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2018年11月30日 (金)

遠くへ行きたい 02国東半島・真木大堂

11/13(火) 最初の目的地真木大堂に着きました。幻の寺といわれてもいて、その名の通りひっそりとしたお寺で他に人影は見られませんでした。 

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かろうじてお寺の姿をとどめる唯一の建物が江戸時代に建てられたこのお堂で、旧本堂と呼ばれています。参拝者や関係者からはかつて興隆を極めた伝乗寺(幻となったお寺)の姿に復元してほしいという声があがっているそうです。

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旧本堂にあがると、正面上部に「伝乗寺」と書かれた扁額が掲げられていました。阿形(あぎょう:右)と吽形(うんぎょう:左)の仁王像は、伝乗寺が興隆を誇っていた時代の守護仏でした。石彫が多い国東半島のでは珍しい木造です。仁王像の肩越しに菊花の紋章があり、これは700年前、鎌倉時代の蒙古来襲の際、異国降伏の大祈祷の恩賞として下賜されたものと伝えられています。

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敷地内には、伝乗寺の各堂宇に伝えられた仏像が各寺坊の衰退に伴って1ヶ所に集められた収蔵庫がありました。9体の国指定重要文化財の仏像が安置されている収蔵庫の中心には、真木大堂の本尊である木造阿弥陀如来坐像が配置され、周囲には仏教における4体の守護神・四天王像が立っています。

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右手奥には不動明王立像が見えます。足元には二つの童子が立っています。

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像高255cm寄木造りの不動明王。右眼を上、左眼を下に向けた天地眼と唇から上下に出した牙は忿怒相を表しているといわれます。右手に利剣を持ち、左手には分銅のついた羂索(けんさく)を持っています。木彫不動としては日本一の大きさともいわれています。

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阿弥陀如来座像の左手には、像高241cmの木造の大威徳明王像がありました。阿弥陀如来でもあり、西方を守護して、人々を害する毒蛇・悪竜や怨敵を制服する明王です。六面六臂六足の忿怒相(ふんぬそう)で、神の使いである白い水牛に跨っています。大威徳明王としては国内最大のもので、平安の華やかな国東半島の仏教文化を象徴する仏像といわれています。他に管理する人も観光客もいない一人きりで、じっくりと仏像を眺めることができて仏像好きの私としては幸せでした。

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収蔵庫で堂々たる仏像に対面して境内に出てみると、「馬城山伝乗寺大展望」という看板があり、六郷満山最大の寺院とも、また金比羅宮という文字も見えました。階段があり、脇には杖が置かれていました。頂上までの距離や時間の表示はどこにもありませんでした。

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興味津々で、行ってみることにしました。石段が続いていて両脇には真っ直ぐな樹が高く伸びていて、吉野山や高野山のようないい雰囲気でした。

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身体が汗ばむ頃鳥居が見えてきましたので、大展望までは大した道のりではないだろうと思ったのですが。 

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鳥居はいつの頃のものなのか。石造りですので木造のように朽ち果てるということはなさそうですが、かなり苔むしていて風雨に耐えている歳月が偲ばれます。鳥居の先には開けた場所があるのみでした。

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鳥居をくぐってからさらにその先には石段が続いて、カーブしていましたのでその先はどこまで道が続いているのかわかりませんでした。

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石段が途切れた先には展望が開け、一里塚のようにこんもりと土が盛られたあたりに金比羅宮がありました。お寺の上に左右を狛犬に守られた金比羅宮があり、典型的な神仏融合の姿がありました。

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大展望というほど展望が開けているわけではありませんが、手前には垂直の岩肌が露出されていて、耶馬溪のような景観が見られ、遠くには熊野磨崖仏が刻まれた熊野の山が見えました。

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あまりのんびりしていられませんので下山しました。登ってくるときには夢中でしたが、石の鳥居からかなりの登りだったことがわかりました。ビッシリと汗をかきました。 

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大展望を下って境内の先を進むと五輪塔や石仏が並んでいる「古代公園」がありました。ここには、国東半島全域の寺院や山岳地に散在していた国東塔、宝筐印塔(ほうきょういんとう)、庚申塔(こうしんとう)、五輪塔、板碑、石仏等多くの石造文化財が遷仏されています。 

「馬城山伝乗寺大展望」の山頂には、手入れされることもなく苔むした金比羅宮が祀られているだけでした。かつて馬城山一帯には、六郷満山六十五ヶ寺のうち本山本寺であった伝乗寺の三十六坊の霊場があったとのこと。往時の興隆を偲ばせるものは収蔵庫の日本最大の木造不動明王立像と木造大威徳明王像、そして旧本堂の菊花の紋章でした。ここ真木大堂は、六郷満山の現状を象徴するようなお寺でありました。

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2018年11月28日 (水)

遠くへ行きたい 01国東半島・六郷満山

いつも遠くの空を見ながら、遠くへ行きたいと思ってはいるのですが、なかなか思うようにはいきません。わざわざ「遠くへ」という言葉を使っているのは、海外でもなくツアーでもなく、ふらりという感じで何となく出かける旅を意味しています。昨年8/2829に松本~上高地を12日の行程で出かけて以来1年半ぶりに遠くへ行きたいという気持ちで旅に出ることができました。

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日程は11/13(火)~14(水)の12日で、羽田空港から大分空港へ、そこでレンタカーを借りて国東半島から耶馬溪に抜け、中津市で母校創始者の福澤諭吉の旧宅と記念館を見学してレンタカーを返却します。中津市で宿泊し翌日は福岡空港から戻るという慌ただしい日程です。

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(画像はパンフレットより転載) 国東半島は、以前から行ってみたいと思っていた地域でした。TVで国東半島が放映された番組で修行者の姿と共に「六郷満山」という言葉が使われていました。その聞き慣れない、それでいて心を揺さぶられる言葉にとても興味を覚えました。「六郷満山」という言葉に背中を押されるようにして国東半島へと向かいました。

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(画像は両子寺:パンフレットより転載) 国東半島は、奈良時代、宇佐神宮の神宮寺で弥勒寺から、僧侶が修行をするためにやってきた場所です。国東半島最高峰の両子山(ふたごさん)を中心に、放射状に延びる谷筋に沿って6つの郷にわたって開かれた寺々を総称して「六郷満山」と呼びました。そこでは神を仏とし、仏を神とする神仏習合が大きな特徴となっています。

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久しぶりの羽田空港でした。ちょうど朝の最も混雑する時間帯でもあり、保安検査所の前には多くの人が並んでいて観光客よりもビジネスマンの姿が目立ちました。

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待機している飛行機。最近はJALANAの大手航空会社の機長や副機長の飲酒運転が話題になっています。私も酒飲みですから気持ちはわかりますが、やはりそれは絶対にマズイ。

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大分空港に無事について、予約してあったレンタカー会社へ。特に年齢チェックや認知症チェックもなく、あっという間に手続きはすみました。最近は軽自動車も性能がよくなっていますし、山道や狭い道に入る可能性が高い場合は軽の方が安心です。

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この日の最終目的地は中津駅で長距離ドライブですし、途中紅葉の名所の耶馬溪を経由しますので、どのくらいの渋滞があるかわかりませんでした。安全運転を心がけながらもそれなりのスピードで、景色もよく走りやすい道でした。

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畑の中の道を抜けると、岩壁が連なる山あいの道に入り、先を急ぎながらも車から降りてみたくなりました。

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国東半島は大きなパワーに満ちた場所ともいわれています。車から降りた途端に澄んだ空気に包まれ、風も木々も水も岩にもエネルギーを与えられるような、身体が浄化されたような気分でした。

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最近のレンタカーはナビは完璧ですし、車線をちょっとでも外れると警告音が鳴り、少しずつ自動運転に近づいているような気もしました。先行する車も後続車もなく、対向車もなく、まわりの景色を楽しみながらのドライブでした。

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この日の最初の目的地「真木大堂」の駐車場に着きました。人影は見えなかったのですが、手作りのお人形たちが出迎えてくれました。

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地元野菜を売っている店番もお人形さんでした。足元の猫が動かないと思っていましたらこれも手作りで、よくできていました。

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真木大堂(まきおおどう)は、かつては六郷満山六十五ヶ寺のうち最大の寺院であったお寺が今では幻となり、代わりに真木本堂としてひっそりと残っているお寺です。そのために幻の寺ともいわれています。

大分空港から国東半島の端をちょっと走っただけでしたが、景色や空気は清々しく厳かで、小山や岩や森や木もエネルギーに満ちたものでした。車で畑の中を走るにつれて、山の中に入るにつれて国東半島モードになりました。

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2018年11月26日 (月)

本の旅 「沈むフランシス」 Ⅲ&書評

桂子は郵便配達という仕事が気に入っていて、和彦との関係も親密度を増してゆきますが、狭い村の中で噂にならないわけはないのです。 

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郵便配達の仕事で配達先の人とのつきあい方はつかず離れずの距離感が必要なのですが、心を通わせるケースもあります。目が不自由な御法川さんもそんなケースです。

「もどるつもりでいたのに、どこか立ち去りがたく、御法川さんの笑顔をじっと見た。 『なにかお困りのことはありませんか』 『ありがとう。だいじょうぶ。あなたにね、伝えたいことがあって』  桂子は笑顔で御法川さんを見て、そのつづきを待った。 『あなたが郵便を配達してくれるようになってから、いろいろといいことがあるのよ』 桂子は『そうですか』と思わずはずんだ声で言い、御法川さんの横顔を見た。 『ひとつは、夕焼け』 『夕焼け?』」 

目の見えない御法川さんが夕焼けが見えたというのです。あるとき、御法川さんから天気のことを訊かれて、

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「きょうは晴れているようだけど、空はどんな様子なの? と訊かれたのだ。その直前、桂子は空模様に目を奪われ、ただならぬ景色に圧倒されたばかりだった。御法川さんの目が見えないことはわかっていたが、なにかを見透かされたように感じ、ことさら丁寧に空の様子を説明した。 『あなたがね、そのときこう言ったの』  御法川さんは息をととのえて、ゆっくりと話しはじめた。 『晴れていて、空は青いんですけれど、もう夕焼けが始まっています。今日の雲は不思議です。西から東に向かってずーっと、真綿のふとんを縦に敷いて並べたみたいに、ぜんぜん途切れずに浮かんでいるんです。そう、浮かんでいるというより、敷いてあるような感じで――』」 

最後に御法川さんは、こういうのです。 「『そうしたら、その日の夜、お風呂にはいっているとき、とつぜん思い出したのよ。小学生のときに見た夕焼けを』  いまその夕焼けを見ている顔だった。」 

二人のやりとりは数頁続き、その描写はシーンや夕焼けまで見えてくるようで、御法川さんに説明する桂子の性格がにじみ出ていて好きな部分です。小説家ではあたりまえのことかもしれませんが、著者の感性や表現力に感心しました。

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桂子と和彦は親密度を増してゆくのですが、和彦の仕事はフランシスのメンテナンスでその仕事はいつまで続くかわからないこと、将来の展望も不安定なことなどが明らかになるにつれて桂子は不安を覚えます。さらに遠くないところに和彦の別居中の妻がいること、別の女性の影もあり、桂子の気持ちは揺れ動きます。そんな気持ちを著者は次のように表現しています。

「結晶はかたちをくずさず落ちてきて、静まりかえって動かない。世界はなんと繊細な成り立ちをしているのだろう。結晶のひとつひとつを見ているとき、たしかにそのように感じていた気がする。雲のなかで偶然のようにして生まれた水晶が、生まれた瞬間に、約束された落下がはじまる。零下の大気のなかをくるくると回転し、裏返り、あるいはそのまま滑空し、安地内村へと落ちてゆく。」 

二人の関係は、狭い村の誰もが知ることになり、心配した郵便局の局長は桂子に旭川への転職や見合いの話をもってきました。二人を取りまく環境が厳しさを増しつつある時に、追い打ちをかけるように和彦のベッドに小さなマイクが隠されていたことに桂子は気づきショックを受けました。

「あなたにも子どもだったときがあって、わたしだって子どもだった。それからいろんなことがあって、そのうえにいまがある。いまっていうのは、経験と記憶のうえに、たよりなくのっかっているものだから、ときどきはふり返って、自分はどうしていまここにこうしているのか、考えてみたほうがいいんじゃないの。これまでにあったことをぜんぶ聞きたいなんて言ってない。あなたのなかに残ってる記憶とか、感情とか、かたちのさだまらないままでいいから、なにかの折りに少しずつ聞かせてほしいだけ」 

言い合いになるのですが、桂子は何もかも投げ出すように許してしまいます。

「和彦との関係は、終わらずにつづいていた。なぜつづいているのかを正面から考えそうになると、桂子はいつもスイッチが入ったように同じ動きをはじめる。自分の家ではもちろんのこと、和彦の家でも台所に立って料理をつくりはじめるのだ。包丁を使い、火を使い、油を使うことは、目の前の食材におおきな変化を与えることだった。食材はもとの姿を変え、あたらしい匂いを立てる。料理がおいしくできあがれば、和彦はそれをよろこんで食べた。」 

皮肉なことに、二人を取りまく環境が厳しくなるほど、二人の間の問題が深刻になるほど、二人の距離は近くなるのでした。

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「台風が迫っていた。進路は北海道の西のようだが、雨雲のかたまりがすでに北海道の大部分を包みこんでいる。湧別川の水位があがってきたのを見て、和彦はきのうのうちから村役場の人の助けを借り、発電小屋と川のあいだに土嚢を積みあげていた。 『これだけやっておけば、よっぽどのことがないかぎり大丈夫だろう』 そなえるぺきことをすべて済ませた和彦は、そう言った。」 

「引き出しを乱暴にあけ、いくつかの書類と通帳をひっぱりだし、和彦は急いでリュックに詰めはじめた。音のCDの一部は持ちだせそうに思ったが、和彦はオーディオのあたりには目をやろうとさえしなかった。桂子は家のなかを見渡した。いつのまにか馴染んだ食器やカップ、ケトルが目にはいった。テーブルも、椅子も、ソファも持ちだせはしないが、それを目に焼きつけるようにした。 『じゃあ、行こう』 和彦は桂子の手を握ったまま玄関を出ると、鍵をしめた。和彦の手は少し震えていた。」

「テレビ塔の手前でクルマをおりると、安地内村の明かりが点々と灯っているのが見渡せた。北電の枝留管内が停電になっても、安地内だけはこうして電気が通じている。フランシスのおかげだった。」 

「北側に据えられた手すりに近づいて、和彦は小屋を見下ろしている。桂子は和彦のとなりに立つ。小屋の明かりが見える。和彦が、だめだ、とつぶやくように言った。」

「その直後だった。目の下にひろがる安地内村ぜんたいが、わずかな秒差の波を見せながらつぎつぎに光を失っていった。小麦畑を押し撫でる風よりはるかに速く、安地内の明かりがすべて消えた。」

「フランシスが川に沈んだ。あっけない終わりだった。安地内村が暗闇に閉ざされ、見えなくなった。桂子はとなりの和彦の見えない顔に手を伸ばし、頼に触れた。和彦は、ため息ともうなり声ともつかない息をはき、暗闇のなかをさぐるようにして桂子の手をつかむと、握りしめた。桂子は和彦に両腕をまわし、それから和彦の両腕のなかにもぐりこむようにして入った。」

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「いくら目をこらしても、眼下に広がっているはずの安地内村も、家も、小屋も、川すらも、見えなかった。 『でも、大丈夫よ』 桂子は自分でも驚くような明るい声で言った。 『何が大丈夫なんだ』・・・・」

大自然の中で生きたいように生きてゆくには運命に身をまかせてしまう潔さが必要なんだろうと思い、自分には真似ができないからこそ小説を読む意味も楽しさもあるんだなあと思いました。二人の本当の人生はフランシスが沈んでから、これから始まるもので、どんな人生になるのか想像するのも楽しいです。気になったのが表紙のワンちゃんです。理解力不足か頭の回転が遅くなったか、ストーリーとワンちゃんとの関係がいまだにわからないのですが、その謎解きもまた面白いです。

インターネットの読者書評欄「読書メーター」で、いくつかの読者の書評をご紹介します。 

takaoさん:前作「火山のふもとで」もそうだったが、この小説に流れている時間と空間はとても心地よい。

W.Takaさん:流れるような美しい文章に惹かれたが、共感できない部分があった。物語が破綻している感じがする。郵便局員の桂子と発電所を営む和彦の恋愛話。

Kei.Nzさん:犬のお話?アラフォー女性の日常話?ラブストーリー?サスペンス?…と色々考えてる間に、一気に読みました。 北海道の自然の描写や、音の描写が、きれいでした。

くみこさん:女稼業も長くなると、経験や見聞きしたものが邪魔をして、大概の恋物語には厳しくなるものです。そんな可愛げのない読者に、これはしょうがないと思わせる二人。北海道の小さな村で、充分大人で孤独な男女がこんな出会いをしたら、 必然的にこうなるのは仕方がない。美しい自然を背景に、かすかに破局の予感を漂わせながら進行する静かな物語ですが、結末はお楽しみに。表紙がものすごく可愛い犬のアップなんです。読後は恥ずかしくて直視出来ないおまけ付き。

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第一作の「火山のふもとで」では面白く、次の「沈むフランシス」もまあまあで、著者の松家仁之の他の作品も読んでみたいと思い、最新作の「光の犬」(2017年)を読み始めたのですが、途中で投げ出してしまいました。

養老孟司(解剖学者で「バカの壁」の作者)の書評には「久しぶりに小説を読んだ。途中で投げ出したら困るなあ。書評を引き受けてから、そう思った。ところがなんと、そのまま読み続けてとうとう一気に読了してしまった。なぜそうなったのか。よくわからない。途中で感動して、涙が出そうになった。」とありました。

私は養老さんが心配するように投げ出してしまったのですが、今のところは再読する気持ちになれません。そのうち、そういう気分になるかもしれないのですが。 

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2018年11月23日 (金)

本の旅 「沈むフランシス」 Ⅱ

会社を辞めて、離婚して、念願だった北海道に移住した主人公桂子は、郵便配達という希望通りの仕事を見つけてほぼ思い描いた生活を始めるのですが。

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村のはずれで芝生をきれいに手入れしている一人住まいと思われる男性、変わった名前の寺富野和彦に小包を届け、2回目に顔を合わせた時。

「すみません、配達中に。突然ですけどあさっては日曜日だから、お休みですよね。お時間ありませんか。枝留の友だちが夫婦で遊びにくるんです。お茶を飲んだり、音楽を聴いたりするだけなんですけど。よく聴くCDを一枚でも二枚でももってきてくれたら、うちの再生装置だとどんなふうに音が鳴るか、わかってもらえるかもしれません。午後からならいつでも。ふたりとも三十歳そこそこだから、あなたと同世代だし。気がおけない人たちですよ」と誘われる。

「桂子はさらに困った顔をいっぱいにひろげているはずだった。わたしは三十五です、とわざわざ断る必要もないし、ほかのセリフも思いつかない。その声を頭のなかで聞きながら、桂子はこうも思っていた。東京で、こういう脂気のないかろやかな笑顔のひとに会ったことがあるだろうか、と。桂子は寺富野の顔を遠慮なくじっと見た。思わず笑ってしまったとき、困りはてたときにその人がでる。寺富野のような笑顔を、中学時代の枝留で見たことがあるような気がした。」 

和彦の誘い方がうまいのか、桂子が男の笑顔に魅せられたのか。日曜日に芝生がある家を訪れ、同年代の夫婦と4人で穏やかで楽しい時間を過ごします。

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「『ぼくは音をちゃんと聴くために、ここでフランシスと暮らしているようなものでね』  『フランシス?』桂子ははじめて声をだした。 『そう、フランシス』男はいったん言葉を区切ったのに、説明しようとはしない。  『フランシス』って、誰のことだろう。ひょっとすると寺富野はオーディオマニアで、恋人は外国人の男なのか。だからこんなに気軽に、女である自分を家に招待しょうとしているのか。」 

フランシスとは誰だろう。和彦は真空管アンプ愛好家の間では知られた存在であることはわかったのですが、そんな仕事で食べていけるのか、桂子の疑問は募ります。

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「夫妻は帰り、桂子は一人残り、夕食をともにする。食後のコーヒーを片手に寺富野とソファに移動した。『音』がはじまったのは、ここからだった。今度は音楽ではなかった。スピーカーから立体的に聞こえてきたのは、この世界のなかにある音ばかりだった。収集した音のレコードやCD、自分で野外録音したものも入っているらしい。このオーディオは音楽の再生のためにではなく、音を再現するために組み立てられているのだろう。スピーカーから出てくる音に桂子は圧倒され息をのんだ。」 

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「カリフォルニア州モントレー湾に棲息するラッコの群れが潮騒のなかで貝を割る音、イタリア.トスカーナ地方の小さな町、モンテフォロニコの小高い丘の上にある教会の鐘の音、地響きをあげながら噴火するアイスランドの火山の音、ナイアガラの爆声、オーストラリアから南極に向かう船が暴風雨と高波に翻弄されローリングする音、ヤンキースタジアムの7回裏、『わたしを野球に連れてって』の大合唱、そのざわめきがおさまった直後、外野席最上段に飛びこむ先頭打者の初球ホームランに観客が総立ちで歓声をあげる音・・・目をつぶって聴いていると、それぞれのリアルな光景が、匂いや湿度、気温や風や震動までともなって、目の前に立ち上がってくる。それが、たったいま動いている。」  

森の奥の一軒家で展開される異次元の世界の物語に思わず引き込まれるのですが、桂子と同じように和彦は一体何者だろうと頁をめくる手が早くなりました。音響に圧倒された桂子は、次の日曜日には一人で訪れることを約束して夜遅くに帰宅しました。

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「コムタンは、一度つくってしまえば数日もつし、何度食べても飽きなかった。平日は手早くできる料理ばかりだが、それでも毎日自分でつくる。なにしろいちばん近いコンビニまで、クルマで40分ぐらい離れている。枝留まで行かなければ見当たらないのだ。安くてそこそこおいしいお弁当やさまざまなインスタント食品がいつもそばにあるというのは、なんと安心なことだったろう。人は不便なほうがかえって行動的になる。土日はなるべく時間のかかる料理をえらんで、せわしない平日の食事とは違うものにしようと決めると、ひとりでつくりひとりで食べる料理も、だんだんたのしくなっていった。」 

桂子は、仕事にも慣れ、日常生活もペースを取り戻してゆくのですが、次の日曜日に和彦を訪ね、あっという間にそういう関係になりました。予想されていたこととはいえ、著者の第一作「火山のふもとで」では、主人公と恋人とはつかず離れず淡いかたちで進んだのですが、この第二作では性急でもあり、またその表現も生々しく描かれています。五感を研ぎ澄ますようなシーンが描かれていて意外でした。

「安地内村で暮らすようになってからずっと、ひとりでいる気楽さを感じていた。誰にも手さえ振られず、頭を撫でてもらうこともなく、抱きしめられることもなかった。どこかで、そういうことはもういい、面倒だし、乱されるだけだと思っていたはずだった。」 

そして、週末には必ず桂子は和彦の元を訪れ、フランシスのことを教えられます。

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「フランシスっていうのはフランシス・タービンのこと、つまりフランシス水車だね。19世紀にこれを発明した、イギリス生まれのアメリカ人の名前なんだ。上から落ちてくる水の圧力で水車をまわし、羽根車を回転させて発電する。じつによくできた水車で、メンテナンスしだいでは50年ぐらい平気でまわりつづける」 

「速度エネルギーを圧力エネルギーに変換しーというような説明を和彦はしていた。桂子は小屋に足をふみいれた。深い地鳴りのような振動が、足もとから伝わってくる。その脇の階段を数段下りたところがこの小屋の床面で、中央部に太いパイプにつながれた機械が据えつけられていた。 『これがフランシス』 和彦が手で示したものは、太いパイプをくわえこんだ巨大なアンモナイトのようなかたちをした鋼鉄製の機械で、薄い青銅色をしていた。」

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「『高低差が速度になり力に変わる。重力を使うわけだから、水と地球がなくならないかぎりエネルギーが絶えることはない。出力は250キロワットだからたいした電力量じゃないけれど、安地内くらいの戸数ならこれでまかなえる』 『安地内の電気はここでつくってるの?』 『そう。もちろん北海道電力からも電気は来ているけどね。北海道電力系の電気が万が一停まっても、安地内は停電にならないし、村の電気料金は北電からまるまる買うよりはるかに安い。余剰電力は北電に売ってるんだ』 和彦はうれしそうな顔をしてつづけた。」 

「『うちの電気はここでつくったものをそのまま使わせてもらっている。まじりっけなし、生まれたての電力』 どうして和彦がそんなに得意げなのかわからなかった。『オーディオっていうのは、電気の純度しだいで音質がまったくちがってくるんだよ』 『電気に純不純なんてあるの?』 『発電所から直接電気を引いてきて、その電気でオーディオを鳴らせる環境は、日本ではそうないと思う』 桂子は和彦の顔を見た。真面目な顔に少しだけ照れがにじんでいる。」

フランシスの正体が明かされ、その発電機から生まれた電気を音響に使っていることがわかりました。桂子はそんな和彦にさらに気持ちが傾いていきました。

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2018年11月22日 (木)

本の旅 「沈むフランシス」 Ⅰ

初めて出会った作家、松家仁之の作品「火山のふもとで」の読後感が素晴らしく、余韻が醒めませでした。ということで次の作品「沈むフランシス」(松家仁之:184頁)を手にしました。この第二作は、第一作の377頁に比べると半分の分量でいわば中編でした。フランシスとは何だろうという、謎解きをするような気分で読み始めました、

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主人公撫養(ぶよう)桂子は、元の夫から逃れるように東京世田谷から北海道安地内村(あんちないむら)に移住し、非正規の郵便配達の仕事に就きました。隣の枝留町には12歳(中学時代)の頃父の転勤で3年間住んだことがあり、現在の配達地域となっている安地内村には大学時代にフィールドワークで訪れた地でもある。安地内村を4分割した最も広い北東エリアである砂利辺(さりべ)地区を担当しています。 

枝留町に転勤になった父はフライ・フィッシングを始め、桂子は長靴をはいて父について歩き父のまねをしてフライロッドをふった。と、まあこんな感じで物語は始まりました。 北海道内の地名はすべて架空です。 「 」内は本文引用です。

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「安地内村の高い空の下を歩くのも好きだった。乾いた風が、緑をやわらかく撫でながら通りぬけてゆく。不定形なかたちがどこかに向かって動いてゆくのを目で迫っていると、気持ちがからだを離れ、そのままふわりと伸びて広がり、あたりに散ってゆくようだった。子どものころもいまも、その感覚はときどき桂子のなかでふいに起こり、桂子をゆさぶる。」 

第一作目の「火山のふもと」で感じた著者のタッチは、この第二作でも読み始めると同時に北海道のある村に連れて行ってくれました。こんな長閑な風景からどんな物語が展開するのだろうと期待も抱かせてくれました。

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「わずか二百年ほど前、安地内村の一帯は原生林におおいつくされていた。この土地がもともと誰のものか、そうした考えを寄せつけないほど森は鬱蒼とし、重く深閑とした空気が漂っていた。落ち葉や苔でふかふかする地面をあてどなく歩いてゆけば、森の向こうに光と音の気配が漏れてくる。足の向かう方向が定まると、歩調もおのずとせわしなく、早まってゆく。」 

主人公の桂子が落ち葉を踏みしめる姿が見えて、音が聞こえてくるようです。自分に置き換えてみると、こんな感覚を持って原生林は歩くことはできないだろうとも思え、桂子とはどんな人なんだろうとも思ってしまいました。

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「近づく水音、木々の向こうに見え隠れする明るい岸辺。湧別川だ。森をつらぬいて流れる川は、どこから来てどこへ向かうのか。それは生きものにさりげなく示される矢印のようだ。ヤマメ、イワナ、アメマスには流れにさからって泳ぐことを赦し、キタキツネやエゾシカ、ヒグマには、渇いたのどをうるおすことを認める。繁殖期がやってくれば、絶えない渇きや、やるせなくせりあがるもの、火照るからだを内側から冷ましてやりながら、川は迷うことなくさらに北のオホーツク海をめざす。ただただ流れている圧倒的な水の勢いは、原生林の静けさに耳を澄ますことなく、先を急ぐ水音を絶えずあたりにふりまいてゆく。」 

この本を読みながら、何回となく訪れた北海道にもう一度行ってみたいと思うのです。北海道を流れる川と同じように北海道の大地を舐めるように走った道東地方を思い出します。

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北海道は何回か旅をしドライブもしましたが、特に好きなのが風蓮湖と風連川。風蓮湖には白鳥が飛来し、風連川には鮭が遡上し、それを待ちかねたように熊も現れます。自然が近くに感じられ、自然の呼吸がハンドルを通して伝わってくるようでもあるのです。本を読みながら、当時の感覚がよみがえってもきました。

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「桂子は思う。人がかたちにしたものは残っても、人そのものは残らない。その人がどのような風貌をそなえ、手や足、からだをどのように動かして、どのような声で話をしたか、かたちにとどまらないものは残らず消えてしまう。一滴として同じ水を含まないのに、同じ流れにしか見えない川の流れにそれは似ている。安地内村は早くもすでに秋だった。赤や黄色に変わった葉の匂い、早朝に見る吐く息の自さは、生きることよりも死ぬことを近しく感じさせる。冬に向かう秋が、桂子は好きだった。」 

東京から移転してきた主人公の桂子は、北海道の大自然の中にスーッと入り込みました。こういう人は羨ましい。こういうところでどうやって暮らしてゆくのか、どうやって人生を送るのかも興味があるところです。

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「平屋の向こう側には、川岸に向かってなだらかに下る芝生の庭があり(いつ見ても短くきれいに刈られていた)、そこに物干し場があった。ポストに郵便を入れるとき、庭に干されてある洗濯ものが視界に入ることがある。ひとり暮らしだということは、洗濯ものからも想像できた。芝生の庭にデッキチェアを出して本を読んでいる男を何度か見かけたことがある。短めの髪。郵便物の宛名は、「寺富野和彦」となっていた。人のことは言えないが、めずらしい苗字だと撫養桂子は思う。」 

郵便配達先の一つである山の中の一軒家に住む寺富野(てらとみの)和彦との関わりが始まり、物語はいっきに現実味をおびてきます。

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「預金は少なからずある。かたちの定まった仕事、その日その日で終わる仕事をしたい。それも北海道で。仕事が終われば、料理をして、本を読み、音楽を聴いて、DVDを見る。給料は安くてもいい。空がひろく、川が流れていて、クマやシカがいて、乾いた雪の降るところ。場所はできれば枝留周辺、と決めて仕事を探した。」

「安地内村の郵便局で非正規雇用の局員として働くことが決まると、桂子は会社に退職を願いでた。その半年ほど前に男と別れ、身のまわりを整理して、東京都世田谷区を離れた。公営住宅を借り、小さな四駆のクルマを中古で買い、あたらしい生活をはじめた。その成りゆきは、自分でも息をととのえる暇がないほどめまぐるしかった。」 

人生のある時期、それも経済的な不安があまりない時期に、こういう生活がしてみたいと思うことがありましたが、それを実行に移すことはなかなかできないものです。特に、人里離れた自然の中にというのはかなり勇気がいることだと思うのですが、桂子は躊躇なく北海道の村に移住してしまいます。それはかつて(中学時代)にここで暮らしたという経験あってのことかもしれません。しかし、いくら自然がよくてもそこで暮らすとなるとよほどのこと――例えば倉本聰が富良野で暮らしたように――がなければかなりの決断が必要のように思えます。

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2018年11月20日 (火)

本の旅 世界しあわせ紀行 12こんな調査も

世界のどの国が、どの国に住んでいる人が幸せかについて、国連以外にも調査はあります。

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調査機関も調査対象国も時期もわからない(あまり信用できません)のですが、ある調査では、幸福度〈=(とても幸せ+幸せ)-(不幸+とても不幸)〉のランクでは、1位フィージー、2位コロンビア、3位フィリピン、以下メキシコ、カザフスタン、パプア・ニューギニアなどとなっています。比較的共通しているのはあまり豊ではないが気候は暖かく、気質は陽気な国々となっています。北欧の国々はランクインしていませんが、調査対象となっているかどうかはわからないのが残念です。調査の信頼度は低いのですが、この調査結果は何となく納得できますし、日本の数値を除けばほのぼのと幸せを感じる調査結果です。

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国連の幸福度調査で1位に輝いたのは、自然が溢れ教育費や医療費が無料のフィンランド。フィンランド大使館のコッコ・マルクス参事官は「1つあげるなら自然だと思う。冬はオーロラなどが見られ、夏はいろんな島に行ったりサウナを楽しんだり、泳いだりということも楽しめる」とフィンランドの魅力を語る。同調査は、各国で毎年1000人程度に「今の幸せは10点満点中何点か?」を電話やインタビューで聞くもの。国ごとの過去3年の平均値を算出し、人口当たりのGDPや健康寿命の数値も評価対象になっているそうです。

独断と偏見ですが、北欧では冬にオーロラが見えるという観光的要素があるものの、やはり暗く長い冬は敬遠したいものです。幸福度は110の自己評価で、北欧では概してこの自己評価が高いわけですが、厳しい冬を考えると 私は幸福だ! と自己暗示をかけないとやっていけないのではないかと穿った見方をしているのですが。

「限りなく完璧に近い人々~なぜ北欧の暮らしは世界一幸せなのか?」の著者は、こんなことも言っています。「北欧が幸せの国なら、なぜ欧州の人で北欧に移住したいという人が少ないのだろう。北欧の人々もなぜイタリアやスペインに移住したいというのだろう。」と。

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北欧の人口を比較してみますと、一番人口が多いスウェーデンで960万人、他の3ヶ国は500万人台です。日本と比較してみますと20分の一~10分の一とかなり少なく、このくらいの人口ですと国としてまとまりやすいのではないかと思います。ちなみに東京都の人口は927万人(2015年)で、香港の人口は735万人(2016年)です。国としてのまとまりやすさや国民のアイデンティティなどは人口規模でかなり異なるのではないかと思います。(画像をマウスでクリックしていただくと大きく見やすくなります。画面左上の←をクリックしていただくと元の画面にもどります)

国連の幸福度調査に携わったことがある世界平和研究所の高橋義明主任研究員によると「あくまで主観の調査なので文化の違いが影響する」という。例えば、13位のコスタリカは『生まれたからには幸せであるべき』との考えからほとんどの人が『10』と即答。また、6位のオランダは『7』『8』と答える人が多く、『不幸せ』に対して前向きに価値を置いて考えていることが背景にある」という。

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高橋主任研究によると「54位の日本で、多くの人が答えるというのが『5』。『けやきヒルズ』(AbemaTV)に出演したアーサー・ホーランド牧師は、日本は無常・儚さを長い歴史の中で染み込ませている民族。『禍福は糾える縄の如し』という言葉があるように、人生は幸福と不幸が入り混じるものだという概念があるために『5』と回答する人が多いのでは」と指摘する。 

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例え経済成長力が落ちても、人口が減っても、規制や役所仕事に腹が立っても、春には桜が咲き、秋には山も里も紅く染まる日本がいいと思いますし、自然災害に見舞われてもへこたれず日本人に生まれてよかったと思います。日々の暮らしの中で和やかで幸せな気持ちにさせてくれる「おもてなし」の心は日本人ならではのもの。多分「おもてなしの心」は、世界の幸福度調査の項目には入っていないだろうと思われます。

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私の周りにいる人たちはみな幸せそうに見えます。もちろん誰でも多少の不満や不安あるいは不幸を抱えていると思うのですが、友達もご近所さんも、高校や大学の同窓生たちも、飲み仲間も遊び仲間も、山で出会う人たちも、みな幸せそうに見えます。それでも日本人の幸福度(幸せ度?)は、世界の中の上(54位:2018年)くらいとなっています。これを言ってはおしまいですが、 幸せ感 は 心の持ちよう で随分異なるような気がします。 

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2018年11月17日 (土)

本の旅 世界しあわせ紀行 11「遠い白夜の国で」

北欧に関連して「遠い白夜の国で」(小池政行著)を読みました。

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日本人外交官(小池政行氏)が5年間赴任したフィンランドで体験した、異国における手術と闘病記、考えた事、日本と北欧の国の医師の考え方の違いや病院のシステムの違いなどが記されています。 

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著者はフィンランド首相と親交を深め、帰国の挨拶に訪問した時のこと。「私が首相の執務室に入って挨拶だけで出ようとすると、首相は笑顔で椅子をすすめてきた。『君が帰国すると聞いたなんとも言えないな。知り合ってからの歳月があっという間だった』。白夜の国フィンランドはなんと若々しい国家なのだろう。自分で秘書の部屋にゆき、『大統領府への車を頼むよ』と言う若い首相の姿は生き生きとしている。」 

フィンランドという国の雰囲気が伝わってくるようです。今までも北欧も旅してもそれほど関心がなかったフィンランド人ですが、「限りなく完璧に近い人々~なぜ北欧の暮らしは世界一幸せなのか?」を読んで、世界一幸せといわているにも関わらず控えめで自虐的(日本人に似ている)なフィンランド人気質を知ることにより、フィンランド人が好きになりました。

著者は最後に、「花をめでる時、その一瞬の美しさに目を奪われますが、実は我々が見ているのは徒花(あだばな)に過ぎないのというのが私の考えとなりました。実を結ばぬ花、はかなく散りゆく花、季節はずれに咲く花、どれもこれもそっくり人の世の姿を表している気がします。花は望めなくても、地上に落ちた花影でいい、美しい思い出だけで充分です。」という言葉を残しています。白夜の国での闘病生活によるものか、兼好法師の徒然草のような言葉を書き記しています。

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2015.5.22 撮影:フィンランドツアーで) 北欧で最も気になるのが気候です。以下本文より。「北欧の夏は一気にやってくる。北欧の風景は静かな薄命の中にある。激しい、強い、明るい太陽に照らされた風景ではない。北のきわみは死の世界のような気になる。冬は死の象徴となる。厳しく陰鬱な冬のあとにくる北欧の春と夏は、よみがえる生の尊さを深く切実に表している。私は生命の歓びをよく知っているのは、北欧の人々ではなかろうかと思う。」と、著者は語っています。

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そして夏の終わりについても、「北欧の九月には悲しみがある。青空のなかにも低い雲が浮かび、日射しは低くなり、木々の葉は淡い黄色と紅い色に染まってゆく。」と。

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2015.5.27 撮影) 北欧といえば白夜とかオーロラあるいはフィーヨルドとかが思い浮かびます。白夜は日が沈まないために真夜中でも日本的な感覚でいえば夕暮れ時のような感じになるのでしょうか。22:00のノルウェー・オスロ中央駅前の広場。そろそろ夜の10時というのに空はまだ明るく、季節が進んで本格的な白夜になると夜はほんの23時間になります。

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一方、一日中太陽が出ない極夜もあります。極夜といえども、一日中真っ暗闇ということはないのです。ただこれは天気が好い日の話で、曇りや雨・雪だと一日中暗いという日もあります。北欧の季節は、概ね113月、春45月、夏68月、秋910月で1年のうち5ヶ月が冬になりますので、日本に比べると冬がちょっと長いのですが、それだけではなくて北欧では冬の時期に極夜があります。

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日本人の冒険家角幡唯介の「極夜行」は、北欧よりさらに緯度の高い北極に近いエリアで極夜を旅した記録です。

「探検というのは要するに人間社会のシステムの外側に出る活動です。北緯八十度近辺だと4ヶ月ほど極夜の時期は続くんですが、その長い夜に何ヶ月も旅した記録はほとんど見当たらない。ばくらの普段の日常では太陽があるのが当たり前だし、普段、太陽のことなんて意識もしないですが、それだけに太陽が昇らない世界というのは想像を絶するわけで、そこにぼくは根源的な未知の可能性を感じるんです。だって4ヶ月もつづく夜の世界なんて考えられなくないですか? たぶん極夜の世界に出たら、現代人が失ってしまった自然との基本的な結びつきを再発見できると思います。」と、極夜を旅する動機を語っています。

「毎日、太陽が昇り、夜は人工灯にかこまれ、常時、明かりの絶えないシステムの中で暮らす現代人にとって、24時間の闇が何十日間もつづく極夜は想像を絶する世界であり、完壁にシステムの外側の領域である。わけの分からない世界である。」

もし人間が太陽が出ない真っ暗な世界に暮らすとどうなるかというと、「(極夜病)は関心の欠如や不眠、病癖などの心理的な症状を特徴としているという。当たり前だが、人間はあまりに暗い環境が長々とつづくと憂鬱になり何もする気が起きなくなる。」  と、著者自身極夜病を心配もしているのです。

「私はこの旅の準備に4年間もの歳月をかけていた。その4年の間、はとんどこの旅のことしか考えてこなかったのに、いざ出発が現実味をおびてくると、気分はひたすら重苦しくなるだけだった。近づけば近づくはどそれは正気の沙汰と思えず、これから自分がそんな孤独な世界に入り込むことが、とてもではないが信じがたいことのように思えてくる。できることなら旅の出発から逃れたかった。最低でも先延ばしにしたい…‥・。」と、不安を抱えながら著者は出発しました。

北極圏の極夜ほど極端ではないにしても、寒くて暗い冬が1年の半分くらい続く北欧は私には敬遠したくなります。国が豊かであっても政治がうまくいっていても高福祉でも、長い冬は嫌です(そこで生まれ育った人にとってはそんなことは言っていられないとは思いますが)。やはり暖かいところがいいなあと思ってしまうのです。

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2018年11月15日 (木)

本の旅 「世界しあわせ紀行」 10スウェーデン

著者は、北欧各国を訪れ最後にスウェーデンへと向かいました。

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スウェーデンに対する著者の評価は、「北欧諸国はみな、過去500年のうちにそれぞれのタイミングで、スウェーデンに憧れ、魅了されてきた。スウェーデンは北欧ファミリーの長男であり、首席の優等生でありお手本になっている。」 と、北欧の代表国であると認めています。画像(2015.5.23 撮影)は、北欧ツアーで訪れたスウェーデンの首都ストックホルム市庁舎、1900年代初頭に建設され歴史を感じさせ、威厳に満ちたものでした。

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著者は北欧各国を回った結果、「一方、何世紀にもわたり、北欧や中欧の国々は、スウェーデンが自国の立場を脅かされたとき露わにしてきた激しい怒りを身近に感じてきた。スウェーデンは最近は平和的で中立ということになっているが、フィンランド人もノルウェー人も、デンマーク人も、善人ぶったスウェーデンに遺恨と妬みを抱えている。デンマーク人は、スウェーデンの経済的成功やイケアの世界的成功を認めながらも敵意をもっている。」と、スウェーデンを取り巻く各国の反応を厳しいものと考えています。

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スウェーデンとノルウェーとの関係についても、「ノーベル平和賞はノルウェーの国会によって選ばれた委員会が授与する。これはノルウェーがスウェーデンによって支配されていたからといわれる」と、歴史的確執について触れています。画像2015.5.23 撮影)は、ノーベル賞受賞パーティが行われる「黄金の間」。ノーベル平和賞の授賞式はフィンランドのストックホルム(市庁舎)で行われます。

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著者とは別の知識人は、「スウェーデンとフィンランドは歴史的にもとても複雑な過去があり、お互いの国民同士が日韓関係のようにライバル意識を持っている人が多くいます」ということも言っています。

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(画像はスウェーデン立法府) スウェーデンについて公平に評価するならば、「スウェーデンのフリースクールや基幹病院、円満な『中道』合意政治、経済的平等や男女平等などのスウェーデンモデルは世界中の政策立案者や政治家の注目の的になっている」と、著者は評価しています。

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スウェーデンのフリースクールは、実質的に誰でも教育理念に基づいて、学校を開校できる。費用は生徒は負担しないで、教育バウチャーによって生徒の数に応じて政府がその費用を学校に払う。その理念は教育の提供者の地位を国(政府)が独占せず多様なニーズに応じた教育を提供すること。ただし、従来の私立学校とは違って授業料は国が払うので無料。よって貧困層の生徒でも自分のニーズにあった学校に通うことができる。ただし、フリースクールは生徒の選抜をしてはいけないというルールになっている。しかし実際には生徒の選抜をおこなっているという指摘もあり、スウェーデンでも批判はあり、その問題点も指摘されています。どんなにいい政策でも多少の問題はあるものです。

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北欧の優等生といわれるスウェーデンにも問題はあり、「北欧の大企業の半数はスウェーデン企業であるが、一方失業率はここ数年高い水準で推移していて、最も深刻なのは若者の失業率が他の北欧諸国よりも高いことだ。」と、著者は指摘します。

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ストックホルムについて、「ストックホルムは実に美しい。スカンジナビアの中でも最高に素晴らしい首都である。だが裏に回れば不気味なコンクリートの建物ばかりだったり、人間味を失った生気のない建物が多い。」と、酷評もしています。

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スウェーデンより南に位置する国々のスウェーデン評は、「堅苦しくユーモアがなく、規則にこだわり過ぎていて、息苦しいほど体制順応型の社会に住んでいる。」というものである。あるデンマーク人の友達は「スウェーデンに行ったことはあるが、特に印象には残ってないけど・・・」。スウェーデンでは文化はあまり重要視されていないともいうスウェーデン人もいる。

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こんな指摘もされています。「20世紀の大半においてスウェーデンは完全雇用や世界最高レベルの賃金、ゆとりある国民の休日や未曾有の経済的繁栄を謳歌していた。しかしある知識人は、『優しい全体主義』すなわち中央集権的な行政は個人の自由や野心、人間性を奪い、『人間を飼い慣らすことに成功した』と批判している。」と。

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スウェーデン人についての「スウェーデン人は、私が知っているデンマーク人、ノルウェー人、フィンランド人から嫌われているし、今なお、スウェーデン人には人を苛立たせる癖がある。一方スウェーデン人は周囲の反感に対して、常に超然としている。」という指摘は肯けるものがあります。画像(2015.5.23)は、ストックホルム観光で市街地を散策した時のものです。スウェーデンの人は概して身長が高く、正しい姿勢で真っ直ぐ歩く人が多いように思えました。ネパールやベトナム、パキスタンやトルコなどアジアの国の人達は人懐っこく、すぐにアイコンタクトできるのですが、北欧の人はまるでこちらがそこにいないかのように(無視とか冷淡とかいうのではなく)こちらと視線を合わさず、真っ直ぐしか見ていないようでした。特にスウェーデンではその傾向を強く感じました。たった1日の観光でわかったようなことは言えないのですが。

著者はイヤな経験もしたようで「スウェーデン訪問中に、驚くような無作法を経験した。割り込んでも謝らない、道をふさいでいても気にしないなど、その完璧なまでの礼儀の欠如に、私は怒りを通り越して無力感を覚えた。スウェーデン人の行儀の悪さは香港の中国人に匹敵する世界最低のレベルだ。」とスウェーデン人のマナーを批判しています。 

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著者の批判に肯けるものがあります。画像(2015.5.23)はストックホルムのホテルでの食事風景です。随分待たされて食事が始まりましたが、なんとこの日は別のパーティがあるとかで、私たちはレストランの片隅に追いやられ、しかも料理もそちら優先のようで、私たちのバイキングメーニューは蒸したパサパサの鮭と得体がしれない上にジューシーさのかけらもないビーフと称するものでガックリしました。とても楽しみにしていたツアーで初めてのホテルの夕食は、史上最低・最悪のものでした。ホテルからものの3分も歩けば行けるスーパーでは、美味しそうなサーモンやハム・ソーセージなどの食材が唸るほどあるというのに。最近の国際料理コンテストでは北欧諸国が上位に入賞しており、食材が豊富なことからかなり期待していたのですが、昼食のミートボールといいスウェーデンの食事にはガッカリしました。食い物の恨みは恐ろしく、スウェーデンが嫌いになりました。

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話がそれましたが、著者はスウェーデンとスウェーデン人についての評価については熱心なのですが、幸せ度についてはあまり触れていません。国連の世界幸福度調査(2018年)によるとスウェーデンの幸福度は9位となっていて、ベスト10にはランクされているものの他の北欧諸国に比べるとかなり低くなっています。きっと他の北欧諸国はほくそ笑んでいるかもしれませんが、スウェーデン人は「だからどうした?」と言いそうな気がしています。

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2018年11月12日 (月)

丹沢登山紀 紅葉探し

11/11(日) 今年33回目となる丹沢登山に出かけました。10/28(日)に行って以来2週間ぶりでした。できれば週一のペースで行きたいのですが、用事があったり天気が良くなかったりなかなか思うようにはなりません。紅葉がどのくらい見られるかが楽しみでした。

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この日は日曜日でしたし、このところ天気が良くありませんでしたので、登山日和を待ちかねた登山愛好家がたくさん集まりました。ある程度の行列ができると始発バス(06:48)より10分くらい早く臨時バスが出ます。この日も早速臨時バスが来ました。

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登山口から見上げた空は青空が広がっていました。この日の天気予報は地上は晴れ、山の上は霧と曇となっていました。2週間ぶりの山歩きでしたので雨さえ降らなければルンルンでした。

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登り始めて1時間くらいで最初の急な登りとなります。これから延々と登りが続きます。少しブランクがありましたので足に負担がこないようにゆっくりと登りました。

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最盛期には紅葉で覆われる「紅葉の廊下」と名付けたこのあたりは、標高が高くないためか紅葉にはまだ早いようでした。

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登山口から2時間くらいの細い山道になると足に疲労がたまり、登山者の列ができます。ここを以下にうまく乗りきるかがその先の登りに影響します。

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ちょっとした岩場の登りでは、木立の葉がすっかり落ちてしまって、冬枯れのような雰囲気でした。丹沢登山が初めてという女性の二人組は物珍しそうにキョロキョロしていました。

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登る人の姿が絶えません。頑張って足を持ち上げて一歩一歩登ってゆく姿を見ると渓流を遡ってゆく川魚を思い出してしまいました。  

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さらに標高が高くなったあたりでは淡い紅葉がちらほらと見られました。儚げな景色が晩秋の雰囲気でなかなかいい景色でした。

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胸突き八丁の登りでは、ゼイゼイハーハーいいながら昇っている登山者を尻目にトレイルランの人たちが駆け上がっていきました。大柄な男性より小柄の女性の方が元気で先行していました。花立山荘の「おしるこ」の旗がおいでおいでしていました。登るときに青空は広がっていたのですが、すっかり曇り空になってしまいました。

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この日は、午後から用事があるために花立山荘から下山しました。ブランクがあると足が弱っているような気になり、どうしても慎重な下山となりました。足元を見つめていたら晩秋色の木の葉に混ざって鮮やかな白い花びらが目に飛び込んできました。

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小さな子供が元気よく登ってきました。

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ゆっくりとしたペースで登ってきた女性。女性の一人登山という姿は随分見かけます。急な登りが続く登山では脚力の差が歴然として出ますので、同じレベルの脚力とかよほど気心の知れた仲でないと難しいものがあります。一人ですとマイペースで登れますので、山の秋景色を眺めながらのゆっくり登山も楽しいものです。

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かなり下に下山したあたりでも続々と登ってくる人がいました。山頂に着く時間や下山の時間は遅くならないのだろうか、これからの時期日暮れが早くなりますので大丈夫なんだろうか心配になりました。山頂にも途中にも山小屋はありますので心配はないのですが。

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真昼の陽射しを浴びて赤と黄と緑の葉が輝いていました。

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今シーズン初めて目にする生の紅葉でした。

2週間ぶりで、登り始めたときは身体が重かったのですが、ゆっくりと登っているうちに次第に慣れていつものペースを取り戻しました。ところが下山ではゆっくり足を下ろさないと膝や足を痛めそうな気がしましたし、足に力が入らないとバランスが悪くなってハッとすることもありました。まあ歳のせいもあるかもしれませんが。これからは気をつけないと自覚しました。

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2018年11月10日 (土)

本の旅 「世界しあわせ紀行」 09フィンランド

著者は、国連幸福度調査(2018年)で世界一になったフィンランドを訪れました。 

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フィンランドを訪れた著者は絶賛しました。「私はフィンランド人は素晴らしい人たちだと思うし、大好きだ。ムーミンやノキアなどを生んだ国の虜になっているのは、私一人ではない。フィンランドの教育システムは国際ランキングで第一位、経済競争力は第3位。英国のシンクタンク(レガタム研究所)はフィンランドまたは首都ヘルシンキを地球上で最も住みやすい場所にあげた。」と。

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2015.5.22撮影) 北欧ツアーでフィンランドに上陸した日、あちこちで目についたのが、ベビーカーに子どもを乗せて歩くヤングファミリーでした。出産や子育てに不安はなさそうで、眩しいほどの羨ましい光景でした。私はたった1日フィンランド・ストックホルムに滞在しただけですが。

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著者はこの国の歴史にも目を向けて同情もしています。「フィンランドが、戦いに引き裂かれたいかに痛ましい歴史を持っているかを知るほど、フィンランド愛が高まってしまった。フィンランドはスウェーデンに654年間も支配され、その後はロシアに支配され2回国がなくなった時期がある。」

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著者の評価は続きます。「現在フィンランドは西ヨーロッパで最も高い国民所得となっていて、世界で最も腐敗度が低い国と見られている。フィンランド人は、北欧諸国の中でも最も礼儀正しい。」と。

著者の評価を裏付けるかのような新たな試みが始まりました。それはユニバーサル・ベーシックインカム。最低限所得保障の一つです。ベーシックインカムとは「政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を無条件で定期的に支給するという構想」とのこと。つまりは生活に必要とされる最低限のお金を国から支給しますよといった内容。20171月からフィンランドでは試験的にこのベーシックインカムがスタートしました。まずは全ての国民にではなく、失業手当か所得補給金を受給していた人の中から2千人が対象。実験期間は2年間。選ばれた人には毎月560ユーロ(68千円)が支給されます。資産などにかかわらず対象者には同金額が支払われます。関連した記事が先日の新聞にも掲載されていました。 

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2015.5.22撮影) 気になるのは物価です。北欧は物価が高いと聞いていましたが、フィンランドに着いた日スーパーを覗くと実際に高く、日本の1.52倍くらいの印象でした。にもかかわらずレジには行列ができていてかなりの商品が買われていました。週末のまとめ買いということもあるかもしれませんが、一人あたりGDPは日本よりかなり高い国ですので物価が高いという感覚はないかもしれず、消費は好調のようでした。 

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2015.5.22撮影) スーパーで買ってきたビールとサラミソーセージとサンドイッチで夕食をとりました。カミさんと2人分で、しめて日本円で4千円くらいでした(為替レートは140円/1ユーロ)。フィンランドに住んでいる日本人によると、日常品はそれ程高くはないが、嗜好品などはかなり高いとのことでした。

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2015.5.22撮影) 首都の景観や居心地については、著者の評価は低くなっています。「ストックホルムやコペンハーゲンと違い、ヘルシンキには景色や博物館という点で見どころは少ない。気取った中世趣味はまるでない。博物館の雰囲気は最初から最後まで暗かった。ヘルシンキの中心部を歩いたがお店が数軒しか見当たらなかった。」と、かなり辛口です。

ヘルシンキ市内観光では「ヘルシンキ大聖堂」に行きました。この大聖堂はヘルシンキ市街の中央に位置していていわばヘルシンキ位置の観光名所でありランドマークとなっているのですが、たしかにあまり面白味のあるものではありませんでした。

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北欧の人は酒が好きときいていましたが、特にフィンランド人は好きなようで、「フィンランド人はお酒が大好きである。海外からフィンランドに転勤してくるビジネスマン向けガイドブックには『カクテルパーティーや夕食後の飲み会においては、飲み放題のスタイルをとると、フィンランド人のお客さんが際限なく飲み続けるため、お開きにできなくなる可能性があります』と書かれている。」 

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(画像は、北海道大学に留学中のフィンランド人) 知日家でもある著者は、こんなことも書いています。「フィンランド人と日本人は似ているといわれる(両者ともボディランゲージを使わず、聞き上手であり、対立を好まない)が、その日本人でさえフィンランド人の率直さやぶっきらぼうさには驚く。」と書かれています。

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フィンランド人についてさらに続けて、「ファインランドの未来は明るく、経済は好調で生活水準もおおむね高い。ニューズウィークがフィンランドやヘルシンキを世界で一番住みやすい場所として賞賛していると伝えると、『自分たちは社会生活に向かない不器用で自滅的なアル中だ』と答える。また別のフィンランド人は『自殺やうつ病、アルコール依存症、それに寒くて暗い冬。フィンランド人の多くは、この国はプラス面もマイナス面も極端だと思っている』と。フィンランド人はネガティブな自画像を描いている。」  フィンランド人のこの謙虚さ、フィンランド人を好きになりそうです。 

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2015.5.22撮影) インターネットで見ると、フィンランド人自身も次のようにいっています。「内にこもりがちというフィンランド人のイメージがいまだに定着していて、フィンランドの中ですらそう語られているのです。 内向的なフィンランド人は自分の靴を見ながら他人と話す。社交的なフィンランド人は相手の靴を見ながら話す。というジョークもあるくらいです。」と。

画像はヘルシンキ大聖堂で見た風景。大人三人組、二人はサングラスをかけて熱心に読書していました。燦々と陽を浴びて好読書に耽っていました。フィンランド人の雰囲気が伝わってくるようです。

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夕暮れ時のヘルシンキは素晴らしいです。

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2015.5.22 撮影) ヘルシンキ市内で寛ぐフィンランド市民はとても幸せそうに見えましたが、はしゃいだり賑やかにしたりはしないでとても静かな雰囲気でした。

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著者はフィンランド人の幸せ度について断定的なことは書いていないのですが、2018年の国連幸福度調査では世界一のフィンランド。国の豊かさをはじめ、国民が幸せになる条件が揃っていると思うのですが、フィンランド人自身が控えめで、その真面目さ故に自殺やうつ病、アルコール依存症が多いというのも肯けるのです。フィンランド人は幸せなのでしょうか。生きがいや働きがいなど聞いてみたいものです。

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2018年11月 7日 (水)

本の旅 「世界しあわせ紀行」 08ノルウェー

著者がデンマークの次に訪れたのはノルウェー。ノルウェーは豊富な石油資源(海底油田)に支えられたとても豊かな国です。

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著者は、「ノルウェー人ほど憲法記念日を祝う国民はいないが、他のスカンジナビア諸国はノルウェーの憲法記念日を少なからず見下している。」と書いていますが、ノルウェーは過去何回かデンマークやスウェーデンに支配されたことがあり、不幸な歴史を背負っていますので、憲法記念日を祝うのはわかる気がするのですが。

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「ノルウェー国民は、世界で最も裕福な国民だ。世界の裕福な国200ヶ国でノルウェーの一人当たり所得は世界で2番目で、平均年収は880万円とか。」  ノルウェーが豊かな国であることは誰もが認めるところです。

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一方、「オスロにいる間に感じたことは恐ろしく物価は高く金がかかるということ。」と、同じ北欧のデンマークに住んでいる著者でさえ驚くほどの物価の高さです。スモールブローとは、ノルウェースタイルのオープンサンドイッチ、全粒粉の穀物パンの上にさまざまなノルウェー食材が乗って、付け合わせの野菜も充実しているのですが、3人分でソフトドリンクをつけて9,350円!ひとり3,000円以上!

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2015.5.24撮影) 北欧を旅したとき、北欧は物価が高いと聞いていましたのでできるだけ買い物をしないようにしました。ノルウェーに上陸した日訪れた港の市場では、魚介類がたくさん並んでいました。懐と相談してチョイスしたのは一番安いと思った、私がサーモンのカミさんは何とかエビのオープンサンドでした。価格はともかくここで食べたサーモンが北欧ツアーで食べたものの中では最も美味しかったのでした。

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2015.5.28撮影) 著者は、「オスロは実に美しい街で、大都市という看板にふさわしくなろうと懸命に努力しているが、北欧諸国の中では一番面白くない。」と書いています。ノルウェーには4日滞在し、オスロには1泊しただけで何ともいえないのですが、たしかに1泊しただけのデンマークに比べても人の賑わいや楽しそうな風景にはお目にかかれませんでした。

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2015.5.28撮影) オスロ観光では市庁舎にも行きました。ノーベル平和賞授与式が行われることで有名ですので観光スポットの一つになっています。ノーベル平和賞の授与式はここで行われています。ノーベル賞は、ノーベルの遺言に基づくものですが、なぜ平和賞の授与式だけがノルウェーで行われるようになったのかはわからないそうです。後世、ノルウェーの首都オスロは歴史に翻弄され、苦難の歴史を歩んだために、平和のありがたさを訴えるためではないかともいわれています。 

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2015.5.25撮影) 著者はオスロだけではなくノルウェーが誇るフィーヨルドにも出かけました。そこで、「私は自分の周りにいるフェリーの乗客を見回した。大体がトランプをしているかビールを飲んでいるかで、この人達は窓の外の美しい景色に気付いているのだろかと思った。ノルウェーのフィーヨルドは、本当に息をのむほど美しいのに。」 と嘆いています。私もフィーヨルドクルージングもしましたが、私の周りには観光客しかいませんでしたので、著者のような体験はしませんでした。この景色を見ないのはもったいないです。

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次の指摘が本当としたら驚きです。「おそらくノルウェーの社会構造において最も困難な課題は、労働年齢にある国民の約1/3が何もしていないという事実だろう。100万人以上(ノルウェーの人口は573万人:2016年)が国からの給付金で生活している。その割合はヨーロッパで最も多い。」 驚きではあるのですが、膨大な石油資源があればありうることに思えます。働かなくてもいいことは幸せのようなそうでないような。

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2015.5.27撮影) 「ノルウェーの子供たちも心配だ。読み書き能力や数学、科学においてヨーロッパの平均を下回り、その傾向は過去10年にわたり悪化し続けている。」と、著者は心配しています。育児費や教育費は無料ですが、もう一つどこで(都市か過疎地か)教育を受けるかによって不平等になっているともいわれています。画像はオスロへの途中で見かけた学童たち。

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2015.5.28撮影) 「しかし一方では都市部への人口集中という問題を克服しているのは石油による莫大な富があるノルウェーだけである。ノルウェーは国連の人間開発指数の首位に輝いている。このことは富も富以外でもノルウェーは世界一の国であることを意味しているし、最も政治的に安定した国でもある。」と、評価もしています。

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2015.5.28撮影)  オスロ市は人口が急増しているため環境保護には特に力を入れているそうで、トヨタや日産の電気自動車が頑張っていました。ノルウェーは税金も物価も高く、自家用車の税金は200%にもなるケースがありますが、反面環境に優しいエコカーにはかなりの優遇措置がとられているとのこと。

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結局、ノルウェー人は幸せなのかについて、「安心して眠れることや平和であること、安心感や生活の質、社会の絆というものは幸福感の核となっているものであるが、人生において最も重要なものではない。マズローの欲求の段階によればピラミッドの土台部分に過ぎない。スカンジナビア諸国には、欲求の上層にあるものが不足しているような気がする。特にノルウェーでは。ノルウェー人は寂しがりやだが面白みに欠ける。何が楽しみなのだろうか。」 と、著者は考えている。すなわちノルウェー人は、豊かな国で暮らして幸福であるが決定打に欠けると。

欠けている部分は、どうやらマズローの欲求5段階の最上位の「自己実現」などのヤル気や達成意欲などでは思うのですが、豊かな国であればそれほどあくせくすることもないとも思うのですが・・・。 

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5015.5.25撮影) 展望台から見たフィーヨルドも素晴らしかった。ノルウェーには4日間滞在し、オスロは1泊しただけでしたが、その他の地域では美味しいサーモンを食べ、山岳列車乗車やフィーヨルドクルージングなど素晴らしい味と景色を堪能しました。チョイ住みにはいいかも。

村上春樹の本は、紀行文以外はわかりにくい本が多いのですが、そういえば「ノルウェーの森」は比較的読みやすかったです。

観光ツアーでしたので絶好のシーズンに行き観光スポットしか回りませんでしたので何もいう資格はないのですが、とても豊か(物価は高そうですが)そうで、素晴らしい自然もたくさんあるのですが、賑わいや人懐かしさやを感じることがなかったのは物足りない感じがしました。やはりノルウェー人は面白みに欠けるのでしょうか。(ノルウェーおよびノルウェー人の皆様申し訳ありません)

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2018年11月 4日 (日)

本の旅 「世界しあわせ紀行」 07デンマーク

デンマークに在住している著者は、北欧のしあわせ度を探るために先ずデンマークについて書きました。

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2015.5.59撮影) 著者はデンマークについては、「デンマーク人は『仕事が生きがい』という人は少ない。ニューヨークタイムスはデンマークを『世界一安心して失業できる国』と評している。手厚い社会保障制度のために労働者は失業中でも手厚い給付を受けることができる。」と評していて、まったく羨ましい限りです。観光で歩いたコペンハーゲンの歩行者天国では、今まで見たこともない楽器を演奏しているおじさんがいました。実に哀愁のこもった音楽が流れ出しました。 

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2015.5.29撮影) 私たちが運河を観光で巡った時、運河の上に設けられた板張りの簡易レストランでは、平日(金曜日)だというのに年配のグループが集まって和気あいあいと会食していました。運河にはさまざまな人が集まって、賑わって、楽しんでいました。この国も高福祉・高負担の国で幸福大国ともいわれていて、老後の心配はないようです。 

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2015.5.29撮影) 著者は、「歴史的にみれば、デンマークはイギリスやスウェーデンにひどい目に遭ってきた。そのためにデンマーク国民は他の北欧諸国以上に集団としても団結力を高めたといえる。二度と外に向かって野心を持たないという決意が今日絶賛されているデンマーク社会の成功に至る道を切り拓いたのだと思う。」と分析しています。たしかに北欧諸国は地続きですので侵略したりされたりの歴史をもっています。

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2015.5.29撮影) 「デンマーク人は、年齢、社会的階層、人生観にかかわりなく、人と仲良くなれる非凡な才能を持っている。デンマークは基本的に一つの巨大な中流階級社会であり、全般的にみればデンマーク人は平等社会の建設に成功したといえる。デンマーク人はお互いを信用している。」と、デンマーク在住の著者ならではの分析をしています。

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著者は次のような心配もしています。「幸福な状態にあるかどうかと、本人が幸せかどうかとは別のことで、健康状態が大きなウェイトを占めているという指摘もされている。残念ながらデンマーク人は健康関連のスコアがすこぶる悪い。デンマーク国民のがん罹患率が世界最高で、北欧諸国のうち平均寿命が最も短く、アルコール消費量が最も多い。大酒飲みで有名なフィンランド人を上回っている。」

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著者夫婦(夫人はデンマーク人)はデンマーク在住ですので、次の指摘には実感がこもっています。「デンマークの直接税も間接税も世界最高であり、商品の店頭価格は世界一である。」 と。EU諸国もイヤになるくらい物価が高いのですが、デンマークに限らず北欧諸国の物価は目の玉が飛び出るくらいでした。 

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次の指摘はデンマークに限ったことではないと思うのですが、「またデンマーク社会の二層化(格差?)が、都市と地方とだけではなく医療や教育面でも進んでいるという現実も見逃せない。お金を出せるデンマーク人の中には、民間の医療サービスを利用する人が増えつつある。公共サービスの質に満足している人の割合がわずか22%と低下してきていている。」 

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「将来的に見て最も憂慮すべきことは、国内のどこで教育を受けたかによって学力に大きな差が生じていることだ。都市部への人口集中はデンマークに限らず世界的な傾向ともいえます。」 高福祉国家で教育制度が充実していても地域間格差の是正は難しいということでしょうか。

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デンマーク人は私たち日本人とは対極のようです。「デンマーク人の意外な一面は個人の負債が世界最大級に多い一方で貯蓄はしたがらないこと。『国が全部払ってくれるなら、なぜ貯蓄する必要があるのでしょう? こんなに税金を払っているんだから貯蓄する必要はないはずです』と。」 ごもっともです。

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「高い税率とそれに見合った公共サービスの質の低下ということから頭脳流出が加速しているという現実は将来大きな問題となると思われる。」 この指摘が正しいならば、公共サービスの質の低下が事実ならば、高福祉高負担という国の成り立ちの根幹を揺るがすことになると思われます。

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(画像はJAPAN EXPO inデンマーク) 世界一幸せといわれるデンマーク人について、著者は長年数多くのデンマーク人に、本当に自分たちが世界で一番幸福な国民だと思うか、と質問してきました。その答えは、「本気でそう信じている人は、これまで一人もいなかった。あるデンマークの知識人は、デンマークでは、幸せでないということは、あってはならないことなのです。もしそう言わないと相手に『私を助ける』という重荷を背負わせることになるからとも言います。またある知識人は『叶えられる小さな希望』をもっているからとも言います。」 まるで禅問答のようで、わかるようなわからないような。

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幸せ観は国によっても随分違うようです。「ある新聞社のアンケート調査によると、デンマーク人が幸せに感じるのは、友人と一緒にいるときが1位で74%、家族と一緒が2位で70%、海外旅行が3位だそうです。さらに別の調査では死ぬのは恐くないという人の割合が54%と半分以上となっていて、もしかしてこれが幸せと感じる秘密かもしれないという指摘もされています。」

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高福祉高負担という制度はデンマークに限らず有効に機能しているようにみえますし、そこで暮らすデンマーク人はきっと幸せなんだろうなあと思います。観光地しか見ませんでしたがきれいな国ですし、アンデルセンを生んだ童話の国でもあり、幸せであっても不思議ではないのですが、暮らしやすさや日常生活はどうなのだろうかとも思います。ただ、友達と一緒にいるときが最も幸せと感じる人が7割もいるとすれば、人間関係に問題はなさそうですし、それだけで暮らしやすそうです。やはりデンマーク人は幸せそうです。

最後に、著者はデンマーク人の健康状態や公共サービスの質については問題ないと思っているのですが、一方「この国はここからどこへ向かって進むべきか、長期的な持続可能な福祉国家バージョンの姿はどういうものなのか、デンマークは混乱しています」とも警告しています。

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2018年11月 1日 (木)

丹沢登山紀 10月

猛暑日の続いた夏も終わり、少しずつ山登りが快適な季節になりました。10月は10/2、7、16、23、29の5回丹沢登山に出かけ、今年通算すると32回となりました。

10/2(火) 10月に入って、早々に晴れ間が出ましたので28回目となる丹沢登山に出かけました。9月末に日本列島に上陸した台風24号が過ぎた後、10月に入ったというのにとても夏が居残っているような暑い日でした。

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前回(9/28)は、久しぶりに頂上まで行けましたので少し脚力が戻ったかもしれません。順調なペースで登っていけました。青空も気持ちよく広がっていました。 山頂はさすがに涼しくて、地上の30℃に対してここは15℃で天国でした。気持ちよさそうに昼寝している人もいました。

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気温が高いせいか、富士山も空もスッキリとはしていませんでしたが、それでも青空の下で気持ちよさそうに鎮座していました。

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ミカンが出回る時期になりました。ミカンを見ると秋の遠足や運動会を思い出します。富士山を見ながら、涼しい風に吹かれながらのミカンは甘酸っぱく最高でした。

10/7(日) 10月に入って2回目、29回目となる丹沢登山に出かけました。前回と同様、今度も強烈な台風25号が過ぎ去った後で、前回にも増して気温は高く、おまけに湿度も高く、樹林帯を歩いているときは熱帯雨林を歩いているようでした。 

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青く高い秋空が見えるのですが、台風一過の影響でしょうか不思議な白い雲がわいてきていて、これが蒸し暑さの原因かなと恨めしくも思いました。

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リンドウもあちこち花が開きかかっていました。足元には赤い実もなっていて気配は秋なのですが、気候は真夏のようでした。

10/16(火) 10月に入って3回目、通算30回目となる丹沢登山に出かけました。天気は曇でした。

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地上はまだ暑い日が続いていたのですが、富士山には初冠雪が見られました。

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倒木に、苔のような新芽がびっしりとついていました。これから冬へ向かうというのに、もう次の春の準備をしているのでしょうか、それとも異常気象でしょうか。そういえば、日本列島ではあちこちで桜が咲いているとか。

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ある事件で一躍知名度が上がったトリカブト。

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創造の神のきまぐれのような花や実も。

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10/23(火) 10月に入って4回目の丹沢には紅葉が始まっていました。

10/28(日) 10月に入って5回目、通算32回目となる丹沢登山。天気は晴で、秋風が気持ちのいい日でした。

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快晴の日曜日とあってたくさんの登山客が詰めかけ、始発前の臨時バスから降りるといっせいに準備をして、次々と歩き始めていました。私も続きました。 

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急登の道では、ゆっくりと登る人のあとにちょっとした渋滞がおきます。

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標高が高くなるにつれ、紅葉・黄葉が進んでいました。急登が長く続く細い道では登山者の列が続きます。自分の後に列ができてしまうと気になりますので、そんな時はちょっと脇に身体をずらして道を譲りますし、逆に道を譲られるときもあります。

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10/21(日) スッキリと秋晴れの日、小田急線の秦野駅で下車して弘法山~吾妻山~鶴巻温泉のハイキングコースを歩いてみました。小高い山の稜線からは秦野市街を見下ろすように初冠雪をまとった富士山が、秋空と同じようにスッキリと見えました。 

できれば週一のペースで登りたい丹沢ですが、天候に左右されたり用事があったりとで思うようには登れず、ここまで10ヶ月で32回の登山となりました。回数を競うわけではないのですが、体力・脚力を維持するためにはせめて10日に1回くらいは登りたいものです。天候や体調によって、山頂まで行かなくても8合目当たりの花立山荘でも充分運動にはなりますので、残された2ヶ月無理しないペースで登りたいものです。

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