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2018年7月 7日 (土)

回想チベット大縦断 13ラサ市 ポタラ宮

9/16(月)の午前中、ラサ市観光のハイライト、ポタラ宮を訪れました。チベット自治区で最も有名で一度は訪れてみたいと思っていたスポットでした。

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深いブルーの青空を背に、ポタラ宮は聳え立っていました。何回も映像や画像で見た建物の本物が目の前にあり、あまりにも美しく絵葉書のようであり、何ともいえない感慨を覚えました。それとともにかつてのここの主は今はここにいないという喪失感も同じくらい大きなものでした。

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多くの観光客が列をなしていて、その入場料がかなり高いこと、見学時間は1時間くらいと決められていて時間オーバーすると現地ガイドさんにとっては大変なことになること、ここに入るにもパスポート提示が必要なこと、ここでもいろいろ考えてしまいました。

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チェックインをすませていよいよ見学となしましたが、石段が延々と続き、ラサ市の標高自体が3,650mと高く、富士山の9合目から頂上を目指すような息苦しさを感じました。

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ようやく最上階の建物にたどり着きました。ポタラ宮全体で何部屋あるか、ダライ・ラマ14世もわからなかったくらいたくさんの部屋があるそうです。

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建物の中は撮影禁止でしたので、ここでも「写真集」から転載させて頂きました。画像は歴代ダライ・ラマの柩の一つです。歴代ダライ・ラマの遺体はミイラとなり柩に納められているそうです。その柩は例えば2,000個のダイヤや黄金で飾られているものもあるそうです。柩に限らず、歴代ダライ・ラマの居住空間はそのまま残され、またさまざまなものも保存されています。主は住んでおらず、建物だけが残されているただの建物かと思っていたのですが、実は建物内に保存されているものは外見の建物以上に何千倍も価値がある宝物殿ともいえるものでした。

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制限時間内に見学を終えようと多生焦り気味の漢族ガイド任さんに率いられて見学を終えると、眼下にはラサ市街が広がっていました。ここで思い出すのが若い頃のダライ・ラマとチベットを訪れたドイツ人登山家との交流を描いた「セブン・イヤーズ・イン・チベット」のワンシーンでした。好奇心旺盛な14才のダライ・ラマ14世が望遠鏡でラサの街をのぞき見るシーンでした。今インドに亡命中のダライ・ラマ14世もこの街の風景を何回も何回も見たことでしょう。

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上の画像はホテルの売店で購入した絵はがきで、下の画像は今回撮ったものです。二つの画像を見比べていただきますと、大きな違いがあります。私が立っている場所はかつては池でしたが、中国侵攻に伴って池は埋められて広場となりました。

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(画像は写真集より転載) そして、写真に写った広場に立つ私の目線の先には大きな石碑があり、「チベット開放の記念碑」というそうで、かつての中国最高指導者江沢民の名前も刻まれているとも。チベット侵略のシンボルです。

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昼間のポタラ宮見物を終え、夕食後再びライトアップされたポタラ宮見物に出かけました。ホテルからポタラ宮前の広場まで3台のタクシーに分乗して出かけたのですが、タクシー降車場所についての打合せが不徹底だったために添乗員の田村さんとなかなか合流できず、携帯などの連絡手段もなく慌てたのですが、30分くらい時間をロスして合流できました。夜10時過ぎに広場からホテルまでラサのめぬき通りを急ぎ足で歩き、結果としてかなりの高度順応効果が得られたのではないかと思い、いい思い出となりました。前日と違ってあまり息苦しさを感じることなく眠ることができました。 

中国の観光資源とされてしまったポタラ宮見物は予想どおりいろいろ考えさせられました。ポタラ宮の外観以上に内部は大変な宝の山であることに行って初めて気が付きました。

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