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2018年8月30日 (木)

回想チベット大縦断 31ネパール入国

9/22(日)の昼前に何事もなく無事に中国を出国しネパールに入国しました。

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ネパール側の道も中国側と同じくらい細い道にたくさんの車がひしめいていました。

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専用バスに乗り込み、車内は中国を出国した安堵感と開放感に包まれ、ネパール人の現地ガイドさんの冗談で笑いの渦でした。

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とりあえずノドの渇きを癒そうとお茶しました。ネパール茶(ティー)を飲むとネパールに来たなあ!と、とても落ち着いた気分になりした。

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国境を背に街へと向かうネパール側の山道は細くデコボコでした。チベットの天空にまで舗装道路をつくってしまう中国との国力の違いは歴然としていますが、ネパールに入ったとたん開放的な雰囲気が漂っていてこの違いは何なのでしょうか。

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ホコリっぽく、雑然とした喧騒の街中はまぎれもなくネパールそのものでした。これで何回目とかなる懐かしいネパールでした。

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山道沿いの涼しい風が吹き抜ける片田舎のレストランで昼食をとりました。早速ビールで乾杯しました。旨かった。

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料理はビュッフェ形式で好きなだけ盛り付けることができました。馴染みのあるカレーの味や鶏の唐揚げでビールがすすみました。

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店の女主人と幼い子ののどかな風景で、気持ちが和みました。食卓に子どもを乗せてしまうのがペパールらしくもありますが。

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“山形の鉄人” はビールをたっぷり飲んで茹でたカニのように真っ赤になっていて“カニカニポーズ”ですっかりご機嫌でした。

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店の外にあるトイレは粗末でしたが、どんなに粗末でも個室でドアがあることが何より落ち着きました。中国ではほとんどが有料であるにもかかわらず“全面開放型ニーハオトイレ”でしたのでなかなか落ち着くことができませんでした。

ネパールに入ったとたんに空気がガラリと変わりました。4度目のネパールということもあるかもしれませんが、道は悪路で、街はホコリっぽいのに空気は軟らかく和やかでした。

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2018年8月27日 (月)

回想チベット大縦断 30国境越え

9/22(日)は、待ちに待ったというかついにというか中国からの出国手続きに向かいました。以前からブログで中国批判していましたので、何も悪いことをしていないのにかなり緊張しました。

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私たちが泊まったホテルをちょっと下った先には税関関係の建物があるので絶対に立ち入らないように、写真も撮らないようにという注意がありましたが、専用バスで出発の時ちょっとだけ写真を撮りました。

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バスで出発して間もなく、国境の町を振り返って見ました。山肌を削り取ったクネクネとした細い道にそって山肌にへばりつくように建物が建てられていることがわかりました。香港の一風景でもあるようでした。

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宿泊したホテル街から実際の国境までは約20分くらい細い道を下りました。車がかろうじてすれ違うことができるくらい狭い道で、大型トラックは待避スペースがなければすれ違うことができないような狭い道で、どういうわけか路上には何百台といえるくらい多くの大型トラックが頭をネパール側に向けて駐車していました。頭の向きからみて国境を越えてネパールに向かうと思われるのですが、一方ネパール側からも中国に入ってくる車があるはずで、どうやってこの細い道を往来するのか不思議でした。この問題は私たち一行の頭をず~~~っと悩ませました。

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国境の税関前に着きました。出国審査は厳しく一人一人スーツケースやリュックを開けられ、厳重にチェックされるのでとても時間がかかるということで私たちは早朝出発し、バスを降りるやいなや素早く税関のある建物前に並びました。

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税関のある建物前の広場からは谷川にかかる “中ネ友好橋” という国境の橋が見えました。橋を渡った向こうはネパールで、橋の上には中国側に頭を向けている大型トラックが並んでいて、やはりネパールから中国側に入るようで、どうやって大量の大型トラック同士がすれ違うのかという疑問がさらに大きくなりました。

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ネパール側の川沿いには大量の大型トラックが待機していて、さらにさらに私たちの疑問は大きくなるばかりでした。 

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お世話になった現地ガイドさん達とここでお別れでした。ガイドさん達は次の仕事のためにこの日のうちにラサまで戻るということでした。私たちは他の車が動き出す前に早朝出発しましたのでホテルから税関前までスムースに移動できましたが、ガイドさん達は早く戻らないと大型トラックが路上駐車している片側がふさがれている道で対向車が来たらすれ違うことができず大変時間がかかるので早く戻ったらと言ったのですが、“大丈夫何とかなるから” と悠然としていました。実際には出国手続きが終わるまでガイドさん達がそばに付き添ってくれたために大変助かりました。 

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私たちは早朝出発したおかげで、税関前の建物に二番目のグループとして並ぶことができました。一番目のグループは10人くらいのヨーロッパ人でした。私たちの後にはたくさんの人たちの行列ができていて、10mくらい後では1時間くらいかかり、さらにその後ではお昼くらいになるとのことでした。国境は9:30にオープンと聞いていたのですが、職員がちっとも姿を現さず、結局45分待たされてようやく入国審査が始まりました。その間、入国審査は厳しく全てのバッグは開けられ、本やCDは没収されるケースがあったり、気まぐれでケチをつけられることもあるなどと聞いていましたので、神経はピリピリしていました。

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中国からの出国審査は意外にスムースで、10:40分には私たち全員が中国を出国できました。ネパール側にはネパール人のガイドさんやポーターさん達が待っていてくれ、ホッとしました。まるで難民になって、ようやく難民キャンプに駆け込んだような心境でした。

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ネパール側の入国審査はあっという間にネパール人ガイドさん達がすませてくれましたので、私たちは立ち止まることもなくネパール側の専用バスに向かいました。

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何人かのネパールの女性達が私たちのスーツケースをバスまで運んでくれました。私のスーツケースも若い女性が運んでくれていました。入国審査といい、スーツケース運びといい非常にスムースであっという間のできごとで、中国からの出国にピリピリしていましたので、拍子抜けしてしまいました。 

私たちの頭を悩ましていた国境付近の細い道に路上待機していた溢れんばかりの大型トラックの往来については結局回答は得られませんでした。添乗員の田村さんの “チベットやネパールの人は日本人とは発想が違うから” というわかったようなわからないような一言でケリがついたような気分になりましたし、何はともあれ最も緊張した中国からネパールへの国境越えが非常にスムースにいったために、大型トラックすれ違い問題はどうでもよくなりました。 

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2018年8月24日 (金)

回想チベット大縦断 29国境の町

9/21(土)は、国境の町ザンムー(標高2,350m)に到着しここで宿泊、翌日の国境越えに備えました。

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宿泊したホテルは、あたりまえですが中国系のシティホテルでした。ここ数日高地のロッジに泊まっていましたので、下界に降りてきたんだなあということを実感しました。

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部屋はシンプルで快適そうでしたが、照明器具の配線がおかしくてしかし面倒なので修理しなくてもいいと言ったのに外出して戻ってくると勝手に部屋に入って修理していたのでびっくりしました。海外ではどこでもそうですが、特に中国国内のホテルでは部屋に貴重品は置いておくことはできません。

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公安のパトカーが町を巡回していました。

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渓谷沿いの道は狭い道でしたが、ホテルやレストランや商店が並んでいるこの辺りは道幅も少し広くなっていました。しかし両脇に路上駐車の車があり、車が通行できる部分は一車線分で、そのスペースを車はうまくすり抜けていました。 

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夕食は、ホテルのすぐ近くの中華料理店に入りました。食事前に散歩に出たときにはにわか雨が降ってきたために慌てて戻りました。そのせいでしょうか人通りが少なくなっていました。

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ほぼ1週間ぶりのビールでした。何はともあれ乾杯そして乾杯でした。添乗員の田村さんは何日目からかは記憶がないのですが、声のでかい中国人に負けじと張り切ったためかすっかりノドをやられてかすれてしまいました。しかしだいぶ調子はよくなってきたようで、この日は一生懸命アルコール消毒していました。隣のMさんとY御姐にはツアー中も帰国後も大変お世話になりました。ここまでの無事を祝しての美味しい乾杯でした。

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料理は今までずっと食べてきた中華料理で、久しぶりの焼きそばがでて美味しそうだったのですが何故だか見た目ほど美味しくはなくちょっとがっかりしました。

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一番美味しかったのが西遊旅行社定番の “てづくりちらし寿司” で、お代わりをしてしまいました。パキスタンツアー(フンザ)の時も最後の日に添乗員さんがちらし寿司を作ってくれました。

久しぶりのビールをたくさん飲んで気分よくホテルに戻ったのですが、カードキーが不調というトラブルが発生しました。添乗員の田村さんが新しいカードをリクエストしたのですが、女性マネージャーはガンとして要求を拒否し、田村さんもさらに激高して英語でまくし立てたのですが、それでも女性マネージャーは譲りませんでした。結局私が翌日のチェックアウトまで外出しないことにしました。そのために翌日の朝食も部屋にこもって携行食で済ませるということになりました。ヤレヤレでした。これが中国でした。  

チョモランマB.Cでも、チョモランマを見た後に指定のバスで戻るときにチベット族の才さんがバスに乗せてもらえないということになり、漢民族の任さんがたった一人くらいいいではないかというようなことを言って運転手に抗議していたのですが絶対に譲ってもらえませんでした。中国人は一度言い出したら絶対に態度を変えないようで、柔軟性に欠けるようです。それとも袖の下が必要だったのでしょうか。

ホテルの施設は都市ホテルレベルなのですが、部屋のキー、電気系統、シャワーなどの不調やその対応の仕方など見ていても、また今回のツアーでも時々感じていたのですが、中国人はシステムの運用が下手なのではないかと思ってしまいました。翌日は国境を越えて中国を脱出します。

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2018年8月22日 (水)

回想チベット大縦断 28国境へ

9/21(土)は、今回のツアー最後の峠「トン・ラ」(5,100m)から国境へ向けて高度を下げました。

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専用車が徐々に高度を下げるにつれて風景も変わってきました。深呼吸をあまり意識する必要もなくなり、車内はより一層賑やかになりました。 

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チベット自治区に入ってから気になっていたのが普通の民家に中国国旗が掲げられていることで、まるで国への忠誠心を表明する踏み絵のようでした。

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ニェラムの街の看板が見えてきて賑やかな街の雰囲気となり、国境に近づいているようでした。 

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国境までの中継地点のようで商店街がありました。標高は3,700mとだいぶ下ってきましたので商店街を散策してもあまり息は切れませんでした。

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見るからに街の中華ソバ屋という感じの店が昼食場所で、ラーメンの匂いが漂ってくるようないかにも旨そうな店構えでした。

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厨房を覗いてみると、店主だかコックさんがソバを打っていて、麺の固まりを両手で1回引っぱるごとに麺は細くなり、あっという間に細麺ができあがりました。凄技でした。

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名物の「牛肉拉麺」が出てきました。麺はラーメンとうどんの中間くらいの味わいで、しかし汁は美味しくいただきました。ラー油を入れすぎて(大失敗)しまい唇が腫れあがるような感じになりましたので完食はできませんでした。

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昼食後、専用バスは渓谷沿いのクネクネ道を国境に向かって快適に走りました。チベット高原の荒涼とした景色から森林限界を下り緑が多く見られるようになりました。

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山深く、緑濃い渓谷はチベットとネパールがヒマラヤ山系を境界として国境を接していることを実感させるものでした。渓谷の向こう側はもうネパールです。

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渓谷沿いのちょっとしたスペースに大型トラックが集結していました。立錐の余地がなしまいましたいという表現ピッタリに大型トラックがびっしり肩を寄せ合っていて、どうやって移動するのだろうと頭を傾げて。

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渓谷沿いの細い山道をクネクネと下ると、そのまま国境の町に着きました。お土産屋や両替屋が軒を並べる道はかろうじて路上駐車ができるほどには道幅は広くなっていました。

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下ってきた道沿いにホテルはあり、もっと広々とした広場か何かがあってそういう広場に面して流通センターやホテルなどがあるものと勝手に想像していましたので、狭い道そのままのところにホテルがあることが意外でした。

5,000mを超える峠から標高2,350mの国境の町に下りました。国境の町は、ずっと辿ってきた細い道そのままでお土産物屋などが軒を連ねていて狭く、大型トラックが集結したりしていて、この狭い国境の道をどうやって行き来するのだろうかと思ってしまいました。

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2018年8月18日 (土)

回想チベット大縦断 27最後の峠

9/21(土)は、中ネ公路の山岳ドライブを楽しみながら今回のツアー最後の峠「トン・ラ」に到着し、高地の風景を堪能しました。

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私たちのバスは、トン・ラ(峠:5,100m)に向かってぐんぐん標高を上げていき、高原を眼下に眺めるようになり、雲もぐんぐん下がっていきました。

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はるかかなたのヒマラヤに吸い込まれてゆくような舗装道路。

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日本の道路公団にあたる組織の事務所だそうです。

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今回のツアーで何回目かになる標高5,000mで、もう慣れたといっても油断は禁物です。深呼吸を怠ると体内の血中酸素は80%以下ですので、そのまま長時間いると確実に高山病になります。

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標高5,000m360度の広角地平線を眺めるとは思いませんでした。地平線の先には雲があり、空は見上げる角度を上げるほど碧さを増していき、地球の屋根に立っているような感じでした。今回のツアーでも比較的気に入っている写真です。ここはトイレがなく豪快な青空トイレでした。しかし他にも観光客が来ていましたので、女性の皆さんは大変で、傘を手にかなり遠くまで遠征していました。空気が薄いところでお疲れ様でした。

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人が行くところどこにでもお土産物屋があり、逞しいものです。私もここでは何点か記念のお土産を買いました。

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最後の峠から先は国境の町へ向けて3,000m近くの下りとなりました。車はゴッツンゴッツンと車体を地面や石にぶつけながら快走・怪走しました。

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山肌には例によって標語が刻まれていました。山肌をよじ登って、山肌にへばりつくようにして刻み込む様子を想像すると国のためとはいえご苦労なことです。

オールドティンリー(4,300m)からトン・ラ(5,100m)を走り抜ける中ネ公路は豪快な景観を楽しむことができた山岳ドライブでした。標高5,000mの高地に開けた地平線はとても印象深いものでした。

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2018年8月15日 (水)

回想チベット大縦断 26中ネ公路快走

9/21(土)は、朝オールドティンリーでチョモランマやチョー・オユーを見て、快晴の空の下、雪を頂いたヒマラヤの峰々を眺めながら中ネ公路を快走しました。

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標高が5,000m以下の山は茶褐色で、標6,000m7,000m以上の山は雪を被っているヒマラヤの風景を見ながら、専用バスは舗装された中ネ公路を走りました。

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やがて頭一つ抜きでたシシャパンマ(8,027m)が白く輝いて、車の移動につれて姿を変えていました。このシシャパンマは8,000m以上の14座のうちで14番目に高い山で完全に中国領内(チベット)にあり、8,000m峰の中では最も最後に登頂された山です。シシャパンマはチベット語で “牛も羊も死に絶えて、麦も枯れる地方” という意味だそうです。

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ある街で、車を降りて街を少し歩いたとき、羊か牛か(記憶が定かではありません)に囲まれ、添乗員の田村さんが呆然としていました。

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私たちを乗せた専用車は走り続け、平原にテントを張ってある場所を通りました。そういえばこういう風景は初めてで、やはりかなりチベットの奥地に入り込んでいることを実感しました。

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青空に雲が一つだけ浮かんでいる風景はとてものどかで平和的でした。この平原も標高は4,000mを超えていて、チベットはだだっ広い高原大地で、その上にヒマラヤを頂いていることがわかります。 

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時々この幹線道路脇に灰色の壁や建物が集まる集落が現れ、大地の灰色と同じ色をしていて、廃墟のようにも見えました。地方の役所か学校か中心的な建物には中国国旗が飾られていて、廃墟ではないと主張しているようでもありました。

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幹線道路脇だけではなく、遠くに見える小山(といっても標高は5,000mを超えているはず)の麓にも集落が見られました。きっと中ネ公路が開通する前からの集落で、強いヒマラヤに吹きつける風を避け、水が利用できる場所に人が集まったものと思われました。

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時々本当に廃墟ではないかと思われる遺跡のようなものが現れました。これは以前人が住んでいた場所で、チベットのこの辺りは住まいや建物が古くなっても修理するとかリフォームすることはなく、古い建物は捨てて新しい場所に新たな住まいなどを建てるそうです。

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放牧で移動中の群にも時々出会いました。群を引き連れていたのは少女で、ゆとりの表情で手を振っていました。堂々として一人前の大人として働いている誇りのようなものや大地に足をつけて生きている強さが感じられ、不思議な安堵感がありました。

このツアーのタイトル “チベット大縦断” に相応しい風景とドライブを楽しめた中ネ公路でした。中ネ公路は上海からネパール国境まで5,476mの中国最長の国道です。

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2018年8月12日 (日)

回想チベット大縦断 25オールドティンリー滞在

9/20(金)はチョモランマを見て満足し、オールドティンリーで宿泊して長距離の山岳ドライブで疲れ切った体を休めました。

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今回のツアーで標高が最も高い場所での宿泊となりました。設備も最も粗末で、寒さも最も寒いという事前の説明がありましたが、トイレが室内にあれば天国ですし、かなり寒いと覚悟してきましたので実際にはそれほどの寒さを感じませんでした。エベレスト街道のロッジではペットボトルを寝袋に入れておかないと凍ってしまうこともありましたのでそれを思えば楽なものでした。

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就寝前に血中酸素を計り、深呼吸を何回かして十分に体内に酸素を送り込んでからベッドに潜り込みました。浅い呼吸の血中酸素濃度は79%ですが、深呼吸を心がければ平地と同じ95%になります。しばらく深い呼吸を心がければもう息苦しさを感じることもなく、翌日からは一気に高度が下るだけでしたので安心して熟睡することができました。

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添乗員の田村さんのドアノックとモーニングコールの声で目覚め、表に出てみると朝雲に朝日が映えていました。朝雲はどんどんと西の方向に流れていました。

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“チョモランマとチョー・オユーが見えてるよ” という誰かの声に誘われて、カメラ片手に宿舎前の小高い堤防の道を上ると、左からチョモランマ(8,848m)、ギャチュンカン(7,952m)、チョー・オユー(8,201m)がそろい踏みでした。(写真ではチョモランマは前日間近に見ましたので省略しました。) 

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特にチョー・オユーは、私にとってはネパール側のヒマラヤではなかなかお目にかかれなかった幻の山でしたので、ズームで迫ってみました。

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ツアーの日程が進むにつれて “サブ添乗員”的な本領を発揮し始めたY御姐、京都出身東京在住で関西弁と関東弁を操りながら、ホテルに到着すればいち早く皆さんのパスポートを集め、終盤になるとさっさとメンバーの住所録をつくり、関西でツアー同窓会(蛸を食う会)があれば飛んで行きと東奔西走の活躍で、帰国後もメンバーのコーディネーターとして頑張ってくれています。おかげで仲間達は今までのツアーにはない結集的まとまりをみせています。寒い朝の撮影で、私が震えているそばでゆとりの防寒着を着ていました。さすがに旅慣れています。ネパールやインドの奥地、イランなど世界中の秘境・辺境を歩き廻っています。 

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宿舎の前には、出発の準備ができた仲間達が三々五々集まっていました。天気はいいし、これから先はネパールとの国境に向けてひたすら高度を下げる旅となりますので皆さんの表情も晴々としていました。 

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宿舎の片隅では孫かひ孫かを抱いているおばあちゃんが日向ぼっこをしていました。膝の上に抱かれている幼児は、これからヒマラヤを見ながら大きくなっていくわけで、ここで生まれたというのはそれが運命なんだなあと思ってしまいました。 

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私たちのスーツケースを運んでくれている荷物車。専用バスがぬかるみにはまってしまったときに、彼が上手に誘導して脱出のサポートしてくれたり、やはりもう一台伴走してくれているというのは心強ものでした。彼はなんとなく日本のお相撲さんのような風貌をしていて親しみを覚えました。

天気もいいし、この日も皆元気で、張り切って出発しました。

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2018年8月 9日 (木)

回想チベット大縦断 24オールドティンリーへ

9/20(金)の午後、青空の下にそびえ立つチョモランマの勇姿に満足して、揚々とした気分でこの日の宿泊地オールドティンリーへと向かいました。

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標高5,000m近くの大地の風景を見ながら再び来た道を引き返しました。だいぶ雲がでていました。

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のどかな集落の道をのどかな光景を楽しみながら、舗装されていないデコボコ道をバスに揺られました。

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茶褐色一色の荒涼とした風景。河の水は涸れ、雨期から乾期に季節は移っているようでした。

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再びのパン・ラ(峠:5,100m)目指して、ぐんぐんと高度を上げていきました。

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今朝4:30に起きだしてここに辿り着いたとき、残念ながら朝日も8,000m4座にもお目にかかれなかったのですが、この時(16:55)には、青空が見えるものの山々には雲がかかりやはり4座の頂上は見えませんでした。しかし既にチョモランマを間近に見てきましたので余裕で景観を楽しむことができました。

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峠からは一気の下りにかかりました。専用バスはデコボコ道を時々車体が岩を削る不気味な音を響かせながら怯むことなく、スピードを落とすことなく快走しました。“山形の鉄人”は、再び “車が故障したらヤバイよなあ” とつぶやいていました。

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デコボコの下り道から舗装された道に入りほっとしました。

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夕方7時近くにようやくオールドティンリーのロッジに到着しました。標高は4,390mと今回のツアーでは最も高地での宿泊となりました。

早朝4:30に起床して長い一日で、距離の長い悪路での移動でしたが念願のチョモランマを間近に見ることができ、最大の目的が達成されましたのであまり疲れは感じませんでした。

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2018年8月 6日 (月)

回想チベット大縦断 23チョモランマ

9/20(金)の12:06、雲一つない青空の下、チョモランマの全貌に対面することができました。

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ツアー仲間全員が無事に展望台に集うことができました。

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チョモランマは想像以上に穏やかで、頂上へ続く稜線はなだらかで、ちょっと頑張れば登れるかなと思えるほど優しげでした。カラパタールやシャンボチェのネパール側から見たエベレストは人を寄せつけない厳しさが感じられたのですが、目の前のチョモランマはおいでおいでしているようでもありました。

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しかしさすがに最後の頂上へのアタックは厳しそうでした。

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“山形の鉄人” とツーショット。念願叶った一瞬でしたが、こんなとき思いつく言葉もなく、また言葉にしてしまえば陳腐なセリフしか出てこないようで、ただ黙っているだけでした。沈黙は金・・・。

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チョモランマの頂から右側に下がっている稜線をさらに右の方向に目線を向けるとヒマラヤ襞のような白い壁が連なっていました。

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およそ30分くらいチョモランマの眺望を楽しんでいると、いつの間にか雲が少しずつ湧いてきました。高い山ですからあっという間にその姿は雲に隠れてしまうかもしれません。

添乗員の田村さんはこのコースは5回目とのことで、今までチョモランマの姿を見ることができなかったことは2回、雲に覆われていても何とか見えたことが2回で、今回のように雲一つない景観は初めてとのことでした。しかも展望台に30分いただけで既に雲が発生してきていて、もしかすると1時間くらい遅い時間帯にここに到着していたらその姿を見ることができなかったかもしれず、私たちはよほどラッキーだったようです。

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2018年8月 4日 (土)

回想チベット大縦断 22チョモランマB.C

9/20(金)、チョモランマB.C(エベレスト・ベースキャンプ)に向かう途中、その雄姿を目にして私たちはすっかり浮き足立ちました。雲が発生する前に一秒でも早くその全貌を眺めたいと。

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何の前触れもなく、専用バスがカーブを曲がったときに世界一高い頂がぽっかりと現れました。何の前触れもなく、専用バスがカーブを曲がったときに世界一高い頂がぽっかりと現れました。

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B.C(ベースキャンプ)手前の広場に到着するとチョモランマはすそ野を広げていてどっしりとしていました。

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広場からはB.C行きの専用に乗り換えました。

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ここでも自転車野郎の姿がありました。ここは標高5,000mですのでここでのサイクリングはかなり苦しいとは思うのですが、ヨーロッパアルプスのトレッキングでも富士山の頂上付近(お鉢巡りをしたとのことでした)でも見かけましたので、どこでも平気なようです。

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B.C行き専用車はゆっくりと走り、少しずつその雄姿は近づいてきました。ヒマラヤでは苦労しましたので、こんなに楽をしてチョモランマに近づけていいのかなと思ってしまいました。

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バスを降りると標高5,150mというB.Cの標識がありました。

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B.Cの標識の先には数十メートルの高さの展望台がありました。多少息切れしたものの一歩一歩の触感を味わうようにゆっくり上りました。ついに到着したB.Cは実にあっけないものでした。富士山頂について剣が峰への急坂を登るより遙かに楽でした。

雲一つなく、青空は広く広がっていて私たちを待っていてくれたかのようでした。もしネパール側からエベレストを見ようと思えば、例えばカラパタールの丘(5,545m)の手前までエベレスト街道をトレッキングして8日間かかり、最後のカラパタールの丘は非常に厳しい登り(私は100m手前で撤退)が待っています。それがチベット側では車を乗り継いで、最後の数十メートルの上りは一歩一歩を楽しみながらですから天国と地獄のほどの違いでした。

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2018年8月 2日 (木)

丹沢登山紀 23回目 夏山トレーニング

7/10(金) 一週間ぶりに72回目の丹沢登山に出かけました。相変わらず、暑い日が続いていました。 

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ウンザリするほどの蒸し暑さの日が続いているのですが、山歩きが好きな人は暑さも何のそのというようです。知り合った年輩の常連さんは、どんなに暑くても山登りをしていた方が体調はいいのでほぼ連日登っているとのこと。私とは年期の入り方が違います。

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身支度を整えて歩き始めた登山口から見た空は真っ青でした。気持ちいいほど晴れあがっているのですが、その分暑さは半端ではありませんでした。

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登るにつれて、時間の経過と共に青空を背景に真っ白い夏の雲が強風であちこちに流されていました。

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最も辛いと感じる急斜面、地元の常連さんについて行くのは大変でした。

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急坂を登りきった花立山荘までは2時間半くらいなのですが、途中で何回も水分補給をしたり汗を拭ったりしていると、その時間もバカにならず2時間45分ぐらいかかりました。暑さにおかしくなったのか鹿が逃げもせず目の前をうろついていました。

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山頂までは残り30分くらいなのですが、7、8月は急坂を登りきった花立山荘から引き返すことにしています。相模湾や真鶴半島を眺めながら下山しました。

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下山しながら花を見つけるのが楽しみとなりました。この花はコウゾリナ。夏の夜空に浮かぶ花火のようです。

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これはキキョウ科の一種のホタルブクロ。名前の由来は、子どもが花に螢を入れて遊んだという節、花の姿から提灯の昔の呼び名である火垂(ほたる)に見立てたという説があります。 

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7月も上旬から中旬、そして下旬へと日が経過するのに呼応するかのように熱暑から酷暑へとじりじりと暑さが増していきました。あまりの暑さにさすがに登山に出かける気にはなれず、結局丹沢登山は7月は2回だけとなりました。さらに、雲海に取り囲まれた富士山を見て、もう一度登ってみたいという気持ちともういいかなという気持ちが交錯していたのですが、スッパリとあきらめました。

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折角の夏山シーズン、7/2830上高地へ行こうと新宿バスタ発上高地行きの深夜バスと山小屋を予約していたのですが、台風12号の直撃を受けバスが運行中止となり上高地にも行くことができなくなりました。アルプス1万尺のの別天地で、穂高連峰が暮れてゆく姿を見たかったのですが、残念です。

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