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2019年2月26日 (火)

旅の空2007年 四国巡礼 12神山温泉へ

川沿いの道を、風を感じながら更に下りました。途中かき氷を食べて午後3時に、神山温泉ホテルにチェックインしました。

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舗装された道をグングンと下りました。

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吉野川の支流の鮎喰川の流れに沿って快調に歩きました。

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昼食のおにぎり二つではお腹が空きましたのでうどん屋に入りました。

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店からは美しい景色を眺めることができ、すっかりリラックスしました。 

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ノドも渇き、いい景色をもう少し見ていようとかき氷も注文しました。

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この日の宿泊先、神山温泉の「ホテル四季の里」に着きました。この日の宿の候補は他に民宿が2軒あったのですが、初めての「遍路転がし」を越えましたのでゆっくりと温泉に浸かりたいと思い、ちょっと贅沢にホテルにしました。

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とはいえ、お遍路姿でホテルに入るというのは場違いのようでもあり、遍路しながらこんな贅沢していいのかなという罪悪感も感じました。

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部屋に入って遍路衣装を脱いだら、すっかりリゾート気分になりました。

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温泉に入ってさっぱりしました。

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窓からの景色は清流の向こうに茅葺き屋根の古民家風の家屋があり、里山の雰囲気でしたので、湯上がりのさっぱりした身体で散策に出かけました。

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ホテル周辺にはウォーキングコースがあり、創造の森など、日常では体験できない空間もあるとか。

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水辺まで降りてみました。水はきれいで夏には螢なども見ることができそうで、そよそよと水面と緑を揺らす風が火照った身体にとても気持ちよかったです。

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神山という地名は、伝説では神の領地といわれ、神の山となったとか。俳句も盛んのようです。

温泉に入って、里山を散策してすっかりリラックスして一日の疲れを癒やしました。振り返ってみれば四国巡礼を始めてまだ3日目で、この先は長いのです。

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2019年2月23日 (土)

旅の空2007年 四国巡礼 11空海の道

5/12(土) 次の13番札所大日寺までは30kmあるのですが、ガイドブックに従って神山温泉へと向かいました。歩行距離は11km

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標高830mの焼山寺からは山の中の下りの道になりました。山道で道がわからなくなりそうになるとさまざまな道しるべがありホッとします。

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また道端には石碑や石像があったり、遍路墓があり、一人きりで歩いていても何人ものお遍路さんが同じようにこの道を歩いていると思うと心強いものがあります。特に、菅笠を被り白衣を着て金剛杖を持っているとお大師様(同行二人)に守られているという気分になりました。

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励まされて!

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完全野宿歩き遍路さんの重装備の若者にあっという間に追い抜かれました。

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富士屋本家旅館で握ってもらったお弁当でお昼にしました。

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前日歩いた難所といわれる「遍路転がし」の道と違って木漏れ日がこぼれる下り道はとても気分よく歩くことができました。 

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下り道は続き、道幅は広くなり里に近い雰囲気となりました。

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お遍路の元祖といわれている衛門三郎(えもんさぶろう)ゆかりの霊場「杖杉庵(じょうしんあん)」に出ました。

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衛門三郎という人物は愛媛県の長者で、托鉢に来た弘法大師の鉄鉢を地面に叩きつけるほどの乱暴者でした。鉄鉢は八つに割れ、その翌日から三郎の八人の子供たちが相次いで亡くなりました。前非を悔いた三郎がお大師様の後を追い四国を回ったのがお遍路路の始まりといわれています。

衛門三郎は20回巡ってもお大師様に会えず、21回目に逆回り(逆打ち)したところ、夢の中に現れた弘法大師に許されて息絶えたといわれています。第一番札所から時計回りに回る「順打ち」に比べて第八十八番札所から反時計回りに回る「逆打ち」は3倍のご利益があるといわれています。1回目は「順打ち」、2回目は「逆打ち」というお遍路さんにも会いました。 

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「杖杉庵」からは10.5km先のこの日の宿神山温泉へと向かいました。

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空海が歩いた道は、山岳修行の地である四国、近畿の山々、そして国家鎮護の寺・東寺から一大宗教都市・高野山へまで続いているといわれています。「最後まで残った空海の道ウォーク」とは何とも魅力的な道案内でした。 

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空海の道は梅の里の道でもありました。梅の木がアーチ状になった爽やかな道でした。

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梅のみがたわわに実り、酸っぱい清々しい香りで満ちていました。 

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梅の匂いに誘われ、無人スタンドで梅干しを買いました。疲れたときの旅の友になりました。

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2019年2月20日 (水)

旅の空2007年 四国巡礼 10十二番焼山寺

5/12(土) この日の行程は、「遍路転がし」という難所を越え十二番札所焼山寺(しょうざんじ)を目指しました。皆さんは6時間から8時間かけて登り、その付近で宿泊するそうですが、私はそこから更に34時間先の宿泊地へ歩きますので、岩手のShimazakiさんとタクシーで途中(柳水庵)迄同乗し、そこからShimazakiさんはそのままタクシーで焼山寺へ行きました。私は34時間の予定で、焼山寺を目指しました。

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ここ柳水庵までShimazakiさんとタクシーで来ました。Shimazakiさんはそのままタクシーで向かいましたが、私は「遍路転がし」の道へと向かいました。この柳水庵に泊まるお遍路さんもいるとか。

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07:30 焼山寺への登山道の入口に出ました。ここから焼山寺までは12.3kmとありますが、私は柳水庵から歩き始めましたので約半分の6.3kmを歩き峠を2つ越えます。

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急傾斜の山道となりました。

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先行するお遍路さんはもの凄い健脚でした。

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見晴らしのいいところに出てホッとしました。

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中間地点には「一杉庵の大師像」が立っていました。弘法大師が焼山寺に上る途中、ここで木の根を枕に仮眠したところ、夢の中に阿弥陀如来が現れ、大師は尊像を刻んで安置し、杉を植えたといわれています。

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多少傾斜が緩くなる道もあり、呼吸を整えることができました。「遍路転がし」のような道では金剛杖が強い味方になりました。山中には行き倒れの遍路墓がいくつもあり、多くは江戸時代のものといわれています。 

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こちらの気持ちを見透かしたかのような激励の言葉が元気づけてくれました。 

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焼山寺は焼山寺山(標高938m)の八合目近くにあります。もう一頑張り、二頑張りくらいです。

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一休みしていると珍しく「逆打ち」のお遍路さんに出会いました。シャッターを押していただきました。

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何とか頑張って参道に出ました。ほっとしました。ここまでくれば一安心でした。

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焼山寺の山門(仁王門)に着きました。標高830mにある四国霊場で2番目に高い山です。

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焼山寺は、口から火を噴く大蛇を弘法大師が岩窟に閉じ込めたという伝説があり、また真っ直ぐに伸びた巨木が林立していて凜とした空気が漂っていました。ここまで苦労した甲斐がありました。 

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焼山寺は弘法大師が設けた6つの苦行場の一つとなっていますが、現在は車でも上がってこられますので足の悪い方でも参拝することはできます。ご詠歌は、後の世を思えば恭敬焼山寺 死出や三途の難所ありとも 。

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風雪に耐えている弘法大師。 

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納経帳に、墨書と朱印をいただいて参拝終了。

四国巡礼には「遍路転がし」といわれる難所がいくつかあります。「一に焼山、二にお鶴、三に太龍 遍路泣く」とは、12番焼山寺、20番鶴林寺、21番太龍寺を指します。1番札所から歩き始めて2日目か3日目に平均所要時間68時間かけて3つの山を越える「一に焼山」を経験することになり、ここを越えるとホッとしました。

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2019年2月17日 (日)

旅の空2007年 四国巡礼 09富士屋本家旅館

5/11(金) 藤井寺に参拝して納経帳に墨書と朱印をいただいて、この日の宿と向泊先へかいました。

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藤井寺から旅館への道は緑豊かで、一体どんなところに行くんだろうかと思うような山道でした。

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傾斜を上ってゆくと展望が開けました。

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しばらく歩いて行くと道端に「お宿ふじや」と書かれた板きれが目につきました。正式名は「富士屋本家旅館」といい、名前につられて予約したのですか、山里の見事にひっそりとした宿でした。

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この旅館は、翌日の「遍路転がし」といわれる徳島最大の難所12番札所焼山寺の登山基地となっています。同宿者は9人で、若者一人以外は、皆60代、最高齢は70代半ばの顔馴染みとなったSimazakiさん。皆さん脚には自信がありそうでした。しかし翌日は徳島最大の難所、四国巡礼初めての試練に皆さんも私も緊張しました。「遍路転がし」とは、お遍路さんが転げ落ちるほどの難所という意味です。

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早速部屋に落ち着きました。

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布団は何セットもあり宿泊者が多いときは相部屋になるのですが、この日は一人きりで寝ることができました。

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5時起き、6時食事、7時出発の予定でした。とにもかくにも、しっかりと睡眠をとって清々しい朝を迎えました。一番心配した天気は快晴でホッとしました。

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藤井寺の山門に向かう前に振り向くと前日歩いてきた道が眼下に見ることができました。

富士屋本家旅館は一泊二食昼食つきで6500円でした。大体この料金で統一されていて、前の日宿泊した立派な宿坊でもこの日の通常相部屋の旅館でも同じ料金です。

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2019年2月15日 (金)

旅の空2007年 四国巡礼 08十一番藤井寺

5/11(金) 10番切幡寺から次の11番藤井寺(ふじいでら)へは12kmと長めの歩行距離でした。

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藤井寺までの距離は長く、途中に食事するところはあまりありませんでしたので、目についた看板に誘われるようにうどん屋に入りました。

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好物のきつねうどんを美味しく食べて腹ごしらえしました。

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まだ2日目ですので元気でした。 

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町中の道標はなかなか見つけにくかったりしますので、間違えやすい街角には目立つ道標があって助かりました。

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見渡す限りの畑とずっと続く道、吉野川を渡って、足を一歩ずつ前に出して歩け歩け。歩きがいのある道でした。距離のあるこういう所では前にお遍路さんの姿を見つけると安心できるのですが、お遍路さんは見当たりませんでした。

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ようやく前方に二人連れのお遍路さんを発見、この道で間違っていないことを確認できて安心して歩くことができました。 

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全長236km、四国最大の吉野川に突き当たりました。

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吉野川にかかっているのは川島潜水橋です。沈下橋は洪水の時に水没して水は橋の上を流れます。その結果、橋は流されないように作られています。四万十川の沈下橋も同じような潜水橋といえます。金剛杖を突かないように気をつけて渡りました。 

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吉野川を渡ると無料休憩所がありました。小屋の中には布団があり、水道もついていました。休憩できますが宿泊するにはトイレがなく無理です。

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久しぶりに見る道しるべでした。まだ5.9kmありました。 

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吉野川を渡ると再び舗装されている農道に出ました。目標の藤井寺は正面に見える山麓にありますのでもう少しの頑張りです。 

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藤井寺の山門に着きました。四国八十八ヶ所霊場のうち、寺号の「寺」を「じ」でなく「てら」と読むのはこのお寺だけです。 

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納経所は17:00で閉められてしまいますので、本堂と大師堂で経を唱え、納経所へと急ぎました。

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目的のお寺に着くと鐘を撞くことになっているのですが、快く撞かせてくれるお寺もありますが、ほとんど嫌がられます。特に町中では近隣に迷惑になるというもっともな理由がありますので私はほとんど撞いたことはありませんでした。

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本堂にお詣りするときにはロウソクを灯すこともあります。熱心なお遍路さんは灯していますが、私はこれもほとんどパスしました。

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藤井寺にいらっしゃった地蔵菩薩たち。地蔵菩薩は、大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたといわれます。

初めて渡った沈下橋は、普通の橋ならあるべき欄干がなく一瞬ギョッとしました。また車も通りますので大丈夫かなと思ったのですが、実際に渡ってみると心配するほどのことはありませんでした。しかい水嵩が増したり急流になったら勇気が必要かもしれません。

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2019年2月12日 (火)

旅の空2007年 四国巡礼 07九番法輪寺~十番切幡寺

5/11(金) 9番法輪寺までは3km、そこから10番切幡寺(きりはたじ)へは5km2時間くらいの歩行距離でした。

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前日の宿坊で隣の部屋、食事も一緒、この日の旅館も一緒のSimazakiさん、岩手から来ている70代の方、驚く程健脚でした。

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バスを待つというSimazakiさんと一時お別れして、私はひと足お先に9番札所法輪寺へ。どこまで続いているかわからない道をひたすら歩きました。

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少しずつ道は狭くなり、遠くに見えていた小高い山が近くなりました。

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9番札所法輪寺の仁王門に着きました。この仁王門も歴史を感じさせられるものでした。

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「白蛇山法輪寺」といわれ、壮大な伽藍を誇っていたと伝えられるのですが、天正10年(1582年)の長宗我部元親による兵火で焼失しました。現在はその時の礎石や焼土が遺跡として現在も残っています。

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ご本尊は木像の釈迦如来で弘法大師の作と言われています。四国霊場では唯一の涅槃仏(ねはんぶつ)です。涅槃仏とは、釈迦が入滅する様子を仏像としてあらわしたもので、寝仏、寝釈迦像、涅槃像とも呼ばれます。足の裏には宇宙観を示す文様などが描かれています。

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次の10番札所切幡寺までは5kmの歩行距離です。前に二人連れのお遍路さんお姿が見えました。お遍路さんとは顔馴染みもでき、前になったり後になったりそれぞれのペースで歩きました。私も自分のペースが掴めるようになってきました。私と同じような一人遍路が一番多いようで、次に二人連れが多いようでした。

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切幡寺への道は遠くに山を見ながら田園を抜けるのどかな道でした。カエルの鳴き声なども聞こえてきました。

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10番札所切幡寺の山門をくぐると「是より三三三段」と書かれた石碑がありました。この階段と女厄坂・男厄坂を登った800m先の標高155mの山の中腹に本堂がありました。

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切幡寺のご本尊について、弘法大師が僧衣を縫うために布を所望したところ、少女が織りかけの布を惜しげもなく切り裂いて差し出した。心を打たれた大師が、少女の願いによって刻んだ千手観音像を彫り、弘法大師が少女を得度させて灌頂を授けると、少女は即身成仏して千手観音菩薩に化身したとのこと。大師が彫った千手観音像と生身のまま千手観音菩薩になった少女がご本尊とのこと。 

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ご本尊となった少女の姿、「はたきり観音」の銅像が境内に立っていました。右手にハサミ、左手には長い布を持っています。切幡寺のご詠歌は、“欲心をただ一筋に切幡寺 後の世までの障りとぞなる” 。

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切幡寺から吉野川方向を望むことができました。これから歩いて吉野川方向へと向かいます。

それぞれのお寺には弘法大師との縁われがあり、感心しました。千年も前の弘法大師の足跡が、ある意味観光資源となっていて縁のあるお寺や地域の人に大きな御利益を授けているようでもあります。

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2019年2月 9日 (土)

旅の空2007年 四国巡礼 06八番熊谷寺へ

5/11(金) 巡礼2日目。この日の最終目的地は11番札所まで24kmの歩行距離。先ずは4km先の8番札所熊谷(くまたに)寺へと向かいました。

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05:30起床、朝の勤行、朝食をすませ07:00 宿坊を出発しました。朝の気持ちいい空気の中を自動車道に沿って歩き始めました。こういう舗装された道を歩くときは金剛杖を一歩一歩突くとその度にコーンという音がしますので、時には突かないように持ち替えたりいろいろ工夫をしました。 

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自動車道から少しずつ町中の道に入ってくるとお遍路さんへのメッセージが書かれた立て看板なども目につきました。 

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こんな案内表示を頼もしく思いました。

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田園風景が広がる道は気持ちが広がるような気がしますし、こういう道を黙々と歩くのもお遍路感があっていいものです。 

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1時間くらい歩いて熊谷寺が見えてきました。連なる山を背景にのびのびとした光景です。

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仁王門が見えてきました。687年に建立されたもので、古色蒼然とした仁王門には風格がありました。

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仁王門には、阿吽の呼吸をしている、口を開けている阿形像としっかり口を閉じている吽形像が待ち構えていました。阿形像は男声にたとえられ、咥えたものは絶対に吐き出さない吽形像は女性にたとえられるそうですが、本当でしょうか。

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お浄めの場ではカエルが出迎えてくれました。

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仁王門をくぐると多宝塔があり、ここには大日如来が祀られています。

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熊谷寺の本堂。言い伝えによると、弘法大師がこの付近で修行をしていた際、熊野権現が現れて18 (5.5cm) の金の観音像を授けた。そこで堂宇を建立し、霊木に等身大の千手観世音菩薩を刻んでその胎内に収めて本尊としたとのこと。

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ご本尊は千手観世音菩薩。千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表しているといわれます。 

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少しずつ遍路姿が身についてきたような気がしました。

本堂と大師堂それぞれでロウソクと線香を手向け、自分の名前や住所などを書いた納め札を納札箱に入れて、読経します。納経の証に、納経書で墨書と御朱印をいただいたら、再び山門の前で一礼し、次の札所へと向かいます。一連の流れもスムーズにできるようになりました。

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2019年2月 6日 (水)

旅の空2007年 四国巡礼 05宿坊体験

5/10(木) 1番札所から7ヶ所の霊場を巡って、ようやくこの日の宿、初めて泊まる宿坊に着きました。 

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7ヶ所の霊場のうち、6番札所安楽寺と7番札所十楽寺にはそれぞれ宿坊があるのですが、安楽寺の宿坊には400年の歴史を持つ宿坊には天然温泉の大浴場があり、お遍路さんに好評とのことでしたので六番札所へと戻りました。

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16:30 四国巡礼での初めての宿でもあり、初めて門を叩く宿坊でしたのでちょっと緊張しました。宿に泊まるときにはルールがあり、先ず用意されてある水桶で金剛杖の先を洗い清めます。宿に着いたら先ずお大師様の足を洗うということになっています。

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玄関を上がるときも部屋に入るときにも金剛杖から先に入ります。玄関から上がると広いロビーがあり、描いていた宿坊のイメージとはずいぶん違うものでした。 

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金剛杖を突かないように廊下を進みました。長い廊下が続いていてたくさんの人が泊まれる宿坊のようでした。

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部屋は床の間と押し入れがあるきりの宿坊。このシンプルさが気に入りました。

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温泉で汗を流した後の食事、どんな食事かなと思ったのですが想像以上に品数も多くカロリーも充分、お代わり自由でした。アルコール類は、ビール大瓶500円、日本酒一合350円。お坊さんがビールや日本酒のオーダーをとっていたので安心したのとちょっと可笑しかったです。

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団体さん用のこんなお食事処も。 

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安楽寺では朝7時から本堂で朝の「お勤め(勤行)がありました。自由参加で、早朝出発の人はパスする人もいましたが私は興味もありましたので参加しました。

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白衣を着て、数珠を持って本堂に集まりました。立派な本堂でした。

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勤行では般若心経と御真言唱えた後、ご住職の法話がありました。ありがたいお話しだったと思うのですが、忘れてしまいました。

四国巡礼では30泊ぐらいしました。宿坊には何泊もしましたし、朝の勤行も何回も体験しました。 12食で6500円。料金は大体どこでも同じようなものでした。内部は快適、浴室は広く清潔で、ここの宿坊はいくつか泊まった宿坊の中でもかなり立派でした。この日の歩行距離16kmでちょうどいい運動量でした。

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2019年2月 3日 (日)

旅の空2007年 四国巡礼 04五番地蔵寺~七番十楽寺

5/10(木) 後半は5番札所~7番札所の3つの霊場を巡って宿坊に宿泊しました。歩行距離は10kmでした。

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5番札所地蔵寺は、弘法大師の庇護者であった嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が開創しました。ご詠歌は、六道の能化の地蔵大菩薩 導きたまえこの世のちの世 。

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境内に入ると大きな弘法大師の像が立っていました。弘法大師空海は 774年、讃岐(香川県) に生まれ、十五歳で上洛して学問を修めた後、仏教を志すようになりました。役行者(えんのぎょうじゃ)や行基が修行をした四国の山や海で難行苦行の末に悟りを開き、三十歳で唐へと渡りました。四国遍路は空海入寂後に弟子がその霊跡を辿ったことに始まり、一般庶民に広まったのは江戸時代に入ってからとされています。

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本堂左の参道を通って石段を上ったところに羅漢堂があります。五百羅漢堂とされていたのですが参拝者の失火で罹災、今は200ほどの羅漢像が安置されています。

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さまざまな喜怒哀楽の表情を浮かべた羅漢像が並んでいました。どちらかといいますと人間くさい顔をしていて親しみを覚えました。 

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こんな恐い顔もありました。やましいことはないのですが、心を見透かされているような気がしました。

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帰りがけに挨拶を交わしたお遍路さん。私と同じ新米でした。

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こんな道もあって楽しくなりました。

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安楽寺に向かう途中に「お遍路さん休憩所」という標識が目にとまりました。

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一坪にも満たないような小屋で、先客のお遍路さんが休んでいました。遍路小屋です。

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遍路小屋があるという話は聞いていました。雨露は凌げますし、一人くらいは寝られるくらいのスペースがあり布団もありました。ボランティアの皆さんが運営しているそうで、完全野宿の歩き遍路にはとてもありがたいことだと思いました。 

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6番札所安楽寺の山門に着きました。ちょっと変わった形をした竜宮城の入口のような竜宮門型の山門です。

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古くから温泉があり、安楽寺は弘法大師によって温泉湯治の利益が伝えられた旧跡で、山号は温泉山とされました。今でも境内には温泉が湧いています。

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こんなきらびやか世界が。極楽浄土のような。

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安楽寺から十楽寺までは大した距離ではありませんが、こういう遍路標識を見つけるとほっとします。 

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6番札所安楽寺から7番札所十楽寺までは1kmであっという間の距離でした。ここの山門も竜宮門で竜宮城に入ったような気分でした。

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中門の上部に愛染堂には愛染明王が祀られています。十楽寺という寺名は、八の苦しみを逃れ十の薬があるようにという意味があるそうで、ありがたい霊場です。

十楽寺には 人間の八苦を早く離れなば 到らん方は九品十楽 というご詠歌が掲げられていました。ここにも宿坊はあるのですが、温泉があるという6番札所安楽寺の宿坊に泊まるために安楽寺へと戻りました。

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2019年2月 1日 (金)

丹沢登山紀 1月 

新しい年になって、今年も足は丹沢に向かいました。1/39131824306回登りました。

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初登山は1/3(木)でした。天気は日本晴れでしたので、山頂に着いてみればたくさんの人が集まっていました。気温は-1℃だったのですが、風がなく陽射しが降りそそいでいましたので汗ばむくらいでした。

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元気そうなご夫婦と2匹のワンちゃんも初登りとのことでした。

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登っている間は青空には一点の曇もなかったのですが、太平洋側から温められた大気が雲になって流れてきました。

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今年2回目の丹沢登山は1/9(水)、正月気分も抜けかかった平日のせいか他の登山者の姿はあまり見られませんでした。元旦に丹沢山頂(塔ノ岳)からのご来光がTV中継されていて、その中でこの大倉尾根コースは階段が1/3を占めていて日本一階段の数が多いとか、その数は4,000とかいっていました。確かに階段の数は多いです。 

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山頂への最後のステップ。インターネットで 塔ノ岳 とか 丹沢大倉尾根コース で検索すると、階段の数が多すぎるとか、下山で膝を痛めたとかいうボヤキがたくさん書かれていて、挙げ句の果てに階段を減らせとか標準時間の6時間15分は厳しすぎるといったいいがかりのような意見も見られます。 

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山頂の気温は-4℃

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山頂は、三が日が過ぎてとても静かでした。

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前回の登山から中4日の1/14(月)に3回目の登山に行きました。上の方に登るにつれてうっすらと雪化粧が見られましたので、この日はあっさりと花立山荘から引き返しました。

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1/18(金)、中4日で今月4回目の登山に行きました。山頂近くになると雪の道になっていました。もう1回くらい雪が降るとアイゼンが必要になります。

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山頂の手前では登山道の整備工事が行われていました。毎日通いで早朝登り始めて、それから工事しているとのことでした。ただの登山だけで疲れるのにここが仕事場とは驚きと同時に感謝!感謝!です。

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この日も順調に登頂しました。山頂では丹沢名物の強力さんが福岡のTV局からインタビューを受けていました。

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雲がほとんどない青空の下、冠雪した富士山が美しく見えるのですが、雪の量が少ないような気がしました。そういえば昨年末から今年にかけてあまり雨が降っていませんでしたのでそのせいかもしれません。

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1/24(木) 今月5回目の丹沢登山。バスで隣り合わせた大阪から来たという女性と別々に登ったのですがほぼ同じ時間(3時間)に山頂で一緒になりました。丹沢に登るだけのために新幹線に乗り、小田原で前泊したとのこと。この日このまま下山して大阪に帰るとのこと。

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交代でシャッターを押してもらいました。

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1/30(水) 今月6回目の丹沢登山。天気は曇で寒く、登山口の大倉行きの始発バスには登山者が10人くらいで、ひっそりとした登山になりました。こういう時は、歩きながらあれこれ考えることができて、自分の世界に没入することができます。この日は、大学・ゼミの同窓生から教えてもらったNHKの「こころの時代 宗教・人生」(第3日曜日am5:006:00)の番組内容を思い出しながら、冷たい空気の中を歩きました。

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今月の「こころの時代」のテーマは「唯識」でした。初めて知った言葉でした。飛鳥奈良時代に伝わった仏教の中で、さまざまに広がった流派の一つが興福寺を大本山とする法相宗で、法相宗は仏教の心理学である「唯識」を教えています。仏教の基礎理論として昔は仏教を志す人は全員学んだとのこと。難しい話はさておき、要するに心のメカニズムを分析し、心をコントロールしようとするものです。 

「唯識」を思い出しながら、理解できる部分と理解できない部分、実践できそうなことと実践できそうもないことなど、中には山を登りながら実践できるもことあり、そんなことを考えながら実践しながらの山登りでした。

帰りは、お昼過ぎの時間帯ですので小田原発新宿行きの小田急線も一車両に数人しか乗客はいなくて、缶ビールを飲んでもひんしゅくを買うこともなく、ミカンを食べても冷たい視線を浴びることもなく、のんびりと帰宅しました。今年も、こんなふうに気ままな山登りを続けたいものです。 

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