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2019年1月29日 (火)

旅の空2007年 四国巡礼 03 四番札所大日寺

5/10(木) 4番札所大日寺までの歩行距離は5.0km1時間ちょっとの距離です。

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3番札所の金泉寺の奥の院、愛染院の山門には大きなわらじが2つありました。まれにわらじを履いたお遍路さんを見かけることがありましたが、私もそうですがほとんどのお遍路さんは歩きやすいウオーキングシューズでした。

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納経所で納経帳に筆書きでお寺の名前などを書いて貰い朱印を押してもらいます(300円)。愛染院の納経書は刷毛(はけ)で梵字が書かれていて、四国では唯一の刷毛書納経でした。

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4番札所大日寺までの道は高速道路をくぐった後、いきなりの山道になりました。赤で書かれたお遍路さんマークがすっかりお馴染みになりました。

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これが初めての遍路道で、道はさらに山の中に入って行くと少し不安になりました。

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舗装されていない田園の道や山の中の道を歩くときには金剛杖はとても強い味方となりました。金剛杖とは空海の法号「遍照金剛」に由来し、杖そのものが弘法大師の化身とされています。「同行二人(どうぎょうににん)」の所以です。杖の上部には梵字が描かれ、卒塔婆を模してあります。金剛杖は行き倒れになった時の巡礼者の墓標でもあります。

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赤いお遍路マークがタイミングよく現れるとこの道はたくさんのお遍路さんが歩いている道だと思えて心強く思えたものでした。

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一番気になっていたのが蛇で、この時期はマムシが出ると聞いていましたので、ことさら強く金剛杖で地面を突いたりもしました。

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山の中の道を歩いて、何とか四番札所大日寺に着きました。朱塗りの山門で、上部が円柱の鐘楼になっていて堂々たる姿をしていました。

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先ずは本堂に参拝してお経を唱えました。 

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言い伝えによると、弘法大師がここで修行中に大日如来を感得し、その結果大日如来像を刻み、それをご本尊として創建され、ご本尊より大日寺と号したというありがたいお寺です。

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同じ境内にある大師堂でもお経を唱えました。般若心経は少しずつ覚えてきました。

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大日寺のありがたい仏様たち。

駆け足のように4つの霊場を巡りました。ここまでの距離は11kmと決して長い距離ではないのですが、県道があったり高速道路をくぐったり、山の中の道だったり、この先の長い道のりでどんな景色が見られるか楽しみになりました。

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2019年1月26日 (土)

旅の空2007年 四国巡礼 02 二番極楽寺~三番金泉寺

5/10(木) 四国巡礼1日目は7番札所十楽寺まで7ヶ所を巡って歩行距離は16.9kmですので、各霊場間の距離は短いものでした。先ずは1.4km先の2番札所極楽寺を目指しました。

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次の札所まで短い距離でしたが、でかい案内板がありほっとしました。

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2番札所極楽寺までは1.4kmでしたのであっという間に着きました。ご詠歌は、極楽の弥陀の浄土へ行きたくば 南無阿弥陀仏口癖にせよ と。ご詠歌とは仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌にし、旋律=曲に乗せて唱えるもので、日本仏教において平安時代より伝わる宗教的伝統芸能の一つです。 

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極楽寺の境内には弘法大師が植えたといわれる樹齢1200年の大きな杉の木があり、樹皮を身につけると寿命が延びるといわれています。

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本堂に参拝した後は大師堂で読経し、納経所で納経朱印をいただいて、門で一礼して参拝を終えますので一つの霊場で30分くらいはかかります。

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極楽寺には「仏足石」がありました。仏足石はお釈迦様の足跡を石に刻んで信仰の対象にしたものです。仏足石はこの後何ヵ所かの霊場で見ることになりました。

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極楽寺で見たありがたい仏様たち。背中を押されました。

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境内の片隅では小坊主さんが気持ちよさそうに寝ていましたが、のんびりしているわけにはいかず先を急ぎました。

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霊場から霊場への順路は「へんろみち保存協会」の地図を頼りにしましたが、もう一つ「楽しく歩く四国遍路」も参考になりました。 

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歩き始めると目に飛び込んできたのが、「へんろ道 右 金泉寺」という赤い文字と、赤い色をしたお遍路さんの絵でした。この先、とても心強い道標になりました。他にも行政が設置した「四国の道」の標識や白地に赤の遍路道シールなどさまざまな道標を目にしました。

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3番札所の金泉寺(こんせんじ)までは2.6kmでしたので、自分の遍路姿をぎこちなく感じながらあっという間に着きました。ご詠歌は、 極楽の宝の池を思え ただ黄金の泉すみたたえたる 。

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弘法大師が四国を巡った時、村の人たちが日照りに苦しんでいるのを見てこの地に井戸を掘ったといわれ、この井戸から湧き出た水は「長寿をもたらす黄金の井戸」とされ、「金泉寺」の名前の由来になったとのこと。弘法大師の井戸は全国あちこちに見られます。

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金泉寺の宝物。

地図を頼りに歩き始め、お寺に着いて経を読んだり納経札を納めたりなかなか忙しいものでしたが、少しずつ慣れていきそうでした。

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2019年1月23日 (水)

旅の空2007年 四国巡礼 01 一番霊山寺

「発心の道場」といわれる徳島県の1番札所から歩き始めました。(画像は、ガラケーで撮った写真を現地からこのブログに直接アップするという手抜きをしてしまったために、低品質の見にくいものになりました。鮮明な画像は持参したデジカメで撮ったものやガイドブックなどから転載させていただいたものです) 

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徳島県には1番札所から23番札所まで23ヶ所の霊場があり281kmの行程です。

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2017.5.10 羽田発の早朝フライトで徳島空港に向かい、タクシーで一番札所霊山(りょうぜん)寺に向かいました。そして飛び込んだのが霊山寺脇にある遍路ショップ「一歩堂」でした。 ここで四国巡礼に必要な衣装や道具を買い揃えました。

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一般的な遍路装束と持ち物はかなりの数になりました。 

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にわか遍路ができました。白装束を身に着け、菅笠を被って、金剛杖を手にした第一印象は恥ずかしいということでした。白装束は死装束を意味し、遍路とは、今までの自分を捨てて生まれ変わる「擬死再生の旅」だといわれています。どうなることやら。

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10:00 早速1番札所霊山寺に参拝しました。とても緊張しました。

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旅立ちを祝福してくれるような小さなお釈迦様。

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1番札所霊山寺(りょうぜんじ)には白装束のお遍路さんたちいつも賑わっています。私も同じように第一歩を踏み出しました。山門に一礼して境内に入り、手を洗い口をすすいでお清めをするという手順は普通の寺院の参拝と同じです。巡礼の場合はその後、経を唱えたりという作法が加わります。

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本堂でろうそく、線香、納札などを奉納した後、般若心経を唱えます。その時間は1分。何回か唱えているうちに、門前の小僧状態になり覚えてしまい、10年後の今日でも忘れずにいます。

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1番札所から次の札所へと向かう順路は、とても便利なガイドブックを参考にしました。中味は詳細な地図になっていますので、力強い味方でした。 

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2019年1月20日 (日)

旅の空2007年 四国巡礼へ

四国八十八箇所巡りに出かけました。遍路の動機は、誰かの供養とか、自分を見つめるとか、自分探し、あるいは懺悔とかいろいろあるようですが、私は歩くことそのものを目的としました。その中で、心にどのようなことが浮かんでくるのか、どのようなことが見えてくるのかを楽しみでしたが、出かけるときはとても緊張しました。 

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四国巡礼は2007.5.4に出発し、4回に分けて延べ4週間、2007.11.8に高野山にゴールしました。それから12年、改めて四国巡礼を見直しています。四国巡礼は弘法大師空海に触れる旅でもあり、そもそも空海とはどういう人でどういう足跡を辿った人なのかを「『空海の風景』を旅する」はわかりやすく教えてくれました。原点となった「空海の風景」は司馬遼太郎の著作で、その中で取りあげられた風景をNHK取材班がまとめたものです。

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四国巡礼する人の数ははっきりとした数字はないのですが、年間810万人といわれています。さまざまな人がさまざまな動機で巡礼しているものと思われ、それぞれどんなことを思って歩いているのかは興味がありました。

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お遍路さんはそれぞれの事情を抱えていますので、初対面のお遍路さんと道々一緒に歩くことがよくありましたが、お互いの心の内は聞かない、話さないのが暗黙のルールになっていました。それにしてもわたくしの遍路旅はいかにのほほんとしたものであったか、終わってから思い知りました。

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俳人の黛まどかさんも、最近20174月から6月初旬にかけて、四国遍路を歩いたそうです。全行程を自分の足で歩く、「通し遍路」とのこと。

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俳人である黛まどかさんは、折に触れて句を詠んで披露してくれていますので私の遍路旅を思い出しながら楽しませてもらっています。

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四国巡礼は、徳島県の一番札所から高知、愛媛、香川の八十八番札所までの全行程約1,200kmを巡りますので、130km歩いても40日間かかります。

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私自身のことをいえば、旧東海道五十三次492kmを延べ19日で歩きました。1日平均2526kmということになります。それに比べると四国巡礼は距離といいアクセスといいスケールが違います。10年前はまだ仕事をしていましたので、黛まどかさんのように「通し遍路」というわけにはいかず、結局四国4県を延べ32日で巡ろうと思いました。「7日で一県楽しく歩く四国遍路」という恰好のガイドブックがあり、その行程に沿って歩こうと思いました。1県を7日とありますが、最終日は飛行機の時間に間に合わない可能性もありましたので一日ゆとりを持って1県を8日で歩きました。

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“靴ひもを 結ぶ手震え 風薫る”  「重い荷物を背負い、何日も何週間もかけて長距離徒歩旅行を行う場合の歩き方には二つしかない、とコリン・フレッチャーは書いていた。それはSLOWSLOWER。つまり、ゆっくりか、もっとゆっくりかの二種類だけだ、と。」(五木寛之「風の王国」)の言葉を噛みしめながら、靴ひもを結びました。

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2019年1月17日 (木)

旅の空2007 尾瀬三三(さんさん)会

2007.8.28 神奈川県立の高校を卒業して数十年、33組(さんさん会)の有志5人で尾瀬へと出かけました。深夜に都内を出発し、鳩待峠を経由して山の鼻に到着したのが06:30

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8/29(水)07:00山の鼻で朝食に「尾瀬舞茸弁当」(美味しかった)を食べて、牛首に向けて出発しました。朝食をとり、深夜バスの眠気もとれ、尾瀬ヶ原らしい湿原を歩き始めました。

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07:30牛首に到着しました。山の鼻から30分かかりました。歩くスピードは全員快調で、目的地には大体予定時間よりも早く到着することができています。その分、ゆったりと休息をとることができました。

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夏の終わりのこの時期、この広い湿原を歩いている間、ほとんど人に会うこともなく、見かけることもなく、私たちだけでした。空模様は、霧か雲が発生していて、正面に見えるはずの燧岳の中腹が時々チラッと見えることがありますが、周りの霧と雲が幻想的な雰囲気となっていました。

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弥四郎小屋を目指して一直線の一本道。それぞれのペースで歩いて、やがて弥四郎小屋が目の前に見えてきました。

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10:00弥四郎小屋に到着しました。山小屋の「弥四郎小屋」というカンバン文字の上の2階の部屋が私たちが泊まった部屋でした。朝出発して随分時間が経っているような気がしていたのですがまだ10時です。これから三条の滝に向かいますので、ここで早めの昼食をすませました。

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腹ごしらえをして、山小屋にリュックを預けて身軽になって三条の滝に向かいました。この道がなかなか手強く、汗をビッショリとかきました。

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11:50三条の滝到着。豪快で涼しげな三条の滝を見ながら、ゆっくりと涼をとりました。三条の滝は、只見川となり、奥只見ダムを通り、新潟県を流れ、日本海に注ぐとのことです。いわば只見川の源流のようなものであり、また尾瀬の水の全てが三条の滝に集まるとのことです。水量は豊富で豪快でした。紅一点はのんちゃん。

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13:50山小屋にチェックインしました。早朝からのハイキングも終わり、予定より早めに山小屋にチェックインしました。何はともあれ、1階のティールームで乾杯しました。季節外れのため、ティールームも我々だけで占有してすっかりリラックスムードでした。快い疲れと、満ち足りた時間でした。 

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部屋は、20畳の大きな部屋で、ここを6人で使いました。それぞれ思い思いの場所を確保して、思い思いの時間を過ごしました。この時に、富士登山の話になり、T君の “新幹線から富士山を眺めると、あのてっぺんに登ったと思うと気分がいい” という一言に触発されて24回も登ることになりました。

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18:00夕食。尾瀬では、食材は全てヘリコプターで搬入されるそうです。乾杯の後美味しくいただきました。高校時代の話、クラスメートの話、これからの話・・・・等々、話が弾みました。 

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8/30(木)一夜明けて、快晴と言いたいところだったのですが、雨は止む気配はありませんでした。05:00起床、06:00朝食、07:00沼尻に向けて出発しました。沼尻の休憩所で汗を拭いて気持ちを新たにして長蔵小屋へと向かいました。雨は小雨で、あたりはひっそりと静まりかえっている中、私たちの賑やかな話し声や笑い声が響いていました。

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広々と広がった大湿原、自然を独り占めでした。尾瀬には何回か行ったことがあるのですが、雨模様のこの時の尾瀬が最も印象に残っています。青春???の一頁です。

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09:50長蔵小屋に到着。弥四郎小屋で準備してもらったおむすびで早めの昼食をとりました。少しじっとしていると汗が引いてきて寒く感じるようになりました。 

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最後の難関三平峠を難なく越えて最終目的地大清水へ向かいました。誰ともなく、「もう終わりで寂しいね」。今までは、湿原の道、峠の道、どこも狭い道で、縦に隊列を組んでのウオーキングでしたが、大清水への県道は幅広く、一見すると、林道作業員に見えなくもありませんが、横一線になって、色々な話をしながら、最後のウオーキングを楽しみました。

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予定より早く大清水に到着し、帰りのバスも予定より少し早く出発しました。乗客は14人で、好きなところに座ってくださいと言われましたので、我々は後部座席でほぼ占有状態、ゆったり帰ることができました。最後のSAを出発後、運転手が急に乗客の人数をカウントし始めました。もしかして・・・1人少ないのでは、カウントすると13人・・・確かに私の席から3つ前方のシートにいるべき女性がいないし、シートには小荷物とペットボトルだけが残されていました。そういえば、SAでのバスの出発は予定よりも5分早かったし、運転手は人数確認をしなかったようです。要するに、1人置き去りにしてしまったようです。どういう人か記憶にないのですが、のんちゃんは覚えていて、20代後半の髪の毛の長い女性だったそうです。大清水では一番早くバスに乗り込んでいたそうです。

バスはそんなトラブルにお構いなしに順調に走行し、予定より2時間も早く新宿に到着しました。横須賀高校33組(さんさん会)の第2回山歩き・ハイキングは無事終了しました。後年このメンバーでの飲み会では乗客置き去り事件は尾瀬の思い出と共に語りつがれました。

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高校時代(さんさん会)での同窓会(2003.1.22)も楽しい思い出の一つです。一軒家を借り切って、ケータリングサービスを利用したり食材を持ち寄ったりの手造り同窓会も楽しい思い出です。

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高校3年の時期が自分にとっては最も青春だったような気がします。大学受験を控えて緊張している時期ではあったのですが、その割にはよく遊んでよく語り合って楽しいことばかりでした。卒業してからも三浦半島で遊んだり、北アルプスに出かけたり、飲み会で語り合ったり、遠く離れた友もいますが、今だに交流は続いているのです。

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2019年1月14日 (月)

旅の空2007年 夏の高校野球

ヒマラヤを何回か一緒に歩いた山の友と雑談をしていて、彼が突然 一生に一回甲子園高校野球大会 を見てみたいと言い出しました。私は今から遙か昔の20代の頃、真夏の甲子園に足を運んだことがあります。かつて野球少年でしたので血が騒ぎます。

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山の友の気持ちは少しはわかる気がします。高校野球は単なる一つのスポーツとは異なる、物語や熱や華があるような気がします。私も時々高校野球を見たくなり、夏の高校野球神奈川県大会を見に横浜スタジオに出かけたものです。

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2007年夏の甲子園の神奈川県予選準決勝は、第一試合は横浜高校vs東海大相模、第二試合は慶應義塾高校vs桐光学園と好カードでした。 

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勝ち抜いてゆくトーナメント方式では、準決勝(四強の戦い)が一番面白いということもあって、この日の横浜スタジオは開始前から行列ができ球場は満員でした。

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熱心な野球ファンは両チームの試合前の練習を眺めるのも楽しみなものです。将来の有望選手を発見しようとでもするかのように、選手の動きや一挙手一投足で選手の力量を推量するのも楽しみなものです。

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名将といわれた横浜高校の渡辺監督は、ノックも見事でした。

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練習を終えてグランドを引きあげる横浜高校ナイン、キビキビした動きや礼儀正しさも高校野球(どのスポーツでも同じですが)の一つのルールであり魅力にもなっています。 

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こちらは東海大相模高校ナインが練習を終えました。この時は私は横浜市民でしたので横浜高校を応援し、現在は相模原市に転居しましたので東海大相模高校を応援しています。特に、東海大学相模高校はご近所さんですので応援にも熱が入ります。

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炎天下の下で汗をかきながらの応援合戦も夏の高校野球の風物詩の一つです。高校野球甲子園大会の大きな特徴の一つは地域の代表同士の戦いであり、老いも若きも男も女も同じ地域の一つが心を一つにすることです。

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両軍の選手がベンチから勢いよく飛び出し、ホームプレートを挟んで整列をして試合開始となります。緊張感と大歓声で鳥肌が立つようです。

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ピッチャーがマウンドに立ち、審判のプレイボールの声とサイレンで試合は始まりました。第1球目を投じるときのピッチャーの緊張感はこちらにも伝わってくるようでした。

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1球目を待ち構える打者もピッチャーと同じくらいの緊張と意気込みのように見えました。

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1球目が投じられてバッターが勢いよくバットを振って試合が始まり、それにつれて内野手や外野手が動く、この躍動感はワクワクします。

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打者がヒットを打って出塁して、投手と捕手、そしてランナーとの駆け引きも見ものです。プロ野球で東京ドームにも何回か足を運びましたが、同じ広さのグランドや同じ長さの塁間を走る選手の動きや同じ距離のスタンドへのホームランなど、さすがにプロのスピード感は凄いのですが、超高校球の選手のスピードや飛距離もなかなかのものです。

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初回からのいきなりのピンチで、ピッチャーと捕手を中心に内野手が集まって、監督の指示を受けて相談しています。チーム力やチームワークが試される場面です。

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がホームランやヒットを打ったとき応援団は総立ちになって、観客は拍手や歓声で、球場全体が地響きのようになりま打者した。バットから打ち出されたボールが大きな弧を描いて外野席に飛び込むシーンは何回見ても気持ちのいいものです。

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数十年前の甲子園の熱暑も凄かったのですが、この日の熱気と炎暑も相当のものでした。第一試合は東海大相模が勝ちました。30℃を超える熱暑のため、第一試合が終わった段階で帰りました。 

甲子園の高校野球、大学時代の六大学野球、東京ドームのプロ野球、それぞれ楽しいのですが、高校野球の熱気や雰囲気は独特のもので、選手にとっても応援する人々にとっても青春の一頁です。

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2019年1月11日 (金)

旅の空2007年 山中湖ライフ

20071月にブログ「テクテク見聞録」を始めて13年目に突入しました。よこここまで続いたなあと思います。ここまでを振り返ってみますと、よくあちこち行ったなあと驚きもします。10年以上前に見た風景を改めて眺めてみるとまた違ったものがあります。それは自分が歳をとったということでもありますが、時間の経過とともにまた違った風景に見えたりもします。私の人生の中で大きなウェイトを占めていた山中湖ライフ(20076月)から振り返ってみたいと思います。 

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山中湖畔に猫の額ほどのリゾートマンションをベースにして、最初はテニスやゴルフで遊んでいましたが、2007年頃からはそれに加えて近辺を散策したり近辺の山をハイキングしたりする機会が増えました。近辺には忍野八海や石割山など手頃なスポットが何ヵ所かあり、花の都公園もそのうちのひとつでした。 

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高原の風を感じながらブラブラと小一時間も歩けば花の都公園に辿り着きます。四季折々の花を眺め、季節を感じたものでしたが、今振り返ってみますとなんということはないこんな時間があったことが不思議です。こんな時間を持てたことが幸せでもありました。

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花の都公園に至る道の先には富士山が見えていました。富士山への初登頂は2008年でしたので、この頃はまだ富士には登っていませんでした。富士山を眺めてどう思っていたのでしょうか。いつか登ってみようと考えていた記憶はなく、それが翌年ちょっとしたことで富士山に挑戦することになったのでした。

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山中湖のベースにはカミさんと行ったり、友達と行ったりしていました。いつも合宿気分で、狭いキッチンでしたが自炊していました。近辺にはオシャレなレストランやなかなか美味しい寿司屋もあったのですが、ここで酒を飲んでそのまま寝転んでしまうのが最高の幸せでした。この頃から男子厨房に入り始めていましたので料理が楽しくなっていた時期で、おかげで今でもカミさんに何かあった時には厨房に入ります。 

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自炊といっても、春や夏は鉄板焼き、秋や冬は鍋物と決まっていて、単に材料を買ってくるだけのいたって横着なものでした。鉄板焼きの定番は、肉やソーセージ、イカや野菜などで、近辺のスーパーや魚屋で大体仕入れることができました。

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目の前は山中湖で、湖畔には遊歩道やサイクリングロードがグルッと巡っています。山中湖を一周するとその距離はおよそ14kmです。

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何回か面白半分に山中湖一周(13.5km)を歩いたことがあります。大体3時間半くらいかかりましたが、湖畔の景色は次々変わり、季節によっても光景は変わりますので飽きることはありませんでした。とはいえ、これだけの距離をモクモクと歩くには体力以上に気力が必要でした。

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時間はタップリあり、急ぐこともありませんのでアイスクリームを食べたり、ところどころで休んだりしました。今にして思えば、こういう時間がとても貴重だったなあと思います。

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同じように湖畔を散歩している別荘族の人たちはペット連れが多く、物欲しそうな顔をしてこちらを見ているワンちゃんもいました。この時から10数年、このワンちゃんは今はきっと天国で安らかに眠っていることでしょう。

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湖畔の散歩に飽きたり、富士山を間近で見たいと思ったときには石割山にもよく登りました。石割神社の鳥居をくぐると心臓破りの長い石段が待ち構えています。地元のお年寄りが長い石段を上って、神社に参拝する姿をよく見かけ、驚きもしました。

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ここが石割神社です。真っ二つに割れた巨大な石の足下に小さな社があります。昔から古事記にある「天の岩戸」伝説の地ともいわれている神域です。

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長い石段を上り、神社に参拝して、勾配の急な山道を20分登ると眺望が開けます。ここが標高1413mの石割山山頂です。丹沢山塊の塔ノ岳の標高は1491mで石割山との高さはあまり変わらないのですが、山中湖の標高が980mですので、石割山は約430mの登りということになります。

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石割山の山頂からは真っ正面に富士山を眺めることができます。涼しい風に吹かれて豪快な富士山を眺めるのは最高の気分でした。ここから尾根伝いにいくつかの山を越えて山中湖を半周するトレッキングコースもあります。そのコースは、さまざまな角度から富士山を眺めることができる富士山ビューのゴールデンコースでもあります。この当時、こうして富士山を何回も眺めながら富士山に登ろうと思わなかったのは不思議です。

結局、富士山には2008年からこれまで24回挑戦して20回登頂し4回途中でギブアップしました。

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2019年1月 8日 (火)

本の旅 世界しあわせ紀行 終章:知恵の悲しみ

前回は、一人あたりGDPが高い順に、いくつかの国の表情を見てきました。それはきわめて表層的なものであることは承知しているのですが、それでも北欧のように豊かな国とパキスタンやネパールなどの最貧国とでは、そこで暮らす環境の違いは歴然としていました。

北欧のような国では豊かな生活はできそうな気がします。しかし、かなりの独断と偏見かもしれませんが、そこで人生を送って本当に幸せなんだろうかと思ってしまうのです。むしろイタリアやスペインの方が陽気で楽しく幸せに暮らせそうな気がするのです。あるいはタイでもベトナムでもゆったりと生きていけそうな気がするのです。幸せは気持ちの持ちようとか、心持ちとか心の問題と思うのですが、それを蒸し返してしまっては話が戻ってしまいます。

次の三枚の写真は、私が最も幸せを感じる画像ですし、幸せについて考えさせられる画像でもあります。

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一枚目は最後の桃源郷といわれるパキスタン・フンザのある村を散策中に、通りかかった少女の一団は、誰もが立ち止まってこちらを向いてくれました。既に何回も掲載している写真です。

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二枚目は、同じ村を散策中のものです。あちこちに散在する石積みの住まいを覆い尽くすように咲き誇っていた杏の花に佇む一人の婦人は、生気に溢れ、しっかりと地に足をつけているような自信が微笑みにも現れているような、健康的な艶っぽさが印象的でした。

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三枚目は、幸せ度100%、私の理想のような古老。自宅の裏庭でうまそうにタバコを吹かし、ティーを美味しそうに飲んでいて、とても楽しそうに穏やかに笑っていました。

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フンザは長寿の国でもあります。グルバフトさんは百歳。常食は自然の恵みである杏やナッツ、小麦粉を焼いたチャパティやヨーグルトなど、いたって質素です。

「世界最後の桃源郷」といわれるフンザの人々の幸せそうな表情は衝撃的でした。しかし、ここに移住するかと聞かれたら100%ノーです。日本に住んで、情報の波に飲み込まれて、あまりにも多くの余計なことを知りすぎてしまった私は、観光でフンザに行けてもフンザに住むことは一日たりともできません。あまりにも余計なこと知りすぎてしまった私は「知恵の悲しみ」にどっぷりと浸かっているのです。 

私が「知恵の悲しみ」という言葉を知ったのは敬愛する作家開高健によってでした。子どもの頃に感動した素晴らしいことや美味しいものも、大人になるにつれて世界もひろがり、他にもいろいろと素晴らしいことや美味しいものを知るにつれ昔ほど感動を覚えなくなってきています。これを”無知の幸福、知恵の悲しみ”というそうです。

世の中には知らなければならないこともたくさんありますし、知らなくてもいいこともまた勝手に目や耳に飛び込んできます。 

ここでとりあげた三枚の写真は、いつも私を幸せな気分にしてくれます。一瞬でも桃源郷の空気を吸ったことは私の人生において大きな幸せなのです。 

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2019年1月 5日 (土)

本の旅 世界しあわせ紀行 しあわせの微笑み(後編)

前回は、一人あたりGDP195ヶ国中で100位以内の国をみましたが、今回は100位以下の国をみてみます。

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サハラ砂漠を見たくて、一人あたりGDP126位のモロッコを旅したのは2015.29日間でした。今にして思えば、一人あたりGDP100位よりも低い国に行くのに、ビジネスクラスで夫婦で出かけるなんて何とデリカシーがないのだろうと思うのですが、とにかく行ってしまいました。首都ラバトのムハンマド5世廟で見かけた若い母と娘さんと親類と思われるグループの姿は、イスラムの国とは思えないほど明るいものでした。豊かな階層のように見えましたが。

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ヤギの皮袋で水を売っているおじさんの収入は写真撮影代(日本円で60円)くらい。この陽気なおじさんは生きているだけで幸せそうですが、どうなのでしょうか。

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モロッコの古都メクネスで昼食に名物タジン鍋を食べながら赤ワインのボトルを開けて、いい気持ちになって歩いている時、たぶんお孫さんだと思うのですが遊ばせているおじさんとアイコンタクトとなり、写真を撮ってもいいかと訊くと手を挙げてOKしてくれました。しみじみ幸せなんだろうなあと思いました。

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モロッコの旧市街で、陶芸工房見学を見学して表に出るとおじさんがロバに乗ってきました。同行していた女性たちはあんな小さなロバに大きな大人が乗ってロバが可哀想と言っていました。たしかにロバは小さく見えますし、けなげでした。モロッコは随分貧富の差がありそうに思いました。

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ベトナム(135位)は好きな国で、2004.9にホーチミンシティ(サイゴン)を中心に4日間、2017.4にハノイ市やハロン湾の北部からから南部のホーチミンシティまで7日間旅しました。ベトナムの南も北も、どこでも見られた路上での宴会風景でした。一人あたりGDP、それがどうした、今が幸せならそれでいいじゃないか、まあ難しいことはいわないで、こっちへ来いといわれそうでした。 

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おじさんたちだけではなく、若い人たちも路上で食事があたりまえのようでした。ベトナムの歩道はほとんど歩けないといわれることもあります。現在、ベトナムからは日本に多くの人が出稼ぎに来ています。ベトナム人は頭が良くて勤勉ですので重宝がられています。米中の大国と戦って負けたことのない国ですが、国は豊かではありません。それでもあまり貧乏な国とか貧しい人々だとは思えないのはなぜでしょうか。ある面豊かに感じてしまう部分もあるのです。それはベトナム人の心の持ちようか生き方なのか、あるいは自分の心の持ちようなのかもしれません。

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パキスタン(150位)の北部、中国国境に近い「世界最後の桃源郷」といわれているフンザを訪れたのは2013.411日間)でした。カラコルムハイウェイの途中のある村で、私たちがジープを連ねて花を求めて歩く姿は地元の人達には異様な光景に映ったに違いありません。彼らにしてみればいつも見慣れている花に群れ、しきりにシャッターを切る姿は不思議だったと思われ、いつの間にか村人が集まってきて、私たちを見物していました。最後は私たち20人と彼ら20+α人と、何となく集団見合い風になってしまいお互いに笑い合ってしまいました。残念ながらというか当然というか時々出会った女性達は逃げるように走り去り、残ったのは男性ばかりでした。このシーンも強い印象として今でも残っています。 

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パキスタンの山奥、アルチット村の家屋は400年前に建てられたとのことで、日本でいえば関ヶ原の戦いの頃。今は子供達がはしゃぎまわっている明るい農村でした。400年前に建てられた石造りの家や、家と家が肩寄せ合っている細い路地のここかしこに子供達が走り回り、こちらを興味深そうに見ていました。幼児を抱いた若い母親はカメラを向けても逃げることも避けることもせず微笑み返してくれました。400年前から変わることのない住まいや生活様式も変わることなく今日まで息づいていて、たくさんの子供達はこれからも変わらずにこの村で大人になるものと思われました。生きることや幸せを考えさせられました。

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アルチット村の15時の昼下がり、女性達が井戸端会議の様子で寛いでいました。若い女性も多く、幼児から村一番の長老の女性達までが小さな広場を囲むように寛いでいて、和やかな幸せそうな空気が漂っていてとてもいい雰囲気でした。このような空気が400年も続いているとしたら凄いことです。 

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ネパールは、一人あたりGDP165位で世界の最貧国ともいわれています。国のリーダーは不在で、政治は混沌としています。中国の重圧が増していて、エベレスト街道のロッジに飾られていたダライ・ラマの肖像画は完全に撤去されてしまいました。そのネパールにはヒマラヤトレッキングのために4回通いました。首都のカトマンズでもあるいはヒマラヤ奥地の極貧地域でも、ネパールの人は悠々と生きているようでした。

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20139月にチベットを旅し、中国国境からネパールに入り、宿泊先のクラブヒマラヤに向かう途中、おばちゃんがペットボトルの水やジュースなどの飲み物やガバや柑橘類のフルーツなどを売っていました。いつ売れるんだろうか、いくら稼げるんだろうかと他人事ながら心配したのですが、傍らでは若い母親が幼子をあやしていました。母親の口の端に見えた僅かなほほ笑みと娘さんの仏像のような表情がとても印象的でした。どんな運命も甘んじて受けようという気概が伝わってくるようで、ここでも生きることや幸せって何ですかと問いかけられたような気がしました。

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2019年1月 2日 (水)

本の旅 世界しあわせ紀行 しあわせの微笑み(前編) 

新年あけましておめでとうございます。 

昨年末、幸せについて考えてみました。国が豊かであるとか政治や行政がうまくいっていれば誰も幸せとは限りませんし、貧困の国でも幸せな人はいます。今まで、数ヵ国を旅しましたが、その国で暮らしている人の表情を思い出してみると、国のレベルがどうであれ、暮らしぶりはわかりませんが、いい表情をしていました。 

旅して歩いた国の一人当たりのGDP2017年度:日本は190国中で25位)の高い順から、その国で暮らす人たちの表情を追ってみました。

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世界で最も豊かな国といえば北欧です。その北欧を旅したのは2015.5で、長い冬が終わって春の陽射しが降りそそぎ、夏へと向かう絶好の観光シーズンでした。10日間でフィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマークを巡るという駆け足旅行でしたから、上っ面の印象でしかないのですが、そこで見た人々の表情は幸せそのものでした。最も、1年で一番いい気候の時期でしたので、長く寒く暗い時期のことはわかりませんが。 

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スウェーデン(2017年の一人あたりGDP12位 以下同じ)の旧市街地の中心となっている広場に面していくつかのオープンカフェがあり、たくさんの人が集まっていました。若い人たちは幸せそうで、高齢のカップルのテーブルの上にはかなりのボリュームの料理が並んでいて、太陽の光の下、仲睦まじく食事していました。老後も安心して暮らせる高福祉(高負担は大変なのでしょうが)の一面でしょうか。

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フィンランド(17位)のヘルシンキ公園でのシーンです。長年の仕事のせいか、観光スポットよりそこに集まる人や街中の人の表情の方に興味があり、この公園で “ワンちゃん散歩百態” を見ることができ楽しく

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スペイン(31位)を旅したのは2016.91週間でした。憧れのバール。政治がひどかろうと、バールで飲んで食べて、陽気に情熱的に暮らせればそれだけでいいと思います。

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バルセロナのホテルから、早朝に眺めた光景でした。朝の散歩の2人連れ、女性はあくびをしながら歩いていました。スペインの人は夜更かしが多いそうですが、スペイン人らしくない人もいるようでした。

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スペインのアンダルシア地方のリゾート地のミハス。スペインも憧れの地で、こんなところで老後をおくるのもいいかなと思っていました。ミハスには別荘代わりに住んでいるイギリス人が3割近くいるそうで、 かつては日本人も住んでいたそうなのですが、油を多く使った食事が合わないとかで今はいないそうです。自分には無理そうです。

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スペインのマドリッドで。オープンテラスでは家族連れが食事をとっている姿は、どこの国でも幸せそうに見えます。

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トルコ(66位)を旅したのは2014.510日間でした。世界遺産の町サフランボル(サフランがたくさん)で、孫を連れたおじさんと目が合い、何となくのアイコンタクトで写真を撮りました。おじいさんと孫、よく似ています。トルコ人は本当に人なつっこく、世界一親日的なトルコはいい国です。

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サフランボルをブラブラ歩いていると、トルコの若い男性たちから一緒に写真を撮りたいと言われ(身振りですが)、フォーショットとなりました。トルコの若者たちは、日本人と一緒の写真を撮ったりするのが自慢になるそうです。海外でこんなにモテた(単なる写真だけですが)のは初めてでした。トルコは地政学的にも何かと難しい位置にあり、政治も危なっかしいところがあり(トルコのエルドアン大統領とアメリカのトランプ大統領は大喧嘩しています。(2018.9時点))、落ち着かない国なのですが、西洋と東洋の文化が混じり合った不思議に魅力的な国でもあります。

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同じくトルコのサフランボルでスカーフを巻いた若い女性3人がカメラに向かってニッコリ。トルコはイスラム教の国ですから、戒律が厳しく、女性の写真撮影は要注意と何回も言われましたが、若い人たちは写真好きのようでした。政治も宗教も関係なさそうでした。

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パタゴニア旅したのは2016.217日間。パタゴニアという国はなく、南アメリカ大陸の南緯40度付近を流れるコロラド川以南の地域の総称。アルゼンチン(57位)とチリ(56位)の両国にまたがる南の果てのエリアです。パタゴニアは世界一風が強く荒々しく、パンパ(大草原)を馬に乗って疾駆するガウチョ、ガウチョは牧畜に従事しているスペイン人と先住民その他との混血住民はカッコいいのですが、その表情を読み取ることはできませんでした。

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アルゼンチンの登山基地チャルテンという町でビール醸造所を兼ねた居酒屋に入りました。隣り合わせた地元のご夫婦はいかにもビール好きな雰囲気で、ニコニコして幸せそうな顔していました。ビールをお代わりしながらこちらをチラチラ見ていました。多分、ここのビールは旨いだろうとか、きっと自慢方々話もしたかったのだろうと思いました。

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自家製ビールは美味しく、ジョッキがすすみました。二杯目は、他のテーブルの人が飲んでいた黒ビールを指さしてオーダーするとウェイトレスさんも、はち切れそうな笑顔で、こちらもハッピーな気分になりました。

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2015.119日間、マチュピチュとナスカの地上絵を見にペルー(83位)に行きました。リマはペルー共和国の首都であり、政治、経済、文化の中心都市で人口は800万人で南米有数の都市です。日本で地方から東京や皇居見物などに上京する人達を “お上りさん” といっていますが、ここアルマス広場でもお上りさん風の人達が目につきました。 

ここまでの前編では、富める国北欧諸国から一人あたりGDP195ヶ国中83位のペルーまでその国で暮らす人の表情を見てきました。ペルーは、世界的には中くらいの豊かさの国と思われ、首都リマで寛ぐファミリーは、高級な服を身につけているわけではなく中流階級の人だろうと思われました。広場で寛いでいる普通の階層(のように見える)の人たちの傍らでは、先住民族インディオの末裔の人たちが、手造りの素朴なおみやげ物を信じられないような安い値段で売り歩く姿もしばしば見られました。人種差別という特殊な要因を差し引いても、国が豊かでなければ貧しい人は増えるでしょうし、それ以上に貧富の差が大きくなるように思えるのですがどうでしょうか。

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