされましたが、今回は幹線部分は全て舗装されているとのことですので快適に走れそうです。

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ネパール側から見たヒマラヤ、エベレストやチョオ・ユー(8,201m 6位)などはどのように見えるのでしょうか、これも楽しみの一つです。

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ポタラ宮は、チベットツアーでは欠かせない観光スポットであることは間違いありません。マルポリ丘にそびえ立つこの大建造物の主(ダライ・ラマ14世)はインドに追われ、チベットの文化・文明や国家そのものが抜け殻になりつつある象徴のように思われ、かつてここに居住していた“主” に想いを馳せたとき、何を感じるのか怖いようでもあります。名所としてのその建造物に感心するだけの観光気分で終わってしまうのか。

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(画像はクラブヒマラヤHPより転載) 一度は泊まってみたい宿という謳い文句がよく言われます。ネパールでは、エベレストを見るためのホテル「ホテルエベレストビュー」、日・英の皇室の方も泊まったポカラの「フィッシュテールロッジ」、ダウラギリを仰ぎ見る「タサンビレッジ」などが泊まってみたい宿であり、実際に宿泊してそれなりのパフォーマンスが得られました。唯一未体験なのがナガルコットの丘に建つ「クラブヒマラヤ」でした。今回、クラブヒマラヤに泊まれれば主だったホテルやロッジに泊まったことになります。

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(画像はクラブヒマラヤHPより転載) ナガルコットの丘は、ヒマラヤの絶景ポイントといわれ、夕暮れや夜明けのヒマラヤが楽しみですが、完全に雨期から抜けきっていない時期ですので、絶景が拝めるかの確率は五分五分といったところです。

ヒマラヤへのトレッキングでは、自分の足で一歩ずつ高みに登っていかなければならずかなり緊張しました。また宿泊ロッジもこれ以上ないほど劣悪でした。それらを差し引いても得られる達成感は大きかったのです。それに対して今回は5,000m以上の天空とはいえ、鉄道や車移動ですのでその分気楽といえます。また一番厳しい環境での宿泊も室内にトイレがあるとのことで一安心でした。

見どころはいろいろあるのですが、それ以上に楽しみというか大きな目的は中国領・チベット自治区に足を踏み入れることで、そこでどんなことを感じるのか。

季節は完全に乾期に移行していませんので悪天候が予想されますので、10月出発分に変更も可能なのですが、エベレストが見えなくても、抜けるような碧空を仰ぐことができなくても大きな問題ではなく、チベットそのものを感じられればいいと思っていました。

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2018年5月27日 (日)

回想:チベット 慧海の足跡

4回ヒマラヤに通いネパール側からのエベレストを間近に見たのですが、チベット側からのエベレストも見てみたい。日本仏教のルーツで神秘的なイメージを持つチベットに行ってみたいと思っていたのですが、中国に圧政を受けている現状を見たくないし。心は千々に乱れていたのですが、今行かないともう一生行けないかもしれないという気がしてきて、2013.9/12(木)に出発することにしました。

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何となくのチベットへの憧れは、やはり河口慧海が1900年(明治33年)夏、仏教の原典を求めてチベットへ密入国したということによるものです。30kgの重荷を背負ってヒマラヤの峠を越えたというその足跡のかけらでも見てみたいという思いは強くなるばかりでした。

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(画像はダウラギリツアー 2011.1.31撮影) 慧海が辿ったネパール側の道は、2011年の年末から翌年の年始にかけてダウラギリ(8,167m 7位)を見に行ったときにジョムソン街道をカリガンダキ河に沿って歩き、慧海の足跡に触れました。

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(画像はダウラギリツアー 2011.1.31撮影) カリガンダキ河沿いにあるマルファという村~私はこの村で2012年の新しい年を迎えました~には慧海がしばらく滞在した住居が「河口慧海博物館」として保存されていました。慧海がチベット国境に向けてこのマルファ村の館を出発したのが今から110年前の1900.6.12だったそうです。慧海が滞在した宿は今でも十分使えるようで、ヒマラヤトレッキングで宿泊したロッジより快適そうでした。

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(画像は「遥かなるチベット」より転載 秘境ムスタンの都ロ・マンタンに向かって、背後に聳えるのはニルギリ・ヒマール) 「ヒマラヤ山脈の北側に展開するチベット高原は、空が圧倒的な迫力でのしかかってくるような広がりを見せ、大地は雪と岩からつくられ全体的に荒涼としている。南側はインド亜大陸に続くネパールの緑豊かなモンスーン気候地帯だが、北側はチベット高原の冷涼乾燥気候地帯なのだ。」(本文引用) と表現されています。

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(画像は「遥かなるチベット」より転載 マリユン・ラからチベット側を望む)  “A stranger in Tibet” というアメリカ人作家が書いた本の冒頭に 「1900.7.4探検の歴史は前例のない偉大な瞬間を迎えた。日本の若い禅僧、河口慧海がネパールからチベットに入ったのである。しかし、その場所はまったく不明で、今日に至ってもなお、誰もその地を特定できないでいる」 とありますが、現在わかっているのは1900.7.4河口慧海はここを一人でチベット側(マリユン・ツォ)に向かったということ。

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(画像は「遥かなるチベット」より転載 プランからコ(ル)チャ村へ向かう途中から眺めたチベット・ネパール国境に連なる山々) 今回予定しているツアーではチベット側からネパール・カトマンズに入ります。どのような光景が待ってくれているのでしょうか。

私は車で多分いとも簡単に国境を越えると思いますが、110年前に重い荷を背負って一人で歩いた慧海の姿は想像すらできません。

今までヒマラヤへは4回、延べ日数にして60日間くらい歩きました。今回チベット側からヒマラヤを見ることができればそろそろヒマラヤからは卒業してもいいかなとも思っています。

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2018年5月25日 (金)

観光に沸く桃源郷 パキスタン・フンザ

先日「回想:最後の桃源郷」をブログに掲載しました。20134/51511日間)パキスタン・フンザを旅した回想録だったのですが、それから5年が経過して5/22(火)の読売新聞(朝刊)に「観光に涌く桃源郷」という記事が掲載されました。

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「世界最後の桃源郷」ともいわれるパキスタン北部フンザ地域が観光ブームに沸いているそうです。

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5年前「世界最後の桃源郷」といわれるパキスタン・フンザに行くというと、聞いたことがない、何処にあるのと言われたものでした。場所はパキスタンの北部(カリマバード)、中国国境に近い山奥です。そこに行くにはカラコルム山脈が切り拓かれたカラコルムハイウェイ、断崖絶壁の細い道をバスで何日もかかります。

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もう少し詳しい地図で見てみますと、カリマバードからさらに北上するとクンジュラブ峠(4,733m)がありここが中国との国境になっています。5年前(2013年)に私が行った時は、カリマバードとクンジュラブ峠の間のルート(カラコルムハイウェイ:一帯一路)はアッタバード湖の洪水で道路が寸断されていました。

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5年前、「一帯一路」は寸断されていましたので、カラコルムハイウェイを行き来しているダンプカーは荷を下ろしボートに積み替え、対岸で待機しているダンプカーに積み込むということをしていました。私たちもボートで対岸に渡ったのは懐かしい思い出ですが、寸断された道も修復されたようです。

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フンザの中心部にあるバルティット城塞では2014年まで年間5000人程度だった観光客が昨年は48000人に増えたとか。私が行った頃に比べると10倍に増えているようです。

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フンザでは日本人の観光客も他の国の観光客にも誰も会いませんでした。多分、パキスタンに入っていたのは私たち西遊旅行者のツアーだけだったと思います。一帯一路で道が整備されることによって、地元のパキスタン人だけではなく、国境を接している中国人観光客が入ってきたらこののどかな桃源郷はどうなるのでしょうか。

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その美しさからさまざまな映画の舞台(「草原の椅子」など)のモデルになったフンザ地域は欧米や日本人など外国人観光客の人気が高かったのですが、2000年代後半以降治安悪化で訪問客が激減しました。

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実際、カラコルムハイウェイ沿いの村では、欧米人登山家が何人か殺害されたりアメリカ同時多発テロの首謀者だったアルカイダのウサーマ・ビン・ラーディンが潜んでいたり(2011.5.2に米国特殊部隊によって殺害)と治安は悪かったのでした。私たちはフンザへの往復とも何人ものポリスとパトカーに護られたものでした。

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思えば、5年前の工事は「一帯一路」の前触れだったのでしょうか。崖っぷちのボコボコの埃っぽい道が整備されれば快適な山岳ドライブが期待できるかもしれませんが、環境への影響も心配されています。

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今まで出かけた外国で秘境っぽいところといえば、パキスタン・フンザをはじめ4回通ったヒマラヤ、チベット、パタゴニア、マチュピチュ、サハラ砂漠などでしたが、もしもう一度行くとしたらパキスタン・フンザかパタゴニアと思っていました。しかし観光客が押し寄せる「桃源郷」はもう桃源郷ではないような気がします。治安が改善され、道路が整備されることはいいことかもしれませんが、治安の悪さも道路のひどさも含めて(行くのが大変なことも秘境や桃源郷の条件であるかもしれません)の「世界最後の桃源郷」だったのかもしれません。フンザへの注目度や認知度が高まることが良いのか悪いのか??? ホンネでいえば、そっとしておいてほしい!!!

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2018年5月23日 (水)

箱根 登山鉄道とハイキング

5/20(日) 箱根の緑を見てみたいと、久しぶりに箱根へと出かけました。箱根歩きは、箱根湯本から旧道を歩いて芦ノ湖まで行って折り返すというコースがほとんどですが、この日は箱根登山鉄道に乗って山の中をハイキングしてみようと。 

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小田急線の最寄り駅から小田原駅に向かい、小田原駅で箱根登山鉄道に乗り換えて箱根湯本に着きました。箱根湯本駅からは登山電車に乗り換えました。

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箱根湯本駅で登山電車に乗り換えると3両連結の車両は箱根の山の急斜面をトコトコと走りました。山の斜面の狭い道にレールが敷設されましたので単線です。駅に停車するたびに、そこで行き交う列車はすれ違いました。

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登山電車は山の急斜面をスイッチバック方式でジグザグに登ります。スイッチバックは3ヶ所で行ない、そこでは運転士と車掌が入れ替わります。スイッチバックで車両の進行方向が逆向きになるため、運転士と車掌が入れ替わります。見ていると運転手と車掌さんは行ったり来たり大変そうでしたが、いい運動にはなりそうでした。

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(画像はインターネットより転載) 箱根登山鉄道は山の斜面を走るだけではなく渓谷も渡ります。山の中にかかる「出山鉄橋」は箱根登山鉄道の名所なのですが、通過は一瞬なのが残念です。

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単線での電車のすれ違いと3ヶ所でのスイッチバックをくり返して、小涌谷駅に着きました。ここでも電車のすれ違いのための時間調整が行われていて、乗客はのんびりと箱根の空気を吸っていました。最寄り駅を出発していくつかの電車の乗り継ぎをして2時間半かかり、ちょっとした電車の旅になりました。

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小涌谷駅から歩き始めました。コースは浅間山(せんげんやま802m)を越えて箱根登山鉄道宮ノ下駅までのハイキングコースで、初めて歩く道でした。深い緑の上には真っ青な箱根の空が広がっていて、はっきりとした白い雲が浮かんでいました。

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初めて歩く道は興味津々でした。屋久島の「もののけ姫の森」白谷雲水峡に足を踏み入れたような感じがしました。

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小涌谷駅から10分ほど歩くと「千条(ちすじ)の滝」に出ました。苔むした岩肌から幾筋もの水が流れ落ちていて幻想的でした。この日の同行者はのんちゃん。久しぶりに箱根を歩きたいということでお付き合いしました。

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千条の滝から浅間山までは35分という標識がありました。

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千条の滝の源となっている「蛇骨川」は小さい流れで、その脇には川に沿って辿って行けそうな細い道がありました。きっとその名の通り蛇がクネクネとうねっているような道と思われそちらも面白そうでもありました。

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標識が指し示していた道は、いかにも山の中に入って行くぞという雰囲気でなかなかいいものでした。 

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浅間山への道は箱根の山らしく急傾斜で、ほとんど手入れがされていないワイルドな印象で、歩き応えありました。 

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箱根のハイキングコースであり、この日は日曜日でもありましたのでチラホラとハイカーを見かけました。

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小涌谷駅から歩いて50分くらいで浅間山の山頂に着きました。緑に囲まれ、涼しい風が通り抜けてとても気持ちのいい空間でした。爽やかな五月の空気を思いっきり吸い込みました。

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このハイキングコースの特徴は山道がほとんど手入れされていないことと標識が少ないことで、その分ワイルドで山の中を分け入るという印象でした。目にした2つめの標識に従って宮ノ下駅へと下りました。

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ところどころこの道でいいんだろうかと思うような場所もあり、初めて一人で歩くとしたらちょっと不安になったかもしれませんでしたが、緑がとても美しく目に沁みるようでした。

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かなり傾斜のきつい下り坂を30分くらい下ると、急に展望が開け緑の箱根の山々の先に富士山が目の前に現れました。富士見台といわれている場所でした。丹沢で見慣れている富士山とはまた違った姿でした。

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富士見台からまたしばらく下って行くと箱根登山鉄道の踏切に出ました。

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線路に沿って宮ノ下駅方向に歩いて行く途中、「いのしし出没地帯!」という看板が目につきました。箱根にはいろいろな野生動物が棲んでいて、うさぎ、たぬき、りすなどもいて、登山電車の沿線にはこういった標識があります。

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10:35に小涌谷駅を出発して12:16に宮ノ下駅に着きました。1時間40分の手軽なハイキングでした。

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宮ノ下駅の標高は436m。駅のホームでヒンヤリとした箱根の空気を吸いながら電車を待っていると、久しぶりのローカル線旅に出たような気分を味わいました。

宮ノ下駅から再び単線電車のすれ違いやスイッチバックをくり返し、いくつかの乗り換えをくり返して戻りました。電車の中では 飲み鉄 になり、のんびりとした電車旅と軽いハイキングの箱根の休日でした。

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2018年5月21日 (月)

丹沢登山紀 14回目 雲海とツツジ

5/16(水) 今月4回目、前回(5/13)から中2日おいて丹沢に出かけました。この日の天気は晴時々曇という不安定な予報で、気温は30℃近くと高めでした。

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登り始めの登山道は杉林の道です。真っ直ぐに延びた木立の間から朝陽がこぼれてきて、気温もまだ上がっていませんので爽やかなスタートとなりました。

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青紅葉は、強い日射しを受けて若葉から青葉へと緑の濃さを増していました。

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丹沢の塔ノ岳コースの特徴は急傾斜の道が続くことです。登り始めて1時間半、一汗かいた頃2ヶ所目の急坂にさしかかりました。この坂も左へとカーブするにつれて傾斜はきつくなります。ここで頑張りすぎてしまうと後半バテてしまいます。

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ツツジの開花が日々高い場所へと移っているようです。ここは頂上に近い分岐点で、左へ行けば鍋焼きうどんが名物の鍋割山(1,272m)へ、塔ノ岳(1,491m)へは右へ向かいます。

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山の下の方で咲いていたオレンジがかった朱色のツツジは「ヤマツツジ」ですが、ここでは「ミツバツツジ」が咲いていました。

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丹沢にはもう一種類「トウゴクミツバツツジ」というツツジがありますので、合計で三種類のツツジがあります。「ミツバツツジ(雄しべが5本)」と「トウゴクミツバツツジ(雄しべが10本)」の違いは雄しべの数の違いですので遠くからはわかりません。

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山頂で見上げた空に雲はないのですが、膜がかかったようにどんよりとしたブルーでした。

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随分日焼けしています。

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肉眼ではうっすらと富士山の影が認識できるのですが写真には写りませんでした。山頂の足元には雲海が迫っていて、何回も登っている丹沢ですがこんな雲海を見るのは初めてでした。

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下山の途中、雲海は四方八方から迫ってきて、緑色の山々を飲み込むような様子は津波が押し寄せてくるようでした。標高が高くない山でもこんな雲海のまっただ中にいたら濃霧に囲まれる状態になるのでしょうから、ちょっと怖くもなりました。 

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下山は雲海に飲み込まれることもなく、季節を感じながら、ツツジを楽しみながらのゆったりとしたものとなりました。

2日の登山は疲労や筋肉痛もなく、久しぶりに山頂往復5時間と順調な山歩きでした。

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2018年5月19日 (土)

丹沢登山紀 13回目 緑とツツジ

5/13(日) 今月3回目、5/5以来ほぼ1週間ぶりに丹沢に出かけました。前回、前々回と好天に恵まれましたのでこの日は天気や見晴らしを気にしないで山歩きできればいいと思いました。

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天気予報は午後から雨ということで、予報通り水分を含んだ雲が湧いてきて頭上を通り過ぎていきました。午前中に登頂・下山できるように少しペースを速めることにしました。

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陽は射していないのですが、緑一色の山道は明るくさえ感じました。この日は日曜日でしたがゴールデンウィークも終わり天気も良くないので登山者は少なくその分ゆったりと歩くことができました。

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オレンジがかった朱色のヤマツツジ。葉のグリーンと花の朱色のコントラストが見事です。ツツジの仲間では丹沢で最も多く見られます。

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ヤマツツジは枝先に23個の花をつけるのが特徴なのですが、他の花びらは散ってしまったようで残った一輪はハイビスカスのようでひときわ鮮やかでした。

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どこまで行っても緑の道が続いていました。紅葉のシーズンもいいのですが紅葉は冬に続く寂しさを感じさせられますが、青葉は命の目覚めを感じさせてくれるようでこういう道を歩いていると元気が出るようです。

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前回は緑の稜線の上に青空が広がっていいたのですが、今回は曇り空に覆われていました。半分くらいの確率でこういう天候になります。

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標高が上がってゆくとミツバツツジが見られるようになります。丹沢には3種類のツツジが植生しています。ヤマツツジが朱色に対してこのミツバツツジは紫がかっています。

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山頂に近くなると厚い雲が下降してきたかのような濃い霧が発生しました。この濃い霧は山頂まで続いていて、まったく見通しがきかなくなりました。

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下山するにつれて青紅葉はさらに緑が濃くなったようでした。青紅葉は紅く色づく前の楓(カエデ)のことをいいます。表は青、裏は朽ち葉とも。京都では春の桜、秋の紅葉に対してこの青紅葉も見所にしようという寺院が増えているそうです。たしかに青紅葉も趣があります。

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見上げてみれば濃淡さまざまの緑がグラデーションになっていて、とても綺麗で美しく、清々しい気分になれました。思いっきり深呼吸すると空気の美味しいこと。

秋の紅葉もいいのですが、春から夏にかけてのグリーンのグラデーションもいいものです。

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2018年5月17日 (木)

丹沢登山紀 12回目 丹沢に咲く花

5/5(土) 5月に入って2回目、5/1に続いての丹沢登山に出かけました。5月の大型連休中でしたので混み合うことが予想されていたのですが、あまりにも好天気でしたので覚悟して出かけました。

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予想通り始発バスの増発便が出て、登山口に着いて、一斉に準備が始まりました。常連さん達は見当たらず、週末しか来れない人や初めての人たちが多いように思われました。

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秋には紅葉ロードとなるこの辺りは若葉がさらに緑色を濃くして、早朝のヒンヤリした空気を吸いながら緑の下を歩くのは気持ちのいいもので、たまにしか来れない人にとっては都会を離れての山登りはきっと素晴らしいものになっていると思われました。 

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表尾根といわれるあちらの稜線も緑一色になって、青空の下たくさんの人が同じ塔ノ岳を目指していることでしょう。

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登りは少しづつキツくなり、細い階段状の山道ではちょっとした渋滞が起きていました。後続の人がいますのであまりのんびりと登るわけにも行かず辛い思いもすることもあります。緑が綺麗です。

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何ヵ所かある急の登りのうち、最も厳しいといわれている登りでは、多少道幅が広くなっていますので後続の人を気にすることなくマイペースで登ることができます。

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急な坂を登っていけばその分見晴らしは良くなります。秋から冬にかけて茶褐色一色だった山々も緑一色に衣替えとなりました。

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枯葉が落ちて木立から眺めることができた富士山も、少しずつ緑によって視界が狭められてきました。その分豆桜やツツジなどの彩りが添えられ、また違った富士山を眺めることができるようになりました。気温がグングン上昇していて、霞がかかってきました。

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何回も丹沢に通うようになって、その間季節も移ろって、四季折々の花が目につくようになりました。まったく花の名前には疎く、花を見るたびに何という名前でどんな花なのだろかと知りたくなり、「丹沢に咲く花」という本を購入しました。

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モミジイチゴ。紅葉に似た葉がその名の由来で下向きに咲くのが特徴とか。恥ずかしがり屋のようです。

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ミツバツツジ。丹沢はツツジの名所でもあり、標高が高いところで群落のカ所もありますのでこれからが楽しみです。

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アオイスミレ。スミレの中では最も早く開花するそうです。花は淡紫色で白っぽいものも多い。

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薄紫色の蝶が飛んでいるようなこの花の名前は、ガイドブックを見てもわかりませんでした。

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シコクスミレ。四国で最初に見つかったスミレ。花は純白で唇弁と呼ばれる下側にある花びらに、紫色のスジが入っています。

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ミツモトソウ。水辺に多いことが名前の由来ですが、丹沢では稜線上の草地に生育しています。生育地は少ないのでなかなか見られないようです。

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道端の花を探しながらの下山でした。一方これから頂上を目指す人たちが続々登ってきました。これからの登山は気温が上昇しますので早朝にスタートしないと厳しいものとなります。

今まで名前も知らなかった花たちの名前や生育の特徴を知るようになって、花の息吹が感じられ、親しみも感じられるようになりました。まだちょっとだけですが。

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2018年5月15日 (火)

丹沢登山紀 11回目 五月晴れ

5/1(火) 4月末(4/28(土))に行ったばかりだったのですが、天気が良くよく取りたてての用件もなく中2日おいて丹沢に行きました。

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天気予報は快晴で気温は25℃を上回るということでしたので、イソイソと出かけてしまいました。若葉は少しづつ緑を増しているようで、目に鮮やかで目も皮膚も緑色に染まってしまいそうでした。

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この日も前回同様真っ青に晴れあがった青空でした。汗をかくごとに身体も足も山に馴染んできて気分は爽快でした。

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高度を上げるにつれ富士山も緑の山の奥に姿を見せ、青空を背景にスッキリとした冠雪の頂きが輝いていました。

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丹沢塔ノ岳コースは急傾斜の連続でそれが人気でもあるのですが、木の階段などもよく整備されていて、最近はトレイルランに挑戦する人が増えていて、あっという間に駆け上がって行きます。

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何ヵ所か岩場もあって変化に富んでいますので、疲れはしますが飽きはきません。

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山頂だけではなく、途中でも何ヵ所か富士山ビューのポイントがあります。この日も富士山は青空を背景にくっきりと浮かんでいました。雪解け跡の青い筋が随分上がってきていました。

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花立山荘には、この時期には  の幟だけではなく おしるこ や うどん の幟も出されています。急な坂を登りきってホッとしたときには大きな誘惑となるのですが、私は先に山頂まで行って帰りにビールを飲むのを楽しみにしています。この日は時間があまりありませんでしたのでパスしました。 

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花立山荘からも富士山を見ることができます。ここで一休みしたり寛ぐ人もたくさんいます。

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概ね快晴の時でも山頂の山小屋の上に雲がかかっていることが多いのですが、この日は雲一つなく、左手の丹沢山や最高峰の蛭ヶ岳の方向も晴れあがっていましたので、もし縦走すれば素晴らしい景色を楽しむことができるはずです。

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3日前の丹沢登山の疲労が残っているのではと思ったのですが、気温は高いとはいえ空気は爽やかで久しぶりに3時間で登頂できました。

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南アルプス方向に不思議な形をした2つの雲が戯れているかのように、さまざまに形を変えながら空中遊泳していました。

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下山して間もなく今年初めてのミツバツツジを発見しました。緑一色の山にあって、ピンクの花はとても目立ちました。この塔ノ岳コースでもミツバツツジの群落が見られるカ所がいくつかありますのでこれからが楽しみです。

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下山をして麓近くの林野にツルムラサキが薄紫の花を咲かせていました。こういう色と形の花を見ると朝顔を連想した夏休みを思い出します。

5月に入って若葉から青葉、桜からツヅジへと自然の彩りも変化してきています。夏の到来も予感させられるのですが、その前に鬱陶しい梅雨があります(なければ水不足で困りもするのですが)。好天気の時には登り溜めしたいものです。

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2018年5月13日 (日)

回想:最後の桃源郷 本の旅「旅する胃袋」

パキスタン・フンザから戻ってしばらくして、フンザを旅した人の本を見つけました。

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著者の篠藤さんは、初めての海外旅行の後、フンザへ出かけました。「  」で囲まれた部分は全て本書「旅する胃袋」より引用したものです。

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(画像は2013.4フンザツアーより) 「カラコルムハイウェイをパミールに向かっていくと、山の奥深くに不老長寿の村があるらしい。そんな話を初めて聞いたのはいつだったか。曰く7,000m級の山々に囲まれた桃源郷。曰く百歳以上の人がざらにいる・・・。」

「私はまるで敵を討つように、稼いだ金を使いまくった。だが一方でそんな生活に倦んでもいた。いったいいつまで自分は続けるのか。立ち止まる気分になると、追い打ちをかけるように、20歳のときに見たインドやネパールの風景がフラッシュバックするのだった。仕事も恋愛も、自分を縛り付ける頸木(くびき)に思えるのだった。」 私がフンザへ出かけた動機と彼女の動機はかなり異なるものですが、彼女をフンザへと向かわせた心象はとてもわかる気がしました。

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(画像は2013.4フンザツアーより) 「フンザはパキスタン最北端、桃源郷とも最後の秘境ともいわれているフンザ。1980年頃まで一般外国人の入域が禁止されており、私が訪れた頃はまだ開域間もなく、文字通り秘境であった。」

「それにしても、なぜちょっとのことをケチってしまったのか・・・。カラチに到着した私は激しく後悔することになる。カラチはパキスタンの最南端。フンザまでの距離は2000kmをゆうに超える。」

私が参加したフンザツアーではイスラマバードからフンザへと向かいその距離は700kmで、警察の護衛付き専用車で移動しましたが、彼女は女一人の身で2000kmの陸路をバスで移動しました。その苦難をものともせず、道中美味しいものを求めて旅を続けたタフさには驚きをこえてあきれてしまいました。

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(画像は本書より転載) 「なんと荒々しい街だろう。しかもこの街の男たちときたら、遠慮のない視線で、人をねめまわすようにじろじろと見る。」 たしかにじーっと射るような視線でこちらを見つめてくるという経験は何回もしましたが、その受け止め方は女性と男性ではかなり違いがあると思われました。

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(画像は2013.4フンザツアーより)「インダス河を挟んだ向こう側の崖に横穴の住まいが見えた。こんなところで生きている人もいるのか! 私は、はっと胸を衝かれた。誰も自分が生まれる場所を選ぶことはできない。ここで生まれた人々は、他の世界を知ることなく、一生をこの地で過ごすのだろう。彼らにとって世界とは、この荒涼たる風土そのものなのである。」 

同じような感慨は誰もが持つもののようです。私もヒマラヤなどの秘境を歩いていたとき、何故自分はネパール人やアフリカ人ではなく、白色人種でもなく日本人であるのか、海外に出るたびに思ったものでした。

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(画像は本書より転載) 「バザールのあちこちで、大きなハミ瓜やスイカがゴロゴロ積まれている。食べてみたいが、一個丸ごと買うには大きすぎる。スイカは諦め、とりあえず宿に戻ることにした。」 

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(画像は2013.4フンザツアーより) 「ギルギットで3泊し、いよいよフンザを目指す。ギルギットからフンザの中心地カリマバードまで、カラコルムハイウェイを北上すること110km。ミニバスで6時間ほどの道のりだ。小さな集落を過ぎると、緑の気配は消え、とたんに風景は荒涼としてくる。道路の右手は切り立った断崖絶壁。ところどころ車がすれ違うために幅が広くなっているが、外は車一台がやっとの幅だ。それなのにミニバスは対向車が来ることなど、はなから考えていないような猛スピードで、土埃を立てて山道を走っていく。」

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(画像は2013.4フンザツアーより) 「大きなカーブを曲がりきった瞬間、7,788mのラカポシ山が全容を現した。青を通り越し、藍色に近い空に、襲いかかるように威風堂々とそそり立つ白い山。手を伸ばせば頂上まで届きそうなほど近くに見える。」

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(画像は2013.4フンザツアーより) 「乾燥した風景のところどころに、小さなオアシスの村が現れるようになった。乾いた風景を見つづけていると、ほんのわずかな緑を目にしただけで、救われた気分になる。人がこれほど緑という色を見てほっとするのは、緑は作物を表す色、つまり命を表す色だからかもしれない。」 ミニバスが少しずつフンザの核心部に近づいているその時の風景が蘇るようです。

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(画像は本書より転載) 「バスはゆっくりと停車した。私は何と杏畑のまんなかに立っていたのだ。それにしても家一軒見えないし、人の姿もないし、呆然と立ちつくしていると、彫りの深い聡明そうな顔立ちをした少女が右手の小叢から飛び出してきて、にっこりと笑って『ハロー』と声をかけてきた。彼女が案内してくれたゲストハウスは、部屋がふたつと小さなダイニングがあるだけの小さなゲストハウスだった。」 

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(画像は2013.4フンザツアーより) 「その日の夕食は、香辛料で味付けをした野菜の煮物とチャパティ。朝食はチャパティに、ヨーグルトとお茶。一日二食で、ほぼ毎日、同じものを食べている。最低限、生命を維持するための食事といって差し支えないほど、質素にして単調な食生活である。百歳以上の人が何人もいるという長寿の村の食事は、想像以上に粗食であった。」 

私たちがツアーで食べたフンザの伝統食(画像)は、かなり贅沢なものであったことがわかりました。

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(画像は写真集「フンザへ」より) 「7,000m級の山々に囲まれたオアシスの村は、果物が溢れる季節を迎え、村じゅうが甘酸っぱい果実の香りで満たされていた。杏、リンゴ、葡萄、桃、桑の実・・・。果物がなっている風景というのは、人を幸福な気分にさせる。厳しい山岳地帯の懐に抱かれた、果樹の村。それだけでなんだかお伽噺めいた世界だ。」

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(画像は2013.4フンザツアーより) 写真集で見て、こんな風景が見られたらいいなあと思っていたそのまま世界が目の前に展開され、まるで夢を見ているようでした。上部フンザの村を一人で散策中、通りかかった少女の一団は、誰もが立ち止まってこちらを向いてくれました。古木が咲かせた満開の杏の花びらの下で、彼女たちは遠く日本からやってきた私を待っていてくれたかのように佇んでいました。ヒマラヤやチベット、モロッコやパタゴニアへと旅をして、様々な風景を写真に収めましたが、もし一枚だけピックアップするとしたら間違いなくこのショットです。この瞬間は私にとって人生の宝となりました。

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(画像は2013.4フンザツアーより) 「フンザは1974年にパキスタンに編入されるまで、ミールと呼ばれる藩主が治める自治王国だった。彼らがどこからやって来たのか、古い時代のことはよくわかっていない。パキスタンの中にありながら独自の文化を育ててきた地域だけに、人々のたたずまいも独特な雰囲気があり、平地の人たちより穏やかで、とげとげしさがない。」

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(画像は2013.4フンザツアーより) 「7000m級の山々は、一日を通して、微妙に色を変えていく。朝焼けを映して紅色に染まり、朝日を受け金色に光り、昼は白銀色に輝き、夕には茜色に色づいていく。村の人々は毎日この風景を眺めて、一生を過ごしていくのだ。」 そうです、今でもフンザの村人は変わらない風景を眺めていることでしょう。この写真は私にとっても印象に残る一枚です。

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(本書より転載)

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2013.4私が出会った古老) 「しかし、この村はほんとうに噂どおり百歳以上の人たちが大勢暮らしているのだろうか。『子どものうちに大勢死ぬ。』宿の主人はそう言って悲しい顔をした。衛生状態も栄養状態も悪い子どもの時期を乗り越えることができた人は、驚異的に長生きするらしい。逆に言うと、栄養状態も感染症もものともしない強靱な生命力がなければ、この地で暮らしていけないということかもしれない。」 長寿村の謎が少し解き明かされたような気がしました。

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(画像は2013.4フンザツアーより) 「来る日も来る日も、チャパティと野菜の煮物とヨーグルトだけの食生活。男に生まれたら農作業をするか、家畜を追って草地に行くか。女として生まれたら、子を産み、家事をし、農作業をする。たぶん一生に一度も村を出ない人もいるに違いない。そんな単調な生活を百年も続けるのである!」

石を積み重ねただけの家の屋根に佇む2人の子ども、著者が旅をした時と今では多少変わっている部分があるかもしれませんが、あまり変わっていないようにも思われ、フンザを思い起こしながら、著者の最後の言葉に、そこで生まれることの宿命などさまざまな事を考えました。

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2018年5月11日 (金)

回想:最後の桃源郷 40帰国

4/14(日)の夜、イスラマバードの西遊旅行社直営のレストランで最後の晩餐をとった後、帰国の途につきました。

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食事を終えてレストランを出たのが20:45頃で、これから飛行場まで移動して22:50のフライトに間に合うのかなと不安になりました。そういう時に限って空港への道路が封鎖され車はストップし渋滞が発生し、慌てて添乗員の村田さんやガイドのサリーヌさん達が車を降りて情報収集に。VIPが通るために交通が遮断されたとの情報が入って間もなく車は動き出しました。空港に着いたのは21:20。ドタバタと自分たちのスーツケースを持ち運びながら、慌てて写真だけ撮りました。空港ではカメラ撮影が禁止されていますので、フラッシュはたけず、手ぶれはするし。それからの手荷物検査、搭乗手続き、出国審査も混雑し、搭乗口に辿り着くと同時に搭乗開始となりました。パキスタンエアラインはどうせ遅れるだろうと高をくくっていたのですが、定刻通りの出発でかなり慌ててしまいました。

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機内で夜明けを迎え、北京空港にも定刻通り4/15の朝無事に到着しました。ここで給油や機内清掃のため1時間20分の機内待機となりました。

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イスラマバードを出発する時には満席だった機内も、多くの中国人が降りた後はがらんとしていて周りは私達西遊旅行社グループ44人だけとなり、開放感からか次第に冗談まじりの中国批判となったのですが、予定の時間を過ぎてもここ北京から搭乗する人も乗り込んでくる気配も飛び立つ気配が全くなく不安となりました。誰かが、盗聴されていて中国の悪口を言ったために管制塔から離陸の指示が出ないのではないかときつい冗談を言ったために急に機内はシーンとなってしまいました。結局3時間の機内待機の後無事に北京を飛び立つことができました。

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成田には北京での遅れを取り戻すくらい順調に着陸しました。出国手続きを終え、預けたスーツケースなどが出てくるのを待っている時間は、ツアーで一緒だった人達と別れを惜しんだり、再会を願ったりとした安堵の時間帯でした。

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最寄り駅までのリムジンバスを待っている時間帯は、帰国して自宅に戻るという実感を最も強く感じた瞬間でした。風呂に入ってビールを飲んで、寿司を食べたい、ラーメンも、家族や会社スタッフ達、ご近所さん達どうしているかな等々・・・。

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みなとみらいに到着するともう気分はすっかり現実に引き戻され、人波に揉まれながら、少しずつ現状復帰するのでした。

11日間の旅でしたが、いつものことながら長いような短いような。ヒマラヤのトレッキングのように大自然の中に自分の足で踏み込んだわけではなく、同じ大自然でもポリスにガードされながら、カラコルムハイウェイを疾走しカラコルム山脈の奥深くに入り込み、村々を訪ね、人々の生活にも触れてきましたので、それほどの “浦島太郎的気分” にはなりませんでした。最後は慌ただしい帰国となりましたが、楽しく、面白く、素晴らしい経験をたくさんすることができました。パキスタンについて持っていたイメージとは全く異なる見聞ができ、旅の素晴らしさを実感しました。

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2018年5月 9日 (水)

回想:最後の桃源郷 39イスラマバード・最後の晩餐

4/14(日)、早朝ペシャムを出発して18時にイスラマバード市内に入り、パキスタンでの最後の晩餐となりました。 

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イスラマバード市内に入ると巨大なモスクがありました。

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最後のお土産などの買い物のため大型スーパーに寄りました。

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とても屈強そうなおじさんが出口をガードしていました。実物の銃を持っているところがリアルです。カメラを向けたら怒られるか銃を向けられるかおっかなびっくりだったのですが、ちゃんとカメラ目線になってくれました。

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支払はドルが使えると聞いていたのですが、レジでは使えないとわかって皆焦っていました。すかさず添乗員の吉田さんが助け船を出してくれました。

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イスラマバード中心部には西遊旅行社の直営オフィスとレストランがあり、ここで最後の食事となりました。レストランの隣では何を焼いているのかとても美味しそうな匂いと煙が漂っていました。

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直営レストランの店内は先客がいて賑やかでした。先客は成田から一緒で途中別行動をとった西遊旅行社のトレッキングチーム20名でした。このチームとはここから成田まで一緒でした。

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席について、何はともあれ大変お世話になったMさんと乾杯(もちろん闇ビール)しました。Mさんとは抽選でよく一緒のバスになり、お腹の調子を壊した時には席を替わってくれたりお世話になりました。この人も世界中の秘境を歩いている人で、次はインドの最奥地ラダックへ行くとか。

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旅を無事に終えた安堵感で、あちこちで乾杯しました。この女性の皆さんも世界中の秘境を歩いていて、いやはや日本女性は逞しい。特にパキスタンでのトイレ事情は厳しかったのに乗り越えてきました。

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料理はパキスタン北西部のペシャーワル料理で、下味がついたお米の上に肉や魚介類、野菜などをおいて蒸したものでとても食べやすく、お腹の調子も戻ったために美味しくいただきました。

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肉や野菜、豆腐などを炒めて甘辛いあんかけ風・中華丼風にした料理も好評でした。

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久しぶりのスイーツも美味しくいただきました。

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添乗員の村田さんから現地スタッフの紹介がありました。肝っ玉姉ちゃんの吉田さんは現地スタッフからも一目置かれていて、サリーヌさんをはじめ大の男が吉田さんの前ではかしこまってしまいました。それだけ頼りがいのある人でした。

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現地ガイドのサリーヌさんと助手のウスマンさん(中国語はできるのですが日本語は話せません)からのスピーチがありました。サリーヌさんからは「パキスタンが危険というイメージだけが一人歩きしていて、良さがわかってもらえないのが残念」というスピーチがあり、その気持ちはよくわかりました。

パキスタンの美味しい料理と闇ビールに満足して、22:50発の飛行機に乗るために慌ただしくレストランを後にしました。現地ガイドさんには大変お世話になり、何日間も苦楽をともにしましたので、いつものことながら別れは辛いものです。

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2018年5月 7日 (月)

回想:最後の桃源郷 38ガンダーラ美術

4/14(日)、今回のツアーで最後の観光は、仏教遺跡群タキシラを訪れ、ガンダーラ仏教や美術に触れることができました。

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先ず立ち寄ったのがかつてのガンダーラ国の首都ペシャーワルにある「ペシャーワル博物館」を訪ねました。ここにはガンダーラ美術に関して質量共に最も充実しているとのことでした。しかし残念ながら原則(警備員に袖の下を使えば原則はなくなるとのことでした)撮影は禁止でした。緑の濃さがとても印象的でした。

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博物館の庭で寛いでいたファミリーは、インド人に見えたのですがパキスタン南部の人達のようでした。なるほど男性だけではなく女性もまるまると太っていて、幸せ太りを絵に描いたようでした。

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博物館の入り口の売店のお兄ちゃん達はじーっとこちらを見ていました。不思議なことに不愉快になることはなく、ついこちらも笑いかけたり手をふったりしてしまいそうになりました。日本ではこれほどじーっと見つめることや見つめられることはありません。

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ジョウリアン僧院址には遺跡がたくさん残っていて、そこでは遺跡群は金網の中で厳重に管理されていて、私達が行くと番人のおじいさんが金網のカギを開けてくれました。以前は金網はなかったのですが、中国人観光客が増えて仏像の頭などが随分盗まれたために金網を設けたそうです。

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仏像やレリーフなどの欠落部分は痛々しいものでしたが、それぞれ素晴らしい表情をしていて、ガンダーラ仏教の神髄に触れたようで、とても充実した一時でした。

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遺跡を仕切っていた金網から外に出てくると3人のおじさん達がいました。誰もがにこやかで穏やかで、イスラムの戒律厳しく、危険なパキスタンというイメージがここでも覆させられました。どうしてこんなに人のよさそうな人がいるのに危険な国になってしまうのか不思議であると同時に残念でもありました。

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最後に都城趾を訪れました。イタリアのポンペイほど生々しくはなく、ここで青い空を悠々と流れてゆく白い雲を見ていると、癒されるような、気持ちがゆったりと開放されるようでした。それはガンダーラというかつての仏教の聖地であったことに由来するのかもしれません。

最後に訪れたガンダーラの中心地ペシャーワルは、 “ガンダーラ” という名前からあるいはミュージックグループのゴダイゴから何となく憧れていたイメージを納得させてくれるものでした。シルクロードの一部をなすフンザ地域やここペシャーワルはガンダーラ国が栄えた時代や楼蘭の時代にタイムスリップしたようでした。

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2018年5月 5日 (土)

回想:最後の桃源郷 37デコトラコレクション

4/14(日)、首都イスラマバードへ向けての移動は次第に市街地に入りました。

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大きな街に入って大きなモスクが見えました。

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たくさんの人が集まっていて、選挙が近く、選挙演説を聞きに集まった人達とのことでした。そういえば外国に亡命していたムシャラフ前大統領が帰国し、世情が物騒になったという噂を聞いたことがありました。パキスタン北部はムシャラフ氏のシンパが多いとのことでした。

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街で見つけた三輪車はアイスクリーム売りだそうで、頻繁に見かけるようになりました。

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私達はたくさんのパトカーによってガードされたのですが、最も可愛かったパトカーで、乗っているポリスも若く愛想がよくて大丈夫かと思ってしまいました!

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街中でほとんど女性を見かけることはなく、たまに見かけた女性達は完全に顔を隠していました。都市部ほどイスラムの戒律は厳しいようでした。

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デコトラのコレクション、見事なものでした。まさかパキスタンのトラックがこんなに楽しいとは思いませんでした。日本のトラック野郎も顔負けです。新たな見聞はその国に行ってみなければわからずこれも旅の楽しみかもしれません。

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私達を最後にガードしてくれたポリスと。最初はニコニコしていたのですが、シャッターを切る時ちょっと渋くニヒルな顔をしました。

イスラム教の教義では、10歳を過ぎる頃女性は人前に出てはいけないことになっているそうです。そんな女性が可哀相という声もあるのですが、その戒律をいいことに家の中に籠もってゴロゴロしておやつを食べたりしているので30代になる頃にはブクブクと太ってしまう女性が多いとのことでした。

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2018年5月 3日 (木)

回想:最後の桃源郷 36ポリスサービス

20134/14(日)、首都イスラマバードへ向けての最後の移動日でした。

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パキスタンでの最後に宿泊したホテルはいわば国民宿舎のような宿泊施設で変わったつくりでしたが、広々としていて開放感があり寛ぐことができぐっすり眠れました。不調だったお腹の調子も少し落ち着きました。

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出発の朝、ホテルのロビーで恰幅のいいガードマン風の男の人がいて、よくよく見ると銃を持っていましたのでポリスのようで、出発する時には車に乗り込んできました。ポリスかセキュリティ会社の人か。

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首都イスラマバードに近づいているせいか検問が厳しくなりましたが、私達の車にはポリスが乗り込んでいますのでスムーズに通過できました。

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ある村を通りかかった時、谷間のこちらとあちらをかなりのスピードで行き来する宙づりロープウェイが活躍していました。ネパールやチベットでもよく見られた風景でした。 

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先導してくれたパトカーは、私達が休憩すると快くつき合って駐車して待っていてくれ、動き出すとまた先導してくれました。大きなお得意さんである日本人がテロに遭ったら大変だという心意気が伝わってきました。

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先導してくれたパトカーは、私達が休憩すると快くつき合って駐車して待っていてくれ、動き出すとまた先導してくれました。大きなお得意さんである日本人がテロに遭ったら大変だという心意気が伝わってきました。

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村を通過するたびに何台ものパトカーが入れ替わりました。パトカーが次の村に到着するとスーッと脇道に待避し、すると新しいパトカーがスーッと私達の車の前に出て先導するといういわばリレー式警備は駅伝のようでなかなか格好良く、見応えがありました。

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休憩する時は、警備のポリスも一緒にお茶したり、日本の警察とはかなり趣が違っていました。

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長距離ドライブでの休憩はホッとする瞬間で、その休憩所がのんびりした場所であればとても寛ぐことができ、日本の田舎を思い出しました。

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傍らを牛がのんびり歩いていてすっかり寛ぎモードになった田園風景でした。

イスラムバードに近づくにつれポリスの警護も厳重になったような気がしました。最初は堅苦しく鬱陶しく感じたものですが、次第に打ち解けた雰囲気になり、特に渋滞ヵ所ではパトカーの先導により優先的に通行できたりするとすっかりありがたいサービスと感じられるようになりました。これは大量のツアー客をパキスタンに送り込んでいる西遊旅行社だからなのか、どんな小さなツアーでも同様にガードされるものなのか不明でしたが。

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2018年5月 1日 (火)

回想:最後の桃源郷 35カレーでダウン

4/12(金)、カラコルムハイウェイの工事による道路封鎖の後、一路この日の宿泊地チラスを目指しました。

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途中、ヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、ヒンドゥークシュ山脈が一点に集まる三大山脈の合流ポイントがありました。3つの大山脈がここで終わりここで始まっている珍しいポイントです。中央奥のヒマラヤ山脈はエベレストに続き、K2を擁するカラコルム山脈は左手前になだらかな勾配となってここで終わっています。感慨深い風景でした。

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昼食はカラコルムハイウェイ沿いにあるドライバーに人気のお食事処に入りました。カレー当番のおじさんはかなり格好をつけてパフォーマンス風で、カレーが美味しそうに見えました。

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ナン焼当番のおじさんはヨガ風で、カメラを向けると一層力が入ったようで、これも美味しそうに見えました。

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ウェイターさん達はイケメンで、かなり力が入っていて、自信満々という感じで、さすがにガイドのサリーヌさんお勧めのことはあるディープな印象がしました。

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芝生が植えられた庭にカーペットを敷いて急拵えのテーブルが準備されました。

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料理は、ナンとカレーと豆を煮たものでいたってシンプルでした。

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見た目はシンプルでしたが、味は味わい深く、カレーもナンも食べ過ぎてしまいました。ワイルドでディープで美味しくて、なるほど街道を走るドライバーに人気の店であることがわかりました。コックさんの自宅の庭でのおもてなしと共に印象に残った昼食でした。

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昼食も済ませ、車は何ヶ所かでポリスチェックを受けながらひたすらチラス目指して走り続けました。

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19:19 宿泊先のチラスのホテルに到着しました。このTOYOTA車は本当によく走りました。カリマバードを8:00に出発して、途中工事渋滞を初体験し、三大山脈の合流地点などを見たり、長かった移動の一日が終わりました。

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一夜明けて4/13(土) 首都イスラマバードへ向けての移動の一日でした。インダス川沿いの道を下る途中、シャティアールという街にある古い岩絵を見学に立ち寄りました。実は、ついにお腹をやられ苦難の一日が始まりました。朝起きた時におかしいと思い、その後頻繁なトイレ通いとなりました。前日のディープなカレーかも。岩絵の説明は耳に入らず、無意識のうちに飛び込める岩陰ばかりを探すようになっていました。

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バスの揺れはお腹にかなりこたえバスの中でカメラを構える気にもなれずグッタリとしていましたが、先導してくれたパトカーやポリスは見ているだけで珍しく面白く、腹の苦痛を忘れさせてくれました。“OYOTA”という不思議なミニパトには思わず笑ってしまいました。

ヒマラヤに4回行って、ラウンドアンナプルナでトロンパス(5,416m)を越える直前に一度だけ体験したのですが、あまり壊すことがなかったお腹の不調にはまいりました。特にデコボコ道の縦揺れは落ち着かないものでしたが、幸いなことに途中ストップしてもらうことはなく、なんとか無事に最後の宿泊地ペシャムに到着しました。何もする気になれず、ただグッタリとしていた一日でした。

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